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最近は白い花に惹かれる。ヒトツバタゴ、アカシヤ、エゴノキ、コデマリ、シロヤマブキ、ナンテン、ヤマボーシ、ハンカチノキ、ユキノシタ、ドクダミなどが好きで、どれもみんな個性的だ。 ハンカチノキ純白で楚々としていながら、それでいて個性をもっている。こういうものに惹かれるのは、自分が年をとったせいかな?今朝、ウォーキング中に、白い花が美しい庭木を見つけた。名前がわからない。平凡だけど美しいと思った。バラ科のような気もする。たぶん。枝ぶりや葉の感じはウツギに似ている。花は純白で直径が4~5cm、5枚の花びらが重なって丸く湾曲し、ボケの花に似ている。今はもう散りかけていて、その散った白い花びらが美しい。いい感じだ。この花の名前が知りたい、と思う。
2005.05.31
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5年程前にデラウェアのつもりで買って(確かに写真つきの札が下がっていた)植えたぶどうの枝に、今年は沢山の花穂がついた。全部で30ぐらいは付いただろうか。去年はメイストームでほとんどの新梢が折れてしまい、一房しか実にならなかった。どうやらマスカットでもなさそうで、少し赤みがかった実だったように思う。初めて花を付けた2年前は、実が青いうちからどんどん大きくなった。デラウェアではないとなると巨峰か、と思って喜んだものだった。しかし、いつまでたってもぶどうらしい色が付かない。そうこうしてる内に、まともな実になる前にシズンが終わってしまった。今年は違う。剪定もうまくいったのか沢山の新芽がつき、順調に伸びた。早めに誘引して固定した為に風雨で折れたりもせず、無事に立派なぶどうの房になりつつある。房を切り詰め、数も減らし、先端の枝もカットして万全の体制。秋には立派な大粒のぶどうが収穫できる、はず。しかし、問題は何と言う品種なのか未だ良く分からないこと。マスカットは栽培が難しいらしい。ほとんどがハウス栽培で、露地栽培は皆無。まあ、どうなるか売り物でもないので、味さえ良ければいいとしよう。真夏にはコガネムシの襲来もあり、対策も考えないと・・・どうなることやら、秋が楽しみだな。
2005.05.30
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敬老会の余興地域の「クリーン作戦」があり、私も今年から世話役 (こちらでは区議員と呼ぶ) で、朝から勤労奉仕。と言ってもたいした事はしないんだけど・・・終了後に公会堂に役員が集まり、敬老会の余興についての打ち合わせ。以前個展の時にもお世話になった事もある「社会人落語の会」による寄席を私から推薦した。賛成多数で、スケジュールなど可能かどうか打診する事となった。このグループは、アマチュアにしておくのはもったいないくらいのテクニシャン揃い。色んな職業のメンバーがいて、それぞれ個性がある。持ちネタもけっこう有って、忙しい中でいつ仕込むのか不思議なくらい。時期によっては毎日曜日のように、どこかで一席ぶっている。基本的には無料なので頼みやすいし、人も集めやすい。それなりの芸を見せていただくのに、無料は失礼だと私は思っているので、自分のときは僅かながら木戸銭を頂いた。リーダーの「竜宮亭無眠」さんは、昨日地元の各務原市で初の独演会をやったところ。ユニークな風貌で、仲間からはそれで笑いが取れるんだからずるい、と言われている。彼らが敬老会に来てくれたら最高だね。みんなに喜んでもらえること間違いないし、何と行っても地元で彼らに又会える。
2005.05.29
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いつもと違うコースをウォーキング。途中、新興住宅地を抜ける。ものすごく人懐っこいネコに出会った。茶色のメス。2歳ぐらい。チョット太ってふっくらしていて、可愛い顔をしている。首輪にすずが付いている。まったく初めて会うというのに、手を伸ばすと寄ってきた。背中をポンポンと平手で叩いてやると、メロメロになって擦り寄ってくる。雌ネコの腰のあたりは、性感帯があるらしく、その辺りを軽く叩いてやると非常に喜ぶ。猫に好かれるタイプで、飼い主のお宅で膝に乗ってきて驚かれる事がある。見知らぬネコが、無条件に懐いてきて悪い気はしないね。自分が信用されている、と思うからかもしれない。人間でも同じで、ニコニコ笑って心を許してくれる人を嫌う人間はいないからね。全身で喜びを表して、疑う事を知らないこのネコは、よっぽど育ちがいいんだろう。代々かわいがられた家系なのだろか。このねこを見てて、つくづく「幸せな奴」だ、とうらやましく思ったぐらいだ。
2005.05.28
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よかった、やれやれ横浜にオープンしたリラクゼーションリゾート「ハーモニック」(中区南仲通り)。こちらからの依頼で、シルクオーガンジーの間仕切りをオーダーメイド。大変気に入っていただき、嬉しいの一言。ロビーとリラクゼーションルームの間を、見せながら心理的にやさしく仕切るもの。さり気なくあくまでも自然な感じを、というのがオーナーの意向。隠すのではなく精神的な仕切りとして・・・・ブラックライトで照射された青い光りが、模様の白い部分を青白く浮かび上がらせ、とても幻想的。不思議な感覚の癒し空間は、お客さんにも大変好評とのこと。してやったりってところかな。
2005.05.27
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老廃物が出た感じ久し振りの早朝「 WALK&RUN 」。気分が重いときはこれに限る。特にランニング、汗をかくのがいい。まったく気分爽快。久し振りに早起きして、RUN の効果を再認識。今日はいい事ありそうな・・・・
2005.05.26
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テーマを変えて、今日から気分一新。可児市の花フェスタで見て、気に入っていたバラの花を、偶然ウォーキング中に見つけた。「花ぬすびと」になって、一枝、失敬しよう。こっそりカッターナイフを持って、あさ早~くに・・・・
2005.05.25
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随分ご無沙汰してしまいました。書きたい事は沢山あるのですが、どうも筆が進みません。これは何なんでしょか。このメルマガを何故書くのか、どういう目的があるのかをフッと考えてしまうんです。きっと自分の心の中に、迷いがあるのだろうと思います。生き方、仕事の方向などなど、この歳になってまだ迷いが有るんです。ケツ捲ってやるっきゃないのに・・・。現状を考えると切実な問題なのにまるで他人事の様な気がしていて、まったく危機感が無い。競争というステージからは程遠い、何にも無い不思議な場所にいる気がしています。
2005.05.24
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時期尚早岐阜県可児市の花フェスタに、家内と一緒に行ってきた。いつもの事ながら全くの思いつき。今朝になってから急に決め、すっ飛んで行った。7000種のバラが待っていると言うので、頭の中は妖艶なバラで一杯。広大な敷地にテーマガーデンとバラ園のほぼ二つのエリアを中心に、植えられている。しかしほとんどがまだ開花しておらず、優美な花を堪能するには程遠い。花いきれするほどのバラに囲まれて、優雅な気分を味わいたいと思ったのに、残念だ。それにしても凄い人で、とてもゆっくりバラの観賞とはいかない。話題の青いバラも、意外に花が小さく色も薄くてがっかりした。扱いが大げさでまるで「モナリザの微笑み」、行列のまま歩きながら見るという観じで、不満が残った。昼前後には雨にも降られ、休憩場は満員で座るところも無い。全体の構成と何処に何が有るか、配置の確認をしただけで済んでしまった。とりあえず今回は様子見ということで帰ってきた。一つ感心したのはきれいなトイレが園内のあちこちに有ること。何処でも待つこと無く、スムーズに使えて快適。開花の様子からみて2週間後、混雑を考えるとウィークデイが一番よさそう。土日を避けて、デートなんか良いんじゃないかな。おいらもその頃にもう一度出直し、バラの真髄をゆっくり観賞したいもんだ。
2005.05.15
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結局誰でも自分しか頼る物はない。腹の中に千の光輝をもった太陽を持つことだ。ほかの事はどうでもよいのだ。 ピカソ
2005.05.12
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「ラリーをやってみて僕も知ったことです。自分の力が百%あるとしたら、発揮するのは70%でいい。後はいたわる気持だ。これが物事を長続きさせてくれる。」 ラリードライバー 高橋祥郎目一杯やって、そこから気付くことの多くは結果だけを追っているうちは分からないもの。成功もし、失敗もしてその過程の面白さ重要さが分かってくると、どうにか本物になれるようだ。
2005.05.11
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私たちはとかく幼児の愛らしい笑顔や泣き顔、しぐさなど、その愛らしさ故に外側からその光りの場所だけ捉えてしまいがちである。若しその内側から遡っていく事が出来れば、誰でも容易に幼児期に見詰めた闇は大人になって見詰めた闇と全く変わらない事、時にはもっと深く心の底に沈んでいる事に気付くことだろう。 あまん きみこ (児童文学者)子供は残酷だし、笑顔の天使なんかじゃない。その残酷さを子供のうちに押さえ込んでしまう事が問題だと思う。子供のときに昆虫や小動物を殺したり、いじめたりしておかないと人の痛みが分からない大人になってしまう。通過儀礼としてどうしても通らなくてはいけないもの。何でもかんでも「かわいそう」と言うのは、本質を見誤る危険がある。そういう体験があってこそ、少しずつ内面に「ひどい事をしてるんではないか」という気持ちが生まれてくる。そうして、やがて相手の立場も考えるようになり、思いやりが生まれて相手に心を向ける事が出来るようになるのだと思う。情操とはそういうものだろう。
2005.05.10
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かぜとなりたやはつなつのかぜとなりたやかのひとのまえにはだかりかのひとのうしろよりふくはつなつのはつなつのかぜとなりたや 「初夏の風」川上澄生棟方志功が版画に彫った有名な詩です。「はつなつ」がいいね。青春の人恋しい気持ちが、初夏の風という爽やかで清潔なイメージで伝わってきて、好きな詩の一つです。
2005.05.08
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トマトがねトマトのままでいればほんものなんだよトマトをメロンに見せようとするからにせものになるんだよみんなそれぞれにほんものなのに骨を折ってにせものになりたがる あいだ みつを
2005.05.07
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自分の眼で自分らしく物を見る事が出来れば、これは一つの創作と言っていい。撰んだものの置き方、並べ方にも同じ力が自然に決め手を見出す。やがてそれが日常の暮らし全般に実を結んで、心の城を築く。 濱田 庄司
2005.05.07
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親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト 俵 万智
2005.05.06
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本能の一つだから連休中は何処もかしこも大渋滞。群集心理で人が行くところに行きたくなる。これも本能の一つだから仕方が無い。誰も行かないところは、空いてはいるが寂しくて気が乗らない。混むと分かっていても、どうしてもそっちに足が向いてしまう。また、話題に乗り遅れると疎外感を感じたりするのが嫌なんだ。なんか自分だけが世間から取り残されているんじゃないかと思ってしまう。それにしても、行き4時間・帰り4時間と掛かっては、現地に滞在している時間は僅かしか取れない。渋滞の車の中にいる時間が一番長く、苦痛なだけの無駄な時間だ。子供連れには過酷すぎる。いくら本能と言ってもチョット割が合わない。そんな事なら家の近くで遊んでいた方がいいと思うんだが・・・そこはそこ、取り残された気分にはなりたくないんだから仕方が無い。とにかくどこかに行った、という実体験がほしいんだ。そうすれば、世間と同じ事をしているという安心感を手に入れられる。仲間はずれにならなくて済むんだ。自分は団体行動は苦手で、他人と同じ事をする事があまり好きではない。パチンコと映画と旅行は一人が一番だと思っているくらいだ。そんな親父の子供は、連休は何処にも連れて行ってもらえなかった。人は人、家は家なんだから・・・
2005.05.05
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在来工法の大工の棟梁は、正確な図面などを必要としない。実に簡単な平面図だけで、一軒の家を建ててしまう。建築設計士なら一センチにもなろうかという多量の図面を引く。正面図、立面図、側面図、各部分の詳細図、など事細かに図面に起す。そうしないと家が建たないと信じているし、そうしないと設計料も取れない。しかし、熟年の大工に言わせればそんなものは頭の中に入れておけばいい事で、図面にする必要は無いと言う。実際、その自分で書いた簡単なメモの様な図面を元に、柱や梁や諸々の部材の細かな切り込みやほぞを造作していってしまう。素人から見ると神業としか思えない。切り込んだ部材には、「いろは」の文字で記号が書いてある。例えば、横に右から「いろは」縦に手前から「123」と番号を打つ。「い5」とあれば右端の5番目というようになっている。その記号の順に、所定の位置に組んでいけば家の形になって行く。建前のときは、今流行の「プレハブ」や「2×4」では見られない感動が味わえる。あの簡単な図面から、一軒の家の形が見えてくる様子は正に壮観だ。その素晴らしい伝統の技が、今、衰退の一途という現実は余りにも寂しい限りだ。何百年と受継がれ、無駄を省き最良の工法としてて進化し、日本の風土にあった建築として風雪に耐えてきたものだ。安さと工期の短さだけで、一生の大きな買い物を安易に決めてしまっていいのだろうか。高度成長の中で、何処かに置き忘れてきたしまった、本物の日本の誇るべきものの一つ。現代人はメーカーの宣伝に乗せられて、自分で判断することを放棄してしまっている。日本は世界に誇れる素晴らしい文化と技術を持った国だ。そのことに、日本人としてもっと自信を持つべきだと思う。
2005.05.04
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チラリズム見えそうで見えないと、余計に見たくなるものですね。脳は色んな調整をしていて、正しい情報を伝達しようとしたがる。脳はチラッと見えるものに対して、より多くの情報を収集しようとし、想像を働かせます。半透けの布を間仕切りにすると、空間が広く感じることがあります。はっきりは見えない布越しの情景に対して、脳は情報不足を補うようにイメージを膨らませます。布の向こう側を意識し、より知ろうとするために、本来の空間以上に奥行きを感じるわけです。上手く使えば狭い部屋を広く見せる方法として利用できそうです。それには部屋の明るさと、布の種類も影響します。背景が明るい時と暗い時では見え方が全く違います。シルクオーガンジーの様な光沢のある布は、その違いがはっきり出ます。バックが暗ければほとんど透けてしまいます。逆の場合は布の存在が強調され、仕切りの効果が際立ちます。目隠しとして仕切るのではなく、意識の仕切りとして透けた布を使ってみる。キッチンとダイニングの仕切りなどに使うといいかも知れません。上手く工夫して部屋の演出をしてみてはいかがでしょうか。「チラリズム」は人間の心理の中で、色んな場面で出てきます。「くすぐり」や「焦らし」、もったいぶったり「思わせぶり」もその範疇に入るのでしょう。全部出さずに相手に想像させるというのは、日本人の得意とするところ。日本人は奥が深いね。
2005.05.03
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すべては中立として存在しているもの。性善説・性悪説が話題になりますが、本来はニュートラルのどちらでもない存在。全ては相対的な関係で決まります。ある決め事が有ったとする。それを守っている側は正しい人で、そうでない人は悪い人です。一般社会では数が多い方が、正しいとされているに過ぎない。本当に正しいか否かは別の問題。初めは「悪」という言葉も無かったはずです。全体の秩序を乱す者が現れた時に、「悪」の概念が生まれる。それに付随して「悪」に対応する形で、「善」という言葉が生まれる。不味いものがあるから、美味いものの価値がある。ブスがいるから、美人が際立つ。日向があるから、日陰が出来る。強者がいるから、弱者が生まれる。資本主義に対抗して共産主義が生まれる。高いところがあって、低いところがある。熱いのがあれば冷たいという比較が生まれる。「しあわせ」も同じこと。苦しい、辛い、悲しい、体験をした事がない人には、「しあわせ」の意味がわからない。生まれたときから全てが揃っていて、一見何不自由の無い環境。そこから幸せを感じる事はかなり難しい。その置かれた状況が基準となり、それ以下が不幸で、それ以上が幸せ。欲望にはキリが無く、それ以上のものを際限なく追い求める。基準が高いほど、欲望も大きくなる。「足るを知る」ことから益々遠ざかっていく。発展途上国では、鉛筆をたった一本手に入れただけでも、喜びはものすごく大きい。絶対的な幸せなんていうものは存在しない。不幸の反対側に幸せがあるんだから。今幸せな人は、その幸せの意味をじっくり考えるといい。
2005.05.02
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今日から五月。今年も一年の三分の一が過ぎた。木々の芽吹き同様に、新鮮なエネルギー一杯で夏を迎える準備をしときたいね。今年の夏も猛暑だろうとの予測が出ている。NASAは今年の世界の年平均気温は過去最高だった98年の14.68度(過去30年の平均値+0.64度)を上回ると予想。過去の平均気温上位10の内、6年で日本は猛暑に見舞われている。汗をかくことを嫌う人は、暑さに対抗できない。汗をかくことが快感になるぐらい運動をしておくといい。自分は毎年、梅雨の時期までにジョギングでしっかり汗をかいている。お陰でクーラー無しで過ごしてこれた。しかし去年の猛暑ははさすがにしんどかった。あんな猛暑が今年も来るのかと思うと、ウンザリだ。他に対抗手段を考えておかないと・・・記録的な猛暑が、記録的じゃなくなる日がやって来るのだろうか?
2005.05.01
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