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午前6時過ぎ起床。バロックの森を聴きながらストーブの灰掃除。出勤途中は今日もカラヤンのブラームス。終日デスクワーク。以前担当した仕事にクレーム有り。解決までちょっと時間がかかりそう。ラン5km+スイム750m。暗くなりかけて走ったので距離は稼げなかぅった。プールを出たら南の空にオリオン座。今日、3月上旬にあるハーフマラソンに思い切ってエントリー。随分迷った末の決断。友人の「10km走ることができれば倍のハーフも大丈夫」という言葉が背中を押してくれた。完走の自信はあるのだけれど、減ったとはいうものの83kgの体重故、膝の故障が怖い。レース日までに70kg台に落としたい。川向こう、I君の家が売りに出されているという。彼とは地域の、とある団体で一緒に役員をしたことがあり、家族ぐるみの付き合いもした。このようなことになった訳はうすうす想像がつくものの、残念でならない。子どもさんたちのこともよく知っているだけに、不憫だ。
2008年01月31日
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午前5時半起床。晴れ。外気温1度。庭にある金柑の実が野鳥に食べられ、実の皮が梅の木の下に散らばっている。風情あり。加えて白梅の香り。日ごとに花の開いていく様は、凜とした寒さのなかにあって心地よい。出勤の道中、海水タンクを荷台に積む軽トラの後ろを走る。タンクの横に自転車を1台載せている。海辺の水産関係者が、子どもさんを町の高校へ送って行く途中らしい。助手席に頭と学生服の襟首が見えた。いいな、この光景。車中、カラヤンのブラームス交響曲3番4番を聴く。名演。メリハリが効いてドラマチック、劇的。聴かせてくれる。わたしはカラヤンが好きだ。いろいろな評論家がいて、多くは彼のことを評価しない。通俗的、役者的演奏、媚び有り、拝金主義等々、数多の批判文章を読んだ。確かにそういう面はある。しかし、一曲一曲聴いてみると、それはそれで素晴らしいのだ。彼の演奏を喩えると、有名料理店の定番料理で80点、いや90点の美味しさ。当たり外れがなく、満足のいくもの。ディープな居酒屋の珍味を引き合いに出して味を比較し論じるのは、ちょっと土俵が違う気がする。終日デスクワーク。新しい仕事専用の携帯電話を2台購入。これまで私用電話を使っていたので、わだかまりが消えた。帰りに魚屋「かわべ」でタコ刺しとナマコを購入。夕食の友。この店の若は大柄にして笑顔の素敵な青年。独身という。これだけ男前なら女が許すまいに。彼の引いた八足はとても美味しかった。ラン7km+プール500m。Tに結婚式の招待状をもらった。3月中旬。楽しみ。若い人が結婚し、幸せになるのはこちらも気分がいい。
2008年01月30日
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午前5時半起床。雨は上がった。終日デスクワーク。プロジェクトに関する難題あり。織り込み済みの案件だが、ちょっと先延ばしにしていたの感あり。早め早めの潰しというか解決を心がけねば。まだ十分に間に合う。根回しが大切。夕方、西の空から太陽の光。レンズ雲に似た形が空に浮かび、ちょっと見とれる。ラン7km+スイム500m。岸河内を走っていて気がついた。数日来の雨で大越川に流れが戻っている。鮎遡上の季節が近い。花粉症の季節でもあるが。昨日のトロロは親父の家、義母のそれぞれに届けた。掘り主には赤霧島を1本あげた。その際、掘る様子などを聞く。占用のスコップで直径50cmの縦穴を掘って取り上げるのだけれど、その苦労は並大抵のものではないよう。改めて感謝感謝。梅の花が3分咲き。地面には水仙も。今週末は蕗の薹の穴場を見に行こう。今日の夕食にコンニャクとゴボウをいっしょに煮込んだものが出た。母の料理。妻に聞くと、このコンニャクは一昨日に亡くなったYさんが数日前に持ってきてくれたものという。一昨日の夜、救急車が私の家の近くで止まり驚いたが、サイレンの音を消しただけで、そのまま集落の奥の方に吸い込まれていった。その数分後、今度はサイレンを鳴らして町の方へ去った。その時は遅い時間だったこともあり、経緯は知るよしもなしだった。後になってYさんが風呂で前後不覚となったことを知った次第。Yさんは生粋の農家。数年前までイチゴを生産していた。享年93。横浜ベイスターズのフロントに野球元全日本代表監督Y氏がいるが、遠縁にあたるという。Yさんの思い出を。私が小学校に入学する前、小学校の体育館で予防注射があり、母に連れられて接種に行ったときのこと。会場のテーブルにトレーがあり、その中に青紫色をした注射器が山と盛られていた。私の番が近づいて、看護婦に体を押さえつけられたとき、恐怖を感じ暴れ彼女の手を咬んで振り払い、その場から逃げだした。その際は、注射器のテーブルを蹴返し大騒動になったらしい。私は体育館から走り出て、運動場の隣にあったYさんの薩摩芋畑に躍り込み、泣きながら手当たり次第に蔓を引き抜いた。この腹いせに迷惑千万だっただろうけれど、以来、彼は私のことをことのほか親しみを込めた目で見てくれた。私が中学、高校と年を重ねるに従い、少しずつ大人の接し方に変えてくれた。高校卒業と同時にこの町を離れ、Yさんと挨拶を交わす機会はなくなったが、戻ってからは黙礼程度だがまた言葉を交わすようになった。その際はとても紳士的な印象を受けたものである。もう1ヶ月ほど前になるかな、父の家に来客あるも不在で困惑の場面、Yさんが丁度通りかかり、来客に声をかけ、畑を隔てたこちら側で薪割りをしていた私に取り次いでくれた。客の用事は些末な内容だったが、Yさんの親切とユーモアには参った。股引半纏姿。こちらにやってきて木屑の上に胡座をかき「おまえさん、薪割りはいいが親父の行方はどこかしこ?父の客人に息子たる者粗相あってはなりますまい。ささ、この場を如何せん」と伝法調で私を責め立てるのである。これまでの紳士然りのYさんとは大違い。年が年なのでちょっと妄想の気があるのかなと思わせるような様子に苦笑。今日はその人のコンニャクを食べている。さようならYさん。雑誌「小説新潮」2月号の特集は時代小説。清水辰夫以外の作家を知らない。諸田玲子、西條奈加、犬飼六岐、安住洋子、畠中 恵、北原亞以子。まだ全部を読んでいないけれど、面白そう。佐伯泰英が、彼の文庫本の帯か後書きに、売れるのは時代小説だからその分野を書くべきと編集者から勧められたという旨を書いていたが、ホント、最近は江戸物を中心として時代小説の刊行が増えたような気がする。清水辰夫も最前に初物『青に候』を出したし。別冊『太陽』『東山魁夷』2,310円 平凡社あいであ・らいふ 雑誌『男の隠れ家3月号 ひとときの安らぎを求めて・・・冬の贅沢 秘密の湯宿2008』680円男の隠れ家別冊 JAZZ=ジャズを巡る旅 1,200円
2008年01月29日
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妻の背丈に届こうかという代物。高知の銘酒。冷や、燗の両方を舐めてみた。私は冷やに軍配。これと鰹だしをトロロに混ぜた。あー美味しい。三等分し、一つを明日、妻の実家へ届けよう。もう一つはすり鉢の礼だな。
2008年01月28日
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午前5時半起床。外気温3度。暗いうちに雨が降り出した。終日雨天。雪になるかと思ったが、そこまではゆかず。終日デスクワーク。東京から連絡有り。取引先から。今週末or来週にかけて来県予定。ランニング、プールとも休み。休養日。友人Hから自然薯を頂いた。私が小倉へ遊びに行っていたとき、彼は山奥に入り汗をかいて1m以上縦穴を開け掘り出してくれた。気の毒やら申し訳ないやら。ここは一つ、秘蔵の赤霧島をあげよう。ワインなら上等のものがあるが、彼は焼酎飲みだからこれを好まない。早い時間に帰宅、妻と共同作業で自然薯を調理。親父の家からすり鉢を借り、出汁を混ぜながらスリコギですりあげると、ふっくらと膨らむ。隠し味にと酔鯨の本醸造を混ぜた。出来上がると美味。絶品。1月27日の毎日ひと欄に75歳で短大生になる全盲の方の記事。琴の師匠だとある。現在、県立盲学校の生徒で、この4月、短大の音楽科日本伝統芸能専修コースに入学する予定とのこと。2年後に系列の4年制大学への編入を目指しているとも。先日、谷崎の春琴抄を読んだことでこの記事に惹かれた。さらに、その大学は娘が今年卒業する学校でもあり、ことのほか興味をそそられた。新聞を身近に感じるのはこのようなときである。
2008年01月28日
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午前5時半に目が覚めた。明るくなるのを待ってランニングへ出発。小倉城から南の方を一回りして北上、新幹線の高架を潜り埠頭の方へ。魚釣りをしている人と話し、カニカゴを引き上げているおじさんとも世間話。知らない土地は景色がどんどん変わるので、走るのが楽しい。結局1時間を超えるランニング。10キロは優に走った。汗びっしょり。ホテルへ戻りシャワー、朝食。チェックアウトは10時。北九州市立美術館へ向かう。「ミレー、モネ、黒田清輝 田園賛歌-近代絵画に見る自然と人間」展。木村伊兵衛の「おばこ大曲市大曲西根」がよかった。これは絵ではなくモノクロの写真。菅傘を被った田植え姿の若い女性、目元が涼しく、とても清々しい。若い頃の古手川祐子もしくは秋吉久美子のような感じ。昭和28年撮影とあるから、この人はもう80歳くらいになっているだろうな。美術館を後にし、「マックスオーディオ」へ。オーディオの専門店。ウエスギの新品管球アンプがペアで100万円とある。クレジットカードで購入したら妻はどんな顔をするだろうな。涎を垂らすばかりで尻尾を巻いた。今日も道中はKと楽しい会話。Kは純文学を全く読まないという。ノンフィクションや評論ばかりだそうな。小倉の曽根辺りから由布岳が見えた。遅い昼食は中津でパスタ。これが美味。店の名前を覚えなかったのは返す返すも残念。帰宅は午後5時。プールを断念。朝青龍は負け。相撲を見たあと、薪を家の中へ入れ、風呂に入って夕食。昨夜のことを知ってか知らずか、夕食のメニューはおじや。楽しい二日間だった。オーバーホール。
2008年01月27日
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午前5時半起床。晴れ。午前6時半からランニング、7km。いつもは運動公園でトレーニングをするが、今日は近所の農道を走った。犬が生きていた頃に散歩した道。懐かしい。午前9時半、友人Kと待ち合わせし、北九州向け。大分駅脇の駐車場に車を止め、そこからは電車でという手はずになっていたが、パーキングが満杯。高速道路に乗り、小倉まで向かうことにした。道中、Kと楽しい会話。彼は京都で学生生活を送ったという。宝ヶ池の方にまだ農地が沢山残っていた頃、農家の離れに下宿していて、同宿のFとの交際が楽しかったこと、Fは有名大学の受験を2度失敗、私学の哲学科に通う人。相当な本持ちで、Fにいろいろなジャンルのものを勧めてくれたこと。高橋和己の話も出た。Kは山岳同好会だったこと、日本アルプスへよく登ったこと、岩が専門だったこと。どれもこれも面白い話。昼食は行橋、国道沿いのうどん屋。「資さん(すけさん)」というなの店。美味しかった。午後2時、目的地へ前到着。ホテルの駐車場へ車を滑り込ませ、リバーウォークへ。スタバでエスプレッソを飲み、北九州芸術劇場に入る。席は最上階の一番前。俯瞰がいい。プログラムはベートーベンのバイオリンコンチェルトと展覧会の絵。協奏曲は楽団の編成が小振りで、ちょっと物足りなかった。ソロヴァイオリンも遠くで聴いたせいか美しさよりもか細さの印象が勝った。展覧会は大編成の演奏。数えたら94人。楽器の種類も特別多い。銅鑼やチェレスタもあった。それぞれの音が今どこから出ているのか、確認できる。オーディオでは知るよしもないような細かい音までよくわかる。全体的に迫力があり、体にドンと来た。これだから生はいい。今日のチケットは4千円。100回通っても40万円。私は都会に住んでいたら、音響機器を揃える代わりにコンサートへ繁く通うとおもう。なぜなら生演奏に勝るもの無し。音楽会の跳ねた後、ホテルへチェックイン。三役以上の相撲を見た後、魚町へ繰り出す。焼鳥屋で腹ごしらえをした後、バー2軒を梯子。Kはトムコリンズを飲んだ。私はズブロッカ。最後の店「JAZZ STREET52」はジャズバー。JBLの4312クラスを大音量で鳴らしていた。菊池成孔の「DUB SEXTET」、Milt Jacksonの「Sun Flower」。ホテルへ戻ったのは午後11時過ぎ。コンビニでエビアン1リットルを求め、これを飲んでシャワーも浴びずに就寝。盛り場で銀髪の美しい外国人女性が店のビラを配っていた。どこから日本へ来たのと聞いたらロシアからと。テレビに写るフィギアスケートの選手のようだった。酔っていたからかな。
2008年01月26日
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晴れ。午前5時半起床。今朝は冷えた。通勤途上、水田に氷が張っていた。出張。プロジェクトの関係で湯布院と大分市を訪ねる。成果はそれなりにあった。湯布院は粉雪がちらついていた。寒い。冬枯れの景色と相まって、風情あり。昼食はパピパパという店に入り、チーズオムレツ。ちょっと塩気が利きすぎていた。このお店、薪ストーブがあり、可愛い猫が暖を取っていた。これまた趣有り。大分市で所用を済ませ、帰社は日没となる。それからプール1,500m。帰りに妻から頼まれたエノキ、牡蠣、豆腐をスーパーで求む。夕食は土手鍋。純米吟醸亀泉。明日は友人Kと北九州向け。読響コンサート。帰宅は明後日。今日走らなかったので、ランニングシューズとトレーナーを持っていこうかな。小倉城周辺をジョグするのも記念になっていい。
2008年01月25日
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午前6時半起床。起床時間がいつもより1時間遅い。昨日、一昨日の練習が響いているのかな。今日は晴れ時々曇り。寒い一日。北風強し。空は境のはっきりしない雪雲。終日デスクワーク。昨秋まで担当したプロジェクトが未完ということで、相談を受け、今後も引き続き関わりを持つことになった。現在、担当する案件は佳境に入りつつあるが、前の案件を引きずることは織り込み済みだから気持ちの整理はついている。それに人事異動が天の声とはいえ、私がその場を離れるにあたり、私がすべきだった仕事を上司がかぶってくれ、なお快く送り出してくれたことに感謝の気持ちも大いにある。日中、職場を抜け出して献血へ。78回目。順番を待つとき、私と同じ年齢ほどか、50くらいと思しきトックリのセーターを着た婦人が横に並んだ。顔は美人の部類に入るだろう。髪を後ろに束ね、化粧気は無いが、そこはかとない色気を醸している。検査のための採血の順番が回ってきて、彼女が看護師へ腕を差し出した。その時である、彼女の手は私のそれと同じくらいの大きさがあり、しかも節くれだっていた。家事だけでは絶対にそんな手にはならない。私は農家の婦人の手を知っていて、それとも違う。おそらく水産加工に従事しているのだろうという想像した。その人の生活と人生と、あらぬ想像をかき立てられ、思わず知らず見とれてしまった。私の悪い癖だ。夕方ラン5km+スイム400m。ランのタイムは昨日より12秒遅かった。プールに入ったときはグロッキー。ボロボロ。理由は明白。違う種目を短時間で両方しようとするため。本来は、その日その日でランとスイムどちらかに決めることが肝要。股掛けはいい筈がない。疲れた状態で次の種目に移ることになり、気力も萎える。ランニングの前、体育館の前でIさんに会った。彼女は娘の1つ年上。娘の所属した卓球部が九州制覇をしたときのキャプテン。全国大会はベスト13に入った。当時は幼かったが、今はいいお嬢さんになっている。事務のインストラクターとして働いているという。夕食は大きなムロアジの開きと大根の煮物。それに鹿の煮込みの残り。夜、FMでダン・タイソンのショパンコンチェルト2番。大胆且つ重厚。華麗なショパンが趣をグッとシックにしたよう。でもこれはこれでいい演奏。ブリュッヘンのサポートも木訥としていい。彼はすでに巨匠の域に達しつつあると私は思う。BS-iの「吉田類の酒場放浪記」という番組が好きで、毎日のように見る。昨日は都立大の「鳥はる」。ここの酒に「無手無冠」(「むてむか」と読む)が登場。気に入りの土佐の地酒専門店「地酒屋」が推す銘酒。いい店にはいい酒がある。飲みたくなったな。妻はエアロビで不在だし。冷蔵庫に「亀泉」の純米吟醸が私を待っている。どうしようかな
2008年01月24日
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曇りのち晴れ。午後北風強し。午前5時起床。ネットサーフィンの後朝食。毎日、朝のおかずは鹿の骨の出汁で炊いた大根。飽くかと思いきや、これが寝覚めの胃に優しく、また美味しくもあってなかなかおつである。終日デスクワーク。N氏の母堂葬儀。出席できず、Iへ香典を託けた。夕方ランニング5km+スイム1,000m。風が強く、きつかった。プールも辛い。こんな日もあろうと思い返し、うんうん言いながら泳いだ。Yコーチと10kmレースの話。彼は私よりも10歳年上だが、タイムも3分ほど上。今日の通勤途中、車上コンサートはパールマンのベーヤンコンチェルト。カデンツァのppに痺れる。曲に合わせ思わず腕を振ってしまう。東洋的な雰囲気を持つこの曲が好き。夜はタンノイでマのバッハ無伴奏2,4,6番。佐藤春夫「田園の憂鬱」。この小説の舞台は横浜市緑区鉄町。関係ない話しだけれど、ここには高校野球の桐蔭学園がある。友人Sの息子もここに通っているという。野球はしていないようだが、学業の成績がすこぶるいいらしい。昨日、所有する軽トラ2台のうちの1台について、任意保険の契約継続を断念。この車はかなり働いてくれた。拙宅で焚いた薪のほとんどを山から積んで下がってくれた。4月にやってくる車検満了に合わせ、廃車予定。
2008年01月23日
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終日雨。午前5時半起床。最近湿りが続く。「バロックの森」を聴きながらストーブの中の灰掃除。熾火を掻いて隅に寄せ、たまった灰を十能ですくう。毎回6~7すくい。これをブリキのバケツに入れて、玄関の隅に置く。灰にはどうしても小さな熾火が混じる。これが暗がりの玄関でぼーっと光り、なかなかの風情。ちなみにこのバケツの灰は、外に置いてあるバーベキュー用のコンロにストックする。これは親方が彼の友人に頼んでプロパンガスボンベを縦方向に半分にしたもの。鉄パイプの足も溶接してつけてくれた。重宝している。ストーブの灰掃除は、おおむね5日に一回。煙突掃除は年一回。午前中デスクワーク。午後担当するプロジェクトに関連したミーティングに出席。今、この地域にあって関心の高いものだけに、いろいろな質問や意見を聴くことができた。私たちのチーム事情もあり、そのほとんどに満足の行くものを提示できなかったことは残念だけれど、今後に向けて参考になった。夕方になっても雨はやまず、ランニング中止。床屋に行き頭をあたってもらう。今回は妻の世話にならなかった。そのあとプール2,000m。快調。この頃、一つ判ったことがある。爪を2mm伸ばすだけで水を掻く抵抗が増し、グイッと前に進む感覚を何となく実感する。微妙なのだが面白い。昨日走っていたら、直径5mmくらいの大きさ、種のようなものが道路に幅2m位、長さ20mほどに渡って直線的に散らばっている。その上部に大きな電線が伸びていて、おそらく野鳥がこれに集団で止まり、糞をしたのだろう。彼らの食事は木の実だから。多分ムクドリ。
2008年01月22日
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終日曇り。午前5時半起床。昨夜、ニュースで標高200mを越える山は雪になるといっていたが、私の村を囲む山のうち一番高い元越山582mのピークも冠雪しなかった。朝、NHKFM、バロックの森。ヴィヴァルディの四季、冬。ジュリアーノ・カルミニョーラ(vn)、ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ。イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏のような感じ。レーベルはブリリアント・クラシック。チェックが必要。終日デスクワーク。夕方ランニング。10km弱。9.2kmを49分、レースではもう少しタイムを短縮できそう。走る途中、日が暮れて路面を見づらい。怪我をしないよう注意しなければ。プールは休み。今日は禁を破り、平日に飲酒。土佐の銘酒「亀泉純米吟醸」。さすが要保冷指定付きだけのことはある。甘露甘露。昨日娘にTELしたら、帰省は来月中旬以降になる見込み。正月に二人とも帰らなかった。家族でゆっくりとした時間を持つことのできるのは、これが最後かもしれない。小学校の時はよくキャンプに連れ出したが、思えばそれ以来4人で旅を楽しむ旅行をしたことがない。彼らは親との遠出、宿泊をどう思うのか知らないが、この機会を家族のイニシエーションとして位置づけたいな。この思い、わかって欲しいが親のわがままかな。電話といえば昨夜は大学の時の友人二人からも。KとT。千葉に住むKが大阪に出張し、Tと食事をしながら私にTELを寄こした。近況、家族のことなどを話した後、Kが今年の10月、3連休に九州の温泉で会おうといいだした。酔っての勢いではないと念を押されたので、本気らしい。嬉しいな。Kの息子は大学2年目1年。今年の春に退学して働くという。Kは「勉強しなくてもいいが、二十歳前後の多感な時に本を読み、友と語り、旅をすることがその後の人生に大きく影響する」と説いたが、思いは通じなかったという。悩んだのだろうな。私の在京の息子、これから東京へ住む娘のこを、Kは俺に任せておけと言ってくれた。「訪ねてくるように、飯をいっしょに食おう。先ずはそれからだ」とも。持つべきものはやはり友。Tとも会話。大阪弁が優しく響く。「なにをいうてまんのや。ほんまか。あきまへんな。」彼の話に癒される。話題が札幌に住むH兄のことに及んで二人して大笑い。再会が楽しみ。
2008年01月21日
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終日雨、寒し。午前6時半起床。ブランデンブルグ協奏曲とコーヒー、シュークリーム2つが朝食。妻は遅くまで蒲団の中。私は10時に開館するプールへ。道中、展覧会の絵。今日は雨で走ることができない。頑張って2,700m泳いだ。胸と腕の筋肉がパンパン。昨日はここで高校の時分体育教師だったA先生に、今日はS先生に会う。真っ直ぐ帰宅して、都道府県対抗男子駅伝を見る。大分県は久しぶりの入賞。北九州選抜女子駅伝も途中まで観戦。夕方買い物。パン、マヨネーズ、ウォッシュチーズ、ビーフシチューの素などを求む。缶ビールも。サッポロクラシック。あつらえていたスーツができたので、洋服売り場にも寄った。相撲を見ながらプルトップを引く。夕食は昨日の鹿肉のシチュー(写真は終日ストーブの上で煮込まれるシチュー鍋)。ワインを開けて楽しい食事。その後はハイフェッツでBWV1003とベーヤンのコンチェルト。このヴァイオリニスト、枯れた感じがしていい。この人のバッハは大好き。雨の中、運動公園の周回コースでレースをやっていた。私の出る幕ではない高いレベルの戦い。文理大学附属高校の生徒は風を切るよう。あんなに速くはしれるといいな。梅の花が咲き始めた。この雨だし、もしかすると蕗の薹が出るかもしれない。いよいよ春だな。
2008年01月20日
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写真掲示のテストです。幹が太すぎて、チェーンソーのバーが芯に届きません。切り株に残った引っ張りの痕跡(トゲトゲになっている部分)は、夜、山の神様が座った時、おしりに刺さってはいけないので、この後、キチンと切り取ります。これは鹿を撃った銃の薬莢です。
2008年01月19日
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晴れ。午前6時起床。ちょっと二日酔い。午前中は地下足袋を履いて親方の山へ。向かう車中、シャイー、コンセルトヘヴォー管の新世界。気持ちが高ぶる。今日の作業はこれまでの切り残し5本を倒すこと。といっても大木。汗をかいた。今日は風が無く、作業はしやすかった。途中、猟師が通りかかり、大木を倒すのなら見てみたいという。ギャラリーを前にしての作業は快感。彼は朝、暗いうちに山へ入り、最前、鹿を撃ったという。足を1本と心臓、肝臓、マクミをもらった(写真)。親方も1本もらった。記念にと、この鹿を仕留めた際の薬莢もくれた。山に入ると時々こんなことがある。木の始末が終わったら走って泳ぐ予定だったが、肉のことが気になり、一度帰ることにした。妻は町に出て、彼女の母とレストランでランチ。私は日の出製粉の赤龍という棒ラーメンを作り啜った。その後、地下足袋をジョギングシューズへ履き替え、ランニング8km+スイム1,000m。体調不良のせいか、ランは6キロを過ぎた辺りからフラフラ。夜更かしと酒が原因。スイムは調子がよかった。スチームサウナで流す汗が心地よい。プールのチーフTさんに、室内で育てているブーゲンビリア剪定のレクチャーを受けた。室内には20ほど鉢があり、高さ1.5mほどの木が全てに植わっている。今秋、ここで開催される障害者の全国大会に合わせ、花を咲かせることができたらいいなと言っていた。帰宅したら鹿の内臓の煮込みができていた。昨日「つね三」で頂いたものと二皿並べ、ビールを一杯。二日酔い明けの頭にしみわたる。ゲップが脳を締めつける。快感。ああ、今日は好い一日だった。
2008年01月19日
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晴れ。午前4時起床。昨夜、早くに床へ入ったのでこの時間に目が覚めた。スターデジオでイタリアバロック。コレッリのラ・フォリアがいい。終日デスクワーク。3年前に関係した取り引きのことでクレーム有り。その時の部下が今も同じところに在籍していて、相談にやってきた。細部の確認をした後、世間話。彼は上司と部下の関係を離れると、とても魅力的。友人としてずっと付き合いたい一人だ。夕方、仕事をサポートしてくれることになった女性職員の歓迎会。始まりの時間まで少し間があったので走ろうかと思ったけれど、縄暖簾「つね三」に立ち寄り、練習と称しビールと猪のワタ(内臓の煮込み)。ちなみに乾杯前に別の店で引っかけることを、「うがい」とか「消毒」というらしい。「呼び水」というのはどうだろう。ここで30分の時間調整をし、歓迎会の店へ。皆は生ビールで乾杯。私は最初から日本酒。ビールを飲んだことを知らないので、私の所為を呆れた目で見た。杯盤狼藉のあとスナックに行きカラオケ。そこでお開き。午後9時だったかな。ちょっと飲み足りず、再度「つね三」へ。暖簾を降ろしていたが、戸は開いていた。大将は快く迎えてくれ、二人してカウンターに座り、差しで調子を傾けた。こういうの、いいな。ワタを少し包んでくれた。明日の肴はこれにしよう。
2008年01月18日
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晴れ、北風強し。午前5時半に目が覚める。飛び起きて朝食を取らずにネクタイを巻いて家を出た。午前6時にお客様の宿泊するホテルへ。今日も各地で商談。大方の取り引きが済んだのは午後3時。責任者は今回来佐の目的は達成できたとのこと。先ずは祝着。帰京の際はホーバークラフトに乗ってみたいという要望を受け、空港へ送らずにその発着場所へ送る。帰宅は午後7時を過ぎた。今日もスイムとランなし。
2008年01月17日
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午前4時起床。外気温8℃。早く起きた朝はランブルの豆を挽き、お菓子と一緒にモーニング。こんな時はモーツァルトがいい。妻はまだ水平飛行なのでボリュームを絞らないといけないが、本を読むには丁度いい音量。気に障る大きさになると、活字を追うことができない。最近、老眼の進むのを感じる。今は1.75から2.0くらいかな。新聞は無理をすれば裸眼で読めないこともないが、文字を書くときはメガネが必需品。朝日にバレンボイムの記事。ユダヤとパレスチナの間にあって平和を望む姿勢が紹介されている。イスラエルでワーグナーの演奏会、両民族混成オーケストラの編成。右派は彼を煙たい存在と見ると新聞は報じている。身辺は大丈夫なのだろうか。音楽家に限らず芸術家の平和活動は市井の人の気持ちを動かす。カザルスがケネディの前で「カタルーニャの鳥はピース、ピースと鳴く」と言って鳥の歌を演奏した映像を見たことがあるが、その時は涙をこぼしてしまった。五木寛之の「戒厳令の夜」を思い出した。東京からお客様。空港へ迎えに行き、私の町の各所で商談。暗くなるまで取引先を当たる。一段落の後、夕食会。楽しい会話。相手に迷惑がかかるといけないので具体的なことはかけないが、商談の話とは別に、商慣行や御社の業界の内輪話を聞くことができた。他には外国語学部の話、佐藤春夫の話。帰宅は午後11時半。グロッキー。スイム、ランともなし。
2008年01月16日
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午前5時半起床。終日晴れ。外気温0℃。霜降。午前中デスクワーク。アルバイトの女性は今日から出勤。ハキハキしている。部下も気に入ったようだ。スキルはスキルとして、パートナーは明るい性格に限る。午後、臼杵へ出張。プロジェクトの情報を仕入れるため。夕方、取引先が明日東京からやってくるとの連絡。空港まで迎えの車を手配し、商談先のアポを取る。ランニング8km。45分。調子は可も無し不可も無し。プールは休館日。土佐の地酒専門店「地酒屋」から酒が届く。「土佐しらぎく」「酔鯨純米酒」「美丈夫純米吟醸」「亀泉純米吟醸」。これで毎週末の楽しみが続く。美丈夫と亀泉は要冷蔵、冷蔵庫の野菜室を占拠し、妻がブリブリ。谷崎潤一郎「蘆刈」昨日、妙齢の女性が野菜畑の母に声をかけてくれたという。「立派な野菜ですね」。母が礼を言うと、この辺りを散歩するのは初めて、川向こうに住んでいること、看護師をしていて息子の出産の折、立ち会ったことなどを話したという。まんざら知らないわけではないということで家に招き入れ、茶を出したとのこと。父は近所の農家の青年と会ってみませんかと勧めたらしいが、「私はそんな年ではありませんよ」とていよく断られたらしい。初対面でよくもそんなことをいうもんだ。妻の友だちからチェロのCDを貸して欲しいと頼まれ、過日、10枚ほどを渡していたら、お礼にもち吉煎餅が届いた。美味しいな。今日はミルクティーとカヌレでジャズを聴くが、トラはそっぽを向く。バッハでないといけないらしい。
2008年01月15日
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午前5時半起床。晴れ時々曇り。寒い一日だった。夜半にぱらりと来たようだ、外にちょっと湿り気があった。今日も地下足袋を履く。早朝は風が強かったけれど、8時を回った頃から吹いたりやんだり。木を切る場所は北を背にしているため、今日は時折風が舞うだけ。山までの道中、サヴァリッシュのワーグナーをウィーン響で。リエンチ序曲。ドカンドカンと響く音、馬力がある。リ作業に向かう気持ちを鼓舞された。今日切った木は15本。1本だけ切り損ない、隣の山に倒れ込ませた。ヒッパリ(倒す方向の両サイドだけ切り残し、横に倒れるのを防ぐ役割がある)をキチンと残さなかったため。小振りの檜も5本切った。どれも鹿の角が入り(角で幹を擦り、そこから腐れが入ること)製材しても部分的にしか材はとれない。しかし香りは最高。木を倒す作業で困るのは、チェーンソーから出る切り屑が顔の前を舞い、目に入ること。眼鏡をかけるが横から入り込み、完全に防ぐことができない。親方はランナーがかけるようなグラサンをしている。私も考えてみよう。今日は12時までに3回タンクを満タンにした。この山、大木もう5本切れば作業終了。来週末は1泊2日の予定で読響を聴きに北九州へ出撃するから、残りは再来週かな。帰りにプールへ回りスイム1,600m。今日もお客さんは少なかった。佐伯豊南高校水泳部は10時から午後1時まで練習をしているらしい。3連休の毎日、見かけた。今日はラン無し。休養日。帰宅しての昼食は午後2時を過ぎた。午睡のあと、葦高へ榊を切りに行く。これを持って帰り、薪ストーブの熾火にくべるとモクモク。その際、ストーブ前面の扉を開け、煙を家の中へ充満させる。1月14日の拙宅定例行事。目的は貧乏神を追い出すため。以前、アニメ番組日本昔話に「貧乏神」というのがあった。この日に生の榊で家を燻すと、堪らずに出て行くという話。私はこれが面白く、毎年行っている。娘息子が小さいときは喜んだ。拙宅の家計を振り返ると効果はゼロだけれどそれはそれでいい。煙は木造の家に虫の入るのを防ぐ効果があるという。囲炉裏を切ってそこで火を燃やすのはそのためでもあるのだそうな。朝日駅伝ダイジェストをテレビ観戦。旭化成が最終区の競り合いで勝利。2区の大野は凄かった。安川電機飛松の走りがよかった。駒澤大学は4位。この駅伝はクラブ、実業団、学生等オールカマーだ。どのチームも参加できるいい大会。ところでそれはそれとして、箱根駅伝のことを思うにつけ、もやもやとしたしこりのようなものが膨らむ。この大会は関東の大学だけが出場資格を持つ。正月の特番として人気を博し、全国中継される。注目度が高い。従って学生も集まる。翻って地方の大学は選手が集まらずに苦戦。私の県に日本文理大学という最近進境著しい駅伝部を持つ学校があるが、なかなか箱根を走るチームと争うような人材が集まらないと聞く。全日本大学駅伝の結果がこのことを如実に示している。仕方のない構図なのだろうが、ちょっと残念だな。今日は伯父初七日。母の送迎は妻がした。
2008年01月14日
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昨夜は午前様になった。午前6時起床。曇り時々晴れ。地下足袋を履きチェーンソーを研ぐ。今年初の入山。親方は御神酒を供え、私も若水を上げた。午前中の2時間で杉の大木を10本倒す。汗をかいて、ポンカンが美味い。写真は親方が撮ってくれたもの。今日は風があった。揺れるので無理をせず、途中で中止。山からの帰り、T製材に寄ってみた。桜の板を見物。昨秋、M木材が親方の山から大木を切り出し、それをわいたもの。幅1m、長さ3m、厚さ10cm程のものが6枚。私に1枚くれるという。佐賀の友人にもあげるのだろうな。テーブルにするのが楽しみ。昼食後、駅伝を見ながら一休み。その後運動公園へ出かけランニング4km。膝にちょっとだけ違和感があり早々に切り上げた。スイム1,500m。夕方、ランブルで特製シュークリームを求め、H氏と友人Aを見舞う。しかし外出中で、会うこと能わず。お菓子の箱にメッセージを残しかけたら、娘さんが玄関を開け、応対してくれた。昨春短大を卒業したという。可愛いな。H氏に一杯如何と水を向けたが、奥さんの母が身罷りそう、義理の姉も遠くから帰省しているとのこと。すぐに別れ真っ直ぐ帰宅。今日は初山ということで秘蔵酒、土佐鶴純米大吟醸の口を切る。軟らかく上品な味。初場所、両横綱とも白星スタート。明日の仕事は先送りになった。
2008年01月13日
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午後1時、「導師入場。導師様は○○宗○○寺派○○寺住職某」との紹介がアナウンスされ、5人の和尚さんとともに入ってきた。住職の大和尚と年配格2人はこの寺の檀家の葬儀にいつも来ているのですでに顔を知っている。式が始まると大和尚が祭壇の前に行き、香に火を着ける。その後読経が始まった。6人の声がハモる。続いて太鼓と銅鑼の合奏。トントントン、ジャーンジャーン。配置は祭壇と5mの距離で向き合うように大和尚、その間に太鼓2人、銅鑼2人がそれぞれ向き合う形で並び、もう1人は大和尚の右に控えた。彼はチーンとなるお椀のようなものを鳴らす係。太鼓と銅鑼、同じ種類が並ばずに向き合うのは、互いに目で合図をし合い、間違わないためなのだろうな。リズムを壊し、変な音を出したら大変だ。その太鼓、直径は40cm、厚み10cm。これを下から鷲掴みに持ち、長さ30cm直径3cm程の棒でたたく。張った皮には緑と赤で龍のような絵が描かれている。銅鑼は真鍮製と思しきもので、形は第1次世界大戦でフランス軍がかぶったヘルメットをもちょっと浅くしたようなもの。ペアになっていてる。頂部に赤い組紐のようなものが結わえ付けられ、これを左右の手にそれぞれ縦向きに持ち、擦らせるように打ち合わせて鳴らす。大和尚は直径2cm長さ40cm位の赤い漆の棒を持っている。先には40cmほどの長さの動物の毛と思しきものが沢山ついていてフワッとしている。時折この棒をくるりくるりと回す。10分間の読経と合奏が終わると弔辞。読み手が大和尚に礼をすると、首で頷かずにこの棒をクイッと傾けた。続いて弔電披露。市長、代議士、県会議員と続き、最後に葬儀に出席できない遠くの親戚から寄せられたもの。これが終わると、和尚の1人が大和尚に恭しく礼をし、祭壇にある木で出来た鍬の模型を手渡す。大きさは掌に載るくらいかな。大和尚はこれを受け取て右手でくるくると回し、祭壇の前の床にポイ投げ出す。それからおもむろに「新春の寒雨愁傷として万丈を巡る8千年、残しの夢一朝に・・・おもんみれば・・・常に紋章の安泰を図り、風雨を測り米を育て菜を育つ。・・・生涯全身投入し家運を開く。全魂を傾け・・・」と唸る。漢文書き下し調だ。一通り唸ると、例の毛のついた棒を振り、最後に「喝」と一言。すかさず控えた和尚が大きな火鉢の形をしたものをたたく。ゴーン。この間も10分。喪主、親族、一般会葬の人たちの焼香が始まり、最後の1人が済むまで読経が続く。と言ってもわずか3分ほどだが。控えの和尚が焼香終了を見計らい経を止める合図を送り、葬儀終了。導師退場のアナウンス。またも本日導師お勤めは○○宗○○寺派○○寺住職某でしたとの紹介、式の始まる以前、始まったときと都合3回。ちょっとくどいな。大和尚が退席するとき、5人の和尚が先を争うように先導していった。葬儀社の人は祭壇脇に並んだ生花を玄関の方に出し、会葬者がこの中から好き勝手に好みのものを抜き取って帰る。生花の下にはコロのついた台があり、移動はスムーズ。これはいい。思うところを少し。私には経の意味が分からない。太鼓や銅鑼、振るまいが何を意図しているのかもわからない。この寺が行う葬儀に何度も出席しているが、よく聞いてみると、経の後の大和尚のことばも故人の人となりによって定型のものを少し変えただけ。高尚なことを言っているようだが、注意して聴いてみると意味はとってつけただけの空虚なものに思えてならない。読む経にはどんな意味があり、儀式に一連の所作がなぜ必要なのか、これを行うことにより死者の眠りと送るものの安寧がどのように図られるのか、ということがわからない。人によってはこれらを解し、或いはその雰囲気を重いものとして感じ取り、必要なものとしているのだろうが、私にはどうもよくわからない。ほとんどの檀家は同じ思いだろう。お寺はこのあたりのことをどう考えているのかな。葬儀の金額により和尚の人数を変えたり、戒名1字に何万円という単価をつけたり、住職の位が上がって上等の袈裟が必要だからという理由で檀家に10万円単位の寄進を乞うたり。葬儀はある意味見栄と外聞セレモニーだし、人間の性からそれはそれ、そのようなこともあっていけないわけではないが、考えるにつけどうも心の中は整理がつかない。檀家に対し経の意味を説明し、生と死はどのようなもので、人はどのように処さなければいけないのかということを説明したら、理解が深まると思うのだが。私の知る限りこのようなことは1片もしたことがない。キリスト教は毎週教会で聖書の説明をし、生と死、愛と友情、生きる道標を説くが、悲しいかな日本のお寺はお金がかかるばかりでそのようなことをしてはくれない。(全部のお寺がそうというわけではない。妻の実家はZ寺、ここの若院家は岳父が死んだ後、ことあるごとに経を上げに来ては、これは蓮如上人の何々、かくかくしかじかの意味があるとか、人の死は死として故人があって今の私たちが生かされていることを考えると感謝の気持ちが湧いてきませんかというようなことを話して帰った。宗派や寺による。)さて、以前、私の父は自分の死に経は要らないと言っていたが、私もそう思う。このことばを受け、縁起でもないことは承知で父が先に逝くことを前提に、父の葬儀のことを兄と話し合ったことがあるが、葬儀の持ち方に関する考えは同じであった。私が死んだときも一緒だ。その段取りを書き記しておくことにしよう。
2008年01月12日
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午前6時半起床。外気温14℃。朝のうち雨、昼前にはあがったけれど終日曇天、午後から寒い風が吹き出した。朝、珈琲を飲みながらバッハのヴァイオリンソナタBWV1018、1019。2月のレースに備え10kmのタイムを計測。初めての距離なのでペースがつかめない。4.6kmの周回コースを2周+車の距離計で目見当の800m。冷たい風の吹く中、53分かかった。過日、5kmのレースでは23分台だったので、巧くゆけば50分を切ることができるかな。今日の周回コースは上り下りがあり、2周目の終わりは足に来た。この辺りの調整が難しそう。走り終わってプール、ゆっくり歩いた後、500m泳いで帰宅。ラグビーは早稲田が優勝。馬は不如意。夕方、私の町の沖に浮かぶ大入島(オオニュウジマ)のトンド火祭りへ。と言ってもボランティア。本土から島へ渡る乗船客の整理。私も最終便で島へ渡り、帰りの便の整理もした。ハンドマイクが役に立った。燃え上がる炎は、船着き場の方にいて見ることができずじまい。海部鍋とごまだしうどんを1杯ずつ馳走になり、皆を見送って片付けを終えた後、公民館でオードブルの接待があった。酒には手をつけなかった。今日の練習が水の泡になってはいけないし、本土側に戻ったとき車の運転に困る。帰宅は午後10時半。
2008年01月12日
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私が教養部を終えて学部移行したとき、先生は下顎にできた腫瘍を切除するため、大学病院に入院しようとする矢先だった。3年の時分に授業を受けることができたのは数回だったと思う。4年になって先生の講座へ入ったときも病気休暇中だったが、夏になる前には復帰した。顎の骨を切り取ったため、顔の下四分の一ほどを失い、顔つきが変わっていた。けれどもそんなことはおくびにも出さず、明るい指導を心がけてくれたように思う。教授は同級生のWに電気泳動による解析を指導した。DNA解析が登場する前にあっては、個体群単位の比較はこの方法が先端であったように思う。私は助教授のK先生の下でマイワシの系群解析をやったがもっぱら計数形質の比較、Wの行う実験、シャーレの中がとても気になり、また華やかに思えてならなかった。しかし、おかげで統計学に詳しくなった。先生の専門は北海道の川を遡上するキュウリウオだった。海や河川の生物資源学にあっては権威だったように思う。当時、学生室での飲酒は御法度だった。しかし、講座の学生8人の誰からともなく先生の復帰祝いをしようという話が持ち上がり、禁を解くことになった。ツブガイをメインにしたおでん、手巻き寿司、手作りの身欠きニシン等がつまみ。先生は酔い、Wの頭を鍋で小突きまわし、もちょっと勉強して優秀になれといいながら、悦に入っていた。Wはアイスホッケー部のゴールキーパーで、少しくらいの茶々はものともしない。それがまた先生を上機嫌にさせた。助手のK先生はツブガイの中腸線毒に当たったのか、すぐに自室へ引き込んだ。助教授は高知出身のいごっそう、やもめでいつも苦虫をかみつぶしていたが、私には優しかった。女優は誰が好きですかと水を向けたら八千草薫かなと答え、皆がわいわい冷やかした。講座にはF嬢がいた。大学職員の娘さんで、その関係から講座のことを紹介してもらい、アルバイトをしていた。可愛く、学生たちのアイドルだったが、前述のような宴会があると仕事の合間によく準備を手伝ってくれた。もう一人、学年途中からKさんというちょっと色っぽい女性がアルバイトとして働き始め、講座の手伝いは二人体勢になった。途端に学生は、清純のF嬢を好む派と大人の雰囲気を持つKさん派に分かれた。隣の講座で音響による異物測定を勉強する無二の親友HたちがKさんを飲み会に誘ったとき、酔っぱらった彼女をおんぶしたときのHのことばが忘れられない。「女の体って、とてもやわらかいべな」。今、彼は札幌近郊の市役所で働き、息子は北大医学部を目指しているという。合格すればいいが。手前味噌だが、卒論のことはともかく学部の成績では8人中私が一番だった。しかし大学院への誘いは先生からはなかった。助教授は卒業前にどうして進学しないのかといってくれたが、先生は私の飽きっぽい性格と探求心に欠けるいい加減さを見抜いていたのだろう。8人の中で学位を取ったのはHのみ。ODになっても講座に採用されず、今は東北地方の水産高校で教鞭をとっている。他の者の近況、Wは大手商社の課長。F嬢と結婚するかなと思っていたKはエビの輸入会社を興し、Tは機械専門商社を退職し妻の実家を手伝っていると聞く。Sは大手スーパーのポスシステムを統括する仕事。全く勉強しなかったOは大手証券会社の部長。Sは静岡でマグロ関係の商社に勤務している。話を戻そう。先生は味噌屋の次男だった。家業は長男が継ぎ、本人は九州の大学へ遊学。その後、学位を取ってそのままこのの大学の教官になったという。ウバガイやホッキガイの研究では有名。私たちが卒業して数年後、退官記念パーティの案内があった。私も飛行機を乗り継いで参加した。同期Kと私の二人だったが、講座の先輩後輩100人ほどが集まった。そのパーティ以降、先生とは会わずじまいだったが、賀状だけは出し続け、頂いた。眼鏡の奥大きく丸い目を忘れはしない。合掌。
2008年01月12日
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メロディアスな曲が次から次にあらわれて、物語の世界に引き込まれていく。どの曲もいいが、ドラマチックな終曲は愛の勝利を端的に表現していて大好きだ。余談だけれど、4羽の白鳥の踊りというリズミカルな曲があり、4人の白鳥が腕を斜に組んでトゥでステップを切る場面に流れる。この場面が登場する映画を思い出した。題名は失念したけれど、内容はボリショイのパリ公演だったかロンドン公演だったかの際、その町の主人公の友人がひょんなことから4人の中の一人を見初め交際が始まり、ロシアまで追いかけていきプロポーズ、結婚が決まるという話。その彼女、首が長く眉目麗しく舞台では光っていたが、暮らす家庭は貧しい。小さなアパートメントに大家族で住んでいるという設定。毎日の食事を取ることができるとか、今日も朝がきたとか、当たり前のようなことを幸せに感じる信仰心の強いおばあさんを中心にした家庭の娘は、家族の期待を一身に受けていることから結婚話は微妙な雰囲気となる。最終的には、やむを得ないということでゴールインするが、いい映画だった。私は、美しさ、美の権化ともいうべき舞台の白鳥と、それを演じる彼女の美しくはあるが情の深さと天然ぼけ、慎ましやかな実生活にとても惹かれた。
2008年01月12日
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午前6時半起床。雨模様。未明はパラパラだったが、夜が明けてかららは傘の要る降り方に変わった。葬式を控えて昨夜のうちに今日休むことを決め、あれこれと伯父のことに思いを巡らしていたら、思わず夜更かしをしてしまい、就寝は午前2時前。理由はもう一つ、一昨日配達されていたのに、ポストを覗かなかったため昨日になって知ることとなったハガキの内容にもある。K先生の奥さんからの寒中見舞いだった。昨秋、先生が亡くなったとの内容。もう30年近く前、私が学部生だった頃、K先生は講座の教授だった。毎年頂く年賀が届かず心配していたが、そういうことだったのか。午前中、ぼーっとした時間。珈琲を飲みながらゲルギエフ、マリンスキー劇場管で白鳥の湖全曲を聴く。午後1時から葬儀。農協の葬祭場。雨に降り込められた。涙雨というのかな。親戚一統が集まった。弔辞は父。皆の涙を誘った。式が終わると会場の隣に用意された精進揚げの会席につき、食事を頂く。隣に座った母が故人の人となりや回りに着席している顔を知らない人のことを教えてくれた。私の母の父は養子だったこと、母の父は9人兄弟で他の人たちはどこそこの家に嫁に行ったとか、どこで生活をしているとかいう話。民法上親戚は6親等までということになっているらしいが、この話を聞くと、遠い親戚は多い。帰宅して一休み。その後雨上がり、運動公園の周回コースをランニング。ラン8km+スイム450m。疲れて思うように泳げなかった。夕食は司牡丹を燗にして葬儀から持ち帰った折の精進料理をつまむ
2008年01月11日
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午前5時半起床。今日も霧が出たが昨日ほどではない。外気温4℃。終日晴れ。ぽかぽか陽気。気温が上がった。大分出張。社用車で。用件は1時間半の談判でほぼこちらの思惑どおりになった。訪ねた会社の玄関で思いかけぬ人二人と会う。以前担当したプロジェクトの関係先、O氏とA氏。二人とも今の私の仕事を知っていて、しばし世間話。昼食は「なしかラーメン」と餃子。帰社は午後5時前。東京の取引先から連絡有り、来週、4名のお客様が見えるとのこと。いよいよ本格的な交渉が始まる。サポートをお願いする臨時職員も決まったことだし、連休は来週以降に備え英気を養おう。大分からの帰り、傾いた夕日が薄い雲ともつかぬ靄のようなものに遮られ、弱々しい光になっていた。私はこの状態、寒々しい光景(今日は温かったけれど)が好きだ。ターナーの絵もしくはヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」の冒頭のような感じかな。心象風景としてはマンの「トニオ・クレーゲル」に描かれた町。車中にはFM放送。k550。アニマ・エテルナの演奏、指揮はジョス・ファン・イマゼール。冒頭からいきなり全力疾走。随分な聴かせ方をしてくれるなぁ。夕方ランニング7キロ、S山~S浦コース。今回が初めて。急な上り下りとだらだら坂の上り、また一気の下りと、アップダウンが2回。2月のレースに備えての練習コース選択。走り終えたら真っ暗になった。交通事故に気をつけなければ。途中、城山裏にある岳父の墓へ参る。このコースの時はいつもそう。プールを休んだ。喫茶ランブルの近くで猫の喧嘩を見かけた。両者とも尻尾の毛が逆立って狸のそれのように見える。身じろぎせず、お互いを見据え、ニャーゴンヤーゴと威嚇しあっている。面白いといえば面白い。帰宅、シャワー、夕食の後、通夜へ。母を連れ妻と3人。伯父は85歳だった。この1年は寝込んで入院していたが、それまではほとんど病気をしなかったらしい。農業、米作り一筋に生きた人。尋常高等小学校を卒業後満州の会社に勤めたが、後に海軍へ入隊。戦火をくぐった経験は定かでないもの水兵姿の写真が残っている。戦死した兄の妻を娶り、兄とのあいだにあった二人の子どもを育てた。自らは子をなさなかった。母はそれが戦争なのだという。親戚の皆は彼からよく叱られたというが、確かに毒舌ではあった。ただ、私と私の妻にはとても優しかった。明日、出棺が午前9時過ぎ、葬儀は午後1時から。休暇を取らなければなるまい。NHKドラマ「おシャシャのシャン!」を見た。いい。思わず涙が出た。再放送があればいいな。
2008年01月10日
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午前5時半起床。外気温4℃。霧の深い朝。私の住む地区は北向きに少し開いているものの総じて盆地になっていて、この時期は深い霧が出やすい。午前7時半、今日の視界は50mを切っていた。ライトを点灯しなければ車は走ることが出来ない程度。しかし、乳白色の風情はバッハによく似合う。ということで出勤時は車中でマの無伴奏チェロ。日中はよく晴れ、気温も上がった。春霞のよう、交差現象と見まがうような視界の悪さ。天気予報によると週末は雨。親方との山行きはどうなることやら。終日デスクワーク。プロジェクトに向け臨時職員採用のため面接。偶然が重なり、いい人を採用できそう。モチベーションを共有できそうだ。夕方ランニングは5km+スイム750m。ランはちょっと力を間引いてのタイムトライアル。26分。きつい登りのあるコースなのでまあまあか。伯父が死んだ。母の兄。通夜は明日だろう。妻が母を伴って取り急ぎの見舞い。明後日は仕事を休むことになりそう。明日は大分市へ出張。プロジェクトに関連し某社と航空券の取得交渉。予約端末設置の話も出そう。介在するブローカーを如何に説得するか。静かな夜、クイケンのヴィオラダガンバ。音が流れ始めたらトラの尻尾が丸くなった。疳の気に触ったのかな。
2008年01月09日
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午前5時半起床。外気温2℃。終日デスクワーク。昼に弊社へ同窓会幹事のIと公務員のIが訪ねてきた。50歳を記念しての同窓会を来春企画するということで、その準備について下話をした。夕方、約束をしていた人を訪問したあとランニング5km+スイム1,000m。ランは調子がいい。今日、同僚のS氏が宇目の里健康マラソンの団体申込書を持ってきてくれ助かった。個人で申し込む面倒が解消された。10kmの参加料1,500円。夕食はトマトソースのパスタ。過日頂いたヒオウギガイに混じっていたボウシュウボラ(ホラ貝のこと)を刻み、昨日親方から頂いたコウイカと合わせて具にした。妻の方からワイン抜栓の提案有り。コート・デ・ローヌのオリジーヌ・シェッド2004。シラーとグルナッシュ。オーソドックスな味。まろやか。でも鷹の爪の利いたパスタにはちょっと腰が弱かったかな。(平日はノンアルコールとの誓いが早くも崩壊)昨日、友人Kが本とCDを貸してくれた。本は金聖響+玉木正之『ベートーベンの交響曲』講談社現代新書 この手のものは数多ある。1番から9番までのそれぞれを解説しているが、興味をひかれない。本題よりも冒頭の対談のほうに新鮮みあり。小林秀雄がモーツァルトまでは音楽を純粋に音楽として表現していたけれどベートーベン以降の音楽には文学がまとわりつくようになったと書いたとか、ベートーベンは「自分は金儲けのために音楽を作っているのではない」とはっきりいっているというようなことが書かれていて面白かった。CDはパールマンとメータ、ニューヨークフィルのカルメン幻想曲他。パールマンのテクニックは最高、音も若々しく瑞々しく、かつ深い。完璧な技術と透き通った音は、曲によっては物足りなさを感じなくもないが、これは欲というか手前勝手な意見であり、もしファンの皆さんがいたらごめんなさい。少なくとも私がストックする名盤のベスト10には入るものですから。友人Aが仕事を休んでいるという。メンタル面のことが原因らしい。心配だ。中間管理職の彼がどのような悩みを抱えているのかわからないが、奥様や子供さんのことも知っているだけに、家族皆のことを思うと私も辛い。賀状について。正月の松が明けるとそれまで日に2~3枚あった返信の賀状も絶える。今年届いたものを改めてめくると、私の名前を手書きしてくれた人は1/5くらいかな。多くは美しいプリンタ文字。便利になったものだ。さて、その宛名のことだが、これは手書きがよろしい。裏面のデザインはパソコンの普及で多種多様になり、一昔前のように同じものは一枚もない。それはそれで楽しめるが、近況などを記した手書き文字が一行もないと、その人の最近の様子などは知るよしもないということになる。定型句だけだと、そのデザインを選択したのであろう想いを推し量ることでしかその人のことを感じるすべがない。ところが宛名が手書きだと、ずいぶんと違ってくる。楷書、急ぎの筆、妻や子どもに書かせたと思しきもの、色々あって肉筆はその人となりを感じさせてくれる。さらに、これが妙齢の女性からのものだったりすると、文字の向こうに見え隠れするそこはかとない雰囲気がこちら側に移ってくるようで、妙に艶めかしい。私の場合、年に1回だけ万年筆を使い賀状の宛名を書くが、達筆とはほど遠い金釘流。従い、自筆に依れば相手に思いが伝わるという気持ちはあまりない。一人一人の名前を認めると、その人のことを改めて思い返すことが出来、年の瀬にいろいろなことを振り返る時間を持つことの出来るのがその理由。ルツェルン音楽祭、今日はヤンソンス、バイエルン放送響のマラ5。録音技術がいいのだろうな。タンノイで部分を聴いたが、絶妙のアンサンブル。音楽の仕立てはチェリ似。
2008年01月08日
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午前6時起床。午前3時に床を離れてもよかったが、それでは睡眠が足りないと思い直し、二度寝を決め込む。外気温7℃。未明から雨になったが朝のうちに上がり、春霞のような天気になって、気温も上がった。日の出日の入りの表によると、明後日が一番遅く07時18分。FMの番組「バロックの森」が終わってもまだ薄暗い。しかし夕方は日の入りが17時22分。最も早い昨年12月8日の17時06分に比べ16分遅くなっている。夕方のランニングには都合がよくなるばかりだ。照明のある歩道を往復するのは興醒め。昨日、風がなく陽気のいい午前中、運動公園の周回コースを走っていたら、日本文理大学附属高校陸上部の女子生徒6人が詰めての練習をしていた。私をスーッと抜いていったが、その際、ふわっといい香り。練習の時もコロンをつけるのか。背中にはほんのり汗をかいていてランニングに黒い濡れた痕。、香りとともにそこはかとない色気が漂う。今年の年末は都大路を走ることができるといいな。出場が決まったら名もないおじさんは君たちを焼き肉屋に招待しようかな。私にはそれくらいの財力はある。先日、白神山地の番組を見た。内容は、新月の時に木を切るとそれはすばらしい材料になるというもの。伐採が大寒前後に重なれば言うことなしとも。今日電話で親方と山の木を切る話をしたが、最適なのは明日。休みを取ることができるといいがそうもいかない。月齢は太るが入山は今週末になりそう。今年初めての入山だから、御神酒を荒神に供えることを忘れないようにしよう。「酔鯨」を銚子に入れようかな。宇目の里健康マラソン大会の申込書を書く。10kmにエントリー。2キロ過ぎから折り返しまで強烈な坂のあるコース。楽しみだ。夕方、ランニング5km。プールは休館日。駐車場の照明は煌々と輝き、下段に広がる広がる水田から霧が立ち上ってくるのが幻想的。返す返すもカメラを持っていないのが悔やまれる。残念。帰ると親方が釣りアジとコウイカを届けてくれていた。早速刺身にして夕食。トラもおこぼれをもらい、ニコニコ。今日から私はノンアルコールの予定だったが、急遽変更。妻が渋い顔。でも酔鯨純米吟醸と豊後水道の釣りアジの組み合わせはそうそうあるものではない。おっとコウイカもなかなかのもの。いくぶん小型だがそのぶん軟らかく口中で溶けるが如くの甘み。今日の夜は私のものだ。今日からNHKFMでルツェルン音楽祭2007。バレンボイム、ウィーンフィルでブル4。スピード感あふれる怒濤の演奏。音楽祭の放送は金曜日まで続く。名演の予感。FMをエアチェックするため、もう一台ヤマハのデコーダーを購入しようかな。自分へのお年玉第2弾だな。山の神に相談してみよう。
2008年01月07日
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午前5時起床。霜降。外のバケツに厚い氷が張っていた。NHKバロックの森でペルゴレージの悲しみの聖母。40数分、これに没頭。朝食は鏡餅を焼いた雑煮。昼前、庭にメジロが数匹。いい声で鳴き、金柑の実をついばんでいる。春だなぁ。梅の蕾が心なしか膨らんだ。ラン7km+スイム900m。残り物で遅い昼食、ビールがうまい。馬は不如意。午後ちょっとだけ薪割り。今年初めてタンノイを鳴らした。モーやんのピアコン20番、24番。バレンボイム、ベルリンフィル。絶品。蒲団を干したら温かく膨らんだ。NHK大河ドラマ篤姫を見る。その後映画釣りバカ日誌17。趣味ではないな。宇野功芳『新盤・クラシックの名曲・名盤』講談社現代新書 著者の独断と偏見はいつものパターン。昔のものの焼き直し。買って損したな。レコードの時代、彼はいい文章をジャケ裏に書いていたけれど、晩年はちょっと違う方向に行ってしまった。教条的だったけれど大木正興が懐かしい。
2008年01月06日
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午前5時起床。外気温0℃。霜降。晴れ。新聞まとめ読み。走り初め泳ぎ初め。ラン4km+スイム1,000m。1時間ほど汗を流した。運動は10日ぶり。量は控えめにした。T中学水泳部が泳いでいた。引率は同級生のK。小中学校が統合され、校長、教頭のポストが減り、管理職になることの出来ない教師が多いこと、教頭の仕事は大変だから誰もしたがらないこと、大過なくをモットーにすれば校長の仕事は楽勝、同級生が3人教頭になったこと、今年の春Tが教頭になりそうなこと、Jリーグを目指した息子が福岡の大学を卒業しJFLのチームへ入りそうなことなどを聞いた。昼食はゴマだしうどん。馬は如意。ちょっとだけ薪割り。夕方、妻と本匠にある「牧山の湯」へ行く。番匠川の上流、谷間にある素朴な湯。温度が低く、沸かしている。露天に浸かり、暮れなずむ山谷の様子を眺めると、ホッとする。この場面では一年の計を立てたり、東京に就職する娘を心配したり、都会で学生生活を送る息子のことを考えたり、と言うような思考になりそうなものだが、そうはならない。ビールを飲みたくて仕方がない。サウナを1回、気泡風呂2回。風呂から上がりまっすぐカウンターへ。生ビール1杯、缶ビール1本。客は少ない。作業ジャンパーを着た風呂上がりと思しき老人がうどんを啜っては焼酎を飲み、横になってはまた起きてうどんを啜るということを繰り返している。家族連れ、走り回る子どもたち。帰りは妻の運転。夕食は猪の内臓を煮たものに酔鯨純米吟醸を合わせた。ちょっと刺す。発砲しているのだ。美味。奥が深い。この酒は温度管理をキチンとしなければ飲むことが出来ない。美丈夫もそうだった。先日まで、この2本の一升瓶が冷蔵庫の野菜室を占用していて、妻にブリブリ言われた。専用の冷蔵庫を買おうかな。ワインセラーも欲しいな。でも贅沢だな。今日聴いた音楽、スターデジオでショパンのワルツ、ポロネーズ、エチュード、ソナタ。児玉桃の幻想即興曲はよかった。冒頭が超スローモー。コンチェルトはプログラムに無かった。話は変わるが、フィギアスケートにはラフマニノフのピアコン2番がよく使われる。しかし、ショパンの1番で滑る人を見たことがない。素人考えだけど、振り付けが難しいのかな。浅田真央のイメージにはよく合うと思うのだけれどなぁ。フィギアといえばビット。サラエボのカルメン幻想曲が瞼に焼き付いている。彼女はノーメンクラツーラと関係があったとかなかったとか。その件で興ざめしたが、その後、再度カルメンを舞ったことでやはりビットは素敵な方だと思い直した。勝手な話だがもう一つ。学生時代、野球部の監督だったA先生の話。札幌オリンピックの時、医学部、教育学部合同で選手の健康管理を行ったが、その時、教官であった彼はトレセンでフィギアの選手担当だったという。酔うと、私たち学生を前にジャネット・リンが如何に美しかったかを自慢した。
2008年01月05日
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午前5時起床。外気温-1℃。霜降。晴れ。弊社は今日から営業。終日デスクワーク。前の職場で手がけたレポートの手直し。ほんの些細な幾つかの点について、随分悩んだ。プール、ランニングを今日まで自重。これで延べ9日間運動しなかったことになる。帰りにランブルへ寄り特製のシュークリーム4つとコーヒー豆を求めた。妻への土産。夕食はヒオウギガイとアジのフライ。「司牡丹吟醸超辛口船中八策」を燗にして合わせた。夜、照明を消し灯油ランプ2つを灯し、コンサートモードへ。クレーメルのBWV1002,1004,1006。バボラークのホルンでBWV1007,1008,1009。痺れた。なあトラ、いい正月だなぁ。ところでお前、うちの鏡餅の上に載せてあるミカンをオモチャにしてはいけないよ。
2008年01月04日
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午前5時起床。晴れ。北風はやんだが寒い。霜降。昨夜遅く、いや未明に吐き気がして嘔吐と下痢。原因は年末年始に薬を飲んで弱った胃へ焼肉を入れたからかな。それ以外考えられない。でも目が覚めたら体調はいい。痰の出も減った。谷崎を読みながら新聞の来るのを待つ。ストーブを焚くと部屋が暖まり、とても心地よい。朝食を食べたあと、午前10時前、近くの神社へお参りし、豊後高田市へ向け妻と出発。今日はその町でチェロコンサート。エリック・マリア・クテュリエのバッハ無伴奏全曲演奏。「清照」という河口近くにあるホテルが会場。昭和の町の「伯剌西爾珈琲舎」という喫茶店でカレーを食べ、ちょっとだけ散策してから会場へ入る。演奏は素晴らしかった。スピード感の中にあってバッハ特有の深い精神性がよく醸された。以前、アメリカの音大教授の端正で教条的な演奏を聴いて痺れたことがあったが、私の好みは今日の方い。ところどころにミスはあるものの、全体としてのまとまり感が強く、余韻がおおきい。熱演だった。氏はまだ40歳にはなっていないだろうな。精神を統一し、小さな、しかし力強いうなり声とともにひき始めた。1番プレリュードの冒頭から引き込まれた。松脂を利かせた無骨感のある弓捌き。休憩を挟んで5番まで彼は瞬きもせず、はるか会場の奥、一点を見つめたままうねるように紡いでいく。チェロもよく鳴った。演奏会が跳ねた後、通訳の女性に「この楽器は何ですか」と尋ねたら「チェロです」。隣の妻が笑い崩れた。私「いや、そうじゃぁなくてその、制作者の名前とか・・・」。彼女「あっ。そうですよね。」と赤面。そのあと、このチェロは流れ物(質流れ)であり、明らかにすると関係者に迷惑がかかる、話したくない旨との答えが返ってきた。見ての感じは特別ふ古くはないようだけれど。楽器のいわく因縁はともかく、彼女には私の姿が、チェロコンサートが跳ねた後、その楽器の名前が判らずに問う間の抜けた男に見えたのだろうか。妻の笑いは家に帰り着くまで止まらなかった。さて、氏はベトナム人。風貌は日本人のよう。幼い頃母親を亡くしたことがパンフに書いてあり、演奏に先立って、フランス人の家庭へもらわれていったというような旨の紹介もあった。コンセルバトワールを首席で卒業したという。演奏中、遠くの一点を見つめるような視線の先にあるものが何なのか、想像をかき立てられる生い立ちのようだ。帰りに妻が宇佐神宮へお参りしたいというので立ち寄る。午後5時過ぎ、混雑はしていないがかなりの人出。駐車料金を400円取られた。参道にはたこ焼き、焼きそば、焼きトウモロコシ、その他縁日でよく見る類の出店が並ぶ。奥の神殿に近づくと、鬱蒼とした森になる。途中からは破魔矢や札、お守りを売る建物が続く。アルバイトと思しき巫女さんたちは全部で30人くらいかな。白い羽織に赤袴、その一人に寒くないかと問えば「寒いです」。神社から電気座布団を提供されているが、折からの冷え込みにはあまり効果がないと嘆いた。神殿のまえでは関係者数人がガードマン立ち会いのもと賽銭箱のお金を集めているところに出くわした。ちりとりですくい、袋に詰めている。細長い枕の格好をしたものがすでに10本ばかり台車の上に積まれていた。この袋、銀行のものかな。おみくじの場所に人だかりが出来ている。近づいてみて驚いた。一等北海道ペア旅行、二等高級バック・財布、三等云々という大きな看板。これではおみくじではなくただのクジだ。まあそれでもお札やおみくじは欲しい人、買いたい人がいるのだから、それはそれでいい。妻の話によると、この神宮、トイレットペーパーが備わっていないのだそうな。全てかどうかは判らないが、少なくとも中央にあって一番先に目につくところのどのボックスにもなかったという。ねぇ神官さん、クジ付きおみくじを500円で売ることにわたしはクレームをつけないけれど、トイレットペーパーは補充してよね。私は賽銭を投げず、柏手も打たなかった。境内のたこ焼き屋で大きなタコ入りという6個500円のものを買って食べたら、確かにそうだったので満足。帰宅は午後7時半。風邪に伏せった年末年始だけに、このコンサートでやっと正月気分。心が華やいだ。ラリビエール2004を抜栓。熟成感あり。いいワインだ。箱根駅伝のダイジェストを見ながらスモークサーモンと合わせる。
2008年01月03日
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午前6時半起床。終日晴れ。北風はだいぶ収まった。箱根駅伝のスタートから3区までを見た後、ショッピングモールの初売りへ。イージーオーダーのスーツを1着注文。胸囲と腹回りが既成の物と合わなくて、こんな機会に作っておくと安上がり。着心地がよく、しかも通常の値段の半値以下。昨年もここで2着あつらえたが、その時に比べウェストが3センチ縮小。嬉しいな。風邪はだいぶよくなった。咳が浅くなり、痰も切れやすくなった。午後は大学ラグビーを2試合と箱根駅伝のゴール。明治が負け、帝京に早稲田は辛勝。駅伝は竹澤が区間賞、上野裕一郎は残念。早稲田は往路優勝。早大、いい響きだ。全国の学生はあこがれるだろうな。地方の大学を卒業した私にとっては、今もって首都圏のそれはトラウマのよう。それはさておき、息子の通う大学も出場していて、この接点がなければ別に何ら関係なく、ああそうなのというようなことでうっちゃっていた筈だが、こうなっては応援してしまう。やはり親馬鹿か。ハイドシェクのCD4枚が届く。とりあえず悲愴、月光、熱情を聴いてみた。最初は奇を衒うような、なんだかラフマニノフをひくフジコ・ヘミングのようでなんだこれはと思ったが、熱情はなんのなんの、奥が深く精神性に富む。大分のアンコール、バッハは伊達ではなかった。その後はベスキでバッハの無伴奏チェロ。谷崎の小説は捗らず。本日、酒解禁。土佐の美丈夫。夕方、暗くなって妻の実家に年始へ。線香を上げ、焼肉を義母、叔母、私、妻の4人で囲む。娘と同じ年の義姪21歳は熊本の警察官29歳と結婚が決まったという話、今週末は義母たちが温泉へ行く話、年賀状の配達が遅れている、健康が大切、と言うようなことが話題に上る。ビールと燗酒が出て、私は酔っぱらい、健康は大切だが後100年経てば、今生きている人は誰も死んでいるからそう深刻にならなくてもいいというような話をしてしまった。ちょっと座がしらけたかな。帰宅したら妻が肩こりを訴える。指圧の心母心ということで揉みほぐしてやった。夜、冷蔵庫に残っていたAOCのCERENSを飲み干す。
2008年01月02日
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午前5時起床。晴れ時々曇り。終日北西の風。終日ストーブを焚く。家から一歩も外に出なかった。今日顔をあわせた人間は妻のみ。朝食はヒオウギガイの炊き込みご飯と味噌汁。昼はそれを握ったおにぎり。晩ご飯は鯵の塩焼き。午前中二紙を熟読。午睡をしたあと音楽。べーやんのバイオリンコンチェルト、パールマン、ジュリーニ、フィルハーモニア管の組み合わせ。オリエント風のメロディを持つこの曲は大好きだ。次はアレキサンダー・クナーゼフのバッハ、無伴奏。急緩急のメリハリがいい。スピード感と静かに沈潜していく有様との対比。ウーンいいねぇこの感覚。ところで、拙宅の猫トラはこの曲が流れると決まって定位置に座り聴き耳を立てる。以前、マッキンの前で撮った写真を載せたけれど、本当に思索的な猫なのだ。嘘ではない。まだ咳と痰が出るものの間隔は開き、随分楽になった。しかし走り初めをするまでには至らず。30日、大晦日と風呂に入らなかったが、寝る前に浴びてスッキリした。トニックの爽快感が堪らない。缶ビールに手が伸びかかったが、グッとこらえてノンアルコール。いいぞ。賀状を読んで。卒論指導を受けた助教授からの賀状は私の宛名の文字が乱れていた。毎年頂いていた教授からのそれは今年届かなかった。高校の恩師(68歳)はハーフマラソンを1時間40分台で走るとのこと、封書で近況を報告してくれた。友人、知人からのものはほとんどが幸せの便り。皆つつがなく一年を過ごしたのだな。他意はないが思想めいたことを少し。今日の地元紙に立花隆のインタビュー記事。内容はともかく語録にしたい文章があった。「壊れていない車は修理するな」これはオーストラリアが大統領制提案を否決して英女王を国家元首のままとした保守派のスローガンだ。彼は日本の憲法もそれでいいと説く。佐柄木俊郎『改憲幻想論―壊れていない車は修理するな』(朝日新聞社)の論理をしてのものかな。私はこの考えに与したい。
2008年01月01日
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