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「時としてもっとも芸術作品らしい、重々しくて個性的で力強い映画が作れないものか、と思うことが有ります。そんな時、僕はそれは心の衰えなんだと自分に言い聞かせるのです。個性的な作品を作りたいと思う作者は個性の弱い人です。」 映画監督 山田 洋次自分が望んでいることは、「無い物ねだり」だということを知るべきだと。それを知った上で、そうなるように努力することが大切だということ。何となく憧れているのと、絶対そうなりたいという事は違う。絶対的な自信のあるときには、個性的であることなんかに思いが行かない。自信がなくて虚勢を張るために、個性的なものが欲しくなるんだ。芯に確固たるモノを持っている人は、一見おだやかであり変に強がったりしない。そういう人でありたいと思える人は、真に強い人なのかも知れない。
2005.06.30
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「およそ世に陶工と称する者ほど陶器の分からないものはない。自分で陶器を作っているから自分が一番良くわかっているように考えるかも知れんが、それは大きな間違いじゃ。例えて言うなら、ちょうど裏長屋のおかみさんが、子供を沢山生んだから、人間のこと小児医学のことなら何でも知っていると考えるのと同じだ。」 加藤 唐九郎 知識をひけらかしている人ほどモノを知らなかったりする。物事を知れば知るほど人は謙虚にならずるを得ません。一つの疑問が解けても、そこから又新たな疑問が生まれます。疑問が疑問を生み出します。「無知の知」。知らないんだということを知ることが大切だと、唐九郎は言っているのでしょう。一つの事を知っているということが、どれほど意味があることなのか。その意識が返ってモノを見えなくしてしまっている。声の大きな知ったかぶりが、世の中を動かしている気がします。
2005.06.29
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「プロは体で覚えて、頭で走る。」「アマチュアは頭で覚えて、体で走る。」 レーシングドライバーこれはどんな分野にも当てはまる。工芸の世界でも言えること。技術は修練と言う繰り返しの中で、体に叩き込むもの。体が覚えることで自在に形にできるようになる。そして初めてスタート地点に立ったと言える。そこから何をどう作るかがプロの仕事。アマチュアは先に知識を取り込んで、分かった気になる。未熟な技術のままに半ば強引に作ろうとする。修練を経ずして、本当にいいものは作れない。
2005.06.28
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「雨の日や、風の日、又は良く晴れた日の野草を見ていると、いつの間にかそこに、一つの典型を見出すようになる。一つの野草が十体にも百体にもみえ、逆に十体や百体の野草が、一つの野草に見えてくる。」「画家は雨に濡れた牡丹を描く。私は牡丹の典型を彫って、雨の日の牡丹を想起させるのです。」 型絵染 稲垣稔次郎私の大好きな人間国宝の「稲垣稔次郎」のこの言葉は、私にとって広い視野で物を見る指針となっています。大雑把に全体を掴む方が分かり易い場合と、反対に全体から見落としがちな重要なポイントを見る「眼」を持てと言っているようにも聞こえます。物の本質を見るということは、細部を含めた全体を一瞬にして理解するということだと思う。理屈で分析などせず、瞬間に分かるということが本質を捉えるための条件だ。
2005.06.26
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選ぶ側、つまり着手の側ももっと厳しくあって欲しいと思います。流行情報なんかどうだっていい。この秋の傾向は、などということは全く意味がない。こっけいです。服を通して自己表現すればいいんです。二十四時間の自己表現、その手段が服なのですから。 三宅一生
2005.06.24
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外ネコの「ニャンチュウ」がいなくなった。ある日突然餌を食べに来なくなった。何か有ったのかと案じていて、2週間ほど経っただろうか。近所の奥さんが、「いつも家に来る猫が交通事故にあって死んだ」という。このネコは前々から我が家にも来る、同じネコの「ももちゃん」。最近腹が大きくなって、我が家では「子が出来たんじゃなかろうか」と言っていた。或る日、腹がへこんで痩せてスッキリとしたように見えた。「ももちゃん」だとすると昨年春に避妊手術をしてあるはず。子が出来るはずがない。しかし、我が家に来る「ニャンチュウ」は間違いなく妊娠していろ。乳も張ってきていた。その「ニャンチュウ」がある日、出産したらしく腹がへこんでスッキリしている。乳首も大きくなっていて、子に飲ませているのは間違いなさそうだった。「ももちゃん」なら子は出来るはずがない。それじゃ家に来るネコは別のネコか?これはなんとしても確かめる必要がある、ということになった。「ニャンチュウ」に首輪を付ければハッキリする、ということでピンクの紐を付けた。「ももちゃん」に首輪があれば同じネコ、なければ別のネコということになる。そうしていた矢先のこと。「ニャンチュウ」の姿がみえなくなった。そして、暫らくして「ももちゃん」が死んだという話。死んだネコの首に紐はなかったという。だからそのとき奥さんは、そのネコは勿論「ももちゃん」だと信じていた。そのため、死んだことを直ぐには連絡してくれなかった。聞いたのは死んでから一週間ほど経ってからのこと。家内が「最近、家に来るネコがいなくなった」という話を奥さんにしたところ、「ももちゃん」が死んだと。一体どういうことだ?あまりにも話が合うにもかかわらず、真相がつかめない。「ももちゃん」は避妊手術をしているはず。そのネコが子を産むはずはない。「ニャンチュウ」は間違いなく子を産んだ。腹が大きくなって、ぺちゃんこになったのも同じ時期だ。そしていなくなったのも同じ時期。「ももちゃん」は死んで「ニャンチュウ」は行方不明。?????
2005.06.23
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昨夜はいい夜でした。20個のローソクを立て、8時に消灯。2つのテーブルには2個づつ立てただけだけれど、けっこ明るくて充分な照度があった。たまに文人画家のアトリエで会食に呼んでいただき、そこでお会いする方達を招いての、100万人キャンドルナイト。一度やりたかった行事なので、実現できていい経験したと大変満足している。泣き出す人あり、怒って帰る人ありで、いつもより濃密な時間だったように思う。炎の持つ魔力と言うか、暗さがそうさせたのかもしれない。人生の半分を占める折角の「夜」を、もっと大切にした方がいいんじゃないか。白日のように照らすのではなく、部分照明を上手く使って空間にメリハリをつける。そうすることで明るい場所がより一層際立って、その空間が生き生きと生まれ変わる。そんな事を考えさせた。今でもあのローソクに照らされながら熱弁を振るう、G氏の顔が目に浮かんでくる。感極まって思わず泣いたS女の、2分後にはケロっとしていた横顔を思い出す。最近離婚という憂き目に会ったN女の、そんな事を微塵も感じさせない強さを思う。「くだらんくだらん」とはき捨てて帰ってしまったK氏の、心の深層を思う。レンブラントの絵のように、暗い背景に浮かび上がる顔と貌。ユニークな個性と個性がぶつかって、ローソクの炎をキラキラと一層燃え立たせる。暗さが人の心のバリアーを外し、いつもより正直な姿がそこに有った。こんな経験は初めてのこと。いい夜だった。
2005.06.22
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明日の自宅でのキャンドルナイトに使う竹行灯を、仲間の青竹さんが持って来てくれた。5φ×7cmのキャンドル20個をこの竹行灯に入れて、並べます。適当な太さの竹を斜めにカットし、中にキャンドルを安定させる為に砂を入れます。少しキャンドルが見えるぐらいが丁度いい。深すぎると竹の内側が明るいだけになって、周りを照らせずに灯りとしては暗い。どんな夜になるのか。精神的な(心の世界)に関心のある人ばかりなので、非常に意味のある夜になる事と思う。気心の知れた仲間と歓談しながら、持ち寄りの肴を摘んでの一杯。8時になったら一斉に電気を消す。ローソクの灯りだけの濃密な空間は、非日常の異空間だ。ローソクの炎は、遠い祖先からの忘れていた野生を、静かに思い出させるかもしれない。心に抱えている不安や眠っていた寂寥感が湧き出すかもしれない。また今までにない仲間意識と連帯感が、思いのほか強く意識されるのかもしれない。現代人は、暗いことを非常に嫌う傾向がある。明るい事に慣れすぎていて、暗い状況に非常な不安を覚えます。暗闇があるから、灯りの存が重要になるはずなのに・・・。そんな暗がりを自ら進んで体験する事。それがキャンドルナイト。動物である人間にとって、少しでも文明から離れてみることは、非常に意味のあることだと思います。
2005.06.20
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間もなく「夏至」。一年で一番永い一日。そして間もなく一年の半分が過ぎようとしている。これから夏に向って、日が永くなっていくような錯覚。多分それは子供のときの体験がそう思わせる。夜の7時ごろまで遊んでいた夏休みの記憶。早朝のラジオ体操。夏は日が永いと確実に思っていた。何時まででもくたくたになるまで遊んでいられた。草いきれとアブラゼミの声と。そしてあっという間に朝が来た。しかしそれも最後には微妙な気持ちに変っていた。学校が始まる切ない気分と少しだけ日が短くなった哀しさと。大きなものを失ったようなけったるい感じ。蝉の声もまばらになりツクツクボーシがいっそうさびしい。夏至の日から2ヶ月も経って季節はすでにオードブル。出校日からの帰途に見た夕日。真正面にやけに大きくて燃えるような太陽。それはもう秋そのものの貌。暑くてかなしい夏が 来る。
2005.06.19
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オリジナル家具、企画制作販売会社の「AD CORE」。昨日、名古屋ショールームオープンのプレイベント・新作発表パーティがあった。コストパフォーマンスとメンテナンス性を重視しながら優れたデザインの家具。オーナー夫妻の人柄と相まって、名古屋で受け入れられる事は間違いないだろうと思う。機能的で洗練されたデザインの家具たちは「決して廃盤にはしない」がポリシー。何時でもその型の製品を注文できる体制をとっている、日本では稀少な存在の会社だ。全て受注生産でコストを下げ、バリエーションを豊富にする事で多くのファンを獲得している。一度すばらしい家具、特に椅子の洗練されたデザインをご覧下さい。「AD CORE」
2005.06.18
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6月4日5年前に植えたぶどうが今年はこんなに立派な実が付きました。デラウェアのつもりで買ったのが、全く違う品種だったもの。何の品種か分からなかったが、今年はハッキリするでしょう。去年はチョット赤い色が着いていたようなので、マスカットではない事は確か。 6月15日刈谷の「しんしん」で最大のを買ってきて、早々に袋掛けもし、消毒もした。今年の秋が楽しみだ~い。
2005.06.17
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「 見ること それは目を閉じること 」 ヴォルス
2005.06.16
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刈谷市にある先月オープンした、カラー ボディー セラピー「さくら」に行ってきた。シルクオーガンジーを購入していただき、店舗の内装に使って頂いてるところ。扱って頂いている店でディスプレイされているのを見て、一目ぼれして4枚揃いで買ってしまったのだと、後から聞いた。黄緑を基調にした春向きの、自分でも気に入っている明るい華やかなもの。カラーセラピーもやっているその店は、古い馬小屋を改造したものだとか。前面が田んぼで、都会の喧騒に疲れた人には、癒しにもってこいのシチュエーション。オーナーは若くてかわいい。近藤さんというナイーブで魅力的な女性。訪問の目的は、使っている状況が知りたいのと、その写真を撮らせて頂くこと。何枚か撮ってから、オーナーの姿を入れたものがほしくなった。お客と対面している感じを出すために、テーブルに着いてもらった。内容を聞くうちに、カラーセラピーに興味が湧き、体験させてもらう事に。自分も仕事柄 色彩に関心も高く、全ては色で決まる、と常々思っている。色鉛筆とクレヨンの中間の様なもの(クッピー)を使う。最初に、一本ずつ手のひらに載せていって色のイメージを認識させる。黄色、オレンジ、赤、紫、ピンク、青、緑、黄緑、白、黒の10色。それから、その全部を握って目を閉じ、心を充分に落ち着かせる。3センチほどの四角いマスが、十字のように5つ配置された紙が配られている。マス目の横軸が時間(過去、現在、未来)を表し、縦軸は意識の種類(顕在、現在、潜在)を表すという。かご戻されたクッピーの中から、左手で好きな色を選ぶ。それを5つの升目の好きな位置に、左手(左手は右脳が司っている)で塗っていく。どこにどの色をどういう順に塗ったかが、重要らしい。塗った順に、その色彩の持っている性質を説明しながら、性格を分析していく。プラス面とマイナスイ面について、示された結果と自分の思っている性格を擦り合わせていく。この時自分の性格に内包されているもの(悩み、将来の事、トラウマ、望み、好み、仕事、夢、後悔、喜びなどなど)が、洗い出されていく。分析は、結構当っていて驚く。自分の場合は、未来の部分と潜在意識の部分には何も塗らなかった。未来をイメージできないのかと言うと、そういう事でもないらしい。一つの未来像ではなく、いくつもの理想があって一つに限定できない為に、そういう結果になったのだろうとのこと。自分自身がいろんな色を、意識して取り入れていくことをアドバイスされた。セラピストに対峙して、素直に自分の心に耳を傾けると、心の中に隠れている自分が見えてくる。男は手相だとか姓名判断とか、セラピーとかにあまり興味がない人が多い。しかし体験させてもらって感じた事は、自分を他人の前でさらけ出すという事が、男は苦手なのだということに気がついた。権威に弱く、不確かな情緒的なものに不信と不安を持っていて、いつも用心しているのが男の繊細なところ。ストレス社会においては、男もこういうものに興味をもち、内面のケアをするべきだとつくづく感じた。男の自分が、金出してまではしないだろうと思う貴重な体験ができ、ホントいい日だったね。近藤さんいい出会いを有難う。
2005.06.15
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体験教室を開催。いつもと同じ板締め絞りでは面白くない。今回はチョット特殊な染料で、木を染めることをテーマに選んだ。そこで「白木のフレームを絞り染め」することとなった。フラットな表面の、白木の写真用の額縁を用意。表面にサンドペーパーをかけておく。適当な太さの紐を2種類ほど用意する。参加者に紐を自由に、フレームに巻きつけてもらう。きちっと揃えて巻いてもいいし、ランダムに巻いても面白い。この時、丸とか四角の板ゴムや厚いビニール片をポイントに挟み込んでやると、模様に変化が付く。これを特殊な染料で、10分ほど煮染めする。この時、最初に必ず水に浸けてから染めるのがきれいに仕上げるコツ。紐を出来るだけ硬く締めておくこと。(煮ているうちに染料が染み込んで汚くなる。)煮染めするため、ボンドだけで止めてあるものはバラバラになってしまう恐れがある。それを防ぐには、コーナーの部分にL型の金具が打ち込んであるかを、確かめておく必要がある。染まれば水洗し、紐を解いてやれば完成。はじめてやる人ばかりなので、どんな風になっているのか想像が出来ない。その分、紐を解いたときの喜びは大きい。出来上がった瞬間、歓声が上がる。「またやりた~い」と大好評だった。こちらで当日の様子が見られます。今回は一色染めだったが、紐を増やしながら二色、三色を染め重ねても面白そうだ。楽しい一日でした。
2005.06.13
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帽子を染めた。ネットで依頼してきたもの。何帽と言うんだろうか。アメリカのポリスがかぶっている様な・・・つばは小さいが本体は六角形になっていてかなり深い。木綿の部分と化繊の部分があるため、セルロース系を染める染料では全部が染まらない。繊維の素材を選ばない、「顔料染め」が一番いいと判断。しかし、顔料染めはやった事がない。どんな具合に染め上がるのか、見当もつかない。受けてしまった以上は、何とか格好をつけなければいけない。「チャレンジしてみる」と、本人の了解を得て、顔料染めをしてみる事になった。予め帽子を下処理液に浸けて、顔料が食いつくようにしておく。それを均染剤を入れた顔料液に浸けて染色する。チャコールグレーのいい色に染まった。乾燥させてから、顔料の色落ちを防ぐためにフィックス処理をして完成。顔料といっても水彩絵の具と同じ様なもの。ごわついたり斑になったりもせず、普通の染料で染めたものと何ら変わらない。今回もいい経験をさせてもらった。
2005.06.11
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日傘の染め直しを頼まれた。骨を外すのは面倒なので、そのまま引き染めする事にした。反応染料で染めたあと、熱湯で洗う。水切りするのに、骨付きでは脱水機にかけるわけにも行かない。軸のところを持って、ぐるぐると回転させて遠心力で水を切った。が・・・大事件が・・・骨の付け根の部分がバラバラに・・てっきり、そこを止めていた針金が切れたと思った。違っていた。切れたのは針金ではなくて、骨の先端の針金を通す穴の部分が、全部折れて先端がちぎれた。どうにもならない。先端のこのパーツだけ鋳物で出来ていて、もろい構造になっていた。逆に針金の方は、ステンレスのもので簡単に切れる代物ではなかった。針金の方が千切れてくれれば、簡単に直ったものを・・・まさかの失態。ハプニング。どうしよう。応急処置のため、針金で留めようとしたが、無駄だった。でも、いい経験をさせてもらった。あした、ごめんなさいって、謝ってこよう。
2005.06.10
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色が褪せた豚皮のブルゾンの、染め直しを頼まれた。皮革は熱に弱い為、煮て染める事は出来ない。手持ちの染料は絹などタンパク質繊維を染めるのに適した、酸性染料しかない。絹の場合は高温で煮るように染色をする必要がある。まさかブルゾンを引き染めする訳にも行かない。メタノールで染める方法があるので、この場合はそれが一番良さそうだ。900gでしかもカサのあるものを染めるには、かなりのメタノールが必要だ。幸い手持ちがいくらか有るので、何とかなりそう。薄い色から始めて徐々に濃くして行くのが、ムラにならずに染めるコツ。色合せをするためには、脱水して見る必要がある。しかし、メタノールの量からいってそんな手間はかけられない。染めている間にも気化していくし、色を見る度に脱水しては染液が大幅に減る。しかたがないので、ぶっつけ本番の一発勝負となった。なんとか染めては見たものの、乾かしてみないと本当の色がわからない。まあ、予定の色に染まった”みたい”なので一応良しとした。準備もなく、普段やらない事をぶっつけ本番でやるのも、なかなか度胸がいるもの。しかし何事も経験だ。やったもんが勝ちだし。
2005.06.08
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梵字タペストリーのプレゼント当選者に、当選品を郵送。当選者の内の一人の方は、梵字の修士の学位を持っている。梵字で書かれたものを、かなり読めるのだという。興味があって応募されたにしても、そういう方に当ったという偶然に驚く。いわば梵字の専門家の手に作品が渡ったことは、自分としても大変光栄なこと。梵字は誕生の国インドでも、現在ではほとんど存在しないに等しい。日本では一部の密教系のお寺で、未だに大切に扱われている。ごく限られたところであっても、現在でも生きているという事実は驚くに値する。もっともっと梵字を知ってほしいと思う。合成(ごうじょう)といって幾つかの文字を組み合わせて、一つの仏を表す梵字になっている。例えば、阿弥陀如来(キリク)は四つの文字から出来ている。カ・ラ・イ・アクの四字が法則によって合成されている。こういう秘密を知っていると、梵字も結構面白いものです。新しい表現を模索しながら、梵字の魅力を最大限引き出す為に、一層の努力をしていきたいと思う。
2005.06.06
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月刊誌「大法輪」8月号で、引き続き「梵字タペストリー」を取り扱って頂けることになりました。 今月号の特集は、「世界三大宗教 ここが違う」 仏教・キリスト教・イスラーム です。並列して簡潔に説明されています。○ 教えの違い根本の教え 神仏と人間との関係 聖典の著者と中身 浄土・天国・死後の世界 信・信仰とは何か 代表的な祈りの言葉 主な宗派とその違い 日々の生活信条○ 形の違い多多物の特徴 聖職者の姿 美術の特徴 葬儀 主な聖地など○ 考え方の違い戦争と平和 自殺・殺人 お墓と遺骨 結婚 など 同誌の2月号からの連載「信仰と風土」は、宗教の発達の歴史と経緯が語られています。 モンスーン地帯であるインド・中国において、森林の中では進んで迷う事よりは、森林を信頼し、その中にいれば食物もあり、死ぬ事はない。自然とともに生きよということであり、自然の「恵みに甘える関係」が神と一体になる発想を生んだ。「充ち満ちた生気」の中から生まれたもの。 それに対して砂漠地帯では、自然はいかなる恵みももたらしてはくれない。僅かな草地と泉を自然からもぎ取らねばならないし、同時にそれを他人から守らねばならない。 したがって砂漠では自然も人間も敵となり、人はおのずから「対抗的戦闘的」にならざるを得ない。自然と対抗する砂漠的人間は、鋭く深い宗教的沈思に傾きやすく、一神教的性格へ傾く事となる。自然は敵であり、「神の下」に立たねばならない。自然の中に神を感じる仏教とは根本的に違う。 何故イスラムやキリスト教が、好戦的なのかがこれで非常に良く理解できます。 自然環境からして最恵国である日本人が、彼らを理解出来るかどうかは、根底にある民族の歴史を受け入れる事が出来るかどうかにかかっているようです。
2005.06.05
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何かを仕掛けると、何かが生まれます。21日の夏至の日、全国で」「100万人キャンドルナイト」というイベントがあります。電気を消して、ローソクの灯りだけで過ごす、冬至と夏至の日に行われるイベントです。 何ももない原点に立ち戻って、進みすぎたテクノロジー、文明の意味、人間としての本来の姿、心そのもののあり方等など 話し合うのも良し、座禅で瞑想するも良し、酒飲みながら歓談するも良し・・・恋人同士、親子で、仲の良い親友と・・・・我家でも「竹行灯」にローソクを灯して、一品持ち寄りで語り合おうと計画しています。ローソクの灯りは暗いですが、暗がりに慣れるとその空間が不思議なほど濃密になって心が一つになれます。現代人は暗がりを経験する事が少ないせいか、「暗い」を嫌う傾向が有ります。しかし、中年世代はキャンプファイヤーや停電を経験した事がり、暗がりの中で揺らめく炎の魔力を知っています。この体験は新鮮で、インパクトのある貴重な体験となる事は間違いないでしょう。皆さんも是非、電気のない暗くて濃密な「時間と空間」を体験してほしい。そして皆で語り合いたいと思います。
2005.06.03
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自宅を開放してのホームギャラリーが9年目を迎えた。初日の今日は、あいにくの雨にもかかわらず沢山のご来場。常連さんが多い。手造りのあんパンやチーズケーキを持参してくれたり、手造りのお茶菓子の差し入れがあって賑やか。会計を済ませた後は、キッチンでゆっくりコーヒーを飲んでいただくことにしている。6~7人しか入れないので、割を食う人も多い。人の行動は似ていて、同じ時間に重なってしまう。そんな時は「ごめんなさい」だ。一年に一回ここで会うのを楽しみにしている人もいて、話が弾みいつも笑い声が絶えない。しかしそれも時にはマイナスになる事がある。始めて来てくれる人にとっては、奥で身内が盛り上がっていると、何だか入り込めない感じが会ってそそくさと帰ってしまうことがある。知らない人ばかりが盛り上がっているところにはなかなか入っていけないものだ。こちらを立てればあちらが立たずで、難しいもんだね。いつもながら高級素材のカットソーのTシャツが人気。80番の極細シルケット加工糸の光沢のある生地は、エジプト綿よりも物がいい。本当に着心地がよくて一度着ると癖になり、何枚持っていても買ってくれる。デパートの店員に褒められたり、友人やらあちこちで褒められるらしく、みなさん気を良くして買ってくれるみたいだ。特に色がいいと皆さんに言われる。良い素材は微妙な中間色の発色が良く、それが高級感を出す大事な要素。素材が悪ければ汚く見えてどうにもならない色でも、かえって高級感がでるので注目されるのだろう。毎年楽しみにしてくれる人が多いのだけれど、残念ながら今年で最後。9年目ともなるとマンネリ感が拭えず、今回もどうにも気が乗らなくて困った。そんなのではお客さんにも失礼になるので、新鮮な気持ちでやれるまでとりあえず終了という事にした。日曜日までの三日間、今までの感謝をこめて、皆さんには十分楽しんでもらえるように頑張ろう・・・
2005.06.02
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ネットの「7&Y」で注文した本がコンビニに届いた。司馬遼太郎著「人間というもの」。ご自分が書かれた小説の、登場人物に語らせた司馬遼太郎氏自身の「こころ」を抜粋・掲載した本だ。大好きな作家で、氏の小説にはいたるところに、人の生きる道のヒントが隠されている。短い文章で内容は実に幅広い。まるでエッセイ集のようだ。伝えたい事があるから、小説を書く。例えば、こんな文が載っている。「生死など取り立てて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。世に生を得るは事を成すにあり、と自分は考えている」「事とは何ですか」「しごとのことさ。仕事といっても、あれだな、先人の真似ごとはくだらぬと思っているな。釈迦や孔子も、人真似でない生きかたをしたから、あれはあれでえらいのだろう」 「竜馬がゆく 六」じっくりとゆっくりと味わってみたい本です。そして実際の小説も読んでみたくなった。PHP文庫なら520円。送料なしで届きます。
2005.06.01
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