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イラクの戦争が終わらぬままに年が暮れようとしている。無辜の人たちが殺される戦争を支持する人を信じない。心ならずも「少数派」の僕はこの一年反戦を訴えた。連日のように戦争のことばかり書いてきたが、毎日たくさんの方に読みにきていただいたことに感謝したい。ありがとう。 12月に出版した『不幸の心理 幸福の哲学』でも戦争の問題を扱わないわけにはいかなかった。 必要以上に絶望してはいけない。世論の反対にもかかわらず国家は戦争に向かって動いているように見える。それでも反対しないままに法案が通るより、反対するほうがはるかに望ましい。どうにもならないと絶望してはならない、と思う。「どんなに苦しいときも君を思っているからくじけそうになりかけてもがんばれる気がしたよ」(『さくら』森山直太朗)
2003年12月31日
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今年最後のカウンセリング。例年、ぎりぎりまで仕事をする。実際のところ、僕の場合は、年末も年始も関係ない。年明けまでに細々とした事務的な仕事の他に、大きな仕事もしないといけないのにまだ本格的に着手できないままに何日も過ぎてしまっている。 加藤周一の『戦後世代の戦争責任』(かもがわブックレット)。「「平和のための戦争」ということは、要するに「戦争」ということです。「四つ足の猫」と言うのと同じですよ。すべての猫は四つ足です。何か特別な猫があるような感じを持ったら、それはごまかされた、ということです」(p.38) 戦争の話をするとき、すべての国の政府は必ず嘘をつくので、政府がいった言葉を自分の言葉に翻訳しないといけないという話。 戦争責任について。戦争の後で生まれた人については直接には戦争の責任はないが、間接的な責任はある、と加藤はいう(pp.48-9)。「戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸々の条件の中で、社会的、文化的条件の一部は現在も存続している。その存続しているものに対しては責任がある。もちろんそれに対しては、われわれの年齢のものにも責任はありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにも責任はあるんです。なぜならそれは現在の問題だから」(p.49) その条件とは、(1)メディアを通しての政府の大衆操作、世論操作に弱いということ。(2)「みんなで渡ればこわくない」という大勢順応主義。 この二つが結びつくと戦争になる。操作されない能力を発達させないといけない。同時に大勢順応主義に抵抗しないといけない。「それは少数派(マイノリティー)になる勇気と同じことです。だからこわくても、少数派になる用意がないとだめだ。それが非常に大事だ。もしその勇気がなければ、あるいは批判精神がなければ、それは戦争責任を果たしていないということになるのです」(p.50) 僕の本から引用すると(『不幸の心理 幸福の哲学』)、社会や文化の価値観を徹底的に疑い、その自明性を拒否し、疑い批判することは哲学の精神そのものであり(p.xi)、そのような懐疑や批判の精神は哲学だけのことではなく、人間が文化や文明を発展させていくときに不可欠な態度である(p.154)。 加藤がいう少数派になるのは言葉で理解されるよりはるかにむずかしいことである。
2003年12月30日
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『MASTERキートン』(勝浦北星作、浦沢直樹絵)の一巻を読みさしにしていたので残りを読んだ。日英の調査隊が遺跡の発掘を試みるが、その作業の際発掘された16世紀の壁が邪魔になる。目指すものはその下の層にあったからである。ところがこの壁はウイグル族の宗教遺跡だった。調査隊はキートンの助言を聞かずに壁の撤去を強行し、族長の怒りを買うという話があった。その前に発掘作業をするウイグルの人たちは作業をボイコットするという出来事があった。お祈りをしている時に、学生が一人メッカの方向を横切ったことに抗議したのだ。ウイグルの人は一日五回のメッカへの礼拝を欠かさない。調査隊の団長は、これを非能率的としか見ない。 読みながらイラクに派遣される自衛隊のことを思った。iBlogのdiaryに紹介した「あるイラク人からの手紙」にはこう書いてある。「米国の連合軍としてイラクに来ないでください。イラク人は日本を尊敬していますが、今、日本の軍隊がイラクに来れば、日本はイラク人とイスラム教徒全体の敵になるでしょう。すべてのイラク人が、日本に対して失望するでしょう。偉大な国である日本は、過去の歴史においてイスラム教徒と敵対したことがなかったからです」 文化的、宗教的なことでなくても、池澤夏樹が指摘するのだが、ロケット式の無反動砲などをもっていって自爆攻撃をする車両を破壊するという時、はたして近づいてくるのが敵なのか民間人なのかどうやって見分けるというのだろう。バグダッドで11月下旬にあったゲリラ攻撃では、ロバの曳く荷車がロケット弾発射装置を運んでいたのである。民間人が犠牲になった時、日本とイラク、さらにはイスラム教徒全体との関係は決定的に悪化するだろう。 今日のカウンセリングの後ひどく疲れてしまった。終わってから数時間寝てしまった。人生の行方を決める現場にいあわせることの重い責任を感じる。
2003年12月29日
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亀岡市民新聞が届く。一面に(!)写真入りで記事が掲載されているのに驚く。僕のことは「混迷の時代に、悩み多き人々のよき相談相手として、自らが追及してきた心理学で《一隅を照らし続ける人》」として紹介してあった。 朝日新聞の「風考計」(若宮啓文、2003.12.28)にこんなことが書いてあった。93年5月4日のカンボジアでも国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた日本の警官5人が武装集団に襲われ、高田晴行警部補が死亡した。当時の宮沢内閣からはPKOからの撤退論も出てきたのだが、その一人が小泉純一郎郵政相だった。小泉氏は、「PKOでは血を流してまで貢献しろとはなっていない」と発言したのである。 小泉氏は衆議院の予算委員会などで、次のようにいっている。憲法の9条や前文に照らすと、血を流しても国際貢献をするという考えは否定されている。湾岸戦争の際、米英仏などの国は血を流して戦ったが、日本は憲法の関係から参加しなかった。日本人が血を流して戦うのは、自国民の平和と自由が侵されたときだけであり、残念ながら、よその国のためにそこまでの国際貢献はできないと世界に表明した。資金を出すだけでは国際社会で名誉ある地位を占めるには充分ではないので、せめて血ではなく汗を流そうということでできたのがPKO法だった。 この小泉氏の発言は明解である。十年後の今、小泉首相は、自衛隊を戦火止まぬイラクへ派遣しようとしている(先遣隊は出発してしまった)。昨日、「人格」について書いたが、ここまでいうことが違うと、10年前と今とでは別人と見た方がわかりやすいように思う。
2003年12月28日
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イランの地震被害の報道は痛ましい。冬の寒い朝の神戸の地震を思い出した。夜には気温は氷点下にまで下がるという。国交のないアメリカが支援のための協力を表明している。イランは、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」として非難した国であるが、国の違いなどを超えて世界の国が協力することが、戦争のない平和な世界の構築につながれば、と思う。 カウンセリングの前に友人が来訪。二十数年ぶりの再会だった。彼は何も変わっていないといっていいくらいで(向こうはどう思ったかわからないのだが)、なつかしく、もう今となっては僕がまったく覚えていないことまでたくさん聞かされ恥ずかしかった。そんなことを本当にいったのだろうか。たしかに僕のいいそうなことだなとは思った。はたしてあの頃の自分と今の自分が同じなのか、とまで思ってしまう。同じように未来について考えると、今こうしていろいろなことを思い、悲しんだり悩んでいることをこの先、僕は忘れることがあるのだろうか。こんなふうに思うことは怖い。決して忘れないけれど囚われないようにすれば、未来に向けて一歩を踏み出せるのだろうか。そんなことを今日は考えていた。時の歩みが止まっているのではないか、と思うほど日々の瞬間、瞬間が長く感じられる。
2003年12月27日
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朝、中根先生(鍼の先生)から電話。昨日のことを詫びる。10時から予約を入れられるということだったので、大急ぎで用意をして出かけることにした。脈をとってもらうと乱れてますね、といわれた。食べられてないじゃないですか、ともいわれた。どちらも当たってる。 カウンセリングを終え、夕方帰ると、今度の本ではないのだが、印税の振り込みの通知書が届いていた。もう一桁違うともっとうれしいんだけど、と勝手なことを思いながら、つかの間の幸せを感じる。 憲法の第9条は戦力を保持しないとしているのに、自衛隊が存在する。なぜ自衛隊が存在するかといえば、自衛のための軍隊は戦力に当たらないからである。こんな解釈によって第9条があるにもかかわらず、自衛隊が合法的なものとされてきた。 加藤周一は、それでは自衛のための戦力とは何か、と問う(『憲法は押しつけられたか』かもがわブックレット、p.33)。およそどの国の軍隊も攻撃用ではない。自分の国の軍隊は攻撃用の軍隊であって自衛のためのものではない、とどこの政府がかつていったであろうか。すべての軍隊は自衛のためである。 そうであるならば、自衛のための軍隊は軍隊ではない、ということは、軍隊は軍隊ではない、ということである。無理な解釈である。 自衛隊を合法化するためにこのような法解釈がなされてきたのだが、今日では、小泉首相は何といっているか。「自衛隊には戦力がないんだと(いう)、憲法の規定を多くの国民は信じてませんね。戦力がない自衛隊だったら持つ必要がない。侵略戦争に対して、戦力がなかったらどうやって闘えるのか」として、「自衛隊は戦力」という見方を示している。これは、開き直りといっていいだろう。一連の小泉首相の発言は憲法学者の議論をまったく無視している。憲法関連のことでなくとも、この首相の発言には「歴史」がない。簡単に前の発言を覆す。あるいは無視して次の発言をするように見える。
2003年12月26日
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「彼らには武器がある。僕たちには言葉がある」という池澤夏樹の言葉をいつも思い出す。田中宇の言葉もいつも思う。「戦争は不必要で悪いことに決まっている。世の中に「戦争でしか解決できない問題』などありえない。日本には憲法があり、その憲法の9条は戦力と戦争を放棄していることは海外では知られていないのかもしれない。イラク戦争の時に日本はお金しか出さなかったというけれども、憲法のことを前面に出して日本は軍隊を出すという形では貢献できないのだ、というべきだったのである。そうすることで日本は決して国際社会で孤立することにはならなかっただろう。真夜中に目覚めし我はたちまちに現(うつつ)に戻りて涙あふるる 今日は鍼の予約を入れていたのにすっかり失念してしまっていた。先生に申し訳ないことをしてしまった。先のことばかり見ていて足元がおぼつかなくなってしまっている気がする。地に足がついていないというか。 現実を受け入れるところからしか始まらない、という話を今日はカウンセリングで話した。ないものねだりをするわけにはいかない。「もしも~だったら」と思ってみても始まらない。先に待っていることが必ず善きことかどうかはわからない。そうかといって必ず悪しきことであるかといえばそうとは限らない。少し弱気になっていてこの先起こることがすべて悪しきことではないか、と思ってしまっていたように思う。
2003年12月25日
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1948年文部省発行の「あたらしい憲法のはなし」には、日本が戦力と戦争を放棄したことを「日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行なったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と誇り高く書かれているのに、そんな日本がイラクに派遣しようとしている自衛隊は、日本を出れば軍隊(army)以外の何ものにも映らないだろう。戦力と戦争を放棄した第9条は一体どこへ行ってしまったのか。 小泉首相は、航空自衛隊の先遣隊の編成完結式で、「イラクは決して安全とはいえない」といっている。戦闘地域、非戦闘地域をめぐる議論など忘れてしまったかのようである。インドネシアのイスラム過激指導者アブ・バカル・バアシル被告は、「もし自衛隊がイラク人を殺すような事態が起きた場合は、報復が起きるだろう」といっている。日本の公安当局は、イスラム過激派がすでに国内に入った可能性があるとみて警戒を強めている。 今、国がしていることは「正しいこと」ではない。
2003年12月24日
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フセインが拘束されてもイラクではテロは止まず、連日米兵の死亡が伝えられている。どこの国の人であるかは問題にならない。これでいよいよ息子は帰られるかと安堵したかもしれない親が数日後に息子の死を知らされたとしたらどんな悔しいことか。人を殺すのも殺されるのも悲しいことである。人が死ぬことは避けようがないが、人が人を殺したり、殺されるのは、あまりに不条理である。 山川健一の『希望のマッキントッシュ』(太田出版)を読了。かつて山川の『マッキントッシュ・ハイ』(幻冬舎、1996年)がおもしろかったので、書店に並んでいたこの本を見てすぐ買った。この頃は、何台目かのMacを使っていた。なにしろ1984年に初めてMacに出会ったのだから。Powerbookを使って、アドラーの『個人心理学講義』の翻訳に取り組んだ。前の家に住んでいた頃で、昼間は誰もいないので、暗いキッチンにPowerbookを持ち込んで仕事をしたものである。モノクロの(!)液晶画面は決して見やすいとはいえず、今見れば(その後手放してしまった)きっとお弁当箱のようなPowerbookを僕はこよなく愛していた。 もっともずっとMacを使っていたわけではない。MS-DOSも学んだし、Windowsマシーンもたくさん買った。IBMのThinkPadに至っては3台も持っている。それなのに、一度Mac熱に浮かされた人でないとわからないかもしれないような熱情はずっと僕の心の中でくすぶり続け、去年の秋には長くMacから離れていたのに、とうとうiBookを買ってしまった。 このiBookで僕は『不幸の心理 幸福の哲学』(唯学書房)を上梓することができた。「生きていくことは苦そのものであるかもしれない」とこの本の最初の方で書いたことは(p.2)予言的なメッセージになったようで、iBookの白いボディーを見ると胸がきりりと痛んだりするが、この本はきっと生きる勇気を与えるだろう。自分で書いた本だけど。『ワルシャワの秋』を見た。ポーランド孤児を受け入れ祖国に送り届けた日本赤十字社の話。看護婦の葉子はポーランド人児童の収容所勤務を命じられた。恋人の新聞記者が内戦中のロシアで銃撃されて死ぬ。「もっと話したかった。もっと一緒にいたかった。死んだらだめじゃない。僕は死なないっていってたくせに。死んだら駄目じゃない。あの時あなたがシベリアに行くといった時、「やめて」といいたかった。やっぱり行かなきゃよかったね。でも私は楽しかった。少しの間だけどあなたと一緒にいられてうれしかった」 戦争によって愛する人たちが引き裂かれ、別れるのはつらい。レフという男の子は葉子の看護で言葉を取り戻した。葉子に惹かれたレフはポーランドに帰ることを拒んだ。葉子はレフを引き取る、といった。それなのに結局レフはポーランドに帰り、故国で亡くなる。 山川の本の6章がよかった(「マッキントッシュ物語」)。「マックっていいよね」「なんで?」「だって辛いことも悲しいことも忘れられるから」「うん」 でもそういいながら彼女が指先でそっと涙を拭くのを僕は見てしまった。(上は山川の小説の一節ではない、念のため)
2003年12月23日
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ジャーナリストの綿井健陽氏の公明党神崎代表のサマワ安全宣言への批判に対して、神崎氏が、「私ですら散髪に行く時はSPがついてくる。衆議院の理髪店が危険だからついて来るわけじゃない。警護の人がいたからといって、そこが危険だということではない」と反論している。どんな警護がされていたか、上のリンクを辿って綿井健陽氏のホームページで確認してほしい。衆議院の理髪店に自動小銃を持ったSPが同行するとでもいうのだろうか。娘が「神崎さんっていい人違うん?」とたずねるので、いい人でも、そのことといっていることの正しさは別問題だから、と説明した。この再反論は笑止。 どこかで今の政治の動きにストップをかけなければ、海外派兵の次は、憲法第九条、ひいては憲法の改正(悪?)、軍備増強(ミサイル防衛(MD)システムの導入を政府が決めたことを民主党は前向きに評価した。二大政党制などといってみても、結局どちらも変わりはないように見える)、徴兵という道を辿るのは必至である。日本がテロの(アメリカがしていることはテロではないのか)標的になるのも困るが、今のままなら子どもたちが徴兵される時代が決してこないとはいえない。他人事どころではないのである。 娘は終業式だったようで11時くらいに帰ってきた。僕は終業式であることを忘れていたので、気分でも悪くなって早退して帰ってきたのではないか、と思って、カウンセリングをしていたのに、中断して娘の顔を見に行ってしまった。疲れたのか(昨日はブラスバンドの発表会がまたあった)すぐに寝てしまった。起きてからインスタントのラーメンを娘に作ったが、あまりに辛くて全部は食べられなかったようだ。その後、ドラマ。「やまとなでしこ」の再放送だった。桜子が結婚できるように一生懸命つくすこうすけについては娘の評価は高かった。現実は簡単なことではないとは思うのだが。九年ぶりに再会した父親は娘のために演技しなければならなかった。もう二度とのこのことお前の前に現れないから、といって泣きながら国に帰った父親に共感した。
2003年12月22日
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スペインのアスナール首相がイラクを電撃訪問した。予告して行くわけにはいかなかったのだろう。公明党の神崎代表のサマワ安全宣言を受けて、来月中旬にも陸上自衛隊の先遣隊が派遣されることになりそうだ。サマワでは誰も神崎代表のことを知らなかったから狙われることがなかっただけかもしれないと思ったりもするのだが。自衛隊(現地では当然、軍隊)がきても、安全だといえるかわからない。 僕が小学生でも今の世の中の動きに気づき、そのことが僕を苦しめただろう。 まだあちらこちらに雪は残っていたが今日は晴れた。この数日雪のためずいぶん寒かった。雪を見ていると、フランシスとクララのことをふと思い出した。聖フランシスは小鳥にも説教をしたということで知られている。 ある冬、二人はアッシジの近くまできた。フランシスはいった。「どうやら私たちは別れるときのようだね」悲しみに打ちひしがれたクララはたずねた。「では、こんどいつお会いできますの」「夏がきて薔薇が咲いた頃に」 クララには何十億光年も先のことのように思われた。 すると、その途端、雪に覆われた森いちめんに薔薇が咲いた。クララはその一輪をフランシスに差し出し、二人は生涯離れることはなかった。 食事をしている時、家人に「どこか遠くへ行っているようだ」といわれた。僕の魂は遠く宇宙を彷徨い、帰ってきていないようだ。
2003年12月21日
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イラクでの陸上自衛隊の活動がどんなものになるかについての朝日新聞の記事を読んだ。人道復興支援に当たるのが120人に対し、警備担当が130人とのこと。町から遠く離れたところに宿営地を設置する。サマワが安全なところではないと見ているか、自衛隊が行くことで治安が悪化することが予想されているのか。 支援に当たる隊員よりも警備担当者の方が多いというのは、支援の方法としてはきわめて効率が悪い。三月に、イラク難民支援の政府専用機がアンマンに着いた。テントを運んだわけだが、テントはヨルダンやトルコで買ったほうが安い、それなのになぜ日本から高い輸送費をかけて運ぶのかという疑問の声が上がったことがあったことを思い出した。それについて駐ヨルダン大使は「たとえ経済的に高くついたとしても日本の難民支援に対する姿勢を示すことも考えねばならない」というコメントをしていた。 キャンプには難民はいなくて大部分のテントはアンマン近郊の倉庫に保管される。防衛庁幹部は「日の丸を掲げることに意味がある」といった。テントを運ぶのに自衛隊を派遣しなければならない理由があったわけである。 陸上自衛隊北部方面隊がイラク派遣要員の候補者の家族を対象に、派遣先の情勢や任務などについて説明会を開いた。その中で91年の湾が戦争で使用された劣化ウラン弾の放射能対策という項目があるのだが、フォトジャーナリスト森住卓氏のレポートでは、劣化ウラン弾は「今回」使われたといわれている。日本政府は今回の戦争で劣化ウラン弾を米軍が使用したことを認めていないという記事を以前読んだことがある。放射能被害に隊員が曝されるのは必至である。 未来は未来というだけで必ずしも輝ける希望に満ちたものであるわけではない。しかし、なんとかなるだろうという楽天主義ではなく、何が起こるかわからないけれども、与えられた状況でできることをしていくという意味での楽観主義の立場に立たなければならない。他方、今日は詳論の余裕がないが、未来に投射された原因論というような言葉を使って説明したいことがある。未来は必ず苦しみに満ちたものではない。
2003年12月20日
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宇治小学校の事件の報道を見ると、予想通り、翌日学校を休んだ生徒が吐き気や夜泣きなどを訴えたため、カウンセリング、心のケアが必要であるという記事が出ていた(asahi.com)。もとより、事件による動揺がなかったというつもりがないが、ただちに心の傷、トラウマということにどんな問題があるかということについて詳細に『不幸の心理 幸福の哲学』で論じた。 asahi.comによれば、けがをした二人の男児は「休んだが、元気そうだったという。男が侵入したクラスの児童は、「授業はせずにドッジボールなどをして過ごしているという」。ドッジボールはよくて、教室での授業をしてはいけないか理解できない。吐き気や夜泣きなどを訴えて休んだ子どもは「カウンセリングが必要」であり、登校した児童も「一人でいるのが怖い」などと訴えていると記事にはあるが、無防備な(この点については今後改善の余地があるだろう)学校に一人でいれば怖いと感じるのはわかるけれども、家庭で一人でいるのが怖いということであれば(学校にくれば一人ではいられない)事件との因果関係を認めることはむずかしいのではないか。僕は上述の本でこのような事件→症状という因果関係を見ていくのとは違う方法論で今回のような出来事に伴って起きることについて考察してみた。 山川健一の『希望のマッキントッシュ』(太田出版)。1984年にMacが発売される前からAppleIIcというコンピュータ(『2010年宇宙の旅』でこのコンピュータが登場しているのを見て、絶対ありえない、と思ったことがある)を使っていた僕には充分おもしろいが、Windowsユーザーの反感を買うこともまちがいない。
2003年12月19日
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早い時間に(僕としてはということだが)寝てしまった。このまま寝るわけにはいかないのでアラームを一時間後にセットしたが起きられなかった。鍼の影響だと思うのだが(鍼を打ってもらっている間にも寝てしまっていて、終わった時に起こされた。「今の今まで寝ていたのですか?」と驚かれた)、メールや電話の着信音も遠くかなたで鳴っていたのをかすかに覚えている。何度も着信が鳴っているのに出ないことについて息子が何かいっていたのも聞いたような。 これまでの人生の様々な局面を思い出すと、ずっと待ってきたように思う。昨日は待つのを放棄したのだ。好機を待ち続けたこともあれば、人を待ったこともあった。思う結果を得られたこともあれば、得られないこともあった。後者の方が多かった。エスキモーがアザラシが氷の穴から顔をのぞかせるのを待つように。 僕には、しかし、このような生き方はあまりに緊張を強いるのでもうだめみたいである。方法は二つ。待つのをやめる。こちらから出かける。あるいは、待つとしても、力をいれない。今度の本に、一瞬一瞬を大切に生きるといっても、常に息詰まるような緊張状態にある必要はない、と書いたのだが(『不幸の心理 幸福の哲学』p.212)、読み返すと僕の生き方をそのまま書いているように思える。一種の遊びを楽しみながら生きる、というプラトンの言葉を引いているのは、自分自身に「遊び」が極度に欠けていることを意識して、自分に言い聞かせるように書いたのである。 先日、フォンデュを食べた。チーズを温めるための固形燃料に火がつかなくて、僕のパートナーは、息子と二人で楽しそうにそれに代わる方法を試していた。彼女がいう。「こんなことが楽しいのよ。あなたは本を書くとか、何かそんなおおげさなことをなしとげないと生きていても楽しくないと思っているでしょう」。たしかにその通りだと思ったのだが。 京都の小学校に刃物を持った男が侵入し、二人の児童の頭に傷を負わせたという事件について娘がひどく怒っていた。娘は風邪でこの日も家にいたのだが、午前中、ずっと眠り続けた後目覚めた娘はテレビのスイッチを入れニュースを知ったようである。すぐに僕の部屋にきて教えてくれた。99年の京都での事件を思い出した。娘がいう問題というのは、なぜ犯人の名前をいわないのに、子どもの名前を報道するのかということである。犯人(という言葉を娘は使った)の人権はあっても、被害者の人権はないのか、というのである。おそらくは容疑者は責任能力がないということなのだが、ワイドショーなどでは、病名を何度も繰り返し報じていた。今、読んだasahi.comやMainichi ITERACTIVEでは、精神科に入退院を繰り返していたことが報じられている。病気への偏見、精神科に通院することへの偏見が助長されなければいいのだが。
2003年12月18日
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自立について 長年の友人である上原由起子さんからFAXが届いた。用件を記す紙にはいつも「わが屋の風景シリーズ」というエッセイに自作の絵が描いてある。いつのまにかNo.617になっていて驚く。二人の娘さんも大きくなられた。「いまはだいじょうぶ」という言葉を添えたイラストを描いてもらったことは別のところに書いた。「ある日娘から「これからは自分の可能性を信じて好きに生きる、長い間ありがとう」というメッセージが届いた」 子どもの自立の援助をするのが親の役割だと理解しているが、親は報われない。そんなことを期待していないともちろん誰でもいうのだが。「長い間ありがとう」といわれて、ある日突然去られたら、喪失感は大きい。初めから別れの日がくることを覚悟していなければならないし、子どもに自分の人生を賭けるというようなことをしてはいけないのだ。理解と支持「首相は米国の戦争を、それが始まる前に「理解」していたのではなく、「支持」していた」という加藤周一の指摘は正しい(『夕陽妄語』2003.12.17)。理解することと、賛成(支持)・反対は別のことである。理解した上で反対することはありうる。理解した上で賛成することももちろんある。理解しないで賛成するのも反対するのも何の議論にもならず最初から決めているわけだから、どれほど反戦デモをしても、世論調査の結果がイラク攻撃反対が賛成を上回ることを示していても何の影響も与えることができなかったわけである。
2003年12月17日
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小泉首相が、自衛隊派遣が必要であることを強調した上で、「テロリストとの対決は覚悟しなければならない。東京でもテロが起きるかもしれないといっている。自衛隊派遣をやめればいいということではないのか。こんなふうにいってもなお他人事のように聞こえる。 臨床心理学の講義。早くも11回目。少し面倒な議論をしたのだが、学生さんたちに粘り強く聴いてもらってうれしかった。内容としては、「運命」について(『不幸の心理 幸福の哲学』p.202以下)、「今ここ」に生きることについて(p.208)。直線的に時間、あるいは、人生をとらえない。ただ生きること、あるいは、生き延びるという意味での時間の永続ではなく、時間を超えた永遠性をエネルゲイアとしての生においては目指される(p.212)。 地元の新聞社でインタビューを受けたことを書いたが、その日話の中で、僕の話を聞いて思い出した、と『星の王子様』のことを思い出した、と関連のことが掲載された記事を読ませてもらった。ちょうどその日の午前中のカウンセリングの中で、僕は『星の王子様』を取り上げて話していた。 帰る時、最新号を一部もらって帰った。帰って娘にこの日のことを話した。この新聞に載るんだよ、と新聞を手渡すと娘は新聞をめくった。「あ、これうちや…うちが写っている!」中学校での福祉体験学習の記事があって、そこには娘が車椅子に乗っている写真が載っていた。 さてこういうのを偶然の一致というのかどうか。これは偶然ではなくすべては実は決まっている。我々の人生も運命によって決まっているのかどうか…これが最初の話のとっかかりの話。「今ここに」生きることについては、アリストテレスが区別する二つの動の話から始めた。一つは「どこからどこまで」が問題になり、効率ということが問題になる。通勤や通学であれば自宅から職場、学校までいかに早く着くかが大事である。アリストテレスはこのような動をキーネーシスと呼んでいる。 もう一つはエネルゲイアと呼ばれるもので、こちらはどこからどこまでということは問題にならない。ダンスであれば、今こうやって踊っているというまさにそのことが問題なので、ダンスによってどこからどこまで行くかは問題にならない。ましてダンスをしてできる限り早く目的地に着こうとは思わないだろう。 人生は、後者としての動である、とアリストテレスは考えるし、僕もそう考える。人生を直線的に捉え、生から始まって死で終わるというふうに考えると、生きることをキーネーシスのイメージで考えることになるが、エネルゲイアとして生を考えるみると、アリストテレス的に表現すれば、生きていることが生きてしまっていることになる。つまり、今が生は完成しているのであり、先まで待って何かが達成して初めて生が完成するというわけでは<ない>ことになる。道半ばで倒れるという言葉も必要となくなる。 このように考えることが神経症的なライフスタイルの克服につながるという話を続いてしたのだが、これはまた別の機会に。 以上書いたようなことを知ってしまうと、人生がすっかり違ったものになってしまうといっていいくらいである。
2003年12月16日
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午前中カウンセリングをした後、亀岡市民新聞社の吉川泰博氏のインタビューを受ける。新刊の僕の『不幸の心理 幸福の哲学』を読んでインタビューする氏は初めて聞くアドラー心理学の話に大いに驚き、この話が地元ではまだあまり知られていないことを知って、講演会や新聞への連載などを提案される。ありがたい。教育、育児の話から戦争や憲法についての話まで長時間にわたって話をすることになった。 単純な疑問なのだが、むさくるしい姿で口の中まで検査されるフセイン元大統領の姿を映像を流すのは戦時の捕虜の扱いについて定めたジュネーブ条約に反するのではないか。ラムズフェルド長官は、イラクの国営テレビやアラブ諸国のメディアが米兵捕虜の映像を公開した際にはジュネーブ条約違反だと批判していたのだが。独裁者には人権などないということか。 小泉首相は衆院イラク復興支援特別委員会の閉会中審査でイラクへ派兵する自衛隊の活動内容について「(武装した他国の)兵員を一人も輸送してはいけないことにはならない」(二重否定!)といっている。容易にそれまでの解釈が覆される。 金子みすゞにこんな歌がある。「明日よりは、何を書こうぞさみしさよ」(『不幸の心理 幸福の哲学』p.194) 今日は、書くことを禁じられた金子の気持ちを追体験した。
2003年12月15日
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フセイン元大統領が拘束された。さて、一体このことが今後どんな影響を及ぼすのかにわかに判断がつかない。フセインの拘束が戦争の目的だったとしたら、これでようやく戦争が終結するということなのか。そうだとしたらこれまであまりに大きな犠牲が払われた。「誤爆」された人は数知れず。バグダッドが陥落した時のように、戦争を肯定する人は、イラクの人が喜んでいるではないか、というのだろうか。日本の自衛隊はもはやイラクに派遣される必要はなくなるのか。いや、今こそイラク復興のために行く…それなら、武器は携行しなくていいではないか…しかし、治安状態はまだよくならないだろうからそういうわけにはいかない…そういう地域は戦闘地域というのではないか…ともあれフセインの拘束によってこの戦争がいい方向に進むことを願っている。decapitation(首を刎ねること)という物騒な言葉が使われていたので、生きて拘束されたのはよかったと思うが、さてこれからフセインがどう裁かれるか、誰によって裁かれるかはむずかしい問題である。 数日来、力が入らなくて、何も手に付かない。
2003年12月14日
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朝からカウンセリング。疲れてしまって、夜、椅子にすわったまま二時間ほど寝てしまった。電車の中なら快適なのに椅子だと疲れるような気がする。 「イラク戦争日記」をまとめていると、ついこの間のことなのに、いろいろなことに気がつく。戦争が始まってから、イラク難民救助活動のために政府専用機がアンマンに向けて出発した(3月30日)。PKO協力法に基づいて政府専用機が物資輸送に使われるのは初めてのことである。イラク周辺国にはその頃、難民はわずかしか確認されていなかった。この専用機には航空自衛隊員が50人同乗した。防衛庁幹部は「日の丸を掲げることに意味がある」としていた。専用機が運んだテントはヨルダンやトルコで買ったほうが安い。それなのになぜ日本から高い輸送費をかけて運んだのか。駐ヨルダン大使はいった。「たとえ経済的に高くついたとしても日本の難民支援に対する姿勢を示すことも考えねばならない」。キャンプには難民はいなくて大部分のテントはアンマン近郊の倉庫に保管されることになった。なぜここまでしてテントを運ぶのに自衛隊を派遣したのか(専用機にただ同乗していたのではあるまい)後の自衛隊派遣の布石だったように思う。 アドラーは、アルコール依存症患者をしらふにするだけでは、適切な治療とはいえず、ライフスタイルを矯正しないといけない、といっている(『個人心理学講義』p.99)。なだいなだが、ブッシュ大統領がアルコール依存であり、この病気はただアルコールをやめればいいという問題ではない、と書いているので思い出した(『老人党宣言』pp.32-3)。「そこが出発点で、自己中心的な世界観から抜け出し、家族の中の自分、世界の中の自分という視点で自分が見られることが重要なのです」(p.33)。アドラーのいい方でいえば、世界の中心であっても、世界の中心にあるわけではないのである。「アルコールはやめているが、こころは前のアルコール依存のまま、アルコールを他の何かに、乗り換えただけということもあるのです」(ibid.)。ブッシュは聖書主義の新興宗教に乗り換えた。そこから悪の枢軸への戦争という考えが生まれた。
2003年12月13日
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本を手に入れたという話を聞かない。注文しておいた本が入荷したので取りにいったという人が一人だけあったのだが。どうなっているのか出版社に連絡したら時間が遅かったからか電話が繋がらなかった。amazon.comは最初から在庫切れで(なぜ?)注文できない。『人はなぜ神経症になるのか』の時は、あちらこちらから書店に平積みになっていたという報告が入り、amazon.comでも売り上げランキングが上位になって喜んだものだが。そんな中、地元の新聞社にインタビュー記事が出ることになった。発行部数は多いわけではないが、目にした人には興味をもってもらえるだろう。 アメリカがイラク復興事業の受注先を、アメリカに協力的な国の企業に限るという方針を決定したことが問題になっている。自衛隊の派遣に固執するのはこのことに関係があるのか、と思ってしまう。国を滅ぼしておいて復興ということ自体がひどい話で、今度の戦争がそもそもどんなものだったかをいつも思い起こさないといけない。この戦争で一体何人の人が殺されたか。そういう死をなんとも思わない人たちが利権を得ることだけを考えて戦争をしたのではなかったか。 今度の僕の本にはクラスター爆弾のことを書いたのだが、自衛隊が購入していたということを覚えている人はいるだろうか。クラスター爆弾を航空自衛隊が予算書に明示せずに購入していたのである。予算書のスペースの制約があるから細かな内訳まで記載していないなどという弁明を防衛庁はするのだが、148億円である。どこで使おうというのか。もちろん日本国内ではないだろう。使いたくてしかたない人たちがいるのである。海外で。 娘がまた学校を休んだ。風邪がよくならない。朝、母子のやりとりが耳に入る。「おかあさんお腹いたい…」「薬は六時間あけたら次のを飲んだらいいから」「お腹いたい」「この腹痛は風邪に伴う腹痛なので風邪がよくなったらよくなるから」微妙にというかかなり会話がすれ違っているのがわかる。「今、お弁当作っているから忙しいから」たぶん娘は少し近くにきてもらったら満足したので、そのことで痛みが治まることも、長い時間親を拘束することも考えていなかったと思う。僕は娘に近い感覚をもっているようだ。
2003年12月12日
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尼崎の保育士研修会へ。もう長く続くこの会に参加する保育士さんたちの活発な議論を楽しむ。今年最後の会だったので、ショートケーキとコーヒーが出る。もっとも話に夢中になって、会の最後まで誰もケーキに手を付けなかったのだが。 なだいなだの『老人党宣言』(筑摩書房)を見つけ読む。老人党は仮想政党である。僕が知ったのは、この日記にも書いたのだが4月のことで、その頃はアクセス数は少なかったのだが、その後いろいろなメディアで紹介されたこともあって、今は毎日多くの人が訪れるページになった。「日本は危険な方向に大きく一歩を踏み出したことはたしかだ。イラク自衛隊派遣に反対しましょう。本当は若い世代が中心になってもらいたいが、ならないなら、老人党が中心になって「イラクに平和を、市民連合」(昔風に命名すれば、イ平連になります)を作って、運動を盛り上げていきたいと思いませんか」となだ氏は、最新のコラム「イラクに自衛隊派兵」に書いている。アルコール依存症が専門の精神科医であるなだは、小泉首相は「アメリカ依存症」だということを四月に書いていたが至言である。「ぼくだって病気です。理性依存といえるでしょうか。なんでも理性で理解しよう。問題は話し合いで解決しよう。それは出来るはずだ。今は出来なくとも、いつかは出来るだろう。そうかたくなに信じる病気です」(p.33) 先崎一陸上幕僚長によれば、小泉首相がイラクに派遣される自衛隊の候補要員に、「危険な任務だが、自衛隊でなければできない任務を果たしてもらいたい。政府としても最大限の努力をしたい」との激励のメッセージを贈ったという。「危険な任務」だということを明言している。
2003年12月11日
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今の憲法はいわゆる自主憲法ではないからだめだということをいう人は昔から多いが、成立事情は内容の価値とは関係がない。憲法でも法律もいくらでも都合のいいように解釈される現状を思うと「改正」になるか疑わしい。イラクに派遣した自衛隊が米英軍などの他国の武器・弾薬はしないと小泉首相はいったのに、福田官房長官は、武装した兵員の輸送は可能だという。兵員は武器や弾薬ではないから? 詭弁である。専守防衛に徹するかと問われても「正当防衛」は可能というだろうし、イラク人を巻き添えにするようなことがあっても何とでも説明するだろう。亡くなった方の死を無駄にしないとかいうのであろう。テロに屈しないとか。そんなに戦争(以外の何といえばいいのだろう)がしたいのか。自分がイラクで闘うわけでもないのに。どうしたらいいのか、何ができるのかと思うと、安眠できない。いよいよ僕の本は明日配本である。出版の予定が大幅に遅れてしまったので、イラク戦争のことについて書いたあたりがいささか古びるかもしれない、と思ったが、残念なことにタイムリーな内容になってしまった。 1月以降、イラク戦争について書いた個所をまとめて、イラク戦争日記(1)を書きました。しばらく連載します。
2003年12月10日
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イラクへの自衛隊派遣が閣議決定される。これだけの重装備を持ちながら軍隊であり占領軍と見なされないと考えるのがおかしいし(小泉首相は自衛隊のことを「国軍」と呼ぶ)、実際に武器を正当防衛という名のもとに使って、民間人を巻き添えにするようなことがあった時一体どう弁明するというのか。これが起こりえないこととは残念ながらいえないのが現状である。中曽根氏のコメントは笑止である。「政府は一時、腰が引けたかと思ったが、携行する武器を見ても腰が入った。毅然たる態度で大変よろしい」。全然よろしくない。「貢献」という言葉を僕はこれまでよく使ってきたのだが、今度の本に、手垢にまみれた言葉になった、と書いた。毅然という言葉もこんなふうに使われると困る。イラクで何が起こるか目に見えていると思うのだが、きっと自衛隊を何としても派遣しなければならない理由があるのだろう。自衛隊を軍隊にし、海外派遣をする前例にする、さらには憲法を変えることであることのように思うことについてはこれまで書いてきたとおりである。 『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を半分くらい。ハウツーものではないので、これを読んだからといって小説を書けるとは思わないが(帯には「必ず書けるようになる」と書いてある)、いろいろと気づきがある。「日常の会話というのは、極端に言ってしまうと、聞き手は話し手の意図を取り違えて納得しているということを押さえておく必要がある。聞き手は、話し手の話を聞きながら、たえず並行して別の関心事に気持ちが行っているのだ」(p.101) 日常の会話はこんなことがあるので歪んだり停滞する。そんなところを小説で再現するのはむずかしいことだろうが、たしかにこんなことはある。話の内容のみならず相手の表情などから心をさぐったりもする。 娘が二日風邪で学校を休んだ。一日目は家にいられたが、二日目は出講日で出かけなければならなかった。深夜、娘の大きな声が響き渡った。元気になったようで安心。
2003年12月09日
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朝から娘が熱を出して臥せっていた。食事もとれない様子なので気になった。今日は外に出かけなくてよかったのだが。 簡単明解なはずの憲法が多義に解釈される。学問的にはそれでいいと思うのだが、時の政治家が学問上の論争などもないかのように、恣意的な解釈をしたり、そもそも憲法の存在すら無視しているように見えるのは残念なことである。 東京都立大学などが解体され新しい大学が作られ、その理念作りなどは予備校に委託され、上からの改革が進められようとしていることについては、iBlog版の日記に少し書いたが、カリキュラムの編成まで構想を進めていたのに、石原知事が大学の先生に任せていたらタコつぼ型の発想しか出てこないから、と白紙撤回するというようなことが行われるようになると学問の自由が保障されるのだろうか。 ワイドショーを久しぶりに見たら自衛隊派遣をめぐって議論がされていた。途中から見るとテロップが出ないので誰の発言かわからなかったのだが、テロは「国または国に準じる者による組織的、計画的は攻撃」ではないので、テロがあってもそこは戦闘地域ではないという詭弁を堂々といっている人がいて驚いた。陸上自衛隊は、個人携帯式の対戦車弾や無反動砲の装備を携行するとのこと。先の人はイラクに行けないのなら他の国に自衛隊を派遣すればいいとも。何のためなのかよくわからなかった。いつの日か私もイラクへ、と小泉首相はいった。いつの日か、ではなく「今」! 井原西鶴の『武道伝来記』巻八、第一「野机の煙くらべ」を読んだ。 本編における敵討のストーリーは比較的単純である。主君の葬式の場での焼香順をめぐっての「遺恨」が猪谷久四郎に国見求馬(もとめ)を討たせることになり、求馬の子どもたちが十二年後に久四郎の居所を突き止め、親の敵を討つというのが主なストーリーである。 このストーリーに求馬の次男虎之助と、虎之助を難から救った「二十余りの女房」との交渉、「不思議の縁」がからむ。二人は恋仲となり、女は命を賭して敵に近づくべく久四郎方に奉公に出て、密かに虎之助と連絡を取ろうとするのだが、久四郎、今は夢楽と名乗る男と共寝をすることになり、やがて夢楽の子どもまで産むまでになると、「はかなき」「女心」は夢楽の「栄華」に傾いてしまいそうになる。最終的には女は虎之助との約束を反故にして、栄華に心変わりすることを戒め、虎之助らに敵討の機会を教え、敵討は首尾よく成就するのだが、女は夢楽との間に出きた子どもを敵の子どもである、として殺し自害するという結末に終わる。 虎之助の視点に立つならば、虎之助とて女を奉公に出すことで何が起こるかわかっていたはずである。虎之助が女の死後、出家したのは、恋人の貞操を犠牲にしてまでも復讐を遂げようとした女の申し出を断り切れず、結果として身は一つでありながら二人の男で心を揺らせ悲劇的な結末へと導くことになった自分のふがいなさを恥じたということがあったかもしれない。 少し共感するところがあって、思いもかけず西鶴に親しみを感じてしまった。
2003年12月08日
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昨日の続き。ある日、息子は母親にいった。「あの先生の学校に行く」。このことは、母親にとって青天の霹靂だった。そして母親は病の床に伏せることになる。母親にとって息子は生き甲斐であったのかもしれない。僕は高校を卒業してどこにも行かないで家にいたことがある。あの頃の母は僕がいるとうれしそうだった。他の家族に内緒で自分では食べないのに昼に特別の食事を作ってくれたこともあった。先の若者は自分の意思で自分の進路を決めた。このことが母親の意に沿わなかったのだと思う。もしも息子が進路を決めるに至ったその先生が母親の友人であったら、そしてこの先生にメールを出してごらんといい、息子がその結果、高校に行く決心をしたとしたら、あるいは落胆することはなかったかもしれない。自分が息子の人生のレールを敷き、それにのっかったことになるからである。それなのに、実際には、母親が知らないところで、息子は自分の人生を決めたのである。これがこの母親にとっての息子との「別れ」だった。別れはかくも突然訪れる。その別れを受け入れられない母親はしばらく苦しむことになる。 掲示板に書いたのだが、聖書の話について書いてみたい。 ある青年がイエスに「永遠の命を得るためにはどうしたらよいのでしょうか」とたずねた。イエスは「掟を守りなさい」と答えました。殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、隣人を自分のように愛しなさいというような掟である。「そういうことはみな守ってきました。まだ何が欠けているのでしょうか」。イエスは、持ち物を全部売り払い、貧しい人に施しなさい、と答えた。「青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」(『マタイによる福音書』19.22) もしもこの青年が、イエスがそうしなさい、といったからという理由で、あるいは、永遠の命を得るために、富を捨てたとしたら、永遠の命を得ることはできなかったのではないか、と思う。他の掟についても同じである。父母を敬え、といわれたから敬うというのではだめなのである。 イエスの意図は固定した価値観から自由になること、また、律法主義から自由になることだったと僕は考えている。律法主義に反対したことは重要である。ただし、イエスは律法主義を否定する一方で、聖書の一点一画まで成就されるために私はきたといっているように、律法主義は否定したが、律法の精神まで否定したのではなかったのである。 それゆえ、誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい、と書いてあっても(5.39)、教条的にそうすればいいというわけではない。 しかし、憲法のことを考えるとはたしてイエスについてのこのような解釈がはたして正当なのか再検討してみないといけない。
2003年12月07日
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四日市市で講演。行政の人もたくさんこられていて、いつもの講演の時よりも男性が多かった。僕の話に先立って虐待防止という話が挨拶の中に出てきたので、これは決して特別なことではない、虐待する人だって子どもを愛していないわけではない、ただ愛し方を知らないのではないか、というようなところから話し始めた。知っているか知らないかといえば、ひょっとしたら虐待なんか自分とは無縁だと思っている親も知らないのかもしれない。愛情が足りないといわれたら、愛を注げばいいと思うが、そう思う時に、どう愛したらいいかがわかっているのかのように思うかもしれない。しかし実際には(おそらく)よくはわかっていなくて、子どもを溺愛するという結果になることがある。 親子関係ではとりわけ子どもの自立が前提になっていて、親が子どもの自立を妨げるようであれば、子どもを愛しているとはいえないのである。これは親としてはなかなかむずかしいことである。「尊敬」という言葉について語源に溯って今度の本で書いたところがあるのだが、今はこうして一緒にいてもいつまでも一緒にいられるわけではない、何かの形で別れの日がくることがあるだろう。その日までは仲良く一緒にすごそう、と日々決心しなおすことを尊敬というというような説明をした。 別れといってもこの言葉に含意されるような怖い意味では必ずしもない。ある母親にこの別れは、突然訪れた。しばらく学校に行っていなかった息子はコンピュータをインターネットに接続するや否やたちどころにメールをやりとりする友だちを何人か見つけた。その中で一番頻繁にメールのやりとりをするようになった先生がいた。ある日、彼は母親にいった。「あの先生の学校に行く」。このことは、母親にとって青天の霹靂だった。そして病の床に伏せることになる。一体何が起こったのか(続く)。
2003年12月06日
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「変な人」という言葉が頭に浮かんだ状態で本を読むと不思議にこの言葉に出会う。ランボーのことはiBlog版日記に書いたのだが(二十歳以降詩を書かなくなったのは詩から脱落したのではなく、向こう側へ抜けてしまったということだという話)、池沢夏樹の小説(『すばらしい新世界』中公文庫)を読むと、ここに登場する家族について、「変な人」といわれることがあるけれども、「作者」によれば、何かが少し過剰で、何かが少し不足しているけれども、ごく普通の人々である、といわれている(p.48)。 今の日本が住みにくい理由のひとつは、ここが非常に均質度が高い社会であることである、とされる。ある一定の条件を満たさない者をふるい落とす制度が社会の至るところに組み込んであるので、落ちこぼれることがある。しかし「自分の判断のものさし」に揺るぎがなければ、ドロップアウトを経験し、「変な人」と思われても、「精神的な自給自足の姿勢」で外圧に耐え生きていけるし、僕はそのような生き方を今度の本で使った言葉を使うと「善く生きる」ことだと理解している。 保坂和志は、「逸脱する精神」がなければ小説ではない、と書いているが(『書きあぐねている人のための小説入門』p.38-9)、生きることそのものについても「逸脱」がない生き方はつまらないと思う。もちろんいろいろな意味でリスクが伴うのだが。 本がたくさん届き、今日カウンセリングにこられた人たちに手渡すことができてうれしい。
2003年12月05日
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奥氏と井上氏が亡くなられたことについて小泉首相は「この死を乗り越えて、日本はやるべきことをやらないといけない。テロに屈してはいけない」と今日も同じ言葉を繰り返す。イラクの復興を願いテロを憎むということと、自衛隊派遣は別の次元のことだと僕は理解しているのでお二人の死が自衛隊派遣賛成の世論を形成するために使われることがないことを願っている(イラクの復興という言葉を使うたびに、大量破壊兵器の発見という大義名分のもとアメリカが、あるいは、正確にはブッシュ政権が、戦争を仕掛けたのではなかったか、と思う。正当性のない戦争でイラクを壊しておいて復興といっているわけである)。 今こそ感情的にならないで冷静に自衛隊派遣の是非について考えたい。話は自衛隊派遣の問題にとどまらないのである。イラク特措法は組織的なゲリラ戦が続くイラクの現状にそぐわない。だから自衛隊を派遣できないと考えるのが合理的であると思うのだが、現状にそぐわないからこそ、この法律を変えようとする動きがある。 もとより自衛隊の海外派遣は憲法に反しているが、それなら憲法を変えればいいという話になってしまうのが、この国の政治の怖いところである。しかも歯止めになるだけの力がない。公明党は連立与党として小泉首相の方針を尊重せざるをえない、といっている。連立離脱の選択肢がないからということなのだが。離脱すればいいではないか。「国益」など誰も考えていないのではないか。ひどい話である。 今日は鍼。疲れてますねえ、とまたも先生にあきれられた。
2003年12月04日
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大江健三郎が「リベラシオン」紙に寄稿した論文に、イラクへの自衛隊派遣はイラク情勢とは関わりなく開戦当初から決まっていたと書いているが、大量破壊兵器があろうとなかろうと戦争をしたかったブッシュ大統領と同じく、現実のほうを後からこの目的のために合わせようとしているように見える。ラムズフェルド国防長官は、イラクに兵力を送っている国は、現地が危険な場所であることを認識している、と語った翌日には、国の大部分は紛争状態にはなく、安定した状況にある、といっている。イラクのサハロ情報相を笑うことはできないだろう。 小泉首相は、自衛隊派遣に関する関係閣僚との協議で、秘密保持を徹底するように指示したという。隠れて何を決めようとしているのか。いや、「何を」はもう決まっているのだろう。「あまりにも情報が漏れすぎる。秘密にしなきゃならない情報もある。ペラペラしゃべりゃあ、いいってもんじゃない」秘密主義は危険な兆候だと僕は思う。自衛隊派遣について説明が足りないのではないか、と問われ、福田官房長官はいう。「決めてないからいえないんです」。そんなことないのでは。もし本当に決めてないのなら、情勢を冷静に判断してほしい。 娘は今日は試験が終わったらしく昼過ぎに帰ってからくつろいで過ごしている。考えてみれば、何も昨日、携帯電話を買いに行くことはなかったような気もしないわけでもない。僕は月曜か、火曜かどちらか都合がいいかたずねられたので、火曜といっただけなのだが。夕食の時、娘と僕の若く亡くなったおじの話をした。「すごい頭のいい人だったんだけどね、27だったか28で亡くなったんだ」「へえ~(といきなり話が飛躍するのだが)ねえゲーテって知ってる?」「知ってるよ、ちょっと待って(手元にある←いつも持っている、僕の本を開いて)。ほらここに引用してあるよ」「ほんとだ、すご。でね、わたしゲーテは何歳で死んだか、って試験に出たんだけどわからなかったの」「じゃあどうしたの?」「昔の人って早く死なはるやん、そやし28って書いたんやけど、ちょっと若すぎたかなあ」「…うん、かなりね」ゲーテは83歳で亡くなっている。ちなみにこれは音楽の試験に出た問題だそうである。僕たちのやりとりを(実は)聞いていた息子がいった。「つまらないこときくなあ」本質的な知識だとは僕も思わない。試験がどうだったか娘は気にしていない様子だが、少し僕は気になる。
2003年12月03日
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明治東洋医学院で講義。教室に新しい本を持って入ったら(ちょうど講義内容が本の第2章だったのである)目ざとく見つけた学生が初めのクラスでも後のクラスでも「今度の本ですか」と。ホームページを読んでいるようで恥ずかしいといえば恥ずかしい。写真ではよくわからないが、実際に見ると装丁はこっていて驚かれる。 電車の中で一読者として読み直している。自分の講演テープを後で聞き直すのと同じように恥ずかしい。何度も読んでいるので自分では評価できなくなっているかもしれない。誰かこの本を読んで一言「おもしろかった」といってくれる人があれば安堵するのだが。もっとも多少この「おもしろい」ということには問題がないわけではない。 小説のおもしろさについてであるが、保坂和志がこんなことを書いている(『書きあぐねている人のための小説入門』p.18)。「「面白い小説」のほめ言葉として、よく「一気に読んだ」というのがあるけれど、それはほめ言葉ではない。そういう小説は、すでにある面白さ、すでに読者が知っている面白さに則って書かれているわけで、これは私の考える小説の面白さではない」 大丈夫、一気には読めないから。これはむずかしいという意味では決してなく、読者の価値観をきっと揺るがすことになるので一気に読めないという意味である。読んでも何も影響を与えることがない本は多い。今度の本はそういう本ではないだろう。「テロに屈しない」という言葉はもうたくさんと思う。なんとかして自衛隊を合法のものにしたいという意図だけが見えてくる。川口外相は、在イラク大使館を含む「すべての」(!)在外公館の警備体制について「武装した」(!)自衛隊による警備も選択肢として検討すべきだとの考えを示したという。当然、張り子の虎ではないわけで攻撃を受けたら発砲もするのであろう。このようなことを可能にするためには、自衛隊法改正などが必要になってくるわけだが、外交官が犠牲になってもいよいよ事態は悪化の一途を辿っているように見える。世界中の公館の警備を武装した自衛隊が行うとは、いよいよ自衛隊の役割が仮に現状では合憲だとしても(僕はそうは考えないのだが)危険なものになっていくように見える。 娘が携帯電話の機種を変えるというのでつきあう。僕の常識では試験期間中にはこんなことはしないのだが娘はものともしない。
2003年12月02日
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夕方、京都に戻る。朝方までCNNを見たりして過ごしていたが、どうやら目覚ましをセットしないで寝てしまったらしくて気がついたら十時だった。帰ると娘が迎えてくれた、無事でよかった、と。娘はアルカイダを名乗る者が、自衛隊をイラクに派遣すれば東京を破壊するというメッセージが届いていることを知っていて心配してくれていた。対岸の火事の火の粉がここまで飛んでくることはないだろう、とたかをくくっている政治家がほとんどだろうし(ヨーロッパの諸国ではこんなことはいってられない)、娘のこのような心配は笑止なことをいっていると思われるかもしれないが、後で引く石原慎太郎東京都知事の発言を聞くと杞憂とはいえないかもしれないと思ってしまう。 テロに屈してはいけない、とテロとの闘いを大義として自衛隊派遣を説く小泉首相だが、忘れてはいけない、自衛隊派遣の目的は、人道支援や復興への協力なのであって(もしも自衛隊が派遣されるとしたならば、ということだが)テロを制圧することが目的なのではない。ゲリラ攻撃を続けている勢力がフセイン政権の残党ならば、今起こっているのはテロではなく、戦争が継続していると考えていい。もしそうならばテロを制圧するために自衛隊を派遣するという意識があるとするならば、自衛隊は戦争をしにいくのと同じである。もちろん、そのようなことは憲法で禁じられている。自衛隊は相応の武器があるとして対戦車弾を携行するという。応戦することが想定されているわけである。 石原慎太郎都知事はこんなことをいっている。「平和目的で行った自衛隊がもし攻撃されるなら、堂々と反撃して殲滅(せんめつ)したらいい…無秩序だけを標榜するテロが攻撃を加えてきたら、反撃して殲滅するのが軍隊ではないか」と。自衛隊は石原知事の理解では「軍隊」なのである。 自衛隊は一体何をしにいこうとしているのか。暴力に暴力で相対することは避けなければならない、と思う。非戦闘地域(そんなところはないことが明らかになった)へ民生安定のために派遣される自衛隊が対戦車砲を装備する。対戦車砲弾のような武器が使われる時、イラクの一般の国民が巻き添えにならないというようなことがいえるのだろうか。それとも民間人の犠牲は「正義」のためには取るに足らないものなのか。いつの時代も正義の名のもとに無辜の民が犠牲になってきたことを忘れてはいけない。 関連記事をblog版日記に書きました。
2003年12月01日
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