「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.11.15
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カテゴリ: 美術館・博物館
シャガールはロシアからフランスへ亡命し、アメリカへと逃れます。最近の世界情勢を見ていると人ごとではないと思うのであります。やはり戦争の影が・・・。

Marc Chagall


ロシア帝国もソヴィエト・ロシアも

私を必要としていないのです。

私は、

彼らに理解されない異邦人なのです。


[シャガール]


​シャガールとは・・・どんな人?

マルク・シャガール
​Marc Chagall​

1887年7月7日〜1985年3月28日(97歳没)

20世紀ロシア(現:ベラルーシ共和国ヴィテブスク)

 出身のフランスの画家。

シャガールは「愛の画家」と呼ばれる


​【シャガールのプロフィール】​

流派= エコール・ド・パリ

得意なモティーフ= 故郷のヴィテブスクと妻のベラの思い出。

尊敬する芸術家=

家族= 2人目の妻は、シャガールが65歳の時に出会った

 18歳年下のロシア女性:ヴァヴァ。

 その後33年間、連れ添った。

淋しがり= 永遠にベラを思い続けながら、

 65歳で再婚したのはともかく、

 ベラの死の直後にも

 家政婦さんに手をつけたとの噂には感心しません。

 淋しかったのでしょう。

エピソード= シャガールが再び故郷の土を踏んだのは、

 最初にフランスに亡命してから、

 50年後の1973年(当時86歳)。



 変わり果てた故郷ヴィテブスクは訪れず。




​​【シャガールの ザックリ 年譜】​​

1887年7月7日、 帝政ロシアのユダヤ人居住地区に生まれる。

 父は、ニシン倉庫の労働者。

1907年、 サンクトペテルブルクの美術学校入学。

1910年、 パリに出る。

1912年、

「蜂の巣(ラ・リュッシュ)」に移る。

CHAGALL,MARC
Vitebsk,1887-St.Paul-de-Vence,1985
Des nudo(Nnde)1913

1914年、 ヴィテブスクに戻る。

1915年、 ベラ・ローゼンフェルトと結婚。

1923年、 妻子とともにフランスに亡命。

 画商:ヴォラールと契約を結ぶ。

1940年、 ドイツ軍がフランスを占領。

1941年、 ユダヤ人迫害を逃れ、ニューヨークに亡命。

1952年、 ヴァレンティーナ(通称:ヴァヴァ)と再婚。

1973年、 ニースにシャガール美術館開館。

1985年3月28日、 南仏サン・ポール・ド・ヴァンスの

 自宅で死去(97歳)。


『誕生日』1923年

喜びのあまり宙を舞い、

恋人にキスしているのは、

シャガール自身です。

彼は22歳の時、

故郷の町でベラという美少女に一目惚れ

けれども、

彼女はまだ13歳で、

町一番の富豪の娘でした。


しがない画学生だったシャガールは、

パリに出て修行。

ベルリンで個展を成功させた1914年、

故郷に凱旋して、

ベラに求婚しました


翌年の7月7日、

数週間後に結婚式を控えた、

シャガール28歳の誕生日。

ベラは彼が留守の間におめかしをして花を摘み

揚げた魚とお菓子を用意してアトリエを飾り付け、

彼を驚かせます。


感激したシャガールは、

花を花瓶に活けようとする彼女にキスをすると、

すぐさまカンヴァスに向かって絵筆を取りました。


そして、

彼の人生でもっとも幸福な時間となる瞬間を、

色彩豊かに描き留めたのでした。



直後から、

2人の運命は急転します。

第一次世界大戦とロシア革命が勃発し、

シャガールは妻子を連れてパリに亡命。


そこでも安息は続きません。

今度は、

第二次世界大戦が始まり、

彼の作品を「ユダヤ人の退廃芸術」として

燃やしたナチス・ドイツがフランスに侵攻。


夫婦は、

1941年にニューヨークへと亡命しますが、

その3年後には、

ベラが病気で急逝してしまうのです


シャガールは、

ショックで1年近く絵筆を持てなくなったといいます。


大戦後、

失意のうちにフランスに戻った流浪の画家は、

ようやく南仏のヴァンスに定住。

97歳で亡くなるまで、

失われた故郷と愛妻の思い出を、

カンヴァスに蘇らせようとするかのように、

何度も描き続けたのです。

Marc Chagall
French,born Belarus.1887-1985

I and the Village(1911)

oil on canvas. NY-MOMA.

Mrs.Simon Guggenheim Fund,1945

『私と村』 1911年​

1921.1cmx151.4cm

ニューヨーク「近代美術館」所蔵。

(MOMA館内説明文)
Painted the year after Chagall came to Paris,

I and the Village evokes his memories

of his native Hasidic community outside Vitebsk.

In the village,

peasants and animals lived side by side,

in a mutual dependence here signified

by the line peasant to cow,

connecting their eyes.

The peasant's flowering sprig,

symbolically a tree of life,

is the reward of their partnership.

For Hasids,

animals are also humanitu's link to the universe,

and the painting's large circular forms suggest the orbiting sun,

moon(in eclipse at the lower left),and earth.

The geometries of I and the Village are inspired

by the broken planet of Cubism,

but Chagall's is a personalized version.

"For the Cubists,"Chagall said,

"a painting was  a surface covered with fors in a certain order.

For me a painting is a surface covered with representions of things・・・

in which logic and illustration have no importance."


​​Marc Chagall​(1887-1985)​

A la Russie,aux  ânes et auxautrs,1911
パリ「ポンンピドゥー・センター」所蔵。


シャガールの故郷ヴィテブスクは、

今のベラルーシ共和国にあり、

ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』

に出てくるような東欧のユダヤ人共同体でした。

CHAGALL,MARC
Vitebsk,1887-St.Paul-de-Vence,1985

La casa in Grey(1917)


そのため、

第二次世界大戦では、

ドイツ軍が徹底的に破壊。

記憶を共有してきた妻にも先立たれ

シャガールの故郷は、

彼自身の思い出と

作品の中にしか存在しな具なってしまいます。


2人を待ち受ける運命の厳しさを知ってから

『誕生日』 を見直すと

ささやかな幸福が

この上なく尊く美しいものに思えてきて、

涙がこぼれます


(参考文献:幻冬舎/西洋絵画入門より)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.11.15 00:10:12
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