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学校で成績会議というのがあり、それが何なのかもわかってはいないけど、そこで王子の名前がでたということで、呼び出された。本人はいらない、親がこいというんだけど、私が勉強するという話ではないんだよね・・・。なんで本人はいらないんだろう・・。全然わからない。勉強させろとかいわれるのはとてもつらい。パパが生きていたころから、あらゆる手をつくしてきた。(特にパパが)全部、無駄だった。一時的に成績をあげることは可能かもしれない。でも、永続的にとなると、脅しだけではどうにもならない。犬と同じで、餌(ごほうび)でつる方法が、よく使われる手法らしいけど、どうして勉強したら、ご褒美あげなきゃならないんだろう・・。不思議でならない。結果的に学校から何かをいわれるたびに、我が家は殺伐とした空気となり、一時的混乱・断絶する・・を繰り返してきた。そのたびに王子は、「明日からやる」だったけど、もちろん、その明日があればいいほうで、三日も続かない。生活のために、会社を休みたくない。ちゃんと来たい。でもこの難題に、パパ抜きで立ち向かうと体調が悪くなり、休むことになる。そもそも、私一人では無理だと分かっているのに、なんで、やってるんだろう・・。パパが死んで1年と1日目。所詮、母子家庭なんだから、問題かかえてあたりまえ。子供ができそこないで当たり前・・とは思ってくれないんだろうか。両親そろっていてできなかったことが、父親なしでできるんだろうか。親と面談すれば、子供の成績はあがるんだろうか。
2017.09.27
昨年、いまごろは・・。ぼちぼち痛みが落ち着き、倦怠感に襲われてた頃。パパがすい臓がんとわかってから、昨年のはじめころまで、パパと同じすい臓がんの人のブログをちょこちょこ見てた。久しぶりに見てみたら、力尽きた人がいたり、パパが死んでからすい臓がんの宣告をうけて戦っている人がいたり。普通の人には当たり前のことなんだろうけど、パパが死んでから、新たにすい臓がんになる人がいて、その家族がいて、私たちの日々が終わってからも、戦いの日々を続けている人たちがいるんだ・・・と、改めて思った。パパと同じ年くらいの人で、パパより早く死んだ人もいた。緩和ケア病棟、お年寄りばっかりで怖いと書いてあった。。。。よかった・・いかなくて・・・。言われてみれば、確かにそうだ。自分がお年寄りになれば気にならないんだろうけど、自分がお年寄りではない場合、お年寄りだらけで、みんな死を待つような状態だったらやっぱり怖いよね。ステージ4bで見つかっても、1年以上生きてる人もいる。パパより年をとってるほうが、長生きできるみたい。パパはジェムザールの耐性がつくのが早かった・・。劇的に効いてただけに。。。それにTS-1が全然効いてなかった。。だからジェムザールをやめてからの数か月の治療は、ほとんど無意味だったってことだ。パパと同じ年くらいの人や、パパよりちょっと上とか、下とか、いろいろな人がいるけど、この人たちと、その家族のブログを読む限り、非常に共感できるものが多い。生きている次元が同じというか・。会社の人も、学校の人も、教会の人も、よく似た別の次元に生きている人にみえる。何年も先の子供の大学受験の話だとか、教会の椅子がどーのだの、台所がどうのだの、みんな、生き続けることが当たり前の人とは、ひどく隔たりを感じる。私たちは、この一年、どうやって生きてきたのか、断片的にしか思い出せない。王子様は、パパと暮らした日が遠い過去のようだといったり、夢の中のようだと言ったりしている。私は、やっぱり同じように感じる。ただ、パパが元気だったころの写真を見ると、私たちにもこんな日があったんだ・・とまるで子供のころ、大好きだった絵本を見るような、そんな気持ちになる。逆にパパが死んだ日が近づくにつれ、1年前をリアルに思い出す。まるでパパがもう一回死ぬみたいな、そんな追い詰められたような危機感に襲われるときがある。受け入れるとか、受け入れられないとか、そういった次元ではなく、恐ろしいものに追いかけられているような、どうにもならないところに追い詰められてるようなそんな感じがする。2年前の、いまごろは、パパがすい臓がんだなんて、誰も知らなかった。1年後に、パパが死んでるなんて、思いもよらなかったころ。そんなときがあったんだ・・。次はどこにいこうか・・とか、来年はどこにいこうか・・とか、そんな、当たり前の人たちと同じように思っていたころが、私たちにもあったんだ・・。そう考え出すと、生きるのがつらくなるので、あれは夢なのだと、絵本の世界のことなのだと、思うようにしている。
2017.09.12
知人の危篤の連絡がきた。いろんなことを思い出す。ちょうど1年前のこと。もっと前に、その人の家に遊びにいったときのこと。あのときは、まさか二人が洗礼受けるとは思ってもみなかった。何回か家に行ったりしていたから、パパが死んだと聞いて、それで、いろいろ考えるところがあり、伝道集会にきたのだと、そう聞いた。そして、パパの受洗からちょうど1年おくれて、洗礼を受けた。それが昨年11月。死というと、直近のパパと、母のことを思い出す。パパは衰弱死に近く、起き上がって死んだくらいだから、最期の最期まで意識はあったけど、母はくも膜下出血で倒れたから、意識はぜんぜん戻らず、そのまま心停止だった。でも、意識レベルがとっても低下していただけで、ギリギリまで声が聞こえていたようだった。だから、最期に、ありがとうと言っておけばよかったな・・っと思ったけど、弟が来てくれたことは、想定外だっただろうから、よかった。家族が死にかけの状態のときは、頭も体も、なんか、普段とは別な状態にある。疲れたとか、眠いとか、そういうのとは別次元に妙な体調であり、頭はほとんど、あんまり考えることができない感じになってる。目の前で次々に巻き起こることに対処すべく、それ以外のことは考えられる状態ではなくなるし。でも、こうして会社の人たちを見ていると、ごく普通の状態でごく普通の日常を過ごしてる。教会はというと、やはりごく普通で、やれ椅子だのカップラーメンだのということに注力しているのを見ていると、当たり前なのかもしれないけど、どこまでいっても他人事の一言に尽きるんだろう。昨年のいまごろも、私たちは必死で死にもの狂いで、朝も夜も関係なく、1年後どころか1か月後もなく、頭の中は混乱するばかりだった。でも、なんだかんだといっても、それは他人から見ると、あくまで他人事だから、教会の人たちも、やっぱり、それはそれ・・で、やれ新しい会堂だの、椅子だのが重要だったんだろうな・・と思うと、自分たちだけが社会から孤立しているようなそんな気持ちになったのは、あながち勘違いではないのだろうと、しみじみ思う。ちょっと寂しいけど。。あれから1年。 移り変わりの早い先進国である日本なので、パパのことは風化され、過去のこととして忘れ去られ、、、それより椅子だよ。なんとも侘しい。当事者にとっては死ぬよりつらいことであっても、第三者には、日常の1コマなんだ。東日本大震災のことも、原発事故のことも、首都圏ではもう過去のことで、災害ならあちこちで起きてるし・・というレベル。原発事故は天災じゃなくて、人災だよ。首都圏の、私たちが使ってる電気のためにあった原子力発電所で起きた事故で、それがために悲しみのなかに死んだ人がいて、いまでも、いろんな人を苦しめてるんだよ、・・・なんてことは、すでに過去のこととして処理されている首都圏の人間の頭の中には何も響かない。かわいそうな人たちのために、私たちの余った時間とお金で何かしてあげましょう・・という気持ちの人はいてもあくまでそれは他人事。自分たちが加害者であるという意識はみじんもない。でも原発事故のことを他人事として捉えているうちは、社会は間違った方向にいくだけだよ。みんなの誤った価値観が、無関心が、あの事故を起こしたんだよ。この恐ろしいほどの社会の流れの速さに、みんな一番大切なことを見失っていて、それ以外のどうでもいいことにばかり目を向けさせられてる。そのことに気づくのは、いつなんだろうか。いよいよ死を自覚したときなんだろうか。
2017.09.07
二学期がはじまったというのに王子さまはまだ学校にいってない。今日はようやく一緒に家をでたのに、電車混雑で乗り換え駅で下車できず、途中で気分が悪くなり、少し休憩したけどダメで、結局家へ。うーん。どうしようかなぁ。。。まぁ、でもこの一年の彼は、いろいろ大変だった。直近のストレスは、いまだ新しい友達になじめないことととか、小学校時代の友達が恋しいことみたいで。。昨年、いまごろの出来事は、未だ記憶に新しい。経験したこともない人には、絶対わからない。想像もしなかったことに、パパがガンになり、あっという間に死にかけの状態になり、昨日できていたことが、今日はできなくなり、日々衰え、死んでいくパパを必死で看病する毎日だった。ちょうどいまごろは、ガン発症依頼、お世話になっていた病院と医師に完全に見捨てられ、どうしたらいいのかわからず、とりあえず、在宅医療に切り替えてはみたものの、在宅の先生がまったくダメダメで、どうにもならないところに追い込まれていたころ。パパも死にそうだったけど、私たちもパパ以外のことが考えられず、文字通り命がけだった。あの経験があるから、のどかにつまらないことにこだわって騒いでいる人や2年も3年も先の心配をしている人と、大きな乖離を感じてしまう。人はみんな死ぬのに、その日がいつきてもおかしくないのだと思っている人って、ほとんどいない。バカなことで大騒ぎしている人や、2・3年後の心配をしている人をみるたびに、この人は、明日死ぬと分かったら、どうするんだろうか・・と思う。自分だけは簡単に死なないという自信は、いったいどこから生まれてくるんだろう。まるで不死であるかのように、生きている。パパがガンになり、苦しい闘病生活を経て死んだことで、私は、世の中のみなさんとさらに大きく離れることになった。ほんとうは、たとえ偽りの生活であっても、みんなと同じがよかった。少数派は生きにくいし、人に理解してもらうのが難しい。教会で1か月に1回ある、証だか幸せ自慢だかわからない話も、うんざりすることがある。病気がなおっただの、家族旅行でのハプニングが、お祈りしたら解決しただの、神様が自分の言うなりになったという自慢話が多い。ただ、最近、自分の思い通りの教会を作りたいという人が増えたような気がする。人間の思い通りにした教会。そこはもはや神の宮ではない。どんな教会を作ろうが自由だとは思うけど、次世代に継承したいとかいって、そんな、一部の人が金の力にものを言わせてやりたいことを実現した教会を押し付けられてはたまらない。
2017.09.05
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