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蓄積ということについて昨日少し書いたが、いつだったか娘と一緒に料理を作ることになった時娘が「私の方がベテランだから私が作るわ」といったことを思い出した。「ベテランって、料理を作って何年くらい?」とたずねたら、「三年くらいかな」と娘。それなら僕の方が長いではないか、といいたくなるところだが、娘のそれまで生きた年月を考慮すると同じ三年でも重みが違うわけである。 大人は年数で判断してしまうかもしれないが、単純に経験が浅いと判断できないケースも多々ある。むしろ古人がいったように経験は知者を作らないということもあるわけで、長く生き経験が豊富であれば知者であるとはいえないことも多いように思う。 自分のことを考えてみると例えば高校生の頃は経験もほとんどなくもっぱら本を通じての知識しか持っていなかったし、先への見通しが十分でなかった分、考えが偏狭だったことは否めない。それでもその頃真理の一片なりとも獲得しなかったかというとそんなこともない。このところ、高校時代に読んだ『人生論風に』(田中美知太郎、新潮選書)を読み返している。高校の授業には宗教というのがあって三年間もっぱら釈尊の生涯について学んだが、その授業で使う教科書の中に田中美知太郎もエッセイがあってそれに惹かれたことがきっかけで読んでみようという気になったことを思い出した。アメリカの論文のように結論が最初に書いてあって、後はその結論の例証というような単純な構造ではなくて議論が進むにつれて前章でいわれたことが否定されていくという形式で書かれている田中の論文はむずかしい。きっと当時もむずかしく思ったはずだが、では今の方がよく理解できると手放しでいえないところが複雑な気持ちである。経験だけはたしかに重ねたのだし、哲学が五十歳からの学問であるとプラトンがいっていることも知っているが(年齢のことでいえばまだ僕にとっても哲学は早すぎることになってしまう)。 ふと明日の講義があるのか気になって調べたら休講のようだが、自信が持てなくて学生の一人にメールで連絡を取ったらすかさず「学校はありますが授業は休みです」という返事が返ってきた。たしかに学校がなくなったら困る。 SARS関連の記事が多い。日本大使館が在留邦人に帰国も含めた北京退去を検討するよう勧告したというニュース。帰国後無事日本で居場所がありますように。 台湾の立法委員(国会議員)がSARSはChina Pneumonia(中国肺炎)という名称に変えるべきだという提案をしたという。元凶が中国であることをわからせるためということだが最初どこの国で発生した病気であれ、今となっては国を超えての協力体制を築いていくしかないだろうに。
2003年04月30日
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夜中に、ああ、肩が凝っているんだと突如として痛みを自覚した。だからといってどうしようもなくて悶々と眠れぬままに展転反側の夜を過ごすことになるのだが。夜が明ける頃(この頃の夜明けは早い)ようやく眠ることができた。長くて複雑な夢。要は(to make the long story short)前に借りたままになっていて返さなければならないものがあることを思い出して(F/B♭のホルン)、それが保管してある場所に行ったもののそこにはもうなくて別の場所に移されている、それをさらに探しに行ってようやく見つけたものの取り外せるようになっているベルの部分が紛失している…この大筋の中に僕が知っている女性が三人が登場(もう二十年以上会ってない人も。名前も思い出せない)。そうそう名刺を出す場面があった。記載されている肩書きが古くなっていて困っていた。二十年以上忘れていたのに突如として思い出して生活がそのことをめぐって動き出すところなど昔のトラウマを思い出したらこんな感じなのかもしれない、と夢の中で思っていた。 息子と昨日話していたらこんなことをいう。国際関係関連の本を最近読んでいることに言及して「君の場合、蓄積がないから」と。付け焼き刃ということである。では彼には蓄積があるかといえば、たしかにある。小学生の頃から国際情勢については詳しくてニュースを丹念に見ていた。精神科の医院に勤めていた頃は帰りが遅かったが毎晩息子は起きていた。そこでその日の出来事についてたずねると簡潔に説明してくれたものだ。そんな彼に付け焼き刃といわれたらたしかに返す言葉がない。一体全体僕に付け焼き刃でない知識があるのかどうか。今教えている学校で毎回何を教えたか記録することになっている。他の先生も見ることができる。心理学にしても僕は大学で専攻したわけではないから、ある講義を別の先生と昼間部と夜間部で分担しているのだが、おそらくは心理学が専門のそしておそらくは僕よりうんと若いだろう先生の講義のことが気にかかって仕方がない。哲学はその意味では僕の専門で、哲学という言葉も概念もギリシアのものだからギリシアから始めなければ意味がないのであって哲学の最前線というようなことをいっていてはいけないと自信があるのだがいかんせん講義をする機会がない。 時々こんなふうにくよくよ悩んだり愚痴をいったりするが、誰かに相談するまでもなくどうしたらいいかわかっているところなどなんとも辛い。
2003年04月29日
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朝、土曜日の夜にamazon.comに注文した本が届く。その中の藤原帰一『戦争を記憶する』(講談社現代新書)を持って学校へ。最初の方しか読めず続きは帰ってからと思っていたところ息子が帰ってきて僕の本なんだから、と部屋に持っていってしまって読めないことに。そんなことならもっと集中して読むべきだった。 そういうわけで手元に本がないまま最初の方だけ読んだところについて書いてみると…広島は絶対平和を願い、誰が戦争をするかということには関わりなく反戦の立場に立つが、他方、欧米ではホロコーストのような絶対悪に対して立ち向かう責任が問われる。ゆえに反戦ではなくて正戦の思想が生まれた。広島の原爆についていうとこの立場からいえば日本に戦争の終結と平和をもたらしたものとして見られ、原爆によって民間人が犠牲になったことは大きな問題にはならない。そもそも最終的に原爆投下に終わるような戦争を始めた責任をこそ問わなければならない、と… これは本に書いてあったことではないが、この流れで考えるとアメリカが今回のイラク戦争を正戦と見なすのは唐突なことではなく、日本で反戦(あるいは非戦、英語では何と訳すのか?warlessness?)運動が行われたのも広島からの流れに考えることができるかもしれない(反戦と正戦は実はそれほどかけはなれているのではなく、この二つの考えの対極に位置するのはリアリズムであるという議論はおもしろいと思ったが、今手元にはないので今はこれ以上書けない)。 もとよりアメリカ人とか日本人といういわば大文字で語られる我々は個々の我々とは区別しなければならない。正戦をよしとする日本人もいれば、非戦をよしとするアメリカ人もいるわけだが。 少し読みかけた歴史と記憶の問題は興味深い。立派に哲学のテーマになる。早く息子がこの本を読み上げるのを待とう。「本、たくさん買ってるではないか、ちゃんと読んでいるのか?」はい、読んでます。買う本が多いのではないか。たしかに…国際関係学や政治学の本は買わなくてもいいから、図書館で借りたらいいんだ。息子がそういっているのにある岩波新書を買ってしまっているのが発覚してしまって不機嫌。僕が何のために図書館で新刊を入れてもらうよう努力したかわからないではないか、というのである。とにかく本を買う時は僕に相談してほしい、というので今度からは必ずそうすることにしよう。 今日は三回目の講義。教員養成科の教え子が何人か勤めていてそのうちの一人が聴講してくれた。その人が学生だった頃は平気だったのに、学生ではなくて教員が僕の講義を聴いていると思うと少しどぎまぎしてしまった。プリントを従来使ったことはなかったのだがこちらが話すのを学生が筆記するというのは簡単ではないことがわかってきたので去年くらいから講義のレジュメを配っている。たしかに耳で聴くだけではわかりにくい言葉をプリントに書いておくと説明も楽ではある。ただし注意がプリントの方に向いてしまうので話を聴いてほしい時は意識の切り換えの操作がいるようだ。終わってから三名ほどの学生がプリントがないのですがと教壇のところにくる。人数分用意してあってもどこかでとまってしまって全員に行き渡らないらしい。それなら講義の前にいえばいいと思うのだが。思いがけずこんなところでは若い学生が主張的でないことに驚いてしまった。
2003年04月28日
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SARSは猛威をふるっている。SARSに感染したと装って食品を脅し取ろうとした男が北京で逮捕された。約千円の加工肉を手に取って「病院から逃げてきたところだ。それでも代金を払ってほしいか」と男はいったという。広東省では感染者のふりをして150人乗りのバスを乗っ取り現金を要求した。SARSそのものは今後医学的に解明され治療法が確立することを待つしかないが、SARSにまつわるこのような話を聞くとこんなことが今後多発しないことを願う。 姜尚中、森巣博『ナショナリズムの克服』(光文社新書)の最初の方に石原慎太郎の「日本よ 内なる防衛を」というコラムが紹介してあった(産経新聞2001年5月8日付)。凶悪な手口の犯罪を中国人が行ったと冒頭で紹介した後「こうした民俗的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく」といい、さらにこう結んでいる。「将来の日本社会に禍根を残さぬためにも我々は今こそ自力で迫りくるものの排除に努める以外ありはしまい」。かなり悪質だと思うのだが。なんとひどい。 ブルース・ハープのソロのある曲をiTunesに保存した(目下989曲)曲の中から探してみた。例えばHoly Cole Trioの’The Tennessee Waltz’。これをコピーしようかと思ったがまだ僕の技量ではとてもとても。3オクターブある音(たった10穴しかない)を何とか吹けるようになったが、本で見ても少しもわからないベントという奏法とか難関が待ちかまえている。 要は小学校の時に吹いていたハーモニカなのだがその頃も思い今もあらためてむずかしく思うのは次のようなことである。例えば4つ目の穴は吹くとド、吸うとレである。管楽器をいろいろやってきたが、この吸うというのは初めてであり面食らう。それに譜面上で次の音符に移動するのに(例えばド→レ)唇は同じところに固定、ただしレは吹くという切り換えが難しい。こういうのはきっと慣れたらできるのだろうが。シンプルな楽器なのに表現力が豊かで練習のしがいがある(時間を考えろ、と息子に釘を刺された)。 そういえばこの間の娘の家庭訪問。「先生に若い人はすごいですよ、曲を聴いてベースの音だけをコピったりするんですから、ええ、もちろん楽譜を見るわけではありません。娘もピアノを習っていた時そんな感じでした。ね、そうやったね(と娘に)。楽譜を見なくてもすぐ曲覚えられるみたいです」「(娘)うん、私は楽譜は…でも大体一度で覚えられます」「そういえば数字も一度で覚えられるよね」「携帯の番号は一度で覚えられます」こんな話してもあまり先生は心動かされなかったなあ。娘のことを話すよういわれたから話したのだけど。 昼、息子が一度帰ってきた。服を買いに行っていたようだ。「ねえ、これ自分で買ってるわけ?」「いやそうじゃないけど…でもこれは僕は買った」「ほお」「な、これなかなかさわやかだろ?」はあ、さわやかねえ。僕の高校時代とはずいぶん違う。楽しそうでうらやましい。僕よりもはるかに勉強にしている。
2003年04月27日
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四時半頃まで仕事をしてその後就寝。ずいぶん長い時間が経った気がした。今日は試験があるので早く家を出ると息子がいっていたのを思い出した。少しも気づかなかったがもう出かけたのだろうか…ぼんやりした頭でしばらく考えていたが、ようやく何時か時計を見ることを思いついた。六時だった。 夕方ブルース・ハープを買う。近くに楽器店があって時間を見たらまだ店が開いているのがわかったので行ってみることにした。この十個しか穴の開いてないシンプルな楽器を一体どうやって扱うのか。両隣の音を出さないで一つの音だけを出すだけでも至難の業である。突如として山崎まさよしの曲がいくつか思い浮かぶ。いともやすやすと吹いているがブルース・ハープによる演奏がどれほど難しい技巧を駆使したものかがわかった。ブルース・ハープがシンプルなのに奥が深くむずかしいところは僕が昔吹いていたホルンに似ている、と思った。音を一つ一つ作るところから始めなければならなかったのである。 姜尚中、森巣博『ナショナリズムの克服』(光文社新書)読了。かつて国家は福祉国家だった。福祉国家にはソーシャル・セキュリティ(社会保障)という言葉があった。ところが八十年代に入り福祉国家が破産すると、社会全体が万人の万人に対する闘争というような自然状態に近づき、ソーシャルの部分が抜け落ち、国家が補償するセキュリティ(安全)は公安だけになった。その安全について今は安全のためには自由を放棄しなければならないというような「安全」か「自由」かという二項対立的な発言、主張が多い。 このような安全か自由かという二者択一的な問題定義の仕方をしてきたが、姜は明らかにインチキな方式である、という。「自由がなくなったときには、安全もないんです」(p.193)。安全か自由かという二者択一の問題はわかるが、自由がなくなった時には安全もないということについてはなお考えてみなければならない。
2003年04月26日
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今日は予定が入ってなくてこれといって何もできないままに夜を迎えてしまったので(洗濯物を干すことすらできなかった)こんな感じで毎日が過ぎていったらきっと日記に書くことはなくなってしまうのだろう、と思い、先日日記で書いた、ネットで知り合った人たちが集まって自殺する事件で重体になった大学生のことを思い出した。自殺の理由をたずねられて、後40年間毎日同じ生活をするのは苦しい、といったという。 はたして本当に同じ生活が続くのだろうか。運よく就職できたとしても会社そのものが40年存続しているかわからないし、リストラということもあるだろうし、自分から思い立って辞めることもあるだろう。 誰のでもいい、伝記を読むと一冊の本を読む時間の間に起こる出来事は次から次へと起こるので中にはスリリングで波乱に富んだ人生を送っているように見えるかもしれないが実際の人生の時の流れは一冊の伝記を読む時間と比べたら悠久といっていいくらいである。その意味では人生は単調なものといっていいのかもしれない。 しかしそんな人生の中にあって今日という一日と昨日や昨日の一日を違ったものにするのはその日を生きる人の態度なのだろう。もとより毎日力をいれて生きようものならばたちまち息切れがするだろうが、昨日とは違った一日にするための何らかの努力がいるだろう。努力といっても苦痛ではない(精神主義を僕は好まない)。子どもが生まれてから毎日子どもの成長に目を見張ったことを思い出す。昨日できなかったことが今日できるようになったことに気づく。表情も昨日とは違う…幼い子どもの早く成長するからかもしれないがそれ以上に子どもへの関心の強さがわずかなことでも変化を気づかせる。自分の生(そしてそこに必ず関わることになる他者の生)への関心を持ち続ければたとえ外的な環境が変わらなくても同じ生活が続くことはありえない、と思う。 北朝鮮の核保有表明は要注意。何に注意がいるかといえばこれをきっかけに日本の再軍備、核保有の必要が説かれることである。やむをえないという言葉に欺かれてはいけない。どんなものであれ兵器は(アメリカなどでは一般市民も持つ銃ですら)ただ所有するということはありえない、と考えるからである。 息子に教えてもらった藤原帰一の論文を読む。「誤爆で死んだ人のことを戦争では避けることのできない「付帯的犠牲(collateral damage)」などという言葉に押し込める、そんな正義があってたまるものか」(「アメリカの平和」、『テロ後』岩波新書所収、p.224)とか、「目が星条旗になったようなアメリカ国民」というような言葉を読み、論文の中であまり見ない表現なので驚くとともに著者に興味を持った。講演会は盛況でネットで一度案内を流すだけで満員になるとのこと。そんな話を本で読んで息子にいったら「君が調べなくていいんだ」と釘を刺されたが。
2003年04月25日
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聖カタリナ女子高校で講義。初回にくらべ反応はよくて話しやすかったのだが、依然、学生の反応が僕の期待する時にはなくて思いがけない時にあったり(黒板消しを落とした時とか)、二人で顔を見合わせて笑ったり(これはやめてほしい)ということがあってどぎまぎしてしまう。 講義の後、息子の学校へ。PTAの役員に選ばれたのである。投票で役員を選ぶのだが、今日会って話をしたお母さん方はどの人も名簿の一番(あるいは一番下)にあったから選ばれたのだ、と不平をいわれる。息子の名前は最初ではなかったのになぜトップ当選なんだろう、と思ったがもちろん何もいわなかった。きっと真ん中の人を選ぼうということだったのか。 ともあれ初めての会合では役職の分担が決まるということなのでかけつけた。配られた名簿は当然のように母親の名前の一覧だった。PTAの役員は女性がするものという意識は依然根強いものがあるのだろう。昼間に働く男性は参加できないという前提がある。女性が働いているというのは今日常識だと思うのだが、そんなことは考慮されない。今日集まったのは会長をのぞけば(会長が男性であるというのも暗黙の了解があるように思う)男性は僕だけだった。子どもがね、学校のことを全然話してくれなくて…だから女の子のお母さんのお友だちを作ることにしている、という話を小耳に挟んでしまった。高校生が学校でのことを逐一事細かに話すとは思えないし、むしろその方がノーマルではないか、と思った。担任の先生の名前知ってます? いえ…どこも同じだと思って笑ってしまった(PTAって本当に必要な組織なのか、とふと思ったのである)。僕の名前が違っていたので書き換えてほしいといったところいあわせた教頭先生(僕は知っていたのだが声をかけそびれていた)が僕の名前をご存知だったので驚いた(もちろんわけありなのだが、名前をご存知とは)。近くにいたお母さん方も驚かれた様子だったが… オウム真理教の松本智津夫被告に検察側に死刑を求刑した。彼らがもしもアメリカでサリテロを起こしたらアメリカは日本を爆撃していいのか。日本とアメリカは同盟国であるというようなことは問題ではない(「同盟」という言葉が初めから歴代の首相によって堂々と使われたわけではない)。当然、オウム真理教と日本は関係がないのだから日本が爆撃され日本人が殺されるというのは理不尽であることは明らかである。アメリカがイラクを爆撃し民間人を殺したことは、今の仮定がと同じくらい理不尽でおかしい。 フセイン政権の幹部が次々に拘束されている。例のトランプに載った55人のうち11人が拘束されたことになる(このトランプが売り出されている。アメリカが出所と見られるダイレクトメールが二回届いた)。最近の記事には触れてないが、アメリカはアメリカの国内法で裁くつもりのようである。これは僕が解せない点の一つである。アメリカはどこまでも国連を軽視、ないし、無視しようとしているように見える。
2003年04月24日
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娘の家庭訪問。毎年この時期、息子と娘の家庭訪問のことを書いている。まだこの時期、担任の先生は娘のことをほとんど何も知らない様子。だから自然話は先生が家庭での様子を僕から聞き出すという流れになる。 娘には先生は、友だちはいるか、親と話はするかという質問。この質問のねらいは僕にはよくわかった。最後はこの話の流れで予想通り説教(そう取るのは僕の考えすぎかもしれないが)になった。「いいか、これから悩むこともあるだろう。そんな時は友だちがいるようだから、それにお父さん、お母さんとも話ができるようだから、そんな時は自分の胸の中にためておかないで相談するんだぞ」 なぜ私に相談しろといわれないのか不思議。今、さしあたって悩んでいない娘にこの言葉は届かない。 後で娘と話す。「ねえ、あの悩みの話、どこの家にいっても話されるんだろうか」「そうかも、友だちに聞いとくわ…もっと先生が話したらいいのにね。お父さんが話題を作ってたって感じだった」僕は話しすぎた? 僕はたずねられたことにしか答えなかったつもりだが。 先生に期待される中学生像のようなものがあって、その線で質問されるから娘は先生の期待を巧みにかわすので笑ってしまった。「帰ってからはどうしてるの?」「えっと、寝たりテレビ見たりしてます」「…」(息子のことが話題になったので)「お兄さんみたいに勉強しようと思ってる?」「いえ、私は勉強はいいです」 さて娘は中学校ではどんなふうになるのだろうか? ネット心中(最近立て続けに起こっている)で重体になった大学生が自殺を理由をたずねられて、後40年間毎日同じ生活をするのは苦しい、といったという。同じ生活が続くと思っているところが驚き。そんなことありえないと思うのに。それともこの大学生はこれから先の人生がもう早くも見えてしまっているのだろうか。 藤原帰一『テロ後 世界はどう変わったか』(岩波新書)(藤原の論文は息子がいうように明快)。尚中姜、森巣博『ナショナリズムの克服』(光文社新書)感想は後日。
2003年04月23日
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今日は明治東洋医学院で講義。講義の間に二時間のブランクがあるのだが今日は寝ることもなく同じ火曜日に出講している僕の教え子でもある中根さんと話をしたり(近く開業の予定なのでそのことについていろいろと)、食堂で去年の教え子さんたちと話をして過ごした。看護師としての臨床経験が長いのだがその後鍼灸師の資格を取り、今は柔道整復師の資格を取るべく一年生として再入学をしたという話を聞いて驚いた。人と関わる仕事が楽しいのです、という学生さんの学ぶ意欲に敬服する。 僕の講演では通常女性が圧倒的に多いのだが今年教えているクラスは(高校の高等看護科は女性ばかり)男性が圧倒的に多い。その上若い人が多いのでどういう話だと関心を持って聞いてもらえるかなお試行錯誤なのだが昼からのクラスでは笑ってもらえてよかった。男女関係をめぐる話がとめどなくエスカレートするかもしれない。実は昨年度と同じシラバスを配ったのだが、ずいぶんクラスによって違うようにも思うが僕の方も去年と今では勉強し続けているわけだから同じ話にならなくて当然ともいえる。十年一日同じ講義をするなど信じられない。 戦争について何を書いても専門の知識がないのでそんなことも知らないかといわれそうでなかなか書けないのだが、前から一つ疑問に思っていることがある。それは戦争で殺された民間人は何の補償もされないのかということである。前に書いたが一体何人が犠牲になったかという公式の記録さえないように見える。そんなことを思いながら本を読んでいたら坂本義和の論文(「テロと「文明」の政治学」、『テロ後 世界はどう変わったか』藤原帰一編、岩波新書所収)にアフガンの時のことに言及して次のように書いてあるのを見つけた。もしもアメリカが武力行使が正当であるというならちょうど警察が武力行使にともなって無実の市民を殺傷した場合と同じように、補償と加害者追及の法的責任を負わなければならない。「故意でない誤爆などについて加害者個人の法的責任を問うことは実際上はむずかしいだろうが、まさにそれだからこそ、せめて被害に対する結果責任をとって、誠実に補償を行なうことが重要なのだ。かりにそれが個別にではなく一括して払われるとしても、それはあくまでも法的責任に基づく「補償」であって「援助」などではないことを、曖昧にしてはならない」(p.14)「故意でない誤爆」という表現はひっかかるのだが、補償の必要を説いているところは納得する。パレスチナホテルでジャーナリストが戦車の砲撃で殺されたケースなど当然加害者を特定できるはずである(このケースではアメリカ側が危険だから退去することを勧告したのに従わなかった、と謝罪していない)。爆撃で殺された人への補償をするという話は今のところ聴いていない。
2003年04月22日
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二回目の講義。まだ慣れなくて力が入っていて(マイクを使っているが)普段よりも大きな声を出して話すからか声が途中で一度出なくなってしまった。講演と違って必ずしも一話完結(というのかわからないが)というわけにはいかないので、なかなか水面に上がって息継ぎができないままに水面下にもぐり続ける状態が続くことは聴く学生側は大変かもしれない。講義の後に質問があって、よく理解してもらっていることはわかる。 帰り、チョムスキー『メディア・コントロール-正義なき民主主義と国際社会』(集英社新書)を梅田の紀伊国屋書店で。 チョムスキーは二つの対立する民主主義社会の概念の説明から始める。一つは、一般の人々が自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響を及ぼさせる手段を持っていて情報へのアクセスが開かれている環境にある社会である。 もう一つは、そして今日優勢な民主主義の概念は、一般の人々を彼ら自身の問題に決して関わらせてはならず、情報へのアクセスは一部の間だけで厳重に管理しておかなければならないものとするものである。 後者の社会においては人々は「観客」であることを期待され、「参加者」ではあってはならない。国民は支配者のために働き、支配者のすることに疑問を持ってはならない。国民は無気力、従順、受動的でなければならない。まちがっても自国の軍隊は他国に侵略し爆撃をし人を殺していると思わせてはならない。軍事行使に「病的な拒否反応」を示させてはいけない。この拒否反応を克服するためにメディアは使われ歴史が捏造されることもある…というような話。 軍事行使に対して「病的な拒否反応」を示すことについてチョムスキーはアイロニカルにこんなふうにいっている。これは(もちろん体制側から見てということだが)「民主主義の危機」である。「人びとがテレビの画面に釘付づけにされているだけでなくなれば、軍事力の行使にたいする「病的な」拒否反応を示したり、その他のもろもろのおかしな考えを抱く人間がでてきたりするかもしれないのだ。体制側からすれば、それは何としても打倒しなければならないのだが、いまのところそのようなことは成功していない」(p.44)。 あきらめてはいけないわけだ。 帰ってしばらくしたら息子が帰ってきた。クラブに行かなかったらずいぶん早く帰れるわけだ。軽い食事をすませ近くの塾の自習室で12時近くまで勉強している。「買ってきた?」とたずねるので、チョムスキーの本と『国際政治とは何か』(中西寛、中公新書)はあったが、『戦争を記憶する―広島・ホロコーストと現在』(藤原 帰一、講談社現代新書)はなかったというと残念そうだった。この本を読みたかったようである。僕も昼食を食べられなかったので息子と食事しながらひとしきり議論。深夜はかなわないがこの時間ならいい。
2003年04月21日
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夜遅く息子が部屋にやってきた。コンピュータを使わせてほしいという。自分のコンピュータを持っているのだが、なぜか僕のを使ってインターネットにアクセスし、本の検索を始める。そうしながらいろんなことをぽつぽつと話し始める。「学者になりたいというわけではないんだ。人に影響を与えるような仕事がしたい」そういう息子は大学で師事したい先生の名前をあげ業績についていろいろと教えてくれる。 徴兵制のことを教えてくれた。「アメリカは今徴兵制はない。実際に戦争にいっているのは生計を立てるためだったり大学で奨学金をもらうためだったりする。戦争を支持している人たちは自分たちは戦争に行く必要がないのでか勝手なことをいっているわけで、これは少数意見で僕は徴兵制に賛成しているというわけではないんだけど、徴兵制によってどの人も平等に戦場に駆り出されるのであればもう少し戦争というものへの考え方が変わってくるはずだという考えの人もある」 New York Timesにようやく戦争で負傷した兵士の話が出た。ある上等兵は右腕と右足を負傷した。身体の痛みが和らぐ時も心は遠く離れているガールフレンドのことや炸裂する爆弾のこと、戦闘時に死んだ仲間やイラク人兵士の血まみれの身体のイメージから離れることはない。これから生涯にわたって杖なしでは生きていけないことの不安もある。しかし、とこの上等兵はいう。「たくさんの人が自分よりももっと傷つき、あるいは死んだわけだから自分のことがかわいそうとはちょっと考えにくい」身体の傷が癒えてもこの頭にあるイメージと戦うことになるだろう、と考えている。 記事によると負傷した兵士がテレビに映されたり記者会見がされる時は演出が入っているので兵士たちは恐怖や将来のことについて質問を受けると自信があるように見えるが、長く入院している兵士と話すと従軍牧師(chaplain)や他のカウンセラーのところに行くことや怖れ、後悔、良心の呵責、あるいは説明しがい感情(hard-to-explain feelings)について話し始めるという。ブッシュ大統領が見舞いに訪れ、負傷兵の英雄的行為(heroism)を賞賛したけれども、多くの人は自分が英雄だとは思っていない。 従軍牧師はこの上等兵の話を聞いていった。「(長くこれからも頭の中のイメージと戦うことになるという心配に対して)ノーマルなことだ。最後にはすべてよくなるから」(everything will be all right, eventually)。こんな言葉を聞いて癒されるのかどうか。むしろただ英雄的行為という言葉ですまされない何かあるものを見つめていくことでしか快方に向かわないのではないと思う。前線で戦った彼〔女〕らこそが本当の気持ち、考えを語ってほしいのだが。 朝日新聞の記者の聞き取り調査ではバグダッドの主要病院でのイラクの民間人の死者は1000人にのぼる。イラク全体では当然もっと多い。なのに公式累計が出されていない。アメリカはそんな記録を取ろうともしていないのか。
2003年04月20日
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iBookの調子がよくなくて今日修理に持っていくつもりがはたせなかった。朝方までいつまでも終わることのない仕事に取り憑かれていた。起きた時には少し寝たのに極度に疲れていた。ディスプレイを前に倒すと画面が暗くなり(これは問題ないのだが)閉じるとスリープ状態になるがそこからがいけない。次に蓋を開けた時にスリープから復帰するが画面が真っ暗のまま。閉じて開けるという操作を何度か繰り返せば画面が明るくなることもあればならないこともある。再起動をすれば治ることもあれば治らないこともある。というわけでもう長く閉じないままシステムはずっと稼働し続けている。 もうこれはあきらかに普通ではないわけで修理に持っていくしかないのだが、数日でもコンピュータが使えないようでは困る、とか、(補償期限内なので問題ないはずだが)高い修理費がかかると困る、とか、とにもかくにも今は使えているのだからしばらく(これがおそらくうんと長く続く)使おう、とか…修理に出さない理由を百でも二百でも考え出しそうである。 もしも修理に出してすぐに治れば、調子が悪くていやだなあという気持ちから脱却できるわけだし、部品(おそらくディスプレイケーブルか何かが断線しかかっているのだと思う)を換えれば数日(であってほしい)で戻ってくるわけだからその間なんとかしのぐことを厭わなければ結局できる限りその後の快適な生活(今はコンピュータなしの生活が考えられなくなってしまっている)を取り戻せた方が得策であることはわかっている。いや、この「わかっている」という言葉が曲者で本当はわかってないか、もしくは、わかろうとしていないだけなのだろう。そんなこともわかってしまっているから話はややこしくて、いや、それとてわかってないのかもしれない、といよいよ渾沌を極めることになる。そしてそのような状態に身を置くことで結局事態の改善に向けて一歩も前に進まないでおこうと決心しているわけである。カウンセリングの場面だというかもしれない。「それで、あなたはいつコンピュータを修理に出すつもりですか?」と… 昨日、息子と進路がらみのことで話をしたことはもう一つの日記の方に少し言及したのだが、話の中で息子が使った「リアリズム」という言葉が気になった。息子との議論の種になったのは中西寛氏が小泉首相の戦争支持の決定に賛成していることをめぐってであった。まだ息子が記事を読む前に僕がこの先生は小泉首相の支持に賛成しているといったらたちまち、君は結論のところだけいわないがそんな粗雑なまとめ方でどうするんだ、どういう根拠でその結論が導き出されたのかを見ないと意味がない、といわれた。息子の説明によるとこれはリアリズムの観点に立った批評で、その上でなお小泉首相を批判しているところが興味深い、という(国益しかいわなかったという点)。 今日になって息子の持っている本の中で「国際関係分析の基本は国家間の闘争過程として国際政治を捉える、リアリズムという見方です」と書いてあるのを見つけた(藤原帰一「平和学への誘い」『AERA Mook 平和学がわかる。』所収)。このリアリズムはしかし戦争という現実が変わることのない与件として国際政治の構造の中に組み込まれているので、このように戦争を現実の一環として受け入れる考え方は、戦争廃絶を求める人には受け入れることができず、このことが広い意味での平和学の出発点であるという説明があった。粗雑な議論になることを恐れるので、他日に後はゆずりたいが、僕が考えていることがこのような議論のどのあたりに位置しているのか少し見当がついたように思えた。 昨日は大学をどの先生に師事するかで決めるべきだと考え学校の先生の一人に三大学の教官の研究業績のコピーをもらって帰ってきた。今日、帰ってきた息子はいきなり、藤原帰一がおもしろそうだ、という。どんな先生か知りたくて風呂場の脱衣場に(なんでこんなところ?)置きっ放しにしてあった本を見つけたわけである。
2003年04月19日
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昨日強い日差しの中を学校まで歩いたせいか今日はアトピーが悪化。今日は外に出ず部屋にこもって仕事をした。 掲示板に昨日書いたのだが、ギュゲスの指輪という話がある。指輪の玉受けを自分の方に向けると姿が消えてしまいます。はたして人はそんな時でも不正をしないでいることができるのか…というプラトンの『国家』の中の議論に出てきます。警察の目がない時でも不正を働かないでいることができるか。賞罰教育(この場合は罰)の弊害である。 アメリカ国際開発局がイラク復興の大規模事業をアメリカのプラント建設の大手、ベクテル(Bechtel)に発注した。ブッシュがイラクへの経済制裁を止めよ、といっていることとあわせて考えるとアメリカの意図があまり露骨なので驚いてしまう。経済制裁がある限りアメリカは石油を自由にできないのである。 このベクテルという会社はレーガン(共和党)政権時、国務長官などを務めたシュルツが役員を務めていたこともあり、政治力の強い会社だといわれる。シュルツは「受注するために政治的な影響力は使っていない」と話している。ではどんな力を使ったのか、と使ったか、とつっこみたくなる。 アメリカはイラクから国連の力を排したいと考えている。あるアメリカの政府高官は(名前を明かさないという条件でNew York Timesの取材に応じている)、このようなことをいっている。イラクは国連の旗の下には置かれないだろう。国連はパートナーにはならないだろう。国連の査察団がイラクに戻ることにも反対している。 イラクへの制裁を止めるようにという提案も国連外しの一環で、国連がイラクが石油を売ったり、食物を買ったり配布することを監督する権限を終わらせることが意図されている。 この高官の次のコメントは本気なのか。イラクの人にアメリカはイラクに経済の繁栄と民主主義の制度をもたらす「解放者」であることを証明する方法としてアメリカの企業が受注するのは重要である、と。笑止。 当然、このようなアメリカのいつもながらのやり方は国連もヨーロッパ諸国の反発を招くことは必至である。日本はこんな問題があるというのにいとも簡単にアメリカのイラク復興人道支援室に要員を派遣しようとしている。呆然。 ブッシュ大統領の文化財諮問委員会のマーチン・サリバン委員長が、イラク国立博物館が略奪された件でアメリカが避けられたはずの略奪阻止に動かなかったから、と辞任した。これに対しては弁解の余地がないと思われる。なにしろ先制攻撃なのだから。略奪が横行していた時、他の政府省庁ビルが略奪者にねらわれ放火される中、石油省のビルだけはアメリカ軍が厳重に管理していたからである。入り口には銃を持った兵士が構えていたという。 貴重な文化財が持ち去られたり壊されたのは悲しい。しかし人の命がもっと貴いことはいうまでもない。大義名分のもとに隠されたアメリカの利権獲得のために多くの人が殺されたこの戦争の非道をずっと糾弾していかなければならないと思う。同じことが繰り返されることのないように。
2003年04月18日
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昨年に続いて今年も聖カタリナ女子高校の高等看護科で教えることになった。 部屋の中にいるとあまりよくわからなかったのだが一歩外に出た途端着る服を間違えたことに気づいた。いつもとは違う方向の電車に乗る。15分ほどで電車を降りて今度は徒歩で山を一つ超える。山というほどではないのだが調子に乗って速足で歩いたりしたらたちまち息切れがしてしまう。体力がないことを痛感する。 今年は去年と違って若い人が多いせいかやや反応が希薄なような気がした。昨年のクラスは最初の講義から話にわって入ってくる学生が何人かいたのだが。講義の後、質問をしてくれる学生がいて安堵したが今週講義を始めた学校の中で一番むずかしいと思ってしまった。 講義をしていると教室のあちらこちらで学生たちが僕の方を見て何かこそこそと話をして笑っているのを見ると話の流れを一瞬見失ってしまう気がする。見なければいいようなものだが狭い教室だと学生の表情は手に取るようにわかる。 今回の戦争でも問題になったクラスター爆弾を航空自衛隊が予算書に明示せずに購入していたという報道。予算書のスペースの制約があるから細かな内訳まで記載していないなどという弁明を防衛庁はするが「隠そうという意図は全くない」という人がもっとも隠そうとしているのだ。148億円とは… 今回のアメリカ軍の戦費は既に200億ドルという報道。人道支援といわれるけれども実際には日本に強いられる負担は戦費にあてられるのではないか。湾岸戦争時の戦費負担は全体で910億ドル。そのうちアメリカの負担は70億ドル。日本は90億ドルも負担している(田中宇『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』光文社新書、p.43)。日本の方が多いわけである。戦争を支持したのだから当然の支出? 税金がクラスター爆弾や、戦費に使われてなるものか。チョムスキーは税金を払わないでおこうとした。戦費ではありません、人道支援のため…そうやって反対しにくいような美名のもとに税金が使われていく。それこそ明細を示してほしいところである。子どもなら全面信頼して白紙の小切手を切りたいところだが政府は信じられない、困ったことに。
2003年04月17日
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連日の講義で気疲れしたのか今日は予定していたカウンセリングがキャンセルになったこともあってなかなか起き上がれなかった。明日は聖カタリナ女子高校での講義。明日からよろしくという電話がかかってきた。毎日違うところに出かけるので通勤に慣れるということはないが、変化があっておもしろい。気は遣うのだが。 イラク南部カルバラ近郊で見つかった移動式の科学、生物学研究施設11個が見つかったという記事を昨日目にしたが、今日のCNNは米陸軍がこれらは大量破壊兵器開発用ではなかったと見ていると報じている。報道をすぐに信じてはいけないことを今回の戦争をめぐる報道を見るとよくわかる。 連日報道陣の前に姿を現していたのに突如として姿を消したサハロ情報相が自殺したというasahi.comの報道(イラン通信が伝えているという報道)もその後フォローがない。BBCによれば、アメリカに"We Love the Iraqi Information Minister"という人気サイトがあることを伝えているが(サイトを立ち上げてから最初の数日で一秒(!)あたり4,000回のアクセスがあるようになった)、サハロの所在についてはイランに逃げたという噂があるが不明であると伝えているだけである。 そのサハロ情報相のゆかりのあるパレスティナ・ホテルを米海兵隊が武器が隠されているなどの疑いがあるとして家宅捜査した。ここには二千人ほどのジャーナリストが滞在しているが銃を突きつけ腹ばいにさせるほど徹底的なもので数人が身柄を拘束された。アメリカに対して好意的でない人物を捜索するためと軍関係がコメントしているが、ジャーナリストが犠牲になった先日のこのホテルへの戦車砲による爆撃といい報道の規制が意図されているとしたら怖い話である。池澤夏樹はホテルへの砲撃は意図的な報道妨害で「アメリカは見られて困ることをあのカメラの前でしようとしていた。だからジャーナリストを殺した」といっている。そこまでいいきれるかはむずかしいところだが。 この件ではアメリカ側は謝罪しなかったが、ミスだというような言葉で簡単に片づけられてはいけない。「苦渋の選択」というような言葉にも気をつけないといけない。徐京植がいっている(「素晴らしき杓子定規」)。この言葉は大抵それほど追いつめられていない段階で重大な妥協をする時の重宝なエクスキューズだ、と。チョムスキーについてこういっている。「苦渋の選択」に逃げ込まず、「杓子定規」に戦争反対を貫く人が、この日本にどれくらいいるだろう?」許される戦争もあるというようなことをいわず、ただ戦争に反対することもオーケーなのだ、とこの言葉を読んで思った。
2003年04月16日
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これからのイラクがどうなるかは読めないのだが、アメリカが主導する事実上の占領統治ということになるのだろう。アメリカは、はなから国連のことは念頭にないように思う。日本はアメリカのイラク復興人道支援室(ORHA)に職員派遣を検討しているが憲法に抵触するのではないかという見方もあり慎重に判断することを望みたい。派遣されるのが文民だから問題ないという説明もあるのだが、「今のORHAの組織の状況がよくわからない」(福田官房長官)のなら、川口首相のように「一刻も早く何かをしなければいけない」というような性急なことではいけないのではないか。たしか日本は国連主導の復興を支持していたと記憶するのだが。憲法をなしくずしにしていくのがたまらく不快である。人道というような美名(あるいはきれいごとともいう)にはNoといいにくいということがある(「正義」とか「自由」という言葉の価値が下がってしまった…)。復興のために日本はいくら出すつもりなのか。それがいくらで何に使われるかがはっきりしないままにアメリカにいわれたままに出すのは問題だろう。 シリアへのアメリカの動きが気になる。アメリカは今や国連をものともせず自国に脅威であると判断した国には先制攻撃をして侵攻することがはっきりしたのだから、シリアは化学兵器開発を進めているとして侵攻することはありえないとはいえない。 吉崎達彦『アメリカの論理』(新潮新書)、田中宇『イラク』(光文社新書)読了。どちらも戦争前に書かれた本なのであたっているところもそうでないところもある。 マイケル・J・フォックス『ラッキー・マン』読了。エミー賞を受賞した時の感想。「身長が165センチ、という感じです」。「それ以上でもなくいかでもなく、まさに等身大のぼくがそこにいた」という。病気を受け入れることによる気持ちの変化なのだろう。165センチなら十分高いではないか、と僕は思ってしまった。あまりに自分が小柄であることが本の中で終始繰り返されていたから。劣等感は主観的なものであることがよくわかる(本人の思い込み)。 明治東洋医学院での講義は今日から。一睡もできずに講義。教員養成科の一年生は例年より少なかった。十一時からの講義を終えて控室に戻ると急に疲れ。三十分ほど寝たところで「先生」と声をかけられる。三年前に教えた学生が教えにきているのだ。昼からは今度柔整科の三年生に講義。一年生と違った反応は強い。まだ手探りという感じ。
2003年04月15日
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平成医療専門学校で講義。今日から講義が始まった。僕の講義は一限だったので学生たちにとってはこの学校での最初の講義ということである。僕にとっても初めて教えるので緊張しないわけにはいかない。まだ学生同士互いに親しんでいないのか目下静か。反応も希薄。講義についてこられないように見える学生も少ない。初日から欠席の学生がいるのには驚いた。二人、後から遅刻したという申し出があった。一人が「出席を取る時名前を読み上げないのですか」と質問する。「しません」「では空いた席を見てチェックするのですか」きちんと最初から出席していれば何も問題ないはずなのだが、遅刻してこんなふうにいわれて驚いてしまった。講義は最初なので概論。15回続く。講義後、質問を受ける。 マイケル・J・フォックスの『ラッキーマン』(SOFT BANKS)。7章の途中まで。『バック・ツー・ザ・フューチャー』などで有名なマイケル・フォックスが人気の頂点にあった三十歳の時にパーキンソン病である、と宣告される。この俳優のことを知らないからかもしれないが2章から4章までは興味を持って読めなかった。 俳優生命は後十年と宣告され、マイケルは「なにが大切かという感覚」(p.291)が180度変わったという。病気を受容するのは容易ではなく、ユング派のカウンセリングを受けたりするが、やがて「ぼくは依然としてぼくなのだ。ただぼくにパーキンソン病がプラスされただけだ」(p.308)と思えるようになる。「時間や失ったもののことをあれこれ思い煩うのではなく、一日一日を大切にし、前に進み、なにか大きなことが起こっていること、なにごろにもそれ自体のタイミングやバランスがあるのだということを信じることが大切なのだ」(p.316)という。 学校の帰り、『からたち野道 朱鷺』(RIKKI+宮沢和史)。ギターは山弦。RIKKIは宮沢やTHE BOOMのアルバムで共演しているはずだが、初めて意識して聴いた。美しい声。 村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー、白水社)。原著者の要請と契約により村上の解説はないとのこと。学生の頃読んだがもう全然覚えていない。 ブッシュ大統領がシリアに対して「化学兵器があると信じている」と。喧嘩(もちろん戦争)をふっかけているとしか見えないのだが…。
2003年04月14日
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カウンセリング二件。午後は昨日の疲れが出たのか何もできないまま過ごす。 一日仕事で家を空けると読みきれないほどあったasahi.comのイラク戦争関連の記事が今日は少なかった。 イラク国立博物館が破壊され、所蔵品が二日の間に略奪者によってすべて持ち去られてしまったというニュースは悲しい。戦争や戦争に伴う混乱の中にあっては文化的価値は軽視される。 息子は今日は反戦デモに参加。今回はプラカードを作っての参加。Bush, what is your justice? What is your purpose? というメッセージをプリントアウトして貼り付けていた。「ブッシュよ、お前の(という感じなのだろう)正義とは何か? お前の目的は何か?」 池澤夏樹の最新のメルマガには次のように書いてある。「イラクの社会にはさまざまな問題があったかもしれない。政治に不満を抱く人がいたかもしれない。だが、それはまずもってその国の問題です。主権国家の政治的課題を解決するのはその国の国民の責務です。 他の国がそれを目的に武力を用いるというのは欺瞞でしかないし、常識的にはこの種の行為は侵略と呼ばれます」 戦争の大義であった大量破壊兵器は見つかっていない。しかし、イラクが大量破壊兵器を持っていたかはもはや問題にならない。池澤はいう。「なぜならば、今後アメリカ側がイラクの国内で何を見つけたと言っても、アメリカ軍とイギリス軍が大量の軍需物資と共にイラク国内に侵攻した後では、その報告には何の信憑性もないから。彼ら自身が持ち込んだ疑惑がどこまでもついてまわるから」 四月一二日のasahi.comによると、バグダッド南東にあるトワイサ原子力研究センターには1.8トンの低濃縮ウランと数トンの天然・劣化ウランが貯蔵されているが、国際原子力機関が1991年に封印していたのを米海兵隊が封印を破って捜索を行ったと伝えられたのを受け、エルバラダイ事務局長が懸念を表明している。 武器の査察についても中立を保つ国連の調査団の査察でなければ意味がないわけである。ブレア首相は戦争後の査察の継続を示唆する発言をしていて驚いた。そんなことをいうのであれば戦争を開始し査察を止めさせたことの意味がないからである。池澤も書いているように査察が順調に進めば戦争の必要がなくなることになる。そこで戦争の目的が別のところにあるブッシュは無理矢理武力行使を開始したわけである。戦争に加担したイギリスも支持を表明した日本も今果たしてそれでよかったのかと考え直さなければならない。アメリカのエゴに手を貸しただけはなかったのか… 勝てば官軍で終わらせてはいけない。
2003年04月13日
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朝、五時半に起床。あまりよく眠れなくて夢を見ていた。ヨーロッパのどこかの国で駱駝に乗っているというような…六時過ぎに家を出た。冬だとまだ夜が明けてないが今の季節明るいのでそんなに早く出たという悲壮感(というのか)はあまりない。講演会場に着いたのは九時四十分。まだ新しい建物のようで白子駅でタクシーに乗ったが運転手さんは知らなかった。二人で地図を見ながら、きっとここですよ、ほらローソンでしょ、あそこが、あのとおりを右折して、と僕が行っても、いやあこの通りは違うだろう、といわれ、あ、じゃあこのあたりで降りて後は探しますから、とタクシーを降りたものの雨が降っていて傘を持たない(京都は降ってなかった)僕は途方に暮れた。さてどうしたものか、と思っていたら、さきほど降りたタクシーがバックしてきた(Uターンしたのではなくそのままバックで走ってきた)。そして手招きして乗れと合図。やっぱりあった、と目的地まで乗せてもらえた。思いもよらないことで驚いてしまった。 講演は午前、午後と二時間ずつ、違うテーマで。熱心な質疑応答が続き、講演が終わってからも質問する人の列が続いた。午後に、健康な、あるいは、成熟したライフスタイルについて話してみたが、今、戦争している人たち(戦場で戦っている兵士ではなく、戦争を指揮している人たち)のライフスタイルの幼さのことを思わないわけにいかなかった。世の中を変えるのは政治ではなく育児、教育であるというアドラーの言葉を思い出した。 帰りに疲労困憊。全部で四回乗り換えないといけなくて、これは無理かな、と思っていたら案の定乗り過ごしてしまって鶴橋まで行くことに。しかしおかげでかなり熟睡できた。 英語の日記でも少し触れたのが、「「アメリカかフセインか」という二極構造の単純化」(酒井敬子『イラクとアメリカ』p.214)という問題があって、アメリカを支持しないこと、即、親イラクと見なされることがあるが(だからチョムスキーに代表される欧米の反動人道主義者たちがフセイン政権の反米プロパガンダに利用された)、もちろんそんな単純化はできない。 酒井はいう(pp.214-5)。「家族の半分をフセイン政権の弾圧で亡くし、残り半分をアメリカの空爆で亡くしたような市井のイラク人たちの、「どちらももうたくさんだ」という声は、どこにも届かない」 シリアがアメリカの次の標的にされそうな気配があるが、ラムズフェルド国防長官がいうシリアの暗視用眼鏡などの密輸について田中宇が「諜報戦争の闇」という記事の中で事実上中身のない話であることが判明したと書いている。アメリカは。またその話をむしかえしている様子。どんなことであれ、たとえ嘘情報であれ、それを使って強硬姿勢を取るというのがアメリカのやり方である。戦争はまだまだ終わらない。
2003年04月12日
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考えることが多々あって夜うまく眠れない日が続く。机のまわりに積まれていき収拾がつかない状態に。小説は目下読めない。長く中断していた日記(英語)を書き始めた。エネルギーがないわけではない。ほめること Benesseの「みんなおおきくなあれ!じゃんぷ」(5~6歳児用、三月号)の特集「はぐくみたい子どもの自信」の監修をしたのだが、書店に並ぶものではないのでこれまでのところ見たという人はなくて残念に思っている。三時間ほどのインタビューをまとめてもらった。 一つの特徴は、ほめることの弊害を指摘していることである。実際に寄せられた質問に答えるという形になっていて、昨日の研修では参加者に考えてもらった。例えば、○よくできたね~」「すごい。天才じゃない」など、これまで「ほめて伸ばす」を実践してきましたが、最近はほめられるのが当たり前と思っている様子で、おだてても効果がありません。どうすればいいのでしょうか。○絵を描くのが得意な娘。得意なことを伸ばしてあげたいと思いほめまくっていたのですが、最近、私がほめても喜ばなくなってしまいました。母親以外の大人にほめられたら違う効果があるかなと思い、園の先生や祖父母などに頼んでほめてもらっています。こんな方法でいいのでしょうか?○何かにつけて「えらいね」「すごい!」などと言っていたせいか、自信過剰になってしまい、新しいことでも努力してくれません。やればできることでも、得意なこと以外は努力しようとしないので心配しています 僕はこれに一つずつ答えているのだが、ほめて育てよとはよくいわれていることなので、ほめて育てることへの疑問がこんなふうに寄せられているのに少し驚いた。 「子どもをほめてはいけない」というファイルを登録してあるので関心のある人は読んでほしい。高くつく戦争 アメリカの国務省のブロスパー戦犯問題担当大使は過去の人権侵害を扱うのはイラク主導の手続きだが、現在の戦争犯罪に関してはアメリカが問う権利がある、といっている。大規模な人権侵害や戦争犯罪を紛争後に裁く場としては国連の旧ユーゴスラビア戦犯法廷などがあり、さらに常設機関である国際刑事裁判所(ICC)が三月(今年のである)が発足したが、それの設立条約にブッシュ政権は署名を撤回している。戦犯はアメリカの国内法で裁くということなのだが、共に戦ったイギリスはアメリカに異議を唱えないのか。一体この戦争は何のための戦争なのか? 国連監視検証査察委員会のブリクス委員長が「戦争は一国の破壊と人命という点で非常に高くついた。査察という方法で押さえることができた脅威なのに」といっているが同感である。大量破壊兵器は依然見つからない。そのことはもはやどうでもよくなっているのかもしれない。あるいは初めからないことを前提にバグダッドに軍を進めたのかとも考えてしまう。なにしろ前線の司令官は週末に総攻撃をするという計画だったのに、CNNの映像を見て一気に戦車隊を中心部まで突入させたといっている。当初いわれていた化学兵器のことなど考えていなかったように思える。
2003年04月11日
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バグダッドではフセインの像が倒され略奪が横行し無秩序状態になっている。カナダ人が銃で撃たれて亡くなっている。略奪を行なっているものは米英軍を歓呼の声で迎え入れるだろう。しかし、爆撃で殺され傷ついた人で溢れていた病院から人がいなくなったわけではない。家族を誤爆でなくした人が自由になるための最小限の犠牲だったと納得するのだろうか。とても僕には思えない。 略奪行為の横行するバグダッドでフセインの像が倒される映像が繰り返し放映され、それを見たホワイトハウスの人たちがどれほど喜ぼうと、国連安保理決議を無視して武力行使したアメリカの行為が正当化されるとは思わない。武力行使によらない方法で解決できたかもしれないのに戦争をすることで多くの民間人が犠牲になり、まだ空爆が続く限り犠牲者はこれからも増え続ける。ジャーナリストに向けられた攻撃に抗議をしたジャーナリストはこれからも批判を止めないでもらいたい。ウラン劣化弾のこともクラスター爆弾のことも帳消しになったわけではない。今日も病院は負傷した人たちでいっぱいである。 アメリカ兵がフセインの像の頭に星条旗を巻きつけた。歓声が上がった。BBCのRagen Omaar記者はいう。「私はイラク人の友人の方に振り返った。彼はいった。この瞬間をこれからの人生ずっと忘れることはないだろう、究極の辱めだった、と」群衆の中にいたマゼン・フセインは叫んだ。「彼らにその旗を下ろすようにいって。独裁者に代わる別の独裁者は要らない」。そこで星条旗が外され変わりにイラク国旗が首の鎖がかけられたのだが、このエピソードはイラクの人の思いが複雑なものであることを物語っているように思う。 アメリカ側の思いは単純である。三月二十二日の日記に次のように書いた。「ウムカスルの新港を確保した米海兵隊が一時、イラク国旗に代えて星条旗を掲げたという報道について、フーンイギリス国防相は「激しい戦闘の末にその成功を示したいという気持ちからだろうが、米側には注意を喚起したい」と語ったという。大きな勘違いをしているように見えるが、アメリカの本音を表しているとも見える」。今もそう思う。 今日はこれから尼崎で研修会。嵯峨嵐山でたくさんの人が乗りこんできた。桜見の帰りの様子。京都駅のホームも人があふれかえる。まだ時間があるので普通に乗ることにした。 息子が早い時間に帰るようになった。一度帰ってからまた塾に出かけてるようだが。どうもクラブを止めたか止めようとしているらしい。休みの日も練習や試合があって一年、ほとんど家にいることがなかったのにどういう心境の変化なのか。
2003年04月10日
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バグダッドと聞いていつも思い出すのはまだ見たことがない『バグダッド・カフェ』という映画。アメリカのモハーベ砂漠のモーテル「バグダッド・カフェ」が舞台。近くDVDで完全版が出る。映画の中で流れる「コーリング・ユー」をホリー・コールがカバーしているのを何度も聴いた。ホリー・コールの声を評して、理性を狂わせる、どうなってもいいんだ、と男に思わせる力があるという人がいるが(赤羽建美、「コーリング・ユー」解説)同感。僕が見たホリーはCDの写真とはずいぶん違ったのだが… amazon.comでDVDを調べたら給水塔の写真があった。そこで僕の連想は飛ぶのだが、バグダッドの浄水場が空爆されたというニュース。水の供給が危機的な状況に陥っている。ひどい話。川口外相は、日本の「人道」(!)支援策として一億ドルを上限として国際機関に資金供与する方針を発表したが、そのうち赤十字国際委員会とユニセフへの支援資金は生活物資の配布や給水施設の修復などにあてられるという。修復するなら空爆するな、といいたい。一般市民を苦しめるだけではないか。 ホテルへの米軍の砲撃でジャーナリストが死傷した事件。あのスペインもアメリカにワシントンに説明を要求しているというのに小泉首相は他人事のようにいう。「記者の皆さんが被害にあっている。残念ですね。できるだけ被害に遭わないよう注意してもらいたい。米軍も意図的ではないと思いますよ」とアメリカをかばう。神経を逆撫でするような発言に僕は聞こえる。こんなことでは首相が国益という時、国民の生命のことなどこれっぽっちも考慮されていないように思う。 トップページにあるバナーON WARには英語版があって、そちらの方でもリンクしてもらった。実は英語版のホームページを早くから作っているのだがあまり読まれてなく僕も後回しにしてきたが、この機会に英語版日記を書くことにした。 娘の中学校の入学式があった。朝方まだ雨が少し残っていたがマンションの近くにある桜が満開だったので写真に撮ってみた。曇っていたので色があまりきれいではないのだが。そこへ娘が通りかかった。制服を着ていると印象が違う。昨日、いっていたようにい髪の毛をくくっていた。帰ってきた娘はさっそく友だちを作ったという。僕など思いもよらないことなので驚くと、「たった一人よ」と娘。息子が小学校一年生の時のことをふと思い出した。好きな女の子がいてでもなかなかうまく切り出せないようだったので「ねえ、お友だちになる方法教えてあげようか」というと教えてほしいというので「まず自分の名前をいわなくては。僕、……名前教えてくれる?」息子は憮然とした表情でいった。「そんなんとっくにしたわ」きょうだいでもずいぶん違う。
2003年04月09日
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イラクの農業施設で見つかったドラム缶から神経ガスの反応が出たというニュース、化学兵器弾頭を搭載した中距離ミサイル二十基を発見したというニュースには続報はない。大量破壊兵器のこともフセインのことももはや関係のないただの侵略戦争ではなかったのか。こんなことがまかりとおったらアメリカが気にいらない国は国連の決議とは関係なく攻め込まれることになる。 日本が戦場になる夢を見た。実際にはこんなふうではないのだろうが、ミサイルが落ちてくるのが見える。そのうちの一発が僕の家の畑に落下し父に命中した夢(きっと「さとうきび畑」からの連想。あの日鉄の雨に打たれ…)。 聖書を持った若い兵士たちが礼拝する写真を見た。従軍牧師(カトリックなら神父)は一体何を彼らに説くのだろうか。戦うことに疑問を持ってしまった兵士は何を思って戦うのだろうか。そんなことをこの頃考えている。 娘が携帯電話を買った。すぐには手に入らなかったようで何日か待って行ったら、店の手違いで思っていた機種とは違うものが用意されていたという。それだったら換えてもらわなくては、といったら「いいの、私が間違っていたのかもしれないし、それにお友達のとおんなじだから」と執着がないのに驚いた。マニュアルを読まないでいきなり操作しようとするのでわからないことがたくさん出てくる。僕が問題を解決すると「ありがとう」と喜んでくれる。明日は入学式。髪の毛が肩にかかってはいけないらしくて結んだらいいんだろうか、と。結ぶゴムも黒色でないといけないらしい。携帯はもちろん持っていかない。高校に入学して携帯電話を持った息子は市外に出ないのに携帯がいるものか、と冷ややか。
2003年04月08日
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『維摩経』に文殊が病気の維摩をたずねる場面がある。この病は何によって起こったのかという問いに維摩は答える。「一切衆生が病んでいるので、その故にわたしも病むのです」と。維摩を出すなど不遜ではあるが、このところずっと心が晴れない。前に辺見の「思えば、私たちの内面もまた米英軍に爆撃されているのであり、胸のうちは戦車や軍靴により蹂躙されているのだ」(「私たちの内面をも蹂躙」朝日新聞、2003年3月22日)という言葉を引いたが、米英軍の戦車へ兵士を見るイラクの人はどう感じているのだろうか。この愚かな戦争に終止符が打たれることを願うが(勝利宣言を待っているわけではない)、小泉首相の「(イラク軍は)早く降伏すればいいのにね。そうすれば犠牲者が少なくてすむのに」と話したという記事を読み気分が悪くなった。戦争を回避しようと思ったらできたのに亡命しなかったからやむを得ず(!)戦闘状態に入ったのだからイラクが悪い、我々は悪くはないのだといっているように聞こえるからかもしれない。こういう発想をしたアメリカは広島と長崎に原爆を落としたのではなかったのか。 朝、遅く起きると思いがけず息子がいた。カウンセリングを終えた後、部屋にきて「昼どうする?」とたずねるのでコンビニに買い物してきてもらった。一緒に昼食をとりながらイラク戦争のことについて議論。親米政権を樹立することがねらいだろう、と息子は分析していた。イラクを統括する最高司令官にガーナー退役少将が内定しているという話をすると、それではイラク人は黙ってはいないだろう、と。 SARSの行方が気になる。香港の日本人学校に通っていた小学生が一時帰国して日本の小学校に転入したいと打診したところ、教育委員会が感染していないと確認できることを受け入れの条件にしたという。「ほかの児童に感染した場合の重要性を考えた」とはもっともだと思うけれども、感染していないことが確認できたとしても(どうしたらできるのだろう)その子どもが問題なく受け入れられるのか気になった。感染を疑われた乗客が乗った機内に医師が乗りこんできた時まわりの乗客が逃げたという記事を前に読んだことがある。この病気についてはまだまだわかっていないことが多いが正しい知識と予防法が普及するように。戦争どころではない。各国がこの病気に向けて協力していかなければならない。
2003年04月07日
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バグダッドに入ったアメリカ兵は市民と兵士の区別がつかないと証言している(The New York Times)。市街戦になると多くの死傷者が出るのは必至で既にイラク側に三千人(!)の死者が出たという報道があった。 バグダッド攻略を待たない勝利宣言の話が昨日出ていたが戦争当初にいわれていた大量破壊兵器のことは一体どうなったのかと思う。イラク北部でアメリカ軍とクルド人勢力の輸送隊がアメリカ軍機によって爆撃され少なくとも十人が死亡したとBBCは伝えている。負傷したBBCのジョン・シンプトン記者は爆弾は約四メートル離れたところに飛行機から落とされた。「地獄の光景」と形容している。放送中、「黙って!」とアメリカ兵にシンプトン記者はいった。放送を止めさせようとしていると思ったのである。それが誤解であることがわかって「あ、大丈夫、血が出ているかい?」「切れてる」「放送を止めようとしているのかと思ったのだ。足に少し爆弾の破片が入っているのだと思う。それだけだ」というやりとりが続く。 いつもながら誤爆は多い。調査中であるとか、確認できてないとか、イラク側がやったというような話になる。市街戦では市民をまきこむこのような事態はこれからいくらでも起きるのだろう。昨日、言及したアメリカのカウンセラー、Dr.Philは、反戦活動家に、あなた方のやっていることはひとたび戦争が始まった以上利敵行為だというようなことをいうのだが(「敵の報道機関にとってのサウンド・バイトになると思わないか?」sound bite趣旨を誤って伝えられることになるかもしれないニュースなどで短く引用されて放送される言葉)、誰であれ人が死ぬのを見たくないという考えは単純だといわれようとここにいつも立ち戻らなければ人類はいつまでも戦争という愚行を止める日はこないと思う。ニューヨークに住んでいる人の日記を読んでいたら戦争が始まってから反戦デモに行った、その話を日本からきた友人に話したら「デモに何をしにいったのか」とたずねられて唖然としたという。まさかデモの写真を撮りに行ったわけではあるまいし。日本人の感覚はこれくらいのものかとがっかりした、と。 今日はカウンセリング。三月、四月は人生の節目なので、これからどうするかという相談が多い。
2003年04月06日
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今日は寒かった。なのに一度コートはもう着ないと決めてしまったのでコートを着ないで出かけてしまって後悔した。でも僕だけでなく誰も(ではないだろうけど)着てなかった。人目を気にしないで寒い時はコートを着たらいいのに。ふと息子が保育園の頃、年がら年中半ズボン半袖Tシャツで通したことを思い出した。靴下もはいてなかった。当然、冬の寒い日は保育園に着くまでに(自転車で送っていた)何人もの人に止められ非難された。でも今思えば依怙地になっていたわけではなく、自分で何を着ようか決めていたと思う。本当に寒い日は厚手のTシャツを選んで着ていたから。 田中宇へのインタビュー記事が面白かった。掲示板で話題になった客観についてこんなふうに書いてある。「欧米のマスメディアの書き方は参考になりました。反対に日本のマスメディアの場合、現場に行っているくせに「私は現場に行ってこう思った」というのは書いてはいけないんですね。現場で肌に雰囲気とか放射能とか全部を浴びて、「私にはこう感じられる」という権利があるにもかかわらず書いちゃいけないんですよ。客観報道じゃなきゃいけない。記事に主観を入れてはいけない、というんです。日本のマスコミ全部が“客観”の意味を取り違えていると思うんですけどね。欧米のメディアは、あるコードに基づいて、ウソでなければ、自分で検証しながら、それを書いていいのです」 今のマスコミの報道を見ていて、戦況の報道に終始している局のニュースはつまらない。結局、何かを恐れているだけなのかもしれないのだが。 なだいなだのホームページを見つけた。「とりあえず、今 ぼくは」というエッセイ。aアルコール依存症が専門の精神科医であるなだは小泉首相はアメリカ依存症だという。たしかに。 アメリカの人気のカウンセラーのページをのぞいたら、今度の戦争は小さな子どもにはわからないからそれについて子どもにきちんと話そうと思わなくていいと書いてあって驚いた。でも、もしも子どもがテレビを見て質問してきたら善と悪の見地から説明しなさい、という。この世界には隣人を傷つけている悪い人たちがいるんだ、だからアメリカ人は悪い人たちがやってきて同じことをしないように止めさせないといけないと思ってるんだ…etc.カウンセラーがこんなふうに既成の価値観の追認、追従のようなことをしていいのか、と考えこんでしまった。しかも子どもたちにもそう教えよ、と。昨日、紹介したような子どもの発想はきわめて健全だと僕は思うのだが。
2003年04月05日
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嵯峨野を歩く。久しぶりの外出。桜はこれからなのでこの雨でも散ることはないだろうが、冷たい雨に打たれて心も冷える思い。 戦火の下にいる人たちの状況に共感するのはむずかしい。食料、水が入らなければそれだけでどれだけ大変かは戦争とは比較するのもどうかと思うが台風で浸水してしばらく水も満足に飲めない時に感じた。僕の住んでいた家は毎年のように浸水したがこの被害にあう家は他に多くはないので何ヶ月も浸水した部屋は使えなくて大変な思いをしていても、友人たちにはわかってもらえなかった。友人たちにとっては台風が通過したらすべては終わったが僕はその後も不便な生活を強いられた。バグダッドでは停電しているという。こんなことがあると、米軍は送電施設を標的にしていない、イラク側が送電停止したというような発表がある。どちらであれ不便を強いられ恐怖に戦慄いているのは市民なのである。米軍は空港を掌握し、サダム国際空港をバグダッド国際空港に改称したという。ブッシュ国際空港にしたかった? 小学館がアンケート会員を対象にインターネットを通じてイラク戦争について調査したら回答した529人のうち、反対が79パーセント、どちらかといえば反対が8パーセントだった。「テレビで子どもがばくだんでけがをしているところを見ました。なみだが出てきました」「話し合いできないのかと思う。子どものケンカみたいな感じ」…武力行使の決断は正しい選択だったと今でも思っているという首相に聞いてほしい。君たちは子どもだから大人の社会のことはわかってないんだよ、とでもいうのだろうか。地震があればトラウマだとか心のケアという話になるのに。二週間も毎日地震が続いているのと同じである。戦争が終わるかどうかわからないのに「戦後」復興のことばかり言及する人たちの厚顔無恥。 今年は大学での講義する機会を奪われてしまったが、三校で教えることになった。14日から始まる。教えるのは楽しい。それまでに準備することがたくさんある。
2003年04月04日
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戦争の報道をずっとフォローしていると事実の隠蔽、歪曲、捏造には目に余るものがある。何が真実かわからなくなってくる。だからこそ現場に行って報道することこそがジャーナリズムであるという考えもあるが、では見たものが真実かというとそんな簡単な話ではない。これは哲学のテーマになる。 前に紹介した田中宇は、そんなことをいっているのは日本だけで、何も事前に調べもしないで現場に行って、現場の人にインタビューして原稿を書くから本質が見えない記事になる、といっている(武田徹『戦場報道』p.170)。 そこで田中はインターネットによる情報収集を徹底的に行なうという手法を採る。もとより得られる情報が信頼できるものなのか、それとも流言飛語の類いなのかの判断はむずかしいことがあるが、見えるものが必ずしも真実ではないということについてはここでも何度か書いたとおりである。写真を合成して発表した記者が解雇されたという記事があったがこんなことまで起こってしまう。 ON WARからリンクされているフォトジャーナリスト森住卓のHPで見た劣化ウラン弾の被害にあった子どもたちの写真は衝撃的だ。森住は『ブッシュ大統領よ! 子どもを蝕む劣化ウラン弾の恐怖を見よ』という本を出版しているが、その中の写真の一部がHPで公開されている。 asahi.comの竹信悦夫の「ワンコイン悦楽堂」によれば、どうやらブッシュはテレビすら見ていないようなのだが…困ったことだ。
2003年04月03日
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複数ウェブサイトの連動プロジェクト「戦争について考える」に入った。ON WARというバナーをただ貼るだけである。「ついに戦争が始まってしまいましたが、ウェブサイトがいくつかゆるやかに連動して、「戦争について考える」というプロジェクトを行っています。各サイトが何を行うかはまったく自由で、共通のアイコンを置いて、リンクを張り合うことだけが「シバリ」です。「宣言」など仰々しいことはしません」というのが趣旨説明である。さっそくリンクの申し込みがあるなど反響があった。 ブルックス准将は民間人車両への銃撃についていう。「遺憾だが、(戦争では)民間人への被害は避けられない」 ラムズフェルド国防長官は化学物質を戦場に導入する考えを明らかにした。「敵兵が洞窟にこもったり、女性や子どもが兵員と混在している場合、使ってもよい」 ひどいではないか。 ベトナム戦争時ニューヨーク・タイムズ特派員としてサイゴンに赴任したデイヴィッド・ハルバースタムのことを少し紹介したい(武田徹『戦場報道』ちくま新書、による)。同じ時期、昨日引いたピーター・アーネットはAPのサイゴン支局の特派員だった。多くの取材で行動を共にした。 ハルバースタムについてこんな根も葉もない噂が立てられた。累々と横たわるベトコン兵の死体の写真を見て嗚咽したというのである。これはハルバースタムがベトコン側に偏っているという中傷であり、何よりも涙を流したということ自体がハードボイルドな男らしさを美徳とするハルバースタムにとって許しがたがった。 ところが、やがてハルバースタムは考えを変えた。武田はアーネットの『戦争特派員』を引いている。後任のサイゴン特派員のジャック・ラングズがこの一件をニューヨークタイムズに送った。「例の話は事実ではない。だが、本来は事実であるべきだったのではないだろうか。ハルバースタムにとっても、ほかの記者にとっても、事実であるべきだった。どちら側の兵士であれ、その死骸を目のあたりにして、涙を流すのが自然ではないか。来るべき世代のアメリカ人は、戦争の惨禍の中に横たわる死体に涙する人をさげすむどころか、むしろその涙のゆえに尊敬するだろう。ラングズはこう書いた」 この予言は当たったのだろうか。そうであってほしい。
2003年04月02日
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イラクの国営放送に出演しアメリカに批判的な発言をしたとされるピーターアーネット記者がNBCテレビとナショナル・ジオグラフィックテレビとの契約を解除された。当初は「彼は命を賭けてバグダッドから報道している」と擁護していたというのに。asahi.comの記事には「戦争が長引きそうだといういら立ちも募りつつある米国では、「ジャーナリストが自分の考えを公にするのは自然なことだ」という常識論は通じない」とある。室謙二は鶴見俊輔との対談の中で次のようにいっている。「僕は、価値の多様性というものはジャーナリズムの根本思想だと思うんですが、いまやジャーナリズムまでが「一つの正義」を作ることにやっきになっている」(『鶴見俊輔対談集』晶文社、p.331) CNNのような大きなジャーナリズムに対抗するのはメタ・ジャーナリズム、ジャーナリズムについてのジャーナリズムである、と室はいう。鶴見はいう。「重要なものは、ジャーナリズムではなく「ジャーナル」。日記を書く個人の目と記録です…「少数者一人」はジャーナリズムになりえないか。いや、そうではないんだ。ジャーナリズムは世の中を批判的に見る、個人の目から出発するんです」(p.335, 337) 九月十一日のテロの後、報復攻撃に反対するアメリカ人は二十パーセントいた(二十パーセントしかいなかった、というべきか)。鶴見はいう。「かつてベトナム戦争の時、その二十パーセントはゆっくり増えていった。それが結局ベトナム戦争を止めたんだ」(p.337) 今度の戦争でもそうならなくては。 室が引く歴史学者のハワード・ジンはテロの直後のインタビューで次のように語った。「これはひじょうに大きな事件だ。アメリカ人の各人が、自分が大統領だったらどういおうと判断をして行動をするのか考えてほしい…ract(考えずに反発)するのではなく、response(考えて反応)することが重要だ」(pp.332-3)
2003年04月01日
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