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まだ、自民党が政権を担当していた頃に書かれたエッセーである。 それ故、話題としては、すっかり過去の出来事になってしまったことばかり。 今読むと、塩野さんの思いや考えとは違った展開に至った事象も多い。 人の思いや世の動きを推し量ることの難しさを、改めて感じさせられた。 なのに、本著を読んでいて、古さというものを感じることはない。 まぁ、遙か古のローマ帝国を描いてさえ、 そこに、現代に通じるものを強く印象付ける技量を持ち合わせた筆者だから、 たかだか数年前のことくらいで、古さなど感じさせるわけもないか。例えば、9.11に関する記述は、こんな感じ。 ブッシュの犯した誤りの数々はもはや明らかだから列記はしないが、 それでも振り返ってみる価値ありと思うのは次の一事ではなかろうか。 テロは戦争であると規定したこと、がそれである。 戦争ではなく、犯罪とすべきであった。 なぜなら、戦争だと規定すると、敵とされた側、 この場合はイスラム教徒たち、を団結させてしまうからである。 それがもしも、九月十一日のあの凶事を、凶悪きわまりないことは確かだが あくまでも犯罪である、としていたらどうであったろう。 こうなれば、「敵」は、テロを計画して実行した者のみにしぼられる。 彼らはイスラム教徒でも、それ以外のイスラム教徒は無関係ということになる。 敵に勝ちたければ、それも効率よく勝ちたければ、 分離し孤立したところをたたく、しかないのだ。(p.98)今読んでも、思わず唸ってしまう見事な切り口。お次は、リーダー不在を口にする人々へのコメント。 しかし、このような話をすると、返ってくる答えは決まっている。 今の政治家には人材がいない、というのだ。 だが、ほんとうにいないのだろうか。 それとも、人材を見出し育てる意欲が、マスメディアにも有権者にもない、 ということではないだろうか。 人間とは、期待されるや自分では思いもしなかった力を発揮するという、 不思議な生きものでもある。 だから、国の政治とはいかに重要か、 それゆえあなた方に期待しているのだとでも言って、 激励してみてはどうであろうか。 今のように、欠点をほじくり出しては軽蔑と非難を浴びせるのではなくて。 何か隙あらば、寄ってたかって徹底的に叩きまくる姿勢は、今も相変わらず。ただ現在は、その反動のように、大衆受けする人物にはヨイショ連発であるが、これは本当に「人材を見出し育てる意欲」の表れと言えるのだろうか?続いては、政治をズバッと一言で言い表した、この一文。 誰だったか忘れたが、戦争は血が流れる政治であり、 政治は血が流れない戦争である、と言っていたのだから。(p.106)塩野さん自身による言葉ではないが、実に言い得て妙、素晴らしい。そして最後の締めは、次の言葉で。 歴史に親しむ日常の中で私が学んだ最大のことは、 いかなる民族も自らの資質に合わないことを無理してやって成功できた例はない、 という事であった。(p.248)国家でも個人でも、やはり「自分らしく」振る舞うことが、成功のカギのようである。
2012.05.27
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『犬も食わない』というタイトルが、全てを物語っている。 何やかや、あれこれ相手に対する不平不満を書き連ねているものの、 結局、この夫婦、とても仲が良いのだろう。 そして、これこそが、二人が形成してきたオンリーワンの愛の形なのだ。 エピソードとしては、国内外における夫婦げんかのオンパレードである。 勿論、嫁姑問題も絡み(姑さんへの筆致は、他界されたためか少々抑え気味)、 若かりし頃から、夫が定年退職した現在に至るまで、百花繚乱雨霰。 中には、上沼恵美子さんのTVやラジオ番組で聞いたことがある話題も。この妻にして、この夫あり。この夫にして、この妻あり。この夫婦にして、この家族あり。末永く、夫婦げんかを楽しみながら、お幸せに。
2012.05.27
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日本の公教育において、 「宗教」は、ある意味アンタッチャブルな分野。 もちろん、本来は学ぶべきことになっている事柄があり、 実際、教科書にもある程度のことは記載されている。 しかし、それは本当に知識レベルの「宗教」であり、 それから、信者のリアリティを感じられる内容は、ほとんどない。 それには、日本に住む多くの者の日常が、あまりにも宗教と疎遠なため、 宗教や信者の生活を実感したいという欲求が、それ程ないという事情もあろう。本著は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツといった欧米諸国に加え、フィリピン、韓国といった、アジアでもキリスト教徒が多い国々や、トルコやインドネシアのようにイスラム教徒が多い国々、そして、仏教徒が多いタイについて、教科書で宗教をどのように教えているかを、概説したものである。本著を読んで感じるのは、多くの国では、宗教が生活の、更には人生の一部であり、それに対して、正面からきちんと向き合っているということ。自分たちの信仰する宗教だけでなく、他の宗教についても関心の目を向けているということ。そして、信仰においては、国外だけでなく国内においても、絶妙なバランス感覚が求められること。さらに、総じて各国の教科書とも、自国で多くの信者がいる宗教をヨイショするというよりは、他の宗教との共存を目指す記述になっているところが、さすがだなと感じた。国際社会で生きていくなら、英語力以上に、宗教に関する理解が必要不可欠ということか。
2012.05.13
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仕事をしていれば、 時に、あまり関わりたくない人と、話をせざるを得ない場面に遭遇する。 それどころか、仕事を離れた日常の生活においてですら、 そういう場面に遭遇することは、ままある。 常に、相手と穏やかに話ができればよいのだが、 話をせざるを得ない場面というのは、相手と利害関係が対立していることが多い。 それゆえ、自分の利益を守ろうと、双方共に対決姿勢が前面に押し出され、 攻撃的な言葉の応酬になることも、実際には多い。 戦うことによって何かを生み出せるのなら、それはそれで意味のあることだ。 だが、相互理解を目的とする場合、さらには共通の問題の解決を目的とする場合は、 戦ったら理解も解決も遠のく場合が多い。 価値観の共有を期待できない国際コミュニケーションにおいてはなおさらのことだ。 国際コミュニケーションは「相手のことはわからない」という前提で成り立っている。 相手のことはわからないのだから、 相手の主張を「絶対におかしい」と思うのも無理はない。 自分の価値観では把握しきれないこともあるからだ。 だから、まずは相手の主張をよく「聴く」。 それでも「絶対におかしい」と思うなら、 「なぜそう考えるのですか?」「どうしてそう言えるのですか?」と「訊く」。 自分には理解できない。ゆえに納得できないのだから、 「なぜ?」を問うのがいちばんなのである。 攻撃しても仕方がない。 まずは「訊く」、次に「訊く」のである。(p.55)「相手のことはわからない」これが、本著における著者の基本姿勢であり、私も大いに共感するところである。そして、相手のことがわからないときには、「聴く」そして「訊く」。この姿勢についても、大いに納得できるものだ。 相手がどのような姿勢であれ、自分は語るべきことを語り、 相手の意見で認められるところは認め、歩み寄りを目指すのが対話なのである。 たとえ相手が攻撃を仕掛けてきたとしても、あくまでも自分は相手の話をよく「聴き」、 理解できないところや納得できないところがあれば 「訊く」(=質問する)ことが対話なのである。(p.118)こちらが、問題の解決に向けて「対話」に穏やかな姿勢で臨んでいても、相手が同じような態度を示してくれるとは限らない。場合によっては、攻撃的な言葉を、これでもかと投げかけてくることもあるだろう。そんな時でも、やはり「訊く」、そして「訊く」だと、著者は述べる。 日本人同士だと、ここまで情と理を切り離して考えることができない。 だからなるべく対立を避けようとするが、ひとたび対立すれば完全に決裂してしまう。 だが、国際化する社会においては、対立は日常茶飯事であって放置できず、 それでいちいち決裂していたらやっていけない。 そこで情と理を切り離し、対立したことについては 可能なかぎり理のみを用いて解決を目指すのである。 情と理を巧みに使い分けること - これこそ「わかりあえない時代」に人間関係を良好に保つコツといえるだろう。(p.127)「情と理の使い分け」これは、とても難しい課題である。でも、これが出来るようにならないと、これからの時代はやっていけないのだろう。それは国外においてだけでなく、国内においてですら。 私たちは往々にして「わかりあうまで話し合うべきだ」と考えがちである。 しかも「完璧にわかりあう」ことまで求めてしまう。 もちろん完璧にわかりあうに越したことはない。 だが、対話をしたからといって完璧にわかりあえるという保証はない。 むしろ、あまり「わかりあえない」ままでも共存できる道を探るほうが 対話的な態度といえよう。 わかりあえない関係において必要とされるコミュニケーションの形態が 「対話」なのだから。(p.156)「わかりあえないままでも共存出来る道を探る」これも難しい課題である。しかし、これも出来るようにならないと、これからの時代はやっていけないのだろう。それはやはり、国外においてだけでなく、国内においてですら。
2012.05.13
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今巻の前半は、上巻から引き続き、「ハードなインフラ」についての記述。 前巻の「街道」と「橋」についてのお話しは、 その敷設技術はもちろん、その後のメンテナンスの充実度が、 私が想像していたものを遙かに超えるレベルのもので、大いに驚かされた。 そして、今巻の「水道」のお話しも、とても興味深いもので、 特にその衛生面に関わる記述には、「ローマ人」というものを強く感じた。 現在、劇場公開されている『テルマエ・ロマエ』は、原作も読んでいないが、 「水道」について、どんな感じで触れているのか、ちょっと見てみたくなった。後半は「ソフトなインフラ」、つまり「目に見えないもの」についての記述。「医療」と「教育」、そしてそれに携わる人たちについてのお話しが中心であるが、これも「水道」のお話しと同様、「ローマ人」の「ローマ人」たる所以、そして、カエサルをはじめとする為政者たちの、この分野への深い思惑が伝わってきた。現在の日本でも、何かにつけ話題となり、重要視されているこの二つの分野。それ故、それに関わる人たちは、時として激しいバッシングの対象ともなっている。しかしながら、この両分野における人材確保は、絶対必要不可欠。その世間的地位の向上と保全も図らねば、人材難から衰退を招くことにもなりかねない。
2012.05.13
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「すべての道はローマに通ず」上下2巻の始まり。 今シリーズの主人公は「人物」ではなく「もの」。 そして、それは目に見える「もの」もあれば、見えない「もの」もある。 それは、古代ローマの陰の主役「インフラストラクチャー」。 他のシリーズとは一線を画する、趣の違ったものとなるため、 著者の塩野さんも、その執筆に当たっては、随分逡巡されたようである。 そして、冒頭「はじめに」では、今シリーズの執筆に至った経緯と共に、 読者に対し覚悟を促す「4つのお願い」までした上で、本編に突入している。そして、塩野さんの宣言通り、この上下2巻は、これまでのシリーズと、パッと見ただけで随分違いがある。上巻で言うと、p.33からp.64まで、下巻ではp.161からp.200にかけて、カラーの写真や地図、説明図が、ひとまとめにして掲載されている。これらの部分については、カラー印刷をするため、厚みのある上質紙が使用されている。さらに、その他のページについても、白黒ながら写真や地図、図の登場頻度は頗る高い。そのため、これまでのシリーズに比べ、掲載文字数はかなり少なくなっているはずで、文章だけを読み進めようとするのであれば、あっと言う間に読了できる。しかし、塩野さんが期待するように、写真を眺め、地図を読み込むことをしようとすれば、人により随分違いがあろうが、かなりの労力を要する作業となるはずだ。ただ、その労を厭わなかった読者には、これまでのシリーズに登場した様々な人物や場面が、よりリアリティーをもって、鮮明に蘇ってくるのも確かである。
2012.05.13
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有川浩、恐るべしである。 『阪急電車』を読んだときよりも、 『図書館戦争』シリーズを読んだときよりも、 今回は、大きな衝撃を受けた。 有川浩、スゴ過ぎる…… アラ還世代が主人公、そして大活躍するという、 これまでありそうでなかった、少子高齢社会にジャスト・フィットした作品。 そして、共感を呼ぶこと間違い無しのキャラクターたち。少々小難しい『図書館戦争』シリーズの設定に比べると、誰にでも分かりやすいお話し。それ故、『図書館戦争』シリーズより、よほどアニメ化しやすい作品。そして、『図書館戦争』シリーズですらアニメ化されているのだから、『三匹のおっさん』シリーズがアニメ化されるのは、これはもう間違いないだろう。そして、これは有川さんの気持ち次第だが、その気になれば、これは、とても息の長い作品になりうる可能性大である。『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』『ちびまる子ちゃん』と並ぶそんな作品にすらなっていく可能性を感じてしまう。それくらい、本著は面白かった。最近読んだものの中では断トツである。私は、これまで、新刊が出ても文庫化されるまで、じっと我慢するのが常だったが、『三匹のおっさんふたたび』については、それまで我慢できる自信がない。
2012.05.05
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たまたま本屋さんに出かけて、初めて気付いた。 17巻を買ったのは3月なのに、たった2か月で、もう新刊出たんだ…… 早過ぎっ!!(『ピアノの森』とはえらい違い。こちらはいつもの如く発売延期……) でも18巻、手に持つと、ちょっと薄めのような気もするが…… しかし、中身は大充実。 これまでで、一番面白かったかも(いや、確実に一番の出来映え!!)。 エイジを本気にさせる程、夢叶の新作は絶好調でワクワクもの。 何と週刊誌と月刊誌で、2本の連載をゲットしてしまう。だが、私としては、そんなことより、蒼樹譲が平丸の求婚をあっさり受け入れてしまった展開に、大衝撃を受けてしまった。今巻の表紙を見た瞬間、そんなこと気付かないといけないか……。でも、せめて、もうちょっと、じらす展開にして欲しかった。
2012.05.05
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新聞・テレビの裏側がどのようなものか、そんなことは既に広く知れ渡っている。 それらの活動は、あくまでもビジネス故、より多くの需要を産み出す必要がある。 そのため、消費者の嗜好に沿う、大多数に受け入れられる商品を揃えると共に、 新たなる購買意欲を喚起すべく、より刺激的な商品を開発し続ける必要がある。 そういった内容の書物を、タイトルから想像していた私だが、 本著は、それとは異なる視点から、その裏側を描き出そうとするものだった。 私は不勉強で、そうとは知らなかったのだが、 著者の上杉氏は、自由報道協会の代表で、その分野ではかなり著名な方らしい。端的に言うと、本著は「記者クラブ」の問題点を糾弾するための一冊である。「官報複合体のもたれ合い構造」を糾弾するための一冊である。記者たちの癒着メモの実態を暴き、政府との癒着を暴き、震災報道のウソをを暴き、記者クラブの正体を、世間に向けて明らかにしようとする一冊である。記者クラブの実態がどのようなものかは、文中のエピソードからよく伝わってきた。また、官報の関係も、同様によく伝わってきた。震災報道についての記述には、「どうして、そうなるのか!?」と憤りを感じるものもあった。ただ、著者の言い分だけを聞いて、全ての判断を下すのは早計という気もする。
2012.05.05
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ロジカル・シンキングの知的で理性的な凜田莉子。 それに対し、ラテラル・シンキングの自由で奔放な朝倉絢奈。 Qシリーズ単独で突き進むより、異なる趣の作品を並行させた方が 書き手にも読み手にも優しいとの判断で始まったと思われるαシリーズ。 それだけに、松岡さんも十分気合を入れて今巻に取り組んだようで、 「ウガンダのバナナ」「架空の旅行企画詐欺」という核になるお話二話に加え、 「広電の幽霊車両」「富豪宅への侵入者」「フェリーから消えた家出少女」と 通常なら一巻書けそうなエピソードを3つも詰め込んで、勝負に出ている。特に、最近の松岡さんは、物語終盤の充実振りが特筆ものである。読み手が「これで本当に終わるのか?」と心配になるような残りページの中で、見事に無理なく事件を解決し、綺麗にオチをつけている。さらには、読者が読後の余韻にしっかり浸れるような場面まで、ちゃんと用意してあるのだ。もちろん、上京した頃、あんな状況だった高卒少女の莉子が、ここまでのスーパー鑑定士になってしまうのは「ちょっとね……」と思った以上に、こんな状況の中卒少女の絢奈が、あっと言う間にスーパー添乗員になってしまうのは、「これはいくらなんでも、ありえない!!」と思ってしまうのも無理はない。まぁ、そこはフィクション、ファンタジーということで、無理やりにでも目をつむり、これからの絢奈の活躍に期待したくなるのは、私だけではあるまい。
2012.05.04
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副題は「もしかしてアスペルガー症候群!?」。 この種の本は、結構数多く読んできたし、 先日も『発達障害に気づかない大人たち<職場編>』を読んだばかりだ。 そして、結論から言うと、本著は全くの初心者向けの一冊である。 ただ、アスペルガーに特化しているので、 文庫版一冊から得られる知識としては、かなり豊富。 しかも、平易な表現で読みやすく書かれているので、サクサク読める。 それ故、アスペルガーについて、お手軽に理解したい人には打って付けです。
2012.05.04
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本著の存在を知ったのは小野田先生の著作か講演かのどちらかである。 いずれにせよ、それはもう随分前のことで、 気になりつつも、実際に本著を手にすることなく月日を過ごしてしまった。 そして、今回本著を読んで、それが実にもったいない時間だったと大後悔。 発達障害については、近年、随分広く世間で認知されるようになってきた。 教育現場でも、その知見を生かした指導が、随所で行われている。 そして、発達障害は子どもたちだけでなく、大人にも見られる問題である。 当然のことながら、保護者の中にも発達障害のある人は存在する。本著は、我が子のことしか考えていないように見えたり、わが子への基本的な世話を放棄していたり、自分の考え方ややり方で、周囲をコントロールしようとしたり、些細なことで怒りを爆発させたりする「気になる保護者」について、様々な観点から考察する。まず最初に、そのような保護者が登場した社会的背景を探る。それは、人間的な発達への権利を奪う貧困問題の深刻化であり、規制緩和施策がもたらす労働ストレスの増大であり、新自由主義のもたらす構造的暴力であり、生活そのものがもっていた発達を導く力の低下とする。続いて、そのような保護者の抱える個人的な要因を探る。そこで著者は、保護者の中にもアスペルガーや高機能自閉症、ADHDの可能性が推測される保護者が存在することについて触れ、さらに、内的ワーキングモデルや、パーソナリティ障害、精神疾患にも言及する。このような保護者が、確かに存在するという現実を考慮した上で、種々の問題に、どのように対応していけばよいか述べているところが本著の肝である。このような観点から、実例を交えながら丁寧に、問題解決への道を示そうとした書籍を、私は、これまで手にしたことがなく、それ故、もったい時間を過ごしたと後悔したのである。ただ、そのような問題への解決への道筋が明確に示されているかといえば、そうではない。現場や当事者を窮地に追い込むような、相当厳しい状況の実例が数多く示されており、その背景に、保護者の個人的要因が大きく関与していることまでは、よく分かるのだが、結果として、それを上手く解決した道のりが示されている例は、ほんのわずかである。逆に、多くは保護者やその子どもに振り回されっぱなしで、そのままこどもが進級したり、卒業して事が終わったケースである。そんな嵐が過ぎ去るまで、保護者の行動の背景にあるものを知っていれば、その立場に立って考えてみることで、多少なりとも上手く対応できるといったところか。
2012.05.04
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自分自身が就活をした際、 それについて、親と色々相談したという記憶が全くない。 もちろん、その頃は、大学の入学式や卒業式に 親が出席するなんていう発想も、全くなかった時代だが。 現在の大学生は、かつての中学生並みに色んな世話を周囲から焼いてもらえる。 と言うか、何かに付け、色んな場面で口を出されるのが常態となってしまって、 自分の意志を前面に打ち出し行動する機会が、うんと減っているのではないか? これは、本人にとって、そして親や周囲にとって、本当に良いことなのか?それ故、私としては、本著のような書物が巷に溢れていること自体に違和感を覚えてしまう。 親であるあなたの時代、経済成長期の企業は、「頭数」を求めましたから、 「とにかく大学へ」入っておけば、中学・高校を卒業しただけの人より好条件で就職できました。 その思い込みから、子どもに大学入試を最終目標としたレールを敷き、 幼児の頃からレールの上を走らせたのです。 この最終目標を大学と定めたところに、企業が求める人との違いができてしまいました。 これが就職できない一番の原因となっています。(p.9)そう、現在就活に取り組んでいる世代と、その親である私たちの世代とでは、確かに時代が違い、社会・経済の構造や状況が大きく変化している。大学入学者の割合も上昇、その入学システムは種々様々となり、学卒自体の価値が変化した。大学さえ出れば何とかなるという時代では、決してなくなってしまっている。 いま企業が求めているのは、単なる学卒の「頭数」ではなく、その「質」だからです。 ではこの「質」を高める意識付けとなっているのは何でしょうか。 それは将来目標・職業意識になります。 「質」を高めるための進学ではなく「とにかく大学へ」進むことを勧めた親として、 あなたは子どもの就職活動に、共同責任の意識をもたなければなりません。 そして子どもの就職活動を子どもに任せっきりにするのではなく、 一緒に考えアドバイスを与えることです。 先が見えず迷っている子どもたちは、親に適切なアドバイスを求めています。(p.10)そうか、今の大学生は「親に適切なアドバイスを求めている」のか。そんな大学生にしてしまったのは、確かに親や周囲の過剰なおせっかい、責任はあるよな。そのうち、『婚活は子どもに任せるな』なんていう本も、巷に溢れるのか?何時まで、親に手を引かれたまま、自分の意志で歩くことを許してもらえないのだろう? ***なお本著は、就活における「心構え」や「面接対策」を知るものとしては優れものである。さらに、「就職とは何か」を考える上では、就活に臨む大学生だけでなく、既に社会人となった者にとっても、とても良い本である。特に次の二つの部分には、私も強い感銘を覚えた。 また、できるかどうか不安な部署に配属されても 新しいスキルが身につくチャンスと考えて挑戦を続けました 給与をもらいながら新しいスキルが得られるなんて最高じゃないですか(p.89) 役職になればなぜ給与が上がるのかも同じで、 責任が増えたことに対する対価よりも、 我慢する度合いが増えたことに対する「我慢料」が加算されるからです。(中略) 「給与は仕事を処理した報酬より我慢の対価である意味合いが大きい」 子どもが就職して数カ月経ちますと、 「好きな仕事ではない」「やりがいがない」から辞めたいと相談があるはずです。 そのときこの言葉を教えてあげてください。 この言葉を忘れたとき、不満だらけになって転職を繰りかえすことになってしまいます。(p.112)
2012.05.04
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ADHやアスペルガーという言葉も、随分広く知られるようになった。 そして、職場にそのような傾向を持つ人がいることは、決して珍しくない。 さらに、よく考えてみると、自分自身にもそういう部分がなくもないと気付く。 ただ、その傾向の度合いが、大きいか小さいかの違いである。 そんな人たちへの対応を、いかにすればよいのか知りたくて本著を購入。 第1章を読み進めていくと、著者自身がADHDであり、 医大に合格したものの、一人暮らしを始めると生活が破綻したことが記してある。 社会人になって問題が顕在化し、そこで初めて気付くケースがとても多いことも。というわけで第2章では、発達障害のある人が、日々、どのように生活し、仕事をこなしていけばよいかについて述べられている。この部分は、直接私が知りたかったことではないけれど、そういう人たちについて知り、支援していくためには必要な知識であると思う。そして、第3章では、いよいよ発達障害を持つ人に対し、周囲はどのように向き合い、対応していけばよいかが述べられる。仕事の進め方に問題がある場合 (1)「作業マニュアル」とスケジュール表をつくる (2)作業を確実にやってもらうには「構造化」する (3)仕事の能率の悪さは目標管理で改善を促す (4)集中力に欠ける場合は仕事の適性を再検討する (5)複雑な作業は工程を細分化してやってもらう (6)機器や道具の使い方などは具体的な言葉に置き換えるコミュニケーションに問題がある場合 (7)曖昧な表現は避け、具体的に伝える (8)マナーや慣習は可能なかぎり明文化する (9)指導や注意はできるだけ穏やかに行う職場環境に問題がある場合 (10)パニックになったら一人になれる静かな場所へ移す (11)周囲への刺激に過敏な場合はその刺激を減らすことを考える当たり前だが、発達障害のある子どもへの対応と、基本的に同じだった。これらの記述よりも、その後に続く「上司や取引先の人が発達障害と思われる場合はどうすればいいか」の方が参考になった。特に、すぐキレるタイプへの対応の次の部分が印象に残った。 だから、このタイプに対しては、キレてどれだけ暴言を吐こうが、 「ああ、また始まった」と思って、右から左へ聞き流すことです。 「お言葉ですが」等と反論でもしようものなら、怒りの炎に油を注ぐだけです。 それより、うつむいて神妙なふりをしながら、 腹のなかでは「今日のお昼は何食べようか」とでも考え、嵐が去るのを待てばいい。 そのうち怒りはおさまります。(p.138)その後の章では、「発達障害に向く仕事、向かない仕事」、「障害のメカニズムから心理療法、薬物治療まで」、「乱れがちな日常生活を改善するライフスタイル」等、必要十分な知識が得られるが、全体として「職場における周囲の具体的対応」についての記述は、少ないように感じた。 ***さて、最後に本著のなかで、私が印象に残った部分をご紹介。 私は、部下を使う基本はほめることだと思っています。 ほめるには相手の長所を見つけなければいけません。 それは人間関係を円滑にするための基本中の基本です。 ですから、これができないと管理職は難しいと思います。(p.89)発達障害の有無に関わらず、管理職に就く人なら、まず心掛けるべきことだと感じた。次は、学力の高い発達障害者についての記述。 大事なことは、一流大学を出ることではなく、 ・きちんと挨拶が出来る ・上司の言うことがきける ・仕事を頼まれたら気持ちよく引き受けられる ・同僚と協力して仕事ができる ・身だしなみに気が配れる ・一週間休まず、遅刻せず、きちんと働ける ・報告、連絡、相談ができる など社会人としての当たり前の常識であり、それを社会へ出る前に身につけることなのです。 それに気づかず、大学さえ出ていれば、何とかなると思ってしまうと、 専門医を受診することもない。 こうなると、社会でやっていけない習慣、生活スタイルが染みついてしまいます。 それでは働き出してから社会適応に大変な苦労を強いられるのです。(p.155)これも、発達障害の有無に関わらず、大学を卒業する者は、まず心掛けるべきことだと感じた。
2012.05.03
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アラサーの女性である著者が、街で見かけたおじさんたちを、 イラストで描き、それにコメントを加えていくという構成の一冊。 登場するのは、確かにどこかで見たことがあるようなおじさんたちばかりで、 「図鑑」という形容がピッタリの一冊に仕上がっている。 図鑑の方も面白いが、途中で挿入されている数々のコラムや 巻末のインタビューカタログ、ルポタージュの方が、実はより面白い。 インタビューは短いものなのに、おじさんたちの個性や人生が滲み出ているし、 著者のドヤ街での炊き出し体験を描いたルポは、大変興味深いものだった。本著では「おじさんにもてる女性たち」と、あと数ヶ所しか女性が登場しない。それも、あくまでもおじさんに付随する存在としての登場。私としては、「おじさん」より「おばさん」を描いた図鑑の方が、確実に面白いものになると思うし、今後、出版される可能性もあるだろう。ただ、「おじさん図鑑」なら、おじさんたちはそれに対して目くじらもたてないし、「失礼な!」「バカにしてるのか?」などと騒ぎ立てることはないけれど、「おばさん図鑑」となると、色んな反響が巷で湧き起こる可能性大である。だから、まず最初は「おじさん図鑑」、そういうことにしておいて正解だったと思う。
2012.05.03
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しらほし姫の眠れる力が覚醒。 海王類にノアを止めさせ、ノアを破壊することなく魚人島を救う。 その力は、世界をも滅ぼしうる力。 彼女こそが、3つの古代兵器のうちの一つ「ポセイドン」。 一方、海軍では赤犬と青キジが対立、前代未聞の大将同士の抗争に発展する。 十日に及ぶ二人の死闘の結果、赤犬が新元帥となり、青キジは海軍を去った。 そして、魚人島では、おかし工場を巡ってルフィと四皇ビッグ・マムが対立。 ルフィは、魚人島を彼女に替わって自分のナワバリにすると宣言。その後、魚人島を後にした麦わら海賊団は、世界最強の海「新世界」へと向かう。そこには、大佐になったたしぎ、中将になったスモーカーが待ち受けていた。彼らが率いるのは、海軍GL第5支部「G-5」。本部の命令も聞かない、海軍のイカレた無法集団。サニー号が辿り着いたのは、パンクイハザード島。そこは、記録指針が示さない、完全に封鎖されたはずの無人島。なのに、下半身だけのサムライや、睡眠ガスを撒き散らす謎の一団が登場。火の海に囲まれた燃える島で、新たな冒険が始まる。
2012.05.03
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あのハドリアヌスが、こんな風になってしまうとは。 記録抹殺刑一歩手前になってしまう程、元老院に嫌われる行為を連発。 元々、そういう性分を持ち合わせていたとも言えなくもないが、 偉大な男だったからこそ、迫り来る死の恐怖に押し潰されてしまったのだろう。 ネロはともかく、ドミティアヌスの記録抹殺刑は、実に気の毒だった。 ハドリアヌスが、同じ運命を辿るのを救ったのは、次の皇帝アントニヌス。 議員たちへの懇願は、後継者に指名してくれた義父に対する恩義からよりも、 それ以上に、彼が真に「慈悲深い人」だったからだと思う。そんな彼による、平穏な治世の記述は、あっと言う間に終了。「至高の皇帝」ハドリアヌス、「ローマの平和と帝国の永遠」ハドリアヌス、そして、「秩序の支配する平穏」アントニヌス・ピウス。「黄金の世紀」を担った三人の皇帝を描いた『賢帝の世紀』シリーズの終了
2012.05.01
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