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午前4時起床。外気温-2℃。終日晴れ。寒し。 終日デスクワーク。 昼休みに抜け出して東亜林業機械へ行きました。注文しておいたチェーンソーの安全バー交換のためでした。たまたま友人Kが来ていました。チェーンソーのエンジンをスタートさせる紐が切れたとのことでした。彼はミカン農家です。シイタケ作りもします。クヌギを玉切っていて、このような仕儀になったとのこと。雑談していたら、突然、親方が店内へ入ってきました。彼はチェーンソーの刃を交換するためでした。曰く、市役所に行き,作業道開設の補助金を申請した、銭が口座へ入る、間伐の補助金も入る、出した木の売り上げも入ってくる、でも収入はこれだけ。小銭なのでおまえをなかなか居酒屋には連れて行けない。私はプラグの交換とあわせ、8,600円を支払いました。これも元はと言えば親方のお金でした。もちょっと山行きに精を出して、親方をもうけさせねば、居酒屋へ突っ込むこと能わずです。 午前中、ちょっと頭痛。午後になって和らぎました。滅多にないことだけに、今日は練習を休みました。 山奥に住むSさんからTELあり、猪が獲れた、生肉をやるとのこと。垂涎です。市街地で焼酎を飲むから持っていくといいました。弊社の受付に届けてくれました。先日、馬が如意だったので、ネットで土佐の酒を4升、ワンランク上のワインを1ケース買いましたが、いいアテができました。 本を読んでいて、「リンガラ語」という単語が出てきました。コンゴ共和国やコンゴ民主共和国で話されている言語だそうです。ただし、文字を持たぬ言葉です。書き置きをしたいときはどうするのでしょうか。まあそんなことはどうでもよいのですが、コンゴ民主共和国の首都はキンシャサです。競馬馬にキンシャサノキセキというスプリンターがいます。この名前の本来の意味は、当地でモハメド・アリがジョージ・フォアマンに勝ったことが奇跡と報じられたことです。而して、馬のキンシャサノキセキには何度か煮え湯を飲まされました。昨日、如意にして酒を買ったことで、私なりにリンガラ語と馬を関連付けてみました。こんな言葉遊びも時にはよいです。 今日の写真は、土曜日に撮ったものです。フェリー埠頭、別府と大阪を結ぶ海のラインです。冬空の航路、こうしてみると、船便の旅行をしてみたくなります。
2011年01月31日
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午前7時過ぎ起床。外気温-2℃。終日晴れ。 朝、サッカーの結果を知りました。遅れて起きてきた妻は、3時過ぎまで観戦したようでした。 ブランチを摂り、運動公園へ。ラン12km。冷たい北風に悩まされながらの練習でした。風の強いところでは、薄着ですからすぐに体が冷えます。陸上競技場で少年サッカーの大会をやっていました。吹きっさらしのスタンドで、大勢の保護者が寒そうに応援していました。 行き帰りの道中、水田のあたりが黒くなっていました。野焼きのあとでした。日中の最高気温は8℃位なのですが、こういう景色を見ると春近しです。梅林庵の梅も膨らんでいます。あと1週間もすれば開花です。 昨日今日と馬は如意。 早めの晩ご飯は豚しゃぶでした。魚のすり身も入っていました。久しぶりに黒霧島を併せました。口蹄疫、鳥インフル、新燃岳の噴火と、相次ぐ災いに見舞われる隣県。少しでも応援をということでポークもアルコールも宮崎産でした。 午後7時就寝。 今日の写真は豊予海峡です。佐賀関の関崎から撮りました。向こうに見えるのは愛媛県佐多岬です。この海峡あたりで一本釣りされるアジ・サバが関アジ・関サバなのです。
2011年01月30日
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午前4時起床。別府は雪。 暗いうちに朝風呂。妻の起きるまで、文庫本で時間を潰しました。午前8時、彼女が一風呂浴びるというので、私も付き合いました。9時過ぎ、遅い朝食。これも食べ放題形式でした。私はバイキングに馴染めない。 この宿は高台にあります。別府湾が一望できます。食後のコーヒーを飲みながらぼんやり海を見下ろしていると、タグボートに先導されたホワイトシップが入港してきました。関西汽船のフェリー桟橋近くに接岸したようでした。11時前にチェックアウトし、この船を見に行きました。大成丸でした。東京海洋大や神戸大 の学生が後悔実習に使う船です。所有は航海訓練所です。私の卒業した水産学部もおしょろ丸という大きな船を所有していますが、形や色が似ています。ただ、おしょろ丸は漁労設備を備えています。スターン(船尾)にスロープがあります。トロール実習のためのものです。大成丸は純粋な航海訓練船です。この船、タービンエンジンなのです。船内の静けさは最高でしょう。乗る学生が羨ましい。 話は変わりますが、東京海洋大は、東京商船大と東京水産大が統合してできた大学です。私が魚市場に就職し、銀座の飲み屋で一杯やっていたとき、偶然、東京商船大を卒業し、日本丸のサード(3等航海士)をしているという同世代の人と隣りあわせました。眩しかったです。その時は互いに普通の恰好でしたが、ハンサムな彼、仕事中は白い制服に白の革靴なのでしょう。私はというと、魚臭い作業服に黒い長靴。 思いつくままそんなこんなを書いていて、古い友人のTさん(彼は数年前まで内航船タンカーの船長でした)のことを思い出しました。以前に聞いた話です。船乗りになりたい人は、商船大や高等商船、海員学校に進学します。水産学部を卒業し、なお一年特設専攻科を経ても、海技士の受験資格を得ることができます。TさんもN大の水産学部を卒業し、そこのその課程を履修して、船乗りになったそうです。海運会社へ就職したら、商船大卒業の先輩に「このイワシ殺しめ」とバカにされたそうです。 もう一つ雑文を。東京商船は白の制服、神戸商船はブレザー、全国に幾つかある水産学部特設専攻科の制服はチューニックと呼ばれる濃紫紺です。NHKドラマ坂の上の雲に日本海軍の参謀他が登場しますが、彼らの服装をイメージしてください。チューニックはそれはそれでかっこいいと思うのですが、白の服には及ばない。並んで見ると、白服の方が品がよいと思えるのです。はやり水産はダサイのかな。 帰りは大分市まで別大国道を走りました。来月、毎日マラソンが開催されますが、そのコースです。チーズ専門店でウォッシュチーズを買いました。今夜、知人宅へ招かれていたのです。美味しいワインがある、馬刺しも手に入れたから飲みに来いという誘いでした。何か手土産にと考え、幾種類か見繕いました。 高速道路を走り佐伯に帰り着くと、空気が明るかったです。大分県で一番南側の海岸にあるこの町は、別府・大分に比べると、やはり温かい。 昨日と今日は練習を休みました。午後8時、妻とK宅へ行くと、綺麗な奥さんが鮭の春巻きやサラダ、酢ナマコ、野菜とすり身の煮込みなどを用意してくれました。美味しかったです。シャンパンで乾杯した後、テンプラニーニョのヴィンテージを抜栓してくれました。私もとっておきのボルドーを持ち込みました。馬刺しとよく合いました。最後は純米吟醸が出てきて、カンパチのハラミを肴にグビグビ。帰宅は11時過ぎ。お嬢さんが送ってくれました。酔っぱらって、サッカーを観るような状態にありませんでした。 今日の写真は大成丸です。ホワイトシップ、ステキでしょう。 オマケは関西汽船の駐車場に止まっていたトラックです。ケヤキの大木を積んでいました。
2011年01月29日
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午前6時起床。外気温-3℃。曇り。 今日は私的用事(見合いの設定)があり、休みを取りました。午後になって出かければよかったので、午前中、親方の山へ行きました。途中、林道に霜柱がありました。寒い中の作業でした。汗をかきませんでした。足場は急斜面だったので、怖かったです。私は高所恐怖症なのです。途中、不手際からチェーンソーのストッパーを折ってしまいました。取っ手の前に付いているレバーです。作業中、これにある程度の力が懸かると、刃の回転が止まります。安全装置なのです。しかし、これが折れても、別段、作業に支障はありません。自動消火装置のない石油ストーブのようなものです。山中のその場で、林業機械店にTELしたら、在庫無しとのことでした。注文しました。月曜日には入荷するそうです。こんな時、携帯電話は便利です。値段を聞くと5千円とのこと。親方が1万円くれました。5千円のお釣りは?というと、小銭が入ったから取っておけとのこと。嬉しいな。でも、約束の居酒屋への招待は別だよと、釘を刺しました。 午後になって妻が帰宅しました。二人して別府方面へ。妻の知り合いと私の知り合いを引き合わせるためでした。双方の親に頼まれてのことです。両方とも30代。男性は福岡から、女性は東京からの帰省でした。某ホテルの和風レストランに部屋を取り2時間。 その場所を後にし、妻と老舗の大きなSホテルに行きました。ここに泊まりました。広い浴場、バイキングの夕食、何れも大味でした。今度は風情のあるところに泊まりたいな。でも贅沢は言えません。この宿泊は、今日の見合いした片方の両親からのプレゼントでした。二人の中が上手くいくといいな。月下氷人になることができるとよいのですが。もし実らなかったら、心苦しいな。 今日の写真は、親方の山へ行く途中、林道脇に仮置きされていた銘木です。120年生。これ1本でいくらするのかな。値段を訊いてみたいな。
2011年01月28日
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午前5時半起床。外気温-3℃。出勤途中、木立川横の遊水池には氷が張っていました。でも日が長くなったせいか、カモたちはそろそろ大陸へ帰るための羽馴らしをしているような飛び方をしています。 午前中デスクワーク。午後は長時間の会議。 会社が引けて運動公園へ。ラン10km。昨日よりは暖かかったです。時々一緒になる自動車部品会社のKさんと練習をしました。走りながら会話をすると、息が上がり、辛かったです。でもそれがまた練習になると彼は言いました。彼曰く、県内一周駅伝の補欠に選ばれた、5日間に亘るレースだけれどチームには合流しない、働きながら待機、佐伯市チームのメンバーは25人選ばれたが襷をつなぐのは10人くらいかな、その人たちは宿泊しながら順次移動していく、今後の予定は宇目の10km、その次は考えていない、インターバル練習をしないとスピードは上がらない、辛いが頑張るしかない、練習量は嘘をつかないから。私は、3月の天領日田ひなまつりマラソンを走ろうと誘いました。 夜、一杯飲んで、録画しておいた映画を見ました。「レッドクリフ2」。名作です。私の友人にこれをこき下ろす者ががいましたが、そうは思いません。孔明と周瑜の友情は堪りません。赤壁の闘いを縦軸に人間ドラマが展開されます。友人は三国志を読んでいないのでしょう。感動しました。役者もよい。孔明は孔明らしく。ラストエンペラーよりも好きだな。 夜更かししました。今日の写真は「木立」です。右の建物が支援学校です。週末は左手の山奥に突っ込む林道を走ります。
2011年01月27日
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午前6時過ぎ起床。外気温0℃。晴れ。 今朝は気分を変え、BSハイビジョンのクラシック倶楽部を見ました。アレクサンドル・ドワジー&カルテット・スピリタス演奏会。1時間の番組です。4曲演奏しました。このうち、ヴィヴァルディの四季・夏がよかったです。今の季節にはそぐいませんが、サクソフォーンの何ともいえぬもの悲しい響きがよくでていました。 午前中デスクワーク。午後はミーティングを2つと会議を1つ。バタバタしました。 夕方、運動公園へ。ラン10km。今日の練習は寒かった。今までで一番だったような気がします。吹きっさらしの駐車場で着替えていて、気分が萎えそうになりました。でも面白いもので、5kmを過ぎる頃からランナーズハイになりました。暗い道も嫌になりません。 今日は山奥で仕事をしているUさんに会いました。曰く「今年の寒さはまれにみる厳しさだ、番匠川の源流に散在する小さな集落は飲み水が凍る、生活するのに困っている、例年だと一両日で溶け解決するが、今年は凍ったまま何日も水が出ない、簡易水道設備が無く、谷あいの水を引いているからどうしようもない、井戸を掘っても水が出ない、冬場、晴天が続き谷水が細ると水不足になるのは仕方のないことだが、田舎生活の何ともいえぬ業ではある、ある家の水源はちょろちょろの流れを家に引き込んでいて、その水源の上手には猪のヌタ場(小さな泥沼:猪がダニを避けるため、ここでひっくり返り、背中に泥をまぶす)があり、とても非衛生的、年寄りの一人住まいだと水くみへ行くわけにもゆかず、役所の人が飲み水をポリタンクで届けたと聞いた」。拙宅梅林庵も田舎にありますが、そんなことはありません。今日の話はすさまじかったです。苛政は虎よりも猛しという言葉がありますが、苛政はともかく、住めば都という気持ちもあってのことでしょう。 今日の写真は、水蒸気をあげる木立川の図です。冬の風情です。
2011年01月26日
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午前6時半起床。寝坊しました。外気温-2℃。今日も軽トラのフロントガラスは霜で真っ白。終日晴れ。 仕事はデスクワーク。 夕方、運動公園へ。ラン8km。誰も走っていません。日中は暖かかったのですが、この時間は気温が下がりました。寒く、クールダウンのストレッチをしていて、すぐに体が冷えました。月齢がいき、月の昇るのは深夜になりました。こうなると星が綺麗です。オリオン座が中天に光っていました。 夕食はボタン鍋。熱燗をつけず、黒霧のロックを併せました。2杯で打ち止め。このくらいの酒量が丁度よいです。これからサッカーを見て寝ます。 今日の写真は、先週の土曜に、梶寄という集落の港で写したものです。カモメの飛ぶ様はスピード感がありました。
2011年01月25日
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午前5時半起床。晴れ。 終日デスクワーク。午前中、判断を急ぐ案件が持ち込まれました。法により不良債権化しかねない不動産の取り扱いについてでした。鳩首の結果、目処はなんとかつきそうです。 今日は職場の新年会でした。1月が終わろうかというこの時期ですから、賀正気分で酒を飲むというわけにはゆきません。がしかし、いろいろな事情があって忘年会をしなかった部下6人と、新しく出来た焼き肉屋に突っ込みました。90分飲み放題の焼き肉コースでした。タイムオーバーになっても、だらだら飲み続けました。結局、4時間半そこでくだを巻き、倍の料金を払いました。焼き肉を食べず、ひたすらユッケとレバ刺しを日本酒で流し込んだ者、焼酎ロックをビアジョッキで10杯以上飲んだ者、まんぷくになりなおクッパをどんぶりに2杯冷麺を1杯食べた者、寝てばかりの者・・・。出鱈目の酒席になりましたが、墨付け祭りは、皆が筆ペンを忘れ、出来ずじまいでした。店を出るとき、そこの大将に「お宅さんたちは、本当によく飲みますね。」と言われました。これを聞いて、褒められたと勘違いし、皆喜びました。バカ丸出しでした。 代行運転で帰宅。疲れました。 今日の写真は、先週の土曜に写した瀬渡し船です。この船で大島へ渡りました。
2011年01月25日
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午前4時半起床。外気温-3℃。霜降。晴れ時々曇り。 朝のうちはラヴェルのピアノ作品を聴きました。亡き王女のためのパヴァーヌ、優雅で感傷的なワルツ、水の戯れ、鏡、など。亡き王女はオケ版もよいです。ピアノはアレクサンドル・タロー、パスカル・ロジェ、サンソン・フランソワ他でした。 午前9時前、昨日来佐のお客様を見送りに市内の旅館へ行きました。再開を約し、別れました。墨付け祭りの部下が、空港まで送りました。 運動公園へ廻り、走ろうと思いましたが、靴を忘れているのに気がつきました。ガックリ。帰宅し、新聞のまとめ読みとブログ書き。たちまち昼になりました。 正午前、ジャガイモを植えるからトラクターでそこを耕して欲しい、すぐに済む、と父に言われ、そうしました。ところがこれが運の尽き。だいぶ前、草の生えるのを防ぐために父が敷き込んであったカーペットのお古を、トラクターの爪に巻き込んでしまいました。これを取るのに往生しました。結局、昼ご飯を食べたのは午後2時。都道府県男子駅伝を見てから運動公園へ。ラン10km。S、N、Oの各氏に会いました。皆、練習に来ていました。頑張るなぁ。 帰宅して風呂へ飛び込み、プルトップを引きました。前回、ビールを飲んだのはいつだったかな。最近、燗酒のみとか、ワイン、或いは焼酎だけという飲み方です。最初はビール、という世代を卒業したようです。 午後9時、早めの就寝でした。 今日の写真はトラです。このところの寒さに、始終この始末。
2011年01月23日
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午前4時半起床。外気温-1℃。霜降。晴れ。 朝聴いた音楽はホルスト・シュタイン、バンベルグ響でブラームスのシンフォニー4番。つついてN響でワグナーの序曲、マイスタージンガーとタンホイザー。 午前中、林道コースで練習しました。10km。北風が強く、思うように走ることができませんでした。小中尾ダムに向かう林道順良(じゅんら)線は、一昨年、舗装道路になりました。堰堤を過ぎて2km奥までアスファルトです。夕方にここを走るのは寂しく嫌ですが、朝だと快適です。吐く息が白く、気分がよい。途中、黒い路面に白の絵の具をぶちまけたようなところがありました。鳥の糞です。サギのものでしょう。ダム湖に餌を求めての途中、ここの上に繁る樫の枝で休んだのかな。 昼食はごまだしうどん。日清が発売した佐伯風ごまだしという商品を食べました。まあまあの味でした。 午後は仕事。所用があって佐伯湾の沖に浮かぶ大島へ行きました。内容を書くこと能わずですが、道すがらのことなどを少し。弊社を出て、鶴見半島先端に近い集落、梶寄(かじよせ)に向かいました。海岸線をうねうねとすすみました。漁港に着くと、海の美しさに目を見張ります。透明度が高い。透きとおっています。港は北向きに開いています。北西の季節風が強く、白波が押し寄せていました。天気晴朗なれど波高し。トビとカモメが高みを舞い、アオサギが水面をかすめていました。防波堤先端の海面にウエットスーツを着た人がいました。潜水漁をしているのでしょう。素潜りです。 瀬渡船をチャーターし、乗り込みました。別の瀬渡船に乗るのでしょうか、物揚場に磯釣客が10人ほどいました。竿やクーラーの他に岩場で過ごすためのグッズを抱えていました。この寒いのにご苦労なことです。 本土と大島の間には、元ノ間海峡と呼ばれる難所があります。数百メートルくらいの幅でしょうか。流れが速いです。川のように潮が行きます。段差ができ、波立っていました。瀬渡し船はそこを全速力で乗り切りました。ローリングし、船窓に飛沫がかかりました。横殴りの雨が窓を打つ時よりも激しい状況でした。 大島に着き、船を降りて振り返ると、霊峰尺間山、彦岳、四浦半島などが青い空と青い海の間に遠く霞んで見えました。ここもトビの群れが上空で弧を描いていました。人口160人あまり。島民の方何人かに話を聞きました。以下はその内容です。 高齢者ばかり。島民のほとんどは漁業を生業にしている。一本釣り主体。釣る魚はブリ、タイ、アジ、サバ、イサキなど。フグ漁をする人もいる。三段仕掛けのかぎ針でひっかける珍しい漁法、延縄はしない。素潜りは1人だけ。アワビサザエが少なくなった。ブリの養殖場が島の西側にでき、それにサメが付いている。そこに近い磯場は潜ると危険。 錆びたチャリンコに乗った人に行き合わせました。年期のいった自転車ですねというと、雨ざらしだからね、との返答。何故かと問うと、自転車に限らず島にある鉄製品は、始終海水を含んだ風と飛沫にさらされている、よって雨に打たせて塩を洗うのだ、と話しました。 帰りも瀬渡し船を利用しました。本社に着いたのは午後5時。震え上がって熱燗が恋しくなり、つね三へ。日中、部下が東京と京都からのお客様を案内していたので、TELし、合流如何を持ちかけました。二つ返事でOKが帰ってきました。刺身盛り合わせと海老天ぷら。ブリ、ヒラメ、アオリイカ、どれもよかったですが、一番はシメサバでした。〆はごまだしうどん。席にお客様がいるのに、最後は墨付け祭りになりました。 帰宅は午後10時でした。 今日の写真は、梶寄で偶然行き合わせた飲み友だちA新聞のOさんです。 何の取材中なのかわかりませんが、ポーズをというと、この姿勢を取りました。 もう一枚、絶品のシメサバです。 オマケは部下T。相変わらずです。
2011年01月22日
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午前6時過ぎ起床。外気温0℃。晴れのち曇り。 終日ミーティングとデスクワーク。 弊社は大規模な設備投資を数年後に予定しています。担当する専属チームが二つあります。親しい同僚もここに所属しています。私のチームも、営業部門の事業計画を含めた総合調整や社債の発行などで、間接的に関係しています。最近、この大規模な計画に株主の一部の方々から厳しい声が寄せられています。是非はともかく、開かれた議論はよいことだと思います。本件には直接関わってはいませんが、ここ数ヶ月、慌ただしくなりそうです。 夕方運動公園へ。ラン12km。一頃に比べ、日が長くなりました。しかし、1時間あまりの練習を終える頃になると真っ暗です。昨日も今日も自動車部品会社に勤務するKさんと一緒でした。彼は先の日曜日に、県内一周駅伝の予選会へ出たそうでした。昨日曰く、タイムは最悪だった、オマケに風邪をひいてしまい、3日間寝込んだ、今日はジョグだけだ。風邪をひくと一気に体力が落ちます。注意しなければなりません。 夕食はピッザ。ワインを抜栓。食後は座を変え、焼酎を飲みながらサッカー観戦。何とか日本が勝ちました。ところで、最近、サッカーの勝ち点制度について思うところがあります。結果が0対0の場合も、両チームに勝ち点1が与えられます。得点していないのにおかしいと思うのです。1対1と0対0では重みが違うと思うのです。ということで、先にあった南アW杯の予選リーグ結果を見てみました。0対0は勝ち点ゼロという物差しを当て、決勝トーナメントへ駒を進めるチームに違いが生じるか否かの検討です。結果は変わらず。ちなみに今開催中のアジア杯も同様でした。なんだ、つまらない。 今日の写真はツグミの群れです。彼らは、歩道の並木、ナンキンハゼの実を食べ尽くしました。ずんぐりむっくりの姿は、二次大戦中のアメリカ戦闘機を形容し、ムスタングと言われています。この話、元タンカー船長Tさんから聞いた話です。
2011年01月21日
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午前6時過ぎ起床。朝寝坊でした。外気温-3℃。晴れ時々曇り。 長時間の会議を一つ。 夕方、運動公園へ。ラン12km。長引いた会議で昼ご飯を食べ損ない、午後3時を過ぎて腹にものを入れたので、胃袋に残存感がありました。この状態で走るのはよろしくないです。帰る途中、月が昇ってきました。満月でした。オレンジ色をしていました。 前後しますが、朝のうちに献血をしました。弊社近くに市の保健センターがあります。時々、ここに献血車がやって来ます。仕事の都合をつけて、出来るだけするようにしています。健康チェックが出来てよいです。今日はライオンズクラブの主催でした。会員の1人、美しい女性に声をかけられました。Sさんでした。マスクをしていたので、わかりませんでした。社労士をしています。妻と同級生です。正月二日の同窓会で一緒したようでした。彼女に痩せたねといわれました。嬉しかったです。 先に会議のことを書きましたが、思い出したことがあります。弊社には幾つか会議室がありますが、その一室に誰が忘れたのか古い広辞苑、窓際の棚に置かれています。本来、辞書のある場所ではありません。それがかれこれ3年くらい、そこにあるのです。総務に断って持って帰ろうかな。家にはその版より新しいのがありますが、もう一冊有っても悪くはない。トイレに置いて、いつも眺めたいです。まあ、そんなことはどうでもよいのですが、広辞苑といえばある友人を思い出します。もう亡くなって1年以上になります。2年前の初夏、妻と見舞ったとき、時間はたっぷりあるので広辞苑を読んでいると言っていました。妻に足をさすって欲しいといった言葉が耳に残っています。残された時間のたっぷりないことを彼は知っていたのに。今、家にあるのは彼の形見の広辞苑です。 本日ノンアルコール。 今日の写真は沈丁花です。まだ堅いつぼみです。
2011年01月20日
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午前5時起床。外気温3℃。最低気温は昨日より6度高かったです。終日晴れ。夕方は冷えました。 終日デスクワーク。 毎年、花粉症に苦しむ同僚がいます。私もそうですが、それほどひどくはありません。その彼が、今日、マスクをしていました。来たか、と問うと、来た来た、と答えました。嫌な季節の始まりです。 昨日、飲み会へ誘ってくれた部下のTから、その酒宴内容を聞きました。もう1人の部下、剣道7段のAに誘われてのことだったようでした。昨日、Aは剣道仲間の結婚祝いに呼ばれていました。20代中盤ですでに5段の女性が嫁ぐことになり、市内の大衆酒場28某でお祝い会を開いたとのことでした。午後7時からだったらしく、会社の終わる午後5時から2時間、間が持たないということで同僚のTを連れ、うがいをしたのでした。焼き鳥屋へ突っ込み、生ビールをジョッキに3杯ずつ、続いて黒霧の5号瓶をやっつけ、日本酒の銚子を5本。Tは先輩Aの時間を心配したそうですが、Aはそんな会には遅れていくものだと怪気炎を上げ、大トラになるまで杯を傾け、午後8時を過ぎて次の会場へ暴れ込んだと聞きました。行かなくてよかった。 夕方、のっぴきならぬようが出来、会社が引けたあと、真っ直ぐ帰宅しました。練習は休みました。私的懸案を処理し、ちびりとやっていたところに妻が帰ってきました。今日の帰宅は遅かったです。外食しようということになり、遅い時間に家を出ました。二九八(にくや)へ行きました。妻はビビンバとカルピ、〆に温麺を食べました。私はユッケとホルモンに焼酎のムクを併せました。お湯わりやロックだと薄まるため、実容量が半分です。ストレートを頼むと、お湯わりと同じ嵩(かさ)だけの量が出てきます。同じ値段なので、当然こちらの方が得です。 今日の写真は膨らみかけた白梅です。この感じ、春近しです。
2011年01月19日
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午前4時起床。外気温-3℃。相変わらず冷えました。 終日デスクワーク。 夕方、飲み会の誘いがありました。断腸の思いでこれを断り、運動公園へ。ラン11km。昨日は佐伯豊南高校陸上部が練習をしていましたが、今日は人っ子一人いませんでした。寒かったです。満月に近い月に暈がかかっていました。 毎週火曜日、通勤中に聴くラジオは、TBSのラジオ番組「日本全国8時です」です。今日のゲストは荒川洋治氏でした。芥川賞の発表を受けてのコメントがありました。曰く、今回は直木賞の2人を合わせ受賞者合計4人の大盤振る舞い、芥川賞は新人の登竜門、受賞後、作家活動を続け名を残すのは受賞者の5人に1人くらいか。この言葉に作家活動の厳しさが伺えます。 新聞を読むと、チュニジアが大変なことになっています。大統領が身の危険を感じ、国外に脱出したとのことです。非常事態宣言が出されたとも。政治を軍隊が仕切る戒厳令とは違いますが、心配です。なぜチュニジアのことを書くかというと、個人的に想いがあるのです。 一つはシロッコという名の赤ワイン。カヴェルネ・シラー種です。乾いた味がします。シロッコの元の意は、イタリアにあって初夏にサハラ砂漠から地中海を越え吹いてくる南風のことです。メディタレイニアンの水蒸気を含んで、長靴の国に至ると湿り気を帯びるそうですが、チュニジアをわたる時は乾燥した熱風です。これに吹かれて乾いた喉を潤すに、ボルドー産のまったりワインは不向きです。、乾いた味のするシラーがよく合うと思うのです。いつもより冷えているとなおよろしい。レモネードに勝ると思います。話が逆になりましたが、このシロッコというワインがチュニジア産なのです。調べたらチュニス近郊の農園で栽培されているとのこと。1本1,000円程度です。夏、冷酒にべとついた口を洗うにはもってこいです。毎年、桜が散った頃、ケース買いします。政情不安になっても入手できるのかな。 続いてサッカー。ナショナルチームはアフリカでも指折りの実力です。ワールドカップに何回も出場しています。日韓大会にもやってきました。私のまちが公式キャンプ場になりました。陸上競技場で大分トリニータとの練習試合がありました。イレブンを迎えるため運動公園を花で飾ろうという試みがありました。教育委員会が市民にプランターを配りました。妻もこれに花を植え、私が軽トラで運びました。彼女は試合も観戦しました。第一コーナー脇に公式キャンプ場となった記念碑があります。あの選手たちは、今どうしているのかな。 今日の写真は、先日、おおいたシティハーフマラソン2011に出かけるときのものです。未明、トラが見送ってくれました。
2011年01月18日
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平成23年1月17日(月) 午前6時起床。外気温-3℃。終日晴れ。霜降なるも、日中の寒は幾分ぬるみました。 終日デスクワーク。 夕方運動公園へ。ランニングウエアに着替えるときはかなり冷えていました。野球場のスコアボード裏に車を止めるスペースがあります。そこで素っ裸になり着替えをしますが、吹きさらしなので寒くて鳥肌が立ちます。ラン11km。月齢は13くらいかな。明るく、月明かりの影が出来ました。十分に走ることの出来る照度でした。反対にオリオン座はかすみ、帯を表すミンタカ等三つ並びの2等星は見えるか見えないかくらいでした。月夜の晩は目が慣れると明るいです。 芥川賞と直木賞の発表がありました。文藝春秋の次号が楽しみです。文春は春と秋の2回購入します。雑誌は滅多に買いませんが、このときばかりは手に入れます。受賞作はそれとして、この総合雑誌、定期購読したいな。でも、目次に目を通すだけで、半分、いや四分の一も読まないだろうな。やっぱりやめよう。 以前は本も雑誌もよく買いましたが、今は特別のことがない限り購入しません。理由は幾つかあります。図書館や青空文庫を利用するとお金不要、十分ではないけれど雑誌の役割はネットサーフィンで補完できる、書籍・雑誌はかさばる、新聞各紙に目を通すことで精一杯、音楽をゆっくり聴く時間も欲しいし、などです。 嘉風、初日が出ました。阿覧に勝ちました。よかった。今場所はすでに負け越しが決まっていますが、横綱大関陣との対戦は、今後につながります。後半戦を頑張って欲しいです。 夕食は焼きビーフンとハム、大根のサラダでした。どのアルコールを合わせてよいか迷いました。戸棚の奥からフグのヒレを出し、オーブンで焼きました。熱い燗酒に入れて、ひれ酒を造りました。結構いけます。これには伏線がありました。今日、酒を飲むと墨付け祭りを強行したがる部下Sが、ひれ酒を飲みたいと言いだしたからです。拙宅にはまだ30枚くらい残りがあります。味見をして大丈夫だったので、これを彼にやり、墨汁はほどほどにしてくれと頼みます。 今日の写真はフキノトウです。日曜日に妻が天麩羅にしたものです。苦みは早春の味です。
2011年01月17日
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午前4時半起床。外気温-3℃。晴れ時々曇り。北風甚だ強し。 今朝はシベリウスのシンフォニー5番、バルビローリ指揮ハレ管で朝の静寂を破りました。続いてマーラーの5番をニューフィルハーモニア管で聴き始めましたが、ふと思い立ち、野良着に着替えました。朝ご飯を書き込み、午前7時過ぎに家を出ました。終日薪運び。暗くなるまで作業をしました。 薪をもらいに行ったのは、木材団地の中にある大きな製材所Mでした。自宅から8km離れたところにあります。年末にもここの好意を頂きましたが、今日も十分な量の樫を積みました。造船所の船台に使う枕木を作っているのですが、その切れ端でした。しかし端切れといってもそんじょそこらに転がっている木っ端とは大違い、立派な角材です。この前はミカンコンテナ大のブロックでしたが、今日いただいたのは厚さ10~15cm幅30cm長さ1mほどのまな板状のものでした。こんな材が取れる樫の木とはいったいどれほどの大きさなのだったのでしょうか。山に生えているところを見たいです。 午前中5往復、午後4往復。寒風に吹かれながらの作業でした。荷役をすると暖まると思いましたが、とんでもなかったです。寒かったです。大風に巻き上げられた鋸屑が舞い、目をあけられないようなときもありました。身体がホコリっぽくなりました。目にゴミが入りました。でも頑張ったかいあり、そこにあった全部を自宅の車庫に移すことが出来ました。明日からは青空駐車になります。今日の作業で、これまでのストックとあわせ、再来年いやその次の冬を越すまでの分を確保することができました。うれしいな。 午前中はカーラジオを聴きました。荷の積み卸し中もかけっぱなしでした。大雪のニュースがひっきりなしに流れました。センター試験を受験する生徒の足が心配とか、高速道路は全面通行止めだとか。東九州自動車道大分~佐伯間も閉鎖されました。空の便も欠航のようでした。途中、茶屋ケ鼻橋から東の方角を見やると、豊後水道沖の上空は暗い雲が広がっていました。愛媛の方は雪なのでしょう。翻って佐伯は北西に九州山地を背負っているため、空っ風は吹いても晴天。ありがたいことです。 夕方、冷え凍った身体を風呂に沈めて一息。顔を湯船につけて瞬きを繰り返したら、目の中のコロコロ感がなくなりました。目明けついでに妻を笑わせようと、風呂に呼びました。「見ておきなさい」といい、上向きになって頭を沈め、水中で目をパチクリしてやりました。彼女は何か言ったかもしれませんが、聞こえるはずはありません。息の続く限り瞬きを繰り返しました。上体を起こし、プファーッと息をして「どうだ面白いだろう」と言うと、あきれた顔をされました。 夕食は天ぷらでした。フキノトウとマイタケに白ワインを合わせました。食後、都道府県対抗女子駅伝を見ました。大分は20位でした。中学生区間には佐伯南中の上杉選手、一般・高校区間にも日本文理大付属の選手2名が出場、いずれも好走しました。よかったです。 今日の写真は終日掛けて運んだ樫です。製材所の端に積まれていました。説明を書いたとおりくさび形です。
2011年01月16日
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午前4時過ぎ起床。外気温3℃。終日曇り、一時雪が舞いました。 今日の未明は千住真理子を聴きました。ドヴォルザークのヴァイオリンコンチェルト、コシュラー、プラハ響、続いてモーヤンのK211をローレンス・フォスター指揮イギリス室内管で、最後はベーヤンのコンチェルトをポール・フリーマン、チェコナショナル響。どれも惹かれる演奏でした。 午前7時過ぎ、親方からTELがありました。山に入ろうという誘いでした。昨夜、明日は如何とのTELをしたとき、寒いからやめようと言う返事だったのに。気分が変わったのでしょう。結局、午前中、チェーンソーを回しました。今日の予報は雪でしたが、昼前までは風がなく、木切りにはもってこいの日でした。林道を上り、その場所へ着くと、息が白い。いつもは下着の上に薄いシャツとペラペラのウィンドブレーカーを着ますが、今日はトレーナーを重ね着しました。それでも汗ばむことはありませんでした。そのはずです、北向きの斜面、曇り空、雪の天気予報。温かいはずがありません。親方は油持ちなので、ぶくぶくに着ぶくれていました。小便をするのも難儀そうでした。 30本近く切ったかな。途中、掛かり木(倒そうとして傾き始めた木が隣接の木の枝に引っかかり、傾いたままになること。そのままにしておくと危険です。もし下を通りかかったときに偶然掛かりが外れると、頭を直撃し、大変なことになります)を何本か出してしまいました。まだまだ未熟な証拠です。掛かり木には、別の木を上に倒しかけることで対処しました。 正午に帰宅。ご飯を食べてNさんの葬儀へ。父からの香典を託かりました。父にはこの正月に読んだ満州のことを書いた文庫本を2冊あげました。サイパン島で戦死した父の兄は、赤紙のくる前、満鉄に勤めていたのでした.。本は佐野眞一が書いたものです。満鉄のことが頻繁に登場します。気に入ればよいのだけれど。 再度帰宅し、着替えて走りました。ラン6km。もちょっと距離を稼ごうかと思いましたが、薪割りをしたくなってやめました。ラジオを持ち出し、大相撲中継を聴きながら1時間。小雪が舞いました。あーあ、嘉風は7連敗。 夜は土手鍋でした。久しぶりに芋焼酎のお湯わりを飲みました。 今日の写真は山行きです。親方に撮ってもらいました。かっこいいでしょう。
2011年01月15日
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午前5時半起床。外気温-3℃。室内温度も15℃。ストーブ内の熾火に薪をくべ足し、がんがん燃やしました。終日晴れ。 昨夜はブログを書いて後、C.P.E.バッハに続き中村紘子でベーヤンの皇帝とラフマニノフの2番を聴きました.後者はスヴェトラーノフ指揮ロシア国立響でした。くすんだ響きのオケと、この曲はよく合います。暗く陰鬱な第1楽章の冒頭。堪りません。 午前中、財務と協議。午後はデスクワーク。 訃報あり。従兄の奥さんの父親でした。82歳。元気だったのに、ちょっとむせて戻し、それが喉につかえて窒息したそうでした。通夜に行きました。今夜は某大学の先生を迎え、社長他と接待の席を設けていましたが、これをキャンセル。 帰宅して、妻に、父も通夜へ行ったことを聞きました。個人のことを振り返ってみました。バイクやカメラを楽しむ趣味人でした。白髪のパーマがトレードマーク。優しい笑顔が印象的でした。某紙フォトコンに入賞したことがありました。自分の嫁が義母(当人の母)をおんぶするの図でした。祭壇の横には愛車ハーレーを前にし得意気の写真も飾ってありました。明日は葬儀です。 湯船に浸かり、つらつらと父母のことを考えてしまいました。一昨年は母が脳梗塞を患い、昨年は父が大腸ガンの手術。幸い、2人とも事なきを得ましたが、そんなこんなで、思わず知らず、いつかはやってくる親の死に思が至ったのでしょう。このところ続いた葬儀、涙にくれる肉親を目の当たりにし、その時を迎えたとき自分はどうなのかというようなことでした。漠然とした中にも妙に現実味のある内容でした。たぶん、バザーロフのような感じかな。 先日、映画「海炭市叙景」のことを書きました。昨日はNHKで「ハーブ&ドロシー」を特集していました。この映画もシネマ5で上映予定です。上半期は「森崎書店の日々」「君を想って海を行く」の二つも楽しみです。特に後者は必見です。 嘉風、番付が前頭2枚目になって、上位陣と対戦しています。厳しい状況です。頑張れ。 今日の写真は、番匠川の支流「堅田川」の川面を写したものです.茶屋ケ鼻橋付近です。昨日撮りました。薄く氷がはっています。
2011年01月14日
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午前4時半起床。外気温-3℃。終日晴れ。午後になって少し温かくなりましたが、夕方になって気温はまた下がりました。 終日デスクワーク。内部協議の多い一日でした。 夕方、運動公園へ。ラン10km。もうレースの疲れは残っていません。Kさんと一緒になりました。ハーフマラソンは私より10分近く早いタイムを持っている人です。引っ張られて、いい練習になりました。走り終わったら真っ暗でした。汗が冷えて寒かったです。 先週末、徳之島へ旅行した部下から土産をもらいました。ミニチュアボトル。中身はハブ酒でした。私のチーム全員へ配ってくれました。気のはやいSが封を切ってしまい、匂いを嗅ぎました。私も嗅いでみました。彼はしかめ面をしましたが、私は嫌ではありません。ハブ酒と言えば、先日のつね三でマムシ焼酎を飲んだっけ。エチルアルコールと甲類(たぶん三楽)を混ぜたものに漬け込んでいました。乾いた味がしました。悪くない。飲むだけでなく、切り傷へ塗ると効果てきめんとは大将の言。 キネマ旬報のベストテンが発表になりました。海炭市叙景は堂々のベストテン入り。9位でした。2月になったらシネマ5に懸かります。必見です。この映画、ロケ地は函館です。海峡の街です。若い時分、私は2年半をここで過ごしました。パンフにある函館山が懐かしいです。ところで当時の思い出は数多あり、今も記憶に残っていますが、それから30年が経ちました。思い返すと、本当にそこへ住んでいたのだろうかという不思議な感じがします。そのうちから「店」をキーワードにして羅列すると、大学前の港食堂、東日本海フェリーターミナルの食堂、森文化堂横の茶店シルバースプーン、大門の名曲喫茶カーネギー、キャバレー未完成、函館山の麓にあったトンカツのトン喜、元町だったか茶店「銀花」、谷地頭温泉、五稜郭の居酒屋金成(キンナリ)、港町の与太郎、スーパー魚長、産業道路沿いのレストラン「ミング」、焼き肉の「直(チョク)」、清寿司、都寿司、寿司金、羅王寿司、牛鍋のみつわ。極めつけは居酒屋「野武士」、ここは樽酒を置いていました。銀だらは絶品でした。おっと、バー「杉の子」を忘れてはいけません。 酒を飲んでいないのに、どんどん記憶がよみがえってきます。あの頃の店はまだあるのだろうか。 今夜聴いた音楽はC.P.E.バッハのトリオソナタWq156他です。組曲ホ短調Wq62がよかったです。ジョスリーヌ・キュイエのクラヴィコード、響きが何ともいえず冬の夜に合います。ああ、ウイスキーを飲みたくなりました。 今日の写真は部下Sにもらったハブ酒です。これをひっかけようかな。
2011年01月13日
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午前6時過ぎ起床。 仕事は朝一の会議、午後はN支店に行き、お客様からの話を承りました。 夕方、運動公園へ。ラン7km。今日は寒かったです。腹筋を鍛えるためにサスペンションの下に足を突っ込んで、キコキコやっていて、月に目が行きました。半月でした。ついこないだは鎌月だったのに。日の経つのは早いものです。 先日のハーフマラソン、こんなことがありました。その1。見知らぬ人に更衣室で声をかけられました。「あなたは木立のおいやんでしょう?」。驚きました。時と場合によっては、確かに私は木立んおいやんと名乗り、そう呼ばれています。話を伺うと、モイ香先生のブログに、昨年末、蒲江であったブリロードレースを走った私の写真が載っていて、コメントに木立んおいやんとあるのを見たのだそうです。その方も出場したとのことで、後日、記録と順位を知るためにレース名で検索していて、モイ香先生のブログに辿り着いたとのことでした。佐賀関に住む50代後半の男性でした。これからよろしくお願いしますと言葉を交わしましたが、何となく嬉しかったです。その2はまた後日にします。
2011年01月12日
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午前5時起床。朝間は新聞と音楽。スターデジオの番組は週替わりなので、これをチェック。 午前中デスクワーク。午後は大分市へ出張しました。某ホテルで講演を聴きました。弊社の戦略に関係することなので、関心があったのですが、期待はずれでした。帰りは所要があり、海岸を走りました。冬の海は暗い色をしていました。沖を行くタンカー、瀬戸内向けは喫水が線が沈み、南下する船は逆に空船なのでしょう、空タライが浮いているような格好で、船腹の赤が見えました。 帰りの道中、A新聞のO記者からTELあり。世間話をしたあと、飲みに行く約束をしました。暖簾はもちろん「つね三」。会社が引けたあと、即、突っ込みました。このところの寒波で魚が少ないとのこと。ヒラメの薄引きを当てに西の関の燗をやりました。今日はアンコウがよいという大将の言を入れ、アンカラ。続いてハモの天ぷら。いずれも絶品でした。正月明けで閑古鳥の鳴く飲み屋街、冬枯れでここ「つね三」も客がいませんでした。独占状態。終いには大将もカウンターのこちら側に座ってやりはじめ、アコヤガイの刺身、自家製塩からを当てに、3人べろべろになりました。昨日のレース完走祝いということで、ウニの吸い物をサービスしてくれました。銚子も腹一杯になるまでタダで飲ましてくれました。智恵美人、美味しかったな。 帰宅は午後9時半。明日からまた練習です。
2011年01月11日
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午前4時前起床。曇り。 今日はおおいたシティハーフマラソンでした。朝ご飯を5時過ぎに食べました。メニューは妻心づくしの和食。シシャモの塩焼き、味噌汁、梅干し、ノリ、ご飯。玄関でスキスキをし、家を出ました。外はまだ真っ暗でした。妻の実家でレガシーに乗り換えました。高速道路を走って大分向け。途中、バッハの無伴奏チェロ。モーリス・シャンドロンでした。 米良インターを降りてもまだ薄暗かったです。大分川の河川敷が駐車場でした。別府湾から吹いてくる風が冷たい。会場まで歩きました。振り返ると、海の向こうに鶴見岳。白く雪を被っています。雲が低く垂れ込め、時雨れている様子。今日のレースが思いやられました。 大会は、大分市営陸上競技場がスタートゴールでした。中学の時、このグランドで800mのレースを走りました。それ以来です。 参加者は600人余り。寒いので、更衣室は満杯でした。石油ストーブが焚かれていました。その部屋は、メインスタンドの真下にあり、ドア一枚でグランドへ出ることの出来る場所でした。アップを始めようとしたら、6~7年前に弊社キャンペーンでお世話になったHさんが大会のMCを勤めているのに気づきました。ステキな女性です。走るのをやめて挨拶をしにいったら、覚えていてくれました。嬉しいな。 目をぐるりこらすと、一般は旭化成をはじめ、実業団の選手。大分東明や鶴崎工業、日本文理大付属の選手がいました。出雲、全日本の両大学駅伝で一区を走った日本文理大の吉田亮太選手も。私のような素人ランナーが、彼らと一緒のスタートラインに立つことが出来るということは、何となく嬉しいです。 スタートは午前10時でした。私はランニングとパンツ、いつもの出で立ちで走りました。号砲までは寒かったですが、走り始めたらすぐに汗が出ました。道中は、風と寒さのせいで厳しい闘い。記録は1時間33分。ベストに2分及びませんでした。でも練習の成果か、15kmを過ぎてもペースは落ちず、いやかえって速くなり、ラストの3kmで20人くらいかわしたかな。 走り終えて、寒いので着替えも早々に真っ直ぐ帰宅。高速道路のおかげで、午後1時過ぎに帰宅しましました。妻が入れてくれた風呂に飛び込み、缶ビールのプルトップを引きました。馬は如意。 結局、冷蔵庫にストックしてあるつまみを引っ張り出し、土佐の銘酒亀泉を飲みながらダラダラ。酔っぱらってバタンキューでした。
2011年01月10日
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午前5時半起床。外気温-3℃。終日曇り。 昨日同様、一日中、家の中で過ごしました。朝のうちは新聞、本、音楽。日が昇って映画「ディアハンター」を観ました。何とも奥の深い映画です。完全版だったので、新たな発見もありました。デ・ニーロがよかった。午後は大学ラグビー、春高バレー、馬。 夕方、薪ストーブを見に、カクテルバーのマスターがやって来ました。土産にモーカン2003を頂きました。いつも漱石先生でお釣りがくるワインばかりなので、この抜栓は楽しみです。彼は、昨年末、同居することになった娘夫婦の意向を容れ、薪ストーブを設置しました。毎日、解体した家屋の材料を燃やしているとのこと。杉ばかり。薪の悩みを話していきました。使ってみてちょうだいと言い、樫を数日分分けてあげました。 晩ご飯はおでん。食後にショートケーキを二つ。今日は、昼間にも煎餅や羊羹を食べました。甘いもの漬けです。 今日の写真は薪です。朝から晩まで焚くと、これだけでは足りません。
2011年01月09日
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午前6時前起床。外気温-3℃。晴れ。 朝、NHKFMバロックの森でルーカ・ビアンカのリュートでBWV995をやっていました。痺れます。灯りを消すと、レースのカーテン越しに明けの明星がみえます。白み始めてもこの輝きはしばらく続きます。弦の深い音とマッチングしてステキです。 休日。何処へも行きませんでした。トレーニングもしなかった。朝から新聞、テレビ、音楽でした。NHKBSハイビジョンでイタリアの旅をやっていました。アドリア海を横切ってアルバニアへ渡る航路が映りました。15年前、国の擾乱を逃れ、ゴムボートで脱出したという男性のインタビューが出ました。夫婦で対岸へ渡り、子をもうけ、今は安定した生活。両国に家を持ち、行き来しているのだそうです。アルバニアといえば、第2次世界大戦後、鎖国をしていた国です。余談になりますが、私がまだ小学生の頃、父にラジオを買ってもらいました。田舎、しかも山あいなのでガーガーピーピー、電波の受信状態が悪かったです。夜になると中国からの電波が鮮明に聞こえました。「こちらは北京放送局です」という言葉が今も耳に残っています。アナウンサーが「アルバニア決議案」という単語をよく使っていました。何のことやらわかりませんが、凄いことのように喋っていました。「手紙を待っている」という言葉にだまされて、それは何かという質問を封書に入れて投函しました。宛先は北京放送局、住所は確か中国とのみ書いた記憶があります。しばらくして大きな茶封筒が届きました。今でいうA3サイズです。アルバニア決議案を小学生にわかるよう説明したものはありませんでしたが、農業や治水工事の写真を載せたタブロイド判の冊子と、赤尾の豆単サイズの本が入っていました。毛沢東語録でした。 この話はこれでおしまいです。 今日から3日間、スカパー見放題です。春高バレーを何試合か観戦しました。わが県代表の東九州龍谷頑張れ。明日は決勝戦です。続いて花園ラグビーを観ました。東福岡は桐蔭へ何とか追いついて引き分けました。両校優勝。野球やサッカーなら決着をつけるのですが、ラグビーはこうなるのだそうです。ノーサイドという言葉がありますが、この精神に基づくものなのかな。 ノーサイドといえば、ユーミンの曲が有名です。冒頭の優しくてちょっと悲しげなピアノからしてじーんと来ます。ラグビーシーズンの終わりを、コンバージョンの失敗とノーサイドのホイッスルで際だたせた名曲です。今がまさにその時期です。明日は早稲田と帝京の大学選手権決勝です。楽しみだな。朝日駅伝もあるし。 夕方、少し薪割りをしました。 今日の写真は冒頭に書いた薄明です。ゆるりの時間です。
2011年01月08日
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午前6時前起床。外気温2℃。 午前中デスクワーク、午後は会議、締まりのない内容でした。 夕方運動公園へ。ラン9km。途中からKさんと一緒に走りました。年末年始の高校、実業団、大学の各駅伝のことなどを話ながらキロ5分ペースで。今日も星が綺麗でした。 今日は、ひょんなことから「マザリーズ」という言葉を知りました。これは、大人が乳児に向かって話しかけるときに自然と口をついて出てくる乳幼児向けの話し方のことだそうです。赤ちゃんのあやし言葉とでも言いましょうか。乳幼児もマザリーズを好んで聞くことから、マザリーズが赤ちゃんの発達に関係するのではないかということで、この研究が注目されているそうです。私が興味を惹かれたのは、話しかけられる赤ちゃんの変化ではなく、話しかける大人の脳活動の活性度についての話でした。乳児を育てている母親A、過去に育児経験のある母親B、出産経験のない女性Cのそれぞれに赤ちゃんへ声をかけてもらうと、マザリーズを使う頻度の高いのはA,B,Cの順番だそうです。これは何となくイメージできます。しかし、Aであるにもかかわらずマザリーズを話さない人がいるそうです。産後鬱の母親がそのケースです。この場合、本人のことも心配ですが、赤ちゃんの成長にも悪影響を及ぼすことが心配されます。鬱は難儀な問題です。 今日の写真は庭のバラです。このところの寒に参ってしまったようです。
2011年01月07日
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午前4時半起床。外気温5℃。昨日より7℃高かったけれど、日中の気温は前日並み、寒い一日でした。先週末から、ずぅっと底冷えのする日が続きます。 朝のうちにスターデジオのエアチェック分をCDへ録音しようとしましたが、曲と曲とのトラックが区切られておらず、K551第4楽章とブルックナーの7番1楽章がつながった状態でした。案配が悪い。ということで、グリュミオー、コリン・ディヴィス、ロンドン響の組み合わせでK216を録音。出勤の車中はこれを聴きました。リズム感のある曲です。思わず知らずに腕を振り調子をとってしまいます。 今日は細切れで、多くの相談を受けました。一度没にした案件を幾つももって営業部がでやってきました。朝から晩まで。疲れました。 夕方、運動公園へ。ラン8km。寒かったです。陸上競技場の中も野球場の室内練習場も、人っ子一人いませんでした。走り終わって、軽トラのサスペンションへ足をかけ、いつも腹筋をするのですが、仰向けになり見上げると、今日はいつもにまして星が綺麗でした。人気がなく寂しかったですが、この空を独り占めするのはいい気分です。 夕食はシメサバのお寿司。美味しかった。デザートにローソンケーキと羊羹。後はNHKFMでロイヤルコンセルトヘヴォウ、ジョン・エリオット・ガードナー指揮でシューマンのシンフォニー2番を聴きました。昨年3月、アムステルダムで行われたライヴでした。その後、ベスキのバロックチェロでバッハの無伴奏チェロを。深い。 Wから賀状が届きました。大学の同級生でした。出世頭かどうかわからないけれど、大手商社の水産部へ勤めています。昨年ロンドン在住になったとのこと。いいなイギリス。ロンドンで会おうと書いてありましたが、そうそういけるものではありません。勝手にしやがれです。学生時代はアイスホッケー部でキーパーをやっていました。下手くそで、皆から笊(ざる)と言われていました。卒論はニシン、電気泳動による個体群解析を試みましたが、上手くいかず、結局カズノコの数を数えて卒業しました。でも、懐かしいです、あのころのことを思い出して、しばし、ボーッとしました。 今日の写真は、アルゼンチン土産のチョコレートと絵葉書です。写真葉書でも絵葉書なのでしょうか。妻の同僚がこの年末年始、その国とウルグアイを旅行してきたのだそうです。いつもの心遣いです。これまでに死海のソープ、クロアチアのチョコ、フィンランドのマグネット、トルコの紅茶、カナダのメイプルシロップ・・・を頂きました。次は何かなと、期待してしまいます。
2011年01月06日
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午前5時半起床。外気温マイナス2℃。霜降。晴れのち曇り。寒い一日でした。 朝、外が冷え込むと、薪ストーブに熾火が残っていても室内温度は14~15℃になります。薪をくべ足し火を大きくしても、20℃を越えるのに30分は要します。1時間経つと25℃を越え、快適になります。薄手のパジャマ1枚で大丈夫です。縮こまって丸くなっていたトラの身体も弛緩します。 夕方、運動公園へ。ラン7km。トラックでは小学生の陸上クラブがトレーニングをしていました。厳しいインターバル練習のようでした。私も一汗かいて真っ直ぐ帰宅。 今日から10日まで禁酒モード。レースに備え、甘いものを沢山食べることにします。本日はチョコレート一箱、羊羹二切れ、ピーナッツの小袋3つでした。 夜、札幌近郊に住むHにTELしました。学生時代の友人です。昨年末に突発性難聴を煩い入院した、片耳が聞こえない、と賀状に書いてあったので、見舞いかたがた電話したのでした。経過は思わしくなく、回復は見込めないとのことでした。でも声は元気そうでした。1年の時から野球部の4番バッターでした。今はなき中島球場で鳴らしました。その彼が、このようなことになるとは。何とか治って欲しいです。 小澤征爾氏が腰の手術を受けるというニュースを知りました。公演予定はキャンセル。残念です。そのことで思い出しました。昨年末に読んだ本の中に、彼の父親のことが書いてありました。小澤開作という人です。歯科医師でしたが、大陸に渡り満州国の仕事をしたそうです。征爾という名前は、開作が尊敬した板垣征四郎の征と石原莞爾の爾からとったとのことです。もう一つ関連を。征爾の息子は征悦です。開作の孫になります。その征悦が映画「ホタル」で朝鮮人の金山少尉を演じたのは、なんだか運命的なものを感じてなりません。 今日の写真は運動公園です。日のあるうちは、陸上競技場と野球場の外周を8の字に回ります。1周約1.5km。写真を写している所まで登り道があります。そこもよいトレーニング場所です。
2011年01月05日
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午前5時半起床。晴れ。北風強し。 いつもより30分早く朝ご飯を食べました。牡蠣の炊き込みご飯とアオサ(ヒトエグサ)の味噌汁。息子の好物なのです。妻の心づくしでした。出勤前にバスセンターへ送りました。早めの飛行機に乗りました。次に帰省するときはもう社会人です。娘は妻と昼ご飯を一緒に食べて、午後の列車に乗りました。仕事を終え帰宅したら、家にトラがぽつんと座っていました。寂しくなりました。妻の顔が悲しそうで、もらい泣きしそうでした。楽しい時間はあっという間に過ぎ、たちまち二人の食卓に戻りました。夕食は正月に食べた馳走の残骸を寄せ集めたものでした。気晴らしに外食しようかと言いましたが、その気分にならないわ。ということで、こういう仕儀になりました。結果的にこれがよかったです。亀泉純米大吟醸を向かい合わせでちびりとやったことで、手を離れていく子どもたちの、心配にはなるけれど親離れしていく逞しさ、これにしみじみとした感慨を持つことが出来ました。妻も同じ気持ちだと思います。二人の時間、バッハの無伴奏チェロを聴きました。今日は特別な音楽に聞こえました。 湿っぽくなりました。今日の写真は、一昨日、拙宅の裏庭で撮ったフキノトウです。梅のつぼみも膨らみかけ、早くも春の気配濃しです。
2011年01月04日
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午前4時起床。外気温1℃。霜降。晴れ時々曇り。 新聞まとめ読みのあと、箱根駅伝を見ました。その時間、妻と娘は買い物へ。息子と私はダラダラ。午後2時を過ぎて運動公園へ。ラン8km。12月26日のレースから、年末年始の休暇6日間も含め、ずっと練習してきました。疲れが溜まってきたのか、調子がでませんでした。 トラックの中では、昨年末に都大路を走った日本文理大附属の駅伝部が練習をしていました。一人に声をかけましたが、ハキハキしてすがすがしい少年でした。今年も頑張って欲しいです。 帰宅してシャワーを浴び、缶ビールを1本。妻は、高校の同級生と飲み会をするという息子を居酒屋へ送りました。結構なものですといいたいところですが、私もそういう道をたどってきたので、偉そうに出来ません。 薪を割っていたら、樋の中へ鳥が落ちているのに気づきました。拙宅の樋は、筒先が地中に埋まっています。困りました。何とか助けてやる方法はないのか。ハッと気がついて、電気式回転サンダーを持ち出しました。これで樋を切り割りました。鳥のばたついている付近を少し外して、穴を開けました。そこに娘が手を突っ込みましたが、なかなか出てきません。羽を数枚もいでしまいました。切り口を拡げました。今度はうまくいきました。すぐに放してあげました。よかったです。 晩ご飯はブリの煮付けとエビフライ。西の関生酒を合わせました。正月の残り物を引っ張り出してアテにし、最後はワインで討ち死に。 正月の酒はこれで打ち止めです。明日から1週間、酒を控えます。成人の日におおいたシティーハーフマラソンがあります。ベストを狙います。 今日の写真はスズメです。樋の修理代、いくらかかるかな。それともこのまま放っておくか。
2011年01月03日
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午前6時半起床。朝のうち、雨がパラつきました。晴れ時々曇り。 昨晩、午前1時前だったかな、悪寒と吐き気がしました。トイレに駆け込みました。嘔吐と下痢。苦しかったです。でも朝になったらケロリ。下手物ばかりに慣れた胃袋が、霜降りの上等肉に驚いたのかな。 朝ご飯を食べた後、ウトウトしながら箱根駅伝を見ました。東洋の優勝を見届け、市内のホテルへ妻を送りました。高校同学年の同窓会。軽トラで会場の玄関へ乗り付けたら、人目を気にするように飛び降りました。 私は運動公園へ廻り、ラン10km。今日はビルドアップの練習をしてみました。ロングスパッツをはいたのですが、何故かスネが擦れ、毛が無くなってしまいました。シャワーの温水がしみました。 帰宅して缶ビール。ああ美味しい。 夕食は娘が鴨鍋をしてくれました。夜は、昼に録画しておいた帝京対東海、早稲田対明治のラグビーを見ました。決勝は帝京対早稲田になりました。 昨日今日とテレビばかり見て、音楽も読書もお預けになっています。まあいいか。 今日の写真はハクモクレンのつぼみです。春の気配を感じます。すがすがしい。
2011年01月02日
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午前6時に床を離れました。外気温1℃。快晴なるも北風強し。 近所に天理教の小さな教会があります。その勤行で目が覚めました。いつもの太鼓は6時半を過ぎて鳴り始まるのですが、今日は元旦ということで早い時間からのお勤めだったようです。 朝食の前にラン10km。今日は木立の農道・林道を走りました。途中、熊野神社へ初詣。小さな社です。昨晩は100人ほどの人出で賑わったと息子が言っていましたが、この時間は無人でした。冷たい風、水たまりには氷が張っていました。山奥に向かうと日が昇りはじめ、生目神社の緑が初日の光に映える姿が美しかったです。青空とも相まって、すがすがしい気分になりました。飛行機の白い機体がアクセントを添えました。今日のこの時間、どのような人が乗っているのでしょうか。もしかして南九州へ向かうマロンさんかな。 帰宅してシャワー。雑煮を食べ、テレビの前に陣取りました。今日は実業団駅伝の日でした。これを見るため、練習を早めに終えたのでした。トヨタ熊本が優勝。森下監督は嬉しかったと思います。佐伯の隣町、延岡市の旭化成は残念でした。外国人の不在が、結果的に優勝へ絡むこと能わず。福岡の安川電機、健闘し嬉しかったです。最終区の飛松、好きなランナーだけに無念でした。彼、昨年は1区を走り、ブレーキになったはずです。今年も不如意、さぞ悔しかったことでしょう。 午後、父の家に行き、ブリを三枚におろしました。年始客へ出すのでしょう。正月早々、手が臭くなりました。賀状に目を通し、不義理に返信。 夕方、妻の実家へ。途中、佐伯の町で一番賑わう明神さんへ詣りました。この時間にもかかわらず、50段ほどある階段の下まで列が出来ています。朝、柏手を打った熊野神社とは大違いです。妻は札を求めました。高校の同級生Fと会いました。彼にはお嬢さんが3人あります。家族総出の初詣のようでした。皆成人して、美しかったです。 今日の晩ご飯は妻の実家で食べました。拙宅の恒例、上等の焼き肉でした。ビールに合わせました。娘息子もこのときばかりとパクつきました。 今日の写真は、熟成中のブリです。寒いとき、吊っておくとうまみが増します。
2011年01月02日
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