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本日の可愛いこ。 嫌いな季節がやってきました。 わたしの大切なものを奪う季節です。 今年はもう、悲しい別れはないと思いたい。 昨年の今頃は、会社にいっても不安で、 夜は夜で、寝るのが怖く、 このまま時がとまってほしいと思っていました。 最後まで一生懸命生きていたあの子は、 命を与えられたからには、 ちゃんと生きないといけないと、 そう言っているようでした。 可愛いあの子も、叔父さんも、 健康で元気だったら、もっと生きていたかったでしょう。 ちゃんと一生懸命生きてたよね。 いつまでも、いつまでも忘れないよ。いつまでも大切に思ってるよ。 みんなが私を置いていってしまうようで とても悲しいです。 でも、まだ健康で元気なので、 ちゃんと頑張って生きていたみんなの気持ちを 大切にしたいと思います
2014.05.29

ある日、目の前に、一年前に死んだあの子がいました。 みんなと一緒に、嬉しそうに私を見上げていました。 そんなはずはない、と。 確かにあの日、わたしの目の前で死んだはず、と。 では、これは夢なのだと。 夢なのだと気づいた時に目が覚めました。 こちらは、いま現在も存命中のおふたり。
2014.05.28
ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばや 室生犀星のあまりに有名なこの句を知ったのは高校生のとき。 先生が、この句を読んだ場所はどこでしょう?という質問をして生徒に手をあげさせたとき、『ふるさとだと思う人』と聞かれて挙手したのは、私だけでした。 友人たちはクスクス笑っていました。先生の「正解は故郷です」という声があるまでは。 このとき、はじめて、そうか、この心境は私には理解できても、普通の家庭で育った人たちには到底理解できるものではないのだと、知りました。 この句を再度思い出したのは、弟にはじめて会った20代のとき。 兄弟とは、一緒に育った人であり、同じ思い出を共有している人のことなのだと初めて気づいたとき。 一緒に育った人という意味では、妹とも一緒に暮らしたのはほんのわずかな時間なので、そういう意味では、私には兄弟はいないのだと実感しました。 ことの起こりは小学校3年のとき。 消息不明だった私たちを、何年もかけて、あきらめずに探してくれたのは、叔父で、そして今回の叔父の死により、辛い思い出から避けるように帰郷をこばんでいた私はふたたび故郷へと呼び寄せられました。 叔父はベテランの高校教師であり、数々の問題児と向き合ってきており、すでに中学二年になっていた私の言動と、私の置かれている状況をよく知っていたので、当然、私の心境も理解していて、それで、高校はこっちに帰ってきて、自分が教鞭をとっている学校に入り、叔父の家から学校へ通えと。 面倒見がよい叔父が、すべてを理解したうえで、そういってくれていたのだとわかったのは、叔父が死んでからでした。 自分は天涯孤独なのだと、誰からも気にかけられることのない存在なのだと、そう思っているのを、まるで分かっていたかのように・・。 飾った言葉を発することができない叔父の、精一杯の愛情表現だったのだと、あのとき、なぜ、気づかなかったのかと、自分でも不思議です。自分しか見えていない年頃だったからでしょうか。 何度見ても、叔父の顔は少し青ざめて、そして、いかにも死に顔でした。
2014.05.24
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