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このシリーズの最後は、小値賀島と橋でつながっている「斑島(まだらじま)」に存在する、国指定天然記念物の「ポットホール」を紹介しておきたい。上の画像は「斑島」の東北部に位置する、その天然記念物の指標のある風景を映したものだ。画像左側から海に迫り出した黒い溶岩質の岸辺が映っているが、この海触岩の一部が「ポットホール」を形成している。この画像は「ポットホール」で、深さ3mほどの岩穴の底にあった石が、横穴から入る荒波に揉まれて削られ、およそ6000年かけて直径約50cmの玉石になったものとされる。ゴツゴツした火山性の岩穴の底に静かに潜む玉石は、何とも言えぬ妖しい光を放っていた・・・。その「ポットホール」のある岸辺から海を覗いて映した画像が上で、そこには・・・コバルトブルーの透明感あふれる美しい海・・・があった。こんな美しい海を見たのは、かつて八重山諸島の石垣島や竹富島で見て以来のように感じた。そして最後の画像は、港の近くに掲げられた小値賀の島々を紹介する看板を撮影したものだ。いつかまた来てみたいと素直に思えたし、日本の原風景をコンパクトに体感できる魅力的な島であった。(了)
2015年03月19日

この上の画像は、小値賀島の方面から「王位石」のある野崎島を撮影したものである。画像の山の8合目辺りに「王位石(おえいし)」、そのすぐ下方に「沖之神島神社」の社殿が確認でき、そして画像の最下方の海岸に鳥居が映っているのが分かると思う。古くは海岸にある鳥居から登って、「王位石」を御神体とする神社参拝が行われていたようだ。このシリーズ(2)の日記で、野崎島の対岸の小値賀島の岸辺に、分祀の「地之神島神社」が鎮座すると記したが、その神社の先にある東方の海岸から、野崎島の北部地域を撮影したものが上の画像である。つまり画像の中央部を拡大したものが、冒頭の画像ということになるわけだ。そして「地之神島神社」の海側にある鳥居から、「王位石」を確認できる野崎島方面を撮影した画像が上である。一昨日の天気予報では、当地は雨の確率70%だったが、有り難いことに予報は外れて晴天となり、結果的に小値賀島をレンタカーで心地よく散策することができた。上記の他に、印象に残った景色の一つは、下の画像の「赤浜海岸公園」にある幻想的な赤い砂浜である。この赤色は火山礫によるもので、小値賀島が火山だったことを示すものだそうだ。
2015年03月18日

上の画像は、野崎島で一泊した翌朝に、画面左側の野崎島唯一の休憩・宿泊施設「野崎島自然学塾村」とともに、東方の「野首海岸」方面を撮影したものである。この廃校になった小・中学校の木造校舎を再利用してできた「自然学塾村」は、宿泊室、トイレ、浴室、炊事棟等が完備された簡易宿泊施設で、年間を通して子どもキャンプ、修学旅行等団体をはじめ、多くの個人旅行者にも利用されているとのことだ。昨夜の夕食と朝食は、既に港で施設の管理人さんに手渡していた持ち込みの食材で自炊したわけだが、広い炊事場は調理道具等が揃い使い勝手もよく、宿泊した畳敷きの部屋も広くて寝心地が良かった。その施設から歩いてすぐのところに「旧野首教会」がある。上の画像は、その教会内の壁面に並ぶ4枚のステンドグラスを撮影したものだ。全体として素朴な造りだが、それゆえの飾らない美しさが輝いていたように思う。この「旧野首教会」は、平成19年「長崎の教会群とキリスト教関連資産」として、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録されており、現在建物は外壁等を修理中の模様で、工事用の足場が形成されていた。そして下の画像は、冒頭でも記した「野首海岸」を、映える角度から撮影したものである。約300mにわたって続く広大な白い砂浜とコバルトブルーの海・・・当日の朝は薄曇りだったが、晴れた日には昇る朝日を見ることができる絶好のスポットなのだそうだ。
2015年03月18日

午後3時頃に野崎港に入港、それから標高300m越えの山頂を経由して約3kmとなる、野崎島の北方に鎮座する「沖之神島神社」への起伏のある山道は、なかなか厳しい道程であった。当日の日没は午後6時30分頃なので、足元が見えづらくなる午後7時頃までには、出発地の港近くにある当日の宿泊地「野崎島 自然学塾村」に向かう予定だった。少し寄り道をしたこともあり、午後5時頃に目的地に到着、当神社の社殿横から御神体の「王位石(おえいし)」を見上げて映したものが上の画像である。その整然と組まれた磐座の恐ろしいほどの貫禄に圧倒され、心中に感動の渦が怒涛のように巻き起こった私は、更なる一体感を求めるべく急斜面を登り、「王位石」の裏手に向かうのだった・・・。そこで上の画像は、その山の8合目付近にある巨石磐座の裏手から、西方の海側を展望したものである。野崎島を紹介するサイトによれば、この巨石の組み合わせからなる磐座は、その高さは約24m、両柱の端から端までの幅は約12m、そして頂上テーブルの広さは約5m×3mという、とても大きな石組みと記される。自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれているとされるが、実際に現地を体感した私の見立ては、明確に人の手が掛かった人工の石組みという判断である。もしこの「王位石」の構築に関わった人がいるとするなら・・・今から1万年以上前の重力が軽かった時代に、身長が3m以上の人型生命体が関与したと思われる・・・などと、私の妄想の翼は大きく羽ばたくのであった。そして上の画像は、この巨大な石組みの真下から社殿の屋根越しに、向かいの「小値賀島(おぢかじま)」を展望したものである。少し歴史を調べてみると、古代より連綿と続いてきた東アジアとの海上交易において、沖縄や奄美など南海の島々を経由して北部九州域を結ぶ交易ルートは、必ず五島列島は上五島の、ここ野崎島と小値賀島の海峡を通ることが習わしとなっていたようである。この画像に映る対岸の小値賀島には、野崎島の「沖ノ神島神社」の分祀となる「地ノ神島(ちのこうじま)神社」が海岸近くに鎮座しており、両社はまるで国内と国外を結ぶ海路の出入り口を司る、開閉の「門」を象徴しているかのようにも思われた。特に、AD663年の「白村江の戦い」以降の「遣唐使船」は、五島列島から東シナ海を横断するルートが主流となったため、海上からもその威厳を存分に感じさせてくれる野崎島の「王位石」については、その近くを通る船舶の船上から畏敬の念で崇められたであろうし、中国までの航海安全を祈願する信仰の対象になったことがうかがえる。この「王位石」の近辺で、まるで別世界の時空を満喫しつつ、気づいてみると約1時間が経過していた。もう日暮れが近かったので急ぎ足で帰途に着いたが、さすがに一度は来た道を戻るのであるから、意外に早く宿泊施設の「自然学塾村」に辿り着けたのは嬉しかった。
2015年03月17日

今年の1月下旬に、五島列島は下五島の福江島に渡り、日本の長閑な景色を満喫することができた。※関連記事⇒ リンクそしてこの3月中旬には、長崎県の佐世保港から同じく五島列島は上五島の小値賀島(おじかじま)にフェリーで渡海、次にその東隣にある無人島の「野崎島」に渡ることになった。それにしてもである・・・まさか二ヶ月を待たずして、またもや「五島」に渡ることになろうとは・・・。そこで上の画像は、渡海中のフェリーより、その南北(約6.5km)に長い野崎島を、北方から撮影したものである。この野崎島には、かつては約600人前後の人々が暮らしていたが、現在は宿泊施設の管理関係者以外、ほぼ無人状態の島となっている。同島の中央部にある野崎港に到着後、今や廃墟と化した集落を通り抜けて、火山性の赤茶けた丘陵の高台に辿り着くと、そこには素晴らしい展望が待ち受けていた。その美しさゆえに思わず息を呑んでしまう、旧火口壁の断崖に続く紺碧の海を映した画像が上である。そして、島内全域に生息する野生のニホンジカ(約500頭が生息)を横目で見つつ向かったのは、島内北方域の山の8合目にある「王位石(おえいし)」という巨石・・・。そう・・・今回の渡海の主目的は、巨石ハンターの羨望の的とも言える奇岩「王位石」を体感することにあった。港から目的地まで約3kmの山道を歩く過程には、下の画像のように古代人の住居跡を思わせるような石組みがあったりして、いやがうえにも高まる期待を胸に、その「王位石」を御神体として祀る「沖ノ神島(おきのこうじま)神社」を目指した。
2015年03月16日

つい先日、大潮の干潮時に狙いを定めて、福岡市は博多湾の北に位置する「志賀島」の北端に車で向かった。その志賀島の北端(北西部)には、海岸から約60mの沖合に「沖津島」があり、普段は海に浮かぶ島で渡れないのだが、干潮の具合では歩いて渡れる場合もあることから訪ねてみることに。※関連記事⇒ リンクそこで上の画像は、その干潮時に志賀島と陸続きとなった「沖津島」を撮影したものである。この志賀島の北端にある「沖津島」に渡るのは二度目となるが、最初の時は膝下まで海に浸かりながら渡ったので、今回は大潮でも潮の引き加減が良かったのであろう・・・靴を脱がずに島に渡れたことは嬉しかった。この画像は、島に渡る途中で、その「沖津島」の全体像を撮影したものだ。手前に映る鳥居は、島の山頂に鎮座する【沖津宮】の入口を示している。そして、この沖津島に鎮座する【沖津宮】(祭神 天之御中主神)を映したものが上の画像である。祭神の「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、『古事記』では天地開闢の際に「高天原(たかあまはら)」に最初に出現した神とされ、天体信仰との関連では北天の中心を司る「北極星」を意味する神名とする説もある。私的感覚としては、北部九州域において、この「沖津島」こそ天体「北極星」が地上に投影された聖地であり、地上の「高天原」たる博多湾岸域の中心に相応しいと感じるところである。※関連記事⇒ リンクさて、「沖津島」の山上での参拝を経て降りてくると、北方の玄界灘を体感すべく岸壁の岩場を散策していると、大海原の遠方に微かに見える島影を発見した。・・・それは宗像の「沖ノ島」と思いきや、福岡市最西端の玄界灘に浮かぶ「小呂島」であった・・・。その約一年後、この日本神話に記載の「おのころ島」と比定される「小呂島」に渡った時の記事を、以下にリンクしておこう。☆関連記事・・・小呂島への渡海その後は、この沖津島を一周することにしたわけだが、その島をほぼ一周したところで出会った、まるで選別した岩石を意図的に配置して成形したかのような不思議な場所を映したものが、下の画像である。この場所の横には、連続して大きな一枚岩が広がっており、なぜか・・・その一帯は太古から祭祀用の舞台だったのでは・・・という感じがしてきて、実に神妙な心地になったことを憶えている。また一つ、志賀島の深みに触れた感があり、今回も有意義な周遊であった。
2015年03月10日

一昨日は新暦の「ひな祭り」だった。ということで本日は、その「ひな祭り」の背景にある「天体信仰」について、諸説を参考に記しておこう。まず日本神話の世界から紐解くと、「ひな祭り」で飾る「雛壇飾り」の、その最上段に置かれた「男雛」が「スサノヲ」であり、「女雛」は「アマテラス」であるとのことである。「スサノヲ」と「アマテラス」が誓約(うけい)を行った際、スサノヲの『剣』をアマテラスが噛んで吹き出した霧から生まれた「三柱の女神(宗像三女神)」、これが雛人形の「三人官女」となり、次にスサノヲがアマテラスの『勾玉』の珠飾りを噛み吹き出した霧から生まれた「五柱の男神」、こちらが「五人囃子」なのだそうだ。「ひな祭り」が「宮中祭祀」を原点とするなら、この見方は実に妥当性があり、一般の人々も納得のいく説得力を持っていると言えよう。さてここからが本題だが、上に登場する《神話の神々》を、冬の星座を彩る《天空の星々》に擬える見方がある。それに則れば「スサノヲ(男雛)」が「おうし座」に、「アマテラス(女雛)」が「オリオン座」に見立てられ、また「三柱の女神(三人官女)」は「オリオン座の三ツ星」に、そして「五柱の男神(五人囃子)」は古くは「五ツ星」と称された「おうし座のすばる(プレアデス)」に見立てられるということである。簡単な解説となったが、以上のような背景を思い浮かべながら子供達と「ひな段飾り」を眺めてみるのも、想像力が喚起され感受性も豊かになって、毎年の「ひな祭り」に親しみが湧いてくるのではなかろうか・・・。今までより、より強く「旧暦」を意識し始めた今年、やはり「桃の節句」とも詠われる「ひな祭り」は、やはり華やかな「桃花」の咲き薫る旧暦3月3日が相応しいと、改めて感じる今日この頃である。ちなみに平成27年の旧暦3月3日は、新暦では4月21日(火)の大安吉日となっている。以下のリンクは、今まで何度か取り上げた「ひな祭り」に纏わるブログ記事だ。参考になれば嬉しい。☆2006年3月3日の日記・『「おひなさま」の配置と「ひなまつり」の日取り』⇒ リンク☆2009年3月3日の日記・『ひな(型)まつり』⇒ リンク☆2010年3月4日の日記・『 陰陽和合の「ひな型」』⇒ リンク
2015年03月05日

本日の新暦3月3日の「ひな祭り」に、若干18歳の凄腕の女性ドラマーを見つけた。今朝のネットサーフィンで、たまたま辿り着いたのがYouTubeで公開されていた、プロドラマー「川口千里」の演奏だった。まだあどけなさが残る横顔からは想像もつかない、そのパワフルかつ繊細なドラミングに感動して、涙まで溢れてしまう自分に驚いたほどだ。それから約3時間・・・彼女の出演動画の数々を見続けてしまった・・・。私自身、高校時代はブラスバンドの打楽器を経験し、大学時代はプロのドラマーを目指して、様々なジャンルのバンドで活動した時期もあったりするので、それなりにドラマーの実力を見抜くことはできる。おそらく音楽の女神様の思し召しであろう・・・こんな素晴らしいドラム演奏のできる女性との「出会い」が、今日という「ひな祭り」に待っていたとは・・・。そこで以下に、応援したいプロドラマー「川口千里」のホームページを紹介しておきたい。☆少女ドラマー「川口千里の公式サイト」⇒ リンク加えて以下、YouTubeで彼女の演奏が公開されている動画のうち、3本を選んでみた。時間のある方は、どうぞご覧あれ。 新たな音楽シーンの、若き牽引役の一人である。◎《アルバム「Buena Vista」発売記念ライブ映像》⇒ リンク 【演奏曲名】Onyx / 松野"Kay-Ta"啓太 作曲 【メンバー】Dr:川口千里, Key:安部潤, Ba:櫻井哲夫, Gt:松野"Kay-Ta"啓太, Sax:グスターボ・アナクレート ◎デモ演奏【壬申の乱】by 川口千里(菅沼孝三&天地雅楽ドラムコンテスト)⇒ リンク◎大西由希子×川口千里×岩永真奈×長崎祥子『 Lover Come Back To Me 』⇒ リンク
2015年03月03日
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