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平成30年1月31日(月) 午前5時起床。布団から出る時、室温はおおむね20度前後。パジャマ1枚では寒い。その寒さ、1月は今日で終わりですが、予報によるとこのあとも2週間続きそう。厭だな。 明日から二月です。先日、選抜高校野球の出場校が決まり、プロ野球のキャンプが始まります。球春です。甲子園には、隣まち延岡から延岡学園、その隣日向市から富島、近場から2校も出場します。楽しみです。大分県は残念ながら、です。翻ってプロ野球、贔屓のカープは今年もやってくれるんでしょうか。赤ヘルのニュースにも注目です。時間に余裕があったらキャンプ地・日南まで遠出してみたいな。緒方監督のサイン、欲しいな。写真はそのサインに託けて。カープ、ルーツ、古葉の黄金時代を継いで猶好成績を残した名監督、阿南準郎氏のサインです。一昨年だったか、某案件で広島を訪ねた折、同席をしてお願いしました。 スポーツの話をもう一つ。私は一にプロ野球、二が大相撲です。週末の夕刻、ビール片手に取組画面に向かってブツブツ言うのが至福の時間。ということで大相撲のことを。暴力沙汰にまつわるあれこれは横に置いておきます。初場所が終わりました。郷土出身力士嘉風は4勝11敗。厳しい場所になりました。初日から三連敗はすぐ前に落ちたり、押し込んでも最後の詰めに欠けて押し戻されるような相撲でした。関取には失礼ですが、心なしか歳を感じました。元気に欠け、身体の張りもなんとなく・・・。その矢先、横綱・大関を相手に3連勝、星を五分に戻した時は、よし、調子が出てきたぞ、そう思いました。しかし、それからがいけません。不戦勝を挟んで8連敗。残念です。彼が勝つと即座、花火の音がまち中に響き渡ります。これを聞いて喜ばない市民はいません。打ち上げ場所は番匠川の河川敷、池船スポーツ公園です。1日数発、50ラーほどを要すようです。谷町の一人、Kさんの好意です。一度始めたら、引退まで止められないとぼやいているのかもしれません。さて、先週火曜日、たまたまその時刻にそこを通りました。ラジオが阿武咲の怪我で嘉風不戦勝、を伝えました。すかさずドカンドカン、大きな音がしました。見上げたら玉がはじけた煙が見えました。来場所の番付が気になるところです。前頭の7~8枚目くらいかな。 このところ、パソコンの調子がおもわしくありません。デスクトップです。購入して5年くらい経ちます。そろそろ買い替え時かな。使うのはネットサーフィンと僅かの文書・表計算に、だけです。安価なものでいいんですが、いざ機種選定となると迷います。研究が足りないな。その方面に関心が無いだけに、機能比較は面倒くさい。正月に帰省した娘にそのことを話したら、何のことはない、一番安い価格のもので十分、とのことでした。でもなかなか踏ん切りがつかない。 さて、繰り返しになりますが、明日から二月。4日は立春です。寒の内はあと3日。立春とともに歳時記も代わります。しかし拙句ばかり。それを無用の勝手詠みです。拙宅の梅林と一緒、剪定の手を入れません。飼い犬、飼い猫は飼い主に似るといいますが、植えた梅の木の枝ぶりも、読み手の句に似るようです。 余談です。その歳時記、「竈猫(かまどねこ)」という冬の季語があります。角川ソフィア文庫「俳句歳時記冬」によると「猫は寒がりで、冬は暖かい場所を探してうずくまる。火を落としたあとの生温かい竈の中へ入って、ぬくぬくと灰にまみれて寝ている光景が見られたりした。現在では竈が少なくなったのであまり見られないが、ユーモラスな語感があることから季語として愛されている。富安風生の造語である」のだそうです。「何もかもしってをるなり竈猫」富安風生 猫は何も語りませんが、家の中、家人のあれこれ、一挙手一投足、各人の心中までお見通し。それを薄目、生活の基本となる竈にぬくぬくと灰塗れの光景を読んだ句。奥が深いです。 竈猫を季語とは知らず。次のような事件と、それに纏わる話を聞いたことがあります。私がまだ小学校低学年のころのことです。隣の集落、某家の風呂が五右衛門でした。某日、家族が早風呂をすることになり、昼前に火を焚きつけました。すわっ!竈猫が飛び出しました。駆け込んだ先が牛の餌に使う藁小屋でした。背毛に火を背負っていました。その藁に擦りつけました。家人は風呂焚きに専念、それを知る由もありません。火事になったそうです。その後、私の住む木立集落は、風呂の焚口も含め、竈に蓋をするようになったということでした。竈猫が季語と知って、興醒めといえば興醒めの笑い話です。拙宅には薪ストーブがあります。熾火の消えて大丈夫、炉の扉を開けたまま、にしないよう気をつけないといけません。写真は拙宅のニャロメ、トラです。おい、竈猫はいいけれど、火事をやるなよ。 話が長くなりました。帰宅して灰の掃除。着替えて走りました。空を見上げました。北の方から箒で掃いたような雲が流れていました。月食を見るのは無理かな。そう独りごちて折り返しました。サッパリして夜のお勤め、ウイちゃんを嘗めました。 その時刻、外の出てみました。案の定群雲隠れでした。隙間からちょっとだけ半欠けが見えました。今日の一句竈猫耳だけこちら窺えり今日のラン3km今日の酒ウイスキーお湯割りダブル 焼酎1合5勺今日の写真は夕食2題。一枚目はエビフリャー。地元産のクマエビです。芯詰まり。もう1枚はヤズの鎌です。先週、いただいたものです。塩が滲みていい感じでした。Yさん、有り難うね。
2018年01月31日
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平成30年1月30日(火) 午前5時起床。このところ、寝汗をかいて夜半に目が覚めます。どうしてなんだろう。 二度寝の後に目の覚めて、夜の明けるのが遅いです。その分、未明の時間が深くなるようで、それはそれでよいのですが。写真は、昨夜手をつけた池波正太郎です。「若き獅子」が面白かったです。中身とは別にカバー装画は村上豊氏です。長いこと文藝春秋に宮城谷昌光氏が「三国志」を連載しました。その挿画が氏でした。いっぺんにファンになりました。毎月が楽しみでした。個展があったらとんでいきたい。どこであってもです。 終日デスクワーク。稟議書は少なく、伝票の決裁ばかりでした。午前、ブラインド越しに外を眺めました。小雪が舞っていました。寒そうだな。外出から戻った部下にそう言うと「それほどまではありません。昨日の方が寒かったです」若い人は元気がよいです。 ならばと帰宅して走りました。このところ、ノンイヤホンでしたが、今日はラジコを聴きながら。走り終えて、やっぱり「ながら」のランは自分には向かない、と思いました。走っていると、あれこれ考えの巡るタイプなんです。音楽やおしゃべりがあると、集中できない。但し「散歩の途中にクラシック音楽」は悪くありません。 風呂を浴びた後はカレーでした。その前にイノホル煮込み。たまりません、この当て。美味いんです。似て非ではありますが、何だか、都会に住んで、毎日会社帰りに立ち飲みへ寄って煮込みを当てに一杯、の気分です。写真は菠薐草のサラダです。やっと大きくなり始めた矢先、鵯の奴らに目を付けられたとは妻の弁。外が騒がしいので出てみたら、群れが取り付いていたそうです。慌ててネットを被せたとのこと。油断も隙もありゃしないとはこのことです。来年は抜本的対策を講じないといけないな。 NHKFMを聴き始めましたが興ののらず。とってあった映画「31年目の夫婦喧嘩」を見ようか。プレイボタンを押しました。すぐに瞼が重くなりました。日を改めることにしました。今日の一句湯豆腐や袂の濡れをかまい無く今日のラン3km今日の酒ウィスキーダブルのお湯割り 焼酎2合弱今日の写真は聴いたBachです。ヘレン・カルスのヴィオラ版無伴奏チェロ。Amazonプライムならではの楽しみです。
2018年01月30日
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平成30年1月29日(月) 午前4時半起床。冬至を過ぎて1か月以上が経ちました。日の出時刻も早まりつつあります。日暮れの遅くなったのを実感します。しかし、猶夜明けの遅いのがもどかしいです。さてもの朝は可笑しくもあり、それでいて微妙な楽しみのある日経文化欄、林真理子氏の小説に一番に目のいくのはまだ私が男だからでしょうか。今朝の未明もそうでした。ウッシッシ。写真は今日は大根の葉でこさえた浅漬けです。土曜日の夕刻に撮ったものですが、今朝も香の物として楽しみました。 終日デスクワーク。私の朝礼挨拶は面白くないようです。今朝は奇を衒い、今週末が節分、恵方巻きを食べよう、次の日の立春に託けて年度末まで残り僅か、気を引き締めよう、そうそう、今月末31日は月食、私は月に向かって吼えます・・・。馬鹿話ばかりでした。部下は呆れ顔でした。おめでたいんだろうな、私。 真っ直ぐ帰宅。トラはネコカリを食べ、ストーブの前に丸くなっていました。着替えて彼ために薪を運び込みました。ランに出発。十三夜の月が美しかったです。前後しますが、次の写真は帰りの道中に撮した1枚。仲良し橋からの夕陽です。水面は中江川。佐伯の市街地は三角州の上にあります。もう何十年も前に河川改修を終え、今は僅かに昔の名残が残るだけ。 走り終えてシャワー。今日の当てはこれでした。妻曰く、残り物を炒めただけ。でもバター、オイスターソース、醤油、その他諸々の調味料入り。ベーコンや豚肉が複雑な味。厚揚げもいい感じでした。勿論、別皿にイノホルは外せません。 食べ終えてNHKFMでベストオブクラシック。インバル指揮・都響でエルガーのチェロコンチェルトとシューベルトのシンフォニー8番。2年前の9月録音でした。全く関係ありませんが、東京芸術劇場であったその演奏が日、私は佐伯・波越の山に入っていました。山を始めて以来この方、それまでで一番の大木を倒した日でした。その日の写真と重複しますが、それを再掲します。今日のシューベルトが交響曲8番はその名も「ザ・グレート」。私の倒したのも、ではあります。奇しくもです。 さてと、本を眠り薬、横になるか。おっとその前に昨日の件、台南師範のことを調べました。義伯父の進学した台湾にある師範学校です。そのことを以下に。台南師範は、今も台湾・台南市にあります。開校は台湾総督府国語学校の分校として、後に台南師範学校となりました。戦後、台湾省の師範学校として存続、2004年に国立大学となりました。義伯父の通った当時の建物が多く現存するようです。義父の年齢をして、本田乙之進(ほんだおとのしん)氏が学長の時に在学したようです。本田氏は山口県の豊浦出身。へーっ、そうだったんだ。どうでもいい話ですが、若い時分に豊浦を訪ねたことがあります。漁協がリゾートを経営していて、それを視察に、でした。オーストラリアの女性たちがあられも無い格好でダンスショーをしていました。本業を離れての経営に先行きが見えました。その通りになりました。戻ります。ウィキによると本田氏は馬術や球技をたしなんだとあります。想像ですが、外地にあってリベラルな教育をしたのでしょう。私の知る義伯父も開放的、理屈の少ない教育者でした。余談ですが本田氏は水交社(旧海軍士官のサロン)の管理する建物に住んだとのこと。私のまちにもかつてそれがありました。義伯父は其所を訪ねたことがあったんだろうか。話は変わります。チンコロ姉ちゃんをご存知でしょうか。そのことも書いておきます。もう50年前でしょうか、一世を風靡した漫画です。その作者、富永一朗は大分・佐伯に縁があります。彼の父が佐伯出身なんです。本人は佐伯鶴城高校の前身、佐伯中学を卒業後、台南師範に進学。その後、紆余曲折の末、チンコロ姉ちゃんを書きました。戻ります。台南師範には際立つ特色がありました。無試験、学費も無料でした。総督府所管の外地ということもあり、内地の有為を招く狙いがあったんでしょうか。義伯父の家庭は貧乏したと聞いています。彼にとって願ってもないこと、渡りに舟、大海に木片だったのでしょう。義伯父と私はよく話しました。しかし台湾の話は一言も聞いたことがありません。返す返すも残念ではあります。今日の一句霊峰の尺間を臨む寒霞ヤズ喰うて河岸の我なり鰤起こし吐く息の鳶口外れ雪催着膨れの老父の焚き火鍋の煮ゆ今日のラン5km今日の酒むぎ焼酎2合今日の写真は昨日所用で海岸を通った折に写した2枚です。一枚目は鶴見・大島。高手と小間が浮島になっていました。寒風です。連絡船の大島は欠航だったのかな。もう1枚は大入島・荒網代集落の前に停泊の潜水艦です。佐伯市には海上自衛隊の分遣基地があります。旧海軍の基地でした。先に書いた水交社のあった訳がこれです。今は時折自衛艦が入港します。地元の飲食街には上陸を当てにし、基地昇格を目指す機運があります。以前、寒村であった土地が経済浮揚のため海軍の誘致運動をしたことは書きましたが、空気はそれと同じ構図です。
2018年01月29日
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平成30年1月28日(日) 午前4時半起床。外に明るさが増して白いものが。霙でした。写真には写っていませんが、めったにない模様に振り返り振り返りのトラです。 早朝、大分へ合唱の研修に行くという妻を見送りました。道中の降雪を心配していましたが、大したことはないでしょう。 さてと、雨模様だし、今日は何をしてすごそうか。マランツに灯を入れましたが、身体が疼いていけません。身が入らないとはこのことです。野良着に着替え、チェーンソーを軽トラの荷台に積みました。いつもの切り出しへ向かいました。小雨の降る中、頑張りました。吐く息が白かったです。一人、無心の鳶口、曇天だと猶更です。写真は倒した枝から落ちた団栗です。珍しい形をしていました。 次の写真は今日の収穫が一部です。切り倒したばかりです。切り口が生々しいとはこのことです。 此処に放り込みました。割らなかったので、乾燥まで長いことかかるだろうな。再来年の冬以降だな、燃料になるのは。 前後します。地下足袋を履く前、昨日こさえたイノホルを父に届けました。木立の年配は猪の腸が大好物。隣の焼酎好き、Yさんにもすそわけ。喜ばれました。写真はパンを焼く小屋で雑炊を炊く父です。なんともはや、の格好をしています。背中の向こうにパン窯の竈が見えます。 もう1枚、小屋の外に干した白菜です。漬物にするにしても、こんなに沢山をどうするんでしょうか。 戻ります。薪の始末を終えて、さてと、昼にするか。とその時でした。母に「姉が病んでいる、会いに行きたいから連れて行ってほしい」と言われました。襤褸を脱ぎました。伯母の家は車で15分の距離にあります。苺とバナナを買って訪ねました。ベッドの上でした。聞いていた話とは違い、いい表情をしていました。要介護2ですがしっかり。私のことも覚えていてくれました。姉妹、積もる話をしたようです。私は別室で従兄とこれまた積もる話。会社を定年退職し、時々兄弟姉妹の手を借りながら母と同居、一人で介護をしているとのこと。あれこれの悩みを聞きました。詳細を書くこと能わずですが、同世代として、抱える難儀には似たものがあるな、健康年齢を考え、残りの年月をどう生きるか、というような話をしました。滅多と顔を合わせないです。託けて会うことができ、よかったです。写真は伯母の家の仏間に飾ってあった画です。左が伯母、右は鬼籍に入った義伯父です。始めて知りましたが、彼は台南師範を卒業し、教師になったとのこと。学費の一番安い師範学校だったからとは従兄の弁。戦前、船に乗って南の植民地にある学校へ向かう気持ちは如何ばかりだったか。彼が生きているとしたら100歳くらいになるんでしょうか。霧社事件は既に過去のものとなったのでしょうが、青年の目に外地はどう映ったのか。訊いてみたかったです。それはそれとして、画の両方とも父の筆に依っています。息子の私がいうのも何ですが、よく似ている。それに伯母は美人です。 伯母の家で一時間ほど過ごしました。真っ直ぐ帰宅。再び襤褸に着替えました。昨日のやり残し、薪小屋へ割れ木を運び込んでいたら、やっ、鵯(ヒヨドリ)がキャベツに群がっていました。 青梗菜(チンゲンサイ)もこの通り。 畜生め。あっという間でした。追うと逃げましたが、目を離すとすぐにやって来そうです。とりあえず霜除けにとスナップエンドウに被せてあった防虫ネットを剥いでキャベツを覆いました。豌豆の方には支柱が必要です。時刻が下がっていましたが、それをこさえました。 疲れました。地下足袋を脱いだのは午後5時。ストーブの灰掃除をして風呂へ。頭を拭き拭き映画「地下室のメロディ」を見ました。ジャン・ギャバン、アラン・ドロンの役所はそれとして、南仏ホテルの女性たちが綺麗でした。ワインを抜栓。佳境に入ったところに妻が帰ってきました。ワイングラスをもう一つ。相伴してくれました。今日の一句吐く息を鳶口相手にもう一つ今日のランなし今日の酒ワイン360ml今日の写真は白梅です。父の築山にあります。緑色をしています。この色合い、好きなんです。
2018年01月28日
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平成30年1月27日(土) 午前6時半起床。晴れ。 後れを取りました。昨晩お客さんを見送った後、日付変更線を越えてなお音楽を聴きました。朝寝坊。起き出して二日間のブログをまとめました。新聞にありつきました。NIKKEIの一面が車の自動運転を取り上げていました。政府が事故の責任と所在が明確になるよう法整備を検討、だそうです。記録装置の設置を義務づけるとも。当然でしょう。しかし、その自動運転、田舎道であっても上手に走るんだろうか。田舎の隅々までデータを集めるんだろうか。山に入って林道奧の切り出しまでというのは無理だろうな。 土曜日の日経には「プラス1」という別刷りが入ります。その一面二面に「何でもランキング」という大きな特集があます。毎週楽しみです。今日は「外国人がゆく『ディープジャパン』」でした。「訪日経験があり滞在日数が長い米国人とオーストラリア人に聞いたところ、日本人には意外な”ディープジャパン”が見えてきた」とありました。所謂名所旧跡は少ないです。一位から羅列すると、高野山奥の院、鋸山、祖谷かずら橋、三渓園、貴船、高千穂峡、伏見稲荷大社、永観堂禅林寺、弥山、地獄谷野猿公苑、書写山、しまなみ海道、黒部峡谷、備中松山城、北斎館。意外といえば以外です。ですが、何故其所なのか、説明を読むと頷けるところもあります。記事の隅に「日本の観光地、此処が残念」という意見もありました。これも列記します。日本人は英語を話さず、コミュニケーションをとりにくい飲食店に英語メニューがほしい喫煙を認めている飲食店がまだある地方にクレジットカードが使える場所が少ない洋式トイレをもっと増やして観光施設の営業終了が早い寺院が観光地化・商業化されすぎている人気の観光地は予約制など人数を制限してほしい無料のWi-Fiがつかえる場所を増やしてなるほど。これに対し、ジャパニーズは、それぞれの意見に思うところあり、賛否も分かれると思います。いずれにしても「時代」ということなんでしょう。 閑話休題、昨日、Yさんに貰ったヤズを捌くことにしました。おっ、腹を出してくれている!流石酔散学部の後輩です。嬉しいな。包丁を入れてみました。いい身でした。刃に粘り着くような脂。飽和度の高い高級脂肪酸が感触です。どうですか、この透明感。上等の霜降り和牛を想起させてくれます。 刺身にして父の家に一皿届けました。拙宅は夜にいただきました。有り難うねYさん。トロのような食感でした。甘かった。 前後します。魚の始末を終えてブランチ。さてと、薪取りに行こうか。「あなた、今日くらい、ゆっくりしたら。動き過ぎよ」 言を容れました。ソファーに腰掛け、音楽タイム。ミッシャ・マイスキーのBachやエルガーを聴きました。昼下がりの日射しにウトウト。目の覚めて、またぞろ野良仕事の誘惑。疼きました。よし、薪を移動させよう。去年の冬に割った櫟(くぬぎ)でした。梅林下に野積みしてあったものを薪小屋に積む作業に取りかかりました。一輪車積めるだけ積んでは移しました。いい具合に乾いていました。 写真にもありますが、雨除けにとビニールを被せていました。薪毎の空間はハウス効果もあり防風空間。虫たち憩いの場でもあります。しかし、暖気に加え冬場の乾燥も相まって、冬眠中に其の儘干からびてしまった輩もいるようです。その証拠写真、百足と玉虫です。カリカリになっていました。 作業中、ゴーッという音に気がついて、何度も空を見上げました。ジェット機が青空の中を西に。その度、あー、どこかへ旅したいな。あの機内にはどんな人が乗っているのかな・・・。気のついて、止めた手を動かし始める繰り返しでした。写真はコンデジの望遠写真、その一機です。 飛行機を見上げて勃然、そうだそうだ、忘れていました。週の途中、友人Kからラインを貰っていました。今月初めに来佐し、久闊を叙しました。海老の商売でインドへ行くとのことでしたが、行ってきたようで、写真を添えてくれていました。アラビア海に面したコチというまちの風景でした。以下がそれです。彼のコメントを添えて。「バスコダガマの墓のある教会です」「チャイニーズネットです」「泊まったホテルです」「ゴミ箱があるにもかかわらずゴミを散らす不思議?this is Indeia」「ホテル近くを散歩した際、近くの朽ち果てた家屋」「普通のバスですが扉がありません」扉のないバスか。何が流石かわかりませんが、流石インドです。 戻ります。午後5時前まで頑張りました。風呂を浴びプシュッ。週末、野良仕事の褒美、これがたまりません。至福の時です。当ては前掲の刺身とイノホル。下茹でしたものに妻が味をつけてくれました。これ、最高です。焼酎のお湯割りで流しました。今日の一句大寒に鰤の脂の粘りつく玉虫も百足も枯れる割れ木かな猪の腑(はらわた)やよし寒の夜今日のランなし今日の酒エビスレギュラー1缶 焼酎2合今日の写真は白木蓮の蕾です。父が家の築山にあります。咲いて美しいですが、盛りは一時。忽ち汚れ落ちます。もう1枚は南天です。寒風に映える赤です。野鳥の餌になっているんでしょうか、それとも落下したのかな。この色も二月の声とともに終わります。
2018年01月27日
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平成30年1月25日(木) 午前4時半過ぎ起床。終日晴れ。寒い一日でした。このところ連日です。薪ストーブのバルブ全開。馬力を上げました。 終日デスクワーク。 会社が引けて、1,000円カットに突っ込みました。店内はガラガラでした。天井の張り替えをしました。髪が伸びると鬱陶しいです。散髪、ヘアスタイルは刈り上げにするのが好きです。私の顔かたちは少しの下膨れです。刈り込みが度を越すと、全体として茄に蔕(ヘタ)の格好となります。自分で「茄の蔕カット」と名付けています。写真のないのが残念です。15分ほどでサッパリしました。1.6ラー。安上がりの杣夫です。 今夜はJさんと一献の約束をしていました。先般、亡くなったA・Sを偲ぼうということで、いつもの河岸で待ち合わせ。床屋を出て、寒さに閑散の飲み屋街「うまいもん通り」をつね三に向かいました。途中、H商店に寄りました。ウコンの力とソルマックを購入。前者をグイッとやりました。ん?H商店、カウンターにこんなものが。 何ですか、これ?レジの女性に訊くとガキンチョを対象の籤だそうでした。1回54円。何が当たるんですか?景品は次の写真のとおり。おっさん世代には全く不得手の品でした。でもこの風情、いい感じです。 寒風に暖簾がパタパタしていました。 御免(ごめーん)、くぐりました。Nさんが一人、カウンターに座って渋く焼酎をやっていました。入れ替わりに店を出て行きました。待ち合わせの時刻まで少し間がありました。しかし、もううがいとか練習のような馬鹿な真似はしない。先日、誓いを立てました。でも此の寒さです。nkucchanのブログに暖気運転のことが書いてありました。よし、暖気運転なら大丈夫だ。大将、燗をやって頂戴。熱々が出てきました。手前は「若宮おしぼり」のおしぼりです。今は紙の代用が多くなりました。おしぼりはこうでなくっちゃ~いけません。 JさんもYさんもまだでした。えい、ままよ。腹に何か入れておこう。カウンターのショーケースを覗きました。クマエビや天然トラフグに加え、いい感じのヒラメが並んでいました。 よし、寿司をやって頂戴。でてきました。先週の土曜日もこれを食べました。今日のはまた違った、それでいていい色合いです。おっ、手前の列右端にアコヤガイの貝柱!逸品です。真珠は今が玉出しの季節です。この時期だけのレアもの。市場にはほとんど流通しません。以前、大将に、これで搔き上げをこさえて天丼にし「真珠貝の勾玉丼」と命名、売り出したら人気になるよ、そう勧めたことがありました。面倒だと却下されました。いいと思うんだけれどな。 ガラリ、Jさんが入ってきました。続いてYさんも。彼らはトリビーでした。乾杯の後、A・Sのことをポツリポツリ。つい先日、しかも自裁だっただけに、偲ぶというよりも悔むような気持ちが昂じました。Jさんは毎日顔を合わせていただけに猶更でしょう。気持ちを察するに余りあり。数年前に遇って近況を聴いただけの私も、Jさんの語る彼の近況に身につまされる思いがしました。詳しいことは書くこと能ずですが、この歳になっての諸々の不如意、あれこれをして、辛く寂しい思いをしたんだろうな。不憫です。 でも仕方がないんです。私の恩師、札幌に住むA先生の口癖は、教え子の運命に翻弄されることを聞き、相談を受けて最後に悲しい顔で「仕方がない」と口を曲げて言うんです。そう、そのとおり、色々あっても仕方がないんです。今日は偲ぶことよりも供養だ、そう独りごちて、杯を重ねました。 一通りの話が終わって、そういえばJさんやYさんと飲むのは久しぶり。近況を訊ねました。Jさんは次のようなことを話しました。「相変わらずですよ、今、自宅を新築中でしてね、大変なんですよ、いろいろあって。それはそうと、今日は休みだったんですよ。山に入りましてね、罠を見て回りました。30位掛けてあるんですよ。全部括り罠ですよ。2頭仕留めました。内臓も処理しましたよ。ここに持ってきてありますから、後で肋肉を少し大将に焼いてもらいましょう。ああ、勿論Tさん(私のこと)の分もありますよ。これがそうです。持って帰ってください。えっ、掛かった猪の仕留め方ですか。槍や鉄砲は使いませんよ。樫の棒で頭を叩くんですよ。気絶させブスリです。意識のあって刃物や弾を使うと血が回ってしまいますからね。海ですか。潜っていますよ。ああ、ホヤですか。ありますよ、佐伯の海にも。あんなものをよく食べますよね。いつだったか随分前に北国出身の所長がいた時、私が生簀に潜り、たまたまそれをちぎり、持って上がった折のことですがね、所長、それをスパッと刃物で割り、ポン酢を垂らしてそのままパクパク。ウマイウマイと言ったんです。驚きましたよ。美味いから喰えって言われて口にしましたが、とんでもない、そんなもの、とても食べるきになりませんわ。よくもまあ、というかんじでしたよ。ええ、家内も子供たちも元気にしていますよ。今度、番匠川の天然鮎を焼いて一杯やりましょう。建築中の家の横に遊び小屋を造るんですよ。猪解体のスペースを兼ねてですがね。飲み小屋にしようと考えています。ウヒヒヒヒ~・・・」写真は彼に戴いた猪肉と内臓です。不純物をきれいに除いてくれていました。有難く頂きます。 戻ります。二人に挟まれて座りました。もう片方にはYさんでした。Jさんの話が猪から鹿猟のことに代わり、そののちも客の入ってこないのを幸い、大将がカウンターのこちらに出てきました。Jさんと紅葉肉の談義を始めました。今度はYさんの話を聞く番です。「Tさん、御無沙汰しています。あのぅ、これ、札幌の土産です。ええ、そうなんですよ、遅い正月休みをとって平岸の実家に帰ってきました。雪はそれほどでもなかったですよ。道中、寒波による影響も受けませんでした。福岡から千歳までの直通便でしたから。羽田を経由したら巻き込まれていたかもしれません。函館ですか。年に数回、通っていますよ。1回につき2泊程度ですよ。2週間も3週間も、ではありません。教官に経過報告をし、アドバイスを貰うだけです。はい、会社の経費ではなく、自腹です。ドクター論文の完成までは3年間は掛かりそうですね。仕事の合間にする研究ですから一朝一夕にはとてもとても。ええそうなんですよ、今年の北海道はイカも鮭も不漁のようです。ああ、与太郎ですか。その店、学部の隣にまだありますよ。金成という店名は聞いたことがありません。野武士も知りませんね。そりゃーそーですよ。私と先輩は30歳近く離れていますもんね。ええ、まだ独身です。札幌に帰った時も両親に見合いを勧められましたが億劫で。夜は自炊です。はい、猟もやってますよ。猟友会の皆さんとグループになって山を歩いています。楽しいですよ。あっ、ライフルなんてまだまだです。散弾銃ですよ。それにしてもですね、こんな話をしていたら、時折考えるんですよ。札幌生まれの私が巡り巡って大分・佐伯に住み、余暇に猟銃を抱えて藪山を歩くなんて。大学の頃には想像だにできない今の自分です。ああ、今日の料理、うまいっすね。先輩、今夜のつね三、試食会って聞いていましたが、タダ酒は格別っすね。っざーす!大将どんどん出してください」 最後に上手い冗談が出ました。可愛い後輩です。写真は彼にもらった白い恋人。好青年、早く恋人ができるといいな。 大将、魔がさしたのか、サービスが続きました。次の写真はイノシシの肋です。Yさん曰く、カラメンだ。カラメンとは妊娠したことのない雌です。猪肉では一等。 Jさんが注文の鮃です。おっ、トラフグだ。しかも天然。サービスだサービスだ。 Yはタコカラ、鳥天等も注文。健啖家です。〆は約束の海鮮チャーハン。これが絶品なんです。 杯盤狼籍、今日は妻の仕事が休みでした。迎えを頼みました。午後9時半、帰りの車中で、今日、義姉の父が亡くなったことを知らされました。具合の芳しくないことは聞いていましが、訃報に接し「そうか」酔いが覚めました。今日の一句寂舟にまた一人乗る此岸かな今日のランなし今日の酒燗酒3合 焼酎1合今日の写真は卵焼き器です。つね三自慢の一品です。出し巻き用にと、京の割烹で働く息子さんが送って寄こしたとのこと。いくらすると思うか、自慢げに聞いてきました。20ラーくらい?ノン。50ラーとのこと。持たせてもらいました。重い。銅製でした。その通り有次。オマケ。Jさんの左手に目が留まりました。おお、素晴らしい。平成30年1月26日(金) 午前5時起床。快晴なるも寒し。居座り続ける寒波、いつまで続くんだろう。 終日デスクワーク。会社を1時間早退しました。帰宅して喪服に着替えました。昨日、兄嫁の父親が亡くなりました。今夜が通夜でした。昭和7年生まれ。享年85。豪放磊落の人でした。長らく自動車メーカーのディーラー店長でした。退職してからは自適の生活だったと聞いています。兄嫁には兄Kがいて、彼と私は高校の同級生です。斎場で彼に悔やみを言いました。祭壇はシンプルでした。それを感じたのか、彼曰く「うちは無宗教だよ、お経はないよ、葬儀もしない、荼毘に付してそれで終わりだよ」言わば家族葬です。彼らしい、スマートと言えばスマートです。それをして思うところがありました。拙宅もそうなんです。もう何十年も前、父がお寺と喧嘩し、檀家をやめました。その折は、家に不幸があった折、どうしたらいいかなんて思いもしなかったのでしょう。いま、老父母を抱え、もしもの時は、というのが兄と私の悩みです。概ね、無宗教のこんな形になるのではないかというイメージはあります。通夜に一緒した父母。その背中を見て、父の胸中を思いました。齢89になります。木立に80人いた同級生は本人を含め3人になってしまいました。「先に逝くのも」ですが、数多の人を見送るのもこれまた複雑ではあります。ないまぜになったその気持ちは口ではなかなか語ることが出来ません。背中を見て、それがどんなものであるか、一目瞭然ではありました。それはさておき、故人の晩年は入退院を繰り返したとのこと。それでも今年の正月に息子のKと二人で一升空けたようでした。万事得心、哀しみのうちにも見送ることの出来、安堵したような表情であれこれを語るkでした。うん、何がいい往生か判りませんがいい往生ではあります。 帰宅して、よし、取りかかるぞ。昨日、マタギのJさんに貰った猪の内臓に取り付きました。 グロテスクに見えますが、よく見ると下処理が見事です。もう小切って茹でるだけの状態。此処までするには大層手間がかかります。大層どころか、雑な私です。此処まで綺麗にすることは出来ません。殆ど匂いませんでした。 肺、心臓、レバーなどをて全て一口サイズにスライス。 大腸だけは其の儘茹でました。Jさんのアドバイスです。それを流水の中で扱(しご)きました。彼の言うとおり、食べた茅の繊維とヌメリがありました。 それを一口サイズに小切っていたらTELあり。昨夜一緒に飲んだYさんからでした。今から宅を訪ねていいか、ヤズ(ブリの小さいサイズ)を持っていく、とのことでした。勿論二つ返事。さあ大変だ。作業を中断。妻は通夜の後、コーラスに廻っていました。彼は独身、腹を空かせているな。簡単な食事を用意しました。やって来ました。さあ上がれ上がれ。招き入れました。遠慮のないのは大学の先輩後輩、酔散学部の伝統です。貰ったヤズは明日に回し、冷蔵庫へ。「飲むか?」「ハイいただきます」仕事帰りでしたが、チョンガーの彼です。帰っても冷たい蒲団が待っているだけと勝手に決め込みました。残っていた少しのバラ寿司を食べた後、ビール、続いてふなぐちを。濃厚な酒を口にして「先輩、うまいっすね。飲みやすい」カパカパやり始めました。若い折、私、酒呑童子といわれたことがありますが、彼もその系譜に連なっているようです。当てはソーセージをボイルしたり乾き物だったり。手炙りで鯣を炙りました。亮さんにいただき、取ったあった柳葉魚の燻製がことのほかでした。彼の問わず語りを聞きました。家業、父母のなれそめ、兄弟のこと、それぞれ興味深かったです。全部をブログに書くと差し障りがあります。それを除いた話を以下に。 父方のルーツは富山、平安末期に離散した平氏の末裔が落ちていったという伝説の残る土地、道央、内陸のまちに入植したけれど困窮を極め離農(まるで三浦綾子・泥流地帯其の儘の生活だったんだろうな)、祖父と父は借財で札幌・平岸に土地を求め風呂屋を開いた、小さい頃、湯に入りに来るお客さんたちに可愛がられたのはいい思い出だ、ヤクザのおいちゃんに優しくしてもらった、背中を流してくれた、高校は札南、クロスカントリースキーの青春だった、大学は柔道部、マスターを出て今の会社に就職、研究者の道を歩きたい・・・。 午後10時半、妻が帰ってきました。若い男前を前にして、あれこれ話が弾みました。おっ、いけない、もう日付変更線が迫っている。彼は明日も仕事です。朝、目の覚めて酒が残っていたら飲酒運転になります。いけません。そろそろ返さないと。また飲みに来いよ。そう言って代行運転を呼びました。柳葉魚の燻製が美味しかったのか、帰り際、一匹残っていたものをつまんで口に咥えながら靴を履きました。ヤズを有り難う。いい夜でした。写真はトラを撫でる彼です。 あっ、いけない、猪のワタを仕込み中でした。小切った大腸をレバー等と併せて再び茹でました。写真は茹で上がり。味付けは明日に回します。今日の一句妻の息閨の暗さか雪女郎今日のランなし今日の酒菊水ふなぐち2合 立山2合今日の写真は梅の蕾です。拙宅梅林庵の周囲に植わって、全ての木全ての枝に。開花はすぐそこです。
2018年01月26日
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平成30年1月24日(水) 午前5時前起床。晴れ。時折雪が舞いました。天気予報が、日本列島はすっぽり寒気の中。私は通勤の道中も、会社に着いてからも暖房の中。その寒さを感じませんでした。外で仕事をしている人たち、さぞ大変だろうな。写真はその寒さと全く関係ありません。朝のおかず、塩鯖です。ノルウェー産。脂が乗って最高でした。 昼休み、洗面所で歯磨きをしていたら、外回りの若手と一緒になりました。彼は案の定「今日は寒いです、財布が薄いから余計に応えます」と宣いました。なるほど。上手いことを言います。 午後、会議をひとつ。それ以外はデスクワークでした。出先の社員へ焦げ付いた債権を回収の発破をかけました。損な役回りですが、仕方ありません。 夕刻、風花の中を帰宅。着替えて走りました。寒いのでダウンジャケットを着ました。すぐに汗ばみました。1kmのところで脱ぎました。毛糸の帽子、手袋も、でした。 家に戻って、鯵を捌きました。帰り道に寄ったいつものスーパーへ寄って買ったのです。チャチャッ。やっつけました。 久しぶりの魚にトラが喜びました。おーよしよし。写真は満腹になって夢の中の図です。 こちらは妻と分け合って食べた刺し身。今日のものも鮮度抜群。なにせ朝取れ定置物ですから。これが0.5ラーしないんです。コスパあり。えっ、0.5ラーの「ラー」って何ですか?って。岐阜県多治見市の極一部に流通する仮想通貨です。1ラー600円がレートです。 食事を終えてバッハを。それにしてもAmazonmusic、手軽さがよい。100万曲が聴き放題です。加入していませんが、unlimitedプランに加入したら4,000万曲が聴き放題となります。そのechoプランだと月々0.6ラーあまり。充実です。突然ですが、次の写真は餅です。夕食にもの足りず、ぜんざいを温め、それに淹れようと妻が焼きました。彼女はブラジルのアマゾンしか知りません。彼女、それを頬張りながら、その通販をどうしてアマゾンというのか訊いてきました。答えることが出来ませんでした。 忘れていました。先週の土曜日、エレクトーンの修理に延岡から調律師がやって来ました。その折に聞いた話を書いておかなければなりません。以下のとおりです。「そうなんです。私は調律師です。仲間はね、この仕事を気楽といいますよ。家庭を訪ねても愛想要らずですからね。ピアノに向きあって40分、調律が終わってハイ15,000円。それを受け取ってハイさようならです。いい商売ですよ。それが証拠、以前、調律師の募集に『週末の副業、好きな折に訪ねて高収入』というキャッチコピーもありました。でもね、私はそうは思わんのですわ。そういう簡単なものではないんですよ。案の定、そんなところ、今は淘汰されました。ああ、あの番組を見ましたか。そうでしょうそうでしょう、ショパンコンクールの舞台裏、それが調律師の本当の世界ですよ。オーナーを訪ねて流れ作業、音程を整えるだけじゃー何の楽しみもありません。その奥にこそ深い楽しみがあるんです。それを話す前にちょっと調律の話をしますね。ピアノの鍵盤はてこの原理です。鍵盤に少しの重い軽いがあってもいけません。88ある鍵盤がみな同じにそろっていないと、強弱や連打に支障が出ますからね。鉛を使ったりして調整します。タッチは幼児であってもプロであっても、いい演奏となるための生命線ですわ。鍵盤を横から見て、少しの凸凹があるなど論外です。も一つは音質です。ピアノの音はハンマーで弦を叩くことによって出ます。そのハンマーは、使い過ぎや経年劣化により硬くなったり変形します。削ったり交換したりしないと、いい音に戻りません。微妙な作業です。さて、お宅にお子さんがいたとします。上達していくと、毎年の調律が半年になり、毎月となるんです。次第に家庭環境のこと、お子さんの興味と思考、音楽の感性を知るようになり、私はその個性を伸ばすにはどんな調律がいいのか、どんな音が似合うのか、商売を離れてのめり込むようになります。調律とピアニストの個性とが相まって一種独特、固有の音が作られていくことになるんです。子供さんが長じて音大にでも進学し、そこの教官に『あなたの音はいいね』とでも言われようものなら、これほどの冥利はありません。調律師の生き甲斐です。まあそんなことは滅多とありませんがね。でも音楽を楽しもう、目指そうという人に対する私の矜持でもあるんですよ。ショパンコンクールの番組に出ていた調律師は、音楽を離れたところでも演奏者と時間を共有していたでしょう。ピアニストと一緒し、生い立ち、生活、個性、人柄、嗜好・・・、人となりを感じ取り、演奏者がどんな音楽表現にしたいのか、本人の個性が生きるよう、音を調律していくんです。如何ですか、素晴らしい世界でしょう。えっ、私のピアノですか。私の小さい頃は、ピアノなんてとてもとても。チャンバラ遊びで育った世代ですよ。ピアノ教室なんぞに縁はありませんでした。でも、この仕事を選んだ後は見よう見まね、自己流で楽しんでいます。やっぱりショパンがいいですね。大好きです。ああ、お宅はバッハがお好きですか。彼の音楽もすばらしい。平均律を用いた功績は、それ以降の音楽史に貢献大ですからね。ほほぅ、宅のピアノですか。ちょっといいですか。ふむふむ、なるほど。古いですね。 ピアノは新しいものほどいい音がしますよ。進化しています。ピアノの材質ですか。木に興味がおありで?主にスプルースという北米産の針葉樹ですよ。楓(かえで)も使われますね。北向き斜面の中腹に育つものが一等と言われています。えっ、宮大工さんの使う材料も北向き斜面の檜材がいいんですか。なるほど。目の詰まって強度のあるものが重用されるピアノと一緒ですね。木の話をすれば、限りがありません。楽器のほとんどは木でできていますからね。それにしても昔の職人さんはいいピアノを作りました。フレームカーブの美しさには惚れ惚れしますよ。今は直線と鈍角だけで興ざめです。音の話ですか?メーカーにより違いますよ。私はベヒシュタインが好きですね。いえ、もちろんベーゼンドルファーやスタンウエイもすばらしいですよ。でもそれらにだって出せない音がベヒシュタインにはあります。イメージしてください。高級スプーンを硬い大理石の床に落としてチャリーン、透明、純粋の感じのする貴族的な音色、これはベヒシュタインにしか出せないんです。余談ですが、ヤマハさんは昔、ベヒシュタインを手本にしたんですよ。初期の頃はドイツへ学びに行ったそうですよ。古いヤマハ製品は形もベヒシュタインそっくり。いや、とんだ長話をしました。お茶を馳走になりました。すっかり長居をしてしまいました。それにしても延岡と佐伯は近くなりましたね。遠いところをなんてとんでもない。昨日は北九州だったんですよ。遠出も仕事のうち。佐伯は近場ですよ。親会社から指示があると、福岡、熊本はざら。長崎や鹿児島の離島にも渡ります。あぁ、お代ですか。勿論要りません。メーカーにいただいていますので。それではこれで。おっと、忘れていました。エレクトーンへの一番のご馳走は電気です。毎日、音を出してあげて下さい。電気製品は毎日の通電が故障を防ぐ一番の手だてなんです。よろしくお願いしますよ。ああ、庭に植えたカンランが美しいですね。さようなら」 饒舌の方でしたが、聴いた内容は深かったです。自己流でピアノを始めてショパンか。私も始めようかな。ピアノもエレクトーンもあるし。1曲だけでもバッハを弾けるようになりたいな。そうなったら格好いいだろうな。でもチェーンソーを握る指は繊細さに欠けているからな。焼酎を飲んだせいで震えもするし。次の写真は拙宅エレクトーンの鍵盤です。ボタンをあれこれ押すと、あらゆる楽器の音色が出ます。今日の一句凍え路そろりそとりと鎌鼬今日のラン3km今日の酒日本酒2合 焼酎5勺今日の写真は里芋です。夜の更けて妻が剥き始めました。何でも、芋が風邪をひいたそうです。早く食べないと、駄目になってしまうとのことでした。次の写真はその症状です。
2018年01月24日
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平成30年1月23日(火) 午前5時起床。晴れ。寒い夜明けでした。白んでカーテンを開けました。外はきつい霜でした。薪ストーブの火を大きくしました。拙宅はガスでご飯を炊きます。仕掛けは昨夜のうちに妻がすませていました。スイッチは私の役目です。そうしました。ストーブの上に沸いた薬缶から湯を貰い、煎茶を淹れました。和菓子の「志なの路」が美味しい。熾火を移した手あぶりを抱えながらだとなおよろしい。茶の熱さと新聞記事に心の目が覚めます。NIKKEI文化欄、林真理子氏の高等遊民小説に目が行きます。辟易を覚えながらも遂読んでしまいます。リーマン諸氏も同じだと思います。写真はその手あぶりです。 終日デスクワーク。今は現金商売の部所です。小さなトラブルがつきものです。それの差配が毎日です。午後5時を過ぎると、電話の問い合わせを「ご用件は・・・」モードに切り替えます。若い連中は残務整理。支障のない日(殆ど毎日ですが)は真っ直ぐ帰宅。申し訳ないな。 帰りに車屋さんSカーへ寄りました。自動車のことは全部ここのお世話になっています。ツーシーター四駆ミッションからオイル漏れの匂いがしていました。加えてフェンダーミラーをボキッ。折っていたのでした。先日、薪を取りに行った折、頼まれて高枝を切りました。脚立を持ち合わせていなかったので、軽トラを寄せて、荷台に乗って手を延ばしチェーンソーでバッサリ。その幹が落ちる折、ミラーを叩いたのでした。持ち込んだのは昨日の帰りでした。今日は代車で通勤でした。ついでということでタイヤを四本とも交換して貰いました。礼をいってハンドルを握りました。足回りが軽くなっていました。いい感触です。写真は折れたフェンダーミラーです。其の儘にしておいたら整備不良でつかまります。 帰宅して着替えました。今晩の薪の手当てをした後、走りました。うっすら汗ばんで、今日はこれくらいにしておこうか。家に戻り、日課の鉄アレイと背筋強化をチョコチョコ。風呂に湯を張っていたら妻が帰宅。晩ご飯のおかずを訊いたら、昨晩の残りとのこと。追加の逸品は彼女の友だちがくれたモズク。昨晩夜なべにこさえた青梗菜の煮物もありました。当てはこれだけあれば充分。 ヨガに出掛けるという妻を見送って映画を見ました。「岸和田少年愚連隊 望郷」です。Amazonプライムのオススメになっていました。見終えて妹尾河童の小説「少年H」の読後感に似たような感じを覚えました。似ても似つかぬストーリーですが、なにかしらん、同じ空気です。古きよき時代といいましょうか。中場利一のことは知りませんでした。1冊読んでみよう。今日の一句梅の枝針の如くに月を刺し今日のラン3km今日の酒燗1合5勺 芋焼酎2合今日の写真もトラです。炎に顔が染まっています。特等席から離れません。
2018年01月23日
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平成30年1月22日(月) 午前4時起床。夜の明けぬうち、落ち始めました。午前6時、雨脚が強かったです。昼下がりまで冷たい時雨。まさにブルーマンデーでした。 終日デスクワーク。めずらしく朝から頭痛でした。毎朝、血圧を測るんですが、今日はその通り、高かった。何が悪かったんだろう。 昼休み、新聞を読みました。朝日の天声人語に大石誠之助のことが書いてありました。辻原登が小説「許されざる者」のモデルとした人でした。新宮市議会が名誉市民にするという内容でした。大逆事件にに連座の一人です。小説は大団円でしたが、現実には絞首刑。アメリカ留学、インド研修、医学を修めました。カースト制度を知り、日本の富と貧困に疑問を持ち、社会主義に目覚めたからでした。そのことを知りませんでした。話が逸れますが、こうして何かの機会、過去に目にしたことと目の前のことがつながると、何とはなしに嬉しいものです。例えば以前に旅行したところが映画になって、それを見て懐かしく思ったり新しい発見があったりして、思いを新たにする、そんな感じです。 午後3時を過ぎて晴れました。冷たい風が吹き始めました。予報通りでした。真っ直ぐ帰宅。薪ストーブの灰を掃除し、着替えて散歩をしました。走ろうかと思いましたが、血圧のことを考え、大事を取りました。晩ご飯はこの寒さをしてなのでしょう、てんこ盛りのおでんでした。 老夫婦、二人には過ぎたる量でした。腹一杯になりました。妻はいつもこうです。 食べ終えて、Amazonプライムで「男はつらいよ・花も嵐も寅次郎」を見ました。週末に訪ねた湯平が舞台です。妻と一緒、あああそこが、ああそれはそこだ、別府や杵築、臼杵のシーンも登場。山田洋次の切り取る日本の原風景がいい感じでした。 見終えて、パーセルを聴きました。アブデラザールのロンドがとてもいい感じです。妻はそれを聴きながら水仕事を始めました。父の菜園に闌けつつの蕪を始末。 さっと茹で、すぐに冷水へ。これで色変わりを止めるとのこと。冷凍するのかな。作りすぎた父のものは放っておけばいいのに、もったいない、少しでも、と思うのでしょう。今日の一句おでん鍋古女房の味沁みてペンを嘗めて寒い夜はおでんに沁むる古女房今日のランなし今日の酒清酒1合 麦焼酎1合今日の写真はロケの原風景らしき2枚です。湯平駅を過ぎ、川を渡った所にある集落でパチリ。石積みがいい感じでした。もう1枚は柿の実。秋をやり過ごして猶、の姿です。青空が不似合いはそれとして、場末のストリップ劇場に灯る赤色電球に似て、と評するのは酷でしょうか。
2018年01月22日
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平成30年1月21日(日) 午前5時起床。晴れ。早朝の外気温2℃。昨日、温泉に浸かったせいでぐっすり眠ることが出来ました。外が白んでなおぼんやり。この時刻に緑茶と和菓子、いい感じでした。いつもは寝坊の妻が今日は早起きでした。鮭の朝ご飯にお代わりをしました。さてと、薪を穫りに行くか。襤褸に着替えました。チェーンソーの刃を研ぎました。寒さに手が悴(かじか)みました。ついでということで切れ上がった鎌も。鉈も含め、農具刃物は天草を使います。天草とは熊本・天草の天然石です。随分前、親方の買ってくれたものです。包丁には使いません。専用の人造砥石と仕上げ砥石です。 軽トラに山の道具を積み込んでいたら、お客様がありました。ああ、そうだった。今日はエレクトーン修理の日でした。正月に帰省した娘が弾いて不具合のあることが判りました。ヤマハのホームページを開いて故障に関する「よくある質問」を見ました。何年も前に部品のリコールが発表されていました。それで、本社に修理を依頼していたのでした。余談ですが、娘は幼時の頃からヤマハ一辺倒でした。途中、ピアノからエレクトーンへシフト。その折、義父が買ってくれたのでした。彼女は高3まで通い詰めました。大学もその方面へ。ステージアを手に入れました。家を離れたこともあり、自宅のそれはもう必要ないと思っていました。しかし、思い出の品でもあり、折角なのでお願いした次第でした。修理中の写真です。中のアンプ他を新しいものに取り替えてくれたようです。 みえた方は延岡からでした。名詞にヤマハ・コルグ・ローランド・鈴木、電音・電子楽器サービス代行と書いてありました。修理が終わり、お茶を出しました。折角なので仕事のことを訊いてみました。彼は私と同年配の男性、調律師でした。興味深い内容でした。それはまた別の日に。 出発時刻が下がりました。薪の切り出しに向かいました。寒い中を一人頑張りました。依頼されていた道路に掛かる枝打ちもこなしました。帰宅して荷を下ろし、大きいものは斧で割りました。昼をせず、午後3時まで頑張りました。あー、疲れた。走るつもりでしたが折れました。地下足袋を脱いで風呂に湯を張りました。写真は今日の成果です。 ん?包丁の色が変わっていました。ついででした。風呂に入る前、有次と盛高の金剛兵衛もチャチャッ。ピカピカになりました。湯船でジャズを聴きながらぼんやり。サッパリしてこれを抜栓。沁みました。 昼にあった都道府県対抗男子駅伝をビデオ観戦。午後、出掛けた妻が帰ってきて夕飯の支度をしてくれました。それを当てになおワインを。目が廻ってバタンキュー。今週末は新聞を読んだだけ、本を一度も手に取りませんでした。今日の一句水仙や娘の肩に都雪今日のランなし今日の酒ビール(プレモル1缶、ヒューガルテン、シメイ各一本)グラスワイン3杯今日の写真はその水仙です。東京は雪とのこと。娘、息子はどうしているのかな。もう1枚。当地の昼は風の強いものの、家の南側は風を遮るぽかぽか陽気。妻が蒲団を干しました。而してニャロメもこの態。
2018年01月21日
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平成30年1月20日(土) 午前4時起床。霜降。 親方にTELしました。山をしばらく休むとのことでした。買い付けが思うに任せないんでしょうか。次の山林は樫が沢山混じっているといいな。 よし、それなばら一人、別の切り出しに行き、薪を切ろうか。迷いました。 考えて、正月明けからの週末はずっと野良でした。湯治を兼ね、気になっていた薪ストーブを見に行くことにしました。。早立ちしました。写真は亀の甲橋から門の鼻橋方向を写した一枚です。土手に霜が見て取れます。水面からは水蒸気が濛々。ラジオが後を追うよう、今日が大寒であることを教えてくれました。 土曜日の今日、この時刻だから道は空いているだろう。そう考え、一般道を走りました。国道10号を北上。府内大橋を渡ってすぐ左折。大分川左岸に沿って遡りました。大分刑務所の高い塀が続きました。しばらく進むと大分大学医学部です。かつてここの付属病院に祖母や義父が入院しました。祖母に、慰みにと毎日葉書を書きました。拙い日常を看護師が笑いながら「今日も届きましたよ」と病室へ届けてくれるのが嬉しかったとは生前の弁。此処を通ると、いつも二人のことが浮かびます。葉書は30年余り前の話です。 国道210号を山奥へと。途中からJR久大本線が並走します。湯布院の森号や七つ星の走る線路です。時折、亮さんがブログに釧網本線の塘路駅をアップします。よし、それならば、ということで湯平駅に寄ってみました。写真はホームの全景です。右の建物が駅舎。無人でした。半分に農協が入居、世話をしているようでした。 左下、赤っぽい屋根の建物は待合室でした。 中に写真が沢山飾ってありました。全部、映画のロケ風景でした。渥美清、田中裕子、沢田研二が映っていました。「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」でした。次ぎはその一枚です。 ホームに電車を、あっ、いや、ディーゼル車を待っている客数組がいました。昨晩、湯平温泉に泊まったであろうカップルたちでした。女性3人のグループも含め、殆どが韓国の方のようでした。さてもの湯平、そこが今日の目的地。これまでは陽の当たる湯布院に隠れ、目立たぬ湯治場のイメージでした。最近は前記のよう、日本の鄙を求める外国人たちの間にちょっとしたブームのようです。目指す旅館の駐車場に車を止めました。温泉街の中央、急流が轟々音を立てていました。目指すところは「Linden」というカフェバー。旅館の一つに併設でした。そこに薪ストーブがあると聞いていたのでした。 あっ、休みだ。肩を音しました。「あなた、折角だからフロントに声を掛けてみたら?」 そうしました。とても感じのいいご主人が、賄いは出来ませんが見るだけならどうぞ、と返してくれました。言葉に甘えました。ストーブはフランクリンでした。名機。火が残っていて、薪を追加、鞴(ふいご)で熾火を大きくしてくれました。火吹竹の拙宅とは大違いです。格好いい。加えてストーブの隣にJBLのランサー101。往年の名機です。これ、オーディオの師匠宅を訪ねた折、聴かせてもらったことがあります。今日はジャズが流れていました。 ぐるり店内を見て回りました。ターンテーブルとアンプです。 作り付けの書棚が幾つもありました。 おっ、ユリイカだ。いいな~。手にとって捲りたい。終日、薪ストーブに当たりながら。静かなジャズがJBLから流れ、いい香りの珈琲・・・。日頃の喧噪を離れ、のんびり過ごすにはもってこいの空間でした。湯平温泉・志美津旅館、いい感じです。「あなた、お腹が空いたわ。朝から何も食べていないんだもの」 時計を見ました。既に正午近くです。宿の主人に昼の出来るところを尋ねました。川魚料理の店を教えてくれました。「嬉し乃」という鰻の匂いのする暖簾を潜りました。 メニューに鯉の洗いや鯉こく、ヤマメ料理が載っていました。鰻重と鰻定食をやってもらいました。ふっくら肥えた養殖物という感じがありません。筋肉質、アスリート鰻のようで大満足。先客に若いカップルがいて、特上鰻定食の勘定を支払っていました。 食べている途中、自転車のヘルメットを下げ、スポーティーな格好をした紳士が入ってきました。彼は鰻丼を注文しました。手持ちぶさたなので話しかけました。大分市から坂道を漕いで30kmの遠出、さっき一風呂浴びた、とのでした。週末をサイクリング、目的地で温泉に入り鰻をの図。リーマンだそうでした。写真はこの店の茶碗と急須です。レトロ感あり。 さてと、腹が膨れました。満腹で湯に浸かるのはちょっと。辺りを散策することに。湯平といえば石畳です。だらだらの登りに沿うよう、旅館が並びます。今日は冬枯れなのか、それとも時刻が時刻だからなのか、人通りは疎ら。坂の途中、若い夫婦が小さな土産物屋を冷やかしていました。子連れでした。可愛い。笑わせてあげよう、舌を出してベーをしました。途端、泣きそうになりました。それをきっかけ、彼等が熊本・合志からと知りました。大分・佐伯から、というと、?の顔つきに。うーん、熊本の若夫婦は佐伯を知らないのか。消沈でした。写真はその石畳です。 おっ、山頭火ミュージアム時雨館という建物があるぞ。そうだそうだ。湯平といえば映画もだけれど、やっぱり種田山頭火。行乞記にはその始終が書いてあります。よし、入ってみよう。古い写真が掛かってありました。浴衣の人物が山頭火かどうか判りませんが、彼の泊まった宿とのこと。襤褸屋の態が凄まじい。 ご自由に、と添え書きのある文机がありました。半紙と筆が置いてありました。一筆。 温泉街の入り口に土産物屋がもう1軒。そこも冷やかしました。この辺りは椎茸の産地です。当然、この店も扱っていました。トタンの箱に干し椎茸が入って売られていました。量り売りでした。昔ながらの秤がありました。懐かしいモデルですねというと、2年に一度、役人が大分から秤の検査にやって来る、とは店番の女性が弁。 幾つかある共同浴場から「銀の湯」を選びました。鰻屋の女主人が、そこが一番、と教えてくれたからでした。 湯船はこんな感じです。貸し切りでした。とても軟らかかったです。長風呂をしました。 ここに座ってみました。nkucchan憧れの番台です。 オーバーホール。正月の飲み疲れ、山行きで溜まった筋肉疲労の全部が溶けました。さてと、帰るか。湯布院インターに突っ込みました。写真はそこから見上げた由布岳です。大分のランドマークです。 帰りの道中、塚原高原や別府湾の冬景色がよかったです。佐伯が近づくにつれ、次第に喉が渇いてきました。温泉で汗をかいたせいもあってのことです。潤すに如くは無し。ハンドルキーパーも横に乗っていることだし。つね三へ新年の挨拶をしなければ、という理由をつけて妻を説得。突っ込みました。瓶ビールを貰い、大将にも注して乾杯。嘗めただけで燗に切り替えました。ごま出しうどんと握りを注文。写真は後者です。いつも絶品ですが、今日はことのほかでした。色合いも好い感じです。 ハモ天と穴子天のどちらを食べる?妻が迷いました。じゃーミックスを貰えば、といいました。それぞれ半分の量を揚げてくれました。おっ、蕗の薹が添えてあるぞ。 だんだん調子が出てきました。大将、ひれ酒をやってちょうだい。出てきました。チビリ、うん、香ばしい。 次の写真は隣席にダンディーなお客、Sさんです。時々、この店で行き遇わせます。製材業に従事のリーマンさんです。大将は津久見高校ボクシング部でしたが、そこの後輩だそうです。大将は3年の折、岐阜であったインターハイで3位でした。Sさんは2年と3年、連続その大会の表彰台だったとのこと。凄いです。彼はプロだったんだ、とは大将の弁。ウエルター級だったとのこと。後楽園ホールで何試合も戦ったとのこと。そこはボクサーの聖地です。いい話を聞きました。 オマケの大将です。バンタム級。今は膨れました。 いい気色になって帰宅。バタンキュー。今日の一句銀の湯に軀の溶ける夫婦かな今日のランなし今日の酒瓶ビール一口 燗酒2合 ひれ酒1杯 冷酒1合 帰宅してワイン1グラス 今日の写真もトラです。待ち焦がれていたのでしょう、トラがまとわりつきました。土産のツナパックを揚げました。ペロリ。腹が膨れて定位置に、の図です。
2018年01月20日
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平成30年1月19日(金) 午前4時起床。晴れ。春霞のような天気でした。夕ご飯を食べながら見たテレビニュースが大分・佐賀関に咲き始めた水仙の容姿を報じました。それを見た妻が、庭にも咲いていてよ。でももう外は暗い。写真は後日です。その代わりというには変ですが、収穫の菠薐草を。寒さに成長が止まっていました。ここ数日の暖かさに露地物が目を覚ましたようです。この緑、いい感じです。早く食べたいな。 さて、先日亡くなった友人AのSがこと、書き残しておきたいです。葬儀は身内のみですませたようでした。弔問を遠慮したとのこと。ならば猶更のこと。そうしないと何だか浮かばれないような気がして。S・Aの思い出 私の通った高校は、どこにでもある田舎の進学校でした。テリトリーは大分の県南、5万余りの市とそれを取り囲む8つの町や村です。そこに大小20ほどの中学がありました。工業高専あるいは商船高専に進学する生徒を除き、成績上位者の殆どが入学していました。Sもその一人でした。彼は漁村の中学からでした。私は農村の中学。互い、市街地から通う生徒たちと違う空気を認め合いました。彼の実家は半島部の先にありました。当時は交通事情がよくありませんでした。学校の始業時刻にバスが間にあわなかったようです。船頭町に下宿していました。余談ですが、その建物は昭和30年代前半まで赤線だったようです。さて、類は友を呼ぶ、実家を離れ放し飼いになった彼のところには、学生帽を阿弥陀に被る連中が集まるようになりました。タバコ、酒、ヌード写真など、魅力あるものが沢山ありました。小人閑居して不善を為すを呈しました。一派は当然成績低迷、低空飛行でした。1年のころだったか、2年だったかの夏休み、彼にサザエ採りに来ないか、誘われました。実家を訪ねることにしました。羊腸の道をバスに揺られて小さな峠を幾つも超えました。その標識以外、何もない停留所で下車しました。浜沿いに続く小道を辿ったところが彼の家でした。早速裸になり、海に潜りました。大きめの石を裏返しにしたら、トコブシが張り付いていました。大漁でした。彼が私の背中をつつきました。指す先はタコでした。岩陰に隠れていました。カナツキ(ヤス)で突きました。なんだ、死んでいる。二人して大笑いしました。海から上がり、彼の家で身体の潮を流しました。お母さんがジュースを出してくれました。素敵な方でした。今思うと樋口加奈子似のほっそりした母親でした。同級生の女の子にはないドキッとするような思いをしました。細腕、大人の色気という形容が似合う容姿でした。薄緑のワンピースが今も目に焼き付いています。帰りに獲物の貝を全部持たせてくれました。 彼とは3年の夏までふざけ合いました。当時は土曜日も登校でした。午前で授業が終わると、今はもう伝説となった「上海」というラーメン屋で大盛りを食べるのが楽しみでした。週末の午後、腹のくちて彼の下宿で盛り上がろう、自転車を押してぶらぶら歩きました。果物屋のある交差点で若い警官に職質を受けました。崩れたSの身なりに、汚れた自転車を盗品と思い込んで詰問調の口ぶりでした。二人して口応えしました。よく覚えていませんが、それが人にものを訪ねる折の口のききようか、反対に責め立てました。事なきを得ましたが、気持ちに収まりがつきません。警察署にクレームの電話をかけました。上司が謝ってくれました。溜飲の下がる思いがしたとは彼の弁。警察には以前、何度か厭な目にあわされたことがあるとのことでした。 楽しい時間はあっという間に過ぎました。秋風が吹き始めると、教室は受験モードになりました。日を追う毎、その波に乗って成績を上げていく者と、そうでない者の差が目に見えて、の空気でした。その流れに加え、文系と理系に別れたこともあり、次第に疎遠となりました。後で知ったのですが、彼は東京の私大に進学。音信皆無となりました。 時は下り30有余年、つね三で偶然、彼と再会しました。2年ほど前のことでした。積もる話を聴きました。就職、結婚、奥さんの実家を手伝っているうち、そこを継ぐことになったと話しました。数年前、大分の母親が倒れて単身帰省。介護をしながら刺網と蛸壷漁の日々とのことでした。仕事の方は息子が成長、任せることの出来る歳になったから大丈夫とも。戻ります。再会のその日、つね三の別れ際「おいT(私のこと)、お前、タコ好きか?いつでも言ってくれ、やるぞ」それが最後の言葉になりました。訃報に接し、彼が母親の面倒を見ていることを苦にして、と想像しました。しかし、そうではない、もっと深い、窺い知ることのできない理由があったようです。つね三のあのとき、なぜ「タコを頂戴」といわなかったのか、彼に連絡をとり、貰いに行けばよかった、海を前にして素面で昔話をしたら彼の胸襟を開くことができたかもしれない。悔やまれます。そう思い返すと、高校のあの日、一緒に潜ってタコを突いて以来、のタコだったのです。合掌。 帰宅して走りました。西の空に鎌月が懸かっていました。コーラスに出かける妻を見送りました。一人になって、彼を偲びました。ランプを灯すと、彼が急に身近となります。 音楽が欲しい。ストコフスキーの第九を聴きました。迫り来るタクトでした。今日の一句寒月に鳶が輪を描き友の逝く今日のラン5km今日の酒立山2合 燗酒1合 むぎ焼酎1合今日の写真は弊社駐車場からの夕陽です。突然ですが、吉川英治の随筆に「落日の荘厳に似る~大観画伯の終焉」というのがあります。吉川は横山大観の死を死ではなく涅槃と喝破しました。この落日写真をしてまさに荘厳、S・Aも自ら涅槃に入ったのだと独りごちました。
2018年01月19日
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平成30年1月18日(木) 午前5時起床。晴れ。未明の外気温4℃。しばらく暖かい日が続くようです。週が明けてからは寒波襲来との予報。思う存分寒くなれ、と思います。この気持ち、薪ストーブオーナーにしかわかりません。ウッシッシ。 午前はデスクワーク。午後、弊社に県警の方が見えました。暴力団追放不当要求責任者講習会なるものを受講しました。3年に1回、管理職を対象に開催されます。いい話でした。私、1年前までsecretarial section にいました。総会屋や暴力団からの不当要求はありませんでした。それに近い案件は幾つかありました。今日の話を聴きながら、それに対峙したことを思い出しました。 退社時刻にお客様がありました。Hさんでした。私のまち出身、高校の先輩でもあります。名門K大を卒業し、大手カメラ、医療、事務機製造メーカーに勤務、海外生活も長かったと伺っていました。一昨年だったか、森林保全を目的のNPOが招きで来佐、講演をなさいました。少しの時間を一緒、城山の麓、歴史と文学の道を案内しました。前述はその折に伺った話です。 今回の帰省は、同窓会出席のためだそうです。時間を割いて、態々会いに来てくれました。話が弾みました。写真帳を携行され、見せてくれました。昨年、ご子息が結婚なさったこと、新郎新婦ともHさんの母校を卒業、K大一家でした。その新郎が生まれたのはパリの病院。フランスの長かったとは先年伺っていましたが、改めて写真を見ながらの話には遥かなものがありました。そのあれこれを以下に。氏曰く「その病院はかつてヨーロッパ戦線の傷病兵を受け入れたこともある、ノルマンディー作戦、パリ解放などで負傷した兵士が溢れていたはずだ、偶然、私のフランス時代、某社の副社長だった折、素敵な秘書がいたんだが、彼女ももそこで生まれたとのこと、付き合いが長くなると、彼女の実家はシャブリにありしかもシャトーのオーナーということが判り、そこを訪ねたよ、それが縁で今も厚誼は続いている、昨年、息子の祝言にはフランスから駆けつけてくれ、スピーチもいただいた、乾杯は勿論彼女の藏が酒、お礼に京都の炭屋へ泊まってもらった、古都の案内はそのまちに住む友人に託した、友人は高校の同窓だ、彼はそれに託けて、同じ同窓、佐伯鶴城出身箱崎睦昌氏渾身の画が飾ってあるという迎賓館に案内した、旅館も大作の日本画も彼女に深い印象を残したようだ、炭屋が空いていてよかったよ、彼女は離日後、北京・万里の長城を観光、帰途についた、アジアは初めてだったとのこと、君にこれを持った来たよ、パンフレットだ、ブルゴーニュワイン委員会が日本人用にこさえたものだ、別に彼女から貰ったシャブリの地図もあげるよ、ついでということでフランスにこと寄せて、北斎とジャポニズムという展覧会が上野の美術館で開かれている、そのパンフだよ、同窓会かい?昨日あってね、昼の1時から延々午前様だったらしい、私は午後9時で失敬したけれどね、美味しいチリワインがあって楽しんだよ、そして今日もあるんだ、帰省を知った友人たちが集まってくれる、嬉しいよ、えっ、君、ブログをやっているの?じゃー見せてもらうよ、そろそろ時間だ、さようなら、フランスに行くことがあったら彼女のシャトーを訪ねてみるといいよ、安く泊まることができる、それじゃーね」 箱崎睦昌氏は京都嵯峨芸術大学の教官です。先年、NHKのクローズアップ現代に登場しました。「絵巻がひもとく清水寺~知られざる1200年の歩み~」という番組でした。清水寺の絵巻を描いた方です。迎賓館にも作品があったのか。知らなかったです。 氏は、宿泊のホテル備え付けの自転車に乗って帰っていきました。颯爽という言葉が似合うスマートな紳士です。それにしてもです、日々、鄙の暮らしにあって、氏を見送って暫し、都会の、フランスの爽やかな風が心を吹き抜けました。羨望と「遥か」の混じった楽しい時間でした。Hさん、態々お越し頂き、有り難うございました。写真は氏の去って見上げた西の空です。残り香に色があるとすれば、それにピッタリの色合いです。 以下の写真は氏から頂いた土産です。北斎とジャポニズムのパンフ。この展覧会は国立西洋美術館、会期は1月28日まで。うーん、迫っていて訪ねること能わずです。 シャブリの地図。これは額に入れて飾ろうか。インテリアになるな。地図は飾るものでもあるんです。 両口屋是清の志なの路。調べたら創業380年、名古屋の和菓子が老舗とのこと。田舎者の始めて口にする甘味でした。 真っ直ぐ帰宅。Hさんの余韻が消えることを恐れ、走るのを止めました。妻と夕餉を挟みながら、氏のことを話してきかせました。未だ外国に行ったことのない彼女です。フランスがどうの、ましてやシャブリがこうの、チンプンカンプン、目を白黒でした。私たち夫婦、残りの人生でそのシャトーを訪ねることがあるのだろうか。 夜、玄関先に出してあったシクラメンを屋内に入れました。その折、見上げた空の天頂に昴が輝いていました。好い一日でした。今日の一句あまつさえシャブリの地図と冬の空今日のランなし今日の酒立山1合 むぎ焼酎1合 ウイスキー1ショット今日の写真はHさんとのツーショットです。大学の教官をなさっています。バイリンガルどころかトリリンガル。英語もフランス語も堪能。目隠しはかえって失礼になるかなと思い返し、其の儘で。私より一回り上です。
2018年01月18日
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平成30年1月17日(水) 午前5時起床。終日曇り。朝のうちは雨が残りました。暖かい一日でした。日中の最高気温は何度まで上昇したんだろう。多分20℃近くだな。夕刻、外気温を調べてみました。13℃。暖かいはずです。 ついでということで室内の温度も。ゲッ、なんと32℃。薪ストーブも過ぎたるは、ということです。向こうのトラは夏が来たと思っているような。 前後します。終日、デスクワーク。午後、私用の電話がありました。Jちゃんが電話を欲しいとの伝言でした。胸騒ぎがして、すぐTELしました。彼曰く、AのSが亡くなった、どうも自裁のようだ、とのことでした。愕然、言葉なしとはこのことです。なにも自殺を・・・。Sは高校の時によく遊んだ友人。東京の大学を出て就職したものの、母親の介護がため帰省。煮炊きをして食べさせていたと聞いていました。月一、彼女をショートステイに頼み、その夜の盛り場が楽しみ、とは一昨年だったかに一緒した折の問わず語りでした。寝たきりの老母を残しての仕儀。介護疲れかと思いきや、そうではない模様。別の理由らしきものを聞きましたがそれは想像の域。思いもよらぬものが深いところにあったのかもしれません。彼の思い出は日を改めて書くことにします。 帰宅して後、着替えて走りました。20℃近くの中でした。汗をたっぷりかきました。スカッとするはずでしたが、Sのことが頭から離れませんでした。道中の足は重く、走り終えても心にズシリ。 それを風呂で汗とともに流しました。今日の当てはカラスカレイの煮付けでした。昨日待ったを掛けた立山を抜栓。 おっ、好物の白和えだ。豆腐を煮て、蒟蒻を刻み、鹿尾菜(ヒジキ)と緑を加えて・・・。こさえるのは面倒だろうな。カレイの煮付けといい、妻に感謝です。 なすすべなしの気分でした。映画「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」を見ました。これもAmazonプライムです。長年住んだアパートを老夫婦が売りに出すことをめぐるドタバタです。しかし、喜劇ではありません。黒人やイスラムに対する偏見と差別を散りばめています。白人社会の愚かさも。物件を閲覧して廻る少女と母親の存在に癒やされます。主人公をモーガン・フリーマンが演じています。毎度のことですが好演。少し気分が晴れました。今日の一句今日はいなり寿司の日です。食べてはいませんがそのきぶんになって一句稲荷寿司頬張りて向く土用かな今日のラン6km今日の酒立山1合 むぎ焼酎1合今日の写真はネタ切れにつきトラです。どうだ、ブラッシングは気持ちいいだろう。ニャロメは感歎を声に出しません。その代わりが前足の動作です。猫好きには子の所作が何を意味するのかわかります。おー、よしよし。
2018年01月17日
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平成30年1月16日(火) 午前4時半起床。外気温2℃。朝のラジオが藪入りを報じました。外は露点温度に達したよう、見る間に霧が出ました。この時期としてはまれに見る湿度。写真は出勤途中の1枚です。 もう1枚、沖田のまん中辺りです。すれ違う車もなく、幻想的です。晴れたら、何だ、肩を落とす風景が広がります。 終日デスクワーク。懸案について幾人かに意見を求めました。臭いものにずっと蓋の案件だっただけに、異口同音、言いようのない表情でした。そうであっても仕方のないことと思い定め、甕の蓋を開けましょう。 帰り、コンビニへ寄りました。ネット注文の小間物は宅配さんに気の毒です。留守であったら猶更です。そこのカウンターで受け取りました。帰宅して白鵬と稀勢の里が負けたことを知りました。嘉風は3連敗。うーん、早く花火の音を聞きたいな。着替えました。今日こそは、ということでラン。暖かい南風、暗がりを、でした。汗ばみました。毛穴が開いて、体中の毒素が出ました。スカッ!。夕食は昨夜の鍋が残りにうどんをぶっ込んだもの。写真がそれです。見栄えは芳しくありませんが、結構いけるんです。2人して啜りました。 その妻はヨガ教室へ出かけました。彼女、健康にいいと聞きつけ、もう1年以上通っています。私も通おうか。身体が硬いんです。それはさておき、シメシメ、鬼の居ぬ間にこれを抜栓するか。昨年末、K酒店で正月用にと購入してあった立山特別純米です。いいお酒を頂いたので、仕舞っておいたのでした。 ウーン、適当な当てがない。仕方がありません。戸棚の中をかき回しました。ホタテ貝の干物と焼きあごがありました。これには焼酎だな。 夜はNHKFMでサラ・デイヴィス・ビュクナーのピアノ・リサイタル。後半の2曲はバッハのゴールトベルク変奏曲とパガニーニによる大練習曲。いずれもブゾーニ編曲版でした。演奏そのものはさておき、このところ、FM放送とタンノイの相性のよさを感じます。今夜はことのほかでした。オーディオの師匠に言わせると、湿度の加減というに決まっています。 さてと、いい気色になったので、本を手に取るのはやめにしました。違う気分になってみようか。たまたま朝日デジタルが東京・練馬に「角打ちだからこそ味わえる、時を忘れる自家製パン」という見出し。「正幹masamoto」という店の紹介をしていました。半分立ち飲みのような、それでいて洒落たワイン酒場。その場でハード系のパンを焼き、切ってハムやソーセージと一緒に出します。勿論日本酒とそれに合う当ても。綺麗な写真が添えられてありました。流れるBGMは「EGO-WRAPPIN'のアンニュイな曲」とのこと。EGO-WRAPPIN、知りませんでした。you tubeで確かめました。確かに倦怠を感じる、それでいて酒場に合うmusicです。ブゾーニの後ですが、これもいい。バケットを切ってボローニャソーセージ、の気分でした。しかし、探しても探しても焼きあご。お休みなさい。今日の一句南風ブゾーニを聴きシノワズリ今日のラン5km今日の酒焼酎2合 立山を我慢しました。今日の写真は珈琲豆です。欠品の度、品を代えます。何時か好みに当たると信じつつ、です。ストライクは地元喫茶ランブルの豆です。もったいないので、気分のいい時にしか挽きません。
2018年01月16日
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平成30年1月15日(月) 午前5時半起床。曇。未明の外気温は-1℃。霜降の厳しい朝でした。 昨晩、いや、今朝です、寝汗をかいて目が覚めました。気持ちのいいものではありません。寝間着は洗濯籠に、下着も全部取り替えてネクタイを巻きました。 朝礼の前、ちょっと問題を起こし、長期停職だった社員が出社していました。一緒に頑張ろう、声を掛けました。罪を憎んで人を憎まず。こんなことをブログに書くのは如何かと思いますが、禊ぎが済んでの今日が初出勤に言葉を掛けない手はありません。彼は直立不動で「迷惑を賭けました」真摯の言葉を返してくれました。もう大丈夫です。よかった。 終日デスクワーク。仕事を終えて真っ直ぐ帰宅。着替えてラジオを聴きながら歩きました。NHK第一のニュースが首相訪問に託けてブルガリアとロシアの関係を解説していました。キリル文字の起源が首都ソフィアの国にあることを知りました。蘊蓄が増えたぞ。 家に戻ったら、たった今、Kさんの奥さんが見えたの、と妻が言いました。ご主人が鹿児島に転勤とのこと。引っ越しを手伝って、今日戻ったそうで、土産に薩摩揚げをくれました。母子は私のまちに残るそうです。ご主人もですが、奥さんもリケ女です。難しい仕事に携わっています。困った折、妻で役に立つ時は加勢したいです。夜、礼を兼ねてその旨をTELしました。それほど好感の夫婦なんです。写真は頂いた名物。 前後します。風呂から出たら豚しゃぶ鍋が待っていました。鶏の団子も。当然、流す酒はふなぐち。甘露甘露です。 食べ終えてNHKFMを聴きました。ショパン特集。ん?台所のトントントンが煩い。覗いてみました。蕪を始末の妻でした。 有次で菊花切りに。菊一文字の菜切りもあるのに、折角だからそうすればと思いました。後の祭り。 おっ、流石です。妻は転んでもただでは起きない梅林庵の女(おなご)。蕪の葉も下茹でして冷凍に。お浸しなど何かの時に使うそうです。娘に送るのもよしよ。そんなことをブツブツ言いながら。今日の一句薩摩揚げ若夫婦こそ試練かな今日のラン無し ウォーク30分今日の酒ふなぐち2合今日の写真はその蕪、茹であがりの図。青みがよろしい。
2018年01月15日
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平成30年1月14日(日) 午前5時起床。曇。未明の外気温は5℃でした。終日無風。 白み始めて、身体が疼きました。山に行きたい。起きてきた妻にその旨を言うと、無理を心配してくれました。言を入れました。のんびり音楽。ベームの10枚組、午前はワーグナー一色。 昼を過ぎて都道府県対抗女子駅伝を観戦。見ごたえのあるレースでした。4区を走った長崎商業の生徒さん、区間新でした。抜き去るスピードが素晴らしい。ビューンでした。こういう迫力は後にも先にも一度見ただけでした。今も現役の上野裕一郎選手が高校駅伝で見せた快走がそれです。 それをして思い出しました。私もビューン、抜かされたことがあります。それも2度。一度は中学時代。私は陸上部でした。中距離選手。3年の夏を過ぎたら全員部活を引退。でも走り続けました。年がかわり、1月のレースに出ました。中学の部と高校一般混合の部でした。近隣の市町村から参加のある読売新聞主催の大会と記憶しています。秋から年末年始にかけ、こまめに練習した甲斐あり、5位に入賞しました。それはさておき、中学スタートに送れること1分、高校一般混合が号砲でした。走り始めてすぐ、後にスタートの3人からまさにビューン、抜かされました。社会人の二人は宗兄弟でした。後を追う高校生はオリンピック候補にもなった西村義弘選手。当時、鶴崎工業高の生徒でした。余談ですが、今の若い人たちは設楽、村山、市田の双子ランナーを知っていても、宗兄弟のこととなると皆目、かも知れません。兄の茂選手はモントリオールで4位入賞でした。モスクワ五輪に日本が出場していたら、瀬古利彦選手と3人、金銀銅を独占していたかもしれません。二人とも輝かしい実績の持ち主です。 ビューンのも一つはもう10年ほど前、大分合同新聞ハーフマラソン大会(現在は大分シティーハーフマラソン大会)を走った時のこと。一般・大学の部はハーフ、高校生は10kmです。高校生は5分後のスタート。チンタラ、産業道路を走っていたら大分東明高校、イエローグリーンのユニホームがビューン、追い抜いていきました。由布選手でした。後に彼は駒沢大に進学、伊勢路や箱根を活躍することになります。彼の母校は都大路を一昨年、昨年と連続4位。素晴らしいことではあります。以上、宗兄弟と西村義弘選手、由布選手のビューン話でした。 駅伝の決着がついて、さてと散歩をするか。90分ぶらりしました。写真は途中にあるFのK坊が納屋です。土間に薪ストーブを誂えていました。某社を退職し、自適の生活です。いいな、こういう生活。 間縫峠を越え、鬱蒼の杉林にさしかかりました。あっ、猪の罠があるぞ。おびき寄せるため、糠を撒いていました。中に入ったらガシャン。上に吊った扉が降りて閉じ込められます。 今日は飼い犬に4尾、行き遇わせました。KのJやんがミニチュアダックスフントを、知らない女性がそれぞれ柴犬を、S君が黒い雑種を。木立は犬を飼う人が多いです。次の写真はその中の1尾、10歳を越えた雌の柴犬です。いい顔をしていました。 木立橋の上に差しかかりました。覗いたら流れが切れていました。溜まりの中を小魚がピョンピョン跳ねていました。深そうなところなので、しばらく鷺の心配は無いようです。しかしその水位もいつまで保つことやら。 家に戻って風呂。今日は何もしない日曜日だったな。夕食を終えて、映画「先生と迷い猫」を見ました。一昨日の夜に見た「さらば冬のかもめ」の印象が強すぎて、この印象は薄い。その後、Amazonで「お休み前に聴く交響曲」を聴きました。いい週末でした。今日の一句冬の谷猪罠に糠を撒き今日のランなし ウォーク90分今日の酒ふなぐち5勺 グラスワイン2杯今日の写真は「木立放課後児童クラブ」の建物です。散歩の通りがかりにパチリ。小学校の隅に竣工間近。長年を要して、やっとこさ、建築に漕ぎつけました。町内会長さんの尽力がたまものです。場所も適地です。よかった。
2018年01月14日
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平成30年1月13日(土) 午前5時起床。晴れ。未明の外気温マイナス2℃。 今日の山は早出でした。急がないといけません。新聞斜め読み。NIKKEIの見出し、トップは「日本の職場 外国人頼み」。「女性や高齢者の就労者数もいずれ壁にあたりそう」なのだそうで、「労働現場の外国人頼みが強まる見通し」だそうです。別にAIの特集と、2019年にGMがハンドルなしの無人運転車を実用化するとの記事も。大丈夫かな、そんな車に乗って。交通事故の責任は製造元が取るのかな、運転免許なしでも載ることが出来るんだろうか。いろいろ考えて、どうせ軽トラにハンドルなしはできないだろう、そんなことはどうでもいいや。 朝日が見出しは「米、各運用拡大へ転換」。どんどん物騒の世の中になっていきます。そんなことにお金を使わなくてもいいとおもうのですが。ユニセフや国境なき医師団のパンフを見れば一目瞭然なのに。困ったものです。ですが、野菜が「高値の葉」だそうです。へっへっへ、拙宅には大根と白菜、水菜と青梗菜が植わっています。親方の菜園にはキャベツと早生の玉葱、裏山に椎茸もあります。猶不足のものがあれば、隣のおいちゃんが畑を覘きます。ということで全部タダ。ちょっといい気分、自慢になるのは私がもともと天の邪鬼だからでしょうか。 朝ご飯を掻き込んで午前8時前、地下足袋を履きました。いつもの切り出し向け。波越の奧です。おっ、Mさんが焚き火をしていました。今日は目を腫らしていました。背中が痛いので膏薬を貼ったら「目にきた」のだそうです。目にこなかったら蕁麻疹が出るそうです。御年米寿。未だチェーンソーと鳶口を扱う元宮大工さんです。 ここでしばらく火にあたりました。さてと、いっちょう頑張るか。山に入りました。寒い。今日はジャンパーを着ての作業となりました。 矢を打つのは結構な運動です。いつもだと、玄翁を振るうとポカポカし始めるのですが、今日は違いました。身体が暖まりません。 20本ばかり倒して親方曰く「今日はこれくらいにしておこう。風も吹くしな」 親方が杉の丸太を軽トラの荷台に積んでくれました。ユンボであれば忽ちの作業。細いものは輪子、直径60cmのものは椅子にしようか。帰宅して午前11時。妻は大分へ研修に。私は荷を下ろして昼ご飯。サッポロ一番味噌ラーメンが欠品。NISSINのチキンラーメンにしました。乾麺の窪みに卵の黄身を載せて、ストーブに沸いた湯を注ぎました。 午後、バケツの灰をビニール袋に入れました。先のMさんに届けるためでした。蒟蒻をこさえるそうです。来週に入院、腎臓結石を除く手術をすると聞いていました。ならば早くに、ということで午後も波越向け。それを彼に渡しました。写真はドラム缶を輪切りにしたものです。火が燃えていました。彼曰く「よこしなーおまい、くうきんくちゅぅあけちょるんじゃが。したぃにゃーてつんあげぞくぅーこさえちょるんぞ。なたぁーあゆぅやくんじゃーが、こいたーおまい、みががほしがるわい、うひひひぃー、よい、ほいての、ひぁおまい、とぎがなけらにゃーもえんのじゃが」(横に空気の穴を開けている、下に鉄の上げ底板を強いている、夏にはこれで鮎を焼く、みんなこれを見て欲しがる、余談だが、焚き火は2本以上を同時に燃やさないと火が持たない、連れがいないと火は消える) とぎ(連れ・友だち)がないと火はもえん、蓋し名言です。 午前は彼の話をスマホに録音。午後は始終をコンデジに動画撮影しました。途中でメもリーが一杯になりました。 さてと、市内某所、別の切り出しに行こうか。でも迷いました。理由は、チェーンソーを使った後、その場を掃く箒を家に忘れたからです。倒すところはアスファルトの上です。道路上のようなところです。其の儘にしておいたら次ぎを切らせてもらえません。財布を忘れ、途中での購入も能わず。それを話したら、親方が1,000円くれました。これで買いなさい、とのこと。そこを後にして、切り出しへ向かう途中、荒物屋に寄りました。900円と198円の2種類ありました。迷わず後者を手に取りました。 作業は2時間で終了。後片付けをして自宅へ。一升瓶までのものは其の儘でOKです。それ以上は半分ないし1/4にカット。そうしました。それにしてもiphoneの写真は・・・。 おっ、割れ口からマイマイカブリの野郎だ。しかも3匹。悪いな、冬眠を邪魔して。 午後5時、斧を置きました。走ろうかと思いましたが、身体が強張ってその気力なし。風呂に飛び込みました。NHK第一放送が「地球ラジオ」をやっていました。この番組、好きなんです。今日のテーマは「今年行ってみたい外国」でした。モルディブの旅行会社で働く日本人女性と電話が繋がりました。夜光虫の海岸が美しい、というような話でした。この番組、NHKのHPで再聴可能。試しに如何ですか。 頭を拭き拭きふなぐちを嘗めていたら、妻が帰ってきました。美味しい牡蠣の駅弁を買ってくれていました。渡りに舟でした。カメラメモリーが不足につき、写真はありません。彼女がプラタモリの宝塚特集を見始めました。私はいい気色になったので別室、タンノイの部屋へ。ベームを聴きました。ブルックナーの4番。定番の盤ではなくドレスデンシュターツカペレ。1936年録音です。深かった。今日の一句蒟蒻を米寿が作る灰が要る今日のランなし今日の酒ふなぐち2合 ワイングラス2杯 焼酎一嘗め今日の写真は野焼きです。波越に向かう途中、津志河内付近で撮しました。炎の色合いがいい感じです。
2018年01月13日
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平成30年1月10日(水) 午前6時起床。晴れ。ホテルのチェックアウトは午前10時半。遅い出発でした。何せ、昨夜は練り歩きましたから。ということで正月早々ポカ休二日目。ファミレスに突っ込み、ブランチを一緒しました。以下は彼の問わず語りです。昨日、移動の車中、或いは夜、酒の席で聞いた内容を合わせて問わず語り風に、です。「一昨日は宮崎空港に降りてね、都会の呉服商で働き、地元宮崎に帰省したという友人と久し振りに会って来たよ、病気したらしいが元気になっていた、随分痩せたようだ、互い、健康に気をつけないといけないな、でも酒は毎日飲んでいるよ、ビール1杯と後は焼酎を2合くらいかな、外で飲んでも1次会で万歳だ、次の店には行こうと思わなくなったよ、でも昨晩はよく二人して飲んだな、実を言うと今晩も酒盛りだ、豊前海に面したまちで取引先の社長と会うんだ、彼は大酒飲みさ、年始の挨拶だけなんで当然酒席になる、今日はそこへ夕刻までに着けばいい、明日は朝一で博多のお客さんと会う予定、こちらは仕事、それが終わって福岡空港から成田へ向かうよ、貰った梅酒は空港で引っかけるね、ところでお前、そろそろ退職だろう、辞めてどうするんだ、何?、野菜作り、樵、読書、物書き、人との出会いを含めた旅行記?ふーん、そうか、したいことが沢山あるんならそれもいいよな、いや、それもいいどころじゃーないな、還暦を過ぎたら遊びも含めやりたいことをやるべきだ、いつまで生きるかわからない、残された人生にあってはそうすることが一番だ、羨ましい、お前は子どもが独立したからいいよな、俺のところ、長男の方は何とかやっているようだけど、芸大の二男はまだ大学4年だよ、院に行く予定だからもうしばらく頑張らないと。70までは働くつもりだよ、幸い、このところの決算はいいし、仕事も面白い、大きな取引も迫っている、頑張るよ、でも年3回は10日ほどの連休を入れたいな、お前はサンデー毎日になるからいいな、羨ましいよ、ところで俺の親はね、二人とも老人ホームに入所している、関西なので自分の住む千葉とは離れている、お前のように親の元に住んでいるのが一番の親孝行だよ、嫁はんの実家も佐伯だろう?俺なんかかみさんの実家は室蘭だぞ、そうそう、お前、この前、インドへ行きたいと言っていたな、来週、行ってくるよ、次ぎに行くときは声をかけるよ、場所はケララ州、以前コーチンとよばれたコチというまちの南にある漁村だよ、ブイブイという商社があり、そことの取引だ、大体5泊6日くらいになるかな、今回はマレーシア航空だけれど、お前と行く際はスリランカ航空にするよ、コロンボ経由、その方が安い、あっ、そうそう、コーチンにはバスコ・ダ・ガマの墓があるよ、お前、そっちの方の世界が好きなんだろう?」 彼から聞いた話は大体このようなことでした。大分駅に彼を送りました。丁度旅行を終えた妻が待っている時間でした。彼を見送り、彼女を拾いました。真っ直ぐ帰宅。 家についてぼんやり。朋友との楽しい時間はあっという間でした。陽の傾いて着替えました。ウォーキングにジョグを交えて1時間。風呂を浴びて晩御飯、本を持って早めに就寝。バタンキューでした。今日の一句再来年アラビア海にきっとだぞ今日のランラン3km +ウォーク30分今日の酒缶ビール半分 もう半分は妻が飲みました。今日の写真は今朝Kが見せてくれた海老の見本です。彼はその個人輸入業者です。平成30年1月11日(木) 午前6時起床。後れを取りました。新聞を読んだだけで朝食。慌ただしい出勤となりました。ポカ休をとるとリズムが悪い。精神上も。 終日、小雪が舞いました。寒し。写真は工場の煙突です。出勤途中に撮しました。煙が北風に吹き流されていました。 デスクの上に稟議書や決裁の山が出来ていました。 仕事を終えてまっすぐ帰宅。日中の最高気温は5℃前後だったのでしょうか。帰り着いての外気温は早くも2℃。風呂に入ったら?との勧めを躱し、着替えました。ランシューズを履き、家の周囲をちょっと一回り。汗を少しだけかきました。 夕飯を食べて、BS朝日のドキュメンタリー「遥かなる深海大冒険!4時間スペシャル 密着しんかい6500 中村征夫が夢の海底へ」を見ました。社会にはあれこれ多くの仕事がありますが、こういった目先の利益追求とはかけ離れた調査・研究分野に携ってみたいです。主人公の中村氏は別として、働いている方々の顔つきは世俗に塗(まみ)れていない。「あっ、そうだわ、今日は鏡開きよ、急がなくっちゃ」妻が小豆を煮はじめました。ぜんざいをこさえるとのこと。アルマイトの鍋をストーブの上に乗せたらコトコト。ドキュメンタリーが終わるころ、いい具合に煮えました。時刻が時刻なので、明日の朝に食べることにします。 書くことがないので小学館の宣伝を。「小学館電子全集」というのが刊行されて久しいです。この1月末まで、「えりすぐり50タイトル全文無料」と題し、読み放題キャンペーンが行われています。既に青空文庫収蔵のものもありますが、宮脇俊三や三浦綾子のものも。先日このサイトで「泥流地帯」を読みました。名作です。如何ですか。「氷点」もありますよ。宮脇氏のものでは名著「時刻表2万キロ」や「途中下車」「駅は見ている」も。今日の一句風花や光る海にも舞いにけり今日のラン3km +ウォーク20分 寒し今日の酒ノンアルコール今日の写真はとろろ昆布です。昨日某店にKを案内した折、目について買いました。好きなんです、これ。もう1枚は神戸に住むSが妻にくれたチョコレート・モンロワーズ。そうなんです、彼女は関西方面への旅行でした。平成30年1月12日(金) 午前6時起床。晴れ。朝の外気温-2度。冷えました。それが証拠、ツーシーター四駆ミッションのバックミラーがこの態です。 もう1枚、霜に凍った菠薐草。なかなか大きくなりません。 朝ご飯は昨晩のうちに出来上がったぜんざいでした。 入った餅は私がストーブの熾火を手炙りに移して焼きました。いい感じでしょう。 終日デスクワーク。昼はそれにとサンドイッチと野菜ジュースを買ってありました。隣の課の若手がやって来て、今日は皆でラーメンを取りますが、どうします?と声を掛けてくれました。二つ返事を返しました。写真がそれです。これで5/6ラー。太麺、それも直です。豚骨味。ここの、好きなんです。 夕刻、会社を出て、つね三へ新年の挨拶をしようか。そう独りごちてハンドルを握りました。いや、待てよ。先だってKを伴って昼に訪ねたな。美味しい鯵寿司ごまだしうどんセットを食べたことを思い出しました。思い直し、真っ直ぐ帰宅。寒いし、妻はコーラスで不在。走るのを断念。ラジコの流れる防水スピーカーを持って風呂に入りました。湯船に浸かって、嗚呼金曜日だな、ポカ休を取ると休みの巡ってくるのが早い、明日は何をしようか。山に入ろうかな、それとも家でゆっくりしようかな。 夜は独りの食事。ホルモン鍋をこさえました。ただしnkucchanや禁玉さんのようにまともな料理は出来ません。セットものに牛肉スライスとキャベツ刻んで追加。ぐつぐつ煮て、それをつつきました。見せられたものではありません。写真なしです。 食べ終えてベームのモーツァルト。古い録音でしたが棒捌きに躍動感を感じました。お休みなさい。今日の一句独り鍋斯くもあらんや骨鑢(ほねやすり)今日のランなし今日の酒ふなぐち1合今日の写真はネタ切れにつき年末年始に集めた薪の全景です。今週末も1車~2車分を此処に積み足す予定です。
2018年01月12日
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平成30年1月8日(月) 午前6時起床。雨。朝のうちに妻を佐伯駅へ送りました。友人二人が示し合せて観劇の小旅行を計画していたそうです。そのうちの一人がドタキャン。チケットがもったいないのでピンチヒッター如何、との連絡があったのでした。行程は2泊3日。出かけて行きました。 駅から戻り、さて何をしようか。雨ということもあり、山へ入ること能ず。一人、家の中でストーブを燃やし、本を手に取りました。思わぬ暖かさとなりました。暑いくらいの室内温度に閉口。当然活字を追うのが面白くない。録り溜めたビデオを見ようか。NHKのシャーロックを回しはじめました。これにも没頭出来ない。よし、拙宅を冷やかしたいと言っていたSさんにTELしてみよう。多分無聊を託っているはず。連絡をとったら、案の定でした。午後、やってきました。女性を一人伴っていました。コーヒーを出して、ベスキのBACHをかけました。トラの耳が動き、彼女が「あっ、この猫、音楽を聴いている」そうと判ってくれました。そうなんです。時折、ブログにBACHを聴く猫と書きますが、本当なんです。写真はやってきた二人です。 話が弾みました。私も話題の飛ぶ男ですが、Sさんはその上をいきます。次から次、好き勝手のおしゃべりでした。楽しい時間はあっという間に過ぎました。夕刻、午後5時を過ぎて彼らを見送りました。また来ないかな。 サヨナラして勃然「えい、ままよ。今日はもう風呂なんか入るもんか」妻の作り置きをチンして、冷酒をひっかけました。もの足りません。Sさんに頂いた焼太刀を開封しました。これ、ツマミに最高。それから3時間、ブラームスを大音量で楽しみました。成人の日、祭日の月曜日にどこへも行かず、何もせずの一日でした。オーバーホール。今日の一句雨樋を小寒伝う百舌の声今日のランなし今日の酒冷酒2合 麦焼酎2合今日の写真はSさんと一緒にやって来たM女史に頂いた焼酎です。彼女、出身は西鉄沿線のまちだそうです。3月に結婚の由。幸せ一杯の様子でした。新婚の味がするのかな。抜栓が楽しみです。平成30年1月9日(火) 午前6時起床。晴れ。北風強し。気温もぐっと下がりました。 連休明けなのにポカ休を取りました。東京から友人がやって来るというのが理由でした。彼は昨日のうちに宮崎で所要を済ませ、延岡のホテルに泊っていました。午前9時にそのの玄関で待ち合せの約束をしていました。東九州自動車道を南下。強風にハンドルをとられそうでした。1年ぶりの再会でした。久闊を叙しました。佐伯にとって返し、兼ねてから依頼を受けていた案件に関し、関係先を案内しました。午前・午後を費やしました。写真は昼に食べたつね三のごまだしうどんです。 鯵寿司とセットです。この二つで800円はコスパあり。しかも鯵の方は10分前まで丸のまま、朝獲れ定置のキンキンバチバチです。大将も3枚に卸しながら「実にいい身だ」と言いました。粘りつくような脂ののりでした。 彼の用件はいい話になりそうな予感。よかったです。夕刻、ちょっと拙宅に寄り、トラの世話を終え、ハンドルを大分方面に切りました。城址公園近くのホテルへチェックイン。早速都町へ出撃。余談ですが札幌にススキノ、博多が中洲、金沢が香林坊、釧路だと末広、而して大分の盛り場が都町(みやこまち)なんです。突っ込んだ先は地鶏と豚を出す料理店。先ずは乾杯です。明けましておめでとう。 当てはこれを注文。 鳥天や角煮と一緒に大分の地酒西の関と佐賀の東一を流しました。注文を間違え、純米大吟醸を幾本も流し、勘定が倍になってしまいました。 「おい、飲みたりないな。腹もイマイチだし」ということで屋台を冷やかすことにしました。何だか釧路の赤横のよう。 写真に写るカラフルな暖簾に突っ込みました。 女将さん手造りのあれこれがてんこ盛りでした。話を聞くと、なんと佐伯出身とのこと。何たる偶然でした。おでんを食べて燗酒をやっつけました。 そこを出て「おい、バーにいこうや」でもアウェーです。心当たりがありません。盛り場に店を出すリカーショップを覘きました。お兄さん、いい感じの店を教えて頂戴。2軒の道順を説明してくれました。その1軒に突っ込みました。 店の名前を失念。おっ、サッポロ・エーデルピルスがあるぞ。 それを貰いました。深い味でした。 相棒は安ウイスキーを注文。グラスを干したので私もウイちゃんを。でも折角ですから飲んだことのないものを。フランスのシングルモルトが出てきました。残り香に癖がありました。 「おい、リカーショップの兄さんにもう一軒、店を訊いたよな。そこにも顔を出さないと失礼だ」そうしました。最前の店は若いお兄さんでしたが、此処は年配のバーテンダーさんでした。いろいろと蘊蓄を知っているようでした。相棒はギネスビール、私は何を飲んだか忘れました。 「おい、小腹が空かないか」此処に突っ込みました。 此処も何を飲んだか覚えていません。 カメラに写真が残っていました。鯵フライとカキフライを頼んだようでした。 もう打ち止め。1軒で帰る予定がすっかり狂ってしまいました。ホテルへ帰る途中、亮さんの病気がうつったのか、こんなものに手を出していました。翌朝目が覚めたら、包装のビニルがゴミ箱にありました。どうしようもありません。今日の一句朋友と小寒の夜に酒を汲む今日のランなし今日の酒覚えていません。今日の写真は酔う前、私のまちの漁村を案内した時のものです。北海道の番屋に似た古い倉庫。以前、魚の加工をしていたところのようです。風情あり。その裏山、高台に登ってみました。空の地蔵のあるところです。眺望が素晴らしい。此処は釣りバカ日誌19のロケ地になりました。幸福の鐘なるものも設置。あちこちでよく見かけます。 眼下を覘きました。どうですか、黒潮の海。冬であっても、の色合いです。
2018年01月09日
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平成30年1月7日(日) 午前2時起床。曇。終日無風。元日の読み残し、新聞2紙を捲りました。その後、dマガジンをチェック。ブログを書いたら夜が白みました。風がなかったので、燃え残りの椎の丸太に火をつけました。霜の降りた朝、焚き火ほど心地よいものはありません。 朝ご飯を食べて地下足袋を履きました。波越に積み残しの樫がありました。それを取りに向かいました。ついでということで、親方の切り出しに寄ってみました。今日はこれを切る、というので少し加勢をすることにしました。取り付いたところの写真です。 チェーンソーを1時間半ほど回しました。20本ばかり倒したでしょうか。上手い具合に同方向へ並べました。こうしておくと、親方の玉切り作業は楽です。 樫を切り捨てているところに廻りました。鬱蒼とした林道、曇空も相まって、今日は山中の気持ちよさを感じませんでした。昔、此処の近くに人焼き場のあった、と親方が言っていました。そのこともあって凛とした森閑ではありませんでした。積み込みを急ぐに如くは無しです。写真は持って帰った薪です。小切るのは後日に回しました。 寒いのに苔の緑が美しい。 昼はサッポロ一番味噌ラーメン。これ、好きなんです。昔からです。火を止めないうちに卵を一つ落とします。少しかき混ぜて鉢に盛ります。暖まりました。も一度軽トラに乗りました。別の切り出しに向かいました。大きなウバメを1本倒しました。 30~40cmに玉切りました。忽ち満車。積載に限度があります。積み残しが出ました。次回、やって来た時、一緒に持って帰ろう。写真は満車状態の荷台です。 ウバメカシは堅いです。でも生木です。割ることができます。ダイナマックスの斧が出番です。大きい丸太には力一杯、数度打ち下ろしが必要でした。 直径が30cm近くになると、四つ割りにします。割る目安は、炉に入るか否かです。割ると乾燥も促しますし。拙宅の薪ストーブは直径25cm、長さ50cm程度までが許容範囲。ということで直径20cm前後のものまでは丸太のまま。それ以上は斧の出番となります。次の写真は前の写真を四つ割りにした図です。燃やせるようになるまで最低2年の乾燥を要します。 始末のついて、着替えました。今年の走り初め。身体が重かったです。 今夜の食事は猪鍋。写真にはありませんが、野菜たっぷり、肉もたっぷり。小野市に住む父の友人に頂いたものでした。半分、残りました。年末年始、4人分の量をこさえていました。妻の感覚は、まだ元に戻っていません。ということで、明朝メニューはこの残りに決まったようなものです。 川端康成を手に取りました。数分で睡魔。バタンキュー。今日の一句七草の粥を啜りて杉を切る松の内山仕事冷え牡丹鍋今日のランジョグプラスウォーク50分今日の酒プレモルレギュラー1缶 白霧等2合(お湯割り)今日の写真はマッチです。昼前、山の帰りに波越の溜まり場へ寄りました。MのおいさんとWさん、それに親方の3人が焚き火を囲んでいました。世間話を好き勝手がいい感じでした。Mのおいさん曰く「昨日はおまい、ままこんせんたくびよりじゃったんじゃーがよい」その通り昨日は快晴でした。一昨日は雨、朝は霙が混じりました。大雪の翌日はよく晴れることをして、継子の洗濯日和というのだ、と宣いました。 気象学ではその通りなんでしょうが、その快晴を何故継子の洗濯日和と言い始めたのか。調べてみました。 大雪の翌日、本家の家族は炬燵で団欒、しかし継子(血のつながりのない、生みの子でない子)はそうすること能わず、あれこれ用事があります。それを終えて「お義母様、済みました」。継母は鸚鵡返しに「それじゃー次は洗濯よ」。仕方なしに裸足下駄、皸(あかぎれ)の手を冷たい水へ。その背中を見かねてか、太陽の神様がポカポカ陽気、暖かい日射しを彼女に降らせました。 これが、大雪の積もった翌日は暖かい洗濯日和、のネタです。悲しくも暖かい洗濯日和が話でした。さて、昨日はその日和でしたが、今日は曇り空。ということで波越の3人が火を焚いて手炙り。その着火がこのマッチでした。
2018年01月07日
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平成30年1月6日(土) 午前6時起床。後れをとりました。晴れ。北風強し。今日の朝餉は妻の心尽くし。ご飯がいつもより白かったです。彼女は息子の朝と同様、おにぎりを3つこさえて娘に持たせました。駅に送るのは妻。私は玄関先で行ってらっしゃい、元気でな。妻子のツーショットをカメラに納め、見送りました。老父老母が金木犀の下に立って待っていました。これも息子の時と同様の滂沱でした。写真は午前8時半、行ってしまった後のトラです。声を掛けても振り向きませんでした。 前に回って、おい、どうしたんだ。顔を覗き込んだら、何ともいえない表情でした。 さてと、まだ地下足袋を履く気分になれません。ブログを書いて本を読んでいたら妻が戻って来ました。娘の蒲団を干し始めました。庭先の物干しに運びながら、正月にした断捨離の続きをしないこと?声をかけられました。それを鬱陶しく感じるのは、まだ正月気分が半分残り、寂しさもあってのことなんでしょう。よし、時刻が下がったけれど、親方にTELしてみよう。電話の向こうから「樫があるぞ」元気な声が返ってきました。午前11時前、地下足袋を履いて出発。道中、津志河内橋のピア補修現場に下がる吹き流しが北風を腹一杯でした。青空がいい感じでした。北西の寒風をして、阿蘇・久住は雪だろうな。 親方は早くも本腰でした。 薪はこれ。玉切りやすいよう輪子の上に並べてくれました。 チェーンソーをかけました。谷間、寒い空気にエンジン音が響き渡りました。これこれ、この音がいいんです。早速取り付きました。どうですか、この切り口。直径25cm。燃料としては一等です。 満車にするまで30分。作業のおかげで暖まりました。写真は家に到着の図です。 帰宅しての昼は栗ご飯のおにぎり。香の物と食べました。お茶を飲んだ午後は薪割りです。堅い樫も生だと割れやすい。椎のよう斧の刃を見せるだけで、とはいきませんが、一撃でOK。オーストリアのダイナマックスが活躍しました。 これを一輪車に積んで野菜畑を縫って運び、父が作業小屋の外壁に積み上げました。終日燃やすとして、写真に写る量で1日、保って1.5日でしょう。依って今日の軽トラ1車分で10日前後かな。 まだ時間がありました。薪小屋の横に捨て置いた筋トレマシーンの残骸を軽トラへ載せました。リサイクルの会社へ搬入。850円を受け取りました。ラッキー。鉄屑ということでお金になりました。 とって返し、ウォーキング。FのRさんと行き遇わせました。一緒に歩きましょう。そうしました。彼は還暦を過ぎて久しい70前の歳。造船所を退職の後は自適を送っています。娘同士が小中学校の同級生。とうことで、ながらの話はもっぱら子どものことに。彼の娘さんは美容師になり大分のまちで店長をしているとのこと。へーっ、そうなんだ。近くに住んでいるんですが、全く知りませんでした。 1時間も歩いたでしょうか、風呂に湯を張ってSTVの落語放送を聴きました。小さんの富籤、よかったです。頭を拭いてプシュッ。クーッとやって、今日で松が明けたな、そう独りごちました。今日の一句蒲団干し妻の決心初掃除今日のランなし今日の酒エビスレギュラー1缶 白波2合 ワイン1グラス今日の写真は掘った穴です。隣のA姉が柚子の苗を1本くれました。10年経たないと実を付けないそうです。ウーン、先は長いな。被せた藁は霜よけのため。
2018年01月07日
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平成30年1月5日(金) 午前4時起床。雨。湿りは何日ぶりかな。午後にあがりました。夕陽が射しました。夜はまた雨。朝ご飯のおかずは佃煮でした。娘が土産の今半。 妻が栗ご飯を炊いてくれました。 釜一杯だったので、残りはおにぎりに。 満腹になって出勤。終日デスクワーク。会社は早くも仕事モード。某業務の委託契約先がインフルエンザで沈没。悪役商会のチームがてんてこ舞いでした。彼等は今週末も出勤です。頭が下がります。 真っ直ぐ帰宅。早めの風呂に入りました。晩ご飯は娘と妻合作の鮭ホイル焼き。二人の湯上がりまで待つこと暫しの時間、私はこれを当てに土佐鶴純米を流しました。 年末年始の間、薪ストーブの灰を掃除していませんでした。24時間、火の強弱はあっても燃えっぱなしでした。食事を終えてそれを始末。熾火を横に寄せ、残った灰を十能で掬いました。ブリキのバケツ一杯になりました。1週間に一度の作業です。写真は取りかかる前の炉内です。近づくと遠赤外線が熱い。 その熾火で妻がみかんを焼きました。これ、嵌まりそう。皮をむく時、火傷に注意です。 さて、昨日は新聞記事からの引用でしたから、今日は年末の週刊誌から。私、dマガジンの会員です。雑誌に一通り目を通すのも日課です。週刊誌にもよりますが、ゴシップやフェイクに近い記事が多いです。数多ジャンルの中で書評やシネマの案内が興味深い。 年末に発行の週刊現代1月6.13日号に「決定!平成の小説ベスト50」というのがありました。順位を見て頷首。驚きは宮部みゆきがベスト10の中に3作も入っていることでした。へーっ!が二つありました。一つは一昨日に見たアニメ「虐殺器官」の原作が10位にランクイン。伊藤計劃(けいかく)がハヤカワ文庫JAから刊行の1冊です。も一つは、昨年刊行の高村薫「土の記」が入ったことです。彼女は明けての元日、第59回毎日芸術賞を受賞とその紙面に載っていました。土の記はまだ読んでいません。昨年は「空海」を読みました。土の記につながるような内容でした。次作に期待が膨らみます。ちなみにベスト50を見たい方、それを掲載のHPは許可されていない属性を使用しているので、「平成の小説ベスト50」でググると、見ることができます。今日の一句ストーブの熾火掻きての繰り言よ今日のランなし今日の酒燗酒2合 ワイン1グラス ラガウリン1ショット今日の写真はトラです。お前も感じるのか。
2018年01月05日
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平成30年1月4日(木) 午前4時起床。晴れ。 仕事始めでした。詳しいことは書けませんが、部下の半分は元日だけ休んで、年の瀬も明けての2日、3日も交代で出勤でした。ライフラインを担っているので仕方ありません。朝礼で先ずそれを労いました。朝一、社長の訓辞を聞いて、一年が始まりました。 私、来年の3月末で退職です。今年1年、会社と株主に恩返しする気持ちで、と誓いました。しかし豆腐の根性なので胸の内、関心はその先のこと。だから外見だけでもそれに気付かれぬよう、というのがせめてもの、ではあります。 午後、会議がありました。ボードの手を患わせることなし、事務レベルで済ませることの出来た内容でした。誰かキーパーソンはいなかったのかな。 真っ直ぐ帰宅。3人で食卓を囲みました。明後日の朝には娘も出発。それを思うと、話は弾むのですが箸が重い。一緒に録画した田中陽希の番組を見ました。300名山登頂を前にしての大雪山訓練を撮った内容でした。冬の北海道に惹かれました。それを見終え、DVDミスサイゴンを見よう。娘に水を向けられました。一昨年の年末、久留米で市村正親の舞台を見ました。酒を飲んでありがたくなったこともあって「おとうさんはいいや」断りました。私に見せるため、態々持ち帰ったのに。悪かったな。 さて、年が明けて4日になると、書くことがありません。ということで新聞記事から。 元日の朝日が特集を組んでいました。「時代の転機」という大見出しに惹かれ、読みました。その中で国分功一郎氏が「暇は自分のすることを決められる自由、退屈は満たされない状態、暇だからと入って退屈するわけではない、楽しむには自分と向き合う時間や訓練が必要」と述べていました。続けて「人は楽しみ方を知らないと暇、自由の中で退屈する。退屈が辛いからスマホに貴重な時間を奪われる」とも。その通りでした。後にハンナ・アーレントの言葉を引用。「孤独と寂しさは違う」その説明として国分氏は「孤独とは、私が自分自身と一緒にいること。自分と一緒にいられない人が寂しさを感じ、一緒にいてくれる他者を求める。だから、自己と対話できない。孤独にならなければ、人はものを考えられない。孤独こそ、現代社会で失われているものです」まさしく、ではあります。 この記事を読んで今年は前向きに「孤独」と向き合うのもいいな、そう思った元旦ではありました。今日の一句鬱々と御用始めのペン重し今日のランなし今日の酒ふなぐち1合5勺 白波1合今日の写真は夕餉三題。1枚目は熟成のなった鰤鎌。我ながらいい塩加減です。ふなぐちといいマッチング。腐っても鯛という言葉があります。筍は冷凍しても筍です。あと3ヶ月、桜が散るとニョキニョキ出てきます。それまでに食べ終えないと。ということで味を付けて煮てくれました。いい風味でした。 最後はメイン。大和芋と青梗菜に椎茸他、ハムを加えてオールスパイスというぶっ込み香辛料とオリーブオイルで炒めたようです。娘作。複雑な味がよろしい。ワインに手が伸びかかりましたが、我慢しました。余談ですが禁玉家が三日とろろ。半分、真似をしてのことになりました。
2018年01月04日
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平成30年1月3日(水) 午前4時起床。晴れ。外気温0℃。日中も10℃でした。 寝坊助の妻が今日ばかりは早起き。午前7時に家を出る息子のため、朝餉の用意をしました。写真は午前6時、トラと最後のスキンシップ。猫も寂しさを感じるのでしょう、想うところありの顔をしていました。 好きなアオサの味噌汁と柳葉魚に玉子焼き、大根おろし。好物の鰤熱めしを頬張りました。写真はその漬けです。 とっておきの苺です。パクリして本人、出立の甘酸っぱさが口に沁みたか、美味しいの言葉がありませんでした。 午前6時半、まだ明けやらぬ時刻、勝手口をコンコン。老いた父がやって来ました。孫の上京を見送るためでした。薪ストーブの前のソファーに座り、トラを抱きました。本人に言葉を掛けず、ネコの頭をポンポンが別れの言葉でした。次の帰省は夏か冬です。そう知って、母も言葉なしの見送り。玄関の前に佇み、手を振る滂沱に胸が詰まりました。妻は、おにぎりを三つ持たせました。中身は鮭とタラコが二つ。何時までも子離れ能わず、ではあります。写真は高速バスのターミナルに送った後、帰る道すがらの元越山です。午前7時半、日の出前です。宴の過ぎ、寂しい空気に戻りました。寒さひとしおです。 帰宅して軽トラの荷台を覗きました。勢いで文庫本を放り込みました。こんな感じが何束も。貝塚茂樹の論語を本当に捨ててしまっていいのか。そう言う声が聞こえました。でも決めたんです、断捨離。 プイと横を向き、家に入りました。さあ駅伝を見るぞ。そう独りごちて、テレビのスイッチを入れました。見始めてすぐスマホの話になりました。娘の言を入れ、解約と格安のSIMカードを購入することにしました。早速出発。突っ込んだ先はここ。 手続きに時間を要しました。待ち疲れました。しかし、月々15ラーの経費が4ラー足らずになりました。しかも妻と私の2台分です。合わせて20ラー以上の節約です。長時間かかろうとも我慢我慢。娘曰く「何も知らないお父さんとお母さんは通信会社のいい鴨だよ」ホント、これまでいい鴨でした。各種手数料は初売りなのでサービス、タダになりました。加えて5ラーを要すロック解除も娘がチャチャッ。お店の世話になりませんでした。勿論、iphoneは其の儘使用です。 この礼はしないといけません。何を食べたい?彼女曰く「回転寿司に入ったことがないのでスシローがいい」そうしました。 皿の詳細は省略ですが、回転寿司でアルコールを飲んだことがありません。チャンスでした。使いにくいタッチパネルで先ずはポチ。出てきました。グビッ。ああ、いい正月だ。この6連休、チェーンソーも回したし、鰤を血の池地獄に送り込んだ。大掃除もし、スマホの料金も節約。締めにスシローがよろしい。 食べ散らかしました。女性は少食です。これに大食漢の息子がいたら皿のタワーになっただろうな。〆は夏に苛められた茄子を注文。これが美味かったです。 帰宅してぼんやり。薪を居間に運び込んで、見残しのDVDを見ました。虐殺器官。内容は深かったです。原作はSF小説。お薦めです。 昼が遅かったので、お腹がよかったです。晩ご飯はなし。寝る前にハイボールを飲んでバタンキュー。 明日から仕事です。2日出勤したら3連休です。今日の一句おにぎりを持った背中が遠くなり今日のランなし今日の酒生ビール1ジョッキ ハイボール4杯今日の写真は夕刻、空に現れた雲です。何かに似ているような。昨晩、娘が見た「龍の歯医者」というアニメに出てきそうなイメージでした。雲の形、想像力を膨らませてくれます。
2018年01月03日
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平成30年1月2日(火) 午前4時起床。快晴。未明の外気温0℃。新聞休刊日。 朝ご飯は蕪の味噌汁と鮭に納豆でした。素材は普段と変わりません。が、子どもたちの帰省中もあってか、ワンランク上の味がしました。気のせいかな。 妻はユニクロの初売りに出かけました。11時開店を10時と間違え、寒風の中待機中とのメール。残った3人は箱根駅伝を観戦。思いついて息子に、使わなくなったスノーボードを屋根裏から降ろすよう言いました。写真に撮ってメルカリかヤフオクに出品しよう、そんな話になりました。拙宅は物置代わりが天井の上です。登る階段の両サイドは酒瓶がぎっしり。覘いて驚く息子に、親が死んだらお前たちが片付けるんだ、そう嘯きました。横から娘が、今日するんだったら手伝うよ、そう言ってくれました。よし、やるぞ。正月早々、親子3人、大掃除を始めました。主なものは記念品や頂いた食器の類、賞状、人形・・・。写真は東京の魚河岸に勤めていた頃、所属した草野球チームに貰った記念品です。数年間、投げました。硬式経験者にとって軟式球はゴム毬同様。1年目はストレートが走り、変化球も切れました。調子に乗って数年後、肩を壊しました。あの頃、市場で働き、キャッチボールした同僚、今どうしているのかな。 もう1枚、こんなものもありました。献血50回を記念の金色有功章です。とっておいても腹は膨れません。30回記念の銀色もあわせポイ。 最も多いのは書籍。学生時代の教科書やノートもありました。筋力トレマシンや熱帯魚の水槽も。階段の下に降ろして、そこからは台車に載せて。軽トラを横付けした窓まで運び、荷台へ放り込みました。その一冊一冊には思い出があります。しかし、もう読み返しません。時間がないからです。先日整理したスチール棚に詰めたものもそのうちゴミへ出すことになるでしょう。今日は文庫本を中心に300冊ほどを処分。殆ど学生時代に読んだものです。岩波の生物学事典や水産ハンドブック、国語や英語、ドイツ語の辞書。どれにも手垢が付いていました。見入って手が止まりそうになるのを断捨離の呪文で押し殺しました。こんなものが出てきました。札幌時代、冬は大学構内のテニスコートに水が撒かれ、リンクが出来ました。そこで滑るために買ったのですが、1シーズン履いただけでした。もう滑ることもないな。ポイ。 昼を挟んで午後4時まで。娘が掃除機を掛けて終了。いつの間にか駅伝はゴールしていました。軽トラに溢れたものは薪小屋の隅に積みました。来週末、エコセンターに持ち込みます。 陽が傾きました。さてと、歩くか。独り、スマホのラジオを聴きながら、冬枯れ、北風の中でした。NHKFMが昨年、東京渋谷であった東京ジャズをやっていました。ロン・カーターがよかったです。公民館のグランドに親子の姿。キャッチボールをしていました。写真は父の築山にある木蓮です。 蕾がまだ硬い。 晩ご飯、拙宅におせちはありません。少しの焼き肉とブリの刺身が晩ご飯でした。半身を外の日陰に吊っていました。乾いて皺が入っていました。 裏返すとこちらもカリカリ。でも透きとおった赤身の色は其の儘です。いい感じです。 どうですか、この熟成感。美味い。銚釐の燗で流しました。娘の持ち帰ったDVD「虐殺器官」を見始めましたが忽ち櫓漕ぎ状態。明日、再挑戦です。今日の一句初夢を見させじ今夜佐渡の酒今日のランなし ウォーク40分今日の酒酎ハイ1缶 冷酒2合 白波5勺今日の写真は散歩途中、目についた黄色。臘梅が咲いていました。陽の落ちた時刻。寒そうでした。もう1枚は賀状、冨士マークの下です。数字2018の上にある棒線、よく見たら「明けましておめでとうございます」と書いてあります。犬の足跡、つま先は逆さにローマ字で「FUJI」とも。これ、娘が教えてくれました。
2018年01月02日
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平成30年1月1日(月) 午前6時起床。晴れ。初日の出を見に行こうか、迷いました。車で15分走ったところに絶好のビューポイントがあります。畑の浦峠を越え、尾浦方面に折れて羊腸を上っていくと、空の地蔵に至ります。その途中が豊後水道から日向灘を一望の下なのです。しかし、夜明け前の東空は、雲が多かったです。やめました。 私はこの5月に還暦です。孔子先生に依れば「耳順」です。人の言うことを素直に聴くことができるようになる、という意味です。ふーん、そうなのか。ならば既にその境地だな。なにもかも馬耳東風になって久しいからです。一年の計は元旦にあり、といいますが、正月の朝、さて今年は如何、のあれこれを考えました。耳順をして、そうだ、馬耳東風がいい、そう独りごちました。瓢箪から駒のような気分になりました。来年の3月末で、勤める会社を定年です。ということで今年は「隠居」の準備、が目標です。健康で過ごすことの出来る期間が後何年のこっているか。それを見据え、残された時間を気まま、好き勝手、馬耳東風の隠居。その道筋を考えることにします。これまでも薄々、イメージは出来ていました。それを本気になって考えてみることにします。 さて、これで目標も出来たことだし。餅でも焼こうか。起きてきた娘にそれを頼みました。拙宅の雑煮はこれを使います。膨れて少し焦げ目の付くと香ばしいです。 これを見て、思い出しました。昨晩遅く「お父さん、焼きみかんを知っている?」娘にそう言われました。知らないというと、焼いてくれました。その図です。これを食べるとリラックス効果を得られるとのこと。口にしました。一風変わった味でした。でも悪くない。 朝餉を済ませて、初詣に。近くに熊野神社があります。歩いて5分の距離です。以前、会社に出入りする印鑑屋さんに、初詣は家に最も近い神社がよろしい、末社であっても、どんなに小さくてもそれが一番、と聞いたことがあります。そのとおり、そうしています。社の中に神主の母親が座っていました。近くに住むE姉です。90近くの歳です。賽銭と札の代金回収ににやって来ていました。この神社、お神籤や破魔矢の類を無人販売。お代は三方の上に其の儘というとても大らか、いい感じです。とその時でした。どこやらのお兄さんが「おばちゃん、天照皇大神宮の札を頂戴」E姉「そきぃーある(そこにおいています)、800円」お兄さん「1,000円でお釣りある?」E姉「こん袋ん中ぃ、入っちょる、儂ぁ目が薄ぃーきー、勝手ぃ取っちょくれ」紙袋をの前に差し出しました。写真がその図です。いやはや、ではあります。 此所をあとにし妻の実家に年始。途中、若宮八幡宮に寄りました。参拝客が多かったです。賑わっていました。 おっ、巫女さんたちだ。最前、無人の熊野神社とは大違いです。 札の種類も多い。 義母に挨拶。二人の孫に頬を緩める彼女は80ですが、腰が伸びてとても元気です。写真は馳走になったおせち料理です。「はし本」謹製。美味しかったです。全部平らげました。ビールと冷酒を飲んでいい気色になりました。暫しウトウト。実業団駅伝の終わったのを潮、まだ陽の高いうちに辞しました。 帰宅途中、コンビニへ寄り、毎日を購入。読売は最前、妻の実家で目を通しました。元旦の新聞には目を通さないと、どうも収まりがつきません。帰り着いてダラダラ捲りました。めったに凝ったことのない肩が酷い凝りようでした。拙宅と違い、妻の実家の寒かったせいかな。マッサージ機にかかりました。ほぐしていたら、お客さんがありました。娘の親友でした。関西の某大ホールに勤める筋肉女子です。照明関連の仕事をしています。バイクに乗って、今日帰省したとのこと。娘と二人して、結婚した高校の同級生宅へお祝いを持って出掛けました。 勃然、歩くとするか。妻が「私も」一緒しました。途中、松浦越に満月が上りました。彼女曰く「今日の月は大きいんだって。スーパームーンよ」それを枕詞、娘息子のあれこれが話の接ぎ穂でした。心配性なのは判りますが、こうも長々の愚痴は鬱陶しい。今朝こそ馬耳東風と思い定めたのに、早速うまくいきません。その月に笑われました。 夜はぼんやり。焼酎のお湯割りを嘗めながら賀状を手に取りました。友だちや恩師の顔が浮かびました。写真はその一枚です。ひょんなことから知り合いとなったかわの型絵染工房の主人、河野康子さんから頂きました。大牟田市在住です。型絵染の人間国宝芹澤銈介の愛弟子です。毎年、その年の干支を送ってくれます。交誼を頂いて一回り以上が経ちました。全部とってあります。芸術です。父親を亡くした翌年のものが欠けています。それもまた連環の節目、ではあります。 晩ご飯は鰤シャブ。息子曰く「堅いなあ、これ。俺は養殖の方がいいな」人の好みは様々です。 翻ってトラは昨日がカンパチでした。今日は天然の釣鰤。お前も正月だ。写真は娘に抱かれブラシをしてもらう彼です。産湯に浸かっているような顔つきです。 その娘が毎日使う包丁です。切れ味が鈍ったとかで、持って帰りました。道中は新幹線。飛行機だと持ち帰ることが出来ません。これ、年末に鰤をやっつけた有次と一緒に研いでやりました。鋼の部分が鏡のよう。これがいい感じなんです。エクスタシー。今日の一句元旦に馬耳東風を決め込みて今日のランなし ウォーク40分今日の酒エビスレギュラー1缶 冷酒2合 白波1合 ハイボール2杯今日の写真はその満月。元旦が望、はめずらしい。しんしん冷える外に出ての一枚です。もう1枚、ピンボケですが煙突からの煙も月夜の色に染まっていました。
2018年01月01日
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謹賀新年 拙宅は大分・佐伯の農村にあります。南東に文豪国木田独歩の登った元越山(標高五八二メートル)が鎮座します。その稜線に遮られ、元日の来光は午前八時前となります。私は早起きです。未明、火鉢で手を炙ります。熾火を見つめていたら、皆様の顔が浮かんできました。以下に日頃の無沙汰を詫び、近況を書くことで、新年の挨拶にさせていただきます。 昨年五月、十五年ぶりに管理部門を離れました。久しぶりの営業は清濁の世界でした。プライベートはランニングの距離が減り、酒を飲んで腹が出ました。週末は樵、音楽、読書、ブログを毎日楽しみました。妻は支援学校に働きました。唯一の趣味、コーラスだけは週一欠かさず。夫婦になって三十有余年、否が応でも毎日はやってきます。互い、気持ちを飼い慣らし、並んで野菜作りの野良を楽しく感じるようになりました。私は今年、妻も来年、いよいよの還暦です。 二人の子どもは都会の独身生活を謳歌。年末に帰省しました。元旦の朝は布団にまだ夢の中です。その孫が帰省は父母の楽しみです。破顔。父は夏に心耳の手術をしましたが、秋には鍬を持つまでになりました。母も妻の母もお陰様で元気にしております。 外が明るくなりました。飼い猫のトラが眠そうな眼をして欠伸をしました。一年の始まりです。去年はトランプ、北朝鮮、エルサレム。きな臭い話が多かったです。今年はオリンピックやサッカーワールドカップがあります。平和の祭典が文字通り世界平和をもたらすとよいです。今年一年、皆様によいことがありますようお祈りし、ペンを置きます。
2018年01月01日
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