森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.06.12
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神経質の人が、嫁入りをした後に、神経症がますます悪くなるようなことがある。
それは自分が嫁として、良妻・賢母として、誰からも非の打ちどころがなく、完全な善人になりたいという欲望を押し通そうとして、つまり理想主義にかぶれるがために、舅姑や小姑などに対して、日常赤裸々の感情ではなく、完全な善人になりたいという欲望を押し通そうとして、強いて心を曲げてかかるから、周囲からも、かえって不自然なひねくれ者のようには見られ、自分が善人の義理を立てれば立てるほど、かえって周囲から虐待されて、反対の結果になり、その苦しみが重なり、ついに神経衰弱になるのである。

これは嫁ぎ先の家族の人たちに、 「何でもよく気がついて、よく働くよい嫁だ」という評価を得ることに最大の関心を持っているためである。
そうしないと、嫁ぎ先の人たちに嫌われて追い出されてしまうかもしれないという不安がそうさせるのである。
森田理論ではそういう人は強い「かくあるべし」 を持っているとと言われている。
「かくあるべし」を持っていると、理想と現実のギャップを埋めようとする。
その際、理想を基準にして現実を何とかして理想に合わせようとするのである。
そこでは理想からほど遠い現実に対して批判をしたり、拒否したり、否定したりする。
本来は事実や現実を認めて、理想や目標に向かって一歩一歩努力していくことが必要なのである。


およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、気兼ねし遠慮しようが、うるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。
これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分は少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことはどうでもよいという風に、大胆になれば、初めて人からも愛され、 善人ともなるのである。
つまり、自分で善人になろうとする理想主義は、私のいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、帰って善人になるのである。

自分が「かくあるべし」の味方になって雲の上のようなところに身を置いて、現実の世界で苦しんでのたうちまわっている自分や他人を見て、拒否、無視、脅迫、否定することは一害あって一利なしである。
「かくあるべし」が出てきた時は、すぐに現実、現状、事実に立ち返ることは大変難しいことであるが、それが森田理論でいうところの修養である。森田先生は修養とは、実行によって精神の働きや動きを体得することであると言われている。
森田理論学習の目的の1つは、この事実唯真の世界を体得することにある。
(森田全集第5巻 白揚社 205頁より1部引用)





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Last updated  2017.06.12 06:30:04
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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