全20件 (20件中 1-20件目)
1

正月恒例のがめ煮です。ってまだ1ヶ月ほど早いのですが、なんかその気になって作りました~(笑)しかし野菜が安いですね~。出来すぎで廃棄されているというニュースも見ましたが、本当に廃棄する以外に方法は無いものなのかといつも思ってしまいます。どこかの企業が買い取って何かの形で社会に還元すれば損にはならないように思ったりもするのだけれど。。。
November 29, 2006
コメント(28)

今日、うちのは無事退院いたしました。ほぼ予定通りで術後の経過も順調なので復帰も早そうです。ところで、しばらくブログの更新をサボっていたのですが、そのブログのことでちょっとした事件がありました。僕のブログは普段300~400ぐらいのアクセス数なのですが、先週の土曜日あたりから急に増えて、日曜日は2400を超えたのです。ここのところ楽天ではアクセスカウンターの不具合があったのでその余波かとも思い知人にそれとなく聞いてみたのですがそこでは特に変わりない様子。一体何事か・・・いろいろ考えを巡らせてみるけれど皆目見当がつかない。アクセス数が増えることはうれしいのだけれど、正直この増え方には薄気味悪さを感じた。月曜日になってやや勢いに翳りは見えてきたけれどまだ異常な状態の中、一通のコメントを頂いた。・・・ 実は、今日偶然『氷点』を検索していて発見させていただき ・・・ん!?僕はすぐにGoogleとYahooで「氷点」というキーワードで検索をかけてみた。そうしたらなんとYahooで4番目にヒットした。(Googleではヒットせず)WikipediaやAmzonなどのHugeサイトに混じってだ。ちょうど先週末、テレビでは「氷点」を放映していたのだ。な・る・ほ・ど!!この推察が正しかったことは今日、また平穏な状態に戻ったことで証明された。Yahooなどのあの順列についての仕組みは全くわからない。何故、僕のブログがそんなに高い位置に並んだのか・・・(ちなみに先ほど検索してみたが跡形もなく消えていた^^;)ブログを始めてまもなく1年になろうとしているが、始めた当初の緊張感(=世界と繋がっている)は薄れている。ちょっとした居心地の良さと、たまに感じる閉塞感の中で日々更新を続けている。でも、今回のことでやはりネットは広く大きな世界に繋がっていることを改めて思い知った。そして自分自身、まだまだ準備ができていないことも自覚した。フィーバーは去った。そして、いつかはちゃんと自分の力であの海へ出てみたいものだと思う気持ちが心に残った。
November 28, 2006
コメント(39)

カゼヒキマシタノドガイタイ・・・エキマエ ノ ヤオヤマデ コブシヲニギリナガラ アルイタスジジョウ ノ雲ガ カワキキッタヨゾラニ ウカンデイタモウ ミカンガ アマイキセツ二 ナッテイタナンテキガツカズ二 イタヨ
November 24, 2006
コメント(33)

美味しそうなお団子。。。いえいえ、大根です(笑)昨晩、飲みかけのワインを使って煮込んだものです。昔、ミラノのレストランで大根のようなものを黄色く煮たものが出てきたのをヒントに作りました。そのシェフはおそらく沢庵をヒントにしたのでしょうね。冷やして食べるのがいいようです。ちょっと形を何か考えないとこれじゃおはぎですよね~。
November 20, 2006
コメント(22)

雨の日曜。僕はテレビを見ている。画面の中では関口宏の息子がスイス鉄道の旅をしている。緑溢れるの大地に、真っ赤な車両がすり抜けていく。まるで緑の谷を滑り落ちていく赤い絵の具のように。場面が切り替わるごとに僕は心の中で感嘆の声をあげる。”あ~、行ってみたい・・・”どういう構図で写真を撮るか考えながら。でも、同時にこう不安に思う。”撮りたいものがあまりにも多すぎる・・・”と。萌える緑、抜ける青空、変わった建物、人懐っこい笑顔。。。とても収め切れないほどの情報に溢れている。。世界は実に広い。そして僕はちっぽけなまんま。
November 19, 2006
コメント(20)

ちょっと油断したすきにそいつは行ってしまった。ついさっきまでの関係を全く無視するように、いや、むしろ今までがうわべだけの付き合いだったと訴えるかのようになんの未練もなく、何の迷いもなく去っていく。”繋いでいただけなんだね”遠ざかるその姿を見上げながら、そうつぶやいた。でも、いつか分かるよ。君の行く先がそんなに素晴らしいことばかりが待っているところではないということが。きっともっと話し合うべきだったのだろうね。ゆっくりと。たとえいくら時間がかかったとしても。なぁ、そうは思わないかい?
November 18, 2006
コメント(16)

NHKで長年にわたって放送されている「ER」というドラマがある。説明の必要もないかもしれないが、シカゴにある救急救命室を舞台にした話。毎週楽しみにされている方も多いと思いますが、僕もそんな一人です。巧みなカメラワークや緩急をつけたストーリ-、そして個性的な配役がアメリカの社会の中で生きる様を観られる一時間弱という時間はいつもあっという間だ。シリーズを重ねても人気の落ちないあたりは作る側のテクニックに敬服せざるをえない。(個人的にはジョージ・クルーニ-が出ていた頃がアツかったのだが^^;)しかし、この「ER」を観ていると何故かスターバックスとドーナッツを連想してしまう。何かのシーンで刷り込まれたのだろうが、どうも思い出せない。今うちのが入院している病院のエントランスにスターバックスが入っている。自動ドアのマットを踏み扉が開くと、それと同時に芳しいコーヒーの香りが鼻をくすぐるという仕掛けだ。すぐ先のエスカレーターでひとつ上の階の受付へと向かうのだが、誰もがしばしその香りに包まれて上がっていく。コーヒーが苦手な方にはお気の毒ではあるが、病院の持つ決して愉快ではないイメージをこの一角が和らげてくれている。コーヒーの持つ独特な魅力はまだまだいろいろな可能性を秘めているようにも思えてくる。さて、お風呂にも入ったし、ゆっくりコーヒーでも淹れるとしよう。最近の夜のお楽しみのFMでも聞きながら・・・
November 17, 2006
コメント(32)

昨日の話。うちの入院に付き添い、御茶ノ水へ行った。空はシオンでペーストされたような見事な青。そして朝の慌ただしい街にはこの季節独特の光の色が漂っていた。僕はこの街でわずかの間、大学生活を送っていた時期があった。駅を出て皇居方向には大学や楽器店が多く、橋を渡って反対側へ行くと病院が立ち並んでいる。およそ20年の時を経て、背中を丸めて橋を渡る比較的年配の列に加わって僕は歩いていた。諸事を済ませおよそ2時間ほどで病院を後にした。そして橋を再び渡り、今度は若い人の列に流されるようにして歩く。街は見覚えのないキレイなビルも多かったが、昔の面影ををそこここに感じることができた。僕の足は自然とかつての学び舎へ向かっていた。僕は一浪して大学に入学したのだが、思えばいつの頃からか大学へ行く以外の選択肢を持たない狭い思考回路の中で生きていた。それは小学生が中学へ行くように、あるいは中学生が高校進学を思うように・・・とにかく偏差値を上げることだけが勉強する目的だった。それはどこかゲームでハイスコアを競う感覚に似ていたかもしれない。。。そして大学入学を果たして、大学に通うようになってから僕は気がついた。”何をすればいいんだろう”と。かつての学び舎は僕の記憶の像とほとんど変わることなく存在していた。いい思い出はまったくないが、ここを通り過ぎたことの意味はあったはず。むしろ、通り過ぎて良かったとさえ思える。僕の長い影もそう言っているようだった。表通りを一本入ると昔からあるゲーセンが今も営業をしていた。店の扉に張ってあるゲームのポスターが、強風に飛ばされまいと必死にしがみついていた。僕はそのポスターが何の為にそんなに必死にしがみついているのか分からなかった。ところで先日の成績が上がったコツですが、僕は・・・「部屋をきれいに片付けるようになった」でした。始めに披露した僕は、後から発表したクラスメイトの答えに愕然とした。”俺はなんて幼稚なことをじゃべったんだろう”と実は長い間、自分の中には残り続けていた。今は俺らしくていいかなぁと思えるようになっているのだけれど。
November 15, 2006
コメント(29)

飛行機が空を滑る。冷たい空はまるでスケートリンクのようだ・・・
November 13, 2006
コメント(19)

中学3年の頃ちょうど今の時期だったが、模試の成績が良くて担任から褒められたことがあった。その担任はここのところ成績が良い秘訣をみんなに教えてくれないかと、僕ともう一人の生徒を前に呼んだ。夕日が差し込む壇上に並んだ2人。それぞれが披露した秘訣とは・・・”自分の部屋を最近よく片付けるようになりました”と”テレビを見ている時に今の台詞を英語でどう言うか考えながら見ています”であった。さて、皆さんは僕がどちらだったか分かりますか?正解はCM2の後で・・・^^;
November 13, 2006
コメント(20)

バーニャカウダの登場です(笑)。これがあると生野菜でも温野菜でもどんどんいけちゃいます。にんにくとアンチョビを使っていますが、不思議なくらい臭いもクセもないので苦手な方の入門編としてはいいかもしれません。風邪が流行っているようですけれど、もしかしたらこれ、いいかもしれませんね。
November 12, 2006
コメント(24)

彼に会ったのは2度目だった。何故彼だと分かったかと言うと、彼はお腹の横の辺りに独特の斑点を持っていたからである。その日は冷たい風の吹く、底冷えのするような朝だった。朝日がかなり斜めの低い位置から差し込む中、僕は洗濯物を取り込もうとベランダに出た。身を屈め手早く取り込んでしまおうとトレーナーに手をかけようとした時、彼がそこに居ることに気づいた。彼は風に揺れるトレーナーの肩にしっかりと掴まったまま身を固くしていた。”こんなところに居たって獲物はやってこないよ”僕は彼を獲物の取れそうな所へ移そうと、彼の背後からそっと手を伸ばした。カマキリを捕まえる時は小さい頃からそうしていた。ある程度の抵抗を予測しながらゆっくりとそして慎重に指を近づけていった。そして掴んだ。僕の予測は裏切られ、そして心に波が立った。彼は死んでいた。僕はそっと手を引いた。”死”するものの圧倒的な威厳はこの小さな生物からも力強く放たれていた。おそらくこの冷たい風が彼に死を運んできたのだろう。しかし彼は何故ここを死に場所に選んだのだろう。ここを登る時に、彼は一体何を思っただろうか。風は相変わらず彼をもてあそび続けた。しばらくして少し落ち着きを取り戻した僕は、再び同じ指で彼を掴んだ。そしてしっかりと食い込んだ細い足をそっとトレーナーからはずし、アボカドの茎の根元にそっと置いた。僕は手早く洗濯物を取り込み部屋の中に戻った。いつもと変わらない一日が始まろうとしていた。ただ僕は、指の先がぼや~っと違う世界に浸ったままのような違和感を少しだけ感じていた。
November 11, 2006
コメント(20)

アクセスカウンターの桁がひとつ増えていました。今年の元旦に”ブログってなんだろう・・・”ぐらいのノリで始めて10ヶ月。当初は自転車のアフィリエイトでもと思っていたのですが全く振るわず、半ば放置状態だった時期もありました。その間にいろいろなサイトでブログを作っては止めてを繰り返していました。日記には全く縁の無かった僕がここまでどうにか続けてこられたのは、たくさんの方々がここに立ち寄ってくれたことに他なりません。そして勇気付けられるコメントや、いろいろな事に気づかせてくれた書き込みの数々が始めた頃には考えもつかなかった方向にこのブログを導いてくれたことも確かなことです。本当にありがとうございました。ま、今後も精進してパワーのあるブログにしていくつもりです。これからも思い出した時で結構ですので、冷やかしにお立ち寄りくださいね(笑)で、お礼にというわけではないのですが、今年は久しぶりに年賀状を書こうと思っています。まだここでUPしていない写真の入ったポストカード風にしようかと考えています。もしご希望の方がいらっしゃいましたら、私書箱もしくは直接メールを送ってください。voices1965@yahoo.co.jp
November 10, 2006
コメント(41)

休日だった今日、友人の見舞いを兼ねて吉祥寺へ行ってきた。空は雲ひとつない秋晴れ。混沌とした地上と、それには全く無関心な紺碧の空。人間はこの青空を容易に汚すことはできるが、作り出すことは永遠にできない。僕らは今日もこうしてただ見上げるだけ。。術後日が浅い友人は、少しぎこちない歩き方でゆっくり待ち合わせの場所へやってきた。幾分痩せたようだが、肌つやは病み上がりを思わせないものだった。まだ湯気の立つコーヒーをもてあそびながら、”体にメスを入れることは思った以上に大変なことだった”と友人は心境を語った。僕はこの色の着いた液体が体に良いのかふと思った。実はうちのも来週手術入院が決まっている。おそらく一週間程度病院通いをすることになるだろう。病気にならないに越したことはないが、当たり前であったものを失うことで、改めて何かに気づくことは意味がある。僕は友人の後姿から伸びる長い影を踏みながら、くれぐれも養生してこの冬に備えて欲しいと思うだけだった。(井の頭公園で鴨に餌をやるおじさん)
November 8, 2006
コメント(26)

最近はしめじや舞茸、エリンギが年中安定して売られていますよね~。雪国まいたけやホクトなどの企業間の競争によって値段も安く、僕がよく行く八百屋では特売で並ぶこともしばしば。そんな時はまとめ買いしてこれを作ります。出来立てよりも冷やして食べるのが美味しいかも。ご飯のおかずというよりも、ワインのあてですね。ステーキの上に乗せて食べるのもお勧めですよ。
November 7, 2006
コメント(22)

人はいつか死ぬ。僕も例外ではない。それが明日なのか、何十年後かは分からないが。仮に明日死ぬとしよう。お通夜、葬式、四十九日、一周忌・・・しばらくは誰かの記憶に留まるが、それもそう長くはない。子供を残さなかった僕には、この地上に居た痕跡はきれいさっぱり消し去られるだろう。しかし、もし楽天という企業が永く繁栄を続けるとするなら、僕はこのブログの中で生き続けることができる。綴った駄文や、拙い写真をどこかの誰かが検索してやってくる。”あ~こんな奴がいたんだ~”と。僕の人生の一部は0と1になってこの世界の隅のほうで密かに存在し続けるのだろう。
November 6, 2006
コメント(32)

「もう試合始まってるんですか?」「あぁ、今始まったところだよ」自転車に跨ったまま金網越しにグランドを眺めていたおじさんはそう答えた。僕は自転車を降り、おじさんのすぐ横に立った。「あれ、ソフトボールですね。オジサンたち野球やればいいのに~」「もうみんな結構な年だよ。ほら。ソフトぐらいで丁度いいんだよ」なるほど。「ここ小学校のグランドですか?」「そうだよ。今は廃校になってるけどな」「え!!」今日久しぶりに自転車に乗り、このマンモス都営住宅に迷い込んでいたのだ。5階建ての団地がどうだろう、3,40棟はあると思われる。その中心にあるこの学校は今や休日の草野球場としてのみ存在しているということなのだろうか。「いつ廃校になったんですか?」「もう何年も前だよ。今じゃこの辺りも年寄りばかりだからね」「日曜だというのに妙に静かですよね・・・」大きな当たりが外野に飛んだ。センターがイージーフライをはじいて大きな声がどっとあがる。その歓声は白く無表情に聳え立つ団地の壁にはね返り、わずかだがこだまして聞こえた。青い空を滑るように白い雲が流れていく。おじさんがはき出した煙草の煙がその雲を追うように昇っていった。遠くから白いボックスタイプの車が走ってくる。その車は大音量で音楽を鳴らしながら近づいてき、そして走り去っていった。路肩に積もっていた落ち葉が少し気だるそうに舞った。グランドでは攻守交替のようだった。「じゃあ、行きます。また遊びにきます」「あぁ、またな」僕はゆっくりと自転車をこぎ出した。多摩川の河原が見たいと思った。
November 5, 2006
コメント(10)

東京では今日ザッと夕立があった。思えば雨の少ない秋だ。僕は雨が嫌いではない。とりわけ大きな音を立てて降る今日のような雨は不思議と心が落ち着く。雨粒が草木やベランダの手すりをたたく音を、出かける予定のない日に外を眺めながら聞くシチュエーションが一番好きだ。小学生高学年の頃、学校から帰ると一歩も外へ出ないプチ引きこもりをしていた時期が一時あった。そんな僕の密かな楽しみは雨だった。特に土曜の午後に降る雨は”僕のための雨”のように感じていた。”この雨じゃみんなも遊びに出られないだろう・・・”と。。。雨は僕の心を知る唯一の友人のような存在だった。
November 4, 2006
コメント(24)

とにかく腹が減っていた。仕事から帰り飯の支度。ポテトサラダ用のジャガイモを茹でながら味噌汁を作っていた。きゅうりと玉ねぎを切りながら味噌を冷蔵庫から取り出し切った野菜に塩をかけながらお玉で味噌をすくい。。。とにかく倒れそうなほど腹が減っていた。僕は朦朧とする意識の中で夢遊病者のように胡瓜を味噌に突っ込んでいた。
November 2, 2006
コメント(26)

大阪の通天閣のネオンがリニューアルされた。大阪のシンボルとして50年を迎えるそうだ。5月のブログにも書いたが、正直今の通天閣ならびに新世界には魅力を感じない。魅力と言うよりも・・・実は僕は幼い頃から通天閣が怖くてこわくてしかたなかった。テレビでちょっと写るだけでも心臓を鷲掴みにでもされたような戦慄が走ったものだった。原因は展望台のあたりに取り付けられていた日立の古いロゴと、(あれはいつも僕を睨んでいた・・・)大きな建造物に対する恐怖感によるもの。あの目玉がまだ大阪の町に睨みを利かせていた頃、一度だけ近くに行ったことがあった。新世界のすさんだ町を緊張しながら歩き、いくつ目かの路地を曲がった時に建物の屋根越しに睨みつけるようなあの目玉が迫ってきた時の身のすくむ思いは今でも忘れない。今では家族連れで賑わう通天閣と新世界。僕にとってはほっとする気持ちよりも寂しさのほうが強い。怖くて仕方がなかったのだけれど、無くなってほしくはなかった。それにしても世の中には不気味に大きい建造物が多い。この恐怖心の源泉はどこなのか分からないけれど、人々は昔からこれを利用してきたのだろうと思う。大きな仏像も人々に畏怖の念を抱かせる目的を持っていたのだろう。東海道線の大船駅近くの巨大な観音像。今はあれが一番怖い。今度近づいてみようとは思うのだが・・・
November 1, 2006
コメント(10)
全20件 (20件中 1-20件目)
1