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『わが町』でエミリーがこの世に最後の別れを告げる台詞「一刻一刻を生きるその時に素晴らしいこの世界をはっきりと理解している人間ているのかしら」脇から「No」とナレーション二宮先生語録巻の3 【302】大事を成就しようと欲する者は、よろしく先ず小事を努めるべきじゃ。大事を成就しようと欲して、小事を怠り、その成就しがたいことを憂えて、成就しやすいことを努めないものが小人の常じゃ。小を積むならば大となる。万石の米は、一粒を積んだもので、万町の田は、一鋤を積んだものじゃ。万里の道は、一歩の積んだもの、高い山は、一つずつモッコを積んだものじゃ。だから小事を努めて怠らないならば、大事は必ず成就する。小事を努めないで怠る者が、どうして大事を成就できよう。💛朝ウォーキングしながら考えた五日市先生の説く『波動ビル』でフロアを上がるには「イヤなことがあったら有難う」と「自分を愛し人を愛する」と言われているが、敵を愛するがいまいち分かりづらい。山上の垂訓の「なんじの敵を愛せなんじを迫害する者のために祈れ」の後半部分、が実践倫理にあたる。嫌なことがあったら『ありがとう』と自分に言うと共に相手の幸せを祈る、すると意識のレベルを上げることが出来ようと。
2021年07月10日
二宮町立図書館で「二宮先生語録」が蔵書となっていた。2018年12月19日に寄贈したものである。二宮町図書館 [地域(県内)【書架27】]に在庫しています。 禁帯 K 23.1 C8 111699500「技師鳥居信平著述集」も寄贈してみよう。二宮先生語録巻の3 【304】周子(宋の周悖頤(そんい))のいわゆる大極無極とは、何か。思慮が及ぶ所を大極という。思慮が及ばない所を無極という。画家に遠海に波が無く、遠山に木が無い技法が有る。これは波無く木無いのではない。つまり目の力が及ばない。無極もまた同じことじゃ。1 北宋の周敦頤が『太極図説』によって『老子道徳経』二八章の無極を取り入れ陰陽五行によって解釈した無極太極陰陽五行乾坤男女万物といった構図を図として提示した。2 翁曰く、儒に大極無極の論あれど、思慮の及ぶを大極と云ひ、思慮の及ばざるを無極と云へるのみ、思慮及ずとて、無と云べからず、遠海波なし遠山木なしと云へど無きにあらず我が眼力の及ばざるなり、是に同じ(二宮翁夜話巻二)
2021年07月10日
日本からのワクチンフィリピン到着 大統領が出迎え7/9(金) 日本政府から無償で提供された新型コロナウイルスのワクチン約100万回分がフィリピンに到着し、ドゥテルテ大統領自ら出迎えました。 日本政府からフィリピンに無償で提供されたのはアストラゼネカのワクチン約100万回分で、8日午後9時ごろ、首都マニラの空軍基地に到着しました。 ドゥテルテ大統領もワクチンの到着を現地で出迎え、「日本は私たちの強力なパートナーであり続けている」としたうえで、日本政府に対し感謝の意を述べました。 フィリピンではワクチン接種が十分に進んでおらず、保健当局によりますと、少なくとも1回の接種を終えた人は人口の約8.5%にとどまっています。 日本政府はこれまでに台湾やインドネシアなどにもワクチンを提供していて、9日にはタイにもワクチンが到着する予定です。海自艦隊が3遭難者救助 練習航海中、インドネシアで7/9(金) 海上自衛隊の艦隊が8日、インドネシアの海域で遭難者3人を発見し、救助した。 艦隊は「かしま」と「せとゆき」で、21日まで58日間の日程で遠洋を練習航海している。 インドネシア海軍によると、3人は8日午前10時(日本時間同)ごろ、北マルク州の沖で漂流しているのを発見された。コプラ(乾燥ヤシ果実)を運んでいた船が浸水し、沈没。ライフジャケットを着て海に飛び込んだ。船にはもう1人乗っていたが、行方不明となった。
2021年07月10日
二宮先生語録巻の4【329】君子は大道を聞くことを好み、小人はこれを聞くことを喜ばない。人が有って市場に行って物品を求める。財布にお金が少なければ、高価な美品が店頭にならんでいても、これをみてこれを買おうという心は無い。ただ粗末な物品をみてこれを求めようと欲する。これは他でも無い。さいふのお金が多いか少ないかによるだけである。たとえヤマノイモの蔓が長いものは必ず大きく、根が小さいものは蔓も必ず短いものである。だから小人に対して国を興し民を安らかにする大道を説いても、何の益も無いのだ。☆「 運のいい人と悪い人との違いは、なんだと思いますか? ・・・・・・・中略・・・・・・ 幸せでない人は、幸せでない人と、引き合い、 幸せな人は、幸せな人同士で、引き合いやすい。これを、ビルのフロアにたとえると、わかりやすいのです。そのビル、実際にある建物ではないので、「波動ビル」とでも、名づけましようか。・・・・・・・・・10階の人は、10階のフロアの人にしか会えませんし、頑張って 100階に行くと、100階のレベルの人に出会え、交流できます。その高いフロアで、経験できる素晴らしい出来事が、みなさんを待っています。・・・・・・かつて、低いフロアにいた時に、悩んでいたこと、苦しんでいたことは、もう起こらなくなるか、うまく解決して、おのずから消え去ってしまいます。 」☆彡
2021年07月09日
二宮先生語録巻の4【329】君子は大道を聞くことを好み、小人はこれを聞くことを喜ばない。人が有って市場に行って物品を求める。財布にお金が少なければ、高価な美品が店頭にならんでいても、これをみてこれを買おうという心は無い。ただ粗末な物品をみてこれを求めようと欲する。これは他でも無い。さいふのお金が多いか少ないかによるだけである。たとえヤマノイモの蔓が長いものは必ず大きく、根が小さいものは蔓も必ず短いものである。だから小人に対して国を興し民を安らかにする大道を説いても、何の益も無いのだ。☆「 運のいい人と悪い人との違いは、なんだと思いますか? ・・・・・・・中略・・・・・・ 幸せでない人は、幸せでない人と、引き合い、 幸せな人は、幸せな人同士で、引き合いやすい。これを、ビルのフロアにたとえると、わかりやすいのです。そのビル、実際にある建物ではないので、「波動ビル」とでも、名づけましようか。・・・・・・・・・10階の人は、10階のフロアの人にしか会えませんし、頑張って 100階に行くと、100階のレベルの人に出会え、交流できます。その高いフロアで、経験できる素晴らしい出来事が、みなさんを待っています。・・・・・・かつて、低いフロアにいた時に、悩んでいたこと、苦しんでいたことは、もう起こらなくなるか、うまく解決して、おのずから消え去ってしまいます。 」
2021年07月09日
「サッカーが祖国へ帰ってくる」 イングランドがユーロ初の決勝へ7/8(木)7月7日にロンドンのウェンブリー競技場で行われたユーロ2020の準決勝で、イングランドが延長戦の末にデンマークを2─1で下し、初の決勝進出。ファンらは喜びを爆発させた(ナレーションなし)。ユーロ2020準決勝、イングランド対デンマークで、イングランドが延長戦の末に2─1で勝利。パブのイングランドファンらは喜びを爆発させ、「サッカーが祖国へ帰ってくる」*と応援歌を大合唱した。ユーロでは初の決勝進出となった。イングランドは30分に直接FKにより失点したが、39分にオウンゴールで追いつき、延長戦にもつれ込んだ。延長14分、主将ケインのPKはいったんセーブされたが、こぼれ球を自ら蹴り込んで決勝点をマークした。イングランドが自国開催のW杯で優勝したのは55年前の1966年。決勝戦は11日、ロンドンのウェンブリー競技場でイタリアと対戦する。*Three Lions ‘98:The Lightning SeedsWe still believe, we still believe(俺たちはまだ信じてる、俺たちはまだ信じてる)We still believe, we still believe(俺たちはまだ信じてる、俺たちはまだ信じてる)It’s coming home, it’s coming home(帰ってくることを、帰ってくることを)It’s coming, football’s coming home(帰ってくることを、フットボールが俺たちの母国へと帰ってくることを)It’s coming home, it’s coming home(帰ってくることを、帰ってくることを)It’s coming, football’s coming home(帰ってくることを、フットボールが俺たちの母国へと帰ってくることを)
2021年07月08日
二宮先生語録巻の3 【290】最近の訴訟を聴く者は、先例にかたよりすぎる。だから判決がややもすれば誤る。できるだけ中正不偏の心で聴くべきじゃ。孔子は、「必ずや、訟(うったえ)を無らしめんか」と言った。私にもまたその方法が有る。他でも無い。原告を戒しめ諭すのじゃ。ここに借金した者がいたとして、かえって貸主の無道を訴えたとする。すなわちこれを諭して言う。「お前は貧困なために財を借りて、それで仕事をしたのではないか。その金で嫁を迎えたのではないか、その金で家の屋根をふいたのではないか。そうであればその恩は大きいではないか。どうしてこれを償わないのか。たとえ催促が厳しすぎるとしても、またどうして貸さない金を返せと責める者が有ろうか。恩を受けて恩を忘れる者は、人ではない。お前はよろしくすぐに家産を売払って、これを償うがよい。その後に妻子を連れてここへ来い。私が必ずそれだけの家産を与えよう。」借主は了解して、家産を売払ってこれを償う。このようにすれば貸主が無道であっても、これを取るに忍びない。必ずや利息は棒引きにして、元金の償還期間を延ばしてくれるであろう。これが貸主を諭さないで、貸主が自ら服する方法なのだ。そのようであれば何の訴訟ごとがあろうか。何の判決を用いることがあろうか。そうはいっても、自分に家産を与える資力が無ければ、みだりに諭してはならない。いやしくもその資力が無くて、いたずらにその理を説くならば、これは空言である。空言がどうして行われることがあろうか。1 顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。(論語顔淵篇一)2『報徳秘稿』三〇四「夫れ、天下の広き、善人少なから ず、施しを好む者も又多し。然りと雖も、汚俗を一洗し、廃邑を興すに足らず。是、其の道を得ざるが故也。夫れ、凡そ里長たらんものは、必ず其の邑(むら)の富者也。縦令(たとい)施しを好むしむも、自ら驕奢に居る故に、受くる者只其の奢侈を羨んで奢侈を絶たず、過分の誤りを改めず、故に益なき也。是に於いて、村長たらん者、自ら謙して驕らず、約にして驕らず、謹んで分を引き、余財を押し譲りて窮困を救う時は、受くる者其の誠意に感じ、驕奢を欲する念も、富貴を羨む念も、救い用捨を受けん事を欲する念も、盗をなさんと欲する念も皆散じ、勤動を厭わず、麁衣麁食を厭わず、分を越るの過ちを恥じ、分を引くを楽しみとす。此の如くなれば、何程の廃邑といえども興せざる事なし。論語曰く、『己に克って礼に復れば、天下仁に帰す。仁をなす己に由る。あに人に由らんや。』夫れ、人、己が勝手のみ致したき私欲をよく去りて分を譲らば、里長たらば一村皆服せん。国主ならば一国皆服せん、天下ならば天下皆復せん。又馬子ならば馬肥えん、菊作りならば菊花大いに栄えん、一般の理也。釈子は王子にましまして位を捨て給いて、糞雑衣(ふんぞうえ)に鉄鉢一つと御定め遊ばたれば、今此の如く天下に充満し、賤女(しずめ)賤男(しずのお)といえども皆其の尊きを知り信仰す。是我等衆生の為に此の如き艱難遊ばられるの大恩あれば也。是他無し、予説く所の分を譲るの道の大なる也。凡そ、人の長たらんものは、衆生済度の出来る身分にありながら、何ぞ此の道に依らずや。故に恒に曰く、村長・里正及び富貴の者は麁服を服するのみにても、其の功徳無量也と。衆人の羨む念を断てば也。まして分を引いて譲るをや。」
2021年07月08日
青山修子&柴原瑛菜組が日本人女子ペア初4強入り/ウィンブルドン7/7(水) 東京オリンピック(五輪)のメダル候補で、第5シードの青山修子(33=近藤乳業)、柴原瑛菜(23=橋本総業)組が、日本女子ペアとして大会史上初の4強入りを果たした。第16シードのブズコバ、ハラデツカ(ともにチェコ)組に7-6、7-5で勝ち、同ペアとしても4大大会初のベスト4進出となった。これまでウィンブルドンの日本女子同士のペアでは、70年沢松順子、沢松和子の姉妹ペアでベスト8が最高成績。青山、柴原組は、それを上回った。外国選手とのペアなら、75年に沢松和子、03年に杉山愛が優勝している。また、4大大会で、日本女子同士のペアでの優勝はない。最高は、18年全仏の穂積絵莉、二宮真琴組が記録した準優勝だ。
2021年07月08日
二宮先生語録巻の3 【279】サザエの殻とアワビの貝は、とても堅い物じゃ。それが生長するのは不思議といえる。山芋はとても軟らかいものである。しかも、よく堅い土をうがつ。これもまた不思議といえるだろう。これはほかでも無い。一方は海底のあくたを食べ、一方は土の中の水気を吸って、ともに食を求める誠を尽す。だからよく生長するのじゃ。人の事を行うのも、また同じじゃ。いろいろ他に求めず、実行して怠らなければ、その事は必ず成る。これを至誠神の如しというのだ。もしあらかじめ必ず成功すると予期すると、怠惰の心が生じて、その事は終に成功することは無し。これが自然の道理じゃ。1 至誠の道は、以て前知すべし。(略)故に至誠は神の如し。(中庸第二十四章)2『報徳秘稿』一九八「さざえの殻の長ずる、鮑の貝の長ず る、我初め甚だ疑う。能く考えれば、人身の背骨の長ずるが如し。背骨の長ずるは疑わず。さざえの殻は外にありといえども、是骨也。内外の違いあるのみ。何ぞ長ずるに別あらん。此れ至堅の物、何を以てか長ずとなれば、海中の水あかを食するによって長生す。又、山芋の如き、赤土に根をさして生長す。容易にうがちがたき土を左右へわけ入りて長ずる、其の芋を見れば至堅の物にあらず、至柔にして骨もなく、すれば粘りになるもの也。然るに、土に生えて水気を食する一念によって、岩土を通して長ずる也。貝の長ずるや、其の食する一念の至誠によれば也。然れば、他を求めずして実地を踏みて怠らざる時は、必ず其の事成る。至誠神の如しとは是なり。若し此の事を必ず為さんと期すれば、又怠りを生じて成就することなし。自然の理なり。」💛土光さんの庭by城山三郎城山さんが土光敏夫さんのお宅を訪問したときの話である。土光さんが経団連会長を辞められる直前の土光さんを、テレビ局の依頼で鶴見のご自宅を訪問したときのことであった。城山さんが土光さんにいろいろ話を伺って、庭の芝生に降り立ったとき、「芝生も案外、手がかかりますね。私は不精だから、植木屋さんに頼んでますがね・・・」と城山さんが言うと、土光さんの目が光った。「あなたのところは、植木屋さんに頼むほど芝生があるの?」「いえ。ただ、私は草一本抜かないものですから。」「そうか。それなら、僕が芝刈りに行く。これから暇ができるから。」城山さんは、懸命に断ったのだという。すると土光さんはふーっとため息をついて、実に残念そうに言った。「そうか。でも、いいや。財界には大きな庭持ってる友達が何人もいるから。そこへ芝刈りに行く。退職した僕の仲間を連れて。」そしてそれからいたっずら子のような笑ってこう付け足したという。「その友達からは少しずつ僕が頂いて、それを学校に寄付してもらうよ。」その頃、土光さんは、夫人と二人暮らしで当時生活費を10万円に切り詰め、残りの収入のすべてを隣接の学校に寄付していたという。その寄付金を少しでも増やしたいのだという。ああ、これって、まさしく尊徳先生の至誠、勤労、分度、推譲そのものではないか。やたら寄付を頼んだり、さもしい根性はない、あくまでも自分の芝刈りという勤労の対価を分度外に入れて社会のために推譲されようというのである。分度とはまさしく自らの収入を量って支出を一定限度に制限し、それによる分度外を自らや子孫の将来のため、さらには社会のために推譲するためにほかならない。自分や子孫のためには誰しもやっているのであるが、他者のため社会のために推譲することは教えや気づきでなければなかなかできない。土光さんの家に隣接する学校というのは、土光さんの実母が創設された学校だという。すなわち土光さんの推譲は親孝行、母親が亡くなってもその志を受け継ごうというものにほかならない。土光さんの庭というのは池も石もない風流など考えることなく、芝生の他には野菜畑と木々が雑然とあるだけで、木々も自分で植えたのだという。 しかしまあ、土光さんの奥さんがそうしたご主人の思いを受け取って共に伴に実践されるというのが素晴らしい。これが真の伴侶というものであろうか。城山さんはさらに経団連会長を辞められた後の生活についても質問した。「夫人への慰労に旅でもする気はないか。」そう聞いた。土光さんはちょっと考えるようにして「そうだね。ばあさんと一緒に信州でもとぼとぼと歩いてくるか。」その後、土光さんは臨調にひっぱりだされたという。
2021年07月07日
富山県ではあわら市立図書館が「技師鳥居信平著述集」を蔵書としていただいているが、確認してみたら「二宮先生語録」も蔵書としていただいていた。2018年12月19日に寄贈していたものである。あわら市とはどのような街なのであろうか?1 芦原館 一般 開架一般 (157 ホ 5) 貸出できます。*あわら市は、福井県の北端に位置し、福井平野から加越台地にかけて広がる市。観光拠点再生計画、あわら市や人吉市に高評価 個人旅行シフトと周遊促進2021.07.05満点評価を受けたあわら市は、「旅館の外に出たくなる賑わいの創出」をコンセプトに打ち出した。24年春の北陸新幹線延伸で県北部の観光の玄関口となることが期待される一方、観光客は19年まで4年連続で減っている。課題は大型旅館で団体客を受け入れてきた旧来型の集客の見直しだ。倒産等で残った旅館も景観悪化を招いていた。 再生計画では、廃旅館の撤去を進め、10軒以上の旅館で小グループや訪日客など新たな客層に対応する改修を行う。まち歩きを楽しめるよう各旅館や地元施設が連携し、湯めぐりや夕食後に楽しめる体験プログラムを開発する。
2021年07月06日
姫路市立図書館が「二宮先生語録」を蔵書としていただいていた。2018年12月22日に寄贈したもので、しかも貸出中である。「二宮尊徳の会」で発行した本で最も貸し出され読まれてのは「二宮先生語録」であるようだ。城内 開架 /157/ホ/5 0118736933 一般 貸出中
2021年07月06日
二宮翁夜話巻の1 【37】浦賀(神奈川県浦賀)の人で飯高六蔵は多弁の癖があった。国に帰ろうとして、暇ごいにきた。尊徳先生は飯高を諭して言われた。「あなたは国に帰ったら、必ず人に説く事を止めなさい。人に説く事を止めて、自分の心で、自分の心に意見するがよい。自分の心で自分の心に意見するのは、詩経に「柯(か)を取(と)つて、柯(か)を伐(き)るよりも近(ちか)し」(斧の柄にする枝を伐り取るのに、その長さは手元の斧の柄を標準にする)というそれより容易である。もともと自分の心であるからだ。意見する心は、あなたの道心である。意見される心は、あなたの人心である。寝てもさめても坐っても歩いても、自分の心は離れることがないから、行住坐臥油断なく意見するがよい。もし酒を好むならば、多く飲む事を止めるよう意見するがよい。すぐに止めればよし、止めない時は何度も意見しなさい。そのほか贅沢の心が起る時にも、怠け心が起る時も皆同じだ。万事このようにみずから戒めれば、これは無上の工夫である。この工夫を少しずつ積んで、自分の身が修まり家がととのったならば、これは自分の心が自分の心の意見を聞いたということだ。この時になれば、あなたが説くことを聞く者もあろう。自分の身を修めて人に及ぶのが道理だからだ。自分の心で自分の心を戒しめ、自分の心が聞かないうちは決して人に説いてはならない。またあなたが家に帰ったら、商業に従事するのであろう。土地柄といい、先祖代々の家業であり結構なことだ。しかし、あなたは売買しても、決して金を儲けようなどと思ってはならない。ただ商道の本意を勤めるがよい。商人たる者が、商道の本意を忘れる時は、目先の利益を得ても、結局は滅亡を招くだろう。よく商道の本意を守って努力すれば、財宝は求めなくて集まり、富貴・繁昌は量りしれない。必ず忘れてはならない。□二宮先生語録【45】人を戒めようと思ったら、まずみずから戒めることが肝心である。まず自分の道心で自分の人心を戒めてみて、人心が言うことをきいたならば、他人を戒める資格がある。いったい道心と人心とは、狭い胸の中に雑居して、しばらくも離れないものだ。しばらくも離れずにいる道心が戒めて、それでも人心が言うことをきかないのなら、たとい他人を戒めても、だれが聞き入れるものか。それからまた、人心と酒色との結びつきは、わが身を滅ぼすもとになるのだが、しきりにそれにふけりおぼれても、道心でこれを戒めようともしない。戒めないばかりか、逆にその人心にへつらって淫蕩がやまない。惑いもはなはだしいものだ。人はよくその惑いをわきまえて、おのおのみずから道心によって人心を戒めるがよい。十人みずから戒めれば十人がそれで修まり、百人がみずから戒めれば百人がそれで修まり、千人万人がみずから戒めれば、千人万人の修養ができる。これこそ天下の幸福である。■報徳秘稿【482】己を戒め、己聴かば、則ち人を戒むべし。己を戒め、己なお肯(うべな)なわずば、人何ぞ肯なわん。人を戒めんとならば、先づ己が心を戒むべし。酒色驕奢は身を亡ぼすの者なることを、懇ろに柔和に己が心に説くべし。己が心得心して守らば、是己一人を教解せし也。然る後は人にも説いて可也。然るに二六時中己が心に諂らひ、酒を呑ませ、朝寝をさせ、怠らせ、遊興させ、讒諂(ざんてん)面諛(めんゆ)至らざる処なき、嗚呼是何の願あつて己に諂ふや。迷の甚だしと云ふべし。己と心と二六時中付通しにて守らすることも出来ず、戒ることも出来ずんば、何んぞ人を戒ることを得ん。然らば己は己を諌め、彼は彼を戒め、銘々は銘々を戒る時は、是道に至るなり。十人ならば十人、天下の大幸、一両開発、みな円を以て知るべし☆朝、近くの池にウォーキングしていたら鴨のひなが泳いでいた健やかに育てと祈る
2021年07月04日
二宮先生語録巻の3 【285】およそ事をなすにあたって人に用いられようと欲するならば、知らずしらず道を失ってしまう。たとえば大根を売ろうと欲するならば、土を洗って枯葉を去って、畑にある時とは異なるようなものじゃ。私の法もまた同じで、君主に用いられようと欲すると、ややもすれば本体を失してしまう。いやしくも本体を失えば、その民を害して国を危することは確実じゃ。慎まなければならない。今野華都子先生の仙台のエステのお店に来られたお客がこんな話をされたという。ある日差しの柔らかな午後ここ1ヶ月前位前にきていただいたお客様と挨拶を交わす。ベッドにお休みをいっただいて、お肌の調子をチェックしながら会話をする。「なぜ うちのサロンに決めていただいたんですか?」「知り合いがここにきていて とてもキレイになっていたことと 先生の声の距離がとても心地よかったから」「声の距離ですか?」「そう 頭の上から響く 声の高さも 強さも 色合いも ちょうど いいの 安心するの」「大抵の場合は説明しようと思って早すぎたり 強過ぎたり 聞き取りにくいところがあったり 心地よく ちょうど いいって なかなか 思えないのよ」「来てもらおうとか 勢い込んでいるとどうしても それが声の調子に出ていてこちらが引いちゃうのよ」「話す間合いも ちょうどに聞こえる声の大きさも きっと意識していないで していることだと思うけど 瞬時に相手に合わせて ちゃんとそうしているのよ」「全てのことに そういうことが現れるから ここに決めたの」「ありがとうございます」
2021年07月04日
大谷翔平、激走サヨナラホーム生んだ2度の盗塁「なかなか難しい選択肢」7/4(日)大谷選手との一問一答◆試合前 ―6月を振り返って。 「上旬もそこまでホームランは出ていなかったし、良い状態ではない感じ。徐々に上がっていったのが後半。ここからもう一回、仕切り直してシーズンの半分を頑張りたい」 ―ファンは何を決め手に球宴出場に向けて投票したと思うか。 「一番は残っている成績、数字で単純に判断している部分が大きいと思う。DHの枠で誰が一番いいのかなと思ったときに最初に見るのが数字。プラスして(投手で)投げているとか、いろいろな起用法で面白みもあるのかなと。そういうところがプラスしているのもあると思う」 ―球宴に求めるものは。 「いろいろな選手とコミュニケーションを取って、トップの選手が集まってくるので、観察できるし、試合の中でトッププレーヤーたちのプレーを見る機会がたくさんあると思う。プレーヤーとしては必ずプラスになる」 ―思い出に残る球宴は。 「やはりイチローさんの出ている試合かと思う。そこをメインに見ていたと思いますし、映る場面が多かった。野球が一番楽しい時期でもありましたし」 ―イチローは07年にMVPを取っている。出るからには何かを目指したいか。 「そうですね。結果もそうですし、雰囲気自体を楽しんでプレーしたい」◆試合後 ―本塁打量産の秘けつ。 「今日はいっぱいファンの人に入ってもらって、すごく気分良く打席に入れたので、そのおかげかなと思います」 ―球宴出場の思いは。 「特別な選手の証しというか、すごく興奮しています。本当に多くの人に投票してもらって感謝しています」 ―30本塁打に到達。 「ひとつの節目の数字だと思うので、打てて良かったというのはある。全体で見た場合には最後(9回)の盗塁と、セカンドからの走塁の方が価値があるのではと思う」 ―9回に四球で出塁後、2度盗塁を試みたが。 「1回目はそんなに警戒されていなかったので、普通のステップならいけると思った。2回目はさすがに走ってくる可能性を相手も考えているので、なかなか難しい選択肢ではあった」
2021年07月04日
岐阜県の海津市立図書館が「報徳記を読む 第5集 二宮先生語録」を蔵書としていただいていた。2019年3月3日に寄贈していたもので、寄贈していたことすら忘れていた。岐阜県では恵那市立図書館についで2館目になる。岐阜県は寄贈しても蔵書としてくださることは少なく、次第に間遠になっていたが、「二宮先生語録読み下し全ルビ原文・現代語訳」が蔵書となれば、いつの日にか手にとって読んでくださる方もいようか。先日も指宿の書店から出版元に問い合わせがあり、千葉県柏市の農業をやっておられる方からも要望があった。「二宮先生語録」は漢文で書かれており、現代語訳はあるが、読み下し文を声に出して朗々と読むには本会の「二宮先生語録」のほかにはテキストとするものはない。もともと輪読用に全ルビで作ったものであるからである。海津市立図書館でも「貸出中」となっている。海津図書館般図開架・一般(157.2 ニ) 貸出中です 1110488978
2021年07月03日
北海道で八雲町、厚岸町で「技師鳥居信平著述集」が蔵書となっているが、帯広市立図書館でも蔵書となっていた。帯広市図書館 2F一般 289.1 ト 1515157467 一般書 在架帯広市18件資料で読む 技師鳥居信平著述集 台湾の地下ダムの原点は徳島県農業技術師時代にある2021/04二宮先生語録 読み下ろし全ルビ原文・現代語訳 (報徳記を読む)2018/12八田與一と鳥居信平 台湾にダムをつくった日本人技師2017/12遠州報徳の師父と鈴木藤三郎2016/12ボーイズ・ビー・アンビシャス Boys be ambitiousはいかにして現実化されたのか日本の 第1集 2刷2016/11補注 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』 明治29年(1896)7月24日~同30年(1897)5月8日2016/04二宮金次郎の対話と手紙 中学生からお年寄りまでよくわかる 第一 小田原編(少年・青年期)2015/02二宮尊徳と日本近代産業の先駆者 鈴木藤三郎2014/12ボーイズ・ビー・アンビシャス 内村鑑三 神と共なる闘い 第5集2014/08ボーイズ・ビー・アンビシャス 第4集 札幌農学校教授・技師広井勇と技師青山士2014/02ボーイズ・ビー・アンビシャス 第3集 新渡戸稲造の留学談・帰雁の蘆2014/02ボーイズ・ビー・アンビシャス 米欧留学篇 米国留学中の内村鑑三の日記と手紙2013/10ボーイズ・ビー・アンビシャス Boys be ambitiousはいかにして現実化されたのか2013/03報徳産業革命の人 報徳社徒鈴木藤三郎の一生 (「二宮尊徳の会」鈴木藤三郎氏顕彰)2011報徳記を読む 二宮尊徳の報徳の教えが世界に広まり真正の文明の実を見ることを 第4集1992/11報徳記を読む 報徳は国を興し民を安んずる大業である 第3集1992/11報徳記を読む 『報徳記』巻の二、『報徳論』(『報徳要典』準拠全ルビ)、報徳本教・青木村治蹟 第2集1992/11報徳記を読む 『報徳要典』準拠全ルビ原文(朗読・輪読用)、現代語訳、資料集 第1集1992/11💛本の作成と大学図書館、公共図書館への寄贈を始めて実に20年になる。2021年6月2日地域づくりの雑誌「かがり火」のインタビューがあって、199号に掲載予定なのだが、その原稿記事を会を一緒に立ち上げたKさんに送ったら、返信のメールのなかに「かがり火最後まで読んで目頭が熱くなりました」とあった。人生は短い、されど高い志を持って10年20年と継続し実行し続ければ、なにかよいものを後の世代に伝えられる。そんな実例の一つでもあろうか。
2021年07月03日
二宮先生語録巻の3 【271】天地が有って陰陽が有る。陰陽が循環して寒暑が生ずる。寒は凝結が極まり暑は炎熱が極まる。たとえばだいずを盤の上に転がすようなものだ。偏よることによって万物が生ずる。仏教ではこれを称して諸行無常という。人類・鳥獣・虫魚・草木の生死より、いまだかつて滅しない者はない。これを無常という。色即是空、空即是色も、また同じことだ。いずれもともに世界が無常であることを悟るの言葉であって、あえて世を治めるわけではない。あえて人を教えるのでもない。それを拡めて説くのが、一切経だ。その説は詳細で明細であるが、たとえば謎を解く者のように、その意はなになにというだけだ。そのようならばこのような利益が有り、そのようならばこのような損失が有り、そのよならばこのような得失が有り、そのようならばこのようであると。その詳細は想像も及ばない。しかし一言もってこれをおおえば、いわく諸行無常だ。私はこの言葉をさらに踏み込んで不止不転とした。天地陰陽、日月星辰、四時寒暑、昼夜長短、死生消滅。ことごとく不止不転だ。天に昼夜は無く、地に昼夜が有る。もし太陽に従ってめぐれば、何の昼夜があろう。たとえばすり鉢のすり棒のようなものだ。すり鉢の真ん中を分けて、すりこぎの生滅をあらわす。仕切りをとればすりこぎは生滅がなく、ただ回転するだけだ。銭を出して豆腐を買う。すると銭が滅して豆腐が生ずる。もし銭の後にくっついて行けば、銭は滅しないで豆腐屋の銭バコの中に在る。銭を出して豆腐を取る。だから死生・生滅を現わすのだ。これを不止不転の世界という。1『報徳秘稿』五五六「天道は寒ければ氷りきり、暑ければ熱しきる。譬ば盤上に豆を転ずるが如し。片寄る音によって万物発生す。釈氏は之を諸行無常と説けり。諸行は世界に発生する万物を指して云えり。人間・鳥獣・虫魚、生滅・治乱・盛衰、ありとあらゆる者皆之を行うといえり。無常は是の如きもの悉く生滅して、開闢以来綿々と継いで有る者なし。皆々生滅す。故に之を無常と云えり。空即是色、色即是空も亦同じ。共に世界の無常なることを悟るの語にして、世を治めるにもあらず、教えるにもあらず。之を拡げて説く処一切経なり。是は世界は空即の一語にて尽きたることなれども、是には細かに謎をとくに其の心はと云えるが如く、実に念を入れて説けり。斯くの如くすれば此の如く益あり、斯くの如くすれば此の如くの失あり。斯くすれば斯くと明細に説けり。然り而して此の一切経をつずめて諸行無常・空即是色とす。予之をつぶして不止不転となす。此の世界は不止不転なり。四時循環、死生生滅、寒暑昼夜、皆不止不転。釈迦も孔子も不止不転なり。春にも止まらず、夏にも止まらず、秋にも止まらず、冬にも止まらず。寒さにも暑さにも止まらず、転ぜず。死にも生にも、生にも滅にも、昼にも夜にも止まることなく、又転ずることもなし。天道に付いて巡る時は昼夜なく、暑に付いて巡れば寒さなく、寒さに付いて巡れば暑さなし。昼夜暑寒の顕るる、我が居所によって境をなせば也。譬ば味噌を摺るが如く、すり鉢に境を為す時は摺木の生滅顕わる。境を取って一円に見渡せば、何ぞすりこぎに生滅あらん、唯巡るのみ。豆腐を買って銭を放すが故に、豆腐生じて銭滅すと思う。銭に付いて行けば、銭は滅せずして豆腐屋の箱中にあり。豆腐を取って銭を放すのみにて生滅顕わる。之を不止不転の世界と云う。」💛大学時代からの友人のKから電話があった。大学時代の友人で現在もつきあっているのはもうKしかいない。先日お中元を贈っていてそのお礼の電話。「この間、『技師鳥居信平著述集』送っていい?とショートメールしたけど返事がなかったから送ってない」「すまない、気がつかなかった。送って。」ちょうど雑誌「かがり火」のインタビュー記事の原稿も届いたのでコピーして同封する。「森町在住のO画伯が『若き日の鳥居信平像』と『カカオ採取の図』のイラストを寄せてくださって素敵なのでカラーで掲載するとともに、出版記念絵葉書にも採用しました。 鈴木藤三郎は『報徳の精神』で「私たちは先人のおかげでいまこうして幸せにしていられる。私たちも先人から受けた徳に報いるために後の世代に何かよいものを遺さなければならない」」と述べていますが、『技師鳥居信平著述集』は今回徳島在住のAさんと協力して徳島技師時代の埋もれていた資料を発掘して年代順に順序正しく収録したものですから、後の世の研究者にとって貴重な資料となり、出身地静岡県と県技師時代の徳島県と地下ダムをつくって現在でも現地で感謝されている台湾とのきずなとなることでしょう。」
2021年07月02日
大谷翔平の黒星消えた! 9回“奇跡の同点グランドスラム”に米記者興奮「冗談だろ」7/1(木) 米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手は30日(日本時間1日)、敵地ヤンキース戦に「1番・投手」で出場したが、わずか2死しか奪えずノックアウト。5つの四死球を出し、2本の適時打を打たれるなど7失点の大乱調だった。だがチームは4-8の9回1死満塁からジャレド・ウォルシュ内野手が起死回生の同点満塁弾を放ち、大谷の黒星が消えた。米ロサンゼルス地元放送局「バリー・スポーツ・ウェスト」のキャスター、パトリック・オニール記者「インクレディブル。ジャレド・ウォルシュが9回表に満塁本塁打を放った。今夜彼にとっての2本目のアーチである。エンゼルスはヤンキースを驚かせ、私たちみんなも驚かせた」米スポーツ専門局「FOXスポーツ」のアナリスト、ベン・バーランダー氏「ジャレド・ウォルシュがチャップマンから同点となる満塁本塁打を打った。これでショウヘイ・オオタニの負けは消えた」MLB公式サイトのエンゼルス番レット・ボリンジャー記者「冗談だろ。ジャレド・ウォルシュがチャップマンから9回に同点満塁弾。8-8になった」
2021年07月02日
二宮先生語録巻の3 【269】仏教でいわゆる悟りというものは、名僧・知識でも、なおもって難しいとする。肉眼で見ることのできないものは、心眼でこれを見、肉耳で聞くことのできないものは、心耳でこれを聞く。すなわち光の無い光を見、声の無い声を聞く。その表を見てその裏を知り、その末を見てその本を知る。これが私が悟ったところだ。匹夫(身分の低い男)もまた悟るところがある。その草鞋(わらじ)を買うとき、銭を出せばその草鞋を得られることを知る。草鞋を用いれば足を傷つけない。山にゆけば薪(たきぎ)を得ることを知る。薪を得れば、炊事ができることを知る。その草を刈って馬に与えれば、肥料となることを知る。草を田畑につちかえば収穫が多くなることを知る。収穫が多くなれば家道が裕福となることを知る。皆な予め知ってこれを行う。これ三世・四世を悟るということではない。僧には僧の悟りが有る。匹夫には匹夫の悟りが有る。ただそのいるところによって異なる。その実は一つだ。私はかって言ったことがある。 腹くちく喰ふてつきひくあまかかは仏にまさる悟りなりけり1『報徳秘稿』二二九「悟りとは何ぞや。見えざる処を知る、之を悟りと云う。体あるがゆえに後を見るあたわず、心眼を以て裏を見る、是悟り也。光なき光を見、声なき音をきく、是なり。僧の称する悟りは甚だむつかしきが如し。何ぞ名僧の称する如きのみ是を悟りと云わん。農は農の悟りあり。匹夫は匹夫の悟りあり。僧は僧の悟りあり。各その居に依って違うのみ。元是一物。譬ば匹夫の銭をやれば、草鞋の来るを知る。其の草鞋をはけば、足の痛まざるを知る。其の草鞋をはいて山に至りて薪をこり、帰り来て之を焚けば、暖且つ炊飯のなるを知る。皆前に悉く知って疑わずして行う。是幾世界を知るに非ずして何ぞ。又農夫の如き、山野に行きて草を刈り来て、馬にふませて肥となし、米麦に糞培すれば、米麦の実のり多きをなす。是亦悟りにあらずや。銭を捨てて豆腐の来るか、草鞋の来るか知らざる也。草鞋の来るを知るは、二世界を悟る也。草鞋の来て何を為すか知らず、是迷いなり。其の草鞋をはいて足のいたまざるを知る、是三世界を悟道するもの也。之を農夫の悟りと云う。先生の道歌に、悟りとは何を悟りぞ何事もあらわれ出るもののうらうら 腹くちく食うてつきひく尼かかは仏にまさる悟りなりけり。」2 腹くちく食ふてつきひく尼母(あまかか)は仏にまさる悟りなりけり。それ人のみならず、犬猫に至るまで、わが腹に食満ちれば、寝ているは犬も猫も心無き物の常情なり。然るに食事を済ますと、直ちに明日食うべき物をこしらえるは未来の明日の、大切なる事をよく悟るゆえなり。この悟りこそ人道必要の悟りなり。この理をよく悟れば、人間の世はそれにて十分なり。これ我が教え悟道の極意なり。悟道者流の悟りは、悟るも悟らぬも、ともに世の中に損益なし、と諭されし事有りき、すなわちその心なり。(『二宮尊徳道歌解』福住正兄)☆『二宮先生語録』は、漢文で書かれたものを読める高度な教養のある武士層に対して書かれていて、それを政治に生かしてもらいたいと斎藤高行は考えたんだ。 ところが戦後、日本は、四書(大学・中庸・論語・孟子)などの漢文の伝統が廃れてしまい、武漢文で読めなくなって、おのずと『語録』は忘れ去られた。その現代語訳は佐々井典比古先生が作られている。本会の『二宮先生語録』は、漢文を読み下し、全ルビを施して作った。さらに訓読・全ルビに現代語訳をつけてある、さらに『語録』の原型である『報徳秘稿』を注として付して、語録で二宮先生が話された意味がよく明確に理解できるようにしようとしんだが、あまりに分厚くなるので、本には付していない。 『二宮先生語録』の漢文を声に出して読書会等で輪読できるようにして刊行したのは、後世への贈り物でもある。
2021年07月01日
二宮先生語録巻の3 【270】お経にいう観世音菩薩とは、世界の音声を観じて衆生を救済する菩薩だ。音とは何か。およそ人類から鳥獣・虫魚に至るまで、喜怒哀楽や愛し憎み歓ぶ音声のことで、いずれの音とも限定しないでおおまかに世界の音という。その意味は深い。普門品(ふもんぼん)というのもまた同じで、おおよそ天地間の万物は、みな品だ。私は観音経の深意を探って、助貸の法を設けた。すなわち出納簿における納金を観音とし、出金を衆生とし、通計を菩薩とする。納金が有れば、出金が有る。五尺の樹木に五尺の根っこが有るようなものだ。むしろを織るのもまた同じで、五分出れば、五分入る。布を織るのもまた同じ。万物はみなこのようだ。そして助貸を行う者は、観音であり、助貸を受ける者は、衆生である。一旦助貸を受けても、これを償えば、これも観音である。なぜならその償った金で他の窮乏を救済するからだ。観音経の深意はここに在る。すなわち国民の音声を観じて、その苦しむ所を除き、その足らない所を給し、その求める所に応じ、その欲する所を与える。ああ、この無利息貸出の帳簿に題するに観音の像をもってしてもよいではないか。
2021年07月01日
大谷翔平 3年ぶり2打席連発でキング独走!3回27号&5回28号 3戦4発、松井の月間13本に並ぶ6/30(水) エンゼルスの大谷翔平投手(26)は29日(日本時間30日)、敵地ニューヨークでのヤンキース戦に「2番・DH」でスタメン出場。第2打席に両リーグ単独トップに立つ3試合連続27号ソロ、さらに続く第3打席でも28号アーチを放ち、本塁打王争いで“独走態勢”に入った。大谷の2打席連発は3年ぶり2度目。チームは5―11で敗れ連勝は2でストップ、借金は再び3となった。 初回1死の第1打席はヤ軍先発右腕タイロンの前に右飛だったが、3回の第2打席で3ボール1ストライクからタイロンの外角チュンジアップを完ぺきに捉えて右翼席にライナーで飛び込む27号ソロ。打球速度は109・6マイル(約176・4キロ)、飛距離は395フィート(約120・4メートル)。前日28日(同29日)の同カードの初回に右越え26号ソロを放ったのに続く3試合連続アーチで、26本塁打で並んでいたブルージェイズ・ゲレロに1差をつけ、本塁打王争いで両リーグ単独トップに立った。大谷の3試合連続アーチは、今月18、19、20日(同19、20、21日)のタイガース戦以来で今季3度目。また、25日(同26日)のレイズ戦から続く連続試合安打を「4」に伸ばした。 さらに5回無死二塁の第3打席では、内角直球を捉え、またもライナーで右翼席に飛び込む28号2ランで、ゲレロに2本差をつけた。打球速度は112・4マイル(約181キロ)、飛距離は356フィート(約109メートル)。大谷の2打席連続本塁打は、18年8月3日(同4日)のインディアンス戦で10号2ラン、11号ソロを放って以来2度目。これで6月は13本目で、07年7月に松井秀喜(ヤンキース)が記録した日本人月間最多記録に並び、ア・リーグ月間MVPにも大きく近づいた。また、27日のレイズ戦で3安打して以来、今季22度目となるマルチ安打もマークした。7回1死の第4打席は左腕コーデスと対戦し中飛、9回2死一塁の第5打席は右腕アブレイユと対戦し一ゴロだった。 前日は26号ソロを含め5打数1安打1打点で、通算打撃成績は73試合261打数72安打60打点、26本塁打、11盗塁で打率・276となっていた。☆大リーグ公式サイトは「ショウヘイ劇場」と題し、本塁打の動画を掲載。「ヤンキースタジアムは大谷の遊び場と化した」と表現した。☆ヤンキースの試合を中継しているYESネットワークは、名物アナウンサーのマイケル・ケイ氏と、ヤンキースのレジェンドだった元投手デービッド・コーン氏(58)、ポール・オニール氏(58)が実況解説を担当。大谷が5回に2本目の28号2ランを放つと、ケイ氏は「オー・マイ・グッドネス」と叫び、解説陣はあまりの強打者ぶりに思わず「あははは」と笑い声を立てた。「彼は大舞台が好き」「とんでもない身体能力から出る動き」などと大谷を語り、コーン氏は「明日、マウンドに立つのを見るのが楽しみだ」と話した。☆ヤンキース主砲アーロン・ジャッジ(29)も笑みを浮かべながら「18、19年にも彼を見る機会はあったが、今季彼がしていること、特にこの2試合はかなり、かなりインプレッシブだ」とコメント。「球がストライクゾーンにくれば打つし、しかもハードに打つ。ミスショットでさえ、深いセンターまで飛んだ」と感嘆。「彼がしているのは、一世代に1人できるかどうか。それくらいのことであるのは間違いない。明日、彼がマウンドに上がるのを楽しみにしている」と話した。この日大谷に2発浴びた先発右腕ジェームソン・タイヨン(29)は「打たれたのは結構良い球だった。信じられない打者。今絶好調だし、僕にとっては対するのは難しかった」と振り返った。
2021年06月30日
二宮先生語録巻の3 【268】仏教ではいわゆる恒河砂(ごうがしゃ)阿僧祇(あそうぎ)。あるいは無量大数など、その数を詳しく説明することができない。いやしくも暗闇で砂粒を計算するようなもので、どうしてこれを分かることができよう。私は、だから大数現量鏡という書を著して、一から大数に至るまで、各々図でこれを解説した。その数は明了だ。1『報徳秘稿』五二〇「仏書、恒河砂の如しと云う、其の数を詳らかにせず。又無量と云う、米粒を千里万里並べたるが如き、弁ずること能わず。之を見んとならば、我が大数現量鏡、利倍積を見よ。一より始り、恒河砂無量に至りて了々たり。」・「明治時代、当時極東の1弱小国であった日本が、欧米の近代国家の後を追って行こうとするときに、内村鑑三が英文で『代表的日本人』という本を書いています。 そこで彼は、西郷南洲、上杉鷹山、二宮尊徳など5人の名前を挙げ、「これが日本人です」といって、世界に紹介しております。」・「裃をつけて殿中に上がった二宮尊徳は、あたかも生まれながらの貴人の如く振る舞った。なみいる諸大名の中にあっても何の遜色もないぐらい、立ち居振る舞いといい、言動といい、どこの貴族の生まれかと思われるほど立派なものであった」「勤労だけが人間の心を磨く、魂を磨く唯一の方法である」と思っています。このことは内村鑑三の描いた「二宮尊徳の晩年の姿」を見れば、分かるような気がします。「生き方」by稲盛和夫昨日、矢野さんのお宅に石巻の笹かまぼこをお裾分けに行った帰り、近くの図書館に寄って、ついでに本を借りてきた。京セラ創業者の稲盛和夫氏の「生き方」である。稲盛さんの人生哲学、経営哲学を学ぶ会があり、名前からとって盛和塾というとつい先日知った。そして先日稲盛和夫氏の講演の質疑で読んでいたら、二宮尊徳について触れられているところがあった。質 問 日本の大企業は立派なところは社会の公器であるという信念のある経営者がいるわけですね。ところがそうでない企業は、社会の公器だという自覚が欠けているところが多い。これは稲盛さんは人の批判をされるのはいやだろうと思いますけれども、このへんのケジメをどういうふうにしてつけていったらいいのか。ご意見を承れればありがたいと思います。講 師 「企業は公器」だということを忘れてしまっている企業経営者が多いとおっしゃいました。私は今満71歳ですから、戦後、日本を廃墟の中から世界第2位の経済大国につくりあげた経済界のリーダーの最後の世代だと思っています。例えば、井深さん、盛田さん、松下さん、本田さん、いろんなリーダーがおられましたが、みなさんもう亡くなってしまわれました。京都ですと、女性の下着をつくっているワコールという有名な会社を創業された塚本さんがおられます。塚本さんはビルマのインパール作戦の生き残りで、小隊でたった3人しか生き残らなかったという飢餓戦場を生き残って帰って来た猛者です。ちょうど私と一回り年が上だったもので、何かあれば「稲盛君」「稲盛君」と一杯飲ませてもらったりして、かわいがっていただきました。そういう戦後の日本を築いた創業者に近い人達に一番後ろからついて行ったのが私の年代です。 残っているのは、私よりちょっと若いか、あるいは私と同じぐらいの年代の経営者しかいないわけです。私の場合、田舎大学出でしたから、就職難で就職も出来ず、給料もなかなかもらえないような会社にしか行けませんでした。東大、京大、阪大などの日本の一流大学の卒業生の方々は、当時でもやっぱり一流会社に行けたはずです。そういう方は、戦前からの資産もある大企業にサラリーマンとして入社し、順調に出世していき、経営者になっていかれた。しかし、辛酸をなめるような苦労をしなければ、私は人間というものは磨かれないのだと思うのです。 ある程度の情熱と才があれば成功しますが、人物が伴っていなければ、長続きするはずがありません。やはり人間性を高める努力が要ると、私は思っています。若くて頭もいい大変優秀な人達が、いい会社に入って、すっと伸びてこられたとしても、そのことがかえって経営者として自覚を欠落させるのではないかと思います。明治時代、当時極東の1弱小国であった日本が、欧米の近代国家の後を追って行こうとするときに、内村鑑三が英文で『代表的日本人』という本を書いています。 そこで彼は、西郷南洲、上杉鷹山、二宮尊徳など5人の名前を挙げ、「これが日本人です」といって、世界に紹介しております。そこで紹介されている二宮尊徳は、子どもの頃に両親を亡くし、大変苦労しながら、鍬1本、鋤1本で貧しい農村を次から次へと建て直していった人です。晩年その功績が認められ、幕府に召し抱えられ、殿中に参上したときの彼の様子を内村鑑三はこう書いています。 「裃をつけて殿中に上がった二宮尊徳は、あたかも生まれながらの貴人の如く振る舞った。なみいる諸大名の中にあっても何の遜色もないぐらい、立ち居振る舞いといい、言動といい、どこの貴族の生まれかと思われるほど立派なものであった」 二宮尊徳といえば、柴を背負って本を読んでいる銅像を思い出しますけれども、彼はそうやって労働の合間に独学で勉強しただけで、学問らしい学問を修めたわけではありません。その彼が、素晴らしい人間性を築いたのは、若い頃から労働を通じて心を磨いてきたからなのです。現代に生きる我々は、戦後の労働価値観の中で、労働を報酬を得るための手段でしかないと思っていますが、私はそうではないと思っています。「勤労だけが人間の心を磨く、魂を磨く唯一の方法である」と思っています。このことは内村鑑三の描いた「二宮尊徳の晩年の姿」を見れば、分かるような気がします。 そういう辛酸をなめずに、いい会社に入られ、エリートとしてずっと躍進を遂げられて、最終的に経営者になられた方々の場合には、やはり精神的にどこか弱いところがあるのではないかと思います。私は、いまこそ精神的なものを経営者にぜひ求めるべきだと思っています。「生き方」(23ページ)にも簡単ではあるが次のような二宮尊徳についての記述がある。日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていくことがもっとも大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです。 たとえば、二宮尊徳は生まれも育ちも貧しく、学問のない一介の農民でありながら、鋤一本、鍬一本を手に、朝は暗いうちから夜は天に星をいただくまで田畑に出て、ひたすら誠実、懸命に農作業に努め、働き続けました。そして、ただそれだけのことによって、疲弊した農村を、次々と豊かな村に変えていくという偉業を成し遂げました。 その業績によってやがて徳川幕府に登用され、並み居る諸侯に交じって殿中へ招かれるまでになりますが、そのときの立ち居振る舞いは一片の作法も習ったわけではないにもかかわらず、真の貴人のごとく威厳に満ちて、神色さえ漂っていたといいます。 つまり汗にめみれ、泥にまみれて働きつづけた「田畑での精進」が、自分も意識しないうちに、おのずと彼の内面を深く耕し、人を陶冶し、心を研磨して、魂を高い次元へと練り上げていったのです。 このように、一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に働きつづけた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みのある人格を形成していくものです。・・・人格の完成もまた仕事を通じてなされるものです。いわば、哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で練磨されるのです。 自分がなすべき仕事に没頭し、工夫をこらし、努力を重ねていく。それは与えられた今日という一日、いまという一瞬を大切に生きることにつながります。
2021年06月30日
日本、サイバー能力見劣り 主要国で最下位グループ6/28(月)英国のシンクタンク、国際戦略研究所(IISS)は28日、サイバー、デジタル分野の総合的な実力で日本が主要国に見劣りし、最下位の3番手グループに位置すると発表した。特にサイバー防衛の分野で遅れているためと説明している。
2021年06月29日
二宮先生語録巻の3 【258】仏教の経典(大日経)にいう金胎両部(金剛界と胎蔵界)の大日(如来)とは、何をいうのか。儒教でいう、道心と人心のことである。心はなお水のようだ。そして道心と人心と異なるところが有る。書を書くときの水入れと、硯の池の水のようなものだ。硯の池の水は、朱を入れれば赤となり、墨を加えれば黒となる。そして水入れの水はもとから赤や黒の別は無い。心性は固から悪は無い。ひとり身体の欲するところから悪となる。暑さを苦しみ寒をにくみ怠惰を喜び楽を好む。皆なこれは身体から生ずるものである。これを胎蔵界の大日という。すなわち人心である。もし身体の欲を去るならば、水入れの水のように、何の悪が有ろうか。これを金剛界の大日という。すなわち道心だ。1『報徳秘稿』六八「夫れ、心は、仏にては金剛界の大日と云う、胎蔵界の大日と云う。儒にては人心・道心と云う。或いは金胎両部の大日、或いは人心・道心とは、硯(すずり)の水と云う、水入れの水と云うの違い也。たとえば道心は水入れの水也。人心は硯の水也。本来水に赤黒なし。朱にせがまれて赤くなり、墨にせがまれて黒くなる也。心元来善悪なし。体にせがまれて善悪生ずる也。暑と云い、寒と云い、患と云い、楽と云う。皆体より生ずる也。是を体の心と云う。則ち人心也。体なければ何もなし。是を心の心と云う。則ち道心也。たとえば天水桶の水、孖虫(ぼうふら)は生滅して、水は生滅なきが如し。」二宮先生語録巻の3 【259】仏陀は日本から遙かに隔てたインドに生まれ、そして数千年の後、増上寺の中堂にいまして、前田侯、伊達侯の大名家を消火係としている。彼としては礼を失しているようでもあり、こちらとしては恥じるようでもある。しかし人はこれを見てあやしまない。これはほかでもない。その至徳大法をもっての故である。お釈迦様はこう言われた。私の法は千年後、これを大王に付属しようと。その言葉は虚妄ではないというべきであろう。そうであっても、その至徳大法はただ自分を捨てて人を救うというに過ぎない。明暦大火で、焼けた屍をあつめて一寺を建てた。また形場の刑死者が千人に及ぶと、一寺を建てる。死者をことごとく成仏させようとの意である。死者は、人が皆嫌うところである。その嫌う所の者を収めて、これを済度する。すなわち自分を捨てて人を救うということではないか。その徳、その法、至大というべきではないか。
2021年06月28日
二宮先生語録巻の3 【258】仏教の経典にいう本尊とは、本を尊ぶということだ。如来とは、来るごとくということだ。これを豆苗(とうびょう)にたとえよう。豆苗に諭して言う。お前は何によって豆苗となることができたのか。過去を悟るならば豆の種だ。未来を悟ってもまた豆の種だ。そうであれば豆種菩薩の化身ではないか。今は葉を伸ばし花を開き、糞を吸い生を楽しんでいても、しかもついに豆の種となることを免れない。今世は仮世である。未来は真世である。よろしく速やかに実を結んで豆の種となるべきだと。これは本を尊ぶということではないか。また諭して言う。もし葉を伸ばし花を開く情に迷って、実を結ぶ時を失うならば、子孫を滅するであろう。もし疑いを懐くならば、来春を待ってこれを験すがよい。必ず違うことはないと。衆生が有れば仏が有る。形が有れば種が有る。その本を尊ぶゆえんの者は、如来をもってこれを証明する。その意は至っており尽している。
2021年06月28日
二宮先生語録巻の3 【241】仏教の托鉢は施米が一鉢に満ちると止める。そのほかに施す者があっても受けない。日に勤めて怠らない。その行いは理にかなっている。今この托鉢を行う者は、ひとり禅宗のみだ。一日の托鉢は三百戸を行くことをもって度とする。その施すか施さないを論じない。なお経を誦するという。鉄鉢は米びつだ。さらに必ず紙と皿と椀とハシを持つ。これを欠くことができないのもまた理にかなう。1『報徳秘稿』三一七「禅僧の托鉢一銭を得て、今日の御志、財宝二施、無量功徳、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界、平等利益と唱う。至れり尽くせり。日に三百軒を廻る、百軒は留守、百軒は通れ、百軒施しあると見詰といえり。」2『報徳秘稿』三九〇「釈氏の行い大なり。今日乞食して手鉢に満ちれば帰る、余計に受けず。又、明日も出ず、一日も怠うあたわず。其の行い至れり。今禅宗其の行いをのこせり。一日三百軒を回るといえり。是、留守百軒、不施処百軒、施百軒と見積もり、不施家にても経を読み、留守の家にても経をよみ、以て百軒の施を受く。其の行い至れり。又、首に膳紙と碗と箸とを掛け、手鉢は米びつ也、之を携えて行歩す。食事に赴けば、即ち、膳・碗・箸を出す。是一日も欠かすべからざるの要品也。富貴の者は却って彼の要器を持せず、向うより出ださざれば、大いに事かくこと也。我が道、木綿衣物、食と汁に限れは、彼の手鉢と同じ。其の余を求むべからず。汁を入るることは、汁は食を助ける第一也。食に必ず付ける、それ故あり。平生は知らずといえども、断食するときは知るる也。二十日も断食して食を食らんとす。腹内大いに急げども、食咽(のど)を通らず。如何共(いかんとも)するなし。その時、汁を吸う時は、即ち通ること妙為り。是必ず欠かすべからざるの証也。」二宮先生語録巻の3 【243】仏にいわゆる九品浄土のうち、安養浄土は富貴だが子孫がない。極楽浄土は富貴ではないが父母が共にいまして兄弟も元気で子孫は生育し、一家は睦まじくしている、その他は推し量れる。さらに浄土の字は、音で推量するに、浄土とは清浄の美しい地、静土は静かな善地で、上土は無上の善地、定土は常住の善地じゃ。ああ浄土の音はまた善いではないか。要するに一心を悟れば、どの地にあってもまたこれ浄土、士農工商それぞれにその業務を楽しみそのほかを顧みない、これもまた浄土じゃ。たとえ子孫が多くてもその住いに安住せず、その衣食を失うならば地獄じゃ。仏の言葉の妙はこのようだ。1『報徳秘稿』四二八「阿弥陀経に曰く、『時に仏、長老舎 利弗(しゃりほつ)に告ぐ。是より西方十万億土を過ぎて世界あり。名づけて極楽という。その土に仏あり。阿弥陀と号す。今現に在りて法を説く』是此の経文の第一義、一切経の空即是色、色即是空と同じ事也。余は皆此の一時を説きしなり。十万億土の仏は何といえば、今爰(ここ)にていわば、七十里に当りて御仕法村あり、成田村と云うと同じこと也。仏あり法を説く、富田(高慶)という。夫れよりして其の村の模様を説きしなり。銘々家業を安んじ飢寒の憂いあることなし。故に極楽と曰(い)う。」2『報徳秘稿』四六〇「九品の浄土、九は数の極まり。十となれば又一となる。故に九を以て数の極とす。九々元来八十一と云えり。安養浄土、寂光浄土、極楽浄土と説けり。安養浄土とは富貴なれども子孫なし、是安養浄土也。極楽浄土とは祖父母共に存し子孫栄え、富貴にあらずといえども一家相和す、是極楽浄土也。又、音を以て云う時は、上土と書くは上なきよき処也。静土と書く静かにして能き処也。浄土と書くはきよき綺麗なる処也。常土と書くは常にすむ故郷等是也。定土と書くは定まれる処、止り居るべき処也。一々音を以て推すに、何と書いても其の意に合す。之仏語の大いなる処也。然れば九品の浄土とて皆是浄土なれば、今日一心をさえ悟れば、何に在りても浄土也。士にあっても、商にあっても、農にあっても、工にあっても、我が業を楽しみ他を顧みざれば、是浄土也。かごかきにても我が富貴を欲せず、士の威儀をなさんよりや、此のかご夫こそよけれと思えば、是浄土也。乞食も又然り。たとえ子孫多くあれ共、居所に迷い居り、食を安んぜずんば地獄也。」
2021年06月27日
名古屋の金城大学図書館に「技師鳥居信平著述集」と「ボーイズ・ビー・アンビシャス第3集 新渡戸稲造の留学談」をレターパックで贈る。金城大学図書館はボーイズ・ビー・アンビシャス シリーズ5集のうち第3集をかいていて、第3集は蔵書としていただけるだろうが、あわせて「技師鳥居信平著述集」も蔵書としていただけることを願う(^^)
2021年06月27日
二宮翁夜話巻之1【12】 尊徳先生はこう言われた。「道の行わるるや難(かた)し、道の行れざるや久し。その才ありといえども、その力なき時は行われず。その才その力ありといえども、その徳なければまた行れず、その徳ありといへども、その位なき時はまた行れず。」と論語にある。しかしながらこれは大道を国・天下に行う場合の事である。その困難なことはもちろんである。そうであればどうしてこの人がいないことを憂えようか、どうしてその位がないことを憂えようか。ナスをならせるには、ナス作りがよくできるであろう、馬を肥やすのは、馬士(まご)がよくできるであろう、一家をととのえるのは、一家の主がよくできるであろう、あるいは兄弟や親戚で互いに行い、あるいは友人同志で結託して行うがよい。人々がこの道を尽し、家々がこの道を行い、村々がこの道を行うならば、どうして国家が復興しない事があろうか。二宮先生語録【430】わが道の行われることは、むずかしい。才能があっても、徳がなければ行われない。才と徳があっても、位がなければ、やはり行われない。名僧知識が才徳兼ね備わっていても、やはり行うことができない。これを天下に行うことができるのは、ただ王者だけである。けれども田畑を治めることは、農夫でできる。一家をととのえるのは、主人ができる。田畑が治まり家々がととのったならば、やがて天下太平にまで持ちきたすことができる。してみればわが道を行う者は、何も才・徳・位がないことを憂慮するには及ばないのだ。■報徳秘稿【617】道の行れざるや久し。道の行わるるや難し。其の才ありといへども、其の力なければあたはず。其の才力ありといへども、其の徳なければ行れず。其の徳ありといへども、其の位なければ行れず。」一家の祖師たる人、其の才、其の徳備ふといへども、又以て此の道を行ふに足らず。此の道を天下に行ふとは異朝の大禹(中国古代の聖王)、天朝 聖徳太子などの立場にあらざれば行はれず。然りといへども、又何ぞ此の人なきを恨んや。茄子を栄しむるは茄子作り能(よく)すべし。馬を肥やすは馬士能(よく)すべし。一家を斉(ととのう)るは亭主能(よく)すべし。一村を治るは里正能(よく)すべし。人々此の道を能(よく)して天下平らかなり。
2021年06月27日
長野県の公共図書館で長野市立図書館が「技師鳥居信平著述集」を初めて蔵書としていただいた。1 長野図書館 一般 3F (289.1 ト) 貸出準備中資料です 0118377951ピンクのコスモスの花言葉は「純潔」盛岡市先人記念館に100冊寄託し、売上金全額を東日本大震災復興支援にあてていただいていた『新渡戸稲造の留学談』が日本赤十字社の東日本大震災支援受入中止で、残部30数冊が手元に戻って来ました。記念に差し上げたいのですが送ってよいでしょうか。と読書会の仲間に連絡したらHさんからは「貴重本をありがとうございます」Wさんからは「新渡戸稲造には関心がないので結構です」などそれぞれ反応があった。つくづくとジョブスの「その時は点と点でしかなかったものが、あとでふりかえると線となっていることに気づく」という言葉の真実性に10年以上続いている絆を見ると、その人は気づいているかどうかはわからないけれども気づくことがある。出会いの縁は見えている世界よりも深いところで起こっているのかもしれない。
2021年06月26日
二宮先生語録巻の3 【255】仏教の僧は殺生戒を説く。何を生とするか。僧侶もまた米を食べる。米もまた生物ではないか。これを播けば生ずる。米の一粒一粒が生物でなくて何か。そうであれば一升の米を炊く者は、六万八千八百二十四粒の生物を殺すのだ。草をなぎ、木をきるのもまた同じ。米粒は人の炊殺するところとなり、草木は人がなぎ、きる所となる。その痛苦はどれほどか。もし言語が無いから、痛苦が無いとするならば、私である。つまり動物を殺すことを殺生として、草木に及ばないのじゃ。これは血気が自分に類するものを生物とし、血気が自分に類しないのを死物とするのではないか。どうしてこれを公道といえようか。そうであれば仏法もまた私道である。 1『報徳秘稿』八「夫れ、仏者常に殺生戒と云う。而して我其の何たることを知らざる也。夫れ、天地死物にあらず。両間の万物、又死物にあらず。而して殺生戒を立つ。何を以て生を保たん。生を保つは生物を食するによる。死物を食して、豈生を保たんや。人皆、禽獣・虫魚・飛揺蠢動の物を殺すの殺生たることを知って、草木果穀を殺すの殺生たることをしらざるか。飛揺蠢動の物を生と云う。草木・果穀を生物にあらずといわんか。鳥獣を屠するを殺生と云い、草木を煮るを殺生にあらずといわんか。然れば則ち、木食者といえども、又殺生戒を守るあたわず。所謂殺生戒とは何物たるを知らざる也。然りといえども、是はただ悟道也。如来の殺生戒を非とするにはあらざる也。」2『報徳秘稿』二二六「殺生とは何ぞ、生を殺す也。米粟生にあらずや。蒔けば即ち生ず、是生物に非ずして何ぞ。一升米を飯焚すれば、六万四千八百二十七粒の米命を殺す。或いは木を伐り、或いは薯蕷(やまいも)を掘る、是殺生に非ずして何ぞ。竹木・薯蕷言を為さずといえども、其の苦何とか為す。言わざるを以て其の苦なしと思う、是人私の辟也。竹木・草奈・或いは伐り、或いは刈らるるのみ苦しみ、未だ知るべからざる也。而して釈氏の殺生戒と称すもの、何を境とする。己に類する生物を以て殺生とし、草木に至りて、体を異にするを以て関せざるか。豈是公道ならんや。釈氏私立の道なる明らけし。」
2021年06月26日
二宮先生語録巻の3 【246】仏の言葉はなお衣を縫うようだ。般若心経の「空即是色」は、表から縫い、「色即是空」は、裏から針を返す。仏が衆生を諭すときも、必ず言葉をかえして言う。よくわかったか。わかったら、我が門に十戒が有る。よくこれを守るべし。これを農夫を諭すのにたとえよう。「おまえは農家に生まれた。よく耕作に務めなさい。去年耕作を務めたために、今年食を得たのだ。今年耕作を務めなければ、来年食を得ることはできないぞ。よくわかったら、よく勤め働きなさい」と。そのやりかたはあたかも手品師に似ている。手品師が白い棒を呑んで、それからその種を教えて言う。「白い棒をどうして呑むことができよう。はいここに在ります」と。身体をくすぐるようであり、見る人は笑わざるを得ないのだ。仏もこのように人の心をつかむ。痛切にその理を説く。だから聴く者は感動しないではいられない。1『報徳秘稿』三七一「色即是空、空即是色、受想行識、亦復此の如し。色は即ち空なり、空は即ち色なりと二度くり返りて、是で承知か、承知して我が門に入るならば、戒を守れ、我が門にては戒を立つるぞ。譬ば農家に生まれては耕せ、草を取れ、去年耕して米を得たれば、今年耕さずんば米を得られぬぞ、米を食することを承知ならば働けと説くなり。釈氏の行、豆蔵と同じ。豆蔵は六尺の棒を呑みて其の種を顕す。六尺呑まるるものにあらず、爰(ここ)にありと云う。見る者皆一同に笑わざるものなし。仮(たとえ)ば身を順に撫ずるなり。故に笑う。釈氏はつかむ也。いたし、ひいと云うべきを、つかむ如くに其の理を解るゆえ、聞く者一同に感泣せざることあたわず。」
2021年06月26日
二宮先生語録巻の3 【232】仏教の経典でいう仏とは、何をいうのか。豆をひいて豆腐にする、これが仏である。米を蒸して酒とする、これが仏である。もちごめをついて餅とする、これが仏である。餅や酒や豆腐と名前を異にするが、人々の生を養うのは、同一である。いわゆる虚空蔵菩薩がこれだ。1『報徳秘稿』一八四「仏とは何ぞや。豆を摺って豆腐とす。是仏也。米を蒸して酒となす。是亦仏也。糯(もちごめ)をねって餅となす。是又仏也。餅と酒と豆腐と其の名異也といえども、人の腹中に入って人命を養うの利益は一也。是則ち虚空蔵菩薩也。」
2021年06月24日
二宮先生語録巻の3 【236】仏教では世界を称して蓮華蔵とする。蓮は泥の中に根ざし、水中にぬきんでて、空中に花開く。これは泥・中・空の三つの世界を貫いている。かつその根や茎、花や葉にも細い脈が貫き通している。君民・貴賎・上下の心情が互いに通ずることが、このようであったならば、天下は太平であろう。ああ花や葉が清き美しい本は汚泥にあるのだ。汚泥がなければ、枯れる。王侯が栄え貴い本は、庶民にある。庶民がなければ、亡びてしまう。なぜかといえば花や根、君と民は本これ一つであるからである。もっともではないか。仏教で蓮華蔵と称するのは。1『報徳秘稿』五九八「仏、此の世界を蓮華蔵世界と説く。夫れ、蓮は泥中の底土に根をはりて、水を出て空中に花葉を生じ、茎・根穴ありて水気を流通す。草木皆然りといえども蓮を速やか也とす。切り取りて息を吹き入れる時は葉迄通ず。外の草木は然らず。世の中、蓮の上下葉根流通するが如くなれば聖代と云う。長崎に異国船来る、五六日に江戸に知るが如く、上下自在なれば太平也。又、清浄といえども泥なければ枯れる、大名の領分の如し。領分を取れば大名なし。泥を取れば蓮枯れる。元一なれば也。之に及ばざるを五分人足と云う。」
2021年06月24日
二宮先生語録巻の3 【237】仏様のいわゆる方便というのは、たとえば建築のときの足場のようなものじゃ。土蔵を築くに、必ず足場を設け、屋根をふさいで壁を塗る。その落成に及べば、足場を取り外してもはや用いない。これが土蔵を築く方便である。米とわらの関係も、また同じじゃ。米を作る者は、必ず先ずわらを育てる。米を得れば、わらを棄てて用いない。これは米を作るための方便だからじゃ。うなぎを釣るのにみみずを用いるのも方便じゃ。しかしうなぎを釣って食べてしまうのは、仏の意思ではない。ひでりの時にあたって、うなぎが浅い水の穴のうちにいるのに譬えよう。今まさに水がかれて死のうとしている。はやく穴を出て深い水に入りなさい。うなぎは言う事を聞かない。だからミミズでこれを釣って、深い水に放ってやる。これを仏様の方便というのじゃ。1『報徳秘稿』五一二「此の道は、譬ば米を得るに藁を作るが如し。米は有用にして藁は不用也。有用の米を求めるには、不用の藁を作らざれば得ることあたわず。愚蒙を藁と見、之を教導して、若し藁一房にても励み出せば、之を米の実りと見るなり。夫れ、米は実りを取る時は、藁は馬の沓或いは馬に踏ませて肥しとなす。其の米は天子を養うにも供すべし。藁の捨てりたりとて何ぞ米を捨てることかあらん。故に愚蒙一たび進みて縄一房にても出だせば、其の進みを許して之を実とす。若し愚蒙再び怠惰に陥るとも、其の進みし縄を捨てるの理あらんや。」2『次郎物語』第五部「読書会では、テキストのページを追って輪読する場合もあったが、「二宮翁夜話」の取り扱いはそうではなかった。あらかじめ、めいめいのひまな時間にその幾節かを読んでおき、その中から、心にふれたとか、疑義があるとかいうような節をだれからでも発表して、それについて相互に意見を述べあうといったやり方であった。このやり方は、実は次郎の提案によるもので、それが「二宮翁夜話」の場合、特に適切であったせいか、毎回非常な成功をおさめ、塾生たちのそれを読む態度もそのために次第に真剣味をまして来ていたのであった。(略)大河無門がだしぬけに言った。「巻の一の第二十八節をぼくに読ませてもらいます。」その声は、例の落ち葉をふむような低い声だったが、みんなの私語をぴたりととめた。だれよりもぎくりとしたのは次郎だった。次郎にとっては、それが大河の声であるということだけで、もう十分な刺激だった。しかも、その大河は、これまで読書会ではほとんど沈黙を守りつづけて来ており、真っ先に口をきったことなど、全くなかった人なのである。みんなが、あわててページをひらくと、大河は、ぼそぼそと読み出した。 「翁曰く、何事にも変通といふ事あり。知らずんばあるべからず。即ち権道(けんどう)なり。それ難(かた)きを先にするは聖人の教へなれども、これは先づ仕事を先にして而して後に賃金を取れと云ふが如き教へなり。ここに農家病人等ありて、耕し耘(くさぎ)り手おくれなどの時、草多きところを先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、草少なく至って手易き畑より手入れして、至って草多きところは最後にすべし。これ最も大切の事なり。至って草多く手重のところを先にする時は、大いに手間取れ、その間に草少なき畑も、みな一面草になりて、いづれも手おくれになるものなれば、草多く手重き畑は、五|畝(せ)や八畝は荒(あら)すともままよと覚悟して、しばらく捨ておき、草少なく手軽なるところより片付くべし。しかせずして手重きところにかかり、時日を費す時は、わずかの畝歩(せぶ)のために、総体の田畑順々手入れおくれて、大なる損となるなり。国家を興復するもまたこの理なり。知らずんばあるべからず。また山林を開拓するに、大なる木の根はそのままさしおきて、まわりを切り開くべし。而して二三年を経れば、木の根おのづから朽ちて、力を入れずして取るるなり。これを開拓の時、一時に掘り取らんとする時は労して功少なし。百事その如し。村里を興復せんとすれば必ず反抗する者あり。これを処するまたこの理なり。決して拘(かかわ)るべからず、さわるべからず。度外に置きてわが勤めを励むべし。」ぼそぼそと読み出した大河無門の声は、おわりに近づくにつれて、次第に高くなり、澄んで来た。そして最後の一句を、思い切り張った調子で読みおわると、また、ぼそぼそとした声で言った。「さっき田沼先生に事件のお話をきいたあとで、ページをめくっていると、偶然この一節が眼にとまりました。何だか関係があるような気がしたので読んでみたんです。それだけのことで、べつに感想はありません。」 塾生たちは、同じページにあらためて眼を走らせはじめた。朝倉先生は眼をつぶって何度もうなずいていた。」
2021年06月24日
朝のウォーキング行きがけに青森県に2図書館と北海道の1図書館に『鳥居信平著述集』をスマートレターで寄贈する。二宮先生は喩えでよく教えらる。鳥獣の手は物を掴むことしかできないところです人間の手は物を掴むことも人にあげることも出来ると。人体の構造がそうなっているのだ。だから人は推譲に勤めなければならないと。僅かなりとも他のために実践する。それが報徳の道であろうか。古語(論語)に、己に克(か)って礼にかえれば天下仁に帰す、仁をなす己による、人によらんやとある。己というのは、手を自分の方へ向ける時の名である。礼というのは、自分の手を、先の方に向ける時の名である。自分の方へ向けては、仁を説いても義を述べても、皆無益である。よく思うがよい。人体の組立てを見よ、人の手は、自分の方へ向いて、自分のために便利にできているが、また向うの方へも向いて、向うへ押すようにできている。これが人道の元である。鳥や獣の手は、これに反して、ただ自分の方へ向いて、自分に便利なだけである。そうであれば人間である者は、他のために押すのが道である。そうであるのにわが身の方に手を向けて、わがために取ることのみを勤めて、先の方に手を向けて、他のために押す事を忘れるのは、人であって人でない、すなわちケダモノである。どうして恥かしく思わないでいられようか。ただ恥かしいだけではない、天理に違うためににについには滅亡してしまう。だから私は常に奪うに益なく、譲るに益あり、譲るに益あり、奪うに益なし、これがすなわち天理であると教えている。よくよく玩味しなければならない。
2021年06月24日
理研“インド型”分析「距離少し見直しも」6/24(木)理化学研究所などによるスパコン「富岳」のシミュレーションで明らかになったのが、インド型変異株の最新の分析。インド型の感染力を従来型の2.25倍と想定し、マスクをせず15分間、大声で会話した場合、感染リスクを5分の1程度に下げるには従来型では1メートルの距離が必要な一方、インド型では1.9メートルと倍近く必要。理化学研究所チームリーダー 神戸大学教授・坪倉誠氏「インド株になると、2mでも10%くらいの感染確率を持ってくる。従来の距離の取り方に関して、感染力が強くなると、少し見直していく必要も出てくると思います」コロナ感染リスク インド型は2倍、スパコン「富岳」で2021年6月23日理化学研究所などは23日、スーパーコンピューター「富岳(ふがく)」を使い、新型コロナの変異ウイルスごとの感染リスクを計算した結果を公表した。感染力が強いインド型では、従来型に比べてリスクが約2倍に高まった。会話する際は距離だけではなく、接触する時間も重要なことがわかったとしている。飲食時を想定し、感染者と互いにマスクをしないで対面で会話したときの感染リスクを、吸い込む飛沫の量をもとに計算した。体内に一定量のウイルスが入ると感染すると仮定し、インド型の感染力を従来型の2.5倍、英国型を1.25倍と想定した。感染者が15分間大声で話すと、2メートルの距離をあけてもインド型の感染リスクは10%を大きく上回り、従来型に比べて約2倍となった。どのタイプのウイルスでも1メートルより近づくとリスクは急激に高まった。距離を2メートルあけていても、会話する時間が長くなるほど感染リスクは高まった。従来型では通常の声で約45分話すと10%の感染リスクとなったが、インド型では20分弱、英国型では35分超で10%に達した。記者会見した理研チームリーダーで神戸大教授の坪倉誠氏は「半分以下の会話時間で同じ感染リスクになる。距離よりも会話する時間が大事だ。時間に対する注意をより払う必要がある」と話す。研究チームは飲食店で感染対策をした際の感染リスクについても計算した。エアコンや厨房のダクトを動かして空気の流れを変えたり、パーティションの設置や距離をあけたりすることでリスクが低下した。
2021年06月24日
千葉県の柏市の農家の方から柏市立図書館で「二宮先生語録」を借りてよんでいるが、手もとに置きたい、譲ってというお手紙をいただいた。書棚を見ると2冊しかないが、熱心なお手紙に、お譲りすることにして、寄贈用のスマートレターを送ってとお願いしたら早速届いた。「数少ない貴重な書籍をお譲りいただけるとのこと感謝申し上げます。 かつて若き頃、前神戸大学教授の黒岩一郎先生(*)より一年間にわたり、二宮尊徳の講義を受講したこともあり、再びその教えの学びができますこと大変うれしく存じます」とあった。 「二宮尊徳の会はもともと「報徳記読む会」として発足し、仲間と報徳記原文(ルビ付き)を輪読し、それをまとめたのが「報徳記読む」第1~4集で、「二宮先生語録」は第5集にあたります。 広島県の読書会が報徳記原文を読む読書会を開いていますが、日本全国で二宮尊徳の事業と教えが見直される時代に来ていると思います」と手紙をいれて、「二宮先生語録」を投函する。*黒岩 一郎は、日本の国文学者、保守思想家。 兵庫県姫路市生まれ。東京帝国大学国文科卒。大陸に出征。帰国後姫路高等学校教授、戦後合併により神戸大学助教授、教授。1962年、「香川景樹の研究」で東大文学博士。1977年、定年退官。棠舟の号をもつ、反共思想家。1995年6月7日、肺癌のため死去。学問はただ世の役に立つためにある事 神儒仏の書の数は沢山ある。それを研究するのも、深山に入り座禅するのも、その道を登り極めたら、世を救い世を益す以外の道があってはならない。もしあると言へば邪道に違いない。正道は必ず世を益することのみだ。 たとえ学問をするのも道を学ぶのもここに到らなければ、雑草がいたずらに這い広がったように、人の世に用のないものだ。人の世に用のないものは尊ぶにたらない。広がれば広がるほど世の害だ。幾年の後か聖君が出て、このような無用の書は焼き捨てることがあるかもしれない。焼き捨てる事がなくても、荒地を開くように、無用な雑草を刈り捨てて、有用の道の広まる時が来ないとも言えない。 ともかくも人の世に役立たない書は見てはいけない。自分や人の役に立たないことをしてはいけない。光陰は箭やの如し、人生は六十年あるといっても幼老の時があり。疾病があり事故があり、何かができる日は至って少ないので、無用のことはしてはいけない。学問は世益一つにある事(この段も、本書中の屈指の文字である。今日学問に遊ぶ者は謙虚に耳を傾けなければならぬ。=黒岩博士註) 神儒仏の書数万巻あり。それを研究するも、深山に入り座禅するも、その道を登り極むる時は、世を救い世を益するの外に道はあるべからず。(「凡そ学をするは、以て用をなさんとす。故に学は事に施して、有用の学たらしむべし」。益軒、慎思録)若しありと言へば邪道なるべし。正道は必ず世を益するの一つなり。 たとひ学問するも道を学ぶも此所に到らざれば、葎蓬むぐらよもぎのいたづらにはひ広がりたるが如く、人世に用なきものなり。人世に用なきものは尊ぶにたらず。広がれば広がるほど世の害なり。(現在あたら学問があるために、かへって世を毒しつづけてゐる人はないであろうか。天性の直なるに今一度帰って頂きたいものである。)幾年の後か聖君出でて、此の如き無用の書は焼き捨てることもなしといふべからず。焼き捨てる事なきも、荒蕪を開くが如く、無用なる葎蓬を刈り捨て、有用の道の広まる時節もなしと言ふべからず。 ともかくも人世に益なき書は見るべからず。(貝原益軒も同じことを言ってゐる。しかるに今日、無益の書の何と多き。非行少年の輩出も亦、うべなるかなと言はざるを得ぬ。)自他に益なきことはなすべからず。光陰は箭やの如し、(李益の遊子吟や、黄庭堅の詩によって言はれてゐる言葉で、月日の早く経過するをいふ。)人生は六十年といへども幼老の時あり。疾病あり事故あり、事をなすの日は至って少なければ、無用のことはなすなかれ。
2021年06月22日
「日本経済思想史学会第32回大会」共通課題「報徳と協同の思想ー自治・実業・教育ー」課題の提起松野尾 裕(愛媛大学)・「報徳社は岡田佐平治の牛岡報徳社に始まる」は間違っている。(*)おそらく静岡県報徳社事蹟を読んでいないと思われる。*遠州における報徳の来歴遠江地方にあっては弘化嘉永の頃、相州蓑毛村の人、安居院庄七という者が来て、報徳趣法というものを説きました。当時浜松の下石田村の神谷与平治が有志とはかって一社を組織しました。これが実に弘化四年(一八四七)三月で、本県における報徳結社の最初です。・松野尾氏は、テツオ・ナジタ著の『相互扶助の経済』(みすず書房2015年)が紹介されている。報徳を民衆の経済(ordinary economies)という観点で江戸期の無尽講から明治期の報徳運動、戦後の協同組合にいたる200年に及ぶ分析で、英語で著作された本作は今後世界的に報徳を考えるなかで今後重要な位置づけを示すものと思われる。松野尾氏引用分「岡田は報徳運動に、経済的な事業展開のための新たな空間を思い描いていた。また、自由主義的な功利主義が、政治のプロセスを法が管理するという立憲的な公的秩序の思想を前提にしていることをきわめて正確に理解していた。この国家的な公共空間には、既存のリーダーシップや地域社会のやり方にもとづいた地方自治がふくまれるはずである。岡田にとって地方自治とは、村落とその相互扶助組織を意味していた。したがって相互に助け合う人々を主眼にした実践倫理はそのまま存続し、自由主義的な功利主義という近代化概念の枠内で行動するよう人々を力づけると思われた」(p.223)「それは、当時近代化の主流であると考えられていたものから、遠く離れた位置に報徳を置こうとする戦略であった。」(p.224)松野尾氏は二宮尊徳四大門人の富田・斎藤・福住・岡田のなかで、岡田の事業が最も成功したのは「岡田が進めた遠江国報徳社の活動が近代の中にうまく流れ込んだから」とされる。岡田は「最大多数の最大幸福」を説く功利主義を「実利主義」と呼んで「報徳の道、これを演繹すれば実利となり、興国安民の術、公同結社の法、皆なその中に行わる実利の学、帰納すれば皆な報徳の道に入るべし」と説いて、功利主義は報徳と矛盾しないとした。松野尾氏は「岡田のいう報徳は、国制(天皇制国家)の枠内で、それとは別の次元に公的秩序をつくりだす「自治制の機の役割を果たそうとしたのだと考えられる」と結論付ける。・なぜ日光や相馬など報徳仕法が成功した地域で報徳運動が衰退し、遠州地方において報徳運動が栄えたのかは問題である。 ただまだ研究の視野は多くは「遠江国報徳社→大日本報徳社」にとどまり、静岡県報徳社事蹟で紹介される遠譲社や報本社の活動までは十分には視野に入っていないようではある。・なぜ静岡県さらに愛知県へと、特に遠州地方で、燎原の火のように熱烈な報徳運動(一種報徳教ともいうべき宗教的熱情をたたえて)が起こったのか?・なぜ報徳運動からは天皇制国家に協賛する活動のみが全面に出てきて、軍国主義化に抵抗する考えは出てこなかったのか? 札幌農学校精神からは内村鑑三の非戦論や新渡戸稲造の軍部批判などが出てきて、敗戦後彼らの教え子が戦後日本の民主主義の礎を築いた。・軍国主義に協賛したのは二宮尊徳の思想そのものに内在するものなのか?などの課題について今後の研究がまたれる。
2021年06月21日
二宮先生語録巻の3 【195】論語に魯の哀公が有若に尋ねた。『今年は不作で民が財政が不足しているが、どうしたら良いだろうか』。有若が答えた。『どうして徹(収穫の十分の一を収税する税)にしないのでしょうか』。哀公が言った。『十分の二の税金でも不足しているのにどうして徹にできよう』。有若は言った。『人民が足りたならば、どうして主君が足りないということがありましょう』。 これを盆栽に譬えよう。尋ねて言う。「樹がまさに枯れようとしている。養分が足りない。これをどうすればいいか」「どうして枝を刈らないのですか」「枝を伐れば枯れてしまう」「根が枯れなければ、樹がどうして枯れましょう」「そもそも盆栽は石盆を天分とします。養分が足らなくとも、これを大きくすることはできません。その養分が足らないというのは、分外の枝葉が繁茂しているからです。そうであればその枯れるのを救うには、分外の枝葉を伐るの外、他に道が有りましょうか」 万石の国は、万石を天分とする。用が足りないといっても、またこれを大にすることはできない。かつその用が足りないのは分外の支出をするからじゃ。そうであればその不足をすくう道は、徹法をもって入る額を定め、用度を節制して支出を制するほかにどうして他の方法があろうか。1『二宮翁夜話』巻の五【三六】「翁曰く、論語に哀公問うて曰く、年饑(う)えて用足らず、之を如何(いかん)。対(こた)へて曰く、何ぞ徹(てつ)せざるや、曰く、二にして吾猶(なほ)足らず、之を如何(いかに)ぞそれ徹(てつ)せん。対へて曰く、百姓足らば君誰(たれ)と共にか足らざらん、百姓足らずんば君誰と共に足ん、とあり。是れ解(げ)し難き理なり。之を譬(たと)うるに鉢植の松養ひ足らず、将(まさ)に枯れんとす、之を如何と問ふ時、何ぞ枝を伐(き)らざると答へたるに同じ、又問う、此の儘(まま)にてすら枯れんとす、何ぞそれ枝を伐らん、曰く、根枯れずんば、木誰と共に枯れん、と答へたるが如し、実に疑いなき問答なり。夫れ日本は六十余州の大なる鉢なり、大なれども此の鉢の松、養い足らざる時は、無用の枝葉を伐りすかすの外に道なし。人の身代も、銘々一つずつの小鉢(こばち)なり、暮し方不足せば、速かに枝葉を伐り捨つべし、此の時に是は先祖代々の仕来(しきた)りなり、家風なり、是れは親の心を用いて、建てたる別荘なり、是は殊(こと)に愛翫(あいがん)せし物品なりなどと云ひて、無用の枝葉を伐り捨てる事を知らざれば、忽(たちま)ち枯気(かれき)付く物なり、既に枯気付きては、枝葉を伐り去るも、間に合はぬ物なり、是れ尤も富有者の子孫心得べき事なり。」
2021年06月20日
Q 「書物を2500冊にした『報徳全書』」のイメージがわきません。分かりやすく説明していただけませんか?A 二宮尊徳の書物は約1万巻ほどの巻物になっています。 それを鈴木藤三郎が現在のお金で1億円から3億円という資金を出して、相馬で15人の書生をやとい、約3年の歳月をかけて本文を楷書で書き写させ、2500冊の冊子にしていまいちの報徳二宮神社に奉納したのです。 防火用の蔵までつくって。 これは一つには日本の災害等で二宮先生の本文が失われることを恐れ、もう一つは研究者に広く研究してもらうためのものです。鈴木藤三郎の『報徳全書』ができるまで『佐々井信太郎略伝』に、佐々井信太郎氏が鈴木藤三郎の『報徳全書』を歴史的に位置付けている。「大正年間の報徳運動は、明治末の活動に関連する。その一つは『報徳全書』の写本から目ざめた。日光仕法の役所の置かれた今市市の二宮神社に、鈴木藤三郎氏が寄贈せられた二宮尊徳全集の写本『報徳全書』はそれである。それは相馬家の倉庫に格納されてある原本により、新たに目次が作られ、用紙が統一され、筆蹟が行楷書となっているので読み易く、東京からの距離も近いので閲覧者も多くなった。」(同書p.55)井口丑二氏は今市の写本『報徳全書』を研究し、明治四十三年に『報徳遡源』を、同四十五年に『大二宮尊徳』を出版した。『大二宮尊徳』に尊徳の「遺著の由来」として二宮尊親氏談話が載っている。「報徳の遺跡は、相馬においては有形上には存しています。たとえば仕法で、まっすぐに作った道路を、仕法が止んだからとて曲げはせぬ、開いたたんぼを荒らしはせぬ、掘った溝渠を埋めはせぬが、しかし報徳の結社、日常の行状等は、割合に進歩しませぬ。今後は漸次に進むでありましょうが、今日までのところ、割合に著しいものはありませぬ。富田高慶が、いつも翁の言葉だといって、説いていましたが、それは「上国はそのままに、うちまかせておいても可なれども、下国は不断に世話するを要する。上国は温泉のごとし、放置しても冷めることはないが、下国は風呂のごとし。薪を継ぎ、火をたかねば冷める」と申すのですが、相馬の有様はあたかも仕法の薪が切れて、風呂の湯が冷めたようなものです。報徳の仕法ははなはだ面倒なものでありました。もとより起廃救亡の難事業であれば、干渉も厳密ならざるを得なかったのです。しかるに維新の革命は、百事を破壊しさったので、従来、仕法の窮屈に苦しんだ人民は、あたかも籠の鳥が、籠から飛び出したように、一時極端から極端に走って、ほとんど報徳の旧業を忘却してしまいました。その後、やや回復しましたけれども、この本場としての割合にはふるいませぬ。もっとも他地方からの来られた方は、いずれも当地人民がすこぶる質朴純良なることを賞しますが、多少の感化はなお存するかもしれませぬ。古老の輩は、常に申します。『報徳の仕法は、今の若い者には決してできぬ』と。それは彼らは、当年の刻苦を忘れず、自分が辛苦したる目をもって、今の人間を見るがゆえに、とても今日ではマネができぬと思うのです。畢竟、形式に拘泥するからの誤謬で、古老はただ仕法のつらかったことと、恩を受けたる事のみを記憶していて、その精神がわからぬのです。けだしかの時、施行者は無論その理を知ってやったけれども、人民はただ官命によれるのみ、形を知れるのみで、事業の精神を理解いたさず、ただ遵行の難きをのみ感じているのです。翁が幼時の事は、世間に伝えるところ、あるいは誤謬もあろうとは思います。すこぶる考慮取捨を要します。先祖の系譜もわかりませぬ。肖像も一定せず、区々になっていて、かつすこぶる相違があって、甲と乙とは全く別人のようです。実に心外の至りですが、しかし、いずれも多少づつの根拠を持っているので、一概に甲を取り乙を捨てるという訳にも参りません。ここに木像がありますが、これが最も正しいので、母(尊行妻)も善く似ていると申し、中村の士、荒至重も、志賀直道も、皆その正真なることを証言しましたが、ただし今少しコメカミのところが高かったと、母は申します。この木像は、青木村領主の家臣、荒川泰輔という者の作で、その由来がこのようです。初め剣持広吉が、翁の木像を得んものと、幸い右の荒川は青木村の支配をして、日夕翁に親炙(しんしゃ)した縁故があり、かつ最も彫刻の名人で、優に専門家を凌ぐの腕前があったので、同人を見立てて頼みました。そこでその頃ではすこぶる得難いキャラの材を、江戸で求めて渡しましたので、荒川はそれから間がな隙がな刀を振るっては陰に翁の顔に見比べ、意匠惨憺三年の功を積んで、成工しました。それは翁が六十五、六歳の頃でありましたが、それを剣持が、一日今市の宅に持って参って、祖母(翁の妻)と父母とに見せました。祖母と父母とは「剣持それは何であるか」と、まさに手にとって見ようとするとき、あたかも祖父が外から帰って来ましたので、剣持あわてて袂(たもと)にしまいこみ、帰ってしまいました。それから剣持は別に二体を模造させましたが、翁の没後に至り、最前の荒川作の原像を持参したので、父は相当の礼を致して、これを受領し、家にまつることにしました。外の二体は、一は相馬家に渡り一は剣持が秘蔵したのですが、それを何かの都合で他家へ預けていた時、その家が火災にかかって焼失しました。それから、今市に神社が建ったので、相馬家のを神社に贈り、自宅のを相馬家に納めて、現にまつってあります。遺書は現存してあります。中には欠本もあります。たとえば曽比村仕法のごときは、目録にはたくさんあれども、本文はありません。翁が幕府に仕えてから、在江戸中、芝田町で有名な豪商船津伝兵衛の別宅を借りて、調査をしていましたが、その頃火災にあって、参考書類多数浜辺に持ち出しながら消失したと申しますが、その余は皆存してあります。さようです、この保存には、誠に心配いたしました。桜町から東郷、今市と、転々し、今市では文庫があって無難であったけれども、戊辰の変に戦地となったので、相馬家が特使をもって尊行を招聘(しょうへい)されまして、尊行もその恵に感じて、ついに相馬に参りました。これその時にはいまだ相馬は奥羽連盟に加わらず、無事であったので、乱を避けてまいったのですが、この運搬には実に苦心しました。今市から相馬まで約八十里、戦陣の間で、一回に運ぶことができないので、数回にわかって馬で送りました。さて城内に借宅をしていますと、仙台の圧迫で、相馬も独り立つことができず、ついに同盟に加入したので、ここに官軍の征伐を受けて、またも戦地となりました。ゆえににわかに民家の土蔵数カ所を借りて、納めておきますと、幸いに無事に治って、後、石神村に宅を賜ったので、そこに運びましたが、それから北海道行きの時、その最も難業なるを察し、ことに移民を連れて行くことであれば、責任はさらに重い。祖父さえ家をつぶして桜町へ行ったことなれば、しかして不肖の予、事成らずんば帰るべけんやと覚悟し、家宅を売り払いましたので、書類を一時、相馬家事務所の倉庫に託したのです。巻数は約一万からありますが、ただ一通あるのみでは、万一の欠失も心配されるし、ひろく縦覧に供することもできず、遺憾なりというので、鈴木の篤志で、謄写の業を起し、明治三十九年一月から筆工約十五、六人を入れて、約三年にして成就しました。この書類を通読したる者は、一人もありません。見ても容易に分かりません。ただ一人愛知県の古橋源六郎氏、両三日滞在しましたが、日光ひな形を見て感激し、始めて道理が分かったと喜びました。富田は十年苦学して、治国済民の術を求めて得ず、ついに桜町に行き、実地を学んで、始めて了解したのですが、今この書類を調べると、各地仕法の有様が詳細に分かります。(略)報徳書類は従来刊行のもの、いずれも門生の述作のみにて、各自に私意を加え、一つも純粋に、翁の意をそのままに伝えたるものはない。かくてはあるいは後世を誤らんかと思います。ゆえに自分は翁の書類につきて、一つの経典を編成せんとの大願を持っておりますが、まだ運びません。あるいは世の有力者がこれをなさんことを望みますけれども、まだその人を得ません。」(『大二宮尊徳』p.330)報徳全書ができた時に二宮尊親は、『報徳文庫』について序を寄せている。現代語訳で示す。「 序 論語に曰く、故(ふる) きを温(たず)ねて新らしきを知ると。およそ文献にあたって、これを参考する利益は多大であることを知るべきである。亡祖父尊徳は終生、産業を増殖し、人民を恵む事業に粉骨砕身し、大は幕府諸侯の領内及び旗本の領地が衰廃の復興から、小は一村・一家の窮貧の回復に至るまで努力した。その間、施した事業の実施の事跡を書に残したものが、ほぼ一万巻ある。この遺書は、すなわち尊徳が満身の熱血をそそいだ痕跡であり、子孫である私の深く感激し愛蔵する所である。幸いに志士・仁人がこれをひもといて、世の利益に貢献するところがあれば、泉下の尊徳の霊もまた感銘することであろう。このために更にその謄本を別に所蔵して、たとえ非常の災いがあっても、原本・写本いずれれかその一つを永遠に存続させ、もって民衆が閲覧し、参考の利便を失わないようにしたいと願って、まだ果すことができないことを残念に思っていた。ここに数年来、遠江〔とおとおみ・静岡〕の人、鈴木藤三郎氏は、従来深く尊徳の遺教を信じ、これを工業に応用して成功するものが一つではない。また常に最も遺教の普及に努めた。鈴木氏はたまたま、、この遺書あるを聞き知って喜んで速やかにその謄本を野州〔やしゅう・栃木県〕今市の報徳二宮神社の境内に所蔵し、一つには保存上の安固をはかり、一つには志のある人士の研究の材料に提供するために原書の謄写の承諾を私に求めた。私は喜んで、これを承諾した。以来、三年近く、本年本月をもって謄写は終了した。全部で九千巻、これを二千五百冊として、既に完成した文庫に納めた。ああ私は、永年の希望はここに始めて達成することができ、永く世の志のある人士の研究に資することができた。なんという喜しいことではないか。深く鈴木藤三郎氏の篤志に感動し、いささか思うところを記(しる)して序と為すと。明治戊申初冬 二宮尊親しるし並びに書す」
2021年06月19日
オリバー・クロムウェル、彼は英国セントアイブスの一農夫であった。家は富んではいなかったが、かといって貧しくもなかった。家畜を飼育して家業とし、その道に熟達していたという。20歳で結婚し、清い、そして幸福な家庭を作ることを唯一の目的としていた。こうして彼は政治家に成る必要もなく、またその野心もなかった。彼は心に神を拝し、手に正業を取り、この曲がった世の中で罪のない生涯を送ろうとしていた。 彼が政治に入ったの40歳の時である。しかも彼は大政治家となって名誉を天下に博しようとして政治に入ったのではない。彼は時の圧制を憤慨した。ことに彼と同郷の人であるジョン・ブラインという者が治安妨害の文書を頒布したと投獄されたことを憤って、彼のために弁じようと国会に入ったという。田舎の家で静かな生涯を送ろうと企だてていた彼クロムウェルは人類的な観念に迫られて止むを得ず国会議員と成ったのである。 しかし彼には政略なるものは一つもなかった。ありのままで、実に彼のような者はなかった。彼には男として勇気があり、また処女のような涙と愛情とがあった。敵と戦ってかつて敗れたことのない彼は友人の反逆に会っては悲嘆し痛哭し憂いの日月を送った。朝にダンバーにおいて敵の大軍をやぶって、夕に故郷の妻に心情溢れる恋文を送った。人は彼を大偽善者とみなした。しかし彼は偽善者ではなかった。彼は余りに感情の人であった。だから彼は偽善者のように見えただけである。 彼の政策とは何か。他でもない。イギリスを地上における天国となし、終にイギリスをとおして全世界を天国と成そうとするにあった。だから俗人の眼で評するならば、彼の行為は狂人的であった。彼はなすことのできない事をなそうとした。しかも彼はこれをなすことのできないとは信じなかった。彼はもしイギリス人がすべてみな彼の信仰を懐くならば、イギリスを真正の聖人国とすることができると確信した。そしてミルトンは彼の書記官として彼のこの偉大な考えに賛成し、ブレークは彼の海軍を指揮して海上に彼のこの理想を実現しようとした。 世の智者は言う。「幸福なるは無学である」と。特別に政治学を究めたことのないクロムウェルと彼の補助者とはこのイムポスビリチーを実行しようとした。「Be Just And Fear not 正しくあれ、そして懼れてはならない」。
2021年06月19日
二宮先生語録巻の3 【188】孔子は言った。「道が行われない理由を私は知っている。知者はこれに過ぎ、愚者はこれに及ばないからだ。道が明らかでない理由を私は知っている。賢者はこれに過ぎ、不肖者はこれに及ばないからだ」と。これを廃棄された網代木(あじろぎ:竹や木を編み重ねて網の代わりに張る漁具の一種)に譬えよう。天が人を生ずるや、知者と愚者、賢者と愚か者があるのは自然であって、天がこれを君主となし、臣下となし、宰相となし、役人となす意図があるわけではない。それを知愚や賢不肖を論じて、これを等しくしようとするのは、ちょうど捨て網代木を集めて、その長短・大小を等しくしようとするようなものだ。その長いものは大きすぎて用に適しない。その短いものは小さくて用に適しない。これはほかでもない。もともと様式に基いて作っていないからじゃ。天道は自然であり、人道は自然ではない。もし自然であれば、山林には四角の柱が生ずることであろう。そうであるのにまだこれを生じていない。その長短・大小・曲直は等しくない。だからこれを割いてこれを削って、長短・大小・曲直それぞれの用に適させるのだ。君主や宰相が人を用いる場合に、大工の棟梁が材木を用いるようにすれば、国を治めるのが難しいことがあろうか。1『二宮翁夜話』巻の五【四一】「翁、山林に入つて材木を検(けん)す、挽割(ひきわ)りたる材木の真(しん)の曲りたるを指して、諭(さと)して曰く、此の木の真は、則ちいわゆる天性なり、天性此の如く曲れりといへども、曲りたる内の方へは肉多く付き、外へは肉少なく付きて、長育するに随ひておほよ)そ直木(なほき)となれり、是空気に押るるが故なり、人間世法(せほう)に押されて、生れ付きを顕わさぬに同じ。故に材木を取るには、木の真を出さぬように墨を掛(か)くるなり、真を出す時は、必ず反(そ)り曲る物なり、故に上手の木挽(こびき)の、材木を取るが如く、能く人の性を顕わさぬようにせば、世の中の人、皆用立つべし、真を顕わさぬ様にするとは、佞(ねい)人も佞を顕わさず、奸人も奸を顕わさぬように、真を包みて、その直(すぐ)なるをば柱とし、曲れるをば梁(はり)とし、太きは土台とし、細きは桁(けた)とし、美なるをば造作(ぞうさく)の料に用いて残す事なし、人を用うる、又この如くせば棟梁(とうりょう)の器と云うべし。又山林を仕立(した)つるには、苗を多く植え付べし、苗木茂れば、供育(ともそだ)ちにて生育早し、育つに随い木の善悪を見て抜き伐(き)りすれば、山中皆良材となる物なり、この抜き伐りに心得あり、衆木に抜んでて長育せしと、衆木に後(おく)れて育たぬとを伐り取るなり、世の人育たぬ木を伐る事を知りて、衆木に勝(すぐ)れて育つ木を伐る事を知らず、たとい知るといへども、伐る事能はざる物なり、かつこの抜き伐り手後れにならざるよう、早く伐り取るを肝要とす、後るれば大いに害あり、一反歩に四百本あらば、三百本に抜き、又二百本に抜き、大木に至らば又抜き去るべし。」
2021年06月17日
二宮先生語録巻の3 【185】論語に「滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰す」(堯曰篇)とある。よい言葉で、そのとおりだ。私が廃れた村を興すときは、荒れた土地を開墾し、絶えた家を回復し、投票によって良民をほうびを与え、このようにして一村の民が服する。また、論語にはこうある。「民の重んずる所、食・葬・祭」と。食とは、米びつに米が有ることだ。米びつに米が有れば「終りを慎んで遠きを追う」終りを慎んで遠きを追うならば、禁を守り、業を勤める。そうであれば妻子が離散し、土地が荒れ果てる煩いは無い。もし米櫃に米が無ければ、生を養うことができない。生を養うことができなければ、終りを慎み遠きを追わない。終りを慎んで遠きを追わなければ、禁令をおかし家業を怠る。禁令をおかし家業を怠れば、離散し土地が荒れ果てる煩いを免れない。ああ、民の重んずる所は米が米びつにあることじゃ。また、論語にはこうある。「信なればすなわち民任ず」。一たび言葉を発して実行と違うことがないということを信という。そうであれば人は必ず信頼する。幼子がお菓子を母親に預けるとき、その数を数えてから預けるということはない。これは母親の信が子に徹するからじゃ。兄弟姉妹においてはそうではない。必ずその数を数えて後にこれを預ける。先君・大久保忠真侯が廃村を復興することを私に任ずるときも十年を期限としただけで年毎の計画について申し上げることはなかった。これは私の信が先君に徹していたからだ。1『報徳秘稿』三一三「論語、民に任せずで留る。其の通り国家をあつかえ。米びつなければ、喪にあって年忌をとわず。」
2021年06月17日
二宮先生語録巻の3 【184】孔子は言った。無為にして治まる者は舜か。何を為したか。己を恭しくして正しく南面するのみと。無為とは何か、専ら天から授かった職務を治め他を顧みることがないことをいう。己を恭しくして正しく南面するとは何か、天子は天の徳を拝して天に仕える。これを南面するという。もろもろの役人は天子の命令を奉じ、天の民を治める。だから北面するという。天子は天職を治め、もろもろの役人は職務を奉じる。農家は耕作に励み、工人や商人は工務や商務を務め、車引きや馬引きはその業務を務める。皆それぞれに専ら自分の職務に力を尽くす。これを無為にして治まるという。時代が下って衰えた時代はそうではない。人君は臣の職を兼ね、人臣は君の位をおかし、武士は商人を兼ね、農家は武士をまね、鍛冶屋は大工を兼ね、米穀商人は酒造家をまね、豆腐屋はコンニャク屋を兼ねる。これはみな己を恭しくし正しく南面するのではない。中庸に言う。君子はその位に素して行う。その外(ほか)を願わず。艱難に素しては艱難を行う。君子は入るとして自得せざる無しと。これが己を恭しくして正しく南面するという言葉に相対する。豆腐屋は豆腐を作ることを楽しみ、車引きや馬引きはそれぞれの業を楽しむ。これが艱難に素しては艱難を行うということじゃ。そうであるのに豆腐屋が自分の家業を利益がないと思い、コンニャク屋をやろうと思う。これは心志が定まらないからじゃ。心志が定まらなければ心身が離れる。だから家業を艱難と思い、これを変えようと欲する。これは惑いの甚だしいものじゃ。豆腐屋がその家業を営むのは天命であって艱難に安んずるのが天理である。天理をわきまえれば天命に随い、心を安んじて家業を務める。これを己を恭しく正しく南面するという。孔子は言った。「巍巍(ぎぎ)たり、舜と禹が天下をたもつことは。そして天下を与(あずか)らないことは」と。与らないとは己を恭しくするという言葉と相対する。与らないとは、自分のものとしないということだ。自分のものにしないということは己を恭しくするということじゃ。舜と禹は天下をたもって、しかも自分のものとしなかった。これが巍巍と賞賛するのだ。一人勤めて一人食する、これは鳥やけものの道じゃ。一人農業に勤めて八人を養うのが人の道じゃ。一人勤めて八人を養い、有余を譲って人に及ぼす。舜と禹が与らずというのはここに存するのだ。与って自分のものとする、だから不足が生ずる。与らないで自分のものとしない、だから有り余るのじゃ。余りあることを富という。足らないのを貧という。1『報徳秘稿』三七八「無為にして治まる者は夫れ舜か。無 為とは何ぞや。世人何もせぬことを思うはあやまれり。無為とは己が分を守って本業に力を尽して、他を顧みざるを無為とは云う也。舜天子となって、則ち己を恭しくして正立して南面するのみ。天子は日月に事う。故に南面して下万民を安撫することに日夜心力を尽くし玉うことを、無為にして治まると云う也。是舜を称せしは先ずこの通り。此の語庶人に通ず。臣たる者は君に忠を尽し、子たる者は孝に止り、士農工商皆己々が業を守り、必ず他を顧みず、是無為にして治まる、己を恭しくして南面すと云う也。若し子と為て父と争い、士と為て工商の業を為し、酒屋と為て米屋にならんと思うの類、皆我が分を守らず、是を為すること有りと云うなり。」
2021年06月17日
二宮先生語録巻の3 【183】中庸の伝に「誠なればすなわち明らかなり。明らかなればすなわち誠なり」とある。また「至誠やむことなし。」とある。これを縄を綯(な)うのに譬えよう。一房綯って金にかえれば四文になり、四文を払えば一房を得る。これを「誠なればすなわち明らかなり。明らかなればすなわち誠なり」というのだ。縄を金にかえ、金を縄にかえる、いつの世もやむことがない。これを「至誠やむことなし。」という。またこれを米を量るのに譬えよう。これを量るのに枡を使えば、何回量っても必ず違わない。これを「至誠やむことなし。」という。また珠玉に譬えよう。上下四方から見て瑕(きず)のないものが至誠だ。一方だけから見て瑕のないものは至誠ではない。1『報徳秘稿』一三三「中庸に、誠なれば則ち明らかなり。明らかなれば則ち誠なり。曰く、至誠息(や)む無しと。夫れ縄一房なえば四文となり、四文を遣れば縄一房となる。是を誠なれば明らかなり。明らかなれば誠なりと云う也。代を以て物にかえ、物を以て代に替うの道、万代息む無し。是を至誠息む無しと云う也。又一斗の米は何処にて計りても一斗、又幾度計りても違わぬ。是を至誠と云う。玉にても一方より見て疵(きず)のなきは至誠にあらず。四方上下より見ても疵なき、是を至誠と云うなり。」
2021年06月17日
列車はスコピエからザグレヴへと向かい、ゴンジャはザグレヴで一人の若いスロベニア人女性ベティカ・カインチと会いました。そして二人は1928年10月13日ザグレヴを出発し、オーストリア、スイス、フランスを経て、イギリス海峡を船で渡り、イギリスからアイルランドのダブリンへと旅をつづけました。ダブリン到着後はすぐにラットファンフォームの聖母会館に送られ、そこで英語の勉強をしながら、ロレト・カトリック修道院のシスター達の生活について学ぶために、数週間滞在しました。その滞在中に、ゴンジャはマリア・テレサという新しい名前を選びました。それは小さなイエスの花ーミッショナリーの守護者として知られるリジューの聖テレサに因んだものでした。1928年12月1日、数週間にわかるミッショナリー生活についての準備を終えると、若いシスター・テレサは、船で暑いインドへと出発しました。1929年1月6日インドのベンガルに到着したマザー・テレサは、そこからコルカタに向かいました。その後1929年1月16日には、ダージリンへと送られました。そしてマザー・テレサは1929年5月に、正式にロレト修道会の見習い修道女として受け入れられました。彼女は活発にロレト修道女たちの公式語である英語を学び、またベンガル語とヒンズー語の勉強もしました。ロレト修道会の学校はコルカタにあり、その学校ではカースト制度の身分の高い娘たちが教育を受けていましたが、マザー・テレサはそこで地理と歴史と聖書を教えていました。1931年5月25日、彼女は初めて清貧、誠実、ロレト修道会内における従順の誓願をたてました。そして1937年5月24日にマザー・テレサはダージリンで終生誓願をたてたのでした。マザー・テレサは、教育者として特別な天分を見せました。教師としての仕事以外にも、自由時間にはコルカタの貧民地区を訪問し、貧しい子供たちを自分の周りに集め、地面に字を書きながら子供たちに教えました。ロレト修道会のシスターたちは、年に一度、修道院から外に出て精神の修養を行っていましたが、それは他の街の修道院で行われることが多いでした。1946年9月10日、マザー・テレサはコルカタからダージリンへ向かうそのような旅の途中、学校の仕事をなげうち、街の通りに出て、インドの最も貧しい人々の中へ入るようにという神の声を再び耳にするという体験をしました。写真はロレッタ修道院におけるシスターテレサ、1929年ロレト修道会の見習いとしてのシスターテレサ〇「マザー・テレサの 愛 と言う仕事」214ページよりマザー・テレサという私の呼び名は、アビラの聖テレサに由来しているのか、ですって?いいえ、とんでもない。私は自分のことを、あの大テレサにちなんで名乗ったことはなりません。リジューの小テレサにちなんで、名乗っているだけなのです。私たちの仕事は苦しみがなければ、きっと人助けのための社会事業ということになるのでしょう。しかしそれでは、イエス・キリストのための仕事ではなくなってしまいます。真の救済にはならなくなってしまいます。イエスは、私たちがイエスが味わわれた生活、苦悩、孤独、死を共有することによって、私たちに救いの手を差し伸べてくださるのです。イエスとともにいるからこそ、私たちを救ってくださったのです。私たちもイエスと同じことをしなければなりません。貧しい人々は、精神的な貧しさからだけでなく、あらゆる貧しさからも救われるべきなのです。そしてその時に、私たちも、彼らと同じ貧しさを共有しなくてはなりません。貧しい人々と一緒にいることで、私も彼らも救われるのです。彼らの人生に神をもたらし、神のところに遣わすことで、彼らは完全に救われます。私は時々、ひどく心細く感じることがあります。心が空虚になり、自分自身が中身のない貝殻のように思え、私の中の支えを失ってしまいそうになるのです。ヨーロッパや合衆国に出かけていくたびに、裕福であるはずのその国でひどく不幸な人々に出会い、心が痛くなるのです。物質的に裕福であるがゆえに、家庭は崩壊し、子どもたちは親から見捨てられているといった現実を、何度も目の当たりにしているからです。今、このような先進国の人々が取り組まなくてはならないのは、自分の血をわけた家族のために働き、離れかけている夫婦の心を結び、子どもたちが両親の愛をたくさん受けることのできる家庭をつくることです。
2021年06月16日
「積善の家必ず余慶有り、積不善の家必ず余殃(よおう)有り」◆報徳秘録【225】「積善の家必ず余慶有り、積不善の家必ず余殃有り」という。これは聖人の確言であるが、愚かな眼では明らかに見ることは難しい。このために積善を実践する者は少ない。歎かわしいことではないか。草木の一つでも必ずこの真理にもれるものは無い。まず一本の草でこれを明らかにしよう。カンピョウを植える者はその大きくなることをのぞむ。それには油カス2升か、コヌカ2升も肥しをしなければ、生育して大きくはならない。このように力を用いて作る時には、求めるヒョウタンを得ることができる。その後、この畑を耕して、菜をまく時には、ヒョウタンの肥料が残っているため、菜ッパは大きく成長していよい味となる。そのように以前の土中の潤いは、後世にあらわれる。これは積善の余慶ではないか。ヒョウタンだけではない。すべての物は皆同じだ。麦を生育させた畑は後作がよく実り、小麦の畑は後作は善くない。麦は土地の潤沢を吸うことが少ないから、後作に余慶がある。小麦は土地から長く潤いを取る。だから後作はよくない。とうもろこしはもっとも土地の潤いを貪る。だから後作は実らない。人間として善を行わないで奢り贅沢を行う者は、必ず子孫は衰え困窮して、はなはだしくなると亡びてしまう。自ら倹約して善を行い、人に優しく譲ることができれば、余慶は百世に及ぶ。人々はこの二者においてどれを取り、どれを行うか、選ぶべきである。【44】尊徳先生はおっしゃった。「世の人は、運ということを心得違いしている。たとえば、柿や梨をカゴからあける時には、自然に上になるものもあり、下になるものもある、上を向くものもあり、下を向くものもある。このようなものを運だと思っている。運というものがこのようなものであるならば頼むにたりない。なぜならば、人事を尽してそうなるものではなく、偶然になるものだから、再びカゴに入れ直してあける時は、みな前と違うであろう。これはバクチの類であって、本当の運とは違う。運というのは、運転の運で、いわゆるめぐり合わせというものである。運転というのはこの世界の運転に基き、天地の法則があることに由来する。「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」と易経にいう。何回回転しても、この法則にはずれることがなく、めぐりあわせることをいうのだ。よく世の中にあることだが、提灯の日が消えたために禍を免れたとか、また履き物の緒(お)が切れたため、災害を免れたなどの事がある。これは偶然ではなく、真の運である。仏教にいうところの、因果応報の道理がこれだ。儒道で、「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり」というのは、天地間の法則で、古今に通ずる格言であるが、仏理によらなければ判然としない。仏教には前世、今世、来世の三世の説がある。この理は三世を観なければ、疑いをのぞくことができず、疑いがはなはだしくなると、天を怨み人を恨むに至ってしまう。三世を見通せば、この疑いはない。雲霧が晴れて、晴天を見るようで、皆自業自得であることが分る。だから仏教では三世因縁を説く。これは儒道の及ばないところである。今ここに一本の草がある。現在は若草だが、その過去を悟れば種である。その未来を悟れば花が咲き実りがある。茎が高く延びたのは肥料が多かった因縁である。茎が短いのは肥料が少なかった応報である。その理は三世をわたってみれば明白である。そして、世の人はこの因果応報の理を、仏説という。これは書物の上の論である。これを私の流儀の書かざる経(天地の理)に見る時には、お釈迦様がまだこの世に生まれない昔からの天地間の真理である。書かざる経とは、私の歌に「声(こゑ)もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経を繰返しつゝ」という、四時行われ、万物がなるところの真理をいう。この経を見るには、肉眼を閉じ、心眼を開いて見るがよい。そうでなければ見えない。肉眼で見えないわけではないが徹底しない。因果応報の理は、米を蒔けば米が生え、瓜のツルにナスがならないという理である。この理は天地が開けてから行れ、今日にいたっても間違いない。皇国だけでなく、万国皆そうなのだ。そうであれば、天地の真理である事は、説明しなくても明らかである。
2021年06月15日
二宮先生語録巻の2【180】村中が挙って行って、永遠に障害がないものは農業だ。これを国家の大本とする。儒教や仏教のようなものは本末でいえば末だ。ましてやその他の技芸百工はなおさらである。なぜかというと、村中が挙って行って、一方農業を廃すれば、すぐに飢餓のうれいがたちどころに来よう。たとえ儒者が書を講じ、仏者が経を説き、芸人が技を演じ、百工が精励しても何の役にも立たない。そうであれば、農業の大本にたって、その後に儒教や仏教を心を治める薬とし、技芸百工それぞれ用をなし、一郷を治めるがよい。ああ五穀や九菜は身命を養い、五常十戒は心の病を治め、技芸百工は各々用いるところがある。このようであれば万世にわたって弊害がないであろう。これを本が立って道が生ずるという。1『報徳秘稿』二九七「一村申し合わせて業を為す、必ず囲碁を為す。若し皆囲碁を業とせば、暫くも立つ道なし。神儒仏も亦然り。衆技百芸も亦然り。年々業を替りて、詰まる処は必ず農業の道に復すべし。年々勤めて其の利限りあるべからず。夫れ、農は本也、其の本立ち、衣食住安じて、而る後に六芸・衆技・小芸迄も行わるる也。」2『報徳秘稿』五一六「凡そ事には本末あり。農は本也、余は末也。譬ば法華経を村中、男女・老若、押しなべてよみ居たらば、三年も持つまじ。護摩をたくとて家を残らず焼き尽くすとも、亦何の益かあらん。食あって後、神仏も難有(ありがた)し、食を以て命を養い、然る後其の憂る処を除くが為にこそ薬を呑むべし。農業出精を土台として、然る後仁義礼知の薬をもるべし。之を本立ちて道生ずと云うなり。」
2021年06月15日
二宮先生語録巻の2【179】誰が私の方法を迂遠だと言うか。私は一俵の米を度外とし、二十余年勤労を積み、そのようにして一家を再興した。今、既に余財を譲って諸侯の廃れた村を復興し、さらに日光東照宮の祭田を無窮のものとして存続させた。このように成功を無窮に期して、その復興の方法を立てた。世の中の人が事業を行う場合、これを自分一代と比較してその成功を見ようと欲する。だから迂遠だなどとなすのだ。天下の法を立てるにはよろしくこれを世界に比較すべきだ。どうしてそれを自分の一代と比較してよいことがあろうか。1『報徳秘稿』一一五「国用を成さんと欲するものは、凡そ、事己が命にくらぶべからず。己が命にくらぶる時は、木の苗をふせて植える(伏植)などは勿論、何にてもまだるきようになる也。世界とくらぶる時は、遅きことなし。世界とくらぶる者は、永世の為故、皆法となる也。己が命にくらぶる時は、眼前のこと故、法とならず。
2021年06月15日
二宮先生語録巻の2【178】私の仕法を施行するときの出納簿を称して現量鏡という。量とはマスでありタワラである。米は民の命を養う。しかしながら米の粒が散ずるならばいたずらに雀や鼠の食となる。だからこれを集めてマスとなしタワラにして民の命を養うのだ。日課縄ない法もまた同じだ。縄の一ひろ、二ひろの値段では家を興すに足りない。ましてや郡村を興すにはなおさら足りない。しかしながらこれを集めるならば、国を興すに足りる。これをマスで米の粒を量るのに譬えて現量と名付けた理由である。1『報徳秘稿』三〇二「小田原御領、曽比・竹松二邑、去る子年(天保十一年)より御仕法相願い、当未年(弘化四年)迄にすでに八か年に及び、曽比村の義は従来作益多き村方故か、六千二百四十八両世余の借財皆済し、一同暮し方立ち直り候所、竹松村の義は世話方曽比村に如かず、且つ作益薄き土地故、今に其の功験なし。官見て、世話方不行き届かざる故也として、竹松村仕法向き曽比村より添心致すべき旨を命ず。先生曰く、立ち直りし曽比村、取り直さざる竹松村、共に仕法成就也。然るを成就せずと見るは過ちなり。如何となれば、昼は怠らず本業を励み、夜は沓(くつ)草鞋・縄索(なわない)等の手業を勤め、且つ非常の倹約を尽し、然して収納不足は、是誰が罪ぞや。全く御取箇(とりか)強き故也。然らば御宥免の外仕方なし。是仕法成就にあらずや。然れども、上ここに心づけされば是非なし。因りて当年御年貢不足差支えに付き、恐れ乍ら誰宅を売り払い、弁納仕るべきか、又御宥免下さるべきか相伺い、御下知を得て計らうべし。又来年は組頭の家、其の来年は長百姓誰家と年々かくの如くすべし。必ず四、五年を待たずして御用捨てあらん。是偽りて然するにあらず。誠に直道也。☆尊徳先生は幼い娘が米を雀に投げ与えて喜んでいるのを見てこのようにたしなめられた。「わたしが母と暮らしていた頃のことだ。 うちが貧しくご飯にする米がない。母の言いつけで袋を袖に入れて親類に借りに行った。行くには行ったが、恥ずかしくて言い出せず、木登りなどをしているうちにはや昼をすぎそうになった。 そこで仕方なしに、やっと言い出して借りてきた。 その恥ずかしさ、苦しさはたとえようもない。その苦しみに耐えかねて、まだ空の稲がもしや実ったかと田んぼを見に行くこと、しばしばだった。 穂が出ては喜び、まだ花の盛りで実が実らないのに、ただ、見ただけでは帰る気にならず、自分で穂を握って、いよいよ実っていないことを確かめて帰ったものだ。」「またこんなこともあった。 極貧でたきぎもなく、ある時は農具をおろして割って焼いた。またある時はワラいっぱさえ得られず、仕方がないので稲むらに被せ、用が済んだ「ぼっち」を人が捨てたとはいえ、拾うのはきまりが悪い、そこで竹の先でほおって遊ぶようなまねをして、家までほおって帰り、それでご飯をたいたことがある。 このように貧窮がきわまった時でも、一升の米を貸してくださいと言い出すことができなかった。人の捨てた稲むらのぼっちさえ、さげて帰ることができなかった。 世間の貧乏人は貧乏がひどくなれば借りるのを恥としないし、借りられなければ盗みをするようになる。そしてついんは投獄されて死にいたるのだ。 まことに哀れむべきものではないか。このような貧乏人が世間にどれほどいることか。 また私のように恥を知った貧乏人もどれほど多いことか。だから私はこの道を興して貧苦を免れ方法を発明した。以来、困窮者を助け救うことを業としているのだ。」
2021年06月15日
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