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出版されて、1年半ほどが過ぎ、やっと手にした本著。 何となく、そこから、近寄りがたい雰囲気が漂っているのを感じ、 これまで、意図的に避けてきたような気もするのだが、 ついに、このベストセラーを読むことになった。 そして、本著を読み終えた今、気分は決して良くない。 やはり、これまで、本著に触れようとしなかったのは、 こうなることを、虫の知らせで、察知していたからだろうか。 禁断のパンドラの箱を開けてしまった気分……。 ***「昭和的価値観」や「年功序列」「成果主義」「既卒」等についての記述には、当を得た部分や、「なるほど」と頷ける部分が結構あるものの、基本的に、「二分割的発想」でお話が展開していくため、筆者によって「悪」のポジションに立たされたものは、完膚無きまでに叩きのめされ続け、読んでいて、とても気分が悪い。 小学生の頃などは、近所の特定郵便局に勤めるよう勧められていた記憶がある。 (一歩間違っていれば、あそこで一生スタンプを押していたわけだ)。この、自らの過去を振り返っての記述の中に、世間の「労働者」たちを、著者が、どのような目で見ているのかが垣間見え、著者の「労働」というものに対する基本的な考えが示されているような気がする。だからこそ、次のような記述を、何の躊躇もなく出来てしまうのであろう。 もし、心から格差をなくしたいと願うのなら、 それは当然、年功序列の否定をともなわねばならない。 新人から定年直前のベテランまで、全員の給料を一度ガラガラポンして、 果たす役割の重みに応じて再設定し直すべきだろう。また、筆者のインタビューに答えたエンジニアが発した「彼らを食わせるために、僕の人生があるわけじゃない」という言葉への対処も、筆者自身が、執筆時点で持っていた「働く理由」ということに対する意義の、底の浅さを露呈してしまっているような気がする。人間にとって、社会の中で「生きる」とは、どういうことなのか。そして、社会の中で生きていく上で、「働く」とは、どういう意味があることなのか。それらを明確にしないまま、「働く理由」を取り戻そうと呼びかけ、年功序列のレールを降りることを奨励するような主張には、危うさを感じる。
2008.04.29
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『カラヤンとフルトヴェングラー』の続編と位置づけられるのが本著。 前作では、世界一のオケの主席指揮者として頂点に立つフルトヴェングラーから、 カラヤンがその座を奪い取るところまでの、ドロドロの権力闘争が描かれていたが、 今回は、その後のカラヤンが、オケの世界制覇を成し遂げる様を描いている。 しかし、本著に見るカラヤンには、帝王と呼ばれ、栄華を誇った輝きよりも、 全編に渡って、何とも言いようのない「憂い」を感じてしまう。 それは、手に入れたものを次々に失っていく段階からではなく、 それらを、着々と手に入れていく段階からである。人により好き嫌いはあるにせよ、カラヤンの奏でる音楽は、やはり美しい。深みがないとか、色々と言われることもあるが、聞き映えの点では、最高ランク。その点において、やはり、他の指揮者を圧倒するだけのものがあったからこそ、聴衆を魅了し、人気を集め、レコードが売れ、あそこまで上り詰めたのだろう。にもかかわらず、カラヤンほどのものでありながら、権力を拡大していく段階から、決して、順風満帆の連続ではなかったことを本著で知り、ある意味驚いた。やはり、何かを成し遂げると言うことは、とても難しいことであり、決して、楽な道のりなどないのだということを、思い知らされた。また、ずっと頂点にあり続けることの難しさも、ひしひしと伝わってきた。上り詰めれば、その後に待っているのは、必ず下り坂であり、それを、どのように下っていくのかが、本当に難しいと思った。それを下りと感じさせないような、歩き方は、果たしてあるのだろうか?さらに、人と人との関係というものも、その時々で変遷し、良い関係を持続するということが、いかに難しいかということも、改めて感じた。生きるということは、そして、人の世で生きるということは、かくも難しく、そして、波瀾万丈、十人十色なのであろうか。
2008.04.27
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『頭がいい人、悪い人の話し方』の樋口さんの著作。 その本は、結構売れたようだが、私はまだ読んでいない。 でも、書いてある内容は、本著と共通部分が多いのでは? とっても薄い(わずか171ページ)本著を読み終えたとき、そんな感じがした。 それと、タイトルを見たときに期待する内容と、 書かれている内容の間に、私は、多少ギャップがあると感じた。 自分を高く「売る」というフレーズから、 もうワンランク上の「技術」が提示されているのではないかと期待したのだが……。しかしながら、「なるほど!」と頷く部分も、かなり多い。序章の『評価されない力は「ない」に等しい』や、「やる気を見せない人にチャンスは回ってこない」というフレーズは、誠に言い得て妙である。また、第1章にある次の文には、奥行きの「深さ」を感じた。 人間には多様な面がある。人間の心は錯綜し、複雑で多様だ。 殺人犯が常に冷酷なわけではない。善良な人が常に善良なわけではない。 表に現れるのはごく一部であって、心の奥にさまざまな要素を持っている。 多くの人が、「これが本当の自分だ」と思い込んでいるものも、 本来の自分のほんの一部でしかない。だからこそ、自分というものを固定的に見るのではなく、理想の自分を意識して、それに向かって、近づくべき努力しよう。そんな著者の言葉には、かなりの説得力がある。また、「信憑性はディテールのリアリティで決まる」の部分も、たいへん参考になった。次に、第3章では「人の話を理解していることを、どうアピールするか」が述べられている。それは、相槌を打ったり、質問したり、話をまとめたりしながら、決して自分の価値観を押しつたりすることなく、相手の話を聞く姿を見せるということ。さらに、物事を考えるときに「3WHAT」と「3W1H」を検証しようと述べている。「3WHAT」とは、それは何かという「定義」、何が起こっているかという「現象」、その結果何が起こるかという「結果」の3つであり、この三点で問題を整理する。そして、「3W1H」とは、なぜそうなっているかという「理由、背景」(WHY)、いつかという「歴史的状況」(WHEN)、どこでという「地理的状況」(WHERE)、どうすればいいかという「対策」(HOW)であり、これらを検証することで、より深める。私は、本著で、この部分が最も参考になった。第4章と第5章で述べられている内容は、人により評価が分かれるのではないか。著者の言い分も理解できるが、自分が実践するとなると、受け入れがたい部分もある。まあ、こういう思考をすること自体が、自分を固定的にとらえてしまっており、前に進んでいけない、自分を高く売り込めない原因だよと、言われてしまいそうだが……。それでも、ここに例示されたやり方には、自分が理想とするわけにいかないものがある。
2008.04.27
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4月初め、朝日新聞土曜版に『流行「感染爆発」の時代』という記事が載った。 「脳内メーカー」や「ドアラ」を例に、流行感染のメカニズムを説く内容だったが、 記事中、特定の人が多数に強い影響を与えるという流行論を示したものとして、 本著のことが、紹介されていた。 私は、この新聞記事が出る前に、たまたま本屋さんで本著を見かけ、 すぐに購入して、読みかけていたところだったので、ちょっとビックリ。 でも、予備知識として、近年の日本における具体例や、 ネットの影響まで踏まえた上で、本著を読むことができたので、理解が深まった。 ***本著の原題は『ティッピング・ポイント』であり、アメリカでは200万部売れた。2000年には、日本語版が出版されたが、まだ「知る人ぞ知る」という感じだったらしい。そして、2007年になって『急に売れ始めるにはワケがある』という題で文庫化された。副題は「ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則」である。著者のグラッドウェル氏は、「ティッピング・ポイント」を あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、 野火のように広がる劇的瞬間のことと、定義している。ソフトバンククリエイティブ社は、本著も「急に売れ始める」だけの下地が国内で整い、いよいよ、ティッピング・ポイントを迎えると踏んで、文庫化したのであろう。私のような者までが購入し、さらに新聞記事にまで採りあげられたのだから、その読みは、かなり鋭かったと言えるのかもしれない。 ***さて、本著を読んで、私が特に印象に残ったところを挙げてみると、次の3カ所になる。まず最初は、 わたしたちは直感的に、生活環境と社会問題は徐々に改善されたり、 悪化したりすると思っている。 しかし、時としてそれは予想を裏切る。 ティッピング・ポイントに達すると、学校はあっというまに生徒を管理する力を失い、 家庭生活は一気に崩壊することがあるのだ。という部分である。本当に恐ろしい指摘なのだが、まさに「その通り」と言わざるを得ない。ほんの小さなことがきっかけとなって、事態が急転してしまったという経験は、誰にでもあるだろう。続いて、印象に残った2カ所目は、 背景の力によれば、 バーニー・ゲッツと四人の青年の間で繰り広げられた地下鉄での争いは、 つまるところ、ゲッツの歪んだ精神状態とはほとんど関係がなく、 同様、彼に言いがかりをつけた四人の青年の生い立ちや貧困とも関係がない、 すべては壁の落書きと改札の無秩序にあるということになる。 背景の力によれば、 犯罪を解決するには大問題を解決する必要はないということになる。 落書きを消し、無賃乗車を取り締まるだけで犯罪は防止できる。ここに出てきた「地下鉄での争い」とは、前科のある四人の若い黒人青年が、地下鉄車両内で隣り合った男性を恐喝した。この男性がバーニー・ゲッツであり、実は、彼は精神的問題を抱えていた。ゲッツは、四人を次々に銃で撃ち倒したという事件である。通常、こういった問題が起こった場合、犯罪の原因を社会的不平等や経済の構造的不均衡、失業、人種差別、数十年にわたる制度的・社会的怠慢に求めたり、個人の資質の問題に帰着させてしまう。そして、その防止のためには、大胆な改革が必要であると感じる。しかし、「割れた窓」と背景の力から見ると、犯罪者は、自分の置かれた環境に敏感に反応しやすく、どんな兆候にも目ざといため、自分が受け止めた、周囲の世界に左右されて、犯行に及んでしまったということになる。ここでも、著者の指摘には、目から鱗が落ちる思いであった。そして、気になった部分の最後は、次の箇所である。 しかし、タバコを吸っていたからカッコいいのではない。 カッコいいやつがタバコを吸っていたのだ。 反抗的で衝動的で早熟、世間体を気にせず、危険をかえりみないという性格が、 同年代の仲間には魅力的に見えたからこそ、 反抗的で衝動的で、世間体を気にせず、危険をかえりみないという青春の究極の表現として、 自分もタバコを吸ってみようという気になったのだ。 (中略) 喫煙はけっしてカッコよくない。タバコを吸う人がカッコいいのだ。このように、喫煙は「感染的」であることだけが問題ではなく、「習慣に粘りつく」という点が、さらに問題だと著者は言う。そして、これらの問題をクリアするための対応策についても、かなり突っ込んで論を展開している。日本では、未成年者が自動販売機でタバコを購入できないよう、7月から全国で、成人識別認証カード「タスポ」が導入される。まだまだ問題点も多く、評判は芳しくないようだが、本著の提案を参考に、大人の喫煙に関しても、考え直してみてはどうだろうか。まあ、それ以前に、これだけ大々的にタバコを販売し続けているという、国の「喫煙」というものに対する姿勢自体が、大きな問題か……。
2008.04.26
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1か月ほど前、あるテレビ番組で「シュガー社員」という言葉を初めて聞いた。 この若手社員たちは、ろくに仕事もできないのに、とっても甘ったれ。 周囲に迷惑をかけているのに、そのことに気付くということが全くない。 そして、いつも、自分本位に物事を考え、行動している。 その番組では、「シュガー社員」の実体をドラマ風に再現していたが、 その元になっていたのが、本著で紹介されている事例だと、後に知った。 その実体は、「ヘリ親依存型」「俺リスペクト型」「プリズンブレイク型」に、 「ワンルームキャパシティ型」「私生活延長型」等々、実に様々なタイプがある。そして、本著では「シュガー社員」と呼ばれる若手社員の驚愕の事例を紹介するだけでなく、彼ら、彼女らへの対処法についても、タイプ別にそれぞれ言及してくれている。しかし、本著を読み終えて、私が辿り着いた「シュガー社員」への対処法は、極論を言えば、次の一文に集約されている。 学校は子供を選べませんが、企業には採用の自由があります。 ただし、個人レベルの話をすれば、中間職にいる人達は部下を選べず、 誰にも相談できずに、ストレスを抱えてしまうことがままあります。 経営者の皆様は、どうか気をしっかりともって、 現場の声にも耳を傾けながら採用にあたってください。 ***本著では、「シュガー社員」が発生した背景を、「好景気を甘受してきた親」「偏差値重視の末に迷走した学校教育」「ITによるコミュニケーション不全」「能力主義に伴う転職志向」の4点に求めている。それらが奇妙に合致した結果、皮肉にも生み出された不可思議な存在が、「シュガー社員」である。中でも、「シュガー社員の家庭環境(p.20~)」の記述は、当を得たものであり、たいへん興味深い。 我が子が学校でいじめられている噂を聞けば、 血相を変えて担任の先生に怒鳴り込みます。 子供が何か悪さをしたと呼び出されたのなら、 「ウチの子がそんなことをするわけがない。 同じクラスの○○ちゃんに無理矢理させられたに違いない」 「○○ちゃんと遊んだから自分の子が悪くなった」と、 我が子の性格を客観的に見ることができず、 人のせいにしてしまうのもこの世代の親の特徴です。 たとえ、そのステージが、「学校」から「会社」になっても、 こうした親の立ち位置は何ら変わりません。 過大評価を受けて育った子供は、外の世界でよほど痛い目に合わないかぎり 自分のことを過大評価したまま大人になるのは当然の帰結でしょう。 「私は人とは違う特別な存在」と勘違いしてしまっても、おかしくはありません。 (中略) 彼らがそのまま大人になり、社会という大海に出て現実に直面したときにようやく、 世の中には自分より優秀な人間がいっぱいいることに気がつくのです。 そして、人とは違う特別な存在であるはずの自分に、 明確な人生の目標がなかったことにも気づかされます。 これは、親が教えてくれなかった現実です。 (中略) そのときに、親の甘い言葉を一身に受けて自己を過大評価しながら成長してきた人ほど、 現実と直面することに耐えられず、逃避を繰り返すのではないでしょうか。 ***学校の教室における「生徒」と「教師」の力関係の変化、バランスの崩壊が、職場における「社員」と「上司」の関係に、いよいよ本格的に持ち込まれ始めた。「教室内の力学」の変化というものに鈍感だった世の中や企業が、これまでの社員とはあまりにも違う、彼ら彼女らの異質ぶりに、今頃になって驚いている。しかし、「シュガー社員」と呼ばれている年代の、若者の異質さ加減というものは、実は、まだまだ序の口である。今後、社会人としてデビューしていくであろう「生まれたときからケータイ世代」は、さらに、世の中や企業を愕然とさせると思われる。この現実には、その「生徒」や「社員」の「保護者」「親」が大きく関わってくる。この「保護者」「親」の意識の変化こそが、「シュガー社員」を生み出した根源であろう。だが、その「保護者」「親」の「教師」や「上司」に対する意識の変化を急速に促したのは、現代社会における「個の有り様」や「社会や人との繋がり」の捉え方の変化である。我々の社会が求めてきた「個性の尊重」という考え方が、大きく歪んだ形で現れたのが、「シュガー社員」と言えるのではないだろうか。そして、この歪みを正すには、「社会」「家庭」「学校」が協調して、「教育」や「子育て」において、本当に必要なものは何なのかを問いなおし、それを取り戻すべく、三者が一体となって、真剣に取り組んでいくしかないだろう。
2008.04.26
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