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う~ん、なかなかうまく写真が縮小できずに、ここ数日苦しんでいます。。。さらに、パソコンはディスク領域が少なくなってきましたと何度も出て、動きも鈍くて時間がかかる。。。使っていないようなファイルをけっこう消して、これでどうかなとしてたら、また「ディスク領域不足」とでる・・・何だか前にすすみません・・・。気長にいきましょう。。。今日の夜瞑想していたら、突然全身がしびれるような感覚になりました。電気がはしるというのか。その後目の前が明るくなって、その後、ぐるんぐるんとまわっている感覚になりました。このぐるぐる回る感覚も、かなり長い間続きました。何だったのだろう。あの感覚。しばらく写真の更新できないかもですが、気長に行きたいと思います。
May 31, 2007
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「君に・・・・・」いっしーさんに指摘されて、今日CDショップをのぞいてみたら、ありました!川嶋あいさんの新曲「君に・・・・・」夢遊病者のようにふらふらとレジへ船越英一郎主演のテレビ朝日系ドラマ「その男、副署長」の主題歌だといいます。見ていませんが…(^^;I WiSHとしてのデビュー曲でもある「明日の扉」のアンサーソングとしてつくられたというから、これも興味深いものがあります。視聴はこちら何度か聞いてみて、非常にさわやかな曲で、気にいりました。帰りの車では、涙が湧いてきました。もう少し聞きこんで、また感想書こうと思います。ここ最近のシングルは、真面目に(?)感想を書いています。『compass』(川嶋あい)の感想 『My Love』(川嶋あい)の感想
May 30, 2007
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きのうのアクセスが「1192」で、いつもの5倍くらいあるんですが、何かおかしいです…。といって、同じアドレスではないのだけど…う~ん、変です。「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」ですね(^^;★★京都への旅(京都動物園編)の続き順序が、逆なのですが…。実際は、太秦→京都御所→京都動物園の順に行きました。今回は、京都御所編。写真で一挙にいきますよ~~。御所は、ほんとに気持ちのいい場所です。広々としているからか、空気もスカッとしてます。一歩中に入ると、外の道路の喧騒が嘘のように、心地いい場所です。 ▲御所からの空 ▲芝生でホッと一息 ▲とにかく広い ▲しろつめ草 ▲飾りをつくったよ~。すぐにピ~スです。 ▲とにかく大きな木でした。 ▲ふい~~~っ。疲れた~~って感じ。ということで、次回から、本編(?)「太秦編」に行きます~。
May 29, 2007
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きのうは、写真がなかなか取り込めずに、ようやく2時間くらいかかって、書けたと思い、ポチッと登録したはずが…見事に消えてしまいました。と、いうことで、頭は真っ白になってしまいましたが、真っ白な、新たな気持ちで、サクッと書いてしまいます。どうもこのところ「白」に関わるシンクロが多いです。「白の考察」も、途中で途切れていますが、今回の京都行きは、ある意味、「白」とつながる旅であったとも言えます。京都のことを書いたら少しずつ再開したいと思います。★★京都へは、少し前から、うずうずしていて、どこに行きたかったかというと、ほぎさまの推測どおり…、そうです。…太秦!!頭の中に何度も浮かんできたので、そういう時は、素直に行くことにしていますので、妻と娘も強引に引き連れていってきました。と、いっても映画村ではなく、すぐ近くのお寺と神社です。どこか寄るところあったら、寄っていいからと言ってたら、前日の日に、いつのまにか京都動物園に行くことになっていました。と、いうことで、朝、すぐ裏の神社に参拝しました。▲隣りの、お稲荷さんの鳥居の上から光が降りそそいでいました。そして、そのまま、まずは太秦に行くつもりだったのですが、妻が急に、京都のおばあちゃんのところ寄っていい?と。御所のすぐ近くに住んでいて、京都にいったついでに、よく寄っています。そして、話をするなかで、急遽、私が、ひとりで太秦に行って、その間、妻と娘たちは、おばあちゃんのところへ寄って、御所で待っているということになりました。そして、私は太秦へ。その前日、ブックオフに寄ったら、この本と出会い、早速購入しました。『古代ユダヤから21世紀の日本へ』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【内容情報】(「BOOK」データベースより)日本は、あらゆる分野で確固たる信念をもって、自分の立場を主張する国にならねばならない。政治的、社会的、文化的にそして経済的にその基盤が固められて現在、新しい理念をもって世界に出て行くべき時代が到来している―キリスト者として開拓伝道にはげむ著者が日本の伝統・風習・そして神道のルーツに迫り、聖書の光を見る。 ●【目次】(「BOOK」データベースより)第1部 聖書から日本人のルーツを探る(日本人はどこから来たか/日本人の父たち/祭り/風俗・習慣)/第2部 日本人のための二十一世紀(ことばと霊/宗教/最終章) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの中に、太秦の広隆寺の奇祭「牛祭り」について書かれている部分が目につき、読むことができました。次の日、この広隆寺に訪れる予定だったので、いいタイミングでした。その後、御所で落ち合い、しばらくのんびりと昼ご飯をたべて、京都動物園に向かいました。★★京都動物園での風景を少し。 ▲うさぎちゃんを抱っこ。葵はおそるおそるという感じでしたが、喜んでいました。▲この後、葵は、乗り物に何度も乗りたがって、困りました乗って降りたと思ったら、乗りたいものを指差して、そっちへ行こうとします。もう終わりだよ、と言っても聞きません。結局何度か乗せたものの、きりがないので、最後は泣きわめいていましたが、引きずるようにして帰ってきました。妻は、もう動物園行かない!と怒っていました。次回、「御所編」で、ただ単に御所の写真を載せて(^^;、「太秦編」にいきたいと思います。
May 28, 2007
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写真のとりこみがうまくいかずに、あくせくして数時間かけて、ようやくできたかなと登録したはずが、されていない・・・。あ~~、何かよくわかんない。パソコン嫌いだ~。もう寝ます~~。写真がうまくとりこめないなあ…。
May 27, 2007
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明日は、というかすでに今日ですね。。。少し前から、行きたくなってそわそわしていた京都へ行ってきます。目指す場所は…また紹介できればと思います。一度訪れているのですが、だいぶ前なので、もう一度見てこようと思います。
May 26, 2007
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『究極の免疫学』(西原克成)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【内容情報】(「BOOK」データベースより)免疫力のカギを握るのはミトコンドリアだ。 ●【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 現代医学の何が問題なのか第2章 日本医学はなぜおかしくなったのか第3章 間違いだらけのスポック博士式子育て第4章 身体を温めると病気が治るのはなぜか第5章 口呼吸が万病を招いている第6章 健康には八時間睡眠が欠かせない第7章 免疫病の正体第8章 現代の免疫学では病気を治せない第9章 生命の謎を解く究極の免疫学 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第8章まで読みましたが、かなり難しい…というか、分からない部分の方が多いかも…。現代医学を全否定するつもりはありませんが、本書を読むと、お金のために薬を出しているという現実、患者さんよりも実験、医学データを重視する傾向など、命をある意味ないがしろにした部分もあるのも事実。いろいろと考えさせられました。と、同時に、病気の原因が、かなりの部分解明されてきたと、本書を読んで感じました。免疫学の安保徹さんなど、従来の免疫学を、大きく覆すような新たな免疫学の台頭といってもいいのでしょうか。体をあたためることの大切さ、鼻呼吸の大切さ、冷えたものをとらないこと、睡眠をよくとることなど、一見するととても単純なことに真理があると感じました。睡眠は質がよければ、3,4時間でもいいと思っていたのですが、8時間くらいはしっかりとる必要があるというのも、重力のことなどから聞けば、そうかもしれないと、ドキッとしました。会社でも横になるスペースいるかもしれないと感じました。骨休めは重要です。あと、瞑想もとてもいいと。睡眠をとるのに匹敵するくらいの重要なことであると。続けていこうと思います。この方の他の本も読んでみようと思いました。
May 25, 2007
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http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-shasta-daisy_large.htmlより画像転載あの日 あの場所で初めて あなたを見た時心の奥の何かが どくん…と動いた気がしたそれが 何なのか…言葉にはできないけれど心の奥が疼くような 痛みのようなうまく形にできない想いが 湧いてきた… それからあなたを ずっと 見つめているあなたを いつも 想っているあなたを想うだけで 涙があふれてくる自分に こんな感情があったのかと 驚くただ 見つめていられたらいいただ あなたがいてくれたらいいでも…さまざまな想いが 浮かんでくる木々の緑が 一葉一葉 違うように無数の想いが 心に 重なっていくあの日から 心に灯る炎はますます大きく 揺らめいている決して 消えることはないと知っているあの日 心地よい風が吹く草原でその中に可憐に咲いている 白の群生何かを訴えるかのように清楚な色を 柔らかく ひかえめにふりまいて身をまかせるかのように 風に揺れていたデイジーの花そこで あなたを 見たんだだからあなたに デイジーの花を届けるあなたを ずっとずっと 見守っていくからあなたの幸せを 願い続けるからそして何より“心に秘めた愛”を伝えたくて抱えきれない想いを デイジーに託す※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※映画『デイジー』について、取り上げましたが、その映画をそのままイメージして、書いてみました。この映画のテーマは、「一途な愛」デイジーの花を密かに贈り続ける、登場人物の純粋な気持ち。その視点で、自分の想いも盛り込みながら、ほぼ即興で書きました。デイジーの花言葉は「心に秘めた愛」この花言葉をなぞるように登場人物の心理を描き出していきます。自分の中では、久々の韓国映画のヒット作品でした。
May 24, 2007
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今日も写真だけ~。
May 23, 2007
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今日も写真だけ~~花があったら撮ってみるけど、名前が分からない・・・。お花の勉強していかないと…と思う今日この頃です。▲これ何?って妻に聞いたら、カラーじゃないの?と。ってことで、それでいいのかな…。自信ありませんが。 ▲ようやくこげるようになりました~。この日は、姉のともえが、スイミングに行ったので、ともえと同級生の男の子と一緒に遊んでもらいました。日曜日の夜は、娘と添い寝していますが、8割くらい最近は、そのまま寝てしまうというパターンそれはさておき、寝るときに、「爪もみ」してあげるのですが、それが気持ちいいのか、してして~と娘から言ってきます。だから最近は、足と手の爪もみだけではなく、足裏をもんだり、足指や足首をぐるぐるとまわしたり、手のツボを刺激したりと、適当に、サービスたっぷり(?)してあげています。今日は、娘が、妻に、お父ちゃんに足もんでもらって「気持ちいい~」と言ってたそうです。と、いうことで、ツボとかちょっとずつ勉強して、もんであげようと思います。今は、私以外、妻と娘ふたりとみな咳がでたりと調子がいまひとつ。レイキをしたり、本見て、咳にきくツボを押してみたり、適当に、妻にいろいろとしてみました。私は、こう見えて、意外に強く、今のところ、移されることもなく、ひとりピンピンしています。みんな元気が一番いいですね。そんなことを思う今日この頃です。
May 22, 2007
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きのうは、午前中すぐ近くの神社に行ってきました。休みの時は、娘とぶらぶら、行くことが多いです。▲境内の木々。参道の途中の公園にも寄りました。
May 21, 2007
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写真だけ~。最近多いなあこのパターン(^^;▲きのうの空。一応女の子ね。女の子。妙なポリシーがあるのか、お気に入り(?)の決まった服を、2着しか着ないのですが、それ以外の服です。これ。珍しい…。そろそろ他の服も着ていってね。お願いだから。▲ピースのつもり??このポーズは何??
May 20, 2007
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余裕ないのに(^^;;『ラブストーリー』再鑑賞してしまいました。。。「うおぉぉぉぉぉぉ!!ソン・イェジ~~ン!!!」はあはあ…。あ、すみません、また言ってしまいました。。。映画の感想はこちらに熱く(?)語っていました。。。今読み返すと、ひとりで盛り上がっていて、なんとも恥ずかしい・・・でも、やっぱり、この映画は、好きです。あの神業には、文句も言いたくなるのも分かりますが、やっぱり全肯定です。これはこれでいい。お互いが本当に好きなのに、運命の歯車はなかなかかみ合わない。最後にかみ合った時…。それはまさに運命の奇跡。「真実の愛は、人生にたった一度だけ…」せつない気持ちが胸に迫ります。『猟奇的な彼女』のクック・ジェヨン監督らしい、ひとひねりした脚本も、なかなか。「私たちは別れるしかないのよ」「君を好きになる以外僕には取り柄がない」「会いたい。会いたくて病気になりそう」主人公たちのせつない心情が強く伝わってきました。さまざまな想いが渦巻くまま、運命に流されるふたりの運命は…?母の恋と娘の恋。ふたつの恋を、ソン・イェジンが一人二役の演技で魅せてくれます。あの静々としたエンディングテーマの楽曲が、映画の何ヶ所かの場面で流れるだけで、何だか込み上げるものがありました。今日はひとりで観てたので、途中何度も涙ぐんでいました。韓国映画のなかでは、有名なほうだと思いますが、楽天ではもう在庫なしなのですね…。おすすめの映画です。
May 19, 2007
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本の紹介だけ~。(^^;『願いがかなう100の方法』 (佳川奈未)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【目次】(「BOOK」データベースより)1 今日から開運!運のいい女になる「生活習慣」2 ここから好転!さらに運がよくなる「心の持ち方」3 いきなりハッピー!思わぬ幸運を拾う「気まぐれアクション」4 いつでもラブラブ!恋愛運がUPする「ハートの魔法」5 さらに飛躍!幸運を引きよせる「言葉の使い方」6 つねにリッチ!金運がツキまくる「エネルギーの法則」7 つぎつぎチャンス!好きな仕事でブレイクする「成功の秘訣」8 どんなときもツイてる!幸運の女神に愛される「宇宙のルール」 ●【著者情報】(「BOOK」データベースより)佳川奈未(ヨシカワナミ)神戸生まれ。コピーライターとして新聞、雑誌、ラジオCM等を手がけた後、エッセイストに転身(キャッチコピーや作詞で受賞歴多数)。現在は、エッセイの執筆をはじめ、「輝いて生きる女性」「運と奇跡とチャンスのしくみ」などをテーマに、ラジオ・テレビ出演、雑誌や携帯サイトで、恋愛や夢をかなえるカウンセラーとしても活躍中。また、20代の頃より、ジョセフ・マーフィーなどの成功哲学や人間影響心理学、自己実現の研究を続け、佳川奈未カンパニー「POWER FACTORY」を設立、夢をかなえるエネルギーワークや波動鑑定・宇宙生命鑑定などを実施、多くの人々の「自己実現」「成功体質づくり」に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー佳川奈未さんの本は、みると条件反射的に買ってしまいます。一気によみました。元気になれます。
May 18, 2007
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この前のクリア道一般コースに参加して、「涙は浄化だからどんどん出したらいいですよ」とかわらさんがおっしゃっていました。夕方の第4期一般コースでは、涙を流す方も何人かおられて、素直に美しいなと感じて、また自分自身も泣きそうになっている自分がいました。ここで泣いたらどうなるだろう…と思いつつ、抑えなきゃって感じる自分もいました。人前では泣いたらよくないっていう価値観が、自分自身ありました。だから無意識のうちに制御しようとする。ここ数日、ひとりのときですが、車の中とかで涙ぐむことがけっこうありました。文章を読んでこみ上げてくる。存在を思って涙があふれる。苦しくてというよりは、うれしい気持ちとか、いろんな気持ちが交じり合っている。涙で気持ちが乱れているのではなく、心はとても穏やかです。何だろうと思うけれども、不思議と落ち着いています。どうしようもないことは、どうにもしようがない。そのままただ、ほっておいて、見つめる。でも心の底の想いは全くぶれていないと感じる。木々が風に吹かれて、葉がざわざわ揺れている。でも良くみると幹はまったく動いてない。数日前の朝の木々が、強い風に吹かれて、まさにこのような状態でした。それを眺めながら、心の中もこんな感じなのかなと、見つめていました。木の幹のように、ぶれない本心からの想い。木の葉のように、ざわざわしている心模様。どちらで生きたいかははっきりとしています。涙は浄化。まさに木々を潤してくれる雨なんだなと。雨も、植物を潤して、すべてを洗い流してくれる浄化の作用があるのならば、涙も心のわだかまりやとらわれを洗い流してくれるのでしょう。うまく言えませんが、涙は、心のしこりを揉みほぐしてくれるような感じがします。
May 17, 2007
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写真だけ~~。髪はやっぱりまだ、すかすかで、目が半分いってるんだけど、何か?最近は、キムチがないとご飯を食べないくらい、キムチが好きな、ちょっとおかしい娘ですが、納豆もこれまた好き。発酵食品が好きみたいです…。▲まわりにこぼしてるんだけど、そんなことはどうでもよいって感じ。▲また、目がいっちゃってますが、何か?
May 16, 2007
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本の紹介だけ。まだ全部読めてませんし、少しずつですが。「ゆほびか」という雑誌で、手相について特集されていて、ちょっと興味が出ました。その時に紹介されていた本。『的中手相術』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【内容情報】(「BOOK」データベースより)人は皆、一生に一度は自分の手相を知りたくなる。流年手相術で、結婚、独立、成功、病気の年など、あなたの未来に起こることが分かる。本書は、世界各国で翻訳され手相家の教本となっている原本を、大幅に加筆した増補改訂版である。 【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 アメリカ人が熱狂するサイキック、そして手相第2章 手相の基礎知識第3章 西谷式流年法第4章 基本線でほとんど分かる第5章 恋愛・結婚をみる第6章 適性・職業をみる第7章 性格・運勢をみる第8章 健康をみる 【著者情報】(「BOOK」データベースより)西谷泰人(ニシタニヤスト)アメリカのABCラジオ『ニシタニショー』に毎週土曜夜出演。アメリカ有名人ゲストの手相鑑定を行い、好評を博す。テレビ、ラジオ出演は200回を超す。ニューヨークから2004年帰国。同年、横浜に鑑定オフィスをオープン。1954年、鳥取県生まれ。手相家、ライフ・コンサルタント。’88年アメリカCNNテレビで、日本を代表する手相家として世界に紹介される。氏の手相書は20ヵ国以上で翻訳され、世界中の手相家の教本となっている。これまで鑑定した人々は、世界各国の政治家、財界人、文化人、芸術家、スポーツ選手とあらゆる分野に及び、その数は優に5万人を超える。著書の多くはベストセラーとなり、根強い人気がある。2003年以降はフリーとなり、講演活動にも精力的に取り組んでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この本、図も描いてあり、なかなか分かりやすいです。西谷式流年法というもので、生命線から年齢が割り出せて、その線をみることで、いつ、何が起こってくるかということをかなり確実に予想できるということ。せいぜい誤差は2~3ヶ月だそうです。過去の年齢のところにも刻まれているということで、手相は嘘はつけないなと思いました。しかも、手相がどんどん変わってくるというから、おもしろいなと思います。手相は変わる。今の自分の状態がありのままでるのでしょうね。だから嘘はつけない。
May 15, 2007
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きのうは、クリア道大阪一般コースの4回目、5回目をまとめて受講してきました。私にとっては、先月出れなかったので、2ヶ月ぶりの集まりでしたが、何よりもシェアを通じて感じたのは、参加されている方々の表情とかが、2ヶ月前とは違う!っていう感を抱きました。円になって椅子に座っていたのですが、はじめに、中心にあるペットボトルを10分間見つめるというワークをしました。10分も見続けられるかなあ…という想いが、チラッと湧いてきましたが、見つめていると意識が自分の深い部分に落ちていく感じがありました。そして、途中何度かペットボトルの周囲の絨毯が波打つようになったり、それがおさまったりの繰り返しがありました。でも、それについて、あれこれ考えることなく、そのまま見つめていました。ペットボトルを見ていながら、自然に周囲の視野もはいってきます。どなたかが少しでも姿勢を正そうとしたりして体を動かすと、その動きも目に入ってきます。気をとられるというわけではなく、その動きも自然にただ視野に感じるだけで、そのまま見ている感じでした。★★シェアを聞いている中で、印象に残ったのは、クリア道をがんばるとか、完璧にしようと感じるほど苦しくなるのだなあということ。クリア道とは、こういうもの、こう実践すべきものだと、型にはめて、概念や言葉で理解しようとする自分もいました。そして、実践できてないと、暗に自分を責めている自分もいました。そのことに労力を使うのは無駄なのかもしれない。もっとシンプルでいい。ただ、今ここを感じることから、呼吸を感じることから、目の前のことをしっかりと丁寧にとりくむことからはじめる。できないときはできないでいい。判断する必要もないのかもしれません。★夕方の部もまた、昼の部とは雰囲気も内容も違って、自分自身感じるものが多々ありました。その中で、泣くことは浄化であるということ、が響きました。。自分自身、人前で泣くのは、良くない、恥ずかしいこと、という価値観がありました。結果、一人のときでさえも、自分の感情、自分の気持ちを抑えこむようになっていたと思います。それも、そのことが苦しいとか感じることなく、ただ、無意識に抑え込んでいた。ハートを閉じていたように思います。その無意識の部分に気づくようになっていきたいと思いました。一人で泣きたい時、涙がでてくるときは、そのままでいいと、最近は気づき始めました。悲しくてもうれしくても苦しくても、涙が出るときは出したらいい。ほんとにすっきりとするのが分かります。それを少しずつ体感しているところです。★今日は、お客さんに、表面的な反応ではなく、深い部分で感じて表現が出来たような気がします。お客さんの顔を見て、目を見て、表情を感じて対応できたかなと。そういうことを、ひとつひとつ積み重ねていきたいと感じました。日常すべてが実践の場なんだなと改めて痛感しました。あと1回です。仕切りなおし、今ここから何度でもはじめていきます。
May 14, 2007
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▲葵:さてさて、何をつけようかな~。って感じ。▲お姉ちゃんにつけてもらってるんだけど、ご機嫌だよ~。そして、つけてもらったけど…。ご機嫌だったはずが…。なぜか…。気がついたら…。泣いてた~~何で??よく分かんないけど、悲しかったみたい…。何か理由があったんだろうけど。それにしても…泣いているのにおもしろい顔…
May 13, 2007
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白とは、死であり、同時に光でもある。一見、白=陰=死と見えますが、そのなかに光の性質ももっている。すなわち、陰陽あわせもつ色であり、七色すべてをあわせもつ色であり、神を象徴する色。太極図のように、陰きわまれば陽となり、陽きわまれば陰となるように、陰の中に陽をもち、陽の中に陰をもつ、ともいえるのかもしれません。そして、死と蘇りの思想、もっといえば、イエス・キリストを象徴とする色が、根底にあるのだと思われます。実際に、白=イエス・キリストから見れば、さまざまなこと派生的に見えてくるものがあります。一度、原点に戻って、白は「死」を想起する色であるということから、再び見てみたいと思います。「白」が「死」を象徴するということは、「葬儀」を見れば、そこに色濃く「白」をみることができます。★★葬儀について、「白」という観点からみてみます。インターネットから抜粋します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまず、何と言っても亡くなった人には、白いさらしの経帷子(死装束)を着せます。経帷子は手甲や脚絆、そして白の頭陀袋から組み合わされています。頭には白の三角布をつけ、手に数珠を持たせ、首から六文銭の入った頭陀袋をかけます。六文銭とは、死んで七日目には、冥途にあるという、「三途の川」を渡るために必要な、渡船料だといいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでの注目は、やはり「白」づくめの死装束と、「三」という数理でしょう。「白」とは、この死装束をみても、「死」と結びついていますが、これは、「死して蘇る」という思想があると思われます。数理からいえば、「白」とは「百」という漢字のうえの「一」の部分がない状態。ですから、「白」とは、「百」に「一」が抜けた状態。すなわち、「九九」=「99」という数理をも導くことができます。●「白」=「99」=「9+9」=「18」=「1+8」=「9」「9」とは、一桁の終わりの数理であり、それは同時に振りだしである「0」=「無」に戻ることを意味します。「真っ白」にするとは、すべてをリセットすることでもあり、終わりであり、またすべてを振りだしに戻して始まりにする数理だとみることもできます。そのことは、「死」と同時に「蘇る」という思想に通じます。そう考えれば、死装束が「白」であるというのは、「蘇り」を願って、「白」が使われているともいえるのかもしれません。もっといえば、日本人自身をもそれと気づかないうちに、イエス・キリスト(=白)の死と蘇りが、この葬儀の風習には込められている可能性もないとはいえません。なぜなら、漢字にカバラの思想を組み込み、さらに深めたのは秦氏であり、かれらは、イエス・キリスト直系の12使徒を中心に組まれたエルサレム教団だと指摘されているからです。漢字は、さまざまな意味を内包させることができますし、漢字こそが、聖書の思想を象徴的に表現できる文字だということもできると思われます。それと、「三」という数理が、重要視されているのは、聖書と日本を結びつける数理とみることもできます。「三」とは、日本でいえば、造化三神であり、「聖書」でいえば、絶対三神となり、結論を言えば、飛鳥昭雄氏・三神たける氏に指摘されているように、両者は同じことをいっています。●造化三神=絶対三神さらに、日本の三種の神器がありますし、不思議なことに、古代イスラエルにも三種の神器があります。「三」という数字で両者がシンクロするかのように結びついてきます。突き詰めれば、神は「三神」であり、そのことが、日本の「古事記」の原初の神である、造化三神にあらわされています。聖書は、御父、御子、聖霊の絶対三神。この三神を図式化すれば、至高の三角形となり、△で表すことができます。日本と聖書のそれぞれの三神を△と▽で合体させれば、合わせ鏡のように「六芒星」が浮かび上がります。六芒星は、ダビデ紋とも言われますし、イスラエルの国旗には、六芒星があります。そして、日本には、伊勢神宮の外宮と内宮をつなぐ参道脇にある石灯籠には、「六芒星」が刻まれています。これは、偶然でしょうか…。いずれにしても「三」=「△」は、深い意味がありそうです。だからこそ、亡くなった人には、「三角頭巾」を頭につけるのであり(頭は人間で言えば一番上であり、上=髪=神に通じる部分だからでしょうか)、冥途には、「三途の川」があるとされます。三途の川は仏教から来ているといわれるかもしれませんが、仏教も実は、ユダヤ教や、原始キリスト教などの影響を受けているといえます。釈迦が悟りをひらいた菩提樹や、入滅した沙羅双樹は、聖書でいう「生命の樹」のことであり、それが、日本へ伝播すると、榊(木+神)で表現されたにすぎません。もとは同じです。三途の川の「三」とは、聖書や日本の「三神」と無関係とは思えません。★★インターネットでの検索ですが、「通夜」とは、「もともと故人の蘇生を願うために、夜を徹して故人の生前の徳を讃え、みんなで飲んだり踊ったりして夜を徹してすごした」ことだといいます。ここには、死と蘇りの死生観がみられます。白が「死」の象徴ならば、黒は「生」の象徴。だからこそ、鯨幕(げいまく)という、黒白の幕が、葬儀にはみられるのでしょう。そして、亡くなった人が死装束(=白)を着るのであれば、そこに集う人は、喪服(=黒)で、生を象徴しているとみることができます。白と黒の対比。それは、死と生を象徴しているととらえることができますし、うがった見方をすれば、死と蘇り(生)だとみることもできるのかもしれません。日本人には死して蘇る、死して神になる、という死生観があり、そのことが葬儀の風習にも組み込まれているのではないでしょうか。いつものように、まとまりなくなりましたが(^^;、次回、もう少しだけ、続けてみます。
May 12, 2007
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以前、家の前で太陽の写真を撮っていたら、隣りの隣りの家の息子さん、うちのうえの娘と同級生なのですが、「何で太陽の写真撮っているの~~」と言われたことを書きました。「太陽はね、(表情が一瞬一瞬変化して)おもしろいんだよ」と答えたら、「子どもの時から、太陽好きだったの?」と言われ、「え?う~ん、まあ、そうだねえ」とか適当に返事しておいたんです。そのとき、隣りの家の娘さんも、うちの娘と同い年くらいなのですが、その場にいました。そしたら、今日妻が、こんなことを言っていました。今度はその娘さんが、お母さんに向かって、隣の家のお父さん(私)はね、太陽ばかりとっているけど、子どものころから、太陽が好きだったんだって」といったことを、真面目に言ってたそうです…。う~ん、子どもは素直ですね~(^^;変な人と思われなければいいけれど…。★★さて、本題です。今回は、上記だけにしようと思って、白について、ほんの一言書くつもりが、書いてしまいました…。ということで、その2としました。まだ混乱があるのですが、でもそのまま記します。太陽は、色で表現すると、何色なのでしょう。よく絵で描いたりしたのを見れば、赤色や黄色といえなくもないでしょうが、おそらく「白」なのではないでしょうか。光とは、可視光線であり、実際は七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)の色から成っているといわれています。七色とは言うものの、実際に太陽の光を表現するとすれば、「白」でしょう。けんたま様のことたまでも、「白」は、「白光」=「ハッコウ」=「発光」であり、光を発するということです。ただし太陽は、この宇宙の始まりからあったわけではありません。聖書では、はじめに光があったとありますが、その後に、神によって太陽がつくられたとあります。飛鳥昭雄氏・三神たける氏が指摘してたように、厳密に言えば、「太陽」と、聖書でいうはじめの「光」は違うということになります。誤解をおそれずに、聖書から見れば、「光」とは、「イエス・キリスト」だということになります。そして、「イエス・キリスト」の象徴は、ずばり「白」●「光」=「イエス・キリスト」=「白」これだけ見れば、「白」は光だから、陰陽からいえば、「陽(生)」ではないのかと感じてしまいます。しかし、今まで何度か述べたように、「白」とは、「死装束」のイメージなどから「死」にまつわる色とも言えます。一般的には、太極図をみてもわかるように、「白色」=「陰」であり、「黒色」=「陽」を表わしています。白は、陰陽で言えば、「陰」=「死」となるわけですが、上記の「白」=「光」とみれば、「陽」の性質をももっている。すなわち、「死」と同時に、「蘇り」(=生)をも内包している。それは、「イエス・キリスト」の象徴が「白」であることに繋がります。なぜなら、イエス・キリストは、十字架上での死と蘇りに象徴され、そのことが、「白」(=イエス・キリスト)が、陰陽を内包していると見ることができるからです。そして、もっと象徴的にみるならば、「イエス・キリスト」=「白」=「十字架(死と蘇り)」=「十」となり、「白」=「十」とみることもできそうです。これは、けんたま様の数理解読からも一致します。●「白」=「シロ」=「46」=「4+6」=「10」=「TEN」=「天」=「神」「白」とは、「十」であり、「光(=白光)」や、天や神に通じる数字だといえます。それは、今の八方(四方八方)世界から、十方世界(白=神=光)の領域に至るということなのかもしれません。だから、白馬、白蛇など「神」の象徴とされているのでしょう。白とは、光(=陽)だけとも言えないところが、やや混乱します…。先にも述べたように、白とは「死装束」から、「死(=陰)」の色でもあるからです。「白」とは、闇であり光である。死であり生である。それらをあい合わせもつ色、統合した境地にたつ色。それが「白」なのかもしれません。音に返すで、浮かんだものがります。「シロ」=「至路」なのかなと。「至」とは、「きわまる」「この上ない点まで達する」といった意味があります。ですから、かなり強引ですが、「至路」とは、「きわまる路」であり、「この上ない点まで達する路」となり、まさに、「神へ達する路」だとみることもできなくもない。すべてをまっ白(リセット)して、本当の自分につながる。本当の自分とは、おそらく奥底から白光する光の色(白)とつながった自分であり、そこから湧いてきた純白(純粋)の想いを、まっ白な心のキャンパスに表現していく。それこそが、「白(至路)」を生きることなのかもしれません。
May 11, 2007
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きのうは、夕方お腹をこわしてしまい、数時間にわたってふうふうと苦しんでいました。考えてみれば、腸は、「第二の脳」ともいわれ、とても重要な器官です。人間が持っている免疫細胞の50%は腸にあると言われていますので、腸の状態が、健康の鍵を握っているといえるのでしょう。口から入ったものが、胃で消化されて、はじめて、腸から吸収されることを思えば、腸の状態がいかに大切かがわかります。また、腸は老廃物や毒素をしっかりと出す部分でもあります。その腸が詰まったような感じになって、まさに毒素がたまった状態で、苦しんでいました。「捨てる」について、自分の意識がいっているからか、それに反逆するかのように、「捨てられなくて(排毒できなくて)」苦しむ自分がいました。それでも、光を送ってくださった方もいて、ただただ感謝あるのみでした。一時期、椅子を3つならべて、寝心地が悪いけど、横になっていたら、光に包まれる感覚がありました。また、お腹がとても熱くなったり。それで、だいぶ楽になっていました。ありがとうございます。腸は大事にしていきたいと思います。痛みがあるのも、浄化の過程であるとわかれば、あまり心配することなく、日々淡々と目の前のことを意識して取り組んでいけばいいのかなと思います。★今日は風が異様なほど、強くふきつけていました。これもまた、すべてを雨と風で洗い流す、吹き払ってくれる「浄化」の作用なのでしょうか。イメージは、白(笑)ちょっと最近、捨てるから、白に意識がいっていますが、「白」のように、いつもまっさらな気持ちで、目の前のことに取り組んでいきたいなと感じました。人間は、黒(生)から白(死)へ向かって、日々を生きていくのかなと感じました。老化していくと、黒髪から、白髪になったりしていきますが、黒から白への移り変わりを象徴しているかのようです。しかし、「白」は、死だけではなく、新たなスタートも意味します。「白」の意味を見ると、「夜明け」の意味もあるからです。死(終わり)だと思っていたのが、ほんのスタート地点にたっただけだった…。まさに、今ここから。途切れることは決してない。巡っていく。そしておそらく、けんたま様が指摘されていたように、白=ヒャク=百となるので、「永遠」へと至る道がのびているのでしょう。「白」の旅は、今しばらく続きそうです。広がりすぎて、頭がこんがらかっていますので、一度リセット(真っ白)にする必要があるのかもしれません…(^^;頭の中をこそ、まずは整理しなくてはいけないようです。▲関係ない写真ですが…。ハムスター「くるみちゃん」にえさをやってます。よくふたりで、「私がやる~~」とか、場所の取り合いをしたりとか、なかなかにぎやかです。2歳の葵の方がむしろ強くて譲らない…。
May 10, 2007
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前回は、捨てるということから、死と蘇りについて、考察というか妄想してみましたが、「白」という漢字は、あらためて興味深いものがあると感じました。そもそも漢字には、聖書の思想が色濃く込められています。一見、漢字と聖書は結びつかないかもしれませんが、古代イスラエルと日本の深いむすびつきをみれば、そんなに不思議なことではありません。それは、漢字破字法といって、漢字を分解してみると、本来の意味が見えてくることからも分かります。何度かとりあげていますが、飛鳥昭雄氏と三神たける氏の指摘によれば、「船」とは、ずばり聖書の、ノアの箱舟を象徴しています。●「船」=「舟」+「八」+「口」聖書に記された、ノアの大洪水で、生き残ったのは、ノアの一家八人でした。「船」という漢字は、まさにそのことを象徴しています。「口」は「人口」というように、人を表わしますから、「船」とは、「船に八人の人間」と読み解くことができます。日本に漢字を持ち込んで、カバラの思想を深く組み込んだのは、秦氏を中心としたグループだと思われます。秦氏の正体は、イエス・キリストの直系の弟子である12使徒を中心に組まれたエルサレム教団であり、彼らはユダヤ人原始キリスト教徒(飛鳥&三神説)だと指摘されています。★★そして、ようやく本題。またまた、妄想モードで、まとまりなくなりましたが(^^;;正直、荒っぽい考察であり、妄想も多々あり、メモ感覚で書いていますが、何回かにわけて、思いつくままあげていこうと思います。「白」ですが、聖書とのかかわりにおいて、ひとつ注目すべきは、聖書に記されている「シロ」というそのものの言葉でしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。(ヨシュア記・第18章1節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「シロ」とは、臨在の幕屋がある場、すなわち、絶対神のすまう場であり、古来から聖なる場所として使われてきたようです。そして、この「シロ」と日本語の「シロ」は、全然関係ないはずがなく、明らかにつながっています。なぜなら、神のすまう場所を、日本では、そのものずばり、「ヤシロ」=「社」というからです。「ヤシロ(社)」とは、「ヤ・シロ」であり、「ヤ」とは、ヘブライ語で「神」の意味。「ヤハウェ」の「ヤ」です。「シロ」とは、王宮とか宮殿といった意味合いで、聖なる場所であり、政治的にも宗教的にもイスラエルの中心となったことが、旧約聖書には見られます。●「シロ」=「城」=「代」=「白」「代」は「依代(ヨリシロ)」という言葉があるように、神が宿るとされる御神体や柱などをヨリシロと称します。であれば、同じ音をもつ、「シロ」=「白」も、神に通じる漢字であるとみていいように思います。白蛇、白馬など、白のつくものは、神の象徴ともされますので、「白」は、神に通じるものであることは、間違いないでしょう。そして、もっといえば、前回も述べた「白」とは「イエス・キリスト」の象徴であるとみることができます。そのことを証明するかのように、聖書には「シロ」という言葉が、また別の意味で使われています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(創世記・第49章10節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここはヤコブが臨終の床で12人の子供たちに与えた祝福の言葉ですが、それは同時に12部族の運命をも預言しているといいます。「シロ」は「平和を来らす者」すなわち「メシヤ」を示す意味にも使われているということになります。「シロ」=「メシヤ(救世主)」=「イエス・キリスト」=「白」上記で使われている「シロ」が、果たして、イエス・キリストと言ってしまっていいのかどうかは、正直分かりませんが、「シロ」とは、神聖な言葉であることはみることができます。白とは、「死」のイメージと書きましたが、「シロ」=「死路」という音に返すが浮かびました。しかし、それで終わりではなく、同時にまっさら、真っ白にして、また「新たな始まり」をも内包する言葉なのでしょう。終わりであり始まりである。それは死んで蘇ること。まさに、「シロ」=「死路」=「始路」 「死」は終わりではなく、始まりであるということ。また、そのことは、「シロ」=「子路」にも見出すことができます。十二支の最初になぜ「子(ネ)」=「シ」がくるのか。それは、「子」=「一」+「了」であり、「一」=「はじめ」であり、「了」は、「完了」「終了」というように、「終わり」を意味します。つまり、「子」とは、「はじめ」であり「終わり」であるということであり、もっと言えば、私は「アルファ」であり「オメガ」であると言った、「イエス・キリスト」その人です。十二支も「子」ではじまり、再び、「子」に戻る。はじめであり、終わりであり、またはじめに戻って巡っていく。日本は今でこそ少なくなりましたが、女の子の名づけに、「~子」と名づけるのは、何か深い意味があるような気もしないでもないのですが…。いずれにしても、「白」=「シロ」=「子路」=「死路・始路」とは、まさに、イエス・キリストの象徴だと言えそうです。神社にある狛犬は、口を開いたのと口を閉じたのが一対鎮座していますが、これこそ、「あ・うん」であり、最初と最後を象徴していて、日本語の五十音の「あ」~「(う)ん」をも象徴していることになります。日本人は、「死」は、終わりではなく、始まりであるということを、死んで蘇ると言うことを知っていたということなのでしょうか。さまざまなところに、そのことが暗に示唆されていることが見えてきます。
May 9, 2007
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きのうの日記との関連からの妄想なのですが…。思い付きをメモしてみたという感じで、非常にまとまりなくなりました。また文章も前後のつながり悪いと思います。また、修正したいと思います。★★今日も、夜は、裏場を中心に少し整理をしていました。物が少ないというのは、ほんとに気持ちのいいもので、今までいかに抱え込んでいたかを痛感しています。あれもこれも抱えていると、心もいっぱいいっぱいで、本質が見えない。だから、することも無駄が多くて、的外れになることが多い。物が少なくなってくるとそれだけ、本質が見えてくる。でもそれが、今までは恐かったのかもしれないとふと感じました。物が少なくなっていくということは、自分を覆っているものが剥がれてくるということ。それは、ある意味、自分をごまかせないということであり、自分をさらけださなければならないということにもつながるのかもしれないと。だから、いろいろなものを抱えていた方が、楽であり、だから、そうじするのが、いやだったのかもしれないと、それがすべてではないにせよ、そういうのもあったのかもしれないと感じました。でも、もういい。手放していく。手放すということは、ごまかせないこと。だから本当の想い、ほんとうの自分を生きていくしかないということ。心の内面と、環境はつながっているのだなあとつくづく感じます。★★「整理」=「セイリ」=「生理」であり「いらないもの(老廃物)を捨てる」という意味で、通じると感じましたが、音に返すで、本質が見えてくるというのは、けんたま様のことたまワールドでそのことを教えていただいたからこそのことです。これは、ほんとにすごいなと感じます。いつもありがとうございます。音なんだなと。整理=生理の「セイ」という音も興味深いものがあります。「セイ」=「整」=「生」=「正」=「清」=「聖」=「性」=「盛」=「世」=「星」=「西」=「誓」=「青」=「成」=「声」=「誠」…「西理」であれば、西とは、色でいえば「白」であり、白には真っ白、純白という言葉のとおり、まさにすべてを新しく、まっさらにするという意味合いもみえてきます。そして、十二支を円周に配置すると、ちょうど西の位置にくるのが、「鳥」です。西の鳥とは、死の鳥、死して蘇る鳥、すなわち、フェニックス(=火の鳥)!また、ここ(西)は角度にすれば、135度。「135」=1+3+5=9となり「9」という数理が導かれます。「9」は、1~9の一桁の数理からすれば、終わりの数理であり、最後の数理。西は、西方浄土というように、死のイメージもあります。太陽は東から昇って、西へ沈む。また、白も同時に死のイメージでもある。死装束は「白」こういったことを見ていくと、最後、終わり、死というイメージがあります。先の、死と蘇りの鳥、フェニックスからさらに連想するのは…。イエス・キリスト!!それは、妄想かもしれませんが(^^;、「整理」=「生理」の「いらないものを捨てる」=「死」というものにつながるような気がします。手放しすことで(死して)、得られる(復活する)それは、日本古来の考えにある、死して生まれる、死して蘇るの思想に通じるのでしょう。呼吸、出入口、先に、はく、出すのが先。であれば、捨てる、命をも捨てて、蘇る、死して蘇る、これはまさにイエス・キリストの象徴です。お正月の朝一番最初に飲む風習「お屠蘇」も、そのまま字を見れば、「屠って蘇る」となります。「屠る」(=殺す)=死であり、「蘇る」ということであり、これは、イエス・キリストの死と復活を象徴した風習であると思われます。先ほど、西は、色でいえば、「白」であり、「白」は死のイメージがあるといいました。誤解をおそれずにいえば、白とは、イエス・キリストの象徴です。飛鳥昭雄氏、三神たける氏が指摘しているように、聖書をみれば、イエス・キリストの顔が白く輝いたとか、ヨハネの黙示録では救世主が白い馬にのって現れたともあります。伊勢神宮の神馬は、白い馬です。このあたりにも、古代のイスラエルと日本のつながりがみてとれるのでしょう。けんたま様の数理解読をつかわせていただければ、●「白」=「シロ」=「46」=「4+6」=「10」「10」=「TEN」=「天」となり、天は神に通じますから、死して、白装束をきるということは、イエス・キリストの昇天を象徴しているのでしょうか。天に上って、神になる、すなわち、復活体になる、ということをも暗示しているのかもしれません。そもそも「10」は完全数であり、神の数。「白」=「ハク」=「吐く」=「掃く」=「刷く」=「柏」これも、音に返すと見事に通じますね。まっさら、吐いて空っぽにする、掃き清める、刷新。端午の節句に「白」=「拍」=「柏」の「柏餅」これも深い意味がありそうですね。「拍手」もしかり、でしょう。整理のことが、いつのまにか「白」になっていますね(^^;むちゃくちゃなことを書いたような気がしますが、全然こんなこと書くつもりなかったのですが、妄想モードに入ってしまいました…。
May 8, 2007
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連休中は、結局カレンダーどおり、日曜日しか休みがなかったのですが、店のそうじを中心にすることができ、店の裏場が、だいぶスッキリしてきたように思います。私はO型だからか、って関係ないかな…一度捨てるとなると、けっこう大胆にどんどん捨てていくことができるんだなあと、自分を再認識しています。だから、最近はもっと捨てるのないかなと裏場を見回しています。すると、一度みたところでも、あ、やっぱりこれは使ってないからいらないなとなり、さらにそぎ落とすことができます。余分なもの、必要ないものをどんどん捨てていく。またその分、新たなものが入ってきてくれるでしょう。整理整頓とはよく言ったもので、整理が先。整理とは、いらないものを捨てるということのようですから、まさに捨てるのが先。そう考えると、男の私がいうのも、変かもしれませんが、「整理」=「セイリ」=「生理」というのは、案外通じるものがあるのだなあと、ふと思いました。体もデトックスが、はやりですが、デトックス=毒だしであり、体の中の余分なものをまず出すということ。それが健康にとって重要だと言われています。呼吸も、呼=吐くのが先。漢字は理にかなっているなと「感じ」ます。ってしゃれのつもりはないのですが(^^;体の中の老廃物やもやもやした気持ちをまず、吐き出して体の中をきれいにしたあとで、新鮮な空気を体のすみずみまでとりこむ。だから、やっぱり「呼気」が先。出入口も、やはり「出」が先にきています。入出口とは書きません。今年は、どんどんと出す、捨てることをしていこうと思います。そういう意味では、自分の気持ちもありのまま抑えずに見つめていく。出していく。素直な気持ちを出すということは、開放感があり、体に余分なストレスをかけないのだなと、だんだん分かってきました。今年は、「浄化」がテーマです。まずは、浄化、毒だし、出すことで、スペースをつくってやらないことには、必要なものも入ってこないということでしょう。一度ある程度、きれいになると、その状態を維持しようという姿勢がでてくるから不思議です。今月も、「そうじ力強化月間」続きますよ~。裏場から売り場へ徐々にシフトしていきます。★★また、太陽の写真を…(^^;これは、デジカメで撮ったものです。
May 7, 2007
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携帯電話のミニSDカードをようやく購入したので、これから携帯のカメラでもちょこちょこ撮っていこうかなと思います。携帯も機種変更したのですが、操作が前と違うので、かなり戸惑っています。パソコン、デジカメ、携帯といった機械ものは、どうも苦手です(^^;携帯のあの分厚い説明書みただけで、げんなりしてしまいます。だから、説明書見ずに操作しようとするのですが、なかなか思うようにできないのです。
May 6, 2007
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愛は、枯れない。『デイジー』映画の紹介は、久しぶりですが。韓国映画は、よく見てたせいか、正直なところ食傷気味だったのですが、この作品は、そのなかでも出色の出来だと感じました。きれいにまとまりすぎている嫌いもありますが、全くの白紙の状態で見たのもよかったのか、ストーリー展開もぐいぐい引き込まれていきました。『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』で一躍トップスターになった「チョン・ジヒョン」と、『私の頭の中の消しゴム』の大好きな女優ソン・イェジン~~!!…ではなく(^^;、相手役のチョン・ウソンが出演した作品。監督は、「インファナル・アフェア」のアンディ・ラウ監督。さらには、『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』、わがソン・イェジン(^^;出演(しつこい…)の『ラブストーリー』で、脚本・監督をしたクァク・ジェヨンが、この作品の脚本を担当しているという豪華な布陣。★★ヘヨン(チョン・ジヒョン)は、25歳の画学生。異国の地、オランダで絵を描いています。彼女のもとには、どこからともなく届けられるデイジーの花。名前も顔もわからない。けれども彼女を見守ってくれている。彼女は、ひそかに運命の相手だと感じていました。そんなある日、彼女の前にひとりの男、ジョンウが現れます。彼は、デイジーの花を手に持っていました。ヘヨンは、彼に運命的なものを感じ、彼もそんな彼女に惹かれていきます。しかし、男の正体はインターポールの捜査官。彼女はそのことを知りません。彼がデイジーの花を届けていたのか…。そんななか、彼女と彼は、ある事件に巻き込まれてしまいます…。そして、そこには暗殺者(チョン・ウソン)も関わっていました。この3人が、運命の糸を交錯させながら、人生を織り成していきます。果たして彼らの運命は…。運命に翻弄される、哀切きわまるラブストーリー。★★デイジーの花言葉は、「心に秘めた愛」この花言葉が、登場人物の心理を見事に表現していて、花言葉が作品全体に関わってくることになります。オランダでの撮影ということで、映像的にも見所がありますし、脚本がしっかりしているからでしょう、ストーリー展開がいいと感じました。★★ちなみに、今日は、『卒業』を鑑賞。何度目だろう…。この映画見るのは。6、7回目かな。やっぱりいい。内山理名だからってわけではなく…、いや、それもありますが(^^;、この作品全体のもつ優しい雰囲気が素敵です。雨ってこんなに優しく降るんだというほど、雨の映像が印象的。人を想う気持ち、言いたくても言えない気持ち、静かに見守る愛が交錯して、随所に、記憶に留めておきたいいい場面があります。マイナーなだけに、多くの人に見てほしい作品です。映画を見て、書かれたという、村山由佳さんの『永遠。』を読むと、より映画に深みが増します。あわせて見るのがベストです。ブログでも何度もとりあげているので、かなり思い入れがあるなと自分でも感じます(^^;映画『卒業』映画をイメージして書いた散文詩『卒業』映画とのコラボレーションでもある『永遠。』村山由佳
May 5, 2007
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『生きがいの創造・決定版』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー圧倒的な知的興奮と画期的な思考法で多くの人々を救ってきた、「科学的スピリチュアル人生論」の最高峰!正しい人間観・人生観・宇宙観とは何か?わが国にスピリチュアル・ブームを呼んだ50万部のベストセラーを、新たな情報と奥深い考察を加えて、2倍以上に大幅加筆&全面修正。第1章 過去の人生の記憶(トランスパーソナルな意識状態;よみがえった記憶 ほか);第2章 人生のしくみ(「中間生」への帰還;人生の自己評価 ほか);第3章 愛する故人とのコミュニケーション(愛する故人との再会;愛する故人からのメッセージ ほか);第4章 「永遠の生命」や「神・仏」を科学する意味(「スピリチュアルな仮説」の説得力;「スピリチュアルな仮説」の優位性);第5章 「ブレイクスルー思考」による生きがい論(信じることの価値;ブレイクスルー思考の基本原則 ほか) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー決定版というだけあり、まだ途中ですが、かなりの内容の充実がみられます。他の著作などの情報も盛り込んで、まさに「決定版」というにふさわしいものに仕上がっていると感じました。生まれ変わりを証明しようというのではなく、あくまで、人生観を訴える著者の姿勢は、好感がもてます。魂は永遠である、ということが分かるだけでも、本書を読む価値は十二分にあると思います。そして、今ここで自分ができることは何だろうという、問いかけをふたたび突きつけられたような気持ちになります。結局は、今ここ、今この瞬間を生きていくということにつながっていくのだなと感じます。★★『超常極秘ファイルAskaサレム』2日前の日記でも紹介しましたが、ちょっと追加を。やはりというか、地球温暖化現象の原因は、二酸化炭素ではなく、どうも太陽活動の活発化だというのが、真相のようです。これは、エハン・デラヴィさんの本でも紹介されいているのを、立ち読みですがみました。フォトンペルトが話題ですが、太陽系のなかで、フォトンの最大の発生源は、太陽であり、太陽活動の活発化による、フォトンの影響で、地球がだんだんと暑くなっているようです…。と、なると、ある意味これは宇宙の摂理でもあり、「火」の洗礼は、地球が受けざるをえないものであるともいえるのでしょう。ノアの大洪水が、飛鳥&三神説によれば、約4500年前に起こったと指摘されているので、それが地球が受けた「水」の洗礼=パブテスマであるならば、聖書などでいわれる終末の時は、「火」の洗礼。「水」と「火」でまさに「火水」=「カミ」=「神」の洗礼ということになるのでしょうか。太陽は、灼熱のガス天体ではなく、地殻のある超巨大天体であり、プラズマの磁力線が飛び交う天体であるというのも、NASAの極秘調査でわかってきているようです。ですから、地殻も暑くなく、生命が生存できる環境でもあり、生命体の存在も示唆されています。いずれにしても、これからの太陽の活動は、ますます活発化してくるようです…。飛鳥&三神シリーズを見るならば、太陽ともうひとつ注目すべきは、木星でしょう。太陽系は、火星と木星の間を境に、惑星の規模が大きく違っています。飛鳥&三神説によれば、これは、太陽系の形成が2段階にわたって行われたことを示唆しており、太陽の大陸にある想像を絶する巨大火山から、木星をはじめとする、土星、天王星、海王星などが、生み出されたようです。さらに木星も実際は、ガス天体などではなく、地殻をもった天体であり、有名な木星の大赤斑の正体は、巨大台風などではなく、火山の噴煙のようなものであるといいます。すなわち、大赤班の下には、超巨大火山があるといいます。大赤班は、何百年も位置を変えていません。動かない台風などあるはずもなく、だから、大赤班は、台風ではないということになります。木星の巨大火山の噴火で生み出されたのが、水星、金星、地球、火星といった惑星になるようです。他にも火星と木星の間にあった惑星や、まだ公表されていない、第12番惑星「ヤハウェ」も木星から生み出されたといます。また、驚くべきことに、宇宙の誕生を説明したビックバン理論も、崩壊しているといいます。ここにも、宇宙の99.999%を占めるというプラズマが関与しているようです。駆け足の紹介ですが、また機会あれば、紹介してみたいと思います。
May 4, 2007
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一日遅れましたが~。きのう、5月2日は、上の娘の7歳の誕生日でした~。もう7歳なのかあ…。それだけ自分もおっさんになってきているんですね~(^^;ちなみに、5月2日は、5千円札にもなっている、樋口一葉の新暦の誕生日でもあります。一時期、樋口一葉に、猛烈にはまって、一葉関連の本ばかり読んでいました。これからも、折にふれて、一葉関連の本は読んでいきたいなと思います。だから、娘の誕生日と一緒で、うれしいものがあります。それだけなんですが…。この前の日曜日に、娘の誕生日祝いに、食事にいった光景。▲葵は、まだか~~と身を乗り出してるんだけど、何か?
May 3, 2007
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超常極秘ファイルAskaサレム 漫画と解説が付けられた4本立て。第1部・異次元の扉を開く「太陽亜空間」の驚異 第2部・獣人UMA「野人」は捕獲されていた!! 第3部・「ソロモン第三神殿」建設計画の全貌!! 第4部・秦氏が祀る「ダビデ神社」の謎に迫る!! 注目は、太陽の真実について描かれていることでしょう。太陽は決して、灼熱のガス天体などではないということ。れっきとした地殻をもった超巨大天体であるということ。そして、さらに驚くべきことに、太陽にある超度窮火山の噴火によって、木星などの巨大惑星が誕生しているということ。常識からしたら、間違いなくトンデモ説なのですが…。ただ、科学では常識とされる、微惑星が集積して惑星ができたとする、太陽系形成論は、すでに崩壊しています。シュミレーションでは、惑星はできないという結論が出ているそうです。それが、いまだに定説になっているという矛盾。常識は、ほんとうに正しいのか。鵜呑みにすることなく、見ていく必要があるとつくづく思います。太陽は、今活動が活発になってきていることが盛んに言われていますし、地球にどのような影響を与えるのか、見守っていく必要があるのかもしれません。太陽は、プラズマが飛び交っているようで、これからの時代「プラズマ」が鍵となってきそうです。幽霊や霊的現象もいわば、プラズマで説明できるようですし、UFOの飛行原理もプラズマが関わっている。さらには、地球内部の亜空間もプラズマ。いずれにしても、太陽は、注目でしょう。一説では、地球温暖化の原因は、二酸化炭素というよりも、太陽活動の活発化によるものでああるとも指摘されています。
May 2, 2007
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わはは(^^;つじつま合わせの2連続更新…。これは、今までのデジカメで撮ったもの。しばらく、併用していこうかなと思っています。最近、毎日、過去世退行誘導CDとか、ハイヤーセルフ瞑想CDとか聞いての誘導瞑想をしています。自分でするよりも、誘導してくれるので、すぐに体がリラックスでき、体の部分部分を意識した誘導では、緊張がほぐれていくのが感じられ、体全体を意識するとともに、「今ここ」に意識が定まってくるのも感じます。前世が見えたとか、そういうのは、今のところないのですが、何か感情的なものが湧きあがってきたり、体全体にしびれというか、電気が流れるような感覚があったりとかしています。しばらく続けてみようと思います。また、何を聞いているのか、紹介できればと思います。
May 1, 2007
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