全809件 (809件中 1-50件目)

僅かな知識でこの社会を理解することなどできはしない。毎日でも弛まず努力して、新しい知的シャワーを浴びてこそ得られるものもある。育てる知識の薔薇には新鮮な水を与えてこそ。何が自分に足りないのか、それが解かるまでやるしかない。それでは終わらない。そこから新しいステージが始まるからだ。生き死にばかり考えていてもそれは、門の入り口でしかない。 ・同じ本を何度でも読むこと。「古事記」の文庫本を毎年買って読むという研究者がおられた。そんな努力をしているのが本物の研究者なのだろう。いつも智識に謙虚であるからだろう。自分を甘やかせる人は人生にも甘える。甘えた人の話は聴くに堪えない。どこの世界でも甘えた人は多いだろう。それが社会のガンにもなる。日本は潰れるだろう。それは厳しさが足りないからだ。 ・へ2・・・真剣に生きているものだけが知る社会がある。真剣でなければ視えないOUV がある。自分にとってのOUVを、探して行かなければならない。時間は無いが、時間は作らねばならない。自分の生きている間が、そのわずかな光の輝く時間でもある。智的シャワーを毎日浴びねばならない。
2014.06.30
コメント(0)

フリーラジカルによりDNAがダメージを受けると修復のため酵素が生成する。これも限界があり、修復と破壊のバランスが崩れて、老化して遂には死となる。即ち加齢とともにミトコンドリアから生まれたフリーラジカルは、酸化して蓄積し癌、痴呆、パーキンソン病などを発症するのだ。 中年期に免疫の中枢である胸腺が萎縮して、T細胞をつくるチムニンが衰退してくる。脳の機能低下は、ビタミンB12.B6, 葉酸などの ビタミンB群の欠乏による。アルツハイマーなど 20%~30%がビタミンB12欠乏との最近の研究成果。 加齢は免疫力の低下を齎し、バイオロジカル・クロックがプログラムされている。
2014.06.30
コメント(0)

谷村志穂「イギリス、湖水地方を歩く」に「フットパス」という言葉があった。私有地の中も歩く権利があるというのは、流石イギリス。日本でもできるかだろうか。できないだろうね。一番いいところが私有地になっているところがいくつもあり、そこに他人が入っては困るというものばかりだろう。元々狭い国土で自分のものだと主張して恥じないところは、公徳心もあったものではない。イギリスも島国であり、それほど広い国土でもないが、フットパスのそう距離が24万キロだというから驚きだ。 ・「歩く」という人間の最も健康的な行動を国家がサポートしているからに外ならないのではないだろうか。それは、日本の歩道が車道の隅に追いやられているのとは違うだろう。それこそ日本人の人権が隅に追いやられているのと同じかも知れない。それこそ、他人の敷地を堂々と歩けるようにすべきだろう。少なくともイギリスの真似をする必要がないが、「歩く」ということにもっと配慮したものであるべきではないだろうか。 ・へ2・・・何も金持ちでなければ快適な生活ができるというのではない。カネがなくても人生は楽しめるだろう。フリーで歩ける道を多く造り、薬の要らない身体にしていけばいいのだ。好い空気を吸っていれば、いい気分にもなり、食欲もわくだろう。健康管理を諦めないで、人生を放り出さないことではないだろうか。そうすれば、日本ももっと愛すべき国になるだろう。今日はやっと3万歩を歩いてきた。
2014.06.30
コメント(0)

どちらかといえば実利を兼ねた緑のカーテンであるが、苗を植えてから2か月も経過すると、キュウリとかミニトマトとか、食べれるようになり、その生長が楽しみである。投下資本から考えれば必ずしも経済的利益があるわけではないが、有機農産物を自分で作る喜びはある。自分や家族で作った物を食べるのが内食で自炊というらしい。中食が、惣菜などを買ってきて家で食べること。 ・TPPにしろ、その選択は正しいのだろうか。どうも疑問だ。農産物の自給率を下げてしまうのは、世界人口が72億人になり、これから予想される食糧問題を無視している。目先の利益だけを追求しているように思えてならない。集団的自衛権も、相手国の事情を少しも知ろうとしないで、勝手に独り相撲をしようとする議論ではないだろうか。誰が味方でだれが敵なのだろうか。そして国際社会は揺れ動いてもいる。昨日の敵が今日の味方になる。もちろんその反対もある。 ・へ2・・・これだけ間違いをしてきたこの国の歴史があるのに、また同じことを繰り返すのだろうか。子孫たちは泣くことになりかねない。どうも政治が右往左往ばかりして、肝心のことをしていない。持続可能な社会が言われるが、そのために何ができているだろうか。
2014.06.30
コメント(0)

情報が氾濫しているように見えて、自分に有益なものばかりとは限らないし、無益ばかりではなく有害なものもある。病院に病気を治してもらうために行くが、これも改善出来るばかりとは限らないだろう。その逆効果もないとは言えない。治療や薬が間違っているかもしれないだろう。所謂誤診もある。薬も反作用があり、他人には有益でも自分には益より害が大きいことだってある。まだ医療も個人のメデイカル・データは完全ではないし、効能も多様だからだ。 ・薬も飲んでみて効果を見ないと解らないことだってある。人体は複雑で、自分が特異体質であるかどうか事前に分かるのでもない。一つの部分が改善しても他の部分が弱ったりもする。それが老化現象の怖さでもある。総体的なからだの増悪化が加齢による衰退でもある。それこそ高齢になれば診察して問題がないはずはないのだ。 ・へ2・・・褒められているときは半分聴いて、注意されたものを確り認識しなければならないのだ。それが、自分の命を守ることだし、これからの予見につながるのだ。そういう意味では、安穏としてはいられない。注意深く見極めねばならないようだ。
2014.06.30
コメント(0)

結局FIFAワールドカップを毎朝早朝から観戦している。実力のあるチームのゲームは見応えがあるし、個人の身体能力が際立って見えても来る。一度のチャンスを活かせるかどうかで勝敗も決まる。それが面白いのだろう。日本チームは、キリンでいとど倒れたら起き上がれないという試合前の予想があったが、その通りになったが、よく見ている。 ・6月は、とうとう一日2万歩の目標が久しぶりに未達に終わったが、ツアーで歩けなかったこともあるが、気力もなかったようだ。ラジオ体操を始めたので、7時から近くの公園に行くことにしているので、それで朝のウオーキングが中途半端になっている。 ・へ2・・・ブログに力を入れると他のことができなくなったり、ウオーキングを優先するとまたどこかが影響を受けてしまう。あれもこれもの同時進行が、すこし重くなってきたのだろう。自分一人ではできないのがゲームの面白さでもあるが、これは社会も同じだ。日ごろ一緒に試合をしていない日本チームは寄せ集め集団だったが、やはりどこかチームプレーが良くなったのだろう。
2014.06.30
コメント(0)

中島撫山は、実際は祖父。作中の伯父。・レジュメ。志賀直哉「荒絹」。人との交わりを絶つ。・ひとはなぜ自殺をするのか。・蜘蛛のようにみえた。ギリシャ神話から。 「斗南先生」、・孫中島ひかる。中島敦の孫を講師は教えたことがあるそう。・何れも一人の男の彫像画を書いている。「虎狩」「光と風と夢」も同じ。・作中に出てくる作品の再評価がされている。・年譜・・・作家は朝鮮に住んでいた。・「斗南先生」は、「山月記」の主人公李徴に特徴が似ている。重なる。李徴の特徴である孤立や嘆きも同じ。・その時、その時で、ひとの感想は違う筈だ。・ひとは、昨日と今日は違うということを認識すべきだ。・老いて死んでいく人間の「斗南」を若い三造が知る筈がない。・「三造のもの」。がある。・作家たちには「・・・モノ」がある。・中島敦は、勉強家だった。教師になったので、鴎外などのいくつかの全集を読破した。・横浜高女の教師をした。原節子の通学した学校。・主人公は、李徴のように才能がありながら、恵まれた豊かな環境ではない人物。・鴎外は、自身には専門が無いと嘆いている。斗南先生もそれに近い。・中島は、「斗南先生」で、鴎外を意識しているのではないか。・何でも持っているが豊かさが無い。そのことを自身鴎外は気付いていた。・「麦めし問題」がある。鴎外批判。大勢の兵隊が「脚気」で死んでいる。鴎外は麦めしに反対した。・人間には「鈍」が必要。「鋭」ではない。・「李徴」、斗南先生の中に、中島の凝縮された部分があることを認めている。・斗南を三造は、死んだあとで見直している。・死んだあとで慟哭する。反発しながら共感するものがあった。・作品の☆部分のあとの最後の箇所は、戦後駐留軍のアメリカ軍が検閲して危険思想として削除した。のちにその部分が「追加」されたもの。当時は、アメリカ駐留軍には不都合だったため。・「斗南先生」。七番目の伯父さん。・多い兄弟の心理。自分の存在の希薄さ。深層心理。・幼児体験が複雑。血縁の問題。肉親の愛に飢えていた共通点がある。・漱石、直哉、芥川、太宰、梶井、中島などの共通点は、幼児体験の複雑さが似ている。・梶井の妹の死が分母。「城のある街にて」という作品になった。背景にある。・インテリの欠点。李徴の指摘。ものをリアルではなくことば(概念)で捉えようとする。・梶井は「妹の死」を忘れまいとする。そこが凄い。妹の死に対して直後は、何も感じなかったことを後悔している。・斗南の人間としての欠点を滑稽に書いている。・斗南が、死ぬまで彼の価値を気付かなかった。活きている時は気付かない。伯父が死んで初めてそのことに気付いた。
2014.06.30
コメント(0)

いつも今日からです。そして一日は過ぎてしまう。 誕生日祝いをしてくれました。
2014.06.30
コメント(0)

日々の中で感じる この壮大な宇宙の中に活きていると思うと感動しない人間はいまい。自分の脳に蓋をして、自分の世界に閉じこもっていない限りは、否でも脳細胞は活動している。大宇宙というシリーズが科学雑誌「ニュートン」30周年企画でスタートしたようだ。ずっと読んでいたかったが、午後になると36℃ちかい猛暑になりそうなので、次回までお預けにして、その代わり雑誌ニュートンは3冊借りてきた。 ・銀河系には1000億以上の太陽のような恒星がある。恐らくまだ暫くは太陽系さえ人類は飛び出す事はできないだろう。人間の未来はすべてショートしてしまうのではなかろうか。宇宙のゴミになるのだろう。こどもはこれから職業を持ち相手を見つけて結婚して子供を育てなければならないだろうし、大人や老人たちも自分のこれからを考えていかなければならない。皆それぞれの運命に向き合っている。 ・へ2・・・束の間の時間でしかない。どんな人の経歴も1ページで終わるだろう。ビックバンから始まり、遺伝子という生物の戦略もいつか終わりが来る。「ニュートン」で、人類が偉大な発見によっていくつかのハードルを越えてここまで来たことが記されてあった。科学の子であることを忘れてはならない。積み上げてきた知識を闇に還すにはまだ早い。
2014.06.30
コメント(0)

新しい知識を手に入れないと 体の新陳代謝のように、3年から4年間で人生のステージは新しいものに入れ替わる。自分の環境も変化しており、それにどこまで適応できるかでもある。いつも同じ環境なのではない。そう思えるのは、表面的であり、皮相的に過ぎない。時間は不可逆に進みながら、私たちに生命の限界を問い続けてもいる。或いは一度しかないチャンスかもしれない自分にとっての貴重な体験を豊かに感じているだろうか、見逃がしてばかりいるのではなかろうか。 ・阿蘇―4 火砕流堆積物の先端が博多駅南に達している。その痕跡を探ると阿蘇―4のスケールが見えても来る。盆地や低地に「阿蘇の灰石」は堆積した。その上に人びとは、集落や農地をつくり今日の社会を築き上げてきた。ジオがなければ私たちもいない。生物は、いわばその自然に育まれて生きてきたのだ。降りそそいだ雨が地下水になり、それを利用して人間の保湿力を維持して来た。火山の活動があって日本列島も形成されたのだ。 ・へ2・・・古いものを捨てて新しいものを手に入れながら生き延びてきた。営々として続けられた努力の中で進歩もしてきた。その末裔たちでもある。天から与えられたものではない。脳の遺伝子は、そのことを教えている。生き残ろうとする者だけが子孫を残すのだ。そこに何のずれはない。何が起きるだろうか?それは誰にもわからないだろう。ヒトにも、どんな生物にも生きるという目標はない。環境に適応できるものだけが勝者だからだ。
2014.06.30
コメント(0)

>クトゥプ・ミナール 陳舜臣「西域余聞」が、紹介している求法僧たちは、威厳に満ちており、それこそ一 種のフロンティア精神があるだろう。「誰も求法のために天竺へ行った者がいない。だから、 私が行かねばならない」だ。しかも60を過ぎて、僧は出かけ3年かかり天竺に至り、 帰国したのは77歳。それから10年近く訳業に従事した。不屈の精神である。当時の中国には律蔵が不足していた。組織をまとめる戒律が必要だった。日本も同じ理由で、律師の鑑真和上を求めた。何と、ゆたかに先人は存在していることか。知らないのは、知ろうとしないからではないか。中国は、インドに仏法を求めた。そして、それをはじめて成し遂げたのは、60を過ぎた老人であり、それは成果云々では ない。それを遣り遂げようとして、最後まで挫けなかった精神こそフロンティア。 当代随一の名僧と謳われた鳩摩羅什しかり、仏図澄しかりだろう。優れた先人に学ぶべきだ。 唯、知ることだけではない。これから私たちは、容易くショートしない人生を歩かねばならない。
2014.06.30
コメント(0)

人の想い同じ環境にいれば同じような気持ちになっていくだろうが、それがまた夫々に微妙に違うことでモードも相違が出る。同じ兄弟でも随分世界観も違う。大事にされたものといい加減に育てられたものとでは天と地も違うだろう。愛したいと思う人が愛されるとは限らない。好きか嫌いかくらいなら大差はないが、恋愛となるとそうはいかなくなる。其の人の運命が懸かってしまう。 ・「源氏物語」も偉大な文学というひともいれば、昔の週刊誌だという人さえいる。到底世界のメジャーにはなれない。普遍的価値があるものではないから。何故、全国に寺社や神社が多いのだろうか。それは数千か数万に及ぶだろう。それだけ造るだけの必要があったからだろう。莫大なコストがかかった筈だ。何故それが今も残っているのか。それは、その理由もある。この社会に原因と結果のないものはない。 ・へ2・・・自分という現在は、過去からきている。運不運はあるとしても大体説明が出来ないことはない。私の今は確かにそうである。自分では納得できるが、それが他人から肯定されるとは限らない。私には是非必要なことでも他人から見れば無駄なことかもしれないだろう。数式では表せない日常が迫ってくる。
2014.06.30
コメント(0)

13億人だから、1億人だからではない。どれだけ量があってもそれだけの評価がされるとは限らない。それは、それだけのことをしなければならない。奢れるものは倒れる。チリはチリでしかない。パワーを蓄え、それだけのことをしなければならない。パワーを誇示するものは能力のない証拠でもある。その行いを見れば分かるからだ。自分ですることをしないで他国の非難ばかりするようでは国を滅ぼす因にもなる。塵を集めてゴミのやまにしても誰も喜ばないだろう。そのうち悪臭がしてそこに住めなくなるものだ。 ・国内の問題を外交で解決しようとするのは間違いだ。そういう国がどれだけあるだろうか。日本の歴史を見れば、解ることだ。相手国の弱みに付け込んでいた。品格のないことをすれば、結局はそのしっぺ返しを受ける。努力をしないものに報いはない。そういう意味でも実力もない癖に、権力の座を固守しようとするのは弊害を増すだけだ。今日「住まいと環境」という6コマの講座の最初の日で受講してきたが、狭い国土で、肩を寄せ合って暮らして行かなければならない「うさぎの寝床」のように見える日本の住まいも、工夫次第で合理的な空間が可能であることを考えた。 ・へ2・・・智慧を出さないで、安穏と暮らしているから、ゴミにもなるし、人間を窒息もさせるに違いない。ハードだけでも駄目だろう、ソフトが充実しなければならない。よい環境ができても、才能を伸ばして、それを活かして使うだけの社会がなければならない。兵士になれば敵を殺すだけの人間になるが、平和のために働く人間を育ててれば、素晴らしいこともやってのける人間になるに違いない。そのために住まいや環境もなければならない。<ごみ>にならないためになにをするかだろう。
2014.06.30
コメント(0)

作品> 「蒼穹」、「筧の話」・知識はそれだけでは役に立たない。・独創が問題。京大での太田光の発言(NHK)が注目?・自分の頭で考えること。・「闇への書]・・・「筧の話」「蒼穹」つながっている。どう繋がるか。 「蒼穹」、・「闇への書」を読まないと分からない。「山」「岬」がなぜ出てくるのか?・作家がわざと分からなくしている。・原文だけではとてもでないが難解すぎる。説明を省略している。・散文詩。・詩人と小説家。小説家のような下司な人間ではない。( 三島)・梶井は、「死」を見ている。・若いから「暗い」とか「闇」を書こうとする。太宰「晩年」。芥川「老年」を処女作にした。 いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春ゆかんとす(子規)・梶井は死を意識していた。肺病が進んでいた。・分かるものにはわかると思ったのかどうかは判らない。・草稿があるから解る。無ければ分からない。・比喩がある。「死」の。・草稿との比較。追加されたものがある。・ロータス・イーター(快楽主義者)。・空を見ている。空の奥に向かっていく。雲に向かう。・目は上を向いている。奈落の底に落ちていく感じを抱く。ベクトルが逆になる。そして怖くなっていく。青空を見て怖くなっていく。虚無。闇。不思議な現象だ。・雲がどんどん湧き出してくる。・「わたしは海を見る目を空へむけた」。草稿で補う必要がある。・感覚を表現している。・わかるひとにわかればいいのではないか。・説明できないところに梶井がいる。感じることだから。 「筧の話」・見ているものと聞いているものが違う。錯誤。決着がついていない。・音だけが聞こえる状態。視覚と聴覚の不一致。知識と違う。拘り。・快く信じている?説明に困っている。・文章力が問題ではない。分かる人にはわかる。錯誤。・寧ろ、梶井は新感覚派。理知ではない。感覚と知識に梶井が拘っている。・横光利一は云われるような感覚派ではない。・国語は文学ではない。・空の中に闇がある。闇や虚無を感じること。感覚的。・普通の作家と違う。・「山径の方をえらばなければならない」。独歩「武蔵野」。・耳を澄ました。理性と感覚、聴覚と視覚の錯誤。・感覚だから厄介。・梶井は特殊な感覚を持っている。一般人とはかなり違うものがある。・喩で分からせようとしている。・知識と感覚の間。・解いている時が楽しい。・永遠の退屈。生の幻影は絶望と重なっている。・芸術・文学は、理性ではなく、感覚。聴覚、視覚の世界である。 以上
2014.06.30
コメント(0)

一日2万歩の月度目標が達成できなかったのは、もうやめようと思っているからではない。無理をしなかったまでだ。こういうこともある。 ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月歩数日数2013.12.31まで45,191,6742,0862014.1601,167312014.2490,193282014.3632,992312014.4.622,803302014.5.639,560312014.6.445,27930累計(ルイケイ)歩数(ホスウ)48,623,6682,267
2014.06.30
コメント(0)

太宰の昭和20年の作品群には、戦時下の作家によくある時局への遠慮がある。勿論太宰だけではないが、それがオピニオンリーダーとしての言論界に於ける責任を果たしたとは言えない。太宰はこの時期古典に傾斜している。確かに戦時下と平時下では、書き手も読み手も大いに状況は緊迫していた。恐怖のレベルが違うだろう。だからこそ作品の価値もふやけてはいないのだ。「あはれ」もそれだけ深いといえる。 ・太宰も三島も「意地」に拘った作家だろう。言行一致と三島は言って自殺した。人間失格と言い続けた太宰も同じだ。どこか文中にある「言葉から起こった難儀」に苦しまねばならない。太宰は落語が好きで、とめどなく言葉が出てくる天才でもあったそうだ。彼の文章を見ているとそれを彷彿とさせるフレーズがいくつもある。これが龍之介にはできなかったようだ。太宰は落語の造詣が深かったのだろう。相変わらずオリジナルが少ないのであり、一つの作品が、いくつかの連関をなしている。 ・へ2・・・太宰は、突き詰めると逃げ場のない生き方をしており、「・・・三界に家なし」のような感さえする。それとも生きるのが下手なのだろうか。それは作品のなかで繰り返されてもいる。太宰のユーモアの源泉が落語にあったのだろうか。
2014.06.30
コメント(0)

セロトニンはヒトを含む動植物に一般的に含まれる化学物質で、トリプトファンから生合成される。(Wikipedia) 昨日図書館で科学雑誌「ニュートン」の新刊を読んでいたら、集団で行動する生物には、皆で行動する時にセロトニンが出ているらしいという記事を見つけた。一匹で行動するときはそれがなくて、集団行動するときに出るらしい。ということは、集団行動はやはり嬉しいのだろうと思った。人間にもより大きな木の下にいる時そういう感情を持つのではないだろうか。勿論でない人もいるだろうが。人間行動も脳の化学反応でしかない。 ・仕組まれた罠の中を歩いている。容易にそれと気づくようなチャチなシステムではない。やっとそのことに科学は目覚めつつあるのだろう。世の中を騙そうとする人間が後を絶たない。アメリカの金融界でも生き馬の目を抜くといわれる世界でも、やはり騙す人と騙される人がいる。煽てられると阿呆になるからだろうか。それとももともとそういうふうに脳ができているとしか思えない。 ・へ2・・・企みのある生物世界があるのだ。他のものを餌にして生きている。鳥にだって托卵がある。眼を皿にして生きていないと、見る目がなくなるかも知れない。すべてが終わってからでは遅いのだ。他人を騙して自分だけはいい目に会おうとしている人間が如何に多いだろうか。それとも、猫を被るだろうか。それは知りませんでしたというに違いない。現代日本も危ない政治の選択をしてはいないか。
2014.06.30
コメント(0)

知識をどれだけ積みあげたところで精神にはならない。精神は胆力でもあるからだ。然し脳のパワーであるかも知れない。精緻さかも知れない。粗さが齎す妄迷から粗雑になるのだろうか。理屈に合わないことを仕出かすのは未練から来るだけでもあるまい。雨音はしないが未だ梅雨の盛りである。今朝まで降るとの予報ではある。くだくだと書いているが、まあ、唯一歩くことだけは続けている。それくらいは遣らないと。 ・目が少し悪い。中々読むスピードが先に進まなくなっている。だから矢鱈鈍くなった。それでも、漱石の文章は腹の立つほど判り易い。小説とは時間潰しではなかろうか。そして自分の人生も、おそらくそれではないだろうか。時の流れを悔やみながら愉しんでもいる。妙に登場人物が生々しい。どこかでこれまで出逢って来た人たちのようにさえ思えてくる。漱石の時代と変わらない時間を生きてきた気がしてくる。これはとても現代ではない。 ・へ2・・・ことばの通じない世界に「ポン」と放り出されたらどうするのだろうか。同じような顔をしていて、文字も言葉も分からないタイに行き、生きていけるだろうか。とても赤道の下で生きていけるとは思えなかったが、バナナを食べていきていた17世紀に日本人たちが日本人村を造っていた。望郷の念があったに違いない。ヤシの蔭にその子孫がいるのかも知れない。さて、その「行人」とともに、今朝をスタートさせよう。なべてこともなし。
2014.06.30
コメント(0)

何とか写真のアップができました。
2014.06.30
コメント(0)

代表的なタイ美人がどんなひとなのか知らないが、ツアーでみんなで綺麗だと、意見があった女性が。アユタヤのレストランにいた。そのひとの了解を取って、写真を撮らせて貰った。気立てが良いひとでもあり、優しい感じだった。顔に素直さが出ていると感じた。タイ料理の辛さに咽ていたら、そっとテッシュを持ってきてくれたりした。日本的な優しを感じた。タイの女性と日本の女性はどこか似ていると思う。いつまで、アユタヤのレストランに彼女がいるか分からないが。 残念だが、一日の写真の容量を超えたらしい。
2014.06.30
コメント(0)

老化を遅らせ、高齢期も健康に過ごすことが知恵なのだろう。飢餓からの脱却がまだ世界の課題でもある。一部だけの健康が問題にされるが、肉体的だけではなく、精神的、そして社会的にも良好な状態であってはじめて健康なのだ。健康というコンセプトを一面からだけから見てきた気がする。少し抽象的にとらえ過ぎたようだ。どうも次元の違う世界のようでもあった。併し、こうして歩くということを通じで感じる思いは、それほど現実離れしたものでもないということだろう。それにしても、最近の食の問題として捉えられている社会現象は酷過ぎるのではないだろうか。 ・利益を優先した社会が齎してきたものは複合汚染であり、環境汚染ではないか。健康はそれらの問題を払拭していかなければ得られない問題でもある。長寿食ではなく健康食でなければならない。肉体的に自由であり、精神的に幸福感があり、社会的には基本的人権が保護され福祉や安全性が整っていなければならない。概念ではなく具現化されなければならない。 ・へ2・・・何を食べるか、どのように食べたらよいか、どのような環境であるべきか、について、具体的な話があったが、適当な運動、過度のストレスを避ける(気分転換を図る)、生き甲斐を持つ、楽しみを持つ、社会とのかかわりを続けることだ、という指摘だった。愉しく食べることもある。健康長寿へのみちは常識の世界でもある。
2014.06.30
コメント(0)

正常な体細胞は分裂寿命をもつことを発見したのがヘイフリックだ。これを「ヘイフリックモデル」または「インビトロ細胞老化モデル」という。ヒト胎児の肺の線維芽細胞の分裂および分裂停止に至る過程は四つの相に分かれ る。・相1は、培養環境への適応期・相2は、対数増殖期・相3は、増殖低下期・相4は、増殖停止・死滅期この発見で、がん細胞と正常細胞と老化細胞の関係が明らかにされたことが特記される。何故、学ぶのだろうか。それは私と私以外の境界を知ることで もあるだろう。環境への適応期から、細胞を膨張させて行きやがて緩やかに低下して遂に停止する。そのプロセスをたどりながら喜怒哀楽を味わうので あろう。どれだけ衒おうとそうでなかろうと人生はそれだけでしかない。 何も自己卑下することなどないと思う。あるがままの人生を愉しめばよいの ではなかろうか。さて、多くの出来事が起こり、人々は混乱しつづけている。なにが真実なの だろうか。すべてが明白ではないし、虚偽もあるだろう。殆ど私たちが、これまで経験したことのない情報社会がダイナミックに眼前に展開しているだろう。 私たちは、非力を懼れず、この現実を「よく視たい」と考えている。
2014.06.30
コメント(0)

やはりモンゴルの歴史は、壮大だ。ヨーロッパ中世の暗黒時代を読んで人間の残酷さを思ったが、モンゴル軍の殺戮の遣り方も無残としかいいようがない。それでも強かに生きて来た人類とは何ぞや、といいたくもなる。チンギス・ハーンから、世界制覇のための長い遠征と時間の経過と激しい無数の虐殺があり、長い戦いの果てに、フビライがついにアジアの最強の男になる。 しかし、フビライには各地のハンを招集したクリルタイで公式に大ハンの称号をうけ、正統の大ハンになったのではなかった。それぞれが広大な領土をもつハン国は、独自の道を歩みだしていた。かってのチンギス・ハーンの統合された帝国ではなかった。ペルシャに侵攻したフレグの大遠征が、大ハーンの名においておこなわれた帝国最後の軍事遠征であった。 フビライは、実質には大ハンではなかった。現実にはキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国は、フビライの手から離れていたのだ。フビライの頭は中国統治で充たされていた。中国におけるモンゴル人は略数十万人で、中国人は数千万人に達していた。非中国人による露骨な人種差別政策によって成立したのだ。 やがてモンゴル帝国の長が世界の大ハンとして君臨する時代は、二度ともどることはなかった。大ハンによる世界制覇の夢は消え去り、東洋は長い眠りの中につくことになるのだ。 そして、やがて農民反乱軍が統一された蜂起軍となり、元朝をつくがえし、モンゴルの中国支配を終わらせた明国が建国された。 モンゴル軍がヨーロッパにのこした最後の遺産のひとつが、1346年、おそるべき悪疫だ。ヨーロッパに黒死病というペストの嵐が吹き荒れたのだ。人口の三分の一が死んだという。同じ悪疫が中国にも襲ってきた、元王朝が終幕をむかえようとしていた、まさにその時だった。歴史は、奇妙な出来事を引き起こすものだ。チンギス・ハンの死も、オゴタイの死も戦略上の劇的な大転換を引き起こしている。
2014.06.30
コメント(0)

新しい進歩や創造の前には、脳が休んでいる時間が必要だといわれる。こども時代の退屈な時 間は、遊びの時間であり、種を蒔いて芽が出るまで気長に待つという世界でもある。それを喪 失させた社会はどうなるのだろうか? エネルギーの蓄積が必要なのではないだろうか。忙し過ぎて知恵が回らなくなってはい ないか。慌てて善いことはない。じっくり考える習慣を創ってみるべきなのだろう。短答式の解答ばかり考えるから碌なものができない。脳を働かせるには、それだけ時間をかけ るべきなのだろう。遊ばせるくらい時間をかけて熟成しなければ、この世界同時不況は乗り切れないのではないか。コペルニクス的転回が必要ではないだろうか。既成概念を突き破らなければ、また「空白の時代」の再来になる。知恵もない人間が無理をして体裁を整えるだけでは間に合わなくなる。何れ、そうなる。眼の玉を引っくり返して、ものごとを見直さなければ、いつまでも元の木阿弥だろう。
2014.06.30
コメント(0)

私たちは日ころから「普遍性」について理解していると思っている。そして疑おうとはしないものらしい。周囲の人々がその世界観や価値観をもっているという期待をもってもいるが、それが確信といえるか?ということがどこかで不安もある。常に検証しないと安心できない人間もいる。人々は或る種の共感の上に成り立つ社会の環境を夢想しているのかも知れない。少なくともそれでは挫折するのは目に見えている。 ・然し時々姿を現す現実社会に落胆もする。「普遍性の確信」が途端に崩れてしまうかも知れない。教育システムは「現実」と「理想」の存在を証明しようとはしなからだ。現実は、理想社会ではない。テキストに書かれたものと違う環境にさらされている。 ・へ2・・・幼児教育から「普遍性の確信」についてのスキルを受けていないが、これからでも、学ぶ努力をすべきだ。何が「普遍性」といえるかを検証しなければならない。それは社会と個人の問題でもある。そして国際社会で通用するものかだ。世界から孤立しては意味がない。小国であろうと大国であろうと・・・。マスメディアにも問いたい。「そのニュースに普遍性の確信はあるか?」と。
2014.06.30
コメント(0)

タイの上座部仏教も、インドのカーストもその環境から来ている影響があったのだろう。豊かな自然と苛酷な衣食住の現実が、彼らを合理性ではなく、ご都合主義に走らせたのではないだろうか。人口問題を自分たちの手では解決できないと思ったのではないだろうか。日本にも「人減らし」ということばがある。自分たちが子供を育てていけないという時に取った行動は、博愛ではない。人類の歴史は、血塗られたものだ。 ・西欧思想の根底には、ひとの罪の意識がある。それなしには語れないからだろう。仏教の始まりにも自分の否定と死がある。だから輪廻転生もある。この世では儘ならない。「自分の思うようにはいかない」、という自己否定だ。エントロピーとは、「乱雑な世界」を言うらしい。秩序から、乱雑に向かっている。だから秩序を得ようとする。エントロピーは増大している。生命はその反逆ではない。束の間の時の流れだろうか。 ・へ2・・・時間とともに秩序が生まれることもある。エントロピーが減るのは太陽エネルギーの関与にある。異次元の文化圏で眼だけきょろきょろ。
2014.06.30
コメント(0)

その軽さを感じて生きているが、振り返ることのできない現実がある。こころの寒さを感じているだけでは、何もできはしない。苛立ちだけでは、一歩だって進みはしない。ひとびとの悲鳴が聞こえる。 苦しみを生みだしている悪臭はどこから来るのだろうか。我慢して食べているひともいる。日々の単調な旋律は脳細胞を狂わせてしまうのでしょうか。いつまでも繰り返している。ドアーを開くフレーズは、いつも同じで無ければならないだろうか。捩じれてしまったコンセプトで世界を語ることができるのか?世界で争い続けている人たちの中に入って行き、「もうやめろ!」と説得出来る力などどこにもない。腹を空に向けて足をバタバタしているだけだ。日本人の感性は、どこに行ったのだろうか。底の浅いことばで、喜怒哀楽を表現することができはしない。まあ、そのうち腹を切り裂いて出てくる未来の子供たちがいる。それを私たちは見ることができるかは知らないが、いつかそう日が来るだろう。そう願うばかりだ。
2014.06.30
コメント(0)

フィリピンと台湾の話を聴講したが面白かった。何故戦後二度も女性大統領がフィリピンで可能だったのか。台湾のエスニシティやクォータ制などのことについて説明された。来週は中国経済について講座があるらしい。タイミングのいい話を聴くことができそうだ。 フィリピンの Hospitality は100以上の言語を持つ国で他人を受け入れるという風土から培われたものだろう。それでもその眼は腐ってはいない。 「スペインは良くなかった。アメリカ人は悪かった。日本人はもっと一層悪かった。しかし最低なのは二度目のアメリカ人だった」のだという。
2014.06.30
コメント(0)

>クトゥプ・ミナール 中国が未だ「龍」の夢を見ているのだろうか。勿論現代のエリートたちはそうではあるまい。そういうことを否定しないからと言って、「龍」の力を過信したりはしない。ロマンでしかないからだ。長い間龍を夢見てきたことで彼らは世界から遅れを取ってしまっただろうか。明の十三陵の皇帝たちのお墓は余りにも広大で、生きているものに何を齎しただろうか。死者は遺物を残すだけであろう。生きる者に役立つのは歴史の教訓でしかない。史記は新しい歴史に貢献できるものではない。 過去を引きずるものは先により秀でることはできない。過去を捨ててこそ先を目指す推進力になるだろう。中国の悠久の歴史は彼らの負担でしかないだろう。教訓は教訓でしかない。どれだけ巨大な樹木だろうと、時には立ち塞がる障害物になる。巨大な遺物を造り上げてきた民族はみな過去の足かせを背負い生きているようなものかも知れない。フリーハンドの西欧が歴史を支配したのだ。彼らの飢餓感こそが多くの「善」であり、まだ多くの「悪」をもばら撒いてきたのだ。 へ2・・・広さは時に重荷でもあったはずだ。人の多さはそれだけの痛みの強さにもなる。巨大さは自分を動けなくもさせるだろう。龍を夢見た時代は終わったのだろう。最早、大河は龍のように動き出すことはないし、皇帝もいないのだ。「ラストエンペラー」の溥儀は、何者でもなく、まして龍に乗ったのでもない。悠久の歴史を売り出すまでもなく、多くのものが時代を物語り、世界での評価を待っているに相違ない。価値あるものは価値があり、ないものはない。
2014.06.30
コメント(0)

勝ち負けだけが人生でもない。まだ夢が見られた時代に生きていた人間たちもいたのだ。それ は、いまなのではないだろうか。そんな気がする。私たちはまだ、自分たちの運命を選択でき た時代の人間なのだ。自由の意味が次代で違うものになり、人間は段々自分のスペースが小さくもなるのではな かろうか。管理され、近未来は、昆虫やミツバチのようになって行くのではないか。あまり愉快な世界ではない。明るい未来を描くことはできないでいる。こうした、私たちの思惑は外れてほし いが、決して明るくない未来しか想像することができないでいる。まだ僅かの自然が残ってい て、自由に歩き回ることができるのは、或いは途轍もない幸福なことなのかもしれないと思っ たりする。
2014.06.30
コメント(0)

・1871年(明治4年) 11月12日・・・横浜出発 (航路) 12月 6日・・・サンスランシスコ着(24日間) 12月22日・・・サンフランシスコ発 (陸路) ・1872年(明治5年) 1月21日・・・ワシントン着 5月 5日・・・ニューヨーク着 7月 3日・・・ボストンからイギリスへ (航路) 7月14日・・・ロンドン着(11日間) 11月16日・・・パリ着 (航路) ・1873年(明治6年) 2月17日・・・ブリュッセル着 (陸路) 24日・・・ハーグ着 3月 9日・・・ベルリン着 30日・・・サンクトぺテルブルク着 4月18日・・・コペンハーゲン着 24日・・・ストックホルム着 5月 9日・・・フローレンス着 6月 3日・・・ウィーン着 20日・・・ベルン着 29日・・・ジュネーブ着 7月18日・・・マルセイユ着 7月22日・・・ナポリ着 (航路)帰国へ。 9月13日・・・横浜到着 何て、野心的で歴史的な旅行をしたのだろうか。地球を一周した。1年11ヶ月間の旅だ。当時の日本人は途轍もない気概を持っていた。目指したものは必ずしも崇高なものではなかったとしても、大いなる日本の未来を担った旅であった。どんなひとだったのだろう。名前までは知らない。
2014.06.30
コメント(0)

自分で物事を判断するというスキルが欠如していると言われる。今日の教育は、課題を与えられ、それを決まったルールに従えば解決することのできた時代の手法でしかない。何が、問題の核心であり、それにどう取り組まねばならないか、その「問題の所在」を、つねに把握しながら考えて行かなければならない。刻々と状況は変化していく。過去の「日中」や「日米関係」ではない。既成概念では通用しない。過去、優秀だった人もいまはそうではない。 ・目先の幻影に惑わされない目を持たねばこれから役に立たない。悪を為す人たちはその目標を見失った人でもあるだろう。物事を真剣に考えている時にそんな自身の利益のことを考える余裕はないはずだからだ。人は悩み多き存在でもある。迷いながら生きてもいるだろう。迷わない人間がいるとしたら、それは人間ではない。この多細胞には選択しかないからである。未だ、完璧に生きた人間など存在しないのだ。寧ろどこまで自分の弱点をカバーできるかでしかない。愚か者の軽薄さが時に利巧者の全存在に勝つこともあるだろう。それが人間でもあるのではないだろうか。
2014.06.30
コメント(0)

般若心経を読んでいると不思議な気持ちになる。300字くらいしかないこの文章をどれだけの人が、その意味を理解しようとしてきたのだろうか。そして何を理解したのだろう。読んだ人たちにどのような影響を与えたのだろうか。経典として残っているのだから、時代を乗り越えてきたには違いない。科学のない時代にも人びとは人生の意味を見出そうと努力したに違いないのだ。 ・生命誕生のなぞは未だに解明されていない。解明できないかもしれない。ただ生物には活きていかなければならない目的はない。目標は人びとが自分で創るもでしかない。夫々の自分の人生を活きて死ぬ。炭素に還るだけだろう。生命は奇跡でも何でもない。 ・へ2・・・生命は仕組まれたストーリーでしかない。より壮大な因果律の中に埋没していく運命でしかないのだろう。般若心経が言わんとしているものが、そこにある気がする。未だよく理解できないでいる。また死ぬまでの宿題だ。
2014.06.30
コメント(0)

医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らしている場所に出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身を以て参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな権利はない。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する。 学問自体を手段にしようとするからだ。 「三浦梅園は、凄いひとだ」と湯川秀樹のことばだ。大分の田舎で生涯を過し独自のコスモロ ジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕籠を勧められたが固辞した。 「ひとが、ひとに背負われるものではない」。という信念があった。
2014.06.30
コメント(0)

案外自分のことが疎かになってはいないか。外に目が行っても自分自身のことは分かっていない場合が多いのではないだろうか。私も特別ではないけれど、母の死を真近に経験したことと、自分もそれに近い思いをしたから、人間の身体が如何に壊れやすいものであるかを感じてもいる。自分が健康だなどと思い上がったものは早死にすることになる。人生に生きるという戦略がなければ、どこから弾丸が飛んでくるか分からない戦場を太平楽で、無防備なまま歩いているようなものだろう。 ・勿論比喩でしかない。現実に弾丸が来ることはないだろうが、落とし穴はいくらもあるだろう。肉体の衰えは誰にでもわかることだろう。だがそれを無視しようとする。山崎豊子「白い巨塔」で財前教授が専門医なのに癌死するという医者の不養生が描かれているが、意外とそうなのではないだろうか。日本人の平均寿命は世界一だといっても、それは自分もそれだけ平均寿命まで生きていけるとは限らない。ただの統計でしかない。個人の寿命は、一人一人違うし、環境も違い、持っている自分の遺伝子も違うのだ。文化が進んでいる西欧人が長生きできないのだろうか。必ず理由があるはずだろう。 ・へ2・・・スポーツで活躍した人があれだけ体を鍛えながら、長生きできないのだろうか。必ずしも現代スポーツが自分の健康と無関係に存在するのではなかろうか。ジョギングをすると健康になるのではない。まだジョギングしても平気でいられるからではないか、それで筋肉を鍛えているだけでしかない。その時筋肉が鍛えられても蓄積はできない。数日間で元に戻るらしい。加齢に伴うリスクは遺伝子のコピー機の使用回数で変化しているという。エラーを覚悟しなければならないのであって、それが自分にとってどこから出てくるかはわからないだけだろう。「感情は化学物質である」という。これまで、考えてもみなかった事実が少しづつ解り始めている。それは、初老の私たちにとってこれまで学んできたものが安っぽい読本でしかなかったことを物語ってもいる。自分たちの描いてきた人生への戦略が如何に陳腐なものであるかを示してもいる。自分の肉体は破壊されつつあり、崩壊しかかっている。そのことさえ知らないでいる。何と、どこかの政府と同じ能天気であることか。他人を嘲笑する前に、自分自身を嘲笑しなければならないだろう。
2014.06.30
コメント(0)

隣のご主人は職人さんで、趣味も多いようで、時々新鮮な野菜とか、釣果のおすそわけが楽しみでもある。昨日は、イサキを沢山いただいたので、大きいやつを刺身にして、のこりを煮つけにしたが、それを朝から食べている。新鮮なだけに美味しい。ラジオ体操で一緒だったり、最近近所付き合いが増えてきた。 ・毎日家にいることが多いのだから、出会うことも多いこともある。もちろん気の合う人ばかりとは限らないが、別に喧嘩をする理由もない。言いたいことがあれば言えばいいと思う。ほとんどは同年輩の人ばかりで、気分もと近いのだろう。違うのは、たいていの隣人には孫がいることくらいだろう。 ・へ2・・・横の繋がりをとるのがあまり得意ではない。群れないのがモッコスの特徴でもある。親父は晩年老人会に入り、ゲートボウルを楽しみにしていた。私もその年齢になってきた。鳥渡寂しくもあるような。
2014.06.30
コメント(0)

思えば毎日がかけがえのない一日でもある。大学の講座とか、ウオーキングとか、いまの自分を励ましてくれるものがあるのは有難いことである。いつ終わるか分からないことばかりであるが、できることを続けていきたい。段々遣ることが少なくなっていくのだろう。年寄りの冷や水に為らないようにしたい。 ・いまだからできることは、好いことも悪いこともある。他人に迷惑をかけないようにしたいが、どこまでできるだろうか。 2月のアメリカツアーでは体重が増えたが、今度のツアーでは、2キロ体重が減った。やっと元に戻ったところ。食事を楽しもう。一日の食事のリズム、食事のバランス、穀類、野菜、牛乳、豆類m魚など。果物、食塩と脂肪は控え目、適正体重、地産池消、工夫した食べる、賢く食べて健康もある。
2014.06.30
コメント(0)

何のいわれもない。そんなことばかり起きている。無垢のひとたちがいわれなく傷付けらて、あるいは命さえ奪われている。正義は正々堂々と行われているか。まあ、体重53kg 体調は悪くない。 <日別自己管理 2014年ー6月> 年月日 曜日 気温 起床 時間 検診 検診時間 脈拍 摂取カロリー 歩数 備考 モード 体重 アクセス 累計 ランク福岡市の日照時間 と気温。 いつも同じことの繰り返しだが、日々は刻まれていきます。この一日を大切にしたい。
2014.06.29
コメント(0)

<作品> 「草枕」・1906年(明治39年)7月26日から8月9日までの間に書き上げられた。・レッツシング「ハンブルク演劇論」 「憐れ」・・・キーワード。・外国の「憐れ」というコンセプトを表現しようとした。それを引用しようとした。・「憐れ」・・・日本の「人情」から・・・「非人情」。・憐れ・・・人情と同義。・人間は、「人情」を加えずに見ることができるか?・漱石の回答として。「人情が動かないで人情は分からない」。・淡々とした文体ではない。・文末「それだ! それだ!・・・人情が動いている。人間が感情を顕している。矛盾がある」。・小説の中に、結論的には、涙をこぼす。・画家。彼はよく見ていて、多情に感じている存在である。漱石が言っていることは矛盾をいっている。働きを止めることができない。冷静に考えれば有り得ないこと、初めからいっている。・作家はうそを言っている。非人情に眺める事などできない。・憐れを感じる。強い感情。非人情は何処から来たか?・「平家の後裔のみ」の意味。どうして書いたか。注釈が付けられない箇所がある。・憐れの意味。・「長良の乙女」。鏡が池。アンチン清姫はタブーに逆らう話。・宮本研。・汽車・・・ぱっと別れる。余韻がない。徒歩で別れるのとは違う。西洋文明のシンボル。・文明開化すると人間は孤独になる。チャップリンの映画にもある。・神経衰弱にもなる。・「孤独」とは何か?・ヴァーチャルの世界になっている中で、人間はどうなるか。・急激な変化・・・汽車がシンボルとして使っている。・削り落していく。能の凄いところ。一振りすると百年経過している。・漱石が狙った通りにはいかなかった。・旅をしているとき辛くてもあとから冷静に眺められるようになる。なると絵になる。・大いに感動するときに感動すべきだ。・旅を何のために使ったか。・漱石は、まともな作家かどうか。論理の欠点が出た作品ではないか。・森田草平に対する漱石の書簡。漱石には分かっていない。説明になっていない。・「草枕」ではありえないことを言っている。・「こころ」・・・表面以上に暗い作品。ことが済めば後でどうしようもないと言っている。漱石には妥協がある。クッションをつけている。・非人情は白けている。白けている人間。嫌な奴になる。・非人情をなぜ書くか。・那美さん。村人は冷たい仕打ち。下世話に書いていないだけ。女の運命。救いようのない世界。寺に行く。切羽詰っている。画家も追い込まれている。・画家の中に過去の自分を那美さんは見ている。那美さんが何でちょっかいを出すのか。その理由を書かないか。それを隠している。・小説の面白さは行間にある。問い詰めていく。理由の説明がつかない。・周囲と合わない。荒野に一人で立つ。・曠野・地震があって二人がパッと離れる。・自分の思いを絵にしたい。小説にしたい。・「わが感じたる物象をわが感じたるままの趣を添えて、画布の上に淋漓として生道させる」。心の内側を言っている。・幻覚のままで、この世の呼吸を引き取るときに、・・・ 「夢十夜」「一夜」。・男と女が分かれる。・・・「汽車」は人情を断ち切る。非人情。・非人情にはなっていない。白けたままでは生きていけない。その時々で違う。・画家も何時も非人情ではない。・那美さんと若い坊さん・・・那美さんはからかったのか、すてばちになったのか、分からない。解釈の問題。どちらでもよい。・読者に応じて変わる。読む人によって違う解釈になるように書く。・追い込まれると一線を越えるかどうか問題ではない。・画家と那美さんの関係?二人の関係を書いていない。・どちらの読み方もできるように書いている。・無意識の演技。・メガネをかけて見ている。本当のことを書いていない。二人の関係を書かない。・地震での二人の態度。暗示している。・書いている側の読み方が違う。作家がどのようにして如何に作品を書くか。・プロセスを書いている。・朔太郎「ねこまち」。・画家が如何に絵を描くかというのが「草枕」である。情感を描くか。・漱石は、頭の中で整理がついていない。・森田草平は「草枕」について。二人の点を繋いでストーリーになる。書いた人が場面重視、ストーリー軽視である。・結末で説明しないといけないと考えている。説明が矛盾している。小説はストーリーか? ・場面のこと。一点。 漱石と絵画のかかわりには深い。
2014.06.29
コメント(0)

・殊に「水晶」については、京伝は、一か所しかないが、馬琴はそれを、最後まで縦横に遣っている。・「源氏物語」は、「事皆淫娃に過ぎて、反て勧懲に鮮やかならず」。・八犬伝には、人畜の交わりをぎりぎりで止めている。発禁を予想している。行間を読むしかない。・ふせ姫が水面を覗くと自分の顔がイヌになっている。八犬伝は単純ではない。・オリジナルを出す事が重要である。・京伝と馬琴は師弟関係であるが、力が逆転している。表の師弟関係だけではなく、関係が好い筈はない。先生もへったくれもないところがあるのが普通だ。・おのれの目を発見することが大学の使命でもある。オリジナルの自分の目に立って考えること。・今昔物語の逸話、目の治療として、胎児を所望する話を引用している。・化け猫。優曇華と八犬伝。・鷲が子供をさらう話の共通性。それが女児である。馬琴は、それを犬に攫われることにした。・優曇華は三千年に一度咲く花。そして吉凶を占うことでもある。・テクニック。・反復は様式である。反復=様式。・リフレーンは、繰り返す。前の作家のいったことを自分もそれを繰り返している。・京伝は、場当たり的であるが、馬琴は違う。・竹取物語から優曇華になったものを馬琴が違うものにした。・八犬伝では、優曇華のおろちが、化け猫の目が光る。別のところでおろちをつかう。・仇打ちが当時の流行であった。そしてお家再興の話。・構成・・・蟒蛇が人を襲う(優曇華) 化け猫が人を襲う(八犬伝)・因果・・・目の病。・八犬伝には、8つの水晶につながっていくだけの構想力がある。・京伝は、腹の子を暴いて晒すというグロテスクの特徴がある。それをあえてやる。挿入画までつけるという方針まであった。大学図書館にその本がある。・「八犬伝」の社会への影響は大きかった。現代でもその片鱗がみられる。これは単純には考えるべきではない。・虞美人草の「藤尾」の魅力は、現在の女子大生にも共鳴する人が多いことがある。悪女の魅力。・水戸黄門の印籠の意味はどこにあるのか。あれは勧善懲悪か。 権力を笠に着ている。様式化することで図式を超える。・その心地よさはどこから来るのだろうか。それを誰よりも馬琴は知っていた。・鴎外は、矛盾の人である。・終わりは始まりであり、終わりはない。・だれかのおわりはだれかのはじまりであり、おわりのないものがたり。
2014.06.29
コメント(0)

山東京伝「優曇華物語」の随所の「趣向」を弟子の曲亭馬琴「南総里見八犬伝」が如何に換骨奪胎したか。・馬琴の勧善懲悪批判に焦点を当てた文学史に就いて。・「小説神髄」や鴎外、露伴、芥川、安吾、漱石からの視点。(馬琴の勧善懲悪)をどのようにとらえていたのか?・レジュメによって、いくつかの文章を紹介された。・逍遥は馬琴に嵌まっていた。・鴎外の馬琴観。・露伴の馬琴観。・龍之介の馬琴観。そのまま肯定していない。・安吾の勧善懲悪批判。・漱石の馬琴観。漱石の勧善懲悪に対する考え方は、明治以前のそれとは異なっている。その作家の持つその人の勧善懲悪であって世間と違うものがあって当然だと言う。自分の良心に恥ずかしぬ様に勧善懲悪をやりたい。・大正5年。アイシュタインの相対性理論について寺田寅彦が、漱石の家で説明して聴かせたらしいが、「先生には解らないだろう」寅彦はいったという。漱石は、理系の頭をしていたが解らなかっただろうとのこと。・梶井も理系の頭だった。だから漱石も梶井も緻密なところがある。・漢文にも数学的なところがあり、それは両者ともよく理解できたのではないだろうか。・鳩山元首相も工学出身。・善悪をいうのは人間だけである。自然界にはない。勝手な世界観でもある。 "To be or not to be、 that is question."
2014.06.29
コメント(0)

地方によって、ニガウリとかニガゴオリとかいうらしい。ゴーヤとは種類が違う。味は少し違うが苦いのはあるのだろう。その苦味が胃に好いと聞いている。緑のカーテンにしようと始めたが、それが食料にもなったのだから一石二鳥でもある。収穫は、食べきれないほど実ったこともあるが、ここ数年はたいしたことはない。ところが今年は期待できそう。 ・同じようにしているつもりだが、やはり育て方を間違えると途端に、収穫できなくなる。キュウリやほかの野菜も、何かがあると違う。人間と違い野菜は正直である。したことの影響はすぐ出る。水やらなければすぐ枯れる。枯葉を切るつもりで幹を切ってしまったこともある。根腐れも、肥料のやりすぎもある。プランターの置き場所でも成長が違う。ガーデニングが紳士の趣味というのもわかる気がする。 ・へ2・・・土壌や肥料や太陽や水や、手入れをする人の知識もある。野菜を見る目が変わってきた。イエ猫が5ひきいるが、少しは付き合い方もわかってきた。それは、 つきかげのいたらぬさとはなけれども、ながむるひとのこころにぞすむ なのだろうと思う。私の心が変わらなければ分からないのだろう。オランダが逆点勝利しましたね。
2014.06.29
コメント(0)

子供のころ、自分の誕生日を祝うという習慣がない。それがこの年齢になってもあるので、他人も自分もそれほど祝うということをしたことがない。もちろん、家族でケーキを食べたりはしたが、特別何かをしたことはない。親が我が子の誕生を喜ぶというのは自然の感情であり、その気持ちを表現するのは様々だろうが、それを形にできるかどうかだろう。 ・貧しい庶民はそれほどのことはできなかった。心の中でしかできないことは多い。普段よりご馳走が多かったり、親たちが自分の誕生のことを話したりしていたのを覚えてはいるが、プレゼントをされた記憶はあまりない。だからというわけではないが、まあ、誕生日はなけれな私もいない。 ・へ2・・・その誕生日だ。テレビで、ちょうどFIFAワールドカップのブラジル大会の決勝トーナメントで、メキシコーオランダ戦で、只今、オランダが一点を入れて同点にしたところである。これから白熱しそうだ。私も、これまでのことはリセットして、新鮮な気持ちで、この一年をスタートしたい。
2014.06.29
コメント(0)

アトム リチャード・ファインマンは、一つしか文章を次代へ残せないとしたら「すべてのものはアトムからできている」というだろうと。神からアトムへのプロセスを問うだろうか。それともその逆だろうか。ひとや科学者から始まった難儀だろうか。神をイメージしたのも由来か?そのスタートで見解も違う。花の香りがする時、原子レベルで考察出来るだけの科学力があるだろうか。私たちの混乱は、それこそ人間がしでかした出来事から発した難儀だ。 ・身の回りにあるものは原子でできており、化学反応がひとの正体でもある。花の香りでさえそれは原子レベルで証明できる。地球のサイズで視るとゴルフボールに相当するのがアトムのサイズだという。この世界の躍動を感じない訳には行かないだろう。あらゆる原子は、電子、陽子、中性子の三つの粒子の組み合わせである。人も石ころも電化製品も同じである。 ・へ2・・・自ら創り出した難儀で苦しんでいる。他人より賢くなろうするだけ、自分を追い込んでいる。欲しいものを手に入れて苦しんでいる。美味しいものを食べて病気にもなる。人より猫の方が利口ではないかと思ったりする。
2014.06.29
コメント(0)

生人類が出現して約4万年、生命の誕生から30億年に比べれば比較にならない。6500万年前の隕石の衝突から引き起こされた気候の激甚な変化が、劇的な現在の地球を齎した。今は人類の環境破壊が回復可能な限界を超えて、絶滅か否かの岐路にあると科学者は指摘する。 多くの犠牲によって積み上げあげられてきた景観が脆くも崩れ去る日が来るのだろうか。どうしてもそれを信じることができないでいる人たちも多いが、この目の前の時間を止めることはできない。現代科学のカテゴリーにあらゆるものは包含しているに過ぎない。人間科学も一分野に過ぎず、それ以外の何物でもないのだ。 ・へ2・・・小さな鍵穴から宇宙を覗いてもそれだけの小宇宙でしかなかった。膨大な歴史年表を見るがいい。怖気づかない人間がいるだろうか。けちなことして何になる。小石を積み上げるようにして造り上げた世界が崩壊するのにどれだけの時間がかかるだろうか。
2014.06.29
コメント(0)

本当か複雑化した社会で、様々な情報が流れており、それが正しい情報であるが仕組まれた歪曲された情報もある。裏切りもある。それは時に絶望的な人間不信の原因にもなる。何故そういうことが起きるのだろうか。私たちが日本人として、この社会の環境を当然のこととして受け入れているものが、それが世界の常識であるとは限らない。社会や親を信じることが当然と思っていても、それは見せかけかもしれないのだ。 ・無神論が当前だろうか。赤とんぼやカエルたちの中で、昔はふつうにみかけた風景が無くなりつつあるが、それは本当に止むを得ないことなのだろうか。講座で「筑後川の環境保護について」貴重な提言があったが、改めて、自分たちの住んでいる周辺の景観や風景の重要性を感じた。 ・へ2・・・都会で微風をつくるためには、人工的に創るとすれば莫大な費用がかかることを学んだことがあるが、私たちがこれまで当り前だと見ていた景観も、数百年、或いは数千年、数万年の歴史がある。河川には、山が荒らされ水量が減り淡水魚が棲めなくなっている。昆虫が減り、小鳥も鳴かない世界になりつつある。やがて人も住めなくなる。自ら環境を汚している。真の知識を学ばねばならない。
2014.06.29
コメント(0)

フリーラジカルによりDNAがダメージを受けると修復のため酵素が生成する。これも限界があり、修復と破壊のバランスが崩れて、老化して遂には死となる。即ち加齢とともにミトコンドリアから生まれたフリーラジカルは、酸化して蓄積し癌、痴呆、パーキンソン病などを発症するのだ。 中年期に免疫の中枢である胸腺が萎縮して、T細胞をつくるチムニンが衰退してくる。脳の機能低下は、ビタミンB12.B6,葉酸などの ビタミンB群の欠乏による。アルツハイマーなど 20%~30%がビタミンB12欠乏との最近の研究成果。 加齢は免疫力の低下を齎し、バイオロジカル・クロックがプログラムされている。どのように加齢と闘うべきだろうか。相手は手強い。真剣にその意味を考えるべきでもある。
2014.06.29
コメント(0)

ブレヒト「子どもの十字軍」は、詩集である。悲惨な戦争に巻き込まれた子供たちの運命が描かれている。(ベルトルト・ブレヒト著「子どもの十字軍」長谷川四郎訳)。 その年の一月、ポーランドで つかまった一匹の犬 やつれた首に 紙の札をぶらさげて。 助けて! と書いてあった 道にまよっています 五十五名です この犬がここへあんないします。 もし来れないなら 追い払ってください うち殺してはいけません かれだけが場所を知っています。 子供の書いた字だった 百姓たちがそれを読んだ 一年半前のこと 犬は飢えて死んでしまった。 美しい挿絵がある。
2014.06.29
コメント(0)

生物は自分を構成する物質をどんどん変えながら全体としては同じという空間をもつ自己同一 性を維持している存在だ。根本は「物質は循環する」だ。通常それは成長と老化という現象に なる。若い時は成長で、あるところから老化になる。 生物は、内と外との境界を次第に変えながら、自分自身を変えてゆくシステムを持っている。 発生の初期のステップでは、細胞分裂をさせ内側を膨張させる活動で外に向かうシステムを取る。やがて膨張が止まり最期は、必ず自己崩壊して死ぬ。これは外からの指令や命令がなくて も、個体は勝手に成長し勝手に死んでしまうことであり「生きている」ことの本質であり、そ ういう性質を有している空間を「生物」と呼んでいる。このオートポイエティックシステムを生命発生から絶対に手離さずに遺伝させて来ているの が、生命の由来でもある。
2014.06.29
コメント(0)

鳥だって浮気をするらしい。番いのどうのというのは人間の勝手な想像に過ぎないそうだ。宗教画にも色々決まりごとがあり、それは、それなりに面白いが宮廷画家は面白くなかったではないだろうか。お抱えというのは見た目以上に大変なのだろう。それは中国の皇帝やその周辺にいた人たちに仕えた芸術家も同じのようだ。上の写真は近くの溜池で撮ったが、結構現実感があるのではないだろうか。どうなる二人という気がした。 ・それこそ、私たちもそこそこ夫婦をしてきたが、或いは同じなのかも知れない。嵐が吹けばどこに飛ばされるか知れたものではないし、何かあれば何かもないとは言えない。分かっているようで分かっていないのではないだろうか。許し合うから、拗れるのかも知れない。どうにもならなくなるのはいつ来るか分からない。他人にもあることは私たちにもある。他人ごとではないのだろう。状況を判断する能力は女性には敵わない。方向音痴の癖に、見ただけでわかってしまう。好きか嫌いかの臭いを嗅ぎわけるスキルを子供のころから鍛えている。兎に角キスをして、相手の免疫を調べるのだから大した化学者でもある。 ・へ2・・・生き延びる知恵者は、女性に多いのではないだろうか。母性という生命の根幹にかかわるものを持って生まれてくる。右脳と左脳を結ぶ脳梁は女性の方が男より太いのだ。お喋りは単なる趣味ではない。生き残りのための武器でもある。殺し合いをしたらどちらが勝つだろうか。あまり試してみたくはない。
2014.06.29
コメント(0)
全809件 (809件中 1-50件目)
![]()

