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平成28年1月31日(日) 午前4時起床。ゆっくり本を読むことができました。晴れ。露の朝でした。暖かかったです。 今日は九州百名山の一つ、元越山(標高581.5m)の登山道と山頂を整備する日でした。午前7時半、地下足袋を履きました。2月14日(日)に登山大会があります。それを控え、主催者の自治会と体育協会、ボランティアが、チェーンソーや鉈を持って集まりました。 高齢の方は山に登りません。看板をこさえたり、それを掛ける杭を作ったり。 古いのも引っぱり出して、再利用です。 比較的、比較的ですよ、若い人たちは軽トラに分乗、林道に向かいました。私もです。写真は拙宅付近です。余談ですが、登山大会の開会式は公民館のグランドであります。登山口まで1kmあまりの距離を歩きます。ここいらあたりはその途中の道でもあります。拙宅梅林を見ながらの歩みです。 戻ります。軽トラは沖・小中尾の集落を抜け、砂防ダムを経て林道に取り付きました。この辺り、私のジョギングコースです。羊腸の道が作業道に変わり、落石や大きな水たまりに難儀しました。流石の4駆も腹を掻きました。2駆では進むこと能わずです。米水津と木立の境、稜線に出ました。視界が開けました。尾根伝いに米水津側からの登山道と交差するところまで進みました。ここで車を降りました。TのKちゃんが同乗していました。彼は建設会社の番頭をしています。小学校からの幼馴染みです。久しぶりに会って近況を話ながら、頂上へ向かいました。10分で山頂でした。 頂上部隊の作業は、視界を遮る木を倒すことでした。間伐を兼ねて、杉と檜を倒しました。写真はこれまた幼馴染み、トルコキキョウの栽培を生業とするKのT君と、自動車販売会社の若です。二人とも私同様、チェーンソーを扱います。 私は主に藪漕ぎ。棘のある蔓を切り分けながら、雑木を倒すのが難儀でした。 写真は倒した杉です。花をつけていました。花粉症の季節です。舞い始めると、難儀です。 正午前、作業が終わりました。眺望は随分改善されました。汗びっしょりという程ではありませんが、下着が湿りました。エンジンを止めて、眺めを楽しみました。登山客数組が登ってきて、弁当を広げました。口々にいい眺めだというのが聞こえました。甲斐がありました。写真は佐伯の市街地です。半分程しか見えませんが、そう広くありません。人口7万人あまりの田舎まちです。ちなみに、写真では判りづらいんですが、市街地中央の背に城山があります。その麓に、国木田独歩の寄宿した建物があります。今は「城下町佐伯国木田独歩館」として整備され、観光客が立ち寄ります。さて、その文豪、独歩は、毎日、下宿先の二階から南の彼方に聳えるこの「元越山」を毎日、眺めました。遙かな気持ちになり、艀で番匠川を渡り、分け入ったとの記録があります。下山は木立方面に。その途中、拙宅の横を通りかかり、生っていた柿をむしり、喰ったそうです。そのことを父が詠み、朝日歌壇に投稿したら、なんと掲載されました。もうずいぶん前のことです。ちょっと自慢話が過ぎました。 もう一枚。鶴見半島です。左上にケミカルタンカーが見えました。その向こう、写真では判りませんが映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台、水の子灯台も見えました。半島先端手前の島群は、東九州一の磯釣りポイントです。米水津の横島を知らない磯釣り愛好家はモグリです。 オマケです。頂上に据えてある石の案内板です。大崩(おおくえ)、祖母傾、久住連山、由布鶴見の名山が見えるとあります。流石、一等三角点です。 下山の際、檜を薄く玉切りました。湯船に放り込んで香りを楽しみます。公民館へ戻ったのは12時半でした。弁当がでました。 帰宅して、ウトウトしていたら、妻が戻ってきました。今日は友人二人と近くにある田舎料理の店でランチでした。その二人を連れていました。コーヒーサービスは私の役目です。3人は高校時代の同級生。一人は福岡で看護師を、もうひとりは教師を退職の方です。二人とも素敵な女性です。会話が弾んでいました。遠慮したわけではありませんが、私は作業服のまま、散歩へ。以下の写真は道中に見つけた2枚です。1枚目は枇杷。実をつけていました。熟れるのは梅雨入り前です。 もう一枚は馬酔木です。いよいよです。 おっ、消防自動車と救急車です。UのKちゃん宅近くを、音無の構えでゆっくり進んでいました。何かあったのかな。ドライバーは若い消防士たちでした。ははーん、木立は道が複雑です。土地勘のない人は迷います。夜は、タクシードライバー泣かせです。ということで、いざという時に困らないため、道を覚えようとしての通過でした。 帰宅して長風呂。日曜日の昼下がり、文庫本を読みながらの湯浴みは至福です。頭を拭いたあとは当然プシュッ。格別の味でした。 女性陣の居間占領はまだ続いていました。タンノイの部屋でワーグナーを聴きました。指揮はムラヴィンスキー。厳しいタクトでした。引き込まれました。 二人を見送ったら、私の時間です。先日届いたうちの1本、岐阜・飛騨の酒、蓬莱を抜栓。渡辺酒造店謹製の純米吟醸でした。冷やで飲むとおとなしかったけれど、ぬる燗にしたらふくよかでした。 当ては、瓶に底溜まりとなったアオリイカの塩辛です。今日で最後。Kさん、ありがとうございました。よい一日が終わりました。 今日の一句元越の高みをクルリ鳶の舞う今日の写真は、緑っぽい梅です。こちらもいよいよです。この色合い、いい感じです。
2016年01月31日
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平成28年1月30日(土) 午前7時起床。枕元のデジタルタイマーが違う時刻を表示していました。起きてきた妻が、昨夜、停電があったとのことを教えてくれました。道理です。 曇り、夕刻に陽が射しました。朝、映画を見に行こうと思いました。鏡を見て、二日酔いでした。取りやめ。ジョグの格好に着替えました。さあ出発。とその時「あなた、カーテンを取り替えてちょうだい」居間と座敷、それに娘の部屋のものを取り替えました。汚れもさることながら、トラの爪に穴が空いていました。レールに付いた環にフックを掛けてました。猫のいたずらよりも、子どもたちが18年の間、開け閉めしていたことを思いました。懐かしく寂しくもありました。その娘、今札幌です。劇団四季を観劇とのこと。また北海道か。確か秋も行ったはず。妻にジンギスカンが美味かった旨のメールがありました。 始末のついて、さあ散歩です。春めいた感じの中を進みました。以下はその点描です。Tさん宅の隣畑に黒い盛り上がりがありました。モグラの仕業です。 小中尾のKさん宅に咲いた紅梅です。曇天でしたが、緑に映えていました。 こちらはKの畑に咲こうとする白梅。いい感じです。 中川原橋たもとのミモザももう少しです。 そこをわたったら、櫟(くぬぎ)に雀の群れがいました。羽を膨らませていましたが、春のそこまで来ているのを嬉しがっているようにも見えました。 玄関に戻って、今日と明日に燃やす薪を居間の前に移しました。みかんコンテナ4杯分です。台車に乗せてゴロゴロ。その台車、錆びて随分古びてきました。ハンドルもグラグラしています。そろそろ暇をやろうかな。軒先にサクラソウが伸びていました。日増しに花を増やしていきます。いい感じです。 午後2時、風呂を浴びました。湯船で読書。最前のジョグに少し汗ばみましたが、湯に浸かってのそれは爽快感があります。出たら当然プシュッです。引き続いて文字を追いましたが、うたた寝をしてしまいました。今日の一句寒雀膨れてやよし左向く今日の写真は届いた一升瓶6本です。すべて純米。但し、生酒は1本だけ。冷蔵庫のスペースが2本以上を許しません。どれもこれも抜栓が楽しみです。
2016年01月30日
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平成28年1月29日(金) 午前4時起床。雨。久しぶりの湿りでした。外気温6℃。今朝は珍しくパンコーヒーにサラダ。 朝一、取引先を訪問。弊社近くにあるオフィスを訪ねました。情報交換をあれこれ。社に戻り、いくつかミーティングとハンコ押し。午後3時、管理職研修に出席。ギリギリの時刻でした。なんとか間に合いました。大会議室は満員。席は一番前のまん中しか空いていませんでした。私を含め、これが弊社管理職の心構えです。情けない。 水産会社の社長講話を聴きました。人は会社のために働くのではない、金のためでもない、己を育てるためになのだ、水産物流通の話、広域展開する鮮魚専門店の話、警察組織の話(講師は県の公安委員でもあります)、男女共同参画の話・・・。魚市場のことも出てきました。かつて築地に働いたことがあり、懐かしかったです。ノートパソコンにメモを取りました。写真はデスクの背中、窓の外です。春雨に煙るの図。暖かい一日でした。 夕刻、上司に1週間のあれこれを報告しました。席に戻ったら、7段と韋駄天がいません。終業時刻を待って走り出たとはキンノジの弁。今日はチームの飲み会でした。忘年会が中止になり、新年会もお預けのままでした。1月のうちに何とかしなければということで7段が話をまとめてくれたのでした。会場はつね三の2階。おっ、今日の酒は熊本の銘酒・香露です。 カウンターのショーケースに並ぶ肴を見ました。クマエビがよろしい。これ、クルマエビの上をいく甘さです。 ヒラメと鯖が見事です。今日の皿に盛られるんだろうな。 ん?なにやら上の階からガヤガヤが聞こえてきました。乾杯の時刻前、うがいをしているようです。階段を上りました。案の定でした。一杯が入って会社の机に座る顔と大違いです。こんないい表情になるんだ。改めて知った酒の効能ではあります。 私は燗をもらいました。付け出しの小イカ、煮付けがいい感じでした。 野郎連中、イノホルをつまみながら飛ばしました。 韋駄天は早くも佐伯飲み(まにあわんので、干したビールのジョッキに氷を放り込み、焼酎をドボドボの図)です。マニアワンのじゃ。 三々五々、女性陣や昼行灯、キリノスケがやってきました。もういい気色になっているので、乾杯なんかありません。おっ、料理が出てきました。期待通りの刺身です。 あー飲んだ飲んだ。 手酌です。もういいというのに、勝手に左手が「まあどうぞ」 キリノスケ「キリノスケさん、まっ、一杯どうぞ、いえ、もういいです、まっ、そういわずにどうぞどうぞ、いや、いいっちいいよるじゃーねーか、おっとっと、そげーいうんならもらおうか、うーっ、いっぱいじゃーのー」 一人芝居で笑ったあとは、7段の変化を時系列で。 最初は愉快の図です。 なんだか怪しくなってきました。目が据わっています。 たがが外れました。 壊れました。 いきつきました。 おいっ、大丈夫か。気付け薬だ。 このあと、お開きになりました。女性陣、おっさんたちにつきあってくれてありがとう。 キンノジと7段、足をとられてつね三の玄関を出ること能わず。カウンターに突っ伏しました。 今日の一句山温み一升瓶が軽くなる今日の写真は突っ伏した二人をひっくり返すの図です。おい、帰るぞ。
2016年01月29日
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平成28年1月28日(木) 午前4時起床。曇り、夕方に降り出しました。弱い雨でした。朝ジョグをしませんでした。昨日、ポカ休を取りました。オーバーホールになり、今朝は新鮮の気持ちといきたいところでした。しかし、休み明けはえてして、たて込んだりトラブルがあったりします。案の定、家でネクタイを巻いていたとき、携帯電話が鳴りました。ドキッとしました。部下の一人からでした。急用があり、出勤時刻が下がる旨の断りでした。胸をなで下ろしました。休むと、その分、仕事のことに過敏となります。悪いことはあってもよいことはない、ひとりごちました。 朝から午後の半ばまで缶詰。営業計画の微調整に立ち会いました。ハンコを押す書類が多い一日でした。帰りは雨道でした。こんな日は、ニシューラゼ、モイ香先生の言葉を借りると、絶好の飲み日和ということになります。しかし、真っ直ぐ帰宅。瓶に底溜まりの塩辛を当てに、パック酒の燗を引っ掛けました。アオリイカの絶品。エラや精子嚢、心臓などを用いてこさえた逸品。樽が乾いて、燗付けを焦りました。写真のシャッターを押す間も無いほどでした。まだ手は震えませんが、殆ど中毒です。ということで画像無しです。代わりといってはなんですがイチゴハウスの写真を。拙宅近所、Mさんのそれです。時刻は午後7時頃。長日処理のために電照の図です。明方に行うか夕方に行うか、明るさをどうするか、点灯時間はいかほどか、加えて光源に何を使うか、殺菌のできる光がいいかどうか、などなど。これも奥の深い世界です。30年前は、佐伯にあって、いや大分県にあっても、木立といえば早期米とイチゴの栽培が盛んとの評判でした。今は営む農家も作付面積も減りました。寂しい限りです。 晩酌を済ませた後はNHKFMでベストオブクラシックの後半を。クリーブランド管がブラームスをやっていました。演奏はそれとして、このところ、マランツとアルテックの音がことのほかです。毎日、火を入れていますが、鳴らし始めて1時間ほどすると、音が深くなります。聴いていてハッとすることがあります。この感覚、わかるかなー。わかんねーだろうなー。 失礼しました。書くことが無いので本のことを。毎日新聞「今週の本棚」にありました。浦西和彦「文化運動年表 明治・大正編」三人社19,440円です。先ずその値段に驚きます。が、書評を読んで、ああそうかと頷首。微に入り細に入りの考証が労作だからです。そして、文中の言葉を借りると相関の無い「隣り合う事実」が平行して起きる、えもいえぬ妙味にも惹かれました。この感じ、巧く言えませんが、例えば慶事と不幸が隣り合う家族に起きるといった、人間社会の深い味わいというか物の哀れに似た無情のようなものです。 映画に「グランドホテル方式」というのがあります。「隣り合う事実」は、それに似ていると思います。その方式は、ウィキに「映画や小説、演劇における表現技法のことで、ホテルのような一つの大きな場所に様々な人間模様を持った人々が集まって、そこから物語が展開する」という方式のことである」とあります。見たことのある映画では「クラッシュ」であったり「THE有頂天ホテル」。どちらもいい感じでした。テレビドラマではジョージ・クルーニーの出演したER緊急救命室。本ならなんだろう?思い当たらない。「カラマーゾフの兄弟」かなぁ。 今日の一句寒の雨燗酒付けて一貫目今日の写真は市役所にかかった横断幕です。郷土の生んだ大投手、山中正竹氏の野球殿堂入りを祝う内容です。
2016年01月28日
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平成28年1月27日(水) 午前4時起床。晴れ時々曇り。霜降。今日は野暮用があり、ポカ休を取りました。終日在宅。空いた時間は本を読みました。500ページの文庫本、上下2冊をやっつけようと、腕まくりしました。午後に客があり、能わずとなりました。妻の友人でした。赤ちゃん(一歳二ヶ月)を連れての来宅。背の高い女性でした。学生時代はバレーの選手だったとのこと。木村沙織に似た健康美人でした。はちきれんばかりの天真爛漫が眩しかったです。 昼、薪を居間に運び込んでいたら、ヘリコプターの音が聞こえました。近くをホバリングしました。佐伯のヘリポートに駐機の型ではありません。よく見る自衛隊のものでもなし。こんな感じです。何をしているのかな。 夕刻、一杯ひっかけていて、nkucchanからのメールに気付きました。予定の照会でした。名古屋行きに火が着きました。俄然、現実味を帯びてきました。普段、先のことはあまり書きません。今日はその禁を破ります。2月11日(木)が祭日です。今日もポカ休ですが、その日の前後、平日二日もポカ休にします。名古屋を堪能したいと考えています。釧路から亮さんがやって来ることになっています。nkucchan、禁玉さん、スローライフmamaさん、それにももさんも集まってくれるそうで、楽しみです。10日は昼に名古屋入りです。ホテルに正午頃着く予定です。その日は全くもってフリー。樽を干して(酒を抜いておくこと、暫く飲まないでいて飲みたくなることを「樽を干す」とか「樽が乾く」といいます)おきます。3泊4日ですが、予定の入っているのは12日の夜にあるコンサートだけです。残念ながら、妻を残してのひとり旅。羽が伸びそうです。 11日以降の予定は、先ず名古屋城を訪ね、次いで明治村。プラネタリウムは外せないし、南極観測船ふじも見てみたい。愛知県美術館はピカソ展です。全くもっての門外漢ですが、話の種にということで。ついでにボストン美術館にも。妻の楽しみにしていた伊勢神宮の門前はキャンセル。大体の予定はこんなところです。 ということでnkucchan、10日の午後は何時でもOKです。店のあれこれはビジターなのでよく判りません。我が儘を言わしてもらいますと、名古屋、愛知の味というか、そのようなものを食べることのできる大衆向きがよいです。でも、亮さんの希望を優先させて下さいね。 今日の一句もう一合北海柳葉魚が催促し 今日の写真はネタ切れにつき、私です。もう数年で退職です。そのあとは毎日こういう感じになりそうです。
2016年01月27日
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平成28年1月26日(火) 午前4時前起床。晴れ。外気温0℃。霜降。早朝ジョグに出発。私の家と父の家の敷地は茶の木の生け垣です。葉に懐中電灯を向けたら、キラキラ光りました。欠け始めた月が西の空にかかっていました。東の空はまだ暗く、元越山の稜線に太陽の昇る気配はありません。行きは北方向。北極星に向かってでした。北斗七星、柄杓の中ほどを光がゆっくり動きました。点滅していない。ジェット機ではありません。スピードもことさら遅い。途中、ひときわ大きくキラリと輝きました。もう間違いありません、人工衛星です。恐らく、備え付けの太陽電池板に太陽光が反射し、それがここへ届いたのでしょう。なんだかいい気分になりました。写真は門の鼻橋左岸から水面を眺めるの図です。水蒸気の昇っているのが判ります。 今日はノーネクタイ、作業服にスニーカーを履いての出勤でした。軽作業がありました。午前と午後、外出しました。判子押しの書類も少なく、忙中閑有りでした。午後7時、会社を後にしました。真っ直ぐ帰宅。あとはルーチンです。以前、物議を醸した「風呂、飯、寝る」を地でいくような感じです。けれども、酒の当ては毎日変わります。今日は人参に干しぶどうを混ぜたわけのわからない代物でした。たっぷりありました。 合わせた酒は昨年末、年越し用に求めた6本の最後。佐賀・有田町の松尾酒造場謹製「宮の松」です。純米ひやおろし。あの銘酒「能古見」の蔵元です。燗にしました。嗚呼甘露甘露。飲みながら、早く次の日本酒を手当てしなければならないなと思いました。1万円以上の注文だと、送料無料のお店が樂天市場に数多あります。よりどりみどりです。楽しいです。 今日の一句重ね着の散歩汗ばむ背中かな今日の写真は新聞に掲載された色紙です。優勝のサインが入っています。 はて、何処かで見たような。こちらはつね三に飾ってあったそれ(再掲、平成28年1月16日のブログ)です。納得。
2016年01月26日
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平成28年1月25日(月) 午前4時起床。寒かったですが、朝ジョグウォーク1時間。西の空に月齢16の月が浮かんでいました。その色は卵黄でした。写真は須留木の農道で撮ったものです。ピンボケです。手前のクリークは凍っていました。その鏡に月光が映えていました。 もう一枚、バス停です。古びて色変わりしています。元はすっきりした赤、白、青。見栄えがよかったのですが。このデザイン、好きです。それをして、全国に数多あるバス停は、運行するバス会社毎、違います。これを趣味とする人はいるんだろうか。鉄道がテッチャン。バス路線はバッチャンというのだろうか。なんだか年配の婦人のことのようだな。 さらに一枚。その下にあった時刻表です。便数に鄙の程度を窺い知ることができます。田舎ではありますが、「ド」は付きません。 午前6時半頃、家に戻りました。一時間のうちに朝食、着替えをすませます。背広にネクタイの1週間が始まりました。玄関を出たら、ヤブランが実をつけていました。黒玉がいい感じでした。 今日は隣まち・延岡へ。営業車に乗りました。五ヶ瀬川の川沿いを走って、西に見える九州山地は雪で白くなっていました。仕事は午前中に終わりました。出張の楽しみは外食です。名物チキンナンバンを食べるか、それとも蕎麦の名店「そば乃井」に突っ込むか。算段をしました。しかし、同行したキリノスケの野郎、仕事の終わって勃然「会社に戻ります」。私は彼の上司です。体面があります。後ろ髪を引かれましたが、仕方ありません。直帰の仕儀となりました。弊社近くのローソンでサンドイッチとブルガリアヨーグルトを買いました。 午後は飛び込みの案件あり、右往左往。ため息が出ました。いけないいけない。ぐっとこらえました。帰宅は午後7時半。ノンアルコールと決めていました。少しだけでしたが、ヒラメの刺身がありました。仕方がない。飲んでやるか。日本酒の燗を2合。いい気色になりました。 NHKFMにチャンネルを合わせようと番組表を見ました。今週はクリーブランド管の特集です。見てやめました。木曜日だな、聴くのは。その日のプログラムはブラームスです。大学祝典序曲、ヴァイオリンコンチェルト、交響曲4番。2年前のライヴです。楽しみです。新聞を捲りました。週明けは、会社の購読している日曜版を持ち帰ります。読書欄がいいのです。これが眠り薬になりました。 今日の一句冬の月凍りに映えて冴えわたり今日の写真は同業他社のトイレ蛇口です。ぼやけていますが、温冷を使い分けることのできるボタンがありました。 ついでにそのまちの一コマも。city office 前、道を隔てたところにある人工の滝です。何か意味があるのかもしれませんが、それを知らずとも、いい感じを覚えました。 もう一枚、その隣にあった和風建築です。個人所有のようです。まちの一等地にあって、古手の大きな家は珍しくなりました。
2016年01月25日
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平成28年1月24日(日) 午前3時起床。2時に目が覚めましたが、起き出すには早すぎました。むっくり上半身を起こしたら、枕元のトラがいきなりニャーと鳴きました。まずはネコカリを。未明、ラジオ深夜便を聞きました。土曜日は森田美由紀氏でした。「にっぽんの歌こころの歌」と題し、唱歌や童謡が流れました。森繁久弥の「月の沙漠」と倍賞千恵子の「母さんの歌」がよかったです。妻が起きてきました。普段、ストーブの灰を掃除するとき、金具の音をガチャンガチャンさせても、夢の中です。今日は、ごく小さい音量であってもこの手の音楽には反応しました。こういう手の歌が好きなんでしょう。起こしてしまいました。 夜の白んで、カーテンを開けました。少しだけですが、雪が積もっていました。ジョグ散歩に出かけました。1時間と少し。外気温0℃。北風に頬が痛かったです。 小中尾の方に廻りました。老婆の小屋前に馬酔木の花が蕾を膨らませていました。昨年春に訪ねた浄瑠璃寺を思い出しました。 帰宅してシャワー。朝食。録画した「刑事フォイル」を2本見ました。このドラマ、いい感じです。第2次世界大戦中、イギリスの対独戦時下を描いています。国家への協力、防備、統制の内容がよく判ります。衣服、住まいなど生活様式は西洋のそれですが、市民生活の苦しみは日本の戦時中と似ているところもありました。たとえば、オレンジやタマネギ、肉類など食糧不足、軍が家屋の接収、住民監視、スパイ活動などです。見ながらの比較ができました。随分と差のある国情ではあります。 ヨーグルトとリンゴ、簡単な昼食を済ませました。本を精読。雪の舞う週末、聞こえるのは薬罐の音だけでした。トラを侍らせて読む活字がよいです。森鴎外「井沢蘭軒」。鴎外歴史三部作の第二作目です。この本は特別の感動を得ること能わず。荷風の「断腸亭日乗」的淡々とした進み具合に似ています。荷風は世相を、鴎外は詩文を絡めています。方や日記文学、対や時代考証です。どちらも好きですが、医師の傍ら、文学芸術に身を任せるところは、文学者の目と違う両刀遣いの視点があります。それだけにじわり滲み出る蘭軒の人となり、全体としての魅力を却って強く感じます。長編です。当然読了能わず。半分は先送りです。 夕刻、再びジョグ散歩1時間。寒かったです。今日2回目の風呂。続いてプシュッ。嘉風の応援に回りました。千秋楽に勝ち越しました。よかった。次いで大岡越前を見ました。日本酒3合飲んでバタンキュー。いい一日でした。 今日の一句風花に馬酔木膨らみ谷辿る今日の写真は宿木(ヤドリギ)です。公民館の桜にありました。冬枯れの幹に青みがありました。宿主の桜の気持ち、どうなんでしょうか。
2016年01月24日
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平成28年1月23日(土) 午前6時起床。曇り。夜明けは日増しに早くなっています。このところ、未明は星空だったので、それを感じていました。今日は違いました。曇天だと、いけません。 夜の白んでジョグ散歩。写真は沖田から元越山を望むの図です。冬枯れです。白く見える建物が、佐伯支援学校です。 門の鼻橋下の水面に映る蒲の穂綿です。因幡の白兎の話が有名です。 木立川を遡り、前方沖橋を戻りました。道の門に辻札のようなものがありました。道祖神を祭るものでしょうか。それとも別の意味があるんでしょうか。そもそも誰がここに刺したのか。近所の人に訊いてみよう。 この寒さに、Mさんのイチゴハウスからボイラーを焚く煙が昇りました。中はポカポカなんだろうな。真っ赤なイチゴ、沢山熟れているんだろうな。受粉は、ミツバチの仕事です。ハウスの中に、彼等の箱を置いています。入って耳を澄ますと、ブーンという羽音が聞こえます。 散歩を終え、シャワーを浴びました。汗をかいたというほどではありませんが、昨晩、スッテンテンに酔ったので、風呂に入らず終い。身体を洗いたかったのです。サッパリしました。寒いので、ストーブの熾火を掻棒で混ぜました。写真は本体を横から写したものです。この投入口から薪をくべます。直径が20cmを越える丸太は、前のガラス扉を開いてそうします。 朝ご飯のあと、お茶をしました。当ては熊本の名物です。「武者がえし」は妻の好物です。私は陣太鼓の方を好きです。 雲が切れ、陽が射し始めました。明日は雪が降るそうです。菜園に出ました。白菜の残りを始末しました。サクラソウのプランターを軒下に移し、鉢類は玄関の中に。その後、昼過ぎまで新聞、本、ネットサーフィンをしました。陽だまりにぼんやりの時間がよかったです。 トラも一緒でした。 妻に誘われて買い物へ。ユニクロやトキハを冷やかしました。衣類の物色は苦手です。直ぐに飽きました。食品売り場で買い物をしました。同僚のTが籠一杯、酒と酒のつまみを盛っているのに行き遇わせました。ウィスキーの角瓶が見えました。「冷えるので馬力をつけようと思って」とニヤリ。いい男です。 帰宅して、宝焼酎のお湯割りを飲みながら相撲観戦。嘉風は勝ち越しを千秋楽に持ち越しました。午後7時頃に出来上がりました。ソファーでウトウト。気のついて午後9時、蒲団へ潜り込みました。 今日の一句寒の内熾火背中に餅を喰い今日の写真は本です。山中正竹「小さな大投手~東京六大学48勝サウスポーの超野球論」です。ベースボール・マガジン社新書。著者は68歳。佐伯鶴城高校野球部出身、法政で活躍。東京六大学の通算最多勝記録は未だ破られていません。あの江川もあと1勝及びませんでした。それはさておき、本は四章に別れています。六大学のブランド、プロに迫る競技力、選手育成、連帯の切り口です。このうち、選手育成の章に、審判への尊敬や学生の自立についての考え方が書かれてありました。目から鱗でした。この本も、社長室の本棚から拝借したものです。表紙裏に謹呈の著者名サインがありました。
2016年01月23日
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平成28年1月22日(金) 午前4時前起床。早朝ジョグ1時間。あーっ、寒かった。戻り、家に入る際、郵便ポストから新聞を抜きました。未明、ブロ兄弟の禁玉さんが水垢離の修行中、私はぬくぬくとコーヒーを淹れ、紙面サーフィン。おっ、センテンススプリングの広告がありました。私、週刊紙は読みません。新聞の下をチェックするだけです。ああそうかということで大方のことは判ります。見出しは大げさです。それだけに、本文を読んで尻すぼみの感じです。読後に物足りなさを味わうよりも、事件やスキャンダルを上げ底のまま承知しておくと、自分の中では面白みが増してよいです。 今日の会社は、忙中閑有りでした。ミーティングもホウレンソウも少なかったです。ニュートラル。夕刻になってネジを巻きました。熊本からOさんがやって来るというので、つね三で迎え撃つことに。6時半、突っ込みました。大将、携帯電話で何か話している。 先着しました。手持ちぶさたなので燗をやってもらおうか。大分の銘酒西の関です。 ショーケースにはパンパンの鯵、ブリ鎌、それに閂。包丁を待っています。 刺身はあとで皆と食べることにして、最初の当てにイノホル(猪のホルモン煮込み)をもらいました。これがいいんです。甘く仕立ててあります。油とのコラボは何ともいえない旨さです。 ガラリ、玄関が開きました。やってきました。Oさん、久しぶり。久闊を叙しました。日中はアフリカンサファリに行き、別府の温泉に入ったと話してくれました。以前から血色はよかったですが、今日は一層つるつるの顔になっていました。 彼には、連れがありました。Kさんでした。 Oさんは40代前半ですが、彼は還暦とのこと。でも大学の同級生だそうです。Oさんが高専を卒業後、神戸にある大学の3年次に編入した折、彼も学士入学ということで同じ3年次に入ってきた由。阪神・淡路大震災のあった年だそうです。豊後水道を隔てた対岸、南予の人。天下の名門南宇和高校、愛大を経て東映に入社。「日本海大海戦~海ゆかば」のスタッフをしたと話してくれました。その折の写真を写したスマホ画面を見せてくれました。確かに。前列右から三船敏郎、平幹二朗、丹波哲郎です。最後列の白い服が彼だそうです。 ところが勃然、映画会社を退社。神戸大学へ入学したのでした。40歳だそうでした。ここを卒業後は、本当かどうか判りませんが、直木賞を目指し、愛媛の南端のまちで晴耕雨読、毎日ビールを飲みながらの日々を送っているとのこと。その彼、Oさんが東九州に来るというので、フェリーに載ってどんぶらこ、此岸にやってきたのでした。迎え撃つのに助太刀を頼みました。かつての部下Tです。 これで向こうもこちらも互い、相手にとって不足なしです。ビール飲み合戦が始まりました。直木賞さんはピッチが速かったです。あれよあれよという間に、ジョッキが空いていきます。いい飲みっぷりでした。酒も愉快でした。 おっと、当ての紹介を忘れてはいけません。アオリイカ、ブリトロ、ヒラメの縁側等々です。どうですか、この厚味。 わぉっ!クルマエビとクマエビの天麩羅です。デッカイのがサクサクに揚がっています。たまりません! 常連のGさんからだといいながら、大将がアワビを出してくれました。躍り食いです。コリコリ感がたまりません。肝の甘さは格別です。切り替えた冷酒がスイスイ入りました。 どうですか、この感じ。写真では判りませんが、摘んでグニュリ動きます。ごっつぁんでした。 これはどうだと大将が見せてくれました。小サバの干物です。先のGさんが手造り。彼は某大手水産会社の研究所に勤務しています。海が専門ですが、山猟、川漁もプロです。グルメ指向で、味にこだわります。 早速焼いてくれました。店頭に並ぶ商品とは違った旨さがありました。脂の乗りもよいです。 戻ります。彼、いい感じに酔いました。陽気な酒でした。もう一軒行こう、もう一軒だけ、と言い張りました。OさんとTが両脇を抱え、道路向こうのビジネスホテルへ連行しました。もう少し話を聞きたかったな。面白い方でした。何時か、彼の住む愛南町だかを訪ねてみたいです。今日の一句金串の通らぬ鮑生きており今日の写真は焼酎です。Oさんに持たせる土産、思いつかなかったのでこれにしました。口にあえばいいんだけれど。 もう一枚、直木賞を取ったらこの一枚は記念になります。つね三の店に飾られます。
2016年01月22日
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平成28年1月21日(木) 午前4時過ぎ起床。一番にすることはトラにネコカリ。次はブログ書いて本を飛ばし読み。寒かったですが、ジョグ混じりのウォークを40分。戻って後に遅い配達の新聞を飛ばし読みというのが毎朝のルーチンです。 朝ご飯は久しぶりのパンでした。その横で妻がバラ寿司をこさえました。 これは弁当になりました。漬物と、保温容器に入った味噌汁付きでした。小エビの風味がよかったです。 朝一、たて込んだミーティングを終えたあとは、別室籠もりの最終日。昼前に終わりました。午後はハンコ押し。未整理の書類を納まるところに納めました。 夕刻の花火は聞こえませんでした。嘉風不如意。安美錦にはたかれたようでした。真っ直ぐ帰宅。途中、セブンイレブンに寄り、甘いものを買いました。即風呂もルーチンです。 今日はビールを飲みたくなりました。プシュッ。うん、美味い。ちなみに普段は最初から焼酎若しくは日本酒です。 今日は聴いたラジオのことを。私、未明の散歩走りはラジコを聴きながらです。NHK第一、STV、NHKFM、岐阜チャン。それぞれ気分によってチョイスです。今日はNHK第一でした。昨日の投稿に対し、寄せられた声が紹介されました。昨日、それを聴いていませんが、アナウンサーの口ぶりから窺い知るに、その内容は、次のようなものでした。 「日常ののあれこれについて主人に話しかけると、彼はつまらん話をするなと偉そうに言うのです、成り立たない会話に寂しい思いをしていいます」 これに対し、今日の放送は、リスナーから寄せられたアドバイスの披露でした。「ご主人がそういう態度なら、会話の相手を彼に求めず、週に1回、あめ玉とおにぎりを持って半日散歩に出かけては、近所であっても知らない風景に行き遇わせるし、公園のベンチには同世代の人が座っているかも、疲れたらコンビニの100円コーヒーも気分転換になりますよ」とか、「伴侶がいるだけでよしと思わねば、ひとり暮らしの私は、食卓に向かうとき、ひとり芝居を演じます、男の人と自分、二人の会話を楽しみます、デートだったり、深刻な悩みだったり、そうして寂しさを紛らわしています」別の人は「主人が自閉症になった、それも彼の性格と思うようにして寄り添っているが、疲れて今後のことを思うと折れそうになります、お互い、それぞれの伴侶ですが、頑張っていきましょう」ある男性は「数年前、病気の妻を見送りました、今年は息子が倒れ、一ヶ月の闘病後に逝きました、葬儀を済ませ、これも定めと思い、暮らしています、あなたも元気を出して」。人それぞれでしたが、皆、件の投稿者を励まそう、暖かい思いが籠もっていました。星空の下だけに、ほっこりしました。今日の一句冬空に数多の人の想いあり今日の写真は、日刊水産経済の記事です。1月5日付けのものです。見てのとおりイワシ資源の変動に関する学説です。学生時代、私も水産資源学を囓りました。専攻はイワシの系群解析でした。そのことを知ってか、かつて部下だったI君が送って寄こしたのでした。読んで、やっぱり時空間サンプリング、遠洋漁場学が専門、上野先生の考え方は連綿と引き継がれているなと思いました。
2016年01月21日
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平成28年1月20日(水) 午前4時起床。ストーブの灰を始末するのは私の役目です。週1~2回の頻度です。今朝がそうでした。いつも、灰の中に熾火が残っています。金棒を突っ込んで混ぜ、適当に灰と分離します。これを片方に寄せ、残った灰を十能で掬い、金バケツに移しました。火灰です。バケツは忽ち熱くなりました。触ると、火傷をします。これは玄関に置きます。冷えたスペースも温もります。 外気温1℃。この寒さです。朝ジョグ、折れそうになりました。でも継続は力なり。反射板を縫い付けた襷を掛けて出発。北風の強い中を進みました。1時間。今日も流れ星を二つ見ました。無音ですが、「シャー!」という感じでした。聴いたラジオはSTV。北海道の大荒れはいつまで続くんでしょうか。 朝は鯵の干物がおかずの定番料理。おっ、サービスなのか、ぜんざいが出てきました。お餅が芯詰まり、いい感じでした。運動をした後なので、甘いものが助かります。 終日、別室に籠もりました。合間にいくつかのミーティング。明日まで続きます。特記事項なしです。花火が鳴って、嘉風の勝ったことを知りました。稀勢ノ里の背中に土がついたそうです。いいぞいいぞ。午後6時を過ぎて退社。真っ直ぐ帰宅。風呂、晩酌。ルーチンの所為です。当てはアオリイカの塩辛でした。白波、続いて燗酒。いい気色になりました。晩ご飯は野菜の煮物としゃぶしゃぶでした。しゃぶしゃぶはしゃぶしゃぶの味がしないほど、肉が少なかったです。煮物のほうは格別でした。 夜はFMがN響の定演をやっていました。白鳥の湖を途中からでした。何時も思うのですが、HNKの生中継は音が素晴らしい。続いてCDでBachのオルガンを。こちらも深い響きでした。冬の夜、しんしん冷える時に聴く音楽ではあります。 相棒と一緒に耳を傾けるのは至福です。 今日の一句手炙りに餅焼く妻の首細し 今日の写真はプロジェクターです。主な会議室には、備え付けがあります。天井に固定。専用のスクリーンも降りてきます。部下たちは使いこなしますが、私はいけません。
2016年01月20日
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平成28年1月19日(火) 午前3時半起床。目は2時に覚めていました。妻の寝息と、家を揺らす風の音がないまぜになり、心が乱れました。未明の時刻、闇の中にあっては、あれこれが頭を巡ります。自分の余生、残された時間、妻や子どもたちのこと。死へのおののきと不安、家族の心配が膨らみます。一方で、「しかたがない」という気持ちもあります。諦念に似た感情です。懐疑と憂慮ははのらりくらり、騙し瞞しに如くはなし。「かんまんごし」です。好きなこと、楽しいことに目を向けようとする自分です。 妻が寝返りを打ちました。我に返りました。 午前4時前、床を離れました。外気温は2℃でした。にもかかわらず、寝汗をかいていました。昨晩、薪ストーブの火を大きくしたからでしょうか。読み残し「中国書道の至宝」を捲りました。紅茶を淹れて、クッキーを摘みました。午前5時、完全武装してジョグに出発。強い北風の中を1時間。津志河内橋のたもと近くまで行き、折り返しました。星空が冴えました。イヤホンが、北国の荒模様を教えてくれました。小さな自分の思索空間と、世事俗事、現実の世界にギャップはありますが、満天の星を眺めていたら、生きるのも死ぬのも輪廻転生、 Es ist Gut だという気持ちになりました。上を見あげてばかりなので、肩凝りが消えました。流れ星を二つ見ました。「やっぱりかんまんごしだ」ひとりごちました。 家に戻りました。今日、妻が焚くであろう薪を台車に乗せ、居間の前まで運びました。朝ご飯は昨晩の鍋を使った雑炊でした。写真は、霜柱です。弊社玄関前の植え込みにありました。近年、これだけのものは珍しいです。 終日、会議室に籠もっての協議。明日、明後日も続きます。きっちり、午後5時に終わりました。雑務を整理し、真っ直ぐ帰宅。終日、北風が吹きました。寒い。こういう折は熱燗に限ります。チロリを出しました。アオリイカを焼きました。香ばしい。トラがまとわりつきましたが、裾分はだめ。イカは法度です。 おっ、小エビの唐揚げが出てきました。これが晩ご飯のおかずです。 「炭火があるのなら、厚揚げを焼いてちょうだい」そうしました。 加えて、蕪の三杯酢です。これjは山仕事の駄賃にと親方に貰ったものを漬けました。いい感じです。 書くことがないので、今日の本から。王羲之とその息子王献之は東晋の時代に生きた書の大家です。書道を学んだ人は、この二人を知らないと「もぐり」といわれても仕方ありません。彼等の書は未だに手本中の手本です。話は息子の献之についてです。彼はうぬぼれが強く、自分の書は父を越えると思っていました。ある日、見かねた父の羲之が「裏庭の大きな甕18つにたまった水を全部使うだけ墨を磨って習字をしたら、字に筋肉や骨がそなわり、しっかりしたものになる」と諭しました。献之は、渋々ながら星霜を頑張りました。幾年かの後、甕3つの水を終えました。ある日、これぞという習作を父に見せました。父の添削は、幾十の文字の中、「大」という一つの字にだけ、「、」を打っただけでした。「太」という文字になりました。献之はがっかりし、今度は母へそれを見せました。彼女曰く「あぁ献之よ、お前は甕の水3杯分を磨って、ようやく点一つだけお父さんのようになったね」これを聞いた献之は、猛省しました。それからというもの、骨身を惜しまずの精進を経て、出藍の誉れとなったのでした。いい話ではあります。今日の一句指呼の先北極星よ厳かに 今日の写真は写真は出勤時の風景です。左のピークは生目山(いきみやさん)です。目の神様が山頂に祭られています。大分大学医学部眼科の先生を案内したことがあります。
2016年01月19日
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平成28年1月18日(月) 午前4時起床。外気温8℃。カーテンを絡げ、外を見ました。星が出ていました。居間の掃き落としにある沓脱石は湿っていました。夜来の雨はたった今上がったようでした。いつもより早めにウォークへ出発。北風が吹き始めましたが、汗ばみました。NHKラジオが、腸内細菌の重量はひとり当たり1.5~2kgと教えてくれました。ふーん、そうなんだ。全部嫌気性だそうです。それをして思い出しました。ピロリ菌の駆除をしましたが、検査はまだです。次回、血圧の検診を受ける際に頼んでみよう。写真は出勤途中の一枚です。霊峰尺間嶽は雲の中です。雲行きはゴッホの画の如くです。 いつもより1時間早く出社。ボードのミーティング、続いて役員会。その後も会合が続きました。落ち着いたのは昼前でした。月曜日はいけません。午後もミーティングでした。あっという間に一日が終わりました。 この頃、日の長くなった感じがします。明るさの残る時刻、会社をあとに。真っ直ぐ帰宅。一風呂浴びたあて、嘉風の勝ったことを知りました。いいぞいいぞ。 夕飯は、野菜ばかり入って具の少ない鍋を妻と囲みました。それでも腹は膨れます。晩酌は焼酎一合で終わり。NHKFMのベストオブクラシックを聴きました。持ち帰った新聞3紙の日曜版に目を通しました。目当ての読書欄に収穫がありました。定期購読する季刊誌「考える人」は、ワーズワースの「簡素なる生活、高遠なる思索」を21世紀に再度呼び起こし、「思考する頭に新鮮な空気」を送らんということで創刊されたことを知りました。14年前のことだそうです。ワーズワース、いい響きです。若い時分、解りもしないのに、読むのがステイタスと悦に入っていたことを思い出しました。 夜、大風が吹き始めました。早く寝ることにしました。今日の一句桂冠の詩人紐解く冬の夜今日の写真はネタ切れにつき、ストーブの前のトラを。テオルボの響きに聴き入っています。 オマケです。昨日、山に入った折りの親方です。 背負ったリュックの中にチェーンソーオイルと混合ガソリンが入っています。矢と玄翁も。 この木、親方のお父さんが植えたのでしょうか。 抱きついています。何かを感じているようです。 その思い、かなり強いようでした。 チェーンソーを持っていますが、倒したのは私です。親方の持つオンボロではどだい無理な話です。
2016年01月18日
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平成28年1月17日(日) 午前4時起床。外気温2℃。雨の予報でした。未明、カーテンをからげ、外を窺いました。星が出ていました。今日は雨の予報でした。これから曇るんでしょう。朝の内にジョグをしなければなりません。午前6時半、着込んでランシューズを履きました。写真は近くのカーブにあるミラーです。凍っていました。 木立橋を渡り、門の鼻橋へ。振り返ると、元越山の稜線がくっきり見えました。空の群青がいい感じでした。歩きながら聴いたNHK第一放送は、本の紹介でした。大河内直彦著「地球の履歴書」。本人インタビューがありました。面白そうです。地学分野の発見をエピソード的に書いてあるとのことです。海山の発見、火山のこと、温泉のこと・・・。読んでみたい。この空の色をして、geographyのこと、あれこれの想像が膨らみ、遙かな気持ちになりました。マジックアワーでした。 歩を進めて須留木の新地に至りました。Kさんが薪ストーブを焚いていました。煙突から煙の立ちのぼる風景が、おとぎの国の世界に見えました。 同地のバス停を折り返し、木立橋を渡りました。支援学校まで疎水を遡りました。稲の切株に霜が降りていました。寒の内です。暫く寒さが続く予報です。3月の声を聞くようになると、代掻きが始まります。あと一ヶ月あまりです。春はすぐそこです。 カラスの野郎が沢山いました。食べ物に不足しているんでしょう、目の血走るような声を出していました。ハシブトは元気がよいです。 中川原橋を渡りました。ミモザの木がありました。よく見たら、黄色い蕾をつけていました。うーん、もう咲く時期かな?なんだか早いような。 小平の前方沖橋を渡り戻しました。カーブミラーに雉はいませんでした。代わりというわけではないのでしょうが、黒い猫がのそり、私を見ながら通り過ぎていきました。この寒いのに、外を歩く元気は見上げたものです。面構えがよいです。 帰宅したら朝ご飯でした。牛蒡とカシワの汁がいい感じです。朝から炊き込みご飯。サザエの残りでこさえたようでした。2杯ずついただきました。食べ終えて「あなた、ぜんざいをこさえたけど、食べる?」勘弁してよ、です。先に言って欲しかった。満腹になっての後出しは反則です。妻はお餅を焼いて、自分だけ食べました。香ばしい匂いが恨めしかったです。 とその時です。携帯電話が鳴りました。親方からでした。「今日は山ぃにゃーこんのかの?」私「雨模様でしょうが」親方「雨ぁー昼から降る、ちょいと来て木を切ってくりーの、ええ土産ぅやるぞ」地下足袋を履きました。波越に向かいました。山の中にしゃがみこんで待っていました。 正味2時間、チェーンソーを回しました。大木を15本ばかり倒しました。写真は今日一番の大きさのものです。私よりずっと歳上です。切らしてもらいます。ご免なさい。 チェーンソーのバーは、この木の半径と同じ程度の長さです。向こうこっち、交互に刃を入れました。呼吸は乱れませんが、動かす身体は汗ばみました。曇って、冷える深閑です。吐く息が白かったです。 昨夕、刃を研いでおいたので、切れ味は抜群です。包丁もチェーンソーも刃のメンテが第一です。倒れる折は地響きです。 明日からの仕事ができたとは親方の弁。彼はユンボに乗ってこれを引き出します。4mに玉切り、一所に山積みします。ある程度の量になると、運送会社に連絡をします。クレーン付きのトラックがやって来て、運び出します。数日後、彼の口座に福沢諭吉が顔を揃えます。 私の口座にはびた一文入金はありません。今日の駄賃はこれです。 不満げな顔をしたら「足らんのか?まだなにかいるんか?」と言いながら蕪を引いてくれました。ありがとうございました。 帰りに、いつものスーパーへ寄りました。鯵6匹が130円。襤褸を着、地下足袋を履いての入店が恥ずかしかったです。 午後は都道府県対抗女子駅伝を見ました。最終の9区で大逆転がありました。いいものを見せてもらいました。ストーブの灰を掃除し、刺身をチャチャッとこさえました。晩酌の準備が終わり、音楽を聴きました。チェリビダッケの4枚。それぞれの中の聴き所をつまみ喰いならぬつまみ聴き。展覧会のタクトは聞きしに勝るのろさでした。 今日の一句大木の倒れる音や山凍る 今日の写真は王献之の「中秋帖」と王じゅんの「伯遠帖」です。これに王羲之の「快雪時晴帖」を加え「三希宝帖」というのだそうです。乾隆帝がこよなく愛した稀代の書です。値段のつけようのない至宝です。清朝末期、内戦の最中、宮中の宝物共々骨董屋に売り払われる運命を辿ります。その途中、張作霖、袁世凱、周恩来といった歴史上の人物が直接・間接に関係しました。その話はさておいて、落ち着いた先は快雪時晴帖が台北故宮博物院、あとの2つは北京の故宮博物院。別れ別れになりました。もとよりこの三宝、未だに尊敬の念を集める乾隆帝の意向が如く、一所で保管されるべきという思いが中国文化関係者には強くあります。とまあ、こんなことが先日来の「中国書道の至宝」に書いてありました。 何故知ったかぶりにこのことを書くのかというと、昨晩に駆け巡った台湾総統選の結果を知ってのことです。昨今の中台関係は、馬英九総統の方針により、一つの中国に傾きました。しかし、今朝の新聞解説に、その進み具合はストップとありました。 一つの中国がいいのか悪いのか、私には判りません。それはそれとして、台湾海峡を挟んでの名筆たちは、どのような思いでこの政治の流れを見ているんでしょうか。気になるところではあります。
2016年01月17日
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平成28年1月16日(土) 午前6時起床。晴れ。外気温2℃。朝の内、親方にTELしました。今日もチェーンソーを持って行こうか、尋ねました。否との答えが返ってきました。曰く「毎月16日は、山を騒がしてはいけない」その業界にあって、この日は忌避されるのだそうです。エンジンの音を響かせると、荒神が怒るのでしょうか。 ということで山行きは中止。妻の言を入れてマメの支柱を作ることにしました。そろそろ掛かりをこさえてあげないと、地這いになってしまいます。 作業に掛かる前、母からTELがありました。火を欲しいとのこと。鯵の開きを焼くのだそうです。薪ストーブの熾火をブリキのバケツに移しました。持って行き、七輪に入れてやりました。こういうことも億劫になった母です。歳を取りました。写真を取り損ねました。代わりの蹲(つくばい)です。溜めた水が凍っていました。鏡のようでした。 さて、支柱のほうはというと、こういう感じです。この作業に2時間かかりました。ついでに里芋を掘りました。 遅い昼はカレーでした。椎茸入りでした。ニンニクが効いて、いい味でした。午後、読み残しの本をなぞりました。ウトウトしました。目の覚めて、散歩に出発。明日は雨です。今日歩くに如くはなしです。小中尾の外れに鹿ネットがあります。獣の侵入を防ぐ金網です。今日はそれに白菜を干してありました。漬物にするんでしょう。絶好の干し場です。 振り返ると、大中尾に続く道のに、宿木(やどりぎ)を見つけました。写真中央、枯れ枝に丸く見える黒い茂みがそうです。これ、エノミやムク、クヌギの大木によく見られます。寄生植物です。 余談ですが、今日明日とセンター試験の最中です。受験生はこの名前を聞いて、源氏物語を思い浮かべなければなりません。「やどりきと思ひ出でずは 木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどのかなしさ」です。薫と弁の尼がかわした歌が有名です。 閑話休題、歩を進めました。熊野神社と空の青。陽の傾いての色合い、コントラストが一級品です。亮さんのブログに釧路・日本製紙の寒景がアップされてありましたが、その冬景色とこの色合いの違い。日本列島は長いです。来週は強力な冬将軍襲来の予報です。こちらも雪が降るかもしれません。 まだ硬いですが、梅の蕾を見つけました。日が長く生りつつあります。植物もそれを感じてのことでしょうか。 タンポポが陽射しを受けて、あったかそうです。 帰宅して、明るいうちに風呂へ。入浴剤を入れて温泉気分。汗ばみました。相撲を見ながらプルトップを引きました。至福の一時。当ては地鶏の炭火焼きです。嘉風は横綱に巧く取られ、負けました。花火はあがりませんでした。残念。 夜はテレビを消し、NHKFMを聴きました。N響ザ・レジェンド。スウィトナーの指揮でハフナー。若々しい感じのするタクトでした。モーツァルトの明るさを感じる名演でした。次いでサヴァリッシュの指揮でシューベルトの悲劇的。今日の一句一点の曇り無き空冬の空今日の写真はネタ切れにつき過去のものを。琴奨菊のサインです。つね三にあったものを撮りました。今場所、調子がいいようです。これは、昨年末にあった大相撲佐伯場所の際、つね三の大将がせがんで書いて貰った一枚です。似顔絵は彼があとから書き加えたとのこと。
2016年01月16日
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平成28年1月15日(金) 午前4時過ぎ起床。外気温2℃。無風。ぼんやりの時間を過ごしました。ポストの新聞を取りました。朝日の三八(さんやつ)は「はなちゃんのみそ汁」が絵本になった広告でした。広末涼子が主演のあの映画です。感動の話です。吉武さん一家は、或ることで私のまちと縁があります。時折、来佐します。遡りますが、千恵さんが亡くなる前、ご主人とはなちゃんと3人、旅行の途中に佐伯へ立ち寄ったことを知りました。食べたのはごま出しうどん。なんと、ホームグランドのつね三でした。 吾に返りました。5時に着替えました。外は凛とした空気でした。ウォーク1時間。星空でした。懐中電灯を消すと、瞬きが際立ちました。ん?、沖田を半分に割るよう伸びた農道の中ほどあたりに、煙の昇っているのが判りました。通った車のヘッドライトに浮かび上がったのはこれでした。いい匂いがしました。籾殻の燃え様は、ゆっくりです。 午前中はミーティングが重なり、慌ただしかったです。開始と終わりの時刻を勝手に動かしました。関係者に都合で変更になった旨のアナウンスをしました。なんとか凌ぎましたが、そうと判ったら、文句を言われます。エヘヘ。その途中、発注してあった弊社PR紙の経過説明がありました。外国語の記載もありました。英語、中国語、ハングルの3種類。向く方向はアジアです。 退社時刻の30分前に会社を出ました。Kクリニックに突っ込みました。風邪をひいたわけではありません。インフルエンザの予防注射を受けるためでした。かかりつけのS内科も、知り合いのA内科も、ワクチン接種は昨年末で終わった旨を返されていました。流行の兆しがあるのに何故かなと思いました。今からではもう遅いということでしょうか。ということで探し当てたのがここなのでした。転ばぬ先の杖は、名古屋行きのためです。妻もここで予防接種。罹患して、寝込んではなりません。ウィルスを持ち込んで、スローライフmamaさんにうつし、姫ピヨさんが大変なことになったら、責任ものです。 余談ですが、このクリニックは父のかかりつけです。父を往診してくれたこともあります。私より一回りくらい若い医師です。優しい感じが良いです。ん?待合室に先生の肖像画が掛かっていました。父の筆によるものです。ここにも押しつけていたのか。 早い上がりでした。しかも花金。つね三に突っ込もうと思いましたが、注射をしたばかりです。自重しました。いつものスーパーへ突っ込みました。鯵8匹280円が今夜の当てでした。チャチャッとやっつけました。 早速晩酌です。嘉風が勢いを負かし、勝ち星先行。3勝2敗。いいぞいいぞ。酒が進みました。 どうですか、この感じ。身が透きとおっています。 当然、トラがやってきます。おーよしよし。お前の分もあるからな。 妻はコーラスへ。いい気色になってiichikoのお湯割りに代えました。大岡越前を見ました。相変わらずの裁きです。スカッとしました。見終えてマランツに灯を入れました。カラヤンでマーラー5番。渾身のタクトでした。次いでチェリビダッケの英雄。こちらは散漫でした。ボリュームを上げ、ガンガン鳴らしました。アルテックの真髄が判りました。ウイちゃんに代えました。冷える夜、ストーブを焚いての至福はたまりません。最後にマのBach。ひとりの夜、静寂に響く音は格別でした。今日の一句松の明け霜に我慢の田平子か今日の写真は無伴奏チェロにうっとりの図です。おーよしよし、クレモナの響きの解るのは儂とお前だけだ。ベロベロになりました。自爆。
2016年01月15日
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平成28年1月14日(木) 午前6時前起床。晴れ。霜降。後れをとりました。朝、起きることができませんでした。原因は判っています。床につく前、花粉症の薬アレロックを服用したからです。効き過ぎての態でした。歩くこと能わず。 仕事はデスクワークとミーティングに終始。帰りに携帯電話ショップへ廻りました。スマホを落として後、ディスプレイの調子がイマイチでした。正月、山の神に無心しましたが却下。めげず、不具合を過大報告したら、渋々の許可が出ました。早速新調。一回り大きくなって、気分がよいです。元の機種は傷んで、下取りをしてもらえませんでした。残念でしたが、不具合の証拠にはもってこいでした。帰宅してiCloudを更新。データもソフトもすべて元通り。快哉。風呂を浴びたら食卓はおでんでした。アオリイカのゲソやサザエが入っていました。ウッシッシ。 燗をつけて流しました。いい気色になりました。 書くことがありません。ネタ切れにつき本のことを。今日読んだのは「中国書道の至宝 書と人をめぐる三千年の物語」中国中央電子台編、河内利治監修、樋口將一訳、国書刊行会3,500円です。内容は数奇な運命というか、あり得ない話があり得るということを地でいくものでした。「書道界」の解説を借りると「中国書道史上の一級品が被った流転を、それぞれの意義を踏まえながら、まさに貴種流離譚のように興趣深く描き出している」んです。「王朝が交代することに前代の文物の破壊行為が繰り返された大陸ならではの逸話が満載」です。歴史上、重要な資料となる石碑が、民家の便所の敷板に使われていたとか、同じく切断され、精米用の臼に使われていたとか。こうした埋もれの歴史的・芸術的一級品の書が、時代を経て発見される偶然。それが平易な文章で綴られています。まだ半分しか読んでいませんが、面白いです。ちなみに、訳者は私のまちに住んでいます。この本、弊社社長室の書棚に埋もれていました。手にとって大当たりの書ではありました。気分がよいです。今日の一句赤壁の賦に邂逅す冬の夜今日の写真はその本です。深い物語です。
2016年01月14日
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平成28年1月13日(水) 午前5時起床。晴れ。外気温2℃。後れをとってはいけません。新聞を読まず、外に出ました。ウォーク1時間。霜が降り、道端の草が凍っていました。歩がアスファルトを外すと、サクサクッという音がしました。明けの明星が光っていました。 午前、午後にお客様がありました。午前は隣県愛媛から。午後は大分市からと延岡市から。空き時間はハンコ押し。忙しいというと語弊がありますが、一つ一つを終えて、肩の荷が下りていく感じがしました。 このうち、松山からのお客様とは、話が昔に及びました。といっても弊社社長との会話です。佐伯藩毛利家と、今治藩主で宇和島城を築城した藤堂高虎に間に大層関係のあったことが話題に上りました。和気藹々の雰囲気になりました。まち同士が歴史を共有していると、相手様が親戚にみえてきます。契約は上々の首尾、新聞記者の取材も、いつになくツボにはまる感じでよかったです。 退社時刻の1時間前に早退。野暮用を済ませました。帰宅して、風呂にいる前、芋焼酎のお湯割りを舐めました。じんわり、いい気色になりました。当てはまだ残っていたのか、猪でした。脂身が甘く、いい感じでした。 晩ご飯は、妻が炊いてくれたサザエ飯です。これ、絶品でした。つね三のそれには及びませんが、おかず入らず。箸がすすみました。 書くことがないので、本の話を。鄭大均(テイタイキン)編集「日韓併合期ベストエッセイ集」ちくま文庫1,200円。朝鮮半島と日本の関係は、卑弥呼の時代からあれこれの様相を呈します。良し悪しは別にして、筆舌に尽くしがたい民族間の歴史です。一括りにすることはとてもできません。最近のものだけを取っても、北朝鮮の核実験、韓国の従軍慰安婦を巡る交渉が、紙上を賑わしています。それはそれとして横に置いといて、この本は明治末期から大正昭和の時代に生きた市井の人々の想いが詰まっているエッセイ集です。戦争も帝国主義もありません。文化、生活、自然が盛られています。古きよき時代を表現するというと少し語弊がありますが、或る意味その時代のアンソロジーです。目次は以下のとおりです。第1章 子どもたちの朝鮮第2章 朝鮮の少年たち、日本へ行く第3章 こんな日本人がいた第4章 出会い八景第5章 作家たちの朝鮮紀行第6章 街と風景と自然第7章 朝鮮を見て、日本をふり返る どうですか。こういう感じの本。いい感じです。私はこの空気が好きです。今日の一句栄螺飯妻の炊いたる膳やよし 今日はキンノジの火傷写真です。先日、拙宅にやってきました。酔っ払って火鉢に肘をつき、このしぎになったそうです。熱いと思ったときは後の祭り。ちなみにこの火傷、翌日、目の覚めて気付いたそうです。しかし、何故こうなったのか思い出せなかったとも。今日、もしかしてということで私にこれを見せてくれて、納得がいったとのこと。
2016年01月13日
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平成28年1月12日(火) 午前4時起床。晴れ。外気温6℃。薪ストーブの灰を掃除。週2回、十能で掬い、金バケツに移します。熾火が混じります。焼けた側面に触ると火傷します。これを玄関に置きます。冷えた靴脱ぎのスペースが一気にぬくぬくとなります。熾火は沢山あります。火鉢にも移し、手を炙ります。 新聞を読んで着替えました。午前5時半、いつもの通り、懐中電気を持って運動靴を履きました。散歩60分。未明は月の無い夜空でした。金星が際立ちました。白み始める時刻は、今の時期が年中で一番遅いです。一方、夕刻は、少しずつ暮れが遅くなるのを感じるようになりました。写真は土井の手前、ゴタンダにある釣具店です。夫婦だけで24時間営業です。毎朝、未明にここの前を通ります。お客さんが必ずいます。豊後水道は磯釣り、船釣りのメッカなんです。 終日、ミーティングとデスクワーク。休み明けだったので、慌ただしかったです。会社の引けて真っ直ぐ帰宅。玄関に入ったらトラが迎えてくれました。毎度の仕儀です。ニャーニャーの声が嬉しいです。 今夜はイワシの蒲焼きと椎茸の天麩羅でした。写真はありませんが、美味しかったです。酒を1合とiichikoを1合。これで打ち止め。会社から持ち帰った3連休分の新聞を読みました。 書くことが無いので、毎日の余録をパクリます。アメリカの名門女子大に残る卒業アルバムのことが書いてありました。笑顔で写っている写真としかめっ面の写真、追跡調査をしたそうです。30年後の彼女たちを比べてみたとのこと。しかめっ面に写る面々よりも笑顔の方々の方が幸福だった由。何を持って幸福としたのかは書いていませんでしたが、何とはなしに判るような気がします。今日の一句釣具店夜中繁盛明日も晴れ今日の写真は檜の切株です。先週末、山に行った折り、写しました。 こちらの2枚は拙宅玄関と座敷の大黒柱2本です。7寸近くの無節です。上の写真にあった切株を製材したものです。
2016年01月12日
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平成28年1月11日(月) 午前6時起床。昨夜は午前様でした。音楽を聴いて、遅くなりました。 午前中は何もせずの時間を過ごしました。録画した番組を見たり、雑誌を読み散らかしたり。季刊誌「kotoba」が面白かったです。読み残しの記事に、文学全集の話がありました。バブル期から崩壊後数年にわたり「生き残りをかけた短大が四年制へ移行するなので図書館の新設・充実が急がれ、文学全集を古書店から争うように買う『需要が供給を圧倒する』時代」が続いたとありました。それが、今は「露伴全集」が1万円、「芥川龍之介全集」や「漱石全集」は2,000円だそうです。相場の底割れは、愛好家にとり、嬉しいことではあります。でも、谷崎潤一郎はもう買うに値しません。著作権が切れ、この1月から青空文庫に掲載され始めました。 閑話休題。母からTELあり。栄螺を料理して欲しい旨でした。何だ、昨日、そう言えばよかったのに。取りに行きました。50m。スープの冷めない距離です。持って帰りました。妻が鍋に入れて湯がきました。 茹であがったものは、私が手袋をして、中を出しました。どうですか、この感じ。今夜の当てです。これ、息子の大好物です。食べさせたい。 音楽を聴きながら、なおダラダラしました。昼前、携帯電話が鳴りました。親方からでした。山に来ないか、誘われました。何かくれるものがあるのか、訊ねました。椎茸と蕪があるとのこと。それならばと、地下足袋を履きました。山に着いたら、杉林にしゃがみこんでいました。 私の写真を撮ってくれました。 早速エンジンをかけました。おっと、気をつけないといけません。根元に猪が泥を塗っています。小石が混じって皮の中に残っていたら、チェーンソーの刃を傷めます。危ない危ない。 案の定、近くに沼田場がありました。猪はこの中で転がって身体に泥を塗るんです。ダニを落とすために浴びるそうです。別府温泉に泥湯というのがあります。疥癬やダニ、ノミに悩むあなた、大分に来ませんか。 閑話休題、目の詰まったいい木と思っても、時折、スが入っています。これがそうでした。 今日は15本ばかり、倒しました。80年生の大木ばかりでした。 小さな谷の向こうとこちらに切り出しがありました。行き来の道は倒した丸太です。スパイク地下足袋です。足の裏に剣があり、滑りません。バランスを崩さなければ、大丈夫です。平均台です。私、北海道の学校に通いましたが、スキーは苦手でした。でも運動神経はいいんです。 午後3時半に帰宅。散歩に出かけました。1時間、林道を歩きました。この3連休、チェーンソーを持つ持たぬは別として、3日間とも山に入りました。森林浴をたっぷりです。フィトンチッドを満喫の週末でした。家の近くに戻って、JのKやん宅前を通りました。柄の悪い目つきのニャロメがこちらを見ていました。ここはテンの家でもあります。頭を撫でてやりました。 早めのシャワーを浴び、トラにネコカリを与えました。そうこうするうちに花火の音が聞こえました。ヨッシャーッ。嘉風が勝ちました。これで星は五分です。いいぞいいぞ。 プシュッ、栄螺を当てにゴクゴク。妻が地鶏のタタキを買って帰りました。iichikoのお湯割りを流しました。今日の一句切り込みに楔打つ手の玄翁よ 今日の写真は親方にもらった大きな蕪です。袋の底に太い人参も。 こちらは椎茸です。これも見事です。袋一杯でした。
2016年01月11日
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平成28年1月10日(日) 午前7時前起床。カーテンの隙間から漏れ入る外の明るさに気づき、床を出ました。昨夜の酒がせいでした。曇りのち晴れ。外気温2℃。霜降。 午前中、ダラダラ過ごしました。その間、正月に帰省した子どもたちにきちんと向き合わなかった、いえ、今年だけではなく、30年近く、子育てに本気度が薄く、いつも逃げていたと妻に言われました。今朝、息子へかけた電話、その口調が甘すぎることに端を発しての小言でした。耳が痛かったです。凹みました。 午後、仕方がないので、散歩に出かけました。写真は父の作業小屋横、コンニャク畑の端に咲いた蕗の薹です。暖冬故か、早くもこの大きさです。 出がけ、母がサザエを要らないか問うてきました。4つ貰いました。私の拳大、けっこな大物でした。 父の家の玄関にこんなものがありました。何をするものか、直ぐに判りました。 その横にこれも。しかし、こちらは全く判りません。なにやらイタリア語らしき文字が書いてあります。オスカーとかトリノとか。誰か知っている人がいたら教えて欲しいです。 木立小学校の前、川渕林業を抜け、向津留に歩を進めました。牧草の緑が伸び始めていました。ここも春です。 小中尾を通り、父の山へ向かいました。今日は時間に余裕がありました。樹間を縫いました。面積はそんなに広くありませんが、100年を越えたものもあります。靴を近づけた写真ですが、実物はもっと大きいです。 見上げると、こんな感じです。陽射しが入って、足もとが明るいです。 1本、鹿の角にやられていました。もったいない。倒して引っぱり出してもいいのですが、林道から離れた中腹です。面倒くさい。 沼田場(ぬたば)がありました。ここは猪が背を泥にこすりつける場所です。 山は深くないんですが、保水力があります。小さな谷であっても、水は涸れません。 尾根をかわし、生産森林組合所有の山林に廻りました。石ころの下地です。ランニングシューズは歩きにくい。砂防ダムの上に立ちました。堰堤の左側ですが、20年ほど前までは水を湛えていました。今は土砂で埋まっています。泳いでいた鯉はどうなったんだろう。 山を下りました。途中、こんな樹皮の木を見つけました。一面に棘です。ぶつかったら痛いだろうな。 蓑部の前の林は椿です。結構な大きさです。かつて、この木は印材に用いられていました。硬いのです。当然、薪としても一等です。切らせてくれないかな。どうですか、この直径。 帰宅して風呂。プルトップを引いて大相撲観戦。われらが嘉風は横綱にやられました。残念。花火の音は聞こえませんでした。 今日の当ては貰った栄螺(サザエ)です。内臓の苦みがたまりません。毎日日本酒を飲むのもどうかなと思いました。iichikoの20馬力をお湯割りしました。 刑事フォイルの録画を見て、大河ドラマの第1回を。その後はクラシック音楽館。N響の定演でした。マーラーの5番、アダージョでした。その後がチャイコの5番。明日も休みです。ゆっくりの夜が更けました。今日の一句一月の山懐や水温む今日の写真はジョウビタキです。越冬にやって来る鳥です。夏は北に帰り、繁殖をするとのこと。シベリアの方まで行くのかな。
2016年01月10日
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平成28年1月9日(土) 午前1時半起床。なんだか胃がむかむかして、戻しました。どうしたんだろう。酒もそんなに沢山飲まなかったのに。太田胃酸を飲んで暫くラジオを聴きました。妻が「あなた、何時だと思っているの!」叱られました。仕方なし。寝ました。 午前4時過ぎ、床を離れました。本を読んでブログを書きました。朝ご飯を食べて、地下足袋を履きました。kusuhito氏に誘われていたのでした。弥生の山へ向かいました。外気温3℃。寒かったです。国道10号線から逸れ、日豊本線を越えたところが現場でした。写真は線路です。毎週木曜日、ここを「七つ星」が南に下ります。 取り付けのよい場所でした。大きな樫が2本立っていました。これが今日の相手でした。倒すのは何とかなりそうですが、傾いた方向に道路がありました。張った枝がこれを完全に塞ぎます。通行止めにする必要があります。人通りの少ない市道ですが、許可なしにそうするわけにはいきません。尻尾を巻いて退散。どうですか、この大木。kusuhito氏曰く「この木1本で我が家の1年分の薪がまかなえる」そのとおりです。その彼、明日は大分シティーハーフマラソンを走るそうです。2月にある別府大分毎日マラソンにもエントリー、目標タイムは3時間10分だそうです。かっこいい薩摩隼人です。 波越に廻りました。倒したものがあったのです。写真は塩です。山の仕事始めでした。塩を盛り、日本酒を撒きました。 kusuhito氏のルノーは忽ち一杯になりました。 ついでということで、樫と木楢を数本倒しました。作業していたら、氏の知り合いがやってきました。先に訪ねた樫山の持ち主でした。あれこれ山談義。手を止めたら、しんしん冷えました。身体が冷えて、作業はこれでお終い。私は空荷で帰りました。写真は、その現場です。 帰宅して、居間の前に薪を運びました。ニャロメが眠そうな顔を向けてきました。 シャワーを浴びて木屑を流しました。日向ぼっこの隣に座り、新聞を読みました。ぽかぽかの昼下がりでした。 トラを前から撮りました。いい気分なんでしょう。こちらまで幸せになりました。 午後、お客さんがありました。シミ君夫婦でした。二人とも東北地方の出身です。ひょんなことから知り合いました。ご主人は東証・名証に上場、省力・自動機械の大手メーカーに勤めていました。思うところあって、知命の年齢で脱サラ。私のまちにやってきたのでした。奥さんと妻が打ち合わせ、芋煮をこさえることになりました。 二人が台所に立っている間、早速シミ君と酒盛りです。松の半分明け、懸案の片付いた週末。トラもまどろむ昼下がりです。気の置けない友だちがやってきての一刻は、特上の酒を抜栓するに限ります。オーディオの師匠にいただいた北雪です。甘露の中の甘露でした。ありがとうございました。 おっ。芋煮が出来上がりました。美味いっ!この手の味噌味は初めてでした。仙台の風味がしました。 ピンポーン!キンノジが包丁を持ってやってきました。ん?鯵も持参です。なになに?包丁の研ぎ方を教えて欲しい?任せなさい。おっ、これは熊本・八代の盛高鍛冶刃物ではありあませんか。両刃の三徳包丁ですが、一万円を優に超えます。鋼に青紙スーパーを使っています。丁寧に研がねばなりません。 私「こうしてするんだ。わかりる?」 キンノジ「こうですか?」 私「いやちがう、こうするんだ」 キンノジ「なる程。じゃーこの青鯵を捌いてみて」チャチャッとやっつけました。写真は 刺身を前にあれこれ講釈を垂れるキンノジ思わぬおこぼれにトラが喜びました。 写真にはありませんが、本匠のマタギO氏にもらった猪、西野浦のトン様にいただいたアオリイカの塩辛。海山の珍味に舌鼓でした。ありがとうございました。アオリイカの一夜干しを食べてみたいというシミ君の奥さん、火鉢で炙るの図です。 両氏の持ち込んだ北秋田、阪神タイガースのマークが入ったワイン、缶ビール、拙宅の一升瓶を2本。あー飲んだ飲んだ。「おっさんたち、よく飲むな~」byトラ。 いきついたシミ君を見てトラ「大丈夫?このお客さん」 ん?キンノジもいきついた! あっ!なんだか勘違いしているぞ。変な夢を見ている。おい、ここはトイレではない!早くしまえ! うー、ムニャムニャ~。 あっ!なんだ!ふーん、そうか。そんな関係だったのか。 今日の一句深閑の大木どしり刃を拒む 今日の写真はシミ君とキンノジのツーショットです。二人とも妻帯者ですが、互い、こういう愛人関係にあったとは。夜が更けていきました。
2016年01月09日
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平成28年1月8日(金) 午前4時起床。晴れ。朝食に寿司が出ました。? 朝から豪勢だなと思いました。昨夜、前後不覚になった折、つね三に土産を注文、持ち帰ったのでした。二日酔いの朝、頭が重くても、寿司は食べます。妻と半分ずつ摘みました。ウコンの力も飲みました。 午前中にミーティングをいくつか。午後はデスクワーク。まだ明るさの残る時刻に会社を出ました。花金です。絶好の突っ込み日和でした。しかし、昨夜、樽を振りました(樽を振るとは、飲んでくだを巻くことです)。今日はおとなしくしていないと、山の神が雷を落とします。真っ直ぐ帰宅。熱い風呂に入り、毒気を出しました。プシュッ。クワヮヮヮ~!もちぇん!次いで大分限定の芋焼酎「十王」25馬力を舐めました。 当ては猪です。この時期です。流石の脂身です。厚さが違います。 軽く食べて軽く飲んで。妻はコーラスの練習に出かけました。一人になったので、マランツに灯を入れました。NHKFMをつけました。ゴーティエ・カプソンと児玉桃のデュオ・リサイタルをやっていました。ブラームスのチェロソナタが終わると、ヴォカリーズ、タイスの瞑想曲、夢のあとに、といったポピュラーが流れました。昨年11月に東京文化会館であった録音でした。うっとりしました。いいな、東京は。 聴いていて勃然、そうだ、2月の名古屋行き、3泊する予定です。折角です。愛知県芸術劇場のスケジュールを確かめました。あったあった! 2月16日、福岡・アクロスでモスクワ国立響のコンサートがあります。音楽仲間の友人Kに一緒しようと誘われました。仕事を理由に断りました。このオケ、ツアーで各地をまわっています。もしかしてと思いました。12日に名古屋・栄にあるコンサートホールでも演奏会を開くのでした。私、2月10日(水)から13日(土)までポカ休を取り、その方面へ出撃します。でも毎晩、酒ばかり飲むのは興醒めです。最後の夜はこれを聴くべし。早速ローチケで購入。僅かに残った格安席を手に入れることができました。楽しみです。 前後します。音楽を聴いていて、思い出しました。今日の各紙にピエール・ブーレーズの訃報が載っていました。思うところ大です。先日は黒沼ユリ子氏がヴァイオリンを置くとありました。寂しいです。 今日の一句寒中に猪を喰う夜の一人今日の写真は本の案内パンフです。彼の本は数多読みましたし、ムックもあれこれ持っています。が、何かしらの新たな発見があるかもしれません。買いです。
2016年01月08日
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平成28年1月7日(木) 午前4時起床。早朝ウォーク1時間。鎌月に金星が近かったです。 仕事は巡航速度、落ち着きました。ほったらかしになっていたあれこれの小案件も、一つ一つ片付いていきました。刺さった骨が抜けたら、そこを消毒しないといけません。つね三に突っ込みました。新年の挨拶をしました。 2合徳利とエソ味噌です。喉の傷跡に優しい膏薬が沁み渡るの図です。 頼んだ当ては地物の鰹としめ鯖。皮の銀色がいい感じです。お気づきでしょうか。大将、人参で申の文字をこさえています。流石です。 あーっ、飲んだ飲んだ。当てはイノホルです。これが酒を招くんです。ベロベロになりました。 今日の客は私ひとりかと思いきや、いつものおっさん二人がやってきました。一人は藤岡弘、も一人はU水産の社長です。時々つね三で一緒する飲み友だちです。彼等はジョッキを1杯ずつ飲んだ後、焼酎を呷り始めました。ビールを空けた中にドボドボ。水で割るなんて野暮なことはしません。ブルドーザーです。写真は、社長の眼鏡を奪い取る私の図です。 前後します。朝礼の話を。今日の1分スピーチは韋駄天でした。門松の蘊蓄(うんちく)でした。曰く「切り口は、節のところをスパッとやるんだ、何故そこかというと、半分から下の半円が笑う口にみえる、縁起がいいのでそうするんだ」ふーん、そうなのか。つね三への途中、それを見つけて、あーなる程と思いました。 も一つどうでもいい話を。弊社、人事調書なるものの提出を義務づけています。色々あって失念していました。早く出せとの達しがありました。入社以来の経歴、資格、受けた研修などを記入します。長所と短所を書く欄もあります。短所に「おっちょこちょい、熱しやすく冷めやすい」と書き込みました。人事に出す折、長所がないのでそこは空欄にしたと伝えました。担当のTが「課長、大丈夫ですよ、稀に『酒を飲んでも酔わん』とか『競馬を良く当てる』と書く輩もいます、気になさらんで下さい」そうか、長所とは得意技でもあるんだな。ひとりごちました。 机に戻り、そのことをキンノジに話しました。お前、何と書いたんだ?早速反応が返ってきました。 彼曰く「私の息子の友だちに豪傑がいる、その男、酒が強い、同じ会社に勤める可愛い女性(その男も女性も20代後半、独身、男が女性に思いを寄せている、女性はそれに薄々気付いている)と居酒屋で食事をした、二人とも酔ってメートルが上がった、女性が『よーし、どちらが強いか勝負よ』と言い出した、グビグビ、男は女性がトイレに入ったままなのに気が付いた、心配になって覗いたら、そこでゲロり、ひっくり返っていた、店の人に追い出された、近くの公園で介抱していて、財布のないのに気が付いた、前後不覚の彼女をベンチに寝かせ、必ず戻るからと言い置き、探しに戻った、財布は見つからなかった、公園に戻ると、ベンチの廻りに彼女のバッグや靴が散乱、本人はいなかった、何処を捜しても見つからなかった、一晩中心当たりを訪ね歩いて未明、警察へ届けたら、彼女は保護され署へ泊まっていた、面会したら『あなたとはもう二度と会わない』といわれた」今日の一句締め鯖に鼓を打つなり松の内今日の写真はお世話になるドリンクです。つね三への途中、買いました。
2016年01月07日
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平成28年1月6日(水) 午前5時起床。後れをとりました。曇り。早朝散歩は中止。昨夜、飲んだこともありますが、とりだめたうちから映画「ふしぎな岬の物語」を見、夜更かししたからです。午後ポツリありました。 前後します。曇天の中を出勤。懸案は一応の結末をみました。勝ち戦か負け戦か判然としませんが、後始末に労を要しそうです。戦国時代の言葉に、撤退の殿(しんがり)を務めるというのがあります。戦の後、撤収する軍勢の最後尾にあって、追いすがる敵軍と斬り結びながらの陣引きです。少しニュアンスは違いますが、なんだかそんな気分です。部下を苦労させそうです。それであっても、肩の荷は下りました。 加えてノー残業デーです。つね三に寄りたかったのですが、真っ直ぐ帰宅。朝、出がけに「あなた、パンはないけれど、晩ご飯はムニエルよ」。こういわれてはそうするしかありません。家路、コンビニに寄りました。自分の中で決まりをつけるため、ビールと日本酒を買いました。 ビールもですが、こちらも締まっていい感じでした。 当ては魚に加えて、煮染めも出ました。親方にもらった人参がいい味でした。 書くことが無いので、新聞記事に託けて。今日の産経だったかに、日本人とノーベル文学賞の関連が載っていました。50年後、明らかにされる選考過程のことでした。1965年の選考で「川端康成、谷崎亡き後の最有力」とか、三島由紀夫は「将来的に検討されるべきだ」とされた旨が書いてありました。 この賞の受賞者は二人、川端康成と大江健三郎氏です。谷崎潤一郎と三島は、生きていたら受賞したであろう内容でした。これを読んで、朝日に過去、候補に誰が上ったのかを書いてあった記事のことを思い出しました。私、朝日のデジタル会員なんです。検索してみました。ありました。昨年10月2日の紙面でした。「西欧に映った戦後の日本像 賀川豊彦、日本初のノーベル文学賞候補」。賀川豊彦、コープ神戸の前身を設立した人です。作家としてよりも、社会活動家としてのイメージがあります。著作「死線を越えて」はもう忘れ去られたも同然ですが、大正期のベストセラーです。私はまだ読んでいませんが、一読に値する、いや、本好きには必読の一冊というような気がしてきました。惹かれます。注文注文。産経に戻ります。昭和30年代には西脇順三郎(詩人)、時代が下がって安部公房が俎上に上ったようなことも書いてありました。このところ、下馬評は村上春樹氏です。前にも書きましたが、村上の受賞はないと思います。余談ですが、阿部の愛人であったことを山口果林が2年前に告白しています。彼女、好みのタイプだっただけに、ショックだったなぁ。今日の一句迷い箸ムニエルを刺す松の内今日の写真は、届いた賀状の1枚です。型絵染めの人間国宝芹沢けい介が弟子、かわの型絵染工房の河野康子さんからのものです。毎年、干支がテーマの作品を送って下さいます。年始に鑑賞する芸術として一等です。
2016年01月06日
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平成28年1月5日(火) 午前4時起床。外気温6℃。早朝ウォーク50分。途中少し走りました。朝、出勤の折、ポツリきました。終日曇天。 午前、午後に会議。少し肩の荷を下ろした気分になりました。退社時刻になって、忙中閑有り。正面玄関にロックのかかる前の時刻、社を後にすることができました。しかし、まだつね三へ新年の挨拶に行く気分にはなれません。真っ直ぐ帰宅。途中、本降りになりました。 今夜の当ては鰤鎌でした。正月に食べたものの残りです。お節の残骸も少し出ました。冷蔵庫にはまだ石鯛が残っています。塩胡椒をしてあります。そのうち、ムニエルになって出てくるでしょう。 書くことが無いので、年賀状のことを。年々、届く枚数は減ります。年齢に反比例です。それだけに、減らぬ十数枚、恩師、旧友から玉信の混じるのは正月の喜びです。しかしその中に、気になる1枚がありました。学生時代、卒論指導を頂いたK先生からのものです。文字が乱れていました。手の震えが見て取れました。 それをして思い出しました。私が就職戦線に臨む折、紹介状を書いてくれました。某社の専務Aさん宛でした。名刺の裏に「○○君(私のこと)は好い青年だ、よろしく頼む」と書いて、渡してくれました。Aさんは先生と大学で席を並べた方でした。私の力及ばず、入社すること能わずでしたが、紹介状の文字、青いインクの美しさは、今も目に焼き付いています。先生が老い、私も歳を取る。改めて思う正月の切なさではあります。今日の一句師の文字の乱れる賀状無常なり写真もネタ切れです。1月3日、波越からの帰り、小島に大根が干してありました。漬物にするんだろうか。
2016年01月05日
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平成28年1月4日(月) 午前4時起床。外気温6℃。5時半、ウォーキング40分。霧が深かったです。中天に三日月が懸かっていました。朧でした。日中は晴れ。 いつもより早くの出勤。8時からボードの打ち合わせ会がありました。その後、早々と社長の挨拶があり、その後は昨年来の懸案に追われました。午後5時を過ぎてなおミーティング。それを終えて、部下のキンノジ曰く「新年早々いきなりフルスロットル、トップギアだな」ため息をつきました。そのとおりでした。 夜は地元経済団体の主催する年始交換会へ。各界各層の名士が集まっていました。よく判りませんが300人くらいだったかな。末席に座り、乾杯の後、ウーロン茶を飲みました。早々に失礼しました。写真はアトラクションです。 もう一枚、隣のお客さんの料理です。折でした。美味そうだな。私は箸をつけませんでした。 会社に戻りました。灯の消えたフロアが寂しかったです。残務整理でした。気になって、今日中に始末をつけないという思いが勝っての所為でした。しかし、あまりすることはなく、投げ出しました。 帰宅して東洋美人を抜栓。「地帆紅」という名のついた純米吟醸でした。甘露甘露。今日は読書無し。夜、遅くなってマランツに灯を入れました。オムニバスでクラシックを。料理の下ごしらえをする包丁の音が気になりました。ピアニシモが聞こえません。しかし、文句を言ってはいけません。「大変だね、ありがとう」の言葉が口をついて出ました。 今日の一句目の覚めて今日が仕事と鞭を入れ今日の写真はライフネット生命会長 出口治明氏の書いた本の広告です。「本物の教養」幻冬舎新書800円。宣伝文句に「本を読み、人と語らい、旅をし、教養を高める。人生において、これほど楽しいことはない」とありました。そうです、この一言に尽きるのです。
2016年01月04日
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平成28年1月3日(日)(続き) 走って後、陽のあるうちに風呂を浴びました。刺身の残りを当てに一杯やろうと準備をしました。鰤です。いい感じに熟成していました。 こちらはアオリイカです。得も言えぬ甘さです。 抜栓したのはKの送って寄こした千葉・印旛の酒「甲子」。辛口に針の振れる甘露でした。たまりません。 その時でした。勝手口をコンコン。父でした。今朝、未明に孫を見送り損ねて、やってきたようでした。2時間ほど、酒を一緒しました。今年87になります。生い立ち、兄の戦死、早くして倒れた父のこと、進学を断念して牛飼いをしながら弟妹を学校にやったこと・・・。聞いたこともあれば初めての話もありました。苦労話が続くとかと思いきや、孫(私の娘息子)への思いをポツリ語り始めました。過去の失言を後悔、心に傷を負わせたような内容でした。以来、避けられて寂しいとも。いつもは厳格な父も、行く末、86という年齢から、次の帰省まで生きているかどうかという思いが昂じ、深い喪失感を味わったのでしょう。その気持ちがよく解りました。3合飲んで帰りました。心配だったので、100mの距離を送りました。途中、寮歌を歌おうと言い出しました。私の母校のそれでした。旧制中学中退の父です。何処で覚えたんだろうか。いい酒でした。今日の一句父と飲む甘露は友の歳暮酒今日の写真はトラです。こちらは弄ばれたやんちゃががいなくなり、やれやれの図です。 もう一枚、娘のこさえた栗金団です。噛んで思わず口が止まりました。食べながら泣くのは苦手です。
2016年01月03日
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平成28年1月3日(日) 午前4時起床。曇り。息子を起こしまた。妻が味噌汁を啜らせ、こさえたおにぎりを持たせました。鮭とイクラ入りでした。私にはいつも梅干し入りです。サービスがいいな。 空港バスは午前5時過ぎでした。暗い中を出発。大手前のバスターミナルへ送りました。道々、健康のこと、仕事のことについて話しました。帰宅して、父の家に灯りがともっていました。早い時刻にどうしたのかなと思いました。妻が「さっき、あなたが家を出て直ぐにお父さんがみえたわ、最後に一目あいたかったそうよ」しょんぼり帰ったそうでした。 娘は午前9時過ぎの列車でした。妻が佐伯駅へ送りました。紫蘇を和えたおにぎりを持たせたようでした。新幹線の中に生もの入りのそれを広げると匂いがするからと、イクラ入りを避けたようでした。 帰ってきた妻が「ねえ、コーヒー5に行かない?」。寂しくなったんでしょう。私もそうでした。二つ返事をしました。写真は向かう途中、久部の遊水池に遊ぶカモとバンです。温んだ水を楽しんでいるようでした。 「コーヒー5」は昨年10月にオープンした純喫茶です。店内禁煙。壁は白ずくめ。広い窓から見える景色は冬枯れの荒れ地と藪山。 外の甕に臘梅(ロウバイ)を活けていました。 カウンターにこれまた早くの梅が。 ガトーショコラは控えめの味でした。 一杯一杯、こだわりを持って淹れるの図です。大将、あっ、いや、マスターは独身。いい男です。最後にマドラースプーンで味見をするのがお決まり。彼曰く「焙煎の前後に豆を選ります、性格の悪い奴が混じっているからです、虫食いであったり、黴が残っていたり、それでも100%の選別は無理です、最後の砦が淹れたときの味見です」妻「性格の悪い豆とはどんな味なんですか、混じっていたら淹れたコーヒーはどうなさって?」彼「ほんの少し苦みがあるんです、勿論捨てて淹れなおしますよ」私「ホットの注ぎ口、細くなっていますが、ペンチで挟んだの?」マスター「・・・」苦笑いされました。 テニスボール大の丸いソニーのスピーカーがいい音をさせていました。音楽はヒュージョン系。前のお客は私たちより20あまり歳のいった夫婦でした。私を見て「あなた、〇〇さんの息子さんでしょう?」と言いました。問い返すと、市内で鳥料理店を営むYさんでした。父と私、そんなに似ているんだと、改めて思いました。 店を出て、親方の顔を見に行くことにしまいた。彼からは間違って年賀状が2枚届いていました。そんな人です。だからわざわざの挨拶は不要でしたが、顔を見たかったのです。 奥さんが妻に焼き芋を手渡してくれました。「甘太くん」です。大分特産、糖度40度、安納芋を凌ぐと評判の逸品です。どうですか、この色合い。 帰宅してジョグ1時間半。途中、JのKやん宅に寄りました。テンに挨拶しました。この犬、保健所に保護されていたところを、彼にもわれたのでした。怯えが消え、いい顔になっていました。 山あいに入りました。谷の若水が、気分を刷新してくれました。 Mやんの遊び小屋、自称「ホオジロの里」を通りました。鯉に餌をやっていました。「Hちゃんよい、ばくでーぬきー正月じゃーのーよい、鯉んやつも餌ん喰いみごといいわい、ほいてからこんクヌギぅ切りてーんじゃが、どげーかのぅ?」林道を隔てた山は生産森林組合の所有でした。そこに生えた櫟(クヌギ)の枝が、彼の池に落ちて困っているのでした。組合長の私です。二つ返事で引き受けました。「一緒に切りましょう」 山に分け入りました。舗装が切れました。こんなところを走りました。深閑として、時刻も下がり、ちょっと怖くなりました。 とって返しました。写真は、里に出てHのRさん宅脇に咲いたユキヤナギです。この暖かさ、Mやんの言うとおりです。拙宅の梅も早いのかなと思いました。 (続く)
2016年01月03日
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平成28年1月2日(土) 午前4時起床。外気温3℃。曇り。新聞休刊日は面白くありません。午前7時、カメジョグ40分。鶴見の夫婦が土地を借りてイチゴ栽培をしていますが、そのハウス脇、農道に苔が生えていました。通りが少ないので、道端はこういう感じです。新春に似合う色合いではあります。 門の鼻橋から沖田の農道を進み、木立川の堤防を走りました。Sさん宅の前にあるレンギョウに黄色がちらほら。この暖かさ故なんでしょう。暖気は5日くらいまで続くそうです。 小平を回ると、あっ、今日もいました。この雉、よっぽどカーブミラーが好きなんでしょう。一富士二鷹三茄子といいます。実際、見事な色合いの鳥を年末年始に見ることができて、何かいいことがありそうな気分になりました。 走り終えてシャワー。箱根駅伝のスタートを見ながらアサビアしました。たまりません。今日は大目に見てくれているんでしょう、小言をいわれませんでした。 忽ち昼になりました。娘と妻が海老と牡蠣のフライをこさえてくれました。 これを出されたら、プルトップを引かざるをえません。二缶やっつけました。ゴロリ昼寝。ストーブの前は至福。トラになった気分でした。 目の覚めて、家の廻りを散歩。あーあ、正月が終わりました。あっという間でした。娘息子は明日上京。寂しくなります。庭から見上げたら、煙突の煙が興醒めの色に見えました。 足もとに咲いたサクラソウも慰みになりません。 それならばということで、バーボンをなめました。国産とスコッチも少しずつ。いい気色になりました。 夕食は鴨鍋と鰤刺でした。最後はうどんすきに。妻が心づくしです。日本酒に切り替えました。午後9時を過ぎて箱根のダイジェストを見始めました。10分せずにドボンでした。今日の一句桜草小さき故に悲しけれ今日の写真はトラです。チャチャに取り合うの図。この一匹が娘息子の癒やしです。
2016年01月02日
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平成28年1月1日(金) 午前5時起床。外気温2℃。昨夜はコックリ、舟を漕ぎながらの午前様でした。妻と子等は、それからもテレビを見続けたようでした。 ストーブの火を大きくし、新聞を読みました。例年に比し、文芸系の雉が少なかったような気がしました。夜の白んで、ランニングシューズを履きました。一年の計は元旦にあり。意を決し、朝ラン。しかし、それができませんでした。妻が「私も連れてって」。仕方なく散歩に切り替えました。昨日夕刻に降った湿りが残っていたのか、道路が凍っていました。栗の枝についた雫もこの通りです。 家の近く、歩いて10分ほどのところに熊野神社があります。小さな社殿です。二人してそこへ初詣。末社であっても凛とした空気。自分には、賑わうメジャーよりも、こちらの方が合っています。 中にお守り、おみくじが売ってありました。無人でした。参詣者もゼロ。あれこれを欲しい人は、代金を三方の上に置くようです。千円札がむき出しでした。泥棒しても、誰も判りません。見ているのは神様だけでした。 願い事は毎年変わらず。神頼みを終えてウォーク30分。妻にあれこれの悩みを聞かされながら歩きました。帰宅して、餅を焼きました。餡の入ったものです。食べながら届いた賀状を捲りました。5枚、返礼が必要でした。 子どもたちが起きてきました。今度は雑煮に入れる平餅を炙りました。炭火の火力は強いです。直ぐに膨れました。ブランチになったなと思いました。食べ終えたのは正午過ぎ。 腹ごなしにと再びウォーキング。青空が広がりました。相変わらず寒椿が美しかったです。 汗ばんでシャワーを浴びました。家族を伴って父母の家に年始の挨拶。立ち話だけし、後にしました。父が寂しそうな顔をしました。以下の写真は父の家のあれこれです。一枚目は地球儀。この手のグッズ、見なくなりました。新聞の国際面を見て、これで場所を特定します。詳しくなるはずだ。 机の上にあった日本の美術第29巻です。父は骨董が趣味です。特に陶器磁器に興味があります。コレクション、私は贋作ばかりだと思うんですが。それが証拠、なんでも鑑定団に申し込みを勧めましたが、頑なでした。 もう一枚、床の間です。右は破れ太鼓です。江戸時代、佐伯藩は毛利氏(三本の矢で有名な毛利とは違います)が藩主でした。その陣太鼓です。拙宅に代々受け継がれる家宝です。城は市の中心部にありました。私の祖先は木立で痩せ馬を飼い、米を作る半農でした。いざというとき(そういう状況があったかどうか不明ですが)これを抱え、馳せ参じたとのことです。本当かな。 居間に日めくりカレンダーがありました。年寄りにはこういうのが好まれるようです。六十干支や六曜が載っていました。何故か苦笑いしてしまいました。 最後は蹲です。庭にも、家の西側にも置いてあります。こちらは後者です。昼下がりの陽を浴びていい感じでした。中にメダカや金魚、亀を飼っています。時折、青鷺が魚を食べにやってきます。 若宮八幡に初詣。ここは佐伯のランドマーク、城山の西側に位置します。佐伯にあってはメジャーです。ここに詣でないと、正月気分にならないとは妻の弁。そしてこの所為です。顔出しの彼女です。 次の一枚は私です。こんな木を見ると、ついチェーンソーのエンジンを回したくなります。 義母宅でお節と肉まんを馳走になりました。女だけの家です。酒類を置いていません。近所のコンビニでサッポロ黒ラベルとワンカップ大関を調達。いい気色になりました。 家に帰り、飲み直しました。既にほろ酔いでした。屠蘇に予定していた佐渡の酒を抜栓するのはやめました。別の良き日にとっておきます。昨日の東一を舐めました。当てはこさえた海鼠腸(コノワタ)です。素人こさえですが、磯の風味はありました。 次いで鰤と石鯛の刺身をつまみました。前者は熟成がなっていい感じです。天然鰤は〆て48時間後が食べ頃と思いました。熱燗が進みました。当てをもう一つ二つ欲しいな。よし、釧路産の柳葉魚を焼いてみよう。ストーブに椿の熾火がありました。それを手炙りに移しました。贅沢な組み合わせです。 香ばしさを楽しんでいたら、釧路産紅鮭も出てきました。北海祭りになりました。酒が進みました。酔いつぶれました。いい正月でした。 今日の一句皺の手で柏手を打つ寒社今日の写真はタラノメです。昼、散歩した折に写しました。2ヶ月半経つと、芽を出します。
2016年01月01日
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謹賀新年 おかわりありませんか。私は今年58になります。還暦まで2年あまりとなりました。老眼はすすみましたが、精神は耳順にほど遠い毎日です。昨年の拙宅閑居、あれこれを書いて賀の挨拶とします。 松の明けて早々、学生時代の友人二人が魚釣りにやってきました。千葉と大阪からでした。泊まっていきました。この歳になっても続く交誼が嬉しかったです。初夏、関西に一人旅。京都・奈良を歩きました。三十三間堂や浄瑠璃寺の国宝が素晴らしかったです。名古屋に足を延ばしてブロ友と飲みました。秋は妻と熊本・八代を訪ねました。義弟の嫁が実家です。歓待され、球磨川の花火大会を見ました。見事でした。 仕事は、定年まで残すところ3年となりました。書類を作成することなく、判子押しの毎日でした。妻は元気です。趣味を楽しみ、野菜を作りました。父母の世話をしてくれました。義母は息災です。娘息子は便りのないのがいい便り。子離れがすすみました。 趣味のランニングはできませんでした。酒は飲んでいます。読書時間が減りました。拙句を添えてペンを置きます。この1年が皆様にとり、幸多い日々となりますように。 七草の粥米を研ぐ妻が指 平成28年元旦 梅林庵 杣夫
2016年01月01日
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