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雨模様の朝でした。終日、小雨模様でした。午前中は音楽と読書。日が差さないので肌寒かったです。湿りの一日、ストーブを焚いてのんびり過ごすのはよいものです。フリッチャイ指揮ベルリンフィルでシェラ・ザード、RIAS響で新世界、続いてエドウィン・フィッシャーのピアノでバッハBWV1052とブラームスのピアコン2番、どれも古い録音ですが、溌剌とした演奏でした。礼服を出しました。来週末、福岡で祝言があります。親方のお嬢さんが結婚します。大濠公園近くのレストランが会場です。ナイフとフォークのコース料理は久しぶりです。ワインが楽しみです。午後になって妻が温泉に行きたいと言い出しました。大阪女子マラソンを見ていましたが、その話に乗りました。本匠にある「牧山の湯」に向かうことにしました。私の家から20km余り距離があります。そこで2時間後に落ち合う約束をし、走っていくことにしました。こぬか雨の中でした。木立川を下り、茶屋ヶ鼻橋、稲垣橋を渡り、番匠川を遡るコースです。クロバンのつがい、旧橋の残骸で羽を広げるカワウ、一面に広がるアオサ、行水するカラス、シジミ掘りの人たち。汽水域にはいろんな営みがあります。番匠大橋あたりからは流れが群青色になりました。天気のせいでしょうか、深みのある色です。この時期ですからアユの遡上はありません。カマツカも見あたりません。あちらこちらの淵に鯉の泳いでいるのが遠目に見えました。白や赤の点だからです。本匠地区に入ると、流れはさらに透明度を増します。鬼瀬というところがありますが、ここは河童がいても不思議でないおどろおどろしい色を湛えていました。県道に架かる橋の欄干には、その河童をモチーフにした焼き物が飾ってありました。午後4時前、妻の乗った車に追い越されました。後1kmの地点でした。もう少しでゴールだからこのまま走るといいました。しばらくすると先に行った妻の車が、何故か折り返してきました。?。走っている私を呼び止め「今日は温泉が休みだわ。」ガビーン。ショックでした。走るのはそこで止め。ストレッチをした後、ビニールシートを敷いた助手席へ乗り込みました。直川にある鉱泉センター(ここも温泉施設)に廻りました。ジャグジーに入り、身体をほぐしました。快也でした。早めに上がり、生ビールをゴクリ。たまりません。帰宅して夕食はすき焼きでした。私のリクエストでした。鯉川の残りを燗にして合わせました。
2010年01月31日
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午前4時起床。終日晴れ。温かい一日でした。最近、ヒヨドリの鋭い鳴き声を耳にするようになりました。春近しを喜んでいるのでしょうか。空気がぬるみ、遠くの山は霞んでいました。午前中、チェーンソーをまわしました。従兄K兄の家に行き、裏山の木を切りました。樫が鬱蒼となっていました。日当たりが悪いのではなく、落ち葉が屋根に降りかかり、樋を詰まらせるのが切って欲しかった理由でした。大小50本ばかりを倒しました。大きいものは胴回りが大きなバケツ位でした。薪としては最高です。しかし、いかんせん軽トラの入る場所まで距離があり、加えて斜面、しかも途中に小竹の藪。搬出作業の手間を考えると、割に合いません。持ち帰りは断念しました。木の生えている場所のすぐ下にK兄の家があり、そのまま倒すと屋根にドカンと打ち掛かります。瓦が割れるといけません。倒そうとする木にいちいちロープ掛け、物干し竿で結んだ輪を高みにせり上げます。一方は数メートル離れた別の木にくくり、K兄が引っ張ります。準備が整うと、少しずつ切れ目を入れていきながらロープを引っ張ります。木は斜めに倒れ、家の屋根を外すという具合になります。こうやって1本1本切っていきます。作業は3時間で終わりました。思ったより捗りました。茶を一杯馳走になり、妻へTELしました。養護学校で待ちあわせをしました。校庭の木を切って欲しいと彼女から言われていました。学校にはチェーンソーがなく、また扱う人もいないそうです。私の夫なら朝飯前だと言うことで、安請け合いをしたようでした。連れて行かれたところは、学校敷地と隣家との境でした。そこに欅が立ち枯れていました。根元の直径は70cmほどでしょうか。隣家のほうに傾いていたので、矢を取りに帰りました。間違ってあらぬ方向へ倒すと、大変です。運動場の方へ倒し、片付けやすいように玉切りました。妻は、矢を打って倒す作業を初めて見たようでした。切り込みを入れたところに楔(くさび)を打ち込み、チェーンソーの刃を進めながら斧の背中でこれを叩いて深くに食い込ませていきます。そうすると木全体が反対の方向へ傾いていき、倒れるのです。一連の作業を見て、凄いと言ってくれました。私は鼻が高かったです。しかし、この感嘆は口先だけのもので、本当は毛の三本足りない私をおだて上げて安請け合いをこなし、月曜日に学校の皆から感謝されたいという魂胆なのでした。バカの私はこれに気がつきませんでした。午後は図書館で本を借り換え、マランツをクロネコへ持ち込みました。再度修理に出します。オーディオの師匠へTELし、恐らくスイッチの故障であろう旨を伝えたら、大事でなくてよかったと言ってくれました。これとは別に、2月末に大分であるN響公演のチケットがあるが如何、と勧めてくれました。ありがたい話ですが、その日はかねて予約のソウル旅行です。ラフマニノフのピアコン2番とチャイコの5番。どちらも大好きな曲だけに残念でなりません。プールへ回り、トランクを開けたら着替えが入っていません。忘れたのでした。ガビーン。走ることも泳ぐこともできません。仕方なしに家へ帰りました。途中、ローソンへ寄り、マロンピーチママさんお薦めの生クリームケーキを買いました。帰宅して日の高いうちに風呂へ。キリンの発泡酒「オフの贅沢」を片手に湯船の中で読書。この長風呂、至福の時間でした。風呂上がり、四万十の銘酒「無手無冠」をチビリチビリ。当ては酢ぬたでした。アオリイカの足とのコラボ。これはモイ香先生に頂いたものでした。家中の灯りを消し、ランプを灯しました。音楽は佐藤豊彦のリュートでバッハのBWV1007,995、キルヒホーフでBWV996。深く染み入ってきました。ストーブの炎とマッチングがよかったです。妻にコーヒーをいれ、例のケーキを出してあげたらたちまちペロリでした。私は味見すらできませんでした。
2010年01月30日
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晴れ。外気温-1℃。終日デスクワーク。午後5時を過ぎて社長室で会議。新規の取引です。一昨日、仮契約締結の話がまとまりました。来週は部下と二人、京都へ出張になりそうです。スケジュールが立て込んでいるので、日程調整が難しいな。遅くなったので、今日もランは中止。花金なのでつね三へ突っ込もうと思い、飲んで帰る旨を言おうと妻へTELしました。しかし電話が通じませんでした。舌打ちをし、真っ直ぐ帰宅。途中、スーパーに寄り、焼酎を2パック買いました。白波は私の分、黒霧島はK兄の分。K兄とは私の従兄です。住んでいる家の周囲に雑木があります。樫が殆どです。伸びて日当たりが悪くなっているのだそうです。切ってくれないか、薪にしたらよいだろう、といってくれました。二つ返事です。一石二鳥とはこのことです。ということで焼酎の好きな彼に手土産ということで黒霧を買った次第です。明日は朝からチェーンソーを回します。夕食時、妻と向かい合って食べましたが、舌打ちの話は間違ってもできません。でもこころに後ろめたさがあります。特別の日でもないし、馳走もありませんでしたが、妻の好きな泡をということで、シャンパンを抜栓。今日あったこと話の聞き役に回りました。相変わらず連発銃です。アルコールは彼女が2/3以上を飲みました。いいだけしゃべり、目を回してバタンキュー。私は年末に録画した映画「容疑者Xの献身」を見たあと、そのままにしてあった山頭火の「行乞記」を読みました。もちろん青空文庫です。エゴ、理性、禁欲、放蕩、諦念、煩悩。人間の本質を、自分のこころの揺れに喩える日記調の短い文章で描いていきます。引き込まれます。
2010年01月29日
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午前6時前起床。温かい朝でした。外気温14℃。雨が降っていました。出社して急ぎの出張が入りました。車で大分市向け。倉庫業を営む会社を訪ねました。訪問の用件は別として、通関士は何人いますかと訪ねたら、4人と答えてくれました。それから先は訊きもしないのに、そのうちの一人は東京のJ大学を出たバイリンガルの才媛、結婚し子どももいるけれどとても優秀、海外出張が多い、と立て板に水のごとくしゃべってくれました。よほど自慢の社員なのでしょう。会ってみたかったです。景気に話題が移りました。日本は全体として不景気だけれど、この会社はまあまあだそうです。何人か社員の方にも会いましたが、いい顔をしていました。不景気面の人はいませんでした。荷動きあっての業界だと思うのですが、本当にうらやましい限りです。この会社、経営基盤がしっかりしているのは、なんといっても一等地に広大な不動産のあることです。この担保があれば、銀行からの融資は青天井でしょう。仕事のこととは別に、趣味のことも話してくれました。魚釣りと旅行。高齢なのにブルトーザーを思わせるパワーがありました。よい意味でワンマン社長です。社長室で応対いただいたのですが、入るとすぐに美味しいお茶が出ました。ついでおしぼりも。11時半に予定があるということで、その時間前に引き上げましたが、そうでなかったら鰻重が出そうな雰囲気でした。午後はデスクワーク。夕方ラン8kmプラススイム0.5km。
2010年01月28日
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雨模様の天気でした。終日デスクワーク。夜の7時になって会議。会社を出たのが午後9時前。こうなると、もう走る気分になりません。まっすぐ帰りました。本音を言うと、つね三へ突っ込みたかったのですが、遅くなって飲み始めると、帰宅が遅くなりますから止めました。今日は「鯉川」を燗にして一杯やりました。
2010年01月27日
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今日は先日の熊本旅行写真をアップしました。まずは銘菓荒城の月と三笠野です。竹田の老舗但馬屋の逸品。これを熊本土産にしました。熊本城です。真っ黒の城です。写真撮影用にこんなモデルさんがいました。無口でした。夜は馬刺し専門店に入りました。先ずはウマのレバーを食べました。コリコリして絶品。馬肉のユッケは最高です。カラシレンコンもはずせません。2次会はカクテルバーでした。翌日はまず馬刺しの専門店へ。続いて大観望。涅槃象です。霧氷が美しかった。草千里は凍っていました。火口はグランドキャニオンのようでした。観光バスのお客は韓国の人たちでした。中岳から雲仙普賢岳が見えました。風速計です。九州山地のやまなみ。どうですか、この折り重なる幽玄。八ヶ岳を想わせる久住連山。最後までご覧頂き、ありがとうございました。 本日の練習、運動公園の坂道を上り下り10kmプラススイム0.5km。
2010年01月26日
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午前6時過ぎ起床。終日曇り。雨模様でしたが、夕方には青空が広がりました。終日デスクワーク。仕事が引けた後ラン10km。調子がよかったです。3日間休んだことで、筋肉の疲労がとれたのでしょうか。それとも走る前にチョコレートを食べたせいかな。今日走ったコースは番匠川左岸の堤防です。河口の突き当たりまで行きました。海上自衛隊の艦船が7隻、佐伯湾に浮かんでいました。遠目に見てもイージス艦とわかります。その昔、佐伯湾は軍港でした。吉村昭の小説『戦艦武蔵』にその名が出てきます。連合艦隊が単冠湾に集結したとき、空母赤城を中心とした機動部隊はここからの出撃でした。父から聞いた当時の話を少し。戦前戦中、連合艦隊が入港すると佐伯湾は真っ黒に埋まった、大和だったか武蔵だったのか大きな戦艦が入港しているから見に行こうということになり伝馬船を漕ぎ出したが、近づくとランチが向かってきて帰れ帰れと言われ追い返された、戦争末期は軍港故に爆撃され何十人もの人が死んだ・・・云々。関連してですが、私の叔母は、海軍防備隊の通信部へ勤務していました。長兄がサイパン島で玉砕したとき、佐伯の防備隊がその旨の無線を傍受しました。叔母は仕事柄、その記録を目にし得る状況にありました。彼女が茫然自失になったことは言うまでもありません。しかも兄の死を知りながら極秘情報ということで口外できず、家に戦死の通知が届くまで苦しんだそうです。老いた父母や弟(私の父)と粗末な夕餉を囲んだ時ほどつらいことはなかったとのことでした。閑話休題、自衛艦を見てあれこれ思ううちに暗くなりました。ランの復路は時分の影がアスファルトの路面に映りました。上弦の月は明るいです。今日は古い録音を聴きました。チャイコのピアコン一番。ホロヴィッツとトスカニーニ、NBC響でした。強烈なタッチに圧倒されました。今日の写真は、昨日の大観望です。無二の親友と一緒に写りました。背後は久住連山です。
2010年01月25日
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午前6時半朝食。ホテルを7時半に出ました。昨日とは打って変わり、快晴でした。日曜日の早朝は、さすがの熊本市内もガラガラでした。57号線をスイスイ走って阿蘇に向かいました。朝日の登る時間でした。大津にある馬刺し専門店「肉の橋本」に寄り、今夜のつまみをちょっとだけ買いました。勿論馬刺しです。何年か毎にこの店を覗くのですが、そのたびに店構えと内装が大きく豪華になっていました。商売がうまくいっているのでしょう。店内のショーケースに100g200円から3,000円近くまでの馬刺しが並んでいました。牛や豚足もありました。持ち帰り客用に保冷剤や発泡スチロールのケースも用意されていました。壁際にミカン籠があり「ご自由にどうぞ」と書かれていました。欲な妻がこれを鷲づかみにしました。GSでガソリンを入れ、道を教えてもらいました。大津からミルクロードへ入りました。外輪山を走る道です。途中は杉林の中をうねうねと登りますが、尾根筋に出ると冬枯れの草原が広がります。胸のすくような開放感がありました。外気温は0℃以下なのでしょう、路面には小豆大の融雪剤が撒かれていました。塩化マグネシウムなのでしょう。路面は乾いていましたが、道路脇は凍っていました。雪の吹きだまりがあちらこちらにありました。「大観望」に車を止め、眺めを楽しみました。外輪山一の眺望です。カルデラの中は一面の雲海でした。その中から伸び出たように阿蘇五岳が見えました。この眺めは涅槃像に見立てられます。お釈迦様が仰臥した姿に見えるのです。東の方を見やると、久住連山が一望できました。阿蘇外輪山と久住の裾野とが一体になって高原を形成しているのがよくわかります。とても雄大な風景です。浩然の気を養う景色とはこのことです。K曰く、「また明日から仕事を頑張ろうという気力が湧いてくるな。」連れてきてよかったです。坊中に下り、中岳河口を目指しました。高度を稼ぐと、霧氷の樹林が迫ってきました。午前の光が映えて美しい銀世界になっていました。草千里の沼が氷結し、観光客が上を歩いていました。火山博物館の前を素通りし、更に登りました。ロープウェーの駅に着いたら、河口までの有料道路は閉鎖されていました。火山ガスの影響で火口展望台は立ち入り禁止なのだそうでした。仕方がありません。とって返すことにしましたが、Kが小用を足している間に規制が解除されました。運がよかったです。噴火口は、底に緑っぽい液体を湛え、ガスがもうもうと立ち昇っていました。火口壁は赤茶けた色合いをした岩と堆積層が折り重なり、何とも形容しがたい異様な光景でした。他の惑星に来てしまったような感じでした。火口の直径は見た目で1km近くあるでしょうか、形は円形ではなくアメーバ状でした。大型バスが多かったです。観光客のほとんどは韓国の人のようでした。昨日の熊本城もそうでした。展望台へ登ると西野方角、雲海の上に雲仙普賢岳の頂部が見えました。思い返すと一昨年の10月、K夫婦を含む友人3家族で旅行したとき、あの山を越えたのでした。今改めてこちら側からその場所を眺めると、つくづく縁というものを感じます。火口の南側、砂千里を歩きました。ここは観光客の群れも近づきません。荒涼とした風景が広がります。所々に火山弾が落ちていました。紡錘形をしたものもありました。ここを横切って急に落ち込む斜面に出ると、眼下に南阿蘇の集落が広がりました。その背後には南側の外輪山、続いて九州山地の山々が折り重なって彼方へ連なります。蒼い色のシルエットが山野深さを醸します。祖母・傾連山も見えました。傾山の向こうは私の住む町佐伯です。天気のよいこんな日に阿蘇へ登ると、こうやって九州の東から西までが一望です。とてもよい気分です。山頂を後にし、上ってきた道を下りました。米塚が綺麗でした。57号線沿いのうどん屋へ寄り、別れの昼食を食べました。肉うどんが美味しかったです。午後1時半、Kを宮地駅へ送り、再会を約して別れました。今度会うときは共通の師、函館に住むK先生の元へ集まるか、それともKが出張でよく行くベトナムにするか、ベトナムだったら嫁さんたちがアオザイを来て喜ぶよ、否アオザイは体にフィットするからボディラインの崩れが気になる彼女たちは着ることができない、といった他愛のないことが別れの挨拶になりました。実現するとよいのですが。帰路、緒方と三重の中間あたりに新しくできたパン屋へ寄りました。パンドカンパニューを買いました。若いパテシエさんの店でした。パテシエときいて、妻はすかさずシュークリームを注文しました。その味を期待したのでしょう。帰り着いたのは午後4時前。予定より早い帰宅になりました。トラがまとわりつきました。疲れたので走りませんでした。都合3日間、トレーニングしなかったことになります。明日のランは体が重いだろうな。夕食は馬刺しを肴に美丈夫と合わせました。飲みながら、録画しておいた都道府県対抗男子駅伝を見ました。柏原と村澤、佐藤と竹沢の勝負は面白かった。大分は7位入賞。これもよかったです。船を漕ぎながらの観戦でした。今日の写真は阿蘇中岳の火口です。
2010年01月24日
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午前4時に起きました。終日曇り。新聞を読んだあと、映画を見ました。ジャン・レノ主演「コルシカンファイル」です。ストーリーがテンポよく展開します。コメディタッチで、最後は大団円。肩のこらないものはよいです。午前9時、妻と2人、家を出ました。車で熊本に向かいました。北風が吹いて寒かったです。途中、野津のローソンに寄り、ハーゲンダッツとシュークリームを買い、食べながらドライブしました。3時間の運転ということでリヒテルの平均律を車へ持ち込みましたが、CDプレーヤーの調子が悪く、聴くことができませんでした。まいりました。道中、仕方なしにずっと妻と会話しました。私が聞き役でした。コンビニ店長をしている甥のこと、聞いてきたスキャンダル、息子の就職、連発銃で打ち据えられました。竹田の但馬屋へ寄り、銘菓「荒城の月」と「三笠野」を買いました。これは妻が学生時代に世話になった家への土産です。あらかじめ佐伯の特産「ブリ熱めしのもと」(いわゆる「リュウキュウ」)も買っていました。喜んでくれるといいのですが。熊本へは国道57号線を走ります。竹田を抜けると、阿蘇外輪山の裾野が広がります。高冷地野菜の栽培が盛んです。春蒔きに備え、トラクターが土おこしをしていました。黒く、肥沃な土地です。所々に収穫しなかった白菜畑がありました。この冬は野菜の価格が安かったので、放置されたのかもしれません。滝室坂付近は凍っていました。路肩に雪が溜まっていました。坂を下るとそこは外輪山の内側。天気がよければ阿蘇五岳とこれを囲むように外輪の衝立が広がります。今日は雨模様で視界が悪かったです。立野に抜け、大津のパスタ屋に入りました。私はペスカトーレ、妻はカルボナーラ。個人が営む店のようで、味は個性的でした。店内はシンプルで、テーブル席が10ばかり。若い女性の二人連れや中学生とおぼしき少女を連れた母親に混じって、ジャージにスリッパ姿のおっさんが1人。椅子にあぐらをかいて果実酒を飲んでいました。パチンコ帰りの様でした。儲けたのかな。今日、熊本に来たのは友人Kの誘いでした。九州出張に合わせていっぱいやろうという魂胆でした。妻は、私がひとりで車を運転していくのが心配、熊本ならば会いたい家族がいる、Kとは共通の友人だし、一緒に行こうと言いました。ということで、妻の言を入れたのでした。Kと会う前に、彼女が学生時代を過ごした下宿に向かいました。近づくにつれ、辺りを見回す彼女の表情が平素と違ってきました。こみ上げてくるものがあるのでしょうか。その場所へ着き、車から降りると、懐かしそうに家の回りをうろうろ。大家さんが亡くなったことは、この正月明けにそこの娘さんから届いた喪中の葉書で承知していました。お参りだけでもということでやってきたのですが、家を引き払っていました。位牌は嫁いだ娘さんに引き取られたのでしょう。数年前、大屋のおばちゃんが、昨年おじちゃんが、そして跡取りの息子さんが相次いで死んで、娘さんは実家の家を処分するか人に貸すかの選択をしたようでした。届いた連絡には電話番号が書かれておらず、飛び込みで線香を手向ける予定でしたが、お供えの水引を渡すことができませんでした。妻の下宿していた部屋を道路から眺め、私の知らない若い時代の彼女を想像し、ちょっと切なく、それでいて嬉しいような、変な気分になりました。熊本駅へ回り、Kを拾いました。熊本城に案内しました。私もはじめてでした。大阪城ほどの規模はありませんが、とても広いです。石垣は鋭く切り立ち、その上にそびえる真っ黒な城には迫力があります。天気のせいか視界が悪く、天守閣からは熊本市街しか見えませんでした。城の修復とは別に、市民からの寄附で復元された本丸も見ました。大きなケヤキの柱と無節のヒノキ材を、これでもかというくらい使っていました。開いた口がふさがらないとはこのことでした。日の沈む前にホテルへチェックイン。下通りへ繰り出しました。馬肉専門店へ入りました。ビールで馬刺しを流し込みました。馳走を食べ散らかし、おなかが落ち着いたところで次の店へ。妻は世話になったYさん宅へタクシーで向かいました。その家は、彼女が学生時代に付き合いのあった家庭だそうです。子どもさんに障がいがあり、障がい児教育を専攻していた妻がその家庭に入り、勉強をさせてもらったのです。いま、その子どもさんは30代後半。今日会ったのですが、よく覚えていてくれたそうで、戻ってきたときは、嬉しそうでした。彼の両親も健在で、大歓迎してくれたようでした。前後しますがKと、セプティグラスというカクテルバーに入りました。どの店がよいのかわかりませんでした。目に付いた東横インに入り、厚かましいのですが、フロントのお姉さんへ、安くて美味しい、しかもムードのある店を教えてと請い、聞き出した店です。20代の青年がやっているバーでした。シンプルで落ち着いた感じでした。Kはワイン、私はウィスキーとマティーニ。飲んでいる間に若く美しい女性が入れ替わり立ち替わり3人、しかもそれぞれが一人で入店してきました。内の一人は来週結婚するという33歳でした。関係なかったのですが、おめでとうございますといいました。飲んでいたら妻が戻ってきたので、それを潮にそこを出ました。次は桂花ラーメン。これで打ち止め。ホテルのロビーでKに誘われ、地下にある居酒屋へ。銚子を1本飲みました。若い大将と景気の話をしました。不況で大変だということでした。部屋に戻ったのは午後10時過ぎ。朝からドライブだったので疲れました。今日の写真は熊本の市電です。チキンラーメン電車です。
2010年01月23日
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午前6時前起床。終日晴れ。毎朝バロックの森が心地よいです。このところの暖気で梅がほころび始めました。梅林庵にとり一番よい季節です。今日はのっぴきならぬ用事が出来、午後、早退しました。トレーニングもできませんでした。自衛隊で働く息子さんを持つUさんから話を聞きました。曰く、息子は20代前半、大学を中退してコンビニでアルバイトをしていた、自衛隊の試験を受け合格した、自分は学生時代全共闘に関係したので息子の決断には驚き悩んだ、でも入隊して以降はときどき妻へ贈り物をするようになった、帰宅する度にキチンとした大人になっていると感じる、今はインド洋に行っている、帰ったときは航海手当てで車を買うらしい、ときどき隊から艦内勤務の写真が送られてくる、家族を安心させようという配慮なのか。とまあこんな具合です。息子さんの志願は、安保反対の旗を振ったUさんとしては忸怩たる思いのあったことでしょう。しかし、それはそれとして、変わる息子の姿に安心する親の気持ちを吐露するの図は、よいものです。ほほえましかったです。マランツが故障です。電源が入らなくなりました。ヒューズがとんだのかと思いましたが、そうではありません。うんともすんともいわなくなりました。がっくり。もう一度、修理を頼まねばなりません。妻は妻で5万円もかけたのにどうなっているの?と言いつのります。参りました。
2010年01月22日
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午前5時起床。外気温12℃。温かい朝でした。ストーブを焚きませんでした。終日曇り。昼からは強い北風が吹きました。今朝はコーヒーを煎れ、パンを食べました。いつもご飯と味噌汁、それに干物の組み合わせですが、ときどきこうなります。オムレツが付きました。パンだとお腹がすきます。昼前は辛かったです。終日デスクワーク。会社が引けて運動公園へ。ラン7km。走っていて息は上がらないのですが、なんだか馬力が出ません。お腹がすいているためでしょうか。昨日も同じような状態でした。始める前にドーナツとかチョコレートとか、ちょっとしたものを口にした方がいいのでしょうか。このあたりのことは雑誌「ランナーズ」にキチンと書いているのでしょうが、読み飛ばしのため、1年間購入したのが意味をなしません。帰り道、茶屋ヶ鼻橋を渡ります。橋の上から番匠川の河口付近が一望できます。左岸の堤防越しに、佐伯湾が少しだけ見えます。強風波浪注意報が出ているにもかかわらず、漁り火がチラチラ。底曳網。大入島に住む底曳の漁師を沢山知っていますが、彼らのものでしょう。若い頃、何回か船に乗せてもらったことがありますが、危険な仕事です。風の吹く夜、この時間に沖を漕ぐ何人かの顔が浮かび、生業の厳しさを思います。
2010年01月21日
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午前6時半に起きました。今日も霧が深かったです。午前中、所用で蒲江に行きましたが、堅田街道も午前9時前後はまだ真っ白でした。途中に親方の椎茸駒打ち体験無料看板がありました。私が切り倒したクヌギの木を玉切って積み上げていました。お客さんがあるのでしょうか。儲かっているのでしょうか。海の見えるところを歩いていたら、製材業を営むTさんが声をかけてくれました。久しぶりでした。アマチュア無線を通じ知り合った方です。尺八が趣味です。一度聴かせてもらったことがあります。何本も所有していて、1本500万円するのもあるそうです。製材の課程で生じるセビンタ(端材)を有効利用しようということで、これを燃料にして近所の婦人を雇い、塩を炊いています。製品名は「宗治の塩」。宗治とは彼の名です。地元のスーパーや道の駅に置いてあります。最近はあまり製造しないそうです。在庫を抱えても仕方がないからといいました。あまり売れないのかな。今日、彼はマスクをしていました。新インフルに罹ったとのことでした。午後はデスクアーク。会社が引けて、ポツポツ落ちてくる暗い中を走りました。坂道を6km+スイム0.5km。なんだか身体がだるく、早めに切り上げました。帰宅したらマランツが届いていました。箱の中には別に、サラミソーセージ大の黒いものが幾つかビニールへくるまれて入っていました。不具合のため取り替えた部品なのでしょう。こんどオーディオの師匠へ見てもらいましょう。早速JBLへつなぎました。ベリーグッド。音がとても芳醇かつクリアになっていました。詰まっていたものを洗い流したような感じです。窓掃除をした後、そこにガラスがあるのか否かわからない気分になりますが、そんな感じです。何度も快なりをつぶやくと、妻がよかったね、それだけ気分がよくなれば5万円の価値は有るね、と笑顔で言ってくれました。天の邪鬼の私は、少し皮肉に聞こえましたが。晩ご飯は野菜炒めとおでんの残り。山形の酒「鯉川・純米」を合わせました。サッパリした味でした。
2010年01月20日
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午前6時過ぎに起きました。霧の朝でした。毎朝、朝食前、ちょこちょこっと筋トレをします。欠かさないようにしています。腹筋100回、腕立て伏せ30回、5kgの鉄アレイで上腕のトレーニング。それぞれ2セット。筋肉がパンパンになります。10分もかかりません。これをするのとしないのではお昼の空腹感が違います。終日デスクワーク。夜、ラン8km+スイム0.7km。運動公園の坂コースを中心に走りました。汗びっしょりになりました。西の空を見上げたら、月が浮かんでいました。金星との距離が広がっていました。プールの中でテニスの上手なK氏に会いました。小柄ですが、なかなかの体をしています。よい泳ぎをしていました。今夜はおでんでした。美丈夫純米吟醸を合わせました。配達予定のマランツが届きませんでした。明日になるのかな。嘉風は今日琴欧州に勝って星を五分に戻しました。残り五日の取組に勝ち越しの期待がかかります。私は大相撲が好きです。以前、大相撲ダイジェストという民放番組があったのですが、随分前になくなりました。その代わり、NHKが遅くに幕内全取組を放送してくれます。毎日ではありませんが、これを録画し、楽しんでいます。どの力士も好きですが、背の低いあんこ型で真っ向勝負をする豪風や垣添のファンです。
2010年01月19日
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午前5時半起床。外気温-3℃。毎日霜が降ります。今朝も真っ白でした。終日晴れ。日中はデスクワーク。ただ、トラブルやイレギュラーがあっても詳しくは書けません。この頃は会議が少し減ったかな。昼休み、マタギの話を聞きました。猪猟についてでした。犬が追いかけると,ものすごい勢いで走るのだそうです。弾丸列車のようだといいました。法面を切って林道が通っていても、道の凹みにはお構いなし、走り下る様は目にも留まらぬ勢いだそうです。これに狙いをつけて猟銃をぶっ放すのですから、猟師の腕も大したものです。見事獲物を仕留めたときは、最高の気分だそうです。曰く「野球はピッチャーの出来で9割方決まる。猪猟は犬の善し悪しで7割が左右される」のだそうです。猟犬にも出来不出来があるのでしょう。見かけによらず、ドゥルーピーのような顔をしている犬が活躍するという話でした。今日は月曜日なので練習を休みました。旅行会社にソウル行きの仲間のスペルと生年月日を伝えました。魚屋のかわべでモンダイ(マトウダイ)の刺身を買いました。当然、一杯やりました。でも1合半程度でした。夕食後、外気温2℃の屋外へ出たら満天の星でした。オリオン座が南の空に。カシオペヤは中天に。真上にはスバル。人工衛星を見つけようとしばらく寒さを我慢しましたが、根負けしました。修理に出していたマランツが治ったとの連絡がありました。5万円だそうです。明日の夜、代引きで届くとのことでした。あーっ、バイクのためのへそくりが飛んでいきます。4月下旬にある番匠健康マラソンに申し込みをしました。私の町では年末と春に2回ハーフの大会がありますが、その一つです。楽しみです。遅くに妻がおでんを作り始めました。鍋を二つ満杯にしていました。一つは父の家の分だそうです。最近、私の両親が素食だということを心配し、ときどき4人分のおかずを作り届けてくれます。ありがたいです。部屋中おでんの匂いがぷんぷんしました。御法度とわかっていますが、コップ酒と合わせたかった。
2010年01月18日
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午前5時起床。外気温-3℃。霜がきつかったです。終日晴れ。新聞を読みながら一人朝ご飯を食べました。妻はまだ水平飛行でした。今日は日曜日、早めに家を出て運動公園へ。ラン8km+スイム0.7km。いつものコースで農業用排水路の工事が始まりました。少しだけ遠回りして人家のある方へ迂回しました。農家の家並みが続きます。筵を広げ、薄くスライスした大根を干していました。ニンジンやキャベツを菜園で作っていました。ブロッコリーも育っていました。南天が赤くなって、キンカンも色づき始めています。明るい農村です。途中、空を見上げたら真っ青の中を飛行機が3機、右に左に飛んでいました。高いのでしょう、爆音は聞こえず、飛行機雲も引いていませんでした。スローモーションを見ているようでした。トライアスロン選手のUさんが泳いでいました。新年の挨拶をしました。彼は50代後半。長い距離をゆっくりこなしていました。立ち話をしましたが、プールは半年ぶりだそうです。ギターを始めた、津久見のライヴに出ている、ジャンルはフォーク、今度聴かせてあげる、というような話でした。トライアスロン用の自転車をいつ買うのかと言われました。アクアスロンでよい記録が出たら買おうと思うというと、買う時期はそれで良しとしてもときどきサイクルショップを冷やかすのがいいよとアドバイスしてくれました。私に自転車の知識のないことを知っているのです。今度店を覗いてみよう。午後は都道府県対抗女子駅伝を見ました。見応えがありました。優勝・入賞争いが面白かったです。それはそれとして,大分は21位。わが町日本文理大附属高校の選手が活躍し,順位を上げました。夜は吉田類の酒場放浪記を見ました。吉田さんが居酒屋を訪ね、そこの料理と酒を飲むという番組です。大衆酒場が取り上げられます。どの店も訪ねてみたくなります。見ながら四万十の銘酒無手無冠の純米酒を飲みました。生酒です。美丈夫と飲み比べましたが,全く違いました。どちらがどうのというわけではありませんが、無手無冠は濃い酒です。今日の写真は野焼きです。地元の消防団が火の警備にあたっていました。
2010年01月17日
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午前5時起床。午前中は本を読んだり音楽を聴いたりして過ごしました。直木賞作家の佐々木譲『警官の紋章』角川春樹事務所1,600円と逢坂剛『あでやかな落日』講談社文庫1,038円です。逢坂氏の小説はどれも面白いのですが、読んでみてこれが出色と思いました。紅茶をいれ、チョコレートを食べながら音楽を聴きました。ランラン。チャイコのピアコン一番、バレンボイムとシカゴ響でした。カッチリしあげたというような演奏でした。続いてチャイコのヴァイオリンコンチェルト、オイストラフ、コンヴィチニー、ドレスデン国立歌劇場管。このオケの響き、何ともいえぬもわもわ感があります。シュターツカペレと呼ぶよりこの呼び名の方がよいです。カラヤンが振ったレコードがありますが、その盤は喩えようのないあたたかさです。もう一曲ウィスペルウェイのバロックチェロでバッハの無伴奏チェロ。こちらはしっとりとした演奏でした。午後、林家花丸氏の落語を聞きに行きました。市役所に勤めている知り合いから無料なので是非にと言われていたのでした。市が男女共同参画の予算で招いたらしいのですが、会場が閑散だったらいけないのが誘いの理由でした。でも会場は満席。補助椅子も出て盛況でした。師匠は女と男の関係を面白く話してくれました。時うどんの話がよかったです。古典ですが,話術の巧さなのでしょうか、何度聞いても楽しめます。運動公園へ回り、ラン10km+スイム1km。体育館でヒートデビルズの公式戦をやっていました。新潟を迎えての試合です。見たかったな。晩ご飯はしゃぶしゃぶでした。シャルドネと合わせました。嘉風は今日勝って2勝5敗。明日の対戦相手琴光喜が休場することになったので、中日の星勘定は3勝5敗。頑張れ。垣添は3連敗でした。
2010年01月16日
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午前6時起床。外気温1℃。曇天の朝は夜の明けるのが遅いです。終日曇り。時折小雨が降りました。寒い一日でした。終日デスクワーク。忙中閑ありの一日でした。帰り際、かつての部下で今は資産管理を担当しているFに声をかけました。サヨナラの挨拶代わりです。「今夜はどこに行けばいいの?」と。居酒屋に行こうという意志はないけれど、ちょっかいを出してやろうという意味があります。にやついた笑顔を返されました。今夜は急に接待が入りました。今の私のポストは接待と無縁です。ボードの一人に不都合ができ、頭数をそろえるため突然鉢が廻ってきたのです。そんな席のお酒は美味しかろうはずがありません。話を合わせ、聞き役に徹しました。注ぎ上手のお客様でしたから、酔っぱらわぬようこらえるのが大変でした。勘定は一人7千円でした。元々弊社は取引先との酒席を戒めています。当然、経費も認められません。相手方から馳走になろうものなら大変です。大げさですが、背任ということになります。接待は1次会で切り上げ、つね三を冷やかしました。獺祭を舐めた後、代行運転で帰りました。直木賞に佐々木譲氏が選ばれました。遅いくらいです。『ワシントン封印工作』『ストックホルムの密使』『択捉発緊急伝』などは出色です。最近は警察小説が多いです。受賞もそのジャンルです。北海道出身で小説の舞台にも札幌や周辺の町が登場します。昔住んだことがあるので、個人的には懐かしさもあってよいです。帰宅してストーブの灰掃除。スイートナー、ドレスデン・シュターツカペレでモーヤンのハフナー、リンツ、プラーハを聴きました。EMIのレコードです。比較的速いテンポの演奏でした。アンサンブルが絶妙です。部屋の照明を消し、灯油ランプを点けました。よい雰囲気でした。缶ビールのプルトップを引きました。今日の写真はランプとビールです。
2010年01月15日
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午前6時起床。外気温-3℃。霜降。出勤の途中、川の溜まり水に氷が張っていました。冷えたのでしょう。終日晴れでしたが、寒かったです。会社が引けて運動公園へ。ラン7km+スイム1km。半分近くは芝生の上を走りました。日が長くなりました。走り始めは街灯がなくても何とか走ることのできる明るさが残っていました。しかし寒い。20分走っても顔に汗をかきません。帰宅したときの外気温が1℃でしたから、走っていたときは2~3℃だったのでしょう。食事の後、スイートナーのレコードを探しましたが、見つけることができませんでした。ナンバーを打ってリストを作ったのですが、それを紛失。ハードデスクにも見あたりません。がっくり。整理に労力を費やしたので、がっくりです。管理が悪いです。結局ザラフィアンツのピアノでバッハの平均律を聴きました。昨日、学生時代の友人からTELがありました。来週末、九州へ出張してくるのだそうです。一昨年の秋に長崎を旅行した二組夫婦のうちの一人です。福岡で落ち合い、ひなびた温泉にしけ込んで一杯やろうかという話になりました。楽しみです。
2010年01月14日
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午前6時前に目が覚めました。外気温-3℃。終日曇り。雪が舞いました。久しぶりです。終日デスクワーク。午前中に取引先とミーティング。午後は副社長、社長とそれぞれ協議でした。会社が引けてプールへ廻りました。軽トラを玄関に乗り付けて、今日は着替えを持っていないことに気がつきました。舌打ちをし、家に帰りました。妻と一緒に風呂へ入り、早めの食事をしました。ちょうど赤のスパークリングが届いたので、先日こさえたチキンのトマトソース煮込みを合わせました。今夜の曲はホロヴィッツのクライスレリアーナとゲルギエフ、マリンスキー管でスワンレイク全曲。ホロヴィッツは数日前、モスクワのライヴを聴いていましたから、このライヴはちょっと拍子抜けの感じでした。スワンレイクもイマイチ。ロジェストヴェンスキーがボリショイ管をバリバリやる方がよいです。続いて野平一郎でモーヤンのk284。今朝の新聞にオットマール・スイートナー氏の訃報が載っていました。ドレスデン・シュターツカペレを指揮したものは、好きでした。古色蒼然とは少し違いますが、くぐもった東欧オケの響きは暖かみを感じさせてくれます。明日は彼のレコードを引っ張り出して追悼コンサートをしようかな。
2010年01月13日
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午前5時過ぎ起床。晴れのち曇り、夜一時小雪。穏やかな昨日までとはうってかわり、時間が過ぎるほどに寒さのつのる一日でした。朝一、コンビニへ寄り、地元紙を買いました。昨日のレース結果が掲載されているからです。完走者全員の名前が載ります。見つけると、気分がよいのです。終日デスクワーク。アンプを修理に出した店からTELがありました。4~5万円かかるそうでした。なんたらコンデンサーを交換しないといけない、ということでした。訳がわかりません。オーディオの師匠へTELし、そのままを伝えると、詳しく解説してくれました。師匠は、修理価格が良心的であること、マランツ1250の価値を考えると修理するにしくはないといってくれました。折り返し店へTELし、是非修理を、と言いました。全て師匠任せです。助かります。夜、昨日レースを走ったS氏と飲み会をしました。いつもの暖簾つね三です。ヒラメの薄引きとアン肝に大分・杵築の銘酒知恵美人を合わせました。閂(サヨリ)の天麩羅を食べたかったのですが、今日はありませんでした。大将が猪のもつ煮込みを出してくれました。美味しかったです。先日の包丁青紙スーパーも最高と言ってくれました。S氏が、モイカ先生から託かったCDと写真を持ってきてくれました。昨日写してくれたものです。心遣いが嬉しいです。今日の写真はその中の一枚です。黒いサポーターをした男が私です。この席に、ひょんなことから妙齢の女性が同席しました。綺麗な方で、会うのは初めてです。S氏と一緒に世間話をしましたが、会話は上の空で、すぐに酔ってしまいました。もう一軒、GGへ行き、日本酒を1杯だけ飲みました。開運の秘蔵酒でした。味を喩えるならば、跳ねっ返りの女性とでも言いましょうか。深みは感じませんでした。
2010年01月12日
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午前五時半に起きました。晴れのち曇り。温かい一日でした。早めに朝ご飯を食べて、妻と一緒に大分向け。今日は大分合同ロードレースのある日でした。大分合同という冠は、大分県の地方紙名です。ハーフマラソンは8ヶ月ぶり。タイムは1時間35分台。自己ベストを9秒短縮しました。レース前、故障で1ヶ月近く走ることができませんでしたが、夏場に走り込んだ貯金が残っていたのでしょう。ゴールしてもふくらはぎの痛みはありませんでした。肉離れの時に励ましてくれたS氏は足の甲を故障中で、不本意な結果に終わりました。途中棄権も考えたそうですが、最後まで我慢したそうです。痛めているところが悪化しなければいいのですが。私の走っている最中、妻はデパートで気に入りの服を物色。洋服を1着買ったそうです。訊いてもいないのにバーゲンだったからと言いました。その後本屋を冷やかし、教材を見繕った後、デパ地下でランチもしたようでいた。それでもゴールの時間にはテープの付近で写真を撮ってくれました。走り終えたらニコンを抱えたモイ香先生がいました。わざわざ撮影に来てくれたのでしょうか。ペットボトルをくれました。アクエリアス、この時ばかりは生ビールに優ります。甘露甘露、感謝感謝です。ところで、今日のこの大会は伝統があるのだそうです。これまでは日本陸連登録選手しか出場できませんでした。高校生10km、一般ハーフで争われてきました。大会要項をもらいましたが、西村義弘や宗茂が優勝者として名を連ねています。今日も旭化成や日本文理大学の選手がエントリーをしていました。高校生は地元の大分東明、日本文理大学附属、鶴崎工業、佐賀の大牟田、広島の如水館、他にも多くの学校名をユニホームの背中に見ました。今年は50回目の記念大会ということで、私のような市民ランナーも2時間以内の持ちタイムがあれば参加することができます。コースには2カ所折り返し地点があり、前を行く選手、後続の選手それぞれとすれ違います。トップ集団とすれ違ってもスピード感を感じることはできませんでした。しかし、5分遅れでスタートした高校生に抜かれたときは、驚きました。ピューッと前に飛んでいく感じでした。トップは東明高校のユニホームでした。おそらく、昨年末、都大路の1区で2位になった油布選手でしょう。続いて選手たちが私たちロートルランナーをどんどんかわしていきました。皆、スリムです。地面を蹴った足がお尻のあたりまで上がっています。見ていて気持ちがよいです。帰宅は午後3時半。風呂に入り、グリモーとドイツ・カンマーフィルでバッハのBWV1052を聴きました。一杯やってバタンキューでした。
2010年01月11日
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午前4時起床。外気温5℃。今日は温かい朝でした。終日曇り。朝のうちに録画しておいた映画を2本見ました。『めがね』と『ボルベール帰郷』。めがねはほのぼの系でした。人が黄昏れるというのがキーワードでした。ロケ地は南西諸島なのでしょう、海が美しかったです。ボルベールのほうはペネロペ・クルスが主演でした。美しい女性です。ストーリーはいかにもスペイン系、ドライでザックリの映画でした。本を読んでノンビリしていたら、モイ香先生がやってきました。モイカの一夜干しをくれました。おつりにダバダ火振りの栗焼酎をあげました。奥さんと奥さんのお母さんを伴い、別府の温泉へ向かう途中でした。一泊するかもしれないと言っていました。彼は親孝行です。私は両親と妻の母親を一度も旅行へ誘ったことがありません。罰当たりです。妻と二人、モイ香先生は優しい人だ、見習わなければいけぬと話しました。買い物へ出ました。ホールトマトの缶詰、セロリ、人参、タマネギ、豚のブロック、チキンのぶつ切りを買いました。帰ってトマトソースの煮込みを作りました。イタリアンは久しぶりです。沢山作りました。トマトの缶詰を9つ使いました。寸胴鍋が一杯になりました。これをストーブにかけ、煮込みました。明日、冷たくなったらフリーザーバッグへ小分けにして詰め、息子へ送ります。買い物ついでに白ワインとフランスパン、それにショートケーキも4つ。今日は甘いもの必須です。パンは焼きたてだったのです。禁酒の誓いを破り、トマトベースのポーク煮込みと合わせ、少しだけ前祝いをしました。ちょっただけよ、という言葉がはやったことがありましたが、ほんとにちょっとだけ。買い物の途中、Mさんに会いました。私が少年野球をしていたときの選手の父親です。奥さんも一緒でした。Mさんの父親は昔電気店へ勤めていて、テレビの修理でよく私の家へ来てくれていました。それが元になって、私の両親が仲人をしたそうです。昔、Mさんはアルピニストでした。ヒマラヤ遠征もしたそうです。Mさんの父親が「息子は山にばかりうつつを抜かし、嫁がこない、なんとからりませんか」と私の父へ話したのが始まりだそうです。Mさんの息子さんは頑張り屋でこの春に高専を卒業し、大手航空会社へ整備士として就職するのだそうです。羽田勤務と話していました。ソースを作りながら音楽を聴きました。台所からタンノイの部屋までちょっと離れているのですが、開け放してヴォリュームを上げると、よい響きになって聞こえてきます。ミカン倉庫のような家に仕切りを設けているので、複雑に反射しあって音が深くなるのです。ということで今夜の料理はバッハとメンデルスゾーンの音が染みていました。トマトソースですから交響曲はもちろん『イタリア』でした。午後はラグビーを見ました。大学選手権。東海大は悔やんでも悔やみきれないだろうな。他意はありませんが、私は青のユニホームの方が好きです。相撲観戦を我慢し、日暮れまで本を読み散らかしました。それからスーパー銭湯へ行きました。ジャグジーで筋肉をほぐしました。サウナへは入りませんでした。ここで友人Aに会いました。彼は信用金庫の行員です。プール仲間です。飲みに行く約束をしたまま、果たせない日が続いています。今日は息子さんと一緒でした。いいな。今日の写真は寸胴鍋のトマトソースです。セロリとニンジンは必須です。よい色でしょう。
2010年01月10日
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午前5時起床。外気温-2度。終日晴れ。所用で郵便局のATMへ。昼食は妻と待ち合わせ、中華料理屋Kで食べました。野菜炒め定食、カニチャーハン、五目蕎麦を分け合って食べました。後日、彼女が生徒を連れてランチの学習をここでするのだそうです。その下見を兼ねてでした。店内、レジ、メニューの写真を撮らせてもらいました。そこで別れ、私は図書館、妻は美容院へ。本を借り換えました。年末年始は殆どページを繰りませんでしたが、逢坂剛『あでやかな落日』講談社文庫1,038円が面白かったです。それから本屋へ回り、『地球の歩き方ソウル編』を買いました。馴染みのパン屋へ寄り、ドーナツとリンゴパンを買いました。煮付けたリンゴが入って美味しいのです。次は床屋。若旦那に切ってもらいました。午前中に訪ねる予定でしたが、彼は消防団。今日は出初め式だったので午後になったのでした。そういえば昼前、町へ出るとき、その式に出た小型ポンプ車と何台もすれ違いました。市街地とは反対方向、山を越えた海岸集落へ帰る一団でした。彼らは、この後、別府温泉へ出撃、一年の労をねぎらうのだそうです。派手な宴会になるのでしょう。若に顔をあたってもらっているとき、寝入ってしまいました。散髪屋の椅子は心地よいです。世間話は正月の駅伝についてでした。箱根の5区がどうのこうのという話でした。マスター(若の父親)と美術館についての話もしました。彼は二科展へ出品するほどの画家です。市民ギャラリーがあったらいいのになということでした。ちなみにこのバーバーはマスターの書いた作品を幾つも飾っています。床屋を出てU写真館へ行きました。パスポート用を撮りました。旅券を数年前に切らせていたのです。カメラの前に座ると、いい体をしていますねといわれました。まんざらではありませんでした。褒め上手の店主でしたが、気分は悪くありません。家に帰り、妻が出がけに干した娘息子の布団を取り入れました。その後、スイカ畑の後始末をしました。マルチの上に被せていた網をひとまとめにしました。草が巻き付いたままになっていたので、扱いが難儀でした。埃っぽかったです。早めに風呂へ入り、取りだめていた録画を見ました。蒼穹の昴、龍馬伝。両方とも面白かったです。今日の写真は庭先に出たフキノトウです。
2010年01月09日
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午前5時起床。外気温-3℃。霜降。終日晴れ。終日デスクワーク。夕方会議。次年度の組織体制についての話でした。会議の最中、会社の北側にあるマンションを見やったら、ベランダに糸で吊ったCDがキラキラ光っていました。鳥の来るのを防ぐためなのでしょうか。おそらくそのテラスには実の付く植物かなにかの植わったプランターか鉢があるのでしょう。以前に漁師から聞いた話ですが、イタチの鶏小屋侵入を防ぐため、アワビの殻を吊るのがよいそうです。真珠の光沢を持った内側の表面がキラキラ光るのが効果的なのだそうです。光るCDを見て、そのことを思い出しました。昼休みにちょっと外出。真空管アンプをオーディオ師匠の会社へ届けました。音に物足りなさを感じていたら、師匠がコンデンサーを替えてみるから持ってきてごらん、と言ってくれたのでした。そのあたりのことは全くの門外漢ですからわかりませんが、どんな音に変わるのか楽しみです。暗くなってラン5km+スイム0.5km。軽めの練習でした。トレーニングは今日で終わりです。明日明後日は甘いものを食べてゆっくり休みます。ベーヤンのピアコン4番5番を聴きました。ケンプとフェルディナント・ライトナーのコンビ、ベルリンフィルです。オーソドックスな演奏でした。今日の写真は数日前に撮ったものですが、自然薯です。美味しかったです。
2010年01月08日
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午前6時半起床。寝坊しました。外気温3℃。下弦の月が中空に浮かんでいました。これが三日月だと空気の冴えが一層引き立つのですが。終日晴れ。息子を空港行きのバス停へ送りました。途中、ヤマト運輸へ寄り、衣類や小間物を詰めた段ボールを送りました。娘と別れたときは寂しさがこみ上げましたが、今日はなんだかさばさばした気分です。終日デスクワーク。午後、社長の記者会見に同席しました。すんなり終わりました。定時に退社、運動公園へ回り、暗い中、ラン9km+スイム0.6km。芝の上で少年サッカーチームがナイターの練習をしていました。見守る親御さんたちは寒そうでした。年明け早々なのに大変です。水泳の調子がイマイチです。年末年始、プール休館のため、しばらく休んだせいなのでしょう。そのプール、お客さんがとても少ないです。コースを貸し切りでした。妻の同僚がウズベキスタンを旅行したそうです。夏と冬に世界各国を回る独身貴族の女性です。旅の度に、その土地の香りのする土産をいただきます。前回はイスラエルのコーヒーと死海の塩ソープでした。今回はナッツ2種類と緑茶をいただきました。ナツメかなにかの実で、種を抜いて代わりにクルミを入れ干したものと、殻の付いたアーモンドです。バザールで売られていたものだそうです。食べてみると、何となく中央アジアの味がするようでした。悪くない。タシケント、サマルカンド、ブハラ、いい響きの名前です。ティーはほうじ茶の味がしました。今日の写真はいただいた茶です。ラベルは意図があるのでしょう、金閣寺の写真でした。
2010年01月07日
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午前6時起床。外気温3℃。朝食はポトフとトースト、それにヨーグルトでした。終日デスクワーク。帰りに旅行社へ寄りました。同僚がこの3月に退職します。送別会を企画するよと伝えたら、韓国に行ってみたいと言い出しました。そのためでした。ツアーの企画を依頼しました。来月の末に友人5人でソウルへ行くかもしれません。明日は息子が帰京します。練習を休み、早めに帰宅しました。今夜が最後の晩ご飯でした。メニューはカニでした。息子へ食べさせなさいと、母からズワイガニをもらったのでした。これを茹でました。私と息子はカニ食い競争でしたが、妻はショボンとなっていました。食べ物の味がしないと言いました。ブラームスのヴァイオリンコンチェルトを聴きました。年が明けて、初めての音楽でした。ムターの演奏でした。カラヤン節がよいです。カップリングの二重協奏曲も出色でした。タンノイも面目躍如です。
2010年01月06日
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午前4時過ぎ起床。外気温6℃。昨夜は大風が吹きました。屋外の荒れた気配に何度も目が覚めました。台風並みでした。夕方ラン9km+スイム0.6km。身体が軽く、レースが楽しみです。夜はおでん。NHKがゴッドファーザーを3夜連続で放送します。今日がパート2。もちろん録画しました。これをDVDにコピーすれば何回も楽しむことができます。ストーリー、音楽、役者、規模、全てを考慮すると、この三部作が一番の映画だと私は思います。ちなみに小説で言うと、吉川英治の三国志を挙げたいところですが、あえて一冊をということであれば漱石の「こころ」です。
2010年01月05日
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午前4時過ぎ起床。外気温-3℃。快晴でした。 午後6時過ぎ、早めの朝食を食べました。空港行きの高速バスへ娘を乗せるためでした。朝ご飯は妻の心づくしでした。美味しくて喉を通らないとはこのことです。皆無口でした。トラも心なしか様子が変でした。いつもより40分早く家を出ました。バスターミナルに彼女を送ったら、泣きそうになりました。高みを一羽、トビがゆったり弧を描いていました。 出勤し自分のデスクに座ると、あっという間に寂しさが消えました。一日慌ただしい時間が過ぎました。終日デスクワーク。仕事のあることはありがたいことです。非日常と日常が一瞬にして変わるこの時間も、嫌いではありません。 今日はランを休みました。予定どおりです。会社の引ける時間に妻からTELがありました。モヤシ、ニラ、エノキを買って帰るようにとのことでした。キムチ風味のカキ鍋をするのだそうです。妻も寂しいのでしょう、息子のリクエストに応えての仕儀でした。朝、家を出るときは、今日はサンマよと言っていたのに。 一風呂浴びる前に毎度の腹筋+鉄アレイコース2セット。今日から禁酒をする予定でしたが、残りの白ワインをちょっとだけ味見してしまいました。部下から年末に沖縄へ旅行した土産にオリオンビールをもらいましたが、これは我慢しました。 同僚のランナーS氏が故障のようです。足の甲、親指と人差し指に至るそれぞれの筋の間が痛いのだそうです。今週末のレース、彼の誘いがあったから申し込んだのに。ひどくなければよいのですが。会社が引けて、外科を受診すると言っていました。彼の今の気持ち、私も半月前までは走ることができなかっただけによくわかります。 今日も音楽は聴きませんでした。録画しておいた正月ドラマ「居眠り磐音」を見ました。人間味あふれるストーリーでよかったです。続いて映画「野獣死すべし」。クラシック音楽が使われています。1970年代の東京が舞台です。銀座のレコード店が出てきます。懐かしいです。私は学生時代、函館の映画館でこれを見ました。今見直すと、私が歳をとったせいか全体的に稚出な映画のように感じますが、当時、主人公のこの役に入れ込みました。
2010年01月04日
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午前4時起床。外気温3℃。曇りのち晴れ。 今日で休暇も終わりです。娘は明日出発、息子は木曜日の出立。寂しいです。 朝一、その娘が3月に東京であるコンサートのチケットをロッピで購入するというので、ローソンまで車を飛ばしました。結果はノンゲット。職場の同僚へ土産を買うからというので、スーパーへ廻りました。 午前中ラン9km。今日も林道。山奥に向かってですから人気がなく、考えようによっては怖いです。今日は曇りがちの天気にくわえ、冷たい北風。軽く2kmジョグして汗を出しました。それからアップダウンの道を目一杯走りました。強い風の中だったので、よい練習になりました。アップの途中、お地蔵さんへ供えたお餅をカラスがくわえていきました。泥棒です。 缶ビールを一缶飲んで昼食。午睡をしました。 夕食はお好み焼きでした。山芋を擂りました。すり鉢の中のトロロが変わっていく様は快感です。少しずつ出汁を加えていくと、なめらかになります。これに粉を混ぜ、先日のキャベツ、それにアオリイカの足などを入れて焼きました。赤、白のワインを合わせました。酒は今日で仕舞いです。11日のレースまでノンアルコール。 息子が文藝春秋「日本の論点」という本を買ってきました。とばし読みをしましたが、構えた内容だけにあまり惹かれません。でも姜尚中の「働くことの意味」についての文章はよかった。 この三が日、音楽は1曲も聴きませんでした。よし聴こうと入れ込んでいたのですが、家族で過ごす時間を優先しました。 明日から仕事です。
2010年01月03日
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午前4時起床。外気温-3℃。冷えました。しらみ始めて気がついたのですが、霜が降っていました。終日晴れ。日中は16℃まで上がりました。風の殆どない一日でした。 箱根駅伝往路の中継を見ました。悲喜こもごものドラマです。アナウンサーが選手のバックボーンを伝えるコメントに、じーんと来ます。時折、伴走車からの声が聞こえてきます。選手への叱咤激励です。この言葉もよい。なだめ、すかし、励まし、叱り、褒め。監督も大変です。東洋大の柏原選手はたいしたものです。恐れ入りました。7位で襷を受けごぼう抜き。最後は2位の選手に3分以上の差をつけました。走り終えて殆どの選手が倒れ込むのに、彼はニコニコしながらジョギングをしていました。ダニエルはイマイチだったかな。早稲田の5区八木選手は、柏原選手に抜かれる際、男気を出してしまい失速。残念でした。駒沢の宇賀地選手と深津選手にはグッときました。メンバーのブレーキを何とか立て直そうと必死の走りでした。 午後2時を過ぎてラン11km。昨日と同じ林道を走りました。青空にトビが高く舞っていました。小さなダム湖にオシドリがいました。年配夫婦がこの林道を散歩していました。隣の地区に越してきたTさんでした。退職後、田舎暮らしを求めてのことなのでしょう。 夕食はブリシャブでした。結構な量でしたが、家族4人ともなるとあっという間でした。このブリは年末に頂いたものの半身でした。今日は亀泉純米吟醸に合わせました。 夜は昼に録画した大学ラグビーを見ました。
2010年01月02日
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謹賀新年本年もよろしくお願いします。 午前4時起床。昨夜は遅くまで起きていましたが、早くに目が覚めました。外気温0℃。終日晴れ。 今日の新聞は厚かったです。読み応えがありました。これが元日の楽しみです。 実業団駅伝を少し見た後、午前中にラン9km。自宅近くの林道を走りました。この道は起伏があり、よい練習になります。今日も北風が強かったです。走っている最中、一人の人とも出会いませんでした。永馬橋の下にある帯工を流れ落ちる水の音がザーザーと大きい音を立てていました。そこから上流には人家がありません。若水の飛沫は気分を引き締めてくれます。のぼっていくと、道脇の大杉に斧の後がありました。誰かがいたずらをしたのでしょう。もうこの木はだめです。腐れが入り、やがて倒れます。ひどいことをする人がいます。困りものです。途中、樫が被さり、木のトンネルになっているところがあります。急な坂です。そこを過ぎると防災ダムの堰堤。ここが折り返しました。家に戻りストレッチをしながら梅林を見やると、モズが一匹。寒そうです。玄関の日だまりにおいてあるプランターのプリムラが咲き始めました。まだ硬いですが、梅のつぼみが枝先にびっしり付いています。フキノトウは如何と思い立ちいつも出るあたりに目をこらすと、ありましたありました。二つ。これもまだ硬そうです。 シャワーを浴びて軽い昼食。午後1時から地区の人達が近くの神社に集まり、年始の顔合わせがありました。初詣を兼ねてです。ノンアルコール、簡単なものでした。近所のKちゃん、Sちゃん(ちゃんが付きますが、私より10歳ほど年上)に会いました。Kちゃんは、今年62歳になった、自動車整備工場をやめた、今年から無職だ、と言いました。Sちゃんは篤農家です。イチゴの栽培をしています。持病の足を引きずっていました。普段、二人と話す機会は滅多にありません。よかったです。 夕方、妻に誘われ、市内にあるG明神へ初詣。それから彼女の実家へ回りました。おせち料理ではなく、上等の焼き肉を馳走になりました。美味しかったです。ビールが出ましたが、ワインを飲みたかったです。 さて今年の目標です。 当たり前のことですが仕事を頑張ります。新商品の企画は乾いたタオルを絞るようなものですし、既存商品の整理集約は営業の疑心暗鬼と反感を買います。でもその立場ですから、怯みません。 プライベートではランとスイム。夏に別府湾であるアクアスロンの大会に出ます。よい成績だったら、褒美にトライアスロン用の自転車を買おうと思います。 最後は目指す生活のスタイル。季刊誌「考える人」が創刊時にかかげたテーマは、ワーズワースの詩の一節でした。plain living and high thinking。「シンプルな暮らし、自分の頭で考える力」と訳すそうです。これを旨としたいです。
2010年01月01日
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