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午前6時過ぎ起床。夜来の大風のせいで、何度か目が覚めました。びゅーびゅーという音が凄かったです。梅が咲き始めました。本日付け朝日の特派員メモは、ロンドンの地下鉄についてでした。車内で乗客が人参スティックを食べているのに驚いた、とありました。立ったままサンドイッチはおろかパックの鮨を醤油につけて食べる人も、とのこと。驚いた記者は、続いて、この光景を見ると日本の電車内で化粧する女性をみても「ぜーんぜん」驚かない、と結んでいます。私も稀に似たようなことをします。福岡へ行ったとき、帰りの一杯が楽しみなのです。出張でもプライベートでも大概こうします。博多の駅ビルにあるデパ地下で上等の刺身を見繕い、併せて全国の純米吟醸を物色、酒屋さんに猪口をねだり、電車に乗ります。すぐに買ったものを開き、チビリチビリやりながら、ダラダラと本を読む時間がとてもよいです。でも、隣に御婦人やお嬢さんお坊ちゃんが座ったときは出来ません。迷惑がられます。そのような時は、席を替わります。隣がオッさんなら問題ありません。オッさんが横目でチラチラ見るようでしたら、一献如何と声を掛けます。意気投合したこともあったような気がします。朝、8時半に家を出ました。強風警報が出ていました。運動公園の陸上競技場内を走りました。13km。タータンと芝の上ですから、足腰に優しかったです。地元の中学陸上部3校が、思い思いの練習をしていました。そのうち、一つのチームの監督はオリンピックランナー成迫健児選手の父親です。彼とは同じ歳、住まいも近く、高校も一緒でした。10種競技の選手で、早大に進みました。今は体育の教師です。正月にあった同窓会について、立ち話をしました。トラックに日本文理大附属の駅伝部がやって来ました。アップの後、集合し、監督からアドバイスを受けていました。ストレッチをするふりをし、近づいて耳をそばだてました。現在のチーム力、練習に取り組む心構え、目指すもの、襷をつなぐという意味、などについて、かみ砕いた言葉で語っていました。監督は60年配でしょうか。語り口に心がこもっていました。聴き入る少年たちの目も澄んでいるように感じました。今年の都大路、男女子に続いて男子も赤いユニホームが駈けたらいいな。頑張れよ。成迫選手の父親と会ったことがきっかけで、競技場の中を走りながら、北京の鳥の巣をイメージしました。フィールドのサイズはここも鳥の巣と同じ広さです。スタンドがあるとするならば、どのような感じなのか。おおよその姿を頭の中に描きました。そうすると、さほどの大きさでもないような気がしました。リ・ネイがワイヤーロープに釣られ、走る格好をしたのを思い出しました。走り終えてプールへ。スイム1,000m。喉が渇いてどうしようもなく、帰りにスーパーで糖質ゼロの発泡酒を2缶買いました。帰宅してすぐにこれをやっつけました。その後昼寝。親方が板と絵の具を持って、訪ねてきました。看板を書いて欲しいというのです。チョロチョロっと書きました。駄賃は、親方の椎茸山取り放題です。何時行っても構いません。断り無しに黙って獲ってもかまいません。親方です。顔出し如何との問いに、かまわんとのことでした。饅頭を2つ食べました。甘党です。こんな看板を書きました。こんなのも書きました。夕方、送別会がありました。昨年中に退職した取引先の支店長3人を送る会でした。町の会場まで、親方に送ってもらいました。妻に送ってもらおうか、それとも車で会場へ乗りつけ、帰りは代行にしようか迷っていたのでした。
2009年01月31日
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午前5時過ぎ起床。外気温16℃。雨です。夜半、バラバラという音で何度も目が覚めました。昨日、プールから帰る道すがら、春の雨を感じましたが、これで拙宅梅林庵の梅が咲きます。三木清『読書遍歴』を読みました。その中に次のような下りがあります。長いですが引用します。「自分について語ることは危険なことである。それは卑しいことであり、少なくとも悪い趣味であるといわれるであろう。私は書物について書きながら自分について、また他の人々について書くことになった。どのような本を読んだかは、ある意味ですべて偶然的なことである。しかし他方それはまたすべて必然的なことである。この偶然性と必然性とをいくらかでも示すためには、人間について、とりわけ自分について書くのを避けることができない。それから生じ易い危険を逃れる手近な方法は、できるだけ簡単に、事実だけを記すということである。」「~できるだけ簡単に、事実だけを記す~」ということは、大切なことだと思います。三木清は大哲学者で、自分について語ることの意味は、ブログに日常を書くようなものとは大違いですが、なんだか共通するものもあると思うのです。パクリですが、ブログを書く時のテクニックとして、「簡単」と「事実だけ」を旨とするのがよいと思います。夕方ラン4km+スイム1,000m。今日は暖かかったので、軽装で走り始めました。途中、雨が本降りになり、濡れました。仕方なしに走るのを止めました。今日の夕食はスパゲティ。久しぶりにビールを飲みました。物足りないというと、カズノコが出てきました。「特別本醸造美丈夫」の燗をつけました。いい気分です。この陶然たりが堪りません。今日の写真は、米水津(よのうず)の空の公園付近から撮った一枚です。題して光る海。
2009年01月30日
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午前6時前起床。外気温8℃。暖かい朝でした。予報では午後から雨。傘を持って出かけました。昼過ぎからポツポツ降り始め、夕方は本降りでした。取引先に元マラソンランナーがいます。年齢は60歳、別大マラソンのベストが2時間30分くらいだということです。地元の陸上関係者で彼を知らない人はもぐりです。そのKさんと電話で話す機会がありました。LSDのことを話したら、それはよい、といってくれました。ただ、アスファルトの上ばかり走っていると故障するよとも。私の体重を知っていてのことです。LSDは芝生の上で、とのことでした。適当な場所が運動公園にあります。しかし、同じところを2時間近くグルグル回るのは気分的に辛いです。iPodを買おうかな。音楽を聴きながらだったらよいかも。ブルックナー1曲で1時間近くが経ちます。終日デスクワーク。同僚の企画にスモーカー(燻製器)が必要でした。依頼を受け、私が注文しました。いろいろな型があり、比較しましたが、コールマンのものがよさそうでした。同僚は、旅行会社の商品を少しだけ扱っています。マイナーな顧客を受け入れた際の個別ニーズに対応するため、私の町の農家へ燻製作りを指導するのだそうです。指導した後、燻製のおこぼれが私に回ってくるとよいのですが。ワインと合いそうです。夕方運動公園へ。今日はランを休みました。スイム1,400m。同じコースを若い夫婦と泳ぎました。雨の夜、二人してプールを泳ぐの図は何とも微笑ましく、健康的でした。今日の晩ご飯はキムチ鍋でした。食べながら、汗をかきました。韓国の餅が入っていました。直径1cm、延長6cmくらいの円筒形です。初めて知りました。今夜はファジル・サイのバッハを聴きました。若々しい演奏です。テクニックは素晴らしい。でも、少し雑に聞こえます。偉そうですが、一度、ポリーニがしたような沈黙の研鑽が必要かもしれません。写真は、昨秋、札幌中島公園で拾ったドングリです。芽を出そうと、こんなことをしています。
2009年01月29日
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午前6時前起床。外気温-2℃。霜降。終日デスクワーク。ちょっとした用事ができて、彦岳の山麓を歩きました。この山は標高639m。佐伯市と津久見市の境界にそびえます。豊後水道、佐伯湾を一望。私の住んでいるところから見ると、女性の乳房のような形をしています。お椀型で、頂きに大杉が何本も立っているのでそう見えます。普段、遠くから眺めてばかりでしたが、主峰へ近づくと、所々岩がむき出しでした。後で聞いた話ですが、修験の山だそうです。今日は見ることができませんでしたが、「のぞき」という恐ろしい岩場があるそうです。私は高所恐怖症なので、近づきたくはありません。君子危うき(乳房)に近寄らずです。写真は彦岳の中腹です。夕方ラン6m+スイム500m。今日はスピード練習でした。明日は雨模様。今日走っておいてよかったです。マッキントッシュ2205のヒューズがとびました。タンノイで音楽を聴くことができません。システムへ毎日火を入れるというわけではありませんが、聴きたいときに思うに任せないのは、どうもいけません。回路図を見て注文するか、現物を持って電気店を訪問するか。今日の晩ご飯はうどんでした。
2009年01月28日
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午前6時前起床。外気温2℃。終日曇り、寒い一日だったです。終日デスクワーク。夕方、ラン6km+スイム500m。途中、便意を催し、プール更衣室まで飛んで戻りました。日が長くなりました。もう少し走ってもよかったのですが、汗もかいたしということで、やめました。トレーニングをした日は、帰宅がいつも午後8時頃になります。プールでシャワーを浴びるので、家の風呂には入りません。いつも2時間ほど先に帰宅した妻が、夕食の準備をして待っています。ありがたい。私は、パジャマに着替えて、燗を付けるだけ。ストーブにも火が入っています。今日は、そのストーブ、燃えが悪いと言われました。よく見ると、半生の木を燃やしています。切り口に樹液が染み出て、ジュージューたぎっています。ストーブにも煙突にもよいわけがありません。薪は乾燥したものに限ります。でも、まぁ少しだけならいいかと思い直し、そのままにしました。今夜は鮭のクリームシチューでした。昨年末に北広島の友人が送っていたものです。バター焼きにしたり石狩鍋にしたりしましたが、量が多かったので、未だに楽しむことがでいます。今日のシチューは特別味がよかった。風邪気味の妻が自分も食べたくなって作ったのでしょう。彼女は、パンを焼いてワインの残りを飲みました。私は燗酒でしたが、日本酒ともよく合いました。メモ徳富蘆花 『自然と人生』『青山白雲』『青蘆集』『思い出の記』三木清『読書遍歴』から教科書というものは、どのような教科書でも、何らか功利的に出来ている。教科書だけを勉強してきた人間は、そのことだけからも、功利主義者になってしまう。たいていの人は先ず文芸書を通して読書家になるのではないかと思う。中学時代の後半は、私の混沌たる多読時代であった。写真は、火鉢で餅を焼くの一枚。週末は妻がこれをぜんざいに入れ、ブランチにします。
2009年01月27日
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午前6時半に起きました。昨晩は早くに床へつきましたが、昨日一昨日の疲れか、寝坊しました。こんなことではいけません。朝の外気温-1度。終日曇天でした。終日デスクワーク。今日は練習休養日でした。毎週月曜日は練習を休むことに決めたのです。本屋へ寄りランナーズ3月号を買いました。読むのが楽しみです。真っ直ぐ家に帰ったら、先に帰宅した妻がストーブに火を入れていました。家の中の薪が不足していたので、私は台車にプラスチックの蜜柑箱を2つ載せ、薪小屋へ。1晩にこの箱2杯の薪を燃やします。Nさんに義弟のことを聞きました。彼(義弟のことですが)は早くに大分を出奔、行方が判らなくなっていました。風の便りに結婚離婚を繰り返したこと、そのたびに生活がすさんでいったそうです。3人目の妻とは数年前に死別、今は独り身、生活保護を受けている。彼の母親は大分にいるそうです。最近になって所在が判明したそうですが、重い膵臓癌を患い、余命幾ばくもないとのことでした。Nさんは彼を連れ戻して義母との生活をさせたく、骨を折っている様子でした。Nさんの心労もさることながら、彼の歳が50歳ということで、それならば私と同じ歳。彼にはあったこともありませんが、その人生はいかばかりかと思うと、溜息が出ます。最近、写真が溜まりました。順次、掲示すればよいのでしょうが、無精を決め込んでいます。少しずつ載せていきたいと思います。ということで今晩のモデルはトラです。ストーブの前であられもない格好をしています。がしかし、こ奴の存在に癒されるのです。私も隣に座り、老眼鏡を書けて読書。
2009年01月26日
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午前7時半起床。深酒はいけません。ちょっと二日酔い。午前中、ダラダラ過ごしました。昨日の寒気は少し緩んだようでした。梅林庵、梅のつぼみが心なしか膨らんだようです。朝間、母からTELあり、切った梅の枝を燃やして欲しい旨でした。二日酔いといえずに、出かける用事有りと言いました。情けない息子です。アナトリー・ヴェデルニコフを聴きたくなってCDを探しましたが、見つかりません。管理の悪い自分のせいですから、腹を立てても仕方がありません。あーあ、残念。その演奏、彼のバッハは「沈鬱の極み」です。「深く悲しく」です。しかも揺れぬ意志があるのです。どれも抽象的表現で恐縮ですが、音楽を揚言すると、こうなってしまいます。ケンプのバッハはマリアの胸に抱かれるような暖かさを感じます(抱かれたことはありませんから想像ですが)が、ヴェデルニコフには『マッチ売りの少女』の持つ悲しさがあります。どうしようもない悲しみです。薪ストーブの前面ガラスが曇っていました。内側へガラスマイペットを吹きかけ、拭きあげました。炎がよく見えるようになりました。こうでなくてはいけません。グリーンに水をやったら、やりすぎて鉢の下の皿から溢れさせてしまいました。後で聞いたら、昨日、妻がたっぷりやったのでした。今後、水番を決めておかなければいけません。今日は「いけません」が多いです。午後、大阪国際女子マラソンを見たかったのですが、断念してラン13km+スイム600m。早いうちに今日のトレーニングを終えないと、大相撲を見ることができないからでした。今週末はよいトレーニングが出来ました。今日も大越まででした。途中、谷向こうの斜面で犬が吠えました。猪猟をしているのでしょう。鉄砲の音は聞こえませんでした。帰宅して缶ビールのプルトップを引き相撲観戦。途中から夕食。メニューはオムレツ。妻曰く「試作品」。でも美味しかった。パンとチーズを切り、生ハム。ワインを抜栓。いい夜でした。
2009年01月25日
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昨日、同窓会幹事会にTも来ました。彼は漁師です。潜ってアワビやサザエを獲ることを生業にしています。色々と話を聞きました。以下はその内容です。日に3~4本のボンベを使用する。漁場は黒島から高平の下まで。獲れるものは全て獲る。潮の速いところもあるが、暦を見て潮止まりの時間を狙ったり、網代を変えたりする。危険な目にも随分遭遇した。潜っているときにトラブルがあって、ボンベを脱ぎ捨て急浮上したことも幾たびか。でも修羅場をくぐり抜けないと一人前にはなることが出来ない。人がボンベ5本で漁獲する量を3本で獲る。アワビ、サザエ、ナマコ、雲丹などが中心。伊勢エビも獲るが、これは売らない。全て持ち帰り、子どもへ食べさせる。子どもたちはとても好きなんだ。仕事上の悩みも聞きましたが、これは差し障りがあるので書けません。彼は高校時代、野球部でした。1年の時、私の高校は夏の甲子園へ初出場しました。この話をすると、彼の目が潤みました。気持ち、よくわかります。私は彼が大好きです。
2009年01月25日
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午前5時半起床。暗いうちに、妻の実家へ軽トラを取りに行きました。昨日、岳父のレガシーを借り、そのまま帰宅したからです。これまた妻の実家から借り受けた新聞のまとめ読み。この時間がよいです。どの新聞も政治経済、社会面ともだいたい同じ内容ですから、そのページは見出しの斜め読みです。文化欄や特集記事、投書をよく読みます。日曜日の読書欄が楽しみです。本を選ぶ際の参考になります。午後はラン18km+スイム550m。初めてLSDを意識した練習をしました。運動公園のプールをスタート、グリーンピア大越の間を往復したあと、いつもの周回コースを1周。長い距離を走るので、景色の変わる田舎道を選びました。途中、ダンプカーが頻繁に行き交うところを走り、恐い思いをしましたが、そこを抜けると山間の細道です。杉林、雑木林、段々畑、谷底に光る流れ。午前中は雪が舞いましたが、走った午後はよく晴れました。でも気温は上がっていないのでしょう、吐く息が白かったです。道は舗装されていますが、全く人通りがありません。すれ違ったのは軽トラ1台とランクル1台でした。途中、牛を飼っていているところを通り過ぎました。私の足音に牛が驚き、少し暴れ、がたんと言う大きな音がしました。それまで牛のいることに気がつかなかったので、今度は私がびっくりしました。それだけ、このあたりはのどかなのです。路面に散らばるドングリ、葉を落としたクヌギ林、前掛けをした地蔵。なんだかピクニック気分です。1kmを6分弱のペースでした。今日は、正月二日にあった同窓会の反省会でした。いつもの暖簾「つね三」の二階が会場でした。幹事は全部で21人いるのですが、今日集まることが出来たのは男9人女3人でした。中にマニアックな男がいて、当日撮ったビデオとスナップ写真をDVDにしていました。パソコンとプロジェクターを座敷へ持ち込み、これを肴に酒を飲みました。写真をスクロールさせる技術、コメント、バックミュージック、編集のどれを取ってもセンスがよい。もちろん、被写体の皆もいい表情をしています。この不況下、それぞれがしているであろう苦労の服を脱ぎ捨て、高校時代に帰ったような顔、顔、顔。思わず見入ってしまいました。出席者80人へこのDVDと全員で撮った集合写真を後日送る予定です。この日は同期のホームページを作ることも決まりました。散会したあと、妻の迎えが来るまで、客の帰ったカウンターで大将と獺祭を飲みました。家に帰り着いて空を見上げたら、星がとても綺麗でした。
2009年01月24日
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午前5時半起床。雨があがり、暖かい朝でした。白み始めて霧が出始めました。昼からは曇り、大風が吹き始めました。大分県北西部は雪になりそうです。大分市へ行きました。昼ご飯は15万石というラーメン屋に入りました。ワンタン麺を食べました。750円。相席の人はチキンカツ定食。日替わりランチです。500円にもかかわらずかなりのヴォリューム。そちらにすればよかった。妻からTELあり、今夜は温泉に行きたい旨でした。今日もラン、プールを休みました。国道10号線から10kmほど山あいに入り込んだところにある「牧山の湯」へ行きました。山道、途中、一台の車ともすれ違いませんでした。湯の客は数人。ガラガラでした。大風と寒さのためでしょうか。おかげでゆっくりすることが出来ました。帰りに「美絆(メイチェン)」というラーメン屋に寄って晩ご飯。今日は昼も夜もラーメン屋でした。生ビールを飲みました。今夜はマイスキーの無伴奏チェロを聴きました。名演奏です。マもいいですが、マイスキーも深い。5番が特に深い。マイスキーの風貌、全く関係ありませんが昔サッカーで活躍したラモスに似ています。
2009年01月23日
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雨模様の天気。リテラポプリという雑誌があります。今月号は口(くち)の特集でした。歯医者の対談でした。興味深いことが幾つも書かれてありました。以下は要約です。白血病、血友病、エイズは本人が気付かないうちに歯医者によって早期発見できる。舌を診れば貧血かどうか判るから。唾液には科学的役割が多い。消化酵素だけでなく免疫物質が含まれている、口の中の傷は治りやすい。1日に出る唾液の量は1.5~2リットル。口の中のケアが悪いと、いろいろな病気を引き起こす。脳梗塞、心筋梗塞、脳動脈瘤の原因は歯のバイ菌。よく噛まないと太るし、視力が落ちる。唾液の量、驚きました。1日の量は尿と同じです。免疫物質の下り、傷を負うと、思わず舐めてしまうのはそのためでしょうか。哺乳類は皆同じような気がします。今日は、本降りでした。ラン、スイムとも休みました。朝比奈隆を聴きました。大阪フィルでチャイコの悲愴、N響でブルックナーのロマンティック。悲愴はゆったりしたテンポ、気宇壮大になりました。名演です。ブルックナーは、マタチッチとN響の関係をして献身度の高い演奏云々ということを先日書きましたが、朝比奈のそれは、その献身度を私は感じえませんでした。これまで数多の演奏を聴きましたが、いつも80点の出来、オーソドックスというか教条的というか。聴く限り、指揮者にオケがドライヴされる、というようなことが無いように思えます。ということでこのオケのCDはエアチェックしたものが数枚あるだけです。
2009年01月22日
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午前6時起床。曇りのち雨。終日デスクワーク。Tと立ち話をしました。中学、高校と机を並べた友人です。彼は銀行に勤めています。最近如何との問いに、景気のいい頃に比べ、預金をしてくれる顧客は増えたけれど、融資先は減ったとのことでした。以下は彼の話です。昨年、父を失った。昨夏、脱水症状で倒れ入院。高栄養の点滴を受け続けた。しかし、体調が戻らず、そのうちに悪性リンパ腫であることが判明。その秋に亡くなった。10年近く前から認知症を患う母も、伴侶の死がきっかけで症状が進行し、困っている。親孝行はできるうちにしておいた方がよい。Tには3人の娘さんがいます。長女は就職しましたが、次女が大学2年、3女は小5だそうです。学費のことを考え大変だねというと、銀行は定年が55、そのとき3女は中3、果たして満足のいく教育をさせてやることができるかどうか」と心配顔で話しました。奨学金のことなどを話し、ケセラセラだといいました。今日は、運動にはちょっと億劫な天気でした。昼過ぎから冷たい雨が降り出しました。帰って一風呂浴び、熱燗を付けて云々という誘惑に悩まされました。しかし、ハンドルを運動公園の方へ切りました。濡れながらラン8km+スイム500m。雑誌『九州王国』2月号に、ジャン・フルネのことを書いたコラムがありました。今村晃さんが都響のコントラバス奏者だった頃、フルネに接した思い出が綴られています。暖かさと厳しさを併せ持つマエストロのことがよく判る文章です。フルネは、古き良き時代の音楽を醸してくれる最後の指揮者でしょうか。昨年11月に生涯を閉じたとありました。先週、スターデジオで、都響を指揮したビゼーの交響曲1番を聴きましたが、追悼番組だったのでしょう。
2009年01月21日
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永遠のこどもたち スペイン、メキシコそして、私たちは愛に帰る ドイツ、トルコチェチェンへ(アレクサンドラの旅) ロシア、フランス「チェチェンへ」にはロストロポーヴィチの奥さんが出演しているそうです。彼女、元々は世界的な歌手だそうです。
2009年01月20日
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午前5時半起床。所用で昼前に外出しましたが、あとはデスクワーク。外出にはカメラが必要でした。夕方ラン9km+スイム500m。今日、同僚の撮った写真の中に、猫が写っていました。それを見て驚きました。拙宅のトラにうり二つなのです。帰って、そのことを妻へ話すと、トラは、どこにでもいる白の混じらない平均的キジ猫だから別に驚くことはない、というのです。そんなものでしょうか。人相にそうそう瓜二つはあり得ません。猫相もそうだと思うのですが。今度2匹の写真をアップします。クラシックを聴く友人Kに、浦山純子さんの「ソワレ」(意味は「夜会」だそうです)というタイトルが付いたCDをもらいました。ドビュッシーやショパンなどの小品です。緩やかで優しい女性的なタッチが魅力的です。彼女、先日、佐伯市でコンサートを開きました。地元、佐伯鶴城高校の同窓会が主催、入場無料の演奏会でした。賑わったそうです。私は行くことができませんでした。聴いてみたかったな。オーディオの師匠は、楽屋裏で本人と話をしたそうです。ブログに書いていました。羨ましい。http://blog.livedoor.jp/keruru3/archives/51149602.html#comments私には牛乳を飲む習慣がありません。雑誌ランナーズを読むと、体内のカルシウムが汗と一緒に対外へ出るから、毎日汗をかいていると疲労骨折を起こしやすい旨のことが書いてありました。真偽のほどは別として、日々を振り返ると、乳製品を食べるのはワインを飲むときくらいです。チーズです。今日から、ヨーグルトかミルクを欠かさずに取るよう、心がけます。ちなみに、野菜ジュースはヤクルトのものをほぼ毎日飲んでいます。
2009年01月20日
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午前5時半起床。晴れ時々曇り。終日、デスクワークでした。今後の業務について、数人から聞き取り。夕方、Google社員の講演を聴きました。内容はネットサービスを利用した販売、営業です。弊社にも活かすことのできそうなものがありました。若手の社員と意見交換をしてみるつもりです。ところで、Googleという文字、なぜ赤青黄緑の色がついているのかということの説明もありました。他愛のない理由でしたが、デザインとしてはなかなかよいです。帰り際、灰谷健次郎の本について部下のT君と話をしました。学生の時分、彼は灰谷にはまったそうです。彼の本から読書の世界へ入ったといいます。兎の目や太陽の子を読んだことがあるといったら、親しみがわいたのでしょうか、知らない書名を次から次へと挙げました。安部公房が好きとのことでした。砂の女、読んだことはありませんが、映画を見ました。前衛的な内容だったような。うろ覚えですが、高校の国語教科書に掲載されていたようにあります。練習は休みました。LSDという練習方法を知りました。雑誌ランナーズにこのことが書いてありました。練習はこれまで自己流でしたから、色々と勉強になります。これからは、週末は2時間走を入れようと思います。がしかし、あせらずゆっくりと。夕食は鍋でした。暖まります。夜、9時を過ぎて、札幌のA先生からTELがありました。今、石垣島で呑んでいる最中だ、とのことでした。この島には水産の研究所があり、野球部の先輩Aさんが働いています。先生はそこへ押しかけている様子でした。23日まで滞在し、A先輩を悩ませるのだそうです。先輩とも話すことができました。15年ぶりくらいかな。札幌丸山球場の思い出話をしました。当時、先生は監督、4回生の先輩はファースト、3回生の私は投手。スピードのない左腕のコントロールピッチャーでした。フェンス際のきわどいファールフライをキャッチした先輩のプレー、とても印象深く残っていて、これを話したら、先輩もよく憶えていました。このTEL、嬉しかった。A先生は、私のところへもみえたことがあります。その時は奥様同伴でした。http://plaza.rakuten.co.jp/hokudaioita/diary/200509270000/
2009年01月19日
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午前5時半起床。曇っていたのでしょう、なかなか夜が明けませんでした。午前7時過ぎ、走ろうと思い、着替えて外に出たらパラパラきました。今日は雨の予報でしたので、練習を休むつもりにしていました。朝食はデニッシュとヨーグルト、それにコーヒー。雨があがったので、走る格好をして運動公園へ。体育館は、大分バサジィの公式戦準備で忙しそうでした。今日は山間のコースを走りました。プールは山沿いにあるのですが、そこから奥の集落へ向かい、谷筋に道が延びています。片道6kmを往復しました。行きは登り、帰りは逆でした。よい練習になりました。途中、日本文理大附属男子駅伝部とすれ違いました。頑張っていました。レースの格好をしています。全員が襷を掛けていました。本番をイメージしているのでしょうか。立ち止まり、文理頑張れというと、ウォッスとかハイとか返事をしてくれました。今年末の都大路に出場するよう、応援しています。強敵は昨年末に6位入賞を果たした大分東明ですが、そのチーム、今年はエース二人が抜けます。チャンス有りです。私はラン12km+スイム650m。大越(おおこえ)という集落の中を走っていて、Kさんに会いました。以前、私の会社がこの地区の特産品を扱い、取引関係にありました。その時分の代表者でした。彼は薪を道路際に積み上げていました。全て樫でした。軽トラ山盛り1車分くらいかな。綺麗に長さを揃え、割っていました。樫を割るのは大変でしょうと声をかけると、チェーンソーで割れ目を入れ、くさびを打ち込むのだそうです。手間が大変だとのことでした。この薪、ヤキトリ店Tを経営する人から注文があったそうです。そういえばそのTさん、自宅を建築中に拙宅の薪ストーブを見に来たことがありました。ランブルのシュークリームが土産でした。案内は製材会社経営のHさんでした。Hさんには拙宅のテーブルを世話してもらったことがあります。奥さんは私の同級生です。Hさんは心の病気になってしまい、数年前、自ら命を絶ちました。残念です。昨日今日と人の死について書きましたが、昨日、私と同じ集落に住んでいて、昔は郵便配達をしていたK・Tさんが、お餅を喉に詰まらせて亡くなりました。私を可愛がってくれた人でした。昼食は八宝菜。美味しかったです。午後は横になり、都道府県対抗男子駅伝を見ました。佐久長聖の村澤はすごかった。昨日はトスカニーニでヴェルディのナブッコ他を聴きました。今日は、グールドでリスト編曲のベーヤン運命。メモ近代の株式市場では強気のことをブル(雄牛)といい、弱気のことをベア(熊)とう。竹田市榊原地域 ログハウスの農家レストラン「サリモス」 ジャズとカクテル沖縄県先島諸島の水牛は、昭和初期に台湾から渡来。全頭に名前がついている。『年中行事大辞典』吉川弘文館『ウィーン』田口晃 780円 岩波新書橋本五郎、綿矢りさ、小泉今日子、三浦しおん 読売読書委員福岡に応援銭湯というのがある。着替えて大濠公園を走って一風呂。410円。
2009年01月18日
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平成21年1月17日(土)午前5時半起床。外気温-2℃。後で聞きましたが、昨晩、妻はカラオケでフィーバーしたそうです。帰宅に気がつきませんでした。私は、帰ってくる前に酔いつぶれてしまいました。火鉢に熾火を移し、鯵の干物(佐伯地方ではこれを唐人干し「とうじんぼし」といいます)を焼き、薩摩芋の炊き込みご飯、それに納豆で朝食です。地下足袋を履き、軽トラへチェーンソーを積み、山へ出発。午前8時前でした。自宅回りもでしたが、切り出し場は真っ白。霜柱が立っていました。樫の樹皮にも粉を振ったように。それこれを小切り、軽トラに積みます。吐く息が白い。今日は山を2往復。午前中に始末を終えました。親方は、倒して寄せてあった樫(大きさは缶コーヒーの直径~ミカンの缶詰のそれまで)をT林産へ売りました。炭に焼くのでしょう。薪としてはちょっと小さめですが、炭焼きにはもってこいの大きさでした。売られる前に玉切っておけば私のものになったのに。残念。親方は懐に小銭が入ったようでした。Hさんにも小銭が入ったようです。Hさんは本格的一人親方。重機を2台持っています。毎日、山に入り、木を切っては木材市場に出荷する仕事をしています。先日、センダンを製材したとき、製材所の隅に4m×1m、厚さ10cmの見事な桜の板がありましたが、これが8万円で売れたそうです。Hさんが親方の山から切り出したものです。私も1枚欲しかった。親方が1枚もらったそうなので、掠めることができたらいいな。今日、山までの道中にある、原野に立つ一軒家の前でした。パトカーと、別に2台の自家用車が止まっていました。この家、周囲にタラノメが沢山あって、春先にはよい思いをするのだろうな、などと思ったものです。警察の車、立ち入り禁止の訝しげなテープ、不穏な雰囲気でした。帰りに再度そこを通りかかえると、なんと、ブルーシートにくるまれた担架を運び出している最中でした。警官はマスクをしていました。しかし、一人の野次馬も新聞記者もいません。老人の孤独死でしょうか。明日の新聞には、このことが載るのかな。事件性の有無によるのだろうな。昼食後、図書館で本借り換え。ラン12km+スイム500m。今日は薄着。ダラダラ走るのではなく、勤めて腕を振り、肺をいじめました。妻が土産をもらってきました。友人がミャンマーへ行ったそうです。観光ではなく、そこへ学校を作る目的での渡航だったそうです。以下は話の要約。子どもたちの踊りや歌で歓迎された。軍事政権下にあって学校を建てることは歓迎されない。政府は建てたいんだったらどうぞという姿勢。教育は必要なしとの考え方か。但し、縫製技術は奨励している。ミシンの技術指導を乞われた。走っている車、バスはほとんどが中古。車体に日本語のロゴが入っているものもあった。のんびりとした国民性。女性の美しさが際だっていた。彼女は自費で毎年参加しているとのこと。偉いなぁ。夜はワイン抜栓。1本500円のスペイン産でした。昨日、ネットショップから届いたものです。妻に価格を問うたら3,000円。確かにコストパフォーマンスありです。
2009年01月17日
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午前6時半起床。ちょっと風邪気味です。外気温-3℃。霜降。最近、雨も降らず、植物にとっては厳しい時期。梅の蕾も堅いです。霜の降った日は天気がよいと相場は決まっています。その通り、快晴でした。風もなく、このところの寒が少しゆるみました。週末は蕗の薹のよく出る場所へ出かけて見ましょう。運がよければ、初物となるかもしれません。でも、天気は雨勾配かな。終日デスクワーク。これから2ヶ月あまり、連結会社ではありませんが、社屋を同じくする会社の業務に口を挟むことになりそうです。やりがいはありそうですが、気も回さないといけないようです。進んで手を挙げたので、引っ込みがつきません。自分を追い込んでみるのも時にはいいかな。夕方ラン8km+スイム500m。今日は妻が同僚と新年会。家に帰っても、夕餉はありません。スーパーへ寄り、赤ナマコ、秋刀魚の竜田揚げ、鯵の南蛮を買いました。缶ビールを1本空けて、あとは酔鯨グリーンラベルを燗にしました。スターデジオをつけ、モーヤンのチャンネルに合わせて流しっぱなし。ピリスのk331、ブリュッヘンのプラハ、18世紀オーケストラです。今日、嘉風が勝ちました。前頭2枚目の力士です。私の町の出身です。父親をよく知っています。先場所、大勝ちし、番付が上がりました。昨日は白鳳に横綱相撲を取られましたが、初日は日馬富士に勝ちました。二日目も把瑠都にいい立ち会いをし、はず押しで攻め込みました。残念ながら負けましたが、よい相撲でした。今日勝って2勝目。上位に定着して欲しいものです。帰宅途中、国道茶屋ケ鼻橋のたもとに融雪剤が置いてありました。炭酸カルシウムが20kg入ったビニール袋です。橋は凍結しやすいので、これを管理する大分県が、いざというとき散布するため、隅に置いているのでしょう。さて、話は遡ります。今は天草に住む元タンカー船長のTさんは、これを掠めて、よく漬け物を漬けたそうです。塩加減の案配がいいのだそうです。もう時効ですから、このことを書いても構いません。しかし、こんなことを書くと、拙宅近くの茶屋ケ鼻橋にこそ泥が出るかもしれません。親方、してはいけませんよ。昨夜、日向ひょっとこマラソン(ハーフ)を申し込みました。
2009年01月16日
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午前5時半起床。外気温1℃。快晴でした。今日も朝ご飯はぜんざいでした。火鉢でアジの干物と餅を焼きながら、マレを聴きました。静かな朝です。終日、デスクワーク。ピーカンの空、寒むかったです。しかし、空の青さは気分を爽快にさせてくれます。昼前、外に出てこの空をぐるりと見回しました。すこぶる快晴ですが、東側、豊後水道にはこんな天気でも黒っぽい雲がかかっています。私の住んでいる佐伯は九州山地の南東麓にあり、季節風に運ばれる東海黄海からの湿り気をこの山々が阻んでくれます。しかし、北西~南東に開いた豊後水道は遮るものがありません。このため、陸地が快晴であっても、海はいつも曇り勾配です。向こう岸、愛媛の山に積雪を確認できます。雪の積もらない土地に住んでいると、なんだか積雪が恋しい気分になります。雪景色の中、薪ストーブの燃える喫茶店でクラシックを聴く、こんなシーンがいいな。寒い一日、海の上の黒雲を見て、こんなことを考えました。宇野功芳の書く「NEWディスク」というコラムがあります。60年代後半のN響を指揮したライブ盤。第九、ブルックナーの第9、ワグナーの神々のたそがれ抜粋を絶佳としています。曰く「N響の技術水準は今より低いが、献身度ははるかに高い」献身度の高い演奏とはどんな感じなのでしょうか。このCD、買おうかな。暗くなってラン8km+スイム0.5km。
2009年01月15日
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午前5時半に起きました。外は霜で真っ白です。外気温-3℃。終日デスクワーク。昼休み、抜け出して林業機械の店へ行きました。修理を依頼していたチェーンソーを引き取るためでした。バーの交換をしました。1本11,000円するのだそうです。整備も含め14,000円かかりました。私の会社は昼休みが45分間です。途中、コンビニへ寄り、おにぎりとサンドイッチを買い、運転しながら食べました。かっこわるいな。仕事が長引き、プールの閉館時間近くになって会社を出たので、まっすぐ帰りました。夕食は午後9時前。今日はアジの塩焼きでした。パック酒を燗にして飲みました。妻のいう安酒です。でも熱燗にすると、安っぽさが紛れ、塩焼きによく合います。一方、当て、冬場のアジは痩せています。パサパサ感があり、今ひとつでした。新聞まとめ読み。モーやんのヴァイオリンコンチェルト5番、ハフナー交響曲を聴きました。タンノイの部屋は寒く、この頃はもっぱら居間のJBLを鳴らします。ハフナーを聴いて、深さというか、余韻が足りないと思いました。スピーカのせいです。オケが古楽器編成でしたから、なおさらでした。今日も練習を休みました。或る女性のことが、一昨日から気になっていました。彼女は田舎に住んでいて、私と年はそう違いません。青春時代から顔だけは知っていたのですが、あることがきっかけとなって、言葉を交わす仲になりました。先日、所用でTELしたら、身体をこわし、湯治をしているとのこと。若い時分から両親を看病し、母を、次いで最近、父を看取ったという話を聞きました。受話器の向こうから聞こえてくる声色に、就職や結婚とは無縁だったことが伺えました。看病疲れが出て、温泉地に家を借り、養生をしているとのことでした。この正月、同窓会のあったホテルのロビーで見かけましたが、美しさは際だっていました。彼女のことを思い出すにつけ、私が過ごした人生に比べ、彼女のそれは随分と重く大変だったろうと思います。なんだか、「雪国」の駒子にダブりました。宝船。
2009年01月14日
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午前7時前に起床しました。昨夜は9時過ぎに床へついたのですが、週末の疲れが出たのでしょう、いつもより2時間遅くなりました。終日、北風が吹いて寒かったです。この寒波、今冬一番のような気がします。夕方、仕事を終え、T機械へチェーンソーを持っていきました。がしかし、既に閉店。おかしい、ついさっきTELしたのに。まだ営業しているはずなのに。仕方なしに、会社のロゴが入った軽トラの荷台へ置き、シートをかぶせて帰りました。明日の朝、修理依頼のTELをします。今日の晩ご飯はうどん。これでは晩酌できません。口では美味しいといいながら、渋々の夕餉でした。その後、新聞まとめ読み。1月1日付け小学館の広告によい言葉がありました。「本を読もう。旅に出よう。本の中なら、私たちはどこへでも行ける。いろんな人生に出会える。会いたかった人とも話せる。世界中の芸術にふれることもできるし、何百年も昔に行くこともできる。イマジネーションの世界に広がる景色は、実際よりも美しいかもしれない。本を読むこと。それは旅に似ている。そこには新しい経験があり、新しい発見があり、人としての成長があり、そこにしかない達成感がある。無限に広がる本という世界の中へ想像力が連れて行ってくれる、長い長い旅です。本を読もう。旅に出よう。息をするのと同じように、毎日少しずつでも本にふれる。今年はそんな一年を送ってみませんか」どうですか。素敵でしょう。私もそんな一年を送りたいです。講談社も文藝春秋も集英社も広告を打っていましたが、これが一番でした。年が明けて、ほとんど音楽を聴いていません。なんだか、聴く気分にならないのです。どうしてだかわかりません。今夜はスメタナの我が祖国を聴きました。写真は、ミカンの食べ方が下手な親方です。
2009年01月13日
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英国王給仕人に乾杯 チェコ・スロバキアきつねと私の12か月 仏禅 ZEN 日本山桜 日本メモハイドン没後200年リリー・クラウス ピアノソナタ集 1957
2009年01月13日
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午前7時に起きました。昨晩は午前様。でもノンアルコールでした。日付変更線をまたぐことは滅多にありません。昨日、妻がストーブに鍋をかけ、小豆を煮ていました。出来たぜんざいが今日の朝ご飯でした。私の担当は、餅焼きです。バロックを聴きながら、火鉢の炭火であぶりました。金網の上で、漫画に出てくるような膨らみになりました。この時間、いいな。快哉。今日は、大分へ買い物に行く妻に付き合う予定でした。しかし、当の本人が予定を変更しました。ということで、私は今日も薪取り。山は大風が吹いていました。ゴウゴウという風の音。山が鳴るとはこのことをさすのでしょう。薪に取り付く前、親方の作業を手伝いました。荒れ地に倒れ朽ちかけた杉の丸太を玉切ったり、エノミの木を倒したりしました。親方は切った木をユンボでつかんでは隅へ整然と並べていきます。原野を更地にしようということのようでした。作業中、チェーンソーが壊れました。バーの先端が少し開いて、中にチェーンがくい込んだのです。もちろんチェーンは回りません。林業機械販売の会社へTELしましたが、休みでした。明日、修理に出さなければなりません。以降の作業は、親方のものを借りました。目立てが悪く、切れ味がイマイチでした。研ぎ直すと、よくなりました。親方の作業が終わって、薪の山へ行きました。彼もついてきました。ミカンをあげました。寒いので、私が作業をしている間、彼は私の軽トラに乗り込みました。エンジンをかけ、暖を取りながらミカンを食べていました。それはよいのですが、ミカンの汁をハンドルに垂らしました。薪を満載し、返る段になって、ベトベトが気になりました。田舎モンはこれだから困ります。昼食後、1月2日にあった同窓会の反省会を催す旨を幹事連中へ連絡をした後、運動公園へ回り、ラン5km+スイム500m。寒い上に大風で、走り始めは辛かったです。早めに切り上げました。夕食は、鰺の刺身と猪の内臓でした。パックの日本酒を燗にして合わせましたが、妻は「安酒だね」といいました。25年前に見合いしたときは上品だった彼女も、今は猪子ホルモンを好み、酒の味について講釈を垂れ、捨てぜりふを口にするようになりました。百年の恋もいっぺんにさめてしまいます。
2009年01月12日
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午前7時半起床。外気温0℃。昨夜、遅くまで起きていたので、今日は遅い起床でした。朝食を食べ、ダラダラ。しかし、9時を過ぎるとうずうずしてきて、地下足袋を履きました。薪を降ろさなければいけないことを思い出し、ますその作業。その後、親方の山へ向かいました。親方は、ユンボのバケットをハサミに替える作業をしていました。アームの先がこれだと、材木をつかむことが容易になるのだそうです。但し、取り替えは一人では巧くゆきません。アーム先の穴とハサミの穴をシンクロさせ、鉄の芯を差し込むのです。一人がユンボに乗ってアームを動かしながら、もう一人が具合を見て前後の指示を出せば、穴はすぐに重なり、難なく完了します。しかし、親方は一人なので難儀していました。おそらく30分以上格闘したのでしょう。寒い吹きさらしの中、可愛そうに。今日はクヌギとカシを1車。正午に帰宅。積み荷を降ろし、シャワー。都道府県対抗女子駅伝を見ながらウトウト。夕方、大入島(オオニュウジマ)へ行きました。私の町にある離島です。1,000人くらいが住んでいます。この島でトンド焼きがありました。無病息災を願う行事です。長い竹竿に藁や松の枝を括り、しめ縄や御札と一緒に燃やすのです。知り合いが世話焼きの一人なので、加勢がてら出かけたのです。風もなく、満月の静かな夜に、大きな炎が燃え上がりました。島へは行きも帰りも船でした。夜の海に映る月、景色はあの「渺たる蒼海」です。塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界』 新潮社
2009年01月11日
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午前4時半起床。外気温4℃。北風の吹く寒い日でした。午前中、薪小屋の片付けをしました。焚き付けの杉板を全部、もう一つの小屋へ移し、広いスペースを作りました。そこへ、無造作に放り込んでいた未乾燥のウバメガシやクリをキチンと積み上げました。これで、空間が随分広くなりました。今後、山から下ろした薪の置き場所を心配しなくて済みます。余談ですが、今日の北風、薪をよく乾燥させてくれます。その意味では、冬の乾燥した季節風は、ありがたい。午後は、山行き。昨日と同じ場所です。親方の指示で、エノミやケヤキを倒し、枝を外しました。ユンボで片付けた後、杉を植えるのだそうです。でも親方は60歳をゆうに過ぎています。今植えても、もう自分が生きているうちに切り倒すことはできそうにありません。でも、それが林業なのでしょう。私は樫も切りました。よい薪になります。玉切って、軽トラへ積みました。今日は1車分を持ち帰りました。帰りに運動公園へ回り、ラン11km+スイム1,000m。よい走りができました。二日間、野良仕事をし、疲れていましたが、使う筋肉は別です。一昨日昨日とラン、スイムとも休んだので、今日は快調でした。プールでシャワーを浴びたので、積んだ薪は明日の朝、降ろすことにします。夜、映画「プロヴァンス物語 マルセルのお城」を見ました。こんな映画が好きです。「同マルセルの夏」の続編です。何れも南仏の美しい風景に魅了されます。時代背景もいい。生活様式、数々の小物類、女性の美しさ、何れもとっても幸せな、郷愁のようなものを感じました。
2009年01月10日
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午前6時起床。昨日の帰宅が午後10時半くらい。北風の吹く寒い一日でした。今日は親方に頼まれていた仕事をするため、休みを取りました。チェーンソー仕事でした。所有する土地の雑木始末でした。昔、近くに人焼場があったとかで、忌み嫌う人もある土地らしいのです。私は頓着がありませんから、大丈夫と見込んだのでしょう。そこら辺に生えている木は、昔、野辺の煙を浴びて育ったのでしょうが、それを玉切り、ストーブで燃やしてあげることは、供養になります。私は以前、地縁墓地に立っていた大きなタブノキを切って、薪にしたことがあります。昔の墓地は土葬でした。人間の養分を吸って太った木ですから、これを焚くことはまさに火葬です。そんなことを考えながら、作業をしました。寒かったですが、汗をかきました。倒したセンダンの木を数本、軽トラに積んでもらい、近くの製材所へ持ち込みました。この木、木目がいいのです。材料として珍重されます。上がり框に使われます。1寸の板と2寸×3寸の角物にわいてもらいました。板はCDラックか本立てにしましょう。角物は父へのプレゼント。父の趣味は下手な油絵です。額縁も自作するのですが、センダンは柔らかく、この材にもってこいなのです。製材賃6千円。写真は製材所とセンダンです。昼食はインスタントラーメン。午後一、納屋にあった厚く畳一畳より広い杉板をK木工所に届けました。テーブルにしてもらい、武雄に住む友人I氏へ届けるためです。いいものに仕上がるとよいのですが。重いので、親方に加勢をお願いしました。終日、地下足袋を履いていて、疲れました。ランを今日も休みました。O氏が亡くなったことを知りました。彼は市役所の農林水産課というところで農業指導員のような仕事をしながら、週末は奥さんと温州ミカンの栽培をしていました。私は、囲碁仲間、釣り仲間としての知り合いだったのです。知り合いの子供さん達に影絵を書かせ、これをリンゴに貼り付け、影絵通りの模様をリンゴに焼き付けたり、直径が1m近くあるような観賞用のジャンボカボチャを栽培したり、遊び心のあるひとでした。囲碁は3~4級くらい。石を置いてからもなかなか指を離さない、何とも煮え切らない打ち方が印象的でした。釣り船を持っていて、何度か乗せてもらったことがあります。息子さんは東京の大手総合電器メーカー勤務、奥さんを亡くし、晩年は一人暮らし。寂しかっただろうな。最近、年賀状の交換しか交際はありませんでした。そういえば、今年も氏から賀状が届いていたな。夜、スーパー銭湯へ妻といき、帰りに食事をしました。「居酒屋」という居酒屋です。O氏のことが頭を過ぎり、ビール1本だけの食事になりました。
2009年01月09日
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午前4時半に起きました。外気温0度。霜降。晴れたり曇ったり。今日は外での仕事を予定していました。しかし、今ひとつの天気なので、見合わせました。ピーカンが絶対条件なのでした。終日デスクワーク。夕方、先日、猪の内臓をくれたSさんからTELあり。また獲れた、取りに来ないかという内容。しかし、今日は新年会。泣く泣く見合わせました。1頭分のお礼は焼酎1本でよいのです。ありがたいのですが、今回は、山奥まで取りに行く時間がありませんでした。その新年会、会といっても二人だけの飲み会でした。それも、私が急に飲みたくなって、同僚のT君を誘ったのでした。彼は「付き合い一番身体は二番」なのかどうか知りませんが、いつでもOKの男です。独身を謳歌しています。そんなことはどうでもよいのですが、酒が恋しくなり、かといって手酌酒は寂しいなということで、彼に水を向けてみたのです。快く応じてくれてありがとうです。いつもの暖簾「つね三」へ突っ込みました。スマの良いのがありました。ホンカツオに比べ僅かの渋みがありますが、柔らかく扱いの難しいカツオです。口に含むとモチモチ感というか粘りがあり、日本酒によく合います。もちろん刺身でいただきました。写真はスマカツオの刺身です。今日はビールなしでした。寒いときは、燗酒から始めます。西の関を付けてもらい、ヒラメとカンヌキの酢の物に合わせました。T君は生の小を注文し、だし巻き玉子や茶碗蒸しを頼みました。看板メニューではありませんが、何れも大将の面目躍如である逸品と思います。余計なお世話ですが、独身の彼が、酒に合わせるにそのようなものから入るとは、なんだか恋人を欲しがっているように思えてなりませんでした。この店に来て獺祭を飲まないわけにはいきません。鮨をつまみ、四合瓶を一本干しました。太刀魚の塩焼きとよく合いました。新年ということで大将からも燗酒が振る舞われ、陶然となりました。もう一件ということになりました。T君に、よい酒がある、と言われ、釣られました。カクテルバー「玉井」の扉を押しました。この店、大分の片田舎、人口8万の小都市に似合わない、いや似合うとか否かとかいうようなものではなく、あるところにはあるものだ、それがどこであってもよい、とでも言いましょうか、そんな店なのです。意味不明のことを書きました。それは書いていくうちに追々ということにして、話を戻します。T君にマールを勧められました。ラベルを見ると、ロマネの1988です。雑誌で見たことがあるようなないような。芳醇にして奥深く、一口含んだ残り香が、明朝まで残りそうな味わいでした。美味しかった。今日は新年会でした。よいことは続くものです。口の開いたものがあるからサービスするよと言う言葉。サービスがいくらになるのかわかりませんが、同じくロマネのブランデー1979とムートンのマール ド・アキテーヌ を順に注いでくれました。甘露という言葉がありますが、それと違う黄金水のようなイメージでした。マスターがロマネの畑を訪ねた際の昔話を話してくれました。話題は自然とワインの方へ向かい、テロワール談義を一通り。話が昂じ、地下のワイン庫を見せてくれることになりました。次の写真に示すとおり、私の飲むワインよりも0の二つ多い瓶がゴロゴロしているのです。中に入れさせてもらいました。どうですか、このペトリュス。マルゴーを見つけ、幾らするのか、それを聞いて溜息が出ました。よいことは続くものです。わけのわからない、正体不明と言いましょうか、年配白髭の男性とこれまた銀髪の婦人、何れも70歳を優に超えていましたが、この男女が隣でひそひそ話をしていました。夫婦ではないような感じでした。地下でうっとりしていたところに、その婦人が降りてきて、ポムロルはありますかというのです。マスターが何本かを見せましたが、ノン、他のものをと言いました。ではこれをと別のものを2本出しました。このラベル、見たことがあるような無いような。すると彼女は、今日は4人だから2本くらいいけるでしょうと言うのでした。彼らは二人、ということは私とT君も含んでのことでした。カウンターへ戻り、抜栓。ゆっくりと相伴にあずかりました。味と香り、とても複雑なのですが、ふくよかで気高い、純真無垢というような言葉が似合うようでした。とってつけたような言葉ですが、これはあとでこのラベルと価格を調べ、驚いたからです。ル・パンとラフルール、ヴィンテージは1982でした。件の男女はグラス2杯飲んだだけ、残りは私がほとんどを飲み干しました。彼らは先に店を出たのです。もちろん払いを済ませて。卵焼きと茶碗蒸しのT君は目を白黒させていました。こんな愉快なことがあっていいのでしょうか。さて、それはそれとして、先に「玉井」について書いた意味不明のことです。要は「玉井」が佐伯に過ぎたる店というようなことなのですが、ホント、畏るべしです。店頭のセラーには、数千円からラトゥールなど数万円のものまでが並んでいますが、奥の院には何が眠っているのかわかりません。全体像をリストアップしたら、どれほどのものになるのでしょう。私、詳しくはありませんが、地下の空調も管理されており、マスターのこだわりを窺い知ることができます。写真はマスターの庫です。いい夜だったです。結構飲みましたが、悪酔いはしませんでした。酒が上等だったためなのかもしれません。スイム、ランはもちろん休みでした。
2009年01月08日
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午前4時半起床。今朝は曇り勾配でした。音楽を聴いたり、日記を書いたりしました。終日、デスクワークでした。自治会のW氏と面会しました。町内会の運営に関し、色々と苦労を聞きました。地区内のトイレ設置について、弊社との取り引きがありましたが、それはすぐに済み、世間話に花が咲きました。夕方、ラン4km+スイム500m。走っている途中、犬に飛びかかられました。散歩させているおじさんが、ヒモを伸ばしたままだったのです。走る時刻が同じなので、時々、すれ違います。いつも同じようなことになります。昔、私の家も飼っていましたから、散歩の途中、そのようになることは理解できました。しかし、老婦人がすれ違うことを嫌い、歩道の脇に引き込んで通り過ぎるのを待っている姿を直前に見たため、ついおじさんにクレームをいいました。言葉使いがちょっときつかったかな。反省。雑誌ランナーズを買いました。掲載されているのはレベルの高い人の練習と成果です。参考になりますが、私にはなかなか真似できそうにありません。同世代でこれからフルマラソンを走ろうとする人たちは、一日に今私が走っている距離の倍をこなしているようです。10km~20kmの練習をしているようです。これをこなすには強い意志と、練習時間の延長が必要です。大げさですが、ちょっとライフスタイルの見直しが必要なのかもしれません。この頃になって、遠くの友人からの年賀が届きます。年末、押し詰まって出したのでしょう。でも、これはこれでよいです。1月から全国紙と大分合同に加え、宮崎日日新聞を読むことになりました。隣県の地方紙です。大分合同新聞との比較も面白いです。農林水産関係のものが多いような気がします。宮崎は農業県ですから、そうなんでしょう。
2009年01月07日
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午前5時起床。晴れ。外気温4度。ばたばた支度をして、5時半に家を出ました。朝食は食べずじまい。息子を大分空港へ送っていくのでした。行ってしまうと、寂しくなります。道中1時間半あまり。妻がおにぎりを用意してくれました。息子は車中でこれを食べました。夜の明けない高速道路、大分市街、別府市街の夜景はなんだか悲しげな美しさでした。遠くに見えるコンビナートの光も寂しげ。気分に依るのでしょうが、眺める景色が全部このように見えてなりません。しかし、いつもパンパカパンの自分にとっては、こんな感傷的なドライブも、悪くはありません。時にはよいです。空港で別れ、とって返す途中、杵築あたりで車を止め、日の出を見ました。真っ赤というと大げさですが、ゆっくり昇る太陽は荘厳でした。私もにぎりめしをほおばりました。中に入ったタラコの量が、ローソンで売っているそれの3倍でした。息子を送る妻の思いを感じました。タラコは彼の好物なのです。またグッと来ました。佐伯に戻り、妻の実家で軽トラへ乗り換えて、ヤマト運輸へ。息子宛の宅急便を送り、出勤です。午前9時。1時間半遅刻する旨を上司へ伝えていましたが、早く戻ることができ、よかったです。終日デスクワーク。昨年来の積み残し書類は全てカタがつきました。新たな得意様と会う約束も取り付け、気分一新です。夜、ラン8km+スイム500m。走りながら、考えました。いつも同じような練習をしていてよいのかと。目指すもの、年齢、環境、私に相応のものがありそうです。よく書き込みをしてくださる方にツツツさんという人がいます。ランナーズという雑誌のことを書いていました。私も1年間購読してみようと思いました。早速注文することにします。彼はやがて60才のマラソンランナーです。朝も昼も夜も練習しています。会社の出来事、プライベートの過ごし方、どれを取っても参考になります。音楽の趣味は私と同じです。雑誌の購読も、きっかけとなりました。妻は帰宅後、今日もお悔やみ出かけました。50代半ばにして癌に倒れた知り合いでした。
2009年01月06日
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午前3時半起床。外気温4℃。台所の洗い物を片付けたあと、コーヒーを煎れ、新聞まとめ読み。面白い記事を見つけました。読売新聞とギャラップ社の調査結果です。その中に、社会を形成する幾つかのものを挙げ、日米双方の国民に、これが信頼できるか否かを問うというものでした。アメリカ人は軍隊を信頼できるとした人が91%、日本人は自衛隊を信頼できるとした人が27%。以下同じです。「病院」米80%日48%「教会」米74%「寺・寺社・教会」日本37%「大統領」米46%「首相」21%「警察・検察」米74%日36%「連邦議会」米46%「国会」日21%「連邦省庁」米43%「中央省庁」16%「地方自治体」米60%日32%「学校」米67%日37%「テレビ」米49%日36%「大企業」米28%日21%「動労組合」米44%日24%なんと、日本はどれもこれも信頼がない。でもアメリカをかろうじて上回るものが一つだけありました。「新聞」米52.2%日52.7%全体的に、さもあらんという気持ちです。朝からなんだか暗い話でした。ブログには滅多に時事問題のことを書きませんが、もうひとつ。ガザ地区のことを想うと、何ともやるせない気持ちになります。理由は双方にあるでしょうが、なんとかならないものでしょうか。終日デスクワークでした。昼前に幼なじみの父親が死んだという訃報が入りました。夕方、暗くなって、妻と彼の家を訪ねました。母を数年前になくし、今度は父親です。悲しみに暮れていました。かける言葉がありませんでした。今日、息子と最後の夕食でした。妻がトンカツとカキフライをしました。土佐の銘酒「桂月蔵出し原酒」を抜栓。常温の酒は、これはこれでいいものです。19度というアルコールは五臓に染みわたります。いい気色になりました。明日、早起きをして、大分空港午前8時発の便に乗ります。朝が早い。送ったあとの帰り道は寂しいだろうな。ブラームスでも聴こうかな。今日はラン、スイムとも休み。9連休で走った日が八日間、これでよいです。息子との晩餐を囲むために休みでした。
2009年01月05日
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読売新聞から高城高『高城高全集』4巻 創元推理文庫 580円~940円 硬筆で鋭い文章 杉本一樹『正倉院』 中公新書 800円永冨謙『廃道本』 実業之日本社 1,505円曽我誉旨生『時刻表世界史』 社会評論社 2,800円
2009年01月04日
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午前5時半起床。霜降。バロックの森を聴きました。今日で長かった休暇も終わりです。朝ご飯は味噌汁と豪華な鮭の塩焼きに香の物でした。食べ終えて、軽トラで娘を駅に送りました。家を出る際、満開の山茶花にメジロがやって来ていました。午前9時過ぎの「にちりん」に乗り、小倉から新幹線。午後5時には東京へ着くそうです。見送ったあと、郵便局のポストへ賀状の返信を投函し、その足でヤマト運輸に荷物を持ち込みました。娘へのものです。昨夜、妻が荷造りを手伝っていました。あーあ、寂しくなった。運動公園へ回り、ラン14km+スイム700m。アップダウンのコースを選びました。小山の中腹を縫う遊歩道です。吊り橋もあります。ここは恐い。汗びっしょり。正月気分を吹き飛ばすきっかけになりました。今日も空が青かったです。椎の覆い被さる道にはドングリが沢山落ちていました。夏にアユの躍る大越川は枯れ、苔が乾いて河床は真っ白です。午前10時だというのに、日陰は、まだ霜が融けていません。県道と交差する付近には、上を電線が通っています。これにとまったムクドリが糞をするのでしょう、100mにわたって種が散らばっています。すごい量です。何の種子かわかりません。昼食はスパゲティ。テレビに流れる温泉の番組に、3人になった食卓の会話が弾みました。子供が二人いっぺんに上京しなくてよかったです。何を血迷ったのか、妻がペーパーモップで壁や天井を拭き始めました。仕方なしに手伝いました。昨年末、大そうじをサボり、それが気になっての仕儀でした。真似事とはいえ正月明けに大そうじをするのは、なんだかお笑いです。でも拙宅一家が天の邪鬼であることを考えると、まあこれが普通の状態なのかもしれません。暖かな一日でした。薪ストーブは朝のうちに焚いただけでした。考えてみると、12月26日の夜からずっと燃やしっぱなしでした。寒い日が続き、休みが続いたこともあり、火を絶やしませんでした。火の番は簡単です。4~5時間ごとに薪を放り込むだけでよいです。何もしなくても8時間は火持ちします。この快適さのために、年中地下足袋を履き、軽トラで山に行くのです。夕方、息子が出かけました。昼に見た番組は、黒川温泉の特集でした。これがきっかけとなり、妻と一緒に番匠川の奥にある温泉「牧山乃湯」に行きました。小さな施設ですが、露天からの川の眺めは一興です。夏に舞う蛍は西日本有数という折り紙つき。私の家から21km。丁度ハーフマラソンの距離です。今度、走って出発し、着替えを持った妻とこの湯の前で落ち合うようなことを計画したいです。よい練習になると思うのですが。帰り、鮨をつまみ、馬刺しを食べました。ほろ酔いです。休暇のよい〆になりました。
2009年01月04日
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午前6時半に起きました。外気温は4℃。寒さ一服でした。ちょっと二日酔い。ストーブの前で新聞をだらりだらりと読み、箱根駅伝観戦。合間に朝食。トースト1枚のみ。居間に日差しが差し込み、うつらうつら。昼食は冷凍していたハヤシライス。駅伝の結果を見届けてラン4km。気分が乗らず、一汗かいただけでした。空が青く、山の緑に夕日が映え、気分が和みました。シャワーを浴び、缶ビール。正月三が日、音楽は全く聴きませんでした。夕食前まで新聞まとめ読み。今夜が家族4人で食べる最後の晩ご飯でした。外食しようという案を出しましたが、否決されました。妻が、年末に北海道から届いた鮭で石狩鍋を作りました。これはこれでよかったです。土佐の銘酒「文佳人」と合わせました。
2009年01月03日
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午前6時起床。終日晴れ。朝食前にラン9km。昨日よりも北風が強く、走りにくかったです。昨日、疎水から道に漏れこぼれていた水が凍り、滑りそうになりましたが、今日も融けていませんでした。寒い。箱根駅伝を見ました。娘が早稲田のWを見て曰く「ワカモトの宣伝みたい」なるほど。最後の山登り、東洋大学1年生の柏原選手、凄かった。ところで、レースを見るたびに思うことがあります。この大会は関東の大学のみ出場できます。関東学生連盟の大会だからです。高校駅伝で活躍する全国のランナーがこの大会へあこがれ、関東の大学に集まります。福岡大学や地元大分の日本文理大学も駅伝が強いのですが、出雲や全日本を走ると、格の違いを見せつけられます。色々事情はあるのでしょうが、なんだか残念です。かなわぬこととは知りながら、箱根の予選会に全国の大学が参加できるようになれば面白いと思うのですが。高校の同窓会に出席しました。2年ぶりです。午後3時、ホテルNSでした。学年の人数は300人あまりですが、出席者は80名。まあこんなもんでしょう。私は幹事の一人でした。司会進行の役目をしたので、酒をあまり飲めませんでした。何人かの人に、痩せたねと言われました。運動の成果です。嬉しいです。男は過半数がメタボ、白が混じり或いは薄くなっていました。逆に女性は皆綺麗になっていました。60名近くが2次会に行きました。途中、中学の同窓会を掛け持ちしていた西野浦のHが二次会の会場に来ました。彼とは高校卒業以来でした。積もる話をしました。会えてよかったです。今夜は娘も見に同窓会、妻も友人と会っていていました。帰りは3人一緒でした。
2009年01月02日
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午前6時半起床。霜降。風はありませんでした。朝食前に、百円玉を持って、近くの神社へ向かいました。走る格好をし、ジョギングで行きました。何人か初詣に来た人と会っただけです。元日の朝、この時間に数人ですから、神社の規模は推して知るべしです。私は毎年、ここにしか参拝しません。いつだったか、日向の印鑑販売を生業とするIさんに、初詣は自宅から一番近くの神社に行くのがいいというようなことを聞きました。以来、そうしています。参詣のあと、ラン8km。シャワーを浴びて朝食。干物と味噌汁、漬け物、ご飯。いつものメニューです。これがいい。昼下がりまで実業団駅伝を見ました。面白いレースでした。1区の北村、昨年まで日体大で活躍した選手でした。小柄ですが印象深い。惜しくも区間賞を逃しました。旭化成、惜しかった。隣町、延岡市のチームですから応援していました。アンカーの足立選手は大分市出身です。昨年、大分別府毎日マラソンで優勝したランナーでした。これも残念。観戦途中、新聞を読み散らかしたり、届いた年賀状を読んで、出さなかった人宛に、何枚か書いたりしました。レースが終わり、スーパー銭湯へ行きました。ガラガラでした。サウナで汗をかき、ジャグジーに浸かり、体がほぐれました。正月気分です。件の賀状を投函し、今日の始末は終えました。夕方、妻の実家へ妻、娘、息子と出かけました。上等の肉を焼肉にしてくれました。ビールが美味しかった。銭湯はこの伏線だったのです。エヘヘ。昨夜、夢を見ました。ハーフマラソンを1時間十数分で走ったという内容です。初夢は1月1日から2日にかけて見るものですから、正夢ではありません。実際、そんなに早くはしれませんし。明日は、そのランも含め、私生活の目標など、考えてみようと思います。
2009年01月01日
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謹賀新年 おかわりありませんか。私は知命になりましたが、馬齢を重ねるばかり。一向に子どもらしさが抜けません。妻も同じです。拙宅のことを書いて、新年の挨拶とさせていただきます。【仕事】昨年、戻ったばかりの営業一課を離れ、営業三課に移りました。某業界の内側を見聞き出来たことは、貴重な体験でした。【健康】ジョギングが昂じ、ハーフマラソンを三回走りました。体重が減り、血圧が下がりました。酒飲みの赤ら顔はしていません。妻は週一のエアロビ通いもおろそかになりがちでした。【旅】秋に旅行をしました。札幌ハーフマラソンを走り、恩師・親友と会いました。友人夫婦二組と示し合わせ、ハウステンボス、グラバー亭を訪ね、小浜温泉に泊まりました。【音楽】天満敦子のバッハを聴きました。クテュリエのバッハも聴きました。【読書】量が落ちました。今年は特段、印象に残る本はありませんでした。新聞の読書欄が楽しみです。【映画】私が五十歳になり、夫婦で劇場へ行くと二人で二千円。妻とのデートが安上がりになりました。【子ども】娘が就職しました。東京にアパートを借りての生活が始まりました。なんだか寂しいです。息子は大学二年です。小さな水泳部の役員をしています。【妻と私】妻は養護学校の臨時教師を続けています。夕食時は二人で晩酌をするようになりました。妻は髪を染めているのでわかりませんが、私はかなり白くなりました。とりとめのないことを書きました。皆様によいことがありますように。
2009年01月01日
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