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「おじさん、あたしたち、人を殺したの。 殺人者なの。 お願い、あたしたちを捕まえて。」 主人公、大西茜のセリフで物語は終わる。 その、呆気ないほどの唐突な幕切れが、 読む者にとって、物語の余韻を、 かえって、長く、長く、頭の中に留まらせることになる。 まるで、お洒落な映画のラストシーンの如く。エンディングが見事なら、そこに至るまでのクライマックスシーンも、また見事。雑木林の中の廃墟、巨大迷路を舞台に、二人の中2の少女たちの状況が、二転三転していく様には、思わず引き込まれる。 ***本屋さんで、偶然見かけた文庫本。タイトルが気になって手に取ると、帯には「祝・直木賞受賞」の文字。著者の桜庭さん、『私の男』『赤朽葉家の伝説』が代表作らしい。『赤朽葉家の伝説』は、広告か何かで見かけたとき、「千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもない私」というフレーズに「面白そうだな」と思った記憶がある。でも、直木賞を受賞したのは『私の男』の方らしい。そんなこんなで、先日、『私の男』の新聞広告を見たとき、私は、そこに添えられた女性の写真を見て、「桜庭一樹って……女だったの……?」なんて、初めて気付いた次第。「一樹」って言う名前で、これまで、勝手に「男」だと思い込んでいました。でも、そう言われてみれば、この作品、女性が書いたものとすれば、全てがとってもシックリと行く。と言うか、逆に男性では、ここまでは書けないかな。女子中学生の生活感や心の中を。
2008.03.22
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フラスコの中の小人(ホムンクルス) そして、二十三号(ヴァン・ホーエンハイム)。 さらに、クセルクセス王の不老不死願望と 国の人間全ての魂と引き替えに得た朽ちぬ身体。 物語の始まりが、かなり明らかにされ、 エルリック兄弟の父、ホーエンハイムの実像や、 彼の、この物語における真のポジションも見えてき始めた。 ただし、「フラスコの中の小人」誕生の経緯は不明のまま。単身で軍中央へ乗り込み、総統の懐へ飛び込んでいくオリヴィエ少将。マスタング大佐へ、世間話に暗号を織り交ぜて、プライドの正体を伝えるホークアイさん。腹に刺さった鉄骨を引き抜いた瞬間、出血死する前に錬金術で塞いでしまうエド。行き詰まった研究書の解読を、見事、逆転の発想で、新たなアメストリス国土錬成陣を解明したアル。今回は、みんな、とってもカッコイイ場面満載で、読んでいて、とっても爽快だった。なかでも、ホーエンハイムは、これまで謎の部分が多く、印象があまり良くなかったのに、一気の大逆転という感じ。ホムンクルス誕生のきっかけを作ってしまったホーエンハイムが、ホムンクルスに対し、どんな行動を展開するのか?そして、そこへエドとアルが、どのように絡んでいくのか?かなり面白くなってきました!!
2008.03.21
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著者の藤田教授は、日本の教育社会学における第一人者。 本著は、新書という体裁で出版されてはいるものの、 第一線の研究者が、その専門分野における課題ついて、正面から向き合い、 学術的にまとめたものであるため、言葉・内容共にかなりハイレベルである。 私などは、そうとはつゆ知らず、気楽に読み始めたものだから、 いきなりの、学術的で高尚な文章、飛び交う専門用語に、まず圧倒され、 そこに記述されている内容に対して、あまりに無知であることを思い知らされた。 そのため、読破するのに、新書では通常あまりないほどの時間を要した。本著は、2006年12月の「教育基本法」改正や、それに続く「学校教育法」「地方教育行政法」「教員免許法および教育公務員特例法」のいわゆる教育関連三法改正を前にした、2005年の8月に出版され、これから行われようとしている改革に対し、警鐘を鳴らそうとするものであった。本著は表題の通り「義務教育」の意義を問いなおすものである。「義務教育」を、どのようなものとして捉えるかにより、「改革」の目指す方向は、もちろん大きく変わってくる。そして、「義務教育」の変化は、日本の社会構造を大きく変えてしまう可能性が高い。 <共生・共創>原理を重視し、誰もが差別されることなく、互いに認め合い、 高め合っていくことのできる学校と社会をつくっていこうとするのか、 それとも能力主義と自由主義の衣装をまとった エリート主義・<強者の論理>によって教育制度・社会制度を再編し、 そこに生じる諸処の差別や不平等を 能力主義と自己責任論によって正当化しようとするのか、その岐路に立っている。藤田教授が公教育・義務教育に求めているのは、もちろん前者の姿であり、今、進められている教育改革は、後者の姿を目指しているものだという。藤原和博校長が、杉並区立和田中において「吹きこぼれ」を出さないため、某大手進学塾の出張夜間塾「夜スペ」を実施したことに対しても、批判的である。このあたりの事情は、日本の内側だけを見ていたのでは、分かりづらくなってくる。私は、本著を読みながら、『競争しても学力行き止まり』も並行して読んでいたので、そちらの方からも、イギリスやアメリカの教育の変遷を、多少知ることができ、現在、日本で行われている教育改革の意味するところが、ある程度見えてきた気がする。授業研究や教師の同僚清・協働性、学校のコミュニティ性とケア能力など、日本の義務教育の卓越性を、失うことがあっては決してならない。また、教育機会の平等を確保する教育制度は、絶対に維持しなければならない。 今、まさに「義務教育」や「公教育」の意義を、国民全体で再確認するときである。
2008.03.16
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新年早々、『夜スペ』のことが、全国的な話題となり、 メディアへの露出も、これまで以上に多くなった藤原和博氏だが、 そこでの発言内容は、目新しくもあり、結構過激な場合も多い。 しかし、そこには、現場を実際に体験した者にしか分からないリアルさがある。 目の前に生きた生徒がおり、その後ろに、常に保護者や地域社会が控えている、 そんな「本物の現場」を体験してきた者だからこそ、書くことが出来たのが本著。 もちろん、そこに、藤原氏の卓越したコミュニケーション能力が加わっているので、 至る所で、体験に基づいた、説得力ある「藤原節」が、炸裂しまくる。7日間で、校長先生になるためのノウハウを伝授しようというのが本著である。ただし、様々な内容について、便宜上、7つの項目に分け、それを、1日1項目ずつ読んでもらうということにしているのだが、それぞれの項目を記述するのに要しているページ数には、かなりのバラツキがある。第1日は28ページ、第2日は30ページ、第3日は150ページ、第4日は14ページ、第5日は10ページ、第6日は20ページ、第7日は76ページ、という構成になっており、第3日や第7日を、1日で読み上げるのは、かなりの重労働である。しかしながら、本著の目玉商品は、何と言っても、多くのページ数を要している第3日の「校長先生養成講座-オールアバウト学校経営108項目完全マニュアル」と第7日の「『よのなか』科ワークシートを使って、校長先生自ら授業をやろう!」の二つの項目である。第3日の「学校経営108項目完全マニュアル」については、現場の様子が、たいへんリアルに伝わってくるもので、このようなものを書ける人は、現在、日本中探しても、藤原氏意外には、いないのではないかと思う。また、第7日の「よのなか」科ワークシートは、現職教員にとっても、資料としての価値が、極めて高い。さらに、ページ数は多くないものの、第2日「けっこうタイヘンな学校の現実」も、価値ある項目。外側からは、なかなか見たり、気づいたり出来ない学校の内側の現実が、藤原節で、赤裸々に表現されている。この5年間、藤原氏が、公立中学校の校長という立場で、言葉悪いかもしれないが、自らの学校を使って、改革を実践しながら、公教育に対し提言したものの大きさは、計り知れない。学校現場の「リアルさ」を、世間に発信し続けたことこそ、氏の最も大きな功績である。2003年4月に就いた杉並区立和田中学校校長の職を退く日をもう、間近に控えた、藤原氏の集大成とも言えるような一冊。本著は、発刊されてから、すでに一年の時を経過しているので、是非とも、校長職最後の一年の思いも加筆増補して、再出版してもらいたい。
2008.03.15
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スタートからテンポよく、スピーディーな展開。 すべてのキャラクターが、無理なく頭の中に飛び込んでくる。 時は1985年、バース・掛布・岡田のバックスクリーン三連発が飛び出し、 阪神タイガースが21年ぶりの優勝を達成した年。 でも、物語に、そんな野球の話は、ほとんど関係ない。 関係あるのは、新田恵利に国生さゆり、夕焼けニャンニャン。 野球より、そちらの方が生活の中心になっている、肩書きだけの高校球児たち。 そこへ、時速150キロ以上のボールを投げる、天才左腕が転校してくる。とんでもないダメチームが、一人のヒーローの登場で、勝利の味を知り、一度は、予想外の展開で、強豪校に敗れ去るものの、可愛い女子マネージャーの活躍もあって、さらに生まれ変わって、練習漬け。最後は、とうとう強豪チームに勝ってしまうという、何とも、ありがちなお話。でも、この物語が凄いところは、高校球児たちが主人公でありながら、試合の場面が、ほとんど皆無に近いという事実。即ち「野球」というものを舞台装置として使いながらも、実は「野球」とは、ほとんど関係なく進んでいく、高校生たちのお話だと言うこと。しかしながら、そこから伝わってくるのは、やっぱり、あの高校野球というものが持っている、何とも言いようのない、甘酸っぱく、切なく、頼りなさげで、それでいて、躍動感に満ちた感覚。女性作家による「中学生野球」を描いた物語とは、ひと味違う本格派。それにしても、この物語を読んでいると、時代というものを感じずにはいられない。もし、今の時代に、スタンドからあのようなヤジが飛んで、投手がマウンドを去り、ゲームに敗れるようなことがあれば、きっと、社会的大問題として、マスコミにとりあげられることだろう。また、チームメートや、その他周辺人物の、この件に関する反応も、今の時代では、ピンとこない、的外れなもののように感じてしまう。沢渡くんのような人たちが、この20年あまりで、かなり市民権を得たと言うことか。でも、厳密に言うと、まだまだ当時の感覚が、色濃く残っているのも確か。もう一つ、時代を感じるシーンは、ここ。 前につきあっていた彼女の時も大変だった。 電話がかかってくるたびに(母親が)受話器に耳を寄せて、 なんとかして僕たちの会話を聞きとろうとするのだ。 SF映画のように、個人が携帯できる電話があればいいのに、 と願っているのは僕だけではないだろう。そう、20年前は、こうだったのだ。「僕」の願いは、完全に現実のものとなり、高校生たちは、プライバシーを、しっかりと手に入れた。しかし、実は、多くのものを失ったことに、気づいていない人は、とても多い。さて、最後のクライマックスシーンでの、寮の窓から次々に垂れ下がる何十本もの垂れ幕や男女逆転のコスチュームに、味方からの「一番言っちゃ駄目な言葉」の大コール。さらに、数百人の生徒たちによる「セーラー服を脱がさないで」の大コーラス。このあたりで、読者は、「感動の波」に飲み込まれそうになる。そして、それは、秋元康がラジオで言ってたとされる、次の言葉の部分で、ピーク迎える。 学校でウンコ漏らしたとするじゃないですか。 それがばれると、何カ月でもからかわれ続けるんですけど、 翌日学校に行って『昨日ウンコ漏らした石橋です』って言えば、 そのままヒーローになれるって「消えた退部届」のトリック(?)部分などには、『交渉人』や『Fake』で見られた、五十嵐さんらしさが垣間見えましたが、それ以外の部分では、まるで別人が書いたようなタッチの作品。なぜ、こんなことが可能なのか……、恐るべし、五十嵐貴久!!次は『リカ』を、読む予定。
2008.03.14
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今回は、なかなかシットリと落ち着いた展開。 のだめが、オクレール先生から、コンチェルト挑戦への許可をもらうため、 先生から既に出されている課題を、脅威の集中練習で、次々にクリアしていく。 そのために、千秋がのだめを、これまでにないほどに、熱烈サポート。 でも、のだめが、千秋と演奏したいと思ったコンチェルトは、 既に、Ruiとの共演が決定していた……。 またしても、二人の間に暗雲が立ちこめる。 次巻では、このあたりが、展開の中心になりそう。さて、今回もプロの厳しさを、思い知らされるエピソードが満載。ユンロンに続いて、ターニャも思うような結果を獲得できず。しかしながら、そこで黒木君が救いの手を……。ターニャは、再び目標に向けて歩み始めるのか?一方、清良はコンクール三位入賞で、日本に一時帰国。しかも、R☆Sオーケストラは、客演指揮にジャン!?とにもかくにも、君の思い一つで、活動は再開される!!峰君、とっても、忙しくなりそうだね!!ところで、のだめが興味を持った、ラヴェルの「ピアノ協奏曲 ト長調」。残念ながら、私は、これまで聞いたことがありません。でも、今巻を読んで、かなり気になってしまったので、早速CDを買って、聞いてみようと思ってます。
2008.03.14
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ナイトメア・ルフィ登場! その強さと言ったら、かつてないほどのもの!! 魔神オーズも、全く太刀打ちできない圧倒的パワー!!! 遂に、ゲッコー・モリアをギリギリのところまで追い詰めた!!! 今巻は、ナミの活躍が光りました。 ローラのサポートが、本当に感動もの。 もちろん、他のメンバーも、それぞれに頑張った。 麦わら海賊団は、本当に超人揃い!そんな戦いが続く中、王下七武会の一人、バーソロ・ミューくま登場。ルフィーとエースの兄弟関係を確認するなど、怪しい動き。また、クロコダイルの後釜に、黒髭が決まったことも判明。次のシリーズは、いよいよ強者たちが入り乱れての大乱闘の予感!!その前に、次巻では、1000体の影を取り込んだ暴走モリアを撃破せねば。人々の希望の星として、みんなの影を取り戻すべく、スカッと相手をブッ飛ばし、ケリをつけてしまえ!!
2008.03.14
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プレジデント 2008.3.31号のテーマは 役職別、課題別……厳選300冊! 一流社員が読む本 二流が好む本さて、今回の特集ページでは、キャノンの内田社長、リコーの桜井会長、キリンの三宅社長、オムロンの作田社長といった名立たるトップの方々が12冊を紹介すると共に、プレジデント掲載の「経営者の一冊」において、2007年2月から2008年1月までに登場したものの中から15冊を紹介。そして、「新入社員」「中堅社員」「部課長1」「部課長2」「営業マン」「女性社員」「役員・社長候補」といった役職別で126冊を、加えて、東大の玄田教授らがお勧めを21冊、さらに、「マーケティング」「ロジカルシンキング」「心理学」「ITの潮流」「会議の運営」「日本経済の土台」「世界経済の土台」「戦略」[組織運営」「財務・会計」という10大課題について150冊を紹介しています。これだけの数の本が紹介されていながら、私が読んだことのあるものはと言えば、カーネギーの『人を動かす』、小川洋子の『博士の愛した数式』柳井正の『一勝九敗』、ミヒャエル・エンデの『モモ』鳥山明の『ドラゴンボール』(全巻は読めていませんが……)河合隼雄の『コンプレックス』と、たったこれだけ……。本の世界は、まだまだ想像を絶するほどに広いですね。 そんな中、今回紹介されているものの中で、私が読みたいと思っていたのは、ハンチントンの『文明の衝突』(これは、「経営者の一冊」と「部課長2」の両方で紹介されている)、中公文庫の『失敗の本質』、講談社現代新書の『不機嫌な職場』。さらに、特集ページではないけれど、「本の時間」の方で紹介されている『明日の広告』。ハンチントンは、以前から気になっていたもので、あとは、本屋さんで見かけて「面白そうだな」と感じていたもの。 ***今回は、本の紹介ももちろん興味深かったのですが、「読み方」や「読んだ後、どうするか」についての記事が、とても参考になりました。また、ビジネス三国志は、「マック、モス、ロッテリア」のハンバーガー40年戦争は、前号の「ユニ・チャーム、花王、P&G」の記事に引き続き、とっても面白かった!!しかし、私が今回一番気になった記事は、『若者を三年で辞めさせない「初期鍛錬」の方法』という神戸大学の加護野教授の記事。親方が逮捕されるに至った相撲部屋における新弟子の死亡事件は、もちろん言語道断ですが、「初期鍛錬」の効用というものについては、誰もが認めるところでしょう。それを、今後、どのような形で行っていくのかは、これからの日本社会全体の課題と言えるかもしれません。
2008.03.09
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態度の悪い部下はすぐに取り替えろ! もう職場に「協調性」なんかいらない これらは、裏表紙に示された「本著の内容」の一部。 なかなかに刺激的です。 著者は、米国大学院でMBAを取得し、 三井銀行で約10年勤務してから、ラスベガスの法律事務所で勤務。 その後、対米進出のためのビジネスコンサルティング会社を起業。 本著に書かれている内容も、米国流を感じさせます。部下を「育てるな」とか、「取り替えろ」と言い、職場に「協調性」はいらないとか、部下と「酒は飲むな!」と言ってるけれど、部下をちゃんと「見る」ことをしないといけないとも言い、部下のモチベーションに深く関与していくことも強く求めている。さらに、部下を具体的に「褒める」鮮度のよいネタを絶えず、しっかりと掴んでおかなくてはならないとしたうえで、部下を決して怒鳴りつけることはせず、「褒め」を交えて、上手に叱らなければならないと言う。でも、これを「育てる」というんじゃないの?まぁ、これは「教え込む」というようなやり方じゃなくて、「自分で考えさせ、自分から行動させる」という、一歩踏み込んだ、レベルの高い教育方法だとは思いますが。ですから、その分、上司の方にも、これまで以上の、高い力量が必要とされるというわけです。そのレベルを目指し、それが出来るようになろうというのが、著者の言う「上司力革命」ということでしょう。『効果抜群!「ランチミーティング」の勧め』の項を読んで、「お昼ご飯ぐらい、仕事を忘れてのんびり食べたいなぁ……」と思う私では、「革命上司」にはなり得ないでしょうか?(ちなみに私の昼食時間は5~10分です。不健康極まりない!!)
2008.03.06
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ほぼ1年前に本屋さんで見つけて、 このブログにも「買おうかな……」のカテゴリーで記事を書いたものを、 やっと購入して、読み終えました。 普通、こんなに時を経てしまうと、読む気が失せてしまうものですが……。 実際に読んでみると、期待に違わず面白い。 度々出てくる、モデルケースのエピソードも 魅力的な人物が多数登場し、とても興味深い。 「こんな人なら、成功するのも当然!」と思えてしまいます。「マネージメント」と「リーダーシップ」。組織を率いる者にとって、いずれもたいへん重要なものですが、優れたトップは、その両方を兼ね備えていることが多いためか、得てして、これらを一体のもののように論じているケースが目立ちます。ところが、本著では、「マネージャー」と「リーダー」をきちんと区別し、それぞれに求められるものが違うことを、しっかりと説明してくれています。しかも、最後のエピローグまで読み進めていくと、それまでの内容を、きちんとまとめ直してくれているといった親切ぶり。 すぐれたマネージャーになるために忘れてはならないのは、 部下にはそれぞれ個性があること、 そして、あなたの主要な責務はこの個性を排除するのでなく、 活用できるように、役割や責任や目標のほうを調整することだ。 この技術を磨けば磨くほど、 より効率よく才能を業績に結びつけられるようになる。 すぐれたリーダーになるためには、反対のスキルが必要だ。 私たち全員が共有する欲求を熟知しなければならない。 全員に共通する欲求には、 安全への欲求、共同体への欲求、権威への欲求、敬意への欲求があるが、 リーダーにとってもっとも強力な普遍的欲求は、明確さへの欲求だ。 知らないものに対する不安を未来への自信に変えるには、 リーダーは、私たちみんなの未来を 正確かつあざやかに描写できるよう訓練しなければならない。 このスキルが上達するにつれ、あなたへの信頼も育つ。そして、本著のもう一つのテーマは「個人の継続的な成功」。もちろん、「成功」まで辿り着くことも難しいのですが、それ以上に難しいのは、その「成功」を継続していくこと。このことについても、第2部で論じた内容を、エピローグにまとめてくれています。 あなたの個人の継続的な成功は、 強みからあなたを引きおろそうとする活動や人を 排除できるかどうかにかかっていることも憶えておいてほしい。さらに、これらをひとまとめにした次の部分が、本著の究極のエッセンスでしょう。 リーダーは、よりよい未来を明確に示してくれる。 マネージャーはあなたを選んでチームに入れ、 チーム内のぴったりの役割につけてくれる。 しかし、チームに対し、 そしてこれから作ろうとしているよりよい未来に対して最高の貢献ができるように、 小さいけれど重要な軌道修正をおこなうのは、常にあなたの責任だ。 これがうまくなればなるほど、評価も上がり、満足と成功を手に入れられる。「リーダー」と「マネージャー」。似ているようで、実は、全く違った資質が求められる二つの役割。同じ人物が、この二つの役割を果たさなくてはならない場面も出てくるでしょうが、その時、その人物が、それぞれの役割について、どんな視点を持ちながら臨めばよいか、本著に書かれた内容は、大きなヒントになりそうです。
2008.03.05
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最近のテレビ報道を見ていて、とても気になるのは、 「善い事」と「悪い事」、「いい人」と「悪い人」を明確に区分し、 「悪い事」「悪い人」となれば、 完膚無きまでに、徹底的に叩きのめさずにはおかないという姿勢。 しかも、「善い事」から「悪い事」、「いい人」から「悪い人」へは、 ちょっとしたことを切っ掛けに、手のひらを返したように容易に転換し、 「この間までの持ち上げようは、一体何だったのか?」と、 報道している側の人間性を疑いたくなることもしばしばです。こういった「味方でなければすべて敵」といった発想の「二分割的発想」の危うさを、著者は、様々な分野において示しています。企業の倫理が崩壊している状況や、マスメディアが堕落している実体、そして、教育についても、その混乱の様子を、次のような形で提示しています。 ところが親のほうに「しつけの責任者である」という意識がないため、 子どもに何かあるとすぐ教師の責任を追及し始めます。 もちろん学校で起きることの責任が、学校側にまったくないわけではありません。 しかしその追及があまりにも厳しすぎて、悪いのはすべて教師だということになり、 その結果校長が自殺するような事件が起きるわけです。 これは親や学校が教師に対して過大な期待を抱いているせいだとは言えないでしょうか。 <中略> 「子どもの面倒は学校が見るもの」 「年を取ったら国が面倒をみてくれるもの」というように、 誰もが「○○してくれてあたりまえ」という 「お客様」のような考え方をするようになっているところがあります。(p.67) 政策面に目を向けると、教育にもっと予算をつけることが必要です。 道路やハードではなくソフトに予算を投入すべきだと言われていますが、 ソフトとはまさに教育を含む知識集約的分野です。 ここにもっと予算や人材を投入して 「学問をすること、教師になるのは報われることだ」 「やりがいがある」というかたちにしていかないと、 学者や教師になりたい人は減っていくに違いありません。 教師はいまのままでは残業は多いし、すべて自分の責任にされてしまうし、 父母からあれこれ言われるし、損な役回りです。 そうではなく、 いい人材が学者や教師を目指すようなシステムを作らなければなりません。(p.87) 学校は勉強をするために行くところで、しつけは家庭の責任です。 学校は集団生活のルールを守るように指導はしますが、 それは学校教育で子どもをしつけるということではありません。 かつてはこうした学校の役割が、 教育する側にもそれを受け取る側にも同じように理解されていました。 教師の役割は、基本的にはその学科を教えることであり、 子どものケアはあくまでそれに付随したものです。(p.90)一言で、ズバッと明快に「答え」を示してくれると、確かに分かりやすい。というか、考えなくてすむから、受け手としては、とっても楽です。今のテレビや報道は、そういうスタイルになっています。でも、考えなくてすむことばかり続けていると、人間、どうなってしまうのでしょうか?ものごとはすべて、そう単純なことばかりではないはず。「多面的・多角的に、見たり考えたりしましょう!」と言ってる時代に、この「二分割的発想」というスタイルは、完全に逆行しています。「解答は必ずしもない」という意識を持つことが、とても重要だと思いました。
2008.03.04
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普段は、「当たり前」だと思って、気にもかけないけれど、 よくよく考えてみれば「なぜかな?」というテーマについて、 平易な言葉で中学生に語りかけ、一緒に考えてみる中で 学校に通うことの意義を見いだそうとしているのが本著。 この本は、苅谷教授が、10年ほど前に出版した著作を文庫化したもの。 この10年で、学校を取り巻く社会や家庭、保護者の状況は変化し、 学校そのものを規定する法やシステムも、かなり変化しました。 しかし、本著を読んでいて、その内容に古めかしさを感じることはありません。2004年の統計によると、日本の中学校には約25万人、小学校に約41万人、高校に25万人、合計で91万人の学校の先生がいるそうです。これには、校長や教頭も含まれており、その数は、日本の全人口の約130分の1に当たります。この数字から、苅谷先生は、教師という仕事を考えるときの大事なヒントが引き出せるといいます。 学校の先生というのは、全部が全部、 よりすぐりの特別な人ではないと考えた方がよいでしょう。 もちろん、そういう立派な先生もいます。 ですが、全体としてみれば、普通の人がついている、 普通の職業だと考えたほうがよいのだと思います。 単純に数のうえから考えてみても、先生に何ができるのか、その限度がわかるでしょう。 「あれも、これも」と学校に要求しても、十分にこたえられない。 それは先生のせいでも学校のせいでもない。 むしろ、そういう期待自体にいきすぎがあるのではないでしょうか。1997年から98年にかけ、中学生の事件が続発し、最近の中学生は凶暴になったといわれました。しかし、実際には、昔も様々な事件があり、数のうえでも極端に大きくなっていません。苅谷教授は、大きく変わったのは、生徒の世界ではなく、実は、大人の世界のほうではないかといいます。生徒の個性尊重が求められ、多少のわがままや自分勝手も、個性の表れと見なされるように変化しました。そういった生徒への指導も、生徒理解を基本にして、言葉や理屈で分からせる指導を中心にするよう変化しました。ところが、学校には制服についての規則のように、理屈の通らないルールがどうしても残ってしまいます。にもかかわらず、理屈の理解が、指導の前提となっていますから、そんな指導には、生徒たちがムカつくのも当然といった見方も出てきてしまいました。さらに、生徒が問題や事件を起こしても、それは学校の教育がうまくいっていないから、教師がしっかりしていないから、といった社会の見方までもが広まっており、場合によっては、問題や事件を起こした生徒にではなく、学校や教師のほうに、非難の矛先が向くことも少なくないのです。 生徒のわがままは個性として尊重され、先生の強い指導は、管理教育として批判される。 こうして、教師と生徒の力の逆転が起きています。 いわば、大人の世界で生じている変化が、生徒の世界に影響しているのです。 その結果、先生たちの権威を無条件で受け入れる生徒が少なくなっていったと考えられます。 先生の言うことをともかく聞いておいたほうがいい、と単純に考える生徒が減ってきたのです。 そうだとすれば、ストレスがあろうとなかろうと、テレビゲームの影響があろうとなかろうと、 学校の中の秩序を保つことは昔よりずっとむずかしくなります。こういった状況の中で難しくなってきたのが、教科書以外の知識、隠れたカリキュラムの指導。「時間を守る」「がまんする」「コミュニケーションのしかた」等々、「学校」というものを成立させるのに、必要不可欠なものの基盤が揺らいでいます。
2008.03.02
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人生を歩んでいく時、誰もが皆、それぞれに、避けては通れない分岐点が訪れる。 その時、どちらの方向に向かって進んでいくべきかを決めるため、 過去の自分を振り返り、現在の自分自身を見つめ直し、 未来の自分をイメージすることを迫られる。 1990年代の「日本経済の崩壊」によって、それまでの秩序は崩れ去った。 企業は、社内での新人教育をやめ、即戦力となる人材を求めるようになった。 即ち、目的意識を明確に持った学生を必要とする時代に突入したのだ。 この経済界の要請により、日本の教育政策は「個性重視」へと切り替えらる。戦後教育が重視してきた「学力の平均的水準の維持」。そのための「横並び」や「画一化」は、無個性な若者を生み出す「負」の部分とされた。そして、新たな「個性重視教育」は、「自分らしさ」を尊重する進路指導へとつながり、「自分探し」を、学生に強く促すことになった。著者は、『13歳のハローワーク』という本について、次のように述べている。 この本は「自分の好きな仕事に就く人間とそうでない人間の二種類の人間がいる」 ということを前提としており、 「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代はもう終わったのだから、 「やりたいこと」「好きなこと」を見つけて、働いた方が有利であると主張する。 <中略> これが唯一の正しい“就職観”として認知されつつある現状には問題がある。 この世の中は「やりたいこと」を仕事にした人だけで構成されているわけではなく、 むしろ仕事を「やらなくてはならないこと」としてやっている人たちで 構成されているという認識が抜けているのだ。また、別の部分においても、こう述べている。 誰しもやりがいのある仕事を選びたいに決まっている。 しかし、やりがいのある仕事は激減してきている。 そんな状況で「やりたいこと」を職業にしなくてはならないと教えられてきた人間たちは、 さまようしかないのだ。 このような流れの中で、若者の「個性的」の捉え方が、従来のものと違ってきている。「個性」は、就業や訓練によって身につけるものではなく、「自分探し」によって「自分の内面」に発見するものになった。 もし自分の本質がよく分からないとすれば、 それは自分の内部に潜んでいるはずの可能性に まだ気づいていないからだということになります。 自分らしさを発揮できないのは、自分が輝いていると感じられないのは、 秘められた「本当の自分」をまだ発見していないからに過ぎないのです。 なんとかそれを見いだして、うまく開花させてやることだと思っているのです。そして、著者は「自分探し」を止められない若者について、こう述べる。 海外旅行、ボランティア、ワーキングホリデー、留学、世界一周といった具合に 目的はばらばらだが、それらは「自分探し」というキーワードでつながっている。 身も蓋もない言い方をするなら、自分探しの旅とは現実逃避のことだ。<中略> 厳しい言い方をすれば、 自分を変えるために何か具体的な努力をしようとは考えずに、 環境を変えることで自分を変えようという彼らの心性こそが 本書のテーマである「自分探しの旅」だ。このような旅行以外にも、自己啓発本や自己啓発セミナーといった様々なビジネスに「自分探し」は、直結しており、その勢いは留まるところを知らない。もちろん、「自分探し」は、今に始まったことではない。しかし、これほどまでに「自分らしさ」を求められ、「自分探し」を強要される時代は、なかったのではなかろうか。そして、その求める先が、自分の内面とされているところに最大の困難さがある。
2008.03.02
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