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堀江元社長逮捕の直前から、うちの会社でもライブドア関連の広告セールスの扱いについて注意を促す通達が流れたが、当然のごとく逮捕の直後にはライブドアのポータルサイト上の広告主は一斉に撤退した様子である。なぜかシブとく残っているのは、どうやら某美容整形の会社1社のみで、あとは自社関連広告だけが寂しく繰り返し表示されてる。それにしても、堀江元社長本人が運営していた自社ポータルサイト上のトップ画面で、自分自身の逮捕のニュース速報が顔写真とともに続々と掲示され、また自社の株価が刻一刻とつるべ落としに下落するさまが淡々とチャートで表示(※)されていくという、ある意味極めて“IT業界的” なパラドックスは、なんとも言いようのない皮肉な結末であると同時に、まるでフィリップKディックのSFの世界の出来事を観ているような少々薄ら寒い錯覚にとらわれる。※現在、株価情報の表示位置は「4コママンガ」に差し替えられている。しかもこれが意外と面白い。特にスージー甘金がお薦め。(笑)
2006年01月25日
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「大根ステーキ 明太子ガーリックソース」みなさん今晩は。きまぐれ心斎箸の、いきあたりばったりクッキングの時間です。今日のメニューは、寒さの厳しいこの時期、晩ご飯のひと皿としても、またお酒のアテにもベストマッチなこの一品、「大根ステーキ 明太子ガーリックソース」でございます。たまたまネットで全然別のことを調べていたら、偶然レシピを見つけて旨そうだなぁと思って読んでいるうちに、もともと何を調べていたのかをスッカリ忘れてしまい、ちょうど他にすることもなくなったので、急遽本日のメニューとして自作自演することになったワケでございます。では、材料とつくり方を。材料:2~3人分大根・・・・・・・・・・・・・・・約12cm水・・・・・・・・・・・・・・・・・200ccめんつゆ・・・・・・・・・・・約50cc●ガーリックバターソースバター・・・・・・・・・・・・・大さじ1ニンニクスライス・・・適量明太子・・・・・・・・・・・・・大さじ2あさつき・・・・・・・・・・・適量つくり方■その1皮をむいた大根は2cmの厚さの輪切りにする。耐熱容器に、水、めんつゆ、大根を入れラップを落とし蓋がわりに、液面にぴったりと張り付けるようにのせ、さらにラップをかけて10分加熱。まんべんなく味を染み込ませるために、5分たったら一度取り出して表裏を返す。■その2大根を調理している間に明太子の下ごしらえを。明太子は薄皮から出して、あさつきは小口切りにしておく。フライパンにバター、ニンニクを入れて炒め、香りが立ってきたら大根を入れて両面を焼き、皿に取り出す。■その3大根を焼いたあとのフライパンに明太子を入れ、電子レンジにかけた煮汁50ccと片栗粉小さじ1/4を混ぜて加える。軽く熱を通しながら、全体を混ぜてとろみを付ける。皿に盛りつけ、明太子ソースをかけて、最後にあさつきを散らす。所要時間:20分感想:明太子とガーリックバターの風味が絶妙でかなり魅惑的な香りが鼻腔を魅了します。味もなかなか良かったのですが、大根をめんつゆに浸しすぎて少々ぶよぶよになってしまいました。もう少し早めにめんつゆから上げておけば、歯ざわりのシャキシャキ感が出せて良かったと思われます。(おわり)
2006年01月22日
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「イカのおすし」をご存知だろうか。といっても、あの白透明のイカの刺身がシャリの上に横たわった寿司のメニューのひとつではない。小さいお子さんをお持ちの方ならすでにお分かりだろうが、昨年から警視庁生活安全部が提唱していて、小学校などでも既にプリントが配布されたりしている子供向けの「犯罪防止標語」のことである。ご存じない方のために一応説明すると、「イカのおすし」とは―イカ…知らない人についてイカないの…知らない人の車にのらないお…おおごえをだしてす…すぐにげてし…しらせようというのが「イカのおすし」である。幼児犯罪の多発する昨今、被害のニュースを見聞きするたびに他人事ではないなぁと思っていたところ、この標語はなかなか語呂も良くて、日頃から警察の作る交通標語などはまったくレベルが低くてロクでもねえなぁと思っていたワタシとしても珍しくこれはちょっと気に入っていて、ムスメにも「イカのおすし、わかったか!」と復唱させたりしてるのであった。このことでふと思ったのだが、幼児犯罪もさることながら、近頃は当然ながらオトナだっていつ何時犯罪に巻き込まれるかもしれない物騒な世の中である。で、警視庁にも大阪府警にも頼まれたワケではないが、日頃仕事では自称花形プランナーを標榜しているワタクシが、ここはいっちょう社会貢献の一環として、オトナのための犯罪防止標語を無償で開発することにした。つまりオトナが犯罪に巻き込まれないための心がけとして、ぜひ提唱したいスローガンである。こちらは、「イカのおすし」に対抗してちょっとばかしオトナっぽく、名づけて「トロのにぎり」である。「トロのにぎり」とは―トロ…道をトロトロ歩かない (やっぱ、日頃から気を抜いたり油断してちゃイカンでしょう)の…のんだくれない (特にベロンベロンの泥酔時には気をつけよう)に…にくまれずに (なるべく周囲に敵を作らないことも大切ですな)ぎ…ぎゃふんといわせて (しかし、ナメられてもいけないよ)り…りけん(利権)を持たない (結局、失うものがなければ、万事OKだ)という感じで、いやー我ながら秀逸やなぁと感動してたんだけど、どう?ダメ? ちなみに、「イカのおすし」は歌や振り付けまで出ているようですな。誰かワシの「トロのにぎり」にも振り付け考えてくれないかなぁ。
2006年01月21日
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友人である郡山ハルジさんの今日の日記は、たまたま過去のワタシの日記の題材をテーマに書かれた内容であった。「10年後のビジョン」についての話なのだが、ハルジさんの場合、“ちなみに今年40歳になるオイラの10年後ビジョンはやっぱり相変わらず「あの世」だ。”ということだった。これを読んで思ったのは、我々もそろそろ自分の「生き様」だけでなくて、「死に様」を考える年齢に踏み込んできているのだろうなぁということであった。そこでふと思い出したのが、山田風太郎の名著『人間臨終図巻』である。これはワタシの本棚の中でも大事な本ランキングのかなり上位に入る宝物のような本で、一時期、会う人みんなに「読め読めよめよめ」とめったやたらと薦めていた覚えがあるぐらい偏愛している本のひとつである。この本は分厚いハードカバーの上下巻で(今は文庫版もあるようだが)、その中に15歳~121歳まで総勢なんと924人、古今東西、世界中の英雄・政治家・作家・芸術家・芸能人・犯罪者などの様々な面々が、「人生の最期をどのように死んでいったか」を紹介する極めて悪趣味かつ高尚な一大交響楽なのである。この本の素晴らしいところは、とにかく取り上げている人選がこれでもかというぐらい多岐に渡って充実しており、しかも「○○歳で死んだ人々」という具合に年齢1歳きざみごとに紹介されているため、年齢順に沿って読むのも良いし、或いは「自分の今現在と同じ年齢で死んだ人はいったいどんな死に方だったのか?」というような読み方も相当興味をそそる。また、人名索引で自分の興味のある人から読むのも面白い。ワタシは、実は山田風太郎の書物というのはこれ以外読んだことがないのだが、淡々としながらも強烈なウィットに富んだ人物描写と解説もさることながら、なによりこの出版企画そのものの発想に絶大なる敬意を表したいと思う。さて、そんな内容の本書の中で、ワタシが最も感動した死に様がこのヒト、91歳で亡くなった「武者小路実篤」の最期である。以下、感動の原文をそのまま転記します。 ワタシは、このようになって、死んでいきたい。― 以下原文 ―武者小路実篤(1885-1976)昭和四十九年、八十九歳の武者小路実篤はPR誌「うえの」七月号に、ゴッホの自画像について次のような文章を書いた。「彼はその絵を書いた時、もう半分気がへんになっていたろうと思う程神経質な顔になっていたように神経質な顔をして、この顔を見ればもう生きていられないような、神経質な顔をしていた。僕はこれでは生きていられないと思った。実に神経質な顔をしていて、もう生きていられない程神経質な顔をしていた」(中略)翌五十年、九十歳の彼は、同じく「うえの」の五月号に次のような文章を書いた。「僕は人間に生まれ、いろいろの生き方をしたが、皆いろいろの生き方をし、皆てんでんにこの世を生きたものだ。自分がこの世に生きたことは、人によって実にいろいろだが、人間には実にいい人、面白い人、面白くない人がいる。人間にはいろいろの人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。しかし人間には立派に生きた人もいるが、中々生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。この世には立派に生きた人、立派に生きられなかった人がいる。皆立派に生きてもらいたい。皆立派に生きて、この世に立派に生きられる人は、立派に生きられるだけ生きてもらいたく思う。皆、人間らしく立派に生きてもらいたい」脳髄解体。―正宗白鳥と武者小路実篤は、前者は厭世主義の、後者は楽天主義の、同じレコードを一生まわし続けた人であった。それでいて双方とも、読む者を飽かしめなかったのは、それがホンモノであったからだ。が、さしもの楽天主義の歌も、これでは一回転ごとに針がもとにもどるレコードと化した感がある。昭和五十年暮、夫人がガンで入院した。彼は妻のいない朝食のテーブルで箸を持ったまま、母親を失った子供のように涙ぐんでいた。翌五十一年一月二十五日、妻の見舞いに病院へ行ったが、その後倒れた。脳出血であった。妻は二月に入って死んだ。だれもそのことを知らせなかったのに、実篤は以来食事をとらなくなり、ものを言わなくなった。そして四月八日夜、娘二人、孫七人に囲まれてこの世を去った。お釈迦様に甘茶をかける潅仏会の日。
2006年01月20日
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冒頭から我ながらアホみたいなタイトルだが、本日の日記は文字通りそういう話である。自分でもよくわからないのだが、昔から地球とか宇宙とかの画像や映像が好きである。もし宇宙に浮かぶ地球の様子を24時間リアルタイムで放映し続けるTVチャンネルなんかがあれば、たとえ有料でもワタシは間違いなく契約すると思う。昨今、サッカーの映像を流すスポーツバーとか、ゆらゆら漂うクラゲの水槽を売りものにしたクラゲバーなんかが流行りであるが、グルグル廻る美しい地球の大画面映像を神の眼で見ながらグラスを傾ける「宇宙バー」みたいなのがあってもいいのになぁ、なんて本気で思っているが、今のところ一向にそういうものが作られる気配はないようで残念である。そんなワケで、ワタシはプラネタリウムにも時々行くのだが、この前の週末は大阪市立科学館のプラネタリウムに行ってきた。ここは2年前に10億円(じゅうおくえん!)もかけてリニューアルしたそうだが、最新鋭のプラネタリウム投影機とドーム全体にCG映像を映し出すデジタル・スカイビューというシステムで大迫力の宇宙体験ができるというのがウリである。今回も期待して行ったのだが、やはりこれがなかなか凄かった。まぁ前半戦は、比較的おだやかな男性ナレーションによる解説で「さあ 皆さん。こちらが 冬の大三角と呼ばれる シリウス ベテルギウス プロキオン ですね。」なーんて感じで淡々と過ぎていく。ここのシートはリクライニングの幅が大きくて、ほとんど仰向けに近い状態なので寝そべって夜空を見上げる感覚でラクチンである。冬の星座の紹介がひと通り終わると、後半戦は「はるかなる宇宙の探求」というタイトルのCGムービーがスタートするのだが、ここからがエライことになっていく。このCGムービーは、太陽系から銀河の果てまでの宇宙の姿を、惑星探査機や宇宙望遠鏡がとらえた迫力のある映像で紹介するというものだが、なんせ全方位巨大ドーム全体がスクリーンである。しかも、真っ暗闇の宇宙空間に仰向けで浮いているような感覚の中で、ここに実写と精巧なCGを織り交ぜた宇宙空間の映像が繰り広げられるのだが、広大な金星の地表を高所から低地へとバードアイの猛スピードで駆け抜け、土星の輪の中に入り込み氷の塊に激突したかと思えば、目の前で巨大な惑星の衝突が起こり大爆発で木っ端微塵になり、破片が上空から降り注いできたりするのだ。もしもLSDかMMなんかをキメて観に来たりすると、発狂してトンデモないことになるんじゃないかと思う迫力である。この体験が600円は絶対お得。でも小さい子供にはちょっと無理があるなぁ。現に、斜め前の親子連れは、恐怖のあまり子供が絶叫しはじめて、お母さんは途中で子供抱いたまま外に出て行ってしまいました。はースゴかった。 ちなみに宇宙関連でいえば、ちょうど2日ほど前に宇宙航空研究開発機構(JAXA)が主催するシンポジウム『宇宙ビジネスの未来、新たな提言』というのが開催されたのだが、宇宙ビジネスにも熱心で当日の司会をするはずだったライブドアの堀江さんは、なんかちょっと所用があって欠席したらしい。ライブドアも大爆発ですか。
2006年01月19日
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本日は日帰りで東京出張なのだが、京急の羽田空港駅の構内を歩いていると、何やら妙な休憩スペースがあるのでなんじゃいなと思ってよく見ると、それは休憩スペースではなくて、以前日記にも書いた「スターフライヤー航空」の機内を再現したPRスペースであった。 最前列にはキレイなお姉さんが乗客のフリしてすました表情で座っているが、雇われマネキンである。当機自慢のレザーシートであるが、朝から座っているのでエコノミークラス症候群が心配な彼女である。その後ろにはこれまた乗客もどきのおじさんが必死で雑誌を読みふけるフリをしているが、こちらも雇われマネキン2号である。もう同じ雑誌を朝から1万回以上めくっているハズなので、全ページ完全丸暗記できたと思われる。このスターフライヤー航空、つい先日、就航日3/16の航空券の予約販売が始まったが、発着各1番機の予約は5分で完売だったそうだ。ワシが乗ろうと思っていたのに、まったく油断もスキもない。 で、銀座に着いて、打合せ前にちょっと書類のまとめをしようと思いカフェに入ったのだが、まったく昼間っからサボリーマンがこのていたらくである。仕事サボってこんな無防備にオープンスペースでほげほげしていると、こんな風に知らぬ間にブログでバラされたりしてしまうのである。まったく油断もスキもない世の中である。 はたらけ、サボリーマン。
2006年01月18日
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震災の当日は、破壊されて足の踏み場もなくった家の中の原状復帰作業に必死で、瞬く間に過ぎて行った。2日目の夕方頃になって、初めてふと仕事のことを思い出し、ようやく復旧した近所の公衆電話の長い列に並び、会社に電話を入れた。当時の上司は、開口一番「おぉ、心斎橋(仮名)か。みんな心配してたのにオマエ、早う電話ぐらいしてこいよ!」と言った。テレビを見て、被災地の状況が想像できないぐらいアホかこの人は?と思った。さらに「無事か。なら良かった。で、こっちは次のプレゼンの準備で大変なんや。いつ戻ってこれる?」と言われる。あまりの温度差に呆れ、半ば怒りを抑えながら「さぁ、わかりません。目処が立ったらまた連絡します」とだけ言って電話を切った。一方、会社の後輩のH君が大阪から神戸の我が家まで自転車で水や食料を持って訪ねてきてくれたのには驚き、気持ちの中で彼のポイントが15点ほどアップした。我が家を除く周辺の家は、両隣や裏手の家など6軒ほど、外観は無事そうだったのだが実際はすべて全壊。自宅の建物自体は当時まだ築10年も経っていなかったためか壊滅的なダメージは免れたが、問題は地盤であった。もともと自宅の立っているあたりの土地一体は、昭和30年代に山の斜面を切り開いて宅地開発したような場所で、我が家は地震による地盤のズレで斜面の下に向かって1mほどズリ落ちる格好になってしまったのだ。自宅の中はなんとか片付けて寝る場所もできたが、その後何度も大きな余震が続き、いつ家ごとズリ落ちるかと気が気ではなかった。結局、母と妹は遠方に住む長男である兄の家族のところに緊急避難し、自宅には父とワタシと犬だけが残った。昼間は、自衛隊の給水車にポリタンクで水をもらいに行ったり、近所の集会所で配られるカップラーメンやおにぎりの配給を受けたり、ほとんど粗大ゴミと化した家財道具をせっせと処分したりしながら、夜になると、寝ている最中に家が崩れるのが怖かったので父と一緒に近所の学校の校庭にクルマを止めて毎晩その中で仮眠していた。1週間ほどが過ぎ、依然水道は止まったままの不自由な生活だったが、家の片付けはまぁまぁ一段落したため、会社に出ることにした。神戸から、延々と徒歩とバスを乗り継ぎ数時間かけて大阪の梅田に着いたときは、被災地とのあまりのギャップに愕然とした。「普通やんけ」。神戸では当たり前の格好だった首に巻いたマフラー代わりのタオルもリュック姿も、大阪では完全に浮いてしまうほど、梅田はいつもと何ら変わらずキチンとした格好の人々が慌しく行き交っていた。距離にして20キロほどしか離れていない大阪が、こんなに平常通りとは知らず、何か騙されたような、疎外感のような、複雑な気分であった。その後ワタシは父と犬を自宅に残し、大阪に単身赴任で来ていた営業部のM部長のマンションの空き部屋を借りて、2ヶ月ほどの下宿生活を送った。このM部長は、甲子園に出場経験のある名門高校出の元高校球児で、会社の野球部のカントクもしていた超体育会系の髭オヤジであったのだが、ワタシには妙にやさしくしてもらった。毎晩M部長よりも遅く深夜に帰宅するワタシに、「手ごねハンバーグ」を作って待ってくれていたり、風呂の支度やパンツの洗濯、ワイシャツのアイロンがけまでまことに甲斐甲斐しくやってくれるので、感謝しつつもいつか男同士の危険な雰囲気になりはしないかと、被災地生活とはまた違った意味で緊張感のある日々であった。あれから10年。崩れかけた地盤を埋めて固める結構大がかりな工事を経て神戸の実家は住める状態になったが、今でも家は少し傾いたままで、ビー玉などは良く転がる。家財や趣味の食器類などをほとんど失い、「もうモノは一切いらない」と宣言していた母だったが、今、実家には震災前よりもモノで溢れて収納場所に困っている。犬のタローは震災の翌年、一気に足腰が弱って死んでしまった。犬の散歩が唯一の趣味だった父は定年退職後することがなくなり、すっかり足腰が弱ってしまった。たまに神戸の実家に帰っても、さすがにもう普段は震災当時の想い出話をすることもないが、1月17日が来るとついあの日撮ったビデオを見たりして、おさらいをしてしまうワタシである。
2006年01月17日
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震災前日1995年1月16日。世の中的には成人の日の振替休日であったが、社会人として若手のペーペーであったワタシは、この日も目前に迫った大型コンペのプレゼン準備の打ち合せと企画書作成のため、朝から深夜まで大阪のオフィスで休日勤務をこなし、タクシーで神戸市東灘区の自宅に帰宅したのは明けて17日の早朝午前2時半頃であった。まさに疲労困憊。缶ビールを2本ほど飲んでシャワーをし、床に就いたのが4時半。翌日はまた午前中からミーティングの予定が決まっていたこともあって、あまりの疲労から、心ならずも意識の底で「あぁ、明日突然大雪でも降って世の中が全面ストップでもしないかなァ」なんてことを不謹慎ながらも半ば本気で夢想しながらワタシは眠りに落ちて行ったのだった。夢か現(うつつ)か、「ゴゴゴゴゴ」というこの世のものとは到底思えない地鳴りのような激しい地響きが寝入りばなの混濁したワタシの意識の中を掻き混ぜる。直後、天を突き上げるような激しい衝撃。アルコールによる軽い酩酊感と極度の疲労からくる深い眠りを突然断ち切る強烈なショックを体に感じながらも、身体は翻弄されるままなすすべもなかった。なんだかわからないが「世界の終わりが来たんだな」との思いが瞬時に脳裏をよぎる。自室で寝ていたワタシの頭部をかすめて大型のラジカセが落下、続いて枕元にそびえる本棚やCD棚ラックから大量の書籍やCDがザルをぶちまけたように一気に体の上に落ちてくるのを感じながら、辛うじて反射的に布団で頭部を守ることだけには体が反応する。随分長い時間に思えたが、しばらくして強烈な縦揺れはようやく収まった。ワタシを含め、自宅にいた両親と妹の計4人の家族は全員2階にある自室で寝ていたのだが、1階にあるダイニングルームでは、家具や食器類がけたたましい音をあげてへし折れ、砕け散り破壊されている様子がまだしばらく鳴り響く。その音もやがて静かになった頃、ようやくワタシは自分の体に覆い被さる本棚やCDなどをかき分けて、起き上がる。外はまだ暗い。明らかに自宅の床が斜めに傾いているのが判る。廊下に出ようとしたが、ドアの立て付けが狂っていて開かず、足で思い切り蹴破って出る。隣室の両親の部屋を覗き声をかけると無事のようだ。反対隣の部屋にいる妹もとりあえず無事のようだった。階段で1階に降りダイニングルームの扉を開けると、ダイニングボードやキュリオケースおよび母親の趣味で異常なまでに収集されていた食器類などなどが無残極まりない状態で部屋中を折り重なり埋め尽くし、木材や陶器やガラスの破片が木っ端微塵となり、とても部屋に入れる状況ではなかった。玄関から外に出ようとすると、家が傾いているようで今度は玄関のドアが開かない。再び蹴りまくってようやく開け、外に出る。吐く息が白い。自宅前の道路は異様な形に大きく波打ち、さらに約100メートルに渡って幅10センチほどの亀裂が走り、その亀裂を境に上下に5センチほどの段差が出来ている。ただ、近所の家々を見ると倒壊した様子はなく見た目の被害としてはさほど感じられなかった。庭に廻り、飼い犬の駄犬タローを見ると、普段はちょっとのことで唸り声をあげて吼えまくるくせに、この時に限っては不思議なほど何も声を出さず、ただ立ってじっとこちらを見ているだけだった。家の中に戻ると、今後何かと必要になるのではと思い、ひとまずビデオカメラを持って家中の被災状況を撮影した。テレビをつけると、この時点ではまだ電気は通じており、NHKで「棚の上からモノが落ちてきてケガをしたヒトが1名」などと(ンなワケないやろと)いう冗談のような軽い被害の速報を繰り返し伝えていた。そうこうしているうちに外が明るくなってきたので、どうみてもこれは長期戦になるに違いないと思ったワタシは、当面の食料とクルマのガソリンを確保しようと、早朝の街にクルマを走らせ出て行った。ワタシの自宅は阪神間でも「山の手」というよりもかなり「山の上」に近い高さのところにあるのだが、クルマで下界に下りて行くにつれ、街の状況がやはりただごとではないことに徐々に気付き始めるのであった。(つづく)
2006年01月16日
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休日というのに朝から雨が降っていた。ムスメを連れて、若いパティシエの夫婦がやっているというカフェに行った。クルマで近所まで行き、歩きながら探すとゴチャっとした雑居ビルの2階に上がる看板があった。どうだかなぁと一瞬階段を上がるのを躊躇したが、せっかく来たので入ってみた。店内は外観からの予想に反して、妙にほっこりした居心地の良さげな空間であった。窓際のソファの席に案内されたのだが、ほどよくお客で埋まった他の席からは、静か過ぎずうるさ過ぎず人々の話し声が漏れ聞こえ、頭上ではボサノバがけだるい音で流れている。ソファの横のストーブが暖かい。窓の外は雨。雨の日にこんな空間で、ぼさーっと半日お茶飲みながら読書に耽るなんてのも極上の休日プランである。唯一のマイナスは、雑居ビルの薄い壁の向こうから、どこかのオヤジの気色悪いか細い声の演歌が、ハアァ~と聞こえてくることである。
2006年01月14日
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今年の初ワインは、白の最高峰「モンラッシェ」であった。めでたい。しかし、高くてウマイのは当然である。安くてコストパフォーマンスの高いワインを探すことを使命とするワタシにとっては、たぶんこれが今年最初で最後の高級ワインであろう。最高です。が、寿司に合わせるのは、ちょっと難しいですなぁ。
2006年01月11日
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前日に引き続き、家にムスメもいないので昼前から買物に出かけ、ランチも外食。夙川にある、ひそかに口コミで評判のそば屋に行く。昼過ぎの店内は誰もいない。なぜか、入った店で他の客が誰もいないというケースがやたら多いのが気になるが、ひとまず「鴨汁そば」と「ゆずそば」というのをオーダー。待っている間に店内を眺めると、余計な装飾を排し、なんとなく学校の教室を思わせるストイックな内装。シンプルで小ギレイだが、照明がついていなくて自然光の明かりだけなので、うす暗くて寒い。ところが、出て来たそばが、噂にたがわず美味くてビックリ。そばの風味も良く、麺のコシも絶妙で、これは噂どおりなかなかレベルが高い。自宅からはちょっと距離があるが、またぜひ来たいと思わせる名店である。「鴨汁」。旨みたっぷりのだし汁の中に大ぶりの鴨とネギがゴロゴロ。「ゆずそば」。そばの上を埋め尽くすゆずの酸味がかなり利いていて、これまた最高。クセになりそうな味わい。
2006年01月09日
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本日ムスメは、妻の実家へ初めてひとりでお泊りに。その間に、夫婦だけで梅田に買物と食事に出かける。エスニックなものを、という妻の希望に答えてベトナム料理を食べに行った。店の雰囲気はいい感じなのだが、客は誰もいない。故に、調理場は我々専属シェフとなり、オーダーがすごいスピードで通って運ばれるので箸を休めるヒマがない。肝心の料理の味は、なんつうか、全体的に油っぽくて重いというか、とにかくイマイチであった。でた、カエルの唐揚げ?その後、気分を変えて小洒落たシャンパン&シガーBARというのに行った。シャンパンもシガーも注文せず、「ボウモア+オリジナル生チョコ」という大人向けのスウィーツのセットみたいなのがあったのでこれを頼む。オリジナルの生チョコは、ラフロイグを練りこんであるという。むむむこれは良い。あまり大きな声では言えないが、ワタシはかれこれ15年ほど前から重度の「チョコレート中毒」なのである。
2006年01月08日
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書店でたまたま目につき少し立ち読みしたところ、面白そうだったのでそのまま買って帰ったのが『プロフェッショナル広報戦略』。タイトルから想像すれば、組織の広報戦略構築の理論が、最近流行りのMBA本的にまとめられたビジネス書かと思えるが、そういうのを期待して読む人には期待外れの本である。が、ワタシにとっては意外に結構面白かった。以前からちょっと気になっていたことがあって、この本を読んで「やっぱりなー」と大いに納得したからである。 著者である世耕弘成(せこう ひろしげ)さんは、元NTTの広報部門出身で、会社から米国留学して広報理論を科学的かつ体系的に学んだ上で、帰国後はその経験を広報の現場での実践に活用し、かつてリクルート事件の際にもNTTとしての広報対応の責任者として手腕をふるったヒトである。それが後にひょんなことから政界へと転身。この前の衆議院選挙では、自民党広報改革プロジェクトのリーダーとして自身の広報戦略ノウハウを持ち込み、結果として小泉自民党に歴史的大勝をもたらした陰の立役者と言われている。 この本は、それらを世耕さんがどんな風にしてやってきたかということを、自分の足跡とともに紹介するような構成になっているのだが、ワタシが「やっぱりそうかー」と思って面白く読んだのは、その中で日本政府を筆頭に各政党や官庁のこれまでの広報体制というものがいかにお粗末なモノであったか、ということが赤裸々に暴露されている点である。例えば元総理の森さんなんかは任期中の失言に次ぐ失言で無茶苦茶だったが、あれなんかはマジで笑ってる場合ではなくて、我が国には、国のトップが失言を繰り返したせいで諸外国から馬鹿にされようが株価が暴落しようが、当時はそのことを国家の危機として制御するシステムも体制も、「実は何ーんにもありませんでした」という恐ろしい事実。反対に、積極的に首相や政府をPRする機能も何もないし。一方、小泉さんなんかは、どこまで計算だか天然なんだか知らないが、そう簡単に窮地に追い込まれたりしないところを見ても思うが、やはりある意味「コミュニケーションの天才」なのだそうだ。けど、そういう個人技に頼ってこの先進んで行くわけにもいかないし、いずれにしても今後この世耕さんを中心にした政府の広報改革というのが健全に発展することを祈りたいものである。まぁ世耕さんのやってらっしゃること自体を読むと、セオリー通りというか非常にオーソドックスな戦略という感じだが、選挙戦を通じての広報体制作りの過程や民主党対策の動きなど、なかなか現状の周囲の意識を変えることの苦労などもよく分かって、政府の内情暴露本としては結構お薦めです。それにしても、名作「24」でのデヴィッド・パーマー政権なんかは、才能あるトップと充実した広報システムとがベストマッチの盤石な体制で、ある種、組織の戦略的広報体制としても理想系ですなぁ。
2006年01月07日
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ふだんは南国ビーチリゾート大好き人間を標榜しているワタシだが、実を言うと海は大嫌いだ。怖い。どちらかというと水泳は得意な方だったりするが、海の怖さというのはそういう問題ではない。かつて少年時代に日本海に面した町に住んでいた頃、自宅から海岸までは自転車でほんの10分もかからない距離で、夏場には毎日のように海辺で遊んでいたものだが、季節が冬になると、夜中寝ている枕もとまでゴゴゴゴゴと地の底から響くような「海鳴り」が聞こえてきて、真っ暗闇の真っ黒い海のうねりの中に引き込まれていくような恐怖を想像しながら、子供心に「海って怖いなぁ」と密かに震えていたものであった。※ちなみにワタシが遊んでいたのと同時期、「横田めぐみさん」がいなくなったのも同じ海岸であった。そんなワタシが怖いものみたさで観たのが、映画『オープンウォーター』である。昨日の日記に続く「実話再現もの」で、これは、1998年にオーストラリアのポートダグラスで実際に起こったダイビングにまつわる事故をモチーフにした作品である。ボートのスタッフのミスで沖合いに置き去りに去れた夫婦がそのまま行方不明となってしまった事故なのだが、映画ではその夫婦がその後、海上でどのような状況に見舞われたかということを想像で映像化したものであり、正確には「実話」ではなくてひとつのシミュレーションの提示である。感想がどうか言うと、まずとにかく「気持ち悪い」。映画の大半が海上で漂流しているシーンなのでゆらりゆらりと画面が揺れまくりで、まるで船酔いの感覚だ。で、作品全体のデキはどうかと言うと、テーマの選び方としては思わず手を伸ばしたくなる設定でつかみはOKなのだが、その後の夫婦が行方不明状態に至るまでのシミュレーションがはっきり言ってイマイチである。遭難後の展開は誰も知らないワケだからフィクションならフィクションとして、想像の部分はいっそ思い切って作品を面白くするためにヒネリようがいろいろあったと思うのだが、どうも中途半端に「実話」を意識させようとしたためか話の展開が陳腐すぎてダメである。結局、海で怖いのは「サメが襲ってくるから」というだけの話に見えてしまうのが残念。ま、多少評価するとすれば「やっぱり海って気色わりぃなぁ」と漠然とした恐怖を再認識する意味では、なかなか健闘している作品である。360度見渡す限り上下にうねる海しか見えない中にただポツンと浮いている自分を想像するだけで発狂ものである。映画の中で「今足に何か触った!」とか言うシーンがあるのだが、これなんかは底の見えない海の気色悪さを良く醸し出している。あー怖い怖い。てなわけで、まぁこの映画はどちらかと言うと、海の気色悪さと船酔い感覚を共有したい方だけどうぞ。◎15日まで「掲示板」書き込みキャンペーン実施中。
2006年01月06日
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うあー、これはやられた面白かった。何がってアナタ、年始早々観た映画DVD『運命を分けたザイル(TOUCHING THE VOID)』ですよ。新年早くも今年観た映画DVDの私的ベストワン候補である。「雪山遭難」系で「実話にもとづく作品」とのことだったので、同じアンデス山中を舞台にした映画『生きてこそ(ALIVE)』(雪山に飛行機墜落遭難&カニバリズムというテーマでこれもまあまあ良かったが)をすぐに連想したが、結論から言うと、今回の作品はそれを大きく凌ぐ秀逸さ。というか、テーマは似ているが見せ方はまったく別モノのアプローチである。1985年、英国の登山家ジョー・シンプソン(当時25才)とサイモン・イェーツ(当時21才)は、ペルーのアンデス山脈にあるシウラ・グランデ峰(6,356m)に挑む。重装備を持たずに一気に山頂を攻め登る「アルペンスタイル」(カッコイイ!)で、垂直にそびえ立つ前人未到の西壁ルートからの登頂に成功したが、体感温度マイナス60度という極寒と悪天候の中、帰途にジョーが足を骨折する致命的ダメージを負う。さらにサイモンとザイルを結んだままジョーは断崖から滑落し宙吊りになってしまう。宙吊りのジョーの遥か下には巨大なクレバスが口を開けている。長いザイルの両端でお互いの姿が確認できない状態のまま膠着状態となり、上にいたサイモンは限界ギリギリの苦渋の決断で二人を結んでいたザイルを切る。ここが焦点ではないのでネタバレするが、クレバスの奥底に転落したジョーは偶然生きており、ここからさらに過酷な状況の中を超人的な意志で奇跡の生還に向かう、というお話である。この作品の良かったポイントをいくつか挙げると、まず、特撮・CGなしで現地ロケをふんだんに取り入れた迫力あるアンデスの映像美が圧倒的に素晴らしい。アンデス上空からの空撮風景は圧巻だし、高所での凄まじい吹雪の迫力、実際にクレバスに潜って撮った映像などを体感するだけでも十分に観る価値あり。我が家の37インチでもかなり満足できたが、それでも映画館で観なかったことが悔やまれる。ふたつめのポイントは作品の構成なのだが、観るまでは基本的にドラマ仕立ての演出で進行するのかと思っていたら、意外にも主人公の本人たち自身が出演しカメラの前で当時を語るインタビュー形式と、限りなくリアルな再現映像を織り交ぜて進行する手法であった。TV番組などでも割とよくある手法だが、再現映像のリアルさはもう比較にならないほど迫力がある。まるで彼らの遭難にそのまま同行しているかのような臨場感である。また、当事者本人が実際に出ていることで「助かったのか?死んだのか?」みたいなドラマチックな期待は最初からないのだが、要所要所で彼らが淡々と語る状況や心理の説明などが、作られた演出よりも遥かにリアリティがあって完全に引き込まれてしまう。あと、もうひとつ個人的に良かったのは、映画の終盤近くで、生還に向かうジョーが精神的にも体力的にも限界に近い状況の中で、ある種サイケデリックな感覚にとらわれるシーンがあり、これが不思議にこの作品の意味深なスパイスとして効いている。なんというか、「2001年宇宙の旅」を少し思い出した。唯一この映画で最悪にダメな点は、作品自体ではなくて日本の配給側のスタンスである。まず、邦題の付け方がナンセンス。「運命を分けたザイル」なんて言うと「ザイルが切れる事態」のスリリングな展開だけを想起させるし、予告編も(意図的に)そんな作りになっているのだが、前述のように、内容はそんな単純明快なドラマでは全然ない。原題(「TOUCHING THE VOID」)の正確な意味(虚空に触れる?)はわからないが、おそらく死の淵を彷徨った登山家の内面的心理描写を核とするこの原題の持つエッセンスを、もっと忠実に伝えるべきであると思う。たぶん、興業的には難しいんだろうけどさ。2004年英国アカデミー賞最優秀イギリス映画賞受賞作だそうです。体感温度マイナス60度、6,000mで宙吊りの恐怖、骨折の激痛、果てしない空腹と乾き、という想像絶する感覚がギンギンに伝わってきます。
2006年01月05日
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正月の昼下がり、自宅近くの某カフェにてインタビュー 聞き手 心斎橋さん、あけましておめでとうございます。心斎橋 はい、どもども。おめでとうございます。聞き手 恒例の新春インタビューなんですけど、いかがでしたか今年のお正月は。心斎橋 そうですねぇ。元日はワタシの実家で親戚の集まりがあったのと、二日は妻の方の親戚の集まりで、両方とも一日中食べたり飲んだり初詣に行ったりして、うだうだと過ごしてましたねぇ。聞き手 なんだか毎年、変わり映えしませんねぇ。何かこう“新年の誓い”みたいなのを立てたりとかはないんですか?心斎橋 あ、そういえば初夢で「神のお告げ」があったんですよ。聞き手 え、ホントですか?何て?心斎橋 なんか神様といっても、裸でヨボヨボの爺さんがじーっと正座してるんですけどね、その爺さんがおもむろに筆を取り出して汚ったない字で習字の半紙に何か書くんですよ。で、目で「読め」って合図するんでよく見ると「冒険」て書いてあるの。たぶんね。聞き手 ははぁ、意味深ですね。今年は「冒険」しろってことなんですかね。チョモランマに無酸素登頂とか、アマゾンの奥地に秘宝を探しに行くとか?心斎橋 いやしかし無理でしょう、それは。一応サラリーマンなんだし。聞き手 そりゃそうですよね。じゃ、何なんですかね「冒険」って。心斎橋 そう。で、考えたんですけどね、要はこういうことじゃないかって。冒険の旅は無理としても、ま、一応仕事だとか家庭だとか、生活していくうえでの物事の判断とか決断とかっていろいろあるじゃないですか。そういう時の判断軸として「この選択の方向っていうのは自分にとって、ちょっと“冒険”しているか?」っていう感覚を大事にせよ、ということなのかなぁ、と。「無難でラクな方向ばかり選んで、守りに入ってちゃイカンのじゃないか?」という感じかなぁ。聞き手 なーるほどねぇ。エラい前向きな解釈ですねぇ。いやぁ立派立派。いいんじゃないですか、それ。心斎橋 でしょ、でしょ?今年のワタシは、時にはちょっと危険な賭けに出ちゃったりするかもしれないよ。むふふ。 聞き手 わかりました。じゃぁ、今年はぜひその意気込みで頑張ってください。ところで、今日はこれからどんなご予定なんですか?心斎橋 それがねぇ、朝からムスメが「外で一緒に一輪車の練習しようしよう」ってウルサイんですよ。けど今日もホラ、外めちゃくちゃ寒いじゃないですか。なので今日は家の中で、借りてるビデオでもゆっくり観ようかなーなんて。ピザなんかとったりして。ぐふふ。聞き手 アンタ、どこが今年は「危険な賭け」やねん。「無難でラクな方向ばかり選んでちゃイカン」のじゃないのか?心斎橋 どき。 スイマセーン、お会計してくださーい。◎15日まで「掲示板」書き込みキャンペーン実施中。
2006年01月03日
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