「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2024.05.10
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テーマ: 相撲(1614)
カテゴリ: 大相撲
大相撲令和六年五月場所番付表【十両】9枚目:千代栄・玉正鳳・紫雷・白鷹山・志摩ノ海・碧山・阿武剋・對馬洋・欧勝海・千代丸・栃大海・風賢央=新十両力士とは? 力士の写真 本名 所属部屋 出身地 生年月日(年齢)幼少期から入門までの詳しいエピソード 最近1年間の成績 格段優勝歴 受賞歴

​​  大相撲​令和六年五月場所
【十両】九枚目〜十四枚目の番付​

​​
​Juryo#9-Chiyosakae Eita​
​​東十両九枚目 『千代栄 栄太』 ちょさかえ えいた

本名:岸 栄太 ​(きし えいた)​

九重部屋 京都府 福知山市出身

平成2年7月12日(33歳)

180cm   161.0kg

3歳から、柔道を始め
小学校4年まで、春日町内の柔道教室に通うが
5年から、京都府福知山市の柔道教室に移る
三田市立藍中学校に進学すると
1年、兵庫県大会で優勝。
2年、福知山市立日新中学校へ転校
柔道の京都府大会で優勝。
柔道推薦で京都共栄学園高校へ進学
3年、全国高等学校柔道大会京都府予選で2位
柔道部監督から大相撲へ入門を進められ
千代大海のファンだったことと
高校総体直後に
13代九重(元横綱:千代の富士)と面談したこと
などから九重部屋に入門を決意
高校卒業前に、2009年1月初土俵
しこ名は
2010年7月から
本名:岸 栄太 (きし えいた) ​の​「栄」を
入れた『千代栄』に改名。
入門まで相撲経験が無かったが、
押し相撲を磨いて3年半で幕下に昇進
その後、幕下通算57場所
「上位1桁台になったら1勝6敗
最高位を更新したら1勝6敗」と
何度も繰り返すうちに
「ヤバイな、もう〜年だし、そろそろなのか?」
と心が折れそうになることもあったが、
「でも、相撲しかないよな」と留まり
31歳11ヶ月で、新十両昇進。
福知山市からの関取は史上初で、
戦後4番目の高齢記録であった。
「年を取っても、やれるというのを見せられた」
と語った。


(最高位)十両八枚目
(2023年5月)西十両十二枚目 8勝7敗
(7月) 東十両十枚目 8勝7敗
(9月)西十両八枚目 4勝11敗
(11月)東十両十四枚目 7勝8敗
(2024年1月)東十両十四枚目 6勝9敗
(3月)​ ​​西十両十四枚目 8勝7敗
(5月)東十両九枚目

​Juryo#9-Tamasyohou Manpei

西十両九枚目
玉正鳳 萬平』 たましょうほう まんぺい

本名:エルデンビィールグ・エンクマンライ

片男波部屋 モンゴル・ウランバートル市出身

​平成​5年3月6日(31歳)

189.0cm   124.0kg

対戦前に青いタオルを思い切り噛む力士
気合を入れる為だという。
父は、モンゴル相撲と柔道の監督
父の教え子は、
朝青龍・日馬富士・朝赤龍・白馬・龍皇と
錚々たる関取を育てた。
エクマンライン(玉正鳳)自身は
相撲には全く興味がなく
バスケットやアイススケートに夢中だった。
入門直前に相撲の良さを知り
入門するが、5つの部屋を渡り歩く事になる
まず、
2011年6月、来日し高島部屋に入門と
同時に高島部屋が消滅したため
春日山部屋で新弟子検査を受け入門
2013年11月、幕下昇進
2016年10月、春日山部屋が閉鎖
追手風部屋預かりとなり、中川部屋へ
不適切指導で中川部屋が閉鎖
片男波部屋に移籍
2020年9月、14代片男波の「玉」と
正しく生きて欲しいと玉正鳳萬平のしこ名を改名
玉鷲の美人の妻は、
玉正鳳の姉である。
玉鷲と玉正鳳は、義兄弟にあたる。


(最高位)十両筆頭
(2023年5月)西十両十一枚目 9勝6敗
​​(7月) 十両五枚目 10 勝5敗
(9月)西十両筆頭 4勝11敗
(11月)西十両七枚目 9勝6敗
(2024年1月)東十両四枚目 4勝11敗
(3月)西十両九枚目 6勝9敗
(5月)西十両九枚目
幕下優勝:1回
​​
​​​​​ Juryo#10-Shiden Takumi

東十両十 枚目 『紫雷 匠』 しでん たくみ

本名:芝 匠 (しば たくみ)

木瀬部屋 東京都町田市出身


平成3年12月24日(32歳)

177.0cm   160.0kg

祖父が相撲好きだった影響を幼少期から受け
町田市立小山田南小学校4年の時
市のわんぱく相撲で準優勝してことで
地元の「立川鍛成館」相撲道場に通い始める
当時は、全国大会で通用する実力が無く
大相撲の力士になることは考えていなかったが
町田市立小山田中学校3年
全国中学校相撲選手権大会で個人3位
全国都道府県中学生相撲選手権大会ベスト8
全国でも実績を残す
埼玉栄高校の相撲部監督からのスカウトで
埼玉栄高校普通科総合進学コースに進学
同級生には、剣翔・佐々木山がいた
彼らと3年には共に
全国高等学校総合体育大会相撲競技大会で団体優勝
選抜相撲宇佐大会で2位。個人3位
日本大学商学部商業学科に進学。
同期には、安彦、大翔丸がいた。
1年から、団体戦のレギュラーとなり
東日本学生相撲選手権大会の団体準優勝
全国学生相撲選手権大会で団体準優勝
2年、レギュラー落ちしてことで
相撲に対する熱意が薄れて
4年、タイトルとは無縁となったが、
埼玉県代表として出場した際に予選落ちだったが
相撲を取ることが楽しく思えたことで
大相撲入りを決意。
高校と大学の2年先輩であった「英乃海」が
所属している木瀬部屋に入門し
2014年3月、初土俵を踏む。
初土俵同期生は、正代、大翔丸がいる
前相撲では、正代に勝って
2勝土つかずで一番出世だった。

(最高位)十両八枚目

(2023年5月)東幕下筆頭 4勝3敗
(7月) 西十両十三枚目 8勝7敗(再十両)
(9月)東十両十一枚目 6勝9敗
​(11月)東十両十二枚目 9勝6敗
(2024年1月)西十両八枚目 6勝9敗
(3月)東十両十枚目 7勝8敗
(5月)東十両十枚目
幕下優勝:1回
序二段優勝:1回

​​​ Juryo#10-Hakuyouzan Ryosuke
​​ 西十両十枚目 ​​ 『白鷹山 亨将』 ​​​​はくようざん りょうすけ 

本名:齋藤 亨将(さいとう りょうすけ)

高田川部屋 山形県西置賜郡白鷹町
      (にしおきたまぐんしらたかまち)

平成7年4月13日(29歳)

187.0cm   180.0kg

生まれた時は、2996kgだったが
その後の成長が早かったという
母は「いくらでも食べる子で
お相撲さんになったら?と言ったら本当になった」
と笑って十両昇進の時に笑って話した
大相撲入門前の相撲経験は無い
白鷹町立鮎貝小学校在学中は
6年間通じて柔道に親しみ
地元の野球チームにも所属
中学3年、身長180cm、体重100kgを
それぞれ上回った。
白鷹町立西中学校では、
バスケットボール部に在籍する傍で
陸上の砲丸投げも始めた
3年、山形県中学校総合体育大会で
13m38cmと大会新記録を出して優勝
ジュニアオリンピック陸上競技大会出場
高校でも柔道を続けて、その後
警察官となって安定した生活を送りたいと
思っていたが・・・
父の勧めと高田川親方(元関脇:安芸乃島)の
熱心な勧誘で高田川部屋に入門した。
父は、かつて砲丸投げで競いあったライバル
13代佐渡ケ嶽の弟子を倒して欲しいようだった
高田川は当時、相撲以外のスポーツに打ち込む
子供たちに声を掛けていた。
2011年3月、高田川部屋から新弟子検査を受け
5月、初土俵を踏む。
同期は、千代大龍、照ノ富士、常幸龍、明生、力真
しこ名は、故郷にある白鷹山(しらたかやま)と、
米沢藩第9代藩主だった上杉鷹山(ようざん)が由来。

​​
(最高位)十両三枚目
​(5月)西十両七枚目 6勝9敗
(7月)東十両七枚目 6勝8敗1休
(9月)西十両十枚目 4勝11敗
(11月)東幕下筆頭 4勝3敗
(2024年1月)西十両十枚目
​(再十両)​ ​​
(3月)東十両六枚目 4勝11敗
(5月)西十両十枚目
十両優勝:1回
幕下優勝:1回

​​Juryo#11-Simanoumi Koyo​​

東十両十一枚目 『志摩ノ海 航洋』 しまのうみ こうよう

本名:福薗 武志 ​(ふくぞの たけし)​


木瀬部屋 三重県志摩市出身

平成元年7月11日(34歳)

177.0cm   161.0kg

布施小学校3年の時に相撲を始める
地元の志友館相撲道場で稽古に励んだ
和具中学校(現在:志摩中学)在学中から
松ヶ根部屋をはじめ複数の相撲部屋から
スカウトはあったが、入門しなかった
小学3年から中学3年まで相撲の他に野球も
やっていたが、相撲がメインであったため
基礎トレーニングのみであった
中学卒業後は、明徳義塾高校に進学するも
部員不足で不完全燃焼に終わったため
高卒で入門することは諦める
近畿大学経営学部に進学
西日本学生相撲新人選手権大会で
さっそく団体&個人共に優勝
団体戦のレギュラーとなる
3年、全国学生相撲選手権大会で団体優勝
しかし、個人では実績は少なく
大学在学中には、大相撲の格付資格は得られず
卒業後、各界へ進むことを決意
「強い人が沢山いる部屋で刺激を受けたい」
と、木瀬部屋に入門。

(最高位)前頭三枚目
(2023年5月)西十両十三枚目 8勝7敗
(7月)西十両十枚目 5勝10敗
(9月)東十両十二枚目 7勝8敗
(11月)東十両十二枚目 9勝6敗
(2024年1月)東十両八枚目 6勝9敗
(3月)東十両九枚目 5勝10敗
(5月)東十両十一枚目 
十両優勝:2回
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回
序の口優勝:1回
敢闘賞:2回

​Juryo#11-Aoiyama Kowsuke​

​​西十両十一枚目 『碧山 亘右』 ​​​​ ​​​ ​あおいやま こうすけ​​​

春日野部屋 ブルガリア・ヤンボル県出身

昭和61年6月19日(37歳)

191.0cm   180kg


ブルガリア・国立スポーツ大学出身
​レスリングを10年
アマチュア相撲を3年経験し
​琴欧州に誘われるが、1度目は断る

再度の勧誘に備えて増量し力士体系を作った
2度目の勧誘では、顔つきが変わり
琴欧州は別人と勘違いした。
ブルガリア出身2人目の力士として入門。
14代田子ノ浦から「山と川どちらが好きか」
と尋ねられ「山」と答えたことから
碧山のしこ名に決まった。

(最高位)関脇
(2023年5月場所)東前頭十二枚目 5勝10敗
(7月)東前頭十七枚目 9勝6敗
(9月)東前頭十四枚目 5勝10敗
(11月)東十両筆頭 8勝7敗
(2023年1月)西前頭十七枚目 0勝7敗8休 ​(再入幕) ​​
​(3月)西十両十一枚目 7勝8敗
​(5月)西十両十一枚目 

幕下優勝:1回
序二段優勝:1回
序の口優勝:1回
敢闘賞:4回
技能賞:1回
金星:1つ

​​​​Juryo #12 -Ounokatsu Kazuhiro
東十両十二枚目 ​『阿武剋 一引』​ おうのかつ かずひろ
(新十両)
本名:バトジュルガル・チョイジルスレン

阿武松部屋 モンゴル国 ウブス県出身

平成12年5月5日(23歳)

184.0cm   160.0kg

阿武剋は、モンゴルオブス県で生まれ
小学校6年〜中学校3年までサッカー
同時に中学時代は、文武両道
「数学オリンピック・オブス県大会」 優勝
15歳で来日して「旭丘高等学校」に
留学生1期生として入学する
ここで相撲を始める
2年、関東大会無差別級優勝
3年、全国高校総体準優勝
日本体育大学に進学
大学4年、全国学生相撲選手権大会に優勝し
学生横綱のタイトルを取得し
大相撲幕下15枚目格付出の資格を獲得
大学3年時には大相撲入りを志し
2022年末、阿武松部屋で研修開始
2023年9月場所、正式に入門
『阿武剋 一弘』おうのまつ かずひろ
このしこ名の由来は・・・
阿武松部屋の「阿武」と
自分に打ち勝つという意味で
下剋上の「剋」を加えた
「一弘」は、母校の相撲部恩師の名前
2023年9月、格付出の改定があり
幕下付出十五枚目出は無くなって
幕下付出最下位六十枚目格に改定となる前の
最後の「幕下15枚目格付出」の力士となる

(最高位)十両十二枚目
(2022年11月)幕下十五枚目格付出 5勝2敗
(2023年1月)東幕下八枚目 6勝1敗
(3月)西幕下二枚目 5勝2敗
​​(5月)東十両十二枚目 ​(新十両)​​​
2024年3月27日、番付編成会議にて
5月場所、新十両昇進が決定。
またまた、ザンバラ関取が嵐を呼ぶ?

Juryo#12-Tsusimanada Masamitsu​ 西十両十二枚目 ​『對馬洋 勝満』​ つしまなだ まさみつ
​​
境川部屋 長崎県 諫早市出身

本名:梅野 勝満(うめの まさみつ)

平成5年6月27日(30歳)

185.0cm   131.0kg

長崎県諫早市立湯江小学校4年、
地元の「両国少年相撲クラブ」で相撲を始める。
諫早市立高来中学校でバスケットボール部所属。
部活引退後に相撲大会に出席すると勝ち進んで
全中に出場した事で高校の相撲部から勧誘され
諫早農業高校農業土木科に進学し、
高校総体や国体少年の部に出場。
日本大学文理学部体育学科で相撲部入部。
1年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝
2年、東日本学生相撲競技大会優勝。
3年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級優勝
4年、2015年4月、全日本大学選抜相撲宇和島大会で、
左膝半月板損傷、左膝前十字靭帯損傷の大怪我をする。
7月、東日本学生相撲個人体重別選手権大会で怪我を悪化。
以後の大会は出場できなかったために卒業後は、
諫早農業高校相撲部OBが経営する企業に就職。
大学の同期「美ノ海」が大相撲入りした事に刺激され
諫早高校OB:元小結「両国」の境川部屋に入門。
新弟子検査年齢制限の23歳の直前である
2016年5月の合格で、初土俵。
しこ名は、
2017年3月場所から
父が「長崎県對馬出身」ということから
大正時代の大関『對馬洋』に改名。
父は郷里の伝説的なしこ名を、
どうしても息子に名乗らせたかった。

(最高位)十両九枚目
(5月)西十両十四枚目 8勝7敗
(7月)西十両十一枚目 3勝12敗
​(9月)西幕下二枚目 3勝4敗
(11月)西幕下四枚目 4勝3敗
​(2024年1月)東幕下二枚目 5勝2敗
(3月)西十両十二枚目 7勝8敗
(再十両)
(5月)西十両十二枚目​


Juryo#13-Ousyowumi Seiya​
西十両十三枚目 『欧勝海 成矢』 おうしょうみ せいや

​鳴戸部屋 石川県 川北郡 津幡町出身

本名:深沢 成矢 ​(ふかさわ せいや)​

平成13年5月12日(22歳)

183.0cm   140.0kg

実家は、かなりグルメサイトでもで有名な
石川県津幡町の上矢田温泉「やたの湯」
欧勝海は、3人兄弟の次男。
兄の影響で相撲を始め、
小学校1年から、津幡町少年相撲教室に通った。
6年、わんぱく相撲ベスト16
津幡町立津幡中学校3年、
全国都道府県中学生相撲選手権大会団体優勝
全国中学校相撲選手権大会準優勝。
少年相撲教室の1年先輩の「大の里」の誘いで
新潟県立海洋高校へ進学し、
3年、選抜高校相撲と和田大会で団体準優勝
高校卒業後は、大学進学選択もあったが
15代鳴戸(元大関:琴欧州)の勧誘を
中学時代から受けていたので入門。
2020年3月、初土俵。
2021年3月、幕下に昇進。
しこ名は、
師匠のしこ名「琴欧州 勝紀」の
「欧」と「勝」に
出身高校の「海洋高校」の一文字であり、
海が好きなことに因んで「海」を入れ
『欧勝海』とした。
2024年1月場所では、
14日目に関取として初めての勝ち越しを決めた際、
「場所前には、勝ち越して地元に元気を与えられるように
 と言っていたのに、それが叶って良かった。
 来場所後にもつながる内容で良かった」
と能登半島地震に遭った故郷を想うコメントを残した。


(最高位)十両十二枚目
(5月)東幕下二十二枚目 4勝3敗
(7月)西幕下十六枚目 4勝3敗
(9月)西幕下十一枚目 5勝2敗
​​​​(11月)幕下二枚目 4勝3敗
(2024年1月)西十両十三枚目 8勝7敗 ​​ (新十両)​​ ​​​
(3月)​
​​十両十二枚目 6勝9敗
(5月)東十両十三枚目
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回

Juryo#13 -Chiyomaru Kazuki

​西十両十三 ​枚目 『千代丸一樹』 ちよまる かずき
(再十両)
本名:木下 一樹 ​(きのした かずき)​

九重部屋 鹿児島県 志布志市出身

平成3年4月17日(33歳)

179.0cm   177.0kg

小・中学生時代は、柔道。
小学校時代は、相撲も並行して習った。
相撲の指導者の子が、
九重部屋で力士だった縁で
志布志市志布志中学校を卒業後に
九重部屋に入門した。
2007年5月、初土俵。
同期は、旭秀鵬がいる。
勧誘の際に13代九重親方から
「相撲は強ければお金になるよ」と
口説き文句を受けたが、
九重親方は、角界屈指のお金持ちであったので
強い説得力を感じたという。
千代丸は、相撲をとっていなかったら
地元で子供たちに柔道を教えていたと話す。
しこ名は、
家族が、しこ名を色々と考えていたのだが
13代九重親方が
「よし、丸いから『千代丸』だ!」と、
思いついたことで決まってしまった。
弟の「千代鳳」も同じ部屋に入門したが
2011年に実家が火事で全焼して以来
千代鳳と共に
「2人で頑張って新しい家を建てたい」
と精進して史上17人目の兄弟関取となった。

(最高位)前頭五枚目
(5月)東十両十枚目 6勝9敗
(7月) 東十両十一枚目 8勝7敗
(9月)東十両十枚目 8勝7敗
(11月)東十両八枚目 4勝7敗4休
(2024年1月)東十両十二枚目 5勝10敗
(3月)東幕下筆頭 4勝3敗​ ​​​
(5月)西十両十三枚目 (再十両)

Makushita​ #4 -Tochitaikai Takaaki
西幕下四枚目 『栃大海 隆明』 とちたいかい たかあき
​​ ​​        (塚原改め) 新十両

本名:塚原 隆明(つかはら たかし)

​​​​​​​​春日野部屋 埼玉県 越谷市出身

平成11年10月12日(23歳)

186.0cm   157.0kg

栃大海は、越谷市立東越谷小学校3年から
「入間少年相撲クラブ」に通い本格的に
相撲を習い始め水泳や野球にも取り組む
越谷市立東中学に進学すると
相撲部がなく陸上部に所属。
2年、入間市立黒須中学校に転校
新設された相撲部に入部する
3年、全国中学校相撲大会個人戦 優勝
中学生横綱と同時に団体戦でも優勝
埼玉栄高校に進学、同期は、琴勝峰と王鵬
1年、団体戦のレギュラー、国体少年の部団体優勝
高校卒業を待たずに在学したまま春日野部屋に入門
2017年11月場所、在学したまま初土俵。
2018年1月場所、序の口優勝決定戦で
琴勝峰に勝って序の口優勝(まだ高校生)
3月、序二段昇進。琴勝峰に勝って全勝優勝
5月、三段目に昇進。
7月、三段目で初めての負け越し
11月、幕下に昇進
2019年7月、西幕下7枚目
11月、東幕下4枚目(スピード出世止まる)
十両目前で強敵が何人も上がってきて十両の壁

(最高位)十両十四枚目
(2023年5月)西幕下十枚目 4勝3敗
(7月)西幕下七枚目 6勝1敗
(9月)東幕下筆頭 1勝6敗
(11月)東幕下十五枚目 4勝3敗
(2024年1月)幕下十一枚目 5勝2敗
(3月)西幕下四枚目 5勝2敗

​​(5月)西十両十四枚目(新十両)​​

2024年3月27日、番付編成会議で新十両昇進決定
初土俵から6年余り、 なんと25回目で十両昇進を決める。
「何度もはね返されました 長い間、
皆さんを待たせていたので良かった」

年内幕内昇進を目指す。
長い間、本名「塚原」であったしこ名を
『栃大海』に改名することも発表された。
しこ名の由来は・・・
部屋のしこ名である「栃」
体が大きいので「大」
海なし県である埼玉県出身なのに「海」?
師匠「そこは関係なく体も大きいので大きい名前を」
子供の頃から水泳が得意で海が大好きな元・塚原
良いしこ名をいただいて良かったですね
同級生は・・・
大関:豊昇龍、琴勝峰、狼雅、尊富士、白熊

Makushita​ #13 -Kazekenou Genta
西幕下十三枚目 『風賢央 厳太』 かぜけんおう げんた
              (新十両)
本名:住木厳太(すみき げんた)

押尾川部屋 愛媛県 西予市出身

平成11年6月4日(24歳)

186.0cm   157.0kg

風賢央は、広島県広島市で生まれ
小学校3年時に愛媛県へ引っ越す。
幼少期は、サッカー、空手、柔道を習う
松山市立福音小学校5年から
春日館相撲道場で相撲を始める
中学から親元を離れ寮生活を始め
西予市立野村中学校に進学すると
父は転職し、母は寮の近くに移住し
家族からサポートを受けていた。
愛媛県立野村高校畜産家に進学し
3年、国体個人準優勝
中央大学法学部法律学科に進学
2年、宇和島大会優勝、全日本選手権ベスト16
4年、主将。全国学生選抜大会個人ベスト16
中央大学OBの押尾川(元関脇:豪風)から勧誘され
押尾川部屋に入門。
2022年3月、押尾川部屋創設
風賢央は、部屋創設以来、初の新弟子
2022年3月場所、初土俵。
2022年5月場所、 ​序の口優勝​ (6勝1敗)
2024年3月場所、 ​幕下優勝​ (7勝0敗)
2024年3月27日、番付編成会議で新十両昇進決定
押尾川部屋創設以来、初めての新十両力士となる
しこ名『風賢央』の由来は・・・
「風」は、師匠:22代押尾川の現役しこ名「琴風」
「賢」は、野村高校時代の恩師の名前
「央」は、母校の中央大学に由来する。
愛媛館からは、29年ぶりの十両力士。

(最高位)十両十四枚目
(2023年5月)西幕下十三枚目 5勝2敗
(7月)東幕下六枚目 3勝4敗
(9月)西幕下十枚目 3勝4敗
(11月)西幕下十四枚目 2勝5敗
(2024年1月)東幕下二十六枚目 5勝2敗
(3月)西幕下十三枚目 7勝0敗
幕下優勝
​​ ​​ (5月)西十両十四枚目 (新十両) ​​​

​写真撮影:ほしのきらり。​​

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最終更新日  2024.05.17 16:04:41
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