全8件 (8件中 1-8件目)
1

カヤネズミ親指ほどの大きさのカヤネズミは水田や休耕地、河川敷などの背の高い草地に生息し、草の上に巣を作る珍しい生態をしています。春から秋にかけて、萱などの葉を細かく裂いて小さな巣を作り、繁殖や休憩に利用しています。地上から50センチくらいの高さのところに巣を作ります。近年、背の高い草地は、開発によって減少しているため、カヤネズミの生息数も減少しているそうです。神奈川県では、準絶滅危惧種に指定されています。稲を食べたりせず、バッタなどを食べているようです。病原菌なども持たないとってもかわいい、親指大の小さなネズミです。これからの季節、萱などを見たら探してみてください。カヤネズミを探して歩いていたら、ハルジョオンか?ヒメジョオン?が咲き始めていました。ハルジョオンの咲く頃もう間もなく3月、春がそこまで・・。
2019.02.25
コメント(0)

ぽかぽか「日向」でマップ作り!伊勢原ワークショップレポいつもは年配の方々と一緒で、あまり歳を意識することもなかったが、さすがに若い人の中に入るとまずいなぁと・・。ボランティアでは写真を担当しているので、自分を写すこともなかったので気にもしなかったが、さすがに自分の年が気になる。久しぶりに見る自分の姿に唖然! 次回は注意していきます。合計3日間行いました。ぽかぽか「日向」でマップ作り! 伊勢原ワークショップレポ 昨年秋、完成はまだ。そのうちこれが地図になるらしいのだが、道に迷う人続出なんてことにならなければいいが!次回は、髪の毛染めていきます。写真担当でボランティアの会議風景を撮ると、普段は帽子をかぶっていているおっさんたちが、帽子をとる。後ろからカメラで除くと、さすがに頭の薄い人が画角に入る。これどうにかしてあげようと思うが、画像編集すれば明らかに人工的に見えるし、困った。カメラのモードに「髪の毛増量」+1・+2・+3の補正ができるようになったら売れるかも(笑い)メーカーさん考えて・・。第八回研修会終了式 世代も色々、皆さんよく頑張りましたね。一番若いので安心する瞬間だが、いずれは・・ 左半分が英語、右半分が一般ガイド。4Kが主流になったら、どうなるんでしょう!中学校1年生の課外授業を行う予定で先生と一緒に下見。 さすがに若い!12人の先生が参加。横穴式古墳跡の見学。現在穴はふさがれてみることは出来ません。最後は塔の山に登って、関東平野の眺望を見る予定。塔の山公園の職員さんが、生徒さん178名全員に記念品をプレゼントを用意するらしい。
2019.02.22
コメント(0)

小田原フラワーセンターに行ってきました。ここには全国から集められた梅200品種があります。早咲き、遅咲きとまぁ色々。ピンク、アカ、シロ、緑がかった白。遅咲きのしだれ梅も咲き始め。まさしく「梅宴」あいにくの曇り空で少し残念でしたが、晴れたらいいでしょうね。梅園内もきれいだし、食用の梅畑(曽我の梅林)と違って、華麗。この日は、小田原ウオーキングで大勢の方をご案内する予定だったのですが、雨予報で中止。中止を知らず集まってしまった方々と、個人的にウォーキングをすることに。何とか予定のコース(寺あり、史跡あり、古墳あり)を、すべて案内し歩くことができました。足柄駅を出発し、戻りの蛍田駅に到着したのが2時50分、予定より5分遅れとないましたが、ほぼ予定通り。グーグルMAPの計測では、8キロメートルですが、実際の歩行は歩きまわるので、12キロ位は歩いているでしょう。多い人は、歩数計が1万800歩(到着駅での計測)。知らず知らずの間に、こんなに歩いていたことに皆さんもぴっくり! この日最高齢80歳!びっくりするくらい早い。ある男性は、妻が旦那が出かけてくれると嬉しいらしく、前日から弁当の準備をして是非出かけてくださいと送り出されたとか・・すごいおくさんですねというと。その奥様の川柳に 「朝出した粗大ごみ、夜になって戻ってきた」と ここは奥様に1本か!最後に諏訪ノ原公園から見た風景に、地質学の研究をされていた方がいて、山並みや丘陵の形をを見て色々なことを教わったり、楽しいウォーキングになりました。帰りは、諏訪の原公園の超ロング滑り台(170m)に乗って下りました。
2019.02.20
コメント(0)
明日は小田原フラワーセンターまでのウォーキング開催日今日は朝から日が差してこんなにいい天気なのに、困ったことに明日の天気予報では夕方から雨。2時30分帰着の予定。それまでもってくれるといいのですが!~
2019.02.18
コメント(0)

市内にある中学校1年生の恒例の課外授業を3月に行います。事前授業1回と課外授業178名の生徒さんで、三ノ宮・塔の山公園ウォークを実施します。学校周辺にある歴史を歩きながら学ぶというもの。各クラスを半分に分け、10班に分かれて歩く大変なウォークです。当地に私が移住した当時の人口が約2万5千人でしたが、現在10万人。東京へ約1時間の距離にあって、工業都市というより住宅地で、ほとんどが外からの移住者。そんなことで、地元の歴史についてほとんどの人は、知らないか、関心がないと言ったところ。そんな街だが、歴史遺産は鎌倉市ついで神奈川県下で2番目に多いところで、鎌倉市とも縁の深いところでもあります。今回は、それを地元の中学生に伝えると言う授業です。生徒さんだけでなく、先生も外からの人がほとんどです。この学校がある地域は、新東名のICや国道246号のバイパス工事で、街の景観も大きく様変わりしそうです。新東名と国道246のバイバスの2本に加え、さらに大山道のパイパスが開通すれば、物流拠点の開発も進むでしょう。この街へのアクセスが便利なることはいいことですが、地元が活性化するかは疑問です。便利になればなるほど、観光客の滞在時間は少なくなり単なる通過点になってしまうのではと危惧する声も・・。これまで手付かずの観光資源もバイパス工事によって調査が進み、明らかになっていくという期待する面もあります。今回は、その一つでもあった「心敬塚」の姿が少しずつ見えそうです。この土地は、北条政子が源頼朝亡き後の供養のために創建したと言われる浄業寺あったところでもあり、室町時代の連歌師「心敬僧都」の歴史の空白も明らかになっていくものと思われます。また、太田道の父である道真、その子である道灌にも多大な影響を与えました。これらについては、長くなるのでこの話はこの辺で・・。大山道へのバイパス工事が行われていいるところに案内版があります。まだこの道路は工事中で、車での通行はできません。上記案内板が向いている方向は、右側の竹林の方向を指しています。うっそうとした竹林があり辺で、今までここまで立ち入ることは出来ませんでした。歴代の和尚の墓が並んでいます。心敬の石碑が間もなく建てられる予定。後ろにある林は、心敬の名前からとった言われる心敬塚古墳です。心敬塚は丘陵の浄水場付近にあります。曇りでよく見えませんが、奥のほうに湘南の海が見えます。
2019.02.16
コメント(0)
2月13日 18年度第後の歴史研修会が行われました。講師をしていただいたのは、現在も先導師旅館を営む 〇〇さん心に残る言葉、神道は「来るものは拒まず 去る者は追わない」先導師は、大山土産をもって江戸の大山講の信者の家を周って歩いたことが、大山信仰にも大きく寄与したと思えます。いまで言う旅行社の始まりかも。徳川家康は、大山寺の力を恐れ、今でいういう僧や神官のリストラをの要をはかる。それに困った僧や神官は、御師(おし)として、旅館を営むと同時に、寺社の恪を持つため僧や神官は、自分の旅館の中に神や仏を祀り、講(檀家)を集めるために江戸まで出かけ布教して歩いた。同一の信仰を持つ人を集め大山講を作り、講の信者を大山に案内した。これがのちに先導師と言われる。2017年、46の先導師旅館があったが、現在は42と減ったが、日本最大数。明治以前は、大山寺が勢力を持つ信仰の山であったが、明治以降は廃物希釈により大山寺は取り壊されて大山阿夫利神社が大山寺にとって変わる。その後、権田直介(?))という方が、大山寺の再建に尽力する。今思えば、随分無駄なことをしたなぁ~!大山名物は豆腐料理と言われるが、そもそもこの地域の土地で豆は楚立たない。先導師が江戸の講(檀家)を毎年廻り、その時の初穂料としていただいた大豆や米などをいただくが、大豆は売ることができず、簡単にお金に換えることができませんでした。だが、大豆は米と違い長く保存がきくため、持ちかえり保存することができました。当時は豆腐料理と行っても、しばらくは冷ややっこなどで出される単純なものだったようですが、もともと門前町で精進料理の調理技術があり、現在の豆腐料理に発展したと言われています。また、江戸時代大山の登るとき、水代わりに豆腐を食べながら歩いたそうです。他にもいろいな裏話も聞けて、動画で撮っておけばよかったと・・。もっとたくさんお聞かせいただいたのですが、すっかり右から左へ・・(スマホで録音することも失敗)。3月16日、17日は大山豆腐まつり今年は、スタッフとして参加参加させていただきます。
2019.02.15
コメント(0)

1月末から沢山のイベントが重なり紹介できなかったので、まとめて紹介。ここしばらくブログも消化不良でしたが、これでようやく・・スッキリしました。青山道を歩く2班、大山道(青山道を歩く)多摩川河川を歩く、風が冷たい。ここは多摩川で、右側が二子玉川、今回歩くのが左側の二子新地(川崎) 遠くに見えるのが国道246号線です。二子新地側には、二子神社、岡本太郎が母(かの子)のために制作したモニュメントがあります。大山街道に灯されたと言う大山燈篭の説明石碑が、が~ん!なんと大山の標高が1,246メートルとある!!、大山の標高は正確には、1,252メートル。大山の山頂に神社がたてられたからとか色々言われるが、そんなことで標高が変わるわけではない。真相は、この石碑がたてられた当時の測量技術では1,246メートル、その後精密な測量計ができ、測り直したら1,252メートルだったということのようです。間違いとは言えないが、大山街道(青山道)が国道246となったのは偶然か?二子新地大山街道には、今でも多くの歴史建造物や有名な歌人などの歌碑や、墓地などが多く残る。本家の伊勢原市よりも、史跡が大事に保存されていました。伊勢原市が今から約45年前、町から市になった当時の人口は2万5千人。現在の人口は、約10万人。4倍になり、郷土の歴史に関心がないのも仕方がないか・・。1班が見学が終わって2班がやってきました。大山詣り(日本遺産)が盛んであったころの、大山寺のタイルの描かれた絵図。明治の廃物希釈により当時の大山寺は壊され、現在の大山寺は下方に再建され、阿夫利神社が主体となっています。大山詣りは大山寺(雨降山大山寺)です。太刀納めは?この日は寒く、昼食の場所として大山街道ふるさと館のイベントホールを借りて食事。高津区役所のロビー(トイレ休憩中)この後、国道246号を歩き、溝口から宮前平駅まで歩きます。2月3日は豆まき日和三ノ宮比々多神社からの応援要請があり、比々多神社へ歴史のある神社で、遠方からの人も多く集まるところです。年男の方やお相撲さん、歌手、落語家などが豆をまきました。ここの豆まきは「宝まき」と行って豆と一緒に、紙に包んだ小判が巻かれます。体の大きな人がお相撲さん。今年の節分は、日曜日と快晴で暖か日になり、ものすごい人が集まりました。なんだかバレーボールのブロックのよう。めでたく小判を拾った人。撒かれるときは紙に包まれています。撮影のため拾うことができない私の前に、知り合いの議員さんが、小判をそっと落としてくれました。この小判1枚とくじ1枚を引き換えることができます。豪華標品が当たるようです。神社から追い出された鬼どもですが、無視されてかわいそう。行列のできる卵やさんです。寿雀卵(じゅじゃくらん) TVでよく放映するので、いつも満員。閉店にはいつも売り切れ。卵かけご飯にすると最高。きみの色が赤く濃い色をしています。橋でつまんでも破れません。秘密は餌にあるようです。価格はMサイズで1パック310円。特別に高くはありません。能満寺天気がいいので散歩にご近所一周。能満寺が新しく建て替えられ、ピカピカ。でも歴史のある寺です。無垢の木がすごくきれい。檀家さんの寄付金も大変ですね。私は、子供たちに迷惑をかけないように宇宙旅行でもいいかなぁと。道祖神 この寺がある付近は昔の大山街道です。3回トライしてようやくたどり付いた幻の雷神社小さな神社ですが、断崖絶壁にしっそり。地味だけどやっと会えたことに感動!扉が開いたのでお賽銭は、中の台に収めさせてもらいました。熊さんに出会いそうで、一人では怖いかも・・。こんな崖を下りたり登ったり(ロープ使用)初めての方には場所がわからないでしょうね。冬の季節が明るくてよさそうです。この日は。雲一つない青空。雷神社から林道に出ると、初島がくっきり。雲海に浮かぶ島のようです。
2019.02.06
コメント(0)

神奈川県伊勢原市神奈川県伊勢原市では、新東名とIC、旧東名とのJCの建設工事中です。場所が近いので、散歩がてら発掘調査の様子を見学してきました。産業能率大学のキャンパス付近ここにはかつて、扇谷上杉家の館跡があったとされる場所です。広大な大地が広がり、周囲には空堀と思われる深い堀で囲まれています。自然の造形ではなく、明らかに人手が加わったものと思われような形跡。ただその堀は大きく、当時の人力でこんなにすごいものが掘れるものかと疑うこともあります。当時は城というより館。自然の地形を利用した要塞や山城。大学が校舎建設の際、校舎建設地から建物跡らしきものが見つかり、ここが太田道灌が家宰を務めた上杉館ではと言われています。だが全体の調査は行われておらす、新東名高速建設による大規模な発掘調査で今度こそ明らかになるのではと期待。大学構内の遺跡は、一般公開されていません。こんなことを言うと、お叱りをいただくと思いますが、日本という国はすごいコストのかかる国だなぁと思います。この発掘の風景はもう6年以上も前から見続けています。中国だったら楽でしょうね。一度調査が終わった場所だと思うが、繰り返し行われているような気がします。ここでは、新東名高速と、国道246のバイパスの新設工事が、同時に行われています。この地域は遺跡が多く掘ってはいけない場所。掘れば何かに当たります。発掘調査のために工事が遅れたとも言われています。でも掘らないわけにはいきません。隣の秦野市では、土偶などが出土しています。建物の礎石と思われるような石がたくさん集められ、一つ一つ石に番号が・・近くには、太田道灌が謀殺される前に逃げ込んだとされる洞昌院や、太田道灌を守ったとされる七人塚もある。ただ、近代の地層は畑などは開墾などにより、破壊されてしまっているかもしれませんが、何らかの手掛かりになる、遺跡が発見されることに期待です。この近くで行われている別の場所で、新たな古墳が発掘されたようで、見学会が行われるようです。2月3日は節分の豆まきの手伝いで、残念ですが見に行くことは出来ません。2月3日予定の見学会子易・中川原遺跡見学会
2019.02.01
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1