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今度行くツアーの予定表を見ながら、どこをみるのだろうとイメージしたりしていた。大抵妻のツアーの便乗をさせてもらっているようなものだが、ブログに使うし、楽しんでもいる。悪い趣味ではないのだろうが、結構手抜きをした暮らしでもある。どうしてこうなったのか自分でもわからないが、これも偶然の所産だろう。会社員もあまりしたくなかったが、他にできることがあったのでもないだろう。 ・措かれた環境で運命も変わる。ろくに人生を知らない人が文学者になろうとする。農業を知らない人が農学者にもなる。果たして信仰のある人が牧師になるのだろうか。長くしているうちに分かるものは解りもするのだろう。何をしていいかわからないで始める人もいるのだろう。私はまさにその一人である。自分を知ろうと思ったが、いつも中途半端だ。 ・へ2・・・嘲笑されても仕方のないことばかりした。本気になれなかったことが悔やまれるが、それも能力の範囲だろう。愚か者の仲間入りをしているが、これも運命でしかない。
2014.04.30
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声聞弟子というのは、文字の読めない弟子のことだが、文字が読めても理解できないひともいる。聴いただけで理解できるということは容易ではない。たった一度しか聞いていない言葉をいつまでも忘れない。ひと脳力は計り知れないところがある。感性が豊かだという意味は、真実を理解できることなのだろう。こどもたちの想像力は、玩具さえ空を飛ばすことができるのだろう。 ・赤ん坊は、大人が考えている以上に、現実を理解しているらしい。発達心理学の発達で驚くべき能力の高さが解ってきた。ひとは物事を見て、読んで、考えて暮らしているが、思考には個性がある。文字を知らない文化でも、それに代わる知性が向上するに違いない。決して聴いたことを忘れない能力があるのだろう。とてもぼんやり暮していてはできないが、一生に二度とない出会いもあるからだ。 ・へ2・・・お経も知らない人が、優れた仏教徒もいるし、聖書も読めない人が熱心な信者として殉じた人さえいるのだろう。エリートだけが優れた人間ではない。むしろ謙虚に生きている人の中に尊敬できる人が沢山いるのだろう。韓国の人たちが、最近沈没した多くの高校生たちを見殺しにした本当の理由を問うているらしい。いざというときに何ができるかが問われているのだ。多くの犠牲者を出して、初めてわかることがある。
2014.04.30
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一人でいるから孤独ではない。孤立することが問題だろう。一人でいられることは至福の時でもあるかもしれない。ひとりで山歩きや、川で遊んでいて寂しくはない。寧ろ充実感さえあるだろう。他人も顔を見ずにいられることも偶には好いだろう。独り者が可哀想だというのは勝手な独断であることが多いだろう。 季節の折々で、風景も変わってくる。それがまたいい。そして、お気に入りの場所は、余り他人と一緒でない方が好いかも知れない。自分の脳は自分だけしか使えないのだ。まあ桜の頃なら、友人と歩いても良いかも知れないが、寂しい時は一人が好いだろう。 外国だけが好いのではないだろう。日本にもどこにも好いところはある。それが中々見つからなくなっている。見つけるのも個人の能力の内かも知れない。 少し写真が増えてきたので投稿する写真の順序が難しくなってきた。まだこれから増えそうです。 家族と一緒に暮らしているが、これもいつまでか分からない。夫婦だっていつかは、どちらかが先に死ぬだろう。父は、母が50近くで死んだので、父は亡くなる70歳まで、何かと不自由な思いをしたことだろう。妻は私より若いし、私の方が先だろうが、世の中は何があるか分からないので、年齢だけでは湧かないところはある。然し、年齢というのは、誤魔化しの効かない世界でもあるから、私は先になるだろう。 夫婦というのは面白い。死なれて解かることもあるようだ。伯母が口喧しいと早く死んで清々したいと伯父を厭がっていたが、伯父が死んだら気落ちして後を追うようにすぐ逝ってしまった。独り暮らしをして孤独になり孤立化してしまう人もいる。独りで生きるということも熟れないがその心構えも必要なのだろう。
2014.04.30
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暖かくなるといつでもシャワーができるし、歩いて汗を掻いても困らないのは好い。インドは5月は暑いらしい。とても日本の暑さではあるまい。九州の熊本育ちで、鹿児島の隣だが、出水に行って真夏の陽射しに目がくらくらしたのを覚えている。その日は特別だったのだろうが、これは違うと思ったものだ。どこへ行っても人間が暮している。適応しているから生きてもいられるのだ。 ・ここ10年余り、ツアーをしているが、いい経験をさせてもらっている、ウオーキングや、講座も恵まれていると自分では感謝している。とてもセルフ・ラーニングでは、続けられなかったこともある。大学の公開講座が後押ししてくれたと思う。病気も、病院があるからQOLを維持できているのだろう。社会批判もするが、反面援けても貰っている。午前中出来れば仕事をして、昼からはのんびり過ごすという賢人がいたが、それが少しは分かるようになった。とても一日中頑張れなくなっている。ウオーキングの一日2万歩も限界に近い。 ・へ2・・・眠るときは、一日何度でも寝ている。まとめてぐっすり眠れないからだ。睡眠時間が短い。山登りというほどではない英彦山の裏山を妻と歩いていたら、意識を失ったことがあり、それから山登りをさせてもらえない。いつ何があるかわからない。今日一日を燃焼して暮らしていたいと思う。
2014.04.30
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PCが、どうもいうことを聴いてくれないが、どうやら私も少し寝ぼけているのだろう。こうして頭が半分寝ていたほうが、意外と本音が出るかもしれない。解っているようで、実は何もわかりはしないのだろう。自惚れて、墓穴も掘るのだ。それが自分では認識できないでいるとトンデモナイこともしてしまう。それが人間の弱さでもある。余り他人を責める気にはなれない。 ・人生は、殆ど失敗の花盛りだ。このままリセットしていいものかどうか、誰かに聞きたくもなる。そういえば最近目が悪くなり、ブログの文字が良く見ないので、メガネをはめているが、見えないまま書いてしまうこともあるので、変換間違いや誤字が多いと思う。まさかの文章に為ったりしている。それでもめげないで書いている。鳥渡は図々しいし、無神経になっている。 ・へ2・・・プロでもないし、アマでもないが、遣れることをしておきたい。こんなブログばかりして、余程莫迦かと思われるのだろうが、一つの事象はいつかおわるものだ。 いつまでも夕日を追いかけていたころを思い出す。自分では果てしないもののように思えるが、一つの山のそれでしかないのだ。
2014.04.30
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中村元の「ブッダ最後の旅」がYouTubeにあるのを思い出して、見たいと思ったのは、今度行くデリーからどれくらい離れているのだろうと調べたくなったからである。岩波講座「世界歴史」は全巻揃えているので、インド関連の箇所を読み始めたところだ。インド史を数冊読んでみたが、まだまだこれからだ。矢張り、日本史のようにはいかない。 ・自分の死について、これまでも考えてこなかったわけではないが、どこか他人事のように思っていたのは否めないところがある。然し、そろそろなのだろう。インドツアーも、謂わばそういう意味の巡り会わせかも知れない。脳がリセットするということであり、また白紙に戻る。輪廻転生を信じているわけではない。21世紀に生きている人間として、宗教の意味も少しは知っている。 ・へ2・・・絵空事ではなく、知りたいという願望はあるのだろう。誇張されたブッダではなく、人間としての理想が語られているに違いない。何かを少しでも知ろうとする人間由来の遺伝子が、少しは私にもある。こうして静かな時間を過ごせることは悪くはない。
2014.04.30
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17世紀には、世界の人口は5億人ほどだった。そして急激に増加した。20世紀初頭では3倍にもなった。南北アメリカ大陸とオーストラリアでは増加の速度が加速した。多くのヨーロッパ人が故国を離れ、人がいなくなった。これらの大陸に移住したからだ。併し、にも拘わらず、ヨーロッパの人口は3倍にもなった。アジアの人口も3倍なり、アフリカでも1千万人以上の奴隷船に乗せられて連れ去られたが、人口は増加した。第一次世界大戦の前で、世界の人口は15億人を超えていた。 出生率は殆ど変わらなかったが、子どもが幼いうちに死んでしまうことが多かったので、どこの国も出生率は高かったのだ。人口の急増は出生率が伸びたからではなく、死亡率が下がったからだった。世界の人口増加が始まって数百年の間に、どの大陸よりもヨーロッパ人の人口が多かったのだ。ヨーロッパに住む人びとだけでなく、大陸に移住した人びと、またはその子孫を合わせると、ヨーロッパ人の総人口は5倍に増加したことになる。 人口の急激な増加と産業革命は略同時期だ。二つの事実の相関関係はあると考えるのが普通だろう。それは単に生活が豊かになった事だけもではない。かってペストで数百万人も死んだがその原因が分からなかった。生活が豊かになり、医学が進歩したことが人口が増えた原因だろう。 いまや世界人口は、既に70億人を超えている。打つ手はあるのだろうか。勿論あるにはあるが、それを自分たちの問題として取組まないだけだ。
2014.04.30
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ウオーキング歩数累計(2008.4.15~) 年月歩数日数 2013.12.31まで45,191,6742,086 2014.1601,16731 2014.2490,19328 2014.3632,99231 2014.4.622,80330 累計歩数47,538,8292,206 2014年4月歩数実績表 年月日 気温起床歩数 2014/4/1火84;0523,686 2014/4/2水123;5024,387 2014/4/3木131;5513,844 2014/4/4金132;5518,102 2014/4/5土62;5021,376 2014/4/6日93;508,720 2014/4/7月64;0518,391 2014/4/8火92;1026,805 2014/4/9水92;3525,545 2014/4/10木112;1031,086 2014/4/11金104;0420,653 2014/4/12土133;0021,334 2014/4/13日143;4510,864 2014/4/14月105;0121,512 2014/4/15火83;5521,852 2014/4/16水142;3028,884 2014/4/17木134;007,653 2014/4/18金174;1823,088 2014/4/19土133;3022,333 2014/4/20日153;0014,969 2014/4/21月142;4822,716 2014/4/22火142;5522,650 2014/4/23水104;4522,752 2014/4/24木111;2015,552 2014/4/25金142;2023,792 2014/4/26土163;0121,975 2014/4/27日164;0524,056 2014/4/28月182;1016,436 2014/4/29火173;0522,650 2014/4/30水183;3025,140 合計 622,803
2014.04.30
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ローマのパルティザンたちにとって、戦いは孤独であった。いつも孤立して戦うしかなかった。全市をドイツ軍に包囲され、外から武器ははいってこなかった。武器を調達するにはドイツ軍から命がけで奪うしかない。その陰で犠牲者も出た。「われわれの愛国心というものは、レジジステンツァ(抵抗)にのみ見出される」とカルテ・カッポーニは言った。 「1944年3月23日午後二時過ぎ、市内中心部のラセッラ街で、大音響とともに爆裂音が轟いた。ナチ親衛隊156人は爆発とともに吹き飛ばされた。血の海になった。道路の両側の建物の窓ガラスは壊れ、親衛隊33人が死んだ。重軽傷は約70人だった。犯人は医学部学生と恋人の女性で、テロリストと多くの事件に関与し、大胆不敵な行動だった。」 激怒したヒットラーは「ドイツ兵一人に対しイタリア人50人処刑せよ」と厳命した。しかも24時間以内に! ゲシュタポも「1人対50人とは!」と絶句した。やがて「1人対10人」の実行命令に修正された。 処刑場は、「アルデアティーネの洞窟」だった。集められた処刑者は一人ずつ後手に縛られた。その時になってはじめて、集められた人々は、ここで何が行なわれようとしているかを知ったのである。やがて五人ずつの一団が次々へと洞窟の中に連行され処刑された。一つの洞窟が一杯になると別の洞窟で同じように処刑された。全員の銃殺が終わったのは、24日夜の8時過ぎであった。洞窟の入口は爆破して塞いだ。それから40日後、ローマに連合軍が到着した。事件発覚は、偶然洞窟の死角で目撃した農夫によって齎された。証拠隠滅は徒労に終わった。痛ましい犠牲者は、335人だった。 親衛隊のカプラー以下76人が処刑したという。犠牲者の最高齢は75歳、一番若い者は14歳の少年だった。一人ひとり脳天に銃弾が入るような角度で発射した。カプラーが指示した通りの方法だった。14歳の少年が引き立てられていく時は、パパガッロ神父が少年に頬ずりして抱きしめた。神父は声を詰まらせながら泣いていた。ほかのひとたちも泣きながら見送った。 ローマ占領司令部は次のような発表をしている。 「パドリオ政府の反ナチ・ファシスト一味がラセッラ街でドイツ軍に対し暴虐無類の事件を起した。ドイツ軍はわが方の死者一人に対して共産主義者十人を処刑するよう命令を受け、これは実施された」 イタリア国民は、この事件にも怯むことなく、反ナチ・ファシズム活動を展開した。そこに抵抗運動と、パルティザン運動というものの真髄がある。その闘争の形式は、まずテロであり、ゲリラであり、さらにはパルティザン闘争だった。 戦争は人を狂気にしてしまう。そしてふつうのひとでさえ、とても考えられないようなことをしてしまう。男も女も同じだ。こどもたちも狂ってしまうのだ。ネズミたちの集団暴走が起きてしまう、
2014.04.30
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高齢化にともなうリスクの増加が言われているが、意外と管理する役所が少ない。老人の三大リスクとはなにかというと、餅で窒息する、風呂場で溺死する。そして平屋建が少なくて焼死する事故が増加している。データが色々あるが、肝心の老人たちが知らないで、知らなくても平気な人たちがその情報をもっている。韓国の旅客船の事故について長々報道しているが、他人事で言われるからだろうか。 ・福島第一原発事故の問題は未だに解決しないが、どうもこれもいつか水に流されてしまうのではないだろうか。原因究明がドラスティックにされないのではないだろうか。これだけの世界的事故を起こしながら、東電は倒産しないし、誰も責任を取らないのだろうか。親方日の丸でいる。それがこれだけの不祥事になった理由でもある。曖昧にしてしまうのだろう。 ・へ2・・・リスク中心か、利益中心か、どちらに重点を置くか二つの選択肢がある。べネフット中心で、原発は建設されてきたのだろう。いざというときの対応ができていない。リスク中心ではないからであり、利益を上げている悪どい大企業はリスクを軽視するか無視して遣っている。安全神話ほど危ないものはない。新幹線だっていつ大事故が起きないとも限らないことを忘れてはならない。
2014.04.30
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小さな勇気 社会に出れば思いがけないことばかり起きる。自分の常識の範囲だけではない。今度の高速道の居眠りによると思われている大事故も、これだけの死者を出して、あとからでは遅いが、人間だから疲労あるし、病気もあるだろうが、原因はそれこそ色々考えられるが、それが何だとしても、要は起きる前に何ができるかでもある。そうなると分かっていれば、運転などしないだろうが、もし、「どうしても眠いので一時間でも眠らせてくれ」と運転手が言っていたとしたらどうだろうかと思うとそれができたのだろうかと思わないでもない。 ・クビになるかもしれないが、自分が運転したら危ないといえるだろうか。そういうことの言える社会環境があるだろうか。間違いを起こしてから後悔しても遅いのだ。冷静な判断が要求されるときに、まともに行動できるか、それが社会人の責任でもある。長距離のバス運転の600km迄は、一人運転を認めるという根拠は何だろうか。ひとの体調だけではなく、脳のこともある。ひとにはサドンダイもある。 ・へ2・・・危険を回避するためにしなければならないことは多い。山登りの、途中で引返す勇気は、一般の社会の中でもあるだろう。それを社会が理解することではないだろうか。運転手も人間だし、気分が悪いから会社を休みたいと言えば、クビにも為る。この就職難の時代に簡単には退職もできないこともあるが、一つ間違えば他人の命にもかかわる。小さな勇気を持つのは難しいが、やはり必要だと思う。
2014.04.30
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覚悟しておくこと それができるか?が問題ですが、最悪のケースを覚悟して措く、ということは言える。この年齢になってそれができないのは可笑しい。勿論そう思う根拠が問題ではある。中年までであれば、そこまでの必要はないかもしれない。それでもサドンダイもある。若いから大丈夫なのではない。50歳までしか戦前は平均寿命はなかったのだから、その頃の、年齢についての意識は随分違っている。庶民の社会に対する意識もかなり違っている。 ・ドラッガ-が、「最悪のケースを・・・」と云ったのは、「パニック」にならないためだ。ひとが過ちを冒すのは、大抵は、パニックを起こしてしまうからだ。普段は冷静な人も、追い込まれると弱いのだ。保身のためにすることが、世間から非難もされる。みな同じでなければならないのが公平のルールであり、最低限のけじめもある。国家が社会のために死ねと命令されたら、「あなたは死なねばならない」のが社会契約論にある。 ・へ2・・・果たして、どれだけの覚悟があって日々を暮らしているだろうか。その覚悟は、「ある時と、ない時」があるのでも困るが、実はみな、その時次第なのだ。ただ、できるかどうか解からないが、そのつもりでいなければならない。自分の心の油断をしないことでもある。出来ることとできないことがある。それは精神を鍛えておくことでもある。今日死ぬかも知れないと、仏教は教えている。
2014.04.30
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世の中、「ああぁー、いいやつぁー、早死にする」らしい。日本だけかと思えば、どこの国でもそう思うひとがいるようだ。それは、誰もが抱く想いでもあるのだ。自分の周囲を見回してもそういえることばかりだろう。遠慮し過ぎていたのだろうか。ふてぶてしい連中が長生きするので世間は世知辛くなるばかりだろうか。勿論妄想だろうが・・・。 心の優しい人は、いなくなってしまって我利我利亡者ばかりになってしまったら、どんなにか暮らし難いことだろうか。でもそれを許容する現代社会ではないだろうか。他人よりも好いサービスを望むものが多いのではないか。他人より少しでも好いものを、豪華でいたいと内心思っているのではないか。それを増長する商業主義が闊歩しているではないか。 寧ろ謙虚にあろうとするものが社会の隅に押しやられ悲涙むせんではいないか。太った豚が痩せたソクラテスを虐げてはいないか。そういう社会を世間が黙認してはいないか。
2014.04.30
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やはりモンゴルの歴史は、壮大だ。中世の暗黒時代を読んで人間の残酷さを思ったが、モンゴル軍の殺戮の遣り方も無残としかいいようがない。それでも強かに生きて来た人類とは何ぞや、といいたくもなる。チンギス・ハーンから、世界制覇のための長い遠征と時間の経過と激しい無数の虐殺があり、長い戦いの果てに、フビライがついにアジアの最強の男になる。 しかし、フビライには各地のハンを招集したクリルタイで公式に大ハンの称号をうけ、正統の大ハンになったのではなかった。それぞれが広大な領土をもつハン国は、独自の道を歩みだしていた。かってのチンギス・ハーンの統合された帝国ではなかった。ペルシャに侵攻したフレグの大遠征が、大ハーンの名においておこなわれた帝国最後の軍事遠征であった。 フビライは、実質には大ハンではなかった。現実にはキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国は、フビライの手から離れていたのだ。フビライの頭は中国統治で充たされていた。中国におけるモンゴル人は略数十万人で、中国人は数千万人に達していた。非中国人による露骨な人種差別政策によって成立したのだ。 やがてモンゴル帝国の長が世界の大ハンとして君臨する時代は、二度ともどることはなかった。大ハンによる世界制覇の夢は消え去り、東洋は長い眠りの中につくことになるのだ。
2014.04.30
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生命が沸き立つ様な自然だと思う。この微風は人工ではできないしできたとしても莫大なコストがかかるだろう。ひとの体もばらばらにしてしまえば何のことはないありふれた物質であり臓器でしかない。併し創造するとなるとそうはいかない。それこそ21世紀の科学をしてもちゃちなロボットしか創れないではないか。 今の自分にはくだらない人生だと思えるとしたら、自分が低俗な観念しか持っていないからだろう。周囲にあるものから作り出してこの社会を造ってきた。今あるものから明日の為になるものが必ずあると信じようではないか。それがたとえ挫折したとしても、それはただ私たちが未熟だからであって次代のものたちがうまく遣るだろう。それだけのことでしかない。自分のものであって自分のものではないのだ。世界はみんなの為にあり、次代は子孫のためにあるだろう。この美しい自然を残したい。何故ならそこから湧いてくるものは未来を指してもいるだろうからだ。 自然の中から生まれた種としてのヒトは、自然の調和を破壊することは自滅に繋がるだろう。植物と昆虫と鳥や動物たちと共存する道を選択すべきだし、ミクロコスモスに棲む無数の微生物を絶滅させては生き残ることなどできはしないのだ。私たちが眼にしている風景や光景はただものではない。数十億年の歴史があって造り上げられたものでもある。
2014.04.30
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なぜこうも恥ずかしいことばかりするのだろうか。以前のブログを見て恥ずかしい。それでも何か言いたいことがあり、中途半端になる。反発もする。抗いもする。慣れるという気持ちになれないでいる。ものは壊れていくし、時は過ぎてしまう。史書なきインドも、日本も同じだ。普遍的な世界史を作れないのは人類の蒙昧でしかない。 ・なぜ恥ずかしいことをしてしまうのだろうか。取り返しのできないことをして社会から非難されている。誰でも過ちを冒してしまう。自分ではないと自惚れているといざというとき自分がちゃんとできるか確信のある人は少ないだろうし、ある人ほど危ない。この世に未練がない人はいないからだ。戸惑いながら生きているのが人間でもある。一時のふるまいで、評価されるだけだろう。 ・へ2・・・社会は、個人のふるまいを肥やしにしているに過ぎない。惜しまれる人はそうはいない。せめて恥ずかしいことを減らす努力をするしかないのだろう。凡人の評点は高くはない。まぐれで評価されてもそれだけでしかない。
2014.04.30
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何時かは別離がある。清々するもあり、惜しむものもある。柵もあるかも知れな い。亡霊が邪魔もするだろう。邪気に溢れた世界だから。何とも会社は狭く、九州も狭いし、日本も狭い。狭さを知り、何とか周りと折り合いを就けたいと謙虚に もなろうとするが邪魔をする奴も出て来る。流石に世知辛い世の中だ。利己的な遺 伝子に操られしひとびとが見え隠れもする。然し、われはわれなり、わが道を行く しかない。ひとのスケールで世界を計ろうとする愚劣に付き合う暇はない。かくて、過去は過去に過ぎぬ。リセットされたものなり。さらば、なりけり。この社会に沈むことなく生きる術を学び、衒わず、身を低くして、自分に相応しい生活をしたい。過去の亡霊を引きずる人に明日は来ないだろう。ひとには、「無知と貧困」と いつも虐げられし歴史あり、これと闘う唯一の武器は科学と知識である。
2014.04.30
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ムガル帝国が、モンゴルから来ているとは知らなかった。中央アジアの思想が日本にも来たのだろう。中華と言っているのは漢民族ばかりらしい。意外とそんなものだ。威張るやつは自惚れでしかない。強がっている奴は意外と脆いのだ。本気で来られたら逃げ出すものだ。自分が強くなれば相手も強くなる。人間とウイルスとの闘いも、段々熾烈になるだろう。 ・楽をすれば、体が弱くもなる。頭も悧巧にはならなくなるだろう。楽をしている人の顔は醜い。のっぺらぼうの顔が美しいと誰が決めたのだろうか。化粧品の会社ではないだろうか。外見だけではなく、内臓もあれば精神もある。むしろバランスの取れたヒトなのだろう。価値観が歪んでいるのに気づかない。 ・へ2・・・本当に人間が解っている人たちが、先に逝ってしまう。残りのくだらない人が余計なことをする。あとの人たちに自由選択のできる余地を残さなければならない。全部使おうとする人間の欲望が止まらない。骨の髄までしゃぶろうとしている。諦めの悪い奴が蔓延ればこの世は風通しが悪くなる。
2014.04.29
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30日が一か月になる。それが12か月あって一年間になる。その繰り返しだが、一日が過ぎないと明日は来ない。楽しいことばかりに目が向けばいいが、そうはいかない。冬季鬱というのがあるが、日照時間と相関関係があるらしい。当然のことだろう。それでもいいこともあればよくないこともついてくる。佳人薄命もある。 ・良い男には根性が足りないし、悪い奴ばかり動き回る。好きな人とカップルになったと思えば、辛い人生が待っている。兎角此の世は住み難い。ああ幸せだなあと思う時間が短い。それでも、時は流れているのだろうか、不可逆なのだろうか。これまでの常識では考えられないことが科学されている。 ・へ2・・・悪いことをしても、誰にもばれないと思っているが、本当は誰かに観察されているかもしれない「天」という概念が、中央ユーラシア大陸では長い伝統のある思想であったらしい。その名残が日本にもある。私のミームの中にもある。キリスト教もイスラム教も仏教も同じ「天」として受け入れようとしたのだ。これでは相手が納得しない。今日で。4月も終わる。 福岡市の日照時間と気温 年月日曜日日の出;現在気温 2014/4/1火6;0618;388 2014/4/2水6;0518;3812 2014/4/3木6;0418;3913 2014/4/4金6;0218;4013 2014/4/5土6;0118;416 2014/4/6日6;0018;419 2014/4/7月5;5918;426 2014/4/8火5;5718;429 2014/4/9水5;5618;449 2014/4/10木5;5518;4411 2014/4/11金5;5318;4510 2014/4/12土5;5218;4613 2014/4/13日5;5118;4714 2014/4/14月5;5018;4710 2014/4/15火5;4818;488 2014/4/16水5;4718;4914 2014/4/17木5;4618;5013 2014/4/18金5;4518;5017 2014/4/19土5;4318;5113 2014/4/20日5;4218;5215 2014/4/21月5;4118;5314 2014/4/22火5;4018;5314 2014/4/23水5;3918;5414 2014/4/24木5;3818;5511 2014/4/25金5;3618;5614 2014/4/26土5;3518;5616 2014/4/27日5;3418;5714 2014/4/28月5;3318;5818 2014/4/29火5;3218;5917 2014/4/30水5;3118;5918
2014.04.29
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愛する者から遠ざかれという教えは簡単には断ち切れない。それが煩悩でもある。その愛着を棄てなければ悟りはない。無知即ち無明であり、それと明を対置させて涅槃を民衆にといたのが仏教であり、バラモンから民衆を解放しようという民衆的イデオロギーだったようだ。本を読みだすと途端に体が動かない。 ・まあ、これも加齢のためだし、同時進行があれもこれもが出来なくなった。ウオーキングくらいと思っていたら、実際1万歩を歩くのも結構時間がかかる。数年前まで、時間は短縮していたが、最近は、時間が長くなっている。加齢は厳しい戦いでもある。不老長寿とはいかない。 ・へ2・・・テレビでは、韓国の旅客船の遭難時の船長の振る舞いについて非難が高まっているが、これもエゴイストの時代の一例のような気持さえしてくる。自分だけは助かりたいと思うだろう。それでも許されない行為がある。一番罪の重い人は誰だろうか。そして復讐しなければ収まらない感情こそ執着でもある。
2014.04.29
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美しいものを見ると心惹かれる。この世は黴菌ばかりだと絶望して死んだ科学者がいたが、それは本当に科学者だったのだろうか。生命活動は、闘いの中にあり、ほんの4%でしかない物質世界の中で活きてもいる。猫の目は美しいと発見した。生命は美しさで充ちていると思う。 これから、蔵書の中からインド関連の本を探してみようと思い、岩波講座「世界歴史」をチェックしていた。どれだけあるかわからないが、あとツアーまで一か月しかないが、矢張りインドは興味が湧いてくる。
2014.04.29
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精神科医フランクルの「夜と霧」は、人間の幸福とは何かを考えさせる。そ して彼の結論は「自己から人生を問うのではなく、人生から自己を問わねば ならない。どんな人生にも意味がある」であり、「人間は強制収容所のよう な絶望的な環境の中でも、人生の意味を見出すことができるのだ」という。つまり、脳はそういう絶望的な環境にも適応できるという。A10 という神経 細胞を刺激するらしい。幸福感とは何だろうか。他人から認められることだ ろうか。それは単に名誉欲だろうか。あるいは「プラス思考」なのだろう か。達磨大師は、洞窟から出て「睨んでいるだけでは壁は動かなかった」と いうのだ。信仰という何かを信じ続けるという訓練が、悩みを短時間で経由させるのであろうか。夕焼けや、月を観て美しいと感動できる人間でありた いものだ。自分の幸福とは、自分の人生から自己を問い直すことではない か。
2014.04.29
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グランドキャニオンの風景が、モニュメントバレーの相に変貌するまで、どれくらいの時間が必要なのだろうか、おそらくそういうときまで、人は見ることはない。いくつかの世界遺産をみたが、どれも見て感動しないものはない。種としてのヒトは、化石にさえならないという。これだけの科学の進歩を目にして、ひとの偉大さを讃えているが、それは自惚れでしかない。ひとは泡のように消えてしまうだろう。 ・考えてみれば、私が体験してきた苦厄や悩みなど取るに足りない。ブッダがした修行のどれ一つでもないのだろう。飢餓も苦痛も乞食も、何一つ知らないでいる。命の果敢なさをリアルに体験したと言える人はどれだけいるだろうか。原爆で被曝したひとの絶望を知らない人ばかりだろう。原発を50以上も建設したのは犠牲者たちではない。 ・へ2・・・無知や貧困を知らない人たちが、国家の予算を担っている。民衆のイデオロギー的な性格を具有している人々の手に取り戻すべき努力が必要だ。ひとには有限の時間しかない。
2014.04.29
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努力しないものに知恵は得られないのあろう。他人に頼るものは見ていて恥ずかしくさえ感じるものだ。我儘な娘がそのままで入院している。あれはどうだと文句ばかり言っている。気に入れない看護師がいるようだ。同性でもあり、遠慮がないのだろう。肌を出して注射を打つのがどうとか言っていた。特別扱いはできないが、しぶしぶ病室で注射をしてやっていた。どこにも我儘な子供はいるが、それが大人になっても抜けないのは、そういう教育の場がなくなってきたからでもあるだろう。自ら招いた病気もある。そして自分では闘おうとしていない。どういうつもりでいるのだろうと思ってしまう。体はマンモスでもこころは蟻なのだろうか。 ・数人の看護師に話を訊いてみたが、過酷な労働だ。よく遣っていると思う。それが選んだ職業でもあるのだろう。一番ひとの嫌がる仕事でもあるだろう。綺麗ごとでは済まないからだ。色んな人間がいるし、病気になるくらいだから人間の弱い面を見なければならない。外では颯爽としていても、病院では陰湿にもなる。あまりいい話はないだろう。病気して楽しいことはないだろう。看護師の中にはできるだけ、機械的に仕事を熟そうとしているひともいるようだ。奥の深い人間になるか、その反対になるのか、厳しい選択がある職業でもあるのだろう。 ・へ2・・・上には医師という存在があり、患者との間に入ってその狭間で苦悩しているようにさえ見えてくる。まとめて休みが取れるのか、訊いてみたら、やはり無理らしい。厳しいローテンションがあるようだ。辞めたいというひともいた。みんな悩んでいるようだ。努力次第で医師の免許が取れるような教育システムを考えるべきではないだろうか。医者には期待しない。寧ろ実務家として看護師の方が患者に近いし、それに知識がプラスされれば鬼に金棒なのだろう。
2014.04.29
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愉しいことを見つけること どうもこれまでの習慣から丁寧に読むということができないでいる。作品だけではなく、その背景まで視ることだという。そのある描かれたシーンは作家がどのようにして想像したのか。ストーリーを創造するにはそれなりの構成がいる。他人の作品から盗んできたり、それを自分の作品に分からないようにして刷り込んだりする。作品には痕跡がある。それは消えない。自分がそれまで読んで仕入れた知識やデータを下敷きにしている。それを消化して書いている。然し出てくる排泄物には摂取したものが含まれている。個別に切り刻んでアナリシスをして、それをインテグレートしていく。剽窃ではない許容される範囲でされる。 ・一つの作品について詳しい分析をして行けばそれだけで充分時間はかかる。それこそ一人の作家を研究していけば、下手をすれば10年間くらいかかることもあるだろう。もっとかも知れない。一つの成果を上げるためには、とてもあれこれ遣っている暇はない。途中で嫌になり投げ出してしまうのが落ちだ。選択が難しい。「門」で、マクベスが出てきた。英語も勉強しなければならない。本当に遣るには果てしなくすることはある。然もタイムリミットもあるのだ。 ・へ2・・・今の私には、自分に能力があるかないかなど、どうでもよい。子猫のように恐れないで動くものに興味を持って、飛びかかればいい。相手がどんな奴だろうとそれは関係がない。そこで自分を試すだけだ。訊けば教えてくれるだろうが、自分でやってみないと、この社会は、解からにことばかりだ。閉口するがそれが愉しいのだから仕方がない。
2014.04.29
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睡眠不足の影響は大きい。脳に満腹を伝えるレプチンが減少し、胃から食欲を増進させるホルモンが分泌される。空腹感が増し、特に炭水化物への欲求が強まリ、このホルモン異常は、エネルギーの消費も抑制してしまうのだ。体はエネルギーを取り込み、蓄えようとして太ることになる。さらに耐糖能低下を招き、運動意欲がなくなることにもなる。 ・睡眠不足は、生活上の行動変化になり、体内ではホルモンの作用を乱して肥満になり易い体質を形成する。やがてメタボリックシンドロームのシステムを準備してしまう。睡眠不足は、何かのきっかけから始まることが多いのではないだろうか。ぐっすり眠る為にどれだけ工夫をしているだろうか。少なくとも不眠症にならないために、努力する価値はあるだろう。 ・へ2・・・2時か3時に起きていたので、昼は、眠くなり昼寝をしていた。するとやがて習慣化して運動をしなくなってしまった。歩いても息切れがするようになり、長く歩くと足が痛くなって、さっさと止めてしまっていた。規則正しい食事と、運動とするように日焼けもしたが、歩くのがそれほそ苦痛ではなくなった。すると睡眠不足も少しずつ解消してき気がしている。昼寝をしなくなった。自分に仕事を課していなかった所為もあるだろう。未だまだ先がある人生であってほしいものだと思っている。
2014.04.29
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ゲルマン人の観念によれば、部族の繁栄のためには、みなが共同で祭祀を行なう必要があっ た。というのは、つねに敵に対する勝利、豊作、狩猟の成功、健康、子宝などは、超自然的な諸力の善意と考えていたからだ。それゆえ、「部族のための」数々の祭祀、とくに供する犠牲である「供犠」が行なわれる必要があった。タキトゥスのいう祭司の役目は、「へーグング」と民会の平和の維持と祈祷、供犠、神託のよ うな祭祀の遂行、神々によって保護されている部族の秩序に反する犯罪の処罰だった。 厳しい冬の時代を学ぶことはある意味で、私たちの自由の価値を感じさせるものだと思う。 新しい定住地を手に入れると、ふつうその部族は、先住民と出会い、彼らと対決しなければな らなかった。主な対決の方法には追放、隷属化、共生の三つがあり、それらの組み合わせは多 様であり、また変化に富んだものだった。征服者の論理がまかり通り、それが正当化された。 真実を知るのは容易なことではなかったのだ。やっぱり出掛けますがGW どこも多いのだろう。交通事故だけは用心したいですね。
2014.04.29
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どうもつい気が抜けたように過ごしてしまっている。せめてウオーキングぐらいと思って遣っているが、一日2万歩がやっとでは情けない。月度平均一日3万歩達成したこともあるが、遣り過ぎては却ってダメになるだろう。その時の体調に合わせてやるしかない。 4月もあと一日になり、なんとかギリギリだが月度の目標は達成できそうだ。 2014年4月歩数実績表 年月日 曜日気温起床歩数 2014/4/1火84;0523,686 2014/4/2水123;5024,387 2014/4/3木131;5513,844 2014/4/4金132;5518,102 2014/4/5土62;5021,376 2014/4/6日93;508,720 2014/4/7月64;0518,391 2014/4/8火92;1026,805 2014/4/9水92;3525,545 2014/4/10木112;1031,086 2014/4/11金104;0420,653 2014/4/12土133;0021,334 2014/4/13日143;4510,864 2014/4/14月105;0121,512 2014/4/15火83;5521,852 2014/4/16水142;3028,884 2014/4/17木134;007,653 2014/4/18金174;1823,088 2014/4/19土133;3022,333 2014/4/20日153;0014,969 2014/4/21月142;4822,716 2014/4/22火142;5522,650 2014/4/23水104;4522,752 2014/4/24木111;2015,552 2014/4/25金142;2023,792 2014/4/26土163;0121,975 2014/4/27日164;0524,056 2014/4/28月182;1016,436 2014/4/29火173;0522,650 合計 597,663
2014.04.29
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自由は活かしてこそ自由を求めて、戦った人たちは大勢いたに違いないが、そのことをすべて知っている人はいない。何らかの容で力を貸した人たちも無数にいたのだろう。それらの努力があって今日もある。不完全ではあるが、できる自由は拡がったが、それをどれだけ生かしきっていると言えるかは疑問だ。与えられたチャンスをものしているといえるだろうか。価値のある教育がされ、必要なスキルとか、教育者やシステムや、そこで学ぶものたちが、自分の行くべき道を理解していたと言えるだろうか。 ・教育は、大量生産されただけの、企業や国家に役立つものでしかなく、法や社会規範を守り、小市民的に生きることを仕組まれたものでしかなかったのではないだろうか。自立した考えを持ち、ひととしてあるべき人格の形成を放棄してはいないだろうか。自由からの逃走をつづけているだけではないか。先人たちの死を懸けても守ろうとした自由があったに違いない。・へ2・・・他人にできない自分にしかできないことをしたいが、何をどうすればいいのかいつも悩んでいる。やっても失敗ばかりする。挫けたらそれまでだ。絶望してもそれまでだ。みつかるまでやればいい。誰かに繋げられるかだ。
2014.04.29
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温暖な地で暮らしてきたので、子供の頃は雪が降ると嬉しかった。なにか好いことがある気がしたのは、測らないものでしかなかったが、周囲が雪をかぶり美しく見えたからだろうか。初めて見た風景は綺麗に見えるものだ。一目で相手を好きになるという。初恋は美しい心だという。映画館で、そのフレーズを聴いて痺れた。 ・初めてというのは、新鮮に見えるのだろう。そして雪を見てもそれほど感動もしなくなり、温暖化で福岡市でも雪が降ることが年々減っていいるようだ。亜熱帯気候に近づいている。1月の末から2月初めに、グランドサークルをツアーしてきたが、高地でもあり、寒かった。厳しい自然の中で活きている人たちは、それだけ甘くはない環境で生きていかなければならない。 ・へ2・・・世界のどこへいったも、自然は美しいと思う。そして自分が、現在住んでいる場所でなければ長生きできないだろうと思う。食生活も、温暖な環境もあるから、のんびりして暮らしていられるのだ。インドの歴史を読んでいるが、もう唐天竺の世界は遠い昔にない。仏陀の世界を思い続けている私たちは、何者なのだろうか。それが人間の世界でもあるのだろう。
2014.04.29
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何が美しく見えるかは簡単ではない。人間の意識は単純ではないことを示している。隣国の韓国でも中国でもないものが、やはりあるのだろう。中国を旅行して水を飲むことができなかった。飲んだら腹痛を起こすだろうとあったからだ。勿論それは中国だけではない。他国も同じだ。日本人が日ごろ飲んでいるものと成分が違うものがあるからだ。 ・へ2・・・ひとがそこの土地の水に適応しているからでもある。だから日本国内でも水が変わるといわれる。旅立つときには水に・・・と言われた。元気な若者の、老人ではまた違うらしい。環境に適応できるレセプターや柔軟性が違うのだろう。 ・富士山をみて美しいと思うのが誰でも同じかというとそうではない。何とも思わない人たちがいるということだ。仏像をみれば手を合わせる日本人は多いだろうが、西欧人から見れば単なる美術品でしかない。或いはその以下でものでしかないかもしれない。異教徒の仏像でしかない。 ・へ2・・・先日出かけた白川水源郷の水辺で何とも言えない水の風景であるが、少なくとも私には癒しの場だが、外国人にはそうは見えないかもしれない。湧水が流れているだけの風景でしかないかもしれない。
2014.04.29
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行動の柔軟性は若者の極めて大きな特質だ。そして年をとることは成熟と伴に新しい行動パターンを受け入れ難くする。即ち本質的にこうし た柔軟性は若い動物が環境に適応する為のなくてはならないものだ。コピー はあらゆる複雑な行動を習得するために不可欠でもある。ロールプレイング も同じ。そして、現代は「遊びこころ」があらたな価値を生むかも知れない。ヒトの幼児化は、複雑系に生まれた現象。未来を定めない戦略は、ヒトをぼろぼろにするかも知れない危険な選択だが、敢えて選択し た賭けであろう。この道を辿らねば明日をみることはできないとしたら、こ の道を行くしかない形質を抱えている。 同性愛だろうと何であろうと先に辿り着くものが「ニッチ」を得る。
2014.04.29
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また一から食事の管理を入力しながら遣って見ようと思います。少し曖昧にしていましたが、この際、また確り管理をしたい。出来るところからやらないと、難しくなってからでは遅い。あるツールを有効に使うこと。 ・知識を遊ばせてはいけない。使って初めて価値も出る。遣ればできるのにやらないのは怠惰でしかない。雨だから、何だからと口実でしかない。終わってからでは遅い。明日からまた初心に戻り出来ることから始めたい。 ・へ2・・・何でも積極的に遣らねばならない。若い連中から、歩いていて追い越されるのを当然と思っていたが、それは自分が楽に歩こうとしているだけだ。どこかずるく生きているがそれは、身のためにならない。プレスのない運動はない。ゆるくなってきた気持ちを引き締めよう。 >志賀海神社へ。
2014.04.29
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趣味の遺伝というが、確かに第二の遺伝子としての文化遺伝としてのミームがあり、性質というか、遺伝子の中に含まれる流れが出来やすいのかもしれない傾向があるのかもしれない。背の低い民族も措かれた環境から適応したためにあるのだろう。太陽の光の少ないところに鬱も発生しやすいとかある。遣唐使の制度を中止して、大陸からの文化が入らなくなり、暦による世界との時間の差が1000年続いた。 ・菅原道真かららしい。地球が丸いことを島国の民族は、からだで知ることはできない。800キロの水平な平地がなければ、同じ地点で、太陽の日の出と日の入りの地点を観測して、地球が球体であることが確認できない。そんな場所は島国にはない。自分の目で確かめないと、ひとは信じられないのだ。 ・へ2・・・観念も、意識を離れてあるわけではない。それこそまったく無関係な夢は見ないのだ。潜在意識にしろ、自分がイメージできるものがある。いわば見えない枠があり、その泡の中で生きてもいる。自分の人生も、自由で気ままで来たように思うのは自分の観念でしかない。一つのドットでしかない。そうだとしても、イメージを拡げる努力が、人生のメルクマールでもある。
2014.04.29
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一つの特徴 商品価値を求めている社会があり、謂わばその鬩ぎ合いがあり、神経をすり減らしてしまう。ストレスは社会が仕向け自分でも創り出してしまう。ニッチを追及するのは種の保存の宿命だけではない。社会的動物である人間は、つねに生存競争に晒されてもいる。複雑化した社会では、価値観が一様ではない。敵が敵であり、味方も敵になる。ステージをアップするほど先鋭化する。 ・この社会で生き残るためにスペシャリストになろうと高い壁を越えなければならない。そのためにどれだけの時間と労力を必要とするだろうか。縦しんば運よくその専門家になったとしたところで、その先がある。社会的ステータスを得なければ一人前に発言できない。常に前進しなければそこへは届かないらしい。一生かけてそれにチャレンジしろと社会から要求されている。 ・へ2・・・年々社会の壁は高くなってきた。とても越えられそうもない目には視えない万里の長城が立ちはだかっているようだ。そう思ってきた。それは幻想ではないだろうか。時代が描きだす集団陶酔がある。イラク戦争はなんだったのだろうか。独り勝ちのアメリカでさえ、あの巨大なエリート集団でさえ、誤りを起こすのだ。そしてそれを未だに修正できていない。
2014.04.29
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都会と田舎、雅の反対語が吝で、それこそ漱石の「もっとも貧しい百姓で、教育もなければ品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様の憐れな百姓の生活である」(長塚節「土」の漱石の「「土」に就て」)。漱石は、田舎が嫌いだった。 ・雅に憧れ、田舎を軽蔑して活きて来たのが日本の教養人の本質であろう。肥料にするための肥やしのある庭が、昔の百姓の暮らしであった。私も戦後熊本の城西という市内の隅で育ったから、まだ藁葺きの農家が残っていて、近づくと便所の臭いがした。ひとの糞尿を貯めて野菜などの肥料にしていた。漱石は松山や熊本に悦んでい赴任したわけではない。厭だったし早く東京へ帰りたかったのだ。 ・へ2・・・漱石由来の弟子たちが日本の文学者の伝統でもある。貴族的な雅が尊重され、田舎や、それこそ長塚節の「土」のような百姓が蔑まれ、虐げられていた。それを上から目線で活きた文化人でもある。とても革命が起きる土壌ではない。それが日本の民主化を遅らせた。そしてそのケチな男たちが、この国を支えてきたのだ。
2014.04.29
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苦しさに耐えてこそ気持に敗けてしまう。自分だけが強いのでも弱いのでもない。あるがままでしかないが、その時で、感受性が異なるらしい。追い込まれないと自分が解からないところはある。勇気を出せるかどうかだろう。ひとはミームを包含している。それが臆病になったり、英雄にもなるのだ。その時、自分はどうするだろうか。 ・人の評価は、その時、どんな行動をするかで決まる。日頃何を考えているかだろう。9.11でアメリカはどうしたか?3.11で日本は、どうしたのか?露呈したものは現実だろう。その時、恥ずかしくない行動がとれるか。自信はない。それでも決意だけはすべきだ。日頃、我慢強く生きることを学ばねばならない。痩せ我慢ではなく、贅肉を付けないだけの鍛錬をすべきだろう。 ・へ2・・・放射線で汚染された土壌をどうするか、狭い国土で日本は苦しまねばならない。原発54基の問題は深刻な問題だが、それを招いたのも政治と経済の所業でしかない。責任を負うのは自分たちではないと思うから、言い逃れをしようとする。卑劣なことをして恥じないような人間もいる。
2014.04.29
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アブノーマル ノーマルな時代があったのだろうか。そして、現在少し、最近のテレビドラマが変わってきたように思える。異質なものとは感覚でしかわからない。説明できないが、あるものだろう。不安な時代に長く浸かっていると異常なものが発生してくる。それは異質なものとしかいえない。あとで気付くがその時は解からない。何か匂いがする。否臭いだろう。悪臭だろうか?決して心地いいものではない。先端の芸術とはそうした何かの兆しだろう。 ・頽廃した社会が、醸しているものは腐った魚のような。無為なことを始める若者たちが増えている。帰りのない戦闘機に乗った若者たち。絶望の美学が美学などではない。 ・へ2・・・樹木が枯れ始めると、いくつかの枝が枯れ始める。葉も枯れ始め炭素化してくる。注意して見ていれば解かる。国家も、人も、崩壊の軌跡が似ている。今日は、強風が吹いて、ソロソロ寒さが増してくるようだ。季節が変わるだろう。不安に駆られた人たち絶望を始めるのだろうか?
2014.04.29
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いつも誰かがやったことの結果を知っているだけで、それで解ったつもりでいるのが現代人。ドラマを視て誰が犯人か解かる。元々筋書きで決められているのに、なるようになって成程と安心する。他人の研究で、それは大変な努力をして得られた結果かもしれないが、そして、これはこうだというのだろう。NASAの研究者が、132億光年かなたにある銀河をハップル宇宙望遠鏡によって発見した2011年1月に発表した。人類がみた最も遠くの銀河である。 ・「UDFj-39546284」。これからも観測が続けられ新たな事実を発見していく。私たちが知っているのは、誰かが観察して得られたものでしかない。自分のからだだってどうして動いているのか、脳の機序さえ知らないのだ。なるようになる。それで好いと思っている。自分はお山の大将でしかないというのに。 ・へ2・・・仔猫も平気で活きている。知っているのは自分のことでしかない。目の前のことをそれが活きることだと思っている。自分は「ただ一つのこと」に出会い、それを体験して、死んでいくに過ぎないのだ。活かされている宇宙の壮大さを知るだけでも、人の生命の神秘を感じる。オリオン座のペテルギウスや、オリオン大星雲の「トラペジウム」など。タイムマシーンの旅だ。
2014.04.29
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時速1000キロ以上で飛ぶ航空機の時代にテクテクあるいている。自分との闘いで、社会的には無価値なことだが意外と愛好家は多い。一日2万歩を何とか続けているが、記録を見ると、去年に比べてガクンと落ちている。無理をすると続けられなくなる恐れがある。5年半になるが、取り敢えず、地球一周の4万キロが当面の目標だ。 ・血管年齢が、平均より10年老化が進んでいる。それを遅らせるのが目標でもある。肺年齢もある。他にも色々あるに違いない。末梢神経も脳細胞もある。まあ歩けることや、呼吸が楽にできることや、腰痛も無い。自分の腹部に脂肪肝が亡くなったので、それだけは元に戻したくない。 ・へ2・・・先日ウオーキングをしていたら、声をかけてきた人がいた。私のウオーキングをみていてくれていた。威張ることではないが、健康のためになっているし、隠すことでもない。ウオーキング中に挨拶する人がどれだけいるか、数えてみると、その時で違うが多い時は10人くらいいた。夫婦で歩いている人たちもいる。日本もやっと平和なのだろう。
2014.04.29
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何時か熱いコーヒーも覚めてしまう。それが現実なのであって、それは物理の法則であり、人間社会のことでもある。何のレトリックなど必要ではない。やがて人の体も炭素に戻り、その先にあるのは、宇宙のゴミになり、この小さなユニバースは絶対零度に向かうだろう。それだけのこと。キリストも、神も仏もない。 ・血塗られた歴史があり、生臭い世界の現実が待っている。そこで暮らしてきたし、そこへ戻るしかない。私たちはいつも幸福だっただろうか。平和で豊かな生活をしてきただろうか。惨めに思うことはなかったか、いつも親切にされただろうか。愛に満ちた人生だったか。道はいつも未来を目指していただろうか。ゼロではないが、満点でもない。 ・へ2・・・いつも真摯に生きてきたわけでもなく、怠惰に僻んでいた時もある。他人に親切だったわけでもなく、他人から極端な差別をされたこともないだけ。やっと窓の外が白み始めた。久しぶりに早目のウオーキングでもして来よう。くだらないことばかりあるが、これも私には貴重な人生の一日でもある。今年も、胡瓜やゴーヤやミニトマトを始めた。
2014.04.28
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視覚から入ってくる情報で、物事を判断してきたが、その視覚からの情報が、だんだん狭まっている。その原因を上げれば、限りがないくらいあるが、それこそ気付いた時には遅いことばかり。人間らしく暮らし始めたのは、ここ数百年でしかないのだろう。暮らしと先端科学が必ずしも一致していない。日本語では、普遍的な論理が盡せないのだろうか。 ・不可能なことを考えても所詮は振出しに戻る。幻想を振り回して学問は終わるのだろうか。カタカナを使うしかないのであれば、日本語は死んでしまうのだろう。それも自然淘汰なのだろうか。日本語を辞めて、外国語にしようというするのは、はたして亡国になるだろうか。寧ろ考えることが拒否されてしまう社会になるのではないだろうか。方言が拒否されたように。 ・へ2・・・それほど長くはない。短絡的でさえあるのが人生であり、花火に点火できないことが普通だろう。外はまだ暗いが、やがて夜の帳が開いてくるだろう。いつもの朝が来るに違いない。コーヒーは苦いが、習慣で飲んでいるが、この時間が私の時間でもある。 >クロツラヘラサギは、昨年の秋から、4.12まで、15回観察した。
2014.04.28
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動物や植物の名前をあまり知りませんが、それは幼児体験から来るのもある。結構田舎で育ったが、名前を熱心に教えてくれる人もいなかった。その後外来種が増えたのもあるのだろう。西洋イチゴを初めて見た時のショックはいつも野イチゴしか知らなかったので忘れられない。そしてどこか粗野な人間にされてきたようだ。 ・軍国少年にならなくて済んだだけでも良かったのか知らないが、エリートにもなれず社会的に疎外されていたのは言えなくもない。過ぎてしまって分かっても後の祭りだった。過去を後悔しても戻りはしない。振られた女は戻っては来ない。諦めるしかない。「四諦」の意味も深い。それでもそれば、誰かの解釈でしかないものを信じていたのではないだろうか。間違った翻訳もあるに違いない。それをどれだけ追求しても答えは間違うだろう。 ・へ2・・・ミクロとマクロのあいだの如何に膨大なスペースであるか、その40数桁の世界に圧倒されてしまうが、一つの生命としての自分の位置を理解することから始めるしかない。結婚してから、今日は何回目かの記念日であるが、今更何のセレモニーもない。妻子にも苦労を掛けただけなのだろう。あまり感謝もされていないようだ。
2014.04.28
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それこそ惨めに、しみったれたそれだけの人生でしかないのだろうか。本音を言わないことに慣れて長くなりそれが、習慣になっている。そうしなければ疎外され、迫害ではないとしても不利益をうけないとも限らないのだろう。それは怖気づてしまうからなのだろう。脅されたり、賺されたり、果ては幻想まで喧伝されている。コピーの中に埋もれてしまう。オリジナルのない人生でしかない。そうしてショートしてしまうだろう。人間と言葉がテーマである。 ・真実そのものに触れることは容易ではない。インド史の本を読んでいて、仏教が、本当は何なのか、とんでもない誤解をしていたのではないかと思い始めている。日本の仏教は、中国由来であり、しかも既に過去の宗教でしかない。日本では、仏教徒は9000万人いるということになっているらしい。インドへのビザでもそうなっているようだ。 ・へ2・・・私の人生もフィクションの中で生まれて死んでいくようなものだ。それは建前と本音の間でしかない。公私混同するような人間は、この社会では通用しない。どんな部下のミスがあったとしても船長は最後まで責任を取れと世論は叫んでいる。弁解を聞く気にもならないらしい。怒りの矛先はどこへ向かうかわからない。そして戦争さえ起きるだろう。煽る人たちがいる。腐っちまった魂はどこへ捨てるかわからない。
2014.04.28
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・ブッダがのべた解脱の方法は誰にでも可能なのであり、それをあからさまに八正道として教えている。それを当時の人々は別に何か特別の修法が隠れているのではないかと誤解したとい うのだ。「スッタニパータ」という経典。 「・・・どうか理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、この世におい て生と老衰を捨てることを」 「ピンギヤよ。人々は妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、あなたは見て いるのだから、それゆえに、ピンギヤよ、あなたは怠ることなく励み、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ」 ・へ2・・・ブッダは何も答えずにただ励ましているだけだろうか。この問答では、 ・「理法を知り、よく気をつけて行い、世間の執着を乗り越えよ」 ・「怠ることなく励み、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ」 といっている。つまり、 ・「この世界がどういうものであるかという理(ことわり)を知り、そのうえで世間 的執着から離れた生き方をせよ」と解脱ヘの道と、自己を救う道を教えている。この世界を正しく認識せよというのだ。これはなにも特別な修行をせよとはいっていない。ブッダを神秘化したのは仏教を利用して神秘の濃い霧の中に投げ入れた既成概念や因習を持った人々たちである。
2014.04.28
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毎日お題目のように繰り返している。「今日は、昨日とは違う」と。年を取ると、同じことをしたくなってしまう。昨日と違うというのは、厄介に思えても来る。同じことをして楽をしたくなる。いつも顔見知りの人が周囲にいて、優しくしてくれるところに居たくなる。好きなものが食べられて、昨日と同じことをしたい。そうは問屋が卸さない。朝昨日のことは全部忘れてリセットできないと、スタートが切れなくなるが、それができる間が辛いがいいのだろう。棄てなければ歩けない。日々と別れて進むしかないのだ。 ・余計なものを持ちたがるのは妙な未練の所為だ。身に纏うものはない。余計な脂肪と別れて行かねばならない。昔の坊主は、死ぬ前には絶食したという。坊主が生臭くなったのは、戒律を忘れたからだ。それで世俗に見捨てられてしまった。範を垂れない指導者は指導者ではない。真似をするような人物がいなくなれば、誰も信用などしない。欲望が人間を支配し、美徳を尊ばなくなり、堕落した社会になった。他人に隷属しても恥じなくなった。「恥」を忘れてしまった。本当の「恥」も知らないのだ。 ・へ2・・・今や教師が教師ではない。ただの就職のための手配師でしかない。先生が先生ではない。課題を与えられないと応えられない。計算ばかりしている。ゼロが何かを知らないものばかりが溢れている。亡霊ではないから、「恥」も昔のコンセプトではない。
2014.04.28
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記憶力について、ラットの実験で、豊かな環境・・・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳が柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、痴ほうの予防の効果を持つが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強が成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるかも知れない。根拠があるだろうか? ・へ2・・・知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができるという。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをするらしい。どうやら「海馬」に関係があるようだ。「海馬」は学習と記憶の中枢だからだ。
2014.04.28
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やっと自由であること どこか梗塞感が若いころあったので自由に為りたかったが、それは内心のことだ。どうしたらこの社会の中で活きて行くのか自信がなかった。気楽に暮らしていけるとは思えなかったのは、周囲の人や親たちの背中を見ていたからだろう。中国から戦争直後引揚げて食糧難の混乱期の中で成長してきたからでもある。 ・こどものころに汚いものや厭なことを体験することはその人の人生観や、世界観になっていくに違いない。美しい世界だろうか、とてもそうは思えなかった。未だ私は一歳にもならなかったころで、小学生から極端にクラスの数は少なかった体験がある。戦争犠牲者は戦争をした人たちばかりではない。幼いものたちも犠牲になったことを忘れてはならない。それは戦後生まれのこどもたちにも影響があったということでもある。 ・へ2・・・卒業してから、もっと自由に本を読んでいたかったが、労働しなければ暮らしていけなかったから社会人になったが、こころには物足りない気持が常にあったので、定年まで働いてから、自由な時間を過ごそうと、今それを実行している。こんな筈ではなかったと思うことはあるが、こういうように好きな時に寝て、好きな時に起きてくる暮らしがしたかった。少し頭がぼけたのは予想外ではあるが。 「苦を滅するためには、無明を滅して明を生ぜしめねばならず、明が生じて涅槃が証明される」(宮坂宥勝著「仏教の起源」より)
2014.04.28
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気持に敗けてしまう。自分だけが強いのでも弱いのでもない。あるがままでしかないが、その時で、感受性が異なるらしい。追い込まれないと自分が解からないところはある。勇気を出せるかどうかだろう。ひとはミームを包含している。それが臆病になったりする。。その時、自分はどうするだろうか。 ・人の評価は、その時、どんな行動をするかで決まる。日頃何を考えているかだろう。9.11でアメリカはどうしたか?3.11で日本は、どうしたのか?露呈したものは現実だろう。その時、恥ずかしくない行動がとれるか。自信はない。それでも決意だけはすべきだ。日頃、我慢強く生きることを学ばねばならない。痩せ我慢ではなく、贅肉を付けないだけの鍛錬をすべきだ。 ウオーキング歩数累計(2008.4.15~) 年月歩数日数 2013.12.31まで45,191,6742,086 2014.1601,16731 2014.2490,19328 2014.3632,99231 2014.4..28まで575,01328 累計歩数47,491,0392,204
2014.04.28
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からだをまもる ないものはないのであり、在るもの、残されたものを大切に遣うしかない。あるものしかない。自分のからだも、時が経過して、老化もしている。1メートル先にみえるひとも1億分の1秒で、過去の姿を視ているという。時は一瞬も止まってはいない。既に過去に為りつつあるのであり、現在は、未来と過去のほんの・・・の間でしかない。それも止まらない現在だ。 ・なにを成し遂げることなく、過ぎて行く存在でしかない。それが「空」でもある。だからこそひとは、自分の存在を認めようと必死になるのでもある。未だ命はある。朝のさわやかさを感じることができる。生命力も、生きることのパワーも感じる。これ以上のものがあるだろうか?私は欲が深すぎる。自分の欲望のために一生を台無しにもするだろう。 ・へ2・・・大切に遣うべき命だ。目の見えない少女が、生きていて好かったとテレビでスピーチしていた。そう感じることができる人は幸せでもある。才能も健康もあるのに心を閉じてしまっている若者もいる。大事なことを忘れている。あり過ぎると見失いがちな幸福もあるのだ。太陽も、銀河も、やがて終わる時が来る。自分の寿命を活かしきったものが、この一瞬の輝きを知る。 からだを守るのは、生物の最も基本になることだが、果たしてそれをどれだけ理解し実行できているだろうか。
2014.04.28
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