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前略 トイモイさん随分音沙汰ありませんが、その後アミーゴしてますかしてませんか。旅行土産のサボテンと覆面まだ届きませんがどこにいったんでしょうか。今年も8月31日がやってきたので、全世界経由で個人的なメッセージを送るよ。ところで、先日キミが優雅で感傷的な旅行に出かけている間にボクはまた京都に行っていました。京都の蹴上にある常宿ホテルのエグゼクティブな部屋に泊まっていましたが、窓の外は一面東山の緑みどりミドリでちょとだけ癒されて涙ちょちょ切れました。せっかくの京都ですが、相変わらずムスメの状態がアレなので思い切ってナニするわけにもいかず、外食もできないのでルームサービス頼んでほとんど部屋の中でアレコレしていました。これではホテル缶詰状態で夏休みの宿題してるのと同じですわ。昼間は屋内と屋外のプールでさんざんムスメの遊び相手を務めた後、夜は屋上でこども花火大会の予定でしたが、風が強くて中止になりコドモたちガッカリおとうさんニッコリです。1泊だけして翌日の夕方には家族を捨てて会社に戻らないといかんので、お昼には四条烏丸に出来た商業ビルの中で昼飯たべて速攻で帰りました。「キムカツ」というそこそこ有名らしいトンカツ屋に行きました。ここは超極薄の豚スライスを25枚もミルフィーユ状に重ねたものを低温で揚げているので、とろけるジューシーな食感が人気だそうです。ボクはバイキングの朝飯食べ過ぎの膨満感で、残念ながらほとんど受け付けませんでした。キムカツの由来はオーナーの名前が「木村克也」とでもいうのかと思ったら全然そうではなくて、希望と夢のあるトンカツ屋をめざしてはるのでつけたそうですね。夏休みも終わるというのに、別にこんな話どうでもいいですね。ところでいま、次の旅行準備のパッキングしてるんですがボクの海パン知りませんか。心斎橋31号
2007年08月31日
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容器を覗き込むと、微妙に大きくなった義男(よしお)が、壁面に張り付いて動いている。なーんだ、元気そうじゃないか。と思ったら、よく見ると動いているのはこの1匹だけで、あとは動かない。久しぶりに人間に見つめられて、みんな緊張しているんだね。ふふふ。ちょっと揺すってみようかな。トントン。あれ?もいちど、トントントン。あれれ?みんな死んでるよ(号泣)。地表の上に転がっているのが、最初に死んだ助清(すけきよ)。中腹の縦穴の途中には、助清と仲の良かった助六(すけろく)が。最深部の壕の奥で折り重なるように一塊となって息絶えているのが、これまたお互い仲の良かった幸男(さちお)と幸子(さちこ)である。まるで深い海の底で絶命しているような、まるで「ピアノレッスン」のラストシーンのような死に様である。ごぼごぼごぼ。去年の9月18日から約1年間飼育してきた感想を言うと、普段は知らずに踏み潰したり、足に這い上がってきたら叩き落としたり、家の中に行列を作って入り込んできたら殺虫剤をかけたりと、もともとあまり印象の良くない蟻であるが、不思議なもので、自分で飼って名前をつけたりしてみると、たとえ蟻でもそれなりに情が湧くものだなぁ、ということである。ところで、アントクアリウムのサイトであらためて蟻の寿命を確認したところ、「通常6ヶ月から1年くらい」とのことであった。なんだ、そうすると、うちの蟻たちも決して短命だったワケではなく、むしろ自然死である。そもそも捕獲した時には少なくとも生まれて何ヶ月かは経っているはずなので、そんな中でさらに1年近くも生き伸びた義男(よしお)の生命力は、たいしたもんである。これからは、ひとり残った義男と一緒に、強く生きていきマス!(なんか違う物語になってる?)「蟻の生活」-完-
2007年08月21日
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今年の春先に「助清」が死んだあと、ムスメ1号と親子会議を開き、「やっぱこのまま飼っててもどうせ死んじゃうし、そろそろ逃がしたほうがいいんじゃないか?」というワタシの提案にムスメも納得したらしく、次の週末にふたりでもともと獲ってきた公園に、残った蟻たちを放しにいくことにしたのだった。もとの巣があったすぐ近くの落ち葉の上に、天井の蓋を外してアントクアリウムの容器を置いた。まだ冷たい春先の外気の気配を感じた蟻たちは、死んだ助清の亡骸を蹴っ飛ばしたりしながら一斉にわっせわっせと動きだしたが、突然のことで事態が飲み込めないのか、横や下には動くのだが、容器をよじ登って外に出ようとする奴がいない。置いた場所が良くないのかと思い、少し場所をかえて違うところに容器を置きなおしてみたが、それでもやっぱり一向に出て行く気配がないのだ。そうか。なんだかんだ言っても、実は奴らも日々餌があるかないかわからない元の生活よりも、いまの暮らしの方が居心地が良いのだ。自由と引き換えに人間に飼いならされた自分たちを卑下しつつも「三食昼寝付きの極楽生活はたまらんのう」と、きっと自嘲気味に呟いたりしているのだ。10分以上待っても一匹も出ていかなかったので、結局その日はそのまま持って帰ることにした。あれから数ヶ月、さらに季節は巡り春を越えて猛暑の夏になった。ほんとに忘れっぽい我々親子は、あの日再び持って帰ったアントクアリウムを、ムスメたちの手の届かない本棚の上に置いたまま、その後まったく見向きもしなくなっていた。再び見ることになったのは、たまたまムスメ2号を抱っこしているときに「あ、あ、」と何か指をさすので、ふと見ると本棚の上の蟻たちを指していたからだった。手を伸ばしてアントクアリウムを本棚から下ろし、久しぶりに中の様子を見たワタシは、思わず息を飲んだ。(後編につづく)
2007年08月20日
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ムスメ1号が夏休みにチャレンジする課題として、ちょうど1年程前に途中まで登った「芦屋ロックガーデン」の完全踏破!という目標を学校当局に宣言していたので、引率することになった。前回登ったときは「もう二度といかない」と言っていたはずだったが、ムスメのロック魂が再び目を覚ましたようである。朝7時半に登山口に到着したが、いきなりもう暑い。本日の予想最高気温38度である。この日のコースは中間地点で折り返すのではなく、そのまま別のルートに入り隣の駅の麓まで降りてくるコース。標高1000m弱で大人の足で全行程約3時間、小1のムスメ1号なら4時間てところか。岩場に入って10分も登るとすぐに鎖を掴む垂直の壁。まあここはまだまだ序盤で体力もあるので、下からムスメの尻を押し上げながら難なく越えて行く。登山口から30分ほどで、前回引き返したあたりを通過。思った以上にハイペースでいい感じ。しかし日陰のない剥き出しの岩場が続くので、午前中とはいえ日差しが厳しく早くも全身汗だくである。コースは、途中から直登に近い岩場が減り、比較的傾斜の緩やかな山道も増えてくる。とはいえ、ところどころに難所はある。ここなんか、誰かがハシゴをかけてくれているが、これがなかったらムスメ1号は絶対登れない。いや、このハシゴ登るのも相当アブナっかしいのでヒヤヒヤするよ。前回も遭遇したが、六甲山系のコースはとにかくイノシシ遭遇率が高い。おそらく、この日もどこかで出てくる予感。あまりの暑さに途中3回ほど水飲み休憩を挟みつつ、ちょうど90分で中間地点の目標である「風吹岩」という巨石群が目印のポイントに到達。ムスメもバテ気味だが、正直なところワタシもすでにかなりヘトヘトに消耗。真夏のハイキングはキツイす。しかし「風吹岩」というのは名ばかりで、市街地を見下ろす景色は確かに絶景なのだが、風なんかまったく吹いてないぞ。カンカン照りで岩肌も焼けるように熱いし、なんとか日陰を見つけて20分ほど脱力休憩しましたよ。ムスメとおにぎりを食べていたら、背後で何かぶひぶひ声がするので振り返ると、岩場の陰からイノシシ登場。見た目はさほど大きくないが、どんどん接近してくるので、これはイケンイケンと、とりあえず飯をかくそうとしていたら、最後に食べようと思っていたタラコのおにぎりを不覚にも落としてしまったよ。それを見たイノシシは、猛然と走ってきて一瞬で飲み込む。バーロー、返せ返せ。中間地点を過ぎると、一転して岩場はほとんどなくなり、頭上も木々が生い茂って日陰の道が続くので、前半戦に比べればずいぶん涼しく感じる。それでも、前半ちょっと飛ばしすぎたのと、暑さと岩登りで体力的に消耗しているのでムスメ1号の足取りもふらふらしてきた。そこにまたイノシシの群れがじゃかすか出てくる。ウリボウだけでも9匹もいて超カワイイ。もうおにぎりないのだよ。ラスト1km地点の神社で休憩していると、後ろから「ぶひー!」とまた別のイノシシが襲ってくる。もう、ええっちゅうねん。ま、そんなこんなで、最後の方は山道で何度かイノシシの糞(むちゃくちゃ臭いんだこれが)を踏みそうになりながらも、予想通り4時間ジャストで無事ゴールの阪急岡本駅に到着。ムスメ1号も夏休みの課題クリアで一安心である。ワタシは、翌日になって恒例のギックリ腰が出ないか不安である。それにしても、あぁぁ暑かったぜよ。ぶひ。
2007年08月12日
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昨日はちょっと事件がありました。ママとお姉ちゃんと3人でママの実家に泊まりに行ってて、おばあちゃんも一緒に近くのショッピングセンターに行ったの。その中に幼児を遊ばせる遊戯施設があって、ボールの海で泳いだりフワフワのマットの上で遊んだりして楽しかったの。みんなそろそろ帰ろうとしてたとき、ソファぐらいの高さの台の上から、わたし後ろ向きにひっくり返って地面に落ちたんです。たいした高さじゃないんだけど、後頭部の打ち所が悪かったみたいで、そのまま意識がなくなったの。まったく泣き声も出ないし、全身痙攣しはじめたので、ママもおばあちゃんもパニックだったみたい。周りに人だかりができて、誰かが救急車を呼んでくれたみたいで、そのまま病院に運ばれたの。救急車の中では完全に血の気がひいて、真っ白な顔で寝ていたので、一緒に乗った家族はもうだめかと思ってみんな泣いてたみたい。病院についたところで、急に意識が戻ったみたいで、初めて大声で泣いてしまいました。それから、CTスキャンていうのを撮られたの。その場では特に異常は見当たらなかったみたいだけど、後頭部を強打したときって後になって出血することがあるから注意が必要だって。でもいまはすっかり元気になって、今日も朝から何度も転んで頭を打ってるんだけど、なんともないみたい。むしろ、もの覚えが良くなったみたいで、突然「ありがとう」のお辞儀とか、「はい」とか「うん」とかの受け答えができるようになったの。へんな感じ。ところで、さいきん図書館で借りた「のうさいぼう」っていう絵本が気に入っていて、よく読んでます。じゃ。
2007年08月11日
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うちの会社も一応個人情報を扱うことが日常茶飯事である業界の一員ということで、『プライバシーマーク(通称Pマーク)』というものを2年前から取得している。その資格更新のための社内監査が近々あるので、各自の机上や足元や書類棚やPC周りなどに余計な個人情報が露出していないように、「監査が入る前に徹底的に片付けよ」という上からのお達しが来た。日頃から身の回りの整理整頓がキチンとできているヒトは何ら問題ないのだが、そうでないヒトはもうどうしようもない状態で、日々あちこちで書類の雪崩れが起きたりしているから大変である。職場の先輩と昼飯を食いながら、社内監査の話の流れで「整理整頓」の話題になった。先輩曰く、「Pマークのために整理整頓せよっていっても、取り繕うだけだしやる気出ないんだよね」と。そこで「じゃ、監査の話は置いといて、普段の整理整頓って何のためにするんだと思います?」とワタシが聞くと、「散らかってるから・・・じゃないの?」と、質問の意図がイマイチわからない様子の先輩。そこから、世間ではほとんど問題にされることもない「整理整頓の目的」というテーマについての話になった。ワタシの思う「整理整頓」とは以下のようなことである。整理整頓は、「散らかってるから片付ける」というのはもちろんその通りなのだが、もう一歩踏み込んで「じゃあ、散らかってるから片付けるのは、何のためか」。整理整頓をするという行為は、その先の目的が必ずセットになっている。例えば過去に貰った名刺や、机上に積み上げた資料や企画書などを整理しようとするとき、「要るか要らないか」「どんなカテゴリーで整理するか」等々の判断は、無意識であったとしても、その先に自分がやろうとしていることの延長線上にすべてつながっている。つまり、仕事に関する物を整理するということは、この先やるであろう仕事の方向性を自分で決めていく作業である。これが自宅の片付けでも、話はまったく同じである。散らかった本やCDや服や家具を、片付けたり捨てたりインデックスを付けたりするというのは、そこから先に自分がどういう趣味や暮らし方をするかを決めていく行為そのものである。ではさらに、「じゃあ、いま整理整頓している仕事や趣味や暮らしのもろもろは、一体何のためにやっているのか?」というと、究極的には「この先自分がどんな風に生きていくのか」ということに、そのままつながっている。つまり、いま机の上の要らない資料を何の気なしに捨てたり保管したりしている作業は、そのままそのヒトの今後の生き方にまでつながっていたりするということである。だから、誰もが単なる面倒くさい雑務としか思っていない日頃の「整理整頓」の作業というのは、なかなか侮れない行為なのである。本日も明け方泥酔帰宅してここまで書いたまま寝てしまったが、いま読み返すと極めてあたりまえすぎてつまらんこと書いてるなぁワシ。けどそれはいつものことなので、まぁいいか。
2007年08月10日
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実は、高校生以来の極悪仲間でありブログでは毎晩のようにたわごとを書き込み合う間柄ではありながら、直接会うことはいまや2年に一回ぐらいしかないトイモイ氏と久しぶりに密会を果たした。ブログ界の隠れ2大アイドルという豪華キャストの揃い踏みなのだが、意外なことにマスコミおよび周囲の知人および家族の関心は皆無である。待ち合わせ時間に少し遅れて、先週いったばかりのベルギービールの店に入ると、先に到着していたトイモイ氏は100種類のビールメニューを端から端まで既に46回読み終えたところであった。たいそう賑わっている店内の喧騒の中で「どもども」と声をかけると、47回目のメニュー熟読でアルコール度数の相当高いビールだけを選別しようとしていたトイモイ氏は、激しく我に返って取り繕ったように紳士的に微笑む表情に、健常者の皮をかぶったアシッド仙人の片鱗をワタシは見逃さなかった。ここはやはり本場ベルギービールの応酬を繰り返すしかない中で、すばやく酔いを深めながらお互いのこの夏の極秘プロジェクトを暴露しあったのだが、我々は守秘義務契約を交わしているので、ここでは一切公にできないのが残念である。さらに、トイモイブログふぁんなら思わず身を乗り出してしまう、トイモイブログにまつわる、極めて重大な知られざる秘密を初めて聞いてしまい、20年来の親友でも知らされていなかった驚愕の事実に、ショックのあまり椅子から転げ落ちそうになった。トイモイふぁんなら身をよじって知りたくなる事実であることは必至なのだが、ここは守秘義務契約を交わしているので、やはり公にできないのが本当に残念である。ベルギービールを20杯飲んで卒業した我々は、すばやく徒歩2分圏内にあるスペイン風バルに移動し、カウンターの隅を陣取って引き続きサングリアやビールを飲み続けるのであった。そういえば、トイモイ氏の職業にまつわる驚愕の事実も初めて聞かされたのであったが、そこはほれ守秘義務契約なのでやはり何もここでは語れないのであった。しかし本当のことを言うと、驚いたふりだけしていたが、実のところ泥酔していてよく憶えていないというのが真実である。
2007年08月08日
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週末の家庭平和のために、やかましいムスメ1号・2号を連れ出して図書館に行った。ここのところ毎週土曜日は図書館に行くのが恒例になっている。しかしワタシは図書館でタダで借りた本というのは、余裕をかまして結局いつまでも読まない体質なので、いつも借りるのはムスメたちの本だけである。ムスメ1号も、毎回図書館に行くのを楽しみにしているのだが、実は本を借りるのが楽しみなのではない。ムスメの目的は「本の検索」なのだ。我が家では、ムスメには勝手にPCに触らせないようにしているので、図書の検索でもなんでもいいから、とにかく端末をいじりたくてしょうがないだけなのである。フロアの隅に蔵書検索用の端末が並んでいて、タッチパネルの画面で著者の名前や作品名を入力し、検索結果を印刷するというのを、何が楽しいのか図書館にいる間中、延々とやっている。自分の借りる本選びはワタシにまかせっきりで。この日は「おばけ」のキーワードで検索しまくっていて、タイトルに「おばけ」の付く本(数百件)を片っ端から調べていたが、時々様子を見に行くと、そのうち今度は作者の名前のところにも「おばけ」を入力しているようで、これが出てこないので画面をバンバン叩いたりしていた。おいおい壊すな壊すな。おばけは本書いてないのだよ。
2007年08月04日
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アレの話である。アレというのはもちろん、こう暑くなってくるとビールの話である。昨今、店に入るなり「とりあえず生!」などと乱暴なオーダーをする輩が夏になると特に目に付くのだが、それはどうなんですか。ワタシの拙い経験から言うと、生ビールがキチンと旨い店というのは必ずしも多くは無い。なんというか、貯蔵タンクのサビ臭さがキツかったり、注ぎ方が上手くなかったりして、ともかく生ビールが旨くないことは往々にしてあるからである。その点、瓶ビールは間違いがない。いつでもどこで開けても、いつもの瓶ビールのクオリティである。あと、TPO的な問題もある。たまに寿司を食べに行った時などは「生を大ジョッキで!」というよりは「瓶ビールでお願いしますコホン」という方が気分だったりもする。実を言うと、ベルギーに行った事は人生でたったの2度しかないのだが、その2度はほんの2ヶ月の間にで2度であった。実を言うと、ベルギーに行った事は2度しかないが、ベルギービール専門店に行ったことはほんの20回ぐらいはあるのである。ベルギービールのお店には生ビールもあるのだが、その他大勢は圧倒的に瓶ビールであり、なおかつ高い!アホかと思うぐらい高い。だって瓶ビール一本1,500円とかするんですぜ。アホかと。しかしだんだん何を言いたいのかよくわからないまま生でだらだらいきそうなので本日はこれで終わりである。心斎橋ワタルふぁんの皆さんすまぬすます。
2007年08月03日
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先日あるヒトから勧められて、桐野夏生の小説『グロテスク』を読んでみた。これは、ちょうど10年前に渋谷で起こり、当時かなり週刊誌などで話題にもなったいわゆる「東電OL殺人事件」をモチーフにした小説だが、読んでみるとこの物語は単に事件をトレースし脚色しただけのものではなかった。⇒「東電OL殺人事件」について確認してみるこの小説は主に、かつて同じ女子校に在籍していた4人のオンナの物語が、ずるずるに絡み合って構成されている。「ユリコ」は、スイス人の父親と日本人の母親から生まれたハーフで、特に父親の遺伝子の良い所を最大限に受け継いだ絶世の美貌を持ち、幼い頃から周囲の女性たちをその美貌で圧倒しながら、一方で男どもを手玉に取り、生まれ付いてのセックス好きが高じて本物の売春婦となり、若い頃は高級娼婦だったものの中年になってからは安物娼婦に見を落とし、最後は路上の街娼として知り合った客の中国人に、望みどおりに殺される。「わたし」は、この物語の語り部としての存在であり、ユリコの姉である。ユリコと同じ両親に生まれたハーフでありながら、不細工な母親の良くない所を最大限に受け継いだ冴えない風貌の女で、ユリコの完璧すぎる美貌に生理的な嫌悪感を抱きつつも女としての劣等感を抱え、頭の良さと性格の悪さで妹を跳ね付けて別の生き方を目指すが、やがてすべてにやる気をなくし、周囲の人間に毒を吐きながらひたすら孤独で地味に年をとっていく。「ミツル」は、常に進学校でトップの成績を修めながらも常に余裕を漂わせる圧倒的な優等生で、「わたし」にとって唯一の親しかった友人。高校卒業後は宣言どおり東大医学部に現役合格し、順調にエリート医師になったものの、その後結婚した夫とともに新興宗教に入信し、殺人事件の実行犯として逮捕され夫とともに服役する。出所後、「ユリコ」の事件の公判で「わたし」と再会する。「佐藤和江」は、死ぬほど勉強して他の3人と同じ女子校に入り、入学後も自分の存在をアピールするために必死で勉強や運動で努力をするが、何をやっても周囲からは滑稽に見られ無視されるだけの哀れな存在。大学卒業後は父親のコネで大企業に就職し管理職にまで進むが、社内では何も評価されず完全に周囲から浮いた状態。父親が早死にした後、精神のバランスが崩れ出し、平日の夜と週末に売春クラブで働くようになる。売春で金を稼ぐことに猛烈な生き甲斐を感じるとともに会社での奇行は激しくなる一方。ついに精神状態も完全に破綻をきたし、最後は「ユリコ」と同様に売春相手の客に殺される。彼女のキャラクターについては、東電OLの実態をほぼ忠実に再現した設定になっている。「わたし」も「ミツル」も「佐藤和江」も、みんなかつての「ユリコ」の強烈な美貌にどうしようもない無力感を抱き、それを何か別の方法で対抗しようとしたり存在を否定しようとしながらも、心の底では一生「ユリコ」に屈服する意識にがんじがらめになりながら、オンナとしての生き方を踏み外していく。そして、周囲からは怪物よばわりされながらも、最後まで世間の何者からも一番自由な魂だったのが「ユリコ」である。男のワタシの見方が当たっているのかどうか知らないが、結局作者が言いたかったのは「オンナの心の世界では、圧倒的な美貌の前には、あらゆる努力や才能や育ちなどは無価値である」ということなのだろう。それにしてもこの小説、最初から最後まで、彼女たちの「恨み、妬み、嫉み、怒り、嘲り、罵り」などなど、人間の思いつく限りを尽くしたドス黒い悪意のエネルギーに満ち溢れていて、読み終えた時にはホントにどっと疲れが出た。相当ボリュームもあるし。読み始めた最初の方は、「おいおい、こんなオンナのイヤらしい愚痴と悪口の世界につき合わされるんかい」と辟易しかけていたのだが、途中からは「よくまぁこれだけ罵詈雑言の物語が作れるなぁ」と呆れながらも感心しはじめ、最後はちょっと稀に見る鬼畜的世界観に呑まれた感じである。まぁすごいわ。しかしこれを勧めてくれたヒトの気持ち、わかるなぁ。だってこれ読んだあとのなんとも言えない読後感を、自分ひとりで抱えていたくないもんなぁ。 誰か読みませんか。
2007年08月01日
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