2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全37件 (37件中 1-37件目)
1
今日は例のとうり充実した日々を送っておりますが、労働局に出かけて処理をした後、家で業務関連の書類を書いています。 しかし、文章を書くというのは面白いけれど難しい・・・・いつのまにか机の周りは紙だらけの修正液だらけ、更に本だらけになりながら作業していました。というよりしています。 これじゃまるで売れない作家になった気分です。かつて坂口安吾の部屋の写真を見たことがありますがそれに似たものがあるな~。 まだまだやらんと。ちょっと一息の間にこれを書いています。
2008年02月29日
コメント(0)
先日の沖縄行きのせいか仕事がえらくたまってしまい、今ひーひーいいながら仕事しています。また、20度から7度の気温さのせいかカゼ気味になりながらもなんとか生きている次第です。 今週はこんな調子でしょうが労働者として仕事に励まないといけませんね!
2008年02月29日
コメント(1)
ベテラン投手とはいえやはり戦力が大きく変わるであろう千葉ロッテマリーンズ。おそらく下馬評はそんなに高くないのであろうが、指揮官は何を考えているのか? こんなときに優勝でもするとまさに「名将」になるのではないでしょうか?明日からオープン戦に突入する前の監督をみて感じました。
2008年02月29日
コメント(0)
上の写真は今年千葉に入団した伊藤です。背番号30。甲子園出場や都市対抗にも出ていた本格派即戦力投手。よっぽどケガなどなければシーズン中には出番があるでしょう。 思った以上に背の高くない投手でした。1イニングだけ投げたようですが、私はそのころ、東シナ海の海岸を散歩していたので見ていませんでした。 薮田、小林と戦力が抜けたロッテとはいえ彼らはもういい年齢ですから、いい世代交代になるんじゃないでしょうかね。
2008年02月28日
コメント(0)
練習試合とはいえ、結果を求められるオープン戦が直前に迫っている時期、一軍に入れるかどうかの瀬戸際の選手は命がけだと思います。 写真は投手が日本ハムの山本、打者が千葉ロッテの金沢、完全に一軍に入っている選手ならいいですが、彼らなどはそのタイプでなく、新たに一軍定着を目指すタイプ。 球場が狭いせいか、その必死さが伝わってくるようです。
2008年02月28日
コメント(0)
名護の球場に途中から入ってみると(もちろん無料)まっさきに目に飛び込んできたのがこの光景でした。 里崎?違う違う。そのとなりにいる成本コーチです。ヤクルトのコーチ時代に神宮で見た以来でしたね。 かつて、今から13年ほど前、千葉ロッテがようやく千葉に根付いたころ、勝ちゲームには必ず登板していましたね。リリーフカーで登場すると千葉では「守護神成本!!」コールが沸き起こったもんです。 ロッテのユニフォームを着るのはヤクルトにその後トレードされて以来でないでしょうか?私が個人的に大好きな園川コーチがユニフォームを脱いでしまいましたが、成本コーチの千葉ロッテ、どんな投手を繰り出してくるのでしょうか。
2008年02月27日
コメント(0)
浦添で何も観れなかった私は、高速を飛ばして沖縄島の南、名護に行きました。ここでは北海道日本ハムがキャンプをやっておりますが、今日は千葉ロッテとの練習試合、私にとっては今季初のプロ野球観戦となりました。 この球場は海のすぐそばにあって那覇と同じくやはり暖かい場所です。バックスクリーンのすぐ後ろが海。もろちんスコアボードもなつかしの手動式。 しばし楽しい時間をすごしました。
2008年02月27日
コメント(0)
東京ヤクルトスワローズがキャンプを張っている浦添球場は、那覇からモノレールとタクシーを乗り継いで行ったのですが、球場を見渡す高台についてビックリ・・・・ シートかぶっているんですね。「もしや!!」と思い降りていくと誰もいない・・・・球団関係者の方らしい人に今日のキャンプを聞くと「あ~、今日は休日なんだよ、ゴメンネ~、明日やるから来てね」・・・・・・思い切りずっこけました。というよりスケジュールも確認しないでくるのが悪いんですが・・・ なんせ今回の沖縄行きを決めたのが前日ですから、自分の無計画ぶりを反省しながらも球場を後にしました。
2008年02月27日
コメント(0)
那覇空港に到着すると、出口には沖縄でキャンプをしている各球団の旗がなびいていました。キャンプ地に来たという感じです。 早速タクシーで浦添のヤクルトの練習を観にいきました。沖縄はタクシーの初乗りが440円から500円台とえらい安いです。もちろんメーターがあがるのも早いんですが・・・ 浦添球場に到着した奄太郎はおどろきの光景を目にしてしまいます。
2008年02月26日
コメント(1)
22日、東京を出たとき、気温は5度くらいでした。朝早かったもので。 そして2時間ちょっと飛行機に乗って到着して那覇に来てみるとそこは別世界、23度もあったのです。ここ数日は沖縄も雨が続いていたそうですが、晴天とはいえないまでも暖かさには恐れ入りました。とにかく体がよく動きます。やはり寒さは万病の素なのかもしれません。 先にご報告しましたように観て来たのは沖縄の史跡とプロ野球のキャンプ。特に史跡は沖縄にある世界遺産を制覇してきました。上の写真は東シナ海。海の向こうには行ったことのある中国の上海、杭州などがあります。 まずは「球春到来!」とばかりに野球ネタからご報告したいと思っております。 興味のあるかたはもちろん、ない方もぜひ御覧ください!!
2008年02月26日
コメント(0)
私が今回沖縄へ突然(先日に決めた)いったわけは、実はまだいったことがないんですね。 未だにいったことが無い件は、宮崎、大分、沖縄の3件、やはり沖縄は本土より気温が高い!そして史跡がえらい豊富にあるんです。更に更にはプロ野球のキャンプをやっていて観ることも出来る。 史跡と野球があれば生きていける私にとって格好の場所だったわけです。 給料日前で家計は苦しかったですがいい思い出になりました。次回以降、アップしていきたいと思っています。
2008年02月25日
コメント(0)
今日は名護から更に北上、した後、南へ戻り、史跡を見た後北谷、宜野湾でプロ野球のキャンプをみてレンタカーを返した後、国際通りを歩いて空港から帰りました。 20度あった気温は2時間後、東京では6度しかありませんでした。寒すぎる・・・・
2008年02月24日
コメント(0)
この日は那覇市内でレンタカーを借りて、まず島の南端へいき、そこから北へ縦断して名護というところで日本ハムのキャンプを観て宿舎へと・・・・すぐ睡眠へ・・・・
2008年02月23日
コメント(0)
私ですが、明日から沖縄へ行ってまいります。 本日7時台の飛行機で那覇に到着、那覇市内から浦添へ一日歩き通しです。気温は23度。日焼けしました・・・
2008年02月22日
コメント(0)
私、奄太郎なんですが、ちと旅行に行ってまいります。日曜日には帰還したいと思っております。 詳しいことは帰宅後にご報告申し上げます!!
2008年02月21日
コメント(0)
いや~20日はあったかかったですね。といっても12度ですが・・・・・ でも10度超えると外歩けますね。三寒四温の時期到来というとこでしょうか?
2008年02月20日
コメント(0)
昨日、旅に出るなどと言っておきながら、最近眠くて仕方がないです。 私は寝る時間が普通の人より早いんですが、8時間以上寝てしまうんです。ちょっと多すぎますね。たいして仕事していないんですが・・・・ 皆様もやはり冬は睡眠時間が長いものなのでしょうか?
2008年02月19日
コメント(0)
私の勤務する会社は2月が決算なので、今日でもうある程度仕事が終ってしまいました。 そこで、ちょっとのんびりしようと旅にでも出ようかと考えています。 とにかく東京は寒いので、暖かい所を探していたのですが、静岡や高知、九州は来週からかなり暖かくなるんですね。 ちょうど九州なんかではプロ野球のキャンプもやってることだし。でもそれ観にいったら「バッカじゃねーの」とある友人から言われるのが目に見えています。 ただ、そんなことを漠然と考えて旅の準備を・・・帰ってきたら会社に机がなかったりして・・・・
2008年02月18日
コメント(0)
法隆寺の東院といったらメインは夢殿なんですが、以外や以外、それよりも見るべきものがあります。それがこの「伝法堂」という建物。もちろん国宝建造物です。 伝法堂はかつての奈良時代の住宅を移築して改造したうえお寺の建物に転用したもので、かつての住人は聖武天皇(奈良の大仏造った人ですね)の奥さんの橘夫人のものであったといわれています。 聖武天皇の奥さんといえば光明皇后があまりにも有名ですが、橘婦人(「こなかち」という)も忘れてはいけません。橘氏といえば橘諸兄という人が当時の権力者である天皇家の分家です。 奈良時代の建物は唐招提寺なんかにも転用されていますが、住宅はたぶんここだけではないでしょうか?実際、この伝法堂から当時の住宅の再現なんかが学者の手によって解明されています。 一見ただの堂宇に過ぎないのですが、法隆寺へはこの建物を見るために来たようなもの。しばし佇んで拝観しました。
2008年02月17日
コメント(0)
法隆寺の話に戻りたいと思います。法隆寺は西と東に大きくわかれていまして、メインになっている塔とか金堂があるのが西なんですが、東はそもそも聖徳太子が住んでいた「斑鳩宮」があったところにお寺を建てたもので、ある意味こっちが元祖だったりします。 西と東は数百メートルの道で繋がっているのですが、その東(東院)のメインな建物がこの「夢殿」です。建築年代は平安時代で今から千年くらい前、外国の人が観光するとき、建物の雰囲気からこっちのほうが人気あったりします。 確か昔のお金にも描かれていたと思うこの「夢殿」ですが、私も始めて観て感じたのはとても思った以上に大きいことでした。 平安時代には建築も多様化して、このような八角堂のような建物も良く建てられていたようです。東院はこの夢殿の周りを回廊が取り囲む形なんですが、なんとも神秘的な雰囲気です。
2008年02月16日
コメント(0)
今日は私用があり、区役所へ行ってきたのですが、そこで「ふと」気になることがありました。まぁ以前から気にはなっていたのですが、役所には障害をもつ方を支援する部署が必ずあるのですが、そこの部署が「障害者」でなく「障がい者」となっているのです。 これは他の役所なんかでもそうなっているところが多いですね。 その件について役所の方に聞いたのです。「なんでひらがななんですか?」と。 すると、「障害」と書くと「害」の字に悪いイメージがあるので、そこだけひらがなにする取り組みなんだそうです。 個人的なことですが、差別的用語など、相手の人権を尊重するあまり、文化の象徴の文字が変わるのってどうかな?と思いますね。 そういえば「ボケ老人」なんて言葉も今では使えなくなっています。なぜなら「ボケ老人」が増えたからでしょう。 もし、「正しい日本語を使え!!」といっている頑固な老人がいて、その人が認知症になったとしたら、その人のことを「正しい日本語」である「呆け」といったらその人怒るんでしょうかね?想像するとなんだか滑稽に感じます。 論点がちょっとずれてしまいましたが、障害者に対する役所の配慮する気持ちはうれしいものですが、なんでもかんでも「差別的発言」とか「放送禁止」にしてしまうと、なんにもいえない世の中になっちゃいますな~。
2008年02月15日
コメント(1)
昨日、Tomochanさんからのコメントいただき、早速お返事いただきました。 この最近の「食」について、もう一つ持論をいわせてください。 Tomochanさんとも「食べれなかった時代の人の話」を言われていましたが、この「食べたくても食べれない」という経験はとっても大事な気がするんですね。実は私もそんな経験を少なからずしていました。 私は、以前、大変大きな病気で長期療養を経験したことがあります。その際、食事の調節がはかられ一日のカロリーが1300以下ぐらいに抑えられていたことがありました。 中高年ならまだしも20代でこの量は大変辛いものでした。療養といっても外出して歩いていましたので、いつも食事屋のメニューのサンプルの前に長時間立ち尽くしていました。 目の前に食べ物があるのに食べれない・・・・・戦時中や戦後よりはマシだと思いますが、とっても辛いものでした。夜になると居酒屋からの楽しい声を横目に病院に帰り、白いご飯に小さな魚とおひたしの食事を続けていました(塩分制限のため味噌汁もなし) 今では多くの方のおかげで生きておりますが、それ以来「食」にたいして真剣に考えるようになりました。退院した後、食べた300円の焼きそばの旨さは今でも忘れません。もし、あのとき、冷凍ギョーザが食膳に出たら世間の騒ぎなど無視して間違いなく食べていたと思います。(ギョーザなんか食べれなかった) そういえば、死んだ私の大正生まれの祖母や生きている大正生まれの叔母は、お金は問題なくありましたがしありますが、豪華な衣装を着たり、豪勢な食事を食べていたのは見たことがないです。 苦しき時は食はもちろん、食に限らず大きな財産になるんではないでしょうか。
2008年02月14日
コメント(0)
昨日、最近のギョーザ問題について書かせていただきましたが、いつもお世話になっているドイツ在住のTomochanさんからこのようなコメントをいただきました。----------------------------------------------------------------------- 戦後の闇物資に一切手をつけずに、頑なに最後まで裁判官として意志を貫いて餓死してしまった方の話を思い出してしまいました。。 裏覚えなので間違っているかもしれませんが。ドイツでも、国産、オーガニックの食材だけで生活するということ自体が究極グルメの範疇に入ってきているところを考えさせられます。------------------------------------------------------------------------ 私も戦後の「ヤミ米」の話は聞いたことがあります。当時の人は生きることに必死で違法でもなんでもお米や食べ物を欲しがったのですね。 このような時代にギョーザがどうとか、中国産がどうとかいってられるでしょうか? Tomochanさんも書かれているように、本当のグルメは少しのいいものを食べることではないでしょうかね。おっしゃるとおり真のグルメはこのような方だと思います。 私は以前にも書きましたように、Tomochanさんの奥様が「日本の美味しい食材はレンコンです。」といわれていたのをいつも思い出します。それからというもの、レンコンが食卓にのっていたり、スーパーで売っているのを見てはドイツのTomochanご家族を思い出すのです。 日本ではあたりまえのレンコンが外国では入手しにくい。それを教えていただいてから、レンコンの歯ごたえを楽しんで食べるようになりました。 トロやフォアグラなどを食べることがグルメではないと思います。外国食材が日本で高価なように日本のそこらへんで売っている食材が外国では高級品なのです。 好き嫌いはあるにせよ、私はどこ産のものでも目の前にあるものを改めて考えて生きてみたいと思いますね。 ちょっとこの「食」については次回も触れてみたいと思います。
2008年02月13日
コメント(1)
報道によると、最近流行の中国産ギョーザの影響からか、中国産の食材が敬遠され国産のものが高騰しているとか。特にギョーザの具に使用される国産のニラが高騰しているとか。 このご時世になって、中国産を全く食べないことは、はっきりいってムリでしょう。 多くの主婦が「中国産は怖いから」といっていますが、数ヶ月もすればコロッと忘れて平気で食べているでしょうね。 「国内産しか食べない!」と断言した平均的中流階級の人が、この後、天災にまきこまれたり、破産でもしたとき、それでも一生国内産しか食べなかったら、私はその人を一生尊敬しますね。
2008年02月12日
コメント(1)
先日、自宅で恒例の「男はつらいよ」を観ていた時のこと、この映画には毎回「マドンナ」が出演するのですが、その中のひとりの女優さんと実は食事をご一緒したりしたことがあるんです。たまたまその方が主演のものを見ていて懐かしく思い出しました。 その方はおそらく日本人のほとんどの人が知っていて、年齢は私の親くらいはなれていますが、当然ながらとても綺麗な方でした。仕事で知り合ったのですが、当然ヘンな関係ではなく、普通によく世間話したものです。 いつも外出するときは帽子かぶってメガネかけていたので、普通に歩いていても誰も気がつきません。あるとき、話していた時「ホントに○○さんなんですよね」と聞いたら「そうよ」といってメガネと帽子を取ると間違いなく本人でした。当然ですが。 最近はもうお会いしていませんが、先日もテレビのドラマに出ていたのを見て「元気にしてるんだな~」と感じました。
2008年02月11日
コメント(0)
最近、ある種の法律関係の本を読む機会が多いのですが、難しい反面、面白かったりします。 でも法律って、えらく難しい言い方をしたり、回りくどい言い方をしたりしていますが、「あたりまえのこと」を言っているに過ぎないんですね。だからもっのすごい判りやすい内容になっていたらもっと多くの人が興味を持つ気がします。 歴史も同じで、いきなり「守護と地頭の違いは!!」なんてやると、好きでない人はすぐ拒否反応をします。 だから私は、人に教えるとき、まず大枠と時代の流れを語り、それから言葉は悪いですが「こいつらが守護でこいつらが地頭!!」という風にタンカ切ったように教えていたことがあります。歴史用語一切ナシ!! 法律は間違った解釈とかしてしまうと大変なので難しいかもしれませんが、似たような形の本があったら面白いと思いますね。
2008年02月10日
コメント(0)
先のブログで、「法隆寺を含めかつての寺院は学校だった」とお話しましたが、そうなると当然、ご飯を食べる「学食」も存在しました。 それが上の写真の「食堂」です。「じきどう」といいます。現在の食堂という言葉も仏教から来ているんですね。 古代寺院の食堂が残っているケースはきわめて少ないのですが、この法隆寺は奈良時代の建物が残っています。その前に細殿とよばれる鎌倉時代の建物が並んで建っています。 当時のご飯がどんなものだったか・・・もちろん勉強するために下宿しているお坊さんですから厳しい戒律のもと、粗末な食事だったと思いますが興味がありますね。
2008年02月09日
コメント(0)
昨日は図書館の読書室で本をよんでいました。ちょうど受験シーズンということもあり、垢本もって追い込みをする受験生が多くいました。 私はそんな中、緊張感なく「西武ライオンズ」の本を読んでいたのですが、あることに気づきました。 読書室は喫茶禁止の場所です。張り紙もあるし、ある意味「常識」であります。 そんな中、思いっきり飲食している連中がいるんですね。それも世間知らずの若者ならまだしも中高年・・・・・ 私の親くらいの歳だったりするんですが、どうやって育てられたのでしょうかね。年齢は関係ないかもしれませんが、不愉快になり図書館を後にしました。
2008年02月08日
コメント(0)
私の友人の何人かは会社を経営しています。もしくはなにかしら自分で商売をしています。 そんな彼らの全てではないんですが、ある程度、大変な思いをしながらも商売を軌道にのせている人たち(中には失敗した人もいます)にはある種の「共通点」があるように思うのです。 それは、どこか人と違う目線で物事を見ていること。時代の流れや状況を見ながらも自分はどっぷりその中に浸らず、客観的に見ながらあくまで社会の本質を見ている傾向があるということです。 「時代の参加者であり傍観者」なんですね。だから社会人の多くやマスコミがギャーギャー騒いだり、「誰が悪いんだ」的な報道をしても、冷静に判断する人が多い気がします。 これは私のとても狭い人脈の中での話ですからとるに足らない考えなのですが、経営者でなくても会社などの上司なども同じと思いますね。 本質を見抜く人は「自分の意見」を述べると同時に必ず「人の意見」を聞こうとします。逆に本質を見抜けない人は「固定観念」や「自己経験」にとらわれていたり、社会大衆の大方の意見に流されたりします。 私は社会迎合型の体制をとても好まないものですから、勇み足で判断しまくる現代社会にはうんざりしています。「本質」の基準になるものはいくらでもありますし「本質」は人それぞれ違い答えがないもの。私はどんな状況になってもそんな「本質」を追求する社会人でありたいです。
2008年02月07日
コメント(0)
最近電車に乗って広告をみてたり、本屋に行くと「本質を見抜く」といった内容の本を目にします。私は読んだことはないのですが、私なりの「本質の見抜く」ということについての解釈があります。 それは「本質を見抜くためには人と迎合しないこと」というものです。「人」というより「大衆」と言ったほうがいいかもしれません。 すなわち、世の中や人が動いているものに「乗り遅れない」のでなく「乗らないで傍観している」のです。そこで必要なら動くという寸法です。 たとえば最近流行っている「中国産ギョーザ」の件も、そこで問題があったから「全部の中国産が駄目だとか、外国産は信用できない」といった風評被害はつきものですが、「風評」とはいいかえれば本質を見抜いていれば起こらないことなんですね。 このような風評が後を絶たないのは、世の中の人がどれだけ「自分の頭で考えていないか、いわゆる本質を見抜いていないか」をあらわしているのではないでしょうか。 また、これも最近流行の「偽装」企業ですが、これも自分達に直接影響のある企業には、ものにはえらい騒ぎますが、あまり関係ないゼネコンの悪事などはちょっとニュースで流れてすぐ終わり。各社のHPで適当な「お詫び」をしてればそれで済むのです。 この件にはちょっと続きが・・・・次回を!!
2008年02月06日
コメント(0)
私のパソコンなんですが、液晶部分が一部壊れていて、真っ黒い斑点みたいになってしまっています。 几帳面な方なら許せずすぐ修理に出すと思いますが、ズボラな私は使用には問題ないんで壊れたまま使っています。 そこで気づいたのですが、私のもっている所持品は古いものばかりです。テレビは15年使っているし、携帯電話は4年以上になり、電化製品の「新機種」というものをほとんど知らない状態で・・・・ 今では「エコバック」などが流行っていますが、自分用のバックは10年以上使用したもので垢だらけになってもまだ使っています。旅行もこのバック一つでします。(外国まで) テレビはみれりゃいいし、携帯は話せりゃいい。バックは物がはいりゃいい。パソコンはこのブログを更改してネットできりゃいい。ただそれだけです・・・・・・
2008年02月05日
コメント(0)
今日は久しぶりに仕事らしい仕事をします。 よっぽど普段仕事をしていないのがばれてしまいますが・・・・ 気合を入れてがんばりたいと思います。息切れしそうですが・・・・
2008年02月04日
コメント(0)
昨日お伝えしました法隆寺のお坊さんの宿舎が上の写真です。「僧房」といいます。 中を見ることはできませんが、長細い部屋に間仕切りを設けて生活していたようです。ちなみにここで学ぶお坊さんのことを「学生」といいますが、現在と違い「がくしょう」と読みます。 よく整ったお寺のことを「七堂伽藍」なんていいますが、これはお坊さんである学生が仏教の勉強しながら信仰できる七つの建物が整っていることで僧房も「七堂伽藍」のひとつです。 仏教自体が大きく変わってしまったのでお寺も大きく変わりましたが、本来の日本のお寺は多くがこういう形でした。
2008年02月03日
コメント(0)
東京に住んでいる方の今日のブログでは「雪だ~」という内容が多くなっていることと思います。 たしかに東京にとってはこれだけの降雪はこの冬初めてのことですから、当然のことといえると思いますが、みんなと同じじゃ味がない。ということで別の話題を。 私はこの休日、ビデオ屋にいって「男はつらいよ」を数本借りてきて観まくっています。なかには一度観たものもあるのですが、やはりこれは何度観てもいいですね。 なにがいいかって「人情」とかの内容ではなく、私の見慣れた故郷の場所がふんだんに出てくるもんですからたまらないのです。 映画をみていて「あっ、あの場所だ」と場所までわかってしまうものですから親近感もわくものです。高校時代の学校の帰りには柴又駅でよくロケやっているもの、観ましたし。「下町の風景」といっても私にとってはいつも見ている光景なので投影しやすいのかもしれません。 学生時代は京都の地元の人が金閣寺も竜安寺も素通りしているように、私も帝釈天を素通りしておりましたが、フラッと行ってみたくなりました。自転車で10分の旅です。
2008年02月03日
コメント(0)
本日、当ブログの開設日からちょうど1000日目でした。 2005年5月9日から開始されてましてもうじき3年目に突入します。途中3ヶ月くらいサボった時期がありますが・・・・ このような、つたないブログでも好きなことを言わせていただけるのは、やはり見てくださる方がいるから。本当にありがとうございます。 いつまで続くのは判りませんが、細く長く続けられればと思っています。
2008年02月02日
コメント(3)
法隆寺の金堂と五重の塔が並んでいるところの奥には「講堂」と呼ばれる建物があります。これは金堂や塔に比べ新しく平安時代に再建されたものです。ただ平安時代の建造物も大変貴重ですから当然のごとく国宝であります。 この講堂という建物はその名の通り「お坊さんが(仏教の)講義を聞く場所、いってしまえば勉強する場所なので「教室」にあたります。 当時の寺院は今の寺院と大きく違って、お坊さんが寄宿して仏教の勉強をしている場所だったので、今の時代風にいうと「全寮制の規律の厳しい大学」といった感じです。学校なので、もちろんお墓なんかありません。 今の時代に残る「講堂」や「食堂」「学生」というのは全て仏教用語なんですね。そうなるとお坊さんが下宿していたところやご飯食べていたところもあるわけで、次回はそれを見てみたいと思います。
2008年02月02日
コメント(0)
最近、オリックスとソフトバンクの間でのパウエル投手の二重契約が問題になっていますね。いろいろなところにオリックス中村本部長の苦渋に満ちた表情がでてきております。 私としてはたった一言、昨年に続き問題ばかりの「そんなオリックスが大好きだ~」!! 以上
2008年02月01日
コメント(2)
全37件 (37件中 1-37件目)
1