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2004年3月、おしまれつつ休刊した『噂の真相』。その編集長岡留安則の25年にもわたるジャーナリズム活動の内幕をつづった待望の新刊である。2005年3月から施行される個人情報保護法。岡留は、むろんこの動きに警鐘をならす。すでにその流れは、田中真紀子長女の離婚に関する『週刊文春』記事差止訴訟地裁判決と、その判決を読売新聞が支持したことからわかるように、施行前から厳しさをましている。名誉毀損の損害賠償も、上に手厚く下に薄いという判例がまかりとおっているんだそうだ。政財界の公人・みなし公人は、プライバシー保護の名の下、市民の目から隔離。かれらが公式に発信した都合のいい情報しか手に入らない危機。こうした中で、「雑誌冬の時代」の中にありながら、国民雑誌『文藝春秋』につぐ第二位の売り上げを誇った黒字誌の休刊。ちょっとした一大騒動であったことは記憶にあたらしい。たしかにその25年間は「戦記」と形容されるにふさわしい華々しさだ。皇室ゴシップ、ロス疑惑、グリコ・森永事件の報道協定スッパヌキから、筒井康隆の断筆宣言、森首相売春検挙事件、安倍晋三・蓮池透・小林よしのりの素性にいたるまで、この20年間、つねにジャーナリズムの震源地でありつづけた。1行情報はとりたてて貴重であった。実はこれ、印刷1日前までつっこめる体制をとり、編集長みずから、締切間近深夜の新宿ゴールデン街にたむろする、ジャーナリストや社会部記者から情報を仕入れていたらしい。週刊誌記者匿名座談会の面白さは、あらためていうまでもなかろう。「反権力」をなのった同誌。それは法政大学にあって新左翼運動に挫折した岡留のパーソナリティと深いかかわりがあるのはいうまでもない。朝日ジャーナル休刊後、『世界』『週刊金曜日』があのザマの中で、唯一健闘していた左翼雑誌であった。闘争につぐ闘争の日々。「私人には手を出さない」「正義の味方の本性をあばく」「ざら紙をつかう」…実はなかなか考え抜かれた編集方針だったことが分かって、隠れファンとしてはついついうれしくなる。アングラ性を醸し出していた本誌のみに許される、さまざまなアプローチがもうみられなくなるのはとても悲しい。あのスキャンダリズムこそ、左翼の衰退に拍車をかけたのだ、と眉をひそめる人も多い。かくいう評者も、あの読者コーナーや執筆者の、えもいわれぬ左翼腐臭が嫌いだった一人である。たしかに『噂の真相』はウソも多い、いかがわしい雑誌であったかもしれない。しかし、みんながそんなことを知っていたが、みんな『噂の真相』を読んでいたため売れていた。みんなに読んでもらえないと、そして雑誌は発行し続けられないと、なんの意味もない。いかように『噂の真相』をあげつらおうと、現実に『噂の真相』は売れていたのだ。これほど大事なことが他にあるのか。自称左翼がかんがえるべきことは、『噂の真相』のイデオロギー的欺瞞ではなく、噂の真相がうれていたこと自体にあるのではないのか?。岡留編集長と川端副編集長は、この25年でマンションのローンを完済しているとのこと。もともと2000年休刊予定だったのだが、名誉毀損裁判も山場をこえたことでやっと休刊させることができたのだそうだ。今では沖縄でスローライフ、本土と沖縄を行き来する日々らしい。団塊の世代のある種の象徴だった人物にやっと魂の平穏がおとずれたのか?。とはいえ、沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事件、内地と沖縄の関心格差に激怒している所をみると、まだまだ平穏は遠い先の話のようだ。ついでだから、『週刊金曜日』の編集長になってもらって、テコ入れした方がいいんじゃないかと愚考する次第である。価格: ¥735 (税込)評価 ★★★☆
Feb 28, 2005
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「著者は何か、根本的な勘違いしているのではないか?」本書を読了するとともに、評者は根源的な疑問を禁じ得なかった。この本がつきつけた課題は大きい。日本人の心の奥底に潜む、部落差別の暗闇を暴き出した本書は、野中広務という戦後政治史において一時代を画したの存在をとりあつかったものだけに、衝撃は相当なものであった。朝日新聞の書評欄をはじめとして、この本を好意的に取りあげたものは数知れない。内容は極めて興味深いものだ。野中広務。部落出身者。差別のただ中に生まれ、大阪鉄道局での差別事件に遭遇して、政治家への転身を決意。一生を部落差別との戦いに身を投じることになる。園部町議から議長・市長を経てやがて府議となり、蜷川虎三共産党革新府政と対決。共産党との対決を経て、やがて革新府政を終わらせて府副知事に。そして前尾繁三郎のあとをついで衆議院選に出馬。このとき57歳。その後連立の時代にあって、強力な情報網を構築して恫喝をくりかえし、従来型の自民党政治では考えられないスピードで自民党内で力を付ける。自治大臣、幹事長代理、官房長官、幹事長を歴任し、「キングメーカー」として君臨。総裁選で反小泉の人々に出馬を迫られるも辞退。小泉内閣成立とともに「抵抗勢力」として名指しされ、前回の総選挙をもって引退した。しかし、この本は冒頭の問いに立ち戻ってしまう。一体、彼は何が書きたかったんだろう、と。これまで読んできた政治家の伝記で、面白いと思ったものは非常に少ない。なぜなら大概、政治家の伝記とは、事績の顕彰もしくは羅列で終わるか、ヒステリックなジャーナリズムな糾弾で終わるかの、いずれでしかないものが多いからだ。数少ない例外として、ドイツ社民党の政治家、ヘルベルト・ウェーナーをとりあつかった伊藤光彦『謀略の伝記』(中公新書)。伊藤昌哉『池田勇人とその時代』(朝日新聞社)。浅沼稲次郎をえがいた沢木耕太郎『テロルの決算』(文春文庫)があげられる。政治家以外にまで幅を広げれば、つい最近書評をおこなったばかりの佐藤卓己『言論統制』(中公新書)もそのひとつにふくまれよう。成功している伝記とは、いずれも共通した特徴がある、と思う。それは、「世界にとって彼らとは何であったか」ではなく、「彼らにとって世界とは何であったか」にせまった本、ということだ。われわれがいる世界とは何か。伝記の対象者の目を通して、彼らが生きてきた世界を叙述することで、我々後世の一般人がつい抱いてしまいがちの常識=「記憶の歴史」の再構成をせまるような人物像を提示すること。これこそ成功した伝記といえるのではないだろうか。世界にとって彼らとは何であったのか。それを複数の関係者の証言を踏まえて構成するのは当然のことだ。麻生太郎総務相の差別意識など貴重な告発をおこなった筆者の取材には、素直に敬意を払いたい。しかし、野中広務の権力掌握の過程という後半部に筆が進んでいくにつれ、前半の差別をうけた青年期までの、筆者の共感に満ちた筆づかいが急速におちてくる。彼はそのあとがきの中で、野中広務を調べていく内に「共感」と「反感」を抱いたことを告白している。魚住にとって、差別された野中に「共感」はいだけても、彼の保守政治などに「共感」どころか「反感」しか抱けない、ということだろう。後半、解放同盟関係者などで、野中の政治姿勢、日の丸君が代法案など様々な部分に疑問をなげかける筆者。素直に「反感」を吐露することは、素直じゃないことにくらべていいことだ。しかし、共感や反感などを持ち込んで叙述するくらいなら、最初から伝記を書くなといいたい。野中広務の目を通して、保守政界の様々な相貌を丹念に描きだし、野中広務が権力を掌握することができた固有の論理を提出するという、もっとも根本的なことがなされていない。それは資料の限界などではない。明らかに、共感と反感の次元でしか人物を捉えられない筆者の、野中広務とは正反対の「硬直した」姿勢にこそ、根本的な問題があったのではないだろうか?。素材はとっくに与えられていたと思う。この書冒頭に、野中広務を「融和の子」と表現するくだりがある。部落解放同盟と野中広務の政治姿勢をわけた最大の要因、それを「融和」が推進された周囲と、「融和」を身をもって実践した野中広務の母親への熱い思いにもとめるのだ。母親の「ある事件」は、部落差別の実態をしめす、とても悲しい事件であった。そして野中の出発点でもあった。そしてその一方で、野中を調停と恫喝の政治家として叙述する。共産党と自民党、部落民と非部落民、自民党と社会党。対立が激しければ激しいほど、その「調停者」としての野中広務の役割が発揮されていくのだという。野中の、「融和」へのいとおしいまでの願いと、対立を利用して権力を狙うという、二つの像の分裂。なにも、野中広務像を統一させよなどと、安直なことを言う気はない。しかし後者は、あまりにも世間に通行する野中イメージによりかかっただけの代物ではないか。せっかく摘出した、「融和の子」という独自の視角に、それまでの単なる「弱者の味方」とはひと味違った視角に、一体なんの意味があったのか。これでは、野中広務に「君が部落のことを書いたことで、私の家族がどれほど辛い思いをしているか知っているか」と涙まじりに抗議されても仕方あるまい。これで筆者は「評伝」のつもりらしいから、その厚顔には恐れ入る。いったい、どこに「評」があったのかまったく首をひねるばかりだ。最後に野中広務の引退は、繁栄と差別、平等と平和の入り交じった戦後社会の終焉を意味し、来るべき社会には平等と平和は存在しないのだ、とするくだりがあるが、これが「評」のつもりだろうか。社・共ブサヨク的心性を共有しない読者は、完全に「おいてきぼり」である。これのどこが野中広務固有の評なのか。竹下登でも田中角栄でも、まったく構わないではないか。これが「評」のつもりだとしたら、あまりにも読者をバカにしているといわざるをえない。野中広務という存在を通して、戦後保守政治の一幕を明らかにするという課題は、筆者の無能力によってもちこされたままとなった。あと20年もすれば、彼らのつける日記や、周辺の日記が公開されるかもしれない。その時こそ、野中を通して、戦後保守政治の闇と実像が照らし出されるであろう。とくに野中は、その経歴といい、その見識といい、そのスタイルといいあまりにも保守政治家からかけ離れている。これを明らかにすることは、日本社会を理解する一助となるものであろう。伊藤隆の『竹下登回顧録』に匹敵する、丁寧な仕事がなされることを切に願うばかりだ。価格: ¥1,890 (税込)評価 ★★★
Feb 27, 2005
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この表題を見て、おそらく好奇心をそそられないものはいないだろう。なにしろ、われわれの時代、ほとんど自明と思われている恋愛結婚が、優生学と不可分の共犯関係にあることを著者は示そうとしているのだがら。その衝撃もあるのかこちらの書評子の方々もえてして好意的である。かなり前に読んで放置していたのだが、そういう訳にもいくまいと、勝手に思いこんで執筆することにした。やれやれ、正直書くのがつらい。アウトラインは、表題からほぼ自明であろう。近代に輸入された恋愛は、優生学の理想の推し進めるものとして、近代のほぼ全期間にわたって積極的に語られてきた言説であったことを筆者は明らかにしようとする。優生学のもつ人種改良の夢…西欧人へのコンプレックスを抱いていた当時の人々の気持ちは、今の我々にも十分すぎるくらい理解できるものであろう。なにしろ我々は、つい近年、ワールドカップで「ベッカム様」ブームのすさまじさを目の当たりにしたばかりではないか。もともと、恋愛と結婚は結びつくものではない。結婚は恋愛の堕落、と捉えられてもいいはずである。ところが、「恋愛」はいつしか結婚へと結びつき、幸福とともに語られるような言説へと変容をとげてしまう。そこには、家業の再生産単位「イエ」の維持と発展を目的とした、日本型の結婚の変革も意図されていた。大正年間、一世を風靡したエレン・ケイの母性保護思想と恋愛至上主義と平和主義の裏にある、恋愛の究極目標としての「優生生殖」。与謝野晶子と平塚雷鳥の間で戦わされた「母性論争」の裏にある「国家のための恋愛結婚」「国家的母性」の摘出。筆者の丁寧なメスは、国家社会に優良な小国民を育成するため、優生学の理念「優生生殖」を推し進めるものとして積極的に称揚されていく、恋愛結婚にまつわる言説を明らかにしていく。そこにみられる、個人と個人の恋愛こそが、男女にとって当然優生生殖をえらばせ、そして優良な子孫をもつことの「幸福」が実現されるのだ、とする論理。そしてその夢は、ファシズム崩壊後の戦後になって廃棄されるどころか、むしろ恋愛結婚の定着という形で完成されていった。そして、「血」をもって語られた優生学の言説はナチスやファシズムの崩壊とともに影を潜めたものの、今度は「民族のDNA」などにかわって現代日本に通行しているとして、石原慎太郎などのネオナチ的言説への警鐘を打ち鳴らして本書は終わる。幸福という、人間の内面から、訓致せんとする近代国家。女性を優生生殖の道具として国家に奉仕させる仕掛け。恋愛を通じた自我の目覚めは、国民国家という大いなる<全体>の一部であった…自分の夢、自分の欲望という幻想に浸りきっているとき、人は<全体>にすべてを譲り渡しているのではないか…著書の強烈な問題意識からくる、印象的な言葉は多い。本書は、たしかにそうした箴言を読みたい人にも、そしてポストモダニズムが問いかけた近代国民国家の「問題系」を理解したい人にとっても、格好のテキストといってよいだろう。しかし、評者自身は、こうした「ちょっと捻っただけ」の近代国民国家の告発というのは、正直いっていい加減うんざりなのである。そもそも考えてみればいいのだ。恋愛結婚も優生思想も近代の産物である。そして優生学は、生殖という意味で「結婚」を重視しないわけにはいかない。なら近代日本において、恋愛と優生学が結婚を通じて媒介され、同居した言説があらわれることなど、あまりにも必然ではないか。マニアックに探していけば、この2つを関連づけたものはいくらでも現れるはずである。問題は、それが「恋愛」「優生学」においてどれくらいの比重をしめる言説であったか、であろう。むろん、筆者はそんな都合が悪いことを語ろうともしない。それどころか、恋愛結婚を称揚する女性の文章と、優生学からの立場から恋愛結婚をもとめる男性の文章とが、一緒に配置された「雑誌」をみつけてきて、恋愛結婚がこうした甘い言葉とともに「優生学に回収」され染み渡っていく危険性を語るのだ。ほとんど「詐欺」としか言いようがない。恋愛結婚は優生学を必要としないが、優生学は恋愛結婚を必要としていた。このあまりにも自明な非対称性について鈍感すぎるのである。優生学は社会改造のプログラムであった。ならば、社会改造をもとめる他のプログラムと容易に結合するであろう。断罪された優生学とともに、他の社会改造のプログラムを葬りかねない。その最大の被害者は、大正期母性論争の当事者である、フェミニスト平塚雷鳥である。「国家の母」的な観点から、子育てをになう女性について社会の保護を与えるべきだと訴えた平塚雷鳥。加藤秀一は、国家・種族に回収される全体主義であることをもって、「自称」細心の注意を払って、嫌々ながらも弾劾をくわえる。さも、本意ではないかのように。しかし、我々は知っている。明治から大正にかけて、徳富蘇峰から平塚雷鳥にいたるまで、強烈な「公」意識に裏打ちされた、いささか辟易させられるような「公」優先の言説がメディア空間に横行していたことを。そして、我々は知っている。松本治一郎、婦人運動家、社会主義者、社会改造を夢見たあまたの人間が、平等をもとめて昭和ファシズムにおいて国家に参画していったことを。むろん評者も、「私」を断固として守り抜かねばならないことに異議はない。「公」が「私」に浸透する全体主義について、その恐怖を共有し抵抗しなければならないことに、いささかの躊躇もない。ファシズムの時代、「私」の領域にたてこもり抵抗した人々に敬意を払おう。しかし、そのファシズムの時代、「私」の領域を重視し、抵抗した人たちとは、どういう人間であったのか?。そしてこの時代の「私」とは、そもそもなんであったのか。粛軍演説で有名な斎藤隆夫は、たしかに抵抗した。しかし、民政党は退職金積立法案といった内務省の革新官僚が作成した社会政策をつぎつぎ国会で葬り去った、貧しき人々に関心をしめさぬ人たちでもあった。そもそも明治・大正・昭和期にあって「私」とは、女性の、部落民の、労働者の「抑圧の当事者」だったのではないのか?。そのような「私」を隠蔽し、「公」による救済をもとめたものを、嫌らしいとしかいいようがない筆致で攻撃する加藤秀一。そこには、平塚雷鳥個人を内在的に理解していこうとする、思想を語る上での最低限のマナーがかけている。つくづく思う。政治思想史研究とは、所詮「自分語り」にすぎないのではないか、と。適当な理論にもとづいて、適当に史料をみつけてきて、社会と切り離して政治思想史を語る。そもそも政治思想史という学問の創設者、丸山真男の徂徠学にしてもそうなのだから、致し方ないのかもしれない。一体、彼の儒教に公私概念の萌芽をみつけて、それが丸山以外になんの意味があるのか、評者にはまったく理解できない。そこにあるのは、研究者の問題意識から「切り出された徂徠」であっても、決して「徂徠本人」ではないからである。最近著名な原武史にしても、『鉄道ひとつばなし』(講談社新書)、『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)以外、読んでいて感心した試しがない。加藤秀一のこの本もまた、その列に加わったというだけのことにすぎないのかもしれないが、こうした「自分語り」でしかないような本の濫造しか生み出さない、政治思想史とはいったいどういう学問領域であるのか?評者にはさっぱり理解できない。長々と書いてしまって申し訳ない。とりあえず羊頭狗肉でしかない書名は変更されるべきであろう。『<優生学>は何をもたらしたか』以外のなにものでもないのだから。いや、そもそも評者にとっては、『<政治思想史>は何をもたらしたか』を考えさせられる書物でしかなかったというのが、いつわりのない正直な感想である。価格: ¥756 (税込)評価: ★★★☆ ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Feb 26, 2005
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久しぶりに、素晴らしい著書を読んだので、不躾だが紹介したい。中央公論新社より発売された、佐藤卓已『言論統制 -情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』である。鈴木庫三。雑誌社の社史に、「戦時中の言論弾圧者」として名指しされた悪名高い人物。反抗する雑誌社に、サーベル片手に「潰してやる」という脅しをかけたこともあった、軍国主義者の代名詞。戦時中、悪名高い、用紙統制と言論統制を実施した陸軍の代表的人物。だが、戦時中以外のエピソードが語られることもなく、誰もがその存在を深く探求することはなかった、忘れ去られた人物でもあった。理由はなぜか。著者はそこに、鈴木庫三のもつ特異な経歴と、言論弾圧による戦後の「被害者共同体」の存在をみる。こうした研究状況に、遺族の元に残された「鈴木庫三日記」と各種回想録から、一大伝記を組みあげた著者の力量には、深い感動と感謝の念を禁じ得ない。そこには、それまで省みられることのなかった、「教育の国防国家」建設を夢見た、中堅軍事官僚の迫真の「想い」が、赤裸々にまであきらかにされているからである。鈴木庫三。茨城県出身、1894年生まれ。小作人に養子に出され、血の汗をながした青少年時代。士官学校にあがったのは、実に20代も半ば。しかも、兵科は輜重兵である。出世など夢のまた夢。当然、彼はエリートコースであった陸大の受験をうけることができなかった。しぼんだ出世への希望と野心。正義感で一徹なこの男は、陸大卒・「天保銭」グループと、「内務班」におけるイジメにも似た教育に鋭い批判意識をもちはじめ、上層部や回りとの衝突が絶えない。そしてその関心を軍隊教育の分野へとむけはじめたことが、のちに彼の運命を大きくかえるきっかけとなる。やがて彼は、日大、帝国大学に派遣され、倫理学と教育学を習得し、日大助手をつとめた学者軍人となる。一時、学者への転職も検討していたらしい。この時、すでに30代後半、尉官クラス。本来なら大佐どまりで退職する運命が彼をまつはずであった。ところが、時は昭和維新。高度国防国家建設のかけ声の中、軍事教育のエキスパートとして、1930年代後半から歴史に登場し、一躍脚光をあびることになるのだ。戦前の日本は階級社会であった。「農村と都会」「知識人と非知識人」「資本家とプロレタリア」…各種各層に超えがたい壁があった。都市中産層と地方の小作人の間では、言葉もろくに通じなかったとされるその時代。プロレタリアートの境遇に思いをはせ、共産主義にも共感をいだいていた彼は、「教育の国防国家」建設を夢見て果敢に推進していく。配置部署は雑誌の言論統制。宴席を嫌い、編集者とのなれあい拒否し、雑誌の「思想指導」をつづけていく日々。敵視されたものは、時局下にブルジョア的な生活を続ける自由主義者と資本家。倒さなければならないのは、不平等を前提とした教育制度。そして目標は、天皇を頂点におく、家を理想とした、平等な教育制度の実現であった。そのことを「日記」をもって逐次語らせてゆく様は、「圧巻」のひとことである。情報官・鈴木庫三は、部落差別の解消を同和雑誌で提唱し、女性の地位の上昇に心をくだく。それだけならただの社会帝国主義者といえるかもしれない。彼は、あろうことか、日本人の生活水準をおしさげて、朝鮮人や中国人の生活水準をひきあげ、大東亜の平等を雑誌で大まじめに主張するのである。教育すらロクに受けられない貧しき庶民の視点にたつ彼。戦時下、天皇の元での<教育の平等>をおしすすめ、数々の雑誌に<国防国家>の建設と<国内思想戦>に勝つための、超人的な執筆活動。やがて満州のハイラルへ左遷され、阿蘇で終戦。戦後、言論統制について語ることなく、1964年死去。その間、ブルジョア的特権の象徴である大学は、学徒動員によってその特権制を打倒され、戦後の六三制へむけた義務教育の延長政策も胎動する。「教育の国防国家」こそ失敗に終わったが、未曾有の総動員体制の崩壊とともに、戦時下に推し進められた平準化は、「高度福祉国家」として戦後甦ることになる。このストーリーを、最後、著者は、大老井伊直弼の生涯とだぶらせる。「花の生涯」…おもえば、彼は、総力戦体制下でなければ、登場する機会すらなかったであろう。そしてそのわずかなチャンスに飛翔して、「小ヒムラー」とまで呼ばれることになった男、鈴木庫三。彼の一世の夢はたしかに実現した。受験戦争として。そして、「一億みな中流国家」として。評者は、読みながら、涙を禁じ得なかった。つねづね評者の関心をひいてきた、戦前の社会主義者たちとも通底する貧しき庶民を生む体制への義憤。熱く漂っている、社会改良への真摯な夢と希望。共産主義者の夢が収容所国家として帰結したように、国家社会主義者の夢は所詮「8・15」にしか帰結しえなかったかもしれない。しかし、それが一体なんだというのだろう。共産主義は、弾圧をうけ様々な転向者を生み出した。戦争に協力して戦後公職追放を受けた者も多い。彼ら転向者は、そして国家社会主義者たちは、与えられた情報集合と条件の下で、戦前ファシズム国家の「社会改良」の夢に賭けたのだ。その賭けは、無惨にも失敗に終わったかもしれない。そして、その「教育の国防国家」「社会主義」の夢を笑うものがいるかもしれない。しかし、「高度福祉国家」「一億総中流」の夢が崩壊しつつある今だからこそ、中絶してしまった戦前の未完の夢に、少しでも思いをはせる必要があるのではないだろうか。それは、日本ファシズムの正当化などとは次元をことにするもののはずだ。その意味では、「作る会」の教科書運動など、無価値の極みでしかない。残念なことだ。そして評者は同時に、このような貴重な「日記」にめぐりあえた興奮をかたる佐藤卓已氏に、憧憬とともに嫉妬の念を禁じ得ない。たしかにこれほど得難い史料発見の体験は、そうあるものではない。歴史家冥利につきるであろう。まず、日本史研究者にしかできない経験かもしれない。しかし、対象にしていた人物が、史料をからあつく読者に語りかけてくるような、まれな経験なら評者にもある。それが中絶させられ未完に終わる夢でしかないことを知れば知るほど、その果たせなかった想いの儚さに、そのやるせなさに、不覚にも史料の上に涙をこぼした恥ずかしい体験がある。佐藤氏は、どのような思いで、この日記を眺めていたのであろうか、いささか知りたい気分である。ただひとつ、理論的難点をいえば、今はやりの「総力戦体制」論で押しとおされている点であろうか。なるほど、総力戦体制論は、古典的日本ファシズム論や、革新官僚論よりはるかに整合的に説明できるツールであり、評者もこの立場にたつものである。しかし、総力戦「体制」論なら、その「起点と終焉」まで視野に入れなければならないだろう。今まさに終わりつつある高度福祉国家は、総力戦体制の終焉であるのか?。総力戦体制後の社会をいかに形容するのかともども、本書では明確にする必要があったのではないかと愚考する。しかし、これは瑕疵にすぎず、本書の素晴らしさを損なうものではない。いずれにせよ、これほどの著作が単行本ではなく、新書という形式で安価に多くの目に触れることになったのは、この上ない喜びである。これもまた、「教育の国防国家」の夢の続きであろうか。この夢がいつまでも続くことを心から願ってやまない。価格: ¥1,029 (税込)評価 ★★★★★ ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Feb 25, 2005
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