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予定していた用事がキャンセルになって(仕事ではないけど)思いがけずカウンセリングもないオフの一日になった。こんな日はいくらでも寝ようと思えば寝られる。起きる目標がなくなったらこんなことになる。起きないといけない日はどんなことがあっても起きる。朝起きられないのではなく、起きる必要がないとか、起きたくないというのがどうやら真相のようである。 さて、今回も耳障りな話になるかもしれないが… アドラーは、今の出来事あるいは状態をあることを原因として説明することを「見かけの因果律」(semblance of causality, scheinbare Kausalitaet)と呼んでいる。なぜ「見かけ」なのかといえば、実際には因果関係がないからである。本来は因果関係のないところに因果関係があるかのように見せるという意味である。 例えば、遺伝を持ち出して自分には才能がないというようなことをいう。また今の自分がこのようであるのは親の育て方に問題があったからだというようなことをいう。昨日見たように、ある殺人事件の容疑者は調べに対し、「自分はすぐにカッとする性格。話しているうちに、イライラすることをいわれて殺した」と話したと新聞に報じてあったが、こんなことをいっても自分の行いの免責にはならないことは明らかである。 なぜ本来因果関係がないところに因果関係があると考えるかといえば、端的にいえば、自分の行動の責任を他のものに転嫁する必要があるからである。遺伝や親の育て方や、環境、さらには性格を今自分がこんなふうになっているということの原因であると見なす。そのようにしてあることを原因として今の症状を説明することができる、と考える。 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が何か大きな自然災害、あるいは事件があった際によく使われる。そのような災害、事故、事件に遭遇することで「心が傷つけられる」ために起こる、と考えられる。人は「トラウマ」(心的外傷)を受け、そのために、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦慄などの症状が生じるというわけである。 もとより、何かしらの影響を受けないということはないかもしれない。ここには決して書けない悲惨な話をよく聞く。しかし、ある出来事によって人が誰もが同じ影響を受けると考えることは、先にも見たように、人が外界からの刺激に反応するものにすぎない、と考えることである。 しかし、アドラーは、人をこのような意味での反応者(reactor)ではなく、行為者(actor)である、と考える。同じ経験をしても、そのことで傷ついたと思う人もいればそうでない人もいる。アドラーは、トラウマは必ずしもトラウマである必要はなく、いかなる経験もそれ自身では、成功の、あるいは、失敗の原因ではない、人は経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自分を決めている、と考えている。 もしもある経験によって人が必ず同じようになるのであれば、今とは違うあり方へと導くことを意味するはずの教育、育児、治療はそもそも不可能であるといわなければならない。アドラー心理学はそのような悲観的な治療論、教育論の立場に立たないのである。 大阪の小学校で起きた児童教師殺傷事件の後、ある精神科医が次のようなことをテレビでのインタビューに答えて話していた。今回の事件にかかわった子どもたちは、今は何もなくても、人生のいつかの段階で必ず問題が起きる、と。治療者がこのような決定論を堂々と主張していいのか。 池田晶子は、「本物のトラウマを抱えている人」は、トラウマブームの中で迷惑している、として、「自分から傷つくことを選んでおきながら、外から傷つけられたかのように言う、それが、甘えだというのである」といっている。傷つけられたと思うから、傷になるのである。傷つけられた、と思うことには目的がある。現状がうまくいってないことの責任を自分に求めず、他の何かに転嫁したり、自分を傷つけた人を断罪し、そのことによって自分の正当性を確認するという目的である。いずれの場合も、問題の解決に向けては一歩も前進しない。
2002年08月31日
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勧められて読んだ森本梢子の『研修医 なな子』がおもしろかったのでその流れで同じ作家の『わたしがママよ』(集英社)を読んでいる。子どもの観察が巧みで子どもたちが小さかった頃のことを思い出す。子どもたちにふりまわされる大人たちの姿は第三者的にはおもしろいが、育児の真っ只中では笑えるどころではなく、子どもとの闘いで日々消耗したが、子どもとどう関わるのかを学んだ僕がやがて育児の講演をするようになって研究室の仲間を驚かす(あきれさせた?)ようになったのは十年と少し前からのことである。 さて、話の続きだが、理論的な話が続いたのでいくつかエピソードを。 子どもたちは月曜の朝、本当に頭が痛くなり、お腹が痛くなる。大人も仕事を休みたいと思うことはあるわけだから、気持ちはわかる。問題は、ただ休むとはいえないことである。真面目な人なら理由もなしに休むことは許されないと思う。なるほどそういう理由があるのなら休むのもやむなしとまわりが納得し、本人も本当は行きたいのだがこんなことでは行けないという理由が必要になってくる。 僕は子どもによく、学校を休む時は明るく元気に休んでいいよ、といっていた。対外的にはともかく、自分が休むことを納得するために苦しむ必要はないと考えていたからである。こんなふうにいっていたからか、突然熱を出して休むというようなことはほとんどなかった。実際には休むこともほとんどなかった。 学校を休むといった時には僕はたずねた。「今日はなんていったらいい?」子どもが自分で電話をするわけにはいかないので僕が代わりに電話をするわけだが、理由がないと話はめんどうなことになる。「お腹が痛いっていってくれない」「わかった」「○年○組の××の父ですが、今日はお腹が痛いので休むといっています」決して休ませますとはいわなかった。僕が休ませるわけではないから。先生方はあきれていたかもしれない。 私の友人がある時しばらく会社を休職していた。自宅で養生することで次第に元気を取り戻してきたある日、友人の訪問を受けた。「元気そうじゃないか? どこが病気なんだい」 その日を境に彼は胸の痛みと共に不安を訴えるようになった。「こんなのは初めてなんです」 おそらくはまわりの人も、不安だという彼を放っておくことはできない。このような場合、本人は、こんなに不安だから仕事に復帰できない、と考える。まわりの人は、不安を訴えている人を働かすわけにはいかない、と考えるだろう。 これまで書いてきた目的論の立場から説明すると、不安だから仕事に行けないのではない(原因論)。仕事に行かないという目的を達成するために、不安という感情を創り出すと考えた方が、起こっている事態をよく理解することができる。 怒りという感情については何度も見てきたが、怒りについてはこのように考えることもできる。怒っている人はそういう自分を必ずしもよしとしているわけではなくて、むしろ、できるならば、感情的にならない心穏やかな人であると見られたい、と考えているかもしれない。私は本当はこんなに感情的になるような人間ではないが、私の中の「怒り」が私をこんなふうに怒らせた、だから、私は「つい、かっとして」暴言を吐いた、というふうに考えたい。 あるいは、この子のために心を鬼にして叱るのだ、本当はこんなことはしたくない、と考えるかもしれない。怒りという感情をいわば自分の意に反するものと見ることによって、自分の行動を正当化することができるのである。 ある殺人事件の容疑者は調べに対し、「自分はすぐにカッとする性格。話しているうちに、イライラすることをいわれて殺した」と話したと新聞に報じてあった。さすがにこんな言い分を認める人はないだろうが、自分の行ったことの免責理由を探しているわけである。 他方、怒りを使って他の人に自分の考えを押し通そうとする。まわりは恐いので不本意ながら怒る人のいうことをきいてしまう。 感情は原因ではなくて、目的(免責、他者の支配)を達成するために必要な手段である。感情を目的達成のために創り出すわけである。 よくいわれるように、怒りは抑圧されるものではない。しかし、怒りを問題解決のためにいつも使っている人が、怒りを表現できない状況にあって、怒りを感じるけれども表現できない時に、怒りが抑圧されているというふうに考えるにすぎない。(*休んでいいというようなことを意図しているわけではもちろんなくて感情や症状に代わる方法によって自分の行動を説明する必要はあるし、自分の行動に伴う責任は引き受けなければならない)
2002年08月30日
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京都の養護学校で講演。職員研修が苦手という意識がなかなかぬぐえないのだが、それというのも求めて僕の話を聴いてもらえるわけではなく、この日、この時間に研修などで参加しているという人が多いからである。ところが終始熱心に聴いてもらえ、いつもあまり話さないことも含めて多岐の話題について話すことができた。講演後にアンケートを記入してもらったようで気にしていたところ夜、講演担当の先生からメールが届き、「よかった!」というものばかりだったということでうれしかった。問題行動が家庭環境と障害によるところがあるかという質問があったが、限界内でできることをしていくしかないので、教師の対応いかんで障害が保障する以上の症状を出すことがないように対処することは可能であるということ、子どもの家庭環境に問題があるとしてもだからといって教師の仕事がないのではなくて、それならいっそう教師にはすることが残されているということを強調した。 朝、精神科に勤務していた頃に乗っていたのと同じバスで講演会場に向かった。いつもこのバス停で降りていたな、と今となっては少しなつかしかった。 さて、話の続き。 一般的な考え方においては、人の言動の「原因」を問う。例えば子どもが問題行動をした時に、過去の出来事や、外的な環境が「原因」であるというふうに考える。僕の子どもが保育所で保育士の話を聞かないで壁のほうを向いてしまうということがあった時、そのような行動の「原因」は親の愛情不足であるといわれた。 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が何か大きな自然災害、あるいは事件があった際によく使われる。そのような災害、事故、事件に遭遇することで「心が傷つけられる」ために起こる、と考えられる。人は「トラウマ」(心的外傷)を受け、そのために、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦慄などの症状が生じるというわけである。 もとより、何かしらの影響を受けないということはないかもしれない。しかし、ある出来事によって人が誰もが同じ影響を受けるかといえば自明ではないと僕は考えている。この点については後に問題にしたいが、ここでは、原因論の立場では、Aという原因があればそれに伴って必然的にBという結果(例えば、問題行動、症状)が生じると考えるという点に注目したい。 問題は原因論と呼ばれるこのような考え方が、原因が原因に必然的な仕方で無限に続くという意味で人がなす誤りすら必然であり、つまりは他のあり方を選択する余地がない決定論になってしまうことである。しかし、人の行動は、例えば石を投げれば必ず落下し、その落ちていく石の道筋を計算できるというような意味で、何かが原因となって、必ず何かが帰結するということはできないのではないか。誰しもがある出来事を経験したからといって、同じように反応するわけではない。大きな災害に遭遇したからといって誰もがPTSDになるわけではない。 なんとかして自由意志を救わなければ、今とは違うあり方へと人を変えることに他ならない育児や教育、治療が意味をなさなくなってしまう。必然によって今のあり方以外のあり方をとりようがないことになれば本人の責任を問うこともできない。これらの働きかけは、自由意志を前提としなければ意味を持たないのである。 人間の行為は原因をどれほど見つけようとしても、人の意志は必ずその原因をいわばすり抜けてしまう。自由意志で選択した行為に見えるけれども本当はそのような行為も本当の原因が知り尽くされていないだけで、すべて必然の中に解消させられる、と考えるにはあまりに自由意志は自明でヴィヴィッドであるように見える。 エピクロスというプラトン、アリストテレスの時代から半世紀以上下った哲学者は原子論者ではあるが、自由意志を救うために、本来原子は虚空間の中を必然的な法則に従って直線運動をするのだが、時にわずかに進路から逸脱することがある、と考えた。 今日エピクロスの書いたものは若干の書簡を除けば大半が失われているが、ルクレティウスという詩人の残した著作の中にエピクロスの思想が伝えられており、その中に次のような言葉を見出すことができる。「もしすべての運動がいつもつながっていて、古い運動から新しい運動が一定の秩序で生じるとするならば、もしまた原子がその進路から逸れることによって、宿命の掟を破る新しい運動を始めるということがなくて原因が原因に限りなく続いていくとするならば、地上の生物のもっている自由な意志というものはどこから現われ、いかにしてこの自由意志は宿命の手から解放されたというのか」 エピクロスは逸脱という概念を導入することによって、本来的な必然の動きの中に例外を認めたのだが、もともとは必然しかありえない中、自由意志を救うために逸脱という現象を認めてみても、体系としての一貫性を考えるならば破綻としかいいようがない。 原因論の立場をとる限り、意志の自由の存在余地はない。逸脱の概念はいわば取ってつけたものであるという感は否めない。世界観そのものに何か問題があるのであって、世界観をそのままにした上で若干の変更を加えるというような仕方では自由意志を救うことはできない、と考える方が論理的である。 そこで後に見るように哲学史においても、原子論がその一つである原因論とはまったく異なる世界観があることを知らなければならない。アドラーの理論もこのもう一つの世界観の流れの中にある。これは「原因論」に対比して「目的論」と呼ばれる。この自由意志を救う試みである目的論をアドラーも採用したのである。 人は求めて不幸であるわけではない。誰もが「幸福」であることを求めている。人はこのような意味での「善」を人がめざし、それを目的とするという観点から人の言動を見ることを「目的論」という。いわば、人が「どこから」きたかではなくて、「どこへ」向かおうとするかを見ていくわけである。 ジッハーはこのようにいっている。「行動に問題があっても、刺激に反応している(react)のではなく、自分自身、進化における役割、社会における位置についての考えに応じて行為している(act)」。 人間を機械的に刺激に反応する者ではない存在としてとらえるためには原因論から脱却しなければならない。人間を自由意志を持った存在として見ようとするならば、目的論的に考察しなければならない。原因論ではなく目的論からこの世界をとらえるということが、アドラー心理学がそれまでの心理学とは世界についてまったく異なった意味づけをするということの意味であり、その見地から世界を見れば、ジッハーがいったように「世界は信じがたいほどシンプル」に見えることになる。デカルトがいうように「真理を知るためには方法が必要である」。目的論は、世界とその中に生きる人間についてを知るための有効な方法論である。
2002年08月29日
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朝から男女共同参画会議の三回目。思いがけず激しいやりとりになる。ある団体の代表の方が少し(かなり?)感情的に反発してされるので(それを議長は「気に障ったのですね」といったりなかなか挑発的)僕は特定の団体に今現に何か問題があるといっているわけではなくて、将来起こりうるすべての問題を射程に入れて条例を作らないといけないといっているというふうに説明したのだがわかってもらえたかどうか。条例が成立したとしてこの先何年くらい通用するのか。将来起こりうるすべての問題といってみたものの予想がつかないことのほうが多いのではないか、と思わないわけにはいかなかった。 福山雅治の「The Golden Times」。よくできていると思うのもあれば、そうでないのもいろいろである。ライヴレコーディングによる「一発録音」であると解説に書いてあって驚いた。スタジオでの録音と、聴衆の前でのライブの録音の中間といったところか。音楽のことについてはわからないが、何度も取り直しができるというのはかえって緊張感を欠いて音楽を平板なものにするのかもしれない、と僕自身の講演や講義から類推して思う。 宮沢和史の「OKINAWA~ワタシノシマ~」に「沖縄に降る雪」が収録されている。この曲がことのほか気に入っているのだが、後に宮沢の三枚目のソロ・アルバムである「MIYAZAWA」には、この曲の三つのヴァージョンが収録されている。都合、四つのヴァージョンがあるわけである。どれも同じ曲なのに趣が違う。最初に聴いたのが一番いいと思うし、他のは正直繰り返して聴こうとは思わないくらいなのだが、たまたま最初に聴いたからいいと思うのか、そのような偶然には関係なく本質的にいいと思うのかどちらなのか、とふと思う。初恋がベストだとはいえないしなあ、とちょっと連想は妙なところに飛んでしまう。 シンプルであるということについて話を始めたが、今日は休講。すいません。目的論の話をしたいのである。少しだけ書くと、腹が立ったので怒鳴ったのではなくて、怒鳴るために腹を立てたと考える。また、不安なので外へ出られないのではなくて、外へ出ないために不安という感情を創り出すというふうに考える。このような考え方を目的論といい、プラトンの哲学を学んだときに初めて知った。しかし、その考えが育児、教育、臨床の場面でどのように適用されるかはアルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)の創始した心理学を学んで初めて知ったのである。その時、目から鱗が百枚くらい落ちたかのように感じたのだが、うまく伝えられるかはわからない。
2002年08月28日
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仕事が終わってから前日から決めていたのだが、CDを買いに行った。福山雅治の「The Golden Times」。01 青春の影02 ファイト!03 飾りじゃないのよ 涙は04 秋桜05 ルビーの指輪06 雨のバス07 ラスト・ダンスは私に08 お嫁においで09 プカプカ10 ケンとメリー~愛と風のように~11 勝手にしやがれ12 ロックンロールの真夜中13 浅草キッド14 おでこにキッス15 タイムマシンにおねがい16 そして僕は途方にくれる 不思議に知らない曲があるのはある時期全然テレビなどを見ていなかったからだと思うのだが、大半はオリジナルのほうも知っている。このCDの解説に荻原健太は、カヴァーについて消極的なカヴァーと積極的なカヴァーがあって、福山のは後者だという。前者は当たるか当たらない新曲を作るよりは過去に流行ったおなじみのメロディに頼ったほうがいいというノリで作られるものだが、後者は違う。「自分のルーツを表明するためのカヴァー。自分が深く影響を受けた対象に向かって真摯に挑む場合」と荻原はいう。「ある特定の往年のメロディが、しかし実は今の時代にも有効に機能することを感知し、確信し、それを新たなフォーマットで蘇らせる場合」ともいう。オリジナルを超える、超えないはあまり関係なくて、うまくいけばオリジナルが持っていた別の魅力さえ聞き手に教えてくれることさえある、と荻原が語る時、僕が翻訳について持っている見方と重なることがわかる。 福山のことは全然知らないといっていいくらいなのだが、以前に医院に勤めていた時に自分は福山に似ているといわれる、といっていた患者さんのことをなつかしく思い出す。いいじゃない、福山かっこいいし。そんなことないすよ。みんなすれちがいざまに僕のことをばかにして笑うんですよ。へえーそうなんだ…というような話をよくしたものだ。「この世界とは何なのでしょうか、どうしたらシンプルな見方ができるのでしょうか」という質問を掲示板で受けたので少しずつ書いてみる。一部、『アドラー心理学入門』に書いたことを重複する。シンプルなこの世界 晩年のアドラーの秘書を務めていたユヴリン・フェルドマンがアドラーが亡くなった時、アドラーがかけていた眼鏡をもらえないか、と妻のライサに頼んだ。フェルドマンは、なぜ眼鏡がほしいか、とたずねられて「アドラーが見たように人生を見たいのです」と答えた。 どんなスポーツでもいいが、ルールを知らなければ何が行われているかわからない。人を観察する時も基本的なルールを知っておかなければ何もわからない。アドラーはこの世界をどのように見ていたのか。 アドラーとウィーンで仕事を共にし、後にアドラーがアメリカに活動の拠点を移すことになった際、ウィーンでのアドラーの仕事を引き継いだリディア・ジッハーは、ある土曜日、アドラーの『神経質について』を読み始めた。月曜日も祝日だった。「ひどく暑い日だったが、私は一人でいられることを幸せに思った。私はアドラーの本を最初から最後まで三回ほど読んだ。 火曜日の朝、私は椅子から立ち上がった。世界は違っていた……アドラーは私に教えてくれたのである。世界は信じがたいほどシンプルだ、と」 ところがジッハーがいうように世界は本当はシンプルなのに、そうは思えないとしたらなぜか。世界が、そしてその中に生きる私たちの人生が複雑なものに見えるとしたら、ジッハーによれば神経症的な意味づけをしているからである。神経症的な意味づけがどういうものかは後に見たい。神経症的な意味づけを止めれば「世界は信じがたいほどシンプル」になる。世界をシンプルに見ることを可能にする健康なライフスタイルを身につけることができる。 しかし、この世界についてシンプルな意味づけをするということは、現実を構成する諸要素を抽象することではない。数ある条件からわずかの条件を抽象すればたしかに世界はシンプルに見えるかもしれないが、そのようなことをジッハーはいっているのではない。 木の枝に五羽の雀が止まっているとして、そのうちの一羽を鉄砲で打ち落としたら雀は何羽残るかという問題は、算数や数学であれば四羽ということになるが、実際には鉄砲の音に驚いて一羽も残らない。しかしそのような事情は数学においては考慮されない。「抽象」というのは、このようにものの一面だけを取り出して他の面をすべて無視し切り捨てることである。抽象することができなければ、例えば、りんご三個とみかん二個を足したらいくつになりますかという問題を前にして(今はこんな問題はないだろうが)、りんごとみかんを足すということの意味がたちまちわからなくなるだろう。 このような抽象性は、数学だけにとどまらず、具体的なことを取り扱っていると考えられる経済学や政治学においても根本に認められるものだ、と田中美知太郎はいう(『哲学入門』筑摩書房)。このような抽象性のゆえに、実際問題の処理や批評において経済学者や政治学者がいうことがまったくの抽象論で何の役にも立たないということはよくある。しかもこの抽象性をすぐにははっきりと認めることができないので危険なのである。 また、理論が先にあって現実を理論に当てはめることがあってはならない。アドラーがよく引くギリシアの伝説上の盗賊であるプロクルステスは、捕まえてきた旅人を自分の寝台に寝かせ、もしも身長が寝台よりも短ければ足と頭を引っ張って引き伸ばし、他方、長ければ、はみ出た足を切り落とした。そのように現実から理論に整合する面だけを抽象してはいけない。理論はあくまでも現実を説明するためのものである。 この世界を、そしてその中に生きる人間を正しく理解するためには、現実的な諸条件を抽象することなく、世界を「具体的」に見ていかなければならない。しかし、そのことは個人を個別的に見ていくということではない。たしかに、同じ人は二人としてはいないのだから、人を一般的に考察しても、目の前にいるこの人は見えてこない。しかし「具体的」でなければならないと考えて、ただ対象を個別的に見ていくのであれば、そのことから経験則を得ることはできても、学問にはならない もとより、抽象することなしですませることはできない。そもそも「言葉」すら使えないことになってしまう。例えば、「台風」という実体があるわけでない。しかし、雨風が強いというのではなく、台風○号が○○地方に接近というふうに見る方が、台風に伴う暴風雨に適切な仕方で対処できる。 他方、○○病というような病名をつけることはこのことと同じように有用であるが、症状を実体化しない方が治療に有効な場合がある。症状を実体化するということは、「私は床につき、眠りにつくまで三時間かかる」という過程を「不眠症」というようにある「もの」へと変えることである。しかしこのような実体化をやめ、例えば、「私は床につき、問題について考えると、本当にいらいらしてくる」という記述にすれば、実体としての症状ではなく、行動あるいは習慣そのものを変えることを示唆し、望む変化を引き起こすことができる(ビル・オハンロン/サンディ・ビードル『可能性療法』誠信書房)。 具体的であるということは、現実を見ていくために多くのものを無視したり、切り捨てたりするのではなく、いろいろなつながりから全体を見ていくということである。 タークルは、正統派心理学にとっては成熟した思考とは抽象的な思考であるというが、具体的思考を経て、より高度な、あるいは、より成熟した抽象思考に到達するのではなく、最初から具体的思考と抽象的思考は、まったく別の思考方法である。 僕の理解するアドラー心理学は、このことを世界についてこれまでの心理学とはまったく異なる意味づけをすることによってなしとげている(この稿続く)。
2002年08月27日
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大学は八月の初めから休みに入っている。次は十月からなのでその間何もしなければせっかく身についたギリシア語の知識が雲散霧消する恐れがあるので二回に分けて夏休みの課題を出した。学生の一人から課題が届いた。初めての電子メールの挑戦だった。僕より年配の人で熱心に学んでられる。emailではなくてsnail mailで送りますという話をしていたので驚いた。 大学生の時、ギリシア語の読書会に参加していた。この読書会はある大学の教授だった先生の自宅で開かれていた。医科大学だったので、その大学の医学生や医師を初めとして、他にも他大学のギリシア哲学を専門とする大学生、大学院生らが参加していた。「ギリシア語を教えてもらえることになった」と父に話したところ、「月謝はいくらだ」と父はたずねた。「それは聞いてないけど、たぶん、取ってられないと思う」と答えたら、「世の中にそんな甘い話があるわけはない。今すぐ電話をして聞け」と叱られた。父の言葉を待つまでもなく、見返りを求めずただ与えてくれる人が世の中にいるということは驚きであり、どうしたものか困惑していたのである。 電話してたずねたところ、先生の答えは、「もし君より後進の人でギリシア語を学びたいという人があれば、今度はその人に君が教えてくれればいいのだよ」というものだった。私は、そういうわけで、その後何人もの後進の人にギリシア語やラテン語を個人的に教えたり、やがて大学でもギリシア語を教えるようになった。 いつの間にかもう12年も大学にギリシア語を教えに行っていることになる。その間、いろいろあって、ギリシア語の講座がなくなるという危機もあった。その時は幸い、西洋史の教授がギリシア語廃止案に反対し、結局、この案は没になった。その先生は古典語を学ぶことの意義を教授会で説き、「ギリシア語の講座が消えることは奈良女子大学の恥である」とまでいわれたと聞いている。 一人の年もあったりして僕の講座を終えた学生はそれほど多くはないのだが、昔、ただで教えてもらった恩をこんな形で返せるとしたらうれしい。 さて、寛容について話し、その流れで課題の分離、中性の行動について書いてきたが、課題の分離について補足する。 弁護士の大平光代が刺青を彫ろうとした時、彫り師から親の判がいるといわれた。大平は親に「刺青入れるから、判をつけ」といって荒れ狂った。その時、大平は、娘がこんなにひどいことをしているのに、叱ることもできないのかと絶望した、といっている。親を蹴っていいという理由はもちろんないので、娘に蹴られるのではないかと恐れた親が何もいえなかったことの責任の一部は当然子どもの側にもある。その意味では、この頃の大平の考えは甘いと思うのだが、大平が次のようにいっていることは注目に値する。「私は、叱ってほしかった。本気で僕と向き合ってほしかった。でも、両親は一度も叱ってくれなかった」(大平光代『だからあなたも生きぬいて』) 子どもを叱ることには賛成できないが、ここでのポイントは、親がどれほど子どもに関心を持っているかということである。時に課題を分離することで、ただ無関心であるということがある。相手の課題であり僕の課題ではないという理由で、放置してはいけないことがある。共に生きる人だからその人の人生に無関心であってはいけない。「関心」にあたる英語の"interest"は、ラテン語で"inter esse"(estはesseの三人称単数形)つまり「中に、あるいは、間にある」という意味である。関心があるということは、対象と自分との「間に」(inter)関連性が「ある」(est)ということである。相手のことが自分とは無関係に起こっているのではなくて、関連がある時、その人に関心がある、といえる。 もちろん、このような論理で子どもの人生に干渉し、相手を支配しようとすることが多いので、このようにいうことは諸刃の剣の感があるが、相手に関心があることを伝えたい。あなたの人生なのだから勝手に生きなさいというのはあまりに冷たい。関心があることを告げた上で、もしも援助の依頼があれば可能な限り、助力したい。 このようなことを可能にするためには関係をよくしなければならない。そのためには親は子どもを信頼したいし、子どもの側も親に対して横柄な態度を取ることは許されない。このような関係が成立しないとすれば、双方に何らかの点でなお改善の余地があるからである。
2002年08月26日
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須賀敦子の『地図のない道』(新潮文庫)に、一夜にして髪の毛が真っ白になった人の話がある。その人はナチのユダヤ人迫害がイタリアでも多くの被害者を生み始めたので、スイスの国境に近い町にある山小屋に避難した。おなかをすかせて喧嘩ばかりする子どもたちを寝かしつけ両親が話し合っていると入り口のドアを叩く音がした。下の村の司祭だった。今晩、このあたりにナチの軍隊がユダヤ人を捜しにくるという情報がはいったと告げにきたのである。下の道にトラックを待たせてあるからすぐ子どもたちを起こして逃げなさい、と神父はいった。自分は村を出るわけにはいかないという神父を残して、夜の山町をトラックで安全な場所まで走り続けた。夜が明けて互いの顔が見えるようになってわかった。父親の髪は一晩で真っ白になっていたのである。父親はその時のことをさらに話した。「戦争が終わってから、あの神父さんにお礼がいいたくて、私たちは山小屋のあった村までたずねて行ったんです。そしたら、亡くなっていた。あの夜、ドイツ軍に射殺されたというんです。私たちを逃がしたために。もういちど、髪が白くなるような気がしました」(p.32) このような悲劇はいたるところでくりかえされたのであろう。以前、別のところで書いたのだが、フランシスコ修道会のコルベ神父のことを思う。 コルベ神父はアウシュビッツ収容所で餓死刑の囚人の身代わりになって亡くなった。逃亡者が出たのである。十人がその身代わりに死刑になることになっていた。一人ずつ犠牲者が選ばれていった。その時、「可哀そうに。女房も子供も、さようなら」と、一人の男が両手で頭をかかえて泣いた。一人の男が司令官の前に歩み出た。「私はこの中の一人と代わりたい」「誰のために死ぬつもりだ」「妻子があるといった人の」「一体お前は誰だ」「カトリックの司祭です」 殉教後、神父の名のもとに多くの不治の病に罹った人が癒された。後に聖人に列せられている。 先の神父もコルベ神父のように自らの命を犠牲にして人の命を救うことができるのだろうか、と思う。しかし、たしかに彼らの行為は美しいが、そのような状況であなたも身代わりになって命をさしだしなさいと強いることはできないだろう。同じ状況で、コルベ神父のように、身代わりを申し出ることができなかったとしても誰もその人を責めることはできない。自分がそのような行為を選択することができるとしても、だからといって人にも同じようにしなさいということはできない、と思う。 このような自己犠牲的な行動、あるいは生き方はもちろん不適切な行動ではないが、他の人にも同じようにすることを勧めるわけにはいかないという意味で、適切でもない不適切でもない「中性の行動」である、とアドラー心理学では考えている。 この「中性の行動」の範囲はきわめて広い。今しがたあげたようなのとは違って何の説明もなく、不適切な行動という言葉を聞いて多くの人が考えるような行動は実は中性の行動である。「不適切な行動」とは、家族、学校、職場などの共同体に対して実質的に迷惑を及ぼしている行動のことをいう。例えば、部屋で子どもが夜遅い時間に音楽を聞いているとする。この場合、その際行動の改善を要求できるのは、大きな音で音楽を聴いているということだけであって、音楽を聴くことそれ自体を禁じたり、あるいは聴く音楽の種類を指定したりすることはできない。ボサノバのような退廃的な音楽は聴くな、と父親にいわれ憤慨していた若い人がいたが、父親が音楽についてある見解を持ち、自分が好まない音楽を聴かないのはその父親の課題である。だからといって子どもに自分の好みではない音楽を聴くことを禁じることはできない。音楽を聴くことは相手の課題であるから、たとえ自分が聴きたくなかったり、自分の好みの音楽ではないという理由で子どもに音楽を禁じる権利はないのである。 実質的な迷惑を及ぼすとしてもその影響がただ本人にだけ及ぶのであれば、不適切な行動ということはできない。実質的な迷惑を及ぼす行為だけが不適切な行動であり、そのような行動を止めるように働きかけることはできる。ただし、その場合も、自動的に共同の課題となって親が子どもの行動を制限することはできない。きちんと共同の課題にする手続きを踏まなければならない。 父はしつけに厳しい人で、僕の息子は小さい頃よく叱られていた。ある時、父が電話をかけようとした。その時、息子は大きな音でテレビを見ていた。僕だったら、音を小さくしてくれるようお願いするのだが、父はいきなり何もいわずにテレビのボリュームを落とした。父は僕のところに数日の予定で帰ってきていたのだが、その後、息子は父が帰るまで父と口をきこうとはしなかった。 実質的な迷惑を及ぼしていないという意味では不適切な行動ではないが、しかしさりとて適切であるとも必ずしもいえない行動を「中性の行動」と呼ぶ。勉強をしないことは、もし困るとすれば本人だけが困るのである。他の人に実質的な迷惑を及ぼしているわけではない。その意味で勉強をしないことは不適切な行動ではないが、さりとて適切な行動ということはできないだろう。 親や教師が問題行動というレッテルを貼ってしまう行動の多くは、例えば、勉強をしないこと、髪の毛を染めることなどは、いずれも中性の行動であって不適切な行動ではない。 中田英寿がフランスのワールドカップに参戦し日本に帰ってきた時、あるレポーターが「ワールドカップの時と髪型が違うようですが」と質問した。中田はいった。「それはサッカーと何か関係がありますか?」レポーターが何も返す言葉がなかったのはいうまでもない。 他の人の行動、生き方がたとえどんなに自分の気にいらないとしても、相手の課題だから、共同の課題にする手続きを踏むことなく介入することはできない。しかし共同の課題にする手続きを踏んでも、相手が共同の課題にすることを了承するかどうかはわからない。相手の行動が気に入らないというのは僕の課題だが、僕の課題を相手に解決させることはできないのである。僕はあなたがそういうことをしているのは嫌だから止めてほしいということはできても、相手は改善することに同意しないかもしれない。 不適切な行動については、これを問題にし、手続きを踏んで改善を要求する権利はある。その場合でも共同の課題にする手続きを怠ると、関係はこじれてしまう。中性の行動に対しては本人の意志を尊重しなければならない。頼まれもしないのに介入する権利はないのである。先にも見たように、対人関係のトラブルは相手の課題に許可なく踏みこむことから起こることが多い。 他方、自分の行動が中性の行動である場合、世間がその行動を理解してくれるとは限らないということも知っておかなければならない。髪の毛を染めることが他の人に実質的な迷惑を及ぼさないとしても、中田へのレポーターの質問が示しているように、好奇の目を向けられることがある。専門的な知識、技術を持っていても外見で判断されるということは残念ながらある。つまらないことだが、これも自分の行動に伴う責任である。 中田の髪の毛がそんなふうに問題にされたフランスでのワールドカップの四年後、ワールドカップは韓国と日本で開かれた。この時は四年前と絵選手の髪型に対する世間の目はかなり変わったように思う。髪の毛を染めたり、目立つ髪形にすることがプレーそのものに必要であることが理解されるようになったこともあるだろうが、もはや若い人たちの間では髪の毛が黒い方が珍しいのではないか、と思えるほど髪の毛を染めることは一般化したように思う。「中性の行動」にはこれまで見たようなどちらかといえば不適切な行動に近いものもあれば、反対に限りなく適切な行動に近い中性の行動があるわけである。
2002年08月25日
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寝ようとしていたところに息子の部屋からけたたましいめざましの音。4時だった。それから寝そびれてしまって、午前中の仕事の予定をいれてなかったのでそのまま起きて、8時くらいに寝る。世の中が始動するとすぐに電話。講演の打ち合わせなどなど。 よしもとばななはすぐに読み終えたので、五木寛之の新刊『運命の足音』(幻冬舎)。戦後五十七年胸に封印して語ることがなかった母親にまつわる思い出が最初に書いてある。これだけの話を聞かされると、だから私の話を心して聞くように、といわれているようで、心が重苦しくなって途中で読み止し。次に川上弘美の『おめでとう』(新潮社)。恋愛がテーマの短編集。『センセイの鞄』はわりあい楽しめたが、それ以外のは好きになれない。『龍宮』(文藝春秋)は本来の川上路線にある小説なのだろうが、意外に楽しめたが、僕の理解は超えているように思った。『おめでとう』の中の短編から引用。「そもそも私は、ものごとに対する定見というものを持てないたちなのである。定見を持たぬ人間は、たとえば「広い心・しなやかな生きかた」という姿勢を持つ者として全うすることもありうるが、通常は「優柔不断・おしきられやすい」者としてうろうろと生きてゆくばかりであることが多い」(「天上大風」、p.91) 僕はここでいわれる「定見」を持っていて意志が強く誰がなんといおうと譲らないようなところがあるが、他面、他の人がからむとちょっと優柔不断なところがあるのを知っている。ほんとに「おしきられ」てばかりというふうに思うことがある。そんなところを息子などはよく知っているのだろう。 寛容であることについて昨日書いたが、優柔不断とは違う。自分の意思である考え方を持っていてその考えによって自分が強く生きられるという確固たる思いを持っていれば、そのような生き方が自分にとって大切であることを知っているので他の人がある信念に従って生きているのを見る時寛容になれるのである。 もちろん、必要があれば自分の信念の正しさを主張するであろうし(この点については譲れないものがある)、どんな考えでもいいとは思っていない。批判することにエネルギーを費やすよりは、ほらっこんな考え方、見方がありますよ、と僕の生き方そのものを見てほしい、と思っている。 イポリト・ベルナール『アメリ』のことを先日質問されたので前に(ここではないが)書いた日記からもう一度引用した。「(アメリは)生まれて初めて、自分とこの世界のすべてが調和したような気がしていました。 柔らかな陽の光。風の香り。街のざわめき。すべて完璧。 人生はなんてシンプルで、なんて優しいんでしょう。からだいっぱいに広がっていく愛を感じて、アメリは通りを駆けていきました」 こんなふうに感じて生きていけるはずだ、と僕は考えている。なのに人生をひどく複雑にしている人は多いように思う。そのことに気づいた人が援助を求めてこられたら喜んでこの世界について、あるいは、人生についてシンプルな見方を伝える用意はある。
2002年08月24日
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よしもとばななの『虹』を読み、ついこの間日記を書いたばかりなのに、もう新刊『王国』(新潮社)が出ているのに驚いた。 気づいた人はあるだろうか。ペンネームを変えたのである。吉本ばななから、よしもとばなな、に。最初、なんか変だな、と思っていたのである。気づいた途端、あろうことか僕は別の人の小説を買ったのではないか、と思った。でも読み始めたらいつものばななだった。 前にも少しだけ触れたことがあるのだが、この名前を変えるということについてはちょっと過敏になっているところがある。母が亡くなった時、親しくしていた母の友達の一人が僕に、名前を変えなさい、といったのである。僕は哲学を学ぶ者としてそんな合理的でないことを到底受け入れるわけにはいかないので、「名前を変えなければ将来僕が不幸になるということですか?」とたずねたら、きっぱりと「そういうこと」という答えが返ってきた。その人とはそれからはおつきあいはない。人がこんなに親切にいっているのになんて失礼なの、とでも思われたのだろうか、向こうの方からかかわってこられなくなった。 名前を変えることで人が幸福になる、あるいは変えなければ不幸になるとは僕は考えていないが、そのことで人と争うつもりなどまったくない。子どもの幸せを願っていい名前をつけようとする親の気持ちは僕にもわかるからである。 このことについてだけではなく、僕自身信念を持って生きている。しかしそれを人に押しつけようなどとは決して考えない。個人的な信念によって僕が実質的な迷惑をこうむることになっても、それでも信念そのものを批判したりはきっとしないだろう。だから近くにいる人の信仰でも僕はそれについてとやかくはいわないだろう。むしろ、信仰するに至った経緯などについては関心があるし、そんな話を聞いてほしいと望まれたら進んで聞く用意はある。しかし、それ以上のことになると話は別なので、入信を勧められたとしたら僕は受け入れることはない、と今は考えている。 それでも、こんなふうに他の人の信念や信仰について寛容であることは対人関係をよくする上で重要なことである。人類はこれまで正義の名のもとで殺し合いを続けてきた。そのような不幸な歴史に終止符を打たなければ、地球そのものの存続も危うい時代になってきている。 * * * 登場人物の一人はリーディングをする(ほら、やっぱりいつものばなな)。僕はカウンセリングをしているのであってリーディングをするわけでは当然ないが、次の言葉は共感するところがある。「こちらにできることが何もないというか、合わないというか、要するに守備範囲じゃない人は、やがて縁が切れていく。そういうふうになっているんだと思う。でもこの世の中にはいろいろなレベルの話がいっぱいある。全部を自分が扱おうと思うと、それはやっぱり傲慢だということだと思う」(p.64)「小さなつみかさねみたいな、村の人の相談所みたいな、そういう素朴な感じ」という言葉を主人公の「私」は使うが、「気持ちを込めた分、返ってくる光があるほのぼのとした仕事」(ibid.)を僕もしたいものだ。
2002年08月23日
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息子の学校はもう夏休みは実質的には終わったようで昨日から補習という名目で授業が始まっているようだ。朝の5時ごろにダイニングで会ってしまった。「まだ起きてるの?」とたずねると「そういうあんたは?」と。七時に起きるから起こしてほしいというので、それは無理だ、と断わったのだが、気になって一応目覚ましを7時にセットしたものの僕は起きられなかった。 なのに、息子のことが気になっていて、夢にまで見るものだから目を覚ましてみるともう8時をまわっていた。きっともう出かけてしまったのだろう、と思って息子の部屋をノックしたら、まだ寝ているではないか。「もう8時なんだけど」と声をかけたところ「え~どういうこと?」「だから8時…7時に出かけると行ってたと思うけど」「起きられるわけない、5時に寝たのに…」 僕は早々に退散した。その後はすぐに起き上がって準備したらしく十分後には「行ってきます」とわりあい機嫌のいい声が聞こえてきた。「パン(前の晩、頼まれて僕がコンビニで朝食用に買っておいた)持って行ったら?」というと、「もちろん、持っているから。1時間目と2時間目の間に食べるから」と。 夜、息子と食事。完全に手抜きだったが前日に合意済み。食事の途中、息子が「お茶入れてくれる?」という。「いいよ」といってお茶を用意しようとすると、「子どもに使われる親だなあ」などという。「いいよ」「…息子はなんも貢献してないのに…」「そんなことないと思うけどね、ま、貢献してちょうだい」 日が変わった頃、息子が僕の部屋にやってきて、食べ残しの(!)メロンパンを持ってきた。「あげるから」「それはどうもありがとう」「あ、それから一応、お風呂にお湯を入れておいたから」「サンキュー!」 夕食の時には僕の仕事のことをたずねてくれたりして(「僕には君が何をしているかさっぱり理解できない」…)話す機会もあり、平和な日々を過ごせてよかtった。 本を何冊か買う。須賀敦子『地図のない道』(新潮文庫)。最後の作品集。待望の文庫化。夏目漱石『坑夫』(新潮文庫)。読んでいるはずなのに何も思い出せない。村上春樹の新刊で下敷きになる小説ということで。よしもとばなな『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ』(新潮社)。ためらわず買ってしまった。またそのうち感想を書くことになるだろう。
2002年08月22日
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久しぶりに外での仕事。歩いて十分ほどのところにある市役所で二回目の男女共同参画会議があり参加した。男女共同参画推進条例案を検討しているのだが、よく読めばわかるという日本語ではだめだと思うのであいまいなところをあれこれ質問をしてきっといやがられただろう。もちろん、表現だけどの問題ではないのだが。 昨日から息子と二人。今日は何時に帰るの、と出かける時にたずねたら、7時くらい、といつになく早く帰ってくるのがわかったので夕食の準備をすることにした。食べて帰ってくるのなら、僕はいいかげんに適当に何か食べようと思っていたのだが。 料理といえるほどのものでもないがちょっとはりきって作っていたら「君、ほんとに全部やるつもりかい?」と息子。「うん、やるじょ」 洗濯も山ほどあって夜のうちから選択。クラブで汗みどろになるようでどんどん洗濯しないと追いつかない。合宿に行っていた時は一日三回洗濯したといっていた。きっと一年生だからやってたのだろう。うちでもしろよな。 さて… 哲学者の森有正は、次のようにいっている。人は自分自身の中にこういうことをしたいという「内面的な促し」を持っている。しかしこれを実現したいと思うと必ず障害にぶつかる。本当の障害は人との関係の中で出てくる。これを何とかして克服していかなければならない。しかし、行く手を阻む人がいる時、力による解決は本当の解決にはならない。そこで「たとえば相手と話し合いをつけるとか、あるいは相手に自分を理解させるとか、あるいは自分が相手を理解して、その障害が実際は障害ではないことを納得したり」(『いかに生きるか』)というようなことをしていかなければならない。 行く手を阻むのが子どもである時、「子どもなんかひっぱたいてしまえばいいではないかというけれども、それはいけないのです。それはほんとうの解決にはならないのですから」と森はいっている。 僕も森の考えに賛成である。大人の力による問題解決を子どもは真似るかもしれない。「花火遊びをしようとしたが、反対されたので殺そうと思った」と祖父母をナイフで切りつけた高校生がいた。誰も普通そんなことを考えないだろうが、子どもを叩いたり、叩かないまでもひどい言葉を投げつける親はこの高校生のことを笑えない。質的には同じだからである。 力によらなくとも話し合いによって、ある程度こちらの考えを伝えることは可能である。そのような話し合いによる問題の解決を勧めたい。しかし、そのことによって相手がこちらの考えを理解するか、まして賛成するかというと必ずしもそうとはいえないことは多々ある。そもそもそんな話し合いにすら応じてもらえないということもあるだろう。 ある時、講演会で姑とうまくいってないという人から質問を受けたことがある。これ見よがしに掃除をするとか、嫌なことをされるのだが、このような場合、黙っていた方がいいのかという質問だった。この場合、姑がこの人にとって「行く手を阻む人」ということになる。相手を変えないということを前提に考えるならば、こちらの考えを理解してもらうことは不可能ではないだろうがかなり困難である。 もしそうであれば、選択肢は二つである。つまり、一つは黙っているということ。そうすればぶつかることはないだろう。しかしずっと嫌な思いをすることになるであろうし、こちらの思いは伝わらない。 もう一つは、そういうことは止めてほしいと伝えることである。その場合、嫌われることは避けることができない。もう一つの選択肢は理論的にはありうるが、実際にはあまりないと考えた方がいいだろう。すなわち、止めてほしいと主張し、かつ嫌われないという選択肢である。どちらを選びますか、と問うと、その人は、後者、すなわち、主張しかつ嫌われるという方を選ぶ、と答えた。 この話を別の機会にしたところ、姑と同居しているという人が、後者の解決は「悲しい解決法」であり、それを聞いてつらい思いをしたという感想を語った人があった。 そういう可能性がまったくないといっているわけではない。最近は和解の道がないものか、と考えて、その方向で助言を試みるのだがなかなかうまくいかない。自分の親との関係の話だが、彼との結婚に反対されている若い女性からの相談の場合、彼とも結婚し、親も悲しませないことができないものだろうか、と考える。親がカウンセリングにこられるのなら、子どもの人生なのだからあきらめなさい、あなたが彼と結婚するわけではない、と助言できるのだが。そんな結婚をするとはなんて親不孝、と親が感情的になることが多い。そうなると、あなたの人生なのだから、彼か親かどちらかしか選べないという「悲しい」選択肢を突きつけることになるのだが、思いがけずも、「じゃ、親」というような展開になって驚くこともないわけではない。 今起こっていることを見直すことが、森のいう「自分が相手を理解して、その障害が実際は障害ではないことを納得」することに相当する。私の夫は車に乗ると人が変わったかのように乱暴な言葉使いになる。そんな夫の車には一緒に乗りたくないという人に、それならどうしたらいいと思うかと問うて、「だから私は自分で車の免許を取りました」という答えが返ってきたとしたら、その人は相手の態度を改めるという方向ではなく、自分ができることを考えて実行に移したわけだから、問題は存在しないということになる。ひどい夫だというふうに責めたところで問題の解決の糸口は見つからない。 親が自分の人生の行く手を阻んだとしても、「それでもいいんだ、私は自由に生きているのだ」思えるならば、このような自分の行く手を阻む人との関係は変わってくる。 自分を嫌う人がいるということは自分が自由に生きているということの証であり、自由に生きるのであれば、そのことは支払わなければならない代償である、と考えることができる。 逆に、もしも自分のことを嫌う人が誰もいないという人は対人関係が上手であるということもできるが、いわば八方美人をしているのであり、その意味でいつも人に合わせて生きているわけだから、不自由な生き方をしているといわなければならない。このような人は誰にもいい顔をして誰の要求も拒めないので、無理なことを引き受けて窮地に陥ったり、不信がられるのは必至である。 自由に生きることができるのであれば、「悲しい」解決だとは僕は思わないのだが。
2002年08月21日
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昨日、信頼について書いていてふと思い出したエピソードがあった。この話は「子どもと生きる」に書いたことがある。引用すると、 四年生のある日、いつもは夜更かしする息子が、僕が仕事から帰ってくるのを待たずに寝てしまうという日が何日か続きました。帰りが遅くても必ずといっていいほど、起きて待ってくれていたのにである。 ちょうどその頃、コンピュータのCD-ROMドライブが不調で、使えなくなりました。そのことを話すと、心配してくれました。ところが、これは故障ではなく、バッテリーの残量との関係で起こることであり、ACアダプターをつなぐと、無事、使えるようになりました。 そのことがわかった時、突然、息子はコンピュータの上にすわったことを白状しました。すわったことがばれるのではないか、と恐れていたところ(だから、このアクシデントがあってから、僕が帰る前に早く寝なければならなかったわけです)、CD-ROMがおかしいと聞いて、不安が頂点に達し、その後、故障ではなかったことが判明したとき、安堵すると同時に黙っていたことを白状したのでしょう。 息子が白状したとき、僕は叱ったりはしませんでしたが、この出来事を今になって回想して思うことは、彼が僕のことを恐れている、という事実です。最終的には、彼は確かに白状したわけですが、なぜ最初からいえなかったのでしょう。(引用終わり) 昨日も書いたように、こちらが信頼しているつもりでも、そういう「つもり」は必ずしも相手には通用しない。僕のことを息子が恐れているとは思っていなかったので、息子の告白に僕は動揺した。 さて、話を進めると… 人は一人では生きていけない。自分にできることは自分でしなければならないが、できないことは人に援助を求めなければならない場面がある。 アドラーは援助について次のようにいっている。「私たちがしなければならないのは、もしも本当に援助するのであれば、人に勇気と自信を与え、自分の誤りをよく理解してもらうことである」(『個人心理学講義』)。 自分で解決しなければならないことは自分の責任で解決しなければならないのである。 援助する側からすれば、求められないのに援助してはいけないと思う。「何かできることありませんか」とか「できることがあったらいってね」といい、相手が援助を求めてきたことについては、それができることであれば援助したい。しかし、援助を求めてもいないのに、人の課題に手出し口出しすると後に問題が起こることがある。 小さな子どもが忘れ物をしないように毎日点検する。点検している限り当然忘れ物をすることはない。ところが、ある日、親が点検を怠る。そんな日に限って忘れ物をする。学校から帰ってきた子どもはいう。「今日はお母さんが忘れ物の点検してくれなかったから忘れ物をした」こんな時「課題」という言葉を学んでなくても、忘れ物をしないようにするのは、あなたの課題でしょうというような言い方をしているはずである。 息子はやがて長じてこんなことをいった。「僕には僕の生き方がある。親に〔自分の生き方について〕何をいわれないといけないというのか。僕の人生を〔親に〕決めてほしくない。ごちゃごちゃと〔生き方について〕いわれたくない」 小学生の時息子がある日、隣にすわって時々頑張れといってほしい、といった。頑張れという言い方は多くの場合、プレッシャーになり、そういわれることが勇気をくじくことになる。親は子どもがいい成績を取った時に「次も頑張るのよ」というような言葉をいう。もしも子どもが次回も必ずいい成績を取れるという自信のある子どもであればいいが、たまたま今回いい成績を取ったという子どもは、もしもいい成績を取れなかったら、親は何もいわないで不機嫌になるか、あるいは、叱るということを知っているので、とにもかくにも結果がよければいいと考えてカンニングをするかもしれないし、さもなくば試験を受けないということもありうる。まだ達成できていないことにこんなふうに注目すると勇気づけることにはならないわけである。 ところが息子はこういった。「僕はお父さんが横にすわって時々『頑張れ』っていってくれたらやる気がでる」。この息子の依頼はむずかしいものではなかったので、どれくらいの頻度で声をかけたらいいかという相談をした上で、息子の隣で仕事をしながら時々「頑張れ」といった。 こちらが協力を申し出をすることもできないことはない。例えば、最近のあなたの様子を見ているとあまり勉強しているようには見えないのでそのことについて一度話し合いをしたいというふうに申し出ることは可能である。このように本来自分の課題でないことについて協力して課題の解決に向けて尽力する時、このことを「共同の課題にする」という言い方をする。共同の課題にできるということを知ると、何でも共同の課題になると思いこむ人は多いが、先のような場合だと「嫌だね」という言葉が返ってくれば、そこで終わりである。申し出ても断わられたなら引き下がるしかない。「事態はあなたが思っているほど楽観できる状況だとは思わない。でもまたいつでも困ったことがあったら相談してね」というふうに。 しかし、子どもが勉強していないことが気になる、子どもに勉強してほしいと思うのは親の課題である。子どもを援助する、あるいは子どもに協力するという美名のもとに容易に子どもを支配することになる。「あなたのために」という時、愛情という名に隠された支配かもしれない。あなたのことが心配だというのは、この心配から解放されたいということであったり、そういってあなたを自分の思うままに操りたいと願うことかもしれない。しかし、総じていえば、そんなふうに自分の課題を相手に解決させることはできない。 また、このように「あなたのために」と考えて相手の課題に干渉すれば、そのことは相手に代わって責任を引き受けることになる。その結果、相手をいよいよ無責任にしてしまう。先に忘れ物について見たとおりである。 課題を分離することは最終的な目標ではない。むしろ、協力して生きていくということが最終的な目標である。人はすべてのことを自力で達成するわけにはいかないからである。しかし先に見たように人の課題まで担おうとしている現実がある。そこで最初に課題を分離する必要があるわけである。 人を援助することは、課題の分離が前提である。さもなければ、ただのサービス、あるいは、甘やかしにしかすぎない。
2002年08月20日
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信頼課題の分離 対人関係がよいものであるあるためには、「信頼」しないといけない。ここでいう信頼には二つの面がある。一つは、相手には課題を自分で解決する能力がある、と信じることである。この「課題」という言葉は、次のような意味である。 あることの結末が最終的に誰にふりかかるか、あるいは、あることの最終的な責任を誰が引き受けなければならないかを考えた時、そのあることが誰の「課題」であるかがわかる。 簡単な例でいうと、勉強する、しないは誰の課題かといえば、子どもの課題であって親の課題ではない。勉強しないことの責任は子ども自身が引き受けなければならないからである。 対人関係のトラブルは人の課題にいわば土足で踏みこむ時に起こる。自分で考えがあって他の人とは違う人生を歩んでいる人に、必ずしも悪意ではないにしても、例えば、「結婚しないの?」とか「子どもはまだ?」というような言い方をすると、そんなふうにいわれた人は自分の課題に踏み込まれたと感じる。 このようなトラブルを回避するために、今起こっている問題は一体誰の課題なのかをはっきりさせなければならない。 そのようにして、あることが自分の課題ではなくて相手の課題であることが明らかになれば、相手には課題を自分で解決する能力がある、と信じ、原則としては介入してはいけない。そこで、親は当然のように子どもに「勉強しなさい」というが、そのようにいってはいけないし、いえないのである。朝子どもが起きないと親は子どもを起こしてしまうが、朝起きは子どもの課題なので親は起こすことはできない。それにもかかわらず、起こしてしまうのは、子どもたちは私が起こさなければ一人で起きられない、と考えているからである。子どもたちは自分のことが信頼されてない、と思うだろう。 信頼するとは、子どもに限らず、相手は自分の課題を解決する能力がある、と信じることである。君はできる~マイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』の著者、また『ER』の原作者として有名なマイクル・クライトンは、ハーバード大学の医学部に進学し医学博士の学位を取るが、医師になることを断念する。そのあたりの経緯については自伝小説『トラヴェルズ―旅、心の軌跡』(ハヤカワ文庫)に詳しい。 在学中どころか九歳の時からクライトンは作家としての一歩を踏み出している。医学部在学中、父親は学費を払わなかった。そこで原稿料で学校に行くことを決意したことが、作家マイクル・クライトン誕生の決定打になっているのだが、それ以前もジャーナリストであり編集者である父親はクライトンに様々な刺激を与えている。 十四歳で「ニューヨーク・タイムズ」に旅行記を書いて寄稿し原稿料をもらっている。アリゾナ州にあるサンセット・クレーター・ナショナル・モニュメントを見に行った時、その場所のおもしろさを大半の観光客が知らないのではないか、といったところ、そのことを書けばいいではないか、と「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿することを両親が勧めたのである。「《ニューヨーク・タイムズ》だって? でもぼくはまだ子どもだよ」「そんなこと誰にもいう必要はないわ」クライトンは父の顔を見た。「レンジャー(管理人)事務所でありったけの資料をもらって、職員にインタビューするんだ」と父はいった。 そこで、家族の者を暑い日ざしの中で待たせておいて、何を質問しようか考え、職員にインタビューをした。「まだ十三歳の息子にそれができると両親は考えているらしく、そのことにわたしは勇気づけられた」とクライトンはいっている。相手の言動にはよい意図があると信じることカレーライス事件 信頼するということのもう一つの意味は、相手の言動には必ず「よい意図」がある、と信じるということである。 若い頃母を亡くし、しばらく父と二人で暮らしていたことがあった。いつか外食にも飽き、それまで一度も料理を自分で作ったことがなかった私は料理の本を見ながら料理作りに挑戦し始めた。ある日、カレー粉をいためてルーを作ることを思い立った。フライパンから離れず三時間かけてカレーを作った。やがて帰宅した父は、私が自信を持って作ったカレーを口にしていった。「もう作るなよ」と。私は、もうこんなまずい料理を作るなよという意味だと理解した。こんなことをいう父のためにはもう料理を作るまいとさえ思った。 ところが、父の言葉は私が理解したような意味ではないということに十年くらい経ったある日気がついた。お前は学生で勉強しないといけないのだから、こんなに時間をかけて料理を「もう作るなよ」という意味だと父の言葉を理解し直したのである。それ以来明らかに私の父の見方は変わったように思う。関係そのものも変わった。 相手の言動についてはこのように表面的なところにとらわれることなく、よい意図を見ていくよう努めたい。他の人が自分の言動のよい意図を的確にこちらにわかるように示してくれるという保証はないからである。他方、自分の言動については決して誤解されないようにしないといけない。時に長く言葉を尽くして話すことが必要になってくる。 父をめぐるこのエピソードを妹が私から聞いて父に伝えた。ところが父はまったく覚えていなかった。嫌な思いをした人、傷つけられたと思った人はその出来事をずっと覚えているのに、いった方は忘れているのである。信頼と信用の違い 相互に信頼していることがよい関係であるために必要なことだが、まず私が先に相手を信頼するのである。 ここで「信頼」という言葉を使ったが、「信用」と区別して使っている。「信用」は、銀行が担保がないとお金を貸さないように、条件をつけて信じる、あるいは信じる根拠があるから信じることである。信用は根本的には不信の上になりたっているので、一度でも裏切られるとそこですべては終わりである。あなたのことを信じていたのに、といって憤慨する人はそもそも最初から相手を信じていなかった、といっていい。 それに対して、「信頼」は、信じる根拠がない時ですらあえて信じることをいう。生徒が突然いい成績を取り始めたら普通は何か不正があったのではないか、と疑うだろう。しかし、そこをあえて信じることを信頼というが、先に引いたラテン語の先生はそんなことすら考えてはいなかっただろう。 私の息子がある時、「千円ちょうだい」といったことがあった。「いいよ」と答えると驚いて「本当にいいの?」とたずねた。「うん」「でも、何に使うかって聞かないの?」「それを聞かれたら困ることだってあるでしょ?」「たしかにそうだ」 別の時、やはり「千円ちょうだい」といいにきた。その時は私はまだ寝ていたので、背広のポケットの中に財布があるからそこから持っていってくれたらいい、と答えた。ところがしばらくして戻ってきた。「財布の中見たんだけど、千円札が一枚しか入ってなかったんだけど」 あなたはそんなことをいうけれども、いつもこれまでちゃんとやったことがないではないか、というようなことはいってはいけない。そんな言葉はもう聞き飽きたといってはいけない。たしかにこれまでの実績から判断すると信用できないかもしれないが、その時点において、「する」と相手がいっているのであれば、その言葉を信頼したい。頭から信じないというのでは対人関係をよくすることはむずかしいだろう。たとえ裏切っても裏切っても信じてくれる人がいたら、そのような人を裏切り続けることはできない。(この稿続くかもしれない)
2002年08月19日
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身体の調子がはかばかしくないので病院に行ったら、内臓の病気ではないことがわかり安堵した。医院を辞めることの一つの大きなきっかけになった病気になったのがちょうど今頃の季節だったので、あの頃と同じように肝臓をまた悪くしたのかと恐れていたのである。別件で(そのために思い立って出かけたのだが)もらった薬がきついのか、夕食後、起き上がれず横になっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。痛みは今も残っていて、日頃意識しない僕の身体が反乱を起こしている。 僕は人を無邪気に信じるので時に手痛い目にあうことがある。三年前にウィーンに行ったのだが、その前日のことだったからよく覚えている。長く会ってなかったから人からの連絡だったので、なつかしさもあって、時間があったら会いませんか、という誘いに応じることにした。 最初、「なんか久しぶりですねえ、その後どうですか」となごやかに談笑していたのだが、その人は突然、切り出した「ところで、私、今度こんな仕事を始めたんだけど」とカタログを持ち出してきたのである。この商品をまず買って、次にそれを他の人にも勧めてその人が買えば、その何割かが手に入る…というような説明を始めたのである。えっ、それってねずみ講ではないか、と僕にはすぐにわかったから、もちろん誘いには乗らなかったのだが…「あ、ちょっと待って。携帯が入った…はい、はい、えっ、偶然。近くにいるよ。よかったからきません? (僕にその人のことを僕に紹介し、同席してもいいかという。僕は、別にかまわなかったので、いいですよ、というと)じゃ、待ってますから」と電話を切り、ほんの数分で僕の知らない人が同席することになった。 おわかりだと思うが、この道の先輩が一緒になって僕に説得にかかり始めたわけである。僕はほんとうに後からきたその人が偶然電話をかけてきて会うことになったのだと信じてしまった。僕がよく知っている知人の名前を出し、懇意にしているというのでなおさらそうだった。 幸い(相手にとっては不幸なことに)僕はお金を持ってないので、数十万もするようなものを買えるわけはないので断わったら、もう手のひらを返すように態度が冷たくなった。もうこれ以上話したところで時間の無駄だというわけであろう。早々に話を打ち切って僕たちは別れ、その後二度と会うことはなかった。 一度こんなことがあると人を不信の目で見ている自分に気がつき、愕然とした。僕の昔習った先生の一人はその点、僕と違って人間ができている、と思った。こんな話をその先生に習ったという人から聞いたことがある。 その先生は哲学の先生で、ラテン語を教えていた。ある年、学生が例年にくらべて優秀であることに気づいた。どんな問題も間違うことがなかった。実はわけがあって、例年講義で使っている教科書にその年から練習問題の解答集がついたのである。ところが先生だけは知らなかった。先生は毎時間「私は諸君のような優秀な学生に教えることができて光栄である」といった。 学生にしてみれば解答集を見て答えているのだからまちがわなくて当たり前である。それなのに先生が微塵も学生を疑わなかったので居心地が悪い思いをした。普通はこのような場合教師は学生が何か不正をしているのではないか、と疑うのではないか。 学生を少しも疑うことのない教師を見て、学生たちは相談して、夏休み明けの最初の講義の日に「実は私たちの教科書には今年から解答集がついています。それを見て答えていました」と打ち明けた。(この稿続く)
2002年08月18日
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この数日来、メインのホームページの移転にかかりっきりになっていた。僕はいつもぎりぎりにならないと重い腰を上げないのだが、早々に作業に着手。見切り発車のようになったが移転を終えることができた。前とまったく同じ状態に再現することが簡単だったが、長らく書き散らしたようになっていたたくさんのファイルを一度きちんとこの機会に整理しようと思っている。古いページから新しいページへ自動的にジャンプできるところまでやりとげた後、眠ってしまったようでいつもの更新の時間を過ぎたこんな時間にようやく目をさました。 赤ん坊は生きていくために親を使って食べ物を口に運ばせなければならない。今もよく覚えているが、きっちり数時間ごとに空腹になった子どもは親の事情などお構いなしに目を覚まして泣き叫んだ。夜中だから今はだめだよ、泣いたって何もあげないからねというわけには当然いかない。眠い目をこすり寒さに震えながらミルクを作った。生まれたばかりの子どもはそうしないと生きていけないわけであり、そのために人を道具にしなければならない。言葉を話せないから泣くことでまわりの大人を自分のために仕えさせなければならない。さもなくば生きてはいけないからである。アドラーは、赤ん坊は人を支配するが支配されることはないので一番強い、といっているがまったくそのとおりである。 問題はいつの日か子どもはこんなふうに親やまわりの大人を支配する必要はなくなるにもかかわらず、精神的にはずっと赤ん坊のままの人がいるということである。「誰も支配せず、支配されないということ」というタイトルで別のところで書いたように、 支配もせず、支配され服従することなしにいられる人だけが真に自立した人であり、人間らしく生きていくことができる。人を支配しなくても普通にしていられる人だけが幸福になることができる。支配することで自分を特別に見せようとしなくてもいい。人の上に立とうとしなくてもいい。それなのに、自分が何らかの意味で人とは違っていなければならない、と考えたり、自分が他の人と違うことを証明しなければならない、と考えるのである。 ではまわりにそういう人がいて自分を支配しようとしたらどうするかという問題がある。 結論的にいうと、そういう人とも普通に接するしかない。ただし多少(かなりかも)忍耐がいるかもしれない。特別であろうとしなくても私はあなたのことをちゃんと見ているということを伝えるしかない。特別であろうとする仕方は人によって違う。積極的なタイプの人であれば、問題行動をとろうとするかもしれないし威嚇的な態度を取ることかもしれないし、消極的なタイプの人であれば、自分が無力であることを示して他の人の注目を得ようとするかもしれない。どちらもこの私の前では必要のないことだということを知ってほしい。
2002年08月17日
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静かな一日。もうすぐに平常の毎日に戻るが後しばらくこんな日が続けられそうでうれしい。メインのホームページを移転しなければならないことになった。12月までということだが今後時間を取れるかどうかわからないのでこの数日来移転作業に取りかかっている。ファイルの移動などは簡単ですぐに終わったのだが、この際整理してみようと思っている。嫌いな人とつきあう カウンセリングをしていて話題になるのは対人関係の問題だけ、といってもいいくらいで、人と上手に関わっていければそれだけで幸福になれるが、他方、どれほど外的な環境(お金があるとか社会的な地位が高い、などなど)が整っていても対人関係のトラブルは簡単に人を不幸にする、といっていい。 好きな人を嫌いになったり、嫌いな人を好きになろうというようなことを考えなければ(そんなややこしいことは僕は考えない)わりあい上手に人とつきあっていけると思うが、つきあっていかなければいけない人もあるわけで、好きにならなくとも(仕事の関係だと当然そんな必要はない)、無用なエネルギーを使わずにつきあっていくにはどうしたらいいか考えておきたい。 人と関わっているとちょっとしたことで心が高揚するかと思えば、ちょっとしたことで落ち込むことがある。ちょっとしたことで誰かのことを好きになるかと思えば、ちょっとしたことで誰かのことを嫌いになることがある。 本当のところは、人を好きになったり、逆に嫌いになる出来事はきっかけにしかすぎない。何かが原因となって好きになったり嫌いになったりするわけではなくて、最初から好きになるか嫌いになるか決めていると考えたほうがわかりやすい。 中島義道がフランスの小説家スタンダールの恋愛における「結晶化作用」を引いて、同じことはそのまま「嫌い」にも当てはまる、といっているのは当たっている(『ひとを<嫌う>ということ』)。恋する心がつのると、どんな些細なこともすばらしく美しく感じられるが、それとまったく逆のことが起こり得るわけである。 この人のことを嫌いだと思ってつきあえば、相手の嫌なところが目につくようになる。たとえ、相手が友好的な態度を取っても、「例外」としか見えない。 そこで、もしも人と仲良くならないまでも人と争ったりいがみあったりしないためにはどうしたらいいか。相手について評価をしないということ、これをまず僕は思いつく。 昨日はたしかにひどいことをいわれたが、だからといってその人が今日も必ず同じことをするとは限らない。人とのつきあいを昨日の繰り返し、延長にしないということである。今日、私は初めてこの人と会うのだと思って会ってみる。毎日会う人であっても、あらゆる先入見から自由になって会おう。そのように決心して、会えば思いがけない発見があるかもしれない。人からの評価を気にしない 人のことを嫌いにはならないが、人から嫌われることを恐れる人がいる。自分が人を好きになるのも嫌いになるのもその決定権は自分にあるが、人が自分をどう評価し、その結果、自分を嫌いになるかは自分には何ともならない、と考えるからである。 たしかに人からの評価は気にかかるが、人から受ける自分についての評価は、自分の価値とは関係がないことを知っておかなければならない。人の評価を気にする人は、自分に対する否定的な評価を気にして、それをそのまま受けとめてしまう。しかし、「あなたって嫌な人ね」といわれたところで、そのことで自分が嫌な人になるわけではない。そういう人の自分への評価でしかないので、たしかにその人がそのように思っているのは事実かもしれないがだからといってその評価そのものによって自分が嫌な人になるわけではない。しかし、「あなたって嫌な人ね」といわれたところで、そのことで自分が嫌な人になるわけではない。そういう人の自分への評価でしかないので、たしかにその人がそのように思っているのは事実かもしれないがだからといってその評価そのものによって自分が嫌な人になるわけではない。
2002年08月16日
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息子はクラブの合宿に行っていてようやく帰ってきた。昼間こんこんと眠り続けていたが、今は目覚めて勉強に入った様子。部屋にきてADSLの設定について厳しいチェックをする。緊張の一瞬。なんとか合格したようでよかった。このマンションにきてLANを引いた時には、僕には触らせてくれなかった。実際、設定はその頃はそんなに簡単ではなかったと思う。息子がいない時に何かトラブルが発生しても僕には対処できないだろう、と思った(これが依存)今回、息子がいなかったので全部自分でやってみた。そんなに簡単ではなかったがルーターの選定から初めて設定も何もかも一人でやれた。少し自信がついた。回線速度をチェックするページがあるらしくそこで調べたらかなり速いという結果が出て満足していた。 さて、お願いされたらどうするかどうするか考えてみる。息子に甘やかしってどういうことだと思う、とたずねたら、頼まれもしないことをすることという答えが返ってきた。 そこで、頼まれもしないことはしない。ただこれだけいうとあまりに冷たいといわれることがあるので補足するならば、何かできることがあったらいってね、といっておくといい。それで何もいわれなかったら動かない。 こんなこともあるかもしれない。コーヒーを飲みたい、と思う。その時に例えば息子が近くにいるとしたら声をかけるだろう。「コーヒーを飲もうと思うんだけど飲む?」というふうに。もちろん、いらないといわれたら何もしない。飲むといわれたらいれる。 何かを頼まれて断わるとしたら感情的にではなくて、毅然とした態度で断わる。いや、とか、ダメ、というふうに。理由はいわない。なぜなら理由をいうと期待感が膨らむからである。 しかし、実際問題としては簡単には断われないことが多いように思う。僕としては、引き受けられることであれば、引き受けるというのも悪くはないと考えている。子どもたちがしつこく粘って親に何かを買ってほしいと頼んでいる場面を観察していると、結局なんだかんだといっても親が子どもの要求を引き受けている。断わってみても結局引き受けてしまうくらいであれば、最初から気持ちよく引き受ける方が対人関係を悪くはしないのではないか。 もちろん、こんなことをいつも引き受けていたら何を要求しても親は何でもいうことをきいてくれることを子どもが学ぶから断らなければいけないという考えもあるだろうが、子どもはこんなふうに親を困らせることで親と闘っているとしたら、このようなことが起こってからはできることはあまりないように思う。 子どもがこのように闘っているのではなく、ある時何かを気持ちよく言葉で頼んでくる時は、引き受けることができ、かつ、そうすることが嫌でなければ気持ちよく引き受けてみると、たったそれだけのことで関係が変わるかもしれない。少なくともこちらはずいぶんと気持ちが変わってくる。 闘っている時なら、お願いを引き受けると負けになるというような権力争いから降りたい。 もちろん、お願いばかりするようになって、自分では何もしようとはしなくなるという可能性は理論的にはあるが、実際には僕の経験ではそんなことはない。多くの場合、私の経験ではこちらがお願いしたことを引き受けてくれるようになる。お願いを引き受けてもらえた相手はお願いを引き受けてもらえたことの喜びを学ぶことになるからである。「もう少しで塾に行かないといけないからラーメン作ってくれない?」とか「何か飲みたいんだけどいれてくれない」といわれても、あらかじめ気持ちよく引き受けてみようと決心していればなかなか気持ちのいいものである。ともすれば頼まれたことを断わり、頼まれないことをしてしまうことが多いが、これを逆転してみると対人関係のあり方が変わってくる。(以下の内容は、「アンフェアだが対人関係をよくするためのヒント」と重複するところがある) 以上見たように、人からお願いされたことはできるだけ引き受ける。しかし自分でできることは人にお願いしない。これは一見アンフェアに思えるかもしれないが、世の中の人が誰もがこんなふうに思ってたらうまくバランスがとれるだろう。たとえそんなことは期待できなくても、私はこの方針で行こうと決心してみる。お願いをきいてくれるなら、あなたのお願いを聞いてあげようとは思わないことである。 お願いされたことを引き受けること自体は必ずしもむずかしいことではないが、引き受ける時に、私はこのお願いを引き受けたのだから、あなたも私のお願いを聞いて、と思うところからめんどうなことになることが多い。相手はそのような期待に応えてくれるとは限らないからである。 このように相手が期待通りの応答を返してくれなければ心がざわついたり、いらいらしてしまう。ふと思ってしまう。私はずっと、あなたの要求には「はい」と答えてきて、一度たりとも断ったことはなかったではないか、なのに、あなたは私が要求した時に、きっぱりと、”No”というではないか、これってアンフェアではないか、と。 先生のやり方が気に入りません。学校をやめようかと思うのですが…という相談を受けることがある。そんな時、はたして相手のやり方が自分の意にそわないからといって自分が不利な目にあわなければならないのか、考えてみよう、という。若い人を見ていて気の毒に思うのは自分だけが不利な目にあって、大人の方は子どもの抵抗によって何も困っていないということである。 七年半教え子から無言電話が毎晩かかってきたという話を聞いたことがあるが、考えてみれば互いにずいぶんとエネルギーが要ることである。もしもこの生徒が先生に対して何か不満があったのならば別の方法があったはずである。 相手のやり方に不満がある時、この人は闘うに値するかをまず考える。闘うという言葉が適切でなければ、主張するという言葉でいいのだが、もしも闘うに値するならば、きちんと言葉で主張したい。闘うに値しない人であれば闘って不利な目にあうことはない、と思う。 大人のやり方に反発するために復讐に走るよりは、反対されることを覚悟で主張するように援助することが多い。親は子どもの生き方が理解できなくて反対するのだが、子どもの生き方を見て当惑しても基本的にはその気持ちをなんとか自分で処理するというのは親の課題である。親の課題は残念ながら多くの場合解決されることはない。しかし親子関係をよくするためには、子どもの人生について子どもと親の目標が一致させる必要がある。子どもの人生だから親が譲るしかないわけである。 友人から聞いた話だが、娘さんがある日食事の時にスプーンを落とした。「拾って」と頼んだので、母親はすぐに拾おうとした。すると、父親が「自分が落としたのだから自分で拾わせろ」といった。母親はそれを聞いて気持ちがぐらついた。かくて、その家では、三日三晩、スプーンが床に落ちたままになっていた。そして、スプーンを見るたびに家族の誰もが嫌な思いがしたという。「[拾わないで放っておくことは]エネルギーがいったのではありませんか?」とたずねると、「ええ」という答えが返ってきた。私だったら、「拾って」と言葉で頼んでいるのだから、あっさり拾うだろう、とこの話を聞いて思った。 到底引き受けられない無理難題を出されたらもとよりどうすることもできないが、断われば相手との対人関係が致命的に悪くなることが明らかな時には、正しさには固執しないで権力争いから降りることが必要なことはある。 なぜ権力争いから降りなければならないかというと、権力争いをして相手に勝ってしまうと、復讐の段階に移行するからである。権力争いの段階であれば、本気で腹が立つが、復讐になると腹が立つというよりは、なぜこんなことをするのだと嫌な気持ちになる。 この話をある日、小学生の娘にしたら思い当たることがあったようで、母親とある日喧嘩をした時のことを話してくれた。「私はすごく腹が立ったのでお母さんの車の鍵を食器棚の後ろに隠した」。このように復讐の段階では、もはやいわば表には出てこないで裏にまわる。 権力争いから降りることを勧めても、よくある反応は、くやしい、だって私の方が絶対正しいのだから、というものである。負けても相手と仲良くなれるなら、その方がはるかに望ましいし、勝っても、すなわち、自分が正しいことを証明したところで相手との関係が悪くなってしまったなら、元も子もない。
2002年08月15日
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あまり外に行かないで仕事をしていたのだが、郵便局から簡易書留を預かっているという通知があって取りに行った。本人であることを証明するものをご用意ください、という言葉を残して窓口の職員は書留をさがしに… ところがなかなか戻ってこられない。やがて、戻ってきて「誰かご家族が取りにこられたということはありませんか?」と質問。ああ、また昨日の再現か、と一瞬思ったが(たぶん僕が過敏すぎ)「そんなことはありません」といったらもう一度探してもらってほどなく出てきたのだが、大学からの重要な書類が紛失するようなことになったらどういえばいいか、と一瞬の間に頭の中でシュミレーションしてしまった。(ここから主張について、長文) 僕は子どもが幼い頃、「普通に言葉でお願いしてくれない?」とイライラしたり怒ったり泣いたりする子どもによくいっていた。すると、子どもは泣くのをやめて「あのお菓子買ってくれたらとってもうれしいんだけど」といっていた。何かを買ってほしいといわれる時、要求するものを買いたくないということよりも、要求の仕方が嫌だということが多いように思う。 育児の場面では子どもたちに感情ではなくて言葉を使うことを学んでほしいし、一般のコミュニケーションでも言葉を使って自己主張することを学びたい。そうすることで感情で達成しようとしていた目標がより効果的に、あるいは容易に達成できることがわかれば、やがて怒りや悲しみという感情を使うことなく、言葉で自己主張するようになるだろう。そのような方法を学んでいくうちに、やがてそれまでの不便なやり方は次第に使わなくなる。 コミュニケーションがこじれて、攻撃的、あるいは、復讐的なコミュニケーションになるくらいなら非主張的になるほうが望ましい。しかし、主張しなければ長い目で見ればコミュニケーションは損なわれることになる。何を考えているのかが他の人には伝わらないからである。しかも、本当に非主張的であるかといえばそうでもなくて、態度、そぶり、雰囲気などでしっかりと自己主張していることが多い(引き下がってはいないということである、背中が怒っていたり、肩がふるえていたり)。 そこで、最初からコミュニケーションを回避する非主張的なやり方ではなく、かつ、攻撃的、あるいは復讐的になって主張を通そうとするのではなく、言葉で主張的にお願いをしたい。その方法は、二つある。一つは疑問文を使って「~してくれません?」という方法、もう一つは「~してくれるとうれしい(助かる)」という仮定文を使う方法である。 大人と子どもの関係の場合は、命令しないでお願いするということを心がけなければならないが、一般の対人関係においては命令することはあまりない。上司が部下を叱責して命令するというようなことはないわけではないが、一般の対人関係においては、親子関係の場合とは別のことが問題になってくる。 母が亡くなってから残された父も僕も料理ができなかった。外食ばかりしていたのだが、やがて、外食に飽きてきた頃、ある日父はいった。「誰かが食事を作らないといけないな」この言葉で父が伝えようとしたことは明らかであるが、このような言い方のどこに問題があるのか。 息子が食事の時、おはしを落とした。知らぬ顔をして食事を続けると、息子はこういった。「おはし!」「おはしがどうかした?」「おはしが落ちた」「うん、おはしが落ちてるね」「おはし、拾ってくれたらうれしいんだけど」 一般に、言葉には二つの種類がある。一つは、「おはしが落ちた」というような事実や状況を述べる言葉である。「雨が降ってますね」「今日は寒いですね」というような言葉である。 もう一つは、相手に何かを要求したり、あるいはその要求を断ったり、相手の行動を変え、影響を与える言葉である。息子の「おはし、拾ってくれたらうれしいんだけど」は、この例になる。二つの言葉を比べた時、後者の方が、圧倒的にむずかしいのは明らかである。 問題は、お願いするべき時に、ストレートにその要求を表明しないということである。「おはしが落ちた」は、形の上では、前者の状況を述べる言葉のはずだが、「おはしを拾って」という要求が含まれていることは明らかである。同様に、「私疲れているの」は、実際には、「私はしたくない、その代わり、あなたしてね」という意味である。「おなかへった」は、「何か食べさせてください」という意味である。 このような言い方をして幸いにも相手が自分の要求を理解し、こちらが期待する通りのことをしてくれるなら何も問題はないのだが、実際にはこちらが思っているようには意志が伝わらなかったり、あるいは、そのような言い方で伝えようとしていることが自明なのに相手があえて言葉通りに受け取ったとしたらどうだろう。「あなたを愛しています」「そうですか。で?」「私は悲しいのです」「悲しいのですね」こんなふうに。「あなたを愛しています」は当然「私を愛してください」という要求であり、「私は悲しいんです」は「私を慰めてください」という意味が言外に含まれている。「昨日よく眠れませんでした」という言葉は、職場の上司に、私に責任のある仕事を任せないでという意味かもしれないし、カウンセラーに対しては、だから眠れるようにしてくださいという意味である。「そうなんですか、眠れないのですね」ではもちろん話は終わらない。 はっきりと言葉で意志を表明していないから、とそ知らぬ顔をし続けると、やがてどうして私の思いがわからないのか、とコミュニケーションはついには破綻することになる。最後は攻撃的になって主張を通そうとするか、主張は引っ込めるが、復讐的になるかもしれない。 その際、あなたは言葉で何もいってないからわからなかったというようなことをいっても弁明にはならない。他の人から自分の気持ちを察してもらったり、思いやられることを期待しているからである。いわなくてもわかってもらえる、とか、頼まれなくても何をしてほしいと思っているかはわからないといけない、と思う人は多い。このことが「気くばり」とか、「思いやり」という言い方で勧められることすらある。相手の思いが本当にわかればいいのだが、実際にはかなりむずかしいことである。自分が何もいわなくても、相手がわかってくれて当然と考えることは問題である。 いかなる場合も言葉を使わなければ自分の考えていることは伝わらない。もしも何もいわなくても自分の思いは伝わる、と思っているとしたら甘えであり、他の人の考えていることは何もいわれなくてもわかるはずだというのは傲慢であるといわなければならない。 人間関係の悩みは、自分の要求を相手に伝える、あるいは相手の要求を断るということに関するトラブルから起こっていることが多い。いかなる場合も、主張したり、断わったりする時に、相手を傷つける権利はない。相手を傷つけることなく、適切に自己主張する方法を学べば、私たちの悩みの多くは解決するといっていいくらいである。 総じて、ストレートに表現したり、自己主張することを嫌う傾向があるように思う。しかしコミュニケーションを円滑なものにするためには、感情はもとよりそぶりで人を動かそうとしてはいけない。また、思いやったり気くばりをするのではなく、常に言葉を使って意志疎通をする努力をしなければならない。黙っている限りは自分の思いは決して人に伝わることはないから、他の人に要求したり、協力を依頼するにははっきりと言葉に出さないといけない。しかも、他の人はこのように言葉でお願いすれば、自分を助けてくれるかもしれないが、それはその人の善意であって義務ではないことを知っていなければならない。 そこで、主張する時には先に見たような間接的な言い方をするのではなく、ストレートにお願いをすることが対人関係をこじらせないために重要なことになる。 息子が三歳の時のこと。同じクラスの友だちが先生に「ぞうきん!」といった。息子はそれを制して「ぞうきんではわからへん。『ぞうきんとってくれたらとってもうれしいんだけど』といわなあかん」といった。担任の保育士さんが次の日、このやりとりを驚いて報告されたが、「でも、ちゃんとお願いになっているでしょう」といったら、深く納得された。このクラスでは一年中この言い方がはやったという。きっと家庭でも子どもたちはこのようないい方をして親を驚かせたことであろう。 先に見たように、「~していただけませんか?」「~してくれたらうれしいのですが?」というふうな言い方が「お願い」である。「~しろ」というような言い方は、当然、命令であるが、「~してください」「こういうふうにしてちょうだい」というような比較的柔らかい言い方も命令である。命令とお願いの違いは、相手が断われるか、相手にノーといえる余地があるかということである。相手がノーといえなければ、どんな言い方であれ、命令である。 このように疑問文を使ったり、仮定文を使えば、命令する場合よりも、はるかに高い確率で引き受けてもらえる。お願いの内容というよりは、言い方が気にいらないのである。命令されれば、断わることはむずかしいので、感情的に反発してしまうことになる。 このようにお願いするのは、相手にいうことを聞かせるためでは決してない。しかし、人に何か要求を伝えなければならない場面は多い。そこでお願いをするのだが、いかなる場合も人を自分の思うように動かしたり、人を支配するということはできない。お願いすることのポイントは、相手が断わりやすいようにするということである。お願いして断わられたら、あっさりと引き下がるしかない。 さて、以上のことを踏まえて、電話を工事にきた人との会話を見ると、問題点は明らかにある「それは違います。電話を増設する時はお客様が管理会社にあらかじめ連絡をするのが常識です」「それは僕は知りませんでした。116に申し込んだ時そんなことは一言も聞いてませんが。ここがマンションであることはわかってたでしょ」「だからそれは常識なんです」「それは僕は知りませんでした。116に申し込んだ時そんなことは一言も聞いてませんが。ここがマンションであることはわかってたでしょ」「だからそれは常識なんです」 状況を表す言葉ばかりを使っているのがわかるだろう。しかし実は二人とも要求したり(工事して!)要求を断わろう(今日はできません!)としているのである。こういう会話を続けると決裂し喧嘩になることは必至である。互いの正しいことを主張しあっても結局のところ事態はなんともならないままに終わってしまう。 その後、僕は正しさを証明しようとする権力争いから降りようと思った。その後の会話は次のようである。「明日、きてください、でも、僕の方からも管理会社に電話をしますから、もしも、もしもですよ、今日にでもきてもらえるようならきてもらえますか?」「ええ、それならうかがいます」「電話番号教えてもらえますか?」「携帯でいいですか?」「もちろん。ではもしも電話をしてだめだったら連絡はしませんから、11時半にきてもらえます?」「いえ、どんな結果になっても連絡を入れてもらったほうがありがたいです」「ではそうしましょう」 違いは明らかだと思うがどうだろう?
2002年08月14日
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哲学者の三木清はタバコを吸うとひどい咳が出た。外出先から帰ってくると家に入らない前に咳でわかる、と三木の妻はいっていたし、在宅かどうかも咳が聞こえるかどうかでわかると隣人たちはいっていたという。「そんなに咳をしていながら、自分自身ではあまり気がつかないということは、修身講話のひとつの例となり得る事実である」(「思索者の日記」)と書いているが、ここではもちろん講話を書くつもりはないのだが、三木がここでタバコのことを例にあげているように、自分のことはなかなかわからない。わからないだけならいいのだが、知らない間に迷惑をかけたり、傷つけるようなことをしているのに気づかなかったらどうしよう、と思ってすとんと気分が沈んでしまうことがある。 人間は不完全なのでたえずこんなことはあるのだろうし、許しあうしかないわけだが、僕の方から、僕は間違うことがあるから許してくださいね、といえないように思ってしまうのだ。 NTTの工事にきてもらった。アナログの回線を引くための工事である。既設のISDNをそのままに、別に引いてもらった。午前中の工事ということで予約を入れていたのに、12時近くになっても誰もこない。15分ほど過ぎたところで若い人が到着。さっそく取り掛かった工事は簡単にすみそうに見えた。ところが、突然、管理人室にある**(忘れた)の設定を変える工事をしないといけないのですが、鍵がかかっていて入れませんが、という話になって、あそこは管理人は常駐していないからマンションの管理会社に電話をしないといけない、というと電話をかけに外へ。 しばらくして「たてこんでいるので明日の11時半でないとこられないということでした。明日、もう一度くるということでいいですか?」と。僕はこの時、この若者が苦境に陥っていたであろうことがわからないふりをしてしまった。「それはないでしょ、一週間以上前から今日の午前中をあけておいたのですよ。そんな工事が必要なら管理会社に事前にいっておくべきではなかったのでしょうか」 ここで温厚な彼の態度が変わった。「それは違います。電話を増設する時はお客様が管理会社にあらかじめ連絡をするのが常識です」「それは僕は知りませんでした。116に申し込んだ時そんなことは一言も聞いてませんが。ここがマンションであることはわかってたでしょ」「だからそれは常識なんです」「それは僕は知りませんでした。116に申し込んだ時そんなことは一言も聞いてませんが。ここがマンションであることはわかってたでしょ」「だからそれは常識なんです」 これが意味のないどちらが正しいかを証明しようとする権力争いであることはすぐにわかった。今、そんなことをしてもしかたがないことを理解した僕はこの時点で引いた。「明日、きてください、でも、僕の方からも管理会社に電話をしますから、もしも、もしもですよ、今日にでもきてもらえるようならきてもらえますか?」「ええ、それならうかがいます」「電話番号教えてもらえますか?」「携帯でいいですか?」「もちろん。ではもしも電話をしてだめだったら連絡はしませんから、11時半にきてもらえます?」「いえ、どんな結果になっても連絡を入れてもらったほうがありがたいです」「ではそうしましょう」 詳しい経過は省くが思いがけずその日の4時半に管理会社にきてもらえることになった(粘り強く交渉をしたわけである)。さっそく電話をしてその時間にきてもらう約束をした。時間より早くきた彼は今度は穏やかで工事も無事すませて機嫌よく帰っていかれた。 かくて無事ADSLは開通したわけだが神経を大いにすり減らしてしまった。娘がこのやり取りを終始聞いていたのではらはらした。前半は喧嘩モード、でも後半は、互いに責任を帰すのをやめて建設的にどう今の事態を乗り切るかを相談できたと思う。 あっさり、仕方ないですね、では明日、といって非主張的になれば話は簡単だったのだろう。しかし、僕としては慣れない主張的なコミュニケーションを試みて学ぶところが多々あった。やっぱり下手だな…
2002年08月13日
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キューブラー・ロスがこんなことを書いている。「私たちは「たら」の世界に住んでいる。期待していることがおこったら、あたらしい職についたら、いい相手が見つかったら、こどもたちが独立したら自分は幸福になると、たえず自分に言い聞かせている」(『ライフ・レッスン』p.259) こんなふうに考える人は、「たら」が実現したらまた新たな「たら」を見つけるだろう。 あるいは、今の自分が不幸であることの原因を何かに求めようとしていないだろうか。そのように考えて、「多くの人は、とくべつな人さえ見つかれば人生のすべてがよくなるとさえ信じている」(p.68)「たとえばあなたは「自分が結婚さえしていれば、すべてがうまくいくのに」とおもったことはないだろうか?」(ibid.)「結婚さえしていれば」のところは、他のどんなことでもいいわけである。このような考えは、すべて「おとぎ話の思考」であって、「自分自身を幸福にする責任、仕事や家族の問題に直面する責任、その他の人生上の問題に対処する責任を放棄して、あなたまかせにしてしまう傾向を助長する」(p.69)「今」しあわせになれないのなら、いつしあわせになれるのか。「毎日の平凡な生活がすべて」(pp.69-70)である。人生は「物語が終わると消えてしまう映画の人物のように」(須賀敦子『ミラノの霧』p.215)消えたりはしない。ずっと人生という物語は続き、数時間で終わったりはしない。 リルケは若い詩人にこんなふうにいう。 「もしご自分の日常が貧しく見えるならば、日常を非難しないで、ご自分を非難しなさい」 もしも一日一日を、さらに一瞬、一瞬を大切に生き切れば、ともすれば見逃してしまう何気ない瞬間が違ったふうに見えてくる。その時、「たら」はどこにも存在していない。
2002年08月12日
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テレビで『お葬式』を放映していたのでめずらしく最後まで見た。母が亡くなった時のことを思い出しながら見ていたが、映画そのものの狙いがよく見えなかった。最後は通俗的な結末に落ち着いたようでつまらなかった。伊丹十三の監督デビュー作であるこの映画への評価は僕はよく知らないのだが。 母が闘病の後、亡くなったので、母の遺体を家に運んだ。帰った時に父親に「ただいま」と挨拶をした。父親が後に、あまりに僕が憔悴していたので、僕も母の後を追って死ぬのではないかと恐れた、と思ったという話を後になって聞いた。たしかに病院で長く寝泊りして、消耗していないわけはないし、結果的に母は生きては戻れなかったから、ひどく消耗していたと思う。 その時に、もしも、父に「悪いけど疲れているから入院する」とか、あるいは、「これから葬式には出たくない」とか、「一人にさせてくれ」といったらきっと通ったと思うのである。なのに、こういった場面ではちゃんとした自分を出せないといけない、自分を出すべきだと思った。自分を出すというか、きちんとした自分、しゃんとした自分、親の死なんか何とも思っていない毅然とした自分をみんなに見てもらうべきだと思った。だからちゃんと葬式に出た。その間少しも泣かなかった。そういう自分が不自然だったことは今になったらわかる。ひどくつらかったのに、そういう自分を受け入れることができなかったからである。 そんな自分を認められるまで、十年くらいかかった。十年くらい経った時に夢を見た。母が死んだ日の夢を見た。夢の中で目が醒める。起きたら家の中が暗かった。朝なのか、夕方なのか…どっちなんだろう、と思っているとしばらくしたら父の声が聞こえてきた。そのうち、意識が戻ってきて、そうだ、今日は葬式だったと思った。父のいる部屋に行くと「あ、起きてきたか」という。葬式は終わっていたのである。僕は出なかった。「そろそろお母さんの骨が焼き上がってると思うから拾いに行ってくれないか」と父はいった。そこで僕はそれくらいだったらできるなと思って「わかった拾いに行くから」といった。こんな夢を見た。 僕にとっては意味のある夢である。夢の中で葬式に出てないのだから。葬式には出ない、といったと思う。ようやく葬式に出たくない自分を認めることができたわけである。こんな夢を見るのに十年もかかってしまった。自分にとってネガティブに思える面も受け入れることができてよかった、と思った。 しかし、考えてみれば、自分がしたいことをしたいといい、したくないことをしたくないということのどこが問題なのか。そうすることができなかったことをこそ改めるのに私には長い年月が必要だった。 母が亡くなったことを悲しいと認め、悲痛のあまり葬儀に出られないということがあってもいいではないか。もちろん、そのことをよく思わない人もいるだろう。母が亡くなってから交友がなくなった人も何人かいる。母の供養についてその人たちの期待に応えなかったからだろうと今は思う。そのようなことがあることを覚悟しさえすれば、人に自分を合わせるのではなく、自分の思いを優先させることは可能だったことを長い年月の後に思い当たった。感情的になることを恐れていた僕は、泣いたりはしなかったが、実のところ、かえって感情にとらわれていたのだろう。 母の死については、「母の死」、「転院後の日々」として書いているので参照してほしい。
2002年08月11日
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講演や講義の後に質問がないとかなり落ち込む。幸い、活発な質疑応答になることが多いのだが、先日来読んでいる中井久夫『清陰星雨』によると、もしも質問が出ないとしたらそのことの一つの要因としては、質問というものについての日本人固有考え方、中井の言葉を使うならば「質問の美学」ということがあるのかもしれない。 アメリカ人の学童が最初に先生から言い渡されることは「silly(バカげた)な質問は存在しない」ということであるという。どんな質問もオカしいということはない、どんどん質問しなさいと教えられるわけである。 高校を卒業してすぐに高校時代の宗教の先生に誘われて一緒に仏教学の長尾雅人先生の講義を聞きに行ったことがある。その行く道で、先生の「アメリカ人の学生の質問はいいねえ。今のところもう一度説明してもらえませんか? ってたずねるんだ」という言葉をなぜか今もよく覚えている。 ところが、日本では事情がずいぶん違うようだ。中井はある教授の言葉を引いている。「どうも質問をする学生はクレージーなことが多いですな」(ひどい発言である)「日本は「質問の美学」があるようだ。小学生時代から「よい質問です」とほめられ、「そんなことを質問するとは!ちゃんと授業を聞いとるのか」と叱られて育つ」(p.256) このようであるから質問したり意見をいう時に、賢い質問をしなければ、とつい言葉を飲み込んでしまうことになってはいないか、と中井は指摘する。 5月6日の日記(「なるほどの対話」になってない?)の中で河合隼雄の発言を紹介したことがある。 日本人はディスカッションをしない。ドイツで講演をした時、河合は「あなた方は、ディスカッションとかいうことが好きらしいけれど、我々の国では、そんなことはしないんです。私の話が終わったらみんな静かに帰ったらいい」といった。講演後、質問があった。「プロフェッサー、なぜ日本人はディスカッションをしないんですか」「それそれ。そういう失礼なことは日本じゃ誰もいわないんだ」といってやった、と。 吉本ばななとの対談の中でのこの発言を読んで僕は驚いた。質問をしたりディスカッションをすることがどうして失礼なのか僕には理解できない。 6月10日の日記(一緒に考えよう)の中で、鶴見俊輔が対話をした中学生の一人の言葉を引いて、これからの社会は「自分が意見をいうと、その答えが返ってくる」社会にしたいといっていることを紹介した。 鶴見は手を上げて講師と同じくらい長い話、しかも講演には何も関係のない話を延々とする人のことに言及してこのようにいっているのだが、このようなことを踏まえたうえで、自由に質問、発言できる雰囲気が学校であれ、社会で育っていけば、といつも思う。 日記に書いたことについて、すぐにたくさんの質問を受けたり感想をいただけることをありがたいと思っている。
2002年08月10日
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今日は定例の尼崎での保育士研修会。USJのことや日本ハムのことを見ると、またか、と思ってしまう。見つからなければいいというようなことではないと思うのだが、賞罰による教育をする限りこんなことはこれからも際限もなく続くのではないか、と思う。 ただうわべだけ適切な行動を取れるのでは意味がない。叱られるのが怖いというのではたしかに子どもはいい子に育つかもしれないが、時には失敗もするが自分で判断して適切な行動を進んでするようにはならないかもしれないし、他方、ほめられて育つとほめられる時だけ適切な行動をし、誰にもほめられない、誰にも見られてない時には適切な行動をしないようになるかもしれない。 このような人は結局のところ自分のことしか考えてないわけである。このような意味での利己主義は、僕は別の文脈で、私は他の人の期待を満たすために生きているのではない、といっていることとは別のことである。 適切な行動ともいえないが、実質的な迷惑を及ぼさない行動のことを「中性の行動」と呼んでいるが、中性の行動についてはかなり寛容でいられるのに、実質的な迷惑を及ぼす行動(これを不適切な行動と呼ぶ)には我慢ならないことがある。 例えば花火の後のごみ。花火大会のある川のすぐ傍にすんでいたので遠くまで行かなくても花火を楽しめるというメリットはあったものの、一夜の興奮から覚めた翌日の周辺道路のごみのひどいことといえば、次々に打ち上げられる花火に歓声をあげ拍手し興奮して帰って行く人は思いもよらないことだろう。そのあたりにポイとごみを捨てることの無神経さは許せない。 中井久男の『清陰星雨』(みすず書房)を帰りの電車で読む。大学生の私語について精神科医の中井は次のようにいう。僕とは違って学生を責めたりはしない。 マイクを使って講義をすると、学生にしてみれば、声が頭の上や背中のほうから降ってくるので「教壇をみていると視覚と聴覚の集中方向が別々なので脳が苦しむのだろう。教壇をみなくて当然かもしれない」(p.125) そこで中井はマイクを使うのをやめ、次に教壇を降りた。さらに学生の机の間の通路を歩いて学生一人一人の顔を見て話をするようにしたという。これは僕もやってみてもいいかもしれない。僕の場合は、マイクを使わないわけにはいかないのだが。 このエッセイを中井が書いた五年後のコメントには、その後は私語は減ったという。携帯電話を使っておしゃべりをするからである。おもしろいと思ったのは、中井が昔はよかったというようなことをいってないところである。能面のような顔で授業を聴いていたわけではなく、階段教室の上のほうでは、教室の似顔絵が落書きされた。「最前列ではひたすらノートをとる組もあったが、真面目だけが級友の評価基準ではなかった」(p.128) 僕は最前列にすわっていたような…「アメリカの大学生は足をのせるなど行儀がよろしくないようだが、行儀よく聴講していると参加感は大きいが、内容が頭に入るのはくだけた姿勢の時だそうである」(ibid.) 他の人に実質的な迷惑だけはかけないで、と強くいいたい。ごろんと横になってくつろいで講義を聴いてくれてもいいから。学生らしくないというようなことは決していわないから。
2002年08月09日
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二週間ぶりの休み。先週の木曜日の講義を最後に大学、専門学校での講義は九月(大学は十月)まで休みに入ったがカウンセリングなどの仕事が続いていた。京都駅まで出て、恐れおののいた。人があまりに多いのである。それに焼け焦げるのではないかと思うほどの暑さ。意気込みほどのことはできず、本屋やパソコンショップをうろうろと。 花火大会の日で帰りの電車は満員。駅には臨時改札口まであって年に一度遠くからもたくさんの人が集まる。僕はといえば花火の打ち上げられる川へと向かう人の流れに逆らって(僕の人生みたいだ)自宅に向かった。帰っても誰もいなかった。前の家が川のすぐ近くにあるものだからそこを拠点に毎年花火を楽しむのだが、僕は今年も行かなかった。マンションのカウンセリング室でもある僕の部屋の窓を開けるとちょうどいつも仕事をしている位置から花火が見えるからである。少し離れているからその分迫力を欠くが、それでも花火が始まるとマンションの部屋から人が出てきて花火を見る。小さな子どもたちは(いつもはどこにいるのだろう)花火の音に驚いて泣き叫んでいた。 さて、昨日の続きだが… 小説家の池澤夏樹はこのようにいっている。古来、哲学者は、幸福とは何かを論じてきた、しかし、哲学者自身は少しも幸福ではなかった、と。たしかに残されている哲学者の肖像画や写真を見ると、哲学者は池澤が指摘するようにあまり幸福そうには見えない。幸福論が現実に人を幸福にしてこなかったからこそ、哲学者たちはこの重要なテーマを古代からずっと引き継いできたのだということもできる。 池澤夏樹が初めて翻訳したジェラルド・ダレルの『虫とけものと家族たち』(集英社文庫、Gerald Durrell, My family and other stories, Penguin Books)はイギリスからギリシアのコルフ島に移り住んだダレル家の物語。池澤が芥川賞を取るよりもずいぶん前の作品であるが、訳文が優れていたのでこの訳者はきっと後に名を成すであろうと思っていたら実際そうなった。ダレルの話はこんなふうに生きれば人は幸福になれるということを具体的に教えてくれる。 池澤がいうように哲学者は幸福そうに見えず、また昨日引いた池田晶子がいうように「史上あまたの哲学者たちがこれ(幸福論)に挑戦して、あえなく敗退」したにもかかわらず、一九八九年にたまたま聴く機会のあったアリゾナ大学のオスカー・クリステンセンの講演は私にとって衝撃的だった。クリステンセンはいとも簡単なことであるかのように「今すぐ幸福になれる」と断言したのである。 クリステンセンはアドラー心理学の流れを汲む心理学者である。今日、日本では「アドラー心理学」と、創始者であるオーストリアの精神科医のアルフレッド・アドラー(Alfred Adler)の名前を冠して呼ばれるこの心理学との出会いはその後の私の人生を大きく変えることになった。 その日、クリステンセンは、「今日私の話を聴いて幸福になれる人は今すぐにこの瞬間に幸福になれる。しかし、そうでない人はこれから先も決して幸福になることはないだろう」といいきった。哲学を学んでいた私は驚かないわけにはいかなかった。幸福とは何かは哲学の重要なテーマの一つであるが、私がその頃までに知っていた哲学者でこれほどはっきりとしたいい方をする人はいなかったからである。 その日から「幸福な哲学者」になりたい、と思った。 いつ書きあがるかもわからない僕の本の第四章が幸福論に充てられている。
2002年08月08日
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朝、娘がいたので今日も洗濯ほしてもらえるのかな、とたずねたら、「今日はお願いしてもいい?」というので「うんいいよ」と答えてほすことにした。このところずっとほしているみたいなので勝手にしてはいけないと思ったのでたずねてみたのである。ありがとうな、うん、いいよ、あ、何? ちゃんとぱんぱんってたたいてしわを伸ばすのよ、はいっ… さて、昼。うまく寝つけなくて朝少し仕事をしたものの一向にはかどらないので少し眠ることにした。昼ごはんを食べようと思う頃に起こしてくれないかな、といって寝た。約束どおり昼少し前に起こしてくれたのだが、すぐには起きられず、ずいぶん時間がたってから起きていくと娘がラーメンを作ってくれていた。「ちょうどよかった。今起こしにいこうと思っていたの、いつも同じのでごめんな」というのだが、僕は全然予想もしていなかったのでうれしかった。 池田晶子がこんなことを書いている。「どうもこいつこの「幸福」というやつだけは、どう捉まえようとしても、そこからスルッと逃げてしまうのである」(『ロゴスに訊け』、p.205) ある雑誌で連載を始めた「幸福論」が、中途で挫折したらしい。「聞くところによれば、史上あまたの哲学者たちがこれに挑戦して、あえなく敗退しているのだそうだ」(ibid.) 池田は、「こんなものはロゴスによって真正面から論じるべき対象ではないのである」(ibid.)というが、僕はそうは考えない。今、書いている原稿から引くと… 幸福なんかになるものか、と思っている人はいる。そんな幸福という言葉を口にするのも恥ずかしいと思っていた時もたしかにあった。今となっては立身出世はかなわないことであるし、なにしろ、今のこの世の中、何が起こるかわからない。よもやこんな名のある大企業がつぶれるはずがないと思っていても、そんなことが日常的に起こるような時代である。よい学校に行ってよい会社に入れば、幸福な人生が送れるという図式は今や完全に崩れ去ってしまっている。それにもかかわらず、時代の変化に気づかず、あるいは、気づかないふりをして、今もって通俗的な幸福がある、と思っている人は多い。 それではこんな時代であれば、人は幸福になれないのか。もちろん、そんなことはない。幸福なんかになるものか、といい放つ人であっても、そのことの意味は、通俗の幸福には魅力を感じないというだけのことであって、言葉の本当の意味での幸福になることを望んでいないわけではない。 どうすれば幸福になることができるのか。不幸であることを望んでいないのに、事実として幸福ではなく不幸な人がいるとしたらなぜか…実にこれこそ哲学者が探求してきたテーマであった。(引用終わり) なんとかして書いてみたい。 今日、娘と話していて思った。幸福になるために明日まで待つ必要はない。
2002年08月07日
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朝からずっと原稿書き。めずらしくプリントアウトして、ラインマーカーで線を入れたり。 11時から遠方からこられた人のカウンセリング。昨年の十月に僕の講演を聴いて僕のことを覚えてられた。うれしい。力になれたらいいのだが。 池田晶子『ロゴスに訊け』続き。「私は、人が「権利」の語を使うたびに、「卑しい」、どうしてもそう感じてしまうのである。なぜ、「私たちは幸せになりたい」と言わず、「私たちには幸せになる権利がある」と言おうとするのだろうか」(p.107) 権利があるのならどうぞ幸せになってください、といいたいところだが、ポイントは、幸せになる権利があるのだが、幸せに<なれない>というところにある。 幸せになろうと思うならばそうなれるように努めるしかない。誰かがあなたを幸せにしてくれる? それはありえない。 昨日、書いたように、 自分が主人公の(脇役ではない)ドラマをあなたは今演じているのだ。 今はリハーサルではなくて本番である(この人生にはリハーサルはない)。 自分がドラマのシナリオを書いているのだ。 ドラマを楽しもう(深刻になることはない)。 ところが、自分は脇役だと思い(私以外のまわりの人は皆幸せそうだ…)今はもうリハーサルではなくて本番なのだから急がなくては幕が閉まるというのに、誰かが私を幸せにしてくれるシナリオをせっせと書いているのだ。時折、深いため息をつきながら。 でも、とあなたはいうかもしれない。こんな理由があるから(理由の中身は人によって違う)幸せになれないのだ、と。 アドラーは、Aだから(あるいは、Aでないから)Bできない、という論理を日常生活の中で多用することを「劣等コンプレックス」と呼んでいる。 アドラーならきっぱりというだろう。あなたはBできないのではなくて、Bになりたくないのだ、と。 幸せになるのを拒んでいるのは実はあなたなのである。 池田晶子は、先の引用の後にこんなふうに書いている。「「権利」を掲げることで、「幸福」を逃しているのは他でもないその人なのである。権利があるのに叶えられない自分は不幸だと、当然思うことになるからである」(ibid., p.108)
2002年08月06日
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辻邦生はこんなこともいっている。カメラという媒体を通して現実を記述しただけの写真はつまらない、と。プロのカメラマンは、ある日付に起こった事実的な内容を伝達するのではなくて、例えば、家族の写真を撮る場合、その家族の全体の姿をとらえる。そのような写真は「事実としての現実」「情報の内容としての現実」ではなくて「そのものが語りかけてくる感動を何とかしてカメラに定着しようとする」そのようにして、現実ではなく、一つの感動、畏れ、情緒が生まれてくる、と辻はいう。 辻は写真を例にとってさらに小説について論じるのであるが、僕は必ずしもプロのカメラマンが優れた写真を撮れるとは思わない。証明書の写真を撮る時、自分でカメラに向かって撮る方がよほどいい写真が撮れるように思う。 もっとちゃんとした写真を撮ろうと椅子にすわってフラッシュをたいて撮ってもらった写真が思いがけずそれほどいい写真にならないとすれば、カメラマンが被写体である人についてほとんど何も知らないからである。顔という「現実」を撮ればいいわけではない。 優れたカメラマンならわずかな時間の間に被写体である人についてその「全体」を知り、現実を伝えるというより、その人の(おおげさな表現をすれば)生き様まで見て取り、それをカメラに定着することができるであろう。 写真を撮る技術はあるよりない方がいいが、では技術がなかったり、簡単なカメラで撮影するのであっても、その人のことを普段からよく知っている人であれば、プロのカメラマンよりも優れた写真を撮ることは可能であろう。なぜならその人の撮る写真は「現実」を写したものではないからである。愛している人なら、他の誰も知らないその人の表情、そしてその表情から自分が感じる心の動きまでとらえることができるかもしれない。 ずっと部屋にこもって仕事。午前中、カウンセリング。諍いをしないで仲良くなってほしい。いつもそう思って話を聴き、仲良くなれるためのコミュニケーションの方法を助言している。 夜、友人から電話。こんな話をした。 自分が主人公の(脇役ではない)ドラマをあなたは今演じているのだ。 今はリハーサルではなくて本番である(この人生にはリハーサルはない)。 自分がドラマのシナリオを書いているのだ。 ドラマを楽しもう(深刻になることはない)。
2002年08月05日
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午前中カウンセリング。その後、メモリーの増設。増設後は快適。いつもたくさんのファイルを同時に出して作業をするのでありがたい。新しいOSであるXPは、しかし、98に慣れた僕にはまだ使いにくい。コンセプトが違うということであろう。これまで使っていたコンピュータ(ThinkPad)は日に何度もフリーズしたが、XPは安定していてまだ一度も強制終了をしたことがない。かなり過激に使っていると思うが、文書の処理だけなのでそんなにコンピュータに大きな負担をかけているというわけではないのかもしれない。 じっくり勉強したらいいのだろうが、その時間もないままにエディター(WZ Editor)で原稿を書き続けている。最近書いたものをまとめてプリントアウトしたら相当な量になった。少しも満足できないので、学校に行かない今月の間に思い切って書き直そうと思う。 今度出版された辻邦生の講演集には『言葉の箱』という題がついているのだが、この言葉の出典を講演の中に見つけることができた。 辻は、ヘミングウェイが第一次世界大戦に志願し、看護兵としてイタリア戦線に従軍した時のことを『武器よさらば』に書いたのは十年後だったという話を紹介している。「つまり、それ(イタリア戦線の出来事)を追憶の中に全部入れてしまった。現実のイタリアの戦線、ウーディネという町から見たアルプスの姿、雨の降っているミラノの町などは、まったく自分のなかから消えてしまって、そういうものを引き出すときは、自分の心のなかで、ミラノの夜の雨がどうしても書きたいと思うまで待つわけです。ですから、そこで書かれたミラノの雨は、彼が実際に経験した雨ではない」 事実を書くのではなく、自分の想像力が生んだイメージによって書くのである。「かつての思い出、かつてのたくさんの出来事、パリでの恋愛事件、雨のしぶきも全部自分の心の中から出てきて、それが「言葉の箱」のなかに入れられていけば、必ず力強いものが生まれる」 僕が書くのは小説ではないが、過去の出来事を繰り返し繰り返し書いたり講演で話している。時々本当にこんなことがあったのだろうか、と思うことがあるのだが、辻の考えによれば、そういうこともよしとされるということである。 辻に大きな影響を与えた哲学者の森有正の言葉を借りると、過去の一度きりの出来事を何度も同じようにしか話さない「体験」ではなくて、言葉の箱の中でいわば発酵し、過去の一度きりの出来事であっても、絶えず、その出来事の意味を反芻し新たな意味を見出していくような「経験」にしていかなければならない。 そのような経験は、現実が不幸や苦悩に満ち満ちたものであっても、それを乗り越えさせる力を持っているのであり、日常性を超えたところでそういう経験を書いていくところに文学の意味を辻は見出している。
2002年08月04日
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朝方まで起きて新しいコンピュータで仕事ができるように悪戦苦闘。筐体を開くのは僕にはどうも無理みたいでがっかり。電話で質問できるサービスはあるのだが、まだ登録作業が終わっていないので(メールでの返事を待っているところ)利用できない。メモリーの増設を当面あきらめれればすむことなのだが、高かったので残念である。 息子に話すと他の人のために時間を費やす時間はないのだが、といいながら開けようとしてくれたがうまくいかなかった。彼は小学校六年生の時に初めてコンピュータを手にした。Dellのがいい、とインターネットで購入した(もちろん、僕のカードを使ったわけだが)。コンピュータが届いたその日にさっそく中を見るべくあっという間にばらばらに…その彼ができないのだから、これ以上時間をかけないほうがいいようだ。スリムな筐体は開けにくいし、開けたら保証が切れるのではないか、と心配してくれた。来週にでも電話をするか、出張サービスを利用しようと思う。 もうずいぶん前からADSLに変えようと息子が提案してくれていたのだが、思うように時間が取れなくて伸ばし伸ばしにしてきて息子に叱られてきた。ようやく重い腰を上げて再来週に工事にきてもらうことにした。設定など僕にできるかどうか不安。5台のコンピュータをLANでつながないといけない。息子はあてにすることはできない(忙しくてほとんど家にいないから)。僕が決めた業者は息子は不満のようで残念だが、今現在使っている電話番号が変わると困るなどいろいろ問題があったわけである。 若い二人の友人に鳩の話をした。これは掲示板にも書いた。何も障害も抵抗もない状態が自由ではないという話である。ボーヴォワールがカントを引いて、鳩は決して真空の中では飛べぬ、空気という抵抗があって初めて飛べるのだ、といっている。 二人の前に立ちはだかる障害があるがゆえに何の問題もなく一緒に暮らせる人をうらやむことなく、むしろこれが二人が愛を育むための糧となりますように。 高校の看護科の試験の採点を先月の講義が立て込んでいるときにやりとげたのだが…採点の締め切りの期日に疑問があったのに結局電話をすることもなく二十六日が締め切りだと解した。ところが…曜日と日付があわないはずである。七月だと思い込んでいたのに、なんと八月二十六日が締め切りだったのである。早々に採点結果をいただきという返事をもらった。たしかに一月も早く採点してしまった。おそらく僕にはこんなことは前代未聞。それにしても思い込みの激しいことよ。
2002年08月03日
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息子の学校から成績表が届いた。僕宛てにきたので、僕は何も考えないで開封したところ、前期に行われた二回の試験の成績がコンピュータで打ち出してあった。それを見て、まだ息子から成績を聞いてなかったことに思い当たった。 僕の卒業した高校は、親が毎学期成績表をもらいにいかねばならなかった。それを思えば郵送されるので親の負担がないのはありがたい。 しかし、思うに、成績を親が知ってもあまり意味がないように思う。もしもどうしても成績を知りたいのであれば、本人は当然成績表をもらっているはずなので、親が子どもに見せてほしい、といえばいいのではないか。 そんなことをいうと息子は、親に成績表を通知するなんて、ほんとに学校は生徒を信頼していない、という。でも君は見せてくれてないではないか、というと息子は苦笑した。君のような生徒がいるからやっぱり郵送しないといけないということだろう、といったが、正直見たところで僕が勉強するわけではないのだから、おおっ、という感じで成績表を見るだけである。教師が親に成績を見せることの目的はいったい何なのか? 成績が悪い子どもに親がはっぱをかけることを期待されているのだろうか。 一つ気づいたのだが、ある科目の平均点が異様に低いのである。20数点である(もちろん、100点満点)。これはどう考えても試験が悪い。 成績をつけることの目的は三つである。まず、生徒(学生)がどこが十分理解できてないかを知るため。次に、どこに教師の指導のどこに問題があるかを教師が知るため。最後に、教師の勤務評定。同じ試験をしても指導する教師によって成績が低いとすればその教師の資質が問われるわけである。 生徒(学生)が、こんな成績ではだめだ、と勝ち誇っていてはいけないということである。自分に矛先は返ってくるからである。僕も教師として試験をするのは苦痛である。わかってないな、じゃなくて、自分の教え方がここはよくなかったな、ということに気づかされるからである。 家にいられる日が増えるので本を読めるかと思って大学の帰りに本屋。池田晶子の新刊を見つけた(『ロゴスに訊け』角川書店)。いつもながら辛口だが僕は好きだ。
2002年08月02日
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久しぶりに講義がなくてカウンセリングと地元の市役所での会議に出ただけの一日。 辻邦生の言葉を引いて、「自分がいつもそこに身を置けば、どんなに宇宙が崩れようと、平気だ、と思える、また、そこに身を置けば、楽しく、いきいきとしていられる「生命のシンボル」」が何かということをこの数日書いているのだが、僕にとって仕事がそれではないか、と思うとちょっと複雑な気持ちである。それと同じくらい重要なことがあるのだが、それは今はおいておくとして、毎日、寝ている時間のほとんどすべてを費やしているのは仕事である。仕事というとあるいはうまく僕の意図が伝わらないかもしれないのだが、ずっと何か考えたり、本を読んだり、書いたりしている。 そのために使うコンピュータはこのような僕の仕事には不可欠なものである。コンピュータを使い始めてもう何年くらいになるだろう。ワープロの専用機を買ったのが博士課程に入った年だからもうずいぶん前のことになる。やがてマッキントッシュを買った。日本語もまだ自由に使えるとはいえなかった頃のことである。 やがてコンピュータを電話につなぎ、アメリカのパソコン通信のネットワークに入ったりした。メールをやりとりする人ができ、一瞬にしてメールが海の向こうの友人たちに時空を超えて届くことの不思議さに感動した。コンピュータは文字通りpersonal computerになった。機械なのだがディスプレイの向こうに人の息遣いが感じられるという意味である。 新しいコンピュータが届いた。まだまだ仕事に使えない。必要なプログラムのインストールなどに思いがけず時間がかかっている。集中講義と重なって思うように時間が取れなかった。ようやくインターネットに接続することができた。ずっとノートパソコンしか使ってなかったのだが、久々のデスクトップ。これまでのノートパソコンは外出時に使う。バックアップにも使える。さがしたらバックアップ用の便利なプログラムがあった。 Media Playerを使うと簡単にCDをハードディスクにコピーできる。速くコピーできるのは性能の差か。7枚ほどコピーして、ずっと音楽を聴きながら仕事。これはなかなか快適。音楽をまた最近ずっと聴いてなかったから。 いろいろと学んだことは人に伝えたいと思う。暑い中遠くまで出かけるのは厳しかったが3コマでも4コマでも平気。いつまでもいくらでも話せる。ベルがなるから止めるような感じ。もう少しリッチになれさえしたら、好きなことだけをしている今の生活は楽しい。 さて、今日はギリシア語。試験期間なので休講にすることもできたのだが(ギリシア語は試験しない)、学生さんの了解をとって講義をすることにした。次は十月まで講義がないのでさてこの間宿題を出したものかまだ迷っている。
2002年08月01日
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