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何が美しく見えるかは簡単ではない。人間の意識は単純ではないことを示している。隣国の韓国でも中国でもないものが、やはりあるのだろう。中国を旅行して水を飲むことができなかった。飲んだら腹痛を起こすだろうとあったからだ。勿論それは中国だけではない。他国も同じだ。日本人が日ごろ飲んでいるものと成分が違うものがあるからだ。 ・へ2・・・ひとがそこの土地の水に適応しているからでもある。だから日本国内でも水が変わるといわれる。旅立つときには水に・・・と言われた。元気な若者の、老人ではまた違うらしい。環境に適応できるレセプターや柔軟性が違うのだろう。 ・富士山をみて美しいと思うのが誰でも同じかというとそうではない。何とも思わない人たちがいるということだ。仏像をみれば手を合わせる日本人は多いだろうが、西欧人から見れば単なる美術品でしかない。或いはその以下でものでしかないかもしれない。異教徒の仏像でしかない。 ・へ2・・・熊本の白川水源郷の水辺で何とも言えない水の風景であるが、少なくとも私には癒しの場だが、外国人にはそうは見えないかもしれない。湧水が流れているだけの風景でしかないかもしれない。
2014.10.31
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はらわたの煮えくり返っている人たちが日本人に大勢いるだろうと思う。何のために苦労して低賃金で過酷な労働に耐えてきただろうかと。こんな日本にするためではない。親の恩さえ感じないような子どもたちが大きな顔をしている。根性の腐ったような連中が大手を振って天下の公道を歩いている。 ・天災か人災か分からないようなことで,身ぐるみ剥がれるようなことが平然と起きてしまう。気づけば路頭に迷う寸前で佇んでいる。子育てや,住宅ローンが終わったと思ったら、次々に金のかかることが起きて、商品価値のない自分になっている。今度は社会から疎外される立場だ。口で社会福祉国家だと言うが、老人たちは低栄養になっている。好きでなるわけではない。 ・へ2・・・貧乏で死んでいかなければならない時代が再来するのだろうか。怒涛のようにネガティブマインドが拡がっている。日本経済は財政赤字を処理するだけの能力も無くなりつつある。そうしているのは誰だろうか。政治とカネの腐敗は、今に始まったことではない。それをいつまでもただせない愚かな人間の所業でもある。
2014.10.31
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行動の柔軟性は若者の極めて大きな特質だ。そして年をとることは成熟と伴に新しい行動パターンを受け入れ難くする。即ち本質的にこうし た柔軟性は若い動物が環境に適応する為のなくてはならないものだ。コピー はあらゆる複雑な行動を習得するために不可欠でもある。ロールプレイング も同じ。そして、現代は「遊びこころ」があらたな価値を生むかも知れない。ヒトの幼児化は、複雑系に生まれた現象。未来を定めない戦略は、ヒトをぼろぼろにするかも知れない危険な選択だが、敢えて選択し た賭けであろう。この道を辿らねば明日をみることはできないとしたら、こ の道を行くしかない形質を抱えている。 同性愛だろうと何であろうと先に辿り着くものが「ニッチ」を得る。 >2014.10.31 8;28 和白干潟の廃船。カワウがいつものように体を休めていた。対岸に見えるのが有名な人工島(アイランドシティ)で、そういえば、今日から新しい子ども病院が開院されると市政だよりに載っていた。
2014.10.31
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>2014.10.31.8;43 和白干潟に隣接する奈多の貯水池。 日本には、数百羽しか来ないと言われている。偶然探鳥会に参加して、野鳥の話を聞いて、ウオーキングを兼ねて写真を撮りながら観察を始めたばかりだが、今年になって14回目の8羽のクロツラヘラサギを見つけたが、若鳥が混じっていたようだ。すでにスズガモの群れを含めると数千羽近くの渡り鳥たちが見られるようになっている。渡り鳥たちの渡来のシーズンが始まっている。和白干潟には、絶滅危惧種を含む珍しい野鳥が見られる貴重な干潟でもある。 ・福岡市の市長選が始まるが、どのひとも和白干潟にはあまり関心がないようだ。ひとのいのちは大事であるが、それは周囲の環境が守られてこそ持続可能な社会が維持されるのであり、小さな動物たちを守れないようでは文化レベルが高くはない。福岡市は自然保護にはあまり熱心ではないとの評判である。人工島(アイランドシティ)も地域住民の反対を押し切って造られた。 ・へ2・・・博多湾は、平均10メートルもないあさい港湾であり、人工島周辺は平均5メートルしかないと言われる。海底はヘドロの海になっていると言う女子大の研究チームの報告があっていた海域でもある。残された和白干潟の存在価値は小さくはない。そこへ毎年数は半減しているが、渡り鳥たちがやってくる。汚れた海域でアオサや汚染されていく干潟で餌となる小動物たちが激減していると言われている。いつまで、渡り鳥が来てくれるのだろうか。
2014.10.31
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ことばの世界 言語が文化だ。日本人は日本語を話すから日本人でもある。話すだけではなく文字もある。自分の国の言語を以って文化を表現もする。自分は何をしたいか他人に伝える。思うように伝わらないのが常だが、それはこの社会がそれだけ複雑化しているから。それこそ的確な翻訳がされないと誤解も生じかねない。同じことばでも受け手の思惑で意味の違うコンセプトになる。それが誤解のもとだ。 ・正義も平和も概念の違いが大き過ぎる。恐らく日本人の社会認識の概念は世界では通用しない。言い切ることはできないが、そう思っていた方がいい。日本人が日本語を軽視するのは、民族の文化を軽視しているのと同じだ。自分に自信が持てないのはそのためでもある。丁髷の侍が威張っていても仕方がないが。 ・へ2・・・科学者の生命でもある客観的事実や理論を政治によって捻じ曲げられてきたのは歴史の示す通りだ。そして今回の3.11の東日本大震災も、原発事故も、日本の科学者の敗北である。それは勿論国民の敗北でもあり、敗戦後最大の社会的危機だ。乗り越えられるかではなく、乗り越えなければ明日はない。>和白干潟に隣接する奈多の貯水池。2014。10.31.8;42 絶滅危惧種クロツラヘラサギ8羽をみかけた。
2014.10.31
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「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこ と、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じ く自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(ルソー『社会契 約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わ ずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」 「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかっ たし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されると いうことは自然の秩序に反する」。 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。
2014.10.31
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2014.10.27に15羽。 10.31 は8羽のクロツラヘラサギを見たのだから、運がいいと言えそうだ。しかも2羽は、かなり離れた場所にいたが、6羽は、貯水池のわき道から撮影できたから、普通のデジカメでしかないが、樹木を通してだが、エサ取りに夢中になっているクロツラを撮影できる絶好の場所であったが、何しろ、クロツラがヘラを左右に激しく動かすスピードが速いので全くついていけなかった。 ・どうやら人が見ているのは気付いているようだ。それでもあまり警戒する様子が見えない。餌を丸呑みしており結構獰猛な顔をしている。昨年の11月に探鳥の会に参加して、それから関心を持って干潟の観察をしているが、珍しい水鳥たちが多いので、写真を撮るのが楽しみであり、趣味が一つ増えた。そして、行けば必ずいるとは限らない渡り鳥たちが、潮の加減をよく知っていて、同じ場所に来ているようだ。 ・へ2・・・今朝は、それこそ一年の内でも運のよかった日なのだろう。人も少なかったし、至福の時間を過ごすことができた。顔を撮ろうとしたが、失敗ばかりした。どうも撮影の基礎ができていないからだろう。カメラマンではないので、まあ、仕方がない。下手なりに撮影を楽しんでいればいいと思う。
2014.10.31
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腸内細菌 腸内細菌は、一人当たり100兆個以上くらい生息しているらしい。重さにすると1.5キロくらいになる。糞便の半分以上は、腸内細菌またはその死骸であると言われている。宿主であるヒトや動物が摂取した栄養分の一部を利用して生活し、他の種類の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら一つの生態系が形成されている。食べないと腸内細菌は生きて行かないし、生きていけなければ、内臓を荒らし回るしかない。普段おとなしい腸内細菌が人体を破滅させてしまう。 ・女子大で「食・健康」に拘った講座が行われるのはそのためでもあろう。それこそ私たちは、知らないで物凄い世界に活きている。何でも知っていると思っている人ほど無知なのだろう。現代医学も多くの誤り冒してきた。そのことを誇ることは出来はしない。愚かな誤りの歴史を繰り返しているからだ。謙虚にその事実を反省すべきであり、これからの研究の糧にしなければならない。輸血だけをしていた治療は、腸内細菌を知らなかったからでもある。共生していくために何すべきか。 ・へ2・・・何を食べるか、からだを正常に維持していくためには、年齢とともに変わっていく免疫力の問題とか、メンテナンスもある。活きるための努力をしなければ、ひとはこの精密機械の人体を維持できはしない。飼い猫のように生きて恥じない人間は軽蔑されるだけだろう。見せかけの社会に安穏としてはいられない筈だ。ここで生きていくしかない。
2014.10.31
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腸内細菌 腸内細菌は、一人当たり100兆個以上くらい生息しているらしい。重さにすると1.5キロくらいになる。糞便の半分以上は、腸内細菌またはその死骸であると言われている。宿主であるヒトや動物が摂取した栄養分の一部を利用して生活し、他の種類の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら一つの生態系が形成されている。食べないと腸内細菌は生きて行かないし、生きていけなければ、内臓を荒らし回るしかない。普段おとなしい腸内細菌が人体を破滅させてしまう。 ・女子大で「食・健康」に拘った講座が行われるのはそのためでもあろう。それこそ私たちは、知らないで物凄い世界に活きている。何でも知っていると思っている人ほど無知なのだろう。現代医学も多くの誤り冒してきた。そのことを誇ることは出来はしない。愚かな誤りの歴史を繰り返しているからだ。謙虚にその事実を反省すべきであり、これからの研究の糧にしなければならない。輸血だけをしていた治療は、腸内細菌を知らなかったからでもある。共生していくために何すべきか。 ・へ2・・・何を食べるか、からだを正常に維持していくためには、年齢とともに変わっていく免疫力の問題とか、メンテナンスもある。活きるための努力をしなければ、ひとはこの精密機械の人体を維持できはしない。飼い猫のように生きて恥じない人間は軽蔑されるだけだろう。見せかけの社会に安穏としてはいられない筈だ。ここで生きていくしかない。
2014.10.31
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寒くなったのでイエ猫が、5匹いるがこのチビチビが寝床の中まで入ってくる。ごろごろいうのはこの猫ばかりだが、すぐ家を飛び出すし、一番あとから来たくせに、最近は図体が大きくなったようだ。これもほかの猫たちに負けまいとするからだろう。一番余計食べていた。生存競争は厳しいようだ。家の中で何もすることはなさそうだが、猫の一日というのがあるようだ。すぐに忘れてしまうのは私も同じだが、悩まないで生きているのは相手が上手だ。 ・都合の悪いことを忘れるという前頭葉の働きがある。平気でくだらないことが続けられるのもある。自分が詰まらないと思えば何もする気はしないのだろう。成功ゆえに没落もする。うまくいくとすぐに失敗もする。最上階を一人占めにしてマンションから下を見下ろしている人間もいるが、下から見ると阿呆に見える。上から見るとまた違うのかもしれないが、そういう人間と気が合うことはない。 ・へ2・・・人間は意外と愚かなのだろう。他人のことを知らなすぎるのだ。他人を傷つけている。最近走り出したJR九州の「七つ星」も、頓珍漢だろう。そのことに気づかないのはこのくにの文化の衰退だろう。
2014.10.31
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「狼疾記」・人間の不安。・泉鏡花と通じるスタイル。・死に伴う不安ではない。ルーツ、小4の時の体験。・本当の不安とは何か。・死んだあとのことを言っている。直接の不安ではない。・どう違うかが解からない。・中島敦の感受性は、他のひととは違う部分に注意すること。・曖昧ではない。リアル。これは感覚。解らない側の人間として読むしかない。「山月記」が解かるかどうか。主題の分裂。中島では分裂ではない。一つの繋がり方。繋がるかどうか、イエスかノーか。・絵空事ではない。・喘息で生まれた感性?理解のしようがない。違和感。・鏡花の霊感。中島敦の感性。・ユングとフロイトの違い。・霊的なものを信じるか信じないか。以って生まれた感受性。・中島は宗教的にはなっていない。・パラオに行った時の感情も中島敦は、他のひととは違う。・観念的哲学的不安。・個人的な不安ではない。自分の死だけではない。普遍的。・この作品としての、中島敦の不安の本質的な部分でよくわからないところがある。・「山月記」を関連して読む必要がある。
2014.10.31
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・働いている時というのは待つ時間があまりなくて、次々に事が起こりその後始末をすることの方が多かった。大抵他人のしたことの後始末だ。いいことも悪いことも、物事のけじめを付けねばならない。もちろん納得のいかないものもあるが、それはそれなりのタイムリミットがあったから、できるだけ振り返らないようにする。それをよく考えてみると、それでよかったか疑問だ。もっと真剣に遣るべきではなかっただろうか。それでももうそれは過去のことでしかない。 ・へ2・・・喜怒哀楽を身に背負って生きていかねばならない。良くも悪くもそれを被っている。今あるものはそのなれの果てでもあるだろう。これから30分間もしたら出かけようと思っている。昔は待つ時間もなく、次のことをしなければならなかったが、ここにきて待つ時間が増えている。待つことの苦手な昔の自分がいた。それが無駄な気がしたからだ。それでいていつもいやな気分だけがしていた。味わうことが少なかったのではないだろうか。時間は矢鱈早く過ぎた。 ・待つのはそれ程苦痛ではない。というよりそういう気分もしてきたというべきか。自分のペースでやればいいだけだからだ。それがわかってきた。他人に無理に合わせることはない。自分の時間は自分だけのものだからでもある。それは誰も代ってはくれないからだ。今から行く大学の太宰の講義も教授の時間であり、それを受講する聴講生の人たちの時間であり、私の時間でもあり、それは誰にも代わることができないかけがえのない時間でもあるだろう。それを生かすか殺すかは自分次第でもある。 ・へ2・・・中国の文章は、太古、甲冑に刻み込まれたもので、たいそう手間がかかった。そのため、できるだけ簡潔に表記しようとして、余計なものをそぎ落としたといわれる。割愛できるものを割愛した。そして常識は変遷するので、解釈は1000年も経過すれば相当違うものにもなったに違いない。そして、これから受ける太宰の作品はまさに、無駄の塊のような溜息のでるような話ばかりを書いてある小説である。割愛したら中身がなくなってしまうのではないだろうか。しかしそれを徹底してやれば太宰はいなくなるのではないだろうか。確かに太宰治は日本の作家だったがそれでも日本の日常を描いている、何の作家だったのだろうか。「津軽」を読んでいた。 人は待っている。一生待って、待ちぼうけの人もいる。眼に見ているものは幻想でしかないのに。
2014.10.31
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「西行」の交友関係は、当時としては広かった言われる。若い頃に出家して73歳まで生きて、多くのひとと逢っていると言われる。僧侶と言う立場が逆に自由に他者との結びつきを生んだのではないか。清盛とも、女性とも当時としては、最も自由人だったのかも知れない。それは、逆に如何に一般 人が、というより多くのひとが、狭い世界に生きていたことが想定される。 寧ろ自閉的である生活を強いられていたのではないか。日本人が閉鎖的であ るのは、永い封建時代の所以でもあろう。私も小学生から大学まで黒い学生 服で過ごしたが、考えてみれば狭い交友でしかない。余程幸運な人でない限り何十人も、広い層の友人を持つ人は少ないだろう。こどものころから、他人とどういうつきあうべきかなどという訓練を受けたことはない。というより真の友情という話が少ないし、そういう過去が日本には、殆どなかったので はないか。いつも服従され続けた歴史しかないだろうか。利害関係のある人 間としか付き合っていなければ友情など生まれはしない。夫婦との友情とい うのもないだろう。日本人の風土は、友情は育ち難く、無縁だろうか。 何か、寂しい気持ちになる。
2014.10.31
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・キング牧師は「私はアンタッチャブルである」といった。「・・・そしてアメリカ合衆国にいるすべての黒人は、アンタッチャブルだ」と。そしてこれは、インドと、カースト制度と、アンタッチャブルの存在の理解なしにこれを正しく評価することはできない。キング牧師の指摘は間違ってはいないだろう。にもかかわらずそれは同じではない。同じように見えるだけだろう。 ・へ2・・・被抑圧者としては同じかも知れないが歴史的背景が違うだろう。踏みつけにされ虐げられた人たちが立ち上がることは口で言うよりも難しいに違いない。一般の人が人並み以上の努力をして社会的地位を得るのとは訳が違うからだ。自分が何者かを考えずにする研究など多寡が知れている。それは、おそらく何の役にも立たないだろう。 ・他人が用意したものを使っているに過ぎない。敷かれたレールの上を走ったからといってそれは当然の成り行きでしかないのだ。私たちの学んできたものはそれであろう。もう結論が準備されていたのだから。そして働きアリにさせられていたのだ。そこから子孫を残すことはない。人々みな同じ姉妹でしかない。 ・へ2・・・この国際社会は、多くの国家を形成し、また社会組織を持ち、先進国も開発途上国もあるが、他国には言えないアンタッチャブルを抱えているものだ。そして、それでもなお、人々は同じ子孫を残さない不妊の姉妹なのだろうか。そうではなく、そうさせられているのだろう。現在66億人の世界人口があり、やがて100億人を超えるだろう。そして人類は生きる目標をもってはいない。ただ生きて死ぬだけだろうか。
2014.10.31
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アメリカ、カルフォルニア州の「セコイア(レッドウッド)」は、100メートルを超すという。これだけの高さまで水をどうして汲み上げることができるのだろうか。幹の中を流れる水は水分子の性質で一連の鎖のようにふるまうことで。水の鎖を引き上げる力は、葉の細胞の表面で引き上げるらしい。(「ニュートン」2013,10月号)レッドウッドの森のテレビを見ながら、その森の風景に見惚れた。高い木が好きだが、これまた言語に絶する。 ・それこそ次から次に見たいもの興味のあるものが増えてしまう。これは限りがないが、人生とはそういうものだろう。 色んな世界遺産があるが、人を感動させるものばかりだ。
2014.10.31
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・歴史は客観的な事実で綴られるべき学問である。然し米国の歴史では、この世界の民主主義の盟主のような国が、ハワイのハメハメハ王朝をクーデターで転覆させ強引に米国領にしたことや、フィリッピン人による共和国を倒して自国の植民地にした事実を抹消しようとしている。米国史では触れられることの少ない部分でもある。日本も同じ歴史の教科書がある。 ・へ2・・・「硫黄島からの手紙」もアメリカ人の監督だという意味で話題になったが、そういう西欧型のリーダーもいたという視点でしかない。それでアメリカ人の意識が変わったというのでもないが、ただそういうことがされたという意味はあるのだろう。すべてはまずおずおずと処女の如く、始まるのだろう。誤魔化しが罷り通り、真珠湾攻撃についても、当時の米国の創作された「リメンバー・パールハーバー」だったかもしれない。米国の判断が常に正義に振れているのでもない。 ・抹消される事実のなかに重要なものが多いのもまた確かなことだろう。そのことが禍根をのこすこともまた事実だ。 ・へ2・・・時には写真さえ訂正し、映っている人物を抹消したりもしている。それこそ沖縄戦での集団自決の真偽を論じるのはおよそ無意味な議論でしかない。沖縄の人々にとって、それは集団自決は厳然たる「歴史的事実」なのだからだ。・それは、御用歴史家の歴史だけが唯一の歴史ではないということだ。 ・へ2・・・残念ながら、著名な歴史家が権力の側に属してきたことがいえるだろう。国民が信頼するに足る歴史家を持たないからだろう。ソーシャル・ステータスをもつものが品格を持ちえないことは日本人にとって悲しい現実だろう。歪められた歴史を学んで何の意味があるだろうか。真実ことそ歴史の意味がある。
2014.10.31
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どうも六月から一日1万歩になってしまったが、継続して行きたいので止むを得ない。健康に注意して、QOLを守りたいと思っている。 ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数(ホスウ)日数2014.9.30まで.49,487,0262,3592014.10.351,90731歩数(ホスウ)累計(ルイケイ)49,838,9332,390
2014.10.31
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血管が脆くなるのは中々分かり難い。じわじわとくる。DMもそうだが、健常者よりかなり寿命が短くなるのは血管がやられることが多いためだと言われる。 ・先日も知り合いの人がクモ膜下出血で亡くなった。彼は酒の飲めない人だったが禁煙しなかった。毎年胃カメラで胃腸の検査を怠らなかったが、血管それ自体についてはそれほど関心がなかったようだ。何度も母の話をして恐縮だが、私は多くを母から学んだと思っている。それはおそらく個人的な体験があるからだろう。実社会に出る前に母の胃がんの看病という体験からスタートしたからだ。その時アメリカで血管の研究をした若い外科医が母の担当医で、風変りな付き添いに同情して、色々教えてくれたが、母はDMで血管が脆くなっていたらしい。注射を痛がったのも原因がそれらしかった。血管の劣化が早いらしい。 ・それこそ見た目より、血管だということだね。 ・へ2・・・ひとも顔も体も内側から変わってくるのだ。どれだけ化粧をしようとそれを止めることはできない。化粧品代で家が建ちそうな女性が多いけれど、それより自分の血管を大事にすることだろう。それと代謝異常だろうね。食べ物や運動やストレスや多くの要素が血管にかかわっているから、容易ではない。厄介な強敵だ。この身近な敵が、私たちのいのちを狙っている。 ・自分の血管が脆いとか簡単にはわからないだろう。注射でもしてベテランのナースでもないとその硬さなどがわからないだろう。そういえば、君は毎月血液の検査をしているが、ナースに、時々そのことを訊いているようだね。 ・へ2・・・少しは解るらしい。医師になると総合的に解析する。皮膚の表面とか、血液の検査結果などで、およそのことは分かっているだろうが血管のことまでは専門医でないと詳しくは解らないだろう。高血圧とか、血管を流れるどろどろの血液とかで血管が脆くなってしまう、いつ決壊するかは日頃の注意にかかっている。出血の場所だけ問題ではない。血管そのものだ。
2014.10.31
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宇宙のはじまった直後ホワイト・ノイズ状態であったが、現在の地球生命という複雑系へと移行したのは、それはカオス的な予測のつかないプロセスに促されて進行した変化だという。系が系自体を完全にコントロールできるようになれば、将来の変化の予知が可能だ。予知を妨げるものは系の外側の要因だけになるからだ。 ・へ2・・・そのプロセスは熱力学のエントロピーの第二法則に一致している。つまり地球は膨張し、すこしづつエントロピーの極大状態へと移行している。それはまた秩序の存在しない状態、つまり宇宙の死である。宇宙の終末は秩序の失われた死なのだ。 ・私たちはいま、エントロピー増大のさなかにいる。この宇宙には濃密だった過去の秩序がほどけて、天体群へと姿を変えるエネルギーがあることを示している。(C・メシエ) ・へ2・・・予測理論の重要な考えの一つに「カオス」がある。カオス理論は種が時間の経過とともに多様化していく結果、地球生命の系も複雑さを増していく姿を浮き彫りにしてくれるのだ。化石記録がすすめば、そのうち、過去のデータの規則性を割り出して、未来予測可能にするものになるだろう。 ・物理学的な思考法を自然の世界にあてはめて拡大解釈することは困難だし、危険な作業でもあるだろう。
2014.10.31
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どこかおどおどしていたのだろうか。横浜の大学の病院で初めて診察した若い女医さんが、「安心してください。この病院でたいていのことはできるので、任せて治療して」と言われた時、何となくほっとしたことを覚えている。単身赴任で、体調も悪かったが、何となく将来のこととか不安になっていた。流石は医師だ。心を読んだのだろう。それまで、他人から「安心せよ」というフレーズを言われてことがなかった気がする。 ・だからと言っては何だが、中々他人を信用しないところがある。競争社会であり、安全地帯はないが、「温かい手」があるかも知れない。落ち着いて物事を考えることができるのは、どこか安心する必要があるのだろう。そういう時間がなければならないとすれば、そのことを示してくれる他人の温かい手を感じなければならないのではないだろうか。 ・へ2・・・それは、社会の手であって欲しい。病院は、病んだり、疲れたりした人たちが救いを求める場所でもある。ただ病気になっても、病院に行き患者にならなければ、医者は治療できないということを知った。病人は世に溢れているが、すべてが患者とは限らないのだ。ひとりが社会のために、社会が一人のためにの社会保障の必要性は、死活の問題でもある。それから10年以上になるが、横浜から福岡に還り、そして温かい手を信じて治療を続けている。
2014.10.31
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・どうも並列して考える能力がないと効率よいものにはならない。人間の頭は電池ではないから同じには考えられないが、概念は一つの電池だとすると、それをいくつも並べることができた若いころと違って、段々直列にしか並べられないものを感じている。ひとつのことを、あるいは数個のことしか同時に考えられなくなっているとすれば、視野は狭くなるに違いない。そういう狭さが私だけではなく、日本人の特徴かもしれない。 ・へ2・・・何でも都合よく考え過ぎるのではないだろうか。それでは済まない。例えば、国民が政治にかかわっているとは思えない。それだけの確たるベースと言えるものがない。それが選挙であり、選挙運動だと思っているかもしれないがそれとも違うだろう。政治集団でもない。個人としての政治意識の問題だ。個人が電池になることではないだろうか。それが目に見えて発揮される装置が必要なのではないだろうか。それができないはずはあるまい。 ・東洋と西洋の違いについて、WEBを開いてみたら、色々ありそうである。どの程度の話になるのだろうか。関心を持っている人は多いに違いない。それは今日の日本の在り様にもどかしさを感じているのだろうし、確り考えている人もいるが、それがまだ電池にならないのではないだろうか。飛びぬけてパワーのある人ではなくてもエネルギーのある人間であらねばならないだろう。
2014.10.31
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>スズガモの群れが遠くに見えている。沢山の渡り鳥たちが和白干潟に来ている。 Gender Mainstreaming(GM)のアイデアが生まれたのは1985年にナイロビで開催された第三回世界女性会議である。その10年後北京「行動綱領」でGMが強く打ち出された。ちなみに日本は、1999年9月「男女共同参画社会基本法」が施行された。 1949年ドイツ(旧西独)の基本法第3条第2項には「男女は平等の権利を有する」また「何人もその性、血統、種族、言語、出身地、出自、信仰、宗教的見解、政治的見解によって不利益を被ったり、特権を受けたりすることはあってはならない」と記されている。しかし、「女らしさ」「男らしさ」という刷り込みは簡単に払拭されるものではない。差別を差別と思わないように仕組まれた社会は歴史の負の所産でもある。 現在の高度産業化社会は、健康な男性を中心に据え、女性は私的、公的を問わずあらゆる面で男性を助ける存在として位置づけてつくり上げられてきた。 日本国憲法14条「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」 日本国憲法24条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と規定する。わが国の伝統は、所謂「男尊女卑」の歴史でもある。見せかけではなく、蛭の皮をひっくり返してしまうまで徹底的にジェンダーを進めるべきだろう。 「人は女に生まれたのではない。女になるのだ」とは、シモーヌ・ド・ボーヴォワール「第二の性」(1949)冒頭の名言である。誕生後、絶え間なく「女らしく」行動し、感じるように周囲や環境が刷り込み、習得させていくのだということを女性たちは気づいたのだ。 私は、最近女子大に行くようになり、大学のジェンダーへの取組みをしばしば目にしている。官民の掛け声だけでは世間にどこまで届くのだろうか。まだ蜘蛛の巣理論でしかない。その取組みは、本物ではない気がしてならない。それこそ突然変異をやってのける女性が出てこなければならないだろうと思う。
2014.10.31
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自分を悦ぶ欠点は多いけれど、ここにいることはまだ好いと言えないこともあるまいと思う。日本は世界一の長寿国であり、それだけまだ少しの価値はあるのだろう。形式だけの数値ではなく、中身の問題でもある。ただ意味もなく長生きしたところで何の意味もない。ひとは自分らしく活きて、寿命を全うしたいと願っている。それが中々できないでいる。自分だけの問題でもない。 ・いつものように起きてきたが、昨日と違う自分を感じる。何がどう違うのか精確に表現することは難しい。気分の問題でもある。・へ2・・・自分でも何を残したいのか解らなくなるが、私なりの悦びはある。それは生きているという素朴な感情だ。どこかで躓けば、それまでにもなる。溝の中に堕ちた人間を誰も拾ってはくらない。生命の厳しさは、失敗を許さない側面があることだ。同じ生命でもネコと人間は違う。それは活きている世界が違うからだ。人も一人ひとり違っている。それをどれだけ理解するかだ。
2014.10.31
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・史書とは、大事なところは寡黙である。それは史書だけではない。一番気にしているところは書かないからだ。孫子の兵法も分かりやすいのだろう。だから誰にでも熟知できた。孫子を知っていたからと言って実戦でどう使うかなのだろう。そこは寡黙である。誰にでもわかるような秘密を明かすはずがない。みな真似をしてしまえば兵法にはならない。要か解釈にある。 ・へ2・・・英雄は黙っていても理屈は後でならどうのようでも作ってくれただろう。勝ち残ったからそれだけの理由があったはずだと思えば何にでも化けてしまう。白でも黒でもどっちにでもなる。敵か味方かの違いだけだ。毛沢東だって今の中国では評価が以前とまったく違っている。冷静に考えれば正しいことばかりしていない。金正日も同じだろう。それは昨日までも酷暑と違い、今朝は福岡も気温は摂氏24℃になった。うそのようだ。まるで一変した。そして、昨日までの暑さもいずれ忘れてしまうだろう。 ・それにしても、寡黙は金だろうか。安倍前内閣は、大事なことに対して寡黙であった。だから彼の本音がどこにあったのか、表明していない。あるいははじめから言うつもりはなかったかも知れない。かれのストイックな側面は政治的資質ではない。いまや政治は寡黙ではいられない。それでも何もしようとしない内閣もだめだろう。なにが非常事態内閣なのだろうか。戦争でもしようというのか。どうも安易で軽薄に見えてならない。「棚ボタ内閣」ではないのか。 ・へ2・・・誰もやらないからやりましょうではお寒い。日本の内閣制度とはそんなお粗末な組織なのだろうか。人づくりと言いながら何もしてこなかった証明でもあるのだろう。いささか滅入ってしまう。ヒトラーの「最期の12日間」のなかで彼の側近が、「ドイツを中世にもどすつもりか?」というシーンがあるが印象的だ。当時のドイツ人は、中世から這い上がってきたのだ、という思いがした。そして、現在、その中世の風景を大切に残しているドイツ人の奥深さを思った。
2014.10.31
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>ミヤコドリ(下の写真)今朝の和白干潟。 他の生物が生き残るか絶滅かでヒトの運命も決まる。生物種が脅威にさらされていることに、ようやく気付きはじめ たが危機が去った訳ではないし、征服欲の権化たちは、この危機を過小評価し、歪曲しようとさえしている。 学者たちは、まるで処女のようだ。ほんの少しの脅しにさえ震え上がり、「アカハラ」で恐れ入るというのか。 権力と権威に弱い奴は学者になって欲しくない。生物の多様性は、あらゆる可能性を齎しているが、それだけ回り道をせねばならない。真っ直ぐは進まないのが常だ。数千万種の種が存在するのは、意味がある。そして、他の種は食物連鎖の中でヒトに繋がっており、ヒトは他の種に生かされている。 ヒトが、豊かな生活を得られるのは、生物が多様性を保持しているからだ。ヒトは地球を守る義務があり、 学者は役割を果たす責任があると思う。
2014.10.31
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死んでも判らないことばかりだ。正直にいえば、自分も含めて自分が見えない だろう。如何に客観的であろうとしても、所詮蒙昧は抜けないだろう。こう いうことを書き出すと生きるのが厭になってくる。それにしても、何時でも ネガティブな思考回路に嵌りこもうとするだろう。健気に生きているひとを みると嬉しくなるが、それだけの価値があるだろうかと思ってしまう。自分の人生もそうだが、他人の人生も果てしなく危うい中にいるだろう。 天災やアクシデントで、忽ち人生が狂いもする。それは、繰り返される報道で日常茶飯事に起きていることだろう。誰も、自分の人生が静かに、厳かに終わるとは、それこそ死ぬまでわからないし、死んでもすぐには評価もでき はしない。私なども、もう遠慮を御免被ろうと思う。好きに生きて死ねば良いだけだ。良くも悪しきもその報いはあるだろうが、それだけのことでしか ない。一日1冊でも2冊でも読もうと思えば読めるだろうが、そこまで集中 力があるだろうか。無理をしないで遣るしかない。OCWの講座で、20分 以上運動しないとどうのというのは可笑しい、一日5分でも運動するだけで その効果はあるという記述があったし、無理に走ったりするのも良くないと聞く、身体の一部分だけではないし、心もあるだろう。ひとの生命は、総死で考えるべきだと思う。
2014.10.31
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和白干潟が,渡り鳥たちで賑やかになってきた。おそらくスズガモ1000羽近くいたようだし、全部では、その2倍くらいの数はいるのではないだろうか。クロツラヘラサギ8羽を見かけたし、ミヤコドリや、ダイゼンもいた。カモ類やサギ類はあまり名前が分からないが、ずいぶんいたようだ。珍しい渡り鳥が混じっていたのだろう。それを発見できるだけの知識がないのが残念だし、望遠鏡も子どもの玩具でしかない。 ・今年の4月12日にクロツラヘラサギ1羽をみたのが、今年になってみた12回目だったから、10月27日に見たとの13回目で、今日で,14回目になるが、8羽も一度に見られたのは幸運だし、1月9日に7羽見たのが最高だったので,今日の8羽はそれを超えている。それ以外は2羽か1羽でしかない。よく分からないが、子供のクロツラヘラサギが3羽混じっていたのではないだろうか。世代交代があるのかも知れない。 ・へ2・・・アップにして写真を撮ろうとしたが、これが結構難しくで狙い通りにはできなかった。それでも前回は極寒の中で,黄斑前膜や白内障でよく見えないままだったが、今回は暖かい日だったし、術後でもあったので心ゆくまで、この瞬間に歓喜した次第。
2014.10.31
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ここ200年間でしかない。西暦1800年代から今日までの間、私たち日本人に何が変化したのだろうか。鎖国という社会が、やがて開国に向かい古いものが棄てられて、手にいれたものは何だったのだろうか。憧れは幻影でしかなく、どこへ行こうとしたのだろうか。 西欧文化が、教えたのは、弱肉強食でしかなく、搾取社会のルールだった。いつまでもアジアと西欧との格差はつづいている。欧米の都合のいい論理でしかない。 中国人が中国語を捨てられるだろうか、ロシア人がロシア語を、フランス人がフランス語を、ドイツ人がドイツ語を、そして日本人が日本語を捨てられない。或いは英語圏が英語を捨てる日があるだろうか。どうしても、世界語を創らねばならないのか?やっぱり英語というのは今の時代でしかない。 毎朝、曙光が輝いている。繰り返される日々は、新たな時代を連れてくるが、すぐに消えてしまう。栄枯盛衰があり別離がくる。そして否応なしの文明の衝突があり、どちらかの文明が滅びるだろうか。人類の絶滅もあるだろう。
2014.10.31
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心理的な葛藤から調和へ、というのが梶井の作品のスタイルだという。それを「不快」の一つの「型」と梶井は称している。小説の大枠。「フレームワーク」 「嫌悪」「憎悪」等相手を不幸にする。・・・「不快」残酷、いらだち。 それを「もっと温かい心で見なければならない」・・・調和的な気持ちが起きる。 梶井に日記、メモによる試行錯誤がある。・・・「檸檬」不快の一つのタイプ。 梶井は、家族との葛藤に中に、「不快」の原型を母親の存在を中心としているこ家族に気付いた。・・・一人相撲という。「泥濘」「路上」にある。梶井は、日本的モダニズムの下地をもっていたのだ。
2014.10.31
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どうやら漱石の小説の中には小旅行が物語の素材になったりしているものがあるが、文豪ともなるとそのわずかな体験から物語の構想が湧いたりするものらしい。「草枕」にしろ、度々「小天温泉」に行ったのではない。今読んでいる「虞美人草」も比叡山の経験を生かして書いている。「一夜」ふうの美文調は読者の受け入れやすい仕掛けがある。この社会は万人のものであり、個人のものではない。そこに悲劇が生まれる。相手がおり、自分の思い通りにはならない。それだけのことだが、それで終わらない。 ・小説とは、ネタの尽きない商売だ。だからいまだに小説家は続いているが、どれだけ社会のためになっているのだろうか。疑問だ。碌に経験もないのに、言葉だけで終わってはいないか。一度山に登ったばかりで征服したようなつもりではないだろうか。世の中を甘く見てはいないか。小説になるような現実は素朴ではない。小旅行したくらいでないが分かる。何も分からない。見ているだけだ。 ・へ2・・・ツアーで分からないのと同じだ。漱石のように、田舎を汚い臭いところにされたり、下男、下女にされたり、かってに炭坑夫を侮辱されては困る。どうも小説家の中に文筆が高尚で、働く人間が下等にされたりするような貴族趣味の人がいる。働くのがまともで、じっとしている人間は長生きしない。
2014.10.31
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いつも思うが、自分がどうしてここにいるのだろうかと。勿論因果関係があるし、理由もあるのだろうが、思えば根拠はあるようでない。ツアーもしなければどこへも行かない。満足しようとしまいと、同じところで動かない人間もいて好い。納得するまでそこにいればいいのだ。自分と心を同じにしているものは、他にはいない。それが当然であり、納得しているから孤独でもない。 ・他人と比較しようとも思わないし、意味もない。もっと社会性をもつべきだと思っているが、軋轢が増えるだろうと二の足を踏んでいる。来週の日曜日に野鳥の会とその次日曜日に干潟のイベントを覗いてみようとは思っている。今日の午後は、図書館に本の返却で出掛ける。明日はエクササイズと、土曜日は講座がある。何とも。 ・へ2・・・YouTubeで A romantic evening in Heidelberg HD を楽しんでいる。みんなで楽しんでいる雰囲気が好い。人生は楽しいのだ。指揮者がどこかゲーテの顔に似ている。
2014.10.31
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日時計が発明されるまで人々は、自然時間に従って暮らしていた。太陽、 月、星が生活のパターンを決定していた。日時計は5千年以上に亘り、人々を支配し、ひと社会で使われていた。そして、近代の「時計」が果たした役割は大きい。コミュ二ティ全体を共有できて、眼に見える指標が齎されたのだ。 周期が一日より長いリズムをインフラディアン・リズムという。13年または15年ごとに2週間の繁殖クライマックスを迎える蝉など、ずっと長い周期があ るとされる。 J.T.フレーザーは、 「同じニッチを共有している動物や植物は、お互いの生物リズムを合わせる必要がある。狩りをする時間、食事をする時間、交尾をする時間、巣をつく る時間など、それぞれきまっていなければならないはずである」という。 ひとが、共有する時間は一定であるが、或る意味でウルトラディアン・リズ ムや、インフラディアン・リズムを遣っていることも価値があるかも知れな い。不安定性が齎すものが進化に繋がる蓋然性がある。
2014.10.31
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どうも根本的なところで迷っている砂上の楼閣。砂山は飽くまでも幼児の遊びでし かない。それを遣ろうとしているのは誰だろうか?私かも知れないし、あなたかもしれない し、政府かも知れない。ここに築きあげられようとするものは虚構であってはならない。現実の世界だからだ。世界に戦争は終結した訳でもなく、引き金を引けば弾丸は打ち出され人は死ぬだろうし、核爆弾を発射すれば確実に世界は戦争の惨禍をまねくだろう。然も只では済まな い。それこそ人類は絶滅の危機にもなる。 あらゆることが悪夢に変わってもいくだろう。それは予言でもない現実になる。緑を守る ということがどんなにか大事だということはそのことを指しているからだ。ことば正しく伝達されてはいない。ことばには多くの裏があるだろう。バベルがもたらしているものはひとの平 等ではなく、その反対だからだろう。ひとが同じものを求めなくなり、汚濁と、混乱を生じて いるが、それは、ヒトの形質でもある。複雑系が今日の文明を齎してもいる。 ヒトの手にあるものは両刃の剣だろう。向かう先を間違えれば忽ち血の海になってきた歴 史がある。誰の罪でもないが、その誤りのためにヒトの未来も終わるだろう。人間は愚かで弱い生物であるが、すべてを壊してしまうパワーを持ってしまった。それは現代科学の為した取り返しのつかない事実だろう。人類はまだ精神的にはスープの海に漂う幼児でもあるから だ。
2014.10.31
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福岡市の東部に住んで30年近くになるが、ここが終の棲家かは分らない。思えばあちこちと転居したが多いとも言えないし国内をうろうろしたに過ぎない。都会だろうと田舎だろうと37万平方キロは、広いわけでもない。まっすぐに走れるところがどれくらいあるのだろうか。幸か不幸か、身に備わった特質は島国根性だ。象のようにではない。むしろネズミに似ている。忙しく生きてあっさり死んでしまう。 何も卑下している訳ではない。辿りついた先がどこであろうと人の声のする場所であればいい。流れ着いたか、たどり着いたかはそのひとの思惟で決まること。自分から捨てた場所もあれば、追われたように出てきた場所もある。私は若い頃一人暮らした時、「窓が開いたから出てきたようなものだ」と書いた。すべては自分とは違う力を感じた。 私は、私だが、私でない強い力がある。木偶の坊だ。どれだけ日本で威張ったからと言って、現在世界で評価されるような日本人がいない。それだけの文化でしかない。ひとびとが浮草でひとつの思いを共有することができずにいる。それは民族と呼べない。単なる集団であり、グループだ。 これから何が必要なのだろうか。イデオロギーが必要だ。
2014.10.31
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有明海と博多湾 豊かな魚類生態系のはずが、まさに危機瀕した有明海になっており、まさにアカデミックな研究が低調でおざなりにされた海。寧ろ政治と経済がのさばる不毛のエリアという。 <有明海>・・・汚染の理由。・筑後大ぜき建設・熊本新港建設・三池炭鉱跡の海底陥没・諫早干拓・・・(有明海の子宮!) (川からの栄養が供給されず、酸素が枯渇し稚魚が育たない)。・ノリ養殖・砂利の採取・農薬の影響・温暖化の影響エイが増えたと話題にされ、エイは日本では産業廃棄物になってるが、それはサメが少なくなっているから。エイは、外国では、むしろ保護されている。いずれにしても九州は、文化的後進国なのだ。為されるべき研究が等閑にされている。 少なくとも、生態系を充分調査研究しないまま諫早湾干拓がされ、有明海の汚染と生物の生態系を崩したことは事実だ。それだけではない有明海は、面積1700km2、 平均水深25m、干満の差5m。で狭く浅い閉じられた海であり、多様な生物の危機が迫っている。九州の政治経済の後進性が、かって水俣病を招いた。・大村湾にしろ汚染が進んでいる。人間は、汚染され続けているのではないか。 <博多湾> 博多湾は平均水深10m。干満の差は2m。それこそ永年の埋め立てが多い。閉鎖性の強い湾だ。和白干潟が有名だ。汚染は進んでいるが、学的研究調査は殆どされていない。そのツケは、将来のひとびとに回されようとしている。そういえば、有明海も大昔は、博多湾と川で繋がっていたという話があったのを聞いたことがある。土台、都合のいいデータばかり集めても意味がないのであって、人工島の影響のモ二タリングは、第三者機関に遣らせるべきだし、対象とされる種類も少なすぎるのであって、微生物の調査も加えるべきだろう。 姑息な研究が、研究者を窒息させるのだ。
2014.10.31
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今朝は、ラジオ体操が終わった後、一回目の干潮の時間が8;50なので、そのまま和白干潟へ行ってきたが、和白川の河口付近では、浅瀬になったところにかなりの数の野鳥たちが、干潟と水際のところに餌を食べていた。すぐにクロツラヘラサギ2羽を見つけた。今日は期待できそうだと嬉しくなった。ミヤコドリも一塊になっていたようだ。 ・今年の初めころクロツラヘラサギを見かけていた奈多の貯水池に行ってみたら、予想通り6羽のクロツラヘラサギがせっせと餌探しをしていたので、合計で8羽になる。例のアマチュア・カメラマンも既に来ていた。流石に抜け目がない。約2時間くらいかけて,気が収まるまで写真を撮ってきた。 ・へ2・・・400枚くらい撮ったが、自分がカメラが下手糞だと尽くづく嫌になってしまった。アップが思うようにいかなかった。全部を確認していないが、これから暫くクロツラヘラサギをUPします。
2014.10.31
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ツアーのコースを調べていたが、行くだけでも大変そうだ。ツアーの前にいつもしているが、コースをイメージしてみることにしている。どれくらいの時間がかかるだろうかと。福岡ー羽田羽田ーサンフランシスコサンフランシスコーサンサルバドルサンサルバドルーサンホセまたはボゴタサンホセまたはボゴターリマ ( リマ観光)リマーイカ ナスカとフマナ平原ーリマリマークスコ (クスコ観光)オリャンタイタン駅ーマチュ・ピチュ駅 シャトルバスで遺跡へ。ークスコクスコーリマ・・・・サンフランシスコー羽田経由福岡。 目玉は、マチュ・ピチュで、ナスカをセスナ機で見るらしい。どうやらマチュ・ピチュの現地に行くまでの旅は遠そう。それが楽しみで行くようなものだが、三時間滞在してすぐにUターンしなければならない。折角行くのだから、ひと月くらい滞在して堪能したいが、そうはいかない。見てくるだけのツアーだからだろう。それが観光でもある。グーグルアースで見ているが、まさか南アメリカに行くことになるとは。そう言えば、10年のパスポートが切れる。
2014.10.31
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誰も無知を嘲笑することはできない。そうなる理由もあるからだ。或いは五十歩百歩もあるが、所以があるのが普通でもある。自分が無知であったこと、他人が無知であること、それは確かに自分の不明もある。だが、フロイトやユングを知らないことがあったとしても、それは20世紀にならなければ知りようのないことでもある。だからそれまで無知だっただろうか。子供がどうして生まれてくるのか知らないで昔の女たちは子どもを産んでもいたのだ。 ・自分の深層心理も自分のその心理の機序を知らなければ、自分の心理の一面を知っていただけに過ぎない。未来の人から見れば、どんな優秀な科学者も無知でしかない。間違った知識をひけらかしているのかも知れない。何が面白いだろうか。知らないことを知ることでもある。解らないから知りたくなる。まだ面白い時代かも知れない。 ・へ2・・・スケープゴート化しなければならなかった悲しい歴史を学んでいる。それは20世紀という物理の時代でもあった。そこから這い上がってきて21世紀を羨望しても来たが、私たちは未だ無知のままである。 明日から十一月。大学の学園祭もある。土曜講座の新しい講義が始まる。「アジアの社会と文化」と「ヨーロッパの文化と歴史』の二つ。日本という社会を知るだけでは足りないのだろう。こうした講座が以前からあるが、何を目的にしたものか、あまり説明はない。どうでもいいのかもしれない。時間も無駄遣いに慣れてしまった。そのうち天罰があるだろう。そして気づくのだろう。
2014.10.31
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・PCを操作はすれども理解できないすべてブラックボックスだ。私も野蛮人と同じだ。こう して現代人は理解できないものに包囲されている。それを甘受しなければ生きていけなくなった。 ・へ2・・・21世紀は、ブラックボックスに包囲されてスタートしたが、後の世で歴史家は何と言うだろうか。人間が果しなく分解されようとしている。文語文が口語文に換わって便利になったが多くの大切な文化を失った。文語を棄て口語にしたのは人間の欲だ。口語ならかゆい所に手がとどくと思ったのが運のつきだ。まず小説が堕落した。 ・漢字と漢詩が消えていった。「ボキャ貧乏」ばかりが目立ってきた。土台PCのブラックボックスは豊かな文化を形成してきた漢字や漢詩を知らないのだ。使えるはずがない。 ・へ2・・・現代人は、古人から見れば「野蛮人」でしかないのだろう。 なにか事件があるごとに 特定のひとがマスメディアのバッシングに遇い社会的に葬られるだけではなく、時には被害者や、加害者の家族まで晒しものになる。これもスケープゴート化でしかない。ひとたびミスをすると過剰なバッシングになりがちだ。人々の抑圧された羨望やフラストレーションのはけ口としての血祭りを上げることであり、「投射」の一種だ。ひとびとが深層心理をもつかぎり、悪意持つマスメディアによるスケープゴート作りがいつはじまるかわからない。
2014.10.31
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安倍首相が、北朝鮮に派遣したした人たちからの報告を受けて記者会見でまた他人事のように拉致問題をコメントしている。相手が悪いと言っているだけだ。そんなことは誰でも知っている。だからリーダーとして、日本国民の命を拉致した責任を取らせるかだろう。それができないなら国家権力の意味がない。犠牲者がどれだけ出ても平気でいられるのは他人事だからだ。 ・原発も、政治信念がないから止められないだけだ。社会悪もいまだに払拭できないのは、社会がひずんでいるからだ。暴力団もいまだにいる。利用とする連中がいるからだ。アメリカは強い,正しいと言って大統領になる。政府の尻馬に乗って甘い汁を吸おうとする。政治を食い物にしている。 ・へ2・・・何が優秀で博士になったのだろうか。そういう人間たちが横柄に暮らしている。それが現在の社会であろう。原発も、大災害も防げないような科学者だろう。肝心なことができないでいる。圧力で北朝鮮は動かない。莫迦なスローガンばかりでしかない。
2014.10.31
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まだ生きているから終わりではない。今年も色々あったが、来年も来るようだし、ツアーの予定もできた。自分では別に焦っているつもりはないが、まあ用事があったほうがいいのだろう。自分で作っていると言えなくもないが、そしてその通りになるかわかないが、これも生きているからだろう。どうしてもしたいと思うことはできるものだ。 ・好きなことができるのにしなかったとすれば、痛い目には遭わなかったとしても、勿体ない。いつも想定外のことがある。やっと大丈夫だと思ったら、明日がないひとだっている。巧くやってもやらなくても同じ時間でしかない。コストは払わなければならない。青い鳥はいない。 ・へ2・・・この宇宙が,ユニバースではなく、マルチバースだと分かったとしても、自分には何も理解できない。見えないのだ。何のために生きているのだろうか。問い続けなければならない。それが自分だからだろう。
2014.10.30
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自分はどこから来たのだろうか、と不思議に思って生きてきたが、いまだにその結論が出ないが、おそらく死ぬまで分からないのだろう。父母は遠い昔に死んでしまった。親戚の人たちや、友人たちや知人もあまり近所に住んでいない。それでも平気でいるのは、同じ人間たちがいるからだ。ことばが通じるからだろう。物価が安いから外国で暮らす気持ちはしない。 ・どんなに空気が汚れていても、水が不味くても、この社会で死にたい。それこそ暮らしやすいと思える社会であってほしいだけだ。いまはよくても将来どうなるか分からないでは困る。政治家と金がまた社会問題になっているが、それが現実であり、今更だが、それだけ文化レベルが低いのだ。それを勘違いしているのかわざというのか知らないが、パフオーマンスばかりで無責任な政府だ。 ・へ2・・・これでいいと思っていないだろうが、それでも世襲の弊害がある。お姫様では政治家はできないし、脇の甘い人たちでははた迷惑だが、スキルのない人間たちばかりでは、他国に食われてしまうだろう。情けない余生になりそうだ。どうせこんなものだと思ってはいる。
2014.10.30
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人生を辛いと思えば辛く苦しい。苦厄、娑婆といえば謂えるのだろう。事実だろうか。それが問題でもある。人生は素晴らしく、楽しいと心から思っている人もいるのだ。どこが前者とちがうのだろうか。変化がないと詰らないと言う人がいる。同じことを繰り返すのが苦痛に思えるのだ。男と女は違うだろうか。元々そういう意識が差別意識でもある。 ・幼児体験から刷り込まれた観念は、根底にある。自意識過剰になれば、自分の思うようにならないと苦痛に感じるのだろう。四馬の譬えもあるが、それは上位概念でしかない。「ホータルこい、こっちの水は甘いぞ!」その声にひかれてホタルは来ない。甘い水はない。騙す人と騙される人がいるが、どちらが幸福だろうか。 ・へ2・・・若いころから苦労して暮らしてきたものには、晩年は決して何も苦しくはない。一生厳しい人生を歩んでいる人もいるのだろう。この世はこういうものだと他人に押し付けることはできない。自分の感情は、そのひとだけのものでしかない。人生をおいしい水だと思える人でありたいものだ。仏陀は人生は甘美なものだといわれたという。人格完成者の言葉だろう。明日から十一月だ。
2014.10.30
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明日、何が待つのだろうか? 天国でも地獄でもない。紛れもない現実だろう。それがどうい う姿をしたものだろうか。どういう社会形成のもとにあるのか。まだ誰も説得力のあるブルー シートを出せずにいる。どちらかといえば悲観的なのではないだろうか。地球温暖化や、地球を取り巻く環境破壊は資源の枯渇さえ口にされつつあるし、人口問題に発する食糧問題もあ る。戦争の火種はむしろ拡大しつつある。背広を着た経済的アニマルたちが市場経済から逃げ出すとは思えない。 宗教離れのヨーロッパ人たちはこれから何をするつもりだろうか。また新しいアメリカを創るつもりだろうか。USAとは、いったい何の合衆国なのだろうか。欲望と憎しみだろうか。 欲望を積み上げても、人間の理想は遠のくばかりだろう。血祭りに上げ続けて最後に何が残る のだろうか。成り上がりのリッチマンの連鎖は底なしの泥沼なのではないだろうか。新しい価 値はいずれ人の生命まで商品化するのではないか。市場経済主義の果ては砂漠ではないのか。それを中国は目指しているだろうか。 胃の奥から込み上げてくるものは言いようのない苦い思いを重ねたものでしかない。何か とんでもないことを人類は仕出かそうというのではないか。暗い予感だけがしてくる。木偶人 形たちがそれこそ増え続けているのではないだろうか。自分で考えようとしない。巨大な権力に頼って生きようとはしていないか。行きつく世界を知ろうともしない。刹那的な享楽でしか ないのではないか。 いつか、すべては炭素に戻るだけか。
2014.10.30
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ビックバンが起きた時に既にこの宇宙の運命は決められていた。その運命に向かって突っ走っていく。それだけのことでしかない。賽は投げられている。素粒子から、生物、そして星たちまで、4%が同じ物質であり、あと96%は違う。暗黒マターと暗黒エネルギーだ。無知で無力でどうしようもない、ということだけが解っている。あとは勝手に生きろというのだ。 ・限られた命でしかない。ヘイフリックの限界だ。すべてのものが、そういっている。賽は投げられたのだと。始まりそして必ず終わる。このマルチバースの、この私たちの泡はとてつもなくでかいだけ。窓から見えるそとは真っ暗だが、明かりは私の中でしかない。夢を見ているに過ぎないらしい。誰が作り出しているのだろうか。それさえ解らないままで。 ・へ2・・・ただ恐れてしまっているだけだろうか。それはやむを得ない。それほど勇気を持ち合わせてはいない臆病な人間でしかない。ドーパミンで騙されていい気分になって。好いように使いまわされてきた。夢のあるやつは愚かなだけだろう。借りた本は返さなければならないし、命も同じだ。
2014.10.30
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マクロ・スコピックとミクロ・スコピックとの間で物事は存在している。その双方の見方が大切である。よく言われるように、「木をみて森を見ない」ことになりがちだ。宇宙の膨張を見る望遠鏡と、極致の組成物質を発見しようとする顕微鏡の違いがある。この中間的な見方をメゾ・スコピックと呼ぶ。 ・それにしても、私たちの時代認識の「空白」は永過ぎるのではないだろうか。ものには限度があり、ポイント・オブ・ノーリターンがある。生命の限界はいかんともしがたいが、人間社会は何とでもある。それを決めるのは人間自身だからだ。どうも日本人の目はミクロに偏りがちではないだろうが、巨視的な側面が欠落しがちである。眼鏡のように遠近両用というわけにはいかない訳だ。それにしても福田政権を選択した日本人の政治感覚が短絡的ではないだろうか。それと民主党の頼りなさも脆弱な組織を窺わせている。それこそ淀君か石田三成軍の寄せ集め集団のようなものだろう。 ・へ2・・・オフィスレス時代を前にして、他人に頼らない個人の能力が試される時代が来ようとしており、自立の準備がされ始めているのではないか。小さく固まって力を発揮していた日本人たちが、ばらばらにされようとしている。「お盆の上に撒かれた砂である中国人」の砂としての自立心や自己主張の個性がなければならなくなるだろう。それに耐えられるものだけが、これからのマクロとミクロの間に存在理由を持つ。
2014.10.30
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・日本への渡来人の背景には中国の歴史が関わり、やがて中・南シナ沿岸の原住民を圧迫するようになり、その動揺から集団的な移住が惹起したのではないか。 ・H2・・・舟を操ることに習熟した沿岸の住民は潮流にのり、朝鮮や、また九州・瀬戸内海・畿内などに到達し、各地に移住し稲作文化を移植したのではないか。(のちに倭韓は従兄弟文化ともいえるほど親密な関係になる)。弥生式文化は紀元前200年ころ西日本ではじまり、東日本では紀元300年ころまで続いたとみられる。約500年間の時代を指している。平和的・非軍事的であり、呪術的・祭祀的な性格をもっていた。すなわち日本民族の形成は縄文文化と違い他動的躍進をした弥生式文化に始まったといえる。 東南アジア諸民族に多く類似する点、(いわゆる南方的要素) ・高床式建築 ・ふんどし、はちまきなどの衣服 ・入墨や身体朱塗り ・ある種の欠歯などの身体加工の風習 ・稲作に関係した農耕儀礼 ・イザナギ・イザナミ神話など多くの神話 ・その他、言語・韓語との類似性、とくに顕著な韓人的形質と大陸的要素など。 ・H2・・・「魏志倭人伝」にみられる所伝も、従来卑弥呼の邪馬台国に偏った論議が多いが、もっと広範な研究が必要だろう。ただ倭人伝にみえるものが、すこぶる南方的であることは明瞭であり、倭人伝の編者が倭地の風俗などから上記の説を肯定しているといえる。要するに3世紀に西日本が東南アジアの風俗を持っていたということだ。(江上前掲) ・西日本に多くの伝承される祭りにも、その名残りがある。 ・H2・・・何れにしても、「日本民族の形成」については、もっと深く広範に研究されるべきだろう。意外とまだまだ面白い話が出てくるのではないだろうか?
2014.10.30
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・トルストイの「イワンの馬鹿」には悪魔が見えたのだ。利口なやつが本当は目も耳もないのかもしれない、と巨匠トルストイはそう言いたかったのではないだろうか。慾ばかり張っている人間には目や耳がないのかもしれない。口だけの人間になってしまうのだろう。ふとそんなことを思った。素朴に生きている人間の方が世の中のことがよく見えるに違いない。より高い所に登ろうとして周囲が見えなくなるものだ。権力やカネばかり追いかけているとひとは手痛い報復を受けるのだろう。 ・へ2・・・それこそ昔も今も同じだが、「イワンの馬鹿」たちを蔑んでさえ来たのではないだろうか。それは違う。それこそ庶民の生活が優先されなければ世の中は良くならないのだ。そのことを政治家は忘れている。一番利口に生きているのは庶民でなのであり、それを大事にしない政治はすぐに潰れねばならない。大悪魔だって、それこそ鳥渡待てば自滅してしまうだろう。利口なやつが目がくらんでしまうだけなのだ。 ・童話のような話が本当は人間の理想の生き方ではないだろうか。イワンの妻になったお姫様もいつのまにか、イワンと一緒に服を脱いで野良仕事を始めたように、人間の在りようが変わるのではないだろうか。私たちは、「イワンの馬鹿」でいいではないか。ひとはそのことを忘れかけているのではないだろうか。 ・へ2・・・私たちは本当は誰が利口なのか知らないのではないだろうか?
2014.10.30
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一瞬でしかない本当に「一瞬」と感じているだろうか。「一瞬でしかない現代の化石燃料時代である」。ビックバンから始まり138億年、そして太陽の惑星として地球が誕生し、30数億年が経過し、地上には69億人を超える人がいるまでになった。1万年を一つの区切りと考えれば、その前後のあいだに現代が在り、石化時代は、まだ終わらないが、突然ではないにしても、あと僅かで石油は枯渇する。 ・地球の歴史からいえば、石化時代は一瞬でしかない。昨日の講演のレジュメにあった、地球上における「炭素の流れ」のフローチャートをみていると、自然界では、100万年をかけて、二酸化炭素は、固定化され植物-炭水化物になり、摂取されて動物-たんぱく質になる。そして排泄され、微生物が分解し、二酸化炭素に還元される。炭素は循環している。化石燃料による化学合成や、燃焼による二酸化炭素の増加は、自然のものと区別が付かないが、急激に増加してしまう。温暖化はそうして起きている。 ・へ2・・・エコといいながら、本気にならないのは、生死の問題として、目につき難いからだ。然し、その深刻さは核爆弾と変わりはしない。現代のさまざまな現象を冷静にみさえすれば大抵の人は震え上がる。そして絶望さえ覚える。「知らぬが仏」だ。明るい未来はないと思うだろう。いま世界で叫ばれているエコ対策な笑止でしかないと思うに違いないのだ。
2014.10.30
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尽きない被写体 出来るだけ歩数を延したいと思い夕方から和白干潟の周辺を夕食前に歩いてきた。雲ひとつない青空が広がり爽やかな一日だった。干潟はアオサが一面に広がっている。アオサの活用の研究もされているが、まだまだ序の口のようだ。和白に住んで長いが、ウオーキングをして思うことは海や里山や、田園風景とか、未だ自然が残っている環境でもあり、毎日のようにデジカメを持って出掛けているが、被写体には事欠かない。 ・寧ろ自分の発想の貧弱が在る。アングルを換えれば、どれだけでも好い写真は撮れるに違いない。飛んでいる野鳥を撮りたいと思うが、なかなか上手くいかないし、どこをどう狙うべきか解からないでいる。何でもそうなのだろうが、秀でることは難しい。 ・へ2・・・ひとはこころが自由でないと、発想も貧困になるらしい。ツアーの予定表を見ていたが、流石にペルーは遠いところのようだ。セスナ機でナスカも見れるらしい。高山は苦手だがどうだろうか。虎穴に入らざれば虎子を得ず。
2014.10.30
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