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どうにか一年が終わろうとしている。世の中は決して平等なんかじゃない。この時間、街路樹の下で薄いダンボールにうずくまって歯を食いしばっている人がいる。僕はそれをはっきり認識している。僕の本性はそういうことだ。酔いにまかせ、今日も、明日へなだれ込もうとしている。。
December 31, 2006
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湯船に浸かりながら残り少ない歯磨き粉のチューブを歯ブラシに押し当てていた。フセイン大統領が死んだ夜だというのに・・・
December 30, 2006
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“この人、空港でこのTシャツ一枚選ぶのにすごい真剣なんだもん。飛行機に乗り遅れるんじゃないかってドキドキしたわ“以前、友人がお土産にTシャツを買ってきてくれたとき、その横に居た奥さんがさりげなく僕にこう話してくれたことがあった。照れ臭そうにしている友人の胸には、僕が手にしているTシャツと同じロゴが入っていた。プレゼントは正直自分の好みに合わないことがある。すでに似たようなものを持っていることもある。でも、僕は無性にうれしい。たとえそれがどんなに安いモノであろうと。僕は手にしたプレゼントを見るでもなく見ながらしばし想いを馳せる。店員になかば煙たがられている友人の丸い背中を。色やデザインを見ながら頭の中で僕にあてているであろうその表情を・・・目に見えるモノを通じて、目に見えない想いを感じる。だからどんなモノでもうれしい。
December 27, 2006
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想像してみた。もし僕が洋食屋のオーナーシェフで、年をとり、その店を2代目に譲るとなった時、僕はその継ぐ者に何を言い残すだろうか。今日、以前「ビーフシチュー」の日記で触れた”キッチンボン”を数年ぶりに訪れた。ほとんど変わっていない店内を見回していると、つい数日前にもここで食事をしたような錯覚に陥りそうになる。”ハーフボルシチとビーフシチュー、ライスでお願いします。それと赤ワインをグラスで”僕はそらで覚えた台詞を言うようにオーダーを告げた。赤ワインをちびちび飲んでいるとほどなくしてボルシチが、ボルシチで体が温まったあたりでビーフシチューが運ばれてきた。ボルシチは何も変わらない素晴らしい味。そしてビーフシチューはボリュームが落ち、値段が上がっていた。代が変われば味が変わると考えてしまうのが人間の心情。ちょっとした変化を敏感に感じようとして集まる常連の前に立ち続けた五年は決して楽なものではなかったはずだ。二代目に残された先代の遺言はどのようなものであったのか分からないが、二代目らしさをどこかで感じたいと思ってしまうのは僕だけではないと思う。
December 26, 2006
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「あなた何を撮ってるの!」踏切の端でカメラを構えていた僕に、大きなマスクをしたおばさん藪から棒に言い寄ってきた「線路を撮ってるんですが」「なんで線路なんか撮るの!」眉間に皺を寄せ、強い調子で詰め寄ってきた。手に下げた買い物袋から長ネギが飛び出している「いや、特に理由は無いんですけどぉ・・・」僕はちょっとおどけた感じで答えた。おばさんはなおも僕を睨み続けた。疑問と怒り(何故か分からないが)の間を彷徨っているようだった。「あんたオカシイわよ!」そう言い捨ててスタスタと歩いていった。物事を絶対的な尺度で計ることはできない。ある人にとって何の価値もないものが、別のある人にとっては宝物であったりすることがある。人はそれぞれ価値観が違うから、話し合い、そして争うのだろう。まあ、そのおかげで人類はここまで発展してきたのだろう。。僕はまだ写真を撮ることに飽きていないようだ。だからこれからも”ほとんど意味の無いもの”を撮っていくだろう。”あんたおかしい!”って、もっと言わたり思われたりするぐらいじゃないと本当に人の心を惹きつけるものは撮れないのかもと思いながら僕は駅に向かって歩き出した。
December 24, 2006
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今日は図書館2ヶ所回って来ました。年末のこの時期は10冊まで借りられるので計20冊(汗)これで今年も冬篭りが出来そうです。と、駅を降りて八百屋の前を通りかかるとなんと紫キャベツが1個100円!両手には本をびっちり抱えていたのだけれど、これは買わずには居られません。おかげで昔から一度作ってみたいなぁと思っていたこれ↓がとうとう実現しました。暖かくなったら公園にサンドイッチと一緒に持って行きたい~そんな色と味でした。
December 23, 2006
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夢を見た。人ごみの中を僕は一人で歩いていた。街は師走の慌しさ。空は雨の心配はないけれど、晴れる気配も感じられない。僕はややうつむきかげんで、人にぶつからないように静かにゆっくりと歩いていた。少しゆるやかな坂に差しかかった。ふと前方を見ると、二つほど先の信号のあたりで両手を大きく振っている人が見えた。どうやらこちらの方に手を振っている。”誰かの知り合いだろう”僕はそれほど気にせずゆっくりと歩き続けた。その人は時折人ごみの中に埋もれてしまうが、たまに飛び跳ねるようにしながらなおも手を振り続けている。信号を一つ越えたあたりで視線の先が僕を向いていることを否定しにくい状況になっていた。僕はさりげなく後ろを振り向いた。そこには何人かの人がいたが、全く無関係そうな顔ぶればかり。”やはり僕なのだろうか”僕は少し汗ばみ始めた手をポケットに深く押し込みながらはやる気持ちを抑えるように更にゆっくりと歩いた。最後の信号。赤信号。多くの車が目の前を横切る。もうその人は手を振るのをやめていた。視線の先の僕の心中を察したような穏やかな表情が浮かんでいる。僕は汗ばんだ手をポケットから出し、髪をかきあげた。信号が変わろうとしていた。夢はいつもあと数ページを残して終わってしまう。その人には尋ねたいことがたくさんあったのだが・・・その続きは永遠に仕舞われたまま頭のどこかに在り続けるのだろうか。
December 22, 2006
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少し前、「検索され続ける日記」というタイトルで”自分が死んだ後もブログは残り検索され続ける・・・”という内容の文章を書いた。主が居なくてもサイトが運営され続けていれば、そのブログはその中でひっそりと息づいていくだろう。それは図書館に似ている。僕らは様々な装丁を施した書籍。誰かが気まぐれにやってきてその背に手をかける・・・僕のブログをお気に入り登録していただいているある方のブログが今年の6月から更新が途絶えている。もちろん単純に”放置”も考えられるのだが、最後の日記がとても意味深だ。さようなら・・・ & WALKING TOUR彼は今どこにいるのだろうか・・・彼が僕に送ってくれたメッセージ「おおっ、久々にセンスのあるブログ発見!!画像もいいアングルですねリンクさせていただきます ペコリー」
December 20, 2006
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昔、友人が「ケチャップを使うエビチリは邪道だ!」と言っていた。僕もあの甘ったるい味付けは好きではなかったが、そいつの言っているのも理解できなかった。だってケチャップ色じゃんって思っていたから。でも、今日やっと彼の言葉が理解できた。ケチャップを使わないちょっと大人のエビチリは実に美味しかったのでありました
December 17, 2006
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”あの~ぉ、このあたりで、100yenショップ、知ってますか~ぁ”先日(もう二週間ほど前になるだろうか)、外人に声をかけられた。場所は御茶ノ水と秋葉原のあいだの橋の近く。”ah...I'm sorry, I'm stranger around here”合っているかどうかわからなかったがこう答えたら、彼は怪訝そうな顔つきで”すみません、日本語でおねがいします~ぅ”と言ってきた。聞いてみるとフランスから観光で来た彼は母国語以外は日本語をかすかに理解できるだけだそうだ。なんかおもしろそうなのでしばらくいろいろな話しをした。話をしていると更におもしろそうなので”少し案内しましょうか”と持ちかけたが、一人で歩いてみたいと軽くいなされた(汗)(あ、その人は男性ですよ)彼は僕に丁寧にお辞儀をすると、秋葉原の雑踏のなかへと消えていった。その彼から今日お礼のメールがきた。ローマ字綴りの日本語で。いかにも日本語習いたて・・といった文章でほほえましい。そして文末に”yoi otosio!”と添えられていた。パリはもう寒いのだろうか。死ぬまでにもう一度エッフェル塔を見る機会があるのだろうか。。
December 16, 2006
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ベトナム戦争でアメリカ軍が使った枯葉剤によるとされる奇形児、べトちゃんドクちゃんを覚えいますか?後に分離手術により弟のドクちゃんが骨盤から下を受け継ぐことによってふたつの命は今日までそのともしびを燃やし続けている。(兄のべトちゃんは脳障害で寝たきりである)そのドクちゃんは現在25歳。明日、結婚式を挙げるそうだ。彼が今でも住まい続けている病院のとある一室。多くの奇形児たちがホルマリン漬けで保存されている。先ほどのニュースステーションで一部映像が流れたが、あのおぞましい形は僕ら人間の想像の外にあるものたちだった。べトコンが隠れる森を枯らしてしまおう。ついでにやつらの食料も食べられないようにしてしまえ。精神異常者の狂った発想ではない。学もある、普通の人間の所業である。アメリカが悪い!という話しではない。日本もドイツも大航海時代のヨーロッパも散々に陵辱してきた。きっと変わらない。忘れてしまうから。きっと変わらない。利益がそこにある限り。。。
December 15, 2006
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iPod 2G、4G、、30G、80G・・・無限とも思われる容量に溜め込まれた無数の曲。親指一つでウッドストックのジミヘンやハイドパークのクラプトンを瞬時に呼び出せる。彼らの演奏は色あせることなく、大量のiPodの中で生き続けるのだ。26年前の12月8日、ジョンレノンはあの世へ行った。FMでは連日彼の曲を流し続けた。多感なロック少年で同時に受験生であった僕は、その冬、参考書とFM情報誌に蛍光ペンでマークし続けた。TUTAYAもNapsterも無かった時代、エアチェック(死語)は欠くべからざる日課だった。DJの曲紹介を注意深く聞く耳デッキのRecボタンの上でタイミングを計る汗ばんだ指テープの残量をはらはらしながら見つめる目一曲を切り取るのに僕(ら)は真剣だった。そしてそれこそテープが擦り切れるまで何度も何度も聞いた。そんな想いを込めたあのカセットテープもう僕の手元にはない。ジョンの歌声はあの時も今も変わっていない。変わってしまったのは僕の方だ。
December 12, 2006
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恵比寿にキッチン”ボン”という店がある。初代が亡くなってからすっかり足が遠のいてしまったが、おそらく50回は通っているのではないだろうか。そこで僕が一発でノックアウトされたのがビーフシチューだった。たくさんメニューがあるのだが、なにせ最初の10回ほどは他を頼む気ガしなかったほど。あの石原裕次郎が病室まで取り寄せたというほどの味、久しぶりに名物ボルシチでも食べに行きたいものだ。。
December 10, 2006
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厚生労働省によると、年金、医療、介護などの社会保障費は2004年度は86兆円。25年度には152兆円とほぼ倍増する。毎年1兆円ずつ増える見通しであるらしい。社会保障(神戸新聞)そしてこの国の借金は僕らがテレビを見て笑っている間も、幸せな夢を見て眠っている間も増え続けている。日本の借金時計世界トップクラスの経済大国。”お金で買えないものはない”という発言を異端視しきれない風土が蔓延しているのも事実。これだけがんばったのだから、これだけ稼いでいるのだから、このぐらいの生活水準は当然・・・と、誰もが思ってきた。でも、この今の生活は本当に身の丈にあったものなのだろうか。うちの親は僕が小さい頃よくこう話していた。”借金してまで買うんじゃない!”と。もはや砂上の楼閣にさえ思えるこの国は”美しい国”へと変わることができるのだろうか。。
December 8, 2006
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その日布団に潜り、時折咳き込みながら見るでもなくテレビを見ていた。何時になったか分からなかったが番組が変わった。写真家であるというその男はぎこちない歩き方でのそのそと登場した。学生のようでもあり、オタクのようでもあり、浅草キッドの水道橋博士に似ていると思った。この一見冴えない男は一体どんな”目”を持っているというのだろうか。僕は少しだけ身を起こして、画面に向き直った。作品の紹介が始まる。それはミニチュア模型の写真だっ・・・・ん・・?・・・いや・・!?・・・まさか・・・ そんな・・・!!・・・・・布団から起き上がった僕は硬直していた。目が必死にその写真を写し取り、脳みそがそれを懸命に解析する以外動きが止まってしまった。(※ 文末に余談あり)僕は乏しい写真に関する知識を頭の中に広げ続けた。そして、それは、ぼかしによる効果であり、おそらくは、Photoshopなどを使ったものであろう、と、一つの結論を出した。司会者が話し出す。”初めて見る人はミニチュアにしか見えませんよね。僕もこれがどうしたの?って思いましたよ。まさかこれが実写とは・・・驚きました”さらに続ける。”どうやって撮っているのですか?とか、何かで加工されているのですよね?とか聞かれませんか?”と。。。そして、その男の解説が始まる。。。彼が撮影に使用していたカメラは昭和初期に町の写真屋にあったようなカメラ。アコーディオンのようなジャバラを伸ばしたり縮めたりしてピントを合わせるのだそうだ。そしてこの写真を撮るポイントは、像を写し取る側を微妙に傾けることによって水平方向の一部だけに焦点が合うように工夫しているところだった。再び作品が画面いっぱいに現れる。今度は少しだけ落ち着きを取り戻していたしかし、何かに突き放されて落ちていくような感覚の中で画面を見つめた。このブログとほぼ同時進行で写真も撮ってきた。当初はここまで写真にのめり込むとは考えていなかったが、気がつけば一眼レフを手放さない日々を送っている。書店や図書館では先人達のさまざまな写真に触れ、アイデアや構図、アングルなど自分が惹かれるものは頭にコピーアンドペーストをしてきた。しかし”その男”の作品はいままでのどの作品とも違っていた。これまでのものとは明らかに異質であった。なにかをコピーしようなんて気を起こさせない斬新で決定的なものだった。番組が終わりしばらくすると咳が出始めた。残り僅かな薬を冷め切ったお茶で飲み込んだ。一瞬だけなにか別の世界に少しだけずれてしまったような居心地の悪さを感じた。ふと、本田宗一郎の言葉を思い出した。”車は頭で作らずに、手で作れ”これからどこに向かおうか。。。本城直季(Tokyo Source-NO.12)※ 余談ですが、交通事故など一大事の時の記憶はスローモーションであることが多いそうです。 それは緊急事態に際に、何はさておきその状況を打開するために脳と目がフル稼働することによるそうです。 全てのエネルギーを集中させる為にいつも以上に処理能力が上がる結果、 普段よりもスローに感じるということらしいです。 また、モノトーンに感じる事例もあるそうですが、これも色が危機的状況で必要ないと判断されているからということのようです。
December 1, 2006
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