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はじめルーシーは、戸惑いながら一歩を踏み出した。誰も本当の明日は見えないのだ。人類は歩いてきた道を少しづつ知り始めたが、どうしてそ うなのかを知らないし、これからの未来に活かすことができないでいる。 人間は、胎児から脳細胞をスタートさせている。そして誕生から生後8ヶ月の間で、シナプスの結合は、50兆から1万兆へと急激に増加する。この過 剰な結合は、驚異かつ神秘的ですらある。まるでファンタジーの如くだ。 子供はどのような環境でも順応できるためだが、一定の段階を経ると結合は減少を始める。外界の刺激を受けることができず、強化されなかった結合の音、視界、嗅覚、触覚は、遂に収縮し、死滅してしまい、「マップ」を形成す る脳細胞だけが残り、ひとりの人間が造られる。そして、科学者たちは、 胎児は最初はすべて女性だと考えている。男性ホルモンは、テストステロン のシャワーを浴びた場合のみペニスなどをつくり、男性脳を作るのだ。 「ブラック・ボックス」であった脳から、私たちは知る道を歩き始めて20 数年しか経過していない。月面に残した「足跡」くらいのことしかしていな い。 誰も、ルーシーのように勇気を振り絞り、暗黒の宇宙への旅をつづけねばな らない。それが、人間の子供に与える脳のシナプス結合。
2014.11.30
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アドレナリンとインスリンが拮抗して血糖量の調節する。ホルモンは、バランスを崩し続けている。そろそ ろ、癒しが必要だ。軌道は、想定外を走っているようだ。別に目先に拘り固まっていない心算だが、嵌るリスク はある。頑迷と無知が人間のすべてを破壊する。 休眠打破が必要だ。 ウオーキング歩数累計(2008.4.15~)年月 歩数(ホスウ)日数2014.10.31まで.49,838,9332,3902014.11.365,35230歩数(ホスウ)累計(ルイケイ)50,204,2852,420
2014.11.30
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ウオーキングも余り再生産はない。自分では、これがベストと思わないが、結構良いと思って遣っているし、医師からも「よくやりますね」といわれてもいる。まだ辛いと思ったことは、然程ない。ストレスに為らない程度にストレスではあるが、ウオーキングは、ここ5年余りの最大の課題である。一年おきに入院していたが、パスしている。薬を飲んでいるので、食後の1時間のウオーキングを朝晩つづけている。一日2万歩である。来年の4月でまる6年になる。 ・少しはジョギングでも軽くできるようになるかと思ったが、中々だ。意外と手強い加齢というやつがいる。こいつはサイレントキラーで怖いことを身に沁みて感じている。「香具師を殺すには刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい」というが、おれもそうかも知れないと思うことがある。自己管理表を毎日入力しているからだ。知れば怖いこともある。 ・へ2・・・それこそ凡庸なオヤジた。とてもまともでは暮らし難い世だ。トルコのカッパドキアで思ったのは、この地でキリスト教徒に生まれなくて良かったということ。ひとは産まれた環境で意識も決定されるのだから、地下の洞窟でそれを否定することもできず、苦しんだことだろう。日本の文学者も狭い観念に縛られて苦しんだし、子規もその妹も壮絶な運命を活きていかなければならなかった。軍人たちもそうだろう。自分の想うことの半分も出来なかったに違いない。
2014.11.30
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漱石にしろ神経衰弱でも辛抱強い。それはだから病気にもなる。とても凡人にはできない。鳥渡歩いては草臥れてしまう自分のような軟な形質ではない。風に戦ぐようなものではないのだろう。しぶとくらい動かない。確信があるのだろう。今朝の寒さに震えながらそう思ったりしている。 ・年末に向けて日の出が遅くなっている。夜長が長くなる。それでも冷たい空気を吸い込んでおかないと風邪を引き易くなる。免疫力を高めておかないとすべてが裏目になる。寒いから外に出なければならない。安倍政権は、うまく行くだろうか。彼の世界館には、古い日本の保守の体質がある。タカ派といわれるイデオロギーが国際社会に受け入れられるとは思えない。なぜそういう人を総裁にするのだろうか。そこに自民党の今日の限界があるようだ。 ・へ2・・・また同じ誤りを繰り返すのではなかろうか。余り政治のことに触れたくないが余計な時間が増えそうな気がしている。経済界はカネを遣うことでこの社会を動かそうとしているが、はたしてそれでいいのか。人間不在の社会が拡がっていくのではなかろうか。強者だけが生き残る社会になる。原発も戦争もありの社会になりかねない。厳しい目を以て古い体質を暴走させない勇気が必要だ。
2014.11.30
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種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだとい う。他の種は平気だったりする。たった1乃至2度の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以 下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようと する余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごして しまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。 身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。 今の自分に気づかないまま時は流れて、その時は深まるのであろうか。いつもここに戻ってくる。そして繰り返す。生きている限り。
2014.11.30
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いやいやでは面白くない。そこに苦難があったとしても耐えるだけだろう。それでも何か喜びを見出してゆくべきだろう。忙中閑あり。そこに活路がある。最後まであきらめないことだ。自分の体の中で起こっていることをほとんど知らないが、生きる喜びを感じさせてくれる。それが生命力でもある。脳内ホルモンがでるかぎり喜びを感じ、体内には免疫力がある。この世の全部が敵ではない。むしろ大半が生命を守ってくれるのではないだろうか。 ・天知る、地知る、吾知るとよく義祖母が教えてくれた。天も地もどうかは知らないが、少なくとも自分は自分のやることを知っている。苦しい時は遠くを見る。ミクロとマクロの間に生きている私たちは、どちらを向いても果てしない挟間にいるだろう。それは、私たちヒトが古井戸の蛙ではないことを教えている。与えられたスペースを、そして時間の流れを自分のもつ感性で感じればいいのだ。確かに公平な社会ではない。歪で醜悪でもある社会を感じる心が必要だ。しかしそれはいつか克服される時が来るだろう。そのための自分なりの研鑽も必要だ。矛盾と闘わねばならない。怯めばどこまでも堕落するだろう。そのリスクは必ずある。 ・へ2・・・人は殺しあっていた。しかし平和へ前進した面もあった。それでもアメリカや中国が自国エゴで地球温暖化を妨害している。それは許されることではない。それは卑劣な行為でもある。そんなことでは、地球の温暖化は阻止できないだろう。それは日ごろ言っていることとは違うだろう。なにが間違いであるかを明らかにしなければならない。それをしなければ、また世界大戦さえ起きるだろう。油断をするべきではない。
2014.11.30
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私の脳は空っぽの飢餓状態だけど、体調は近年になく好調な訳で、このころいつも風邪を一、二度は引いているのに、それもない。一日何回も汗を掻いて下着を着替えている。運動して体を熱する効果があるのだろうか。病気に対する免疫力があるかないかは知らないが、寒い中をウオーキングしているのに、あまり寒さを感じない。自分でも意外に思うことがある。つまり現在の状況は想定外でもあったからだ。まさか、こんなに簡単に健康オタクになるとは思っていなかった。 ・当初は半分やけくそで歩いていた。以前から検査入院を担当医から勧められていたが、また同じことをしなければならないのが、嫌だった。何しろ、この10年あまり、何度も経験していることで、同じことの繰り返しをしていた。入院中は、以前と同じだった。だが、歩数と食品管理表に基づく摂取カロリーのPC管理して自己管理票を作成し始めて、みるみる体重が減り、歩くのが苦痛ではなくなった。途端に数値が改善し始めて、一挙に正常値に近づいたので驚いた。 ・へ2・・・たった薄い一枚の皮で違う人生があるかも知れない。それは、健康と病気を隔てている壁ではないだろうか。それは、誰にでもいつでもできるに違いない。それだけの健康への道があるだろう。然し、それを阻害している環境がある。最適者生存ではない。不健康への道を選んでいる。その岐点に何時も立てる訳ではないかも知れない。それができなくなる時が来るからだ。加齢というものがひとつの恩恵を与えてくれたかもしれないと思っている。
2014.11.30
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怠惰に生きている所為か理解するスピードが気にかかる。恐らく緩むと腐敗するか、リセットが早まる。問題は自分の処理能力でもある。些かADHD傾向があるかも。殊に強制されると余計纏まりがなくなるだろう。今同時進行が いくつもあるがこれが個性かも知れないと自分では思っている。中々進捗し ないのは、オーバーワークかも知れないが、或る意味嘲笑ものであろう。 「ジョークのようで、ジョークでない」のではなく、ジョークのつもりで書いている。どう受け止めるかは自由だ。さて、歴史は客観的に語る権利を持つが、現在の国際社会にはその権利も能 力もないようだ。あるとしてもマイナーであろう。 更に、日本人の意識は、前時代的なステージだろう。裸の現実を見なければ何もならないのに、せっせと自分たちの墓場を掘っている。もう21世紀にはいり5年過ぎて、いよいよ文明はリセットされるだろう。 所謂右脳は、いくつもの現象をみているだろう。左脳が「ことば」に翻訳で きないだけだ。理解のスピードに係わるだろう。そして、大規模な文明のリセットは、悲劇か喜劇か一方か双方だろう。ひとの話を聞かない風潮が拡がっているのは、脳で聴いていないからだろう。ビジュアルでも理解できなければ、そのスキルは間違いだ。ひとが専門を手に入れたと同時に知的に去勢されるらしい。
2014.11.30
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見栄か虚栄か知らないが、それが当たり前の社会だ。多分そうだろうでこと を進めてしまうから、後で「まさか、そんなことが・・・」がある。今日で は安易さが一番危険な性格になると言える。多くの経済的な破綻と係わり、 如何に金融機関が卑劣かを見てきたが、概ね被害者は無頓着だ。何が起こっ ているかさえ理解できないひとが多い。食い物にされているひとたちが善良であるか首を傾げることもあるが、社会が歪曲していることは明らかだ。信 用させて餌食にするのが金融機関の常套手段だろう。あとで、法的手段で国 家機関の手を借りるのだ。見栄や虚栄を煽るものと落ちた餌食を食い物にし て利益を上げている。見栄と虚栄は、人生の破綻のパスポートである。 高い背広を着て、派手に生きている奴ほど、破産者になる時代だ。 師走の風が身に沁みるひとも多いことだろう。この半年、呪縛から解放され て精神的に楽をさせて貰っている。
2014.11.30
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戦争は、更に偏見を加速させるだろう。素朴にベトナム戦争で「アメリカは なぜ勝てなかったか」を知りたい。思えば、そんなことは多くの日本人は知っていることだろう。勿論アメリカ人も、戦争を知る世界の ひとびとも判っているに相違ない。然し公然とできないだけだ。澄んだ川に慣れた私には、メコン河は濁った泥水でしかないが、ベトナム人には恵みを齎す母なる河だろう。もし青々とした澄んだ河になったら多くの生物が死ぬ だろうという。モノを言わせぬ戦争は、大きな過ちを繰り返すことだ。何故なら間違いを修正できないからだ。ひとは其れほど選択肢をもっていない。 折れた枝は元には戻らないだろう。過去にも未来にも手の届かなかった人類が、漸く科学という道具を通して見えるようになってきたが、まだ、偏見という蒙昧から抜け出てはいない。「科学は簡単だ、むずかしいのは思いやり」というフレーズは重い。科学を複雑にしているのは、人間たち自身かも知れない。 要は、理解しようとしているかどうかだ、そして偏見という蒙昧を通して見ようとするからだろう。「よく見る」だろう。アメリカは不思議な国だろう善悪を呑み込んで妄想を追っている。そして日本人たちもそのあとを追随し ているように見える。 P.S.どんなに崇高な精神もそれを受け継ぐ者次第で変質もする。利用されるからだろう。大きな樹木に育つのはそれだけの環境があってのことなのだろう。支えるものがあってのこそだ。武器も間違った使い方をすれば命取りだ。剣は諸刃の剣にもなる。銃器の不所持は間違いではない。持てば狂気が生まれるからだ。暴力の信奉者が一日も早く地上からいなくなってほしい。
2014.11.30
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どんな環境になろうとも、生きていくためにやれることをすべてするだろうし、見栄も外聞もない。或いは否も応もないことだってある。大災害に巻き込まれることもある。通り魔に殺されるかもしれない。妄想ばかりしている連中のゲームに付き合いたくはない。 ・里芋を蒸かして今食べているが美味しい。こどもころはこんなものばかり食べていたが、食べ過ぎて屁ばかり。いま思うと懐かしいが、何か切なくもなる。なんと貧しい青春だったのだろうか。黒い制服しか知らないで過ごした。母ががんで早死にしたとき、これから何でもしなければならないと覚悟した。糞の中にでも手を突っ込まねばならなくなると。でも、そういう苦労はしなくて済んだ。 ・へ2・・・こうして平穏に暮らしておれるのも親の投資のお蔭だろう。自由を奪われ、まともな人生さえおくれないでいる人たちがいる。ただ食べるものと自分の部屋が欲しいという3.11の老いた被災者の言葉が胸に痛い。いつ自分もそうなるかわかったものではないからだ。いきるためなら許されることは何でもするだろう。天知る、地知る、吾知る。
2014.11.30
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進化とは集団内の遺伝子頻度が時間とともに変化するプロセスなのだそうな。 生物学は愉しいですね。物事を損得でばかりで生きてきたことが厭になります。そう生きろと教わりましたものね。それは違うと今更言われても、誰が責任を取ってくれるでしょうか。”祝いめでたの若松さまは、えだもさかゆり ゃ、はもしゅげる、・・・”お囃子の「しょがねえ、しょがねえ」を思い出している。「遺伝子は何をしているだろうか」と誰でも知りたいところです よね。アミノ酸、蛋白質をコーティングしている。遺伝子自身に意思はなく、 目的もないとか遺伝子の変異は、環境に関係なくランダムだとか解りますか。 「利己的遺伝子」は、擬人化してはならないのであって、遺伝子には意思は ないので、遺伝子とは複製せねば残らない物だということを表現しただけだ が、同じゲノムの中で自分だけ生き残ろうとする本当の利己的遺伝子もいる らしい。どうやら、いまの環境は「ラットの迷走学習」かも知れない。
2014.11.30
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寝ることと食べることが脳を最大限に引き出す重要なポイントである。「サーカディアンリズム」と呼ばれる生体時計からの命令でリズムを刻んでいる。最低体温で目覚め、最高体温に達すると眠くなる。長年の習慣で生体時計のベースは昼間起きていて、夜寝るようにできている。いちばん目が覚めているのは午前10時から12時までくらいで、14時くらいには眠くもなる。交通事故等もこの時間帯に多いようだ。メラトニンは、覚醒14~16時間後に出てくるホルモンで睡眠に関連しており、抗酸化作用、リズム調整作用、性的成熟の抑制作用がある。老化を防ぐこと、抗がん作用があるとされ、眠気をもたらすはたらきがある。 ・高齢者で日中の受光量が増えると、夜間のメラトニン分泌が増えて、睡眠の質が改善したという研究があるようだ。メラトニンは目覚めて、14~16時間後に暗くならないと出てこないので、夜になっても明るくしておくと、すとんと分泌量が減るのだという。朝の光も重要な意味をもっている。朝の光の中にセロトニンのはたらきを高める作用があり、精神を安定させるという。セロトニンは、こころを穏やかにする神経伝達物質でもある。 ・へ2・・・夜遅くまで起きていることや、朝の光を浴びないことが、健康に良くないことくらいは一般的な常識だろうが、それが脳にどれだけの影響があり、やがてホルモンにダメージを与えて、それが<がん>を発症させるスイッチを入れることにもなる。どうしても、そういう生活をしなけれならない人がいるかも知れないが、これにも対抗策はあるに違いない。どうしたら、よりよい環境をつくれるのか、その努力を最低限はすべきなのだろう。自業自得では始まらないのではないだろうか、そう自戒をこめておもっている。
2014.11.30
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・現代人は、1日1人当り、原油4リットル分、約4万キロカロリーのエネル ギーを消費する。人間にとって、地上で生きるためには、水と大気と適度の温度が必要である。・ひとの体は60%(重量%)が水である。 即ち、新生児は80%、骨の50%、筋肉の75%が水である。 ひとは、1日2.5リットルの水が必要だ。・大気中に、 酸素 ・・・21. 00% 二酸化炭素・・・ 0.03%・ひとの体温は、1乃至2℃上昇するだけで正常な活動ができなくなる。 45℃で致死温度となり、30℃で無感覚となり、27℃で凍死する。 殊に、二酸化炭素は、地球温暖化の原因となるが、私たちのエネルギーと呼吸のためにはなくてはならないものである。相互作用による物質の存在は微妙な地球環境のバランスを保っている。これから、正月に向けて、地球学と植物の世界を知りたい。 寒い夜には相応しい読み物になりそうだ。 今夜は、建築協定についての勉強会が公民館で有るので、参加することにしている。
2014.11.30
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種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだとい う。他の種は平気だったりする。たった1℃~2℃の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以 下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようと する余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごして しまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」がある。 身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。 今の自分に気づかないまま時は流れる。
2014.11.30
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中世の宣教師たちは、神中心主義的思考から軸足を人間に移した論調が展開される中で、そうした動きに対する一段と警戒を強めたサイドにいた。 16世紀に渡来した宣教師たちは、日本という異教徒たちの混沌とした世界 観(森や木や狐の動物さえ拝む習慣)を天地万物の創造主であるデウスの存 在を認めさせようとする。 西洋の合理主義や実用的思考としての伴天連は説く 「我らがここで説く全能のデウスは、万物を創り給うた時に、ただちに下級の被造物は上級の被造物に隷属し、そして上級の被造物は高尚であるから、その段階に応じて下級のものによ って自らを養い生命を保つように定められている。蚊は蜘蛛の餌であり、蜘蛛は小鳥の餌であ り、小鳥は小鳥でさらに猛禽に捕らえられて人間の食料に供せられる。そのことから獣類、鳥 類、魚類は、この世においてデウスが創り給うたもっとも高尚な被造物である人間の食物として役立つために創られている」 当時の、日本人は、これをどこまで理解したであろうか。フロイスの日本礼讃ともとられかねない著書「日本史」の多くの記事に対して、 「冗長」として、ヴォリニャーノはローマに送付するのを退けた。彼らのミッシ ョンは異教徒の回心であって、それ以外は価値はないのであろう。宗教も生き残りをかけた戦略があり、その拠って立つ存在理由があるだろう。それ が都合の良い適応力でもあることはいうまでもない。どれだけの順応性が あるかは係わるものの多様性であろうか。
2014.11.30
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現代は数々のストレスとの闘いの中にある。謂わば生まれてから死ぬまでストレスとの闘いが続く。それこ そ気圧か水圧みたいなものだ。「ストレスに対してどう闘うか。知らない者は早死にする。」 私たちが生きている限り、自己以外からストレスを受け、そして私も他人のストレスの原因になるかも知 れない。平気で楽々と耐えている人もいるし、無神経で判らない人もいるだろう、人はさまざまだ。 私などは、負けて病気だ。それでも、未だしぶとく生きているのは生への執着だろう。愚かな努力かも 知らないが、私は、これまで楽して生きてきたので世間にお返しをしたい。吸い込んだものを吐き 出したい。吸い込んだ思いは、数かずあるから。ひとはいつか炭素に戻り、空気となり、地上に暫く留まり そして、宇宙へと還っていく。ストレスは、生きている証明かも知れない。 私たちは過去の歴史を学んできたが、いつか私たちのすべての功罪が歴史になる。
2014.11.30
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ある大学の「論文の書き方」というのをみてなるほどオリジナルの難しさを感じる。社会学は長い間「常識くずし」をやってきたが、ナイフのような切れ味にその醍醐味があったのだろう。変化の時代だからこそ、模索と試行錯誤のなかで現実把握がなされねばならない。いま求められてるのは、Back to Basic! ・今更、「常識」でもないが、それこそその「常識」が独り歩きしており、紛争の種にもなっている。キリスト教徒の常識は、イスラム教徒の常識ではないからだ。これは国家間でもいえる。そして、現在、領域を超えた知が求められている。それは、それぞれの常識の様式という領域の壁を破らねばならない。次に「常識」の再編は、エリアの部分的溶解や解体を引き起こしながら、さらに大きなスケールに進まねばならない。それは社会学的な思考において鍛えられ、またその可能性を問われることになるだろう。私たちは遅れてきたが、再編を成す者たちであろう。 ・へ2・・・「論文の書き方」が理解できても、現実の把握を誤り、存在理由をはき違えれば意味がない。そしてテキストのない現実に直面している。自分たちの置かれた様々な問題を抱えてもいる。それでも社会学的アプローチのフロンティアをいかに豊かなものにするか苦悩している。誰かが点を線にし、面にしなければならない。 ・炬燵の周囲のノートや本を片付けている。炬燵の上にスタンドをおいてノートPC、と後足の踏み場もない状況だった。共同生活者から文句を言われていたが、そのくせ手伝ってはくれない。炬燵の上を占領されているからだろう。互譲の精神、かな? ・へ2・・・社会には様々なニーズがあるが、すべてに応えられるわけではない。老害では困るが、私には妻子ほどには時間が余っていはいない。こういったら叱られるだろが・・・。
2014.11.30
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第二次世界大戦でアメリカ政府参戦の理由は、ドイツの世界制覇の野望の粉砕であり、大日本帝国主義のアジアに於ける勢力拡大と中国への植民地支配を阻止することであった。そしてベトナムに対しては、アジアに於ける共産 主義の拡大阻止であった。冷戦下での代理戦争だった。「ドミノ理論」だ。そして、イラク戦争は、テロとの戦いであり、核の脅威の先制攻撃であった。 核保有国間の戦争は、深刻な事態になることは眼に見えているし、核の抑止 力が歯止めになると信じられている。そのための妥協が正当化されている。 参戦の理由など、何とでもなるだろう。要は、大衆が政府をコントロールす るだけの良識と装置を持っているかだろう。そのためには、大衆が愚民政策を見破り、論理を自分のものにしているかだ。どうも見かけだけの中味のない人間が増えているのではないか。自立のない意識では、これからの複雑なリスクと闘えないだろう。 日本の政治家は、自立していないから党派を組みたがるのではないか。何時までも二院制でもないし、議院内閣制も古い体質を物語るものであろう。これでは、平和は守れない気がしてならない。見せ掛けの生活にしがみ付く だけでは、家庭も守れない。 萎れて見える「平和」だ。
2014.11.30
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一年中歩いていると、寒いのも悪くないと思えてくる。すぐ足の裏が温まり、冷たい空気が肺の中で拡がり、何とも言えず、穏やかな気持ちになる。今朝は、明けの明星が輝いていたが、初め月かと思うくらい明るく見えた。トルコと同じ太陽と、月と星が、日本でも見えていると思うと、嬉しくなる。トルコでもジョギングやウオーキングをする人がいるに違いない。自然はどこでも人間を活かしてくれている。・5世紀ころから文字を手にいれて文字文化以後とそれ以前とは違う。日本人の心の科学が歴史を刻んでそのあとを残し始めていった。然しそれは史料としては僅かなものでしかない。日本考古学では、旧石器・縄文・弥生・古墳というそれぞれ別々の研究がされてきた。そのなかで文字記録が縄文以前と弥生時代以降では隔たりがある。・へ2・・・心の科学は、自然科学と提携して人間の本質に迫る研究でもある。はたして、未来への目的意識を掴み得ていると言えるだろうか。どんな明日だろうか。
2014.11.30
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屈折した幼児体験である「継子」ということばを文学講座で何回も聴いた。藤沢周平「一茶」の話題がテレビであっていたから、WEBで調べたら「継子一茶」があった。芥川も、太宰も、多くの作家が継子であり、妙に屈折した人生を送っていると感じた。幼い頃、親の投資を受けない子というのは悲惨だという。昔は医学的知識もなく、環境も劣悪であったから女性にとって子を出産するということは命がけで継子も多かったのだろう。「継子の栗ひろい」もそうだし、継子いじめの童話は枚挙に暇がないほどある。 ・日本の文学者に限らないだろうが、継子のありようは決して苦しさは継子ばかりではなく、その継母にもあるに違いない。その相互理解は言うほど容易ではない。それは、出てきたものでも知ることができる。その根底には人間を人間とも思わぬ当時の観念にもあるのだろう。そしてその呪縛は現代にもある。ひとは感情の衝動のままで行動してしまう。子を育てる準備もなく不幸は子を持ってしまうところがあるだろう。 ・へ2・・・封建社会が人々も世界観を歪めてもいたのだろう。それが家族にも影を落としていたのだ。母は産み育てる役割を一方的に担っていた。時には他人の子もそだてねばならなかったのだ。そこに悲劇が生まれたとしても当然だろう。そういう下地があり状況があったからに他ならない。そして継子たちは、ネガティブ・マインドを植え付けられたのだろう。子供たちの感性が踏みにじられた。親の温かい愛のない子供たちは不幸を背負い込んだに違いない。それを避けるとすれば妙にませたこどもたちでしかなかったのではないだろうか。
2014.11.30
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キリスト教神学を学ぶことは、現代の知的文化の中で重要な役割を果たすであろう。この状況に拘わる者すべてにとって、ヨーロッパの宗教改革の中心主題を理解することは、常に重要な出発点である。(A・E・マクグラス著「キリスト教神学入門」) ・従って、キリスト教に親しむのは大切なことだろう。キリスト教の過去は、現代の論争にとって欠かすことができないステップでもあるだろう。中世とルネッサンス、1050年ころから1500年ころまで。その後宗教改革とそれ以後の時代。(1500年ころから、1750年ころまで)丁度ゲーテが、1749年に生まれているころだ。それ後は、近・現代になる。 ・へ2・・・古くなると壊すことばかり、考えてしまうのではなく、使えるまで棄てない生き方もあるのではないか。 old town は、そのことを語りつづけているのかも知れない。キリスト教も古い教えだがそれを世界中の20億人以上の人々が信仰している。そのことを思うと、そんなことをいっている自分が陳腐に思えてくるが、そんなことなのかも知れない。
2014.11.30
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複雑な社会に複雑系の相乗効果が在るのだから、容易に理解できるものではない。完全な人間はいない。皆少しずつ未熟な面を持っている。元々種としてのヒトにも5%の突然変異の可能性のある遺伝子があるらしい。それはどうして男と女がバランスよく産まれてくるのか解からないでいるように、進化したとはいえ未だ進行形の人間でもある。企図された活き方をしてもいる。意識と無意識と、それだけだろうか?もっともっとこの宇宙の分母は果てしなく厖大な世界だ。 ・自分の準拠枠の、ほんの砂のような覚醒した部分をコンマ以下で終わるかどうか。ミクロとマクロのあいだでしかない。気が付くとミクロに向かっている。とてもアトムで把握できる能力などない。だからといってマクロも同じだ。恐らく、まだ未だ人間の環境は、原始時代と変わりはない。次元の違うスペースが拡がっている事だろう。猫は人間と同じ地球の上で活きているが、人間がどういう存在であるか、何も理解することはできないだろう。そして私たち人間も更に次元の違う生き物を見ていて視ていない気がする。 ・へ2・・・ある未開の地では、人間の片手の指以上の数字のない社会があると聴いたことが在るが、現代人も、それとあまり変わらないのではないだろうか。「もう沢山」で終わっている事だらけだ。問題をすぐに先送りするのは処理能力がないからだ。それしかない場合もあるがそれだけでもない。選択肢を間違え易いという弱点はある。取り返しのつかないこともある。個人としてもこれでも同時進行をいくらか抱えているが、自分のサイズで熟すしかない。今朝は福岡市の気温は12℃。
2014.11.30
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自分のこととして他人事のように見えることも、自分にも降りかかるのだということを。これまであまり実感なく遣り過ごしてきた。親が死んでもどこまで自分のこととしていただろうか?太宰は妹の死を賢治の妹と比べている。人は他人とどれだけ違うだろうか。私にはわからない。義弟が居るが、私は一人っ子で弟はいなかったので、その存在の意味を今一つ分からない。解からないからどうのではないが。人間関係には、解からないことはどうしようもなくあるといことだ。 ・自分で起きないと解からにこともあるのだろう。通念として知っている事と現実は違うこともある。思った通りだということはあるだけだ。家族もいつか子が独立して離れていくだろう。私の築いた家族もやがてその時代も過ぎようとしている。親子のエピソード記憶もやがて消えていくだろう。僅かに残された時間を味わっている。 ・へ2・・・自分の人生は他人と比較しようもなくある。何事も他人事ではなく自分のことであろう。小説の中で擬似体験していることは、虚構であるが、それは人間社会に起きた現象には違いはない。その中のある部分が自分のこれから起きるだろう。穏やかな秋空の中で、時間のスピードは、走馬灯のように過ぎていく。>和白干潟
2014.11.30
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生命はどんな過酷な環境であっても、与えられた環境で生きていくしかない。逃げ出すことのできる人もいれば、そこから離れては生きていけないこともある。人間の選択肢は増えているに過ぎないのであり、選べない人もいる。野鳥たちも健気に生きている。野鳥の世界で、どれだけの自由があるのだろうか。恐らくそれはあっても僅かな時間なのだろう。一瞬かも知れない。 ・生きるためにしていることはある意味で浅ましい行為なのかもしれないが、それは誰にも責められはしない。ひとも動物も、懸命にあろうとするのだろう。走り回りながら、自分を振り返ることもないに違いないのだ。毒だろうと、エサとなるものを食べている。 ・へ2・・・人類よりも鳥類のほうが長生きするか知らないが、同じ地球上jの生命体である。
2014.11.30
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和白干潟の生態系の調査もしている物理化学の専門家の話を聴いたことがある。干潟に関心を持ち始めたところだったのでグットタイミングの講演会だった。講演会後個人的に先生に質問してみたが親切に教えていただいた。研究調査については、今後も続けられるそうなので、これからも質問できそうだ。 ・赤潮について、植物プランクトンの数値で赤潮かどうかを決めるらしく、人工島周辺は、夏は赤潮が酷くなってきている。青い海としか思わなかったが、緑に見える時が酷くなっているのだそうだ。人工島の周辺は水深4mくらいしかなく、海底のAVSの濃度が高くなっている。周辺の海底は悪化している。 ・へ2・・・自分の目で見ているものと、化学の目で見た数値がどうリンクするのだろうか。そういう意味では貴重な体験になる。自分に何ができるだろうか。戴いたレジュメで確かめてみたいと思う。遣ることが増える。
2014.11.30
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ただあるのではない。あろうとする存在理由は確かにある。それは否定しようとする力が働いている。否定されているからこそ、抗うものが出てくる。自分が何者であるか、疑う余地はある。どこまで客観的であるだろうか。それは蒙昧ではないだろうか。ケチな独りよがりではないだろうか。無駄骨に終わるだろう柳に蛙のジャンプだろうか。それでも、しないよりかましではないだろうか。 ・何かの絵にはなるかも知れない。お笑い草だけれど、それもいい。何か昨日はいやな気分がしていた。何かこれからの自分を否定しようとするものがいる。そいつが様子を窺っている。隙あらば襲ってくるような気配とか。何かちらちらし出したような。そんなおぞましさがある。また一枚、相手にカードが回された。 ・へ2・・・「ヒトは生まれる前は盲目だ」。目を開けさせる細胞がアポトーシスしなければならない。羽毛がなく、目の見えない黒い鳥の雛、プログラムされた細胞死が、発生において重要な役割を演じる、瞼に見える薄い線の細胞が、最終的に死ぬことにより目が開き、雛は初めてものが見えるようになる、という。私たちが感じているのは、それは明日に向かう不安感ではないだろうか。それが暗くみえるだけではないだろうか。その先になにがあろうと突き進むだけの勇気が問われている。いずれ人は、死ななければ自分の人生に幕を下ろすことはできないのだから、何があろうともそれは、それでしかないではないか。
2014.11.30
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曠野に生き延びた人たち カッパドキアは不思議な世界だった。高地の草木も生えない岩場に暮らしている人たちがいた。農夫のアルファベットいう言葉があるが、その土地で生き残るための最低の知識と適応性がないと生きていけない。人間の持つ適応性の能力の偉大さは、想像以上なのだろう。私だってカッパドキアで生まれれば、平気で生きていられるのかもしれないが、こうして違う環境で生きてきた今では、それは不可能だと思えてくる。何が困難で何が、生き甲斐だろうか。 ・自分の今を、客観的に考えると、視えてくるのは自分の甘さである。他人に頼り過ぎているのではなかろうか。好きな時に食べ物が食べられ、飲み物だってある。快適というほどではないにしても、好きなだけ寝ていられる。それは居住環境があり、社会が整備されているからでもある。自分で創ったのではなく、生まれた時から存在していた。努力すればもっと違った生活もしていたことだろう。それをしなかったのは、自分の価値観でしかない。 ・へ2・・・飢餓に悩み、宗教戦争で生死の狭間にいる人たちが大勢いる。何故そうなのかわからないまま泥沼の中で苦しんでいる。柵の中で、一生そこから出れないでいる人もいることだろう。曠野の中でも家族と肩を寄せ合って慎ましく生きている人たちもいることだろう。何が幸福かは、その人がどう思うかでもある。宗教では終わらないのが人間の大きさでもあると思う。人の心に宿る曠野は別にあるのだろうか?
2014.11.30
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ひとの進歩は、過去の遺産の恩恵を受けることに因って成し遂げてきたといえる。処が、第二次世界大戦の敗戦に際して、日本軍は多くの重要書類を焼却してしまっている。これは、明治10年「西南の役」の薩軍の残した史料もたいへん少ない。「島原の乱」も殆ど史料がないといえる。これは、どうも意図的な考えがあってのことだと言わざるをえないようだ。政府側の史料をつかって描くしかないようにしたのであろう。これらは、上申書や、個人やその人の属した部隊の記録だから、謂わば点と線を繋ぐものであり、全体像を知ることには限界がある。従軍の実態が見えにくいはずだ。どうも日本に優れた歴史家が出ないのは、この国には、正しい史料が少ないからかも知れない。入牢させた罪人の塩を抜いて根気を失せさせるような姑息な文化ではないか。青竹に、節を作らせないような教育がされている。強い人間を造ろうとしなかったのは、支配者が、それでは困るからだろうか。将軍を大奥に閉じ込めるような政治があったからだろうか。誰が、この国の支配者だろうか判らないような時代がつづいた。 史料を残そうとしない社会とは、この国の歴史の実態を読み解くことの難しさだろう。
2014.11.30
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生物は、内と外との境界を次第に変えながら、自分自身を変えてゆくシステムを持っている。 発生の初期のステップでは、細胞分裂をさせ内側を膨張させる活動で外に向かうシステムを取る。やがて膨張が止まり最期は、必ず自己崩壊して死ぬ。これは外からの指令や命令がなくて も、個体は勝手に成長し、勝手に死んでいる。就中生物の根幹でもある。その形質の1クールの空間を「生物」と呼ぶ。 日々私たちが目にしているものは因果応報である。何を学び何を捨てるのかだろう。固執するものは明日を見ることはない。すべての事象は過ぎ去るものだ。美しい日本は幻想でしかないだろう。あの世界遺産になった富士山だって大噴火して、原形を止めないかも知れない。そしてヒューマンスケールだけで宇宙があるのではない。
2014.11.30
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リーダーがいい加減だと、グループもだらしなくなる。責任を取ろうとしない上司がいると、部下は勝手なことをする。まとまりのない社会はそうしたものだ。それがやがて風俗になり、文化も衰退して滅んでいくのが自然淘汰でもある。あのインカ帝国も,200人足らずのスペイン兵に滅ばされたが、皇帝はただのひとだったからだろう。神だと信じたほうが悪いのだろうか。 ・信じて騙されたとよく聞く話だ。小さな嘘はすぐ気づくが、社会をだます大きな嘘は見つけ難いのだろう。貧困と鞭と戦うために知識があり、そのために大学で学ぶのだと思っていたが、その大学が、チープな知識しかない人たちだとしたら、学生はどうなるのか。能力のない人たちから外国語を覚えても役には立たない。 ・へ2・・・なんのために少年たちは、勉強しているのだろうか。それはどんな未来を約束するのだろうか。目の前のことしか教えない大人が、子供たちに何を与えるのだろうか。俺のようにはなるなというのだろうか。いい加減に済ませてきたことばかりある。その方が楽だったからだ。どちらを向いても吐き気のすることばかりある。これも自分たちのこれまでしてきた報いだろう。
2014.11.29
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偏頗な社会 韓国のお寺のことを知ろうとネットを覗いたが、調べ方が拙いのか、月間韓国文化というバックナンバーのものしか見つからなかった。まだこれからではあるが、それだけ情報が少ないのだろう。研究や翻訳されていない訳ではないのだろうが、利益社会に関係ないものは軽視もされてしまう。オランダ語の解かる人も少なくなっているらしい。 ・占領下の国家で何があったのか、その歴史を知る研究もあっていいし、それは日本のこれからの参考にもなる筈だ。韓国もオランダも日本との深い歴史の関係がある。折角の図書館も、常に新しく文化的価値があってこそでもある。大学でも多彩な才能が講師であるべきだろう。マンネリに陥ることなく、新鮮なベクトルを追及すべきでもある。 ・へ2・・・自分らしく生きるためには、実際にどうすべきなのだろうか。それを考えてきたが、なかなか難しい。「無有恐怖 遠離一切顛倒夢想」。なにが顛倒、夢想なのだろうか。安易に読める本ではなく、読めない本を読むくらいの努力が必要なのだろう。
2014.11.29
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博多湾 東西20km、南北10km面積は約133.3平方キロメートル。水深は平均10m。干満の差は約2m。博多湾をA4の広さとすると、コピー用紙2枚の厚さしか水深がないと、今日の講師は説明された。閉鎖度指標は2.0 とかなり高い。博多湾の特徴が少し理解できてきたようだ。海底の底泥が真っ黒になっているそうだ。硫化水素の発生により、底泥の金属と反応して硫化物を生成して起きる。それを観察地点の海底から採取して、調べている。悪臭で堪らないらしい。毎月行きたいが予算の関係で年に数回しか行けないらしい。カネと人の手が必要である。学生たちも参加している。 ・研究や調査は決して楽なものではない。薬学部の友人が、雨の日に墓場に行って真夜中ガマガエルを探して廻る話を聞いたことがある。解剖もあるらしい。楽な仕事ではない。研究とはそういうものではないだろうか。そういう意味では苦労して研鑽している研究者ほど謙遜なのには驚かされる。 ・へ2・・・生半可な人間ほど、楽をして成果を求め過ぎるのではないだろうか。何も知らない素人にも熱心に説明してくれる研究者の話を聞いて頭が下がる思いがした。さて、まだ私には、今日のウォーキングが残っている。これから寒いが歩いてきます。それくらいしないと申し訳ない気持ちがしてきた。>海ノ中道大橋から博多湾東部の眺望。
2014.11.29
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安倍内閣の、愚衆政治には腹が立っているひとは多いだろう。そしてローマ帝国由来の飴と鞭や、パンとサーカスが続けられてもいる。国民を甘く見ているのだ。大学を卒業し、社会に出て現実社会と闘って、定年退職して、大学の公開講座を聴講しているものたちに、歴史もあればプライドもある国のことを、昨日の若い講師のように、自分だけが知っているかのような話に腹が立ったが、相手を甘く見た所業だろう。 ・安倍晋三首相は、戦争を知っているといえるだろうか。自分の世界観を国民に押し付けてはいないだろうか。彼の言動が中国や韓国から非難されているが、思想信条や本音を言っていない。法衣の下にあるものは何だろうか。国民に対する愚衆政治としか思えない。トップがそうだから、官僚たちも真似をするし、大学でも同じだろう。 ・へ2・・・将来の日本人たちはそのために苦労をしなければならなくなるに違いない。2011.3.11にしろ、多くの被災者の暮らしは救済されていない。拉致問題も解決していない。すべきことは一杯あるのにパフオーマンスで猿芝居ばかりしているようにみえる。今度の総選挙で国民の鉄槌を喰らわすことができるかだろう。
2014.11.29
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知識より、精神だというのが、HARVARD MED のコンセプトだ。「思いやり」のかけらもない利己的な学生の多い中で、時代は変わりつつある。思いやりあるものが新たなニッチを得るだ ろう。知識を多くもつ者ではなく、これから優秀とされる医者は、思いやりのあるものが評価される。教授たちが、そうすることが求められている限り、これから「思いやりの精神」を学 生たちに教えることになるという。何故だろうか。それは、現代病の多くが患者の心理に起因しているからだ。医師が治療できる範囲は実は「7%」しかないと言われる。殆ど自分の持つ免疫力で自然治癒している。そして、患者の置かれた環境を理解しない限り、これからの医療 行為は成立しない。 科学の進歩も、ひとのいのちへの精神という「思いやり」であることに、やっと気付き始めた。 P.S. 昨日の講座は、ちょっと酷かった。中学か高校のそれだった。どうやら講師は、市民を甘く見ているようだ。どうせ何も知らない小父さんたちだとでも思っているのだろう。台湾のことを、おそらく若い研究者よりもよく知っている老人たちを相手にしいまの学生たちに対するように思っていたに違いない。戦前の日本人が、中国や韓国や、そして台湾でも何をしてきたのか、戦後生まれの私たちでさえ、知っているのがあるべき常識でもある。台湾の人たちが、親日的だとか話をしていたが、それは皮相的な見解でしかない。彼らは生き残らなければならないから大人の態度をとっているだけだ。おそらくちゃんと台湾の歴史さえ知らないものが、参考書を読んだだけで講義をされていたのだろう。 ・へ2・・・かって阪大の公開講座で、講義をするために数か月前から講義の内容について準備をして、講師は手術前で、医師を控室に待たせて講義をされたことがあったが、真剣さが違うのは、国立と私立の違いだろうか。・・・そんな講義を聴く学生たちがかわいそうでもある。
2014.11.29
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いやいやでは面白くない。そこに苦難があったとしても耐えるだけだろう。それでも何か喜びを見出してゆくべきだろう。忙中閑あり。そこに活路がある。最後まであきらめないことだろう。自分の体の中で起こっていることをほとんど知らないが、生きる喜びを感じさせてくれるだろう。それが生命力でもある。脳内ホルモンがでるかぎり喜びを感じ、体内には免疫力がある。この世の全部が敵ではない。むしろ大半が生命を守ってくれるのではないだろうか。 ・「天知る、地知る、吾知る」。天も地もどうかは知らないが、少なくとも自分は自分のやることを知っている。苦しい時は遠くを見る。ミクロとマクロの間に生きている私たちは、どちらを向いても果てしない挟間にいるだろう。それは、私たちヒトが古井戸の蛙ではないことを教えている。与えられたスペースを、そして時間の流れを自分のもつ感性で感じればいいのだ。確かに公平な社会ではない。歪で醜悪でもある社会を感じる心が必要だ。しかしそれはいつか克服される時が来るだろう。そのための自分なりの研鑽も必要だ。矛盾と闘わねばならない。怯めばどこまでも堕落するだろう。そのリスクは必ずある。 ・へ2・・・今年も不景気が人々を苦しめた。そしてそれはまだ暫くは続くだろう、或いはさらに悪化し続けるかも知れない。それがどんなことになろうと、それに耐えるしかない。目の前のことを遣るしかない。
2014.11.29
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ドーパミンも衰退して行き、セロトニンも怪しくなる。それで厭世的になり、愉しいことも減って行くし、視野も狭くなってしまう。生きていくのも大変。優しいばかりの社会ではない。自ら動いて必要としなければ得られないものばかり。自己責任の原則という社会には都合のいい口実がある。知らない人が悪い。刑罰にだって「不知を許さず」という原則がある。 ・ひととして最低限の知識を以って暮らす必要がある。そのために義務教育もあれば、大学もある。大学でそこそこの成績でも、正規社員になるとは限らない時代になった。従順な人間だけがうまくやれるらしい。どんなに大企業だって、潰れている。権威や権力が崩壊し、何を信じればいいのか、誰に解からない。官僚になっても安全ではない。原発を安全だと信じて、これまで仕事をしてきた人たちだっているのだ。協力して来た人たちもいる。民主党も何かしてくれるだろうと多くの国民は信じて投票したがこのざまだ。 ・へ2・・・講座も暫くないので、ノートの整理でもしながら、頭を少し脳の空地へ向けようかと思う。寒くになり、体も硬くなりそうだが、ウオーキングは続けている。和白干潟では春まで越冬する野鳥たちが、増えてきたようだ。これでも家族と肩を寄せ合っている。どんな大災害もあるだろうが、この小さい幸福の時間を味わいたい。
2014.11.29
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自分が、文学をどう読むか、という視点が重要であるが、それを学校教育ではしていない。大学で初めてそのことを問われる。現在の教育では、教育者の考えた視点で、優劣を決めているに過ぎないのであり、本人の視点が軽視されており、本末転倒になっている。という話がされて同感だと思った。・文学とは、自分がどう読むかが一番問題である。それを日本の教育はしていないのが問題。大学でしかできない。自分の頭で考える。他人の感じているものを間違ったもので感動している。採点できないから。・トップもあればビリもある。・文学では、解答は一つしかないというのはない。・自分の印象は自分だけのものである。・若い人に解かる作品ではない。或る年齢でなければ分からない心境。・ゼロからみると救えない。だから宗教がある。・淋しさは、どこからくるか。 ・ことばの中から、宝石を見つけるのが、学生の仕事であるが、他人の掘りあてた財宝だけを見つけて悦んでいるし、他人の世界観で評価されてもいる。自分という視点をどこかで深められるかでもある。私が、自分に気付いた時、自分は空だと思ったのは、当然のことであったのだろう。若いだけ貧弱な自分の体験しかない。経験豊かな教師に勝てるわけはないが、人間として尊重されていただろうか、疑問に思う。教師たちから莫迦にされているという想いだけがあって、どうも教師を好きになれなかったのを覚えている。 ・へ2・・・問題の所在は、何かを考えるべきだということを大学で教えられて、砂漠の中でオアシスを探さなければならないという、大きな課題を与えられた。戸惑いながら、船出して、半分沈没しかけた。文学をどう学ぶべきかを、今更だが、遅かりし由良の介で学んでいる。日本文学は遺跡だろうか。とても世界遺産にはなるまい。然し、一つのスルメではあるだろう。スルメから烏賊を探すことはできるのだろう。
2014.11.29
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作品> 「坑夫」・受講生。23人うち男7人。・教授が用意したレジュメB4 3枚。・「坑夫」という作品は、一般読者には人気がない。問題もある。・差別語の問題。漱石は原題からいえば差別主義者。そこから研究が始まる。「エタ」ということばが削除された。・この作品は、読者に向けて書いたのではなく、作家になろうという人に対する書き方を書いている。・漱石の「群れ」に対する嫌悪感がある。坑夫の群れ。「獰猛。獣扱い」している。・この作品は、「章たて」ではない。・出版社などの周辺から漱石に対する過大なイメージが創られている。おそらく読者は誤解している。差別主義者。漱石は庶民の側ではない。・作品のラストの文章の平等観も綺麗事を書いているに過ぎない(小説を収束するた めに書いている)。・漱石は自分の考えの及ばないところ(社会)を軽蔑している。蔑視している。東京から外は田舎と思っている。・漱石の心理的サイド; インテリ、書斎派でしかない。・「坑夫」という存在を想像で描いている。ある男から訊いた話をネタにして創作した。・村上春樹が高く評価した作品として「坑夫」を挙げた。筒井も。・理由は、主人公が「穴に入る」。「穴」のモチーフが村上春樹にはある。・この作品は、「プロレタリア文学」ではない。・田中正造とは違う。漱石は、「足尾鉱毒事件」を知っていたが触れていない。・この作品は、自分の知らない世界の話を書いている。・「安さん」と出会うまで、とそのあと。「はじめて人間に出逢った」とおもう。漱石は、一 対一でないと理解できない。集団自体を否定している。・教育のある人とない人を区別している。・教育がない「坑夫」を畜生と思っている。(教育がない人は畜生と同じ)。・「永日小品」にもある。同じ視点。漱石の偏見がある。・目玉に吸いつけられる。女の目。男尊女卑の視点もある。・この作品には漱石の「作品メモ」がある。・書き方に苦労している。小説をこれから書こうとする作家に向けてその書き方を書い ており、そういう点では面白いかも知れない。漱石の教育者的な姿勢。・主人公の心理を描いているが、実像の人間ではない。信用のおけない男の話を聞いて書いている。・主人公の人間関係を3か所に分けてバラバラに書かれている。男・女・女の三角関 係。・男ひとりと女二人。これまでの男二人・女一人という三角関係の傾向とは逆。・「気の毒」の感情。重要なフレーズ。安さんに出会って起きる感情がある。其れまでと一変する。気持が変わる。・「安さん」に出会って初めて人間らしい感情を呼び戻す。その前後を作品では明確に分けて書いている。・「出逢うことによって人間が変わる」こと。 文中では「なにをしやがるんでい」がター ニングポイント。・「社会は人間だ。国家も人間の集合体である」という考えが漱石にはある。・「崖」の上と下の違い。漱石は崖の上の人。崖の下ではない。・「崖の上のポニョ」という最近話題の映画の物語も、この発想がある。作家宮崎駿漫 画映画にもこのイメージがある。・モデルは男。実際漱石の幼馴染の「喜ちゃん」 を作品では柿を投げた「女の子」に している。男を女に変えている。「永日小品」第十夜にもあるが解釈が難しい。・エゴから離れて、「気の毒になる」。自分のことばかり考えていたことがそこから我を取り戻して変わる。・それがこれまで「坑夫」に向かっていた嫌悪感が、気持ちが変化していく。・あくまでも坑夫のサイトに立たないのでプロレタリア文学ではない。・学歴中心主義。人間は教育だという考えを漱石は持っている。・福岡に住めば違う見解にもなる。炭鉱を知らない。知らないものは理解できない。東 京で育った漱石には「イネと米」の繋がりが分からなかった。どうして稲がコメになるか分からない。想像できない。・小説の書き方を言っている。(総体的には)・けったいな小説。「文章の書き方」について漱石の考えを書きたかったのではないか。・旅のあと、暫くして振り返ってみるとそのことを冷静に書ける。そのときは冷静には書けない。右往左往して書いても自分の心理描写は冷静には描ききれない。・直後でなく、あとから冷静に自分のことを振りかえることができるからまともな文章を書ける。と考えている。・直後の感想ではまとまりのつかないものになる。・漱石の考えを書いている。あとでは、自分さえ気の毒におもうことができる。・渦中にいるとちがう。冷静になることができない。・人間の差がある。安さんと坑夫のちがい。・野原・・・群れ。獰猛。イメージから来ている。・「夢十夜」十夜は、豚の群れ。群れが嫌い。だから漱石は、個人主義。群衆恐怖= 個人主義。理性的ではない。漱石の特徴。・兄、平岡、父、社会・・・人間の群れ。幼児体験がある。・「安さん」という個人にであって人間らしさを取り戻す。集団に自分は適応できない。 漱石の深層心理。フロイトの深層心理を知らない。漱石は前の時代のひと。・一対一なら受け入れられるが、集団では受け入れないという感情が漱石の個人主 義にある。・二人連れ。群れてはできない。文中よく重要なポイントになる二人のシーンがある。・「広い一本のまっすぐの道を見ると感動する」その気分になる。漱石の感動。どうし てそうなるのか分からないが、漱石のイメージがある。・自然主義・浪漫主義の相違。別物のように思われるが、接点交渉がある。・みたまま。夢のような気分が入っている。・「赤毛布」の登場は怪談的。この作品は小説家が考えていることを書いている。・漱石には差別意識があり、教育のない人間を軽蔑している。体裁の好いことをいっていない。ストイックで傲慢である。シキということばも「坑」のことで、銅山の坑内ではない。あとで誤りに気づいている。
2014.11.29
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メルヒェンは、日本では童話、おとぎ話、昔話と訳されている。子どもたちに生きる知恵を教えようとした知恵があるのだろう。戒めを教えたりもする。宗教的な色彩の濃いものがある。勧善懲悪があるのだろう。それにしてもグリム童話の「赤ずきん」「雪白姫」も童話にしては、悪人の最期は無残な死になる。決して甘い話ではない。西欧のお話はみな宗教の道徳観が織り込まれている。13.14世紀の一枚絵も宗教の教えから始まっている。戒め、恐怖がある。 ・善と悪があり、悪は滅びなければならないし、それは無残でなければならない。切り棄ててきた歴史が、明るさと暗さを浮き立たせている。メルヒェン、テール、トールもそして童話も同じ意味ではない。それぞれの語彙は違う。それは国情にもよるのだろう。社会環境が生んだ子どもへの教育がある。血生臭い歴史を持っている欧州が残している世界観が色濃く残っているのだろう。人間の形質は同じだろう。東洋の童話も容を換えたものでしかない。 ・へ2・・・マザーグースにしても、露骨な表現がされているが、それも分かるものと分からないものがある。そこに育ったものでないと分からない暗号のようなものが含まれてもいる。タブーもある。言ってはならない言葉や人がいたとしても、それは歴史の陰でしかないのかも知れない。そういう蔭や暗さがあるのがメルヒェンでもある。美しいものに寄り添っている影はいつも美しさを際立させる。
2014.11.29
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小さな真心 小さな真心をだけ追いかけている社会に慣れてしまっている。連続テレビを見ていた妻が、涙を流していた。恋人や身内への愛だけ訴えているドラマしかないし、それこそ我ことのことでしか観ていない。それは知らないからでしかない。歴史の本さえ読めばそんなことはどこにでも書いてあることだ。決して小さな愛でも、真心でもないことがやまほど世界に溢れている。小さな、個人的なものにだけ関心を向けるようなものしかないのだから、知らないのだ。 ・知ろうとしないだけなのだろう。真心とは小さいも大きいもないとしか言わないからだろうか。決して、大きな真心が無いわけではない。黒人への差別を他人事のように感じている日本人たちが、戦時中に受けたアメリカ社会での日本人への差別を忘れているし、被曝体験にして本気で感じているだろうか。もしそうなら、アメリカへの諂いはどこからくるのだろうか。日米軍事同盟を未だに払拭できないでいる政府は、何ものなのだろうか。不思議なことが多過ぎる気がする。 ・へ2・・・見せかけの物に踊らされているに過ぎない。あのドラマは甘い。がそれでさえ、涙を流すのは、そこに歴史の中で苦しんだ人たちが偲ばれるからでもある。決して小さいだけの真心ではない人々が国を守ろうとしたし、血を流したという現実が在るからだろう。敵が味方に為る事も、味方が敵にもなる。黒人差別も、ジャップと呼ばれた日本人も米国で差別されたのであり、歴史的事実だ。それは未だにある。それは誰が誰に対してあるかでもある。
2014.11.29
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寒さが、ひとのこころも凍りつかせることはないが、ひとの非情がひとのこころを凍らせてもいる。この地球を守ってくれるものは何もない。在るのは、エントロピーの法則があるだけだ。形あるものはいつか壊れてしまうだろう。自然の法則に従うものでしかない。フランクフルトのゲーテハウスの書斎の窓は、現代のガラス窓ではなく、グラスのようなガラスだった。少し厚みのあるものだった。18世紀のままなのだろうか?幾つかの部屋は、歩くたびに、床の板張りはギイギイ音を立てていた。いつか朽廃するだろう。 窓ガラスを通して、公園の木が風に戦いでいる。静かな時間が過ぎている。
2014.11.29
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なにか突っぱって穏やかさがなくなっている。そんな世の中から好いことも少ないのではないだろうか。優しさの感情が喪失していくと世の中はだんだん悪くもなる。斜陽族のように刹那的な快楽ばかり追い出すのではないか。自己保身ばかりでは社会は頽廃していくに違いない。これから日本は益々厳しい冬の時代が続くのだろう。季節もこれから本格的な冬に向かうが、花も枯れてしまい種は冬眠を始めている。 ・土の中で栄養を蓄えているのだろう。そうしてだから春に花を咲かせる。老人たちも若者の肥やしになっていかなければならないのだ。他山の石では困る。社会を観察していると、どうもおかしいのではないだろうか。付和雷同ばかり繰り返している。外国語ばかりを学んで未来は見えない。日本文化ではないからだ。欧米のまねをすれば、それは従属でしかない。 ・へ2・・・なぜ、歴史に学ばないのだろうか。脚元にある問題は履いて捨てるくらいある。自分の都合のいいことばかり考えている。それではこの社会システムは腐敗を続けてしまうだろう。
2014.11.29
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どれほど威容を誇る巨大な象だろうと「牙」のない象は、「大きい」だけでしかない。象は普段は温和で大人しい生き物であるが、いざという時には、地響きを上げて突進してくる。自分の死に場所を知っていて、人知れずいなくなるのだと聴いたことがある。巨大な身体を持つ物はそれだけ優位に生きて来られた。それは肉食獣から身を守ることができたからだ。その分、毎日せっせと草を食べていなければならなくなった。食べ続ける生涯だろう。そうして巨大化し、生き延びても来られた。 ・私たち個人にも、それぞれ個性があるように、生きていられるには、それだけ特質がなければならない。活かしてくれるものがなければならない。先ず自分の体であり脳であり、環境でもある。前提条件とするそれらのものは複雑で、それこそ単純な存在ではないだけだ。そして人間の歴史がある。社会環境とも言うべきものがある。これも刻々と社会状況が変化している。自分の特徴を客観的に捉えられなければ、「コンパスのない人生」を生きて行くことにもなりかねない。 ・へ2・・・コペルニクス的転換を感じているだろうか。時々、その針を見失う。針は大きく振れるからだ。他人を信じないのは、自分を信じないとは違う。自分を信じるから、他人は自分ほどには信じられないだけだ。他力本願が本義ではない。誰にも頼らないと自覚して生きることだろう。他人と協力することは、人間には必要な条件でもある。そうして生き延びてきたからでもある。一人の社会はない。他との共同社会で形成されている環境に生きている。自分の特徴を忘れていた。ひとりでこつこつ努力してきたのだ。視えるものはみな先生であった。
2014.11.29
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人間は論理を創造する生物である。対立の原因が、実際には感情または利害の対立であっても、それを論理的体系としての対立にし、対立を拡大させいくことは古くからみられる現象でもある。人間社会のさまざまな対立は、論理的対立にすることによって、直接的に関係のない人びとの間にも対立が共有され、拡大される。 これは論理的体系のもつ普遍的な拘束力が如何に大きいかを示している。体系化された論理は、人びとを隷属化し、それを利用するものに権威や権力さえ付与するのだ。体系化された論理は有害無益だろうか。それとも論理の体系は必然的に避けられない現象であり、それが固定化することが問題なのだろうか。 論理から観た近代科学の特徴は、要素から全体を捉えようとするところにあり、これが宗教の宇宙から個人を捉えようとするのであり、仏教の論理と逆の関係にある。そこにボトムアップ型論理とトップダウン型論理の相違があるだろう。ある論理的考えが理論になることによって客観化され、予見性を獲得し得るのだ。 >塩浜海岸へ行ってきた。
2014.11.29
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一寸金花 一寸とは、約3cmのこと。状花は雌花で、筒状花は両性花、そう果は無毛またはわずかな短毛がある。花期は7~8月。分布は、日本。東北アジア。疑似高山帯とは、高度や気温的には明らかに亜高山帯や山地帯なのに、高山帯のような景観を言う。その典型的な例に屋久島の宮之浦岳1935mでもみられるという。氷河期に生育したヤクシマガンビやヤクシマリンドウなどが残って古固有になったり、イッスンキンカのように矮小化したものがある。日本では高山植物の南限の島になっている。 山と渓谷社「日本の高山植物」の中に、イッスンキンカの写真が載っている。黄色い小さな花だ。周囲に沢山の水滴が付いている。
2014.11.29
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毎日お題目のように繰り返している。「今日は、昨日とは違う」と。年を取ると、同じことをしたくなってしまう。昨日と違うというのは、厄介に思えても来る。同じことをして楽をしたくなる。いつも顔見知りの人が周囲にいて、優しくしてくれるところに居たくなる。好きなものが食べられて、昨日と同じことをしたい。そうは問屋が卸さない。朝昨日のことは全部忘れてリセットできないと、スタートが切れなくなるが、それができる間が辛いがいいのだろう。棄てなければ歩けない。日々と別れて進むしかないのだ。 ・余計なものを持ちたがるのは妙な未練の所為だ。身に纏うものはない。余計な脂肪と別れて行かねばならない。昔の坊主は、死ぬ前には絶食したという。坊主が生臭くなったのは、戒律を忘れたからだ。それで世俗に見捨てられてしまった。範を垂れない指導者は指導者ではない。真似をするような人物がいなくなれば、誰も信用などしない。欲望が人間を支配し、美徳を尊ばなくなり、堕落した社会になった。他人に隷属しても恥じなくなった。「恥」を忘れてしまった。本当の「恥」も知らないのだ。 ・へ2・・・今や教師が教師ではない。ただの手配師でしかない。先生が先生ではない。課題を与えられないと応えられない。計算ばかりしている。0[ゼロ)が何かを知らないものばかりが溢れている。亡霊ではないから、「恥」も昔のコンセプトではない。
2014.11.29
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「慢性疲労」・・・脳からの危険信号。 ・三大アラーム・・発熱、痛み、疲労 ・「疲労」と「疲労感」との違い・・・疲労感は主観的なもの。・ATMT法とアクティグラフの検証。・TGF-ベータという免疫物質とは、ひとが運動するとTGFベータが増加し、止めて安静にすると自然に減少する。疲労も回復する。・慢性疲労を感じている人は、運動したわけでもないのにTGF-ベータが多く、たとえ安静にしていてもTGF-ベータが減少しない。つまり疲労が溜まっている時はTGF-ベータが生産される。・慢性疲労シンドローム ・悩みごとなどのストレスを抱えると免疫細胞の働きが低下する。その状態でインフルエンザなどのウィルスに感染すると攻撃命令であるTFG-ベータが免疫細胞からどんどん放出されて、脳内のグルタミン酸やGABAなどの神経間の情報を伝える物質の合成を低下させる。脳内の情報がうまく伝わらなくなり、体のだるさや集中力の低下などの症状を呈する。・「慢性疲労」が続くと脳内の変化が神経伝達「能力の低下」に止まらず脳の「前頭前野」を萎縮させる。・つまり、「慢性疲労」は、免疫系が変調と脳内に異常が発生しているという「危険信号」でもある。・うつ病患者の脳ではセロトニンが減少しているが、慢性疲労患者にもセロトニンの減少がみられるが、内容が全く異なる。・ビタミンC などの体の酸化を抑える物質や、クエン酸、ある種のアミノ酸などが疲労回復に効果がある。・「疲労回復」には、森林を散策するなども効果がある。いつも疲労感を抱えて生きてきた気がしている。・「慢性疲労」と如何に闘うか、が課題だし、その機序を知ることが重要。 家の前の欅が散り始めており、毎日枯葉の掃除が始まった。やがて散ってしまうだろう。
2014.11.29
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長く生きていると否でも自分のことを少しは解かっても来る、自分と比較のできる人が近くにいればもっとよく理解もできるだろう。そう都合よく行くわけでもない。友人として長く付き合うのもお互いどこまで深く理解しているかによるのだろう。ひとは、環境が違えば考えも違ってくる。自分だけの経験というのもある。自分でなければ分からない感情もある。それを上手く他人に伝えられるか、それがこの社会で上手くやるこつでもあるのだ。 ・賢人を衒っても長続きはしない。誤魔化しも長く続かない。今朝はひさしぶりにギガビートを持参して歩いてきた。音楽を聴きながら、ウオーキングして気分転換して続けていたころを思い出した。音楽がなくても歩けるようになり、暫く聴いていなかったが、日が短くなって、朝も夜も暗くなり、見るものが減ると少し寂しい気持にもなる。これから寒くなっても行くので、気力も必要になるだろう。 ・へ2・・・弱い自分を感じるのはあまり嬉しいものではない。だが自分を客観視することは挫けないために必要でもある。これから益々、足りないものが増えていくことだろう。その時何をするか、最悪のケースを予想することは、恐らく出来ない。パニックにならないとも限らない。それを最小限度に止める為には、その準備をすることであり、自分の本音と向き合うことだろう。野良猫は何を考えているか?それは、想像でしかないが、多くのことを私に語っている気がする。
2014.11.29
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先行する事柄が継続する事柄に、影響を与える状況を指して「プライミングの効果(または"プライミング効果")があった」と称される。(Wikipedia) 人間の「記憶」というメカニズム複雑であり、それを理解することは容易ではない。然し、知らない訳にはいかない。若いころのようにはいかなくなっているが、殊に、この「記憶」が厄介な課題でもあるからだ。様々な働きをする自分の「脳」と付き合っていかないと、臍を曲げられる懼れがある。何しろ1000億のニューロンと、その神経細胞にはそれぞれ数千から数万の"手"があり、1秒間に数十回以上も"会話"するというのだからただ事ではない相手である。そういう脳の中に私たちの存在もあることを忘れがちでもある。 ・自分の存在は、社会の中の一員であり、社会秩序の中で暮らしを営んでいるが、自分が何ものかを誰も教えてはくれない。然しまだ人間は未成熟であり、人間の教育をすべて国家に委ねることはできないだろう。まだ暫くは自分というものを知る努力を自力で遣って行かなければならない時代でもあるのだろう。まだスープの海でしかない。初めに人間の完成があった訳ではなく、それに向かっているに過ぎない。 ・へ2・・・知ることは人間に備わった特質でもある。動くものに興味を持ち始める赤ん坊の精神が死ぬまで必要でもあるだろう。何故「記憶」することができるだろうか。「記憶は脳のどこにあるのか?」、面白いテーマがあるものだ。自分を卑下する必要は何もないだろう。脳というものを持った存在であることには誰も変わりはない。それだけひとつの宇宙を一人一人持って生まれてきた存在でもあるからだ。海馬の「記憶」をどう使うかでもある。
2014.11.29
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