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百年二峰圳 開啟台灣水資源永續利用的溫柔工程環資中心 2022/07/25日本統治時代に屏東の臨辺川上流に建設された二峰圳は、地下の堰で水の流れをせき止め、重力を利用して地形に沿って水を運ぶ水利施設である。 今年、屏東県政府は二峰圳開通100周年を記念して、特別展、国際会議、文化ツアー、環境シアター、絵本の読み聞かせなど、水利、文化、歴史が融合した旅を企画しています。昨日(7月24日)、屏東県政府は大潮州地下涵養湖監視センターで「二峰圳百周年記念国際シンポジウム」を開催しました。屏東県政府は二峰圳の100周年を記念して一連のイベントを開催し、一般の人々を二豊運河水利事業のガイドツアーに招待しました。 近年、屏東県政府は二峰圳の水流を利用して地下水を涵養する構想に基づき、大潮州の人工地下水涵養湖や林辺渓下流の流水取水場などの施設を推進し、台湾の水資源開発と持続可能な利用に新たな参考を生み出しています。二峰圳は、日本人技師・鳥居信平によって建設された。 1914年に台湾に渡り、台湾糖業公司で、当時サトウキビが栽培されていた屏東のサトウキビ農場の灌漑設備建設に従事した。 台湾の地理・水文の研究から二豊運河の完成までの7年間を台湾で過ごし、その間、台湾で子供も生まれ、合計24年間も台湾に住んでいたのだ。運河建設後、長年にわたって屏東平野の灌漑に安定した水を供給しただけでなく、今日に至るまで台湾の水資源開発にも大きな影響を与えたのである。 屏東科技大学土木工学名誉教授の丁澈士先生により、二峰圳の建設方法と建設時期のストーリーが研究・発掘され、二峰圳の歴史が明らかにされました。また、屏東県政府は地上の堰の模型と修復作業の全記録を作成し、二峰圳の独特な生態手法と福劉水から水を集める重要性を一般の人々に知ってもらうようにしました。
2022年07月27日
2022年7月24日(日)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2Ⅲ ビジョン編―報徳は精神変革である―4 青木村治蹟を読む―現代語訳の試み―「報徳本教・青木村治蹟」は中央報徳会の機関誌「斯民」に連載されたもので、「本編は二宮尊徳の高弟の一人である故小田又蔵氏が同翁の治績を漢語で記したものである。今広く世に示すことの甚だ有益であることを認め、本会より特別に吉本襄氏に委託して和訳し、ここに掲げることとした」とある。小田又蔵については、『報徳の森』の「報徳学社徒小田又蔵」に詳しい。この中で『青木村復興記事』が前文と本文一三章、付録とあり、本集の『青木村治蹟』と同様である。又蔵の「先生の無類の大道を書き残し、万代の亀鑑にしたい」という仕法事績の漢文化は弘化三年に始まり、四月二一日又蔵宅を訪れた富田は仕上がった分を見て「至極ノ文体」と感嘆した(『報徳の森』p.142)。「本教」は一、里居、二、小田原、三、物井、四、青木の構想があった(『報徳の庭』p.113に佐々井典比古氏が『報徳学本教第四』の完全な写本を古橋懐古館で発見したとある。)「青木村治蹟」は「斯民」の創刊号(明治三九年四月二三日)に載り、第二編第一一号(明治四一年二月七日)の「青木村治蹟(九)完」まで都合九回にわたって掲載された。原文は漢語で、著者は幕府の役人で尊徳先生の門人となった小田又蔵である。当時江戸で尊徳先生の事績を漢語で整理し、当時の教養人にその偉大さを理解してもらおうという試みがあった。その一環である。当時の教養階級の上級武士がどのように先生の報徳思想を受け止め、どう理解させようとしていたかが分る。『青木村治蹟』の原文は漢文で読み下しでも難解である。漢文は当時の知的権威の表われで、現代では理解し難いのだが、当時の教養階層は漢文の方が理解しやすかったのだ。『青木村治蹟』で丈八が説く尊徳の所説は小田氏が儒学に則り整理したものであろうが、二宮翁夜話などに見ない格調の高さ、論の壮大さを感じさせる。「天地は物に私せず仁者は公を以て心と為す。博く施し衆を救ふ能はざるは是堯舜の病めりし所にあらずや。天下に飢ゆる者あるは己れ之を飢やすに由るとは是豈禹稷[禹王と后稷(こうしょく)]の心にあらずや。二宮氏の人と為り堯舜の心ありて禹稷の業ある者なり。鶏鳴て起き孜々(しし)として善を為し将に以て国家の恩に報ひ天地の徳に答へんとす。」 二宮尊徳には中国古代の聖王、堯・舜の心があり、黄河治水の禹王、農業の神で周王朝の創始者后稷の事業にも匹敵するとする。「二宮氏の法(のっ)とる所は、天なり地なり仁なり公なり。健にして息(や)まざるは天の如く柔以て物を養ふは地に似たり。広く人を救ふは仁に非ずや。独り利せざるは公にあらずや。此れ物に親疎なく遠近なき也。且夫れ天地は母銭なり陰陽は之を貸す者なり万物は利得なり。天地は和気を物に貸して其の生を遂げしむ。既に貸して債を責めず既に遂げしめて利息を収めず。(略)雨露の潤は天之を貸すなり。水土の養は地之を仮すなり。而も百穀熟して一粒を収めず、万物育して一品を利せず。語に曰く、惟(これ)天を大と為す、唯(ただ)堯之れに則ると、二宮氏の則る所亦是のみ」二宮尊徳の無利息金貸付などの仕法の考えは天地の理法に則っており、仁であり、公であると、小田又蔵は当時の武士階級の知的教養層の精神に訴える。「吾が道は醜に似たれども醜中に美を孕(はら)めり。吾が法は穢に似たれども穢裡に潔を蘊(たくわえ)り。これを名づけて道圃と云ふ。何を以て之を云ふ。人の屎尿馬矢牛骨は固より或は酒糟或は醤粕若くは腐艸若くは杉葉昔人の以て醜穢と為す物に非ずや。這般不清潔の物を用ゐて田畝を培養し以て穀粟菜果等清潔の物を産す。吾が教の道は実に此に胚胎す。」尊徳は、我が道は醜中に美をはらみ、腐穢のうちに潔をたくわえるという。人や馬の便や酒かす醤油かす、落ち葉等で田畑を培養し、穀物や野菜を生じさせる。私の教えは実にここに生まれると説く。また、青木村の民に「一日の生をぬすみ、父祖の至情にそむくことは何と痛ましいことではないか」と訴える。尊徳先生自ら、現代の私たちに切々と説諭されているかのようである。「一日の生をぬすみ、父祖の至情にそむいてはならない」「お互いに協力し精出して仕事に励めよ、それが孝であり仁である」と。「汝等その屋舎を視よ汝等の祖汝等の父が瘠土を闢(ひら)き生産を営み千辛万苦して汝等子孫の為めに計を貽(のこ)し汝等をして雨露霜雪の患なく安居棲息して以て生活し得せしめし者皆その膏血(こうけつ)の致す所にあらずや。然るに屋は修補を加へず野は頽蕪を苅らず頽廃に任して、其の滋蔓を擅(ほしいまま)にせしむ。我は恐る、汝等又他郷に出で流離患難して其の所を失はんことを。そも郷里を懐(おも)ふは人情の常なり。その他郷に寓するに当りて誰か望郷の情なきを得んや。されど歳月の久しき初念漸く薄く郷夢稍々(やや)稀になりゆき本を忘れて末に馳せ苟且(こうしょ)因循して、一日の生を偸(ぬす)み、父祖の至情に乖(そむ)くこと豈痛ましからずや。今汝等情願して旧産を回復せんと欲せば須らく全村力を協せ各戸相戒め猛然精力を出し、時に及びて荒蕪を除き予め火災を防ぎ又屋宇を修理し然して後に農畝(のうほ)に従事すべし。これ孝にして仁なる道なり。汝等この道理を暁(さと)りその鎌を磨(と)ぎその索(なわ)を綯(ゆ)ひ速に往きて事に就け。其の苅り取る所の茅葺は我れ時価に準じて買ひ取りそれぞれ銀両を交付せん。」尊徳は努力に報いるため、時価でカヤを買取り、青木村の屋根の葺替えに使うと提案し、怠惰の心を勤労の心に変えようとする。尊徳は教諭する。「前日の懶惰も汝等なり今日の勉強も汝等なり。一人にして其の黒白の如きは勤むると惰るとの二つにあり。善悪貧富盛衰存亡皆此の如くならざる者無し。故に富道を行へば必ず富み、貧道を行へば必ず貧し。唯(ただ)邑民行に由りて禍福吉凶の差あり。今旧来の懶惰を改め、斯の如く尽力し永く勤動を失はざれば、邑(むら)の再興何の難きことか有らんや。」さらに青木村の遠い将来の災厄時の対策にまで及ぶ。尊徳は数百年先まで見通し、具体の対策を示す。「今、汝等子孫の為に之を計るに、今後若し水害に逢ひ、田畝(でんほ)変替して、頓(とみ)に水利を失ふ如きあらば水田を去りて、陸田に就くに如(し)かじ。(略)たとひ凶年飢饉に遭遇することあるも、必ず凍餒(とうたい)の患なかるべし。」 最後に尊徳は「以徳報徳」で青木の民に説諭する。「『徳を以て徳に報ゆ』。地に俯して穀を播(ま)けば必ず生ずるに穀を以てし、天に向て善を種(う)うれば必ず酬(むく)ゆるに善を以てす。天地虚(むな)しく受けず。必ず之を返す。」地に種をまけば穀物が生ずるように、天に向かって善をまけば、天は必ず善で報いると。報徳とは、天地の道理に基づくものにほかならない。「予の孜々(しし)として、人の為にして毫(ごう)も自家の損益を計らざるは、特に以て天地生々の徳に報いんとするなり。」私(尊徳)が人のために行い、少しも自分の損益を考えないのは、天地生成の徳に報いようとするものだ。これが報徳即ち『徳を以て徳に報ゆ』である。人が自分の利益のためだけに生きるならば、それは鳥獣の道である。人類のため、後の世代のために努力し続けることが、人としての道である。「予の方を地方に立つるや、本村を以て首となしぬ。・・・内は本村の為に恩義を達し、外は他村の為に模範を垂る。」尊徳が仕法を他領に及ぼしたのは青木仕法が始めであり、その成功は他領の仕法の模範となる。「願わくは青木村を、仕法を立てる模範となし、諸村をして、荒蕪を開き、負債をあがない、窮乏をたすけ、生業を起す等、青木村のごとくならしめんことを」と願う。実に青木村仕法は、諸村における報徳仕法の模範として組み立てられているのである。以下「報徳本教・青木村治蹟」の現代語訳を試みた。また本集「資料編」に吉襄氏の「青木村治蹟」の読み下し文を載せた。専門的研究には「斯民」原文を参考にされたい。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください池のはたででスロースクワットをしようと奥に行くと鳥が二羽飛び立つ。カワセミ、今年始めて見た。ラッキー。近くで蓮の華の写真を撮っている年輩の女性に小声で声をかけて招き寄せる。「まあ、ありがとうございます」そっとその場を離れる。「喜びを人に送りて自らを虚しくはする」と女人観世音にある。
2022年07月24日
御所・寝殿。北条義時は高らかに12人の名を呼び「並びに江間義時。以上、13名でございます」。“13人衆”が一堂に会した。梶原景時「これより訴訟取り次ぎはこの13人によって執り行います」。「鎌倉殿の13人」13人衆は一堂に会したのか?時代考証・木下竜馬氏が最速解説 頼家と13人の合議制[ 2022年7月17日頼家「平三、聞いていた話とは違うな。むしろ誰か1人に力が集まらないので、好都合だ。のう、小四郎。しかし、私は騙されない。丸め込んだつもりでいたかもしれんが、小四郎、端からわしはおまえたちを信じてはおらぬ。父上は最後まで御家人に心を許してはおられなかった。わしも同じだ。平三、残念だ」頼家は時連や頼時ら6人の若武者を招き入れた。頼家「わしが選んだ。手足となって働いてくれる者たちだ。信じられるのは、こやつらだけよ。これより、わしの政はわしとこの者たちで行う。もちろん、おまえたちと切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を、皆で築いて参ろうではないか」景時「頼朝様は、いささか亡くなるのが早すぎましたな」頼家に訴訟の取り次ぎを行う「13人の合議制」が導入されたことは、「吾妻鏡」の正治元年(1199年)4月12日の記事にある。 「様々な訴訟については、羽林(りうん、源頼家)が直に決断されることを停止し、今後は大小の事については北条殿(時政)・同四郎主(義時)ならびに兵庫頭(ひょうごのかみ)(中原)広元・大夫属(たゆうのさかん)入道康信(三善康信)・掃部頭(かもんのかみ)(藤原)親能(在京している)・三浦介義澄・八田右衛門尉知家・和田左衛門尉義盛・比企右衛門尉能員・藤九郎入道蓮西(安達盛長)・足立左衛門尉遠元・梶原平三景時・民部大夫(二階堂)行政らが談合を行って、計らい処理する。その他の物が理由もなく訴訟のことを(頼家に)取り次いではならない、と定められたという」(吉川弘文館「現代語訳 吾妻鏡」より)(※当時、大江広元は中原姓、中原親能は藤原姓)ドラマの時代考証を担当する1人、東京大学史料編纂所助教の木下竜馬氏「何か新たな文献が発見されたということでもないんですが、『吾妻鏡』の読み直しが進んで“頼家も意外とデキる人物だったんじゃないか”という再評価の動きが、この10年ぐらいで出てきました。その前に、まず1980年代ぐらいに研究が精緻になって、北条氏の傀儡とされてきた3代将軍・実朝の再評価が始まったんです。初代・頼朝はもともと評価が高かったので、その間の2代・頼家も見直してみようと。今まで素通りしてきた『吾妻鏡』の記事を足元から丁寧に読んでいくと、案外、通説とは違う一面が見えてきたんです」「『吾妻鏡』では、頼家が乱暴なことをする記事と、北条泰時が立派なことをいう記事が対照的に配置されています。これは、頼家の暗君ぶりと比べて、泰時、ひいては北条氏の素晴らしさを目立たせようとする後世のプロパガンダではないかと考えられるようになりました」「頼家=暗君」と捉えれば「13人の合議制=頼家の政治関与を排除するシステム」になるが、木下氏は「それが18歳の若き頼家を支え、補佐するためのものという新説が出てきたんです」と説いた。「訴訟の取り次ぎを13人に限るが、最終判断は頼家がする、というのは新説の立場です。しかし、頼家はそれを自分の政治権力が蔑ろにされていると感じる。これは旧説の立場。旧説と新説の2つの見方をドラマの中でぶつけて緊張感を出しているのは、三谷さんの力です」「問題なのは、13人全員が鎌倉で揃って会議をしていたのかどうか。その記述は『吾妻鏡』にはないので、今ひとつハッキリしません」キーポイントとなったのは「吾妻鏡」にある「談合を行って」という文言の解釈。「『談合』の意味を『複数人が集まって相談する』と取れば、『13人が一堂に会して会議をしなかった』とは必ずしも言えないんじゃないか。『13人が一堂に会した』シーンをドラマで描くのもアリなのではないか。私としては、そう考えています。時代考証の会議でも、この『吾妻鏡』の解釈をめぐっては、ちょっとした研究会のような議論になっていましたね(笑)」
2022年07月23日
2022年7月23日(土)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2Ⅲ ビジョン編―報徳は精神変革である―3 「故内山稔先生の述懐と戦後反省」『二宮尊徳の政道論序説』岡田博著の「故内山稔先生の述懐と戦後反省」は、聞く者の姿勢を正さしめる。「二宮尊徳の何処にも、第二次大戦を正義の戦争として無条件に賛美して協力する根拠はないのに、どうして報徳の中の誰一人、この道の行方何処と批判できなかったのか。これは明治以後の報徳が二宮尊徳先生の真の教えと受け継いできたものの中に、何かが欠けていたからです」(序説p.262)。『序説』の「自序にかえて」によると、これは内山氏がドイツの大学へ留学するに当って、山田孝雄先生から送られた言葉である。「戦前・戦中の報徳が、太平洋戦争敗戦に至るまでの過程に、国家の進路と行為に追従・協力して終った。国家の犯す誤りに対して、なんらの批判も行動もなかったのは尊徳思想の本質なのであろうか⑴、それとも明治以降の報徳が尊徳を読み誤っていたのか。君はドイツの学問の手法をしっかり身につけてきて、国家に有用な尊徳研究をしたまえ」と励まされたという。(序説p.20)この問題提起に内山氏は「明治以後の報徳が二宮尊徳先生の真の教えと受け継いできたものの中に、何かが欠けていた」とされる。岡田氏が『政道論序説』と題されたのも、内山氏が五九歳という若さで亡くなられ、その志を受け継ごうというものである⑶。この問題意識は佐々井典比古氏にもあったように思われる。『尊徳の裾野』、『尊徳の森』において、尊徳の政道批判ないし意見が多く採録されている。「尊徳、忠真を諌める」は大久保忠真が藩士に減米せざるを得ないのを嘆いたのを「家中をご覧になって、下万民を忘れている」と批判した(裾野p.159)。「尊徳大いに怒る」は、相馬藩が暴風雨の際に城下を守るため、宇多川の堰を切らせ、和田村の田畑が被災した。藩当局は僅かなお救い米を出し「万人の愁いを引き受けるのが陰徳で人倫」とある文面の是非を尊徳に問う。尊徳は、洪水は天災だ。天災なら上下共々受けるべきと批判した。尊徳はそれと共に洪水対策を教える。相馬藩は河を浚い堰を補修し抜本的改修を行った。尊徳は批判するだけではなく、対策を立て実践させる(裾野p.213)。「国の病に灸すえて」は、茂木藩当局あて、米の抜売りを企てた者に対する激しい意見書が載る。最後に「民の父母国の病に灸すえて泣くともままよ命長かれ」という歌と「少正卯(しょうせいぼう)を誅し、国政を与り聞くこと三月、魯国大いに治まる」を載せる。これは孔子が魯の宰相補佐を務めた時、国政を乱していた大夫の少正卯を処刑し、魯国は道義あふれる国になった話である(森p.437)。 尊徳は政治について口を開いた。それは相手に自らの言葉を受け止める信頼関係がある場合に限って厳しい政道批判となった。しかもそれは常に抜本的対策の提案を伴っていた。 内山稔氏は、『尊徳の実践経済倫理』の「序にかえて」において、尊徳は「言葉の本来の意味において彼こそまさに『経済人』、『経世済民』の闘士であった」「尊徳は『分度』と『推譲』をもって経世済民の二大柱石と考えていた。分度とはすなわち合理的な計画経済であり、推譲とは人のため、世のために恵みを施すことである」「そして、尊徳は『心田の開発』こそ経済事業の成否を決するかなめであると確信していた。」(同書p.9)そして「報徳仕法」の本質的特色は「一貫して『人間の道徳的教化、救済』であった」とされる(同書p.39)。報徳は精神変革の思想にほかならない⑵。⑴ 鈴木藤三郎の「開国以来の施政」批判について報徳社徒の国家批判が戦前全くなかった訳ではない。鈴木藤三郎は「我が国は開国以来施政の根本を誤っている」と、軍人優遇の政府の施政を批判している。「国力増進の根本策」(鈴木藤三郎氏顕彰第三集『日本近代製糖業の父鈴木藤三郎』p.90)において、藤三郎は日本の進むべき道は産業立国とし、「我が国は開国以来施政の根本を誤っている」と、軍人優遇の政府の施政を批判し、企業家こそ優遇すべきと、イギリスのビクトリア女王の施政を例に挙げて所論を述べている。しかし、明治以降の「報徳社徒」で、藤三郎のように国の犯す誤りに対して批判と具体的提言を行った事例は稀である。本会では、鈴木藤三郎は二宮尊徳の考えの正統な後継者であると、二宮尊徳→遠州七人衆→鈴木藤三郎という系譜を『二宮尊徳と日本近代産業の先駆者鈴木藤三郎』において示した。そして藤三郎が「二宮尊徳全書」を日光市の報徳二宮神社に奉納したときの「願文」(裏表紙)こそ、現代・未来のへのメッセージであると考える。「国力増進の根本策」にいう。「国家経済の発達を期せんと欲せば、実業界を誘引奨励するを要す。これまでにおける政府の実業界奨励策は、甚だ浅薄にしてかつ拙劣なるものなり。例えば奨励補助金を与えるがごとし、元よりその補助金といえども時と場合により、またその事実により、これを与えるの要あるも、多くはかえって不正の徒を益し、あるいは国民に政府依頼心を増長せしむるに過ぎざるものなり」と補助金行政を批判する。「いかにして実業界の発達を奨励するか」「実業家の待遇を改めるにあり。我が国は開国以来施政の根本を誤れり」と政府の軍人、政治家優遇を批判する。また「飲料水の創設者こそ大都会の創設者」と独創的見解を述べる。国家の待遇を軍人、官僚に与えるから、国民は軍人を羨望し、実業界に人材が乏しくなる。「日露戦争の結果は軍人崇拝の風をまし、尚武偏重は国運を危うくする。国家は実業家を優待すべき」で「天下の人心をこれに向かわせ、実業界に人物を養成すること」が国家経済の発達を期し国富を強大にすると論じたのである。⑵ 内村鑑三は「予が見たる二宮尊徳翁」で言う。 「近年、日本に産出せられたる書物の中にてもっとも大なる感化力あるものは二宮先生の「報徳記」にしくものなし。予は予が小児らにまず読ましめたきものはすなわちこの書なり。予が雑誌「聖書の研究」の読者に推薦して熟読を勧めおるものは実にこの書なり。この書は聖書的の書籍にして現今出版する幾百冊の書を読むもこの報徳記の百分の一の益をも感化をも受くることあたわざるべし。 何ゆえにこの書がかく偉大なる感化力を有するや。他なし。これ真正の経済なるものは道徳の基礎に立たざるべからざることを先生の事業生涯をもって説明したるものなればなり。すなわち身をもってこの問題の解決をなしたるなり。先生は経済と道徳の間に橋をかけたり。先生の一生は経済道徳問題の福音なり。この意味において「報徳記」は一部の「クラッシク(古典)」なり、経書なり。 そもそも現今経済を論ずるものは大抵倫理道徳と関係もなきものと為すもののごとし。倫理と経済と分離して何の関係なきものなるや否やは至難の問題に属すといえども恐らく倫理道徳の要素なしに経済の成立すべきはずなからん。(略)現今英米の学者輩、経済学をもって単に利欲の学問とせり。・・・・・かくのごときは果たして真正の経済学なるべきか。先生はしからず。道徳は原因にして経済は結果なりと断じたり。至誠勤勉正直にして初めて経済の成立するものなりとせり。かくのごとき高尚なる経済論はたとえ英のオックスフォード大学に行くも決して聴くことを得ず。勤倹貯蓄のみが先生の報徳なりとなすものあらば先生を誣ゆるもまた甚だしからずや。もしかくのごとき人あらば予は先生に代わりていわん。諸君は誤れり。諸君まず善人となるべし、至誠の人となるべし。予の根本とするところは道徳なるがゆえに諸君もまずこれを心がけざるべからずと。ゆえに先生の報徳説盛んに行わるるところには必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず。もししからずしてただ勤倹貯蓄経済上の変化のみならばいささかこれをあやしまざるを得ず。」⑶ 『二宮尊徳の政道論提議』岡田博著岡田博氏の『二宮尊徳の政道論提議』の概要を資料編の読書会記録に収録した。二〇一四年九月一五日付で岡田氏から編者が頂いた手紙には「平成一四年(二〇〇二)五月号から報徳誌『かいびゃく』連載にと書き出したものを、同誌の閉刊でたまっていたのを、キリスト教無教会派牧師橋本左内師が、二〇一二年(平成二十四年)一月号から『福音用報』誌へ載せて下さいました」とある。雑誌に連載されたもので、現在公刊されていないが、後から来たる者への貴重な遺言というべきであろう。本集にその一部を収録できることを感謝する。山田孝雄先生が内山稔先生へ「明治以降の報徳が尊徳を読み誤っていないか」という提議を受け、内山先生は「原典批判」の手法で、二宮尊徳の本来の教えを解読する最中、亡くなられた。岡田氏は内山先生の遺志を受け継ぎ、『二宮尊徳の政道論提議』を著された。「明治十三年十月の相馬充胤子爵からの『報徳記』と『報徳論』の上納願いが却下、差し戻しになり、昭和初年の佐々井信太郎先生による『二宮尊徳全集』第三十六巻に収録されるまで、その存在すら知られずに来た。それだけでなく、それから八十年近く『報徳論』に拠って二宮尊徳の政治論・経済論を書いた一篇もない。なぜそうなったかを『報徳論』を写しながら、明治以降の日本の政治・経済・思想の「発展史」を思い起こした。そうして『報徳記』と『二宮翁夜話』とによって形成された「日本人の鑑・二宮尊徳」と『報徳論』が述べる「理想国家論」との隔絶という以上に、明治政府の施政方向は、二宮尊徳の提唱する政治論・経済論・国家論の逆方向へと進行されて、この書が不可・亡国の道と想定した方向へ進められたのである。(略) 明治十三年(一八八〇)から一三〇年、さまざまの体験をした祖国日本の現実は、経済発展興隆を追っての一路が、いま国家経済破綻を寸前にしながら、国民は「今の今」の豊かさの中に酔っている。それゆえ、まさに尊徳先生の政道論は不要ではない。 (二〇一〇・一〇・一五了)」(二宮尊徳の政道論提議一〇)令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください今朝も蓮の花の咲く池のほとりでスロースクワット。大きい虻が蓮の花の蜜を求めて飛び回る。ボランティアの方が倉庫を開けて器具の整備。まもなく蓮華の季節も終る。呼吸筋のストレッチ。見上げるとあおぞら。暑くなりそう。炎帝戦第四位東国原さん 羽蟻わく 今宵ロマンス 詐欺メール昨日の宵、KDDI料金未納の詐欺メールが来ていた。まったくᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
2022年07月23日
昨日のプレバト俳句炎帝戦は上位3位を女性が独占。1位中田喜子は初制覇で歓喜。産声を送信 ドバイの大夕焼。写真ではなく産声を送信にオリジナリティ・リアリティがあると評価。「一句の奥行に気持ちのいい光景が広がる」2位は前回炎帝戦王者犬山紙子。恋を終わらせ 平日の海月見る。平日が出ないとみんな絶賛。恋を終わらせるメールを送ったあとのふわふわとした心情を水族館の暗い中でクラゲを泳ぐ様子にたくす。3位は森口瑶子。メールがピコンピコン シャワー中だってば。 ”だってば”の甘えた大人かわいい感じ「こんなの書ける人がうらやましい」と夏井先生。「おっちゃんだったら、気持ちが悪いけど。」森口さん、水鉄砲でもシュパンシュパンの擬音で高評価だった。 風花へ しゅぱんしゅぱんと ゴム鉄ぽう「小さいころ、割りばしで作ったゴム鉄ぽうで作ったゴム鉄砲でよく遊んだんですがお家でいろんな人に撃っていると外に出なさいと言われ、外に出たときチラチラ降ってくる雪を標的に撃っていたのを読みました。」夏井先生「シンプルで映像も浮かぶ句が、やはり読んでいて気持ちがいいですね。」「風花は、冬晴れの日に飛んでくる雪片。 しゅぱんしゅぱんというオノマトペだけ軽やかなオノマトペが風花とゴム鉄砲の感触とを上手につないでいる」森口さん、擬音の名手!?日本語の可能性を広げ発信。
2022年07月22日
2022年7月21日(木)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2Ⅲ ビジョン編―報徳は精神変革である― 1 『桜町治蹟』を読む『桜町治蹟』は山本東野氏が編集し、明治四十四年十月下野報徳本社が発行した。自序によると、山本氏は桜町陣屋に三週間滞在し、報徳記などのほか、芳賀郡長青木浦次郎、現物部村長広澤平八、家庭学校長留岡幸助、下野報徳本社幹事長海老澤元蔵、物部尋常高等小学校長笠村勝三、真岡町田村直七、芳賀郡山前村高松甚兵衛氏等から直接関接に参考資料を提供され、土地の古老の談を伝えられ編集したとある。いわば二宮尊徳の桜町時代のエピソード集である。報徳記に漏れている逸話や人物の名前が分るものもあり、また二宮尊徳の考え、教化や教育の方法を知るうえで貴重である。そのいくつかを紹介しよう。 ⑴ 盥(たらい)の水の原理尊徳は実物教授の主義でどこでも説かれ、推譲の理屈も何人にも分かるように話された。人夫などが仕事の休みなどに、タライに水を酌んで置いて、『その水を前の方にばかりかいて見よ。幾ら汗水を流して前へかいてもその水は向うに行ってしまう。しかしこれと反対にこの水を向うにばかり押すというといくら押しても帰って来るばかりである。欲が深く自分の方にばかりかきこんでそう自分の方にばかり来るものでない』と言って開墾事業の視察に行っては実物について話された。これは盥の教訓と言われて名高い話である。」この盥の水の教訓は、推譲の理を譬えで分りやすく説かれたものである。報徳教林【六四】盥の中に水を入れ、己が方へかき寄せれば両脇の水は向うへ行くなり。又前の方より向うの方へ水をかきおくれば、両方の水、前の方へ来るなり。又作物も大切の種を向うへ蒔く時に後にこの実り来るなり。(『尊徳門人聞書集』p.13)⑵ お椀の水の原理尊徳は常に門人に語るに、『私の巡回は、全く村民に勉強の習慣をつけさせたいという趣旨から来ている。これを譬えると椀の中に箸を入れて廻わすと、始めは箸のみまわって水はそのままだが、暫くすると水もまわり始め、水のまわる勢いが段々強くなると箸はまわさなくても自然と水の勢いのため箸がまわるようになる。私の巡回の趣旨もその通りで、始め村民は惰弱の者があっても自然と感化されて勤めるようになるから早起きをして巡回しているのだ』と言われた。 ⑶ 翁の除草と実地の教育尊徳は常に農民に語るに、畑の草は小さい草から取れ、余り多く生えていない所から取れと言われ、反対に多く生えた所から始めて時日を費やすうちに小さい草が大きくなると言われた。尊徳が復興事業を行うにもこの方法で、まず小さな平易な所から始め難しい所の仕法をした。ある日多数の人夫が堀浚いをしている時に人夫が一鍬ごとに泥がはねる。翁はこれを見て素足になって鍬を取って上の方の泥をすくいて左右にならしてその後を掘ると少しも泥がはねないようになった。自ら手を下し、工夫改善する方法を教えた。⑷ 子供の教育 尊徳が桜町陣屋着任後二、三年を経て、弥太郎が五、六歳の時、左官を呼んで陣屋の壁を塗らせた。弥太郎は子ども心に壁の所を通り抜けようとした。乳母は通れないと話したが承知しない。翁はそこにいて、それなら通してやろうと左官に壁を破らせて通らせたら弥太郎は大いに喜んだ。それから左官に壁を作らせ、弥太郎を膝下に呼んでこういう所は通る所ではない。通ってはいけない所を通るのは人のするべきことではない。左官もいるから破った壁を修理できて怪我もなくてすんだが、そうでなければ怪我するだろうから決してこういう所は通ってはならないと誡められた。翁は、始めは満足を与えて、それから後に諄々と躾けられた。翁はみだりに子どもを叱るようなことはなく、子供を愛された。子の弥太郎が自宅や同僚の横山周平の家にいた時、翁の膝の上に上がったり、寝転んだりしても叱りつけるようなことはなく、私は子どもは好きだから少しのことでは叱らないと言われた。尊徳は毎日朝は早く家を出て夜は遅く帰るということで、子どもの生長のことはよく知らなかったくらいで、家庭の教育は夫人にまかされていたが、仕事の都合で陣屋にいる時は愛情が一層深く、ちょっと陣屋にいても、よく子どもの躾けには注意されて愛情を注がれて善い方へ導かれた。決してはげしく子どもを叱りつけるやり方はしなかった。⑸ 杉皮むき職人への慈愛 桜町陣屋出入りの職工は翁の命を受け日々、東沼の寺境内の杉皮むきをしていたが、夜になるとよい杉皮を盗んで自宅の壁に張って、しぶき除けとした。誰言うとなく噂となった。翁ははやくから知っていたが何ら処置をしなかった。ある日、翁は杉皮の検閲のために来られ、その仕事振りを見ていたが、「お前の家は風当りの所だから壁が弱かろう。杉皮の屑はお前に与えるから持っていき壁の押しぶちに使用せよ」と言われて帰られた。某は尊徳の後姿を拝んでその寛大の徳に感じ改心して無比の善人となった。⑹ 翁は廉潔の人なり 尊徳は横山周平を非常に信頼され、出府の際など周平の宅に宿泊された。ある時、翁が江戸に出て周平宅に滞在された時、種々の進物を持参し尊徳に面会を求めた者があったが、尊徳は謝絶した。周平夫人が気の毒に思って取りなしたが頑として応じなかった。尊徳は、「私の目は後ろにもあれば面会をしなくともその来意は分る。無駄な面会をして、時を費やすのは欲しない」と言った。翁は面会を請う者からの進物は受けることを禁じたが、翁の留守など取次人はやむを得ず受けることもあり進物も多かったが、尊徳は手も触れなかった。尊徳は常に質素な生活をし、外泊の時など酒を飲まず、飯と一汁の外決して甘味を食べなかった。また外泊はしない方でどんなに夜が遅くなっても努めて陣屋へ帰った。青木の堰普請の時も遂に一晩も外泊しなかった。 ⑺ 翁と富田高慶との対面 富田高慶は相馬の藩士、江戸の聖堂で十年儒教を学んだ。病気がちで芝の巴町の医に診察を受けた。ある時野州から来た患者の一人に「天下には私の師と仰ぐべき人物はいない」と言うと、患者の言うに、私の国に今、宇津家の所領の桜町の復興をやっている二宮金次郎という人がいる。彼の人ならどうでしょうと話した。高慶は書物を売却し旅費にあて、桜町に行き尊徳に面会を求めた。尊徳は「高慶は江戸の学者である。百姓が会った所で益がなかろう」と謝絶した。尊徳の門下生が気の毒に思い、自分の家に下宿させ暫く時の来るを待たせた。高慶は寺子屋を開き半年ばかり子弟を教育した。その人格・学識が評判になり遂に尊徳の耳に達し、今度は羽織袴を持たせ面会をしようと迎えにやった。高慶はその知遇に感じ、早速陣屋に来て翁に面会した。尊徳は「貴君は学者であるということであるが、豆という字を知っているか」と言われた。高慶は豆という字を書いた。尊徳は言われた。「貴君の書いた豆は馬が食うか」と言って、門弟に倉より一つかみの豆を持って来させ、「私の作った豆は馬が食べる」と高慶の前で見せた。これが両者の初対面である。高慶は理屈だけでは天下国家を救うことができないということを知って、誠心誠意、二宮先生について実際的に学問をしたということである。 ⑻ 尊徳は政治を口に出すことなし 翁は生涯の中に不平のことがあっても政治上の事について口を開いたことはない。ただ東郷在任中米国の使節ペリーが浦賀に来た時に次のようなことを言った。「これに対し世間では打ちはらうと言うがそれも家康公の教えを守るのでよいかもしれません。彼の国にも不足のものがあるから彼の国の不足のものがあったらこれを補ってやり、また我が国の不足のものは彼に求めて交易をして行くようにそれを調査して、その求めに応じられるようにして、国内で入用だけのものは開発して品物を作ってやるようにして攘夷などと言わず、殖産興業の起るまで時期の来るを待つといって述べて帰したらよかろう」と言われた。そして自分の職分に忠実であればよい。政治の事は言わなくてよい。事業を行う上で決して言うべきものではない。商人は商売のことを熱心にやり、農家は農業のことを一生懸命にやればよい。牧民官は職務を忠実に行えばよいと門人などが政治の事を聴いても決して言うものではないと退けて政治に押し及ぼさなかった。また上官の干渉の不平、頑民の反抗等があっても政治の議論をしたことはない。翁は実行の人であって政治の口に論議する人でなく忠実に殖産のことを奨励した。自称政治家などがいたずらに口を政治にかりて終に財産を傾けるようのものが多いが、そういう考えをもっていては一家を保って行けないと言って深く門人らを戒められた。2 岸右衛門について「中村氏岸右衛門問答聞書」が『近世の村と生活文化』大藤修著p.131に紹介されている。「谷田部藩が尊徳仕法を導入した発端は、野州芳賀郡中里村の出身で、江戸に医術の修業に出ていた中村元順が、親族の桜町領物井村の百姓岸右衛門から、尊徳仕法のことを伝聞したことにある。玄順は、自らが借財に苦しんでいたことから、これに関心を持ち、岸右衛門に仕法金拝借を尊徳に懇願してくれるよう依頼した。これに対し、岸右衛門は『そこもとが借財に苦しんでいるには、財を施すことはさて置き、草の根木の皮のたぐいにて薬代を貪り、その身を富ますことしか念頭にないため、世間の人々に人徳を慕われることがなく、したがって医者の家業も不振にならざるをえないからだ』と批判した。そして、『自分もかつては、自分の利益しか考えなかったが、二宮様よりご教諭を受け、他人の生活が成り立つよう献身してこそ、自己の家業も安泰を保てる』ということを悟り、『ただただ大勢を助ける道につき自分のことは暮らし方の内を取り縮めて、冥加のために無給にて』二宮様の手足となって働いているのだと話して聞かせた。この岸右衛門の話には、尊徳の教諭によって、農民がどのように精神変革を遂げたかがよく示されていよう。」(太字・傍線は編者、以下同じ)。 岸右衛門は、八、九年は二宮尊徳の教諭が分らなかったと告白する。次第に恩徳に報いることが第一であるとの明暮のご教諭が心魂に徹し、「難有」(ありがたし)と自分から進んで随身し、自弁で江戸に出てその事業をお手伝いしているという。内山稔氏は言う。「尊徳の生涯と事業、あるいはさらにその精神を知るには、彼の高弟富田高慶が熱誠をこめて綴った伝記『報徳記』にしくものはない」「『報徳記』を読んで感動しない者は、たとえ他にどんなにたくさん解説書・研究書を読んでも、尊徳の精神、尊徳の事業を正しく理解することはできないし、その神髄に迫ることはできないであろう。内村鑑三はこの本を読んでいたく心を打たれたので、尊徳を『代表的日本人』の一人として海外に紹介し、また、尊徳の精神と事業とを『後世への最大遺物』の一つに加えたのであった。」(「尊徳の実践経済倫理」p.139) 内村鑑三は「諸君はまず善人となるべし、至誠の人となるべし。二宮先生の根本とするところは道徳なるが故に諸君も必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず」と静岡県袋井市で行った講演会で言っている⑴。岸右衛門の「精神変革」は、まさに内村のいう「道徳的大変化大復興起こらざるべからず」を体現している。報徳は「精神変革」の思想である。報徳思想を真に継承しようという人間は、「必ずまず道徳的に大変化・大復興」が起こらなければならないのである。岸右衛門の人脈や行動力は尋常ではない。岸右衛門の不二孝仲間の頭領的役割を指摘されたのは、岡田博氏である。『二宮尊徳政道論序説』の「桜町領仕法と不二孝仲間」で、文政十年三月一五日「夜峯右衛門不二孝聞に行」、翌一六日「岸右衛門方夜に入り行、富士こう聞。」とある。岡田氏は一五日の「峯右衛門」も「岸右衛門」であろうとされている。(「序説」p.125) 文政一一年八月七日二宮尊徳夫人波が子供二人と不二孝仲間五人と宇都宮にいた不二孝指導者小谷三志に会いに行く。不二孝仲間として筆頭で挙げられるのが岸右衛門で、物井の不二孝仲間の中心であった。八月一八日『金銭出納帳』に左の文がある。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 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2022年07月21日
2022年7月20日(水)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【9】先生青木邑の貧民を教諭す青木村の衰廃は極って、旧に復する方法を先生に求めた。先生はこれを辞退すること三年、そしてその懇願は止まなかった。その艱難がほとんど亡村に及ぼうとすることを悲しんで、やむを得ず、再び盛んにする方法を下された。ある時、貧民で老人と子供を連れて他国に逃げ去ろうとする者があった。先生は之を推察してこのように問うた。「お前はまさにこの地を去ろうと思っているようだ。そもそも人の情として故郷を思わない者はいない。しばらくの間他国に行ってもすぐに家へ帰ろうと思い、昼夜安らかにできず、遠路旅行の苦労を厭わず、帰村し、始めて安眠することができるではないか。さらに当村は幸福自在の地である。そうであるのに祖先以来の家や土地を棄て、故郷を去ろうとするのはどうしたことか。」貧民はこう答えた。「貧苦が既に迫って、負債を償うことができません。さらにその促し責めることに堪えられません。本当にやむを得ないからです。どうして一家の財産を失い、故郷を去ることを好みましょうか。」先生は言われた。「本当にお前の心情はあわれむべきである。私はお前に唐鍬(とうぐわ:刃が厚く幅の狭い開墾、根切りなどに使う打ち鍬)を与えよう。この鍬で貧苦を除いて、負債を償い、富裕を得よ。どうしてこの地を去ることがあろうか。さらに当村には家屋がある、田畑もある、それなのになお一家を保つことができない。他国に行けば家屋もなく田畑もない。どうして一日も生活の道があろうか。いたずらに道路に飢えてその倒れることを待つだけである。」と。貧民は言った。「わずかに一挺の鍬で富を得、借財を返すことができれば、どうしてこのような困窮が極まることになりましょうか。」と。先生はこう諭された。「お前は富を得る道を知らないために窮したのだ。そもそも天地の運動はしばらくの時間も途切れることがない。このゆえに万物は生々してやまない。人はこれにのっとって、途切れることがなく、つとめ励む天の運動のようであれば、困窮を求めても得ることができない。お前は種々の悩み苦しみがあったとしても、結局農力が足らず、怠惰に流れ、ついに窮乏したのではないか。今私が教える所に従って、一の唐鍬で従来の廃地を開墾して、老人や子供は開田の草の根を取らせるがよい。このようにしてこの鍬が壊れるまでに力を尽すならば、必ず多数の開田を得ることができよう。いよいよ励み努めてこの開田を耕作するならば、数年もたたないで富むことができよう。どうして今お前が所有している田畑を売り払って、代価で以前からの負債を残らず返却するならば負債は急に消えよう。そして開田を耕す時は一〇年ないし一五年は無税である。そこで産出する米は皆お前の所有となる。そもそも生れた地の産出する穀物は、そのなかばは租税となり、高掛り(いろいろな付加税)となる。有税の田で負債を償って、無税の田を耕す時は、求めなくても必ず富を得ることは疑いようがない。これが唐鍬一つで富裕を得る理由である。このような安心自在の村里に生れて、これを棄てて他国に逃げ去り、安らかな地を出で危ない地に入る、どうして愚の甚しいことではないか。」貧民はややしばらくしておおいにはっと思い当たって、喜んで言った。「お教えに従って勤め励みます」と。先生は直ちに唐鍬を与えた。貧民はこうして生田で、負債を償い、一家を挙げて開墾に力を尽し、年々多分の穀物を算出し、累年の貧苦を免れ、富裕になったという。村民もまたこれを感じ、互いに一生懸命勤め励んで、このために開墾が大変速やかであった。先生が教諭を下して、なまけ怠ることを改め、仕事に努めるように化し、貧しい人に富を得させることは往々このようであったという。(「補注報徳記」より漢文訳)高慶が思うに、青木村のごときは、衰頽の極というべきであった。先生が深慮遠計によって、適宜の措置を講ぜられなかったならば、どうして窮乏飢餓を免れることができたであろう。そして先生がよくこの村民を純厚にし、その土地を開発せられ得たからには、天下にもとより感化できない民も、開墾できない土地もあり得ないことは明らかである。名主の勘右衛門がこの村にあったのは、たとえば蓮が泥中にあるようなものであった。もし勘右衛門がいなかったならば、先生もどうして良法を施すことができたであろうか。古来、事の成否は、要するに当事者の人物に存する。小さな村さえその通りである、まして大きな国においては、なおさらのことである。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください「蓮池に行くと人ところに人だかりして何やら騒がしい。カワセミが出たらしい。聞くと昨日も出たって。結局確認できなかったけど、浜に出たら富士山が久しぶりに朧に見えたよ」浜辺にはジュラシックパークの砂山も出来ていた。
2022年07月20日
2022年7月19日(火)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【8】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す 常陸国(ひたちのくに)眞壁郡青木村高八五〇石余、幕府の旗本である川副氏の領地である。昔は幕府直轄地で野州芳賀郡の眞岡県令の管轄に属していた。元禄年間には、民家一三〇戸あり、大変繁栄し富裕であったという。宝永年中になって川副氏の領地となった。村の西北に川があり、桜川という。この川をせきとめて、青木・高森二村の田の水とした。この堰の左右・水底は皆細かい砂で灰のようであり、そのうえ岩石が無かった。だから木や石を遠い所から運搬し、縦横に大木を用いて建築しても、大雨・洪水が来れば、たちまち細かい砂と共に流失し、田の水が沽渇して耕作ができなくなった。幕府直轄地の時には破壊されるごとに人夫三千余人を諸村に課し、入費数百金で造築していた。宝永の年からは一村の民の力では修築することができなくなった。田を耕す道を失って、民の心は勝手気ままで乱れ、良田は荒れ果て、怠惰となり、博打を常とし、家ごとに困窮しついに四方に離散するようになり、民家のすぐ近くの田さえもボウボウとした原野となり、ヨシやアシ、オギ(湿地に群生するススキに似た稲科の植物)やハギが繁茂し、狐や兎が住みついた。天明年間になって野火がカヤを焼いて、延焼して民家に及んで、このため三一戸灰燼となった。そこでますます困窮し、わずかに二九戸を存するのみとなった。こういう状態ではまた貧困を支えることができない。かつて各地をめぐり歩く者がこの村を過ぎるときに、かやの中に飯を炊(た)くかまどの煙が起こるのを見てこのような一句を吟じたという。 家ありや すゝきの中の 夕烟(ゆうけむり) と。この句をもってしても衰廃亡村に等しいことが推しはかれよう。租税は僅かであり、川副氏の窮迫もまた甚しかった。村の庄屋を舘野勘右衛門といった。性質は廉直・篤実であり、大変に衰村して亡地になろうとしていることを憂慮し、再び復興したいと計画したが、貧村の力ではどうともすることができなかった。桜町陣屋を離れること僅かに三里であり、そのため先生の良法によって三村の復興事業を聞いて、村民を集め、このようにさとした。「私たちの村の衰退はすでに極っている。これはひとり人民の力が足らないだけではない。桜川の堰が破壊し、この村の用水を失って、水田がすべて荒れ果てて、家々も耕作することができない。だから衣食が欠乏し、往々にして一家の財産を破り流浪の民となった。今のうちに衰廃、再興の道を計画しなければ、八〇〇石の村が滅びることは確実である。しかし、愚かで才能のない貧弱の力で何がなしえようか。以前聞いたことがある、物井村の陣屋にいらっしゃる二宮先生は、相模の小田原侯の命令で桜町に来て、数年で三村を復興し、村民を安らかに大事に育てることは、父母がその子を育てるようであると。その事業に感動しない者があろうか。我らも物井村に行って再興の方法を嘆願するならば、先生は仁者である、あわれんで下さり処置して下さらないともかぎらない。思ったとおり承諾して下さるならば、この壊れた堰も再築できようし、荒れはてた土地も開くこともでき、村民の困苦も免れよう。しかし先生は他の誠・不誠を察し観ずることは明鏡のようであるという。だから懇願の者が純粋に誠実でなければ、百たび嘆願したとしても決して承諾されない。だからこの願いの成否は先生ではなく、当村一同の一心にある。それぞれの思慮はどうか」と。村民はこのように答えた。「もとより希望する所です、すぐ嘆願しましょう」と言った。勘右衛門は言った。「私たちの請願だけでは、領主を差し置いて当事者どうしで勝手に行うようであり、先生は許されないであろう。領主からの依頼でなければできない」と。ただちに江戸に出てこの案件を川副氏に申し述べた。川副氏は大変に喜んで、その時、用役だった並木柳助に命じて、直筆の書状をもって依頼させた。並木柳助と舘野勘右衛門は村民を率いて桜町に来て、一村再興の方法を求めた。天保三年のことである。先生は忙しいからと断わられた。村民はしばしば求めて止まなかった。先生は言われた。「お前の村の衰廃が極まったのは、ひとり田の水を失って、農業を勤めることができなくなっただけではない。どうして用水がなければ従前の田を畑として、多く雑穀を得て、生計をなさないのか。どうして人命を養うものが、ひとり稲だけであろう。百穀皆生命を養うものだ。そして田の水が乏しいことを口実として、良田を荒れ果てさせ顧みることなく、もっぱら博打ばかりして、他から借財して、一時の困窮を補おうとする。これが家々の困窮が極まって、ついに離散する理由ではないか。そもそも博打というものは、富裕な家でも祖先伝来の家財産を滅ぼすに至る。まして貧乏人でこの悪業をなす、その亡滅は迅速でないはずはない。さらに田の水がないからと良田を荒らし、衣食がないことを憂える。そもそも田畑は衣食の本である。その根本を棄てて他に求める。たとえば井戸を塞いで水を求めるようなものだ。いつの時にこれを得ようというのか。農耕に力が入って、肥料を入れて培養を怠らない時は、畑に利益が有ることは田に勝っている。なぜかといえば、田は一作にとどまるが、畑は二毛作だからである。お前達は農業をもって生業(なりわい)とする、もともと畑が利益が有ることを知らないわけではあるまい。知って耕耘しないのは他でも無い。その労苦を厭い、怠惰を第一として労働しないで米財を貪ろうとするためである。私の方法は節約・倹約によってむだな費用を省いて、余分を生じて、他の悩み苦しみを救い、各々その生業をつとめはげみ、自ら努力し、身を修め善行を実践し、悪い行いをなさず、勤め働いて一家を全うすることにある。家々がこのようであれば貧村は必ず富むことができ、廃亡の村里であっても必ず復興し再盛することができる。そしてお前の村のごときは私の再興の道と反対である。その困窮し苦しんでいることはあわれむべきではあるが自業自得である、他からどのようにもすることができない。お前達は再び来てはならない。」と教えさとされた。勘右衛門は涙を流して言った。「村民の素行の悪いことは実に諭されたとおりです。しかし今一村再興の大業を請願するにいたっては、従来の怠けおこたることを改め、ご教示を得て、力の限り努力し、艱難辛苦にたえて、再興の事業に従事しようと誓約の上で嘆願しております。先生が許し受入れて下さることを強くお願いするものです。」先生は言った。「素行の悪い習慣はすでに久しい、今一時の約束した言葉がどうして永年を保つことができよう。人情として困り苦しむ時には艱難辛苦の事業もいとわないけれども、少し欲する所を得ると、たちまちなまける心を起こし、古い弊害が再び起るものである。お前がどうして後年の憂いがないことを保証できるというのか。一たん再興の大業を挙げて後に、廃棄に至るならば、むしろその初めから止めたほうがよいではないか」と。村民は、どのような苦行にも堪えますからと嘆願が止まなかった。先生は言われた。「お前達が衰村を興そうとすることは大変難しい。差し当りそのやさしい事を行わないで、その難しいことをなそうとするのは惑いではないか。今そのやさしいものを示そう。お前の村民は現在の良田を荒れさせ、ヨシやカヤを盛んに茂らせ、冬になれば野火がカヤを焼いて、このために民家を焼失するものが数多いと聞く。たとえ開田や耕うんの力が足りないといっても、このカヤを刈ることが何の難しいことがあろう。これを刈らず、家をも灰と燃えがらとして、他国にさまよい歩く。何という愚かしさのはなはだしいことよ。一村の再興の事はしばらく措いて、まず災いの本であるカヤを刈るがよい。刈り終れば私に用いる所がある。最も適当な代価でこれを買ってやろう。お前達はこれをよくできるか。」そこで村民は喜んで帰村し、男女・老若が皆未明から出で、多くの日数を経ないで一七七八駄を刈り終って、これを先生に告げた。先生は人をやってその数を点検させ、その代金を通常の価格より増してこれを与えた。青木村の村民はたくさんの金銭を得て、大変喜び、従来これを刈らずに焼けうせさせ、かつ大きな災難にかかっていた事を後悔した。先生は言われた。「村民の家屋は全くして雨漏りなどしている家はないか。」こう答えた。「家々は困窮が極まって、今日の衣食も支えることができません。どうして家屋を茅葺きを修理する事ができましょう。ですから家々が破れ雨漏りはひどいものです。降雨の時は昼も夜も安らかにしていることはできません。」先生は言われた。「私が今、民家の雨漏りを除いて与えよう。村の神社や寺はどうか。」このように答えた。「家々もこのようです。どうして余力がそのようなところに及びましょう、破れ漏れることは特にはなはだしいものがあります。」先生は言われた。「村の神社や寺は一村保護の神仏を安置する所である。そうであるのにこのようであれば村民がどうして繁栄する道があろう。すぐに屋敷を細かく記して来るがよい」と。村民は分りましたと退いて、家屋の調べを持って来た。先生は物井村の庄屋やその他に命じ、自らも行ってすぐに茅葺きの修理をさせた。数日で社寺や民家はことごとく新しく葺き終わった。近隣の村民、往来の者まで目を驚かした。青木村の庄屋や村民は思わぬ恩恵を喜んで、桜町に来てその恩を謝した。先生は言われた。「村中の社寺・民家ことごとく新しく葺いて、雨漏りの憂いがなく、かつ火災を免れ、安らかに暮すことができた。私の方法はお前達が行うことができるものではない。止めるがよい」と。村民はこのように答えた。廃亡に等しい難村が、再興の幸福を得るようになれば、永年の安心何事かこれにまさりましょうか。仕法中の艱難辛苦がどうして耐え難いことがありましょう。願わくは、村中の貧困の苦しみを憐んで、再復の方法を施行してくださいと懇願してやまなかった。先生は言われた。「村中の田はことごとく荒れている。これを開かなければどうして衣食を得ることができよう。お前達はこれを開拓することができるか、どうだ。もし村中憤発して開墾する時には私もまた力を尽し、難所の堰を頑丈に建築し、田の水を十分ならしめよう」と。そこで庄屋やその他の村民は大変喜び、開拓が難しいのではない。ただ用水が無いことを憂えるだけです。先生の深慮によって、かの廃堰が完成するならば、すぐに開拓に従事しましょうと、踊りあがって村に帰って、この事を告げた。男女・老幼皆歓喜して、ただちに開田に勤め励んで、数か月たたないで年を重ねてきた荒れ地の大半を開墾した。そこで、先生は始めて青木村に行って、家毎の勤勉と怠惰、風俗を観察し、開田が成ったのを見て言われた。「開拓が速かにできたのは実に村中の憤発による。前日までの怠けおこたるのもお前達だ、今日の一生懸命努力するのもお前達だ。一人でその黒と白のようであるのは、勤めると怠るとの二つにある。善悪、貧富、盛衰、存亡皆このようでないものは無い。だから富道を行えば必ず富み、貧道を行えば必ず貧しくなる。ただ村民の行いによって禍福・吉凶の差があるのだ。今、従来の怠けおこたることを改めて、このように力を尽して、永く勤め働くことを失わなければ、村の再興が何の難しいことがあろうか。私は前日に約束したように難所の堰を築いて、十分な田の水を、この開田にそそいで与えよう」と。庄屋や村民は踊りあがらんばかりに喜んで高大な恩義に感謝した。先生は村の水理を詳しく見て、桜川の水勢を詳しく調べ、その後に、東山に登って、山の中央をうがって岩石を得た。ただちに村民や隣村の者を集めて、すぐに木や石を運搬させた。人夫にこう諭された。「建築が迅速でなければ大水が計りがたい。もし中途で大水のために流失すれば、前功がたちまち水泡に帰すであろう。だから非常の尽力でなければ成就することができない。人夫の雇い賃は一日に米一升二合、銭二百を常とする。今日の役務はいつもと異なる。だから一日に金二朱を与えよう。力が足りない者は、半日の働きで一朱を与えよう。もし怠けおこたって勤めない者があれば、勤め働く者の妨害となる。即刻これを退けよう。半日の働きもできがたいものは、人夫として加えてはならない」と。衆は皆喜んで指揮に従って大変勤め励んで、東山から岩石や材木を桜川の両岸に運搬し、数日も要しないで達成した。先生はまたこのように命じられた。「川幅に応じて屋根を作って、茅葺きとせよ」と。多くの人は何のためか分からなかった。川の上に屋根を作って堰を作らない、また一体どうしたことかとひそかに笑う者もあった。川の上の屋根が既にできあがった。先生は言われた。「誰か屋根の上に登り繋いでいる所の縄を切って、水中に落すがよい」と。人々は皆驚愕して一人としてあえて応ずるものはなかった。先生は言われた。「何をためらって上らないのか。」人々は同じくこのように答えた。「川の上の屋根は縄で繋いでいます。今これを断ち切ったら屋根と共に川の中に落ちて、死ぬか生きるか計ることができません。」と。先生はむっとして言われた。「お前達があぶないとすれば、私が上ってこれを断ち切ろう。」と。ただちに屋根の上に登って刀を振って数所の縄を断ち切った。その迅速さは飛ぶようであった。屋根は一震して水中に落ちた。人々は皆非常に驚いた。先生は屋上に立って言われた。「お前たちはこれをあやういとする。私がどうしてお前達に危ない事を命じようか。」と。人々は皆その過ちを謝って、ますます先生の神のような智恵の測ることができないほどであることに感じ入った。先生は言われた。「お前たちはすぐに両岸の木や石を屋根の上に投げよ。」と。人々は協力して大石や大木を投げ終った。然して後、大工にその上に堰を作らせた。大小二つの水門を設けて、小水には小門を開いて、大水にはふたつとも開いて、洪水の憂いを無くした。カヤの屋根で両岸の水底の細かい砂を閉塞するため水が漏れない。昔からこのような堰を見たことはなかった。遠くから近くから人々が集って、大変そのすぐれた業績かつ人間業とは思えない速さ・成功を驚歎して、普通の人の知恵の及ばないところだと賞嘆した。初め人々は皆言い合った。この仕事は五十日かけなければ工事は竣功できないだろうと。ところが事業を開始してからわずかに十日で、完成し終わった。だから昔は百余両かけなければ成すことができなかったのに、今用費がその半分を費やさないでその堅固さは比べようが無かった。それ以来数十年しばしば洪水があったが、すこしも動かなかった。 ある人が先生にこのように問うた。「古今この国の用水堰を作ること数千万、屋根を作って水を防ぐ方法を聞いたことがありません。一体どういう理由ですか。」先生は言われた。「川底は両岸皆細かい砂であり、元から木・石で保つことができない所だ。そもそも水を防ごうとして堤防を築いても、蟻の穴でも破壊するに足りる。私が思うにカヤの屋根は雨水を防いで漏ることがない。どうして流水を防がないことがあろうかと。これがこの堰を作った理由である。」 先生は事に臨んでその方法を施すことの非常にたくみな方法は窮り無かった。初めにこの事業を開始したとき、始めから終りまで多く酒や餅を用意させ、「酒が好きな者はこれを飲め、酒を好まない者は餅を食べよ。ただ酒を飲み過ぎてはならない。飲み過ぎては用をなさない。半日働いて止める者は、一朱を貰って家に帰って休むがよい」と。人夫は大変喜んでその苦労を忘れた。当時の人々はこの事業を極楽普請と唱えた。そこで用水路をさらって、新しい水路を掘って、水をそそいだ。この村一円の田に水は充満し、余った水は隣村高森村の田に及んで、干ばつににわか雨を得たようであった。民は大変喜んだ。そこで孝悌・篤実・善良の民を選んで投票させ、おおいに賞し、貧民をいつくしみあわれみ、道を作り、橋をかけ、農馬・農具を与え、負債を返し、人としての道を教え諭し、昔からしみこんでいるよくない風俗を洗い、人情の厚い風俗に化し、度を超えた贅沢やなまけおこたることを改め、専ら仕事に勤め節倹を行い、開墾に従事し、百年の荒れ地がことごとく開け、産出する米も数多く、多年の困窮が極まった状態を免れ、租税もしたがって倍増し、上下とも富んで豊かになった。天保七年の大飢饉に及んで男女・老幼を区別せず、一人に付いて、雑穀ともに五俵を与え、民の食は平年よりも豊かであった。民は大変感銘し、ますます仕事に励んだ。遠国の亡民が来集し、これをかわいがり育て、家ごとの人数も倍になり、全く元通りに復興したという。先生が良法を下す所は、皆このようであった。もとから拙(つた)ない文で一部始終を挙げることができない。実にその概略を記したのみである。※桜町治績【五六】天保四年に翁は青木の堰普請に従事す。周平息平太もまた常に随って出張せり。時に年二四歳なり。遠路のこと故未明に陣屋を出て夜に入りて家に帰れり。同年中に落成す。之がために同地方は田畑ともに広く開墾することを得て七七町の田を開くことを得たり。この川は桜川と称し、泥深き川にて堰普請をなすも随って崩れしが、翁の時に至って根本的に之を修築せり。桜町より青木までは道程三里ありしが、翁の健脚なる青木に至りて自ら鍬を取って役夫を指揮し荒地の開墾に従事し家に帰りし後も疲労を感ぜざりし故、村民もその健脚に驚きしが、翁はなお陣屋へ帰りてより三ヶ村をめぐり密行的視察をなして足洗いの池にて足を洗い、別に家人の手を煩わさずして寝に就き、かくして青木に通いおりしこと、非凡の人にあらざれば到底なし得ざることである。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください。六 遠江国報徳社1 所在地2 沿革3 組織4 事業 一 貸付 二 風教 三 殖産興業 四 教育 五 難村救済5 本社支社社員数及び資産 6 創設者岡田佐平治の小伝7 現任社長の略歴 遠江国報徳社1 所在地 本部を遠江国浜名郡浜松町に置き、同国見付町〔磐田市〕及び掛川町に支部を置く。2 沿革 嘉永元年(一八四八)相模の人、安居院庄七という者が遠江に来て、始めて二宮尊徳の教えを説いて勤倹推譲の道を教えた。当時、民力は窮乏し、人情は浮薄に流れていたので、有志者がこれを憂え、いたる所で安居院を招いて結社し、この救済の道を講じた。嘉永六年(一八五三)八月佐野郡倉真村岡田佐平治、周智郡森町山中利助外六名は安居院と共に二宮尊徳を日光に訪問し、親しくその教えを受けた。日光から帰ってきて一層報徳の道を唱導した。以後毎年一回遠江各地に報徳大会を開いて、勤倹推譲の道を講じた。安居院庄七はよく各社を統一したので、結社の数は次第に増加した。文久三年(一八六三)に安居院庄七が亡くなり、報徳の講師がいないため、この招聘について、福住正兄に相談した。福住正兄は小田原報徳社員福山滝助を推挙した。滝助は専ら報徳結社を誘導したことからその数は大いに増加した。これによって各社を統轄する必要を生じて始めて遠江国報徳本社を浜松町に設置した。明治八年(一八七五)十一月十二日です。岡田佐平治がその社長で、伊藤七郎平、小野江善六、新村里三郎、名倉太郎馬、神谷喜源次等が幹事でした。毎月十一日をもって会日と定めた。集会する社員は常に数百名を下りません。同年岡田佐平治は社長を辞任し、その長男岡田良一郎が社長に推選された。後に見付町及び掛川町に分館を置いた。明治三十二年(一八九三)、民法の施行に際して許可を得て法人とした。3 組織本社は定款の規定により毎月一回社員を集合し、報徳の道義を講義し、農工商業改良の方法を研究することを目的として、本社を浜松町に置き、支社を置きます。これを町村社という。この目的を達するために土台金・善種金・加入金の制度を設けます。土台金とは、社員入社の義務金及び町村社社員の随意寄付金等より成立し、町村社設立の基本金または勧業奨励等のために支出します。善種金は社員の義務金及び町村社社員の随意寄付金により成立し、十円をもって一口とし、その証書を交付し、これを永安証券と称します。十円未満のものにはその額が十円に達すると証書を付与します。年五分の利息を付し、一口百円になれば善種応報金としてその半額を寄付者に下付し、以後百円に達するごとに善報金を授けます。この善報金は荒地の開墾、道路の改善、商業資本及び肥料買入等のために町村社の要求に応じて貸し付けるもので、その貸付方法は無利息五か年賦とし、六ヶ年目に至り恩謝金として年賦一年分を納めさせます。これを元恕金と名付けます。加入金は無利息または利付預かり金で、産業振興の資本または子孫の教育金等の名義で蓄積します。町村社においては天災地変に備え金銭・穀物の貯蓄を行う制度があります。本社には、社長一人・副社長一人・幹事二〇名あって、おのおのその事務を処理します。その他訓導二八名、農事講師七名、勧誘委員四八名、組合取締四〇名を置いて、教化及び結社の勧誘、町村社の取りまとめを行わせます。4 事業一 無利息貸付 貧村及び社員の救済または殖産興業・水利土木の資金として町村社に対して無利息貸付を行った実績は明治十一年(一八七八)より同三十六年(一九〇三)まで四万二千円余円に達します。今これを区別すれば次の通りです。写真の説明はありません。二 風教報徳社は主として質朴を尊ぶために、毎月の定会に出席する者は数里の外からワラジをはいて弁当を携えて定刻に必ず到着します。その質朴の風は一見して報徳社員であることが分かります。祝儀や不幸の際には互いに倹約を尊び、相互に助けあいます。報徳社は勤倹推譲を旨とします。ぜいたくや怠惰の者及び不道徳の者もいったんこれに加盟する時は、次第にその行いを改めます。ですから結社の所在地にあっては芝居狂言等の興行があることを聞きません。裁判や訴訟は多く和解するため、社員相互の間にあっては、出訴は非常に少ないのです。また農業に努める精業善行者を賞与する規則を定め、本社で表彰式を行いました。前後七回、受賞者三一二人になります。町村社にあっては明治三十一年より三十六年末まで約三千人の多くが受賞した。三 殖産興業1 小笠郡中内田村森組報徳社社長浅羽平八及び社員の発起に係る共益製茶販売組合は社員が製造した緑茶を収集してこれを精選して箱詰にして横浜に販売する。始め森組報徳社員の製茶に限って共同販売を行っていたが、次第に拡張して一般に及んで大いに横浜貿易商の信用を博し、製茶販売の上に大きな利益を得た。明治三十六年の販売代金は十四万円以上に達し、年ごとに盛況を呈するようになる。小笠郡地方は皆共益社の法にならって各所に製茶共同販売組合を設置するようになる。これは報徳社員浅羽平八とその弟平九郎が率先尽力した所に起因します。2 掛川信用組合は遠江国報徳社長岡田良一郎が唱して創立した所です。始め同人が佐野城東郡長だった時に、報徳の方法によって勧業資金の法を設け、一口を金十円と定め、十か年出金し、五分利で利殖し一千口を募集し、荒地開墾、工業資本、道路堤防改善等公共事業に貸し付ける目的で経営し、十年で資本金はすでに一万一千余円に及びました。そして溜池費に五千六百円、道路改修費に一千三百四十円、開墾費に千四百五十円、その他勧農上に貸付を行ったもの二千六百十円で、実効ようやく明らかになろうとするに当たりその取扱いを嘱託した資産金貸付所の組織変更と共に一時解散することが止むをえなくなる。そこで掛川信用組合と改称し、資本総額を十五万円と定め、一口の金額を五十円とし、積立利子を七朱、貸付利子を八朱と定めてこれを行い、。数日で満員となる。明治三十六年十二月現在、資金九万九千三百六十三円九十一銭、組合員四百九十二人に達しています。3 見付町報徳社はこの法にならって、報徳社連合信用組合を設置して金融上非常な便利を得ています。明治三十六年十二月現在資金二万二千六百九十四円四十銭組合員二百二十一人。組長は故遠江国報徳社副社長伊藤七郎平が兼ねた。4 浜松町報徳信用組合は明治三十五年の設立で、明治三十六年十二月現在、資金四千四百三十八円七十銭、組合員二十七人皆報徳社員の発起に係るものです。5 東京小名木川の日本精製糖会社は遠江国報徳社員鈴木藤三郎の創立で、資本金二百万円を有する日本第一の精糖所です。鈴木藤三郎による特殊な発明は純白な氷砂糖です。始め藤三郎は資本金が少ない菓子商でしたが、森町報徳社に加入し商業の真理を悟って、いわゆる元値商いの法によって次第に商業が繁盛し、かたわら氷砂糖の製造に熱心に努めました。時に野州今市に二宮尊徳の法会があります。藤三郎はこれにおもむいた帰り道、宇都宮の旅宿において隣室に宿泊していた学生の化学談を聞いて、大いに悟るところがあった。これによって純白透明な氷砂糖を製造することができた。これから工場を改造し、大いにその業を拡張し、後に東京に移住して、遂に今日の大成をなすに至った。藤三郎は氷砂糖製造を二宮神霊のたまものとし、厚く報徳の道を信じ、毎月一回報徳会を小名木川の自宅に開いて工場の役員を始めとし、職工等を集めて報徳談を行い、勤倹貯蓄を奨励し、兼ねて恩恵を職工に施したため、報徳の教えはその間に行われた。藤三郎は現在同会社の専務取締役で、資産は数万円に及びます。同志者の吉川長三郎もまた同社の取締として藤三郎と心を合わせて協力しています。吉川もまた遠江国報徳社の社員です。💛やっと、「静岡県報徳社事蹟」の表をエクセルで作成しなおして、ワードに張り付けた。幾分、空白が目立つ箇所がある。写真か補注で埋めてまいろう。昨日、音楽の日で 優里が「ベデルギウス」という壮大な歌を歌っていた。ベデルギウスは、オリオン座にある恒星で、一等星。おいぬ座のシリウス、冬の大三角形を形成する。歌詞に「誰かと繋ぐ魔法」とある。「静岡県報徳の師父」シリーズが次の世代の誰かとつながるように「魔法の言葉」を唱えよう(^^)さんに「静岡県報徳の師父」シリーズ第2集のテキストをメールで送り、フリーストレージに置いてもらう。電子に強い若い友人がいると有難い(人*´∀`)。*゚+
2022年07月19日
金子大地、“危うい”2代目・頼家はハマり役に 『鎌倉殿の13人』いよいよ“本編”がスタート7/17(日) NHK大河ドラマ初出演となる『鎌倉殿の13人』で鎌倉幕府2代将軍・源頼家を演じる金子大地。7月17日に放送される第27回「鎌倉殿と十三人」では、タイトルにもあるように18歳という若さで鎌倉殿になった頼家を補佐する13人による評議が始まる。それと同時に御家人たちの権力争いも勃発。急死した父の源頼朝の後を継いだ頼家を中心に、いよいよ物語が大きく動くことになる。『鎌倉殿の13人』では周囲の大人、御家人たちを信じきれず、憂いを帯びた表情で苦悩する2代将軍を演ずる。北条義時に接するとき、梶原景時と接するとき、その相手によって、またその状況によって自分がどう振る舞うべきなのか、常に頼家は試されていく。頼家が追い込まれれば追い込まれるほど、役者・金子大地の真髄を見ることができそうだ。不穏な“13人衆”に船出に梶原景時は「頼朝様は、いささか亡くなるのが早すぎましたな」「13人の合議制」が誕生する過程が描かれ“13人衆”が一堂に会した。あれよあれよと“5人衆”→“13人衆”と人数が膨れ上がる脚本は、稀代の喜劇作家にして群像劇の名手・三谷幸喜氏の真骨頂。頼家「私は比企や北条を特別扱いするつもりはない。私は家の名で人を選ぶことをよしとはせぬ。誰であれ、力のある者を登用していくつもりだ。それが、この頼家の政(まつりごと)である」と宣言また土肥実平の「できれば、誘われてから断りたかった。」が面白かった。三谷幸喜氏は打ち上げはすべて断っているという。大泉洋さんが、そこで打ち上げに誘わなかったら「なぜ誘わなかった?」「誘っても断るでしょう」「できれば誘われてから断りたかった」という自身のエピソードもいれたのかもしれない。政子「ただ一つ、お願いがあるのですが。もう一人、加えてほしい人がいるの。十二も十三も一緒でしょ。頼家はまだまだ若い。嫌なことがあると、すぐに逃げ出してしまいます。叔父として側にいてあげてほしいのです。十三人目はあなたです」頼家「わしはそんなに頼りないか。わしなりに精いっぱいやっているつもりだが、それが気にいらんか」「おまえは入っておらんのだな。この先、何かあっても、おまえだけは私の側に…」「尼御前が」「。己の好きなようにやれと申したのは誰だ。もう北条の者の言葉は信じぬ」。義時の説得に「13人とは、増えたものだな。もうよい、分かった」「小四郎、端からわしはおまえたちを信じてはおらぬ。父上は最後まで御家人に心を許してはおられなかった。わしも同じだ。」頼家は腹芸ができず、「御家人を信じない」という。誰が信頼しないという者についていくものがあろうか?あとは恐怖による支配があるだけである。徳川家康が「吾妻鏡」を愛読したという。なぜ頼朝が鎌倉幕府を創設できたか、なぜ頼家が継承できなかったか?家康はむしろ人を見抜いて自らの配下として活用していく度量と才能があった。そして三河一向一揆の処理のように敵となったものをせん滅することがなく、有能な人材は自陣の武将として抱え込んだ。
2022年07月18日
「アルパカ抗体」 全ての新型コロナに有効? 京都大学などの研究チームが発表7/14(木) 新型コロナに感染した際にウイルスの働きを抑える中和抗体を、アルパカから抽出することに成功したと、京都大学などの研究チームが発表しました。ヒトの抗体よりも小さく、全ての変異ウイルスを中和できるということです。京都大学大学院の高折晃史教授らが見つけた中和抗体は、アルパカに新型コロナのスパイクタンパクを注射し、免疫を働かせて作られた抗体を抽出したものです。「アルパカ抗体」と名付けられたこの抗体は、ヒトが持つ抗体の10分の1の大きさです。ヒトの抗体はウイルスの表面にくっつきますが、「アルパカ抗体」は新型コロナが持つ突起部分、スパイクタンパク質にある深い溝にまで入り込むことができます。この深い溝では、免疫をすりぬけるなどの変異がほとんど見らないため、オミクロン株をはじめとした全ての新型コロナウイルスの働きを抑えることができると期待されています。高折教授は、「今後は治療薬としての実用化も目指す」と意気込みます。京都大学大学院 高折晃史教授:「我々が目指しているのは、吸入薬として開発したいと考えています」「マウスに普通の株、デルタ株、オミクロン株をチャレンジして、1日後に1回だけ吸入するとそれだけで効果があります」「局所で増殖しているウイルスに直接作用しているのは非常に有効ではないかなと思う」塩野義のコロナ飲み薬、「BA.5」にも有効性確認7/14(木) 塩野義製薬 は14日、開発中の新型コロナウイルスの飲み薬について、オミクロン型の別系統である「BA.4」と「BA.5」にも有効性が確認されたとする社内実験の結果を発表した。ウイルスの増殖を抑制する効果が他の変異株と同程度あったという
2022年07月18日
京大と鹿島建設が月や火星で重力を生み出す巨大施設「ルナグラス」構想を発表7/17(日) 京都大学と鹿島建設が手を取り合い、自転による遠心力で人工重力を生み出す居住施設「ルナグラス」と「マーズグラス」の構想を発表しました。花瓶のような形の「ルナグラス」は、直径がおよそ100mで高さが400mと超巨大。1周するのに20秒を要し、回転により1Gの重力を生み出します。縮小生態系を形成する「コアバイオーム」には内側に水が張られ、ボートがへばり付くように運行します。モノレールのような交通機関「ヘキサトラック」も考案され、ちょっと離れた「ルナグラス」との間を繋ぎます。ちなみに、どのように「ルナグラス」を回すのか、エネルギーについては検討中であるものの、「原子力はできれば避けたいですね」と動画のコメントに返信がありました。
2022年07月18日
「見直す決意新たに」 国家公安委員長、安倍元首相銃撃現場を訪問7/17(日)安倍晋三元首相が街頭演説中に銃撃を受けて殺害された事件で、二之湯智国家公安委員長が17日、奈良市西大寺東町の近鉄大和西大寺駅北側の現場を訪れた。献花台そばで手を合わせて黙禱(もくとう)し、奈良県警の鬼塚友章本部長から、事件当時の様子や警備態勢などの説明を受けた。報道陣の取材に応じた二之湯氏は「現場を確認し、このような事案が二度と起こらないよう、警護警備の強化にむけ見直しを行う決意を新たにした」と述べた。また、「動画などを見る限り、警備態勢や配置、警護の措置要領などさまざまな問題点が明らかになった」と指摘。「問題点を早急に洗い出し、具体的な対策を講じることが必要で、警察を厳しく指導していきたい」と語った。 安倍氏は今月8日午前11時30分すぎ、参院選の候補者の応援演説を始めた直後、同市の無職山上徹也容疑者(41)に背後から銃で撃たれ、死亡した。・国家公安委員長は歴代 旧統一教会シンパが多く配置されているようだ。98代・99代国家公安委員長 二之湯智「なんと、全国の警察組織の頂点に立つ国家公安委員長の二之湯智議員(自民党)が旧統一教会イベントの呼びかけ人! 96代 国会公安委員長・小此木八郎:・2006年5月23日に統一教会系天宙平和連合(UPF)「祖国郷土還元日本大会」横浜大会に祝電。88代・89代 山本えりか
2022年07月18日
2022年7月17日(日)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【7】先生辻門井二邑の里正を教諭す常州(茨城県)眞壁郡辻村の庄屋を源左衛門といい、同郡門井村の庄屋を藤蔵という。二村ともに旗本の斎藤某(鍬太)の領地であった。斎藤氏は経済状態が苦しく負債が多く、領地に命じて今年に来年の租税を先納させ、それだけでなく時々用金と称して、人民の財産を取ることに節度がなかった。このため二村の民は困難貧苦にたえきれなくて亡民となり、戸数が減少し土地は荒れ果て貧窮がきわまった。庄屋は何度も憐れみ地頭に求めたが許さない。豊年でも十分に食が足らなかった。隣村はこれを見て悲歎が止まなかった。庄屋は貧しい人々を倒してまで主の求めに応ずるに忍びず、自分の財産でこれを補ったが、地頭の費用はいよいよ足らず、満足することもなく求めることは止まなかった。源左衛門と藤蔵は大変に君の不仁・無慈悲を怨んで語って言った。庄屋というものは村民を安らかにすることを主な任務とする。だからたびたび貧しい人々のために憐れみを請うた。しかし地頭が慈しみがなく二村から取ることが限りがない。どうして衰えた村の貧民の米金で限りない求めに応ずることができようか。我らもまた貧しい人々と共に亡び滅することは遠きではない。それなのに二宮先生が三村の衰廃を起し、その民をかわいがり大事に育てる事は、父母が子を恵むようである。すぐに桜町に往って物井村の民となるならば後に栄えることは疑いないだろう。早く苛酷な苦しみをのがれ、仁徳をそなえた人の民となるほうがよいと。そこで二人ともに桜町に来て、人の道にそむいたひどい行いのために立ちがたくなっていることを嘆いて、物井村の民となることを請うた。先生は深く憐れまれて、二人にこう教えられた。「お前達の今日の不幸は実に憐れむべきではあるが、祖先以来の居住の地を去って、この土地の民になることを求めるのはおおいに道を失っている。今私が臣民たるものの道を教えよう。およそ上(かみ)君となり、下(しも)臣民となるもの、本来は一物であって二物ではない。たとえば、一本の木の根と幹と枝と葉が離れることができないようなものだ。だから根が朽ちる時は、枝や葉はひとり全うできない。枝や葉が枯れる時は、根もまた全うすることができない。お前達は数百年来、君となり、民となって、平穏無事に相続してきたのは一朝一夕の縁ではない。祖先以来の主の恩を顧みる時は、それは大きいと思うか、小さいと思うか、はたして大と思うならば、お前の一世の力を残さずこれに報いても、どうして百分の一も報いる事ができよう。そうであるのに今、怨みの心を懐くものは他でもない。君は君であり民は自から民であるとし、利を主として義を忘れ、財だけを見て恩を顧みないためである。このために地頭の艱難に当って、君主の憂いを憂いとしないで、ただその厳しい求めをのがれようと謀る。どうしてこれが難に当って臣民の義を尽す道であろうか。それに万物は皆すべて盛んになったり衰えたりすることがある。天地間に存在するすべてのものは限りがなくても、一物も自然の盛衰存亡を免れるものはない。国に盛衰があり、家に盛衰があり、人に盛衰がある、このために盛んであるものは必ず衰え、存するものは必ず滅し、生あるものは必ず死ぬ。これが天地自然の道である。そうであれば、お前の主君の家がどうしてひとり盛衰がないことができよう。お前の村だけどうして盛衰がないことがあろう。お前の家だけどうして盛衰を免れよう。お前の主君の家は以前必ず盛んであったであろう。だから今、衰えるべきその時のまわりあわせが来て必要な費用が不足し、このためにやむを得ず、領地に取って不足を補っているのだ。領主が盛んである時には領地もまた盛んである。領主が衰える時は村もまた衰れる。主君が富む時は、めぐみは下に及び、主君が困窮する時には下がその憂いを受けることは、たとえば枝や葉がしぼみ枯れて、根もまた朽ちるようなものだ。だから忠臣・良民は主君の艱難に当っては、身命をなげうってその憂いを除き、祖先歴代の高恩に報いようとする。力が足らなければ死してのちに止む。米穀や家財を報いるなど言うに足りない。今、主君がめぐみ憐れむ心が薄く、多欲でむさぼるといっても、その領地に求めるだけである、だから領地の物を取りつくすに及んでは、その求めは必ず止むであろう。たきぎが尽きれば火も消えるようなものだ。お前達は時のまわりあわせを知らないで、また祖先以来受けた所の大恩を顧みてこれに報じようとする心もなく、たきぎを抱いて火に向い、火が消えるのを求めるようなものだ。早く抱いたたきぎを火中に投じるならば、たきぎは尽きて火は燃えるところがなく、主君の求めも止む事に何の疑いがあろう。このために家財や田畑を一物も残さず、君に差し出してその不足を補うがよい。しかし主君の行うところを怨む心があって、これを出す時は、誠心の行いではない。従来受けた恩に報ずることを主とし、主君の家のためだけに計らい、所有する田畑、家屋、器財をことごとく売払い、その価格も低い時は主君の利益が少なく、価格が高い時は主君の利益が多い。だから心を尽し、高価に売払うがよい。これが主君の家が衰える時に当って、正しく臣民として行うべき常道である。家の存亡は必ず自然の数があって逃れることができない。お前達の家は滅ぶ時が来ているのだ。そうであればたとえ道理を知らないで、知謀でいったんは主君の求めを免れたとしても、子孫にならずものが出るに及んで必ず家を失うであろう。子孫のならずもののために失うより、主君の艱難の一助ともなし、良民として報恩の道を行うがよい。いやしくもこのようであれば神明もこれを感じ、人もあわれみ、後に必ず廃家再興の時が来るであろう。これもまた自然のことわりである。もしこの善行をなさないで自ら滅するのを待つのは、主君と財を争い、家を滅ぼし、恩を知らない無道の者となり、主君もまたしもじもの民を虐待するという汚名をあらわすにいたるであろう。誠に嘆くべきいたりではないか。お前達はこの二者のうち、どれを是とし、どれを非とするか。もしこの言葉を是とするならばすぐに主君に差出して、その後に領主に嘆願するがよい。その時、こう言うがよい。ただいま主君の家の艱難に当って恩を報ずるため力を尽してこれ補い、主君のご苦労を安らかにしようと念願しましたが、貧民の微力ではできかねます。少しで報恩の一端にも足らないと思いますが、衣類・家財・田畑に至るまで残す所なくこれを売り払って、なお少しでも価格が多いように主君のわずかな補いとなる事を願って、四方にかけまわって、高価に売払いましたのでこれをさしあげます。しかし主君の艱苦がどうしてこのわずかなお金で補うに足りましょう。私たち二村の庄屋として諸民に先だって、主君の家のために家を廃してこれを献じます。諸民もこれにならって、次第に家を廃し、献じることは疑いありません。主君があって民があり、民があって主君もまた安らかにできます。ですから二村の民がことごとく退散するようになっては、田畑が荒廃し、租税の出る所がなく、主君の家の禍いはますます深くなることでしょう。これが私たちの悲嘆が止みがたい所です。仰ぎ願わくは主君の賢明をもって後栄の道を慮ってくださり、先君への孝道を全くしていただくならば、私達の喜びはこれに過ぎるものはありません。今一家をなげうって主君の命を奉じます。明日から道路に立っても、もとより私達の甘んずる所です。そうして主君がもし私達を憐んで、領地の中の居住を許してくださるならば幸いです。困窮が極まり飢えや寒さをまぬがれがたいとしても、数百年来、代々君恩に浴し、相続してまいりました。名残り惜しく故郷を去るに忍びません。このために村人の家を借りて、その余った田を耕して永く君の領地に居住することを願うのですと。領主がこれを許すならば主君の善心が自ら発動して永安の道も生じるであろう。そうであればお前達も村の余った田を耕して、あるいは荒地を開いて、精神力を尽して耕作するがよい。必ず天の恵みを得て再び相続の道を生じよう。よく努力し、よく慎んで、いよいよ主君の恩を忘れてはならない。もしこのように嘆願しても、主君が許さなければどうしようもない。君民の道が既に尽きたのである。ここにおいてやむことを得なければ、妻子とともに当村に来るがよい。もと十石を所有すれば十石の民とし、五〇石を所有すれば、五〇石の民とし、百石の所有であれば必ず百石の田畑を与え、以前有する家財に至るまですべてこれを与えよう。そもそも天下の人民はおのおのその主君につかえて田を耕し租税を納め一家を経営する。その主君がたとえ道を踏んでいないとしても、下としてこれを怨むべき道はない。そうであるのに怨む心を発して、家財を持って来るものをいれて、この地の民となす時は、その領主に対して信義の道が立つことができない。かつ衰運にあって、まさに滅びようとする原因を抱いて来る者は、たとえどのような多くの幸いを与えても原因が尽きていないから、再び災害が並び起こって、滅亡に及ぶことは天理自然であって疑いない。だから私はこのような者を受けないのだ。そして領主の憂いを憂い、報恩のために良民の道を尽して、一家一物も残らず主君に差し出し、一身をいれる地がなくなって来るに及んでは、まさに滅びようとする因縁がここに滅している。だから新たに幸福を与える時は必ず再び栄えることは疑いない。その領主もまたこのような良民を廃棄し、領地の居住をも許さない時は、この地の民としても、何のさしつかえがあろう。お前達はこの道理を了解し断然として私心を去って、この道を行うがよい。もし私の言葉を疑って行なうことができないで主君と家財を争って、主君を怨んで自分を是とし、禍いを免れることを計画するならば、数年を待たないで、必ず亡びるであろう。お前達はこれを疑い惑ってはならない」と。二人はこれを聞いて感動し、その教えに従いますと言った。後、源左衛門は私心を去ることができず、地頭を怨んで、財を出さず、地頭はこれを放逐した。終に家を失って他国に逃亡した。藤蔵はこの教えを尊び信じて主君の命が来れば時刻を移すことなく残らず家・財産を差出そうとした。ある時に使者が用金の督促の命を受けて門井村に来た。藤蔵の誠意を聞いて、命を伝えないで帰った。後再び来たが命を発することができなかった。一家滅亡の禍いを免れて、今に至るまで一家を保全している。ある人が先生に質問した。先生がその未だ起こらないことを察し、教えを下して、きわめてわずかな違いもないことはどうしてでしょうか。先生は言われた。「そもそも大風が起こるときは木に触れて動揺が止まない、その木を伐れば暴風もこれに触れることができないのは自然ではないか。易経にいう。『同声相応じ同気相求む。水は湿に流れ、火は燥につく』 と。主君は多欲でその求めは厭くことがない。源左衛門は、私の言葉を用いないで、欲でこれに応じた。だから滅亡を免れなかった。藤蔵は欲をきって更に私念がなかった、だから多欲もこれに触れることができずに全うする事ができた。自然の道理は、過去と未来を論ずることなくてもおのずから明らかではないか。どうして違うことがあろうか。」 令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 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2022年07月17日
2022年7月16日(土)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【6】物井村無頼の農夫を導き善に帰せしむ 物井村のある農夫は、その性質たるや無頼(ぶらい)で大酒を好み、博打(ばくち)にふけり、利欲に心を奪われ、人と争い、家業を怠り、貧困が極っていた。誠にさとすことができない悪人だった。ある時、先生は陣屋の使用人を物井村のある百姓の家に使いに出されたことがあった。途中、この者の外便所に入った。柱は腐れて傾き、コモを垂れて壁に代え竹で倒れようとするのを支えていた。使用人はついうっかりこの竹に触れてたちまち便所が傾き倒れた。農夫はこれを見て大変に怒り、何者なれば私の便所を壊すのか、不届きな者だと罵った。使用人はこのように謝罪した。「私は二宮君の使用人でこの村に使いで来た。あなたの便所を借りて、過って倒してしまった。どうか許して下さい」と言った。農夫は、いよいよ怒って、「お前は二宮の使用人か、そうであればなおもって許しがたい。人の便所をめちゃめちゃにするのは乱暴ろうぜきと言うべきだ、思い知らせてやる」と六尺棒を挙げてこれを打とうとした。使用人は驚いて走って陣屋に帰ってきた。農夫は跡を追って「逃がさないぞ」と大声で叫びながら陣屋に来た。そして「私の便所をめちゃくちゃにしたろうぜき者を出せ」と罵った。人々が集まってきて、これを諭し、その使用人の過ちをわびたが、いよいよ憤って、かれこれの別なく棒を振って打ってかかった。先生はこの騒ぎを聞いて、何事かと聞いた。ある者がこういうことがありましてと答えた。先生は言われた。「その者に私が面会しよう、ここへ連れて参れ」と。そこで農夫は先生の前に出た。怒った様子はますます盛んになって言った。「私の便所はあなた様の使用者に破られました。農夫が便所がなくては一日も農業ができましょうか。無道の者が村民の便所を乱暴に壊すとはどういうことでしょう。私に彼の者をお渡しください。十分にこの憤りを散じましょう」と言った。先生はゆったりと落ち着いた様子でこう質問した。「お前の便所を破ったのは使用人の不届きである、しかし彼がどうして意図してこれを破ろうか。まさに倒れようとしている便所であるために過って倒れたのであろう。便所だけこのようではあるまい。本屋(ほんおく)も定めて破損が有ろう、どうだ。」農夫は言った。「元々貧乏していますから、本屋も大変破損していますが、これを修復することができません。このような貧しい者の便所を破ったのは、いきどおりに堪えません」と。先生は言った。「私の使用人がお前の便所を破ったのだ、すぐに修理して与えよう。そのついでに家屋をも新たに作って与えようと思うがどうか。」農夫は非常に驚いて、怒っていた気持ちもたちまち消え去って、ひれふして言った。「あなたが愚かな私を憐れんで、新たに家を作っていただけるとは、何という幸いでしょうか。」先生は言った。「お前は家に帰って、大破の家を除いて、地形の手配りを行うがよい。私はすぐに大工に命じて家を作って与えよう。そうであれば使用人に恨みはあるまい。」農夫は大変に自分の言動を恥ずかしく思って家に帰った。これから先生自らその所に臨んで指揮し、大木や良材で長さ八間、横三間の新しい家を作って、外に小屋と便所を作ってこれを与えた。農夫は大変喜んで、以前の非を後悔することが骨髄に徹し、その恩を感ずることはなはだ深かった。一生の間、人々にこの事を涙を流し語った。自ら大酒を戒め、博打を止め、農業に力を尽して数年の貧窮を免れ、富裕の良民と化した。三村の人々はこれを聞きこれを見て大変感動して先生の寛仁であることを唱え、汚風は一変して農業に励む道が行われるようになった。先生がその人物に応じて恩沢を施され、善に導くことは、往々このようであったという。奥州標葉郡のある代官はこの事を聞き、大変に嘲笑して言った。二宮の道は大道ではなく小道というべきである。悪人に大恩を与える時は何をもって勧善懲悪の道を行うことができよう。これは一人に行うべきもので、万人に行うべきものでない。聖賢の道は万人に行うべき大道である。だからこのような小術を用いるのは聖人の道を知らないためであると。ある人はこれを聞いて高論であると言って、大変感じ入った。後にその代官は博打打ちに金五両を貸してその行いを改めさせたという美名を取った。これは陽に嘲笑して、陰に先生の行いを模倣したものだという。私(高慶)はこう思う。融通がきかないというべきか、代官の言葉は。そもそも聖人が民の古くから染まった汚弊を取り除き、本来有している善に復させるとは、このようなことをいうのだ。そしてその汚弊を除き去って善に復するに、どうしてその場に応じて適用する方法が無いことがあろうか。かつそもそも人を導く者は先ず教えをもって行い、従わなければこれに次いで刑罰をもって臨む。そして刑罰は、聖人は悪を消す道具であって、刑が無くなることを期待した。刑を用いるのは善いことではない。物井村の農夫においては、先生はその邪しまで狡猾さはまだすぐに教えを施すことができないことを知っておられた。だからこれを懐かせるのに恩によってすることとし、感激させ感化させ、一悪を化することによって三村の民が皆善に帰するようになったのである。これを大道でないとしたら何というのか。代官は学問が浅くかたくなで先生を知るに足りない。その言葉を善しとしたある者は論じるに足りないと。※桜町治蹟【四九】一日翁の僕鬼神清七の破れ便所に入りて出ずるや如何なるはずみや、少しく破れし所出来たれば清七棒を持って追ひ来る、翁の僕なりと聞いて一層怒を増し陣屋に怒鳴り込めり、翁は之を聞きて柔能く剛を制すの理に基づき、彼に言って曰く、便所がそのように壊れ易いことなれば定めし母屋の方も頽廃せしものならんと言いて便所及び母屋とも改築してったので、流石の性質悪しき乱暴なる博徒親分清七も深く感じて善良なる人となったということである。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください7月12日夕方のんびりテレビを見ていたらエックストーンズの「イケメンボイス」の回が放映。面白くてためになった。バリューの真実 イケメンボイス(2021年7月12日午後7時NHK Eテレ)聞き取りやすい声になるトレーニング。ボイストレーナーの秋竹朋子さん遠くまで通るための大きさをアップさせる…両手を口の前に持っていき、冬にかじかんだ手を温めるように、5秒間 思いっきり息を吐く!これは腹式呼吸を身につけるトレーニング。自然にできるようになると横隔膜が下がり、おなかまで息が入れられるので、息に勢いがつき声帯がしっかり振動してよく通る声になる。マオライオンの方法は耳への入りやすさがアップするトレーニング。これは 声を体中に響かせる感覚をつかむためのトレー二ング。体の空間で声を響かせると耳に入りやすくなる。最後は 滑舌の良さがグ~ンとアップするトレーニング。思いっきり思いっきり舌を10回出すだけ!滑舌が悪くなってしまう原因の一つに、舌や口を動かす筋肉が硬くなり、うまく動いていないことが挙げられる。そこで 舌の動きを滑らかにするストレッチが必要。森山剛准教授から聞き取りやすい声になるテクニック。「ズバリ 笑顔です。イやエの音域が人間に耳に聞き取りやすい、つまり、しゃべる時に笑顔を意識してたら、自然と その3, 000ヘルツぐらいの音が出やすくなります。」大事なことは笑顔で声が前へ出てくること。笑顔で 遠くにちゃんと伝える。ところが息を出すことを声と結び付けるのは結構 難しい。秘けつとしては最初の1文字をはっきり言おうって心がけるとやりやすい。発声に詳しい耳鼻咽喉科医の許斐氏元さん。アイーンという言葉は口角を上げる筋の筋トレに。更に 上を向くといい。(一同)アイーン アイーン アイーン アイーン アイーン。声優の森川智之さんのテクニック。自分の前に声玉というですね…。声の玉。ここに自分の声を作るっていうイメージを持って、発声すると、よりイケボの声になるというふうに思います。💛とっても勉強になった。12月に講演会があってしゃべるから実用的な身につけるべきテクニック。まずは 手の平を口のところにもって息を吹きかけ、腹式呼吸を心がけるかな。高校生の女の子はマスクの中で練習していたという。なるほど。「アイーン アイーン」とやっていたら、「うるさい、おとうさん!!」
2022年07月16日
2022年7月15日(金)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【5】三邑十有余年にして全く興復す 先生は野州に至ってから十分に考えをめぐらし、いろいろな方法を実施して、村を再興し民を安らかにさせる良い方法を広くゆきわたらせた。廃地を挙げ、跡継ぎがなくて絶えている家を起し、困窮の民を救い、家を与え、衣食や農具、器財を施し、善人を多くの財で賞し、正直な者をひきたててよこしまな者はそのままにして置き、悪人で正しくない者は自然に自分の善くないところを改めさせるようにさせ、善行を行わせ、人道をもって教え、農業に勤労するように導いた。処置するところがおのおのその至当を得させ、遂に民の戸数を増し、生産力はおおいにすすみ、荒れ地数百町を開いて、昔は四百有余の家数で農耕していた田畑は、今は民力の勤勉精励によって半数に満たない戸数で耕作し、なお田畑が少ないことを憂えるようになり、旧来の艱難辛苦を免れ、始めて心を安らかにして、その生活を楽しめるようになった。人々の心も大変やわらいで、人の憂いを聞けば共に憂い、人の幸いを聞けば共に喜び、憐れみ思いやる心が発動して人倫の道をわきまえ、家々が親しみ、人々が和睦するようになった。始めこの良法を開業して以来、これを破ろうとする妨害が七年の間いろいろ起こり一尺を進める時は、一尋(ひろ)を退くようで、いつの時になれば成功できるかと、心労すること限りなかったが、至誠の感ずる所、鬼神の助ける所か、八年に及んで民心が一変し、おおいに昔からしみこんでいるよくない風俗を洗い流し、素直で飾り気がないまじめで正直な風習に変わり、三、四年の間にこのような功績のすぐれた事業が成ったといえる。ここで先生は百姓が永続できる道を計画し、遠い過去の勢力の盛んな時に当る四千石の貢税三千余俵を出せるまでになった。これは地味の薄い土地の貢税の限度を越えるものであった。ここでこの衰極に至ったことを考察し、田畑のクラスに相応するその産出できる穀物の数量を試算し、相当自然の租税を定め、七分免の貢税とし、二千俵を定額とし、宇津家の分度を確立した。これはその初めに小田原侯の命令を受けるの時に当って、土地自然の貢税を先に知らせて言上した数量である。人々は尊徳先生の明知が始めに終りを計ることが明らかなことを驚嘆し感じ入った。宇津家は以前の収量の倍数の貢税を得て、大変に喜び、村民もまた遠い過去の貢税から千俵余りを減じた大きな仁恵に感動し、ますます耕作に力を尽し、家々は足りて、人々の生活は楽になった。先生は積年の丹誠によって三村が衰貧を免れ、里に破れ壊れた家がなく、田に草むらが残ったところがなく、五穀はおい繁り、境界は正しく、道路はまっすぐになり、水路の深さも適正となった。他国の旅人がこの村に来ると、あざやかに輝く美しい見栄えに驚き、栃木や茨城では類のない富裕の善地であると称えた。功績は四方にとどろいて、境を接する人民は皆これにのっとり、また衰えた村は再興の仕法をお願いに来るものはその数を数えられないほどだった。隣国の諸侯もまた礼節を厚くして領中再興の道を求めた。先生はもとからその任ではない、またその暇もないと固辞された。 ※桜町の第一期仕法は、契約通り天保二年に結了した。収納は約二千俵で契約以上の成果をあげた。第一期仕法完了の一八三一年正月、大久保忠真が日光参詣の折、結城に宿泊し、尊徳は桜町復興を報告した。大久保侯は「手戻りなきよう」に戒められるとともに「そちの方法は『徳を以て徳に報ゆ』であるな」と言われた。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください朝サイクリングに出る前に血圧計で測ると140-90を超えている。いつになく高い。心臓医の先生から血圧管理を求められている。サイクリングで海辺に出てひとしきりストレッチ、スロースクワットなど運動して帰って測ってみると120-80以下に下がっていた。「下がってよかった、たかどまりしてたら薬を処方しましょうと言われていたところだった。」「朝起きた時は高いんですが運動後は低くなりますとお医者さんに言えば」まことに一病息災でこうして毎日ストレッチ、筋トレと血圧管理出来る、感謝します(。•̀ᴗ-)✧
2022年07月15日
2022年7月13日(水)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【2】先生横田村里正円蔵を教諭す横田村の衰貧はもっとも甚しく村の戸数も少し昔の半分になっていた。昔、田だったところが荒れ果てて原野のようであった。貧民はその日の生活を維持する方法も尽きてしまった。先生はこれを恵み、これをいたわり、多くのはかりごとを行うこと皆ことごとく至誠でないことはなかった。庄屋の円蔵という者は、その先祖は由緒のある家筋で、連綿と横田村に相続することは幾百年であるか知れないほどだった。貧しい民と共に衰貧していたが、まだ生活を立てる方法がないほどではなかった。その性質は才智があるわけではなかったが、正直で自分の利益ばかり計るということはなかった。このような旧家であるため、従来の家は大変破損し、かつ傾いてきたので、新たに家を作ろうと計画したが、家が貧しくて作ることができなかった。長い年月、心を用いてようやく材木を求めて作ろうとしたが、必要な資金が二十両足らないため、その望みを果すことができなかった。ここにおいて必要な資金を貸してくれるよう先生にお願いに行った。先生は諭して言った。「ああ、お前の村は衰廃し貧困はすでに極っている。庄屋たる者はこのために痛切に嘆いて身を顧りみるに忙しいはずだ。何の暇があって自分の家を作り心やすらかに生活しようと計るのか。過っているというべきだ。そもそも庄屋の任務は一村の長となり、村民を指導し、よくこれを治め、間違っている者は厚く教えて正直にさせ、よこしまな者はこれを戒めて正しくさせ、遊惰な農民は励まし、貧しい者を恵み、身寄り等がない者を憐み、貧しい民には法律等を守らせ善くない風俗に流れないようにし、もっぱら農業に勤めさせ貢物を納めさせ、一村の憂いをなくならせるのが庄屋の任務ではないか。お前は祖先以来代々庄屋となり、一村の盛衰・安危は皆お前の一身にかかっている。そして下々の民は怠惰に流れ、衰貧は極り、あるいは潰れ、あるいは離散し、土地は荒廃し、戸数はわずかに数十軒だけとなっている。これもまた極貧であって永続の道がなく、貢税は減少し、領主の用に足らない。野州は広いといっても、このように亡村に等しい村も少ないであろう。今お前はこれを憂慮しなくてどうして庄屋の任にたえようか。一村よく治まり、土地が開け、貧しい民が豊かであれば、その功績は庄屋に帰する。土地が荒廃し、貧しい民が潰れ、貧困に迫られ、気風が乱れる時は、庄屋の罪ではなくて、誰の罪に帰するのか。領主はこれを憂慮し、数年の間、力を尽して、旧復の方法を施行されたけれどもその効果がなく、ついに小田原藩へ嘆願され、小田原侯が復興の方法を尽されたけれども、いよいよ衰え弱るばかりで、引き立てる気配が顕われない。私は復興の命を奉じて出張してきて以来、廃れたのを興し、民を恵み、昼となく夜となく肝胆を砕いて再復の道を施し、上には君命を辱しめないように、下には村民を安らかにしようとするほかは、余念がないことはお前もまた明らかに知るところである。君公が下々の民を憐まれる高恩はこのようである。村の庄屋であるお前が漠然と関係ないもののようであるのは、またどういう心か。いやしくもお前に誠の心があるならば上は君の仁沢をわきまえ、昔からの庄屋として民を憐れんでかわいがり大事に育てる行いもなく、亡村にも等しい衰廃にも陥った過ちを後悔して、自分の一家の財産を減じ、節倹を尽して、貧しい人々に先立って貧しさに苦しむことを甘んじ、余分を生じて、荒れ地を開き、貧しい人々の飢えと寒さを救い、一村を再復する道に力を尽し、君の憂労を安らかにし、庄屋の本懐を達しようとこそ願うべきであるのに、何ということか、祖先以来の家を廃し、新たに家を作ろうとし、自分だけ安らかに過ごすことだけを計画し、なお足らない分の財産を借りて望みを遂げようとするのは過ちの上の過ちではないか。もし君からお前の行いを見られるならば、どうして忠義の心となされるであろう。村人が見れば、誰か怨みを生じないものがあろう。誰がそのよくないことをそしらないであろうか。上から不忠の咎めがあり、村人が皆怨んでそしるならば、たとえどのような立派な家屋を作っても、どうしてその家に安らかに住むことができよう。今、お前の作る家がひっくりかえったのならば、住むところがないからやむを得ない。たとえ家が古く損傷し傾いていても倒れたのではあるまい、どうして居住できないことがあろうか。貧しい人々の家を見るがよい、一日も風や雨を支えることができない。どうしてお前の家の類であろうか。しかし私に不足の金を借りようと求めなければ、私がその不可なることを教える暇がなかった。私に求めたがためにその過ちを諭すのだ。お前が私の言葉を正しいとするならば速やかに家を作ることを止めよ。そして私に借りないで、かりに二〇両を借りたとして、今から五年の間に返金してみよ。もし家を作るのを止め、常日頃において返金が難しいとする時は、多額の費用をもって家を作って、その後の返金はいよいよ難しい事は必然である。返金ができないことを知って借りるということは、私をあざむこうとするものだ。家を作ってなお返金が容易であれば、作らないで返金することは何の難しいことがあろう。試みに借らないで返納のみをするがよい。そうする時は、お前が自から村人を救い、廃れたり荒れたりするところを復興することができなくても、私が復興し与えるために、お前が力を添えて復興するのと同様である。庄屋は貧しい人々に先立って艱難をなめるべき任であるために、貧しい人々を安らかにできれば、その後にお前の望みもなし与えることができよう。そうであれば村人の怨望も何によって生じよう。誰がお前の行いを非としようか。もしこの言葉に随わなければ人望を失い、怨み言が起り、一家を保つことも難しいであろう」と。円蔵は大変感激して、速やかに家を作ることを止め、先生の教えに随って、借りないで毎年返金を納め、なお家業を勤めて利息も納め、それだけでなく屋敷の内の竹や木をきって売り払った対価を納めた。後に、横田村が全く興復し、貧しい人々が恵みに浴し、一人も居住を安らかにできないことがなくなってから、所領地の四千石中で最第一の家を作って、これを円蔵に与えた。入費百有余両、庄屋は大変喜んで、村人もまた共に喜んで、すこしも怨望の心がないのは、始め円蔵が借りない返金を立てた感心な行いがあったためである。先生はまた新たに家を作って、円蔵の子どもたち二人に与え、分家二軒を立てた。円蔵が感嘆することは限りがなかった。ああ、庄屋は一度先生の教えにしたがって不朽の大幸を得た。先生が平凡な人々を導いて感発させ、道を踏んで、過ちを改めるに至って、大いに仁恵を施し、諸人をしてすべてそのところを安らかにさせることは往々このようであった。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年07月13日
2022年7月12日(火)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【1】 先生墾田役夫を賞す ある時、物井村の荒地を開くこと数十町歩、この地の荒野に帰すること七、八〇年、大木が繁り、あたかも山林のようであった。村民だけの力では及ばないため、他国の者をも雇い、いばらを払い、高木を伐って、これを開いた。数月にして完成した。この時に当って、先生は朝には人夫がまだ来ないうちに出て、これを待って指揮し、夕べには人夫が帰るのを待ってその後に陣屋に帰った。人夫を使うことはあたかも手足を心のままに使うようであった。このため人夫が五十人であれば百人の働きを行い、百人であれば二百人の用を行った。人々はその功の迅速であることに感嘆した。これというのも民に先だって艱苦を尽し、その者が知恵があるか愚かかを計って、知恵のある者は人々の先とし、愚かな者はその分に応じて働かせ、力を尽した者はこれに褒美を与え、怠る者はこれを激励した。昔の名将が士卒に号令することも実にこのようであったであろうと人々は目を驚かせた。先生と共にこの場に出て、指揮する役人が三、四人いた。ある時、人夫の一人が衆にぬきんでて力を尽し汗を流し力を極めていた。小田原藩の役人はこれを見て大いに感じいって、彼は諸人より優れた働きをしている。このように力を尽すことはなんと感心な行いではないか。さだめて先生はこの者を褒め、必ず多くの人夫の励みとなされよう、早く褒められればよいがと心にこれを待っていた。先生は二度三度この者のところに来たが、その働きを見ても一言の褒め言葉もなかった。役人は大変これをいぶかしんで当惑した。しばらくして先生はまたここに来て、大きな声で叱責された。「お前は私をあざむこうとしてこのような働きをする。非常に不届きと言うべきだ。私がここに来れば力をきわめ、汗を流し、他に抜きんでた働きをする。私がこの場を去ればきっと怠るだろう。人の力は各々その限りがある。このように働いて、終日力を尽すならば、お前は一日で倒れてしまうことは疑いない。もしこのようにして一日中、筋骨が続く者であれば、私が一日中ここにいてこれを試してみよう。お前はよく行えるか」と問うた。人夫は大いに驚いて、地に伏して答えなかった。先生は言った。「お前のような正直でない者がいると人々が怠惰を生ずるのもととなる。人を欺いて事をなそうとする者は、私はこれを容赦しない。速やかに去って、再び来るな。」と言った。村の庄屋が二人進み出てその罪を謝罪させた。人夫は大いにその過ちを謝って慈愛をこうた。先生はこれを許された。人は皆先生の見るところが明らかであって、人の見るところと異なることを驚嘆した。時に人夫が一人、年すでに六十歳の者がいて、日々この場に来て開墾していた。一日中、木の根を掘って止まなかった。人が休んでも休まない。人がこれに休んだらというと、老人は答えて言った。「壮年の者は休んでも一日の働きに余りあります。私はすでに年老いて、力が衰えています。もし壮年の者と一緒に休むならば何の用をなしましょうか」と。小田原藩の役人はこれを見て、かの老人が日々木の根だけに心を用いるのは、開発の苦労を人と一緒にするのを嫌がっているからだ。日々の働きも他の人夫の三分の一にも及ばない。先生はなぜこんな無益の老人を退けないのか、明知の一失であると言って、ひそかにこれを嘲笑した。その後、数日で開墾は成就した。村民の労苦をねぎらい、他国の人夫を帰村させた。この時この年老いた人夫を陣屋に呼んで、先生自ら質問した。「お前の生れた国はどこか。」老人は答えて言った。「私は常陸国(茨城県)笠間領某村の農民です。家は貧乏ですが、私の子は既に成長しました。田を耕す事は子供に任せ、少しでも貧を補うために、あなた様が開墾されていると聞いてこの地に来ました。あなた様はこの老人を捨てられることなく、壮年の者と共に仕事を命じられました。また他の人と等しい賃銀をくださいました。その恵みは感動するに余りあります。」と言った。先生はここにおいて金一五両を与えて言った。「お前は人々にぬきんでて心をこめた働きをしたために、いささか褒美としてこれを与えるのである。」と。老人は大変に驚いて、金を頂いてから、謹んでこれを戻し、顔色を変えて言った。「あなた様の恩恵は身に余りますが、私がどうしてこの褒美に当りましょう。前にも申したように、老夫の力は、人夫の人一人に当るに足りません。そうであるのに等しく賃金を給わる、これをも身に余ることと存じます。今その実がないのに大金の褒美を得れば、私は身を置くところがありません。どうしてこれを本来の望みといたしましょうか。私は決して褒美に応じることはできません」と言った。先生は言った。「辞退してはいけない。私はこの地を再復するために多くの人夫を用いている。どうしてその人々の事実を察しないでみだりに事を行なおうか。お前の数月の働きを見るに、かつて自分の功績が顕われることを欲することがない。人々が皆起こしやすい地を選んで、争ってその開田が多いかを示そうとしているのに、お前独り人々が嫌うところの木の根をうがつのに力を尽し怠ることがなかった。人が休んでも休まず、これを問うと労力が足らないから休まないのだと。一日中、力を労しながらその労力も顕われないようであった。お前は人々が嫌うところに力を尽して木の根をうがつこと、その数を知らないほどだ。平易の開墾に比べれば、その労力は倍するであろう。そのお陰で開田が大いに速やかに進んだ。これは全くお前の誠実のなすところだ。これをも賞しないで、諸人とともに同視するならば、今後どうして土工の功績を挙げることができよう。お前は家が貧しいため他国に出て労力すると言った。しかし目前に与えるところの金銭でさえ辞退する、その廉直さは他人の及ぶところではない。今与えるところのお金は、天がお前の誠実さを憐れまれたと思い、速やかに持ち帰って貧苦を免れ、老いを養うの一端とするならば、私もまたこれを喜ぶ」と教えて再びこれを与えた。そこで老人は先生の言葉に感動し、涙を流して衣をうるおし、合掌し拝伏してお礼を言うことができなかった。再三金をおしいただいて故郷に帰った。小田原藩の役人と村民はともに始めて老人の常人ではなかったことを知って、先生が善人を賞することが厚く、その心の中が明敏であることを驚嘆したという。※桜町治蹟【五一】桜町の開墾に藤助という一老人、連日木の根のみ掘りて勉めたり。この時他の役夫は多く広き草のみの荒地を鋤き返せり。それ故役夫はその仕事人目に立ちて見えしが老人の方はさっぱり進まなかったが確かに骨は折れた。物井村の開墾ひとまず一段落をつげ役夫の帰国する際、翁は藤助に特に金一五両を賞与せり。翁は役夫の勤労者に対して目はしの行き届いて誤りなきには他の役夫も非常に感服せしという。この役夫は根っこの藤助とてその名高かりしものなり。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください朝、ひさしぶりに岩場を見渡せる場所で潮風を受けながら、ストレッチとスロースクワット。帰ってから、「静岡県報徳社事蹟」の報徳遠譲社の「本社支社社員数及資産」の表を整理する。当初は省略予定だったが、せっかく全部訳出するのだからと、エクセルで作成。エクセルの表計算機能で計を検算すると誤りを発見する。おそらくこの100年検算した人はいなかろう。当初表を載せても意味があるかなとも思ったが、表をみていると100年前の静岡県の報徳運動の広まりを数値はまざまざと見せつける。報徳訓は私の先人のおかげで私たちは今こうして幸せにしていられる。そして私たち自身の行いが後の世代の幸せにつながっている。努めよ譲れよ。後の世代のためにと考える。
2022年07月12日
2022年7月11日(月)報徳記巻の2[九]先生青木邑の貧民を教諭す その4貧民(ひんみん)良(やゝ)久(ひさ)しくして大(おほい)に感悟(かんご)し、悦(よろこ)びて曰(いは)く、高教(かうけう)に従(したが)ひて勉(べん)励(れい)せんと。先生(せんせい)直(たゞち)に唐鍬(たうぐは)を付与(ふよ)せり。是(これ)に於(おい)て生田(せいでん)を以(もつ)て負債(ふさい)を償(つぐな)ひ、挙家(きよか)開墾(かいこん)に尽力(じんりよく)し、年々(ねんねん)多分(たぶん)の産(さん)粟(ぞく)を有(いう)し、累年(るいねん)の貧苦(ひんく)を免(まぬが)れ、富饒(ふぜう)を得(え)たり。村民(そんみん)亦(また)之(これ)を感(かん)じ、互(たがひ)に勉強(べんきやう)し之(これ)が為(ため)に開墾(かいこん)頗(すこぶ)る速(すみや)か也(なり)。先生(せんせい)の教諭(けうゆ)を下(くだ)し、懶惰(らんだ)を改(あらた)め、勉業(べんげふ)と化(くわ)し、貧人(ひんじん)をして富(とみ)を得(え)せしめる者(もの)往々(わうわう)此(こ)の如(ごと)しと云(い)ふ。 高慶(こうけい)曰(いは)ク、青木村(あをきむら)ノ如(ごと)キ、衰頽(すゐたい)極(きはま)レリト謂(い)フ可(べ)シ。先生(せんせい)是(これ)ガ為(ため)メ深慮(しんりよ)遠計(えんけい)措置(そち)宜(よろしき)ヲ得(う)ルニ非(あらざ)レバ何(なに)ヲ以(もつ)テ窮餓(きうが)ヲ免(まぬが)ルゝヲ得(え)ンヤ。然(しか)リ而(しか)シテ先生(せんせい)能(よ)ク此(この)民(たみ)淳厚(じゆんこう)此(この)土(ど)墾闢(こんびやく)セシメ、則(すなは)チ天下(てんくわ)固(もと)ヨリ化(くわ)ス可(べ)カラザルノ民(たみ)無(な)ク、墾(ひら)ク可(べ)カラザルノ地(ち)無(な)キ亦(また)明(あきらか)カナリ。里(り)正(せい)勘右衛門(かんゑもん)ノ此(この)邑(むら)ニ在(あ)ル。譬(たと)ヘバ蓮(はす)ノ泥(でい)中(ちゆう)ニ在(あ)ルガ如(ごと)シ。若(も)シ勘右衛門(かんゑもん)微(なかり)セバ、則(すなはち)先生(せんせい)亦(また)何(なん)ゾ良法(りやうはふ)ヲ施(ほどこ)スコトヲ得(え)ン。古(いにしへ)ヨリ事(こと)ノ成否(せいひ)要(よう)スルニ其(そ)ノ人(ひと)ニ存(そん)ス。小邑(せういふ)猶(な)ホ然(しか)リ、況(いはん)ヤ焉(これ)ヨリ大(だい)ナル者(もの)ヲヤ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください台風余波か風が涼しい。早朝から蓮池には人出が大勢。海にそそぐ川の水が少なく砂地が広がっている。川の突堤の先端に立ってストレッチ→スロースクワット→呼吸筋ストレッチ→片脚立ちを行う、呼吸筋ストレッチは上半身だけなのでスロースクワットと相性がよい。家に帰って血圧を測ると下が88で高血圧の表示。その後家の部屋の中で呼吸筋ストレッチをしてから、再度血圧計画で測ると83と血圧が5ポイント下がって、高血圧の表示が消えている。ちょっとした合間にできるのがいい。
2022年07月11日
2022年7月9日(土)報徳記巻の2[九]先生青木邑の貧民を教諭す その3貧民(ひんみん)曰(いは)く、僅(わづか)に一挺(てう)の鍬(くは)を以(もつ)て富(とみ)を得(え)、借財(しやくざい)を返(かへ)すことを得(え)ば、何(なに)を以(もつ)て是(こ)の如(ごと)きの絶窮(ぜつきゆう)に至(いた)らんやと。先生(せんせい)諭(さと)して曰(いは)く、汝(なんぢ)富(とみ)を得(う)るの道(みち)を知(し)らざるが故(ゆゑ)に窮(きゆう)せり。夫(そ)れ天地(てんち)の運動(うんどう)頃刻(けいこく)の間断(かんだん)あるなし。是(これ)故(ゆゑ)に万物(ばんぶつ)生々(せいせい)息(やま)ず。人(ひと)之(これ)に法(のつと)り、間断(かんだん)なく勉励(べんれい)する天(てん)の運動(うんどう)の如(ごと)くならば、困窮(こんきゆう)を求(もと)むと雖(いへど)も得(う)べからず。汝(なんぢ)種々(しゆじゆ)の艱(かん)苦(く)ありと雖(いへど)も、畢竟(ひつきやう)農力(のうりよく)足(た)らず、怠惰(たいだ)に流(なが)れ、終(つひ)に窮乏(きゆうぼふ)に及(およ)べり。今(いま)我(わ)が教(をしふ)る所(ところ)に従(したが)ひ、一の唐(たう)鍬(ぐは)を以(もつ)て従来(じゆうらい)の廃地(はいち)を開墾(かいこん)し、老幼(らうよう)に至(いた)りては開田(かいでん)の草根(くさね)を振(ふる)ふべし。是(こ)の如(ごと)くして此(こ)の鍬(くは)の破(やぶ)るゝ迄(まで)に力(ちから)を尽(つく)さば、必(かなら)ず多数(たすう)の開田(かいでん)を得(う)可(べ)し。弥々(いよいよ)黽(びん)勉(べん)、此(こ)の開田(かいでん)を耕耘(かううん)せば、数年(すうねん)ならずして富(とみ)に至(いた)らん。何(なん)ぞや今(いま)汝(なんぢ)所有(しよいう)の田圃(でんぼ)を鬻(ひさ)ぎ、代価(だいか)を以(もつ)て宿債(しゆくさい)残(のこ)らず返却(へんきやく)せば負債(ふさい)頓(とみ)に消(せう)す。而(しか)して開田(かいでん)を耕(たがや)す時(とき)は十年(ねん)乃至(ないし)十五年(ねん)も無税(むぜい)也(なり)。是(これ)を以(もつ)て産粟(さんぞく)皆(みな)汝(なんぢ)の有(もの)となる。夫(そ)れ生地(せいち)の出(しゆつ)穀(こく)、其(そ)の半(なかば)は租(そ)となり、高掛(たかかゝ)りとなる。有(いう)税(ぜい)の田(た)を以(もつ)て負債(ふさい)を償(つぐな)ひ、無税(むぜい)の田(た)を耕(たがや)す時(とき)は、求(もと)めずと雖(いへど)も必(かなら)ず富(とみ)を得(う)ること疑(うたが)ふ可(べ)からず。是(これ)唐(たう)鍬(ぐは)一つを以(もつ)て富(ふ)優(いう)を得(う)る所以(ゆゑん)也(なり)。是(こ)の如(ごと)き安心(あんしん)自在(じざい)の村里(むらさと)に生(うま)れ、之(これ)を棄(す)て他郷(たきやう)に走(はし)り、安地(あんち)を出(い)で危地(きち)に入(い)る、何(なん)ぞ愚(ぐ)の甚(はなはだ)しきや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください。
2022年07月09日
2022年7月8日(金)報徳記巻の2[九]先生青木邑の貧民を教諭す その2 応(こた)へて曰(いは)く、貧苦(ひんく)既(すで)に迫(せま)り、負債(ふさい)償(つぐな)ふ能(あた)はず。且(かつ)其(そ)の督責(とくせき)に堪(た)へず。真(しん)に已(やむ)を得(え)ざれば也(なり)。何(なん)ぞ家産(かさん)を失(うしな)ひ故郷(こきやう)を去(さ)るを好(この)まんや。先生(せんせい)曰(いは)く、実(じつ)に汝(なんぢ)の心情(しんじやう)愍(あはれ)むべし。我(われ)今(いま)汝(なんぢ)に唐(たう)鍬(ぐは)を与(あた)へん。此(こ)の鍬(くは)を以(もつ)て貧苦(ひんく)を除(のぞ)き、負債(ふさい)を償(つぐな)ひ、富(ふ)優(いう)を得(え)よ。何(なん)ぞ此(こ)の地(ち)を去(さ)るに及(およ)ばんや。且(かつ)当邑(とういふ)には家屋(かをく)あり田圃(でんぼ)あり、然(しか)して尚(なほ)一家(か)を保(たも)つことを得(え)ず。他郷(たきやう)に至(いた)らば家屋(かをく)なく田圃(でんぼ)あるなし。何(なに)を以(もつ)て一日(にち)も生活(せいかつ)の道(みち)あらん。徒(いたづら)に道路(だうろ)に飢餓(きが)して其(そ)の斃(たふ)るゝを俟(ま)たん耳(のみ)と。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください木曜日午後8時からNHKのトリセツショーを最近よく見ている。昨日7月7日は、「呼吸」。ほとんどの人は肺を十分使っていない。肺は自分では呼吸出来ず筋肉を動かして呼吸している。そこで呼吸筋ストレッチすると深いゆっくりした呼吸筋肉ができるようになる。早速、朝のストレッチに加えて呼吸筋ストレッチを2セット、海を見ながらのストレッチは気持ちがいい(. ❛ ᴗ ❛.)「呼吸」の取り扱い説明書
2022年07月08日
2022年7月7日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2[九]先生青木邑の貧民を教諭す その1 青木邑(あをきむら)廃衰(はいすゐ)極(きはま)り、再(さい)復(ふく)の方法(はうはふ)を先生(せんせい)に請(こ)ふ。先生(せんせい)之(これ)を辞(じ)すること三年(ねん)、而(しか)して其(そ)の懇願(こんぐわん)止(や)まず、其(そ)の艱難(かんなん)殆(ほとん)ど亡村(ぼうそん)に及(およ)ばんとするを悲(かなし)み、己(やむ)を得(え)ずして、再興(さいこう)の方法(はうはふ)を下(くだ)す。一時(じ)貧民(ひんみん)老幼(らうよう)を携(たづさ)へ他郷(たきやう)に走(はし)らんとする者(もの)あり。先生(せんせい)之(これ)を察(さつ)し問(と)ひて曰(いは)く、汝(なんぢ)将(まさ)に此(こ)の地(ち)を去(さ)らんとするの意(い)あり。夫(そ)れ人情(にんじやう)故郷(こきやう)を思念(しねん)せざるものなし。暫時(ざんじ)他郷(たきやう)に至(いた)るも速(すみや)かに家(いへ)に帰(かへ)らんことを思(おも)ひ昼夜(ちうや)安(やすん)ぜず、遠路(ゑんろ)旅行(りよかう)の労(らう)に厭(いと)はず帰村(きそん)し始(はじ)めて安眠(あんみん)するを得(う)るにあらずや。且(かつ)当邑(たういふ)の如(ごと)きは幸福(かうふく)自在(じざい)の地(ち)なり。然(しか)るを祖先(そせん)以来(いらい)の家(いへ)株(かぶ)を棄(す)て、故郷(こきやう)を去(さ)らんとするものは何(なん)ぞや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年07月07日
2022年7月14日(木)報徳記巻の2現代語訳「報徳記」巻の2【3】物井村岸右衛門を導き善に帰せしむ 物井村に岸右衛門という者があった。少し才知があり、その性は吝嗇(りんしょく)で剛気であった。先生は桜町陣屋に来てから、日夜艱難苦行を尽し、衰村を興し、百姓を安んじようとされたが、これをあざけったりそしったりして、村人を先生の徳に帰せないようにした。自から大言を吐いて三味線をひき謡曲をうたって、再復の仕法に反する行いをなして歳月を送ること七年に及んだ。先生は寛大を主としこれを戒しめられなかったのは、自然に自分の非を知って、自ら後悔する時を待たれたのであろう。しかし先生の丹誠実業が、月を重ね年を経るに及んでますます厚く、功績は次第に顕われ、良法の良法たる理由が明白になったために、岸右衛門はこう思った。以前小田原からこの地を再復するために出張してきた役人は幾人もいるが、一年を待たないで退いたり、逃げ去ったりした。二宮氏が命令を受けて来ても、必ず前轍を踏むに違いない。たとえどのような仕法を下しても、この地の再興を成就できる方法などあるはずがないと思っていた。ところが七年に及んで、その丹誠はますます厚く、功験は日々に著しい。私がこのように仕法に敵対し、年を経るならば三村の再興は近年にも成り、罪人に陥るのも眼前である。今すぐ前非を謝り、一緒に復興事業に力を尽し、後の繁栄を取ったほうがよいと。そこで人を先生のところにやって、岸右衛門は仕法に感じ入って、力を尽そうと願っております、と言わせた。先生はその旧悪を咎めることなく喜んでその要請を許した。岸右衛門は陣屋に来て、先生の指揮に随って、丹精を尽しますと言った。先生は仕法の大意、人倫の大道をもって教えられた。岸右衛門は始めて広大の道理を聞いて大変感激し、これから日々村に出て指揮に随い、土功の率先となって、専ら力を尽した。しかし村人は岸右衛門の人となりをいやしんでその言葉を信じない。岸右衛門はとても憤悶した。先生は岸右衛門にこうさとされた。お前が前非を改めて上下のために尽力したとしても、人々がどうしてお前の本心を知ろうか。そもそも人の難しいとするところは私欲を去ることである。お前が私欲を去らなければ、人はこれを信じまい。岸右衛門は、教えに随って欲を捨てるには何を先にしたらよいでしょうかと尋ねた。先生は言われた。お前の貯えてきた金銀や器財を出し、貧乏で苦しむ人々を救助する資金としなさい、また田畑をすべて売払ってその代金を救助のために差し出しなさい。私欲を去り私財を譲り、村人のために力を尽す、人としての善行はこれより大きいものはない。人の人たる道は、己れを棄てて人を恵むことより尊いものはない。しかしお前の旧来の所行は、ただ自分を利そうとするだけであった。自分を利して他を顧みないのは、けだものの道である。人と生れて一生鳥獣と行いを等しくすることは、なんと悲むべき至りではないか。今、私の言葉に随って、けだものの行いを去り、人道の至善を行う時は、お前の心は私欲の汚れを去って清浄に帰し、諸民もまたこれを見てその行いに感じいって、お前を信ずることは何の疑いもない、と教えた。岸右衛門は憂いと喜びが交互にきて決断することができなかった。一つはこの善道を踏もうと欲し、一つには一家を廃することを憂えたためである。先生は教えられた。お前の心が決することができないわけは、一家を失い、父母や妻子を養う道がなくなるのを憂慮するからではないか。お前がひたむきにこの善道を踏もうとし、一家田畑ともになげうって、非常の行いを立てるに及んで、私がどうしてその飢渇を見て、お前が倒れるのを黙って待っていようか。お前はお前の道があり、私には私の道がある、三村の興廃は私の一身に関することだ。定職を持たず素行の悪い者が自分の行いで一家を失うのでさえ、教え育ててこれを再復し、安らかにしている。そうであるのに今お前が上は殿様のため、下には民のために昔からの家財をなげうって、かわいがり大事に育てる道を行う。このような感心な行いの者を道路に飢えさせれば、私は三村の復興する任務をどうして達成できよう。ただお前の一心が私欲を去ることができず、生涯鳥獣とレベルを同じくして、空しく腐ちていくことを歎くだけであると、愁いに沈んでかわいそうに思う心が顔つきに溢れた。岸右衛門はこの一言に感じて、意を決して、こう答えた。先生は私を憐んで、教えるに君子の行いをもってされました。恩義の大きいことは譬えようがありません。すぐに教えに随って、この人道を踏みましょうと。直ちに家へ帰って、この道を父母妻子に説いた。家族は大変に驚いて、なす所を知らず、あるいは悲泣した。岸右衛門は疑念が生じて、婦女子を諭すことができず、人を先生のもとにやって告げさせた。先生は歎じて言われた。これは岸右衛門の一心にあって婦女子にあるのではない。岸右衛門の心が、目前の欲におおわれているだけだ、ああ小人はもともと君子の行いを踏むことはできない、私がこのような者に教えたことは私の過ちである、と大息された。その人は帰って岸右衛門にその旨を告げた。岸右衛門はむすっとして言った。実に私の心が定らないからであって、家族にはないと。きっぱりと田畑や器財を売払って、百余両を持って、陣屋に来て言った。不肖の私がどうして百姓をかわいがり大事に育てる大道を行うことができましょう。願わくはこれをあなた様の慈しみあわれむ事業の財産に加え人々をかわいがり大事に育ててくださいと言った。先生はその志を賞賛して、この要請に応じられた。そこで岸右衛門にこう言われた。お前は今日から力を尽して荒れ地を起こすがよいと命じ、開墾させた。先生もまた人夫使って開発させ、たちまち数町の田を開いて、これを岸右衛門に与えて言われた。この開田はお前がこれまで保有していた田に勝っている。今年からこの田を耕すがよい。もとの田は五公五民で収穫した米が百俵であれば租税が高く掛って五十俵を出したであろう、この開田は百俵を生ずれば百俵ともにお前のものとなる。七、八年を経なければ貢税を出す必要がない。お前が貢税の田を売払って貧窮の人々を救助し、無税の田を得てこれを耕すならば、一家の生産は以前に倍しよう。これをこれ両全の道というのだと教えられた。岸右衛門は始めて先生の処置の深遠であること驚いて、大変に喜んで力を尽した。外には村人の信用を得て、内には富が以前に倍する幸いを得たのは皆先生の良法によるという。 ※「岸右衛門は熱心な不二孝の仲間で、文政六年仕法着手の時から度々表彰を受け、年末には年貢一年間免除・領主直書の褒賞も得ている。文政十二年、先生行方不明の際は、有志一三名と共に出府して仕法継続を嘆願した。以後仕法世話係として活躍、天保五年には一代名主格を申し付けられた。」(「補注報徳記」p.84)【4】凶年に当り先生厚く救荒の道を行ふ時に天保四年(一八三三年、先生四七歳)、初夏季節が不順で幾日も雨が降り続いて止まなかった。先生がある時、ナスを食べたところその味が常と異っていて、あたかも秋の末のナスのようであった。先生は箸を投げられて言われた。今、時は初夏に当っている、それなのにこのナスが既に秋の末の味をしているのはただごとではない。これを考えるに陽の気が薄く、陰の気が既に盛んである。どうして米が豊熟することができよう。予め非常に備えなければ百姓は飢渇の憂えにかかろう。そこで三村の民に命令して言った。今年は五穀はよく実ることはできない、予め凶荒の備えを行え。一戸ごとに畑一反歩の貢税を免除するから、すぐにヒエを蒔いて飢渇を免れる種とせよ、ゆるがせにしてはならないと。諸民はこれを聞いて笑った。先生が明知あるといって、どうして予め年の豊凶が知りえよう。戸ごとに一反歩のヒエを作れば、三村では膨大なヒエとなろう。どこにこれを貯えるのか。それにヒエなど昔から貧苦に迫られても、まだ食べたことがない。今これを作ったとしても食べることはあるまい。そうであれば無用のものというべきだ。たとえ人に与えても誰がこれを受けよう。しようもないことを命令するものかなと嘲った。しかし貢税を免除して作らせる。これに背けば必ず命令を用いない咎めがあろうと、やむを得ずすぐにヒエを作り、無益の事をさせるものだと恨みを抱く者があった。しかし盛夏になっても降雨が多く冷気が続き、遂に凶歳となり、関東奥羽の飢民は数えることができないほどだった。この時に当って三村の民はヒエで食の不足を補い、一人の民も飢えに及ぶ者はなかった。始めて先生のすぐれた智恵で予め凶荒を計って、しもじもの民を安らかにさせようとする深意を知って、自分たちの知の浅さを悟り、かつて無益の事とし、命を生かす命令を嘲笑したことを後悔し、大いにその徳を称揚した。翌年になって、先生は再び命令を下して言われた。「天運には数があり饑饉となること、遅くして五〇年から六〇年、早くて三〇年から四〇年に必ず凶荒がくる。天明の時以来を考えるに、飢饉が来る時期である。去年の凶荒はそれほどひどくはなかった。まだその数に当るに足りない。必ず今一度大飢饉が来ること、近年にあろう。お前たちは謹んでこれ備えよ、今年より三年の間、畑の貢税を免除すること去年のようにするから、家々心を用いて、ヒエを植えて、予め飢渇の憂いを免れるがよい。もし怠る者があれば庄屋はこれを察し、私に告げよと命じた。三村は去年の予見が明らかなことに驚き、また飢渇の害を免れていたから、謹んで命令に従って、肥料をほどこして作った。このようにして三年で三村のヒエは数千石の備蓄ができた。天保七年になって、五月から八月まで冷気・雨天が続き、盛夏でも北風の寒さは皮膚を切るようであった。常に着物を重ね着した。この年大飢饉になった。実に天明の大飢饉の年をはるかにこえているところがあった。関八州・奥羽は飢えた人々がおびただしく、飢え死にした人が道路に横たわり、行く人はしめやかに顔をおおって通り過ぎた。この時に当って桜町三村の民だけがこの憂いを免れた。先生は三村を一戸ごとに回って、無難の者、中難の者、極難の者と、三段階に分けて、老少男女を選ばず、一人に雑穀を交えて、五俵ずつとし、その数に満たない者は補ったり、与えて、一戸五人であれば二五俵、十人であれば五十俵、一五人であれば七五俵を備えた。貧者は豊年でもこのように豊かなことはなかった。先生はこう諭された。今年は飢饉のために飢え死にすることを免れない者が幾万人もいる。誠に悲痛のきわみに堪えないところだ。ところがお前達はこのように処置していたために、一人の民も飢渇の憂いがなく、平年と同じようである。これに安んじ、安座して食べる時は、冥罰の程が恐ろしい。お前達は世間の人の飢渇を察し、朝は未明に起きて縄をない、日々田畑に力を尽し、来年の田畑の培養の備えを厚くし、夜はまた縄をない、ムシロを打って、来年十分の作物を得たならば、家ごとにいよいよ永続の根本となり、天災が変じて大きな幸せとなることであろう、必ず怠ってはならないと教えられた。三村の民は大いに感動し、専ら家業を勤めて、また一段の幸いを得たという。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年07月06日
2022年7月6日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その17是(こゝ)に於(おい)て溝恤(こうきよく)を浚(さら)へ、新渠(しんきよ)を穿(うが)ち、水(みづ)を漑(そゝ)ぐ。闔邑(かふいふ)の田(た)に充満(じゆうまん)、余水(よすゐ)隣邑(りんいふ)高森村(たかもりむら)の田(た)に及(およ)び旱魃(かんばつ)に白雨(はくう)を得(う)るが如(ごと)し。民(たみ)大(おほ)いに悦(よろこ)ぶ。是(こゝ)に於(おい)て孝悌(かいてい)篤実(とくじつ)善良(ぜんりやう)の民(たみ)を選(えら)み投票(とうへう)せしめ、大(おほ)いに之(これ)を賞(しやう)し、貧民(ひんみん)を撫恤(ぶじゆつ)し、道(みち)を作(つく)り、橋(はし)を架(か)し、農(のう)馬(ば)農具(のうぐ)を給(きふ)し、負債(ふさい)を償却(しやうきやく)し、人倫(じんりん)の道(みち)を教諭(けうゆ)し、旧染(きうぜん)の汚俗(をぞく)を洗(あら)ひ、淳厚(じゆんこう)の風(ぷう)に化(くわ)し、奢侈(しやし)懶惰(らんだ)を改(あらた)め、専(もつぱ)ら勤(きん)業(ぎふ)節倹(せつけん)を行(おこな)ひ、開墾(かいこん)に従事(じゆうじ)し、百年(ねん)の廃(はい)蕪(ぶ)悉(ことごと)く開(ひら)け、産(さん)粟(ぞく)許多(きよた)、多年(たねん)の絶(ぜつ)窮(きゆう)を免(まぬが)れ、租税(そぜい)従(したが)つて増倍(ぞうばい)し上下(じやうげ)富饒(ふぜう)を得(え)たり。天保(てんぽう)七申(さる)の大飢(だいき)に及(およ)び男女(だんぢよ)老幼(らうえう)を別(わか)たず。一人(り)に付(つき)雑穀(ざつこく)共(とも)に五苞(へう)を与(あた)へ、民食(みんしやく)平年(へいねん)よりも豊(ゆた)かならしむ。民(たみ)大(おほ)いに感銘(かんめい)し益(ますます)励(れい)業(げふ)す。遠国(ゑんごく)の亡民(ぼうみん)来集(らいしふ)し、之(これ)を撫育(ぶいく)し、戸口(ここう)を倍(ばい)し、全(まつた)く旧復(きうふく)せりと云(い)ふ。先生(せんせい)良法(りやうほふ)の下(くだ)る所(ところ)、皆(みな)是(こ)の如(ごと)し。素(もと)より拙文(せつぶん)巨細(こさい)を挙(あ)ぐる能(あた)はず。実(じつ)に其(そ)の概略(がいりやく)を記(き)するのみ。 令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください天気予報では朝から雨の予報が曇り。よかった。不燃ゴミ、雑誌類などたくさん運ぶ。海岸に出ると。すっかり晴れ間が広がる。ひまわり畑の近くに赤い蟹🦀がいて竹垣を這い上がている。サイクリングして、こうしてたまに生き物と親しい出逢いがあると楽しい。今朝は夢見もよかったし(θ‿θ)
2022年07月06日
2022年7月5日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その16或(ある)人(ひと)先生(せんせい)に問(と)ひて曰(いは)く、古今(ここん)闔国(かふこく)の用水堰(ようすゐせき)其(そ)の数(すう)幾(いく)千万(まん)、未(いま)だ聞(き)かず屋根(やね)を作(つく)り水(みづ)を防(ふせ)ぐ者(もの)を、夫(そ)れ何(なん)の故(ゆゑ)ぞや。先生(せんせい)曰(いは)く、川底(かわそこ)両岸(りやうがん)皆(みな)細砂(さいしや)、元(もと)より木石(ぼくせき)の保(たも)つ能(あた)はざる所(ところ)也(なり)。夫(そ)れ水(みづ)を防(ふせ)がんとして堤防(ていぼう)を築(きづ)くも、蟻穴(ぎけつ)猶(なほ)破壞(はくわい)するに足(た)る。我(われ)思(おも)ふに茅屋(ぼうをく)雨水(うすゐ)を防(ふせ)ぎて洩(もら)さず、何(なん)ぞ流水(りうすゐ)を防(ふせ)がざらんや。是(これ)此(こ)の堰(せき)を作(つく)る所以(ゆゑん)なりと。先生(せんせい)事(こと)に臨(のぞ)みて其(そ)の術(じゆつ)を施(ほどこ)すの神(しん)算(さん)窮(きはま)り無(な)し。初(はじ)め此(こ)の役(やく)を挙(あぐ)るや、始終(しじゆう)多(おほ)く酒餅(しゆへい)を設(もう)け、酒(さけ)を好(この)む者(もの)は之(これ)を飲(の)め、酒(さけ)を好(この)まざるものは餅(もち)を食(しよく)せよ。惟(たゞ)過(くわ)酒(しゆ)す可(べ)からず。過(くわ)酒(しゆ)すれば用(やう)を為(なさ)ず。半日(はんにち)働(はたら)きて止(や)めんとする者(もの)は、一朱(しゆ)を受(う)けて家(いへ)に帰(かへ)りて休(きう)すべしと。役(えき)夫(ふ)大(おほひ)に悦(よろこ)び其(そ)の労(らう)を忘(わす)る。時人(ときのひと)此(こ)の役(やく)を唱(とな)へて極楽(ごくらく)普請(ふしん)と云(い)ふ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年07月05日
第26話「悲しむ前に」義時「私のやるべきことは、すべて終わりました。長い間、ありがとうございました。私はこれで、鎌倉を離れます。私は頼朝様のために、この身を捧げて参りました。頼朝様が亡くなった今、ここにいる意味はありません。頼朝様に憂いなく旅立っていただくことが、私の最後の仕事と思っておりました。私は伊豆へ帰ります。米の勘定をしながら、ゆっくりと過ごします。これからの鎌倉に私は要らぬ男です」政子「頼家を助けてやってちょうだい。あなた、卑怯よ!わたくしにすべて押し付けて、自分だけ逃げるなんて。あなたに言われて腹を括ったんですから、少しは責任を持ちなさい!これまで頼朝様を支えてきたように、これからはわたくしを支えてください。お願い」政子は義時に小さな観音像を手渡す。それは「臨終出家」の際、三善康信が頼朝の髻(もとどり)を切ると出てきたもの。頼朝は幼い頃、乳母・比企尼に小さな観音像をもらい、髻に入れていたもの。比企尼には「観音様は捨て申した。挙兵の時、源氏の棟梁として甘く見られてはならぬと」と告げていた。 義時「姉上…」 政子「鎌倉を見捨てないで。頼朝様を。頼家を」💛この時に頼朝の後家・政子と義時の日本の政治支配が始まったのかもしれない。これは卑弥呼とその弟の古代日本の政治体制に似ている。その後も推古天皇と聖徳太子の飛鳥文化、持統天皇と藤原不比等による大宝律令など優れた政治文化体制確立の時に類似の現象が起こっている。日本という国は、大きな時代の転換点をむかえるとき、天照ラス大御神の伝統がよみがえるのかもしれない。
2022年07月04日
2022年7月4日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その15先生(せんせい)曰(いは)く、汝等(なんぢら)速(すみやか)に両岸(りやうがん)の木石(ぼくせき)を屋上(をくじやう)に投(たう)ぜよと。衆(しゆう)協力(けふりよく)大石(たいせき)、大木(たいぼく)を投(たう)じ畢(をは)る。然(しか)して後(のち)工匠(こうしやう)をして其(そ)の上(うへ)に堰(せき)を作(つく)らしむ。大小(だいせう)二つの水門(すゐもん)を設(まう)け、小水(せうすゐ)には小門(せうもん)を開(ひら)き、大水(だいすゐ)には両(ふた)つながら開(ひら)きて以(もつ)て洪水(こうずゐ)の憂(うれ)ひ無(な)からしむ。茅屋(ぼうをく)を以(もつ)て両岸(りやうがん)水底(すゐてい)の細(さい)砂(しや)を閉塞(へいそく)するが故(ゆゑ)に水(みづ)更(さら)に漏(ろう)洩(えい)せず。古来(こらい)此(こ)の如(ごと)き堰(せき)を見(み)ず。遠近(ゑんきん)来集(らいしふ)し、大(おほ)いに其(そ)の奇功(きこう)且(かつ)神速(しんそく)成功(せいこう)を驚歎(きやうたん)し、凡(ぼん)智(ち)の及(およ)ばざる処(ところ)を称(しやう)す。初(はじ)め衆(しゆう)皆(みな)謂(いへら)く此(こ)の役(えき)五旬(じゆん)に非(あら)ざれば功(こう)を竣(をは)ること能(あた)はずと。然(しか)るに事(こと)を挙(あ)ぐるより僅(わづ)かに旬(じゆん)日(じつ)にして、全(まつた)く成(な)る。故(ゆゑ)に往年(わうねん)百余(よ)金(きん)にあらざれば成(な)すこと能(あた)はざるを、今(いま)用費(ようひ)其(そ)の半(なかば)を費(ついや)さずして堅固(けんご)比(ひ)無(な)し。爾来(じらい)数(すう)十年(ねん)屡(しばしば)洪水(こうずゐ)ありと雖(いへど)も些(すこし)も動(うご)かず。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください6月30日のプレバトで犬山紙子さんが75点という高得点で特待生復帰、犬山さんが炎帝⑤1位になった句は日盛りや母の二の腕は静謐でお母様の入院の日々の状況を切り取った句だった。そしてお母様の死で句が生まれた。実体験の深い悲哀がこもっているだけにこれもまたお母様のご加護かも。
2022年07月04日
豊川市立図書館中央 開 通常一般 利用可 0000825984 289.1/ト/21台湾では二峰圳百周年を祝ってこの7月に記念行事が行われ、産業界も記念の商品を続々発売している。日本では袋井市役所で展示を行っているが、ゆかりの徳島県での関心がなく、日本全般での盛り上がりが薄いのが悲しい。愛知県図書館1件資料で読む技師鳥居信平著述集2021.4岡崎市1件資料で読む技師鳥居信平著述集 台湾の地下ダムの原点は徳島県技師時代にある2021.4豊川市1件資料で読む技師鳥居信平著述集2021.4名古屋市1件資料で読む技師鳥居信平著述集 台湾の地下ダムの原点は徳島県技師時代に・屏東県政府の「二峰圳百年シリーズ」は、延期されていましたが、7月23日から4週連続で土日を中心に1人100元からツアーを開始することにしました。県政府は、日本統治時代に台湾糖業公司が水利技師・鳥居信平を任命し、現在の来迎郷周辺に二峰圳を建設し、地下集水回廊などで森林渓流の流れを遮断し、運河を利用して屏東平原の灌漑とサトウキビ栽培を行ったことを指摘している。今年、県政府は二峰圳の100周年を記念して、一連の活動を計画しています。 文化庁によると、台湾の万隆空港の1号井戸から分水までの全長3,252mの水路が、国の水利施設の文化的景観に登録されたそうです。 読書活動は林辺渓の2号取水口からスタートし、部落を巡りながら二峰圳の物語を学びます。活動は文化歴史ツアー(1人100元)と親子ツアー(1人と子供1人150元)に分かれており、申し込みは20~30名までとなっています。文化庁では、現地での朗読のほか、7月23日から8月28日まで、日本統治時代の二峰圳建設の設計図や、鳥居信平が昭和11年の日本農会会議に参加した際の手帳などの貴重な遺品や写真などを展示する「二峰伏流-屛東FLOW」特別展を開催する予定です。 展示時間は、休館日の月曜日を除く毎日9:30~17:30です。・台湾の地下ダム「二峰圳(にほうしゅう)」通水100年記念パネル展2022年06月21日袋井市出身の偉人、鳥居信平(とりいのぶへい)氏が築いた地下ダム「二峰圳」が今年で通水百年を迎えます。鳥居氏の功績を称え、二峰圳を通した相互の交流、屏東県のさらなる発展に向けて、屏東県政府は7月23日(土曜日)から約1ヶ月かけて様々な記念イベントを実施します。袋井市も、市役所、月見の里学遊館、袋井図書館においてパネルの展示及び図書の紹介を行います。市役所(1階市民ホール)二峰圳断面模型の展示屏東県の紹介ポスター台湾と袋井市の交流の紹介ポスター鳥居信平氏と二峰圳のパネル展示台湾製糖株式会社初代社長 鈴木藤三郎氏(森町出身)のパネル展示 など月見の里学遊館(市民サロン)鳥居信平氏と二峰圳のパネル展示袋井図書館鳥居信平氏や二峰圳に関する図書の紹介静岡理工科大学留学生作成のポスター「鳥居信平 胸像の物語」展示
2022年07月02日
2022年7月1日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その12里正(りせい)村民(そんみん)雀踊(じやくやく)欣喜(きんき)の高恩(かうおん)を謝(しや)す。先生(せんせい)邑(むら)の水理(すゐり)を熟見(じゆくけん)し、桜川(さくらがは)の水勢(すゐせい)を察(さつ)し、然(しか)る後(のち)、東山(ひがしやま)に登(のぼ)り、山(やま)の中央(ちゆうおう)を穿(うが)ち岩石(がんせき)を得(え)たり。直(たゞち)に邑民(いふみん)隣邑(りんいふ)の者(もの)を集(あつ)め、速(すみやか)に木石(ぼくせき)を運搬(うんぱん)せしむ。役夫(えきふ)に諭(さと)して曰(いは)く、建築(けんちく)迅速(じんそく)ならざれば出水(しゆつすゐ)計(はか)り難(がた)し。若(も)し半途(はんと)にして出水(しゆつすゐ)の為(ため)に流(りう)失(しつ)せば前功(ぜんこう)忽(たちま)ち水泡(すゐはう)に帰(き)すべし。故(ゆゑ)に非常(ひじやう)の尽力(じんりよく)に非(あら)ざれば成(な)すべからず。役夫(えきふ)の雇銀(やとひぎん)一日(にち)米(こめ)一升(しよう)二合(がふ)銭(ぜに)二百を常(つね)とす。今日(こんにち)の役(やく)は常時(じやうじ)と異(こと)なり、故(ゆゑ)に一日(にち)金(きん)二朱(しゆ)を与(あた)ふべし。力(ちから)足(た)らざる者(もの)は半日(はんにち)の働(はたら)きを以(もつ)て一朱(しゆ)を与(あた)ふ。若(も)し懶惰(らんだ)にして勤(つと)めざる者(もの)あれば勤働(きんどう)者の妨害(ぼうがい)たり。即時(そくじ)之(これ)を退(しりぞ)かしむべし。半日(はんにち)の働(はたらき)も為(な)し難(がた)きものは役夫(えきふ)に加(くは)ふ可(べ)からずと。衆(しう)皆(みな)悦(よろこ)びて指揮(しき)に随(したが)ひ大(おほい)に勉励(べんれい)、東山(ひがしやま)より岩石(がんせき)材木(ざいもく)を桜川(さくらがは)の両岸(りやうがん)に運搬(うんぱん)し、不日(ふじつ)にして達(たつ)す。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください男前 田良島さんの名言「分かってても、分かってないふりをした方がいいこともある。世の中は不公平で理不尽なことが沢山ある。時代の流れで思わぬ方向に人生が変わってしまったり、惚れ合ってるのに結ばれないなんてこともある。『頑張れば、必ずハッピーエンドになる!』わけでもない。頑張っても頑張ってもどうにもならないことがあるのが人生。…だけどね、『明日はきっといい日になる』と思うことが大事。何があっても諦めないで、どうすれば少しでも楽しく希望をもって生きていけるか。料理作りも新聞作りも、そんな思いを込めてやってるんじゃないかなあ?」
2022年07月01日
喪服着て メロンソーダの 列に居る犬山紙子さん特待生復帰75点の高得点お母さまがなくなって、あわただしい日常をきりとる喪服とメロンソーダ(死と生)黒と青の対比が読む者に届く 名句以前のグランプリもお母さまの入院時の日常を切り取ったものお母さまのおかげ(^^)藤本敏史さんの俳句は2段階アップ雲の峰 ぱんっと乾いた ピザの薪
2022年06月30日
2022年6月30日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その11先生(せんせい)曰(いは)く、邑中(いふちゆう)の田(た)悉(ことごと)く蕪(ぶ)す、之(これ)を開(ひら)かずんば何(なに)を以(もつ)て衣食(いしよく)を得(え)ん。汝(なんぢ)等(ら)之(これ)を開拓(かいたく)することを得(う)るや否(いな)や。若(も)し邑中(いふちゆう)憤発(ふんぱつ)開墾(かいこん)する時(とき)は我(われ)も亦(また)力(ちから)を尽(つく)して難場(なんば)の堰(せき)を堅築(けんちく)し、田水(たみづ)十分(ぶん)ならしむべしと。是(こゝ)に於(おい)て里正(しやうや)其(そ)の他(た)大(おほ)いに悦(よろこ)び、開拓(かいたく)の難(かた)きに非(あら)ず。惟(たゞ)用水(ようすゐ)無(な)きを憂(うれ)ふる而己(のみ)。先生(せんせい)の深慮(しんりよ)を以(もつ)て彼(か)の廃堰(はいせき)成就(じやうじゆ)すること有(あ)らば、速(すみや)かに斯(こゝ)に従事(じゆうじ)せんと踊躍(ようやく)して邑(むら)に帰(かへ)り、此(こ)の事(こと)を告(つ)ぐ。男女(だんぢよ)老幼(らうえう)皆(みな)歓喜(くわんき)、直(たゞち)に開田(かいでん)に勉励(べんれい)し、数月(すうげつ)ならずして累年(るゐねん)の荒蕪(くわうぶ)大半(だいはん)を開墾(かいこん)せり。是(こゝ)に於(おい)て先生(せんせい)始(はじめ)て青木(あをき)村(むら)に至(いた)り、毎戸(まいこ)の勤惰(きんだ)風俗(ふうぞく)を察(さつ)し、開田(かいでん)の成(な)るを見(み)て曰(いは)く、開拓(かいたく)の速(すみやか)なる実(じつ)に邑中(いふちゆう)の憤発(ふんぱつ)に由(よ)れり。前日(ぜんじつ)の懶惰(らんだ)も汝(なんぢ)等(ら)なり、今日(こんにち)の勉強(べんきやう)も汝(なんぢ)等(ら)なり。一人(り)にして其(そ)の勤惰(きんだ)相反(あいはん)する黒白(こくはく)の如(ごと)きものは、勤(つと)むると惰(おこた)るとの二つにあり。善悪(ぜんあく)、貧富(ひんぷ)、盛衰(せいすゐ)、存亡(ぞんぼう)皆(みな)此(こ)の如(ごと)くならざる者(もの)無(な)し。故(ゆゑ)に富道(ふだう)を行(おこな)へば必(かなら)ず富(と)み、貧道(ひんだう)を行(おこな)へば必(かなら)ず貧(まづ)し。唯(たゞ)邑(いふ)民(みん)行(おこなひ)に由(よ)りて禍福(くわふく)吉凶(きつきよう)の差(さ)あり。今(いま)旧来(きうらい)の懶惰(らんだ)を改(あらた)め、斯(かく)の如(ごと)く尽力(じんりよく)し、永(なが)く勤動(きんどう)を失(うしな)はざれば、邑(むら)の再興(さいこう)何(なん)の難(かた)きことか有(あ)らんや。我(われ)前日(ぜんじつ)の約(やく)の如(ごと)く難場(なんば)の堰(せき)を築(きづ)き、十分(ぷん)の田(た)水(みづ)を此(こ)の開田(かいでん)に漑(そゝ)ぎ与(あた)ふ可(べ)しと。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町「みっともない自分から逃げるな。どうなるにせよ、ちゃんともだえ苦しめ」第10週「あの日、イカスミジューシー」(第49回)東洋新聞デスクの田良島「時代の流れで思わぬ方向に人生が変わってしまったり、ほれ合ってるのに結ばれないなんてこともある」「がんばってもがんばっても、どうにもならないことがあるのが人生」「だけどね…“明日はきっといい日になる”と思うことが大事」💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月30日
2022年6月29日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その10先生(せんせい)曰(いは)く、邑中(いふちゆう)社寺(しやじ)民屋(みんをく)悉(ことごと)く新葺(しんふき)、雨漏(うろう)の憂(うれひ)なく、且(かつ)火(くわ)災(さい)を免(まぬが)れ安居(あんきよ)を得(え)たり。我(わ)が方法(はうはふ)の如(ごと)きは汝(なんぢ)等(ら)の行(おこな)ひ得(う)べきに非(あら)ず、必(かなら)ず止(や)むべしと。村民(そんみん)答(こた)へて曰(いは)く、廃(はい)亡(ぼう)に等(ひと)しき難(なん)村(そん)再興(さいこう)の幸福(かうふく)を得(う)るに至(いた)らば、永年(ながねん)の安堵(あんど)何事(なにごと)か之(これ)に如(しか)んや。方法(はうはふ)中(ちゆう)の艱(かん)苦(く)何(な)んの堪(た)へ難(がた)きことか之(こ)れ有(あ)らん。願(ねがは)くは、邑中(いふちゆう)の困苦(こんく)を憐(あはれ)み、再(さい)復(ふく)の方法(はうはふ)を施行(しかう)し玉(たま)へと懇請(こんせい)息(や)まず。先生(せんせい)曰(いは)く、邑中(いふちゆう)の田(た)悉(ことごと)く蕪(ぶ)す、之(これ)を開(ひら)かずんば何(なに)を以(もつ)て衣食(いしよく)を得(え)ん。汝(なんぢ)等(ら)之(これ)を開拓(かいたく)することを得(う)るや否(いな)や。若(も)し邑中(いふちゆう)憤発(ふんぱつ)開墾(かいこん)する時(とき)は我(われ)も亦(また)力(ちから)を尽(つく)して難場(なんば)の堰(せき)を堅築(けんちく)し、田水(たみづ)十分(ぶん)ならしむべしと。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください連日暑い。河口の砂州には犬に水遊びさせる人が大勢。先日、ちむどんどんで『ありがとうとごめんなさいが大きな声で言えるのがのぶこのいい所』と。知行合一とは実行出来たことが本当に知るということきのうはごめんなさい。・・・・・・
2022年06月29日
2022年6月28日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その9先生(せんせい)曰(いは)く、吾(われ)今(いま)民屋(みんをく)の雨漏(あまもり)を除(のぞ)き与(あた)ふべし。村社(そんしや)堂寺(だうじ)は如何(いかん)。答(こた)へて曰(いは)く、家々(いへいへ)斯(かく)の如(ごと)し。何(なに)の余(よ)力(りよく)か斯(こゝ)に及(およ)ばん、破漏(はろう)特(とく)に甚(はなはだ)し。先生(せんせい)曰(いは)く、村社(そんしや)堂寺(だうじ)は一邑(むら)保護(ほご)の神仏(しんぶつ)安置(あんち)する所(ところ)也(なり)。然(しか)るに此(こ)の如(ごと)くならば邑(いふ)民(みん)何(なに)を以(もつ)て繁栄(はんえい)するの道(みち)あらん。速(すみや)かに屋敷(やしき)を細記(さいき)して来(きた)る可(べ)しと。民(たみ)唯々(いゝ)として退(しりぞ)き家屋(かをく)の調(しら)べを持(も)ちて来(きた)る。先生(せんせい)物(もの)井(ゐ)の里正(しやうや)其(そ)の他(た)に命(めい)じ、行(ゆ)きて速(すみや)かに修葺(しうしふ)せしむ。数日(すうじつ)にして社寺(しやじ)民屋(みんをく)悉(ことごと)く新葺(しんふき)畢(をは)れり。近隣(きんりん)の邑(いふ)民(みん)、往来(わうらい)の者(もの)に至(いた)るまで目(め)を驚(おどろ)かすに至(いた)る。青木(あをき)の里正(しやうや)村民(そんみん)意外(いぐわい)の恩恵(おんけい)を悦(よろこ)び、桜町(さくらまち)に来(きた)りて其(そ)の恩(おん)を謝(しや)す。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください昨日爆笑問題の番組が興味深かった。太田さんが夫人と同棲した時に結婚するつもりはなかった。婦人がデパートのイベントでコンピューターの相性占いをしたら100パーセントと出て今すぐ帰って結婚しなさいと出た。係の人は今までこんなのは出た事ないと何度も繰り返したが同じ回答。夫人は帰って「こんなの出たけどどうする?」「別にいいよ」ということで籍に入れた。占いが背中を押してくれることもある。そういえば浜松で最初の報徳社が出来たきっかけも伊勢神宮での大吉の御籤にあったな。結構占いは歴史を動かして来たのかも
2022年06月28日
2022年6月27日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その8 是(こゝ)に於(おい)て邑(いふ)民(みん)悦(よろこ)びて帰村(きそん)し、男女(だんぢよ)老若(らうにやく)皆(みな)未明(みめい)より出(い)で、不(ふ)日(じつ)に千七百七十八駄(だ)を刈(か)り終(をは)り、之(これ)を先生(せんせい)に告(つ)ぐ、先生(せんせい)人(ひと)をして其(そ)の数(すう)を点検(てんけん)せしめ、其(そ)の価(あたひ)を常価(じやうか)より増(ま)して之(これ)を与(あた)ふ。民(たみ)許多(きよた)の銭(ぜに)を得(え)て大(おほい)に悦(よろこ)び、従来(じゆうらい)之(これ)を刈(か)らず焼亡(せうぼう)に帰(き)し、且(かつ)大災(だいさい)に罹(かゝ)りたる事(こと)を悔(く)ゆ。先生(せんせい)曰(いは)く、邑(いふ)民(みん)の家屋(かをく)全(まつた)くして雨漏(うろう)あるなきや。答(こた)へて曰(いは)く、戸々(ここ)絶窮(ぜつきゆう)今日(けふ)の衣食(いしよく)をも支(さゝ)ふ可(べか)らず。何(なに)を以(もつ)て家屋(かをく)を修葺(しうしふ)する事(こと)を得(え)んや。故(ゆゑ)に戸々(ここ)の破漏(はろう)甚(はなはだ)し。降雨(かうう)の時(とき)は昼夜(ちうや)安(やす)んずる能(あた)はず。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください「鎌倉殿の13人」大泉洋 三谷氏にボヤキ“全部大泉のせい”は三谷氏のせい?嫌われ頼朝も絶大な信頼関係6/26(日) 頼朝というキャラクターについて三谷氏「これだけドラマチックな人生を送った歴史上の人物もそうはいないですし、なおかつ決して聖人君子でもない。女好きということも含め、マイナス面も抱えているので、誰が書いても魅力的になる、面白い人だと昔から思っていましたけども、今回、メインの登場人物として描くことができて、本当に脚本家冥利に尽きます」「大泉洋という俳優が源頼朝を演じることになったので、こういう頼朝像が出来上がった。それがすべてだと思います。僕は彼の魅力や力量をよく知っています。彼なら僕が望む頼朝像をきっちりと、もしかしたら、それ以上に演じてくれるという信頼がありました」「彼とは会っていないですし、メールのやり取りもほとんどしていないですね」 「彼が僕の意図を分かってくれているというのは、完成した作品を見ていつも感じていましたし、孤独な部分も含めて、これほど人間味のある頼朝を演じられる俳優さんは他にいないんじゃないかと思っています」「本当かどうか分かりませんけど、彼が“自分が日本中に嫌われている”と思っているという話を耳にしたものですから“日本中に嫌われても、僕は君のことが好きだよ”とメールはしました。そうしたら“おまえのせいだ”って返事がありましたけど」 今回、義時ら周囲を振り回し続けた頼朝。 三谷氏は従来とは一味違う役割を大泉に託し、大泉も期待に応えてドラマ前半を牽引。 絶大な信頼関係の下、“最強タッグ”にしか成し得ない、大河史に残るキャラクターを創出した。
2022年06月27日
2022年6月26日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その7先生(せんせい)曰(いは)く、無頼(ぶらい)の習慣(しふかん)己(すで)に久矣(ひさし)、今(いま)一時(じ)の約言(やくげん)何(なん)ぞ永年(ながねん)を保(たも)つことを得(え)んや。人情(にんじやう)困苦(こんく)に迫(せま)る時(とき)は艱(かん)苦(く)の業(げふ)も厭(いと)はずと雖(いへど)も、少(すこ)しく欲(ほつ)する所(ところ)を得(う)るに至(いた)りては、忽然(こつぜん)惰(だ)心(しん)を発(はつ)し、旧弊(きうへい)再(ふたゝ)び起(おこ)るもの也(なり)。汝(なんぢ)安(いづく)んぞ後年(こうねん)の憂(うれひ)なきを保(たも)たんや。一旦(たん)再興(さいこう)の大業(だいげふ)を挙(あ)げて後(のち)廃棄(はいき)に至(いた)らば、寧(むし)ろ其(そ)の初(はじめ)より止(や)むには如(し)かざるなりと。邑(いふ)民(みん)、何等(なんら)の苦行(くぎやう)にも堪(た)へんと云(い)ひて歎願(たんがん)止(や)まず。先生(せんせい)曰(いは)く、汝等(なんぢら)衰村(すゐそん)を興(おこ)さんことは甚(はなは)だ難(かた)し。目今(もくこん)其(そ)の易(やす)き事(こと)をも為(な)さずして、其(そ)の難(かた)きことを為(な)さんとするは惑(まどひ)にあらずや。今(いま)其(そ)の易(やす)き者(もの)を示(しめ)さん。汝(なんぢ)邑(いふ)民(みん)目下(もくか)の良田(りやうでん)蕪莱(ぶらい)し、葭(よし)茅(かや)茂盛(もせい)し、冬(ふゆ)に至(いた)れば野火(のび)茅(かや)を焼(や)き、之(これ)が為(ため)に民家(みんか)を焼亡(せうぼう)するもの数々(かずかず)なりと聞(き)く、仮令(たとひ)開田(かいでん)耕耘(かううん)の力(ちから)足(た)らずと雖(いへど)も、此(こ)の茅(かや)を刈(か)る何(なん)の難(かた)きことか有(あ)らん。而(しか)して之(これ)を刈(か)らず、家(いへ)をも灰燼(くわいじん)となし他(た)邦(はう)に流(りう)離(り)す。何(なん)ぞ愚(ぐ)の甚(はなはだ)しきや。一邑(むら)再興(さいこう)の事(こと)は暫(しばら)く措(お)き、先(ま)づ火災(くわさい)の本(もと)たる茅(かや)を刈(か)るべし。刈(か)り畢(をわ)らば我(わ)れ用(もち)ゐる所(ところ)あり、至当(したう)の代価(だいか)を以(もつ)て之(これ)を買(か)ふべし。汝(なんぢ)能(よ)くするや否(いな)や。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください「富士山が二重の傘を被っていたよ、ほら」「空がきれい」「そこじゃなくて二重の傘は珍しい!」まあ、人の感動は人々それぞれ、みんな違ってみんないい帰ってから『駿州報徳の師父と三遠農学社』の静岡県報徳社事蹟の表をエクセルで作成し、ワードの原稿に貼り付ける。当初図表省略方針だったが、貼り付けると見た目がいいし、努力し工夫した感がある。
2022年06月26日
2022年6月25日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その6我(わ)が方法(はうはふ)は節倹(せつけん)以(もつ)て冗費(じようひ)を省(はぶ)き、有余(いうよ)を生(しやう)じ、他(た)の艱(かん)苦(く)を救(すく)ひ、各(かく)其(そ)の業(げふ)を勉励(べんれい)刻苦(こつく)、終身(しうしん)善行(ぜんかう)を履(ふ)み、悪業(あくげふ)を為(な)さず、勤動(きんどう)以(もつ)て一家(か)を全(まつたう)するにあり。戸々(こゝ)此(こ)の如(ごと)くならば貧(ひん)村(そん)必(かなら)ず富(と)ますべく、廃亡(はいぼう)の邑(いふ)里(り)と雖(いへど)も必(かなら)ず興(こう)復(ふく)再盛(さいせい)に至(いた)るなり。然(しか)して汝(なんぢ)の邑(むら)の如(ごと)きは我(わ)が再興(さいこう)の道(みち)と反対(はんたい)せり。其(そ)の窮(きゆう)苦(く)は憫然(びんぜん)なりと雖(いへど)も自業自得(じごふじとく)、他(た)より如何(いかに)ともなすべからざるもの也(なり)。汝(なんぢ)ら再(ふたた)び来(く)ること勿(なか)れと教誨(けうくわい)す。勘右衛門(かんうゑもん)涕泣(ていきう)して曰(いは)く、邑(いふ)民(みん)の無頼(ぶらい)実(じつ)に高諭(かうゆ)の如(ごと)し。然(しか)れども今(いま)一邑(むら)再興(さいこう)の大業(だいげふ)を請願(せいぐわん)するに至(いた)りては、旧来(きうらい)の懶惰(らんだ)を改(あらた)め、示教(しけう)を得(え)て以(もつ)て粉骨(ふんこつ)の労(らう)を尽(つく)し、艱(かん)苦(く)に堪(た)へ、再興(さいこう)の業(げふ)に従事(じうじ)せんと誓約(せいやく)の上(うへ)歎願(たんぐわん)せり。冀(こひねがは)くは先生(せんせい)の許容(きよよう)あらんことを。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛最近、エクストラバージン・オリーブオイルから新成分が発見されている。聖路加病院の日野原先生は、オリーブオイルに含まれるオレイン酸に注目し、毎朝コップ1杯の100%果汁のジュースに大さじ1杯のオリーブオイルを入れて飲んでいた。わたしも、それにならって シーカーサー・ジュースにエクストラバージン・オリーブオイルをたらして飲んでから、サイクリングにでかけたのどに刺激を与える消炎成分をオリーブオイルから発見エクストラバージン・オリーブオイルには天然の消炎成分が含まれており、そのせいで、のどが焼け付くようなピリピリした独特の感覚を与えるのだという仮説を証明するため、モネル研は、別のスポンサー企業のフィルメニッヒ社(スイスの香料メーカー)と共に、新たに大規模な共同研究を開始しました。そして2005年、学術雑誌『ネイチャー』にこの仮説を実証したレポートを発表し、ピリピリ感の原因が「オレオカンタール」という成分だと報告しました。「オレオカンタール」は私たちのつくった造語で、Oleoはオリーブ、canthは刺激、alはアルデヒドを示しています。オレオカンタールの薬学的特性:アルツハイマー病やがんを含むさまざまな炎症性疾患のインビトロ・モデル(実験室など人工的な環境での実験モデル)で、この成分の薬効を実証する論文が次々に発表されるようになっています。・オレオカンタールには、癌を予防する効果もあることが報告されており、2015年に癌細胞にオレオカンタールを加えると、癌細胞が死滅することが発見されています。しかもその効果には即効性があり、オレオカンタールを投与された癌細胞は30分~1時間以内での死滅が確認されているのです。実は、オレオカンタールには細胞内にあるゴミ箱の役目を果たすリソソームと呼ばれる器官を壊す作用があり、そのゴミ箱の中には毒性の強い物質も含まれているため、オレオカンタールによるゴミ箱の破壊により癌さ細胞そのものが死滅するとされています。しかも、このオレオカンタールによる細胞の死滅はがん細胞だけに確認されているものであり、正常の細胞には一切害を及ぼさないのです。ただし、このオレオカンタールの良い効果を得るのであれば、加熱すると含まれる成分が低下してしまうため、上質なエキストラバージンオイルを加熱せずに利用する必要があります。12月の第9回報徳講座に向けてテキスト『駿州報徳の師父と三遠農学社』作成に取り掛かっている。この「報徳の師父」シリーズの構想は、二転三転していてもう、数年かけているが、なんとか今年12月の第九回報徳講座のテキストにするつもりで取り組んでいる。以前、I先生に「中学生からお年寄りまで読める分かりやすい本を書いてください」と言われたことがあった。その後、「二宮金次郎の対話と手紙」や「シナリオで読む砂糖王鈴木藤三郎」で「中学生からお年寄りまでよくわかる」を心がけて作成したが、いまだに実現できていない。せめてはと魔法の言葉に気持ちを託す。『報徳の師父シリーズ が完成しました、感謝します。中学生からお年寄りまで良く分かる本ができました、感謝します』と(・∀・)
2022年06月25日
エンゼルス・大谷 全米が驚いた2日間、歴史刻み続ける二刀流 MLB初8打点&13K6/24(金) ア・リーグ エンゼルス5―0ロイヤルズ(2022年6月22日 アナハイム) 二刀流ならではの2夜連続での活躍は、衝撃をもって伝えられた。エンゼルス・大谷の3ラン2発を含む8打点からの、8回零封13奪三振。大リーグ公式サイトは「Historic 2―game Sho:8RBIs,new―high 13K’s!(歴史的な2試合のショー、8打点から新たな新記録13奪三振)」のタイトルで「二刀流のスターがロイヤルズ打線を8回無失点で沈黙させた」と報じた。元ヤンキースの左腕で通算251勝のCC・サバシア氏(41)も、大谷の活躍にすぐさま反応。ツイッターに「ある夜に2本塁打で8打点。そして次の日に2安打13奪三振で勝利投手とは…」と驚きを交えてつづり「Shohei Ohtani is ridiculous(ばかげている、とんでもない)!!!」と拍手などの絵文字とともに書き込んだ。また、「セントルイス・ポストディスパッチ」のダニエル・ゲレーロ記者はツイッターで「ショウヘイ・オオタニが実在の人物だとは100年後の人たちは信じないだろう」と投稿した。 「CBSスポーツ」のニック・パルコ氏も「昨日は8打点、ヤツは別の惑星から来た」と驚嘆。「FOXスポーツ」のアナリストであるベン・バーランダー氏が「HOW IS POSSIBLE?!?(こんなこと可能なの?)」とするなど、米メディアから驚きの声が続出した。
2022年06月24日
2022年6月24日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その5柳(りう)助(すけ)、勘右衛門(かんうゑもん)村民(そんみん)を率(ひき)ゐて桜町(さくらまち)に到(いた)り、一邑(むら)再興(さいこう)の方法(はうはふ)を請(こ)ふ。時(とき)に天保(てんぽう)三年(ねん)なり。先生(せんせい)暇(いとま)なきを以(もつ)て之(これ)を辞(じ)す。邑(いふ)民(みん)屡(しばしば)請(こ)ひて止(や)まず。先生(せんせい)曰(いは)く、汝(なんぢ)の邑(むら)衰廃(すゐはい)極(きはま)るもの、独(ひと)り田(た)水(みづ)を失(うしな)ひ、農事(のうじ)を勤(つと)むること能(あた)はざるのみに非(あら)ず。何(なん)ぞ用水(ようすゐ)なくんば従前(じゆうぜん)の田(た)を畑(はた)と為(な)し、多(おほ)く雑穀(ざつこく)を得(え)て活計(くわつけい)をなさゞるや。豈(あに)人命(じんめい)を養(やしな)ふもの、独(ひと)り稲梁(たうりやう)耳(のみ)ならん。百穀(こく)皆(みな)生命(せいめい)を養(やしな)ふもの也(なり)。而(しか)して田(た)水(みづ)乏(とぼ)しきを口実(こうじつ)となし、良田(りやうでん)を蕪没(ぶぼつ)に帰(き)して顧(かへり)みず、博奕(ばくえき)を事(こと)とし、他(た)の財(ざい)を借(か)り、一時(じ)の窮(きゆう)を補(おぎな)はんとす。是(これ)家々(いへいへ)絶窮(ぜつきゆう)、遂(つひ)に離散(りさん)する所以(ゆゑん)にあらずや。抑々(そもそも)博奕(ばくえき)なるもの富家(ふうか)と雖(いへど)も祖先(そせん)伝来(でんらい)の家(いへ)株(かぶ)を傾覆(けいふく)するに至(いた)る。況(いはん)や貧人(ひんじん)にして此(こ)の悪業(あくげふ)を為(な)す、其(そ)の亡滅(ぼうめつ)迅速(じんそく)ならざるを得(え)ず。且(かつ)田(た)水(みづ)なきを以(もつ)て良田(りやうでん)を荒(あら)し、衣食(いしよく)なきを憂(うれ)ふ。夫(そ)れ田圃(でんぼ)は衣食(いしよく)の本(もと)也(なり)。其(そ)の根本(こんぽん)を棄(す)てゝ以(もつ)て他(た)に求(もと)む。猶(なほ)井(ゐ)を塞(ふさ)ぎて水(みづ)を求(もとむ)るが如(ごと)し。何(いづ)れの時(とき)か之(これ)を得(え)んや。農力(のうりよく)勧(すゝ)み、糞培(ふんばい)怠(おこた)らざる時(とき)は、圃(ぼ)の有(いう)益(えき)たる田(た)に勝(まさ)れり。何(なん)ぞや田(た)は一作(さく)に止(と)まり、圃(ほ)は両毛作(りようけさく)なればなり。汝等(なんぢら)農(のう)を以(もつ)て業(げふ)とす、素(もと)より畑(はた)の有益(いうえき)を知(し)らざるには非(あら)ず。知(し)りて而(しか)して耕耘(かううん)せざるは他(た)無(な)し、其(そ)の労苦(らうく)を厭(いと)ひ、怠惰(たいだ)を旨(むね)とし労(らう)せずして米(べい)財(ざい)を貪(むさぼ)らんとするが為(た)め也(なり)。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください今日も曇天。最近眠れないので、妻だけでなく自分にも足裏マッサージを施す。ネットで調べると失眠と湧泉のツボにヒット、ゾーンでいうと生殖腺と副腎に当たる。副交感神経を優位にして眠りに誘うということらしい。失眠のツボは目新しいので早速自分で押し具合を試し妻に施すと寝息をたてて寝入る。私自身はいまいち、少し色々押してみよう。
2022年06月24日
2022年6月23日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その4曾(かつ)て聞(き)く、物井村(ものゐむら)陣屋(じんや)詰(づめ)の二宮(にのみや)先生(せんせい)、相模(さがみ)小田原(をだはら)侯(こう)の命(めい)を以(もつ)て桜町(さくらまち)に至(いた)り、数年(すうねん)にして三邑(いふ)を興復(こうふく)し、邑民(いふみん)を安撫(あんぶ)すること、父母(ふぼ)の其(そ)の子(こ)を保(ほ)するが如(ごと)しと。其(そ)の事業(じげふ)誰(たれ)か感動(かんどう)せざらんや。我輩(わがはい)物井(ものゐ)に往(いつ)て再興(さいこう)の方法(はうはふ)を歎願(たんぐわん)せば、先生(せんせい)は仁者(じんしや)なり、憐愍(れんみん)の処置(しよち)なしと謂(い)ふべからず。果(はた)して許諾(きよだく)あらば是(こ)の廃堰(はいえん)も挙(あ)ぐべく、荒蕪(くわうぶ)も開(ひら)くべく、邑(いふ)民(みん)の困苦(こんく)をも免(まぬが)るべし。然(しか)れども先生(せんせい)は他(た)の誠(せい)、不誠(ふせい)を察(さつ)観(くわん)すること明鏡(めいきやう)の如(ごと)しと。故(ゆゑ)に懇願(こんぐわん)のもの純(じゆん)誠(せい)にあらざれば、百度(たび)歎願(たんぐわん)すと雖(いへど)も断(だん)然(ぜん)許諾(きよだく)せず。故(ゆゑ)に此(こ)の願(ねがひ)の成否(せいひ)は先生(せんせい)にあらずして、当邑(とういふ)一同(だう)の一心(しん)にあり。各(おのおの)の思慮(しりよ)如何(いか)んと。邑(いふ)民(みん)応(こた)へて曰(いは)く、素(もと)より冀望(きぼう)する所(ところ)なり、速(すみやか)に歎願(たんぐわん)せんと云(い)ふ。勘右衛門(かんうゑもん)曰(いは)く、我等(われら)の請願(せいぐわん)而己(のみ)にては是(これ)相対(あひたい)の如(ごと)くにして先生(せんせい)許容(きよよう)ある可(べか)らず。地頭(ぢとう)よりの依頼(いらい)に非(あらざ)れば不可(ふか)也(なり)と。直(たゞち)に出都(しゆつと)此(こ)の条(でう)を川副(かはそへ)某(ぼう)へ具陳(ぐちん)す。川副(かわそへ)氏(し)大(おほ)いに悦(よろこ)び、時(とき)の用役(ようやく)並木(なみき)柳(りう)助(すけ)に命(めい)じ、直書(ぢきしよ)を以(もつ)て依頼(いらい)せしむ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月23日
大谷が土壇場で同点3ラン、二塁走者ウェードが思わず取っていた実際の行動米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手は21日(日本時間22日)、本拠地ロイヤルズ戦に「3番・DH」で先発出場。2本塁打を含む4打数3安打8打点と大爆発した。3点を追う9回1死一、二塁には、右翼席へ同点の15号3ラン。7-10の9回1死一、二塁。大谷は追い込まれてから相手の7番手バーローのカーブを捉えた。打球速度113.5マイル(約182.6キロ)、飛距離438フィート(約133.5メートル)の豪快15号3ラン。振り抜いた大谷も確信の仁王立ちだったが、二塁走者のタイラー・ウェイドは両手を挙げて歓喜。仕事を忘れたかように走りもせずに打球を見つめていた。
2022年06月22日
「片瀬だより」第150号に「鎌倉時代、江ノ島に登場する人々の足跡を辿る」(堀 浩侃著)が載っている。編集後記には「鎌倉時代と江ノ島にまつわるお話の連載が始まりました」とある。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。💛大河では頼朝が文覚上人を呼び寄せて藤原秀衡の調伏を行う場面があるが、史実に基づいているのだ(^^)足立右馬允(遠元)*って、ピンとこないのだが・・・なるほど、頼朝が今日から呼び寄せて政子らに京都の作法を教授した人。実衣ちゃんに「最も得体が知れない」とか、剣技について「案外できる」とか評される人。実衣ちゃんの発する言葉や問いは、本質をついて時に人を凍り付かせる。『八重さんと言えば...爺様は何であんな事になってしまわれたの?』『北条の家は、誰が継ぐんですか?』『私が何か言ったら、静まり返る決まりでもあるんですか?』*足立氏は武蔵国足立郡を本拠地とした在地豪族遠元の父・藤原遠兼が土着し、遠元から足立氏を名乗った。(現在の東京都足立区から埼玉県北足立郡に跨る地域、遠元の父・藤原遠兼(ふじわらのとおかね)がこの地域に住み、この遠兼の代から「足立」の地名をそのまま姓にした。つまり現在の足立区もこの地名に由来するということか)平治の乱(1159)では、源義朝(頼朝の父)に従い、右馬允(うまのじょう)に任官し源義平(頼朝の長兄)率いる17騎の一人として戦った。治承4年(1180)8月挙兵した頼朝から前もって命を受けて10月2日には迎えに出向き、10月8日に足立郡を本領安堵される。遠元は、鎌倉幕府の公文所(公文書の管理などを行う役所・後の政所)にも寄人(役人)として登用され、合戦の功に対して右馬允という官位を与えられた。頼家が2代将軍になった際の「13人の合議制」の1人にも選ばれている。遠元は、御家人であり関東武士団の1人ながら、武家社会ばかりでなく、公家などの社会にも深い繋がり・人脈を持っていた。遠元は、行政事務の取扱にも手慣れた対応ができる文官的な資質をも有していた。なお、遠元については『吾妻鏡』によれば、承元元年(1207)3月3日の「闘鶏会参加」の記事に出席したことが最後に、こうした資料から姿を消す。恐らく70歳代の高齢になっていたと思われるので、この前後に死没したと見られている。つまり大江広元と同様に、次々と政敵から消されていくなかを生き延びる稀有な人の一人であったのである。
2022年06月22日
2022年6月22日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その3邑(むら)の里正(りせい)を舘野(たての)勘右衛門(かんうゑもん)と云(い)ふ。性(せい)廉直(れんちよく)篤実(とくじつ)にして、大(おほ)いに衰邑(すゐいふ)亡地(ぼうち)に至(いた)らんとするを憂(うれ)ひ、再(さい)復(ふく)の事(こと)を謀(はか)ると雖(いへど)も貧(ひん)村(そん)の力(ちから)如何(いかに)とも為(な)すべからず。桜町(さくらまち)陣屋(ぢんや)を去(さ)ることを僅(わづか)に三里(り)、故(ゆゑ)に先生(せんせい)の良法(りよはふ)三邑(いふ)再興(さいこう)の事業(じげふ)を聞(き)き、邑(いふ)民(みん)を会(くわい)し諭(さと)して曰(いは)く、我邑(わがむら)の衰頽(すゐたい)既(すで)に極(きはま)る。是(これ)独(ひと)り人民(じんみん)の力(ちから)足(た)らざるのみに非(あら)ず。桜川(さくらがは)の堰(せき)破壊(はくわい)、闔村(かふそん)の用水(ようすゐ)を失(うしな)ひ、水田(すゐでん)悉(ことごと)く蕪没(ぶぼつ)に帰(き)し、戸(こ)戸(ゝ)耕耘(こううん)を得(え)ず。故(ゆゑ)に衣食(いしよく)欠乏(けつぼふ)、往々(おうおう)家産(かさん)を破(やぶ)り流民(りうみん)となる。今(いま)にして衰廃(すゐはい)、再興(さいこう)の道(みち)を謀(はか)らざれば、八百石(こく)の邑(むら)亡滅(ぼうめつ)に至(いたら)んこと必(ひつ)せり。然(しか)りと雖(いへど)も、愚(ぐ)不肖(ふせう)貧弱(ひんじやく)の力(ちから)を以(もつ)て何事(なにごと)をか成(な)し得(え)んや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛「片瀬だより」第150号に「鎌倉時代、江ノ島に登場する人々の足跡を辿る」(堀 浩侃著)が載っている。編集後記には「鎌倉時代と江ノ島にまつわるお話の連載が始まりました」とある。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。読んでみると、「鎌倉殿の十三人」の登場人物のしらなかったプチ史実が満載で面白い。・「吾妻鏡」によれば、養和2年(1182)4月、源頼朝を筆頭に江の島の岩屋に参詣し、京都高尾神護寺の文覚上人を招いて、奥州藤原秀衡討伐の戦勝祈願を行い、岩屋本殿に宇賀弁才を勧請し、鳥居を寄進している。この時、頼朝、文覚上人、北条殿(時政)、足立右馬允(遠元)、和田小太郎(義盛)とその側近の佐々木定綱、佐々木盛綱が登場している。💛大河では頼朝が文覚上人を呼び寄せて藤原秀衡の調伏を行う場面があるが、史実に基づいているのだ(^^)
2022年06月22日
2022年6月21日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その2 宝永(ほうえい)度(ど)以来(いらい)は一邑(むら)の民力(みんりよく)之(これ)を修築(しうちく)する能(あた)はず。耕(かう)田(でん)の道(みち)を失(うしな)ひ、民心(みんしん)放肆(ほうし)、良田(りやうでん)蕪頼(ぶらい)、怠惰(たいだ)、博奕(ばくえき)を常(つね)とし、戸々(こゝ)絶窮(ぜつきゆう)遂(つひ)に四方(はう)に離散(りさん)するに至(いた)り、民屋(みんをく)切近(きつきん)の田(た)と雖(いへど)も茫々(ぼうぼう)たる原野(げんや)に帰(き)し、葭茅(かぼう)荻萩(てきしう)繁茂(はんも)狐兎(こと)斯(こゝ)に住(ぢゆう)す。天明(てんめい)度(ど)野火(のび)茅(かや)を焼(や)き、延(ひ)いて民屋(みんをく)に及(およ)び、之(これ)が為(ため)に三十一戸(こ)灰燼(くわいじん)となる。是(こゝ)に於(おい)て益々(ますます)窮(きゆう)し、僅(わづか)に二十九戸(こ)を存(ぞん)す。是(これ)も亦(また)貧困(ひんこん)支(さゝ)ふ可(べ)からず。曾(かつ)て遊歴(いうれき)の者(もの)此邑(このむら)を過(す)ぐるに茅中(ぼうちゆう)炊烟(すゐえん)の起(おこ)るを見(み)て一句(く)を吟(ぎん)ず曰(いは)く、家(いへ)ありや すゝきの中(なか)の夕烟(ゆうけむり)と。此(こ)の句(く)を以(もつ)て衰廃(すゐはい)亡村(ぼうそん)に等(ひと)しきを推知(すいち)す可(べ)し。租税(そぜい)僅少(きんせう)、川副(かわそへ)氏(し)の窮(きゆう)も亦(また)甚(はなはだ)し。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛昨日家に帰ると、思わぬ父の日のプレゼントにクッキーが届いていた。子供が小学生の時に父の日のプレゼントに帽子(ハット)を貰ったことがあった。ちょうど坂東観音三十三観音霊場めぐりをしている時で、その折りにその帽子をつけて回っていたが、なんと亡くしてしまった。 買って贈って貰ったばかりの帽子を、今でも思い出すと心が痛む。 ありがとうとメールを送る。
2022年06月21日
2022年6月20日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その1 常陸(ひたちの)国(くに)眞壁(まかべ)郡(ぐん)青木村(あをきむら)高(たか)八百五十石余(こくよ)、幕府(ばくふ)の旗下(きか)川副(かわそへ)某(なにがし)の采邑(さいいふ)なり。往時(わうじ)公料(こうれう)にして野州(やしう)芳賀(はが)郡(ぐん)眞(も)岡(をおか)県令(けんれい)の管轄(くわんかつ)に属(ぞく)す。元禄(げんろく)度(ど)民家(みんか)百三十戸(こ)、頗(すこぶ)る繁殖(はんしよく)富饒(ふぜう)と称(しよう)す。宝(ほう)永(えい)年中(ねんちゆう)に至(いた)りて川副(かわそへ)氏(し)の采邑(さいいふ)となる。邑(むら)の西北(せいほく)川(かは)あり、桜川(さくらがは)と云(い)ふ。此(こ)の川(かは)を堰(せ)き、青木(あをき)高森(たかもり)二邑(むら)の田(た)水(みづ)となす。此(こ)の堰(せき)の左右(さいう)水底(みづそこ)皆(みな)細(さい)砂(しや)灰(はい)の如(ごと)くにして、更(さら)に岩石(がんせき)無(な)し。故(ゆゑ)に木石(ぼくせき)を遠所(ゑんしよ)より運搬(うんぱん)し、縦横(じゆうわう)大木(たいぼく)を用(もち)ゐて建築(けんちく)すと雖(いへど)も、大雨(だいう)洪水(こうすゐ)至(いた)れば忽焉(こつえん)細(さい)砂(しや)と共(とも)に流失(りうしつ)し、田水(たみづ)沽渇(こかつ)耕耘(かううん)を得(え)ず。公料(こうれう)の時(とき)に当(あた)りては破壊(はくわい)毎(ごと)に役夫(えきふ)三千余人(よにん)を諸村(しよそん)に課(か)し、入費(にふひ)数(すう)百金(きん)を以(もつ)て造築(ざうちく)せり。 令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月20日
・世間の人の願いはかなえられない。 願ってもかなわない事を願うからである。・仏説は面白い。受けた恩を忘れず、早く未来の種を願えと説く。私も不止不転・循環の理を説く。二宮翁夜話巻の3【32】翁曰く、常人の情願は、固(もと)より遂ぐべからず、願ひても叶(かな)はざる事を願へばなり、常人は皆金銭の少きを憂ひて、只多からん事を願ふ、若し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異ならんや、斯の如く金銭多くば、草鞋一足の代、銭一把(は)、旅泊一夜の代、銭一背負(せおひ)なるべし、金銭の多きに過ぐるは、不弁利の到りと云ふべし、常人の願望は、斯の如き事多し、願ふても叶はず、叶ふて益なき事なり、世の中は金銭の少きこそ、面白けれ。【32】尊徳先生がおっしゃった。世間の人の願いは、もとより遂げられない。願ってもかなわない事を願うからである。世間の人は皆金銭の少いことを憂えて、ただ多い事を願う。もし金銭を、人々が願うように多くするならば、どうして砂石と異なることがあろうか。このように金銭が多ければ、草鞋一足の代金が銭一把(は)、旅宿の一夜の代金が銭一背おいとなるであろう。金銭の多すぎるのは、不便利の至りというべきである。世間の人の願望は、このような事が多い。願ってもかなわず、かなっても益がない。世の中は金銭が少いことが、面白いのだ。【33】翁曰く、仏説面白し、今近く譬へを取つて云はゞ、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、と云ふが如し、故に豆粒に向へば、汝は元草の化身なるぞ、疑はしく思はゞ、汝が過去を説いて聞かせん、汝が前世は草にして、某の国某の村某が畑に生れて、雨風を凌ぎ炎暑を厭ひ草に覆はれ、兄弟を間引かれ、辛苦患難を経て、豆粒となりたる汝なるぞ、此の畑主の大恩を忘れず、又此の草の恩を能く思ひて、早く此の豆粒の世を捨てて元の草となり、繁茂せん事を願へ、此の豆粒の世は、仮の宿りぞ、未来の草の世こそ大事なれと云ふが如し、又草に向へば汝が前世は種なるぞ、此の種の大恩に依て、今草と生まれ、枝を発し葉を出し肥を吸ひ露を受け、花を開くに至れり、此の恩を忘れず、早く未来の種を願へ、此の世は苦の世界にして、風雨寒暑の患ひあり、早く未来の種となり、風雨寒暑を知らず、水火の患ひもなき土蔵の中に、住する身となれと云ふが如し、予仏道を知らずといへ共、大凡此の如くなるべし、而して世界の百草、種になれば生ずる萌しあり、生れば育つ萌しあり、育てば花咲く萌しあり、花さけば実を結ぶ萌しあり、実を結べば落る萌しあり、落れば又生ずる萌しあり、是を不止不転循環の理と云ふ。【33】尊徳先生はおっしゃった、仏説は面白い。今近くたとえるならば、豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、というようなものだ。だから豆粒に向えば、なんじは元は草の化身である、疑わしく思うならば、なんじの過去を説いて聞かせよう。なんじの前世は草であって、だれだれの国のだれだれの村のだれだれの畑に生れて、雨風をしのぎ、炎暑を厭って草におおわれ、兄弟をまびかれ、辛苦・患難をへて、豆粒となったなんじであるぞ。この畑主の大恩を忘れないで、またこの草の恩をよく思って、早くこの豆粒の世を捨てて元の草となって、繁茂する事を願え、この豆粒の世は、仮の宿りであるぞ、未来の草の世こそが大事であるというようなものだ。また草に向ってはなんじが前世は種であるぞ、この種の大恩によって、今草と生れて、枝を発し葉を出し肥を吸って露を受け、花を開くに至ったのだこの恩を忘れないで、早く未来の種を願えこの世は苦の世界であって、風雨寒暑の患いがある、早く未来の種となって、風雨寒暑を知らず、水火の患いもない土蔵の中に、住する身となれというようなものだ。私は仏道を知らないけれども、おおよそこのようであろう。そして世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずてば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理というのだ。*二宮金次郎を民間から登用した小田原藩の君主大久保忠真候は天明元(1780)年12月に誕生した。尊徳先生より、7歳年長にあたる。大久保候は、大阪城代、京都所司代を勤め、老中に登りつめるのであるが、京都所司代の折は、宮中・公家と交わって近来稀な和歌の名手としてたたえられた。その和歌にちなんで「霞の侍従」「曙の侍従」と別名をもって呼ばれたほどであった。その没後7年目に編集された和歌集「春鶯集」から年代をつけて、いくつか紹介してみよう。文化7年(29歳)早春鶯 三冬つきはる立ぬればわが宿の垣の外面に鶯ぞなくなにはに在て春夕故郷という事を 思ひ出るわが古郷もかくやあらむ難波わたりの霞む夕暮難波にありける頃月の歌 古郷の空なつかしみ十六夜の月にもおもふ武蔵のゝ秋☆大久保忠真候の歌には結構故郷を懐かしんだ歌が多い。 大阪城代、京都所司代、老中と勤め、自藩にとどまることが少なかったのだ。文化8年(30歳)暮春 山の端のかすみも薄く立わかれ残り少きはるをしそおもふ文化10年(32歳)箱根路の花とて紙に押ておこせたる人のもとへ 古郷は鄙にしあれど花垣に君かこゝろの匂ふ嬉しさ雪ふりける日故郷の人に逢て 難波かたなにと語むしら雪のふるさと人につもるこゝろを女のもとによみて遣しける 時の間も見ぬは恋しき人垣にけふの夕をまちそかねぬる恋のこゝろを 朝な夕な軒端を過るまつ風におもふあたりの音信もかな女のもとへ くれて行春は惜まし我はたゝ妹にあふちの花をこそまて☆恋や女性を歌った歌はこの年に多く出てくる。文化12年(34歳)故郷初春 立かへる松の緑も青によしならの都の春の初空ある人の東へまかる馬のはなむけに 旅ころもこれも弥生の春の空花に霞に袖匂ふらし碓氷峠を越る日雨降ければ 旅衣うすひの御坂越行は袂涼しく雨そふり来る夜あくる頃諏訪の湖を見やりて 横雲のわかるゝ色も諏訪の湖のみとりにうつり合にけり木曾の山路を下りて こゝろさへ平になりぬ信濃路の木曾の御坂を越尽しては☆中仙道を使って江戸へ往復することが多かったのだ。文化14年(36歳)初春霞 栄行民の朝けのけふりより都の空も霞そめたり神無月廿日あまり仙洞の御園見せさせたまふに立ならへる木々の紅葉満も残さず散も初す山のたゝすまひ御池のさまなととりどりにいはん方なし・・・・悠然台 賑へる都の民の夕けふり冬も長閑にかすむとそ見る☆この歌によって「霞の侍従」と呼ばれるようになる。仁徳天皇の故事を踏まえて、自身詠んだ「初春霞」の歌をベースとしているように思われる。こよろきの古郷にいたりて二日とゝまりしに年久しく難波または都にまかりければ国のまつり事をはしめてよろつのことくまくましけれと又来むこともいつとしらねば何くれといそかはしさに 身にかへてとはにそおもふ萬民所を得つゝとみ栄へなむ☆忠真候の歌はほとんど自然を対象としていたが、このころから領主として小田原藩の民の生活に思いをはせた歌が出てくる。月蝕 あやまたは改めぬべき理をみるとか文政元年・8月 老中となる。・11月 酒匂川河原で二宮らを表彰する
2022年06月18日
2022年6月18日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その10元(もと)拾石(じつこく)を所有(しよいう)せば拾石(じゆつこく)の民(たみ)となし、五拾石(じゆつこく)を所有(しよいう)せば五拾石(じゆつこく)の民(たみ)となし、百石(こく)の所有(しよいう)なれば必ず百石(こく)の田圃(でんぼ)を与(あた)へ、以前(いぜん)有(いう)する所(ところ)の家財(かざい)に至(いた)るまで悉(ことごと)く之(これ)を与(あた)ふべし。夫(それ)天下(てんか)の人民(じんみん)各(かく)其(そ)の主(しゆ)に事(つか)へて田(た)を耕(たがや)し租(そ)を納(をさ)め一家(か)を経営(けいえい)す。其(そ)の主君(しゆくん)仮令(たとひ)道(みち)なしと雖(いへど)も、下(しも)として之(これ)を怨(うら)むべきの道(みち)なし。然(しか)るに怨(ゑん)心(しん)を発(はつ)し、家財(かざい)を持(も)ちて来(きた)るものを容(い)れ、此(こ)の地(ち)の民(たみ)と為(な)す時(とき)は、其(そ)の地頭(ぢとう)へ対(たい)して信義(しんぎ)の道(みち)立(た)つ可(べか)らず。且(かつ)衰運(すゐうん)に会(くわい)し、将(まさ)に亡(ほろ)びんとするの原因(げんいん)を抱(いだ)きて以(もつ)て来(きた)る者(もの)は、仮令(たとひ)如何(いか)なる多福(たふく)を与(あた)ふと雖(いへど)も原因(げんいん)尽(つ)きず。再(ふたゝび)災害(さいがい)並(なら)び至(いた)り、廃(はい)亡(ぼう)に及(およ)ぶこと天理(てんり)自然(しぜん)にして疑(うたが)ひなし。故(ゆゑ)に我(われ)は斯(かく)の如(ごと)きものを受(う)けざるなり。然(しか)して地頭(ぢとう)の憂(うれひ)を憂(うれ)ひ、報恩(ほうおん)の為(ため)に良民(りやうみん)の道(みち)を尽(つく)し、一家(か)一物(ぶつ)も余(あま)さず君(きみ)に奉(ほう)じ、一身(しん)を容(い)るゝの地(ち)なくして来(きた)るに及(およ)びては将(まさ)に亡(ほろ)びんとするの因縁(いんえん)爰(こゝ)に滅(めつ)す。故(ゆゑ)に新(あらた)に幸福(かうふく)を与(あた)ふる時(とき)は必(かなら)ず再栄(さいえい)疑(うたがひ)なし。其(そ)の主人(しゆじん)も亦(また)是(こ)の如(ごと)き良民(りやうみん)を廃棄(はいき)し、采邑(さいいふ)の居住(きよぢゆう)をも許(ゆる)さゞる時(とき)は、此(こ)の地(ち)の民(たみ)と為(な)すと雖(いへど)も何(なに)の子細(しさい)か有(あら)ん。汝(なんぢ)等(ら)此(こ)の道理(だうり)を了解(れうかい)し断然(だんぜん)私心(ししん)を去(さ)り、此(こ)の道(みち)を行(おこな)ふべし。若(も)し我(わ)が言(げん)を疑(うたが)ひ行(おこな)ふことあたはずして主君(しゆくん)と家財(かざい)を争ひ、君(きみ)を怨(うら)みて己(おのれ)を是(ぜ)とし禍(わざわひ)を免(まぬが)れんことを謀(はか)らば、数年(すうねん)を待(ま)たずし必(かなら)ず亡(ほろ)びん。汝(なんぢ)夫(そ)れ之(これ)を疑惑(ぎわく)することなかれと。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛酪農学園創設者黒澤酉蔵先生と新井奥邃氏福島 恒雄〈日本基督教団引退教師〉私は酪農学園で育てられた一人として『創立者黒澤酉蔵先生の信仰と教育思想について』―特に土を愛する思想について若干話したいと思います。酪農学園は魂に火花を散らすような深い出会い「邂逅」から生まれたと理解しています。黒澤先生は二つの大きな出会いがありました。一つは少年時代に出会った足尾鉱毒事件の田中正造翁、一つは青年時代に酪農の道を歩むようになった宇都宮仙太郎氏との出会いでした。黒澤は十七歳のとき(旧制中学時代)田中正造の直訴事件を知り、その宿を訪ねました。『私の履歴書』には…「人生には出会いというものがあって、それがその人間の一生を支配してしまうことがよくある。私もまた青春時代に一つの偉大な人格に出会って私の一生が決まってしまった。九十二歳の今日、しきりに思い出されるのはやはりその偉大な人格のことである。その偉大な人格とは公害問題の先覚者田中正造先生である。」と書いています。黒澤少年は田中正造の人格と言葉と行動にひかれて四年間思師として仕えます。そして足尾鉱毒の被災地を訪ねて、地元の青年を糾合し「鉱毒反対青年行動隊」を組織し激しく闘争します。当局からはリーダーとしてマークされ、前橋刑務所に投獄されます。その獄中で婦人矯風会の潮田千勢子女史から聖書が差し入れられ、生涯の支えとなりました。潮田女史も被害者救災運動をしており田中正造から尊敬された一人でした。黒澤はこの時のことを回顧し、「…監獄生活が逆に私の一生の救いをもたらしたことになる…」と書いています。十七歳の時でした。田中正造の明治天皇への直訴は農民を救いたい一心からしたことでしたが、明治政府もマスコミも、愚かな奇人として非難しました。この渦中の中で、田中の行動は政治家としての良心から出たことで、責められるべきは苦難の中にいる農民を助けようとしない明治政府にあると激しく非難した人がいた。明治の特異なキリスト教思想家新井奥邃でした。田中正造は新井を巣鴨に訪ね、その学識の深さに驚嘆し、聖書を学ぶようになります。黒澤も田中に連れられて四年間新井奥邃から学び、聖書の教える愛の深さについて知るのです。黒澤は田中正造のはからいで京北中学を卒業した時、最愛の母がなくなり、「弟妹をたのむ」という遺言を受けました。人一倍母思いであったので進学をあきらめ、裸一貫で北海道に渡ります。紹介された酪農の先駆者、宇都宮仙太郎を訪ね、「牛飼の三徳」の話を聞きます。①牛飼は役人に頭を下げなくてもよい、②牛飼は動物を相手にするので嘘をつかなくてもよい、③生産する牛乳は国民の健康を守る、と教えられ共鳴し、早速、宇都宮牧場の牧夫となって牛飼の技術や酪農を学びます。やがて独立する時、受洗の決意をし、札幌メソジスト教会で洗礼を受けます。この札幌教会で知り合った盟友佐藤善七氏と思師宇都宮仙太郎と三人で酪農の振興、北方農業の確立をめざして北海道にデンマーク農業の導入を図るのです。やがて大凶作から立ち上がるために酪農民の手で生産から加工、販売をめざして札幌酪農組合を作り、一方でデンマーク農業の研究を進めます。後に酪農学園の建学精神となる「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神をデンマーク再興の租と言われるグルンドヴィから学ぶのです。札幌酪連は北海道製酪販売会社となり、雪印乳業へと発展してゆきます。裸一貫で渡道し、牛一頭を借りて出発した貧しい一人の酪農家は聖書を懐にして、師や友と共に北海道一大産業をつくったのです。黒澤は、一九三三年「酪農義塾」を創立します。寝食を共にしてその教育に情熱を傾け、やがて機農高校、三愛女子高、酪農大学と発展し、現在は六千人からの学生が学ぶ一大学園となりました。その建学精神は「神を愛し、人を愛し、土を愛する」三愛精神においています。神を愛し、人を愛する信仰は獄中で聖書から学んだものであり、土を愛する信仰は思師田中正造との命をかけた公害闘争から血肉となった土の哲学でした。土が亡びれば民は亡ぶと叫んだ田中の言葉は二十一世紀の世界を預言しているかのようです。
2022年06月18日
ご仕法は私事ではない。一国のご興廃にかかわる大事です。一身の憂いを除くためには十本の指を切り落とすことも顧みないときに一命をとりとめることもあります。過か日じつ何なに故ゆえに其それ以い来らいの御おん取とり調しらべ出で来きず候そうろう哉やと衣きぬ笠がさ氏しえ尋たずね候そうろう処ところ、鈴すず木き氏し(奉行鈴木源八郎)長なが病わずらいにて相あい後おくれ、病びょう症しょう柄がら調しらべ向むきの儀ぎ相あい尋たずね候そうらへば病びょう気きに障さわり候そうろう故ゆえ、拠よんどころ無なく其その侭ままに流ながれ居おり候そうろうとの御おん咄はなし、是これ何なんの事ことぞや。御ご仕し法ほうの調しらべは私し事じにあらず。一国こくの御ご興こう廃はいに拘かかわり候そうろう大だい事じを、一人りの病やまいに拘かかわり捨すて置おかれ候そうろうとは一指しの小しょう瘡そうを憂うれいて、惣そう身しんの大だい患かんを捨すつるが同どう様ようには之これ無なき哉や。一身しんの憂うれいを除のぞく為ためには十指しを落おとすも顧かえりみざる時とき宜よろしく之これ有あるべし。是これは大だい小しょう軽けい重ちょうの為ためには人じん臣しんは病やまずとも、何なんぞ国こく家かの大だい事じあらば、是これが為ために一命めいをも棄すて候そうろうは臣しん為たる者ものの常じょう道どうに候そうろう処ところ、御おん家いえ御おん興こう復ふくの大だい業ぎょうを病びょう人にんの為ために懸け念ねん致いたされ、御おん廃はいし置おかれ候そうろうとは余あまりの御おん心こころ得え違ちがいには御ご座ざ無なき哉や。是これ全まったく左さにはあらず、御おん興こう復ふくの御ご志し願がんなきが故ゆえ也なり。御おん興こう復ふくの思おぼし召めし之これ無なき候そうらはば速すみやかに御おん止やめ成なさるべきの処ところ、何なんとなく歳さい月げつを送おくり候そうろうては、御おん頼たのみの方ほうにては御おん差さし支つかえも之これ有ある間ま敷じき哉や、年ねん来らい御おん世せ話わ仕つかまつり候そうろう拙せっ者しゃに於おいて、今こん日にちの御ご奉ほう公こう進しん退たいにも当とう惑わく致いたし候そうろう間あいだ、何いずれか取とり訳わけ治ち定じょう仕つかまつり度たく罷まかり出で候そうろう。鈴木すずき・大嶋おおしま(下級藩士大嶋儀左衛門)両りょう士し未いまだ桜さくら町まちに出しゅっ張ちょう之これ無なきの時ときだも明細めいさいの取とり調しらべ致いたし差さし上あげ候そうろう儀ぎ、況いわんや其その後ごの調しらべ誰だれか居おられず候そうろう共とも、相あい分わからざる事ことは之これ無なき候そうろうに付つき、早そう々そう取とり調しらべ、御お目めに掛かけるべし。其その上うえにて逸いつ々いつ宜よろしからず候そうらはば、残のこる所ところなく焼やき棄すて、御おん互たがいに是これ迄までの事こと共ども取とり棄すて申もうすべし。夫それ共とも調しらべ候そうろうにも及およばず、此この侭ままにて相あい止とめ呉くれよとの思おぼし召めしに候そうらはば、其その通とおりに仕つかまつるべし。又また弥いよいよ押立おしたつべき道みちに付つき戌いぬ年としの如ごとく御おん借しゃく財ざい皆かい済さい御おん領りょう中ちゅう御おん再さい復ふくの儀ぎ取とり計はからい申もうすべしとの御おん頼たのみに候そうらはば、初しょ発はつ致いたし方かたも御ご座ざ無なく、極ごく御おん難なん場ばにてさえ御ご承しょう知ちの通とおり仕し法ほう組くみ立たて差さし上あげ候そうろう儀ぎを、今いまは多た分ぶんの御おん減げん借しゃくに相あい成なり居おり候そうろうのみならず、御おん領りょう中ちゅう自し然ぜん潤じゅん沢たく致いたし居おり候そうろう場ばに候そうらへば、下げ拙せつ一人りにて引ひき受うけ、御おん無む借しゃくの道みち取とり計はからい候そうろう共とも心こころ易やすき事こと、初しょ発ほつの半なかばにも御ご座ざ無なく候そうろう間あいだ、御ご安あん堵どの道みち取とり計はからい申もうすべし。抑そもそも先せん君くん厚あつき御ご仁じん心しんを以もって御おん家か政せい御おん取とり直なおし御おん領りょう民みん御ご撫ぶ育いくの道みち御おん頼たのみ仰おおせ入いられ候そうろう処ところ、計はからずも御ご逝せい去きょ愁しゅう歎たん限かぎり無なく、乍去さりながら思おぼし召めしは当とう領りょう分ぶん有あらん限かぎり減げんじ申もうさず、当とう君くん御おん幼よう年ねんに為なし渉わたられ候そうろう共とも、御父君ごふくんの思おぼし召めしを無むに遊あそばされ候そうろう御ご不ふ孝こうの思おぼし召めしは毛もう頭とう御ご座ざ有ある間ま敷じく、況いわんや各かく方ほうには先せん君くんの思おぼし召めしを継つぎ、幼よう君くんを補ほ佐さし、御おん国こく家か御おん永えい安あんの政まつりごとを布しかれ、死しに事つかう生せいに事つかえる如ごとくの御ご忠ちゅう義ぎ御おん励はげみ勤つとめ成なさるべきは申もうす迄までも之これ無なき儀ぎに付つき、弥いよいよ先せん君くん思おぼし召めし通とおり御おん借しゃく財ざい御おん皆かい済さい御おん領りょう分ぶん御おん興こう復ふくの道みち御おん押おし立たてに相あい成なり候そうらはば、先せん君くんの尊そん霊れいを安やすんじ奉たてまつり、当とう君くんえの御ご忠ちゅう義ぎ確かっ乎ことして相あい立たち、二万まん石ごく永えい久きゅうの大たい幸こう過すぎざるの義ぎに御ご座ざ候そうろう間あいだ、厚あつく御おん取とり行おこない成なされ候そうらはば、先まず御おん皆かい済さいの道みち相あい立たち差さし上あぐべし。私わたし方かたは初しょ発はつより兎とに角かくの存そん意い御ご座ざ無なき儀ぎに付つき、何いずれにても御おん治ち定じょう下くだされ候そうらえば、其その段だん向むこう々むこうえ相あい達たつし、一身しん進しん退たい仕つかまつるべく候そうろうとありければ、何いずれも別べつの異い論ろんなく、相談そうだんの上うえ御挨拶ごあいさつに及およぶべき旨むねにて退散たいさんの事こと。
2022年06月18日
2022年7月2日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【八】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す その13先生(せんせい)又(また)命(めい)じて曰(いは)く、川幅(かははゞ)に応(おう)じ茅屋(ぼうをく)を作(つく)り之(これ)を葺(ふ)くべしと。衆人(しゆうじん)何(なに)の故(ゆゑ)を知(し)らず。水上(すゐじやう)に屋(をく)を作(つく)りて堰(せき)を作(つく)らず亦(また)異(こと)ならずやと、秘(ひそか)に笑(わら)ふものあり。水上(すゐじやう)の屋(をく)既(すで)に成(な)る。先生(せんせい)曰(いは)く。誰(たれ)か屋上(をくじやう)に登(のぼ)り繋(つな)ぐ所(ところ)の縄(なは)を伐(き)り水(すゐ)中(ちゆう)に落(おと)す可(べ)しと。衆(しゆう)皆(みな)驚愕(きやうがく)一人(にん)敢(あへ)て応(おう)ずるものなし。先生(せんせい)曰(いは)く、何(なに)を憚(はゞか)りて上(のぼ)らざるや。衆(しゆう)同音(どうおん)答(こた)へて曰(いは)く、川上(かはかみ)の屋(をく)、縄(なは)を以(もつ)て繋(つな)げり。今(いま)之(これ)を断(だん)ぜば屋(をく)と共(とも)に川中(かわなか)に陥(おちい)り、死生(しせい)計(はか)るべからずと。先生(せんせい)怫然(ふつぜん)として曰(いは)く、汝等(なんぢら)危(あやう)しとせば我(われ)上(のぼ)りて之(これ)を断(だん)ぜんと。直(たゞち)に屋上(をくじやう)に登(のぼ)り刀(たう)を振(ふる)ひて数所(すうしよ)の縄(なは)を断(だん)ず。其(そ)の迅速(じんそく)飛(と)ぶが如(ごと)し。屋(をく)一震(しん)水中(すゐちゆう)に落つ。衆(しゆう)皆(みな)愕(がく)然(ぜん)、先生(せんせい)屋上(をくじやう)に立(た)ちて曰(いは)く、汝等(なんぢら)之(これ)を危殆(きたい)とす。我(われ)何(なん)ぞ汝等(なんぢら)に危事(きじ)を命(めい)ぜんやと。衆(しゆう)皆(みな)其(そ)の過(あやま)ちを謝(しや)し、益(ますます)先生(せんせい)の神(しん)知(ち)測(はか)るべからざるを感(かん)ず。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月18日
2022年6月17日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その9今(いま)一家(か)を抛(なげう)ち君命(くんめい)を奉(ほう)ず。明日(あす)より道路(だうろ)に立(た)たんか、素(もと)より某(ぼう)等(ら)の甘(あまん)ずる所(ところ)なり。然(しか)して君(きみ)若(も)し某(ぼう)等(ら)を憐(あはれ)み、采邑(さいいふ)中(ちゆう)の居住(きよぢゆう)を許(ゆる)し玉(たま)はゞ幸甚(こうじん)なり。極窮(ごくきゆう)飢寒(きかん)を免(まぬが)れ難(がた)しと雖(いへど)も、数(すう)百年来(ねんらい)世々(よゝ)君恩(くんおん)に浴(よく)し、相続(さうぞく)せしを以(もつ)て、拳々(けんけん)として故郷(こきやう)を去(さ)るに忍(しの)びず。是(これ)故(ゆゑ)に邑(いふ)人(じん)の家(いへ)を借(か)り、其(そ)の余田(よでん)を耕(たがや)して以(もつ)て永(なが)く君(きみ)の采邑(さいいふ)に居住(きよぢゆう)せんことを願(ねが)ふなりと。地頭(ぢとう)之(これ)れを許(ゆる)さば君(きみ)の善心(ぜんしん)自(みづ)から発動(はつどう)して永安(えいあん)の道(みち)も生(しやう)ぜん。然(しか)らば汝(なんぢ)等(ら)も邑(むら)の余田(よでん)を耕(たがや)し、或(あるひ)は荒地(くわうち)を開(ひら)き、心力(しんりよく)を尽(つく)して稼穡(かしよく)すべし。必(かなら)ず天(てん)の恵(めぐみ)を得(え)て以(もつ)て再(ふたた)び相続(さうぞく)の道(みち)を生(しやう)ぜん。能(よ)く勉(つと)め、能(よ)く愼(つゝし)み、弥々(いよいよ)以(もつ)て君恩(くんおん)を忘(わす)る可(べか)らず。若(も)し斯(かく)の如(ごと)く歎願(たんぐわん)すと雖(いへど)も、君(きみ)許(ゆる)し玉(たま)はざる時(とき)は如何(いか)にせん。君(くん)民(みん)の道(みち)既(すで)に尽(つき)たり。是(こゝ)に於(おい)て已(や)むことを得(え)ずんば妻子(さいし)と倶(とも)に当邑(たういふ)に来(きた)れ。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください💛6月16日のプレバトのトーストアート。光宗薫さんの「猫とねむる」で一発特待生。素晴らしいアボカドベースというのも、私が毎日パンにアボカドベースを塗って、その上にブルーベリーを載せているだけに親しみがわく。辻本舞さんの カリフラワーをカスミソウに見立てるアイデアも素敵。先生が手直しとして カリフラワー一色ではなく小さな玉ねぎを加え、さらに緑の葉っぱが花の間に見える図も見た目も美しく、おいしそう。
2022年06月17日
2022年6月16日報徳記を読む 現代語訳 第二集 報徳記巻の2【七】先生辻門井二邑の里正を教諭す その8誠(まこと)に歎(たん)ずべきの至(いたり)にあらずや。汝(なんぢ)等(ら)夫(そ)れ此(こ)の二者(しや)の内(うち)何(いづ)れを是(ぜ)とし何(いづ)れを非(ひ)とするや。若(も)し此(こ)の言(げん)を是(ぜ)とせば速(すみやか)に君(きみ)に奉(ほう)じ、然後(しかるのち)地頭(ぢとう)へ歎願(たんぐわん)すべし。其(そ)の言(げん)に曰(いは)く、目今(もくこん)君家(くんか)の艱難(かんなん)に当(あた)り報恩(ほうおん)の為(ため)に力(ちから)を尽(つく)し之(これ)を補(おぎな)ひ、君(きみ)の苦心(くしん)を安(やす)んぜん事(こと)を念(ねん)願(ぐわん)すと雖(いへど)も、貧民(ひんみん)の微力(びりよく)に能(あた)はず。聊(いさゝ)か報恩(ほうおん)の一端(たん)にも当(あた)るに足(た)らずと雖(いへど)も、衣類(いるい)家財(かざい)田地(でんぢ)に至(いた)るまで余(あま)す所(ところ)なく之(これ)を鬻(ひさ)ぎ、猶(なほ)些少(させう)たりとも価(あたひ)多(おほ)くして君(きみ)の小(せう)補(ほ)あらん事(こと)を願(ねが)ひ、四方(はう)に奔走(ほんそう)し以(もつ)て高価(かうか)に販(ひさ)ぎ之(これ)を奉(ほう)ず、然(しかれ)ども君(きみ)の艱(かん)苦(く)何(なん)ぞ此(こ)の微(び)金(きん)を以(もつ)て補(おぎな)ふに足(た)らん。某(ぼう)等(ら)二村(そん)の里正(りせい)として諸民(しよみん)に先(さき)んじ、君家(くんか)の為(ため)に家(いへ)株(かぶ)を廃(はい)して之(これ)を献(けん)ず。諸民(しよみん)も之(これ)に倣(なら)ひ、稍々(やゝ)家(いへ)を廃(はい)して献(けん)ぜんこと疑(うたが)ひなし。君(きみ)ありて民(たみ)あり、民(たみ)ありて君(きみ)も亦(また)安(やす)んじ玉(たま)ふ。故(ゆゑ)に二邑(いふ)の民(たみ)悉(ことごと)く退散(たいさん)するに至(いた)りては、田圃(でんぼ)荒蕪(くわうぶ)し租税(そぜい)出(い)づる所(ところ)なく、君家(くんか)の禍(わざはひ)益(ますます)深(ふか)きに至(いた)らんか、是(これ)某(ぼう)等(ら)の悲歎(ひたん)止(や)み難(がた)き所(ところ)なり。仰(あふ)ぎ願(ねがは)くは君(きみ)の賢明(けんめい)を以(もつ)て後(こう)栄(えい)の道(みち)を慮(おもんばか)り先(せん)君(くん)への孝道(かうだう)を全(まつた)くし玉(たま)はゞ、某(ぼう)等(ら)の大喜(たいき)豈(あに)之(これ)に加(くは)ふるものあらんや。令和4年5月8日現在「報徳記を読む」第二集ー報徳は精神改革であるー全ルビ付原文、現代語訳、参考資料 (2014年11月28日発行)国立国会図書館 都道府県立図書館 北海道、秋田県、岩手県、山形県、宮城県、福島県、茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県、富山県、石川県、愛知県、三重県、京都府、和歌山県、兵庫県、島根県、岡山県、徳島県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県鹿児島県奄美、沖縄県市区町村立図書館 図書館(北海道)17館 札幌市、江別市、富良野市、北斗市、帯広市、北広島市、恵庭市、北見市、釧路市、根室市、比布町、様似町、京極町、美幌町、八雲町、別海町、佐呂間町、(青森県)4館 青森市、八戸市、十和田市、五戸市(岩手県)8館 盛岡市、奥州市、花巻市、遠野市、二戸市、大船渡市、久慈市、金ヶ崎町、(宮城県)3館 石巻市、名取市、加美町(福島県)9館 郡山市、相馬市、いわき市、会津若松市、喜多方市、本宮市、南会津町、三春町、新地町(栃木県)6館 足利市、日光市、栃木市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、(茨城県)4館 ひたちなか市、筑西市、常総市、八千代町(群馬県)2館 館林市、渋川市(埼玉県)1館 所沢市(千葉県)2館 市原市、流山市(神奈川県)14館 横浜市、藤沢市、秦野市、相模原市、小田原市、小田原市立小田原駅東口図書館、厚木市、大和市、海老名市、平塚市、伊勢原市、大磯町、逗子市、二宮町(新潟県)3館 五泉市、新発田市、南魚沼市(長野県)1館 白馬村(静岡県)11館 静岡市、浜松市、下田市、磐田市、袋井市、三島市、御殿場市、掛川市、菊川市、焼津市、森町(富山県)3館 富山市、滑川市、黒部市(石川県)3館 金沢市、加賀市、羽咋市(福井県)1館 あわら市(愛知県)3館 名古屋市、岡崎市、新城市(京都府)1館 南丹市立図書館(大阪府)1館 大阪市(兵庫県)3館 姫路市、三田市、赤穂市(島根県)1館 松江市(山口県)1館 防府市(香川県)2館 善通寺市、観音寺市(高知県)3館 土佐市、南国市、いの町(愛媛県)2館 西条市、今治市(大分県)1館 臼杵市(熊本県)3館 上天草市、水俣市、人吉市(宮崎県)4館 宮崎市、都城市、小林市、日南市(鹿児島県)6館 薩摩川内市、指宿市、日置市、姶良市、霧島市、与論町(沖縄県)1館 北谷町「はやぶさ2」が回収した小惑星の砂にアミノ酸確認 生命の起源解明につながるか 岡山大など6/10(金)岡山大学やJAXA・宇宙航空研究開発機構などの研究グループは、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから回収した砂などに含まれる物質を総合的に解析しました。 砂からは水素や炭素、水などが見つかり、太陽系の形成・進化のメカニズムを解明していく上で重要な成果だということです。その他、アミノ酸23種類を含む有機物も確認されました。 アミノ酸は、生命に必要なたんぱく質を構成する物質で、今後、生命の起源解明に向け議論を進めていく上での貴重な発見となりそうです。リュウグウ試料から「多量の水」 海の起源、謎解明の手がかりか6/10(金)宇宙航空研究開発機構(JAXA)や北海道大などの分析チームが9日付の米科学誌サイエンス電子版に発表チームは、採取された砂や石の化学組成を精密に測定。主な成分は水を含む粘土鉱物で、他に炭酸塩鉱物や硫化鉄なども含んでいた。水は質量比で全体の約7%を占めた。液体の水ではなく、ほとんどが酸素と水素の原子が結合した水酸基(OH)の状態で存在していたが、水分子(H2O)も確認された。 リュウグウは、約46億年前の太陽系の誕生から間もないころにできた小天体が壊れてできたと考えられている。小天体に約40度の水があったとすると、これらの鉱物ができた理由がうまく説明できるという。 一方、試料の中の酸素原子は、地球の海の水と比べ、重い酸素の割合が少しだけ高かった。そのためリュウグウと同質の小天体が衝突するだけでは、海と同じ水ができるとは言えないという。 太古の地球はドロドロに溶けたマグマのような状態だったと考えられ、どうやって水が運ばれたかは謎の一つだ。水を含む粘土鉱物からなる「炭素質隕石(いんせき)」は地球上でも見つかっている。リュウグウの試料やこれらの隕石は、太陽系で最も原始的な物質と考えられ、こうした謎を解く手がかりになるとみられる。💛 朝5時サイクリングに行こうとすると雨。布団でもう一眠り。隣で妻が目覚める気配。「足を押そうか?」押す時は両足を膝の上に置いて合掌して「○○が健康で元気で感謝します」と魔法の言葉(Magic Word)を唱えてから片足ずつ足の裏を押す。超高齢化社会、コロナのステイホームの時代、夫婦が共に健康であるために、足の裏マッサージを活用することは有効であるように思える。💛「報徳記」の原文(全フリガナ付き)を輪読してみませんか?第2集、第3集は絶版ですが、第1集は手持ちが少しありますので、読書会等で「報徳記」の原文を輪読されたい読書会等がありましたら、上記の公共図書館に寄贈し蔵書となっている本(「報徳記を読む」第1集)の奥付に連絡先のメールアドレスが載っていますので、ご連絡ください
2022年06月16日
湯船は 大人はかがんで 子どもは立つ のを中庸とする。富む者が よく分度を守って よく譲るならば 村が富栄え 和順することは疑いがない。「二宮翁夜話」(底本は、「報徳要典」昭和9年1月1日発行)二宮翁夜話巻之1【38】嘉永かえい5年正月ねんしやうがつ、翁をうおのが家いへの温泉をんせんに入浴にふよくせらるゝ事こと数日すうじつ、予よが兄あに大澤おほさわ精せい一、翁をうに随したがつつて入浴にふよくす。翁をう湯桁ゆけたにゐまして諭さとして曰いはく、夫それ、世よの中なか汝等なんぢらが如ごとき富者ふしやにして、皆みな足たる事ことを知しらず、飽あくまでも利りを貪むさぼり、不足ふそくを唱となふるは、大人だいにんのこの湯船ゆぶねの中なかに立たちて、屈かがまずして、湯ゆを肩かたに掛かけて、 湯船ゆぶねはなはだ浅あさし、膝ひざにだも満みたずと、罵ののしるが如ごとし、若もし湯ゆをして望のぞみに任まかせば、小人せうにん童子どうじの如きは、入浴にふよくする事ことあたはざるべし、是これ湯船ゆぶねの浅あさきにはあらずして、己おのれが屈かがまざるの過あやまちなり、能よく此この過あやまちを知しりて屈かがまば、湯ゆ忽たちまち肩かたに満みちて、おのづから十分ぶんならん、何なんぞ他たに求もとむむる事ことをせん、世間せけん富者ふしやの不足ふそくを唱となふる、何なんぞ是これに異ことならん。夫それ分限ぶんげんを守まもらざれば、千万石まんごくといへども不足ふそくなり、一度ど過分くわぶんの誤あやまりを悟さとりて分度ぶんどを守まもらば、有余いうよおのづから有ありて、人ひとを救すくふに余あまりりあらん、夫それ湯船ゆぶねは大人だいにんは屈かがんで肩かたにつき、小人せうにんは立たつて肩かたにつくを中庸ちゆうようとす、百石こくの者ものは、五十石こくに屈かがんで五十石こくの有余いうよを譲ゆづり、千石こくの者ものは、五百石こくに屈かがんで五百石こくの有余いうよを譲ゆづる、是これを中庸ちゆうようと云いふべし、若もし一郷きやうの内うち一人り、 此この道みちを蹈ふむ者ものあらば、人々ひとびと皆みな分ぶんを越こゆるの誤あやまりを悟さとらん、人々ひとびと皆みな此この誤あやまりを悟さとり、分度ぶんどを守まもりて克よく譲ゆづらば、一郷きやう富栄ふえいにして、和順わじゆんならん事こと疑うたがひなし、古語こごに、一家か仁じんなれば一国こく仁じんに興おこる、といへり、能よく思おもふべき事ことなり、夫それ仁じんは人道じんだうの極きよくなり、
2022年06月16日
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