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昨日は、新宿御苑にあるラジオカフェで一日中打ち合わせで日が暮れてしまった。そうそう、ラジオカフェという名前は諸般の事情があって改名することになった。新しいブランドネームは、『ラジオデイズ』。ウディ・アレンそのままであるが、こちらの方が、俺たちの気分にはぴったりする。どうか、ご贔屓に。その放送を俺の場合は薄暗い六畳の部屋の箪笥の上のラジオを立って聞いていた。山中毅とローズ、コンラッズの400m自由形決勝。ローマ五輪の中継は、雑音が混じっていたがアナウンサーの興奮が小学生の俺にも伝わってきた。先日伊藤和尚と話をしていて、聞いたこと。人間の脳は、視覚情報を処理するのに七割方使ってしまうそうである。視覚情報は、情報量が他の情報に比べて格段に多いからである。ラジオは、視覚情報がない分、テレビなどで使っているその七割を別のことに使えるというわけである。道理で、昔のイメージが昨日のように、鮮烈によみがえる。不思議なことだが、ラジオを聴いている小学生の俺の姿までそのイメージには俯瞰されているのである。あれが、俺のラジオデイズだった。仕事が終わって、和尚と一緒にエレベータを降りると、外はもう春の気配である。桜の花が満開で、夜桜見物客が新宿駅方面から歩いてくる。俺は、何と言うか春ってやつが、あまり好きではない。あまり、いい思い出がないのである。若い頃に、手ひどい失恋を経験した。あの時も春であった。フレッシュマンが希望に胸を膨らませる季節にひとり落胆しながら道玄坂を上っていた。人びとの笑い声がうらめしかった。俺はなるべく日の当たらぬ、町の影ばかりを選んで歩いたものである。陰影礼賛。動機はかくも不純なものであったが、俺は、いくらか陰影というものの深みについて知ることとなった。みんなが、上衣を脱いで浮き足立っている光景には目を逸らすようになっていった。あの頃は、行くべきところがなかった。無為と倦怠の毎日がだらだら道のように続いていた。俺は時間があれば、渋谷道玄坂方面に出歩くか、あるいは池上本門寺にある図書館で書架に並んだ背表紙ばかりを眺めて暮らしていたのである。本を開いて文字を追っていても、ただ概念が上滑りに滑ってゆくだけで頭の中に染みこんで来ない。その日も、いつものように書架から気になる本を選んで机の前に積んで、文字を追っていた。外にすることがないからね。しかし、あるひとりの作家の書いた文章がすかすかになった俺の頭に染みこんできたのである。それは、「声」であった。こういうことか、と俺は思ったものだ。長い時間をはさんで、いちまいの紙の上のインクのしみをとおしてひとりの人間の「観念」が届けられるということは。それは、おそらく日暮れの図書館のような陰影の中でしか届けられることがない。そんな声であった。その「声」は今でも俺の頭のどこかに保存されている。そういった声をもった作家はあまり多くはない。何故、この作家の声だけが、時間や空間を迂回して、直接おれの頭にしみ込んできたのかと、考えてみた。それはたぶん、この作家が自分の声で語っているからだという答えしか見つけられなかった。しかし、その考えはそれから三十年過ぎた今になっても変わらない。その作家とは・・・いや誰にでもそんな本が一冊や二冊はあるはずだ。作家とは自分の声を見出したものだけが、名乗ることのできる職業かもしれない。追記:4月3日深夜12時30分ラジオ関西放送『ラジオの街で逢いましょう』は小ゑん師匠と対談。4月10日の同じ時間は、作家の大友浩さんと対談。その後は、神田茜さん、関川夏央さん、大西ユカリさん、旭堂南海と続く。いずれも、放送終了後、ラジオデイズのサイトで公開します。
2007.03.30
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仕事がだいぶ煮詰まっている。関係している会社の決算が終わって株主総会用の資料をつくらなければならないのである。来月は、アメリカにも出張しなければならないので、今のうちに出来ることを片付けておかなければならない。しかし、俺は前倒しで、仕事をすることができない性質で、切羽詰らないと体が動いてくれない。困ったものである。やっと、懸案の原稿を牧野くんに送付してこんどは、文庫版TFKの校正をやらないといけない。今週末には、国土交通省で、街づくりに関する、お話をするというのがあるのだが、これに関しては何の用意もできていない。用意のしようがないのである。たぶん、着流しで官庁に出向くことになるだろう。さて、今朝寝ぼけ眼で新聞を開くと植木等が逝去との報である。がっくりと力が抜ける。死んじゃったのかよ。青島幸男が死んで、植木等がいなくなって、誰が残っている?「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」俺に、この言葉の含蓄が分かるようになった頃、すでに、植木等はブラウン管からはほとんど姿を消していた。たまに画面で見るかれは、人間の苦悩を沈黙で表現することのできる名バイプレーヤーに変身していたのである。 -「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」 と植木等が歌ったのが一九六二年。かれが属していたコミックバンド、クレイジーキャッツの歌は、サラリーマン生活の悲哀と自嘲を響かせていたが、油にまみれた零細工場の中で育った私から見れば、スーツにネクタイのサラリーマンはそれだけですでに輝かしい存在であった。ホワイトカラーという響きは、清潔さ、まぶしさのイメージと結びついていた。サラリーマンは、日本の経済発展の尖兵として国民経済を牽引し、奇跡的な 高度経済成長を支えてきたのである。そしてその結果、東京オリンピックを挟んだ一九六八年には、国民総生産が、資本主義国の中で世界第二位になっていった。国土が焦土と化した敗戦から数えてわずか、二十数年の間の出来事である。ちなみに、一九六二年は、原田雅彦という十九歳の青年が、シャムの貴公子といわれた完成されたボクサー、ポーンキングピッチに八十発もの連打を叩き込んで、日本人二人目の世界チャンピオンになった年でもある。この青年、ファイティング原田に日本中が熱狂したことを、私は昨日のことのように、思い出す。これも、戦後という時代がはっきりと終結し、日本人が、世界と争ってゆくという自信をとりもどしたことを象徴する出来事であった。つい先日、例の本にこんな文章を書いたばかりであった。コンビにで買ってあった吟醸酒の小瓶があったはずだ。今夜のために、とって置いたようなものだ。
2007.03.28
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雨模様の日曜日昼ごろ寝床から這い出してまると町歩き。藤沢周平を読んでいたら、そのしょっぱなに、『用心棒日月抄』の青江又八郎がまるという犬の用心棒をする話が出てきた。生類憐みの令の時代の話である。この、まる、俺んとこのまると実によく似ている。-こそとも音がしないのは、例によって前脚に顎をのせて居眠りをしている-散歩に連れて行っても、どことなく迷惑げで、折角広いところに出してやっているのに、犬らしく飛び回るということもない。横着な犬だった。何処のまるも同じである。飯を食っていないときは、前脚に顎をのせて横着に目だけ動かしてこちらの様子を伺っているのである。午後は、ずっと机に向かう。『株式会社という病』を読み返しているのであるがどうしても納得がいかないところが出てきてどうしようかと思案したが、やはり書き換えることにする。夕刻になって、やっと形になってきたのだが、まだ不満足である。というわけで、牧野くん、あと数日ご辛抱されたし。今月中にはなんとかなる。いや、なんとかする。ぼさぼさの頭と、ひげ面を下げて、坂下にある『カフェ六丁目』へ。等々力は坂の多い町で、斜面を利用して瀟洒な家が立ち並んでいる。何もない住宅街であるが、生垣や畑などもあり犬を連れて散歩するのには気持ちのいい風情を漂わせている。ときどき、チエホフの小説から抜け出してきたようなご婦人が小さな犬を連れて歩いている。まあ、俺やまるには不似合いといえば、不似合いな町なのだが、町に拒否されているといった感じはしない。ふところが深いのである。この、ふところというやつが曲者で、ほんとうは、この町の住人には俺たちは見えていないと言うことなのかもしれない。確かに、すれ違っても笑顔を交わすなんていうことがあまりない。実家のある、千鳥町という町ではほとんどの人間が顔見知りで、どんな仕事をしていて、博打や女でしくじったなんていう話は一晩で知れ渡ってしまうようなゲマインシャフトであった。まあ、これは五十年も前の話である。工場の町だったから、どこかで、誰かが繋がっていた。あの町のふところはどうだったのかといえば、多分、他所からやってきたものにとっては、寒々しいものだったに違いない。いまは、あの町も等々力の町と大差のない空気になっている。ふところは深くなったが、隣には無関心になったということである。十年一日の町の空気にも、微細な変化があらわれている。住んでいるときは、その変化に誰も気がつかない。離れてみないと、微細な変化というものは見分けられないものらしい。
2007.03.26
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先日布団の中で悪寒がしたので、こりゃまずいなと思っていたのだがやはり風邪であった。昨日は、御苑のオフィスに行っていたのだが会議中に、うとうとしてしまい、ほとんど白日夢の中にいるような気持ちになった。意識が朦朧として、自分が何処か別の時間の中にトリップするような状態であった。小ゑん師匠、大友浩さんには、失礼を申し上げたかも知れない。「夢にならねぇかな」@芝浜そういえば、ここのところ風邪っぴきの連中とお話をすることが多かった。先日のウチダくんとのトークイベントもウチダくんは病み上がりでウサギのような目をしていた。お互いに痛んでいるね。俺はイベントの後阿部社長やNTT出版の牧野くん、ラジオカフェアシスタントのブックコンシェルジェ藍子ちゃん、らと武蔵小山の商店街へ繰り出して深夜の飯となったのだが、どうも、この「和民」にあてられたらしい。というのは、イベントの中で居酒屋チェーンで大成功のおっさんが、どうして教育再生委員会の委員なのだとさんざ悪態をついたから、その罰が当たったのかもしれない。俺が言いたかったのは、ビジネスで成功したことと、その方法が他の分野でも応用が利くかどうかということはまったく別なことだということであった。ビジネスマンはもっと節度を持たないといけない。さて、もうじき、『ラジオの街で逢いましょう』の放送が始まる。四月三日の夜12:30のラジオ関西の深夜番組である。第一回は、俺と小ゑん師匠の対談、というが雑談。ゆるい番組であるが、聴きながら眠っていただきたいと思って作っている番組なのである。東京には、後日ラジオカフェ改め『ラジオデイズ』のサイトで掲載予定。お楽しみに。
2007.03.23
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■ 病の発症-不二家の場合 (前段省略)ここにあるのは、経営者も、従業員も会社は必ず右肩上がりに成長し、利益を最大化しなければならないという幻想がつくる枠組みから、自由になれなかったという、共同体の呪縛である。かれらが、自社の不手際に対して適切に対応することができなかったのは、かれらに倫理観が欠如していたからではない。かれらの育てた共同体の倫理そのものが、社会の倫理とは倒立していたということである。この事件が明るみ出たとき、誰もが「いったい、不二家の経営陣は何と馬鹿なんだろう。期限切れの材料を使って浮かしたコストメリットと、それが発覚したときのリスクとの簡単な計算ができないなんて」と思ったことだろう。私も最初はそのように思った。ここにあるのは、長い間、同族経営という「甘さ」の中で育った、経営陣のリスクに対する感度の悪さであると。そして、現時点での報道(〇七年、一月)を見る限りでも、マスコミも評論かも概ねそのような評価を下している。同族経営という古い体質が、現在の不二家をつくってしまったと。しかし、私はこの事件はそのような「質の悪い」経営者によって引き起こされた不祥事という解釈は、根本的に間違っていると思っている。そうではなくて、これこそが株式会社というシステムが持っている病が、発症したひとつの顕著な例であると考えるのである。事情は、雪印乳業の場合も、三菱自動車の場合も、パロマガス湯沸かし器の場合も、日興コーディアル証券の場合も同じである。雪印の場合には、時代の変化に伴う消費者の嗜好の変化、あるいは思考選択の多様化といったマーケットの構造変化によって、長期的な営業不振あるいは、伸び悩みといったことが背景にあったことは想像に難くない。賞味期限切れをおこしていたのは原材料ではなく、この会社の経営者たちの時代感覚であったのかもしれない。しかし、だからといって、時代遅れの経営者は必ず消費者をなめきった行動をとるとは限らない。(中段略)株式会社は、常に会社の存続という長期的な目的と、利益の最大化という短期的な目的という互いに矛盾する目的をどのように調整しながら意思決定するかという課題を持っている。もし、経営トップが本当の意味での中長期の視野を持ち、株主圧力に抗しても会社の存続と安定的な成長こそが最も重要なプライオリティであるという経営者目線に立っていれば、CSRやコンプライアンスというものは、利益確保のための長期的戦略であることを理解したに違いない。それを許さなかったのは、ひとえに株主という会社の所有者であり、かつ短期の利益を確保することだけを目的としているものであることは言うまでもない。いや、会社の現在価値の最大化を使命と感じている経営者もまた、株主目線で会社を経営するようになってきている。そして、(直接の株主であるかどうかは別にして)株主とは誰あろう、「私たちの欲望」のことであるということに思い当たるひとは多くはない。欲望とは常に、今ここで実現されることを求めて増殖し続けるものであり、目の前に欲望充足の機会があれば誰にとってもそれを無視して通り過ぎてゆくことは難しいことだからだ。たまたま私は不祥事を起こした会社の株主ではなかったかもしれないが、もし株主としてこの会社と関わっていれば、配当の最大化に興味は無かったなどとは言えなかったはずである。本稿は、述べたような会社の不祥事に対して、どのように対処すべきかというような処方を述べることを目的としているわけではない。しかし、株式会社というシステムにとって、活力を失うことなく倫理的であるという課題は、それ自体がひとつの自己矛盾なのである。そして、ここから出発しない限りは、対処療法的な処方は書けても、本質的な解決にはならないことだけは確からしく思えるのである。■ 病の発症-ライブドアの場合(前段略)総じてマスコミの論調は、この事件には多くの被害者がおり、堀江氏には、その善意の株主を裏切った「道義的責任」に対しての謝罪がないということへの怒りを伝えたがっているように見えた。「これは、まずいよ」というのが、私の最初の感想である。これでは、この事件の本質的なものは、何も見えてはこない。いや、そればかりか、この事件の本質は、安直な道義的な責任や、被害者への同情によって隠蔽されるだけではないか、と思ったのである。この論調は、二つの点でまったく指南力を失っている。ひとつは、株を買うという行為が、その動機が何であれ、あるいはそれを買ったものが誰であれ、それは自己責任で行うべきことがらであるということが看過されているということである。自己責任とは、例えば戦時下のイラクに入って捕虜になった人に対して投げかける言葉ではなく、こういうときに使う言葉である。株を買うという行為は、その値上がりを期待するということである。しかし、株は上がることもあれば、下がることもある。勿論、企業が虚偽の申告をして、騙されて株を買うということは、株主にとっては合意の外であるのは判っている。だからこそ、法律で規制しているのである。しかし、だとえ、株式市場の透明性が確保されていなくとも、株を買うということは株主のリスクであると考えるべきだろう。なぜなら、完全に透明な市場などは存在せず、株式市場にはリスクとリターンしかないことは最初から判っていたことである。働かずに利益を得るということの意味はそこにしかないからである。言葉は悪いが、八百長賭博も賭博であることに変わりは無い。もし、このようなリスクを避けたいと思うなら、最初から株式投資などやらなければよいのである。株式投資をするということは、それが自己責任であるということを前提としているということに他ならない。ライブドアの株を買った人びとは善意の第三者ではない。このあやしげな会社に賭け金を置いて、それが増えて戻ることを期待したはずである。通りすがりのウインドウショッパーが、お気に入りの品物を見つけて買ったわけではない。ハンディキャップを負う子どもの母は、どうして「夢は本当は金では買えない」ということを教えようとしなかったのかと、私なら思う。世のハンディとは、そのために合理的な利益を享受できないというような等価交換の価値観がつくる文脈において、ハンディなのであり、それを克服するとは、その文脈自体を変えることではなかったのかと思うのである。 もう一つの錯誤は、堀江氏個人の道義的責任というもので、多くの人間が堀江氏は経営者としての道義的な責任を全うしていないと考えていることである。会社の経営者として、堀江氏は自社の現在価値を最大化するには、何をするべきかということを考えていたはずである。それが堀江氏にとっての会社経営の「倫理」であり、「道義」であったのだ。問われるべきは堀江氏個人の道義的な責任ではなく、会社というものにとっての道義とは何かということにあったはずである。もし、かれに問題があるとすれば、それは現在価値を最大化するために法の抜け道を探そうとしたことではなく、現在価値の最大化だけしか考えていなかったということなのではないだろうか。堀江氏は何度も「株主利益の最大化」ということを言っていたはずである。それが、株主にとっても、堀江氏自身にとっても大きな利益につながるからである。しかし、本来、会社価値と株主価値は別物である。多くの経営者は、株主価値を示す時価総額と会社価値が違うものであることを知っている。それをここで繰り返す必要はないだろう。ただ、株主資本主義の論理の中では、試算表に記載されない見えない価値を含む本来の会社価値ではなく、株式市場に表れてくる会社の現在の時価総額をこそ会社価値として考えようとする。いや、試算表に現れるのは純資産総額で、市場が決定する時価総額にこそ見えない価値が含まれているではないかという反論が在るかもしれない。しかし、時価総額に反映されているものは会社の本来価値とは呼べない。むしろ、純資産総額と時価総額の間にある価値の差額は、ケインズが美人投票のメタファーで説明したように、皆が株価が上がると判断しそうな株式に投資した結果に過ぎない。その結果時価総額経営は、「見えない資産」の蓄積よりは、「見た目の魅力」を上げることに流れて行く。その圧力を作っているのは、今回被害を受けたものも含めて株主の存在そのものである。株主とは、自分たちが経営者に対して十年後の会社の安定よりは、現在の時価総額を最大化をせよと圧力をかけている存在であることに、どこまで自覚的になれるのだろうか。だぶんそれは、無理だろう。さらに言えば、株主は、会社が道義的であるか、倫理的であるかということに関して、ほんとうは興味が無いというべきだと思う。それでも、会社は時価総額が上がることを望んでいる。私はこの株主と会社との間に存在する共犯関係を「病」と呼んだのである。 (以下略)
2007.03.21
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アゲインで、ウチダくんと「ゆるいトークイベント」狭い会場は、これ以上は無理という人口密度であった。どうしても、ウチダくんと面と向かって話すとなると「普段の会話そのまま」になってしまう。「最近何読んでるの?」そういえば、最近あまり小説も詩も読んでいない。忙しさにかまけているが、彫琢された言葉を身内に注ぎ込んであげないと、精神が枯れてくる。「好きな映画は?」「無人島に持っていく三冊は?」そして、この間かれとずっと話してきているグローバリズムの「無時間モデル」についてはすこしつっこんだお話をする。ウチダくんの話はいつも背筋がピンと立っていて正中線がぶれない。俺はいつもその場しのぎである。芸が無いと言われればそれまでだが、もともと芸など持ってはいないのだからいたしかたがない。(開き直ってどうする)遠方より駆けつけていただいた方もあり「ゆるくて御免」という外はない。謹んでお礼申し上げます。前回のエントリに関してはアクセスが通常の三倍ぐらい(6,000アクセス)になってどうしてなのかと思っていたらやはり、ウチダくんがブログでご紹介してくれたのであった。読者の反応を見ているとなかなか真意は伝わりにくいものであると実感する。もちろん、当方の言葉足らずというところもあるのである。随分参考になり(ご批判も含めて、お礼いたします)少し書き加えたり、論理が飛躍しているところを詰めた。掲載の部分は、『株式会社という病』の中の第四章「因果論」の終わりの部分である。病の原因は何か、どうやってそれに対処すべきかとのご質問があったがそれにはひと言ではお答えでそうもない。むしろ、すべての存在は先天的に病んでいるものだというのが本書の出発点であり、病そのものは善悪の価値基準のほかであるというところが主眼になっている。別エントリで、修正部分と、その前段である「不二家」の問題も含めてもう一度プレビュー掲載しておきたいと思う。
2007.03.21
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堀江貴文に対する東京地裁の判決が出た。ちょうど、進行中の『株式会社という病』が書き終わったときであった。どうしようかと思ったが、やはり書き加えることにした。裁判の「空気」に違和感を感じたからである。(以下抜粋)本書をあらかた書き終わった二〇〇七年三月十六日、世間を騒がせたライブドア事件の主犯として起訴されていた堀江貴文氏に対する、東京地方裁判所の判決が下った。懲役二年六ヶ月の実刑判決であった。堀江貴文氏の言動に関しては、本書でもすこし触れてはいるが、ここではかれのパーソナリティーやライブドアという会社の性格に関して書く必要もないだろう。個人的には、私は堀江貴文氏にも、ライブドアにもほとんど何の興味も無いからである。こういったことは、過去にもいくらでもあったし、現在も似たような事案は進行している。私は、ベンチャー企業の経営者たちといくらかの親交があるので、そのことはよく承知しているし、ここには書かないが、様々な詐欺まがいの行為についても、存知上げている。ライブドア事件が、もし他の同様の事案と異なっているとするならば、それは、堀江貴文氏という人間に対する評価が、それ以前と以後では大きく変化したということである。かれは、グローバル資本主義の時代のヒーローとして持ち上げられ、マスコミに頻繁に登場し、選挙にまで担ぎ出された。多くの市場原理主義的な意見の持ち主は、かれのなかに、フロンティアスピリットを演出してきたのである。そして、多くの「株主」や若者たちもまた、かれを新時代のヒーローとして受け入れたかに見えた。しかし、かれが逮捕されて以後、マスコミの論調は変わり、かれを神輿に担ぎ上げた連中は沈黙し、多くの若者たちもまたかれのもとを去っていった。そして、地裁の判決が下り、マスコミは興奮気味にこの判決を伝え、テレビの前の視聴者もまたこの判決に対しておおかた納得の気持ちを持ったようである。しかし私は、この度の裁判と、それに対するマスコミや知識人といわれる人びとの反応に対しては、違和感を持たざるを得なかったのである。この章の最後に、この違和感のよってきたるところについて少し触れておきたいと思う。堀江氏の罪状は、脱法目的で組成した投資ファンドを介在させて売買した自社株の売却収入を、連結決算に違法に計上したこと。計上が認められていない子会社に対する架空売り上げを計上したこと。経常損失が発生していたのに、約五十三億円の粉飾をしたことである。 また、関連会社「ライブドアマーケティング」が企業買収を発表した際、株式交換比率などについて虚偽の内容を公表し、自社の決算短信で本当は赤字なのに黒字と偽ったことである。どちらも、自社を実体以上に大きく見せようとした涙ぐましい「犯罪」である。判決が、重いか軽いかは別として、法律上、かれらのやったことが違法行為であるならば、法の下で裁かれるのは止むを得ないことだろう。しかし、この判決によって何かが解決し、何かが明らかにされたかといえば、大いに疑問だと言わざるを得ないのである。(勿論私は、法に期待をしているのではない。法が出来るのは、ただ法規の内と外の線を引くことだけだと言っているのである。)裁判長は、判決を言い渡した後で、ハンディキャップのある子どもを持つ母親からの手紙を紹介し始めた。 「大きな夢を持ち、会社を起こし、上場企業までにした被告に対し、あこがれに似た感情を抱いて働く力をもらった。ためたお金でライブドア株を購入して今でも持ち続けている」。これが手紙の文面である。 マスコミもまた、このコメントを紹介し、さらに多くの損失を蒙った株主たちの意見を報道していた。論調は、この事件には多くの被害者がおり、堀江氏には、その善意の株主を裏切った「道義的責任」に対しての謝罪がないということへの怒りを伝えたがっているように見えた。「これは、まずいよ」というのが、私の最初の感想である。これでは、この事件の本質的なものは、何も見えてはこない。いや、そればかりか、この事件の本質は、安易な同義的な責任や、被害者への同情によって隠蔽されるだけではないか、と思ったのである。この論調は、二つの点でまったく指南力を失っている。ひとつは、株を買うという行為が、その動機が何であれ、あるいはそれを買ったものが誰であれ、それは自己責任で行うべきことがらであるということが看過されているということである。自己責任とは、例えば戦時下のイラクに入って捕虜になった人に対して投げかける言葉ではなく、こういうときに使う言葉である。株を買うという行為は、その値上がりを期待するということである。しかし、株は上がることもあれば、下がることもある。勿論、企業が虚偽の申告をして、騙されて株を買うということは、株主にとっては合意の外であるのは判っている。だからこそ、法律で規制しているのである。しかし、だとえ、株式市場の透明性が確保されていなくとも、株を買うということは株主のリスクであると考えるべきだろう。なぜなら、完全に透明な市場などは存在せず、株式市場にはリスクとリターンしかないことは最初から判っていたことである。働かずに利益を得るということの意味はそこにしかないからである。言葉は悪いが、八百長賭博も賭博であることに変わりは無い。もし、このようなリスクを避けたいと思うなら、最初から株式投資などやらなければよいのである。株式投資をするということは、それが自己責任であるということを前提としているということに他ならない。ライブドアの株を買った人びとは善意の第三者ではない。このあやしげな会社に賭け金を置いて、それが増えて戻ることを期待したはずである。ハンディキャップを負う子どもの母は、どうして「夢は本当は金では買えない」ということを教えようとしなかったのかと、私なら思う。世のハンディとは、そのために合理的な利益を享受できないというような等価交換の価値観がつくる文脈において、ハンディなのであり、それを克服するとは、その文脈自体を変えることではなかったのかと思うのである。 もう一つの錯誤は、堀江氏個人の道義的責任というもので、この問題を考えていることである。会社の経営者として、堀江氏は自社の現在価値を最大化するには、何をするべきかということを考えていたはずである。それが堀江氏にとっての会社経営の「倫理」であったのだ。もし、かれに問題があるとすれば、それは現在価値を最大化するために法の抜け道を探そうとしたことではなく、現在価値の最大化だけしか考えていなかったということなのではないだろうか。堀江氏は何度も「株主価値の最大化」ということを言っていたはずである。それが、株主にとっても、堀江氏自身にとっても大きな利益につながるからである。しかし、会社価値と株主価値は違うものである。多くの経営者は、時価総額と会社価値が違うものであることを知っている。それをここで繰り返す必要はないだろう。ただ、株主資本主義の論理の中では、試算表に記載されない見えない価値を含む本来の会社価値ではなく、会社の現在の時価総額をこそ会社価値として考えようとする。それが、判りやすく、透明で、合理的であるという理由によって。そして、その圧力を作っているのは、今回被害を受けたものも含めて株主そのものであり、その意味では経営者に対して現在価値の最大化をせよと圧力をかけることに加担しているわけである。 このシステムが病んでいるということに関しては、ここまで縷々書いてきた。病んでいることそれ自体は、別に悪いことではないと私は思っている。病こそ成長の原動力だからである。ただ、病の自覚のないところで、一方を加害者、一方を被害者というように振り分けることは、ただ病だけを昂進させるだけであると言いたいのである。 堀江氏がライブドアをつくり、法律すれすれのところで資産を増やしてゆくことに対して、私は別にとやかく言いたいわけではない。それは堀江氏の自由であるし、またいつの時代にも堀江氏のように考えるものはいる。今回の事件に関して、堀江氏自身は悪いことをしたとは思っていないだろう。ただやり方が「まずかった」と思っているのではないだろうか。ある意味で、かれがそう思うことは正しいのだ。かれは株式会社というもの、資本主義というものの持っている病を利用したかもしれないが、病んでいるということと善悪ということはまったく別の次元の話である。病ゆえに堀江氏は会社を膨張させることができた。かれがそういうことに長けているからといって、資本主義を発展させる時代のヒーローであると持ち上げたり、選挙に担ぎ出したり、あるいは人生訓のようなことを語らせたりしてはいけないのである。お金を増やすことに有能な人間は、それ以外の領域では、ただの盆暗であるに過ぎないと思うべきなのである。世界は様々な価値観の複合体であり、一つの価値観で世界を説明することなどできない。金が力を発揮するのは、金が万能であるという場所だけである。確かにそういう場所はあるが、それは限定的でそれほど広いわけではない。堀江氏も株主も、「節度」ということの意味が判らなかった。そういうことだと思う。
2007.03.17
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武蔵小山のカフェ・アゲインのオープニングセレモニー。麒麟山酒造の大吟醸樽酒が、イシカワくんの門出を祝福している。イシカワくんは、俺やウチダくんがつくったアーバン(アではじまりンで終わるのはアゲインも同じである)の専務であった。何ともビジネスマンには不向きな男ではあったが二十七年間、その任務に耐えてくれたのである。この間、イシカワが一番向いているのはカフェの「おやじ」じゃないかと思っていたらカフェの「おやじ」になったのである。天職光臨である。本日のパーティー出席は身内のみ。とはいえ、俺はイシカワくんの身内が誰であるのかよくは知らない。インディーズ系のバンドの皆様(らしい)浮世離れした風貌の面々。高名な音楽評論家の瀬川昌久さん。富士レコード社主の井東冨二子さん。秋葉原万世の鹿野友章さん。噺家の三遊亭金兵衛さん。肩書き形容不能の寒空はだかさん。翻訳会社時代のブラジルの友人、パウロ。悪友牛島くん。地元商店街の友人伊達さん。などなどに混じって、俺とラジオカフェ社長の赤塚が参列。イシカワくんらしいラインアップである。鏡割りをやって、各人のご紹介があって、おいしいいお酒を飲んで、「アゲイン」の音を聞いて、あっという間の総決起集会であった。遅れてやってきたのは上野茂都さん。「あ、どうも。あのさ、上野さんの音曲って、JASRAC的にはどうなの」「いや、関係ありません。コピーフリーですから、じゃんじゃんコピーして下さい」「えらい!やっぱり了見が違うね。今度ラジオで対談してください。」ということで、『ラジオの街で逢いましょう』のゲストに待望の上野成都をおよびして、音曲を流すことが決まる。五月ごろの放送になると思います。ラジオカフェのティザーサイトでも聞けますので毎度ヒラカワの上野礼賛に辟易していた方は、一度その御耳にて「煮込みワルツ」の旋律をお確かめください。会がはねて、小田急線で経堂へ。このたび、オリンパスから発売されるラジオサーバーのコマーシャル録音のスタジオがここにある。駅を降りるとなつかしい街角。いや、はじめて歩く街なのだがなんともなつかしい、商店街が四方に延びる。駅前に大きなビルが無いのがいい。布団や、石や、白壁ぬりの皮膚科、ラーメン屋を抜けて地蔵さんの角にあるスタジオに着く。スタジオで、お父上がお亡くなりになって傷心の浜菜みやこちゃんと会う。すこし涙ぐんで報告してくれた。頑張って欲しい。言葉が無力になる瞬間である。その後、しばらく菊地さん、赤塚社長らと談笑しながらスタジオ内で煙草を吸っていたのだが俺がスタジオにいても邪魔なだけなので、早々に退散することにした。もう一度、経堂の町を、川本歩きしてみたいと、思ったのである。
2007.03.15
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日本経済新聞の文化欄に小川国夫が「煙草」と題する小文を寄せている。『アポロンの島』に漲っていた孤独であることの瑞々しい緊張感はこの文章からは消え去っている。が、言葉の手触りに馬鹿正直に、どこまでも押してゆくとこんな文体になるといった書き方に好感をもったのである。気持ちを揺すぶられたといった方がよいかもしれない。写真が出ている。小さい写真なので細部はよく判らない。随分お年をめされたといった風情である。お若いときにはギリシアをオートバイで走るにふさわしい彫刻刀で掘り出したような頬の線が、今は幾分やはらかくなって、縦に皺が走っている様子である。こういう縦皺はなかなか日本人にはできにくい。かつて、図書館でW・H・オーデンの顔を見たときにその皺の美しさに見とれてしまったことがあった。オーデンの顔の皺について言っていたのは確か田村隆一ではなかったかと思う。そういえば、田村隆一も小川国夫と同じような縦に切り込む皺の持ち主であった。かれらに共通しているのは、皺だけではない。縦に切り込む皺と同じように、存在の表層から縦に切り込んでいって存在に深傷を与える厳しい言語感覚の持ち主であった。この度の、小川国夫の文章はかれ自身と煙草の因縁について書かれた内容であった。「私はなんとなく煙草が好きになったのではありません。たちまちとりこになってしまったのです。」冒頭にこのように記されている短い文章は「われわれが普段煙草をもてあそぶのは、臨終に対処するための準備ではないのか。」と意表をつく終わり方をする。やはり、これは小川国夫だ。文中、煙草を吸ってとがめられた経験を語り、凄まじく痩せこけた芥川が、紫煙の向こうに写っている写真について語り、腹に銃弾を打ち込んだゴッホが、ベッドに横たわって吸った臨終の時間を語り、映画の中の、致命傷を負ったおとこに煙草をくわせさせてやる場面を語っている。勿論、小川国夫は、煙草の社会的な地位や健康上の問題点について語っているのではなく、煙草の呪術的な力について語っている。いや、煙草についてというよりは、世にうとまれているものが放つ悪魔的なオーラについて語っているのであり、それを賛美してもいる。考えてみれば、無用の文章である。生活上の何の役にも立たない、退嬰的ともいえる内容である。しかし、こういった思考が意味が無いとは誰にも言えない。「俺もまた臨終に際して、一服やりながら越し方を振り返ってみた」と思う人間がひとりでもいる限りはね。『株式会社という病』ほとんど、書き終わる。小川国夫を引用したのは、同じ視点が俺の中にもあることを確認したからである。『病』の終わり近くに、俺はこんな風に書いたのである。- 私の言いたいことは、日本人の精神が劣化したとか、金の力が大きくなりすぎて日本人がそれに祈拝しているとか、日本人が馬鹿になったということではない。総体的に見れば、人々はよく働き、社会は徐々にではあるが暮らしやすくなってきて、経済的には豊かになってきていることは疑いようのない事実である。技術もまた進歩し、人間の限界をすこしづつ広げてきている。そして、人間と言うものもまた総体としてみれば進歩してきているといえるのかもしれない。それでは、お前は何が言いたくてぐだぐだと書いてきたのだと問われるかもしれない。私が言いたかったのはただ一つのことである。ある詩人は、それをたった二行で表現している。私は何万語も書いてきて、この二行を解説してきたようなものである。光を集める生活はそれだけ深い闇をつくり出すだろう 資本主義の高度化、都市化、利便性の向上、金融経済の進展といったものは、すべて「光を集める生活」を人々が求めてきた結果である。しかし、光を集めた分だけ、私たちは闇の部分をも作り出してきたはずである。しかし、右肩上がりで成長を続けなければならないという強迫観念は、それが強ければ強いだけ、闇の部分を隠蔽するという結果を生み出す。別の言い方をするならば、光とは闇を照らすものであると同時に、闇は光にとって必要なものでもあるのだ。たぶん、そういうことではないだろうか。 失われた八十年代を通して、私たちは日本の経済システム全体が、冷戦の終結やIT革命、グローバル化、市場化といった世界的な変化に対応できなかったが故に、長期的な景気の停滞に陥ったのだと総括したのだと思う。確かにそれは半分は正しい。しかし、そのことをもって、いっときアメリカのネオコンが主張していたように歴史が終わったわけでもないし、また景気の循環が終結したわけでもない。市場化は、資本主義という経済システムの必然的な帰結ではあったかもしれないが、終着点だなどとは、誰も言えない。
2007.03.12
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都会はまた冬に戻り、俺はなんだかんだと忙しい。本日は、新宿御苑のラジオカフェで大ぶりのピザを喰いながら、システム会議&デザイン会議。気分としちゃ「三丁目の空気だろやはり」とスタートしたプロジェクトだが落語や講談を古い皮袋に詰めて満足するのはどうだろうかということになり、「ここは、ひとつバウハウスじゃないか」「いや、クレーでしょ」「惹仲は?」「ポストモダンに逃げたくはないし、やはり、俺たちはモダニズムなんだから正面から突破でいくべ」これでは、何のことか話の筋がお分かりいただけないだろうが、話をしていて、俺もそう思うようになった。眠たい復古趣味も、それなりの味はあるがそれでは「現在」を更新してゆくことはできない、からね。ということで、ラジオカフェの九月から始まる新しいサイトは大方の予想を裏切るネオ・モダニズム路線でいくべぇかということになりつつある。まあ、委細はここにはまだ書けないし、どう転がるのかわからないが、こんな議論に議論を積み重ねつつラジオカフェのオフィシャルサイトは少しづつ前進している。と、思いたい。秋葉原の仕事場にはやるべきことが山済みになったままで、そのまま崩れかかっている。白髭橋の仕事場からは、緊急の指令が飛んでくる。ミッション・インポシブルである。メールボックスを覗くと、NTT出版の牧野くんから、おそるおそる「だいじょうぶですよね」との催促が入っている。俺は安請け合いの、ダブルブッキング&フライング野郎だが、納期には厳密なビジネスマンなのであるよ。吐き気を抑えつつ、書いているのでご安心めされ。先日は大槻さんがいらして、五月には、朝日文庫から『東京ファイティングキッズ』文庫版が出るとのことなので、六月の『株式会社の病』と合わせて今年は思わぬ二冊刊行である。TFKには、文庫用のボーナストラックを何か書かないといけない。20日のウチダくんとの、セッションのときに相談しよう。しかし、ウチダくんは来れるのかね。その日は俺も朝から白髭橋で午後まで会議が入っているので、へろへろになって、アゲインに行くことになる。さて、この忙しさのさなかに秋葉原の仕事場の一室を利用して辛夷会空手道場秋葉原支部の稽古が始まっているのである。現在参加者は、六人。辛夷会は、寸止め、フルコンタクト、古流と何でもやるのだが、秋葉原では、古流の型を中心に、武道的な身体運用を中心にお稽古することにしたのである。二人を除いて初心者だが、みなさん熱心で、楽しみである。が、果たして俺は、こんなたけのこ生活、いや、タコ足生活が続けられるのであろうか。ということで、明日は京都の旅の空。ぼさぼさの頭をなんとかしないといかんということで、築地の「さなえの店」に行き髪を洗い、切ってもらう。いつもは、秋葉原の千円の散髪屋なのであるが、ここんところは、ほとんど個室状態の美容院である。忙しいだけで、体調も商売もさっぱりであるのだが、さなえの、マジックハンドで頭を整えてもらい、気持ちはさっぱりとして帰路についたのである。なんとか、なるものである。
2007.03.08
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喜多八、喬太郎、歌武蔵の「落語教育委員会」が中野ZEROホールで行われるというので出かける。ZEROホールに早めに着くと、会場の周囲にはだぼだぼズボンにトレーナーのわかものたちがヒップホップダンスに興じている。うまい。やつらは、俺たちの世代とは明らかに異なる身体感覚を身に付けている。しばらく、それを眺めていて、壁を見ると「ダンスの皆さんへ。近隣から苦情がありますのでここではダンスを踊らないように」といった内容の張り紙。いいじゃねぇか。踊らせてやれよ、と思う。「転げて浮かべ、煮汁の中で」である。それぞれのダンスを踊ればいい。落語の方は、このメンバーである。面白くないわけがない。歌武蔵は「五人回し」。独特の語り口で安定感のある芸を見せる。喜多八師匠は「笠碁」これは絶品であった。語りよりは、語りと語りの間で見せる芸である。そして、喬太郎。都市伝説をテーマにした新作で面白いことこのうえない。笑いすぎて涙が出る。この会には、以前喜多八師匠の落語教室の生徒が示し合わせたわけでもないのに全員顔を見せ文鳥舎舎主にして、ラジオカフェの社員でもある大森さん、ラジオカフェ社長の赤塚さんらと高円寺にある柳家紫文さんのお母さんがやっている小料理屋へ繰り出すことになった。喜多八一門の同窓会である。ちょうど紫文さんも帰ってきて着物のままカウンターの向かいの畳に座って三味線を弾きながら、日本の音曲について驚愕の解説をしてくれる。いつもは、上野鈴本での三味線漫談で笑わせてもらっているが本日の熱い語りは、少々意外の感があった。おいしいお酒と三味線の音色と、和やかな笑いで三拍子である。高円寺の夜は、いつもどこかでこんな小宴が行われているのだろう。
2007.03.07
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早朝いつものようにまると散歩。いつもと違うのは、早春の気持ちのよい風が吹いていること。この冬、じっと風雪を耐えて佇んでいたバイクのエンジンをかけてやらねばと思う。かつては、どんなに凍てついた夜も震えながら走ったものであった。マフラーを巻いて、腹に新聞紙を詰めて寒さをこらえながら。走るだけでも楽しかったのである。最近はすっかり軟弱な春夏ライダーになっている。長年使い込んできた膝や腰が痛むとかなんとか理屈をつけてはいるが要するに、風を切る気力が失せていたのである。さて、久しぶりにバイクにまたがって行くところが無い。で、とりあえずは田園調布駅前のデコさんの店でデミグラスハンバーグを食しながら歓談する。「お互いにいそがしいね。」といいながらも、忙中閑はあるものだ。それから、目黒に出ていつものルノアールに入り、原稿を書く。そこに、木村政雄さんが入ってきた。「あ、どうも」これで、木村さんと街で偶然にお会いしたのは二度目である。前回は夜の都ホテルのラウンジだった。今回は真昼間のルノアール。よほどご縁があるのだろう。以前、『反戦略的ビジネスのすすめ』を絶賛してくれJRの雑誌にも書いてくれた。お世話にばかりなっているが、なかなかお返しができない。昨日は、横浜の中華街を歩いていたのだが、その帰りに京浜東北線に乗ると目の前に三遊亭円丈師匠が座っていた。「あ、どうも。先日は」数日前に、落語会の後の宴席でご一緒させていただいたばかりであった。そのまま、品川まで、お隣に座らせていただいてこの新作落語の神様から興味深いお話をお伺いするという奇跡のような偶然にめぐまれたのである。師匠は、横浜の「にぎわい座」のひとり会のお帰りであった。「このまえよりはうまくいきました」先日の、日本橋亭での「がまの油」を演られたとのことである。先日は大分落ち込んでおられたが今回は会場全体を円丈の世界に引き込んだのだろう。「円熟とはいうが、やはり三十から四十歳がいちばんいいんだと思う。六十歳を過ぎて、なんかしゃべりもスローになっているんです稽古するしかない。」「意識的に早口でやったりするんですよ、言い立てなんかをね」もったいないお言葉である。新作落語の頂点にいながら、つねに芸を求めてチャレンジするその姿勢に感動しながら、あっという間の横浜-品川間であった。師匠、ありがとうございました。
2007.03.04
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銀座のラジオ関西スタジオで『ラジオの街で逢いましょう』の収録。初パーソナリティーであったが、まあ、いつもの調子だ。ゲストは、柳家小ゑん師匠と『花は志ん朝』の演芸研究家大友浩さん。師匠の独特の物語的世界の源泉がどこいらあたりにあるのかを聞き出したかったのだが、話が面白すぎて、笑っているうちに第一回放送分は終わってしまった。2007年は映画出演目白押しのアシスタントの女優、浜菜みやこちゃんがうまくアシストしてくれて、何とか番組になったのではないかと思う。それにしても、キューが出たとたんにスイッチが入っちゃうのがプロの芸人なのだと奇妙なところで感心する。こっちは、キューがあろうがなかろうが、いつもの脱力したヒラカワである。二人のプロの間で、間抜けなおやじが、痙攣している構図である。「人間はストーリーを追うものだ」とは師匠の名言である。なるほど、誰もが話し手の少し先を追うようにして聞いている。そこに、話と聞き手の微妙なずれができる。この微妙なギャップが面白さを生み出す。大きすぎてもピンとこないし、小さすぎても眠くなる。放送は4月3日の24:30。関西地区以外の方には、ラジオカフェのサイトでストリーミングで放送する。第2回、翌火曜日放送分の大友浩さんとの収録ではこっちも、かなり落ち着いてきて、横丁の縄のれんでぼそぼそと、芸談をしているような心持であった。温いお湯に浸かっているようで、実に気持ちがよい。なるほど、これが対談の名手の技なのか。大友さんは誰もが認める聞き手の名手である。ほとんどの場合、俺たちはダイアローグにおいてさえ相手の話を聞いてはいない。目の前の聞き手の名手に、その要諦をうかがえば「相手の話をよく聞くこと」と至極あたりまえのようで、玄妙なる答えが返ってきた。そして、相手を尊敬することと付け加えた。なるほど、リスペクトして聞くということか。やっているようで、ほとんどの人はやっていないことだ。聞くことの奥の深さ。話し上手になろうなんて思わない方がいいのである。
2007.03.02
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昨晩は久しぶりにお江戸日本橋亭に落語を聞きに行く。柳家小ゑん、林家彦いち三遊亭円丈笑福亭福笑の豪華メンバーによる『無限落語』である。関東の三師匠は何度もお聞きしているが福笑師匠の噺を聞くのははじめてであった。なんとなく、左とん平さんに「にがり」を入れたようなどすの利いた一筋縄ではいかぬ風貌でどんな芸風なのかと楽しみであったがその噺『宿屋ばばあ』が始まるやいきなり噺に引き込まれた、というよりは強引に引きづり込まれたといった風情で、やはり、大阪のパワーには関東もんは太刀打ちできない。『上方落語名鑑』によると独演会で千人の客を集めると書かれている。先だっても、大阪繁盛亭での弟子との会では三日間立ち見の大入りという人気であったとのことである。これほどの芸の持ち主が、関東ではほとんど無名とはこの世界の東西の非対称性にはあきれる。『浪曲やくざ』『葬儀屋さん』『ミナミの旅』『宗教ウォーズ』といった新作落語で、客を圧倒する過激な表現力の持ち主である。『宿屋ばばあ』は、他のどれも、これも聞いてみたいと思わせる出色の出来で、俺はいっぺんでファンになった。と、収穫感で胸を一杯にして帰路につこうかとおもったが、小ゑん師匠が「一緒に打ち上げにきませんか」とお声をかけてくれた。それから後が大変であった。酒席で、なんとこの福笑師匠のお隣に座ることになったのである。対面は小ゑん師匠。福笑師匠の向こう隣には、わが神である円丈師匠である。酒を飲ませたらどうなるかわからないという福笑師匠は、ショートピース片手にぐびぐびと焼酎をかっ込みながら機関銃のように、しかし論理的な整合性のある暴論をがんがんとぶっ放す。その話は、天馬空を勝手に翔るといった風情で久しぶりに火傷をするような話しっぷりを堪能。残念ながらはなしの内容はここには何一つ書けない。師匠はテレビ、ラジオにもほとんど出演しないらしい。放送事故になってしまうからである。そのうち、師匠はおとなりの円丈師匠に標的を定めで無謀な会話を吹っかけ始め打ち上げではいつも落ち込む(らしい)円丈師匠はさらに落ち込むのだが、さらにマシンガントークを打ち込む。その後は・・・いや、もう書けねぇよ。一座爆発という寸前で、「まだ怒ってまっか」という絶妙のボケをかまして最後はみんなで笑って二次会へ。最近はほとんど死語であるところの芸人の「生きざま」を見せ付けられた戦闘的な夜であった。
2007.03.01
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