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Sunday, January 31, 2021 快晴 12.8℃ 0.8℃ 午前6時起床。後れを取りました。朝食後、サンデーモーニングを見ました。この番組、コメンテーターのうち寺嶋実郎、荻上チキの両氏、それに今日は出演していませんでしたが、青木理氏がいい感じです。写真は昼に食べた餺飥(ほうとう)です。小麦粉で打ったものを平たく切って茹でて煮込む汁物です。私、タバスコが好きなので、それを振って楽しみました。暖まりました。 午後は思い立って女竹を切りに。夏野菜(茄子、胡瓜、オクラなど)の支柱にするのです。軽トラで1分のところに群生しています。いつものランコースが途中です。川の中に降りて、この鉈で根元をスパッ。その際は足下に注意が必要です。毎年、此所で誂えているので、過去の切り口が竹槍状、上を向いているからです。 根元を離したそれは、ウラ(先に葉の付いた部分)ごと、道路に引き揚げます。横にしておいて1本1本、それを切り落としていくのです。 これくらいあれば十分だろう。荷台に載せて縛りました。 家に戻り、輪子の上に降ろしました。後日、2mの長さに揃える予定です。 帰宅する前、女竹を軽トラの荷台に載せている途中、散歩のYさんが通りかかりました。久しぶりでした。私より一回り年上の男性です。現役の頃は造船所が職場でした。鉄と鉄の溶接が完全か否かをX線を用いて検査する技師でした。過去に一度、溶接部位の検査映像を見せて貰いましたが、さっぱり要領を得ませんでした。仕事柄だけに線量計を装着していたことは覚えています。古希を過ぎて、ペタンクに嵌まっているとのこと。共通の友人が大病を患っていることを知らず、そのことを教えてあげました。 戻ります。作業着を脱いでランの格好になりました。日の落ちた後、いつものコースをくるり1周。ラジオが網走に流氷接岸を報じました。いよいよだな。昨年、私のまちにある三浦造船所が砕氷船ガリンコ号Ⅱを建造しましたこちら→(ガリンコ号進水式)。いよいよ出番です。 次の写真は、ランの途中、向津留の農道から北側を望むの図です。上手に撮れませんでしたが、マジックアワーの空気は、オレンジとピンクのそれぞれ薄色が混ざり合ったような感じの色合いでした。 帰宅して汗を流しました。頭を拭きながら夕ご飯作りを加勢。勿論、飲みながらでした。バタンキュー。以下無用のことながら 陳舜臣の中国歴史物を好んで読むことは、幾度も書きました。手に取ったことのない本を見つけたのでそれを捲っています。「実録アヘン戦争」です。写真の右がそうです。左の3冊は同じ小説家の書いた大河小説です。前者は歴史書。後者は舞台が一緒の大河小説です。両方とも、アヘン禁止から香港割譲に至る経緯をドラマチックに描いています。主人公、欽差大臣(特命全権の大臣)・林則徐(アヘン禁輸担当)が立派です。 余談です。昨今の香港情勢を見るにつけ、私は西欧諸国が清朝にした仕打ち、アヘン戦争を思わずにはおれません。 産業革命の後、イギリス資本は未開のマーケット・中国大陸に目を向けました。アヘンを餌に茶葉を買い付け、暴利を貪ろうという算段です。当然、清朝は禁輸措置を講じました。これに対し、英国は軍事行動、勝利を収めます。その際の海戦、砲弾を浴びたジャンクの画「ネメシス」は有名で、中学の歴史教科書にも載っています。私は実物を東洋文庫で見たことがあります。 戻ります。1842年、イギリスと清は条約を結びます。南京条約です。この時、香港の割譲が決まったのでした。 アヘン戦争とは、大雑把な言い方になりますが、イギリスが儲けのためにアヘンを売りつけ、人民が腐っていくと憂えた中国がその売買を禁止。立腹したイギリスは大砲を撃ちかけ、香港を分捕りました。その仕打ちなのです。なんともひどいことではあります。 それをしてのことですが、今の中国は、返還の香港を自らの体制に組み込もうとしています。何が悪い、イギリスの清朝に対する振る舞いに比べたらなんのなんの、一国二制度は方便、加えてそれ以降、第二次大戦終結まで、列強が土足で踏み荒らしたことに比べたら小さい小さい、などと考えているのでしょうか。今の時代は、表現の自由や民主主義が物差しです。それが失われるというのは困りものです。が、アヘンを売りつけ、それを断ったら戦争を仕掛ける国からは言われたくない、との言い分、時代こそ下がった今ではありますが、わからなくもありません。それを乗り越えてこその平和ではありますが。 いえ、私、今の隣国を擁護ではありません。清朝末期の歴史が好きなだけです。無用のことでして。今日の一句歳時記や冬を返して春を取る今日のラン6km今日の酒冷酒1合 白ワイングラス2 スコッチ1ショット 黒霧ストレート1ショット今日の音楽シベリウス 交響曲2番 カラヤン ベルリンフィル これ、名演でした。カラヤンのシベリウス、私は好きです。 今日の写真は先日の続き。難読の冬季語その2です。明後日が節分、明明後日は立春ですから、今のうちに掲載です。 読み方はこちら。
2021年01月31日
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Saturday, January 30, 2021 快晴 11.2℃ -0.6℃ 午前4時起床。昨日ほどではありませんが、終日北西が吹きました。 明け方から朝の内にかけて、書斎に過ごしました。10時を過ぎて、いい天気だ、輪行に出かけよう。きっかけは先日、こういうパンフを手に入れたことによります。「藍(ラン)ポタ」です。 開くと、JR佐伯駅から道の駅「やよい」に至るコースのサイクルスタンプラリーの台紙になっています。これ、地域おこし協力隊の平井さんが事務局となって実施の企画です。彼女、頑張っているなぁ。私もいっちょ、走って見るか。 と、その時でした。スマホに着信あり。韓国旅行仲間、ポンポン船の船長からでした。船に誂えた板の椅子が腐ったので、新しいのを1枚欲しいとのことでした。おやすいご用、それに彼のいうことをきかないと、魚釣りに連れて行ってもらえません。出発を遅らせました。待つこと40分。ストックの中から1枚を持っていきました。彼曰く、魚信のあったら一番に連絡するよ、一緒に沖へ出よう。嬉しいことを言い置き、帰って行きました。髭面の顔写真、取り忘れました。残念。 すぐさま出発。先ずは昼ご飯だな。ブロ友禁玉さんがこのところラーメンを控えているようなので、刺激してやろう。佐伯駅前にある聖(ひじり)に向かいました。次の写真はその道中にある造船所、佐伯重工業です。数万トンの大型フェリーや貨物船などを建造、年間10隻近くを進水させるそうです。従業員は200人ほどらしいですが、造船業は裾野の広い業界です。納入業者や下請けを含めると、佐伯の雇用に貢献度大、大切な会社です。外国人実習生も50名ほどいるようです。その人たち、コロナ禍にあって、入出国禁止の影響は出ているのでしょうか。あっ、株主は尾道造船と聞いたことがあります。親会社・尾道造船の社長は中部隆氏。ゴルファーの間では知れた中部銀次郎の長男です。 余談です。私、学生の頃、酔散業界の歴史を紐解いたことがあります。中部家は戦前、下関に林兼商店を設立、トロールと捕鯨を営みました。戦後は大洋漁業に社名変更。200海里時代以前は洋鮭鱒、底引きは海外展開、モーリタニア沖のトロールなどに進出しました。バブル崩壊前、酔散を勉強した学生にとり、憧れの就職先が一つでした。現在は日魯(ニチロ)と合併、大手食品会社マルハニチロになっています。余談の余談ですす。横浜DeNAベイスターズの前身、大洋ホエールズはこの会社の球団でした。佐伯重工業をして色々な繋がりのあるものではあります。 造船所の向かいには、海上自衛隊佐伯基地分遣隊があります。この建物がそうです。 10年ほど前まで、佐伯海軍航空隊の庁舎がその儘残っていて、そこを海上自衛隊が使用していました。上の写真は、それを取り壊し、新たに建造の建物です。海軍のそれとほぼ同じ形です。その旨を書いた碑がありました。 あーっ、腹減った。此所に突っ込みました。正午過ぎでした。鉄工所で働くような作業着のお客さんで混み合っていました。東南アジアの方と思しき男性も数人。中に同席、ラーメンを啜りました。 チャーシューメン。1.5ラー(900円)でした。味は豚骨風。麺はストレート。悪い癖の出て、汁を全部干しました。 さてと、満腹になったことだし、鶴岡方面に廻ってみようか。スタンプラリー対象の店を覗いてみよう。城山を越えました。「お菓子のうめだ」はお客さんで混み合っていました。スルー。脇地区を通り、「モカ珈琲自家焙煎工房」に立ち寄りました。 店内はログハウス風でした。 ブレンドの豆を100g購入。スタンプを押して貰いました。次の写真は薪ストーブです。ダッチウエスト社製のロッキーマウンテン。レア物です。故障し、燃やしていませんでした。 ここまで来たからには「支縁や」へよってみよう。かつての同僚、定年前まで10年近く残して脱サラのSがソフトクリーム、おはぎ、珈琲などを販売する店です。訪ねて馬鹿話をし、妻への土産、名物のおはぎを買いました。それ、美味しいんです。ついでだから道(国道10号)の反対側、「道の駅やよい」を冷やかしました。店内の様子です。 玄関先にネコヤナギの枝を売ってありました。春だなぁ。 時間が押しました。帰るとするか。次の写真は番匠川の井崎付近です。河川敷にテントを認めました。冬キャンプか。最近、流行りだもんな。非日常は楽しいだろうな。 番匠大橋を過ぎると、友人モイ香先生(亡くなって5年ほどが経ちます)御用達だった「かわの釣具店」が見えてきました。週末です。市外からの太公望に応えるべく、駐車場に冷凍のアミエビを広げてありました。解凍し、即使用できるように、ということでしょう。商売繁盛です。 佐伯大橋のところまで下ってきました。袂で上流を振り返りました。池船スポーツ公園(河川敷)に遊ぶ家族連れが目につきました。水面や対岸の煙草山といい、本匠方面の空色といい、春を感じました。 今日のサイクリングは汗をかきませんでした。着替えぬまま、ソファーにウトウト。まだ日のあるうちに風呂を浴びました。夜、食事中も食後も妻と込み入った話をし、夜更かしとなりました。いえ、悪い話ではありませんが。今日の一句寒桜の便りをくれし古い朋今日のランサイクリング35km今日の酒冷酒1合 ワイングラス3 スコッチ1ショット 黒霧お湯割り正味3勺今日の音楽シベリウス 交響曲1番 6番 カラヤン ベルリンフィル 1番は名演奏でした。今日の写真は「抜萃のつづりその八十」です。昨日、送付がありました。これ、熊平製作所が書籍や雑誌、新聞からエッセイやコラムを抜粋、印刷して無償配布の小冊子です。会社のHPに「心に残る」内容とありますが、読んでまさにその通り。年1回発行。希望すれば自宅に送付してくれます。
2021年01月30日
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Friday, January 29, 2021 快晴 7.1℃ 1.8℃ 午前4時起床。寒い一日でした。北国は大荒れ、ニュースが暴風雪を報じていました。大分・佐伯も気温のとおり震え上がりましたが、そこは九州山地の東側。日本海から寄せ来る湿った空気を久住連山・阿蘇五岳に祖母傾、深田久彌の百名山が遮ってくれます。空はドピーカンでした。 昼のテレビニュースが、大分・竹田に始まった蕗の薹の収穫映像を流しました。ああ、そうか、もうその季節か。ならば拙宅の敷地内にもと思い、覗いてみました。おっ、出てるぞ。 まだ小振りですが、その分、濃い香りがしそうです。 戻ります。一桁の気温と強い北風がせいで、午前午後とも書斎に過ごしました。居間にある書斎の扉を開け、薪ストーブをガンガン燃やしても、空気はそれほど交換しません。足下に手焙りの火鉢を置き、時折、消し炭を足しながらです。活字に飽くと、それに網を載せ、餅を焼いたり。 ん? どうした、トラ? 面白くないって? えっ? 鰺刺を食べたいって? そうか、鰺刺、久しく食べてなかったもんな。愛猫のいうことはきいてあげなければなりません。いつものスーパーへ走りました。それを購入、とんぼ返り。ほれほれ、これだろう。でもちょっと待っちょけよ。ひとっ走りした後、あげるからね。 ランの格好に着替えました。大風の中、いつものコースを軽くジョギング。イヤーマフをしなかったので、耳が冷たかったです。陽の落ちる寸前でした。いつもの図ですが、葦高の山は残照に照らされ、い感じでした。この色をして花粉、いよいよだな。 次の写真は、空き家となったMさん宅の梅です。先日、咲き始めをアップしましたが、今日は三分咲きかな。余談です。私、桜も好きですが、どちらかというと梅の方に惹かれます。キリッとした風情はこちらだし、花の期間も長いし。ちなみに花言葉は上品、高潔、忍耐、忠実です。ちなみのちなみ、桜のそれは精神美、優美な女性、純潔です。 戻ります。トラ、お待たせ。鰺をパックからまな板の上に。鮮度抜群、キンキンバチバチでした。10尾が1/3ラーです。 チャチャッ、やっつけました。トラに全部は無理です。彼の食べた残りは夜のお勤めに回そう。ラップして冷蔵庫に。 風呂を浴びました。臭くなった手で頭をシャンプーしたら、髪に匂いの移るかもしれない。魚をあたった後はそれが悩みです。 頭を拭いた後、これを開けました。鰺を買ったついで、酒売り場を冷やかし、購入したのでした。この樽酒、一口嘗めて冷やは案配の悪い。ぬる燗にして杉の香りが立ちました。瓶の方は生酒。アル度高め、濃厚甘口。鰺刺の鰺を殺しました。以下無用のことながら 毎日新聞の「余録」に活字のことを書いてありました。「コロナ禍で強いられた巣ごもり」が「活字好きでない人にもあらためて読書の楽しみを思い起こさせたよう」なのだそう。紙と電子出版を合わせた販売金額は前年比4.8%増とも。さて、このコラムには前段がありました。活字に飢えた学者のエピソードです。向坂逸郎。知る人ぞ知る一昔前の経済学者です。治安維持法で検束され、獄中、本のないのに苦しんで、手元の弁護士名簿を繰り返し読んだとのこと。向坂は蔵書5万冊の活字中毒、独房に本を手にすること能わずの苦しみを紹介してありました。向坂と聞いて叔父を思い出しました。数年前に他界した父の弟です。生前の或る日、脈絡を忘れましたが、叔父が学生時代の話をし始めました。本人の通う学部のみキャンパスが久留米の田舎にあって、食べ物に窮し、毎日東奔西走芋泥棒、果ては農家の山羊を連れ去って殺め、食べたような話でした。その折、大学に向坂教授のいて、その講義を聴いたとも。そのことが頭に残り、この日の「余録」にその名を認め、遙か彼方、巡る向坂への繋がりを覚えました。いえ、ホント、徒爾のことではありますが。今日の一句飛び梅に菅公のごと向坂も今日のラン6km今日の酒燗酒1合 冷酒2合 スコッチ2ショット今日の音楽なし今日の写真はネタ切れにつき、角川ソフィア文庫俳句歳時記冬に掲載の難読季語です。答はこちらです。
2021年01月29日
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Thursday, January 28, 2021 晴れ 14.8℃ 5.7℃ 午前4時起床。訳あってウィークデーの朝食時刻が午前6時半に決まりました。 午前は書斎に。カラヤンシリーズが捗りました。 ポカポカ陽気に誘われぼんやり。庭に目をやりました。ん?水仙の芽? 隣にこれが咲いていました。上の写真は追っかけなのかな。 昼をして、着替えました。今夜から明日にかけ、大風の吹く予報です。強風の折、山仕事、特に倒木は危険です。やめておいたほうがいい。ということで、いつも親方の山へは午前なのですが、今日は思い立って午後、出っ張ることにしました。写真は着いた切り出しです。仮置きの材木は殆ど私が倒しました。玉切って積み上げたのは親方です。 次の写真は今日の着工前です。平地の大木は、残り10本ばかりとなりました。 こちらは竣工図。すっきりしました。 作業中はこんな感じです。どうですか、同一方向に重ならず並べて倒す技。我ながら上手いものです。重なると、親方の後の作業に差し障り、手戻りが生じます。狙いを定めて受け口を切るのが肝要です。 作業中、邪魔になる雑木を刎ねていて、チェーンが外れました。刃の下、バーの溝を滑る部位に山が出来て、溝に嵌まらずの仕儀に。平鑢でその部分を削りました。老眼鏡を持ち合わせず、思うようになりません。グラインダーで調える必要がありました。放り出し、後半の作業は親方のチェーンソーを借りて、でした。ところがこれがなまくら。切れが悪いのでした。なんでも最前、石を切ったとのこと。回しても粉を吹くばかりでした。写真はチェーン外れるの図。 もひとつ作業中の話です。首筋にチクリ、痛みを感じました。手を回し其所を押さえました。小豆大の虫を捕まえました。見ると二星天道でした。へーっ、天道虫は人を噛むのか。そう思った矢先、ん?まさに次倒す予定、杉の幹の其処此処を何匹も這っていました。こんな感じです。 下に目をやると、やっ!二星天道の塊だ。此処の倒木作業前、親方が雑木を始末しました。その切株の一つが彼らの冬眠に丁度いい案配、割れていていたのでした。何がいいのかわかりませんが、縁起のいいようなものを見ました。 倒した本数はそれほど多くありませんでしたが、チェーンの外れ、手間取ったせいで帰宅が遅くなりました。写真は今日の駄賃。立派な生椎茸です。 帰宅して風呂。プシュッ。晩ご飯はチキン南蛮でした。何だか疲れて、早めの就寝。写真は飲んだオリオンビールです。何でも桜の花びらを使った特別仕様とのこと。濃いめの色合いでした。今日の一句水仙が水仙を追い春近し今日のランなし今日の酒オリオンビールレギュラー缶2 燗酒2合 ジン1ショット今日の音楽ブラームス 交響曲第2番 ベーム ウィーンフィルシューベルト 交響曲第5番 第6番 8番 9番 カラヤン ベルリンフィル今日の写真は堅田川の河床掘削工事です。場所は江国寺前。その200m下流でもやっていました。こうして積み上げ、バックフォーがダンプトラックの荷台に次から次、載せていきます。この辺りは河口から2kmほど上流です。流れが穏やかにつき、堆積の土は細粒。よく肥えているはずです。ダンプ1台分の土、菜園に欲しいな。 おまけです。土場に踏み入れたダンプは土埃を立てます。それを防ぐため、近場の道に撒水が必要なのでしょう、その車と行き遇わせました。バンパーの下から進行方向に向け、シャワーが吹き出ていました。
2021年01月28日
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Wednesday, January 27, 2021 晴れ時々曇り 14.6℃ 7.8℃ 午前4時起床。朝ご飯を済ませ、NHKFMのクラシックカフェを聴きました。ケンペ、ミュンヘンフィルのブルックナー5番をやっていました。聴き入りました。その流れで昼までを書斎に過ごしました。 午後、強い風の中をサイクリング。写真は番匠川とその支流堅田川の合流する辺りです。茶屋ケ鼻橋の欄干にもたれてパチリ。佐伯の市街の遙か向こう、中央左寄りの山は彦岳です。山の向こうは津久見市。高校野球の名門・津久見高校のあるまちです。その校歌にこの山が歌われているのです。母校ではないのに何故それを知っているのか。それは甲子園で幾度も勝利し、そのたびにテレビ画面に~♪~彦岳に朝の陽映えて雲白く沸き立つ所大いなる抱負を胸に寄り集う若人我ら向学の息吹はつらつああ望みあり~流れたからです。そうなんです、甲子園、春と夏にそれぞれ1回、全国優勝しています。プロ野球選手を多数輩出。有名どころでは川崎憲次郎、近年は楽天で活躍した鉄平。古くは太田卓司や高橋直樹の名が挙がります。 ん?川の中央に黒い群れが浮かんでいるぞ。ズームで拡大してみました。やっ、川鵜の群れだ。何を狩っているのだろう。遡上の稚鮎かな、それとも瀬切る片口を、かな。 風が強く、新佐伯大橋を渡ったところで気が変わりました。久しぶり、佐伯に過ぎたる喫茶店「ランブル」へ寄ってみよう。そちら向け、ハンドルを切りました。御免下さい、中にいるとアラジンストーブが青白い炎を燃やしていました。写真は店内の一部です。カウンターに椿を活けてありました。マンデリンの味はいつも通り、格別でした。 折角だから、近くの招魂所へ行ってみようか。佐伯のランドマーク・城山の東側に回り込みました。墓地の先に鬱蒼の部分あり、其処に明治初期、西南戦争に命を落とした官軍の警察官と兵士が眠っています。148柱。先日、安土桃山時代に薩摩・島津勢と大友勢の戦がこの地・佐伯であったことを書きましたが、この戦いにも薩摩が関係しています。何かにつけ官僚化した明治政府の元武士役人のやり方を気に入らぬ薩摩武士が、西郷隆盛を担いで政府に意見しよう、兵を出します。これに対し、政府側が応戦。戦場は熊本を中心、大分・宮﨑の各地に広がりました。所謂「西南の役」です。この地・佐伯から隣県延岡辺りにかけての県境でも戦いがありました。その戦に倒れた政府側の人間を葬ったのがこの場所なんです。 余談です。東京・九段に靖国神社があります。神社には、ペリー来航以来、太平洋戦争終結までの戦死者が祭られています。この地に眠る148柱も、です。しかし、靖国には官軍以外の戦死者は祭られません。維新・戊辰戦争時の旧幕府軍や新選組、彰義隊、奥羽越列藩同盟軍の戦死者も除外されています。勿論西南戦争の薩摩側兵士、西郷隆盛も靖国の祭神ではありません。 しかし、面白いもので、賊軍の汚名を着せられても義に生きた諸々の人たちこそが、後世、小説・舞台の主人公となり、歴史に大きく名を残しています。西郷、松平容保と白虎隊、新選組の面々・・・。それと相関のあるか否かは別として、九段北に祭る祭らぬの物差し、妙なものではあります。 写真は警察官・兵士の墓標です。 振り返ったら、特急ソニックが丁度通りかかりました。次の写真にそれを見て取れます。此処はすぐ其処に日豊本線なのです。遙か向こう(一番向こう)のピークが九州百名山の一座・元越山です。その麓に拙宅・梅林庵があります。 おっと、体が冷えてしまった。小さな坂を越えて若宮方面へ下りました。その道、陽の射すことのない日陰です。湿気が多く、寒い折は凍るのでしょう。其処此処にこれを置いていました。塩化カルシウムです。これ、田舎道に置いてあると、泥棒されることがあるそうです。盗人はこれで漬物を漬けるのだそうです。 ここまで来たら折角だからパン屋「トム・ソーヤ」に寄ってバゲットを買おう。それを済ませ、そうだ、この近くに韓国旅行仲間にして、昨年、奧さんを亡くしたAさんの家がある。訪ねてその後如何、線香の一本も。そうしました。元気そうでしたが、独り身になって食事をこさえるのが面倒、夜になって寂しさがじわりやってくる、そのようなことを話してくれました。彼は司馬遼太郎を愛読とのこと。「街道をゆく」を読み込んでいるそうです。シリーズの中に「南伊予・西土佐の道」というのがあり、コロナ終息の後は一緒、其所を旅しよう、誘われました。二つ返事でOK。宇和島・大洲・松山、楽しみです。内子にも行ってみたいな。写真は家に戻り再読のそれです。 思わぬ長居になりました。午後4時をまわってしまいました。まっすぐ帰宅。風呂を浴びて夜のお勤め。最初から黒霧でした。今日はトマトソースのスパゲティでした。先日届いたトマトを使い、妻がソースをこさえていました。なかなかいい味でした。写真のないのが残念です。今日の一句独り身の膝を抱えて呟けり今日のランサイクリング20km この程度ではいけないな今日の酒黒霧お湯割り正味1合 白ワイングラス2 スコッチ1ショット今日の音楽ウエーバー 魔弾の射手序曲シューベルト 交響曲第1番 第2番 以上 カラヤン ベルリンフィルブルックナー 交響曲第5番 ケンペ ミュンヘンフィル今日の写真は鳥獣供養塔です。若宮から臼坪に抜ける坂道の途中にありました。建立主は地元猟友会と、横の面に彫ってありました。友人に何人か、猟師がいます。彼らに肉を貰います。輪行途中に手を合わせました。
2021年01月27日
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Tuesday, January 26, 2021 雨のち曇り 18.2℃ 6.1℃ 午前4時起床。火曜日はゴミ出しの日です。私の住むところは週2回、収集車がやって来ます。拙宅は2人暮らし。ゴミの量は少ない。加えて田舎住まい。生ゴミは梅林の隅にレッコします。従い、ゴミ出しは週1回で済ませることが多いのです。雨の中、傘をさしてゴミステーションへ持ち込みました。 雨は午前にあがりましたが、夕刻まで書斎に過ごしました。本に倦いての昼下がりはポアロを見ました。主人公役デヴィッド・スーシェとジャップ警部役のフィリップ・ジャクソンがいい感じです。映画の吹き替え版は好みではありませんが、ことこのドラマに関しては時折見せる2人のユーモア、滑稽さを、吹き替えの方たちが上手く演じています。あっ、私、アガサ・クリスティーの本は一冊も読んでいません。 夕刻、着替えて走りました。体が重く、前に進みませんでした。なんとかいつものコースを一回り。這々の体で家に帰り着いたら、裏山に烏がギャーギャー。見ると頂き、葉を落とした枝に何十匹も留まっていました。 何かに驚いたのか、一斉に舞い立ちました。忙しない連中です。 今日はチョコチョコ筋トレなし。汗を流すのもシャワーで。何だか疲れちゃって、湯を張るのが面倒でした。それでもプシュッ、プルトップを引いてグビリやりながら、鍋をこさえました。今夜は私が当番でした。写真はもつ鍋です。当番と言っても、モツはそれ用をパックから出すだけ、野菜は妻が切り置いてくれていました。私が包丁を使ったのは豆腐のカットだけでした。妻の帰宅して一緒、突きました。焼酎を飲んでバタンキュー。今日の一句大蕪(おおかぶら)風情(ふぜい)無しとて酒の友今日のラン6km今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 黒霧ロック正味1合5勺今日の音楽ラヴェル スペイン狂詩曲 クープランの墓 カラヤン パリ管ビゼー アルルの女第2組曲シャブリエ 狂詩曲スペイングノー バレー音楽ファウスト 以上 カラヤン ベルリンフィル今日の写真は出光美術館発行の仙崖カレンダーです。1月は老子礼賛の水墨画です。書を写すと以下になります。 老子画賛 道難救周 徳不化胡 叱 青牛迷途 彼は周の国で役人をしていました。春秋時代を予感、国の乱れを憂え、隠遁の道を選びました。水牛の背に揺られ周を後にする姿は、函谷関をしてのことでしょう。国を捨てることへの自責はその表情に見て取れず、牛も「さあ親爺、宮仕えは疲れたろう、これからは一緒、楽しい旅をしよう」そう言っている様です。顔つきもですが、足運びにそれを感じます。
2021年01月26日
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Monday, January 25, 2021 晴れ 13.2℃ 5.8℃ 午前4時起床。今朝はゆっくり出来ませんでした。午前8時、父を病院へ。月に1度か2度、心臓と前立腺の経過観察です。耳が遠いので付き添いが必要です。支払いもありますし。母も10年ほど前、軽い脳梗塞を経験して以降、脳神経外科の外来を2ヶ月単位、受診しています。2人とも幾種類もの薬を服用しています。昭和4年と11年生まれ。お陰様で要支援1にも該当しません。写真は隣の薬局が完成、旧棟の取り壊しが終わり、広い駐車場を整備、体裁を整えた南海医療センターです。屋上にはヘリコプターの着陸を想定のスペースがあります。そうなんです、此処は地震・津波・台風・噴火等の災害発生時、災害医療を行う地域災害医療センターなのです。医師は大分大学医学部関係者が多いようです。 帰宅は午前11時をまわりました。通院は半日仕事です。次の写真は昼ご飯。カレーうどん。私、これ、あまり得意ではありませんが、今日のは美味しかったです。 午後は読書。眠気のさしたのを潮、日の傾く前にひとっ走りしてくるか。サイクリングの格好に着替えました。今日は気温高めなので間服(あいもの)にしました。スタートの前、明日が雨の予報をして妻にキャベツとブロッコリー、菠薐草、分葱へ施肥を、と言われました。そうしました。出発。以下はその道中写真です。1枚目は木立川に架かる門の鼻橋から下流を写すの図。昨秋まで川の殆どを繁った女竹が覆っていました。その全部を刈り倒し、1m程河床掘削。災害に備え、流路断面を確保の観点からでしょう。それはそれで納得ですが、前記の茂みは野鳥の住み処でもありました。眺めて、写真だと判り難いですが、烏が行水をしていました。 今日は鶴見半島を半周コース。いつもは反時計回りですが、今日はその逆を行きました。次の写真は松浦にあるAコープです。これといって特徴の無い店舗写真ですが、鶴見は鳥羽一郎の歌「男の港」が舞台の漁師町。時折、朝一番、ここに大きなトロ箱が運ばれ、魚詰め放題のサービスがあると聞いたことがあります。いいな、それ。今度確かめて出撃してみよう。 県道に沿ってうねうね。半島を東に踏みました。左手(北側)に佐伯湾が広がりました。海も空も心なしか春めいた色合いです。左から伸びているのは四浦半島です。尾根筋の北半分はセメントと蜜柑、それに高校野球で有名の津久見市です。河津桜の名所でもあります。そろそろ咲き始める頃かな。もう少し先かな。 中浦の先にあるトンネルを潜り、米水津側にぬけました。そこにある広場にこれを無人販売。今日のコースは時折使います。昨秋は早生蜜柑、寒くなり始めの頃は温州、年の明けて今日はポンカンでした。通る度、此処の柑橘に季節の移ろいを感じます。 おっ、早くも夕方の色合いだ。急ごう。小浦、竹野浦、浦代浦を通過。浦代峠を越えて木立に戻りました。写真は米水津湾から望む元越山です。 大相撲の初場所は昨日が千秋楽。今日からは毎夕観戦の慌ただしい刻を過ごさずに済みます。ゆるり、湯船に浸かりました。風呂上がりにプシュッ。今夜の当てはこれ。 こちらは菠薐草の胡麻和え。これがよかったです。先日の雨で少し大きくなったものを間引いてこさえたようでした。 蓬餅をもらったの、焼いて頂戴。ご飯とは別腹なのでしょう。これを出してきました。義母が友人に貰ったのを裾分だそうでした。餡子が中に入ってありしかも冷凍。火の通るのを待って焦がしてしまいました。 折角だからということで、これを焼いてみました。焼酎ロックがすすみました。以下無用のことながら 今日は海岸線を輪行でした。日によっては番匠川を遡る山あいのコースも走ります。それをしてのことではありませんが、関連して、海と山の気質について。 佐伯市は14年前に1市5町3村が合併して誕生しました。海岸線だけの町や村もあれば、海の無い山ばかりの町、村もありました。 私、酔散の営業畑が長かったので、海に関係した方、もっぱら漁師との付き合いが多かったです。管理職になってからは山方面に暮らす方々にも交誼をいただきました。こちらは1種あるいは2種兼業ではあっても農林業に関連した方が多かったです。 思うに、漁師は開けっぴろげ、軽快、稚気のようなところがあり戯けてみせもします。宵越しの銭は残さない、悩みなしの感じを受けました。一方、山側は内向的、無口、ひたすら謹厳じみて笑顔を滅多に見せません。日々鬱憤の堪るかと。そして酒の飲み方にもそれがでるのでしょう、誰もいないところで大酒を飲むのです。 今日の一句尉鶲(ショウビタキ)畝を飛び跳ね初天神今日のランサイクリング30km今日の酒ジン1ショット 梅酒1ショット 白波ロック2合 スコッチ1ショット今日の音楽モーツァルト セレナーデK525 ドイツ舞曲K600 K602 K605 カラヤン ベルリンフィル今日の写真はサルノコシカケです。拙宅梅林の古木、その根元にありました。近づく統一地方選挙、そのお願いにやって来た人の1人が見つけ、貴重品と宣いました。霊芝と言われ、癌に効くとも言われています。それがこれか。ここにくっついているのは知っていましたが、そうと知りませんでした。
2021年01月25日
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Sunday, January 24, 2021 雨のち曇り 11.4℃ 9.3℃ 最低気温が9.3℃。でも終日、陽の射さず、屋外は肌寒かったです。 午前2時起床。起きがけに珈琲を淹れ、クラッカーとチョコレートを楽しみました。朝食を挟んで昼前まで読書。写真は開いた漢和辞典です。この字、「ふるえる」と読めませんでした。陳舜臣の歴史小説を読んでいて、でした。彼の本(彼は推理小説と歴史小説、二つのジャンルを持ちます。此処では歴史小説をしてのことです)を手にする折は、どうしても漢和辞典が必要なのです。 余談です。私は旺文社のものを使っています。小型、携帯版です。 漢和辞典は同等の大きさの国語辞典に比べ、凡例の頁数が多いです。この辞典も8頁に亘り、でした。凡例とは、編集方針、利用の仕方、使用上の注意、記号・略語などに関する説明を箇条書きにしたものです。これに割く頁数が多いということは、辞典に含まれる内容が多岐に亘ることを意味しています。漢字は奥が深いということでしょうか。 漢和辞典を手に取って私、付録に目がいきます。旺文社のそれにも写真のとおり、巻末に色々なものを掲載。中国文学史年表とか名数要覧、中国度量衡表、歴史地図、故事成語、人名・署名索引・・・。調べたい漢字をそっちのけ、手が止まってしまいます。 おまけです。手持ちにはこのような読み物も載っています。 そのうち、詩経についてのページです。これだけの説明があるのです。詩経とは五経のうちの一つです。中国最古の詩歌集、周王朝の三千余りの中から305篇を孔子が選定したと言われているそうです。中の一篇「凱風」を採り上げた解説がありました。詩の内容は、7人の子を捨てて再婚する母親を子がいさめるというもの。うーむ、4千年の歴史、今から3先年近く前、周の時代にこの様な骨肉の内容を表現する文学のあること、今の中国はさておき、さすが中国です。 と、まあこんな感じで、漢和辞典は何を誘うのかわかりませんが誘うのです。 話がそれました。戻ります。早起きしたら、昼に眠くなるのは当たりまえ。昼前、少し横になりました。目の覚めて昼ご飯。午後は1時から大相撲を観戦。午後3時過ぎ、それからの取組を録画、着替えて走りました。以下の写真はその際の切り取りです。 1枚目は女竹です。小中尾川の中に繁るの図。 これ、胡瓜や茄子の支柱によいのです。毎年、河床に降りて鉈で切って持ち帰ります。そろそろ準備だな。 途中、Kさん夫婦の散歩に行き遇わせました。奧さんは私と同い年。小学校の折、机を並べました。ご主人は7つ年上とのこと。彼、お酒は飲まないのですが、数年前、軽い脳梗塞を患い、トークに軽い障害のあることを話してくれました。そうは感じませんがというと「人の悪口を言う折だけは口が回る」と返されました。ユーモアのある方でした。これから向津留にある野菜畑に大根を引き、おでんをこさえるとのこと。その畑を指さし、いつでも自由に野菜を穫っていいから、と言ってくれました。田舎の暮らしは万事これなのです。 足を延ばし、木立川左岸を中川原橋まで下りました。袂に臘梅が花を付けていました。パチリ。地味ですが、寒中に似合いの色合いでもあります。 木立小学校の方に廻りました。田打ちの後に烏が群れていました。餌になるものがあるのだろうな。なんだろうな。 家に戻り、薪を居間に運び込んで風呂へ。ゆっくり浸かりました。長風呂。TBSラジオ大沢悠里ゆうゆうワイド土曜日版を聴きました。投書にタバスコのことがあり、彼が余談のおしゃべり、それがアメリカの調味料であるのに、スペイン産と間違いました。口調が口調だけに如何にも知ったかぶりなのです。いえ、知ったかぶり、悪くありませんが、間違うとこけちゃいます。この番組、好きなのですが、大沢氏のトーク、利いた風を感じるのは私だけでしょうか。久米宏とは随分タイプが違います。 プシュッ。大相撲の桟敷席にもどりました。幕下は取組を終えて7勝1敗が9人。過去に例ありとのことですが、これほどの人数による優勝決定戦を見るのは初めてでした。幕内最高優勝は大栄翔。来場所、照ノ富士が大関返り咲きに挑戦です。両横綱、戻ってきて欲しいな。 写真は酒保の日本酒が底を突き、白波ロックの図。 当ては酢の物。紅しぐれ大根を混ぜてありました。柚子風味がいい感じでした。 メインはおでんの残りでした。もう一品は剣先。いつぞや誰かに貰ったものを冷凍してありました。うん、これはいける。 刺身と聞いてトラが寄ってきました。なんだ、イカか。顔を背けるの図。今日の一句臘梅や凍えて向かう初地蔵今日のラン6km今日の酒プレモルレギュラー缶1 白波ロック正味2合今日の音楽なし今日の写真は玄関先、鉢に植わる桜草の定点観測です。段が出来ました。
2021年01月24日
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Saturday, January 23, 2021 雨18mm 13.8℃ 10.8℃ 午前7時起床。昨夜、だらだら日付変更線まで起きていたのが禍しました。居間のカーテンを開けて、外は雨模様。梅の枝に玉の水滴が下がりました。煙る藪山に、心なしか春の気配のすぐ其処までを感じました。近所、KのS姉宅に植わる臘梅は咲いただろうか。写真は淹れた珈琲、そのドリップです。豆は挽きます。面倒ですが、手間を掛けた分、美味しさの増すような気がして。ちなみに佐伯に過ぎたる喫茶店ランブルのブレンドが一等ですが、普段使いは深煎りのエスプレッソ用を使っています。濃いめが好みなんです。Amazon Echoで小さくBachを聴きながら、雨の朝にぼんやりの時間、これが格別なのです。 雨脚は強くないものの、終日降りました。日照時間ゼロ。ずっと屋内に過ごし、トラと一緒に火を番しました。本が捗りました。眠くなり、昼寝をしました。微睡んでいて勝手口をコンコン。雨の中、隣のおばちゃんが、こさえた茶碗蒸しを持ってきてくれました。蒸し器から出したばかりでした。アチチ。それを昼ご飯にしました。お餅の入っていい食感でした。写真を撮り忘れたのが残念です。 大相撲中継の始まる前に風呂。温泉の素を入れ、湯を張りました。ゆっくり浸かりました。鼻血にはよくないそうですが、構うもんか。午前に放送のあったNHKラジオの番組「山カフェ」を聴きながら、手足を伸ばしました。今日の特集は霧ヶ峰でした。目を瞑ると、其処を訪ねて山の湯に浸かる気分になりました。 風呂から出て桟敷席に。まだ外は明るかったのですがプシュッ。いい週末となりました。今日の当ては先日、親方に貰った鰤の鎌。打った塩が馴染んで熟成。いい感じでした。十四代が空いてしまいました。 これが出て来ました。冷凍のハンバーグを湯煎でした。でも、結構いけました。抜栓後、半分残してあった赤を流しました。 酔ったのか、昨日の山行疲れが今頃になって出たのか、少し悪寒がしました。午後8時、早めに水平飛行。11時頃、汗をかいて目が覚めました。たっぷり水分補給をして再度就寝。寝苦しかったです。以下無用のことながら 先日、太平洋戦争の終結日は歴史的には9月2日と書きましたが、もし、ポツダム宣言を受け入れず、なお帝国陸軍の主張する本土決戦の方向に向かっていたならばという話です。 アメリカは、日本本土上陸作戦を2段階で想定していました。一つは昭和20年11月1日を期して南九州へ上陸する「オリンピック作戦」、もう一つは昭和21年3月1日に始める予定の関東平野制圧を目的とする「コロネット作戦」。しかもこの両作戦は1942年(昭和17年)から練られていたとのこと。翻って日本はと言うと、それから3年後、敗色濃い1945年(昭和20年)の4月になって、大本営が「国民抗戦必携」なるものを発表しました。それによると「アメリカ軍が上陸、白兵戦になったら、竹ヤリで相手の腹部禹を一突きにして殺すこと、鎌、鉈、玄能、出刃包丁、鳶口といった日常品の中から武器に利用できる物を手にして、アメリカ兵の背後に廻って奇襲の一撃を加えて殺すこと、格闘になったらみぞおちを突いたり、股間を蹴り上げたりしろ、敵が上陸してきたら国民はその土地を守って積極的に敵陣に挺身斬り込みを敢行し、敵兵と激闘し、これを殺し、また兵器弾薬に放火したり、破戒したりして軍の作戦に協力しなければならない」 此処に至っても猶の感、です。空恐ろしいのは、軍が民間人を楯と考えていることです。沖縄では実際、そうでした。 以上、保阪正康「敗戦前後の日本人」朝日文庫からの引用でした。彼の著作を読むと、戦争は、一度始まるとなかなか終わることの出来ない怪物であることがよく判ります。 今日の一句寒鰤の鎌を突いて燗を酌む今日のランなし今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 冷酒1合 燗酒1合 赤ワイングラス2今日の音楽Bach オムニバス今日の写真はネタ切れにつき、ストーブの番をするトラ。背中より腹を火に向けることが多いです。
2021年01月23日
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Friday, January 22, 2021 晴れ時々曇り 18.2℃ 10.6℃ 午前5時起床。雨の予報でした。昨日、親方からTELあり。応援を依頼されていましたが、雨模様なので出撃は週明けと踏んでいました。親方もその心づもりのようでした。朝の内に晴れ間が覗きました。やっぱり今日にしよう。襤褸に着替えて地下足袋を履きました。写真は今日取り付くところの杉です。 此処を20本ばかり倒木。2時間ほどの作業でした。足場がよく、作業が捗りました。写真は竣工図。 私です。昨年末からのランとチョコチョコの筋トレで、齢62ですが、腹が引っ込み、特に足の締まっていい感じです。作業の途中、ポーズをとってみました。 こちらは親方です。山の立木を買い、切り倒して市にかけ、鞘を取るのです。チェーンソーとユンボが必需品。私、親方に弟子入りし、山買いの商売、そのコツを教えてもらいたいです。けれどもホームグランドの木立は、波越のそれと違い杉山が少なく、斜面も急峻です。ユンボの運転も覚えないといけません。それにその重機は中古であっても3000ラーほどしますし。親方が仕事を止める時、それを譲って貰おうかな。タダで。 家に戻ってシャワーで汗を流し、昼をしました。午後は着替えて買い物に。と言っても私がお金を使うのはいつものスーパーで鰺を買うか、酒を買うかです。今日はこれを仕入れました。 そうなんです。昨日、FのRさんに貰った完熟のレモンを漬けるためです。これ、民家の庭に育った無農薬物。漬け込みに持って来いです。洗い、水を切ってピーラーで皮を剥きました。 皮を剥いた後の白い部分は苦みがあるといいます。それを削ぎ落としました。 ぶつ切りにして皮と一緒、瓶に放り込み、氷砂糖を加えました。後はそれぞれにウォッカ、ジン、ホワイトリカーを流し込むだけ。完成です。一ヶ月ほどで飲めるようですが、取っておいて夏場、炭酸で割って楽しむ予定です。 夕刻、ランの格好に着替えました。走り始めてNのYちゃん(70歳くらいの男性・無職)と行き遇わせました。消防署のパトロールカーに焚き火を注意されたとぼやきました。其処に件のレモン、FのRさん(70前の男性・無職)が通りかかりました。立ち話に花が咲きました。そこへ自転車に乗ったNのTやん(65過ぎの男性・無職)が止まりました。更に立ち話。午後5時を過ぎた辺り、公民館長、AのKちゃん(65過ぎの男性)がこれまた通りかかり、車を止めました。世間話を終えることが出来ません。小学校から帰宅途中、JのKやんが孫の女の子がただいま~と大きな声で挨拶をしてくれました。それを機、彼女の後を追うよう、何人かの子どもたちが三々五々、でした。皆に「お帰り」と声をかけました。子どもの笑顔はいつ見てもいいものです。 1時間以上、適当・いい加減の噂話をしたり聞いたり。辺りが暗くなって、もう走る気持ちが萎えました。帰宅して風呂。録画した大相撲を中入り後から観戦。これを嘗めながらでした。熱燗にして、氷砂糖のグラスで。 当ては昨日の残り、おでんの大根です。 メインはキムバラ(キムチの豚バラ炒め)でした。 映画「A BLUEBIRD IN MY HEART」というフランス映画でした。刑務所を出たての中年男が、モーテル経営の母娘と次第に心を通わせます。が、その娘が興味本位から薬に手を出しレイプされます。中年男が偶然犯人を目にし、復讐心を滾らせ思い余って・・・。10点満点中6点かな。以下無用のことながら ランを止めての立ち話。内容は以下の通りです。とりとめのないものでした。プロ野球選手の長髪や髪染めについて、大相撲・横綱の欠場について、嘉風のその後について、近所に飼われている犬の賢さと愚鈍さについて、葬儀や法事の際の寺への謝礼について・・・。みなさん、一家言持っていました。今日の一句卒寿過ぎ大つち構わず鍬の父今日のランなし今日の酒紹興酒熱燗2合 ジン2ショット今日の音楽モーツァルト フルートとハープのための協奏曲K299同 フルート協奏曲K313 カラヤン ベルリンフィル以下本日N響演奏会ライヴラヴェル 組曲クープランの墓ショーソン 詩曲ラヴェル チガーヌ同 亡き王女のためのパヴァーヌラヴェル バレエ音楽マ・メール・ロワ 沼尻竜典 N響今日の写真はネタ切れにつき、私の相棒・ハスクバーナ550です。これさえあれば、今日程度の大杉であっても苦にならず、です。あっ、本体を除き、チェーンソーバー、チェーン、それに油脂類は全部親方持ちです。かれは時折つね三に通う小遣いをくれます。一番の感謝は、薪ストーブの薪を誂えてくれることです。
2021年01月22日
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Thursday, January 21, 2021 晴れ時々曇り 15.6℃ 0.1℃ 午前4時起床。午前中は父の歯科医受診を送迎。連れて帰ったとき、母がMさんに魚をいただいた、半分やるから持って帰りなさいと。鮮度のいい胡麻鯖でした。 早速チャチャッ。腹を出して2枚に下ろしました。それを15%の食塩水に2時間。次の写真は打ち上げて水を切った状態です。 今日明日と気温の高い予報ですが、まっ、いいや。網籠に干すことにしました。 午後は久しぶりにAmazonprimevideoで映画を1本。「マチネの終わりに」でした。福山雅治と石田ゆり子が主演。伊勢谷友介も出ていました。主人公はギタリスト。バッハの無伴奏ヴァイオリン、同チェロのメロディーをギターで演奏。それに惹かれての鑑賞でした。ストーリーは悲恋。10点満点中6点かな。パリ・シテ島のノートルダム寺院が映像に出て来ました。まだ消失前のロケだったのでしょう。余談です。調べました。マチネ(matinee)はフランス語で、朝・午前のこと。対義語は夕方、日が暮れた後の時間を表わすソワレ(soiree)。ミュージカル、バレエ、オーケストラの公演などでよく使用される言葉です。劇場では昼公演をマチネ、夜公演をソワレと呼びます。私、知りませんでした。マチネ、ソワレ、使うと格好いいだろうな。 見終えてランの格好に着替えました。ん?軽トラの荷台にこれを見つけました。大きなレモンでした。恐らくFのRさんがくれたのでしょう。有り難うございました。近いうち、ジンかウォッカに漬けてみよう。走る前、大根を引いて彼の家に届けました。 いつものコースをくるり一回り。気温が高く、汗びっしょりになりました。風呂を浴びてプシュッ。大相撲観戦。夜のお勤めはおでんでした。バタンキュー。以下無用のことながら アメリカ大統領就任式に星条旗のはためく様子を見て、思い出したことを。以下、保阪正康氏の本を読んでの受け売りです。 日本人は8月15日を敗戦の日と思いこんでいますが、国際法上は9月2日です。この日、東京湾沖に停泊の戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印されました。歴史的にはこの日が第二次世界大戦終結の日です。現にフランスの小学校の歴史教科書に、第2次世界大戦の終わった日は9月2日とあります。 その舞台、ミズーリ号は昭和19年1月に進水したばかり。沖縄戦では、幾度か日本の特攻攻撃を受けています。調印式はその艦上で行われました。敢えて米軍が選んだ舞台なのです。更に調印の場には星条旗が2枚掲げられていました。一つは星が15、破れてボロボロでした。それは嘉永6年(1853年)にペリーが通商を求めてやって来た折に掲げてあったものだそうです。もう一枚は昭和16年12月8日、ワシントン・ホワイトハウスに掲げられていた星条旗。こちらはイタリア降伏の日にローマに、ベルリン陥落時はベルリンに、それぞれ掲げられました。この旗、今は虎ノ門の米大使館に掲げられているとのことです。今日の一句大根を引き土洗い南風今日のラン6km今日の酒サッポロ黒ラベルレギュラー1缶 冷酒2合 ウイスキー1ショット今日の音楽ブルックナー 交響曲8番 ドホナーニ NDRエルプフィルハーモニー管(旧北ドイツ放送響)今日の写真は三杯酢です。妻が親方に貰った蕪でこさえてくれました。柔らかいんです、これが。おまけは消し炭。炭壺から舟に出しました。これで炭壺4杯分ほどです。餅や干物を焼く折、重宝します。堅炭と違い、すぐに着火するから便利です。
2021年01月21日
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Wednesday, January 20, 2021 大寒 晴れ 10.9℃ -0.6℃ 午前5時起床。午前午後とも書斎に過ごしました。読書と駄文書きでアッという間、一日の過ぎる今日この頃。昼過ぎ、横になって30分ほどうつらうつら。ゆるり午睡は至福です。 夕刻、体が鈍ってはいけない。ランの格好に着替えました。ブログのネタ探しを兼ねて出発。以下はその切り取りです。 1枚目は赤く色づいた杉です。 雄花が花粉を飛ばそう、満を持していました。 こちらは緑色の杉です。違いを調べましたが、はっきりしません。廣野郁夫さんという方の「木のメモ帳」によると、分類上の「種内における多様性、個体の変異の一面で、ヒトでも頬の赤い子供がしばしば見られるのと同様ではないか」とのことでした。 この様、隣り合って混在しているのです。 それにしても空が青い。昨日に続き、今日もピーカンでした。向津留から松浦越を眺めるの図です。向こうの両線を越えたら鶴見地区。佐伯湾が広がります。おっ、ハウスの中に腐葉土?を撒いてあるぞ。毎年、此処で栽培をしています。今年も植え付けるのかな。 小中尾集落の一番奥、Mさん宅は住む人がいなくなって久しいです。その庭先に梅が咲き始めていました。花にとって愛でる人のあるなしは関係ないのかもしれませんが、これを植えた人のことを想うと、色々考えてしまいます。 今日は其処此処に猫と行き遇わせました。その一匹、K林業のヤード内に佇む野良です。眼光鋭い。 こちらは農道の真ん中にぼんやりポツン。 松樹寺の階段を上り下りの際、視線を感じました。近くにあるUさん宅二階から見下ろされました。 帰宅後、チョコチョコの筋トレを済ませて風呂へ。汗を流してプシュッ。大相撲観戦。正代が危なかった。物言いのついて取り直し、相手の勇み足に救われました。今夜の当ては鰤大根。頭部の肉と目玉がいい感じでした。 こちらは猪と鹿の時雨煮。先日の余りを冷蔵庫に入れたままでした。鰤大根同様、味の染みていい感じでした。 半分ほどに減った十四代です。もったいないのでチビリチビリでしたが、もう我慢しません。飲みたい時が美味い時。 夜のお勤め、今日はもう一品ありました。生協の配達品、帆立です。北海道・枝幸産。 うーむ、枝幸か。その町の役場には酔散の同級生Nが勤務していました。漁場整備関連の全国大会で偶然再開しました。酔散課で働いているとのことでした。その後のことですが、10年以上前に訃報を聞きました。この貝柱をして彼のことを思い出しました。少し色つきの眼鏡を掛けて、おっとりした男でした。以下無用のことながら 週刊誌、私の中ではサンデー毎日が一等です。高村薫、青木理、両氏のコラムがあるし、保阪正康氏の連載が出色。今週号は半藤一利氏の追悼が内容でした。さて、この雑誌「NEWS NAVI」と題し、社会の話題を提供の頁があります。「CDにはない臨場感がウケ」てアナログレコードがブームとありました。そのことはここ数年、新聞・雑誌にも取りあげられていました。今日の記事はCDの売れ行きが停滞する中、2010年に10万枚だったレコード生産量が昨年は100万枚に達したとのことです。100万枚という数字は、CDの発売前に比べたら大したことはないのかもしれませんが、家庭に眠っているのを引っ張り出してというのではなく、新たに生産というのがいい感じです。余談です。誰の弁か忘れましたが、プレーヤーにレコードを載せ、針を落とすのは儀式とのこと。その通りです。このところ、毎日CDばかりです。レコードにも向き合おうかな。今日の一句ちいちいと目白の鳴いて寒の内今日のランウォーク5km ラン3km今日の酒SAPPORO黒ラベルレギュラー缶1 SAPPOROラガーレギュラー缶1 冷酒2合 ジン1ショット今日の音楽モーツァルト クラリネット協奏曲K622 オーボエ協奏曲K314 バスーン協奏曲K191 カラヤン ベルリンフィルブルックナー 交響曲7番 サロネン フィルハーモニア管今日の写真は妻の夜なべです。切り干し大根。これをやっつけたようでした。昨日、私が引いたものです。カットはこれを使ったようです。久しぶりに有次の出番がありました。
2021年01月20日
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Tuesday, January 19, 2021 晴れ 北西の風強し 8.5℃ 1.0℃ 午前5時起床。火曜日はゴミ出しと決まっています。朝食を終えてそれを済ませました。写真は私の住む自治体の指定ゴミ袋です。有料です。1枚30円。45リットルの大きさです。破れにくい材質につき、相当量を押し込んでも大丈夫です。 ごみステーションから戻る途中、地蔵が寒そうでした。隣に九州百名山の一つにして文豪・国木田独歩の遊んだ記録のある元越山(標高582m)に至る道標がありました。 ん?チチチッ。拙宅に数本ある椿に気配あり。よく見ると目白でした。どこにいるか判ります? トリミングしてこの通り。椿の花が出す蜜を吸いに、でした。もう半月、梅林庵に梅が咲くと、彼らは群れになってやって来ます。明日は大寒なのですが、早くも春です。 午前は書斎に過ごしました。窓の外、茶の生け垣があるのですが、隣家とを行き来するため、人の体ほどの隙間をこさえています。本を読んでいて、其処を隣のおばちゃんのやってくる姿が見えました。これをくれました。黒ナマコです。早速チャチャッ。この後、塩で揉み、最後に酒を打って少しのダシと酢で締めました。 これ、夜のお勤めにします。 日中、ドピーカンでした。寒いけれど、大根の終わったところを耕しておこうか。耕運機を引っ張り出しました。ついでに馬鈴薯を植える予定のところもやっつけよう。猫の額なのですぐに終わりました。そうだ、里芋を切らしたと妻が言っていたのを思い出し、それを掘りました。写真は水洗いして天日に乾かすの図。 次の写真は里芋畑の横に育ったアスパラ菜と小松菜です。前者が左。すでに食べ頃ですが、飽いてその儘にしてあります。近所ももう裾分を嫌がるでしょうし。過ぎたるはなんとやら、ではあります。 こちらはブロッコリー。葉は鵯に啄まれていますが、人間の食べるところには嘴を挟みません。うまくしたものです。 夕刻、ランの格好に着替えました。走り始めてFのRさんが歩いているところに行き遇わせました。彼は私より8つ年上です。久しぶりなので一緒し、世間話をすることにしました。彼は数年前に奧さんを亡くしました。独り身の寂しいこと、でも娘や孫と一緒なので独り暮らしに比べてまだましだ、その孫がことし大学入試、首尾よく行けばいいが、そんな話でした。次の写真は小平集落から眺めた元越山の稜線です。手前はすでに陰り、尾根筋にだけ残照が残っていました。 今夜のお勤めは鰤シャブにしよう。親方からのそれが1/4残っていました。薄く長めにスライス。包丁を入れる折、熟成のすすんで、刺身で食べてみたい。今日の一句初メジロ声のか弱し寒椿今日のランなし ウォーク6km今日の酒燗酒1合 芋焼酎お湯割り正味5勺 冷酒1合 ワイングラス1 スコッチ1ショット今日の音楽モーツァルト オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲 カラヤン ベルリンフィルブラームス バイオリン協奏曲 ギドン・クレーメル カラヤン ベルリンフィルブルックナー 交響曲第5番 ウラディーミル・ユロフスキ ベルリン放送響(今週、NHKFMベストオブクラシックはブルックナー特集です)今日の写真は青空2枚です。1枚目は日中、中天に懸かっていた月齢6の弓張月です。余談です。弓張月といえば馬琴の椿説弓張月。源為朝が主人公です。沖縄に渡り勧善懲悪の大活躍が粗筋です。フィクションですが。戻ります。為朝は鎮西八郎と名乗り、九州に名を轟かせました。大分、別府、湯布院、緒方などに彼の伝説がゴロゴロしています。馬琴のそれに勝る劣らずの話です。話がそれました。もう一枚は裏山の上、真っ青の中を行くジェット機です。恐らく熊本発羽田行きでしょう。ああ、どこかへ旅行したいな。
2021年01月19日
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Monday, January 18, 2021 晴れ 北西の風強し 10.9℃ -1.2℃ 午前6時起床。午前3時には目が覚めるのですが、まだ3時かと思い直して午前4時、次いで5時、その繰り返しでこの時刻になりました。何とかテレビ体操に間に合いました。毎朝、綺麗なお姉さんたちと一緒、朝の10分はいい感じです。 終日在宅。夕刻にランをしただけでした。読書、読み進めて捗りました。 書くことがないので朝食のことを。親方に昨日貰った鰤を切ってみました。5枚に下ろし、ラップを巻いて冷蔵庫に保存でした。 刺身にはこの包丁がいいのです。本焼き。つね三大将のお下がりです。 まだ熟成の進まず、コリコリでした。 もう一つどうでもいい話を。拙宅は木造平屋。切妻、蜜柑倉庫のような造りです。荒ら家なので隙間風。加えて薪ストーブを燃やすので室内の乾燥は半端ないです。この通りです。 私は頓着しませんが、妻は気を揉みます。これを出して終日加湿していますが、効果は今ひとつのようです。その代わり、洗濯物を室内干ししたら忽ち乾きますが。以下無用のことながら 昨日、卓球の日本選手権をNHKでテレビ観戦しました。解説の福原愛氏、緊張感のあるシーソーゲームに高揚することなく、プレーヤーの心理を冷静に解説。加えて勝敗を左右するターニングポイントを示し、作戦変更、勝機は此処にありを指摘。目から鱗でした。その証拠を一つ。鎬を削る試合中、伊藤美誠選手の戸惑いを見抜きました。彼女の表情をして福原氏曰く、決めたと思ったスマッシュを返されて呆然の態、混乱している、そのような旨を話しました。試合後、伊藤選手の語った敗戦の弁に、同じような言葉がありました。うーん、この洞察力は素晴らしい。早すぎず遅すぎずの語り口、加えて選ぶ言葉が平易でした。5年ぶり優勝の石川佳純選手も見事でしたが、福原氏の解説、天晴れ、とてもいい感じでした。久しぶりに気持ちの上向くトークでした。 余談です。前にも書きましたがスポーツ番組の解説者には人それぞれ好みありです。個人的嗜好を列挙するとプロ野球では広岡達朗、安仁屋宗八、大相撲は北の富士勝昭、彼に阿る舞の海はいただけません。サッカーは宮沢ミッシェルとセルジオ越後、大竹七未。自転車競技は解説者とは言えませんが安原昌弘氏。駅伝は以前NHK高校女子駅伝を担当した梶原洋子氏が一等でした。今日の一句雲流る初観音は手を揉みて今日のラン7km今日の酒プレモルレギュラー缶1 白波お湯割り正味1合 赤ワイングラス2今日の音楽モーツァルト 交響曲38番 39番 カラヤン ベルリンフィルモーツァルト 交響曲39番リハーサル カラヤン ベルリンフィルモーツァルト 交響曲40番 41番 カラヤン ベルリンフィルモーツァルト 交響曲40番リハーサル 41番リハーサル カラヤン ベルリンフィル今日の写真はトラ。天然釣鰤の朝食に満腹。カーテンの向こうに日向ぼっこです。
2021年01月18日
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Sunday, January 17, 2021 晴れ 8.9℃ 1.8℃ 午前6時起床。このところ、蒲団から出るのが遅くなりました。夜のお勤めをした後、映画や音楽をだらだら見て、水平飛行に入る時刻が下がっています。読書時間が短くなりました。建て直さないいけないな。そうしないと新潮現代文学が捗りません。写真は島尾敏雄「出発は遂に訪れず」です。敗戦間際、8月13日から数日間の特攻機パイロットが心境を描いています。迫り来るものがありました。 戻ります。昨夜、妻は実家泊まり。朝と昼はカマスの一夜干しを焼いたり、目玉焼きをこさえたり。簡単に済ませました。 午前、書斎に過ごしていたら、父からTELあり。買い物に連れて行けとのことでした。軽トラの助手席に乗せてホームセンターへ。耳が不自由なので、付き添いが必要です。金銭のやりとりが無理。 今日は文房具を買うのが目的でした。気に入ったものがなく、思わぬ時間を要しました。帰宅は午後1時前になりました。 腹ごしらえをして、着替えました。ブログのネタ切れを防ぐため、冷たい北風の中をサイクリングしました。以下はその切り取りです。1枚目はダイサギです。須留木の新地、水田の遊水池に佇んでいました。 茶屋ケ鼻トンネルの手前に高校時代の友人、ドテチンの家があります。地元金融機関の役員を最後、退職して自適の生活を送っています。趣味は登山。週1~2回、主に久住連山を歩いているとのこと。今日は在宅、庭に焚き火をしていました。一昨年だったか、彼の家の裏山に生えてあったタブの大木を倒してあげました。それに平茸のコマを打ったところ、沢山出たとのこと。今度あげるね、そう言ってくれました。楽しみだな。 蛇崎交差点を山の方に折れました。堅田川に沿って遡るいつものコースです。上城集落の中を突っ切りました。次の写真は寺嶋林産のヤードです。以前にも紹介した産炭の会社です。原料となる樫を山積みしてありました。これ、薪にいいんだけどなぁ。 県道からも窯の口に燃えているのが見て取れました。火の番は土日祭日関係なし、気を遣う仕事のようです。 岸河内集落を抜けたところに「耳塚」なるものがあります。写真がそれです。塚の曰くは1586年、戦国時代のことです。大分の大名・大友宗麟が薩摩・島津に手を焼き、秀吉に加勢を求めたことに端を発した戦乱がありました。所謂「九州平定」です。ここ佐伯でも関連の戦いがありました。佐伯惟定が島津軍を破り、倒した相手方の人数が多すぎて首実検能わず、耳を切り取って検めたとのこと。そしてその耳を埋めたのがここだそうな。 そこを後にして50m。振り返りました。耳塚を覆うよう、大木が立っていました。木の寿命は一般的に60年と言われていますが、樹種や環境により千差万別。でも写真の椎、戦いのあった400年まえからと言うことはあり得ません。それでも土に帰った耳の霊気を吸い上げて育った木ではあります。そのことを想うと、400余年前、ここで耳をそぎ落とされた一人一人のことが身近に迫ってくるような・・・。 空を仰ぎました。耳塚のことをして大越集落に続く道が急に暗くなったよう。いけません。此処にいては何にか分かりませんが何かに取りつかれそう。先を急ごう。 小さな峠を越え、竹角集落に下りました。県道37号に合流。堅田川に沿って下流へ。この道の途中に親方の農林産物直販所があります。椎茸原木の販売が好調のようです。1mに玉切ったものがよりどり1本400円。 ん?張り紙がしてありました。コマを打ったものも販売する由。それは1本800円だそうです。ちなみに選った後の残りは値を下げて売るそうです。ここにこうして無人扱い。夜間、泥棒されないんだろうか。 帰宅したら、その親方がやって来ました。先日に続き、知り合いの釣った鰤を持って、でした。半分やるから捌いて欲しいとのことでした。 釣ったばかり、死後硬直前のプニュプニュ感ありでした。包丁を入れにくかったです。写真はこれも要らないと置いていったアラです。妻が煮付けにしてくれました。刺身もそれも明日のことです。今日の一句木酢の煙匂いし観喜村今日のランサイクリング25km今日の酒芋焼酎お湯割り正味2合 スコッチ1ショット今日の音楽モーツァルト 交響曲第29番 35番 36番 カラヤン ベルリンフィル今日の写真は鳶の狩りです。サイクリングの途中、青山方面から下ってきて、堅田橋手前を右に折れました。龍王山が正面に見えました。道はやがて江国寺前に差し掛かります。その時でした。やっ!道路上に鳶が魚を掴んで難儀している。カメラカメラ。しかし、急停車した途端、魚と一緒、舞いたちました。それでも重いのか、なかなか高く飛べません。くるり私の頭の上を何周か廻り、電柱の天辺に止まりました。魚は恐らく鯔かと。なにがいいのかわかりませんが、いいものを見ました。 おまけ。次の写真は木立集落に入って、追い抜いたKさんです。彼は私と同い年くらいです。リーマンの折、一時期、彼の娘さんは私の部下でした。その関係で知り合いとなりました。よくジョギングをしています。今日は木立の奥から佐伯大橋までを往復、12kmの途中だそうでした。未定ですが近いうちに一度、一献の予定です。余談です。写真向こうの稜線、そのピークが九州百名山の一座「元越山」です。
2021年01月17日
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Saturday, January 16, 2021 晴れ 18.6℃ 6.5℃ ポカポカ陽気でした。 午前7時過ぎ起床。遅れをとりました。ラジオ体操出来ず。 朝ご飯の後、野良着に着替え、地下足袋を履きました。正月明け以来、寒い日が続きました。親方の山が暫く休みでした。声のかかるともなしの以心伝心。今日は多分大きいところを切る筈だ。出発する前、チェーンソーのバーを長い方に取り換えました。これで、倒すことの出来る木の直径が20cmほど増すのです。 午前9時半、切り出しに着きました。今日倒す予定の木が屹立。腕が鳴ります。 どうですか、結構な大きさでしょう。これが今日の一本目でした。 直下から見上げたらこんな感じです。蔓が垂れていました。 11時過ぎまで頑張りました。次の写真は倒した杉の一部です。全部で20本近くをやっつけました。 どうですか、この切り口。テーブル上がいい感じでしょう。夜になると、山の神様が降りてきて、ここに腰掛けるのです。平らでないと気分を害ししますから、丁寧が肝要です。 家に戻りました。午後は書斎にぼんやり。妻は実家、義母のところへ泊まるということで出かけました。私の食事は心配不要、それを伝え、送り出しました。へっへっへ、今夜はこれを当てにイッパイやろう。冷凍庫から猪肉を引っ張りだし、解凍しました。間違って片方は鹿肉でした。しかもロース。nkucchanの心配を入れ、鹿刺しは諦めました。両方併せて時雨煮にしよう。 全部で900gありました。アクを取りましたが、その量が凄まじい。 一度、笊に打ち上げてから生姜、砂糖、味醂、酒、それに水の代わり、大根の汁を足して煮込みました。出来上がりの図。 さてと、夜のお勤めを始める前にひとっ走りしてくるか。いつものコースをくるり一回り。今日も汗びっしょりになりました。向津留の農道を走っていて、霊峰尺間が春霞に染まって薄いピンク色でした。気の早い話ですが、春です。 湯船に湯を張るのは面倒。汗はシャワーで流しました。マニアワンのです。プシュッ。録画した大相撲を観戦しながら、猪と鹿の煮込みをパクつきました。半分近くを食べてしまいました。ポアロを見た後、Amazonvideoで「深夜食堂3」を纏め見。どの回もちょっといい話でした。以下無用のことながら 大都市を中心、緊急事態宣言が出ています。「不要不急の外出は控えよう」とのことです。それがよく判りません。不要不急の外出とはなんぞや?大相撲観戦のお客を見ていて、はたとおもったのです。いえ、観客に対してではなく、政府のいうところが何を指しているのか、です。他意はありません。よくわからんのです。不要不急、要は自身が決めるんでしょうけど。今日の一句隼の舞う杉梢霞みおり今日のラン6km今日の酒ヴァルシュタイナー1 プレモルレギュラー缶1 作2合 芋焼酎お湯割り正味5勺今日の音楽マスネ、ケルビーニ、シュミット、プッチーニ、マスカーニ他の小品 カラヤン ベルリンフィル今日の写真はニホシテントウです。倒木の合間、水分補給をしていて首に這うのを感じました。何とも可愛い姿です。
2021年01月16日
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Friday, January 15, 2021 晴れ 17.8℃ 3.1℃ 午前5時起床。南の風が吹いて暖かい一日でした。 書斎に本を読んでいて、熊本・八代の親戚からトマトが沢山なこと、届きました。特大サイズでした。こんなのを4箱も。ソフトボール大です。一つパクリ。満腹になりました。これだけあると、とても食べきれるものではありません。近所に裾分して、喜ばれました。 宅急便を受け取ったついで、大根を引きました。拙宅菜園のそれがお終いになって、父の野菜畑に足を踏み入れました。抜いて、一輪車に20本近くを積みました。沢山できて、どこかあげるところがあれば持っていけ、とのことでした。写真はその一部です。誰か欲しい人いませんか? も一つ、ついでの仕事を。勝手口外の流しに備え付けの蛇口が、先日の寒波がせいで割れていました。プラスチック製でした。 使い勝手のいいよう、蛇腹のホースに替えるため、ホームセンターへ。今日はイオンが5%引きなのでした。部品を見繕い、ついでにトラのカリカリを見繕いました。商品の棚を眺め、鮪や鰹、鳥のササミなど、種類の多さに驚きました。その足でスーパーTへ。成城石井フェアをやっていると聞いてのことでした。小さな扱いでした。引かれるものはありませんでした。それにしてもイオンといいここといい、客の少ないこと少ないこと。帰りにいつものスーパーへ寄りましたが、適当な鰺はありませんでした。帰宅して、購入してきたホースを取り付けました。これで良し。 さてと、走ろうか。ランの格好に着替えました。走り始めて忽ち汗びっしょり。昨日今日と3月下旬の陽気でした。写真は折り返し近くのところから写した父の山と元越山の稜線です。杉の色が赤くなっていました。恐らく花粉が飛び始めたかと。帰宅して体重計に乗ったら81Kg台になっていました。 シャワーを浴びて大相撲、中入り後の後半戦を観戦。今場所も両横綱が休場、加えてコロナ感染或いは濃厚接触者扱いの力士も多く、取組数が少ない。でも、一番一番は熱戦といえます。プシュッ、ビールを片手のテレビ桟敷が格別でした。私、贔屓は北勝富士と御嶽海です。今場所は冴えません。後半戦、元気を出していこうぜ。写真は冷凍庫にあるのを失念していた鯨ベーコンです。これ、昨秋、亮さんに北海の幸を戴いた折、同梱の逸品。早速解凍しました。「作」の冷やで流しましたが、いい感じでした。これ、食べたのは築地に勤務していたとき以来かな。IWCがゴニョゴニョ言い始めて以来、滅多と目にすることのない珍味です。 鯨ばかりではいけません。隣のおばちゃんに貰ったブロッコリーと、今日届いたトマトも当てになりました。以下無用のことながら 妻が実家から読売の元旦紙を持ち帰ってくれました。一面トップは中国の「千人計画」に日本人研究者40名余りが関与していることをして、日本政府が経済や安全保障の重要技術が流出する恐れを懸念、政府資金を受けた研究者の海外関連活動に開示を義務づけるというようなないようでした。千人計画とは中国が技術立国を目指し、世界から有能な人材を集めるプロジェクトです。研究費はたっぷり、しかも好待遇とのこと。今はどうなのか知りませんが、一時期、日本はオーバードクターが就職に困るというようなことが問題となりました。それが続いているようなら、仕方のないことではあります。日本の右肩下がり、なるべくしてなるの感です。余談です。中国・深圳には「孔雀計画」なるものもあるようで、世界トップレベルの頭脳を破格の待遇で迎えるんだそうです。札束で頭脳を買う中国、凄いなぁ。 千人計画のことを書きましたが、ふと我に返ると、私、還暦過ぎの爺です。正月の新聞紙面、その記事を読んでもピンときません。何せ、数年後に貰い始める年金でその日暮らし、世の中に背を向け、したいことをして過ごす風任せに成り果てた人間ですから仕方ありません。。孔雀計画なんぞどうでもいいな。でも、それもいけないな。元旦の新聞紙面を見て、ああそうなの、ふーん、で終わるようになっては、いよいよ社会の穀潰しだな。よし、明日は地下足袋を履いて山に木を切ろうか。(この段、酔って書きました)今日の一句切り干しや寒風浴びて空青し今日のラン6km今日の酒ヴァルシュタイナー1 サッポロラガーレギュラー缶2 作1合 芋焼酎お湯割り正味1合今日の音楽ハイドン 交響曲83番 101番 104番 カラヤン ベルリンフィル今日の写真は八朔です。ランの途中、廃屋となった家の庭にぶら下がっていて、2つ失敬。まだ味見していませんが、美味しければまた泥棒しようかな。底に住んでいたお婆さんとは知り合いだったし。
2021年01月15日
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Thursday, January 14, 2020 晴れ 16.2℃ 1.0℃ 午前5時起床。 半藤一利氏の死亡を受け、新聞各紙が朝刊1面のコラムにそのことを扱っていました。朝日、日経、毎日、東京のどれも、先の戦争を反省、反戦平和を訴えた故人の功績・遺徳を忘れまい、というような内容でした。読売は「編集手帳」には書いていませんでしたが、調べて13日~14日、この2日間に半藤氏死亡に関する記事を5本掲載していました。各紙の中で一番の数でした。 午前は新聞を捲りながら音楽を聴きました。外のポカポカ陽気に気が付き、よし、煙突掃除をしよう。薪ストーブの中を空にしました。 この状態で2時間ほどやり過ごします。炉を冷まさないといけません。次いで炉から壁を通る煙突までを外しました。この通りです。外に抜け、軒を躱すところから上向きに折れています。この横を這う部分の煤は、煙突写真の左下に映る棒で掻き出します。これが難儀なのです。 次の写真は掻き出した煤です。炭を砕いたよう、結構重量感があります。フワフワ舞うようなものではありません。 煙突を元に戻したら、煙の引きがよくなりました。1年に1度きりの仕事でした。終えて決まりのついた気分になりました。トラを閉じ込めた別室の扉を開くと、ノソリ出てきてすぐさまストーブの前に胡座を組みました。 よし、走るか。作業着をランの格好に着替えました。いつものコースをくるり一回り。今日は気温が15℃を上回り、風もなかったので、かなり汗をかきました。途中、幾度かすれ違って会釈だけはするようになった男性と初めて言葉を交わしました。佐伯・本匠の生まれとのこと。高校卒業後、40年余りを神戸暮らし。退職後、木立に土地を求めて終の棲家とした旨を話してくれました。私より6歳年上とのことでした。久しぶりに関西弁を聞きました。 写真はその方とは関係ありません。Mさんのイチゴハウスを暖房するボイラーの燃料をストックのタンクです。丁度、ローリーがやって来て給油していました。燃料の規格を知りたいな。 風呂を浴びて、鼻血はもうでないかな。酒を飲んで確かめてみよう。 うん、大丈夫のようだ。フルスロットルにしてみよう。バタンキュー。今日の一句煙突を覗いて見ゆる三重の酒今日のラン6km今日の酒冷酒1合 黒白波20馬力お湯割り正味1合 スコッチ2ショット今日の音楽フランク 交響曲ニ短調 カラヤン パリ管今日の写真はHさんから届いた雑誌「銀座百点」です。作家の真山仁氏が「銀座にカジノ!?」という文を寄せていました。内容は以下の通りです。 数年前、外資系IT企業の人に「カジノを作るなら銀座が一番」と聞いた。彼曰く「銀座にこだわるのは中国人客のため。カジノ自体は斜陽産業。その中、売り上げを支えるのはギャンブル好きの中国人客。彼らにとって日本一の繁華街でカジノに興じるのがステータス」だそうな。銀座にはその土地もある。築地の魚河岸跡だ。馬鹿げた話かもしれないけれど、世界にはそんな話が多い。品位を疑いたくなるような人物が大統領だし、わが国でもモラルハザードが次々に起きている。銀座にカジノが誕生してもおかしくない。 うーむ、築地にカジノか。今の幹事長と総理ならさもありなんだな。でも知事と仲が悪いし・・・。今日の写真、もう一枚は消防車と救急車です。煙突掃除の折、近所に見掛けました。火事でも事故でもありません。空気が乾燥しているので火の元に注意をアナウンスして廻っているのです。加えて、私の住む地区は道が込み入ってタクシー泣かせなのです。それをして消防署の隊員はいざという折に迷わない、すぐに現場へ急行するため、こうしてパトロールしながら道を覚えるのだと聞いたことがあります。
2021年01月14日
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Wednesday, January 13, 2021 晴れ時々曇り 11.8℃ -0.3℃ 午前5時起床。薬の効果なのか、鼻の穴からの出血はありませんでした。大事をとって終日自宅内に過ごしました。午前午後とも読書に当てました。 昼前、友人SさんからTEL。半藤一利氏の死亡を教えてくれました。今日の新聞に載っているからと言われて、紙面を確認しました。未掲載でした。Sさんは福岡在住、当方は大分の片田舎。版の早い遅いの違いでした。 住んでいる場所が印刷工場から遠ければ遠いほど、朝刊配達の時刻に間に合わせるには早く刷り終わらないといけません。運送に時間を要するからです。ということは締め切り時刻が早まります。プロ野球の試合が長引くと、試合終了が印刷の締め切り時刻に間に合わず、スコアボードが途中で知りきれとなっていること、ままありますから。 ということでインターネットでその記事が載った紙面を確認。便利な時代となりました。 戻ります。半藤氏といえば「昭和史」です。2年近く前、図書館で借りて読了。口述を活字にした本なので、殊の外、記憶に残っています。「ノモンハンの夏」を始め、昭和史を覆った暗い影、「戦争」の馬鹿さ加減を明らかにしようとした作品は、読んで、保阪正康氏の数多の作品と重なります。そのうち、保阪氏の追悼文が掲載されるでしょう。写真は拙宅にある彼の著作です。 彼の対談集も多い。その一部を以下に。 半藤氏は文藝春秋の編集者でした。こういう切り口の本を監修、出版しています。昭和のそれぞれの舞台、幕内をその当事者が文藝春秋に寄稿したものを纏めたものです。必読物です。 夕刻、少し走ってみようか。ランの格好に着替えました。いつもの6kmコース、その1/3をジョグ、残りの距離をウォーク。少し汗ばんだだけで止めました。写真は途中、F工業近くにいつも見掛ける猫の中の1匹です。いい顔をしています。今日の一句ぼんやりをぼんやり過ごす仏の座今日のラン2km今日の酒ノン今日の音楽なし今日の写真は梭子魚(カマス)の一夜干しです。丸二日、寒風に晒しました。丁度いい塩加減に仕上がりました。朝ご飯の伴にいいのですが、半分は夜のお勤めに回します。
2021年01月13日
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Tueday, January 12, 2021 曇り、午後時々晴れ 9.2℃ 0.3℃ 午前3時起床。 昨夜から今朝にかけ、いけませんでした。寝ていて都合3回、鼻の奥にヌルリ、気持ち悪い感触を覚えました。鼻血が出て喉の方に奥に流れたのでした。小鼻を押さえて止血。どろりの血は飲み込みました。3度目は、暗がりの蒲団がもどかしく、えいや!起きて洗面所にそれをペッ。見て気持ちのいいものではありません。ストーブの前に座り、火を見ながら今日は医者だな、そう独りごちました。でも血が止まると、何ら自覚症状はありません。読書。午前7時半、朝ご飯を食べて、一日様子を見るか。書斎に入ろうとしたとき、再びたらり。仕方ありません。S耳鼻咽喉科をインターネットで予約。幸い、朝9時過ぎの時刻が空いていました。写真は突っ込んだその医院です。 問診を受け、然程待たずに診察室へ呼ばれました。椅子に腰掛けて顎を上げ、鼻の穴を医師に向ける姿勢をとりました。ノズルが入れられドクター曰く「奥を洗浄、併せて麻酔薬を噴霧するからね。奥に流れて垂れた液は飲み込んでもいいよ。ハイ終わり、5分待っててね」 そうしました。パーティションで仕切られたスペースの椅子に腰掛けました。そこにアレルギー、多分花粉症であろう女性が吸入装置を端を鼻に差し込んでシューシューやってました。私の座る椅子は、その方を斜め後ろから見るような向きになっていました。見るともなしに見てしまいました。といっても吸入のノズルを持つ手の甲と指だけでしたが。何故こんな些末のことを書くのかと言いますと、彼女の若さ(多分20代後半)、姿勢のよさに加え、その手指が透き通るよう白かったからです。全く関係のないことではありますが、歳をとるとこういうところに目がいってしまいます。それをしてのことではありませんが、色の白いは七難隠すという諺を思い浮かべました。これ、使うシーンを間違うと、大変なことになります。色が白いと多少の欠点があっても美しく見えるという意味です。顔の作りは平凡なのに可愛く見えると言われたら、腹が立つこと必定です。 戻ります。5分経って呼ばれました。ファイバースコープ(iPhoneの充電コードほどの細さ)を鼻の右穴にそっと差し込まれました。血はそのとおり、右から出たからです。ドクターの隣、私の正面に30インチ大のモニターがありました。彼はそこを指して「ここを見ておいてね」 先端が髭の林を抜けると、鼻腔が広がりました。ダイバーが潜って進む水中鍾乳洞のようでした。壁面に小さな血管が編み目のよう、広がっていました。画素数が多いのでしょう、とても鮮やかでした。 出血部位は見つかりませんでした。試しにガーゼを巻き付けたような棒で其処此処を擦って見ましたが、内壁はどこも正常、弱いところはありませんでした。ドクターは薬を4日分処方しておく、再度出血した時はすぐ診察においでといい、鼻のどこを抑えたら止血が早いかを教えてくれました。5ラーを支払い、隣の薬局へ。アドナ錠とトラネキサム酸錠を受け取りました。前者は毛細血管に作用して出血を止める鼻出血に対する効能、後者は炎症やアレルギーを抑え、出血をを止める効能がそれぞれあると説明書に書いていました。 余談です。私、高校の折、ひどい花粉症でした。北海道に暮らした4年間、その症状はありませんでした。それが東京・築地に働き始めて再発。地元に戻り、酔散の営業を始めて、毎年、春先はボロボロの態でした。なんとかしなければと思い、N病院(現在はN医療センター)を訪ねました。多分30歳の頃でした。その時のドクターが今日のS先生だったのです。先生、私の瞼を見るなり「いい薬があるよ、でもね血液製剤なんだ。99.99%大丈夫だけれど、もしものことがあるから、一応説明するね、それでよければ注射するよ」 当時、血液製剤によるエイズウィルス感染が社会問題となっていましたから、その説明、さもありなん。背に腹は代えられません。お願いしました。プスリ、肩に注射、大げさですがその液が体内に注入されると同時、目の痒み、不快感が魔法のよう、薄い膜がスーッと落ちる如くの気持ちになりました。以来10年ほど、花粉症シーズンの始まりに1週間の間隔で2本を打って、全く症状無しで過ごすことができました。 40歳位になって、その治療をせずとも免疫ができたのか、花粉症は出なくなりました。先生のおかげです。彼はいま、佐伯市医師会の会長をしています。 戻ります。次の写真はS医院から戻る途中、元越山の稜線です。雨上がりの山頂はまだ雲の中でした。 帰宅して昼食。すぐに処方された薬を服用しました。午後は安静。その後、薬が効いたのか、出血は一度きり。しかも少量でした。音楽を聴いて過ごしました。ランはなし。酒と長風呂は避けるよう言われていました。そうしました。今日の一句 梅林に小山の見えて土竜打ち今日のランなし今日の酒ノン今日の音楽ドボルザーク 交響曲第8番 カラヤン ベルリンフィル 同上 交響曲第9番 カラヤン ベルリンフィル(1977) 同上 交響曲第9番 カラヤン ベルリンフィル(1957) 同上 スラブ舞曲第8番 カラヤン ベルリンフィルベルリオーズ ファウストの劫罰からハンガリー行進曲 カラヤン ベルリンフィル今日の写真はネタ切れにつき、完聴に挑戦中のCDです。昨年の11月だったかに取り付きました。EMIのカラヤンシリーズです。現在、手前88枚組の58枚目です。終えると向こうのオペラシリーズ72枚組が待っています。まだ封を切っていないこんなボックスが幾つもありますし、針を落としていないレコードも相当数。先は長いです。
2021年01月12日
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Monday,January 11, 2021 曇り時々晴れ 8.2℃ 0.2℃ 午前5時起床。午前6時25分、NHKEテレにテレビ体操が始まります。昨年始めた朝の日課であることは昨日書きました。今朝はいけませんでした。終わり前、鼻血が出たのです。なかなか止まりませんでした。写真がその図。態のない顔とはこのことです。昼と夕刻、それに日付変更線を跨ぐ前にも流れ出ました。痛みは全くありません。 「鼻血」を調べてみました。素人診断ですが、鼻の内側、小鼻の内側にあるキーゼルバッハという部位に小さな血管が集まっていて、皮膚が弱いため、出血しやすいのだそうです。高血圧の人は血圧が高いため、破れやすいとのこと。飲酒はよくないとありました。うーむ、暫く酒を控えなければいけないかな。写真はそれとは関係ありません。昼に食べたお好み焼きです。美味しく、好物なのですが、今日は鼻血のあれこれを考えて、味がしませんでした。 大事をとって終日家の中に過ごしました。午前は読書。午後は大学ラグビーの決勝を観戦。天理大学が栄冠を手にしました。強かったです。関西の大学が関東のエリートチームを力でねじ伏せる、なんとも快感ではありませんか。 と、その時でした。勝手口をコンコン。Uさんでした。彼の父親が釣ったという梭子魚を沢山戴きました。 早速チャチャッ。父母と義母にと数匹塩焼き用をこさえたあと、残りは一夜干しに。2枚に下ろし、10%の食塩水に1時間浸しました。写真がその図です。この後、籠網に入れて寒風に晒すべく、勝手口の外に吊りました。 ランは最前が理由、控えました。風呂を浴びた後、酒は明日から控えることにしよう。パック酒を燗にしました。銚子1本で終わるはずでしたが、昨日kusuhito氏に貰った甘露をどうしても味見したい。抜栓しました。生酒でした。十四代は幾度か飲んだことがありますが、このラベルは初めてです。 秘伝玉返し、本醸造です。うーむ、天国的な味わい。極上の甘露でした。これは素晴らしい酒です。もったいないので嘗めただけ。冷蔵庫の奥にしまいました。kusuhitoさん、有り難うございました。 午後9時過ぎ、早めの就寝。午後11時を過ぎて、鼻の奥にヌルリ、出血を感じました。喉の方にそれが流れてくるのを感じました。小鼻をつまんで数分、治まりました。何だか嫌な気分だな。続くようなら医者にかからねば。今日の一句鼻血出て遠くなりけり二十歳の日今日のランなし今日の酒燗酒1合 十四代本丸秘伝玉返し1合今日の音楽なし 今日の写真はチョコレートです。初めて食べました。マセズプレーントリュフというのだそうです。クリーミーのチョコをココアの粉に包んでありました。蕩けるとはこのことです。珈琲に合わせました。 これ、おフランスからの輸入物だそうです。箱にパリの市街地写真が載ってありました。 なんともいい感じです。パリの空、憧れます。これもkusuhito氏からの頂き物。重ね重ね有り難うございました。
2021年01月11日
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Sunday, January 10, 2021 晴れ 6.9℃ -2.2℃ 午前7時前起床。後れをとりました。ラジオ体操に間に合いませんでした。朝のうち、昨晩の酒がせいで頭が重かったです。本を手にする気分ではありませんでした。NHKFM名演奏ライブラリーを聴きました。今日はワルターの特集でした。晩年、ビバリーヒルズに居を構えたこと、知りませんでした。写真は彼の優しく温もりのあるタクトにうっとりのトラです。 音楽を楽しんでいて、kusuhito氏がやって来ました。彼も薪ストーブ愛好家です。10年ほど前、ひょんなことから友だちとなり、以来、交誼が続いています。40代、物静かは薩摩隼人、ランナー兼チャリダー。勿論レベルは私より遙か上です。彼とは同窓なんです。あっ、酔散ではありませんよ。ですから真面目人間。植物が専門、マスターです。日本に生育の草木類、知らない名前はないようです。大分の街中に暮らし、忙しいリーマンです。薪不足の折はいつでもどうぞ、そう言ってあります。毎年来宅、それを持ち帰ります。気を遣わなくてよいのに、いつも酒をくれます。今日もビール、焼酎、日本酒とフランスのチョコレートをお土産に貰いました。嬉しくはありますが、ステーションワゴンの荷台には軽トラの半分余りしか載りません。沢山の甘露甘味は気の毒です。今度、大分に用事のある折は軽トラに山盛りを届けよう。写真は彼の車の荷台に詰め込んだ薪です。車体が沈み、ギリギリの状態でした。 積み込んだあと、居間に珈琲タイム。妻がカボチャプリンを出しました。輪行の話に花が咲きました。ただ、業務多忙で、ランもサイクリングも最近はさっぱりとのこと。そういえば一昨年の初夏、日田であった折に比べ、色の白くなったような・・・。話の次いで、昨年、私に持ち込まれた仕事のことも。たまたま彼がその業界に詳しく、某会社の内実など、書くこと能わずの内容を教えてくれました。田舎住まいなので酒のお礼は野菜で返すしかありません。里芋を掘り、白菜と大根、サニーレタスなんぞを持たせました。写真は彼に貰ったヴァルシュタイナーです。夕食前に抜栓しました。爽やかの中にもコクのあるピルスナー。3本貰ったのですが、1本で我慢しました。 戻ります。午後は馬。3連複の1枚が当たりました。昨日の不如意を取り戻し、少しプラスになりました。気分の晴れて着替えました。寒い中を走りました。いつものコースを走って、食客猫の多い鉄工所F工業に差し掛かりました。ん?ザーザー、小さな滝を流れるような水音が聞こえました。工場敷地内からでした。日曜日につき社員不在。足を踏み入れました。やっ!トイレの横にある手洗いの蛇口が折れ、その折れ口から勢いよく水が吹き上がっていました。辺りは水浸しもいいところ。元栓を探して止めました。社長・社員の方とは面識がありません。会社の入り口に看板があり、そこにTEL番号を書いてありました。かけても事務所は目の前です。出ようはずのありません。それでも社長の携帯に転送されるかもという淡い期待のあって、スマホで呼び出しました。ダメでした。明日、出社時刻を見計らって教えてあげよう。出勤の人がトイレを使い、流れないことに慌てることのないよう。写真は折れて落ちた蛇口です。いいことをしました。 おっ、畑の中にマメリとテンテンだ。猫を追ってのことでした。大きな犬に追われては、堪ったものではありません。ニャンコたち、事なきを得てよかった。 2頭の頭を撫でてバイバイ。次の写真は向津留のイチゴハウスです。今日もほんのり灯りが点りました。この光景を見ると、暖かい心持ちになるんです。 家に戻り、薪の運び込み、干した白菜と切り干し大根の取り入れ、鉢植えを玄関の中に、あれこれを済まして風呂を浴びました。今夜の当ては鍋でした。野菜が多いなぁ。肉が少ないなぁ。餅の入って、それが溶け、最後はドロドロになりました。 腹が膨れ、録画しておいた高校女子サッカー決勝と春高バレー男子決勝を早送りの観戦。その間、内容は書くこと能わずですが、妻の愚痴ともつかず文句ともつかずの長話。最後の一言は「あなた、そんなもの見ながら私の話をよくも聴けたわね」 返す言葉がありませんでした。今日の一句黒犬が十日戎に猫を追い今日のラン6km今日の酒ドイツビール小瓶1 プレモルレギュラー缶1今日の音楽シューベルト 交響曲第7番未完成 ワルター ニューヨークフィルモーツァルト 交響曲第28番 ワルター シカゴ響モーツァルト 交響曲第38番プラハ ワルター コロンビア響今日の写真は玄関の鉢に咲く桜草です(再掲)。日毎、花が増えます。こちらは石蕗。秋に黄色の花を付けます。この時期はこの態に。でもこれもなんとはなし、いい感じなんです。陽だまりにあって暖かい姿に見えますから。
2021年01月10日
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Saturday, January 9, 2020 晴れ 4.5℃ -5.0℃ 北西の季節風強し 夕刻に雪が舞いました。 午前5時起床。寒し。終日、屋内に過ごしました。ランは取り止め。今日の運動は午前6時25分からのテレビ体操とチャチャッの筋トレだけ。 本に倦いて、馬の研究を。が、芳しくありませんでした。日めくりカレンダーに「気の緩みが大きな失敗を生む」とありました。それが誰の言った格言か判りませんが、格言は尊重すべし。途中で放り出しました。 気分を変えてウィーンフィルニューイヤーコンサートの再放送を鑑賞。楽友協会ホールは無観客でした。指揮者のムーティは淡々と棒を振りましたが、手拍子無しのラデツキー行進曲は、例年以上に感動でした。見てよかったです。 夕刻、コーラスの打ち合わせに出かけるという妻の車に便乗。雪の舞う中をつね三へ向かいました。新年の挨拶、なにはともあれ行きつけの河岸だけにはしておかねば、ということで突っ込みました。 この寒さだし、コロナ蔓延、流石に今日は貸し切りだろう。そう思い、引き戸を開けた途端、私の名前を誰かが呼んだような気がしました。しかも女性の声でした。地域おこし協力隊のHさんでした。久闊を叙したところに燗酒が出てきました。お一つどうぞ、綺麗な女性に勺をされるのは何年ぶりだろう。 私も彼女に勧めましたがノン。今夜、これからウエブ会議だそうでした。備えて腹ごしらえに来たとのこと。彼女を見送ったら私独り。大将、鮨を握って頂戴。 流した酒は大分の銘酒・西の関。いい感じでした。ん?カウンターの中にクルマエビだ。写真はその尻尾です。黄と青が綺麗です。この模様、左右対称なのです。 先の鮨写真、向こうの列の左から2番目がヒラメです。そのネタをとったあとがショーケースに入ってありました。流石の包丁捌きです。 ガラリ。引き戸が開きました。やっ!元ボクサーのSさんだ。この前もここで一緒しました。大将と彼は津久見高校ボクシング部のOB、先輩後輩の関係です。Sさんの方が下。彼は今、隣まちの大きな製材所に働いています。昨夜は夜勤だったそう。数時間しか睡眠をとらず、朝からひっかけ始めたとのこと。きこしめしているようでした。 大将、Sんに曰く「今日、お前は鰭酒を飲め」と言いました。意味が分かりませんでした。何だ、サービスか。私にも、でした。 3人で乾杯の図。この後、Sさんは問わず語り、人生の悲哀話でした。聞き役に回りました。返す言葉がなく、ピッチが速くなりました。大将、熱燗を頂戴。空いた鰭酒に足しました。2回まではいい風味が残って楽しめます。私は貧乏性につき、1杯分の鰭で4杯を楽しみましたが。 Sさんはもう一軒寄るところがあると言い、夜のまちに消えました。 大将、何か裏メニューないの?これが出て来ました。トコブシの煮物です。肝臓が山盛りでした。おおっ、これは酒が更に進むぞ。しかし、このままやり続けたら足を取られるな。確かキープの白波があったはずだ。そのお湯割りにチェンジしました。 午後7時を過ぎて、立て続け4人組、2人組が入店。大将は忙しくなりました。そろそろ帰ろうかな。が、妻の会合が長引き、白波の5合瓶が空になりました。次の写真は出汁巻き玉子です。〆に食べて腹一杯になりました。それじゃー大将、また来るね。以下無用のことながら クルマエビ尾肢写真をしての余談です。私、若い時分、酔散の営業をしていました。アワビやクルマエビを放流するのも仕事のうちでした。資源保護の観点でなく、再補を念頭、事業ベースに乗せようという試みでした。放流効果の有無が肝です。それを確かめるには、水揚げされたエビが放流したものであるか否かの確認が必須。如何に記載が採った作戦です。水産試験場の指導もあり、最初は全長70~80mmの稚エビ第3腹節に、アンカータグ(衣類の値札に付いているT字型のあれ)をブスリ。小型底曳網の漁師総出、人海戦術で1万尾に標識を付け、佐伯湾に放流しました。しかし、後日、網に小さいのが数匹かかっただけでした。再び水産試験場に相談。エビ類は脱皮します。尾肢の片側を切除しても脱皮を繰り返すと再生します。しかし、切除した側は切除しなかった方の模様と違い、歪になります。そのことを研究員のOさんが教えてくれました。早速和鋏を40丁購入。再び漁師総出で70~80mmのエビ1万尾、その尾肢が片側を切除、放流しました。アンカータグは漁獲して一目瞭然、漁師からの報告待ちでしたが、今度はそうはいきません。再生された尾肢かどうかの判定が難しいのです。魚市場に水揚げされたものを一定数量、試験場が買い上げて、測定室で判別することになりました。結果は一言で言うと「どうもよくわからない」とのことでした。 今は当時と違い、遺伝子解析が可能です。放流用の稚エビは特定の親エビから採卵したものです。漁獲のエビと採卵の親エビのそれを照合することにより、放流物か否かが判るそうです。後輩に現状を訪ねたことがあります。漁獲量の2割近くが放流物だそうです。 私は幾度かの標識放流後、効果不明の結果をして人に「お前がしているのはエビの放流ではない。エビを逃がしているだけだ」とからかわれました。やっぱり水産ではなく酔散です。 余談です。尾肢切除確認のために試験場の購入したクルマエビは、判定後も資料として1年、冷凍保存されます。1年後に訪ねた際、前出、懇意のOさん(彼も酔散系の大学を卒業しています)がこっそりその一部を手渡してくれました。ギョニソ大の大きさの物を30尾ほどでした。数日、ゲップをしたらクルマエビの匂いがしました。今日の一句宵えびす風花舞いて鮨つまむ今日のランなし今日の酒燗酒4合 白波お湯割り(正味2合)今日の音楽2021ウィーンフィルニューイヤーコンサート今日の写真は今日もした消炭の選り分けです。この後、ブロアーで灰を飛ばし、大きい塊と屑に分け、ブリキのバケツに入れました。
2021年01月09日
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Friday, January 8, 2021 曇り時々晴れ 2.2℃ -4.6℃ 午前5時起床。その時、妙に静かな屋外でした。夜の白んで、降雪のあったことが判りました。今冬は初めてです。さらに、舞うことはあっても積もったのは数年ぶりかと。写真はうっすら雪化粧した拙宅への取り付けです。新聞配達のバイクでしょう、轍の跡が残っていました。寒い中を有り難うございます。 折角ですから野菜畑を覗いてみました。寒いと、芋類は煮えるのですが、青物野菜は大丈夫です。植物は面白い。 この冬一番の寒さに、終日家の中でした。読書が捗りました。音楽も楽しんで、充実感ありでした。写真は焼いた芋を父母に届ける途中に覗いた豌豆です。雪の溶けて、マルチシートの上に鳥の糞を認めました。鵯のそれかな。こんなところに珍しい。 こちらはブロッコリーです。脇芽から出た蕾が膨らみ始めました。八百屋に販売のソフトボール大と比べたら見るべくもありませんが、自家消費にはこれで十分です。 気温の上がらぬまま、夕刻となりました。0℃位の外気温でしたが、ランの格好に着替えました。上下とも、いつもより厚手のウィンドブレーカーを纏いました。それでも寒かったです。途中、木立郵便局の方に廻りました。馬が昨年末と先週に好調。飼い葉桶がプラスになっていました。すってしまわないうちに引き出そうということで、儲けた額を引き出しました。つね三3回分ほどになりました。ウシシ。 いつものコースを廻って帰宅。今日も汗をかいたぞ。ということでノルマ終了。風呂を浴びました。頭を拭き拭き新しいパック酒を開けました。これ、私の口には合いませんでした。 当ては冷凍庫に凍っていた烏賊の沖漬け。これ、好物なんです。 青物野菜は欠かせません。小松菜とアスパラ菜の炒め物です。これ、週一、必ず出てきます。 大根が柔らかい。薄味が優しい感じでした。 食後はNHKFMを聴きながら舟を漕ぎました。以下無用のことを 最前の雪を被る野菜のことをしてです。 植物の生育に気温の幅があるとおり、魚にもそれがあります。学生時代、酔散学の学び始めに「海洋漁場学」なる教科書を手に取りました。その中に「日本重要魚類の適水温スペクトル図」が掲載されていました。写真がそれです。 この図は1960年、宇田道隆氏(1905-1982、東京帝大卒、理学博士、水産講習所、東京水産大・東海大教授)が発表した論文の一部です。見ると、タラやオヒョウに比べホッケの生息温度幅が広いです。それぞれの生態を思い浮かべ、あれこれ想像すると面白いです。 ところで、海の生物にとり、海水温の変化は陸上生物が受ける気温変化ダメージのの10倍と言われています(出典不明)。海水の1℃が気温変化の10℃に相当。魚は変温動物です。さもありなんです。 さて、適水温スペクトルの広い魚ほど寒暖に強いということになりますが、図の中ではマイワシの幅が一番広いようです。回遊性の高い魚種だけにさもありなんです。標識放流で、石川県沖から青森県西沖まで数日の間に移動した報告例があったような。 ここで宇田道隆氏に関連し、笑い話を一つ。 宇田が水産講習所で教鞭をとっていて、水産学を学ぶ学生にも物理学の知識が必要なことを痛感。そこで宇田氏、母校の教官にして恩師でもある寺田寅彦(漱石の弟子、あの寺田寅彦です)に、講習所の教壇に立つことを依頼しました。恩師は快諾、講師を引き受けたそうです。さてその時、東京帝大理学部にはこれまた「あの」ですが、あの大物理学者・長岡半太郎がいたのです。水産講習所での寺田が講義するということを聞き及んで半太郎曰く「寺田助教授は珍しい学者だ。水産講習所の生徒にその講義を聴かすことは絹のハンケチで鼻をかむに類するものだ」とからかい半分、嘲笑したそうでした。(出典:水産海洋研究77 水産海洋学の黎明宇田道隆より) 東京帝大理学部が絹のハンカチで、水産講習所は鼻水か。 ははーん、なるほど。「水産」が「酔散」に替わったのはこの時だったのか。長岡先生、有り難うございました。 宇田氏のことをもう一つ。私、学生時代に彼が執筆の「海を守る 地球環境と人間の未来」を読みました。心を打たれたわけではありませんが、大学2年の時、この本に些か打たれ、向学の気持ちが生じたのでした。ということで魔の差して彼に葉書を書いたのでした。「励みになります」というような内容だったと思います。すぐさま、東京から函館に返信がありました。書き出しに「玉信拝読」とありました。嬉しかったです。でもその時はもう昂じた気持ちが消えていました。その葉書、蔵書のどこかに紛れ込んでいたはずですが、学生時代のそれらは先年、全て処分。惜しいことをしました。今日の一句松の内賀状往復終わりけり今日のラン8km 寒かった。今日の酒燗酒3合今日の音楽ブルックナー 交響曲第4番 第7番 カラヤン ベルリンフィルドビュッシー 交響詩海 カラヤン ベルリンフィルラベル ボレロ カラヤン パリ管ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲 カラヤン ベルリンフィルラベル 道化師の朝の歌 ラ・ヴァルス カラヤン パリ管2020ザルツブルグ音楽祭 NHKFM放送今日の写真は柚子の皮です。先日、nkucchanがレモンをウォッカに漬けました。拙宅も、隣のおばちゃんに貰った柚子をなんとかしなければ。触発されて、柚子茶にしよう。妻が取りかかりました。途中でメニュー変更。ジャムになりました。 今日の写真、おまけは朝日に連載のミニコラム「かたえくぼ」です。今日のそれはヒットどころかホームラン。私、若い頃は4コマ漫画「フジ三太郎」が楽しみでした。今、この新聞で一番に開くのはこのページです。どうですか、上手でしょう。このためだけに購読しているといっても、あながち嘘ではありません。
2021年01月08日
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Thursday, January 7, 2021 晴れ時々曇り 北西の風強し 7.4℃ -1.4℃ 午前5時起床。寒に入ると流石に冷たいです。日本海を通過中の低気圧がせいで日本列島は大風。大分・佐伯もでした。夜の明けて干し大根を広げた網籠を梅の木に吊りました。見上げたら中天に有明の月が懸かっていました。嗚呼、これが寒月だな、そう独りごちました。写真は朝に妻が出してくれた粥です。七草の全部が入ってはいません。菜園にある物だけを用い、人参を追加してありました。お代わりをしました。 妻は午前から夕方まで野暮用、実家に外出。不在をいいことに、アルテックを大音量。トラと音楽三昧、洒落込みました。写真はミルシテインのバッハに耳を傾けるトラです。 寒い日は、日中もストーブの火を大きいままに保ちます。よって薪小屋からの運搬も1日1回では足りません。次の写真は薪小屋の内部です。ストックが見る間に減っていきます。 一輪車に山積みして、居間の前に運びます。もっぱら樫や櫟です。キンキンに乾いていますが、結構重いのです。薪を誂えるチェーンソー作業も含め、男の仕事です。 余計な話ですが、妻は、この作業を見ていつも同じことを呟きます。「あなたが死んだら、私、木立に住めないわ。だから酒を控えてね」 今日は炭の選り分けをしました。炉の中の熾火を炭壺に移して火を消してあります。それを屋外に持ち出し、舟(プラスチックの平たい箱)に広げました。ブロアーで灰を飛ばした後、大きい塊は選り分けて炭火焼きを楽しむために保存。屑炭はブリキのバケツに入れました。これ、手焙り用に使います。残念なことに、全行程の写真を取り忘れました。思い出して写したのは屑炭を入れたバケツと手焙りだけです。寒い折はこれを書斎に持ち込んで暖を取ります。 日が傾きました。寒いので走るか止めるか、迷いました。踏ん切りが大切です。こう書くと、氷点下の中を走る釧路在住の亮さんに笑われますが、意を決し、着替えました。100m走って、冷たい、止めよう、後戻りました。いや待てよ、ここで怯んだら何が元の木阿弥か判りませんが元の木阿弥だ。50m戻ったところで再スタート。いつものコースをくるり一回り。汗をかきました。写真は逡巡した際に遠望した霊峰尺間嶽です。右の方は雪が舞っているのか、白くなっていました。 ラン中写真をもう一枚。行き遇わせたテンテンです。彼は寒さがお手のもの。♪犬は喜び庭駆け回る、ではあります。 汗の引かぬうちに風呂へ。 浴室を出て、頭を拭き拭き、今日のお勤めはシンプルにいこう。タコブツにしました。 妻が、生椎茸をタジン鍋で蒸し焼きにしてくれました。このところの寒さに肉厚のそれが締まっていい感じでした。これ、鰤の捌き賃にと親方がくれたものです。あっ、長葱は私が作りました。切り口が蛍光色に光っているのは、キヤノンIXYの設定を極彩色モードに併せているせいです。 次の写真は豚饅です。私が一つ、妻が二つでした。 微酔いとなって舟を漕ぎました。次の写真は、その間に始めた妻の夜なべです。 プリンをこさえるのです。こさえたカラメルソースを底に敷くの図。何だかウイスキーのショットみたいです。 とってあった南瓜を昨日のうちに茹で、漉してありました。それに牛乳や玉子、生クリームを混ぜ、容器に流し込みました。次の写真はそれをオーブンレンジにかけた後の図。一晩冷蔵庫に寝かせたら完成です。今日の一句燗酒や我も猿曳松の内今日のラン6km 寒かった今日の酒燗酒3合 スコッチ1ショット サッポロ黒ラベルレギュラー1缶今日の音楽ブラームス 悲劇的序曲ヒンデミット 交響曲「画家マティス」ブルックナー 交響曲第8番 第4番 以上 カラヤン ベルリンフィルBach BWV1004~1006 ミルシテイン今日の写真は朝日に掲載の新聞広告です。ベッキーの背中ヌードを載せた宝島社の提供。左下に「言われなくても、やってます。」とあり、右下に赤文字で「感染拡大は、個人の責任だそうです。宝島社」。昨日掲載の「ねちょりんこ、ダメ。」と併せ、解釈が分かれそうです。
2021年01月07日
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Wednesday, January 6, 2021 曇り時々晴れ 8.1℃ 4.0℃ 午前5時起床。朝食を挟んでずっと書斎に過ごしました。写真は机の前、硝子窓越しのショウビタキです。愛犬レオの眠るところに植えた百日紅に留まったところをパチリ。 昼は出かけた妻の作り置き、チキンカツ丼でした。録り溜めたビデオ番組の中からポアロを見ました。眠くなって午睡。ソファーに1時間以上横になりました。 明日明後日と寒波襲来の予報でした。今日のうちにサイクリングをしておくか。この夏、出来るかどうか判りませんが、コロナ禍の治まって北海道をサイクリングするなら、とにかく慣れ、鍛えておかなければ。その思いからです。着替えて出発。以下はその切り取りです。 1枚目は須留木集落の端、水田のクリークです。秋、ここにホテイソウが満開でした。それが枯れてこの通り。 ん?コサギが水路を覗き込んでいるぞ。 視線の先を見ました。やっ!イタチかテンに襲われたのか、仲間の羽が散っていました。 見入っている暇はありません。先を急ぎました。次の写真は茶屋ケ鼻橋を渡り、振り返るの図。3階建ての建物のあるところが茶屋ケ鼻です。橋の架かる前は、ここに渡しがあったとのこと。 この眺めには、個人的な想いがあります。 私には伯父がいました。私の生まれる10年以上前、昭和19年に戦死しています。所謂「サイパン島玉砕」によってです。伯父は旧制中学を卒業後、父(私にとっては祖父)に教師になるよう勧められました。教職は徴兵を免れやすかったからだと。しかし彼はそれを容れず、満鉄に入社。大陸に渡りました。そこでどのような暮らしをしたのかは判りません。便りはあったはずですが、見たことはありません。昭和何年か不明ですが、その伯父宛て、実家に招集令状が届きました。大連(?)から急遽帰省。木立に数日を慌ただしく過ごした後、熊本の第6師団へ入隊しました。 出征のその日、実家からここ茶屋ケ鼻まで3kmの道のりを家族が一緒、歩いたそうです。鼻を廻ると、もう木立の景色は見えなくなります。暫し立ち止まり、振り返って「お別れだな。最後だな」そう呟いたそうです(父談)。感慨一入です。 戻ります。中央に架かる津志河内橋の上流が木立川です。ここで堅田川と合流するのです。ちなみに右方向が堅田川の上流。左は100mも進まぬところで番匠川本流と合流します。 立ったそこで振り返りました。街並み越しに佐伯のランドマーク「城山」が見えました。標高144m。江戸初期、山頂に築城しましたがすぐに消失。今は石垣が残るのみです。その向こう、中央に覗くのが霊峰尺間嶽。頂上に尺間神社があります。火、智恵、五穀豊穣の3神が祭られ、厄除、学業成就、心願成就、家内安全、商売繁盛、大漁満足、縁結びなどに御利益ありとのことです。正月は参詣の人で賑わうらしいけれど、今年はどうだったんでしょうか。 おっと、日が傾いてきました。ペダルを回そう。写真のとおり、堅田川を遡上。山あいに分け入りました。 川を隔て、向こうに見えるのは東証一部上場「大和冷機工業」の工場です。業務用冷凍冷蔵厨房器機メーカーです。 岸河内の手前で横道に逸れました。総合運動公園を覗いてみることにしました。リーマンの頃、会社の引けてここに乗りつけ、着替えて走ったり泳いだりしていました。倦くアスロンに出場、初心者の部で3位に入ったことがあります。懐かしくてハンドルを切りました。写真は公園内にある遊具です。この寒いのにかなりの数、幼児が取り付いていました。 こちらはアリーナ。 その向こうが温水プール。10年前まで毎日のよう、通いました。50肩になって止めました。また始めようかな。細々ではあるけれどランも継続しているし。トライアスロンに出るのもいいかな。でもプールはコロナが怖いし。いずれにしてもコロナ明けだな。余談です。ここの利用は、3ヶ月の会員権が12ラー弱です。お得感あり。 おっ、土俵だ。数年前の2年間、嘉風を含む尾車部屋の幾人かがここで合宿を行いました。地元出身力士だけに、見学者も多く、市を挙げて応援。本場所中、佐伯駅には幟を立て、嘉風が勝つと即座、花火を打ち上げました。それが、ご存知のとおりトラブルとなって気まずい状態に。その経緯、週刊誌にゴシップとして取りあげられもし、地元にあってあることないこと、色々聞こえてきました。どうのこう申しませんが、佐伯言葉で「すったり」の状況であることは間違いありません。 岸河内集落を抜け、小さな峠を越えて竹角集落へ。そこからはもう下りです。下堅田を経て木立へ。途中、波越を通過。写真はそこにある親方経営の農林産物直販所です。冬枯れの時期です。加えて夕刻。青物は売れてしまっていました。 今の主力商品はこれ。椎茸の原木です。人気があって、品切れ状態だそうです。 丁度親方がいて、言葉を交わしました。「あんちゃん、山ぁ寒いきぃー一時休みじゃーのう」 木立にもどり、大中尾、畑野浦峠の登り込みまで踏み上がりました。今日は一昨日の半分、30kmでしたが、風の舞う中、いい練習になりました。写真はK製材にひょっこりのくろちゃんです。この猫、私には慣れないんです。畜生め。 家に戻って風呂へ。汗を流しました。写真はトラです。午後5時の時報を覚え、それが鳴るとネコカリを我慢出来ません。纏わり付いて始末に負えません。 午後6時になると、私も酒を我慢出来ませんから、妻にとってはトラ同様なのでしょう。 夜のお勤め、今日の当ては塩を打ってあった豊後水道天然釣鰤の鎌。美味しかったです。 おっ、聖護院大根だ。風呂吹きに仕立ててくれました。ふーふーしながら食べました。以下無用のことながら 嘉風のことを書いて大相撲、白鵬がコロナ感染、初場所出場アウトとの報あり。先場所の欠場で横審に最後通牒を突きつけられた形になっていました。罹患後、どうなるんだろう。感染には注意怠りなしだったはずなのに。身の振り方や協会の扱い、あれこれを邪推したくなる杣夫です。今日の一句粥草を摘みに寒きの馬日かな今日のランサイクリング30km今日の酒梅酒ストレート1ショット 燗酒2合 焼酎お湯割り正味1合 スコッチ1ショット今日の音楽ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 カラヤン ベルリンフィル同上 ピアノ協奏曲第2番 リヒターハーザー カラヤン ベルリンフィル今日の写真はストーブの前のトラです。彼の得意技はその通り火の番です。
2021年01月06日
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Tuesday, January 5, 2021 終日曇り 10.2℃ 3.1℃ 午前5時起床。寒い一日。暦通り小寒でした。 午前は書斎に過ごしました。ペンに倦いて何か軽いものを読んでみようか。手に取ったのは池波正太郎「日曜日の万年筆」新潮文庫です。私がサンデー毎日だからということではありませんが、タイトルに惹かれました。珠玉のエッセイです。折々の人生経験を50余りの題にしてありました。文章の向こう側に、剣豪時代小説のなかに見え隠れする彼特有、無常のなかにある暖かさ、温もりを見て取れました。いい感じでした。 次の写真、こちらは、食べて暖かい雑炊です。昨夜の鰤シャブが残りの汁でこさえたものです。これが朝ご飯。美味しくて、お代わりしました。 午後も引き続いて書斎に。夕刻、昨日のサイクリングがせいで体が固まっていましたが、ランの格好に着替えました。いつものコースをひとっ走り。雲が切れ始めましたが、北風が冷たかったです。写真は向津留のイチゴハウスです。日射しのない折はボイラーが稼働します。中は別天地のはずです。 この通り、ビニールの内側が結露していました。ただ、赤く熟れた苺は少ない感じがしました。例年に比べ、気温の低い日が続くからだろうか。それともクリスマスと正月の商戦に頑張って、一息ついているからかもしれません。 出がけ、認めた葉書を投函するのを忘れました。それを携え、再びラン。転勤続き、今は熊本・水俣に在住の友人につね三の閉店を知らせるためでした。彼からの賀状に、今年はなんとしても訪佐の上、つね三に突っ込みたいと書いてあったのです。現状を知らしめ、早めの来佐を促さなければ。 こんやのお勤めはチキンカツでした。「作」はもったいないので控えました。白波のお湯割りで流しました。以下無用のことながら 保阪正康氏と半藤一利氏の対談「昭和史を再考する」の中に「昭和史の中の薩長閥と血縁閥」と題したやりとりがあります。明治時代、政府も軍も脈々の薩長閥支配だったこと、それが大正・昭和、時代が下がるに従い、縁故よりも陸士・海兵の成績が重要視されるようになり、人事に反映されもした。それを機、反薩長閥が台頭した。が、それでも、閨閥は西日本出身が薩長、東日本が反薩長、婚姻もも東日本は東日本で、西日本は西日本で、という構図は続いた、とまあこんな内容です。興味深い。半藤氏は、先の戦争遂行においても、この血縁関係が「非常に微妙なところで動いている」と評しました。具体的に戦争末期に於けるソ連仲介の和平工作に絡む岡田啓介、迫水久常、瀬島龍三の三人を挙げて、彼らが全部血縁関係にあると示します。ふーん、知らなかった。 余談です。縁戚・血縁のことをして、ふと今の世襲議員とその家族、閨閥のことを連想しました。この辺りのこと、奥が深そうです。保阪氏は「陸軍の中で高級軍人を批判するとき、彼らの縁戚はどうなっているのか、相当確認しながら進めている」と語っていますが、高級軍人を世襲議員に置き換えても、しっくりくるジャーナリストの弁ではあります。思うところ多ですが、ここは無用のことなので、何を書きたいのか意味不明とし、オブラートに包んでペンを置きます。今日の一句千両にかかる埃や今日五日今日のラン6km今日の酒梅酒2ショット 白波お湯割り正味1合 スコッチ1ショット 白波無垢1ショット今日の音楽ベートーベン ピアノ協奏曲4番 ワイセンベルグ カラヤン ベルリンフィル同上 三重協奏曲 オイストラフ ロストロポービゥッチ リヒテル カラヤン ベルリンフィル今日の写真は隣のおばちゃんに貰った聖護院大根です。大きい。
2021年01月05日
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Monday, January 4, 2021 午前6時前起床。目は早くに覚めていましたが、ラジオを聴いていてうつら。後れをとってしまいました。 午前は書斎に私小説の構想を練りました。昨年は戦前戦中の内容を描いて反戦平和を。今年はその習作書きを中断。ユーモア系に取り組んで見たいと思います。獅子文六の「てんやわんや」のようなものを書けたらいいな。北杜夫のどくとるマンボウシリーズもいいな。そうだ「青春期」のようなものがいい。 明日は雨模様との予報でした。行き当たりばったりの杣夫です。今日のうちにロードバイクの走り初めをしよう。息子のサイクルジャージを引っ張り出しました。着替えて午前11時、青山廻りの蒲江コース、空の地蔵を越え米水津に、最後は浦代峠。走り終えて62kmでした。以下はその途中を切り取った写真です。 一枚目は青山小学校です。県道佐伯蒲江線轟峠の上り込みにある小規模校。複式学級となって久しく、統廃合の話も以前から持ち上がっています。坂を前に、この先で上着を脱ぎました。登坂に備えてです。汗びっしょりになるのは嫌ですから。 峠を越え、蒲江地区のラーメン屋「ごとう」で昼を、と考えていました。残念なことに店の前に張り紙が。営業開始は5日からとのことでした。仕方ありません。近くのAコープで菓子パンを購入。炭水化物を補給しました。ラーメン屋は畑野浦にもあります。そこでありつこう。上着を着て出発。 蒲江振興局を横目、小中一貫校・蒲江湘南学園を通過。高山海岸に出ました。いい眺めでしたが、中央の白い建物・大分県マリンカルチャーセンターは閉鎖されて久しい。もう再開はありえません。 高山トンネルを抜け、入津湾に。ここはヒトデの形をした深い入り江です。海岸線に沿ってクネクネ、ペダルをこぎました。時折、突風に悩まされました。サイクリングは風を友だちにしないと、楽しくありません。 空の地蔵に続くピークが見えてきました。写真中央がそれです。ん?道路脇にこんな看板が。ああそうか、今春、私のまちの市長選と市議選があるんだった。そいでもってこのところ、この手の看板が多いんだ。ん?看板にある名前、何だか焼酎銘柄にしたらいいような・・・。 楠本集落の手前にロードバイクを停めてパチリ。遠く、鶴御崎を望みました。半島の先端頂部に白いものを微か、認めます。鶴御崎灯台です。その手前が地黒島。距離感が判り辛いですが、その左は米水津湾沖に浮かぶ横島です。この島の瀬群は磯釣りのメッカです。釣雑誌がクロ釣コンクールを開くほどです。太公望憧れの聖地かと。なお、浮かぶ漁船は鰤養殖の関係。投餌をしているはずです。 やっ、畑野浦のラーメン店も休みでした。8日からとの張り紙が。仕方ありません。この先は空腹、我慢の輪行です。 さあ空の地蔵に向けて登坂です。尾浦トンネルを抜けたところで再び上着を脱ぎました。次の写真は私です。頂部に到着し、上着を纏うの図。ここは県南地方にあって初日を拝むことの出来るスポットです。写真では判り辛いですが、豆電球を連ね、太陽光パネルと充電池でそれを光らせよう、そのイルミネーションが私の後ろにありました。余談です。この写真、丁度居合わせた福岡ナンバーの方に撮って貰いました。GAMAKATSUというロゴの入ったジャンパーを着ていました。その通り、釣にやって来たとのことでした。 今日はこれを持参。小振りですが倍率は10倍。この北風にめげずの釣船or漁船?、豊後水道を上り下りの貨物船、遙かに見える南予と高知の山並み・・・。いい眺めでした。 頂上からの眺めをもう一枚。眼下に見えた沖黒島です。これも写真ではそれと判りませんが、岩場の右手前に磯釣り客が張り付いていました。この寒いのに、なんともはやではあります。遠く彼方は愛媛・愛南か宿毛の山並み。そしてこの色合い、蒼海とはよくも言ったものです。 一気、色利に下りました。折角だから色宮小学校跡を見ていこう。そこの玄関へ廻りました。植え込みの中に米水津小学校と書いた碑ありますが、これは廃校直前に合併、名称を変えたからです。浦代にあった向陽小学校とここ色宮小学校の2校が統合、この名称になったのです。その際、向陽小学校尾を取り壊して跡地に新築、完成までの間はこの校舎を利用したのでした。 余談です。この小学校には些か思い出があります。ここに勤務していた女性と見合いをし、結婚したのです。彼女は大学を卒業後、ここが初任地でした。交際期間中、七夕の笹がないというので、木立でそれを切って届けたことがありました。祝言の折は学校の同僚を招き、受け持ちの子どもたちまで式場にやって来、花束をくれたことを覚えています。 余談の余談です。小学校とは別、私はその折、水産の営業でした。ここ色宮地区は水産加工業が盛んで、私の勤務する会社が業者の方々と加工協議会を結成、担当の私は加工品の品評会を開いたり、九州四国の各地、山口県などに視察を行っていました。メンバーの中には妻の担任する子どもの保護者も数名いて、結婚の決まって冷やかされました。 玄関に佇んでいて、老婆が散歩にやって来ました。挨拶したら相手は妙に饒舌。話に釣り込まれ、わたしも上記のことをもう40年近く前のことですがと前置きし、話して聞かせました。加えて、妻の受け持った子どものうち、幾人かの名前はうろ覚えながら記憶にありました。その名を出すと、老婆は遠い親戚になると返しました。無用のことではありますが、なんとはなし、親近感を覚えました。 寒い寒い。先を急ごう。次の写真は防波堤に魚を釣る太公望です。何が釣れるんだろうか。 こちらは物揚場に積み上げられた蛸壺です。この漁、見てみたいな。 大内浦を過ぎ、浦代集落に入ったところで迷いました。小浦を廻り、中浦に出て鶴見の海岸線を走るか、それとも浦代峠を越えて木立に戻るか。思うに鶴見半島は東西に長いのです。海岸は北向き。この季節風です。海水の飛沫を浴びそう。それは嫌です。後者を選択しました。次の写真は峠道を上り、浦代トンネルを木立側に出たところです。この坂を一気、下りました。大野地区から私の住む仲野河内地区へは「まぬくい」峠を越えなければいけません。ほんの短い峠道ですが、大野側からだと急勾配。最後の最後が今日一番の斜度でした。 午後4時に帰宅。走った距離は62km。初乗りだったので「ガンガンこぎ」を控え、其処此処に止まって景色を愛でたこともあって、時間を要しました。サイクルシューズを脱ぐ途中、食客バイカルがニャゴニャゴ纏わり付いてきました。おおよしよし、今日は一日何をしたんだい?ん?もう鰤のアラはないのかって?いや、あるよ。ほら。 美味いかい?「うん、親方、これが最高だよ」byバイカル。 それにしてもお前、目やにが凄いな。目薬をさしてあげよう。「あなた、今夜は鰤シャブよ。風呂を浴びる前に葱を掘って頂戴」 アイアイサー。 チャチャッ。掘り上げた後は風呂。汗を流して、プシュッ。クワワワァ~もちぇん。 前後します。酒の話です。年末に甘露の殆どを干してしまいました。年明けは芋焼酎で凌ぐしかない、どうしてもの折りはパック酒を燗にして誤魔化そう、覚悟していました。豊後水道の天然釣鰤もさつま白波で、そう思っていたところにピンポーン。宅急便でした。僥倖とはこのことです。地獄に仏、闇夜に燈火(ちょっと違うか)、長箱のなかに三重・鈴鹿の甘露「作」の純吟、一升瓶が入っていました。ももさんからでした。彼女、久しくブログを更新していません。気になっていたのですが、この1本に元気を確信。早速抜栓。嗚呼、まさに干天に慈雨。嬉しいな。でも何故に酒?彼女、魔が差したのかな?私もなにか魔を差さなければいけないな(笑い)。 田舎料理の鰤シャブが一転、料理屋の味になりました。ももさん、有り難うございました。 昨日、親方に鰤の半身を貰って、その半分を食べたのですが、甘露のせいで箸がすすみました。結局、残りのサクも殆ど平らげました。今日の一句空地蔵四日も晴れて海蒼し松の内柚子を楽しむ鰤鍋に今日のラン輪行62km今日の酒プレモルレギュラー缶1 冷酒2合 スコッチ2ショット今日の音楽なし 今日の写真は、夕食時、切り足す前の鰤切り身です。5枚に下ろした後、こうしてラップしておくと、刺身に切るのに手間いらずです。
2021年01月04日
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Sunday, January 3, 2021 晴れ 9.6℃ -0.1℃ 北西の風強し 午前5時起床。箱根駅伝は早立ちです。午前8時でした。以降、ラジオの実況を聞きながらぼんやりの時間を過ごしました。レース結果は、創価大学が惜しかった。9区まで並み居る名門を後塵、あと一歩のところで逆転を許しました。勝たせたかったです。名門古豪より新しいチームの方を応援したいのです。余談です。昨日の大学ラグビー、明治が破れました。天理大は新参ではありませんが、関東の強豪をねじ伏せての勝利に溜飲を下げました。私、判官贔屓なのです。戻ります。写真は食べたヨーグルトです。体を動かさなかったので腹が減りません。昼はこれだけでした。 前後します。昼前、親方からTELあり。今日釣った鰤を貰ったので捌いて欲しいそうでした。引き受けました。駅伝が佳境の時刻にやってきました。いい感じの大きさでした。チャチャッ、やっつけました。 余談です。天然物にはブリ糸状虫の寄生がまま見受けられます。今日の鰤にはありませんでしたが、年末に下ろしたそれには相当数いました。以下にその写真を掲載します。糸状と入ってもそこそこの太さです。三枚に下ろす途中、脊椎骨近くの肉内によく見て取れます。これ、誤って食しても人体に害はありません。でも気味が悪いので、捌く折りは注意し、見つけたら除きます。養殖物には殆ど寄生しないと聞いたことがあります。 5枚に下ろし、皮を剥ぎました。後はスライスすれば刺身になるよう誂えたサク4本のうち、親方は2本を持ち帰りました。もう2本は捌き賃としてくれました。アラもでした。次の写真はこの寒なのに育った椎茸です。これも親方が駄賃にとくれました。有り難うございました。 今日は日曜日でしたが、賀状の配達がありました。何枚かに返信を書きました。妻もでした。出しに行こう、それを持って近くのポストへ。ついでだから一緒に歩こうか。いつものランコースをウォーキングしました。写真はF工業のヤードに暮らす猫です。鰤のアラを数切れ、与えるつもりで持参しました。F協業社の年末年始は休みです。空きっ腹なのか、全部の猫(6尾)が走り出てきました。いつもネコカリばかりを食べているのでしょう、与えたら目の色を変えパクパク。野良に餌を与えてはいけないことはわかっていますが、田舎、加えてここは人家から遠く離れている場所だから構わない、勝手にそう決めてのことでした。法度を承知で私は猫に与したい。 次の写真はF君の作る菠薐草畑です。露地栽培だけにこのところの寒さが応えているのでしょう。成長が遅い。 こちらは小麦です。麦踏みにはまだ少し早いかな。 今日の晩ご飯は鰤のアラ煮でした。 煮染めは日の経って溶けそうなくらいの柔らかさでした。 この昆布も口に含んでヌルリ、いい感じに柔らかい。 日本酒はパック酒を残すのみとなりました。今日は最初から焼酎でした。何の覚悟かわかりませんが、こうなることは覚悟していました。以下無用のことながら NHKEテレでニューイヤーオペラコンサートを鑑賞。終わり間際、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の最終幕が歌われました。その場面についた歌の題名は「親方たちをさげすんではならぬ」というものでした。内容はドイツの音楽芸術を讃える賛歌です。解釈によってはナショナリズムの高揚を煽る意味にも取れます。はからずも、後にナチスが目指した国粋の方向に沿う形となったのが残念です。さて、それはそれとして、オペラの中でマイスタージンガーとは職業としての歌手なのですが、邦訳の「親方」という言葉は、普段私の使う一人称でもあります。マイスタージンガー、歌詞の素晴らしさとは似ても似つきませんが、親方は親方、鰤を持ってきたのも親方、私も一人親方です。高尚なオペラの内容とは大違いの「親方」ではありこそすれ、この「親方たちをさげすんではならぬ」という題名、言葉だけは自虐というニュアンスをもって妙にしっくりし、可笑しいんです。皆さん、親方を蔑んではいけません(笑い)。今日の一句三が日明けても猶の寒烏後を来る妻の足音冬の道寒鰤で野良と与する三が日杯持ちて賀状を返す松の内今日のランなし ウオーキング5km今日の酒ボンベイサファイア梅酒1ショット 芋焼酎お湯割り正味1合 スコッチ2ショット今日の音楽NHKニューイヤーオペラコンサート今日の写真は後発のアスパラ菜です。株はまだ小さいのですが、早くも花が咲き始めました。おまけはトラです。「旦那、正月なのに白波でっか?寂しいね」byトラやかましい、鰤刺三昧にしてあげてんだぞ、結構な猫め。いらんことを言うな。
2021年01月03日
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Saturday, January 2, 2021 曇り時々晴れ 9.1℃ -0.1℃ 午前5時起床。薪ストーブの中に溜まった灰を掬い出しました。熾火混じりなので、顔が火照りました。終日焚いているので、灰の量が半端ないです。 十能を使っていて、大晦日、畑野浦に暮らす高校の同級生TのAちゃんに鮃を貰っていたのを思い出しました。夜の明けないうちに使い捨てのゴム手をしました。Mサイズなので杣夫にはちょっと小さめ。 養殖物です。余談です。私が水産の営業をしていた頃、佐伯市の鮃養殖生産量は、自治体単位では全国一。殆どが陸上養殖。海水をポンプで汲み上げるため、コスト高でしたが管理は容易でした。韓国からの養殖物流入で業界に不況の波が押し寄せ、廃業する経営体もありました。今の状況はどうなんだろう。そんなことを思いながら、ヌタ(魚体の表面に付着の粘液質のヌメリ)と鱗を金束子(ステンレス製)を使ってゴシゴシ。これ、裏技です。酢を使う技もありますが、それは面倒臭い。それにしても勝手口の外は寒かったです。 頭を落とし、腹を出し、水気を切って台所に戻りました。この時点で5枚に下ろすのですが、最初に包丁を入れるのは縁側。ほんの僅か、切れ込みを入れておきます。次は脊椎骨に沿って直線的に。写真がその図です。 後は骨に沿って少しずつ剥がすよう、切り開いていきます。この通り。 起きてきた妻が塩胡椒を振ってくれました。ひっくり返すのは勿論私です。彼女は手を汚しません。これ、フライかムニエルになります。取り敢えずチルドへ。 夜が明けました。さてと、イッパイやるか。酒保を覗いたら、冷酒はこの1本、しかも底溜まりだけとなっていました。鰤刺を当てに流しました。熟成が進み、軟らかくなっていました。「雑煮を作るから、お餅を焼いて頂戴」 アイアイサー。毎年年の初めにこの図を載せますが、熾火に焼かれてプーッ、膨れるの図はなんともいい感じです。 椀に移し、いりこでとった出汁を加えて出来上がり。拙宅のそれはシンプルです。 食べ終えて箱根駅伝が始まりました。杣夫の観戦は、テレビ画面の音声を消し、ラジオNHK第一放送を聴きながら。民放アナは順位の入れ替わるときや襷の受け渡し時、誇張表現に過ぎるよう感じます。馴染めません。このところ特にそれを感じます。翻ってラジオの方、NHKは政治に忖度はしますがスポーツには真摯、スマートな向き合い方です。加えてコマーシャルの間も実況なので、いい感じです。あっ、ラジコには1分余りタイムラグがあるので、防災ラジオを使いました。 昼を挟んで観戦を終えました。午後は毎日と日経に目通し。前者は父の家から、後者は昨日妻がコンビニで購入。元旦の新聞は各紙渾身です。ちなみに読売は妻の実家にあります。後日に回しました。 さて、その毎日は中国製コロナワクチンを日本企業のトップがヤミで購入、接種しているというスクープ。日本の法律に抵触する恐れありという視点を指摘するだけでなく、中国ワクチンの富裕層接種が安全性の証明となり、一帯一路の国々での治験も併せ「ワクチン外交」戦略が透けて見えたという内容です。いい記事でした。 日経のそれは温暖化ガス排出削減の取組と展望を特集。記事の冒頭、「価値生む砂漠」という見出しがありました。内モンゴルの砂漠に大規模な太陽光発電を建設中、完成すると広さは山手線の内側とほぼ同じ、発電量は原発2基分の200万キロワット、コストは1キロワット4円、日本の太陽光コストの1/3以下、世界に占める中国の太陽光発電比率が2010年の2%から18年は32%に急上昇・・・。興味深い話でした。続いてカーボンニュートラルに関する技術開発の現状を紹介、末尾に「18世紀、農業革命で穀物生産を伸ばし、産業革命で工業生産を増やした。20世紀末の情報革命は社会をデジタル化、経済や雇用の形態を変えた。カーボンゼロは人類の営みでこれまで増え続けたCO2を一転して減らす革命だ」とありました。目から鱗の俯瞰です。 そして朝日は玉子大臣にさらに1300万円とのトップ記事。悪を暴く姿勢は悪くありませんが、毎日、日経に比べなんとなく・・・。3紙を比較、元旦のトップ記事に3社の行く末が見えるような気がしました。 新聞のおまけです。日経、元旦の第4部にマイルス・ディビス没後30年の特集がありました。新世代の若者が彼の後を牽引の記事、よかったです。聴きたくなりました。 サイクリングをしようか。でも日の傾いて気分が変わり、ランの格好に着替えました。いつものコースをやっつけました。F工業のニャンコは今日も丸くなっていました。「おっさん、正月なのにすることがないのか?」 この辺りはタラノメの穴場です。この通り、棘のある木が其処此処に。あと2ヶ月あまりしたら出た芽を折って天麩羅に。楽しみです。 谷に若水の音。寒い夕暮れでしたが、年の明けてこの流れを見ると、清々しく思えるから不思議です。 家に戻って風呂。「今日は焼き肉よ」 禁玉邸のしゃぶしゃぶに刺激を受けてのことでした。親方に貰った下仁田葱の甘みが肉の味に勝ってとてもいい感じでした。親方、有り難う。今日の一句酒汲みて二日遅れの雑煮かな今日のラン6km今日の酒冷酒1合 燗酒1合 芋焼酎お湯割り正味1合 ジンのワイン割り1今日の音楽なし今日の写真は妻が昼にこさえてくれた青梗菜の炒め物。片栗粉の効いてトロリ感がよかったです。
2021年01月02日
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Sunday, January 1, 2021 晴れ時々曇り 7.3℃ -0.9℃ 午前5時起床。このところ、寒い日が続きます。冷たい正月となりました。 昨晩、日付変更線を越えてチビリ映画を見ながら飲酒でした。それでも夜明け前に目の覚めた杣夫です。写真は日めくりカレンダーです。右上に、毎日の格言というか生きる術のようなことがかいてあります。昨年は「中国古典一日一言」を捲りました。しかし、のんべんだらり、ぼんやりの生活に効果無し。今年はこれを繰り、日々新たなりを感じよう。そう決めたのでした。今日のそれには「一年の計は元旦にあり」そう書いてありました。 外の白む前、新聞を手に取りました。年頭なのに気負った記事のない朝日、どうしたんだ。 陽の昇って、実業団駅伝を観戦。途中、都会に過ごす娘息子にTEL。声を聞きました。 午後3時をまわって、実家から妻が戻りました。一緒に近所の熊野神社へ初詣。正月の参詣は自宅に一番近い神社を旨とするのがよろしい、その道に詳しい方にそう聞いたことがあります。以来、正月は先ずここへ、なのです。 田舎神社です。神主はおろか巫女さんもいません。この通り、札やお守りも無人販売。お金を剥き出しのところがいい感じです。泥棒のことを考えなくていいのが鄙のよいところです。 家に戻るという彼女と別れ、ひとっ走り。次の写真はいつものコース途中にあるF工業鉄工所に日向ぼっこのニャンコです。「おっさん、正月なのに、走っているのか。暇だなぁ」 そんな目で見るなよ。正月太りはまっぴらだからな。 家に戻り、熟成の進んだ鰤を刺身に。吊ったそれはこの通りパンパンに乾いていました。捌くと中はねっとり。 冷蔵庫に冷酒を探しました。やっ!日本酒はこれ1本になっていました。しまった。昨日のうちに補充しておけばよかった。写真は甘露中の甘露です。鰤刺と数の子を当て、ピッチを上げました。干してしまい、バタンキュー。今日の一句鵯が南天に群れて元旦今日のラン6km今日の酒プレモル一口 冷酒3合今日の音楽なし今日の写真は空です。 帰りがけ、空の半分が雲に覆われました。北西の季節風が九州山地に遮られた部分と、関門海峡を抜け豊後水道に広がる部分の境なのでしょう。下の建物は木立小学校です。午後4時、いつもは放課後のガキンチョ声に喧しいのですが、今日は人っ子一人いませんでした。
2021年01月01日
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謹賀新年 皆様、お変わりありませんか。 退職し、二年近くが過ぎました。ネクタイの結び方を忘れましたが、鍬使いの腕は上がりました。以下に近況を書いて新年の挨拶とします。▼(野菜畑)種類が増えました。大根を除き、作柄は頗るよかったです。友人に配って喜ばれました。ラッキョウやニンニクを初めて漬けました。野良に出る時間が増え、生活のリズムは天候に左右。今日の曜日を知らずに一日が終わりました。▼(趣味)文学全集に挑戦中ですが、捗りません。音楽の方はオーディオ器機が老朽化。不具合が目立ち、修理代がかさみました。愛用のカメラを落とし、駄目にしました。嵩む出費に頭が痛かったです。▼(ジビエ)猟師と親しくなり、よく獣の肉をもらいました。猪を丸々一頭のこともありました。解体のコツを教えてもらい、臓物の腑分けを習いました。モツ煮込みは自慢の一つです。▼(運動)ジョギングよりもロードバイクに乗る日が増えました。平均時速30キロ。行動半径が拡がり、百キロをこなす日もありました。転倒流血を経験しましたが、楽しいスポーツです。コロナ禍が去ったら、夏の北海道を気ままのサイクリングが夢です。▼(山仕事)友人の山に薪の手当てを兼ねて入山。倒木仕事を手伝いました。チェーンソー技術はセミプロと自慢、悦に入っています。腕を買われ、林業会社に勧誘されました。別にワイシャツ仕事の誘いも幾つかありましたが、思うところあり、何れも断りました。▼(酒)弱くなりました。好きだったビールに距離を置き、晩酌は芋焼酎のお湯割りが中心です。勿論家飲みです。盛り場への出撃は数えるほどでした。▼(DIY)拙宅は木造、築後30年です。外壁が老朽化、木材保護塗料を手塗りしました。高所恐怖症なので、高いところには手が届きません。積み残しになりました。車庫を兼ねた薪小屋もトタンに錆の浮いて雨漏り。屋根に上がって張り替えました。端っこの釘打ちは、見てはいけない下を見てへっぴり腰、怖かったです。▼(健康と家族)妻共々元気の一年でした。両親と義母も息災でした。けれど、寄る歳の波には勝てません。父はほとんど耳が聞こえず、母も腰の曲がって杖が必要です。通院に付き添いました。1年会っていない娘息子からはラインの便り、何とかやっているようです。愛猫トラは15歳。好物の鰺刺が健康の秘訣です。 新しい年、皆様によいことがありますよう。 令和3年 元旦
2021年01月01日
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