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今年も1年が終わります。2004年は、自分にとって、最高の年でした。クリスマス企画で参加した「よかった探しリース2004」をもって、今年の総括日記とさせていただきます。今年一年も、お交わりいただき、感謝します。神さまの豊かな豊かな祝福がありますように。 ぽん#の「よかった探しリース」2004年は、いつになく、エキサイティングな激動の1年でした。何よりも、家族(妻1人子ども3人)が、聖書の約束通り、主なる神さまによって支えられ、守られ、養われ、育まれていることは大きな感謝でした。 できごと ● 12月4日、くも膜下出血で入院中だった父、天の故郷へ凱旋 神さまが人知をはるかに越えた平安・慰め・励ましを与えてくださるという聖書の約束は本当でした!!! 告別式では「♪神さまのそばの流れのそばで」「♪君は愛されるため生まれた」を賛美して父の召天を記念しました。 ハレルヤ!!! ● 10月1日づけで転職 不思議な導きで転職に導かれました。3度目の転職、4つ目の会社です。 転職できた事実もうれしかったですが、それよりも、一連の過程を通じて、神さまとさらに親密に交わる機会が 与えられたことの方がうれしかったです。 ● ガリラヤ湖旅行 転職前の、前職有給休暇消化期間を利用してガリラヤ湖に行ってきました。 山上の説教、2匹の魚と5つのパンの奇跡、失意のうち漁をしていたペテロ対し、イエスさまの「私を愛しますか」という3度 の質問と「私の羊を飼いなさい」との召命・・・。ガリラヤ湖畔には、そんなゆかりの地が点在していました。 レンタカーで、ヘルモン山・レバノン国境・サウルとヨナタンが戦死したギルボア山・ナザレ・タボル山にも足を運びました。 信 仰 ● 脱二重生活 ・ 脱負けぐせ 命として内住して下さるイエスさまと、その実際的な働きを実感することができるようになったがゆえに、背伸びしたり、 やせがまんしたり、信仰者らしく演技したりする必要がなくなりました。 今まで、どんなに歯をくいしばっても、どんなに決心しても、どんなに努力しても、いつも失敗に終わり、負けぐせのよう になっていたことが、不思議な力で「自分にはもう無理だ」と観念させられ、いつの間にか、自然体で無理なくクリアさせ られちゃっていることが多々、発生しています。すごいすごい。これぞ勝利と解放! 自分でもびっくりしています。 ● キリストの似姿 実生活において、自分の内に、キリストの似姿が形づくられていることを実感しています。自分の力ではありません。 それどころか、自分には完全になかったものです。文字通り賜物であり、まさに神わざです!!! 読 書 ● 「信仰生活の秘訣」 H・W・スミス著 森渓川訳 基督教文書伝道会 刊 今年の大大大ヒットは、ずばりこの本。 堂々のダントツ第一位です。!!! キリストの死に関する聖書の記事は、死後の裁きからの救いよりも、現実の罪からの救い・解放について、 より多く言及されているとは、目からうろこでした。 脱二重生活・脱負けぐせのきっかけとなりました。 ちょっとだけ内容の紹介です。 ----- あなた方の中、ある人は初めてキリスト・イエスを知り、その偉大な救いの力を感じた時、霊魂がたえず勝利の歓声を発した ことを覚えていらっしゃるでしょう。その時のあなた方は勝利を確信していらっしゃいました。 ・・・(中略)・・・ しかし実際の経験においては皆それぞれに異なっています。勝利することは極めて少なく、しかもそれは、すぐに逃げてしまい、 敗北することは多く、しかもそれは悲惨であります。あなた方はおそらく教理的な真理によく通じていらしても、神の子らしい 生涯を送り得ず、その生命と力とを持つまでには至っておられないでありましょう。あなた方は聖書に示された事柄を知ってい るだけで満足していて、心に感じていることを実際に体現できるまでには至っておられないでありましょう。キリストを信じて これを説き、これに仕えながら、しかもご自分の心に永久に在し、常にその美を顕し給うところの、自分の霊魂の現実的な生命 そのものであらせられる主をご存じないでしょう。あなたは主イエスを罪の罰から救って下さる救い主として信じなさいますが、 罪の力から救い出して下さる所の、あなたの救い主として見出していらっしゃらないでありましょう。 ・・・(中略)・・・ あなたの心の最も深いところで、あなたは自分の経験が聖書的な経験でないということがお分かりでしょう。古人が言っている とおり、あなたの宗教は唯「古代のキリスト教徒が信じて、それを所有し、その信仰に生きたことを口で語るに過ぎない」こと がお分かりでしょう。そしてあなたの心は日に月に内へ沈み、かつては、ありありと見えた勝利の幻も次第次第に朦朧(もうろ う)となり、果ては罪に負け、或いは悔い改め、又初めに帰って、また敗れ、又悔い改めるといったような移り変わる生涯を、 自分の信仰の関の山だと考えるに至られるでしょう。 ----- こんなずばっとした書き出し(=まさに自分自身そのもの)で始まったこの本でしたが、神さまの力と働きに委ねることが、 いかに簡単で単純かを教えてくれ、信仰生活を根本から変革してくれました。 紹介して下さったのぶさんに感謝! のぶさんのBBS「ぶどうの枝」では「信仰生活の秘訣」や内村鑑三語録が引用されています。 ● 「放蕩息子の帰郷」 ヘンリ・ナウエン著 片岡伸光訳 あめんどう 刊 「弟息子が、家に帰ってきただけでは、父の喜びは半分止まり」という切り口は、最初は???でした。 真に悔い改めたがゆえに、弟は「使用人の一人でいいから家の片隅に置いてほしい」と願いますが、父の切なる願いは、弟に 「もう一度、子どもという地位を受け入れてほしい」ということでした。「子どもと呼ばれる資格はありません」とは、真に砕 かれる過程で必要な心ではありましたが、お父さんの側の意向を受け入れず、ず~っとそこに留まり続けるならば、お父さんを 悲しませることだったのです。 「罪赦された罪人にすぎません。天国に入れるだけで十分です。子どもとしてでなく使用人として片隅にでも置いて下さい」と、 かたくなに恐縮し続けている自分がいました。日本人的にはおさまりのいい態度だったかもしれませんが、そこにずぅっと留ま り続けることは、「子どもとしての地位を受け取ってほしい」というお父さんの切なる願いに反していることだったのです。 自分にその資格はないと感じても、それがお父さんのたっての希望なのだから、大胆に受け取っていいのだ、いや受け取るべき なのだと考えを改めさせられたことでした。 ● 「恵みの歩み」「恵みの支配」「恵みの地」(恵みシリーズ3部作) スティーブ・マクベイ著 尾山謙仁訳 ファミリーネットワーク 刊 「信仰生活の秘訣」で気づかされたことが、さらに分かりやすく述べられていました。 まさに裏打ちされた感じでした。 今の世の中は、努力して成功することが美徳として求められ、クリスチャンであっても、知らず知らずのうちに巻き込まれ、 その思考を信仰生活にも持ち込んでいるのでは、という切り口は特に衝撃的でした。 「これだけやればいいはず」「それだけしなければならない」という、聖書にはない架空の目標を信仰に設定し、できれば自己 充足、できなければ限りない失敗感という世界に生きていたとは、著者の経験。「決意」ー「失敗」ー「悔い改め」ー「再献身 (再決意)」というゴールのないスパイラル・・・。まさに自分自身の姿でした。 解放されました。 ● 「私の心に聖霊の火をともしてください」 ジム・シンバラ著 須賀真理子 訳 新生宣教団 刊
2004年12月31日
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今日はクリスマス・イブ。教会では、電気を消し、一人一人に渡されたろうそくの灯りのもと、燭火礼拝がもたれた。柔らかいろうそくの光の中、主イエスさまの降誕に関する聖書の朗読と讃美が交互に繰り広げられる静かな一時。今回は、司会を務めせていただいたため、一番前の中央に立たせていただいた。礼拝に集う人々の讃美の声がシャワーのように降り注ぐ。ふだんの席では体験できない、静かで厳かな迫力と振動と響き・・・。ちょっとした神さまからのプレゼント。荒野の羊飼いたちに現れた、天使の大軍勢を深く思い巡らす。あの天使たちの大讃美は、さぞかし美しく厳粛で透明だったんだろうなぁ。メリー・クリスマス!主よ、あなたを喜んでお迎えします。
2004年12月24日
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今日はクリスマスを前にした伝道礼拝。KGK(キリスト者学生会)中国四国地区の吉澤恵一郎主事の「イエス・キリストとは何者か?」というメッセージ。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、 だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 ヨハネの福音書4:62000年前に誕生し、今も世界中でその誕生が祝われるイエス・キリスト。イエス自身、ご自身を神であると宣言された。日本は多神教の文化。奇異な目で見られるくらいはあるかもしれないが「自分が神だ」という人もたくさん現れる。偉大な人物が亡くなれば神仏として○○神社が建てられ、崇拝の対象となる。一般の人が死んでも、成仏できる社会。ところが、ユダヤの文化は厳格な一神教。人は決して神にはなれない。あり得ないこと。赦されないこと。だから、イスラエルのどこに行っても、アブラハム神社もダビデ神社も存在しない。人を神格化することは許されないのだ。そんな背景の中にありながら、イエスは、ご自身を神だと宣言された。イエスのみならず、弟子たちでさえ、「イエスは神である」と告白し、宣べ伝え始めた。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。 この方こそ主キリストです。ルカの福音書2:11クリスマス。神ご自身が、人のこの姿をとってこの地上に来られた。歴史上、たった一度のできごと。「人を神と言うこと」をまったく許されないユダヤの文化の中にいた弟子たちであったが、たとえ自分たちにどんな不利益をもたらそうが、異端視されようが、命の危険さえ及ぼうが、「イエスを主」と告白せざるを得なかった。ユダヤで、自分が神だ、あの人は神だということが、どんなに異常で許されない行為だったのか。どんなに困難なことだったのか、背景を知ることができた。それだけに、イエスさまご自身の宣言と、弟子たちの告白は、真理に満ちたものだったのだなぁ。昼食後、吉澤主事ご夫妻としばし歓談。おおぅ、お二人とも東北の大学出身なのだって。共通の知人が芋づる式にずるずるずる。奥さまは弘前しゅっすん。うちの奥さまとも話がはずむはずむ。勤務時間の関係で、もう去らねばならなかったけれど、楽しい一時。すてきな機会に感謝。
2004年12月19日
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待降節(アドベント)はクリスマス直前の日曜日の3週前から始まります。リースの輪に4本、真ん中に1本ろうそくを立て、日曜ごとに1本ずつ点灯します。クリスマスの日に、最後の1本に火をつけ、主イエスがこの地上に来られたことを思います。リースに1本目のキャンドルに灯がともる頃あなたが御国に帰った日のことを思い出すでしょう安らかに眠るように肉体の活動を終えたその日のことをリースに3本目のキャンドルが光をはなつ頃あなたが病に倒れた日のことを思い出すでしょう一日がかりの危険な手術に耐えたあの日のことをリースのまん中のキャンドルに火がつけられる度天から地へ下りたもう御子イエスに思いをめぐらせるでしょう「降誕」 そして「復活」・・・ 「天」から「地」へ 「地」から「天」へ主イエスが切り開いてくださった「天」と「地」を結ぶこの道すじを通ってあなたが御国に帰ったこと・・・やがて自分も、その「道」を通ってなつかしき故郷に帰ること・・・われは道なり、真理なり、生命なり我に由らねば誰にても父の御許にいたる者なし ヨハネ伝14:6唯一の「道」である主イエスさまが、「道」となって地上に来てくださったクリスマス・・・十字架の「死」と「復活」に、「永遠の命」に人々に与えるための、神さまの壮大なご計画。 ただただそのプレゼントを感謝して受け取り、真心から礼拝をお献げしよう・・・ ああ・・・ 天国が身近に感じられてきた・・・
2004年12月18日
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♪ 移りいく時の間も Day by Day移りいく時の間も 悩みに勝つ力父より受けし我は 心に恐れなし愛に満てるみ神は 恵みを日々与え悩み苦しむ時も 憩いと安きたもう日々 主はそばにいまし わが身を憐れみてすべての重荷を負い 慰め助けたもう「力は日ごとに汝が 求めに従いて増し加わわらん」と主は 我に誓いたもう悩み激しき時も 主の約束頼み安けく過ぎいくため 主よ御言葉たまえ疲れし時に助け 御手にすがる我をつねに導きたまえ 御国に入る日まで愛に満てるみ神は 恵みを日々与え悩み苦しむ時も いこいと安きたもう ちょっと、うろ覚えだった歌。メロディだけはきれいだなぁって、前から思っていたけれど・・・。楽天のあるふぁしおんさんのところで、歌詞が紹介されていた。読みながら、そして歌を口ずさみながら、そばに(内に?)いらっしゃる主に触れられている喜びに深い感動を覚えた。臨在と平安・・・試練を経ることで、柔らかく砕かれるたましい。その亀裂とも言えるようなところから、しみわたる(あふれ流れ来る?)聖霊の慰めと励まし。聖書の約束が現実であることを、またまた、強く、静かに思い知らされた。主に感謝。 ただただ、主に感謝。この歌のつくられた背景が101 HYMN STORY 賛美歌物語に収録されています。そうか、この歌の作者は、牧師であるお父さんが目の前で亡くなるという試練を体験していたんだぁ・・・ここでメロディを聴けます。(Internet Explorerのみ)
2004年12月16日
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今日は、長男くんの幼稚園のクリスマス会。年中さんの長男くんは、聖誕劇をやりました。天使のマリアへのお告げ 「おそれる事はありません。あなたは男の子を産むでしょう。名をイエスとなづけなさい。」 「どうしてそのようなことがありえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」 「聖霊が助けてくださいます。神にとって不可能な事はひとつもありません。」 「おことば通り、この身になりますように。」宿をさがすヨセフとマリヤ天使の大軍勢、荒野の羊飼いたちに現れる「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」 (劇の途中で、ちょっぴり遊び出す長男くん・・・)東の国の博士たち劇の後は教室にもどって、神さまを礼拝したり賛美したりしました。それから、いろんなプレゼントをもらって帰りました。
2004年12月15日
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危篤で帰省したまま、今日まで忌引きで休みをもらったが、明日から仕事、山形を去る時が来た。いつもとは違う、自宅を去る感覚・・・父が召された日に目に留まった、父の書斎にかかったままの2003年12月のカレンダーこの聖句にどんなに慰めと励ましを受けたことか父の本棚 いつかゆっくり読んでみたいな昼すぎ、牧師先生ご夫妻が来るまで迎えに来て下さった。山形ともお別れだ。母もバス乗り場まで見送りに来てくれた。仙台経由、飛行機で大阪へ。思いもかけない一週間の山形滞在を終え、自宅にもどる。家族が、いとおしく感じられてしかたなかった。
2004年12月11日
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手続き3日目。市役所関係の支払いの自動引き落としがちんぷんかんぷん。市民税や水道、固定資産税、介護保健料など、複数の自動引き落としがあるのだが、それぞれ担当窓口が違うらしい。口座が凍結されて、引落不能となる前に口座の変更をしたいというが、窓口での説明はあやふや。選択肢として提示されたのが以下。・いつ凍結されるか分からないが、とりあえずそのままにしておいて、引落不能の時は、督促状が来るからそれで支払って。・今、振込用紙を発行できる。心配なら、それで支払うこともできるが、口座が凍結されていなければ、自動引き落としからも、引き落とされる。差額は、後日、還付と言う形で返還。うう~ん。もうちょっとスマートな方法ないのかな、市役所。今日は、一連の葬儀の参列者とりまとめと、この役所関係だけで時間切れ。今日は金曜日なので、手続きできる最終日。役所関係だけ、きっちりした手続きの方法がなくて、処理しきれなかったように感じることだけが心残り。山形最後の夜、牧師先生にもお世話になったので、ささやかな感謝を込めて、外でのお食事にお誘いし、母と共に一時を過ごす。2時間くらい、いろんな話に花を咲かせる。
2004年12月10日
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昨日に引き続き、手続き2日目。午前中は、電気・ガス・水道・電話・NHKなどの公共料金の手続きと、保険・共済の手続き。これまた思った以上にめんどくさい。今まで、引っ越しに伴う「新規」「停止」はしたことがあったけれど、それはそれで大変だったけれど、今回は、それぞれに、・(父から母への)名義変更 ・(父名義口座から母名義口座からの引落にしなければならないので)自動振替口座の変更が必要となる。それぞれに、名義変更用紙を取り寄せるか、電話で名義を変更した上で、銀行自動引き落としの手続き。それにしても、亡くなった人の口座は、しばらくすると凍結されるという。相続の分配のため、遺産を確定させる必要があるからだという。(たとえば子どもが何人かいて、その内の一人が勝手に引き下ろしたりできないように。)だから、そのままでは、自動引き落としできなくなる恐れがあるのだ。 生活口座一つだけ、使えるようにしてくれればいいのに。とりあえず、まだ父の口座は使えているので、午前中に。生活に必要な分+αを、母の口座に移しておいた。そして、電話の手続きがまたたいへん。電話は権利なので資産扱い。変更前と変更後の人の関係を示す戸籍や住民票が必要なんだって。といことで市役所で戸籍を取り寄せてNTTへ。午後は、遺族年金切り替えのため、特別養護老人ホームに向かう。父が施設に入っていたため住民票を施設に移したため、母とは住民票住所が異っているが生計は一にしていた(父の年金で生活費をまかなっていただったかな?)旨の証明をもらい、昨日の社会保険事務所に行き、年金手続きを終える。
2004年12月09日
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一連の式が終わり、今日から山形にいる間に、いろんな事後の手続き。まずは市役所へ。・死亡届・健康保険証・介護保健・高額医療受給者証・身体障害者手帳の返納いやはや、これが全部ちがう窓口。死亡届以外は返納だったから、それぞれ順番待ちしなければならず、たいへん。でも、返納だけなので、特に書類に何かを書いたり、提出に必要な何かをそろえたりする必要はなかっただけ、まだましなんだろうなぁ。市役所だけで午前中つぶれる。午後は、亡くなった父の年金手続きのために社会保険事務所へ。これが、市の中心部でなく、車で10分ほど離れたところにあるのだ。とりあえず、番号札をもらって相談窓口の順番を待つ。20分ほど待って、ちんぷんかんぷんの自分に、係の人がいろいろ教えてくれた。まず、父の年金の停止手続きだけでなく、そして母の年金を遺族年金に切り替える必要があるんだって。必要なもの・特別養護老人ホームに入居する際、住民票を施設に移していたのだが、夫婦で住民票住所が違う理由申立書と そこに施設の証明の印鑑が必要・母の遺族年金受取用口座とそのはんこ・故人の死亡と、配偶者との続柄が確認できる戸籍謄本戸籍に死亡事実が記載されるまでに数日かかることもあるというので、山形にいる間の手続きは無理かなと思いながらも、とりあえず市役所にもどる。窓口で尋ねると、通常、何も申請がなければ数日かかる場合もあるが、死亡記載が必要な戸籍の申請があった場合、その場で戸籍に記載し発行してくれるという。約30分所要とのこと。とりあえず一安心、年金手続きはなんとかなりそうだ。それにしても、諸手続はたいへんだ。でも、それはこの社会に生きていたという証拠。生きるということは、それだけ、いろんなところで、社会と接点をもつということ。そして、亡くなる時には、その接点との関係がすべて解消されるということ。ふぅ~っ、今日は山形市内を西に東に奔走。でも、なつかしい町とふれあう貴重な時間。こんなことでもなければ、あっちこっち行くこと、できなかった。町並みや、曲がり角、昔ながらのお店なんかの光景が目に入ることで、家族や友達とのいろんな思い出が引き出され・・・山形を出て20年経つんだなぁ。いろんなことを考えながら、一日を終える。
2004年12月08日
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ちょっとお疲れモード。天気予報では雨となっていたが、なんとお日様が、雲の合間から顔をのぞかせている。9時前に教会へ。教会からセレモニー・ホールに、棺とオルガンを搬送する。10時30分、告別式開始。 告 別 式 次 第 司式 山崎忠雄 牧師 前 奏 一同黙祷 開式のことば 司 式 者 賛 美 聖歌476 ♪ 安けさは川のごとく 聖書朗読 ヨハネ14:1~6 高山典久 牧師 祈 祷 〃 賛 美 賛美歌320 ♪ 主よみもとに近づかん 説 教 「神の備えられた御国」 山崎忠雄 牧師 賛 美 聖歌472 ♪ 人生の海の嵐に あ か し 宮田 博 長老 伊藤良雄 牧師 賛 美 聖歌687 ♪ 間もなくかなたの 頌 栄 聖歌384 ♪ すべての恵みの 挨 拶 遺族代表 ぽ ん 後 奏 告 別人々に愛され、そして神さまに愛され、神さまのみもとに召されていった父。告別式には、親族をはじめ、まだ福音を受け入れていない方々も多くいらしてくださった。神さまの願いも、父の願いも、一人でも多くの人に福音を信じてほしいということ。だから、遺族代表挨拶の中では、そのことを一人でも多くの人に分かちあってほしくて、家族で「♪君は愛されるため」を賛美させていただいた。午後1時、セレモニー・ホールから斎場に向けて出棺。午後2時から火葬。山崎先生が聖書を読み、祈ってくださった後、もう一度、聖歌687番「♪間もなくかなたの」を賛美する。斎場のホールに響き渡る歌声は、とてもきれいで天国のようだった。この聖歌の歌う希望と確信が、よりいっそう深く深く心にしみ込んできた。 間もなくかなたの 流れのそばで 楽しく会いましょう 友達と (おりかえし) 神さまのそばの きれいなきれいな川で みんなで集まる日の ああなつかしや 水晶より透き通る 流れのそばで 主を賛美しましょう 御使いたちと 銀のように光る 流れのそばで お目にかかりましょう 救いの君と よいことに励み 流れのそばで お受けいたしましょう 霊(たま)のかむりをその後、賛美歌320番「♪主よみもとに近づかん」の賛美される中、棺は炉に収められていった。1時間半ほどで、火葬が終わり、お骨を骨壺に収めると、母とそして妻子だけでまっすぐ帰宅。寒さが身にしみる夜だった。
2004年12月07日
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朝から、近所の知り合いの方たちが、ぽつりぽつりと弔問に来られる。10時過ぎ、牧師夫妻とともに告別式会場に出向き、式の段取り打ち合わせと、会場の下見。明日の告別式に当たって、棺とオルガンの搬入段取りや、告別式の細かい時間配分を決めていく。昼すぎには、妻からメール。子どもたちといっしょに大阪から山形に着いたとのこと。妻のご両親もほぼ同時間帯に山形駅に着いたので、合流後、お昼を済ませてから、ぽん実家に来るとのこと。午後、酒田の親族が到着。一昨日の夕方、お見舞いから帰途について間もなくのできごと。一気に涙と悲しみに包まれる。妻と子どもたち、妻のご両親も到着。お手伝いの方も含め、ぽん実家はごったがえす。妻のご両親が子どもたちの相手をしてくれて、本当に助かった。ありがたかった。午後5時、互助会の人が到着。棺などのセッティングを手際よく済ませる。6時、入棺式。牧師先生がみことばを読み、祈りを献げてくださった後、父の体を棺に収める。喪主ということもあり、頭と肩を支えて運ぶ。ああ、お別れなんだなぁ。棺に、父のスーツや遺品を多少入れた後、霊柩車へ搬送。6時半、教会に向け出発。午後7時、前夜式。父と尋常小学校・高校で同級であった山崎先生が司式、佐竹先生が説教のご奉仕をしてくださった。ちなみに、教会は、9月に近くの別の場所から引っ越し後、少しずつ進めていたリフォームがちょうど一週間前に完了したというタイミング。新しく購入したオルガンは1週間ほど前に到着、会堂用の追加の折りたたみ椅子も数日前に届いたばかりだったという。そんな新しい会堂で父を記念する式を開いていただけるなんて、これは神さまの特別の取り計らいと、みんなが感じさせられたこと。佐竹先生は、メッセージの中で、父が信仰を持つようになったきっかけが、「神の裁き」だったということを話してくださった。そして、主イエスを信じる時、十字架上でイエスさまが裁きを受けてくださったから、もはや裁かれることなく、永遠の命がある希望を語ってくださった。もっと親孝行や話をしたかったというさびしさがないわけではないが、不思議な平安と落ち着きのうちに守られながらの前夜式。礼拝堂正面に掲げられたみことばも、静かな確信に満ちた約束を与えてくれた。 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」 ヨハネの福音書 11:25 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、 私たちは待ち望んでいます。 ピリピ人への手紙 3:20
2004年12月06日
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今日は日曜日だが、母親を礼拝に行かせようと自分は家に残ることにしたが、母親は疲れてどうしてもだめだということで礼拝をお休み。結局、2人とも家で主を礼拝する。午後は互助会の人が来て、明日の前夜式とあさっての告別式の細かい段取りを決めていく。とりあえず、こんな手順が決まった。明日は午後6時に自宅で入棺式、その後、教会に移動、午後7時から前夜式。明後日は午前10時30分から互助会のセレモニーホールで告別式、午後1時に出棺、午後2時から斎場で火葬。棺の移動を考えれば、前夜式・告別式とも、同じ場所でやるのが適切なのだが、教会での式をぜひとも持たせていただきたかった。なぜなら、まだ信仰を持っていない親族が多くいるので、一人でも多くに教会に触れてほしいと思ったから。本当は、告別式も教会でしたい気持ちも強かったが、教会では人数的に手狭になる心配があったのと、互助会の会場が安く使用でき、立地も教会からも車で2・3分くらいのところということもあり、このような段取りに決定。午前中からひっきりなしに、弔問の方がいらっしゃったり、お悔やみの電話が鳴り続ける。その合間を縫って、細かい段取りを決めていく。午後、山崎牧師先生ご夫妻が訪ねて来てくださり、今日の夜から明日までの食事のリクエストなどを聞いて下さった。きっと、こんな時は、食材を買いに行く事も、食事をつくることもままならないだろうという、まことに要所をおさえてくださる配慮に感激。夜は、仙台からMさんご夫妻+長男・次男さんが来てくださった。近くのそば屋に聞くと、出前はしないが器ごとの持ち出しはOKということでそばを持ち帰り、家でみなで食べる。明日は仕事ということで、そのまま、車で帰られた。その後、また牧師先生が来てくださり、前夜式・告別式のプログラム作成に頭をフル回転。歌う賛美歌を決めるのも一苦労。母が父の愛唱歌を(のどまで出かかって)思い出せず、父の聖歌・賛美歌に印がついている歌を10数曲くら歌い、それを聞いて「そうそう、それそれ・・・」。他にも歌いたい曲が出てきたりしながらも4曲に絞り込んだ。(聖歌476・賛美歌320・聖歌472・聖歌687)式次第は、仙台の佐竹先生が原稿作成からコピーまでしてくださるということなので、急いで曲をお知らせする。続けて、父の略歴を大急ぎで作成、これも式次第に入れて下さるということで、佐竹先生にFAXをお送りする。やらなければならないこと・決めなければならないことが、次から次へと押し寄せる中、あわただしく帰省2日目を終える。家で過ごす、父との最後の晩・・・
2004年12月05日
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どうしても済ませなければならない用事だけを済ませ、仙台空港経由で山形に向かう。途中、奥羽山脈を越えるバスに乗り、蔵王連峰を眺めながら、幼い時のことが走馬灯のように思い出された。 両親に両手をつながれて、ぶら下がって歩いたこと な~んにも心配することがなかったこと 思いっきり甘えられたこと 悪さをしてしかられたこと 子どもである自分の最善を考え、全力で、必要なものは与え、不必要なものは遠ざけてくれたこと 疑う余地もこれっぽっちも持っておらず、パーフェクトだと思っていたこと 完全に守られ、安全で、安心で、そのこと自体が当たり前だったことそして思わされたこと、それは、子どもの時に感じた、親のもとにいることによる完全な安心感、親近感、完全な守り・庇護、これこそ天国の前味なんじゃないかなって。 「私たちの国籍は天にあり」 「なつかしい天のふるさと」一度も行ったこともない天国なのに、なんでなつかしいのかな?なんて、昔、思ったこともあったけれど、天に召されることって、あの大好きなイエスさまのもとで、神さまの子どもとして、キリストの花嫁として、完全な安心・交わり・庇護・平安を直接、受けられるようになることなんだろうなぁ。子どもの時、感じていたように。だから、なつかしい天のふるさとって表現しているんじゃないかなぁって。だから、大人になることは、いろんな責任と同時に計算や不安を習得していくことかもしれないけれど、神さまの子どもとなることは、それとは逆に、また絶対的な安心と守りの中に入れられていくこと、心配・不安が取り去られていくことじゃないかなぁって。いろんなことを考えながら、宮城・山形県境のトンネルを抜け、山形市に下っていく。山形駅には、山形の教会の牧師先生の奥さまが、母といっしょに迎えに来てくださっており、そのまま病院に直行。1時過ぎ到着。病院の先生の説明を受ける。重度の急性肺炎、そして呼吸不全で、状況は芳しくないこと。今、この時に息を引き取ってしまってもおかしくないこと。人工呼吸器をとりつけるという選択肢もあるが、単なる延命に終わる可能性も高いこと・・・。親族を含め、相談が続き、時に沈黙がある中、病院の先生は、時間がかかるのをいとわず、静かに結論が出てくるのを、じ~っと待ってくださった。人工呼吸器をとりつけることでいくばくかのチャンスもあるが、いろんな器具をとりつける必要があり、身体にかなりの苦痛と負担、そしてリスクが増してしまう・・・。これ以上苦しめたくないということで、とりあえず様子を見るという結論に。3時ころ、近くのスーパーに行き、遅めの昼食をとるとともに、今晩は、一人で父に付き添うべく、夜食をたんまりと買い込む。午後は、父の生まれ故郷酒田からの親戚、牧師先生ご夫妻、仙台の牧師先生・昨日から泊まりこみで面倒を見てくださったご夫妻など、10名以上が病院に集まっていた。夕方、集まった人々が、ぱらぱらっ、ぱらぱらっと家路につき、5時過ぎには、自分と牧師先生だけが病室に残り、今後のことを話していたら・・・5時半過ぎ、突然、心拍と呼吸が半分に下がったということで、看護婦さんが駆けつけてきた。いったん帰宅した母と、母を家に連れて行ってくれた牧師奥さまに連絡をとる。心拍と呼吸を測定する機器を取り付けるが、すでに呼吸のグラフは平らで、心拍だけが残っていた。間もなく、心拍も止まり、「お父さんっ!」と叫びながら体を揺すぶると、また心拍が戻るということを3度ほど繰り返し、測定機器のグラフは、通常のするどい心拍の形とはまったく別の形、ゆるやかな波型となり、やがて平らになっていった・・・昨晩は、汗をかきながら、全身で苦しそうに息をしていたという。昼過ぎに着いた時には、静かな呼吸になっていて、快方に向かってないまでも、さま態が安定しているのかなと思っていた。しかし、後になって思えば、体は、体全体での呼吸を必要としていたのに、昨晩一晩で体力を消耗し尽くしたがゆえに、一見、静かな安定した呼吸になっていたのかもしれない。「お父さん、がんばたな。今までそだででくれで、ありがどな。おづかれさまな。」自然とそんなことばがあふれ出てきた。父は、間違いなく天のふるさとに帰っていった・・・今、大好きなイエスさまに抱っこされ、顔と顔をつき合わせている・・・文字通り天国への凱旋・・・寂しさが押し寄せてくる一方で、本当によかったのだ、もっともよい時に、もっともよい場所に行ったのだという確信と平安も押し寄せてきた。間もなく、母と牧師奥さまが到着。4人で簡単な礼拝をお献げし、神さまをほめたたえた。牧師先生の聖書朗読箇所。 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 テモテへの手紙第二 4:7 「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」 御霊も言われる。 「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。 彼らの行ないは彼らについて行くからである。」 黙示録 14:13その後、4人で神さまに祈りを献げた。ああ、目には見えないけれど、この真ん中にイエスさまがおられる。そして、この世に死をもたらした力に対する強い憤りと、すでに勝利を与えられている。そんな実感。短い礼拝を終え、部屋の外で待ってくださっていたお医者さんが死亡を確認。8時過ぎ、亡き骸とともに帰宅。冠婚葬祭互助会の人と、牧師先生ご夫妻を交え、これからの一連の葬儀について話し合うともう夜の12時を回っていた。寝る前に父の書斎兼寝室に立ち寄る。この1年、何度か、見舞いに来るたびに入っていたのだが、そこは昨年の12月13日、くも膜下出血で倒れた日のまま、時間が止まっていた。机の上には、2003年12月14日の週報原稿。父の名前が司会者として記載されている。壁のカレンダーも2003年12月のまま。 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。 見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 コリント人への手紙第二 4:18カレンダーに書かれていたこのみことばが、静かに心の中にしみわたり、さらに、目に見えないものに対する確信を再確認させてもらったような気がした。 お父さん、お疲れ様!今まで、本当にありがとう!また会おうね!ハレルヤ! もっともよい時に、もっともふさわしものを与えてくださるお方を、すべてをご存知でご支配しておられるお方を、私たちの心と思いさえ守ってくださるお方を、罪と死から解放してくださるお方を、心の底から、思いっきりほめたたえつつ・・・。
2004年12月04日
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朝、父が出てくる夢を見た。ほとんど覚えていないが、蚊を追っかけるか、捕まえたか、なんせ蚊がらみの夢だったことと、父は出てきたけれど、会話はあまりしなかったことことだけは確かだ。夕方、仕事中に、携帯に電話。山形の教会の牧師先生の奥さまからで、せっかく特養に入れたばっかりだというのに、非常に重い急性肺炎で呼吸不全を起こし、近くの病院に緊急入院。ここ2、3日が山だという。仕事をしつつも、なかなか手につかない・・・。帰りの電車、いろんな思いが押し寄せてきた。 このまま、召されたら・・・ 子どもの時、完全に養われ、安全だった時のこと・・・ 去年、くも膜下出血で手術した時のこと・・・ ああ、もっと話したかったなぁ・・・急に悲しくなったり、でも、いずれ、神さまのもとに帰ることを考えるとうれしくなったり。無理に、自分で踏みとどまろうとしたりもしたけれど、ふっと、そのままの感情を見つめようって思った。自分が何をどのように感じているのか・・・?何を悲しんでいるのか・・・?かつて、主の慰めを知らない時は、沈んでいくのが怖かった。底なしの泥沼みたいな感じで。沈んでいくこと自体、ものすごいマイナス・イメージを持っていた。だから、少しでも沈まないようにもがいたり、横に逃げたり、上に上って助かろうとしたり・・・。でも、主の御手と励ましを知った今は、底があることを知っている。だから、安心して、下りていける。ただ流れに身を任せ、落ちるところまで落ちていくだけ。底にある確実な平安。堅き岩。絶対に安全で安心できるところ。何の心配もいらなくなるところ。沈む過程は、そんなに気持ちがいいものでもないが、落ちて底に着く時に、本当に落ち着くのだ。(だから「落ち着く」っていうのかな?)そこに底があることを知ってしまったから、そこに早く着きたいから、自らす~いすいって下りていくことも。 沈む 落ちる おりていく 祈る 沈む 落ちる おりていく 祈るこれらの行為が、まったく一つのこととなり、騒ぐ心の下、静かに、流れに身を委ねる。そうすれば、状況に関わらない確実な平安があるから。祈りつつ・・・。
2004年12月03日
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