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聖日礼拝の後、午後から工藤篤子さんをお迎えしての、「ちょっと早いクリスマス・コンサート」が開かれた。とても透明感のあるからっとした歌声による賛美に、心あたためられる一時。何といっても、工藤篤子さんが、たましいの奥深くから、神さまご自身を礼拝・賛美されていることが伝わってきた。高校時代から、ラジオ伝道番組を偶然聞くことがあり、自分の罪深さを知らされる結果にはなったが、その時は結局、教会につながることはなかったこと。声楽を専門的に習うため、スペインに留学した時に、主イエスさまを信じるようになったこと。その時は、あまりの福音のすばらしさに音楽を捨てて、伝道者を目指したが、不思議な導きで、その「歌声」を用いるように導かれ、今はドイツに拠点を置きながら、ルーマニア、イスラエル、アメリカなど、世界中を巡回して、福音をのべ伝える働きをされているという。音楽的な話では、バッハは、作曲する中で、三拍子や三連符、♭や#などに意味を持たせていた、いや、意味ある箇所に恣意的にそれらを用いていたということを話してくださった。三位一体の表現には必ずと言っていいほど、三拍子や三連符、降誕など天から地への動きを顕す時は♭(=半音下げる)、復活・昇天などの表現には#(=半音上げる)がものすごく多いのだという。日本人になじみの深い「ぞうさん」や「ふるさと」は、クリスチャンが作ったということ。表だって信仰を書き表すことができない「童謡」や「唱歌」だけれど、その中に、神さまの愛が織り込まれた歌だということも教えてくださった。コンサートはコンサートだったのだけれど、ああ、この人は歌手ではなく、根っからの伝道師だなぁという直感がした。もちろん歌は上手だし、音楽的な知識もお持ちだけれど、工藤さんの体からは、神さまの愛と、そのみわざのすばらしさをお伝えしたいという熱意・熱気が感じられたのだ。それが、工藤さんをして、一回り高い視点を持ち、一回り広いグローバルな働きをさせている原動力なのだろうな。 とってもすてきな歌声による賛美というベールに隠されているけれど、主が自由に用いられている働き人の生き様を見せていただき、こんな機会を与えてくださった主に感謝!
2004年11月21日
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2か月ほど前だろうか、ある人と話していたら、こんな話をしてくれた。 「苦しんだ分だけ、器が広げられ、慰めで満たされるような気がする。 憎しみの分だけ、器が広げられ、赦しで満たされるような気がする。」具体的な内容は分からないけど、本人が、何かつらいところを通る中、神さまの取り扱いを受けつつある様子が感じ取られた。何より、苦しんだこと・憎んでしまったことにまっすぐ向き合っていること、そして、感じている神さまの取り扱いを、自分の経験・自分のものとして消化し、自分のことばで表現していることに感動しちゃって、実は、ちょっと涙目になってたよ。 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。イエス・キリストがガリラヤの丘で語ったという慰めのメッセージ。悲しんだ分、慰められることは、客観的にも主観的にも事実なのは確か。だけど、マイナスの負荷によって、器のキャパ(容量)が広げられた後、別のよきもので満たされるという切り口ってすごいなって思った。(その時はつらかったり、痛かったりするかもしれないけれど)何もなければ、「100」の容量は「100」のまま。しかし、苦しんだり、憎んだりすることで、「慰め」や「赦し」で満たされる受け皿が「150」や「200」に広げられるんだ。それだけ、たくさん受けられて、満たされるようになるんだ。いやいや、すごくすてきなことを教えてもらったなぁ。 この心 変えてください 主の愛で 満ちるように この弱さも 御手に委ねれば 誇りとなる あなたの愛で♪ The Power of Your Love の歌詞を思い出しながら、そのことを考えていたら、ぞくぞくっとするほど、うれしくなってきたよ。私たちは土の器。生ける主を宿す土の器。内に住まわれるお方こそ、平安と慰めと励ましそのもの。って書いていたら、今日の一日一章聖書日課にこんな箇所があった。 もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。 詩篇94篇17~18節「重い煩いがますときに」っていうことばが、今回のことと結びついてきた。文脈的には正しくないかもしれないけれど、なんだか、今回のことがものすごく思い出され、「慰め」と「喜び」の出どころ、提供者、主を思わされた。感謝!
2004年11月20日
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礼拝の中で幼児祝福式が行われました。小学生以下の子どもたちが、家族単位で前に出て、そして一人ずつ牧師先生に祝福を祈っていただきました。
2004年11月14日
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昨日まで4日間、家族で韓国に行っていたので、イラクで拉致された香田さんの消息はあちらで知った。今朝、出席した祈祷会の席で、香田さんご家族がクリスチャンであるということをお聞きし、へぇ~っと思っていたら、お昼に上司から電話がかかってきて出勤して欲しいとのこと。今日は、午後3時からはジェフ・ネルソンのコンサートに行く予定で、事前に休みを取っていたのだけれど、仕事の時間とばっちり重なってしまった。何とか最初の10分間だけしか、参加することができなくなってしまったのが、事が事とはいえ、残念。一昨年は、ジェフさんのCDに心癒され、大きな試練を乗り越えさせてもらった。去年も今年も、ジェフさんのコンサートの日が、なぜか、命のことを深く深く考えさせられる日となった。ジェフさんは、常々、単なるコンサートとしてではなく、主御自身と出会う時間にしてください、とおっしゃっているが、音楽を通して、心の中で、自分の何かと神さまの何かが触れあう、混じり合う、そんな心地よさを感じさせてくれる。今日も、たった10分だけだったけど、そんな神さまのあま~い臨在を感じさせていただくひととき。あ~、もっと長く浸っていたかったぁ。そして、夕方、香田さんの遺体は無事、到着、故郷に向けて転送された。今回の事件で、神さまのどのような計画が隠されているのか、分からないが、香田さんご家族のため、イラクのため、アメリカのため、そしてこの国の行く末について、神さまに祈らされる今、この時。神さま、あなたの愛に包まれることで、キリスト者としてふさわしい言動をすることができますよう、この者をお守りください。あなたの御栄光だけを現してください。 主イエスの御名によって アーメン・・・
2004年11月03日
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