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すごい人がいたもんです。不可触民解放のために戦った、熱い魂と氷の頭脳の持ち主、ビームラーオ・ラムジー・アンベードカル。南インドの不可触民。1891年生まれ。1956年死去。内容を簡単に紹介しましょう。「不浄をもたらすもの」として抑圧されてきた不可触民。ヴェーダ聖典を聴くことすら、シュードラや不可触民にはゆるされてはいない。アンベードガルは、父や開明的な藩王国君主の知遇をうける幸運もあって、コロンビア・ロンドン大学などで学び、経済学博士、上級法廷弁護士をおさめ、歴史学、社会学などに通暁しています。しかし、かれの部下や使用人ですら、彼を人並みに扱おうとしないのです。かの有名な、インド国民会議派でさえ、正統派ヒンズーを刺激する政策をとろうとはしません。回教徒、キリスト教徒は水を与えられるのに、不可触民は同胞のはずのヒンズー教徒から水さえもらえない。ガンジーでさえ、「不可触民を第五のカーストに」(四姓制度)しただけで、カーストを廃止しようとしない。インドを破滅させたのは、イギリスでもイスラムでもなく、内なる心の中に巣くうカーストである!!イギリスも、ヒンズー多数派も、信じてはならない!!不可触民に別の国を!!水の使用をもとめ、寺院の開放をもとめ、公共道路の解放をもとめ、アンベードガルと不可触民運動団体は、サチャーグラハ(非暴力不服従)を全インドでおこないます。集団改宗の脅しをヒンズー多数派にちらつかせながら。国民会議派の独立運動には背をむけて、不可触民解放、カーストの廃止に奔走。彼は、政治権力獲得の必要性を強調しつつも、不可触民の向上こそ真の解放になる、と信じていました。イギリスには、不可触民の分離選挙さえもとめます。しかし、かのガンジーは、回教徒との妥協をかさねインド分裂さえ促進しながら、不可触民のもとめを拒否し続けました。あまつさえ、ガンジーは、不可触民のもとめをこばみ、断食という脅しをかけるのです。国民会議派の圧倒的強さをまえに、後退する不可触民の運動。選挙で敗北をつづける不可触民。アンベードカルは、その見識を買われ、戦時中、労働大臣になります。近世以降、不可触民が執政者となったのは、これがはじめてでした。第二次大戦のインドの参戦に対し、かれは反英運動をおこなった国民会議派を批判します。労働者の敵は、ブラーミ二ズムとキャピタリズムだとして、インド共産党も国民会議派も批判し、「新生インド」をとなえたアンベードカル。そんな中でガンジーは、1947年4月29日、制憲議会の「不可触民廃止宣言」の功績までよこどりしてしまうのでした。しかし、「新生インド」は、アンベードガルの識見を必要としていました。新生インドの初代法務大臣。憲法起草者として「現代のマヌ」になった、不可触民アンベードガル。各自の宗教的信条を国の利害に優越させようとするコミュナルから、この国を守らなければならない。憲法の起草の後、理性・慈悲・平等があることを理由に仏教に帰依。『ブッダとそのダンマ』を執筆。1956年10月14日、30万人の聴衆とともに集団改宗。タゴールが待ち望んだ、インド仏教の復活。その直後、12月逝去。あまりにも壮絶、かつ超人的な仕事とその生き様には、まことに感嘆を禁じえません。平等をもとめるいとおしいまでの熱い戦い。しかも、不可触民の差別的境遇は、いまだにおわっていないのです。そのため、現在では1億人もの仏教徒がインドにいるといわれます。一般的に、植民地時期のインドは、「ガンジー、キング、池田大作(笑)」にみられるように、ガンジーやネール、それにパール判事(笑)ぐらいしか、日本人にはしられていません。むしろ、ガンジーについて流布されている、聖者などの礼賛イメージを解毒する最良のテキスト、といえるかもしれません。難点をいえば、あまりにもアンベードガルの概論になりすぎていて、アンベードガルを内在的に描ききれたとはいえない感じがします。書簡とか、日記とかを使いながら話をすすめれば、迫真さが増したかもしれません。その点について物足りなさを感じてしまいます。また、インドの基礎知識を欠いた人間にとっては、理解しづらい部分も多い。たとえば、インドの略地図がないこと。物足りなさと理解しづらさが、同居しています。これは、伝記の翻訳、という作業に残りがちな欠点といえるかもしれませんが。とはいえ、近現代インド社会を理解するために、格好の書になっていることに、疑い余地はありません。ぜひ、ご一読ください。評価 ★★★☆価格: ¥1,050 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 28, 2005
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すごいなあ。よくもまあ天下の大岩波で、大胆不敵にもこんな本を出したもんだ。内容を簡単に確認しておきたい。オビには、「古代中国に環境問題があった」と銘打たれています。すでに古代中国では、「文明の急激な発展は、自然の生態系を破壊し、人類の生存そのものを脅かす」という、文明と自然の対置する、現代の環境問題と同じような言説がみられたという。そこで儒家・墨家・道家たちは、「文明」をどのようにとらえたのか。かれらのテキストでは、以下のようになるのだそうです。儒家=社会的身分の上下と富の多少を正比例させる文明肯定の楽観主義。墨家=富の不足から、節約・勤勉・実用・増産をとなえる文明肯定の悲観主義。道家=儒・墨がなしえなかった、文明批判を底流においた文明そのものの拒絶。儒家にみられる、多くの富を消費できる者は立派な人間という考え方は、現代の自由主義経済に通底しているものがある。こうした消費礼賛型の社会に対して、贅沢をいましめ節約をとなえる考え方には、墨家がヒントをあたえてくれるだろう。こうした文明を拒絶して自然とともにくらすのは、道家が参考になるが、物質的繁栄を捨てて精神的な安らぎをもとめるのは難しい。一長一短ありますよ、本書はこのように締めくくられおわる。……読者をバカにしているのでしょうか。こういうの、それこそサラリーマン向けのビジネス書、PHP新書あたりでやればいいでしょうに。だいたい、儒家・墨家・道家テクストの文章ひとつひとつは、春秋から三国時代のどの辺で書かれたものなのか、今もってよく分かりません。前後で700年以上の幅があるということは、日本では鎌倉から現代までの幅があるということでしょう。いうなれば、兼好法師「徒然草」から芥川賞「蹴りたい背中」まで、とにかく文明絡みの文章をひっぱり出し、これは「文明批判です」あれは「文明肯定です」とやるに等しい。いったい、そんな作業が「予備作業」としてすら、何の意味があるのか、さっぱりわからない。さらに、「文明批判」が「環境問題」と短絡される理由が理解できない。だって、イコールになるはずがないんだもの。「文明」をどうみるかは、なぜこの書では環境問題になるんでしょうか?そもそも、古代の環境問題は、どこにあったのでしょうか?古代の環境問題について、ちっともこの書では具体的には書かれていません。それもそのはず。当時、華北は森の中。黄河の洪水のおそれがあったので、やや高い土地に集落が散在。漢代になるまで、黄土平原の低地開拓はすすんでいないし、後漢や三国時代になると開拓地は、放棄されちゃう。おまけに、灌漑農業などできないから、天水農業でアワやキビを栽培していました。これでどんな環境破壊があるとでもいうんでしょう?? もっとも、本人も苦しいことを自覚しているようです。いたるところで、「環境」の負荷が少なかったことを述べているのだから。それなら、「環境問題」はなかった、でいいでしょうに。なぜよくないのか。ひとえに筆者が、今はやりの「環境学」の所属になったからであろうことはあまりにも明白です。それでなにか研究しなければならないハメになったのでしょう。ご当人は、中国古代思想のご専門。ゆくゆくは、環境問題を考えたいそうだけど、こちらから謹んでお断りしたい。まったく、竹簡木簡などの出土資料から、古代中国社会像を復元した方が、なんぼかましだったであろうに。渾身の一発芸『儒教 ルサンチマンの宗教』(平凡社新書)は、どんなに滅茶苦茶でも面白いから救われたけど、こちらは面白くもないし、救いようがない。岩波の編集部も、これに懲りて、他の新書で書いた人間に「トンデモ本」をかかせるというマネは止めて欲しいですたい。評価 ★☆価格: ¥735 (税込)追伸 おまけ『儒教ルサンチマンの宗教』とはこれ↓評価 ★★★価格: ¥798 (税込)
Apr 26, 2005
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著者は朝日新聞政治部記者。朝日新聞は、東大に特別講座を寄付していて、そこでは特任教授をつとめています。そのため、買うときは、かなり期待したのですが、、、内容と章立てはざっとこんな感じ。自民党をめざす政治家たちの実像。組織力に陰りがみえはじめている自民党の解説。自民党史のおさらい。金銭スキャンダル史のおさらい。2つの対立する政治理念が存在することの指摘。そして、これまで自民党に挑戦してきた野党の政治家たちの横顔の解説と、「2大政党化」がすすむなかで、今後とも自民党が政権党にとどまるためには、どんなハードルをのりこえなければならないのかが丁寧に指摘されおわります。そうじて、それまでの朝日新聞の政治欄など、どこにでも書かれているような、自民党基礎知識のたんたんとした羅列がつづく。長年取材した政治部記者にしか書けない、そんな政界こぼれ話・政界秘話の類もほとんどみられない。よくもまあ、こんな恥ずかしい本を出したもんだ。その厚顔無恥さには、あきれるほかはない。そもそも、独自の自民党論もなければ、戦後政治史論ももたない、一介の政治部記者の分際で、『自民党と戦後』なるものを論じようというのが、ふざけているのではないか。いかに、講談社現代新書とはいえ、すこしひどすぎるだろう。北岡伸一『自民党』(読売新聞社)は、名著の誉れが高い。それは、かれが保守とか読売が出したからというだけではない。そこには、独自の戦後政治史の視角があったからだろう。升味準之輔にしても、しかり。それこそ、東大=朝日で共同調査をしている、蒲島郁夫とかに書いてもらえば、どんなに素晴らしい『自民党と戦後』論になっただろうか(2004年、岩波書店で出ている)。それができないなら、せめて星は政界裏話くらい、書くべきであろう。みならうべき先輩、早野透がそばにいるではないか。『日本政治の決算』(講談社現代新書)は、足で稼いできた裏話が随所にまじえられて、ずいぶん面白い本であった。はっとさせるような切り口もあるのに、それがふんわりとした文章にくるまれていた。ちょっと情緒的だが、読みごたえがあってよかった。この人の、毎週火曜朝日朝刊の「ポリティカ日本」は、いつも楽しみにしていたものだ。評者とは、政治的にずいぶんことなるのに…… ポリティカ日本を終わらせるなら、早野透に天声人語を書かせて欲しいと思っていたのは、わたしだけではないはずだ。……い・いかん。話題をもどそう。早野のような芸風は、とても身につけられないかもしれない。しかし、政治取材の現場から、星独自の戦後政治理解や自民党論をねりあげることは、一刻もはやくおこなわれる必要があるのではないか? そして、それを朝日の政治面において反映させることが望まれるであろう。それができないなら、特任教授なんて肩書き、外すべきだとおもうぞ。評価: ★★☆価格: ¥735 (税込)人気ランキング順位追伸 早野透は、こんな本を出しています。興味のある方はどうぞ↓評価: ★★★☆価格: ¥756 (税込)
Apr 25, 2005
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吾妻ひでおは、本当にギャグマンガ家なのだろうか??こんな突拍子もない疑問が、評者の脳裏から離れてくれない。鴨川つばめも読んでみた。山上たつひこも読んでみた。とり・みきも読んでみた。いづれも、予想通りにつまらなかった。いや、なにも喧嘩をうりたい訳じゃない。ギャグマンガには旬がある。時代の制約が大きすぎる、といいたいのだ。その時代に読めなかった人は、縁なき衆生として、あきらめるほかはない。今さら、「あずまんが大王」を読む気になれないのは、そのためです。とある事情があって、読む機会を逸してしまったのだ。おまけに、ギャグマンガは、才能の枯渇がはやい。上り坂と絶頂、そしてその後の枯渇まで、歩みをともにしないと、そのギャグマンガ家の価値なんて分からない。さらに面白かったギャグマンガ。今読みかえして、面白いかといわれると、困ることがありませんか?ほりのぶゆきも、中山ラマダも、面白かったのに今読むと面白くない。たぶん、当初の衝撃がなくなってしまうからだろう。おそるおそる「失踪日記」をひらいてみた。面白い。もう、どうしようもなく面白い。ギャグマンガをかけなくなって、浮浪者となって街や公園を放浪し、配管工をやり、やがてアル中になってしまう。すてられた妻。万能の天ぷら油。アル中は精神障害らしい。どうしようもないほど、せつなくて、どうしようもないほど、面白い。いきおい余って、「不条理日記」を読み直してみたほどだ。それでも、やっぱり面白い。どうしてだ。20年前の作品と同じような輝きが、どうして今あるんだ。なぜ、今も面白いんだ。たぶん、吾妻ひでおは、ストーリーのみで勝負しているのだ。怖い話も、ほのぼのと優しいお話にかわる。ギャグマンガ家として、時代と寝た、吾妻ひでお。本人も、周囲も、誰もが勘違いしてしまったのだ。だから、浮浪者になるほど追いつめられてしまったのだ。時代がすぎさり、ギャグの才能も枯渇したとき、「時代と才能」がはなつ、まばゆいばかりの光沢に隠されてしまっていた、吾妻作品の本当の面白さ。それが表に出てくることになったのだ。ほのぼのとした絵柄で、優しくて、それでいてシニカルで、、、失踪という重いストーリーが、こなれていて本当に素晴らしい。だからこそ、今読みなおしても20年前の「不条理日記」は面白い。あのときの名作は、ナンセンスだからロリな絵柄だから面白いのではなかったのだ。シニカルで優しくて、、、、もっとはやく気付くべきだった。吾妻が「時代と才能」というまばゆい光をはなっていたとき、その面白さを支えていたもののことを。まばゆい光に隠されてしまった部分こそ、かれの真価だったのだということを。わたしは不明を恥じる。wikipediaによれば、吾妻は「ナンセンス漫画」からの引退を宣言したという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E3%81%B2%E3%81%A7%E3%81%8A50にして天命を知った作者。その未来が輝かしい物であることを心からねがってやまない。評価 ★★★★価格: ¥1,197 (税込)
Apr 23, 2005
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一読後、笑ってしまった。高橋哲哉は、明晰な論理と批判的思考に定評があるらしい。靖国問題はどのような問題か。どのような筋道で考えていくべきか。『論理的に明らかにする』のだそうです。歴史学者ではなく、哲学者の端くれとして。「靖国神社を汚すくらいなら、私自身を100万回殺してください!」岩井益子陳述書の圧倒的な「感情」吐露から、この書ははじまる。傑作の予感が漂う。天皇と国家が神となる、国家教。その殉教者を神とする靖国神社。哀悼を顕彰に、悲しみを歓喜にかえて、生と死の最終的な意味づけを与えた靖国。これを「感情の錬金術」として斥けて、「悲しいのに喜ばしいといわない」ことを提唱する、高橋哲哉。靖国神社そのものを否定していない、中国の「政治的譲歩」についての指摘。A級戦犯のみ問題とするのは、日中~太平洋戦争以前の植民地支配がぬけおちている、という指摘もなかなかです。戦死者の遺族は、たまたま「天皇の意思」に合致して祀られているにすぎない。遺族の意思は本質的に無視されている。靖国神社の非宗教法人化を達成できても、祭祀儀礼を維持する限り宗教団体である。神社非宗教論=「祭教分離」は、神社の宗教性のカモフラージュであるにすぎない。こうした考えは、国家祭祀に宗教がのみこまれた歴史に自覚がない。靖国は、伝統的な日本文化から断絶した特異な戦死者のみ祀るものなのだ …… たしかに、その論理的明晰性とやらは、随所にみられ、すばらしい。今後靖国を論じるなら誰もが出発しなければならない、スタンダードとなる見解を提供していることに、疑いはありません。ところが、国立追悼施設の問題点をあつかった、第五章あたりからおかしくなってしまう。外国人の戦死者も追悼するはずのこの追悼施設。歴史認識をとわれる国家としての責任を曖昧にしたまま、ことをすすめるのは、加害者と被害者の同列化にしかならない。「不戦を誓った」以上、日本の死没者は「つねに」「正しい」武力行使になるからです。今後外国人は、「正しくない」ため、この追悼施設の対象には含まれない。これでは「第二の靖国」だ。国家は軍事力をもつ限り、追悼施設の顕彰施設化はさけられない。追悼したいなら、軍事力を廃棄せよ。「過去の責任」について国家責任を果たせ。問題は施設ではなく、施設を利用する政治である。なすべきことは、政治的現実そのもの「不断の非軍事化」のための努力である……もはや笑うしかない。最後の章で、すべてが台無しにされています。いったい、冒頭の予感はなんだったんだ。まず、国立追悼施設批判が分からない。つくられないと今のまま。ほくそ笑むのは、靖国神社というより、反対運動者だけ。なにがしたいのか。そもそも、「政治」がすべてなら、哲学を宣言して議論を展開した意味など、いったいどこにあったのでしょう。政治は「第二の靖国」をつくりかねず、軍事化がすすむ。その理解はまあいいでしょう。ただし、それならばその「責任」は、阻止しえていない高橋哲哉自身にもあることは、あまりにも明らかではないでしょうか。自己の「不断の非軍事化」を果たしえない責任には口をぬぐい、靖国神社にまつわる植民地支配の国家責任を断罪。すくなくとも、靖国に祭られた戦死者の加害「責任」を断罪するならば、せめて「不断の非軍事化」を実現させるための、政治的アジェンダを読者に提示することは、高橋の果たすべき最低限の「責任」ではないのか。問題は政治などと、誰もが知ってるあまりにも愚劣な結論でお茶をにごすならば。さらに分からないのが、個人と集団の追悼が区別されること、そして追悼と顕彰というありかたが、区別されてしまうことです。これらは区別できるのでしょうか。そもそも、「顕彰」のみならず「追悼」という行為でさえ、内面をこえ社会に向けてあらわすなら、故人の「死」の意味を収奪することになりはしないか? 故人は、追悼されることを望んでいるの? 忘れられるのは嫌だろうけど、「神」になりたかった証拠はどこにある? なぜ、個人はよくて、国家はダメなの? 集団はどこまでならいいの? この辺は、著者にとっても、曖昧になってしまっています。そもそも遺族は、本当に悲しいのでしょうか。われわれは、死は悲しまなければならないから、悲しんでいるふりをしているだけではないのか。人はいづれ「死ぬ」。そのことから目をそらすために、顕彰どころか追悼があるのではないか。「悲しいのに喜ばしいといわない」ことを説く高橋。ならば「死は当然のことなのに、悲しいとはいわない」ことまで説いてもよかったのではないか、などと、つらつら思う。追悼の中に顕彰の発端をみること。個人による追悼の中に、集団による顕彰の端緒をかぎつけること。悲しみの共同体を批判するならば、そこまで踏み込まないでどうする。その不徹底性ぶりには、いらだちだけが募ってしまいます。追悼するものの人権は、語られます。靖国神社はそのために問題視されます。だからこそ、この書はバイブルたりえる。靖国神社も、国立追悼施設の推進者も、追悼する権利を声高に語ってくれます。しかし、追悼される側の、「死者」の人権は、だれも語ってくれません。死人に口なしとばかりに、遺族や靖国やその反対者にも利用され、死んでまで「護国の鬼」「侵略責任者」にされてしまう。究極のサバルタン(語りえぬ者)、死人。いつまでも、われわれは、死を死として受け入れることができない。靖国をめぐる狂想曲は、そのことを教えてくれるのでしょう。評価: ★★☆価格: ¥756 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 22, 2005
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また毎日新聞が、寝ぼけたことを書いていたことを知った。いつもは、良い記事を書いていて、朝日とならんで評価しているのだが、どうもここのところ、変である。 中国反日デモ: 根拠は日本製品のボイコット「五四運動」 【北京・大谷麻由美】9日から10日にかけ北京から各地に拡大した中国の 反日抗議デモは、日本製品ボイコット運動が中心だ。日本製品ボイコット運 動は1919年の「五四運動」で展開されたのが始まりだ。中国政府は五四 運動を「反帝国主義運動」と認めており、抗議デモが破壊行為に及んでも、 政府が表立って批判しにくい背景になっている。 中国の日本製品ボイコット運動の歴史は、近代中国で最初の全国的大衆 運動となった「五四運動」に始まる。 第一次世界大戦後のパリ講和会議(ベルサイユ会議)で、敗戦国となった ドイツの中国・山東権益が中国に返還されず、日本に奪われた。北京大学を 中心とする学生が怒り、講和条約調印の拒否を求めて天安門広場で19年5 月4日、反日デモを行った。その時、叫ばれたのが日本製品ボイコット だった。 中国の胡錦涛国家主席は副主席だった99年5月、「五四運動80周年 記念大会」の席で、「中国人の反帝国主義・反封建主義の闘争は五四運動 から新たな歴史の始まりを見つけ出した」と述べた。 今回の反日運動に関連しても、インターネットの反日サイトでは、五四 運動(5月4日)の日に上海、広州、浙江省杭州で日本製品ボイコットを 呼びかけている。 また、中国では、今年は「反ファシスト勝利60周年」と呼ばれ、反日 イベントは盛り上がりを見せている。▽日中戦争の発端となった盧溝橋事 件(7月7日)▽日本が対日参戦9カ国に対して正式に降伏した中国抗戦 勝利記念日(9月3日)▽満州事変のきっかけとなった柳条湖事件(9月 18日)--。一連の反日運動の流れは9月まで続くと予想されている。そもそも日本製品(日貨)ボイコットは、五四運動でおこったのではありません。日露戦争後、戦争時に軍用軽便鉄道として建設した、安奉鉄道。戦後、その管理権が満鉄のもとにおかれたことをめぐって、1909年にはすでに発生しています。また、1915年の袁世凱への対華二十一箇条要求受諾に対してもおこりました。五四運動は、中国共産党にとって極めて重要な出来事でした。だから、五四運動を日貨ボイコットの起源と誤解してしまっています。それでは五四運動は、なぜそこまで中国共産党に讃えられるのでしょうか?それまでのナショナリズムは上流・中産階級のものでしかなかった。大地主や大商人、官僚や教師といった教養ある人々が危機感をいだいて救国活動をおこなっていたにすぎなかった。そこに新しい次元が切り開かれた。ストライキや抗議デモが、上海など全国を覆った。労働者・学生・商店主などの「大衆運動」の大津波になった。だから中国の歴史区分は、五四以前が旧民主主義段階=近代史、五四以後が新民主主義段階=現代史の出発点にされています。しかも、それは挫折した運動だった所がポイント。五四運動の切りひらいた「新民主主義」のうねりは、1921年7月に成立した中国共産党がひきつぎ、その偉大なる指導の下、やがて1949年の新民主主義革命=中国革命となって「反帝・反封建」を達成することになった!!これが、中共の公式史観なんですね。だからこそ胡錦涛国家副主席は、「反帝国主義・反封建主義の闘争の始まり」として五四運動を讃えたのです。だから、1999年の胡錦涛談話の年の人民日報社説では、なにひとつとして反日運動について触れられていない。この公式史観は、日本においても五四運動理解の主流をなしていました。この「五四」理解を批判したのは、1980年代、野沢豊・笠原十九司たちのグループでした。「五四」は、反日ナショナリズムによる反安徽派をかかげる民主化運動だった!今では、五四はナショナリズムという見方が日本では定着しています。しかし中国では、公式史観では、すこし趣が違うのです。ところが産経新聞社の記事をみてみますと… 2005年04月19日(火) 北京、上海、瀋陽の反日デモ 国内不満のはけ口に? 拡大を懸念、警察官黙殺 中国で吹き荒れる反日デモで暴徒化した群衆を間近に取材してきた。 北京(九日)、上海(十六日)、そして瀋陽(十七日)の各現場から見えて きたのは、国内の社会不安に対処する一方で日本の台頭を抑えつけようとす る中国当局の戦略だ。五月一日に南京、愛国反日運動の「五四運動」の 記念日には上海、温州、重慶などで再びデモの実施が呼びかけられており、 一度堰(せき)を切ってしまった反日のうねりは当面、収まりそうにない。 (北京 野口東秀) この辺の、中国共産党の五四理解の微妙さをまるで無視されてる。一体いつから、中国で五四が「愛国反日運動」になったのだろう。(笑)てか野沢豊・笠原十九司の見解を支持しているのが笑えます。産経は、笠原の軍門にくだったのか?(笑)冗談はさておき、むしろ、五四が愛国運動として共産党の手を離れて再定義されつつあるこのことが、この場合、とても大事なのではないでしょうか??実際、戦前の中国では、5月は愛国記念日だらけでした。5月1日、メーデー5月3日、済南事件(五・三惨案) 北伐時の1928年、日本が介入して民間人の虐殺をおこなった事件。5月4日、五四運動5月7日、対華21箇条要求、日本側最後通告日:「国恥記念日」5月9日、対華21箇条要求、袁世凱政権受諾日5月30日、五三十事件:(五・三〇惨案) 1925年、租界でイギリス軍などによる労働者弾圧5月の最初の週は、いっつもどこかで、反日デモや集会が開かれていました。それが今じゃ、五四以外あまり知られていません。さみしいかぎり。ちなみに、6月4日は張作霖爆殺事件の日ですが、今じゃ天安門事件の日になっています。良かったのか悪かったのか。中国ナショナリズム、特に官製ではない、反政府的色彩をおびたナショナリズムが台頭するにつれ、このような戦前の愛国運動週間の「復活」に眼をくばる必要がある、このように思われますがどうでしょうか?
Apr 20, 2005
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「愛国無罪」について、正しく書けているサイトがまったくない。ネット上に史料を提供するため、昨日の続きで補足説明を書いておきます。ネットは本当に使えねえなあ、、、と落胆しきり。「愛国無罪」これは、昔からあった言葉ではありますが、今のように使われはじめたのは、国共内戦に起因します。まあ、共産党を掃討して国内統一を図った訳です。その分裂に乗じて、日本に満州をぶんどられた。ところが、蒋介石はなかなか日本と戦おうとしない。むしろ、共産党の掃討に力をつくす。まあ、統一せずに抗日したおかげで、共産党に政権取られたのだから、結果論として、蒋介石「反共」路線の正しさは疑うまでもありませんが。1931年、満州取られた。1933年、熱河がおちた。1935年、河北省の東に冀東傀儡政権ができた。つぎつぎと取られた上に、日本は「抗日」取締を中国に要求。このへん、今と似ているのが笑えます。もう、北京・天津まで目の前だ。それなのに蒋介石は「抗日」にたちあがらない。内戦やめろ!日本と戦え!労働者のみならず資本家までが危機感。それでできた組織が、1936年6月の全国各界救国連合会。前身は、中国民権保障同盟。国民党の特務機関によって、指導者の暗殺など様々な弾圧がおこなわれた団体でした。常務委員は、沈鈞儒ら15名。かれは辛亥革命に参加。国会議員。当時、上海弁護士会会長をしてました。構成員は、蒋介石と衝突した国民党左派から共産党員、第三勢力まで。上海では、学者・弁護士、国民党左派の力がつよかった。軍事衝突を停止せよ!各党・各派は共同綱領を作って統一的抗日政権を!「抗日第一」のため、政治犯を釈放せよ!協力して共同の敵「日本帝国主義と漢奸」を倒そう!1936年8月、毛沢東はこのスローガンを認め、あとは国民党の対応次第ということになった。そんな最中、36年10月19日、魯迅死す。上海万国公墓に埋葬される。葬儀委員会は、宋慶齢、スメドレー、内山完造、沈鈞儒ら10名。10月22日、魯迅葬儀。棺を見送る人々は街路に群れをなした。沈鈞儒は、「民族魂」と素軸にかき魯迅の霊柩にそえ演説しました。 富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず。 これが魯迅先生の精神である。…魯迅先生は死なない。 先生が我らの心頭にとどまり、片時も離れることがないように願っている1936年11月、上海在華紡(日本資本紡績工場)ストライキはじまる。反日大ストライキとなって全国に波及する。かれらの運動ため、後援会をつくり支援する救国連合会幹部たち。11月22日深夜、上海租界にいた、全国各界救国連合会7人の領袖の逮捕。罪名は「危害民国緊急治罪法」違反。澎湃たる反日ナショナリズムの高揚。かれらの闘争がはじまった。弁護士はたちどころについた。国民党の対日姿勢への反発からか。12月5日、蘇州に護送される彼らは、道中、映画「風雲児女」主題歌、35年8月にできた田漢作詞・聶耳作曲「義勇軍行進曲」を口ずさんだという。現在の中国国歌のアレである。聶耳は、ソ連への旅中、35年7月、日本の湘南海岸で溺死。田漢は、文革で獄死することになる。12月12日、西安事件。張学良8項目要求の一つは、彼ら7名の釈放であった。「奴隷のような境遇におかれた東北地方の同胞をおもえば、こんな苦労は」後に彼らの一人は、こう語っている。1937年4月3日。江蘇高等法院検察官は起訴。6月11日、「七君子」裁判が開廷。弁護団は、法廷を抗日救国運動のためのプロパガンダの場にかえるべく弁護方針をたてた。三民主義を害し、共産党とむすびついて階級闘争をあおるという罪状は、日本の新聞などがこじつけたものに過ぎない!!と反駁。広州では学生が、「愛国自由」と7名の無罪判決を要求。全国各地のマスメディアで、「愛国活動は無罪である」という論調が広げられた。6月25日、宋慶齢ら16名は、「救国入獄運動」を発足させる。その宣言文では、このようにのべられた。 愛国に罪がないならば、沈鈞儒らとともに自由を享受しよう。 愛国に罪があるならば、沈鈞儒らとともに処罰をうける!! …… 我らが入獄を準備するのは、もっぱら沈先生たちを救済するためではない! 全世界に中国人が決して生を貪り死をおそれる臆病者ではないことを 愛国的中国人は沈先生ら7名ではないことを 千万人いることを われらは知らしめたいからである。 中国人魂は死なない。 中国は永久に亡びない!!7月5日、宋慶齢ら12名は、上海から蘇州にむかった。蘇州につくと、ただちに自分たちを牢獄に下すように要求する。7月31日午後、7君子は群衆の歓声をあびながら保釈。沈鈞儒は齢60を越えていたが、釈放後、新聞記者にこう語ったという。 今日、監獄の門を出たが、敵に抵抗せよの声があまねく全国に及んでいる のを目にした。心中とても喜ばしい。まさに最初の目的をかえることなく、 国家と民族のための解放と奮闘を誓うこのとき、すでに日中戦争は始まっていた。沈鈞儒は、日中戦争中、奥地にあって抵抗活動をつづける。ただし、国民党にも共産党にも属さない、団結抗日の民主派として。1941年、中国民主政団同盟を結成。1944年、中国民主同盟を結成。1945年、第二次大戦に勝利後、今度は国共内戦がはじまる。国民党の弾圧をうけて非合法化される民主同盟。方針転換させた沈鈞儒。1948年、民主同盟は、反蒋介石の立場を鮮明にし、共産党と協調する。1949年10月、中華人民共和国成立後、沈鈞儒は最高人民法院院長になる。1954年、全人代常務委員会副委員長に。1963年、6月、逝去。89歳。救国会や民主同盟の同志は、反右派闘争でつぎつぎと倒されていった。長らく中共の国家副主席をつとめ、「国家名誉主席」の称号をおくられた宋慶齢が死んだのは、1981年のことである。死の直前、彼女は共産党員になったという。彼女は、死の直前まで党員ではなかったのだ。昨年、蒋介石夫人、宋美齢(宋家三姉妹三女)死去。享年106歳。愛国無罪は、「愛国に罪はない」といっていたのではない。愛国が有罪であるならば、その罪をひきうける覚悟の言葉として発せられた、自らを牢獄に入れるようもとめた反政府運動のスローガンである。今はどうなのかは、知らない。ただ、かれらの路程をみるにつけ、民主への遠い道のりを悼むだけである。 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 18, 2005
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本日は、しょうがないので書評をやめて、反日デモについてかく。やりたくないんだけどねえ。だいたいなあ、日本のマスコミとウヨクはバカか?なんじゃこりゃ。↓毎日:「愛国無罪はええじゃないか」http://www.mainichimsn.co.jp/shakai/wadai/news/20050414k0000e070076000c.html讀賣も産経は、論外だからまあいい。煽られて騒ぐ連中は、本当にバカではないのか?とおもってしまう。要するに、中国でふきあれる「愛国無罪」は、「われわれが暴れるのは愛国の心情からだ。官憲は邪魔立てするな!」という叫びなんだそうだ。愛国だから許されるという意味なんだそうだ。それで焚きつけられて怒っているらしい。バカも休み休みいえばいい。そもそも「愛国無罪」って、主要な出典が分かってるか?1936年11月23日、「七君子事件」というものがあった。そのころ国共両党は、内戦の中にあった。それを憂い、国民党と共産党の一致団結と抗日をもとめていた、全国救国会運動の指導者たち。かれら逮捕されちゃった。国民党は、彼ら救国会の運動を共産党の運動とみなしていたのですな(実際、繋がりのあった人は多かったのです)。そこで七君子は、裁判などを通じて「愛国無罪」の論陣をはる。それだけではない。かれら逮捕された「七君子」たちを救え!!。救国会の陰のリーダーであった孫文夫人・宋慶齢は、「救国入獄運動」を大々的に展開することになる。つまりですな、「愛国無罪」という標語と、その後の歴史的系譜を整理すればこうなる。「愛国には罪はない。もしあるとすれば、われわれも犯罪者なのだ。われわれを逮捕しろ!!国を救うためにみんな七君子とともに入獄しよう!」。その後、西安事件がおき、潮流がかわる。かれら七君子は、日中戦争開始後釈放されることになる。36年12月の西安事件とともに、無茶苦茶有名な事件です。一言で言えば、「愛国無罪」は由緒正しい、反政府運動のスローガンなんですよ。あんまり知らないでしょう。「愛国無罪」をかかげるとき、それは中国では「7君子」にまつわる政治儀礼の再演に他ならない。「われわれが暴れるのは愛国の心情からだ。官憲は邪魔立てするな」のはずがないじゃないの。後段の「救国入獄」が略されていることくらい、バカでもわかる。政府ならなおさら。そして、そこで「愛国無罪」を掲げてデモが繰り広げられるその意味。「愛国をかかげる我々を逮捕できるなら逮捕してみるがいい」これ、「中国政府への挑発」以外の何があるんかいな。マスコミはアホか。意味がまるで逆であることを知らない。「愛国無罪」は、中国政府に向けたデモ隊の脅し「でも」あることをまるで理解できていない。なぜ、「愛国無罪」「救国入獄」は問題になるのか。なんで中国政府は、デモに弱腰になってしまうのか。あたりまえだ。「愛国無罪」のもつ以下のテクスト。そこの「愛国」の部分に「投石」や「不買運動」、「七君子」の部分に「投石した犯罪者の逮捕」とやらを入れてみたらいい。↓↓↓↓「七君子を救おう!。愛国には罪はない。もしあるとすれば、愛国心をもつわれわれも犯罪者なのだ。われわれを逮捕しろ!!国を救うために七君子とともに、みんなで入獄しようじゃないか!」↑↑↑↑不買運動や投石くらいならまだいい。これを「日本人狩り」にかえたらどうなる?おまけに反政府運動に火をつけた上で、やられてしまった日には。中国政府は対応できない。てか中国人はやりかねないのだな。不満がマグマのようにたまってることは、今さらゆうまでもないでしょう。日本人を殺害して、「愛国無罪」をとなえ居直る「君子」。それを讃え「救国入獄」をとなえてデモをやる人々。想像してみたらいい。今のおぞましさの比じゃない。しかも、逮捕したら最後、中国共産党は国民党と同じことをした政権になりさがることになる。だから、反日デモという名の反政府運動を鎮圧しない。自然鎮火をまつ。その証拠に、政府が拘束したとされる、上海殴打事件で拘束された人の「名前を明らかにされていない」ことをみたらいい。されてしまったら、いったいどうなってしまうのか?尖閣諸島に上陸して強制送還された中国人みたいに、「君子」よばわりされちまうでせう。記憶にあたらしいことでしょう。ありゃホントに不愉快じゃった。白状すると、評者はこの反日デモが楽しみで楽しみで仕方がない。個人的には、「救国入獄」がどのような「変奏曲」となるのかが知りたいからだ。これが、「業」というもの、なんでしょうね。中国は非民主的、反日的という。それは正しい。しかし、歴史をよくみてみることをすすめたい。戦前日本。反日にみえた国民党に暴支膺懲を叫んで、よりタチのわるい共産党を招いた。共産党を叩くのはいいさ。でも共産党よりタチのわるいやつらを招くことにもなりかねん。中国人のカウンターエリートは、共産党エリートよりタチが悪い連中でないと断言できるのですか??わたしにはそんな勇気はありません。北宋は、遼に圧迫された恨みつらみから、金と同盟を結んで遼を滅ぼした。そしてその金に北宋は滅ぼされた。南宋は、金に圧迫された恨みつらみから、元と同盟を結んで金を滅ぼした。そしてその元に南宋は滅ぼされた。あんまり野暮なことはいいたくないけど、歴史はくりかえさせるのだけは止めて欲しい。まったく。というわけで、明日から書評レビューに戻りたいとおもいます。
Apr 17, 2005
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時宜をえた出版に感謝したい。独占禁止法と公取委を、「競争法」の展開の中に位置づけようとする力作です。久しぶりにいい本を読ませていただいた。市場の自律調整機能を信頼し、競争機能を活用しようとする「競争政策」と「競争法」。米国反トラスト法とEU競争法の、2大「競争法」に収斂しつつあるのだという。ハーバード学派からシカゴ学派へ。それにともない1970年代、独占業界や寡占業界(上位4-8社が、50-80%の市場占有率)への対策は、企業分割による構造措置から、カルテル規制と違反行為排除という、「行為措置」を適用する方向にかわったとされています。たしかに、独占規制、垂直的制限規制、企業結合規制は緩和していました。しかし1970年代まで、主要先進国は独自の競争法をもっていたものの、ほとんど米国でしか機能していません。今でも米司法当局のカルテル摘発力は高い。あらたに台頭したEU競争当局と米は協定をむすんで、実質的に運用は、統一された状態にあるという。独禁法は、「不公正な取引方法」の禁止と「不公正な競争方法」の禁止が、無意味に重複規制され、競争法体系が歪められていることが批判されます。独禁法は、反カルテル法をモデルとした立派な法律でありながら、通産省の「産業政策」優位の下で運用が歪められてきました。そのため、1970年代まで、取引方法規制・濫用規制など、さまざまな別の法律によって弱者保護せざるをえなかった。それが、私的独占・不公正な取引方法の禁止で規制できるにもかかわらず、国際的契約制限などの重複規定などをもたらし、さまざまな問題を引き起こしているという。また、価格カルテルに課徴金がない。行政指導だから判例形成がなされない。審査能力も低い。カルテル適用除外は多い。とくに、問題が多いのは企業結合規制。事前届出制は、株式まで及んでいない。その届出制も、透明性がなくて行政指導にたよる。その反面「競争法」は、刑法の業務妨害や不正競争・不法行為まで適用されたり、弱者救済などの「社会法」的運用までおこなわれたりしたという。それでも80年代以降、独禁法の重複規制の欠陥をのりこえ、単一競争ルールのための判例形成がすすんできたといいます。こうした判例が詳述されるとともに、刑法、不正競争防止法、民事契約法などで、司法救済すべき分野も提示されます。最近続いている、株式保有制限の廃止・緩和、純粋持株会社の容認、私人による差止請求権創設、排除措置命令や課徴金納付命令の強化という流れ。こうした動きは、独禁法の「競争法」として純化・実効性強化であるとともに、独禁法が負わされてきた日本独自規制の廃止なのだと整理されています。残された課題としては、国際カルテル談合、官製談合の摘発であり、国税当局、証券取引等監視委員会などがもつ反則調査権限と、告発・協力者に対する減免措置の導入だそうです。また、カルテル抑止には刑事罰が相応しいなど、納得できる提言も多い。昨今の荒れ狂った清算主義的な「構造改革」礼賛。また、無意味極まるネオ・リベ、ネオ・コン批判の「反グローバリズム」。この2つの、行き違いというか、まったく噛みあっていないシャドーボクシング的言説に辟易しているものにとって、干天の時雨といった所です。競争をめぐる適切な問題系の整理がなされていてよい。弱者保護は、競争法ではなく、契約法、労働法、消費者法などでおこなうべし。これも政策割当として適切な考え方であります。ただ、こうした側面をどのように実践していくべきなのか、著者の考え方をのべてほしかったという感がなきにしもあらず。評価 ★★★★価格: ¥735 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 13, 2005
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この程度のこと、本当に今まで言われたことなかったのか?評者は、ほとほと疑問に感じるのですけど。内容はこんな感じ。卑弥呼は巫女ではない。戦う首長だった。中国の使者に、国王は姿を現さなかっただけだ。8世紀までそうだった。だから「見えない国王」として魏志倭人伝に記された。卑弥呼に唯一出入りしていた男。飯豊王も、考謙=称徳帝も、卑弥呼も、出入りが許されたのは夫であろう。古代では、男女に別はない。妻問婚で、男のみならず、女も何人もつれあいがいた。なにより、名前は男女とも同質の名前だった。8世紀、女性観の転換がおきた。文献史料上にみえる「ヒコ」だって、本来男とはいえない。「ヒメ」「メ」は、女性のみに「後世」に与えられたジェンダー記号にすぎない。神功皇后だって、本当は君主だ。近代日本が必要としていたイデオロギーによって、卑弥呼像は変質した。とくに内藤湖南、白鳥庫吉によって。……義江教授は、古代女性史研究者。「記紀」のイデオロギーに注意しつつ、さかのぼること500年前の社会を想定。8世紀に成立した文献から復元された、3世紀卑弥呼像の推測である。だから、「卑弥呼」といいながら、実は卑弥呼そのものを扱ってはいない。古代日本史。専門書を上梓してやっと就職が可能になる、恐ろしく厳しい分野。某大学教授が、男子院生の嫁にするために女子院生をとると放言した領域。研究者死屍累々。文献1行1行に注釈がつき、見解の相違がある、「分厚い研究」領域。「男女同じ」「卑弥呼だって戦った」くらいのことを言った人が、過去にいない。そんなこと、誰が信じられるだろう。なぜ、白鳥・内藤しか引用されない?「邪馬台国」ブームからすると、考えられないような、先行研究の無視。しかも、近代日本イデオロギーによって変質したんだ!くらいなら、小路田泰直『「邪馬台国」と日本人』でとっくにいわれてる。かな~りトンデモ本だけど。「ヒメ」「メ」以前にだ。そもそも「邪馬台国」「卑弥呼」なるものが存在していなかったら、どうなるの?「卑弥呼」「邪馬台国」とは別に、古代王権が日本にあったとしたら?魏志倭人伝はウソを書いていたらどうする?本当に使者は日本に来たのか?史料という前提、史料のイデオロギーを疑うというのは、そういうものだろう。結局、卑弥呼像としては「あっ、そう。フェミっすね」の一言ですむ。間違ってはいないけど、それがどうしたんだい、てな所でしょう。おまけに、邪馬台国史学史の整理にもなっていない。7・8世紀以前の「古代社会」像のまとめ以外の価値がないことが惜しまれる。タイトルに偽りあり、という所だろう。評価 ★★☆価格: ¥714 (税込)追伸ちなみに小路田のこれは、史学そのものに秘められた政治的イデオロギーを先鋭に描き出していてなかなか面白い。取り扱い注意ではあるけれど。評価 ★★★価格: ¥714 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 12, 2005
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悩みは個人的な偏差が大きい。一般化できない。しかし、悩みに対する回答者の答えは、時代の思潮によって制約されるはず。相談ごとを受けた以上、解決してさしあげなければならないのだから。そうした回答は、時代によって変遷がみられるだろうし、それは一般的な社会通念の変遷たりうるのではないか。かような、作業仮説をへて展開される、社会学の書。たしかに、悩みとその回答は、面白いものばかりです。しかし、駆使された社会学的知見は、まったくつまらない。一体、なんでだろうか。靴にあわせて足を切る、大日本帝国陸軍的分析というか。現代社会の理論にあわせて相談ごとを選んでいる、というか。「個人化」「自己決定」1970年代~2000年代を生きた人間には、まったく妥当な分析ばかりが、相談ごとの変遷をふまえ、展開されています。学校しかり、会社しかり、恋愛しかり、家族しかり。ただ、見田宗介をはじめとした、既存のグランド・セオリーをなぞるだけで、新しい視点がまったくといっていいほど、くみだされてこない。相談ごとの分析を通して、あたらしい理論を提示しようという欲がないというか。新聞や雑誌で語られるような、特集記事レベル、三文記事レベルでしかないというか。たとえばこれ↓学校の成績における「個性」の強調。こうした「個人化」は、家庭環境の不平等といった社会の問題にまで、個人がひきうけさせられるのではないか…こうした「問題意識」さえも、「型にはまった」感じがさせられて、「何だかねえ」とおもわされるのですね。もうすこし、なんとかなった気がするのですけど。要するに、社会学が扱う対象は、あまりにも身近すぎるから、分析者の「力量」がすべて!!…なんでしょう。日頃の努力とか量とかでは、おぎなえないのかもしれません。「ホント、大変な学問だわ」とすら思わされました。評価: ★★☆価格: ¥756 (税込)追伸まあ、これを読む位ならば、『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫)の方が讀賣新聞の一次的史料を駆使しているだけ面白いですね。ご一読くだされば幸いです。評価: ★★★☆価格: ¥714 (税込)
Apr 10, 2005
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コミックス派のおいらにとっては、なんか話が替わってきてしまい、大変困ってるんですが。周りの友達に、今どうなってるの?と聞くわけにもいかず、、、むろん、ミステリーっぽい所を鑑賞しておりました。ストーリーも、「死のノート」と死神という現実感の薄い所をのぞけば、「名探偵 L VS 『新世界の神』キラ」のバトルの迫真さといい、最高でした。好かったなあ。夜神月の部屋の盗聴をめぐる心理戦や、街路の監視カメラなど映像などの分析。なんというか、監視社会の恐ろしさ!また、主人公夜神月(ライト)も邪悪で好かった。内面の過激さと外面の優等生。分離させても平然としているあたり、なかなか。個人的には、死神ジェラスの死のお話がツボだったんだよね。死神設定なんかより、こういう人物の繊細な心の揺れ動き。ほったゆみもそうだけど、やっぱり大場つぐみは女性なのか?と、大プッシュだったのに、、、、キラも第二のキラも記憶を返上してしまい、あの邪悪な「新世界の神」夜神月を返してよ!キー!という感じです。ヨツバグループ編なんて、どうでもいいっす。ミサを愛する紳士的な夜神月なんて、そんな気持ち悪いもの、見たくありませんよ。てか、この調子で、1~4巻頃の高密度のお話しを描けるのでしょうか、、、う~ん、参ったねえ。期待していいのかしらん。絶対、ヒカ碁ほど、続かないように思えるのですけど。評価 ★★★価格: ¥410 (税込)
Apr 10, 2005
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これにハマる世の男どもは、どこを面白いとおもっているのだろう。おいらは、よくわからん。おいらは、断然、姉妹(スール)制度のもつ「権力関係」そのものに目がいく。華族の令嬢のためにつくられた、カトリック系リリアン女学園。高等部では、擬似的に上級生と下級生が、「姉妹」の関係をとりかわす。妹はお姉様の手ほどきでしつけられるという。姉妹の関係をとりかわすとき、授受されるロザリオというアイテム。この女学園、「巨大な監獄」でなくてなんであろう?てか、まんまパノプティコン(一望環視施設)じゃないの。姉妹関係は、女性がより女性らしく振舞うことをもとめる。姉の視線は、妹の身体に内在化され、妹の身体そのものを規格化してしまう。こうして、姉にふさわしい妹になったとき、姉は卒業。妹は姉となって、次の妹をさがし、この過程がくりかえされるのだ。令嬢の再生産装置ですよ、旦那!!(なぜ、ここで旦那?)姉妹制度は、ご令嬢をつくるシステムとして埋めこまれている。「学校の黙認」なんかであるはずがない。というか、全編が「悦び」の物語。この小説の主人公福沢祐巳は、ロサ・キネンシス(赤薔薇様:生徒会長そんな制度があるのです。わからない方は小説を読んでいただきたい)小笠原祥子様にふさわしい妹になるために努力する。姉がいなくても、妹になるようにふるまわせる、おそるべき監視装置ロザリオ。承認願望をかなえられたとき、しばしば彼女が発する「お姉様!」のセリフ。うううう。「悦び」は、祐巳の身体をとらえて放さない。「悦び」を介していざなわれる、象徴的去勢のない直接的関係性への回帰、融合的一体化。これ、そのまんま、ファシズムの穏喩じゃん。てか、これくらいファシズムの愉悦を、融合的一体化の喜びを、ダイレクトに謳いあげるライトノベルって、わたしは読んだ記憶がない。なんて淫靡なイデオロギー装置であろう。たいてい、男の欲望をそのまま投射するだけでおわるのに。さすがは今野緒雪先生。女性だけにうまい。というわけで、おいらは男どもに勧めてまわっております。ところが、ルイ・アルチュセールやミシェル・フーコーなお話ができる人に限って、なぜか読んでくれない。悲しい。誰か読んでくださいな。あと、結婚した男性も読んでくれない。読むのは、もてなさそうなオタク野郎ばかりなんである。あ、おいらもか。まあ、オタクはファシストが多いから(笑)。「これホント?」なんて言いつつ、読んでいる男には、女性は警戒したほうがいい。男の欲望を捉えているのは、百合的な話なんかではない。直接的関係性の回復を社会にむけて放つ、ファシズムの愉悦なのである、な~んてね。ネタバレになりますが、お話の方をそろそろ。こんな話は、受け手における「転移」の問題であって、この本とは本来なんの関係もないのに、長々とかいてしまってすみません。今野先生は、とても繊細にお話をすすめている。丁寧な複線のつくり方と、細やかな流れがとても心地よい。やっぱり祐巳は可南子ではなく瞳子を妹に選ぶみたい。残念。瞳子は「姉」になにをもとめているのだろう。瞳子と乃梨子は、絶対同人誌かなんかで描かれるんでしょうねえ。読みたいなあ。そして由乃は、あの子とどんなスールの関係をつくるのだろう。新聞部の新カップルはともかく、蔦子と笙子についてはおめでとうといいたい。蔦子も祐巳も、細かい気配りができるからお幸せに。前・三薔薇様揃い踏みは、ひさしぶり。「中間報告」は、「選ぶ・選ばれる」にまつわる裸の関係をここまでアカラさまに出すのはちょっと暴力的かな、と思った。評価 ★★★★価格: ¥460 (税込)
Apr 9, 2005
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とうとう、来るべきときが来た。世の中、「入門書の入門書」が必要な時代になったようです。古本屋で買ったから実害は少ないけど、これを新刊で買ってたとしたら…たぶん私は泣いていた。いや、本当にこれは分かりやすい、いい本ですよ。身近にあるさまざまな謎について、「会計学」を援用しながら説明していく。「なぜ、あのフランス料理店、客が入らないのに潰れないのだろう」「竿竹屋はどうして誰も買わないのに商売が成立するんだ?」「あの自然栽培の店、お客入らないのに、なにやって稼いでいるのだろう」「なんでAさんは、いつも割り勘の支払い役を買ってでるんだろうか」……たしかに会計学は、こういうことを理解するためのキーを提供してくれる素晴らしいツールです。近年、貸借対照表や損益計算書とならんでクローズアップされている、キャッシュフロー会計の重要性とかも、とりあげられています。負債を増やさない資産など、考えられないことが分れば、東シナ海ガス田をめぐる狂想曲も一段落つくでしょう。まったく誰が費用負担するんだろう。主張する人間が金だせやゴラア!!でも、「会計学自体」はさっぱりわからんでしょうな。はっきりいって、「会計学」を学びたい人にとっては不要の書。「会計学」をやると、どんなことが分かるのか?これが知りたい人むけ。評価: ★★価格: ¥735 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです
Apr 8, 2005
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講談社現代新書は、表紙がかわってしまい、すっかり読まなくなった。なんだか、右翼・保守などでは、評判高い本らしい。ひさしぶりに買ってみた。むかし書いた「東アジア大陸の民族」(『民族の世界史』山川出版社、1983年)。その「完全版」というふれこみらしい。読んでみたけど、ホントに酷い入門書ですわ、これは。そこかしこに、誤字脱字があるわ、地図が全然役に立たないわ。さすがに、こんなの山川出版社から出せるはずがない。だから、「民族」部分以外の、今回出版するにあたって新たに手を加えた、中国本体関連「のみ」がひどいに違いない。わたしには、民族部分もおかしいように感じられるのだが、、、ともかく、細かい史実は間違いだらけ。とくに、明朝とか、、、こんなもの、よく出す気になったもんだと、ほとほとあきれてしまう。唐宋変革や、明清変革に触れない入門書など、おそらく前代未聞の珍事だろう。老人の白昼夢に近い。てか、岡田歴史学が何をさすか不明。岡田の新しさがどこに「あったのか」すら、よく分からない。大清仏教帝国論絡み以外、示唆されるような内容は、どこにもなかった。言語絡みの議論は面白いけど、本人のオリジナルともおもえないしなあ。たしかに「でかい」ことはかかれてます。宮崎市定の時代なら、実証抜きで大きなことを言うのは認められていました。しかし、今そんなことやったら、プロパーに袋叩きされるに決まってます。だって、誰だって実証抜きならどんなことでも言えるんだもん。読んでみてわかったが、こりゃ相手にされないのも無理はない。こんなの読むくらいなら、足立啓二や、モンゴルでは杉山正明をよむべき。朝貢システムから近代への移行なら、茂木敏夫、浜下武志、岡本隆司。これらを読んだ方が絶対いい。はるかに知的にスリリングですもん。入門書には、寺田隆信『物語 中国の歴史』中公新書などがいいでしょう。悪貨は良貨を駆逐する。こんな入門書を出すのは、マジメに勘弁して欲しい。講談社現代新書。瀟洒というか、ハイソな雰囲気を醸しだしていた、あの表紙の頃がなつかしい。内容は、あれで随分カバーされていたのに、ホント惜しいなあ、、、こんな内容でも出さなければならない所をみると、やっぱり経営が危ないのでしょうか。評価 ★価格: ¥777 (税込)人気ランキング順位
Apr 6, 2005
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最近、ジャズ・ピアノの面白さにはまってしまい、購入してみた本書。とりあえず、芸術度・技術度・大衆度の3つにわかれて評価がくだされています。すべて満点の合計星15個は、キース・ジャレットとビル・エヴァンスのみ。この2名は買え!ということだな、とさっそくCD屋をハシゴしたところ大当たり。たしかに素晴らしい。泣きましたよ、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」には。転調するタッチにはゾクゾク。ビル・エヴァンス「ポートレイト・イン・ジャズ」もなかなか。というわけで、キース・ジャレットにはまる日々。ありがとう、小川様。というわけで紹介されていた人をあげますと★が一つ欠けて、満点をのがした人/バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、エロール・ガーナー、ホレス・シルヴァー、山下洋輔、ハービー・ハンコック、チック・コリア。これまでどこかで聞いたことのある人が多い。だが、チック・コリアのアコースティックジャズには、まるでダメだった。まるでF1グランプリのOPでよく流されていた、フュージョンを聴いているみたい。★が二つ欠けていた人/秋吉敏子、トミー・フラナガン、ソニー・クラーク、ケニー・ドリュー、デイヴ・ブルーベック、ジョージ・シアリング、レイ・ブライアント、セシル・テイラー、小曽根真。この辺になるとよく分からない人がならんでいる。まあ、一般人にとっては、限界といった所なんでしょう。エディ・ヒギンズとジェリ・アレンの評価が意外と低い。買おうとおもったのだが、「要試聴」といった所なのか? これまで、クラシックのピアノ音楽は、あまり好きになれずに聴いていなかった。なにせ、モーツアルトを食わず嫌いしていたのだから、仕方がない。そのためか、ジャズ・ピアノの面白さに驚いていたりする。小川隆夫の長年にわたるジャズ奏者との交流。奏者にふれつつ語る姿は、なかなか格好良い。なにを買ったらいいのかを考えるときにはよい参考書でしょう。マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンを買わんか!!と友達に迫られる日々。ピアノからぼちぼち広げていこうか、と考えております。価格: ¥924 (税込)評価: ★★★
Apr 4, 2005
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宝塚って、もっとも興行的成功をおさめている「歌劇場」なんだ!あまりにもあたりまえな、ショッキングなこの事実。すっかり失念していた評者は、むさぼるように読んでしまった。「宝塚」に腰がひけてしまう人には、必見ではないでしょうか。1913年唱歌隊として出発。宝塚音楽学校を卒業した未婚女性による演劇。「清く 正しく 美しく」。現在、歌劇場は「花・雪・月・星・宙」5組400人の団員をかぞえ、舞台スタッフや営業などをふくめると、関係者は900名におよぶ。民営で地方に立地。本拠地では、1日2回公演のときでも、11時と15時開演で夜の部がない。年間観客動員数は260万人。どんなスターにも、マネージャーやスタイリストはつかない。メイク・カツラからアクセサリーまで、完全なセルフ・プロデュース。精進する彼女たちに憧れ、羨望、庇護意識をかきたてられる、熱烈な女性ファンの存在。現実の男性からの差異化に宿る、鍛えあげられた「男役10年」の美とエロス。近代の異性愛主義に囲われず、しかし「異性愛」を歌いあげるタカラジェンヌたち…。こうした特異性は、1920年代4000名収容の大劇場の建設による、それまでの舞台芸術からの「切断」が発端らしい。それまでの劇場は、歌舞伎、新劇、オペラ、ジャズ、バレエ、ミュージカルが混在し、40年代頃までジャンル間の横断はさかんにおこなわれていたという。大劇場をうめるため採用された、スペクタクルを観客に提供する「レヴュー」路線。モダニズムの尖兵でありながら、ノスタルジアを売る「健全な娯楽」宝塚。こうした宝塚の誕生には、小林一三阪急・東宝グループ総帥の存在が欠かせない。イギリス型田園都市とはことなった、職住分離の田園都市構想。帰る場所をもたない新中間層にささげられた郊外的ユートピア。宝塚大劇場は、かれらをターゲットに和洋折衷の「国民劇」上演舞台としてつくられます。ここで、「芸を売り、身を売る」それまでの女優像からの「切断」のため、かつてないセクシュアリティとして創造・駆使された、「生徒」「学校」というイメージ戦略。そのうえレヴューは、輸入元のフランスではすでに廃れつつあったらしい。それにもかかわらず、フランスで「新オペレッタ」といわれた、アメリカナイズされたレヴュー=「ミュージカル」を古色に焼き直した形で輸入したのだという。帰る場所をもたない人々にむけて「ふるさと」を歌いあげる宝塚。1930年代「男役」の誕生と、戦時下の統制によってすすんでいく「女性の聖域」化という現象。戦時下における協力の両義性。戦後GHQの検閲…。時代の先端「モダニズム」であったはずなのに、いつのまにか、取りかこむ情勢が変化。やがて「周縁」的なものになっていく。宝塚があらゆる意味で「周縁」へと位置づけられていった過程が、ここでは詳細に説明されています。と簡潔にまとめてみたものの、実に大変でした。記述が錯綜し、何度も同じことが繰り返され、かなり理解しにくい。章立ては、宝塚の現況、歴史、ジェンダー、システムの順になっています。これをみても分かるように、せめてもう少し何とかならなかったのかな、と感じました。宝塚の歴史としても、宝塚のイデオロギー分析としても、「フェミニズムと宝塚」としても、ファンブックとしても、いずれも中途半端さがぬぐえません。うまく総合させられれば、話はまったく別なんですけど。また、気にくわない宝塚に関する諸言説や、フェミニズム的アプローチなどに、いちいち論駁しているのも、なんだかなあ。その内容を知らない読者には、いささか散漫に感じられますし、批判も紋きり型すぎて食傷します。たぶんこうした中途半端さは、講談社選書メチエ『宝塚 消費社会のスペクタクル』で書ききった、ということもあるのでしょう。興味をもたれた方は、そちらも参照ください。評価 ★★★☆価格: ¥777 (税込)
Apr 3, 2005
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