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昔、バーをやっていた。小さいながらも素敵な人たちが通ってくれた。僕はその店を通じて、それまでの人生では得ることのできなかったたくさんのものをお客さん達にいただいた。そんな日々の中で僕がお返しできるものは何なのかいつも考えていた。今日、掲示板にこのような書き込みをいただいた。”出会いをありがとう^^”先日、こちらに伺ったときにリンクされているところへお邪魔したのですが・・・・。映画をメインに書かれている方ですちょっと凹んでいたココロが元気づけられ、何度か言葉を交わさせていただいた後、リンクしていただきました。とてもステキな出会いが出来たのも羊さんのおかげです、ありがとうございました。・・・・・店をやりながらいつしかこう思うようになっていた。このお客さん同士で素敵な関係ができればすばらしいことだと。仕事でもいい、飲み仲間でもいい、恋愛でもいい。ここに集まってくれた人達の横の繋がりが僕には一番うれしいことだった。今、ここであの時の感覚に近いものが感じられる瞬間がある。
June 29, 2006
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電車の中で下校途中の子供が走り回っていた。僕は注意できない。座席に浅く座り足を投げ出している高校生がいた。僕はそれを避けて通る。大人にはこういう時に果たすべき役割があるはず。ひとつ見逃すたびにまた少し住みにくい社会を自ら作り出していくだけ。一体僕はこれまでいくつ見逃してきたのだろうか。そしてこれから更にどれだけ見逃していくのだろうか・・・
June 28, 2006
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およそ400年前、秀吉の時代から徳川家康の時代にかけて異教徒(キリスト教)へ弾圧は熾烈を極めた。凄惨な拷問の数々が生み出され多くの人が転んだ(改宗した)が、最後まで転ばなかった人も多かった。長崎はそんな多くの血が染み込んだ地だ。そしてその数百年後、一発の爆弾がこの地に落ちた。落としたのはかつてこの地で多くの血を流した人たちの末裔だ。歴史は皮肉だ。そして宗教が僕にはわからない。
June 26, 2006
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人は薄れゆく意識のなかで一体何を思うのだろう。楽しい思い出なのか・・・誰にも打ち明けられなかった秘密だろうか・・・それともすぐそこにある死の恐怖か・・・今にも起き出しそうな表情のその口元からは結局その答えは発せられなかった。76年間、一秒たりとも止まる事のなかった小さな心の臓は、もはや何の奇跡も起こさない固い決意の中にあった。静かな、滞ることのない葬儀だった。帰りに少し無理をして長崎の”とら寿司”へ行った。ネタケースの中には大村湾や茂木で獲れる地のものが並べられていた。こぶ〆や炙り、煮たあわびなどどれも静かなおいしさだった。そして一通り握っていただいたあとで目の前にそっと置かれたのが一見、何の変哲もないきゅうりのぬか漬けだった・・・しかし、それは奇跡の一品だった。やさしい甘み、ほんの微かな塩味、青々しいきゅうりと円熟した糠の香り。絶妙だった。聞くと61年物の糠床だという。その糠床もなめさせていただいた。お店が混み始めるまで大将といろいろ話しをする時間を持てた。61年の糠床と、採れたばかりのきゅうり。わずか数時間の交わりで若々しいきゅうりは老獪な糠床の記憶を吸い込み、悟りを開く。45億年の歴史を持つ地球と、数十年の命を与えられた僕。僕はその寿命を迎える時輝いているだろうか・・・お愛想を済ませ少しはにかんだ様な奥さんの笑顔と混み始めた店内を名残惜しげに外へ出ると、大粒の雨が通りを濡らし始めているところだった。たくさんのお悔みと励ましのお言葉、本当にありがとうございました。 羊
June 24, 2006
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身内に不幸がありました。少しお休みいたします。羊
June 20, 2006
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僕は照り焼きは好んで食べない。不幸にも美味しい照り焼きに出会ったことがないせいである。ところが今日、帰宅して冷蔵庫を開けるとそこには鶏肉とそろそろやばそうな長ネギしかなかった。その時僕の脳裏を駆け巡った単語は”テリヤキ”だった(笑)。これも運命だと覚悟を決め、昔作ったスペアリブのレシピを思い出しながらやってみるとこれが簡単で意外とうまい。ちょっと大人になった気分だった。下味に生姜汁を、焼き付けるタレにはマーマレードを隠し味に使いました。
June 19, 2006
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想像してみようよ天国なんてないんだとそして僕らの足下にも地獄なんてないって見上げれば澄んだ青空あるのはただそれだけ想像してみようよゴールも答えもないってことをあるのは途切れることのない毎日の中で今日を生きることだけ
June 18, 2006
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スーパーの魚売り場でいつも気にしている食材のひとつがカジキマグロです。安いときには少し多めに購入し、血合いが多いときは処理して冷凍しておきます。そして良く作るのがこれ。下味をつけたカジキに小麦粉をつけソテーします。タマネギを軽く炒めたらトマトソースとオリーブを加え、最後にソテーしたカジキも加えます。茹で上がったパスタをやさしく和えたら出来上がり。
June 17, 2006
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細い道を歩いていて自分が進もうとする先に歩みの遅い人がいるとする。もし急いでいるとして、通り抜ける幅がない時は声をかけて道を譲ってもらうだろう。言葉を使う人間であれば当然のこと。狭い本屋の通路でぶつかりながら通り抜ける人。この道は俺の物!といった態度。歩道を歩いていると後ろから自転車のベルの音。慌てて道を空けると、自転車は面倒くさそうに抜けていく。俺のスピードを落とさせるな!とでも言いたげな後ろ姿。譲っていただきたいものがあるのなら礼を尽くすのは当たり前。いきなり背後からベルを鳴らされて驚く人もいるだろう。せめて通り抜ける時に”すみません”の一言をかけてほしい。明確なルールが無いところでこそ言葉を掛け合うことが大切なのではないでしょうか。
June 16, 2006
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好き嫌いの多い子供を持つ親は恥だった時代があった。箸の上げ下ろしまで厳しく注意される食卓が当たり前だった。子供にとって愉快なはずがない。でも、それは親が子供に持たせやれる大きな財産のひとつ。忙しいから便利な食材に依存するのか、便利な世の中だから楽をするのか。好き嫌いのはっきりした子供達の給食の風景はとても直視できるものではない。おびただしい残飯の山を恥と思わない国に未来はあるのだろうか。
June 14, 2006
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善と悪善は人として道徳的に正しいこと悪は人道に外れた行いや概念何故生き物は”自らを増やす”という宿命を背負っているのか。地球上の生物全てが子孫を残すために今日を生きている。何故だろう・・・三浦綾子著「氷点」の登場人物たちにあるように人間には愛情、憎しみ、嫉妬、淋しさ、傲慢、プライド・・・様々な根源的な感情を持っている。これらの感情の根源にあるのは自らの命をどう力強く次世代に繋いでいくかということではないだろうか。他を排し、自らの遺伝子(DNA)を広く残さんとする使命をそれぞれが担っている。この使命をそれぞれが担っている限り、”悪”と称される感情は消えることがない。
June 13, 2006
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ジャガイモっておいしいですよね。なかなか主役になることはないのだけれど、毎日食べても飽きることのない素晴らしい食材です。もしジャガイモが無かったら、世界は今とは少し変わっていたかもしれないですよね。
June 12, 2006
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東京渋谷区、三角橋の近くに”おかめ”というおでん屋がある。このお店に、僕はいくつかの思い出を預けてある。昨日もおかめは、おでんから立ち昇る湯気とたくさんの笑い声で満たされていた。あっという間に終わってしまう映画のように、ここでは時間が進んでいく。いつまでも余韻に浸っていたいと思いつい長居をしてしまう。またひとつ、おかめに預けものをした夜だった。まぐろとこちの刺し身しいたけと海老しんじょうのはさみ揚げ鰆の西京焼き鰈のから揚げエシャロット煮蛸野菜の炊き合わせおでん
June 11, 2006
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子供が無邪気に走っている姿を見るのが好きだ。転ぶのではないかと、いつもはらはらさせられるのだが、バランスを崩しそうになりながらでも全力で走る。走る理由などおそらくないだろう。大人の考える枠に収まらないのが子供。いつの時代もそうであって欲しい。枠に収まった子供に新しい時代は築けない。
June 10, 2006
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天神駅で唐津までの切符を買い地下鉄に乗り込んだ。向かう先は名護屋城址。ラッシュの後の比較的空いていた車内。僕は隅の方に腰掛ける。豊臣秀吉が日本を統一した後に”唐入り”と称して当時の明を攻め込むために作った城。大阪城にも匹敵する巨大な城から約30万人以上の軍が海を渡り、朝鮮半島を蹂躪した。”敵の首を取る”という言葉があるが、古来日本の武将達は敵将の首を持ち帰ることで自分の手柄を主張して褒美にありついていた。海の向こうであげた武功を日本にいる秀吉に伝えるのに大量の首を持ち帰ることはできなかった。その為に海を渡った猛将達は討ち取った敵兵の鼻や耳を塩漬けにして秀吉の許に送った。・・・・うとうととしてしまっていたようだ。目を覚ますと車窓のむこうに広がる青い海。強い日差しが肩に差し込む。まぶしい光が差す車内にはネクタイをしたサラリーマンやタイトなスカートを履いたOL達の姿はなかった。ちょこんと座る背中を曲げたおばあちゃんやタオルを首に巻いたジャージ姿のおじさんが電車に揺られていた。映画「デッドマン」の冒頭のジョニー・デップの表情を思い出していた。程なく唐津駅に着き、名護屋城址行きのバスに乗る。停留所を2つも過ぎると商店はなくなり、ささやかな家々と日傘を差したおばあちゃんをのんびりとしたバスは追い抜いていく。緩やかな坂道の入ってからは歩くものの姿はなくなる。蛇行しながら登る道の両側には田植えを済ませた棚田が青々と広がっている。棚田のところどころに石垣が見受けられた。おそらく名護屋城の城郭の跡であろう。40分ほどしてバスは名護屋城博物館前に到着した。帰りのバスは3時間後。簡単に昼食を済ませ、博物館へ。一般客は僕のほか数名ほど。しかし小学生が見学に来ていた。おそらく5年生ぐらいではないだろうか。展示品を見ながら思い思いにノートを取っている。日本、朝鮮に多大な影響を与えてしまった秀吉の暴挙。海を渡った武将達は捕らえたものの中で有益な人間は根こそぎそれぞれの所領に連れ帰った。儒学者、陶芸家、そして奴隷たち。のちに九州を中心として新しい磁器の製法、朝鮮式の瓦の装飾など日本文化に大きな華やぎを与えた。日本から唯一朝鮮に伝わったものは唐辛子だとされている。人に愛されたいと思うのは皆同じ。秀吉もそうであったと思う。一度味わった感動や喜びは忘れられるものではない。おいしいものを食べれば、またそれを食べたいと思うもの。秀吉もそうであったはず。才覚と運で、少しずつ登りつめていった秀吉が戦国時代の中で頂点にたどりついた時に見たものは僕らには想像できるものではない。しかし、人間の欲は膨張し続けるもの。世界的な大航海時代の波が日本に押し寄せ始めていた当時、秀吉が世界に目を向けた気持ちは想像できる。今、天守跡では地元の人たちが遺跡の掘り出しをしていた。たまに腰を伸ばして遠い海のむこうを眺める。秀吉が見ていたのと同じ海のむこうを・・・
June 9, 2006
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近しい親戚が倒れ昨晩から急遽福岡に行っていました。幸い大事には至らなかったのでとりあえずは一安心。今日の午後は少し時間ができたので唐津を見ることもできました。詳しくは明日にでも・・・
June 7, 2006
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膨大な記憶量とたったひとつの意思で感情や自己の認識は生まれるのではないだろうか。今や恐るべき記憶量を誇るスーパーコンピューターと人との違いはその”意思”があるかないかであろう。人には”種の保存”という絶対的な命題がある。そしてまた、地球上の他の動物と人間の決定的な違いは記憶容量の差ではないだろうか。もし、コンピューターに何か・・・きっかけを与えたら・・・こんなこと、押井守や立花隆さんや世界の科学者はとっくに考え抜いているだろうなぁ。今度TUTAYAで”攻殻機動隊”でも借りてこようかな。。。
June 5, 2006
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ラスベガスには2度ほど行ったことがある。一度は友人とハーレーを借りて乗り付けた。もう昔の話。ギャンブルは嫌いではない。マカオ、韓国、ニース、サンレモ、スリランカ・・・いろいろなカジノへ足を運んだ。ギャンブルはどこの国にも存在する。人がそれを求めるから。でも、駅前にそれがある国はない。スーパーの隣、銀行の前、八百屋の裏。今や換金所が組織化されている。毎年のように夏になると駐車場の車内に放置された小さい子供が犠牲になっている。何故、放置されているのかが分からない。日本にはわからないことがたくさんある。
June 4, 2006
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がんばった人にはどんなご褒美が用意されているのだろうそしてがんばれなかった人にはどんな罰が待っているのだろう
June 3, 2006
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無性にェシャロットが食べたかったので、牛肉をしゃぶしゃぶしてサラダ菜で巻いて食べることにしました。しゃぶしゃぶした牛肉は熱いうちにポン酢のたれに漬けて味をつけます。つけ味噌は以前にも作ったレシピに、香り付けにごま油を少し加えました。後で巻くのが面倒なので、はやる気持ちとヨダレを抑えながらいくつか巻いてしまいました。もう~、ビールが止まらないでしょ!
June 2, 2006
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これまで、かなりお世話になったセロリの株が今、満開です。ぱっと見はカスミ草のような感じです。”セロリの花”でググッてみたところ、この後はセロリシードの収穫に至るようです。収穫できたら久しぶりにインドカレーでも作ろうかなぁ。
June 1, 2006
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