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真夏のような天気になったと思えば、今度は冬に逆戻り。エアコンも冷房にしたり暖房にしたり。今年も昨年のような異常気象にならなければいいが・・。今日は過ごしやすい天気になり、久しぶりに里山ウォーク。花粉症で目がチカチカし目玉が動きません。結膜炎かも・・フクロウのよう。ヤギが気持ちよさそうに寝そべります。ヒトリシズカ「ヒトリシズカ(一人静)」の花言葉は「隠された美」「愛にこたえて」。ウグイスカグラヤブレガサヤマエンゴグサ?ニリンソウテンナンショウあまり気持ちのいい形ではありませんね。モミジイチゴ花が下向きなので撮りく~い花です。カタクリカワセミ 中央の小さいやつです。元画像はもっと小さい(135ミリの便利ズームは無理)。何枚か撮りましたが、以外にもカメラはピンを外していませんでした。ゴシュユのその後の顔随分耳が伸びました。いい感じです!
2019.03.25
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日本一小さい猛禽類のタカ「ツミ」今日は傷病を負った野生の動物を保護する神奈川県の保護センターで、「救護動物の特別公開」が行われました。ここでは事故や病気で保護された鳥や小動物を治す神奈川県唯一のセンター。ここは動物園ではないので、細かく太い鉄の網で覆われた動物病院で、カメラで撮るのは無理。コンデジでならと試したが、それより網目が小さく太いので撮影は諦め。ボランティアの方が手にするのは、「フクロウ」。もすぐ自然に戻されるまでになったもので、自然に戻すための訓練中のようだ。ここで問題用紙を手渡され、全問正解すると記念品がもらえるらしい。問題用紙を自信をもって提出したら、あれ! 1問不正解だと??問題はこうだ『鳥の巣は何で出来ているかその材料は?』次の中から選びなさい。1}他の鳥や枯れ葉 2)石や土 3)コケ 4)クモの巣 5)全部私の回答 石や土は無しだろと思って、1)3)4)に〇をしました。正解は、5)の全部だと・・!?。 石や土??忘れていたものが一つありました。それはツバメ+ペンギンだったのです。近年ツバメを見かけなくなったので、すっかり忘れてましたね。野生に戻る訓練中の「フクロウ」。猛禽類以外の鳥などに与えられる餌は、鮎などらしく、かなり贅沢!猛禽類には鳥の頭!自然に戻れる段階になると、餌も自然界で得られるものに変えていくようです。こちらは、本日、特別公開された鳥ではありませんが、「ツミ」という日本で一番小さな猛禽類のタカ。ツグミではありません。「ツグミ」に近い大きさ、こんなに小さくては、他の鳥からバカにされやしないかと心配したが、やはり猛禽類で、強いらしい・・。羽ばたく瞬間が撮れた! 小さくてもその勇姿は、やはりタカ。日本で一番小さなタカらしく、NHKさん「ダーウィンが来た!」の番組収録にきたとか。めったに見ることのできない珍しいタカだそうです。ネットと網で覆われていましたが、網が細かったので何とか網越しに撮れていました。ここに保護されている動物は、どういう理由で保護されたのか記載されています。一番多く保護された動物は、ツバメ。
2019.03.24
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今日は、地元の中学生の「三之宮・塔の山緑地」ウォークこれは、中学校の教育方針の1つに、地元の地域の文化や自然を知ってもらうことを目的に、毎年行われる恒例の課外授業。1年生全員と先生を含めると、約200名。先生方も他の地域に住んでいる方が多く、若い先生方もこうした課外授業を体験するのは、3年に一度と言うことで、初めての参加になる先生方も多く、子供たちと同様先生方も楽しみにしていたらしい。今日を迎えるにあたって、先生方と下見ウォーク1回と事前授業を1回行いました。本番の今日は雲一つない青空にめぐまれて最高!開会の儀式の後、1班(20名)程度に分かれて学校を8時40分に出発。先ず最初は、「北条政子」が「源頼朝」を供養するために創建したと言われる「浄業寺」についての説明。とまぁ~ここまではよかったが、この寺には太田道灌や太田道真(道灌の父)の歌会の判者として出席した心敬がいたところ。心敬は、日本文化史上の有名人。松尾芭蕉は心敬の弟子宗衹(そうぎ)尊敬していたと言われる。と言っても、生徒の反応はイマイチ・・・???最初から冷や汗!そこで、みんな「プレバトの番組見たことあると問いかけると『あるある』との反応。ようやく、くいついてくれた。「心敬」は「夏井先生」のような人と例えると、どうやらわかってくれたが、苦しいスタート。用意した資料は役立たずで、以降は要約して説明すことに・・。すると、色々な質問が飛んでくるようになり、ようやくこちらのペースに・・。こうして予定の14ポイントを周る。コースの最後には、「塔の山緑地公園」の展望台へ。関東平野が一望できる眺望に一同感激!!天気も良く、暖かく、斜面の芝生でゴロゴロ転がったり、友達同士でじゃれあったりと・・ここが一番気に入ったらしい。そして「塔の山公園の管理人」さんが、今日のために手作りしてくれた特製のプレゼントをいただきました。この日のために、なんと200個も用意してくれました。楽しい時間もそろそろ終わりに・・。12時までには、学校に戻らなければいけない。この後2ヵ所周って、学校にもどった時間がなんと! 11時59分に校門に。先発の皆さんから拍手でお出迎え。そして、担当したクラスの皆さんとお別れ会開始。この時!! 12時を知らせるキン~コン カンコン~の、昔懐かしい昼の合図。生徒さんからのお礼の言葉をいただいて・・最近感動することもあまりなかったが、久しぶりに目がうるるんでしまった。花粉症かもね(笑い)始めは先頭を歩いていたが、いつの間にか後半には子供たちに囲まれていました。
2019.03.20
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明日は、大山とうふまつり3月16日は、大山インフォーメーションセンターにて、終日、観光案内。3月17日は、大山とうふまつりのスタッフとして、豆腐を作りふるまう予定。今日は、大山と豆腐の歴史についてお話しします。大山は、山岳信仰の霊山として、また農民からは水を司る神として、漁民からは航海の目印ともなる海の守護神古くから崇拝されてきました。ここに阿夫利神社が創建されたのは、社伝では紀元前97年とされています。また大山寺の開山は早く、奈良時代の天平勝宝7年(755)に、華厳宗の良弁(ろうべん)僧正が入山したことによるとされています。良弁僧正日本に華厳宗を広めた僧で、、奈良東大寺建立に尽力し、初代別当になった人です。一説によれば、相模の人とも言われています(大山縁起絵巻)。平安時代には、神仏集合思想により山頂の阿夫利神社には、石尊大権現が、山腹の大山寺には不動明王が祭られて、大山全体で神仏一体の姿が出来上がりました。以降の大山は、僧侶と修験者、神職の三者で維持されていくことになります。朝廷の庇護も受けた大山信仰は、武士の間にも広がっていきました。鎌倉幕府を開いた源頼朝をはじめ、足利尊氏、小田原北条氏等、多くの武士の信仰の対象になりました。そして時代は江戸に移り、家康は慶長10年(1605)大山の改革を「寺院法渡三ヶ条」により行いました。これにより、山頂にいた多くの修験者や妻帯の僧らが前不動から下におろされ、大山と蓑毛(秦野市)に定住して御師になりました。改革の後、江戸幕府は、春日局や高層を度々代参に送り、将軍家のための加持祈祷を行い、同時に寄進などの経済的な援助を実施しています。将軍家との結び付きが強まる一方、江戸市民の中の知識人や上層商人の間でも、大山の存在が認識されるようになり、大山信仰は江戸市民にも広がっていきました。この背景には、御師たちが江戸をはじめとした、諸国の村々を廻り檀家を獲得し大山信仰の布教や講の結成、参詣者の勧誘に努め、さらに参詣者の宿泊所の提供、寺社への案内等を行うようになったことも大山発展の大きな原動力になったと考えられます。また、江戸の町の人口が増えたことも大山を発展させた一因です。徳川家康は、江戸幕府を開くと、諸国の大名にに命じて、大規模な海岸埋め立て工事などの基礎整備に着手。さらに、二代将軍秀忠は天下の政庁にふさわしい城を目指して、継続的な江戸城の大拡張を始め、三代将軍家光の時に天守閣、大手門、本丸御殿などの江戸城の主な建物が完成しました。出来上がった江戸の町には、旗本や諸大名、商人、職人など、多くの人が住むようになり、開幕当時の寒村が、天明の頃には135万人を超える人口を持つ大都市に変貌しています。大都会江戸の町から見える霊峰大山に人々は憧れ、江戸の人口増加と比例し、参拝者は増加していったのではないでしょうか。このころになると、宿泊の形態も変わり、御師たちが食していた精進料である豆腐料理が広がっていきました。今でこそ「大山と言えば豆腐料理」と言われるほど通名な名物となりましたが、それにはそれにはいくつかの理由が考えられます。例えば、「参詣者に供給する大量の食糧を保存しておく設備などがないため、井戸水などにつけて保存できる豆腐などは、最適な食糧であったこと」←これがおかしいとうふの製造と保存に適した霊山の良質水が使われたこと・江戸の発展と共に大幅に参拝者が増えていったこと。豆腐が、修験者や僧職経験者が食べなれた精進料理であったこと大山の御師たちが配札や祈祷、日侍行事などを行い、謝礼として受け取り集められた大豆などの豊富な原材料が大山に集中したことこのように多くの要因が複合し、高品質の豆腐大山に生み出されてれ、さらに育っていぅたために「大山名物=豆腐」という図式が出来上がっていった。話を戻しますが、大山は江戸中期になると、江戸の大火、関東の大洪水、飢饉、都市の打ちこわし、農民一揆などが続き、人々が神仏にすがろうとしし、大山信仰がさらに盛んになりました。そして大山参拝者のさらなる増加に伴い、多くの多くの大山街道が整備され、参詣者と御師の往来はますます頻度を増し、門前町としての大山も最盛期を迎えることになりました。山頂の「石尊大権現」と中腹の「別当寺雨降山大山寺」を中心に栄えてきた大山は、明治元年に神仏判然例が出されると、神社と大山寺に分かれ、、石尊大権現は「阿夫利神社に」社号が改元されます。また、同年6年には、国学者権田直介を迎え、その指導にによって御師は先導師に改称するなど、神仏分離後の大山再興に向けた努力が行われています。その後も、信仰の山として、豆腐料理の郷として、多くの善男善女を迎え、さらに最近では首都圏の手軽な観光地として多くの人を集めています。私見ですが御師(先導師)が江戸に配札や祈祷に講を定期的に訪れ、その際に謝礼としてお金や米、豆などをいただきました。米は近郊の地域で売ってお金に換えることができましたが、豆は安くて売れず、仕方なく大山に持ち帰ることになった。豆は乾燥することにより、米より長期保存が可能という利点もあり、もともとあった精進料理と相性も良く独自の豆腐料理として発展していったのでしょう。また、大山に登る際に、水代わりに豆腐をもって登ったとも言われています。豆腐を水につけて、長期保存なんてできません。長文になってしまいましたので、誤字脱字がありましたらお許しください。さて明日の準備しなくては・・・。
2019.03.15
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シャガの葉はどっちが表・裏?何気なくシャガの葉を見ていたら、表も裏も一緒中心の葉を挟みこっように、葉が扇型に広がる。挟みこんだ葉の部分を割ってみましたが、裏も裏も同じ弟子た。葉っぱには裏表があってもよさそうなものだが・・・。白いところは、外側の葉が内側の葉を包み込んだところを無理やり咲いてみた。やっぱり、裏も表も一緒。アヤメの中でシャガだけが、種を持たない。そんなところから、花言は「反抗」、「抵抗」と言われるらしい。アヤメの葉はどうだったか?そんなことに興味をもって見ていたら、前方の林がやけにきれいに掃除されていました。ここはヤマユリの群生地だったが、かなり前にヤマユリが見頃とあったので、行ってみたら、ヤマユリが盗難にあい、一夜にして消えてしまったところです。あれからかなりの年月がになると思う。ヤマユリが咲いていたころは、下草がたくさん生えていたのに・・。少し人が歩いた跡があったので、林の中に入るとどこかで見たような、花の葉!?もしかしたらこれはカタクリの群生地では?
2019.03.13
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大山登山マラソンは、伊勢原駅北口の大山阿夫利神社の一の鳥居前をスタートし、阿夫利神社下社までの9キロを走るコース。スタートからゴールまでひたすら登りで、標高差650メートル。7キロ付近からゴールまで、1610段の石段が立ちはだかる。心臓破りのコースです。(観光案内で歩くだけでもいや)今年は、北海道から宮崎まで、2,744人の方がエントリーされているようです。市内からは、300人のランナーが挑んだ。出場者の最年少は15歳の女性で、最高齢者は91歳の男性だそうだ。駅北口の「一の鳥居前」のスタートゲート。少し早めにと思ったが、到着した時は、もうこんなにたくさんの人が集まってました!スタート地点近くの小学校が、大山マラソンの会場。登山マラソンということで、コースは歩くだけでも大変な難所も待ち構えています。モバイル隊というゼッケンをつけた方々をみつけました。電話でとりたい場合の、サービスかと思ったら緊急時にAEDを背負いバイクで駆け付ける担当の方々。こうした裏方さんによって、大会が支えられています。マラソン大会は、スポーツ課の主催だと思うが、今伊勢原市では太田道灌公を「NHKの大河ドラマ」にと署名活動も推進しています。我がいせはら観光ボランティアガイド&ウオーク協会と一緒に、署名活動。この日は観光課長が自ら先頭に立って、署名活動に頑張っていました。カッパのキャラは県の水道局で、コマのキャラは伊勢原市のマスコット「クルリン」です。出発前の、市長の挨拶等を終えて、いよいよスタート。60代、40代、30代と年代別にグループに分けられ走ります。台の上に乗っている方はゲストランナーで、各クラスごとにつきます。ただ、オリンピック選手といえども、山登りとなると・・どうか?たぶん50代、60代以上のクラス60代以上、60代も頑張りますねー!60代以上、が駅前を出発して最初のコーナーを、曲がるところ。これを曲がれば、あとはひたすら前方に見える大山に向かって走るだけ。順番がわぁらなくなってしまいましたが、今画像を見て何となくわかりました。このグループは、40代と思われます。なんとなく・・これは40代これも男子40代以上、女子39歳以下 このゼッケンのナンバーにヒントがありそうな。これも男子40代以上、女子39歳以下これは男子40代以上、女子39歳以下か?これは男子30代、女子29歳以下?これも30代以下 トレイルランの部類に入るのか、リュックを背負って。ファッションも変わりましたね。写真を撮っていると、プラカードにも持った方から、名前を呼ばれる!?始めは誰か気づきませんでしたが、2月に私の担当したウオークに参加していただいた方でした。花粉症でマスクしていたのに・・有難うございます。前日の最高気温が、18度で汗ばむ陽気でしたが、今日の早朝は晴れ、スター時以降薄曇り。マラソンには丁度いいかも。ゴールの大山阿夫利神社からの帰りは、大山ケーブルとバスで会場に戻りますが、帰りも走って戻る方も多く見受けられます。 すごいですね!増々人気が高まっています。今度は、登山シーンを撮ってみたいですね。伊勢原市では、ふるさと納税で寄付をいただいた方に、登山マラソンの出場権を返礼品として送付しているようです。次のイベントは大山豆腐まつり「3月16日:17日」開催されます。
2019.03.10
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寒くなったり、暖かくなったりどうも天気が、安定しませんね。今日は暖かかくなったので、神奈川県の自然環境保全センターに行ってきました。キクザキイチゲが咲き始めました。ゴシュユの冬芽そろそろ河津桜のピークも過ぎて、春めき桜が間もなく開花か!とここまではよかったのですが・・。最近山桜や、街路樹の桜が切り倒されているものを多く目にします。サクラの木の根元に、虫が掘った木くずなのか、糞か? こうなったら終わりです。最近桜の木を好物にする外来種のクビアカツヤカミキリ虫が繁殖し、多くの桜の木が枯れて倒木の危険があり切断するしか方法がありません。桜の木の皮に卵を産み付け、その卵が幼虫となって桜の木の皮の中に入り、導管と呼ばれる樹皮の近いところから侵食を始めます。成虫になると木の中から抜け出し、他の木に卵を産み付け増殖していきます。木に卵を産み付けないよう網やビニールを巻き、卵を産み付けられないようにするなどの対策を講じているようですが、木の中に潜り込んでしまった幼虫にこれといった対策なし。薬剤も注入使用がなくダメ!ある自治体では、クビアカツヤカミキリ一匹捕獲すると50円で買い取ることも検討されている。これはいい対策かも。ただ疑問に思うのは、伐採した桜の木を他の場所に移動することが禁止されておりそ、の場に放置されたままになります。特別な手続きがないと移動できないらしい。そんなばかな・・。焼却するなどせずに、駆除できるのであろうか? 枯れた木ではスモークチップにもならない。原因は、輸入材などの中に入って、国内に入り込むらしい。このままでは、花見はいつまでできるか・・?
2019.03.05
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