「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2022.12.02
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カテゴリ: 美術館・博物館
ピエール・ボナールの代表的な画題は「浴女」光溢れる明るい暖色系の色彩で描かれている

ピエール・ボナール
​Pierre Bonnard​

Nu à contre-jour(1908)

(Le cabinet de toilette au canapé rose)

『逆光の裸婦』 1908年​

(薔薇の長椅子のある化粧室、オー・デ・コロン)

油彩 カンヴァス 124.0cmx108.0cm

ブリュッセル「ベルギー王立美術館」所蔵。


室内につきものの壁紙や、

敷布の模様は、

窓から差し込む陽光より溶解している。

手前に背を向けて身を反らせる裸婦は、

一身に光を受け止めることによって、

ネガ的なモティーフとなっている。




斜めに置かれた長椅子が、

室内に奥行きを表している点で、

ナビ派期の平面的な空間構成とは、

明らかに一線を画す。


鏡の導入もこの時期の特徴だが、

そこに映し出された像は、

生身の裸体を相対化すべく描かれているのだろうか。

床に置かれたタライが、

この裸婦がマルトであることを物語る。


​ピエール・ボナール・・・とは?​​

1867年10月3日〜1947年1月23年(79歳没)

19世紀〜20世紀当時のフランスの



日本画・浮世絵の影響を受けたナビ派。

1867年10月3日、 フランス、フォントネー=オー=ローズに生まれる。

1888年、 ナビ派を結成。

1889年、 エコール・デ・ボザール入学。

1890年、 日本美術に開眼。

1893年、

1925年、 南仏ル・カネに居を構える。

1947年1月23日、 ル・カネにて死去(享年79歳)。


​マルト(1869-1942)・・・とは?​

ボナールのモデルでありミューズ。

マルトとボナールが出会ったとされるのは、

1893年、これ以降マルトは常に

ボナールの絵画とともにあった。

後年に婚姻届を出す際に、

初めてマルトの本名を知った

というミステリアスな存在。

それがボナールの

インスピレーションを刺激したといえる。


​「ナビ派」・・・とは?​

ヘブライ語で「預言者」を意味する。

19世紀末フランスの画壇のなかでも、

カトリックや象徴主義の色彩が強い

一群の画家たちである。


創始者は・・・モーリス・ドニ、

ポール・セルジュエ、

エドゥアール・ヴイヤール、

ピエール・ボナール。

ただし、

​ボナールは・・・​

ナビ派の神秘的・宗教的側面には、

冷淡であり、

ジャポニスムの影響を強く受けたところから

​「日本的なナビ」​ と呼ばれる。


特に当初は、

日本の浮世絵の手法を駆使して、

当時のフランスにおける風俗を描くという

試みに没頭していた。


ボナールが、

暖色中心の明るい色彩表現に移行し、

独自の世界を確立するのは、

1900年以降のことである。


『棕櫚』1926年

油彩 カンヴァス 114.3cmx147.0cm

ワシントンD.C.「フィリップス・コレクション」所蔵。

南仏ル・カネ近郊の風景。

遠景に比べて近景が、

ぼんやりと描かれているのが特徴。

 ​しゅろ​
『棕櫚』 では・・・

画面上部を棕櫚の葉が、

大きく左右に横切っているが、

これは明らかに 北斎などの影響 である


全体の情景は、

ボナールが新居を購入した

南フランスのル・カネの風景をもとに構成され、

強い陽光のもと、

めくるめく色彩の世界が展開されている。


(参考文献:Gakken/西洋美術を知りたいより)
(写真撮影:ほしのきらり)



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最終更新日  2022.12.02 00:10:08
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