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”親は無くても子は育つ”という言葉には生物的な身体の成長を意味するだけでなく精神的な成長を多分に含んでいる。いやむしろ人間として「成人」するという意味を強く感じる。現代の日本ではもはやこの言葉は死語に近いのではと思わざるをえない。僕の両親は僕が9歳のころ離婚した。僕と妹は父親の元で生活をしていくことになるのだが、父は毎晩残業続きで夜の9時近くに帰宅することも少なくない日々だった。要するに一日の大半が親のいない状況で生活することになったのだ。僕らの生活は一変した。まず食べるものに不自由した。お小遣いをそれほど持たされていなかったこともあり、いつもお腹が空いていた記憶がある。冷蔵庫にあった1個の卵で玉子焼きを作り妹と分けるなどということは日常茶飯事だった。もう時効だがスーパーで食べ物を万引きしたことも1度や2度ではない。小学6年の頃だったと思う。そのころサッカーの部活をやっていたのだが、ある夏の日、長い間守っていたポジションを5年生の子に取られた。僕とその子との差はわずかだったので彼がレギュラー確定という状況ではなかった。ある日曜日の対外試合の日、僕は自分の気持ちの弱さから試合に行かなかった。家を出たものの引き返して帰ってきたのだ。家に戻り一人きりの部屋で荷物を降ろしながらほっとしたような後ろめたいような複雑な気持ちで居る中、特にこう思ったのを覚えている。”こういう時に叩き出してくれる存在が必要なのではないだろうか”と。よくグレなかったものだ。いっそグレてしまったほうがよかったような気もする。でも小心者の僕には結局その器量もなかったわけなのだが。。。厚生省の家族構成についての資料がある。1955(昭和30)年には核家族と3世代世帯は同程度の45.4%であったが、2002(平成14)年には核家族が60.2%、3世代世帯はわずか10%になっている。単独世帯も倍増しており核家族と単独世帯を合わせると全体の83.7%にも上る。”親が無くても・・・”という時代には祖父母や親戚、そして地域のコミュニティーが豊かだったと思う。今、核家族で育った子供が親になる時代。世知辛い世の中で親は不在になりがちだと思う。そんな状況で子供におせっかいを焼き、目を配る親に代わる大人たちがどれだけいてくれるのだろうか。柔らかく幼い子供の心は環境に準じて様々に変形していく。いびつな形を矯正するなら柔らかいうちがよい。固まってからそれを直すのは大変なことだから。あの言葉、おそらく正確には・・・”(祖父母や親戚、地域のコミュニティーがあれば)親は無くても子は育つ”ではないだろうかと思うのだが。人気blogランキングへ
August 31, 2006
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人気blogランキングへピーマンが安い時にはもうこれしかないでしょ(笑)初めてちゃんとした青椒牛肉糸を食べたのは今は無き六本木の李家苑だった。その時の驚きは進駐軍にもらったチョコに匹敵するほどだった(もちろん想像ですが。。。汗)。その店があった場所は今は六本木ヒルズに姿を変えている。小さくてお世辞にもキレイとは言えない佇まいだったが、味は抜群だった。今ごろはどこかの小さい街で多くのお客さんに愛されていることであろう。
August 29, 2006
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今日横浜に行った。そして生涯二度目の天然うなぎを食べた。一度目はもうかなり昔、場所は野田岩。オーダーする時に”これからさばきますので少々お時間をいただきます”と言われその言葉どおり小一時間待たされた。そして今日も同じように待たされた。待ちに待ったお重の蓋をゆっくりあけると、そこにはいつも以上に艶やかなうなぎ。(きっと気のせいだろうが・・・^^;)比較的さっぱりとしたタレだったせいか白焼きの香ばしさとたれの甘みが口の中に広がる。僕はうなぎとごはんをちょうど一口分ずつ慎重に重箱の隅に寄せては食べを繰り返した。そして思った。”あ~うなぎはやはり魚なのだ・・・”とうな重はあの甘いタレが命。もちろんうなぎの持つ甘みや食感が好きなのだが、魚を意識させられることはあまりない。今日のぷっくりとしたうなぎの身はタレに負けることなく喉を通った後も素朴でどこか懐かしい余韻を口の中に残していた。。。僕には忘れられない鰻料理が三つある。野田岩(東麻布)の白焼き一品香(香港)の黄ニラと鰻のにんにく炒めそしてうな鉄(祖師ヶ谷大蔵)の鰻レバーの串焼きである。残念ながら今日のうなぎ君はその三つに食い込むことはできなかったようだ。人気blogランキングへ
August 27, 2006
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8月最後の週末。みなさんにとってどんな夏でしたでしょうか。たくさんの楽しかったこともちょっとだけ悔しかったことも日を追うごとに重力に従うように記憶の底に沈んでいきます。僕の心の底にできた層はどんな模様をしているのだろう・・・僕にとって41回目の秋はもうすぐそこまで来ているようです。人気blogランキングへ
August 26, 2006
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人気blogランキングへ20代、僕は六本木にある会社に勤めていた。そもそもその会社の社長には西麻布の雀荘で拾われた。思えばその辺りから僕の人生は大きく変わっていくことになるのだが。。。そんな六本木の交差点近くに”シシリア”というイタリアンレストランがある。そこで必ず食べる”グリーンサラダ”を真似してみました。このサラダの命はなんと言っても薄くスライスしたきゅうり。包丁で切るのはやはり無理があるよなぁ。スライサー買おっと。
August 25, 2006
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浅草の神谷バーに行ってきました。今日はあまりエネルギーがなかったので静かに飲もうと思っていたのですが、隣の席のおじさん2人組と不覚にも盛り上がってしまいました^^;おそらく2時間は飲んでいただろうか。もう僕は十分だったのだけれど、どうもエラク気に入られてしまったらしく2軒目に手を引かれていく・・・あ~何故か最近こんなパターンが多いような気がする・・・お目当ての店は夏休みらしく閉まっていてしかたなく隣の店で飲みなおし。軽く1杯飲んでお開きになったのは奇跡かな^^;”来年の三社祭には神輿担ぎに来いよ!”と何度も念を押されて帰って来ました。電気ブランが効いた~^^;人気blogランキングへ
August 23, 2006
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今、僕らの身のまわりにいる様々な生き物は環境の変化や生存競争に勝ち抜いたものたち。その陰で星の数ほどの生き物が姿を消して行った。生きるものの等しく背負った使命は命(種)を次の世代に繋ぐこと。種を保存するという立場から見れば子孫には多様性を持たせたいと考えるはず。様々に変化する環境や状況に生き抜くには選択肢が多いほうがよい。。。旅に出る。日ごろ見慣れた風景から離れると自然と胸の高鳴りを感じる。それはより遠く、特に海外に出たときのほうがより強く感じられる気がする。異質の文化、風土、そしてそこに暮らす人々の姿は僕を魅了して止まない。その昔安土桃山時代、世界的な大航海時代の流れで日本にもポルトガルを始め多くの異文化が流れ込んできた。島国である日本はその予期せぬ異文化の魅力に取りつかれた。見るもの全てが新しく、ファッションから食文化に至るまで当時はちょっとした伴天連ブームだったそうだ。スリランカの女性の澄んだ瞳、香港の女人街の喧騒、メキシコのフローズンストロベリーマルガリータ、そしてナポリの海に沈む夕陽。旅先で感じる胸の高まりのその根底にはそれぞれの地域で全く異なるDNAの存在を僕の中のDNAが貪欲に嗅ぎ取っているからなのではないだろうか。全く異質で、新たなるDNAの組み合わせを・・・「旅をしない人は哀れな存在に過ぎません」「凡人は旅をしようとしまいと凡人でしかありませんが、優れた才能を持つ者は同じ場所にとどまると退化してしまうのです」・・・生涯の3分の1を旅に費やしたモーツアルトが家族に綴った手紙の一文。いつまでも胸の高鳴りを感じ続けていたいものだ・・・人気blogランキングへ
August 22, 2006
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人気blogランキングへタイには一度だけ行ったことがある。バンコクの喧騒とスコール、サムイの静かな海辺とレンタルバイク。わずか数日の滞在だったが、今でも忘れることのできない思い出深い旅だった。昔はインドカレーにかなりはまった時期があったが、最近はどうもこちらのタイカレーの方が体に合うようだ。油の量が少ないことと、野菜を生に近い状態で食べられるのが魅力だろう。初めてにしてはかなりうまくできました(笑)
August 19, 2006
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その店を見つけたの時はすでに7時をだいぶ回っていたと思う。藤沢駅の南口側を散策し始めてから30分は経っていたのではないかな。海の近い街でもあるし魚料理でもいいなぁと思いながら何軒も物色して歩いたが、どこの店も僕の心を騒がせるほどの魅力を放っていなかった。日中の江ノ島での高い波が気がつかないうちに僕の心をハイにしていたのかもしれない。その店「やきとり 大串」は汚かった。汚いと言うのはお店には失礼なので言い換えると、みすぼらしかった。でも僕は一目ぼれしていた。”何かある”という直感めいたものが僕の心を掴んでいた。薄暗いカウンターだけの店内には6人ぐらい居ただろうか。もう5人も入れば満員御礼だろう。カウンターの中には大将とその親父にも見える二人だけ。無愛想で白髪。第一印象だ。僕と連れはその中央に座った。まずはビールを頼み、油でまみれた短冊メニューを眺めていると隣の丸顔のおじさんが話しかけてきた。”一番高いのはビールだから安心して頼んで平気だよ”赤い顔でニコニコしながら教えてくれた。言われるまでもなく値段の検討は入る前からおおよそ付いていた。焼き鳥を数種類とおつまみを適当に頼み丸顔のおじさんといろいろ話しをする。以前は新橋に住んでいたらしい。僕は話しに勢いが付き始めたなあと思いながら、ネタケース越しに大将が鶏肉を串に刺す様子を眺めていた。反対の隣の席には出勤前のスナックのママが2人。(あくまで僕の推測)焼酎が入っていそうなグラスとかわいい柄のマグカップ。かなりの常連さんだろう。割りと静かに話しているその2人を気にしていると店内が一段明るくなった。(どうもまだ正式な開店前に僕らは席についていたようだ)僕らの焼き鳥が来る頃には店内は当たり前のように満席になった。僕は僕らが座った2席がいつもは誰かの席なのだろうとふと思った。お酒は感情の振幅を増幅させてくれる薬。喜怒哀楽、その時の気持ちに素直に反応してくれる。でも恐らく基本的には”楽”を増幅させたいと思って飲むのだろう。そして誰かと話していたいのだろう。どんな話でもいい。どんなつまみでも、何の酒でもいい。その相手の顔が赤いマークの笑顔になれば、何も残らなくったって幸せになれる。さつま白波ホッピー割りを飲みながら6Pチーズを剥いて食べているころ、席が遠くなっていた丸顔のおじさんが寄ってきた。”先に帰るけど、明日海に行くなら俺の名前だしてな”ある海の家のオヤジさんと友達らしい。僕は丁寧にお礼を言いながらその丸顔のおじさんの名前が明日僕の頭の中に在る確率はかなり低いだろうと思っていた。心地よい店内の喧騒はまだまだ収まりそうに無かったが僕らの会計の時が来たようだ。途中からカウンターの中に現れていた大将の息子さん風の人にお勘定をお願いする。思っていたより若干安かったお会計を済ますと大将が話しかけてきた。”お兄さん、写真撮らせてよ~”ニコニコしながらインスタントカメラをすでに構えていた。”東京の人が来るのは珍しいからさぁ~”と、パチリ!そうくればこっちも負けてられない。”僕も撮らせてくださいよ~”とパチリ。酔っててブレたのでもう一枚、パチリ!”ちょっと待って、これでも撮るから”と大将今度はポラロイドカメラでパチリ。”今のはあげるよ。もう一枚店に飾るやつ撮るから~”いわゆる店にお客さんの写真がべたべたある店ではない。でもうれしそうにパチリ。僕はパソコンなんかしないという大将に無理やりブログ用の名刺を渡して店を出た。ポケットにしまったさっきの写真とデジカメ。これだけは酔って無くさないようにしよう・・・とまた宵の口の藤沢の街を歩き始めた。人気blogランキングへ(↑明日この写真を大将に送ります)
August 17, 2006
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江ノ島に行ってきました。最後に訪れたのはもう10年以上前のことだと思います。海は汚くて車が渋滞する・・・とあまり良い印象は無かったのですが、今回はそれなりに楽しむことができました。いろいろなことを焦らず受け止められるようになったせいかなぁ・・・要は歳を取ったってことですね^^;昨日の晩は藤沢の焼き鳥屋で盛り上がってしまったこともあって今日はヘロヘロです。そのあたりのことは明日書きたいと思います。人気blogランキングへ
August 16, 2006
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小豆島からオリーブの苗木が届きました。自宅用と友達の家に植える用に2セット。取り寄せた品種はマンザニロとネバディロブランコという2品種。マンザニロが果実が大きく実をよくつけるもので、ネバディロブランコが花粉を多く持っていると説明書きには記されている。先日も書きましたが、オリーブの実を収穫するには異なった品種が2本以上必要だそうです。そうすることによってそれぞれの木に実が付くということらしい。栽培については日当たりを好み、温かく降雨量の少ない地域が最適で、-10度でも枯れることはないと書かれている。この苗(といっても3年目でかなり立派)が成長し実を付けるのを見てみたいものだ。でも仮に付かなかったとしてもそれはそれでいいと思う。家庭菜園を”買ったほうが安い!”と切り捨てる方もいらっしゃるとは思いますが、雨に打たれたり、風に揺られる葉を眺めているだけで不思議と幸せな気持ちになれます。明日は友人宅に植えに行ってきます。思い出のあの庭に根付くといいなぁ。。。
August 13, 2006
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800兆円。今この金額を完済できると本気で思っている日本人はいるのだろうか。日本は高成長の時代を終え、ほぼ横ばいの経済状態を続けている。家の中を見回してもこれ以上必要なものを探すのが難しいぐらい。これ以上何を買えというのだろうか。LOHASやスローライフという言葉を聞くことが増えている。京都議定書やチームマイナス6%も日本に課せられた課題。スローな生き方、経済の縮小、少子化。この流れの中でどうやって膨大な借金を返そうというのだろうか。結局、これまで以上にがんばって経済活動を続けていくしかないだろう。さもなければ僕らの貯蓄が返済に充てられることになる。その的になるのは中流以下の人。十分な蓄えのある人が無策で放置するはずが無い。いつでもドロ舟から脱出できるように資産を海外に逃がすのは常道。日本が単独で沈没することはないはず。しかし明るい未来はとても想像することのできない段階に来ているのは間違いないのではないだろうか。
August 12, 2006
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今回の旅でオリーブの苗木を買いました。小豆島の人といろいろ相談して実の付きやすい2種類を選びました。おそらく明日ぐらいには送られてくるのではないだろうか。オリーブの木は1本(1種類)ではなかなか実が付きにくいそうだ。花粉をよく作る品種と実をよく付ける品種がベストマッチらしい。いつの日か自家製オリーブを食べられる時がくるのだろうか。。。
August 11, 2006
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いよいよ明日帰京致します。約1週間一滴の雨にも遭遇せず最終日の夜を迎えています。「早かったでしょう?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、今はとても長かったなぁという感想を持っています。楽しい時は早いもの・・・ですが、とてもいろいろなことがありしかもひとつひとつがとても粒の揃った出来事であるためにこれが1週間のうちに起こったとは思えない・・・という気持ちが”長い旅だった”と思わせるに至っているのではないかと思います。一人旅はとてもデリケートなものです。楽しい思い出にする為にはいろいろな要素がうまく働かないといけません。僕はいままで何度も虚しい一人旅を続けてきました。自分の奥手で冒険をしない性格を何度呪ったことかしれません。そして今回。おそらく初めて破れなかった厚い皮を破ることができた気がしています。”いい旅”にできた要因は今思い浮かべるだけでもいくつもありますが、それらが今回揃って同じ方向を向いてくれたことがうれしいです。人生は一度。戻りたい地点があったとしてもそれはできない。涙が溢れても涙の湧き出る泉を止めることはできない。自分の残された余生をどう使っていけばいいのか正直わからない。暑い中ペダルを踏み沢の湧き水で体を冷やし見知らぬ人に無償の笑顔をいただきそして場末の焼き鳥屋で串を並べる別に答えがなくてもいいのだろう。ゴールだってないのだから。琴平ー坂出走行距離 19.7km走行時間 1時間7分
August 6, 2006
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琴平のビジネスホテルにいます。窓の外で先ほどまで花火が上がっていました。直島の宿「おやじの海」のおかんからコメントが入っていました。そうなんよね~、バスタオル忘れてきたんだよね~それ、おかんにあげるわ。大事につこうてや。夏休みのご予定が無い方、よかったら直島へどうですか。まった~りしたい人は「おやじの海」へ^^;ただし苦情、クレームは当方では一切受け付けません。あはっ^^(業務連絡 : おかん、メールアドレス教えて。 猫の写真送るから。)金毘羅さんお参りしてきました。ちょっと腹ごなしに散歩しようと町へ出て、地元のおばちゃんに金毘羅さんの場所聞いて、ちょっとだけ登ろうかなぁという気になって、気が付いたらむきになってて、結局、一番奥まで登ってしまいました。一番奥に着いたのは7時半過ぎぐらいだったのではないかな。降りる途中遠い夜空に花火が上がるのが見えました。今年初めての花火。美霞洞温泉ー琴平走行距離 24.8km走行時間 1時間20分NEXT >>
August 5, 2006
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現在琴平駅近くのホテルで洗濯中です。ビール飲みながらうだうだしています。日が傾いてきたら金毘羅さんに行ってきます。昨日も3時間ぐらいしか眠れず、かなりボーっとしている羊です。さて、うどんレポでもします。昨日と今日で3軒回りました。その3軒のうちで一番印象の薄いのが「松岡」。ぶっかけうどん小250円。腰も麺の旨みも店の雰囲気も平均以下でしょう。特筆すべきことはないです。そして今朝一番で行った谷川米穀店。問題の場所です。僕はここに行く為に昨晩、標高400m以上の山の温泉に宿泊したのです。朝10時過ぎに着き、日陰で休んでいるうちにどんどん人が集まってあっという間に20人近くの行列。やれやれと思いながらずるずると列に加わる。店は10時半にはお客さんを入れ始めた。ここは大層有名な店で今では観光ツアーに組み込まれることもあり観光バスで乗り付けることもあるらしい。今回うどんツアーを計画する段階での僕の調査でもかなり人気のうどん屋ということで期待は大きかった。僕がオーダーしたのは大の卵いり。テーブルの上のねぎを乗せ、しょうゆを軽くかけ、最後に少量の酢を入れた。まず麺だけでいってみた。ずるっ・・ん?おかしいな。。。どれどれ・・・ずるっ・・・・冗談やろ~味がまったくない。うどんはただ白い物体でしかなかった。これが伝説の、人気のうどんなのか。正直今回これまで食べた中で一番いけてないうどんだ。僕はそれでも奇跡を信じてすすり続けるのだか、最後の一口まであっけなく終わった。僕はごった返す店内をリュックが当たらないように気をつけながら外に出た。店の外では”おいしかった~”と口々に話す人の声。1杯100円程度のうどんに遠くからやってくる観光客。もちろん僕もその一人。こちらでは人が集まる時や祝い事には欠かせないものがうどん。地元の人の生活に根ざした一軒の謙虚なうどん屋さんで今地元の方は食べに行かれるのだろうか。深く考えさせられる一杯だった・・・もう一軒。綾南町の”たむら”実はこの時は別の店を探して走っていた。完全に分からなくなり歩いていたおっちゃんに声をかけた。”このうどん屋ってこのあたりでしょうか” ”うどん屋ならそこにあるで~”と言われて指を指されたのがすぐ道の反対側のうどん屋。”この地図なんか違っちょるよ””おっちゃんいつもここで食うで。しょうゆちょっとかけてな”というわけでここで食べることにしました。うどん小100円。ねぎ、しょうが(おろし金があり自分ですりおろす)を乗せ最後に冷たい出汁をかけて食べた。一口目ほぼ何もかかっていないところをすすった。う、うまい!太さ硬さが絶妙。そして何よりも麺そのものの旨味、甘みがとてもいい具合。今度は出汁にもからめて食べる。う~ん、うまいうまい!透き通った出汁(おそらくいりこ)は少し僕には辛かったがおいしかった。僕はすぐおかわりをもらい、今度はほんの少しだけ出汁をかけて食べた。2杯目もすぐに消えてなくなった。おそらく僕が夢想していたのはこのうどんではなかっただろうか。外のベンチで荷物の整理をしていると店のおじさんが声をかけてきた。”バイクで来よるん?” ”いえ、自転車です””どこから来よった” ”東京からです””そ~うか~。大変やったろ。これからどこ行くん?” ”山の上の谷川製麺所まで行こうと思います””ずっと登りやで。あの山の、ほら今霞んどるやろ。あの先にある山あたりまで行かなあかんで” ”遠いですね~””そや” ”おっちゃんここで何しよるん””おっちゃんもうそろそろ隠居や。息子に任せるで” ”あ、おっちゃんここの社長さんか~!うどんおいしかったで~。何にも付けんで食うたわ””せやろ、うまいやろ^^” ”うん”後で調べたら国産小麦(さぬき2000)を少し配合しているらしい。最高のうどんとやさしいおっちゃんに出会えてペダルを踏む足にまた少し元気が出た。高松ー美霞洞温泉走行距離 55.3km走行時間 3時間37分NEXT >>
August 5, 2006
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ここ数日、ずっと睡眠不足気味。すごく眠いのだけれど、いざ寝ようとすると妙に目が冴えてくる。今日も長い一日になりそうだ。さて、自転車が海の藻屑にならずに済んだ後、”ベネッセミュージアム”という美術館に行く。ここには今回この直島に渡るきっかけになった杉本博司の写真が展示されている。彼の作品は屋外に10点ほど展示されていた。作品自体はそれほど大きなものではないけれど、どれも素晴らしいものだった。宿に戻り荷物を部屋を置きにいくと相部屋の彼が寛いでいた。彼は東京の笹塚から富士ロック、富山経由でここに辿りついたと話してくれた。僕より15才年下の25才。鼻の頭が少し焼けていたのは直島ではなく富士ロック焼けだったらしい。荷物の中に一眼レフがあるのが見えた。今晩も遅くまで寝られそうにないなぁ・・と感じた。居間に降りるとおかみさんとボランティアの彼女がまったりしていた。この2人、このまったりが得意技のようだ。晩御飯は僕と彼だけで港近くの魚料理屋に行くことに決めた。宿のおかみさんが送り迎えをしてくれることになった。実は今回、自分で作ったプライベート名刺を持ってきていた。表にブログのアドレスなどが載っていて、裏にはこれまで撮った写真を刷り込んだもの。写真は全部で20種類ぐらいある。おかみさんに渡した名刺の裏はあの焼きそばの写真だった。”これ何~。。?” ”あ、焼きそばなんです””うまそ~やな~。。料理得意なん?” ”好きですね””そう~なんや~。。え~なぁ。。私料理苦手なんよねぇ~。。焼きそばかぁ~。。うまそうやね~。。”ボランティアの彼女もその写真を見て同じように反応を始めた。”焼きそばかぁ~。。え~なぁ~。。焼きそば。。やきそば。。。。”僕はおかみさんに冗談半分に作りましょうか?と言った。あくまで冗談半分で。その時まった~りしていた空気が変わった。”ほんまに~!何が要るん?”目の奥が光っていた。僕は材料の説明を早口で言うとちょっと待って今メモするからと言って携帯を取り出した。おかみさんはふ~ん、へ~とか言いながら携帯に打ち込んでいく。横でボランティアの彼女が”焼きそば~ええなぁ~。。夜食に焼きそば~。。”と念じている。”生協が閉まるで、はよ出よ~。。”僕らを送る帰りしな材料の調達に行くらしい。僕はまだ半分は冗談やと思っていた。魚料理「ニューおりんぴあ」。パチンコ屋みたいな名前の店で相部屋の彼と写真のことから始まって脈絡なく話し続けた。ビールがギンギン冷え、カンパチの刺身が旨かった。僕は自分が彼の年齢の時のことを少しだけ思い出していた。宿に戻ると「地中美術館」のボランティアで来ている子が増えていた。女の子ばかり全部で5人ほど滞在しているのらしい。順番にお風呂に入ったり、居間でお菓子をつまんだり思い思いに夜を過ごしていた。テレビは亀田興毅の試合が始まるところだった。亀田は勝った。なぜか勝った。この晩は結局12時近くまで居間でしゃべっていた。部屋に戻り彼とお互いのカメラの話しをして電気を消したのは1時半ぐらいだった。翌朝、朝食を食べに降りるとおかみさんは何時に帰るん?と聞いてきた。昼過ぎには出たいと話すと、焼きそば作るから早くても2時過ぎの船やね~。。と言ってきた。ま、そのぐらいでいいかなぁと胡桃の入ったパンをかじりながら思った。食事を済ませ「地中美術館」を回り昼過ぎに戻ると待ちわびた表情でおかみさんとまったりボランティアの彼女が居た。”材料切っといたで~。。”あは^^;焼きそばはすぐ出来た。即席にしては上出来だったのではないだろうか。”え~なぁ~。。料理上手で~。。”もぐもぐしながらおかみさんは美味しそうに食べていた。まだ見ていないところがあり、2時過ぎのフェリーは既に諦めていた。後片付けを済ませ、僕は歩いて町中を見て回った。ここには”家プロジェクト”という作品が点在している。古い民家を使ったりした作品が4軒。のんびり見てまわった。どの施設にも地元のボランティアのおじちゃんやおばちゃんがいて暑い中にもかかわらず屈託のない笑顔で対応してくれた。2時間ほど散策し、宿に戻り荷造りをする。おかみさんのお姉さんも来ていて荷物を降ろしてしばらく話しをする。”チャーハン作らんの~。。”とおかみさん。チャーハンも作れると何かの話しの中で出ていたのだ。横で例によってボランティアの彼女が”チャーハン~。。チャーハン~。。”と念じている。僕は時間ぎりぎりに宿をあとにした。相部屋の彼とは東京で会えるだろう。ここにチャーハンを作りにくるのはいつになるだろう。僕は港に向けて自転車を走らせながら今度来るときに持参する食材を思い浮かべていた。直島ー高松走行時間 28分走行距離 8km(↑ 家プロジェクトのボランティアのおじちゃん)NEXT >>
August 4, 2006
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この島のもっとも美しいビーチ。宿のおかみさんはでがけに”今日は混んどった~。。”とつぶやいていたが、軽く数えた感じでは50人いるかいないかというところ。僕は服を脱ぎ捨て、ギンギンに焼けた砂の上を飛ぶように駆け抜け海へ入った。おやじの海は内海のせいか南の島のような透明度はないが、きれいで静かな海だった。焼けた肌が痛んだのは最初の数秒。数十秒後には僕の体は海に同化しようとし始めていた。絶えることの無い子供の声と波の音。さざなみの先に点滅する無数のきらめく光。すべてを受け入れられる状態で波間に体を任せていると、ここに存在する音や光が意識の底の方に静かに沈んでいくのを感じる。おそらくそれらは僕が死ぬまで体の中で静かにグルーヴし続けるだろう。止まることのない時計のように。僕は小1時間で砂浜を後にした。もう十分満足したのと、軽装で来た為に日陰のないビーチでは寛げないと思ったからだ。ここ直島は今や”アートの島”として名高い。安藤忠雄を先頭に島内に様々な作品が存在する。今泳いでいた砂浜のすぐ横に存在する草間彌生の作品もそんな中のひとつ。しかしその場所や奇抜さはやはり唖然とするほかない。僕は近寄り傍らに自転車を置いた。少し風が出てきたようにも感じた。アートにはアートで・・・と、車輪でもはずしてマルセル・デュシャン風に何か・・・とも思ったけれど特にいいアイデアも浮かばなかったので普通に写真を撮っていくことにしました。前から横から後ろから。いろいろな角度で光の当たり具合を見ながら。こういう作品は作者の理解があって初めて実現するものだけれども、ガウディのように生活の中や身近なところに存在しているのは得をしたような気分になるし僕は好きです。”時間もあるし今日のうちに美術館をひとつ見ておくか・・・”この時少し違和感があるのを感じていた。何か妙にすっきりしている。何でこんな気持ちになるのだろう。。。あ~~~~~~~!!!!!うそやろ~~~!!!ぼっちゃ~んもがっしゃーんも何も無しで!!落ちる時には挨拶ぐらいせ~ぇ!っちゅうねん。おいおい~~。あぶく出てるじゃん!いい感じでゆらゆらするな!っちゅうに。ってか写真撮ってる場合か!正直コンマ1秒だけ、このまま放置して帰ろうか思った。そうするとこれはこれで作品だ。草間彌生の傍でおやじの海に抱かれ続ける自転車。テーマは”永遠”おいおい^^;ふぅ。僕はかぼちゃの横でふたたび海パン姿に変身しました。なんでやねんとは思うが行くしかないやろ。ここで明かすが、僕は泳げない。上から見るとかなり深く見える。こういうのってその実もっと深いパターンが高いような気がする。う~んまずは堤防のヘリをズルズル降りていくしかないだろう。僕は片手で堤防の端をつかみながらずるずると海の中に入っていった。足で確認しながら降りる計画だったが、無理な体勢だった為か二の腕をゴリゴリ堤防に擦っていた。う~っ・・!手を離した。ブクブクッ・・・一瞬完全に沈んだ。でもぎりぎり足が着く深さだった。奇跡だ。僕はこの干潮(勝手にそう思った)と自分の背丈(179cm)に感謝した。そもそも泳げない事が問題であることのだが^^;よい子のみなさんは小さいころにしっかり泳ぎをマスターしてくださいね。さぁ、ここからはさすがに潜って引き上げるしかない。僕は海女さんの要領で深く潜ろうと海に沈んだ。。が、あと少しというところで自転車をつかむまでは潜れなかった。海面に顔を出し、掴むポイントを入念にチェックしなくてはいけない。そう思い足でフレームをいじってみた。そしたら結構動く^^;水中である為に異様に軽くなっていたのだ。僕は片足で試しに持ち上げてみたすると”えへへっ^^;”って感じで海面近くまで浮いてきた。なんか笑った。あほらしくて笑った。周りに人が居なくてよかった~でも観客がいたらここで拍手喝采だったかな~岸にあげるとフレームの中から海水が出ている。これはいずれ錆が出るだろう。でも錆びたからといって乗れなくなるわけではない。錆びた自転車は世の中にたくさんある。モノにあまり執着のない僕だがどうもコイツは別格かもしれない。そんなモノがひとつぐらいあってもいいか。高松ー直島走行時間 1時間50分走行距離 29.8kmNEXT >>
August 3, 2006
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今ロビーに下りたら外人で溢れていた^^;30人はいた。言葉を聞いているとイタリア語。日本のガイドの説明にみんな頷いていた。う~ん、おもしろい^^明日誰かに話しかけようかなぁ・・・イオソノジャポネーゼクアンティアンニアイ?ケコザエ?さて・・・直島へはフェリーで1時間弱。高松港でフェリーの出発を待つ間にピックアップしていた宿2軒に電話をした。部屋が空いていたのは2軒目の「おやじの海」だった。この宿が・・・瀬戸内海の静かな海を渡るフェリーは揺れることがほとんど無い。たまに伝わる震動は対向する船舶が作る波によるものだけ。唯一その揺れが、広くて深い海の上にいることを思い知らせてくれるようだった。。ほどなく直島に着くと僕は照りつける太陽から逃げるように走りだしました。肩の日焼けにこの太陽は痛すぎる・・・宿はフェリー発着場の対岸に当たる場所にある。要は島を横切ることになるのだが、僕の足でこいでもおよそ10分強の距離。妙に心躍る大きさだ。あっけなく宿に着き玄関先で声をかけるが誰も出てくる気配がない。何度か声をかける。。。そうそうこの島は昭和50年代の大ヒット演歌『おやじの海』発祥の地なのである。若い人は当然ご存じないと思います。こういう曲がヒットしたのどかな時代もあったのですね・・・僕の何度目かの声に反応してか寝起きの若い女の子が部屋の奥からやってきた。予約をしている旨を伝えると、”わたしも宿泊しているんですよぉ。。”という答え。まぁあがってください。。と言うのであがりました。聞くとこの島にある「地中美術館」にボランティアで大阪から来ているのだそうだ。もう2週間になると言う彼女から宿の簡単な説明をうけた。特に気になることが無くなったころ宿のおかみさんが現れた。”今日相部屋ですがいいですか~。。”先ほどの彼女もそうだけれど、おかみさんもとてもスローな喋り方。”その方も~。。東京からの一人旅らしいですよ~。。” ”あ、それは全然構いませんよ””あ~。。それとお話したと思いますが~。。夕食は出ないんですけどよろしいですか~。。” ”あ、はい””食べるところはいろいろあるので~。。あとでご紹介しますね~。。”後で会うことになる相部屋の青年はフォトスタジオ勤務でカメラマン志望だということを数時間後に知ることになる。その前に事件が起きるのだが。。。NEXT >>
August 3, 2006
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今高松に戻ってきています。宿の近くの焼き鳥屋で飲んできました。直島の浜で泳いだ海水パンツなどは今乾燥機の中です。久しぶりに泣きました。何かあったわけではありません。ただ、焼き鳥を食べながら泣きました。直島での事今から整理してUPします。いくつかに分けて。羊NEXT >>
August 3, 2006
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言ってもしょうがないが、今日も香川は暑いです。ここ数日寝不足気味だったので昨夜はさぞや爆睡と思っていたのですが妙に目が冴えて3時過ぎまで寝付けなかった。朝も目覚ましより早く7時過ぎに起きる始末。やれやれ。だらだらテレビを見る。あくびして、ポカリ飲んでまた横になって”みのもんたも夏休みか・・・”彼がいないとずいぶん詰まらない番組だなぁなんて思いながらまたポカリ。ホテルは9時半ごろ出ました。まずはうどん巡り。この後フェリーに乗るのであまり遠くまで行けないので近場の気のなるところを3軒行って来ました。1軒目が松下製麺所。東京で言うと新橋のガード下にありそうなうどん屋さん。商店街から外れた住宅街の中にあるのだけれど朝から人が結構入ってくる。味はまあまあかな。1玉150円半熟卵70円2軒目はさか枝。間口が割と広々していて入り安い店構え。新聞屋っぽい佇まい。もしかしたら昔はそうだったのではないだろうか。大きな病院の裏手にあり、こちらもぼちぼち出入りがある。味はこちらもまあまあ。1玉170円てんぷら80円3軒目伝説の池上製麺所。行くまで忘れていたが”あの”おばあちゃんがいる店。ここは思いっきり住宅街のなか。近くには割りと大きな川が流れている。朝から行列。どうも茹で上がりを待っている列のようだ。入ってすぐのところに座っとるばあちゃんに食べるものを告げてお金を払う仕組み。お土産もあるで!と勧められたがまだ道中長いので丁重にお断りする。味はうまい!最初麺だけでいったが、なんともいいあまみがある。塩の加減が絶妙。それほど太くないが適度な腰がある。ちょっと汁をかけすぎてしょっぱかったが一緒にかけた少量のお酢がいい感じで中和してくれた。ここはほとんど何にもつけなくてもいける。麺を打ったり茹でたりしているのは中にいた二人の兄ちゃんだろうけれどばあちゃんが守ってきた思いは麺にしっかり入っとった。1玉70円てんぷら100円ばあちゃん長生きしてや。と自然に感じる羊だった。NEXT >>
August 2, 2006
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自転車を購入したのが去年の暮れ。北海道に行ったのが初春。真夏の炎天下の中これだけまとめて走るのは生まれて初めてと言ってもいい。毎日約1.5LのDAKARA(なければアクエリアス、それもなければポカリ)を携行しても半日ほどしか持たない。今回の主な目的はうどんを食べることなのだけれど、これだけ水分を摂り、日々消耗をしていくとどうしても食欲が落ちる。思ったほどうどんを食べようという気が沸いてこないのが今、悩みの種です^^;と、そんな中今回初うどんとなったのが”やまだうどん”1kmほど続く長い坂道を登ったところに立派な門構えのそれはありました。どうも昔は蔵だったようです。個人的にはこーゆー立派なうどん屋さんはちと違うのだけれど、1kmも必死こいて登ってきた以上ここで何も食べずにヒュ~ッと降りて帰るるわけにはいきません。原チャリの兄ちゃんにもっと詳しく聞いておくべきだった・・・入り口にはたくさんの人が順番待ちをしていました。僕は汗びっしょりのTシャツ気にしながら、少し身を屈めるようにして楽しそうな家族連れの間を縫って店員のところへ行った。そして配席の店員に一人だ!と告げると、空いている小さいテーブルにすぐ案内してくれた。僕はメニューの中から2番目に安い”ざるぶっかけ”(530円)を頼んだ。それは1分ぐらいで出てきた。僕は付いてきた薬味と出汁をすべてかけ少し混ぜてからすすった。なるほど。またすすった。そうか。おいしい。腰もあるし、薬味のバランスも出汁もおいしい。でもどうも物足りない気がする・・・僕が求めてきたのはもっと危なっかしいうどん屋なのだろう。この落ち着いた上品な店構えなら東京でもあるだろう。ラーメン屋を思った。値段的にはうどんより高めの値段設定だけれども、店の造りはどこも上品とは言いがたい。清潔ではあっても高級ではない。きっとそれでないと駄目なのではないだろうか。まだ一軒目。これからいろいろ食べてもっともっとうどんを知りたいと思った。燃えろ!食欲!!夜、地元のsen (*^・^*)さんが陣中見舞いに来てくれた。もともと僕の写真を気に入ってくれていたらしく、香川行きが決まった後でもし時間があればお店の写真を撮ってくれませんかと頼まれていたのです。僕の下手の横好きでよければと滞在中お邪魔する予定ですが、今日はたまたま時間が合ったので食事に行ってきました。お邪魔したお店の名前は「ル・シェノン」田んぼの中の一軒家。料理はフレンチ。玄関先に生い茂るオリーブの木が夕日に染まるのを見ていると、昔旅をしたイタリアのどこかで同じような景色を目にしたような気になってくる。おかみさんの話では高松市内で7年、こちらにきて5年ということ。自分たちの手の届く範囲でやるにはこのぐらいが丁度いいとお話しされていた。商売とは奥が深く難しいもの。自分の身の丈にあった、そこそこ儲けるという按配が一番難しいのだと僕は思う。おかみさんがついでくれるすっきりとした甘みの豊かな白ワインを飲みながら、自分のやっていた店とほんの一瞬重ねてみた。料理は魚を使ったものが多かった。特に印象に残ったのは前菜の鮎のマリネ。細かく刻んだきゅうりと鮎のあまみがとても新鮮だった。派手さはないけれど地のものを大切にした一皿一皿は品よく贅沢に感じられた。楽しい時間だった。sen (*^・^*)さん、ありがとう。明日は島に渡る予定です。大内町ー高松走行距離 30.6km走行時間 1時間50分NEXT >>
August 1, 2006
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昨日はあの後、社長さん以下5人(僕も含めて)で飲みに行きました。”どうせ暇でしょう~”と言われれば断る理由はどこにもありません^^;風呂上りだったので財布なし、スリッパという状態で・・・車で10分ぐらいの居酒屋。みんな仕事後だったのでピッチ早い!。しかも恐ろしいほどハイテンションモード。”あれ飲んでないじゃない~””いやいや、飲んでますよ~”ぐびっぐびっ・・・暑い中での走行で体の水分がかなり失われていたせいか、昨日はビールがいくらでも入りそうだった。地元の刺身つまんだり、バイトの女の子をからかったり、仕事の話にうどんの話・・・結局2時ぐらいまで飲んだかな。もう一軒行こう!ってことになったのだけれどあてにしていたお店が終わっちゃっていたのでみんな渋々帰ることに。でももう目が半分開いてなかったなぁ、みなさん^^(ちなみに帰りは一人の方が飲まずにいらっしゃったのでその方の運転で帰りました。)静まり返ったホテルの裏口から僕は部屋に戻りました。みなさんは別棟の部屋に帰って行きました。今日の朝、社長さん以下みなさんで写真を撮らせてくださいって話していたのですが、社長は朝一番でお出かけでした。フロントから電話をかけていただいて昨日のお礼とご挨拶をして僕はホテルを後にしました。今日も香川の空は快晴。11号線で高松に向けてペダルを踏みつづけていると、原チャリに乗ったお兄さんに声をかけられた。”どこまでいくん” ”とりあえず高松です””何しにいくん” ”うどんを食べに来ました””そうなん””この先にやまだうどんってあるけど、そこおいしいで” ”そうなんですか。じゃあこれから行こうかなぁ””一緒に行こうか?” ”いえいえ、僕遅いですから^^;” ”ありがとうございます””ほんじゃ”彼はどこぞのビデオ屋に向かって走っていった。僕はやまだうどんへ向かった。NEXT >>
August 1, 2006
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