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日本語訳が発刊されたのが、1996年12月。 私の手元にあるのは、2006年3月の第52刷。 春先、書店には、最近発刊された書物と共に、平積みされていた。 それくらい、よく売れている本。 480ページほどあるから、手にするとズッシリと重い。 そして、実際読み始めても、読み応えがある。 だから、読み切るまでに、私は随分と時間がかかった。 でも、得るところは多く、流石にベストセラー。私が本著で学んだ事柄、その1「Win-Win」の関係。これは、自分も勝ち、相手も勝つこと。それぞれの当事者がほしい結果を得ること。その際、「No Deal」というオプションを用意する。私が本著で学んだ事柄、その2「理解してから理解される」。心の底から理解するつもりで聞き、相手を理解しようと努める。感情移入をしながら人の話を聞くことで、相手に精神的な空気を与え、その大切な欲求を満たした上で、初めて相手に影響を及ぼし、問題解決に集中できる。私が本著で学んだ事柄、その3「相乗効果を発揮する」。自分のものの見方に限界を認め、他の人のパラダイムと考え方に接することによって得られる豊かな資源を活用する謙虚さをもつこと。しかし、これら以上に、印象に残ったのが、「すべての問題は影響できる」について。 私たちの直面する問題には、三種類ある。 ・直接的にコントロールできる問題(自分の行動と関係している問題) ・間接的にコントロールできる、あるいは影響できる問題(他人の行動と関係している問題) ・全くコントロールできない問題(誰にも影響できない問題、過去の出来事など)である。 主体的なアプローチをとることによって、 この三種類の問題を解決する第一歩のすべてが、自分の影響の中に入ることになる。これらのうち、直接的にコントロールできる問題については、習慣を変えることによって解決され、間接的にコントロールできる問題については、影響を及ぼす方法によって解決される。前者は、本著で示される、第1から第3の習慣に、後者は第4から第6の習慣に関わるものである。そして、私が本著の中で最も感銘を受けたのが、全くコントロールできない問題への対処の部分。 全くコントロールできない問題については、自分の態度を変える必要がある。 気に入らなくても変えられない状況に対して、 笑顔をつくり、穏やかな気持ちでそれを受け入れるのである。 こうした問題にコントロールされる必要はない。 (中略) 直接的、間接的、あるいは全くコントロールできない問題のいずれにせよ、 その解決の第一歩は私たちの手に委ねられている。 習慣を変えるのも、影響を及ぼす方法を変えるのも、 全くコントロールできない問題に対する見方や態度を変えるのも、 すべて私たちの影響の輪の中に入っているのだ。その他にも、「時間管理のマトリックス」は、たいへん勉強になった。普段疎かにされがちな、「緊急ではないけれど重要なこと」、即ち、人間関係づくりや、健康維持、準備や計画、リーダーシップ等、しっかりと目を向けねばと思った。
2008.05.24
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近年、教育問題を語るときには、学校における教育だけでなく、 地域や家庭における教育が語られることが多い。 そして、そんなとき、必ずと言っていいほど、 「家庭の教育力の低下」が、問題として取り上げられるのである。 そんな、最近、当たり前のように語られる事柄について、 本著では、「本当に家庭の教育力は低下しているのか?」と問い直している。 過去から現在へ、そして、農村部から都市部へと視点を移動し、 さらに、様々な階層による差異を見つめることで、この疑問を解明していこうとする。そこで行われた調査や検討を通じて、「学校が家庭に求めるもの」や「家庭が学校に求めるもの」が、時代により、そして、地域や階層により異なることが判明する。そして、本著における結論は、次のようなものである。 「最近の家族は昔に比べてしつけをしなくなってきている」とか 「最近の親はしつけを学校まかせにするようになっている」といった、 世間でよく言われていることは、 歴史をきちんとたどってみると事実誤認なのである。 数十年前の教育学者たちは、母親を含めた大人たちの、子どもへの無関心と放任を非難し、 もっと子供の教育に熱心になるよう訴えていた。 ところが今や、「わが子に手をかけすぎないように」と くりかえし注意しなければならないところにまできているのだ。 いわば、大正期の新中間層に起源をもつ、「教育する家族」が 社会全体に広がってきているのである。 (中略) 要するに、「家庭の教育力が低下している」のではなく、 「子供の教育に関する最終的な責任を、家族という単位が一身に引き受けるようになってきたし、 引き受けざるをえなくなってきた」のである。では、なぜ「昔に比べて」という言い回しが横行するのか?それについて、著者は、次のように述べている。 階層差であれ個人差であれ、しつけ態度は社会的に多様に分布している中で、 しつけに厳しい目をもつ人たちがしつけに寛容な親を批判するレトリックとして、 誤って時代的な変化を読み込んでしまうことが多いのではないかということである。そして、何かあれば、家庭のしつけにその原因を求めようとする、現在の風潮について、著者は次のように述べている。 家庭のしつけにさまざまな問題の原因を求める議論は、 すべての親に「完全な両親」になることを求めるのだが、 そんな時代はくるはずがないし、 それがもし実現したらずいぶん気持ち悪い社会になるはずである。 人間の生き方は多様だし、親はそもそも子供のためだけに生きているわけではないのだ。 成人式を、とうの昔に終えた子供の不始末に対し、記者会見で謝罪する親の姿に、何か違和感を感じている人は、本当は、少なくないのではなかろうか。そして、こんな場面を見て、子供のしつけに対する親のプレッシャーは高まっていく。
2008.05.24
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この本、とっても売れているらしい。 ということは、職場にギスギス感を抱いている人が、どれほど多いかと言うこと。 そして、そんな現状を「何とかならないものか」と悩んでいる人が、多いと言うこと。 そう、あちこちで、あの人も、この人も、みんなで困っている……。 で、本著では、「何でそんなことになってしまったのか?」ということを あちこちの職場の現状分析から始めて、きちんと解き明かしていこうと試みる。 そして、そのギスギス感から、どうすれば解放されるのかを考えるため、 うまくやってる職場の実例を示し、そこからノウハウを学ぼうとしている。 ***バブル崩壊後、日本企業は効率化を追求し、成果主義へと向かった。仕事における曖昧さは排除され、仕事の成果を軸に評価がなされるようになった。従来、組織としては必要だからと、社員がお互い手を差し伸べていった業務は消失、個人間の境界がハッキリし、従業員間の「壁」は高くなり、組織の「タコツボ化」が進んだ。仕事の専門性の深化、複雑化が進むなかで、社員は、タコツボの奥へ奥へと入っていく。仕事の前後工程への理解や意識の度合いが減り、仕事が分断されるようになった。日本企業の強みであった「すりあわせ」「柔軟な協力体制」に綻びが生じ、業務の狭間に落ちた仕事への対応が、出来なくなってしまった。 役割構造がタコツボ化することによって、 業務のはざまに落ちた仕事への対応ができなくなる。 長期的な強力のインセンティブの不在は、 このはざまに落ちた仕事に対し、放置する結果となる。 協力しようにも、お互いの関係が希薄な中で、より一歩踏み込んだ関係とならない。 問題が明らかになっても、はざまに落ちた問題が多いため、 結局たらい回にとなり、解決しない。 たらい回しを行っているうちに、関係が悪化し、 ますます協力関係が阻害されるという悪循環である。 ***ま、こんな感じで、職場における「個人に求められること」の変化が、かつて職場に存在した「協力関係」を、消失させてしまうきっかけになったというわけ。「個人成績」だけに拘り、隣の社員との関わりなど一切気にしない。同じ社内、同じオフィスで働きながら、「個人商店」の寄せ集めになってしまっている。そして、このような状況から脱却するためのノウハウが語られるわけだが、それらは、特別目新しいものではない。かつて、どこの職場でも、当たり前に行われていたことのような気がする。温故知新。 一時期、 「アメリカでは新卒の段階から専門的な職務に就き、その道でキャリアを磨く」 という考え方が日本では祭り上げられた。 この考え方が是とされて流布し、 「だから、あちこち異動してジェネラリストを育てる日本式キャリアはダメだ」 という考え方もセットで広まった。 これは、物事を一面からしか捉えていない議論である。 ちょっと自信をなくすと、すぐにアメリカ式がよいと礼賛するのは、 日本人の悪い癖である。このことば、ビジネスシーンだけではなく、色んな場面で言えると思う。本著で、一番印象に残ったところ。
2008.05.24
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本のタイトルと書かれている内容との間に、かなり違和感を感じた。 副題の「モンスターペアレントの謎」についても、「謎」という語が引っかかる。 帯にある「バカ親と教師はどう向かい合うべきか?」が、一番妥当なネーミングで、 これも帯にある「モンスターペアレントの全国実態調査」が、まさに本著の内容。 モンスターペアレントが生まれた理由の一つとして、 本著では「社会的モラルの崩壊」を挙げている。 その指摘の中で、「カルティべーション効果」という語が出てくる。 それは、こんなふうにだ。 給食費の未納者が増え続け、全国の小中学校の給食費未納額が 20億円を越えているといった報道が大々的になされることでも、 「自分だけではない」「みんなやっていること」という意識を強くしていく傾向があるわけです。 これは、一種の悪のモデリング効果であったり、カルティべーション効果 (現実と現実の一部にすぎない映像世界などを混同させてしまうメディア効果) に似ているのかもしれません。確かに、こういうことは多々あるような気がする。NHKの受信料未納者の増加も、同じようなことが言えるのかも。ところで、本著では、モンスターペアレントが生まれた背景として、「流行としての“教師いじめ”」も挙げているが、次の部分は興味深い。 これだけ社会全体がストレスフルになり、 日頃からストレスを溜めている人間にとっては、 好き勝手な要望を押しつけられる相手がいれば、その絶好のはけ口となります。 相手に言いたいことを言って、憂さ晴らしができるからです。 そうした際、教師は基本的に“反撃してこない人種”だという安心感があるので、 最初の一歩さえ踏み出してしまえば、その後の“攻撃”はとくに過激化しやすくなるのです。では、なぜ教師は、それに対して反撃しないのか?本著では、教師をフォローしてくれる存在がいなくなったことを挙げている。それは、校長や教頭が変質してしまい、かばってくれないからだと。この指摘は「そうなのかな……」とも感じるが、次の指摘は大いに頷ける。 このとき、保護者の要求をきっぱりと断れないのは、教師が弱いからではなく、 子どもに対する“深い愛”を持っているからです。 (中略) 「モンスターペイシェント」などと違い、大人同士のトラブルではなく、 真ん中に子どもをはさんでいるだけに対応がむずかしいのです。 子どものことを思うと、たとえそれが理不尽な要求であったとしても、 むげに断るわけにもいかないのです。本著では、「学校問題解決支援チーム」についてもとりあげ、教師や保護者が、それについて、どのような意見を持っているかアンケートを実施し、その結果をかなりの紙幅を費やし、報告している。著者は、それについて、あまり肯定的な受け止め方がなされていないとしている。この点については、アンケートに答えた人達が、これまでにどのレベルの事柄(モンスターペアレントの凶暴度)にどれほどの深さで関わってきたかによって、答えが大いに違ってくるだろう。それ故、今回のアンケート結果だけを見て、結論を出すような問題ではないと、私は思う。そして、本著の結論、「モンスターペアレント」問題の解決方法で、最も重要なことを、「親と教師の相互理解」というところに落ち着けてしまったことについては、まだ、それで解決できるレベルの問題で、大騒ぎしている人たちが多いんだなと思った。私は、絶対「相互理解」に至らないようなケースで、どうすべきか知りたかったのだが……。つまり、「“困った親”の問題は、どうすれば解決できると思いますか」という問いに対する保育士さんの「無理です」の一言に対して、「心に突き刺さります」のコメントだけで終わってしまわれては、何にも解決しないと言うことですよ、尾木さん!! ***本著を読んで、学校問題解決支援チームやゼロトレランス方式に対してだけでなく、学校選択制や教育バウチャー制、民間人校長の登用、全都一学区制等、著者の尾木さんの様々な教育問題に対するスタンスが、再確認できた。特に「夜スペ」を、藤原さんの「暴走」と言ってのけたところは、かなり衝撃的だった。
2008.05.18
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日本の社会の根本がよく分かる「世間学」。 最近読んだ書物の中でも、飛び抜けて秀逸な内容。 私の身のまわりで、日々起こっている色んな出来事も、 本著記載の知見を通してみると、本当に「腑に落ちる」ところが多い。 日本においては、自分の意志など関係無しに、 いつのまにかそうなってしまった、ということが多いのだと著者は言う。 私たち日本人が、集団になったときに発生する力学の中で、 集団的意志の持つ強制力に、個人が抵抗することは、とても難しいのだとも。「世間」は、「権利」や「人権」を越える力を持っており、「贈与・互酬の関係」や「身分の重要性」「個人の不在」「呪術的性格」を生み出す。西欧人が生きているのは「社会」だが、日本人が生きているのは「世間」なのである。西欧では、キリスト教が「世間」を解体し、「社会」という人間関係を形成したのだそう。この違いが、医療の分野では、臓器移植の普及度の差異となって現れる。日本では、見返りの期待できない、一方的な無償の贈与は成立しにくいのだとか。また、日本では、死すら個人的なものではなく、自己決定も個人的なものではあり得ない。尊厳死も世間の上に置かれると、個人の意志を抑圧するような方向に働いてしまうのだ。もちろん、学校や職場における様々な場面でも、「世間」は多大な影響を及ぼしている。 *** もともと中世の時代は、7~8歳で子どもが「小さな大人」とみなされたので、 7~8歳の子どもであっても大人と同じように処罰された。 刑罰が軽減されることもあったが、基本的には大人と同じ法律が適用され、 大人と同じように処罰されたのだ。 前にふれたように、中世において子どもはフリスビーのように投げられ、 現在のように「保護」の対象とはみなされていなかった。 ところが、17世紀ぐらいから公教育が普及しはじめるにつれて、 徐々に子どもは学校に行きはじめ、 子どもの「保護」ということが意識されるようになる。「親の責任」と「厳罰化」についての記述については、流石に刑法学者の先生らしい、鋭い視点で、その問題点や課題が語られている。その他、「マスコミ報道」や「情報化社会」「ネット社会」について、「世間」というフィルターを通して見たときの考察も、たいへんに面白かった。
2008.05.17
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最近、公務員を扱った書物が、結構たくさん見られる。 新書でも『公務員クビ!論』『公務員の異常な世界』等、書店に並んでいる。 しかし、それらの多くは、公務員を糾弾する内容が多い。 そんな中、本著は、ちょっと違ったスタンスをとっているように思う。 それは、著者が、かつて文部省に採用され、内閣官房副長官補室などを経て退職、 現在は、民間の人材紹介会社でシニアコンサルタントをしているという経歴から、 双方の実体を自ら体感し、双方に勤務する人々と直接繋がっているため、 様々な「生の情報」を得ることが出来るからだろう。本著を読んでみて、「公務員」と一口で言っても、実は幅が広く、その勤務内容や給与等について、結構違いがあると言うことが分かった。よくやり玉にあげられる「豪華公務員宿舎」に住むことが出来る人は、限られており、逆に、安いのは安いけれど、とんでもないオンボロ公務員宿舎でガマンしている人もいる。公務員の給与水準は、平均値なら、確かに民間よりも高めである。しかし、東大卒業生が就職していく大手企業と比べるならば、霞ヶ関キャリア組の給与水準は、低いものであり、大手民間企業から中央官庁に派遣された人が、その激務と給与の低さに驚くという。これらのことから、公務員に何を期待するのかを明確にする必要があると感じた。優秀な人材に、公務をしっかりと司って欲しいと願うのであれば、彼らに、それに見合った給与・待遇を施すのは、当然のことのように思われる。それは、民間の平均値と比べて、どうこう言うレベルの問題では決してない。世間からは「お気楽」と思われながら、実際は相当の激務をこなさなければならない。何かあれば「公務員」という名の下に、世間の集中砲火を浴びることを覚悟せねばならない。そんな仕事を、広告代理店や総合商社といった厚待遇・高ステータスの企業を蹴ってまで、誰が、わざわざ選択して、従事しようとするだろうか。もちろん、これは、霞ヶ関のキャリアについてだけ言えることではない。その他の「公務」に携わる者についても、全く同様である。どのようなレベルの人達に、どのようなレベルの仕事を期待するかの問題なのである。ボランティア精神に期待するだけでは、優秀な人材は、決して多くは集まらない。このままだと、公務運営が低調になっていくことは目に見えている。
2008.05.17
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こんな本を手に取る時って言うのは、 だいたい、その人がどういう状況にあるのか、想像がつくというもの。 だから、今、この本を手にして、読み終えた私の状況も、 皆さんに、わざわざ説明する必要なんてないでしょう。 でも、この本が発刊されたのは、今から8年も前のこと。 にもかかわらず、今、あちこちの本屋さんで、平積みにされている。 新年度が始まって1か月余、連休明けの5月病シーズン真っ直中、 色んな意味で、お困りの方が多いと言うことでしょうか……。「恐れ」「不安」「緊張」といった、マイナスイメージとして捉えられやすいものが、実は、人間が生き抜いていく上で、大切な能力であり、それらがあるからこそ、最大限に自分の能力を発揮できるのだと著者は言います。それらを否定せず、うまく利用することが重要なのだと。 大切なことは、競争に勝つかどうかではなく、 自分のやりたいことが実現できるかどうかなのです。 実現のためにこの勝負に勝つことが必要なら、全力を尽くす。 もしも負けたならその負けを認めて、次にどうやって勝つかを考える。 けれどそれは相手よりも優位に立つためではなく、 あくまであなたの目標に近づくためなのです。ハッキリとした自分の目標をもち、それに向かって、自分のリズムで物事を進めていく。「人からどう思われるか」なんて、大した問題ではなく、「自分がどうしたいのか」が一番大事なのだから、それに向かって動く。他人に振り回されず、自分自身をしっかりと持って、自分のために生きようということ。行き詰まったり、余裕を失ったときには、自分自身を笑ってみる。笑うことで、問題の渦中から抜け出し、客観的な距離を取ることが出来る。自分自身を実行中継してみることで、気持ちを切り替え、自分のリズムをとりもどせる。これは、なかなか使えるかもしれない方法だと思いました。
2008.05.17
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自分は、インターネットの世界について、 結構知っているほうだと思っていたのに、 実は、全然そうではなかったということを、 この本を読むことで知りました。 私は、専らPCを使ってインターネットを利用していますが、 学生を中心とする若者たちの多くは、携帯電話からインターネットに接続しており、 今や、インターネット利用者は、PCからよりケータイからの方が多くなっています。 そのあたりまでの状況は、既に私も知っていました。ところが、本著によると、同じようにインターネットに繋がると言いながらも、その繋がっていく世界が、PCとケータイでは、全くと言っていいほど違うところであり、それらは、お互い独立して存在、そして、双方間の行き来が、ほとんどないらしい。故に、PCから「携帯サイト文化」を知ることは難しく、逆もまた同様とのこと。この間、TVで「画嬢」とかいうものについて扱った番組を見たのですが、私は、「そんな言葉、今まで聞いたことも、見たこともないなぁ……。」とか、「こんなものが、中高生の間では、流行っているのか……」と思ったのですが、結構ネットに親しんでいる私ですら、そんなことになった理由が、ハッキリ分かりました。 ***本著では、このような現在の状況が生まれるまでの過程を、日本のインターネット発展の様子を追いながら、丁寧に説明してくれているので、とても理解しやすく、「携帯サイト文化」の一端にも触れることが出来ました。「ケータイ小説」を実際に読んだことはないけれど、どんなものか、雰囲気はつかめたかな。そして、本著を読んで、最も考えさせられたのは、インターネットの「世代間格差」。「PC世代」と「ケータイ世代」の間に生じている対立を、いかに解消していくかということ。これまで、バーチャルなネット上での格差・対立でしかなかったものが、今後は、リアルな現実世界に、どんどん持ち込まれていくであろうという事実。現実社会で予想される、この「世代間の軋轢」は、避けて通ることは出来ないでしょう。「PC世代」「ケータイ世代」の、それぞれの発想や考え方を、お互いに理解し合う必要があります。同じ言葉・同じ態度・同じ行動から受け取るメッセージが、全然違うということを知った上で、二つの世代間にある「感覚のズレ」に、折り合いを付けていかねばなりません。
2008.05.17
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間脳に「前交連」という左右の脳をつなぐ連絡回線がある。 これは、「感情」の成分を情報交換する連絡通路で、男より女の方が太い。 つまり、女は「感情」の情報を、男より一度にたくさん流すことが出来る。 そのため、女は一般的に感情表現が豊かで、情緒的にも濃やかな対応が出来る。 しかし、一度に、あまりにもたくさんの感情情報を流すことができるため、 時として、処理能力が追いつかず、パニック状態になってしまうこともある。 また、一部の「感情」の情報を、大きく増幅させてしまうこともあり、 好き嫌いの思い込みや、不安や怒り、悲しみを大きくしてしまうことがある。 ***太古の時代、男たちが狩りで家を空けている間、女たちは集団で村を守った。その集団生活で、女たちは、横のつながりを深め、結束を固める必要があった。女たちは、集団から仲間はずれにされないよう、皆とおしゃべりをすることで、集団の中での自分の評価やポジションを、常に確認する必要があった。女は、相手との関係性を確認せずにはいられない。おしゃべりをすることで共感し、安心したい。男の話には、「結論」や「解決」「理由」が求められるが、女の話は、それらについては二の次で、自分の気持ちさえ分かってもらえればOK! ***女は、他人が自分に対し、どのように評価しているかを常に気にかける。集団の中での自分の立場を維持すべく、脳の自己評価に関する回路を発達させてきた。「周囲からの期待」を裏切ってはいけないという、強迫観念に縛られながら、「いい子」として振る舞おうとするため、ストレスや疲労をため込んでしまう。女は「みんなのために」「何でも」頑張ろうとする、タイプE行動パターン。ヨコのつながりと評価を意識しすぎて疲れ果て、自律神経失調症になるリスク大。男は、他人との生存競争に生き残ろうと頑張る、タイプA行動パターン。タテ社会の生存競争に疲弊し、狭心症や心筋梗塞で倒れるリスク大。 ***本著に書かれた、男と女の「思考や感情、行動の違い」については、性による違いと言うよりも、個人個人の違いに、その理由を求める方が良いのではないかと思える部分もあるものの、脳の構造や、ホルモン等の医学的見地からの論述は、なかなか説得力があり、今後の接し方において、かなり役立ちそうである。
2008.05.03
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