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明治東洋医学院専門学校講義(教育心理学3回目)。質問が次々に出るのでありがたい。先週は車両故障で阪急が遅れ大変だったが今日は二十分前に到着、余裕。池澤夏樹『むくどり通信』(朝日出版社)。洗練されたユーモアのあるエッセイ集。池澤の父親が福永武彦であることを知っている人は少ないだろうが、実際には顔を見たことがないようで特別の影響はないようだ。ジェラルド・ダレルの翻訳をしていた頃から注目していたら後に芥川賞を受賞した。 家族がいれば膨大な日記を残したはずがない、と永井荷風や樋口一葉、アナイス・ニンを例にあげて論じているところが気になった。「なぜ彼(永井荷風)はあんなに克明に日々の記録をつけたのか。あれは家族というものがあれば話して忘れてしまうはずの内容ではなかったか。一人だからこそ、彼はそれを話す代わりに書いた」(p.98)「幸福な妻帯者ならば日記を書く必要などないはずなのだ」(ibid.) いささか独断か。日記を毎日何種類も書いている僕は…(苦笑)。 川上弘美『パレード』(平凡社)。あの『センセイの鞄』のツキコさんがセンセイに幼い日の出来事を語る。終わったはずの物語が蘇る…ファンなら買うが、買わなくても立ち読みができるほど短編。期待しすぎた。
2002年04月30日
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流奈君が大人の思わくにふりまわされることなくゆっくりと才能を育んでくれたら、と思う。昼のリハビリを止めてまで出版の締め切りに間に合わせるために本を書くという生活はやっぱり普通だとは思わない。昔、高校の先生に、信仰のある家庭で育った子どもが寮に入ると、神なんかいないという友人に論破され一度は信仰を捨てるというようなことがよくあるが、そういうことも必要な経験だということを聞いたことがある。それは違うんじゃない、といえる人がいることはありがたい。彼にはそんな人がいるのかどうか。ともあれ、本を読む機会があれば読んでみよう。誰がいっているかではなく、何が書かれているかこそ吟味しないといけないと思うので。 今日は疲れたので岸本葉子の『家にいるのが何より好き』(文藝春秋)。図書館で借りてきた本の一冊。僕も息子も岸本の本をたくさん読んでいる。息子の読書の趣味、傾向はあまりに違うのだが不思議に一致している稀有な例。 あるドラマにはまった話があって、その最終回、画面に大きく「完」の字が出た時は、がっくりと力が抜けてしまったという。「この先、私は何を支えに生きていけばいいのという感じだった」と岸本がいっていること、本が好きな人なら一度ならず経験していることではないか、と思った。
2002年04月29日
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昨日の夜は一睡もできなかった。夕方になってようやく少し眠ることができた。 先週図書館で借りた本は早くに読み終えていたが返しに行く時間が取れずようやく今日返すことができた。また新たに五冊。『母の恋文』(谷川俊太郎編、新潮社)は、谷川俊太郎の父親、徹三と母、多喜子の往復書簡である。既に別のところで俊太郎が書いている両親の話を知っているので書簡で二人がどのようなやりとりをしているか興味がある。 日木流奈(ひき・るな)という重度の脳障害のある男の子が文字盤を使って話している様子をテレビでたまたま見る機会があった。娘と同い年の十一歳だが、母親が読みとって語る言葉は子どものものとは思えない。高橋たか子の「私を通して私を超えるものが書く」という言葉を思い出した。必ずこの子はわかっている、と信じて両親は彼に語りかけたという。五歳のある日、文字盤を介して彼はコミュニケーションを始めた時の両親の驚きと喜びはいかほどのものだったであろう、と思う。一瞬一瞬の生を大切にし、生ききるということの意味を彼の生きざまから知ることができた。
2002年04月28日
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外はいい天気で連休に入った(らしい)のに体調優れず部屋で過ごす。 神谷美恵子の日記(角川文庫)を少し読み進む。最近の研究によれば(太田雄三『神谷美恵子のこと 喪失からの出発』岩波書店)神谷は若い日に恋人(もっとも交際したわけでもなく、恋人同志として会ったこともない)を亡くし、その死に痛手を受け、その影を何十年も引きずった。神谷はその経験によって「生きがい」を「喪失」したのだが、やがてこの経験をバネにハンセン病患者のためにつくしたという。恋人を失って生きがいを喪失するというのはよくわかる。しかし、太田が指摘するように、この経験をバネに『生きがいについて』といった著書や、ハンセン病患者のための実践を生み出した神谷のような例は少ないだろう。 人の使命はその人の存在意義にかかわる、単に「自分一個の幸不幸の問題」(p.23)ではない、という。 あまりに自分に厳しく、少しの怠惰も許さないところは読んでいて息が詰る思いがする。しかし神谷の生き方に共感できる。
2002年04月27日
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夜早く寝てしまい、起きたのが二時。それからずっと起きていたが、講義、カウンセリングのなかった今日は昼間に寝てしまった。お金はないけれど、時間持ち。 カウンセリングの予約の電話と講演依頼の電話。誰々さんの紹介で、とかかってきたのだが、僕の名前も何をしているかも知らないで電話をかけてこられ、話が決まってからどういう人ですか、と問われ驚いてしまった。「どういうことをお答えすればいいのですか?」「…ええ、勤めてられるところとか…」勤務先がないとこういう時困るのである。非常勤で行っている大学の名前を行ったら安心されたようだが、本当は、保育士向けの講演会に僕が教えているギリシア語は関係ない。 僕としては、長く育児にかかわってきて、保育園への子どもの送り迎えは二人の子どもがいるので通算八年、とか、趣味は長電話とスーパーでの立ち話、とかいってみたいのだが、こんな話をしてあやしまれても困るのでやめる。そんなことをちらりと思っていたら「いえ、決して怪しんでいるわけでありませんから」といわれ驚く。十分怪しまれた?
2002年04月26日
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大学、今年二度目の講義(ギリシア語)。初回、教科書が手に入らなかった学生が多く、発音とアクセントについて説明しただけで先の課の説明ができてなかったので、予習は期待していなかった。この場でギリシア文を日本語に直すように、というと、動揺する学生がいた。今日は、初めてギリシア語を見た時どんなふうに読んでいくかというあたりを学んでほしかったのでゆっくりと検討した調子が出てきたら、解答のために要する時間は短くなり、一度に進む課も増えるが、もうしばらく様子を見ることにする。 電車の中で『風の男 白州次郎』(青柳恵介、新潮文庫)。戦後、占領軍司令部を向こうにまわし、対等にわたりあったという白州の伝記であるが、それほど感銘を受けなかった。 内容とは全然関係ないことだが…高校を卒業した時、中学校の校長先生と街で出会った。一度遊びにいらっしゃい、といわれ、それが外交辞令とも知らずに家を訪ねた時のことを思い出した。「ビジネスで成功するためには、背が高く体格もがっしりしていなければならない。押しが強くないとね。君には向いてないから諦めなさい」といわれたのである。二度とその先生のところに行くことはなかった。 帰り、京都駅の本屋で、『サヨナラ、学校化社会』(上野千鶴子、太郎次郎社)。
2002年04月25日
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娘の担任の先生が家庭訪問でこられる。最初からすぐ帰るという感じなので(一日何軒もまわるのは大変だろうとは思うが)こちらからはあまり話さないようにして、先生の話を聞く。いつものカウンセリング室に入ってもらった(と書くと他の部屋もあるように聞こえるが、来客を通せるのは僕の部屋だけである)。ふと先生がカウンセリングにこられたかのような錯覚をしてしまう。 猪瀬直樹『ペルソナ』読了。図書館の本だが文庫にもなっているのでそちらを買うことにしよう。「(三島は)傍観者からようやく、そうしたいときにそうする、気分で動けそうな行為者になろうとしている。ペルソナ(仮面)を剥いで生きようとしているのだ」(p.373) 問題は、既に滑走路を走りながらスピードを上げ離陸態勢に入っていたので、誤算に気づいても止まることができなかったこと。思いとどまるというのも勇気である。 立ち寄った本屋で神谷美恵子の日記が文庫になっているのを知って買った(『神谷美恵子日記』角川文庫)。
2002年04月24日
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専門学校での講義。教育心理学の二回目。学校まで遠い。そのうち週に二日出講することになるが今のところ一コマだけなので、一時間半の講義のために往復四時間(以上)かかるのは難点。学生は熱心である。質問は多く、講義が終わってからも質問する学生がいる。車両故障で阪急の京都線は乱れ、信号待ちばかり、いつもより時間がかかった。 どうですか、と初回の感想をたずねたら「興味ないと思ってたのに、先生の話術で引きこまれてしまって」とある学生が答えた。臨床、教育、育児の現場にいる人にとっては切実な問題なのだが若い人の場合必ずしもまだいずれも経験が少ないので教えるのもむずかしい、というと、「だから、興味を持てないと思っていたのにそうではなかった」という。 僕の本を既にほぼ読み終えたという学生が「対等の関係というのがむずかしいですね」と。たしかにそのとおりで、対等な関係ができなければ、教育や育児の技術は無効、それどころか危険ですらある。そのあたりのところを時間をかけて伝えていかねば、と考えている。伝統的な考え方を批判なしに受け入れるのではなしに、疑ってみる必要がある。学生のいう僕の「話術」はあまい関係がなくて、既成の価値観を再検討していくプロセスに興味を持ってもらったとしたらうれしいのだがb。後、23回。 猪瀬直樹の『ペルソナ 三島由紀夫伝』続き。「三島は天才と思われているが、体育や軍事教練にしろ、ボディビルにしろ、じつは小説もそうなのだが、強靭な意志、努力を見落としてはならない」(p.193) そのとおりだと思うが、三島の場合、あまりに「特別」であろうとしている感は否めない。
2002年04月23日
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今日はオフ。カウンセリングの予約もなく、一日を自分のための使うことができた。月曜の朝は静かである。高橋たか子の『放射する思い』(講談社)をゆっくり読む。 あるフランス人神父が、日本人は勉強が好きですねといったという。ここでいわれる「勉強」は、ほぼ教養と同義語なのではないか、と高橋はいう。では、フランス人は「勉強」しないのだろうが、勉強の対義語が思い浮かべることができない。「あえて言うならば、存在全体で何かをとことんまで学びとる、そんなことを彼らはしているように思える。学問においても生きることにおいても冒険においても」(p.95) 勉強は危なくはない。生きることを賭けたりはしない。 僕が若い頃からずっと学んできた哲学は「勉強」ではなかった。哲学は教養として学ぶものではない。 高橋は、日本でなら、Je suis philosophe, 私は哲学者である、とは決していわないが、フランスではいってもいいような感じである、といっている。僕はずっと自分のことを哲学者といってきたことに思い至った。
2002年04月22日
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雨の日。自治会(町内会)の集まりがあってやむをえず出席。食事とビールが出たのだが、アルコールを飲めず、町の人も知らないという中で楽しむどころではなかった。何の話がされているか理解できなかった。ちらほらと帰る人が出始めたので、僕も中途で退出した。きっとこのような組織は有事(政策秘書問題に目を奪われている間に大変なことになった)に際して必要となると考えられているのだろう、と以前から思っている。市の広報も基本的には自治会を通じて配られるというのも考えてみればおかしな話ではある。 昼から息子がコンタクトにするというので眼科へ。二時間もかかるとは思っていなかった。猪瀬直樹の『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文藝春秋)を持っていたので(図書館で借りた)待合室で読むが、原敬の暗殺事件まで遡り三島がなかなか登場しない。先に読んだ同じ猪瀬の『ピカレスク 太宰治伝』(猪瀬直樹著作集4、小学館)はおもしろかった。ただし、相当神経症的な太宰の奇行を読み通すのは思いがけずエネルギーが要った。 高橋たか子『境に居て』(講談社)。カトリックの洗礼を受けてからの高橋の本は一冊も読んでない。本書によって洗礼を受けた前後の事情がわかる。「私を通して私を超えるものが書く」という創作の秘密を垣間見ることのできる記述は興味深い。 神への愛がエロスのものとして捉えられていない。神への愛は男女の愛のように語られる。「この(エロスの結実としての)一対一の愛が、体験的あるいは潜在的にわかっていなければ、神との一対一の「愛」はわからぬのではないか」(p.166)
2002年04月21日
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長年、図書館を利用したことはなかったのだが、今書いている本の原稿を書くために必要になって本を探しに行ったのがきっかけになって、カードを作ってみた。この国では新刊の本はすぐに店頭から消えてしまうので、図書館で既に手に入りにくい本を見つけた時は本当にうれしい。もちろん、経済的な理由もあって、ほしい本を手当たり次第買うわけにはいかないということもある。◆借りて読んでいる本。鶴見俊輔、他『神話的時間』(熊本子どもの本の研究会) 太田雄三『神谷美恵子のこと 喪失からの出発』(岩波書店)の中に、本書が引かれていたので覚えていた。目標の達成、効率のみが問題になる近代的時間に対比して、「神話的時間」を考える。この時間にあっては、過程が重要になってくる。知らない間にそんな幸福な時間を忘れてしまっていることに気づかせられる。三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活』 朝日新聞に連載中のエッセイをまとめたもの。原稿が進まず、に詰まったような感じになった時の三谷の苦悩には共感できる。書いているものがコメディでも、何度も何度も読み返すので、自分ではおもしろいのかどうかわからなくなっているといっているのは同感。目下、書いている原稿を他の人に読んでもらって感想を聞いている。もう自分では読みたくない気分だから。
2002年04月20日
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