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私が変われば、家族はもう少し、幸せになれると思って、20代後半から遠ざかっていた教会に、再び通うようになった。ママは騙されやすいから心配・・・っと、パパも通うようになった。でも結局、誰も幸せになれなかった。私も変われなかった。私が足りない人間でも、パパがいるから・・っと思っていたのに、パパが死んだ。いろいろ努力したこともあったし、考えたり、悩んだり、いろいろしたけど眠いとか、だるいとか、痛いとか、苦しいとか、いろいろ我慢したこともあったけど、無駄だった。結局、誰も幸せにできなかった。何も変わらない自分だけが残った。自分のだめさに、悲しくなってくることがある。「お母さんなんだから・・」っていわれるのがいやなのは自分がダメなのは、自分が一番よくわかってるから。どれほどに努力してもダメだった。あらゆる努力をあざ笑うような結果しか得られなかった。どんなに周りに言われても、それ以上に切望しても、頑張っても、だめだった。自分には能力がないのだと、よくわかった。猫がどんなに努力しても空を飛べないのと同じように、鳥が魚の真似をしても、水の中に住めないように、そもそも、そんな能力がないのに、努力したって、疲れるだけなのだと気づいた。私がどれほど努力したかは、パパだけが知ってる。だから、パパは、いつのころからか、もう、できないことを求めなくなった。だから、パパは、ママができないことはパパがやるから・・って言ってくれた。そのパパはもういない。
2017.07.27
未亡人ときくと、かわいそうな人という目でみられる傾向にある。かわいそうな人って、なんか上から目線っぽくて、全然うれしくない。憐れんであげないといけない人、不幸な人、自分より下の人、普通の幸せを手にできない人、、みたいな。最近、気力がついていかなくなり、昨夜も王子に、いつにもまして元気ない・・といわれた。悪いなぁとは思うし、嘘でも元気にふるまいたいと思う時もあるけど、やらなければいけないことがたくさんあるけど、でも、最後にいつも思うのは、パパいないんだよ。私を支えたいといってくれた人はもういないんだよ。世界で一番、私を大事にしてくれて、理解してくれた人はもういないんだよ。一緒に美味しいもの食べたり、楽しいことしたりして、喜びたい人がもういないんだよ。一番、喜ばせたいって思えた人がいないんだよ。パパに会いたい。パパに会いたい。
2017.07.25
ガンで奥さんを失ったがんセンターのお医者さんが出した本をチラ見してみた。1年がかりで普通に戻れた・・とかいてあった。よかった・一年もたたないのに、しっかりしろとか言われると、自分が特別間違ったダメな人間なのかと思ってしまうけど、こんな頭よさそうな、国立がんセンター名誉総長だった人が1年かかったんだったら、私はもっと時間をもらってもいいわけだ。でも、「お母さんなんだから・・・」という、しっかりしなければならない理由をつけて言ってくる人もいる。。。。国立がんセンター名誉総長は”お母さん”じゃない。だから落ち込んでいても認められたのかな・・。お母さんは落ち込んじゃいけないのか・・。だったら私もお母さんじゃなくてよかったよ。そんな偉い人間になれないもの。有りがちな日本人的良妻賢母論、母は強し。戦争で夫を取られても、お国のために一人でも立派に子供を育てる・・みたいな美しい日本文化に洗脳された人たちが、私を追い詰める。時代錯誤だよね・・。何かに洗脳されてたからできたことだろうし。。。他の場所もみてみた。「元気になったね」といわれ、嫌な気分になる人が、私だけではないことがわかった。よかった。私が特別ひねくれてるわけじゃないんだ・・。どう返事をしていいのか、わからないんだよね・・正直・・。元気なはずがないのに、元気とか言われて、なんといったらいいのか。。。あとは叱咤激励のことば。これほど重たいものはない。これも、私以外にも、嫌だと思っている人は多いとわかった。何かいってあげなきゃ・・って思って言うのかもしれないけど、正直、余計なお世話なんだよね。はげまされたくないし、頑張りたくないし、妙に強制されているようで、だんだんだんだん息苦しくなってくる。ちょうど昨年の今頃だったろうか。教会で、ガン哲学外来の会をひらいてた。遠隔で聞いてた。(パパはすぐに寝てた)先生のお話はよかったけど、そのあとの、みなさんのディスカッションみたいのを聞いて、行かなくて本当によかったと思った。「自分や家族がガンになったときに慌てないように、いろいろお話を聞きたくて・・」という人がいた。いいなぁ。私もそういうことを言う側でいたかった。(勝ち組?)この人は、いい前例として私の話を聞きたかったらしく、パパが死んだ直後に、何かを聞き出そうという気持ちを前面に出して近寄ってきて、ちょっぴりしつこかった人だ。あふれる出る好奇心に、正直うんざりした。毎日、暇なんだろうなぁ・・。私には、自分や家族がガンになったときのために、いろいろ情報を仕入れたいという人の気持ちが理解できない。母のように、自分はガン家系だからガンで死ぬとか、何度もいってたのに、くも膜下出血であっさり死ぬ人もいるし。。。そうなったら、ガンのための情報収集って無駄では・・?最近、周りの励ましの言葉が増えてきているような気がして、妙にのどが渇くときがある。
2017.07.18
グリーフケアおことわり という本を見つけた。 私と同じように感じるひとが少なからず存在することが分かった。 三回忌に、もう落ち着いたでしょう、と言われて、そんな簡単じゃない、と腹を立てつつも、愛想笑いするひと。 この前、元気そうね、と言われて、はあ、まあ、おかげさまで、、とどうにか言葉を返した自分と、どこか被る。 元気なわけないから、、 なんか、パパが死んだことを軽く捕らえられてるようで腹がたつ。 本には、何故悲しみを抱えたままではいけないのか、何故立ち直らなければいけないのか、と書いてあった。 私も同じように思ってる。 王子は そういうひとは、もう十分な時間を一緒に過ごして、十分楽しんだから、自分が同じようになっても、そう思える人なんだよ。と言ってた。 そうなのかな。 あの人たちに私の気持ちがわからないように、私も、十分な時間を過ごしたわけでもなく、十分楽しんだわけでもないから、わからない。
2017.07.11
おばさんと話した。 母が高校生のときのことを聞いた。 妹の結婚に反対して中絶させたとき、この人は未だに私を産んだことを後悔してるのかなと思ったけど、 やっぱり、考えすぎじゃなかった。 彼女は高校の同窓会に参加してから急に、当時が恋しくなり、故郷に帰ってしまった。 妊娠さえしなければ、、、と思っていたからこそ、父に、40年以上たってから養育費を請求したんだろうし、、おそわれて妊娠したとまで言いだしたくらいなんだから。 元々、同じ思いを共有してくれる人がほしくて、弟を探したけど、弟にはとてもこんな話はできない。 パパ、こういうことだったんだよ。私が生まれてきた経緯は。 彼女の一連の行為は、おばあちゃんへの面当てだったんだんだ。 おばあちゃんにはそれがわかったたから、私のことも、弟のことも、いらないと言ったんだよ。 私たちを見るたび、自分が責められているように感じたから。 でも、あんな人たちは放っておいても、私にはちゃんと自分を理解してくれる人がいると思えた。 パパは今まであった誰とも違うと、それがわかった。 そのパパがもういない。 不安と恐れと、怒りや悲しみに、ただひたすらに我慢していた子供のころに戻った。
2017.07.04
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