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今日は太田和功一先生の第7回「生活の中の霊性セミナー」。4年前に始まり、年に2回、春と秋に所属教会の会堂を借りて開催される。基本的に、神さまの前に沈黙する時間、黙想の集会なんだけど、これがまた、自分にとって絶対に必要なものだったと確信して言える。毎回、いろんな気づきが与えられる。それは深みのある気づきであり、ある意味、自分の信仰生活の根本さえ変えてしまうものも含まれていた。そんな意味で、自分の成長や変化を知ることのできる、とても楽しみで有意義なセミナー。今日は、夜に仕事なので半休をとっての参加。まず、賛美歌21に含まれている「♪ガリラヤの風薫る丘で」を、参加者全員で、じっくりと2回賛美。この歌、とっても大好きな歌で、聞けば聞くほど、歌えば歌うほど、聖書の場面場面が浮かんでくるすてきな歌。♪ ガリラヤの風かおる丘で ♪ ガリラヤの 風かおる丘でひとびとに 話された恵みの みことばをわたしにも 聞かせてください 嵐の日 波たける湖(うみ)で弟子たちに さとされたちからの みことばをわたしにも 聞かせてください ゴルゴダの 十字架の上でつみびとを 招かれたすくいの みことばをわたしにも 聞かせてください 夕暮れの エマオへの道で弟子たちに 告げられたいのちの みことばをわたしにも 聞かせてください 続いて、生活の中の霊性セミナーの(正式ではないけれど実質的)テーマソングともなっている賛美歌313番を味わいながら賛美。この世のつとめ いとせわしく人の声のみ しげき時に内なる宮に のがれゆきてわれはきくなり 主のみこえを昔 主イエスの 山に野べに人をばさけて 聞きたまいしいともとうとき あまつみこえ今なおひびく わがこころに主よ さわがしき 世のちまたにわれを忘れて いそしむ間もちさきみこえを 聞きわけうるしずけきこころ 与えたまえその後、いつものように座り直し、呼吸の整えに30分ほどかけて、静まっていく。午前中は各自、自分の過去を振り返る時間。この半年、この1か月、この1週間などの期間を、自分で自由に設定して省みる。うれしかったこと 楽しかったこと 励まされたこと 慰められたこと悲しかったこと 苦しかったこと 心が痛んだこと がっかりしたこと感動したこと 驚いたこと 動揺したことこの期間に心に残った聖書のことばそのみことばが、自分の今に対し、どのような意味をもつか・・・心に残っていることを探ることで、何かに反応している自分に気づく。その反応がよくないものであっても、まずは評価なしに、その思いがどんなもので、どこから来ているかを探ってみる。また、それが、神さまとの関係、信仰との関連を探っていく。自分にとってのこの数か月は、内に住み、生きて働く主の臨在と、一つ体であることを再確認する時であった、というまとめになった。お昼は、2年前のセミナーで出会ったまこうさんといっしょに食べながら、お交わり。久々に会ったこともあって、話もはずむ。午後は、新約聖書 マタイによる福音書20:29~34の朗読を2度、耳で聞いて、思い巡らす。 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。 すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。 「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、 「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。 すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」 彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」 イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。 すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。 今回は思い巡らしの合間に、ところどころ、太田和先生が、思い巡らしのヒントというか、呼び水というか、簡単な設問を与えて下さった。・道ばたに二人の盲人。 私は、誰と共に主に叫び求めているか? 今、誰が自分と共に、主に叫んでくれているか?・黙らせようとする群衆 主に叫ぼうとするのを、妨げようとするもの・力は何か?・「この目をあけていただきたいのです。」 自分のために、イエスさまにどんなことをしていただきたいか?ちょっとだけ、感じたことの分かちあいを。(公開しても差し支えない程度にね)まず、共に叫ぶべき存在として妻。だけど、現状は、つかず離れずの距離、叫びがお互い聞こえない程度の距離を置いて、それぞれが、ばらばらに叫んでいる感じ。そもそも、「妻と共に」という思い自体、理想である部分と、自分の中の規範的部分(こうあらねばならない)が入り混じっているなぁ。叫びを妨げているのは、自分でもどうすることもできないような根本的・致命的な弱さ・きず。直視できないから、気づこうとも避けてしまうから、叫ぶことさえままならない。願いは、そんな弱さ・きずに気づかせていただき、直視できるように。その部分こそが、神さまが働かれる部分、神さまが触って治したいと願われる場所、すなわち栄光の現される場所なのですから。ますます、神さまとの生きた交わりのすばらしさを教えていただけた一日。 セミナーの後も30分あまり、まこうさんや岡山から参加のM兄と、しばし交わりの時間を持たせていただく。5時過ぎに帰宅後、速攻で着替えて電車に飛び乗り会社へ。帰宅は日付が変わる頃・・・。でも、充実した一日。
2004年04月29日
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最近、何人かの人と話す中で、「依存」について考えされる機会があった。依存といっても、アルコールやギャンブル、麻薬ほど目に見える深刻なものではなくって、心配や悩みがある時、もしくは、何ともいえない寂しさや空しさを覚える時、ついつい誰かに会いたくなったり、長電話して聞いてもらったりというレベルの依存。何人かは、自分が、決断や試練の時に、誰かに依存しきっているんじゃないかと感じているという内容のことを話していた。ある人は、これまで相手にべったり依存していたように思うけど、そろそろ自立しなきゃならないのかな、と話した。また、ある人は、依存していたことに気づかされたから、電話するのをやめようと努力している、と話した。興味深かったのは、多くが、依存はよくないというような印象を持っているように感じたこと。相手に精神的に依存している ・・・ よくない ・・・ 自立しなくては ・・・そんな図式かな。ある人は、それまで頼ったり、電話してきたことを、ぷっつり絶つことを、依存からの脱却と考えているようでさえあった。(でも、これは、自分にも経験があるけれど、目に見える態度・振る舞いとしては、依存から脱した場合とそっくりなんだけど、実は「依存」の「もと」は絶たれていなくて、外側だけがんばって取りつくろっているだけっていうこともあるんだよね。それを自立って勘違いしちゃったり・・・。)う~む・・・人によって感じ方は違うだろうから、ある人は、平均的な度合いより依存しているのに、それに気づいていない場合もあるかもしれないし、ある人は、客観的にはそんなに依存していないのに、依存してるんじゃないかって神経質になっている場合もあるかもしれない。だから、一概に言えないんだけど、だけど、健全な依存っていうか、必要な依存もあるんじゃないかなとも思わされるんだ。 配偶者であったり、親であったり、親友であったり、尊敬する師であったり、誰か、自分をありのまま、時に弱さを持ったまま、受け止めてもらえる人の存在。恒常的にべったり依存するわけでないけれど、疲れた時や落ち込んだ時に、一時的に休息できる場所。そこで、あたたかさや愛情にたっぷりつかり、内側が満たされ、飽和に達した時、自然にそこから出ていける環境。別のことばで表現すれば、100パーセント、愛されて受け入れられる場っていうのかな。だからだから、そんな健全な依存があっていいって思うんだ。人の成長で言えば、赤ん坊として生まれて、ミルクもおむつの世話も、自分の命自体も、誰かに依存して成長する中で、何もできないにも関わらず、完全に受け入れられる世界を体験し、時が満ちた時に、自然に親離れする、それまでの期間のような。その人の精神的成長の度合いによって、信仰にあっては、その人と神さまとの関わりの深さによって、誰かに依存しているべき時期があるんじゃないかな。特に、人生の過程で依存を学べなかった場合、誰かに依存することで、依存を学ぶことって必要じゃないかな。また、自立している人にとっても、一時的に休んだり、ふと過去を振り返ったりする時の一時的な小さな依存と自立の時期があってもいいんじゃないかな。 時が来れば実がなり・・・ 旧約聖書 詩編1:3健全な依存は、適切ないやしと養いによって必要が満たされた時、自然にそこから出ていきたくなるものじゃないかな。自分の、そんなに多くはない経験からだけど、そんな感じがする。頼って何かを得て、その相手からもっともっと何か得たいと感じたり、あるいは、自分の責任で下さなければならない決定を相手に求めるような依存であれば、問題があるだろうけど。上手に表現できないけれど、たまたま、まわりの複数の人が「自分が誰かに依存しているかもしれない」という話をしていたので、その観点を持っていれば、そんなに神経質にならなくていいんじゃないと話しながら、自分も過去を振り返りながら、考えさせられたこと。あ、そうそう。神さまだけは、どんなに依存しても大丈夫な方。底なしに、こちらの想像以上のものさえ与えて下さるお方。そして、必要に応じて、神さまが助け手さえ与えて下さることも事実。それも、神さまの恵みなんだなぁ。 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 旧約聖書 詩編1:1~3
2004年04月25日
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今日の仕事は、かなり大がかりなプロジェクト。大型の超精密機械の輸入貨物の取扱い。長さ6メートル、重さ11トンの貨物が2個、8トンが1個。取扱いに当たって、大型トレーラーを飛行機に横付けし、飛行機から取り降ろし直後、直接トレーラーに積み込む。今日の便は、到着が1時間遅れ。さっそく取り降ろしにかかるが、なんせ巨大重量物。予想通り(?)、飛行機床面のドライブが空滑りしたりと、作業は難航つづき。飛行機の外に出てからも、暗闇の中でのトレーラーの位置決めがたいへん。1センチ単位で切り返し、位置と角度を押さえる。最初のトラックは切り返しだけで10回以上、20分以上かかったり。 結局、この3個の取り降ろしだけで1時間45分を費やし、その後、輸出貨物を大急ぎで積み込んで、飛行機を送り出したが、スケジュールからは2時間遅れ、もとの到着遅れを加味した調整スケジュールからも1時間遅れとなってしまった。 さて、大規模なプロジェクトということで、貨物代理店の人と、納入先担当者が、ずっと立会っていた。その中のお一人が、ちょっと珍しい名字だったので、仕事が終盤に差しかかった頃、「珍しいお名前ですね。」と声をかけさせてもらったところ・・・ なんと、田舎がいっしょ! (っていうか、もしかしたらって、聞いてみたんだけど、ビンゴ~ッ!)しかも、実家は1キロも離れていない。小学校は、自分が5年の時、新設校に移るまでの小学校がいっしょ、中学校はまるまるいっしょ! 特に中学は、自分の方が3つ年下、3年を担当した先生方が、翌年1年に降りてくる学校だったので、おかげで、共通の先生を何人もお互いが知っているだけでなく、実際に習ったり担任であったり・・・。仕事そっちのけで、ついつい盛り上がる。しかも、その人のいとこが、自分の中学の時の同級生だったり!うわぁ~! たまには、こんな奇遇もあるんだなぁ。
2004年04月23日
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 新約聖書 ローマ人への手紙8:28 天地万物を、そして時間をも創造されたお方は、未来のこと、いっさいをも知り給う。しかし、時の流れの制約の中にある我々には、先に何が起こるか、どれが道か、一歩一歩進み行くほか、知る術をもたない。 「運命」とは、抗しがたい何らかの力を感じ、時に、その事態を受け入れるに受け入れがたく、ある時は諦観をもって否定的に受け入れよう、納得させようとする努力。 「摂理」とは、その事態さえ、もっともかしこき方の最善と変えたもうを知るがゆえに、肯定的に受け入れられる思いのこと。そして、その思いは神から来るもの。 「なぜ、こんなことが?」「神さま、どうして?」「もう、どうしようもなく苦しいよ、神さま」「助けて・・・」 ・・・ 「運命」としか思えない境遇も、「祈り」、すなわち、我々に祈らせるという神の介入によって、幸いな「摂理」へと変えられていく。
2004年04月22日
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今日与えられた一日一章聖書箇所は歴代誌第一21章。周囲の異民族の敵に対し、主がダビデに勝利をお与えになることで屈服させ、国が安定していく中・・・ ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。 (1節) 詳しくは書かれていないが、ダビデは自分の豊かさ、受けた祝福を数字を持って知りたいと思ったのかな。もしかしたら、自分がこれだけ豊かになったと、実感を求めたのかもしれない。傲慢さもあったのかな。そして、主の使いが彼に遣わされ、主の怒りが燃やされることが告げられた。3年間のききん、3か月敵の剣に追われること、3日間、国に疫病がもたらされることの中から選ぶように言われ、ダビデは疫病を選び、これによって7万人が病に倒れた。ついで・・・ 神はエルサレムに御使いを遣わして、これを滅ぼそうとされた。主は御使いが滅ぼしているのをご覧になって、 わざわいを下すことを思い直し、滅ぼしている御使いに仰せられた。 「もう十分だ。あなたの手を引け。」 主の使いは、エブス人オルナンの打ち場のかたわらに立っていた。 (15節)この後、ダビデの悔い改めと懇願によって、主の怒りは治められ・・・ すると、主の使いはガドに、ダビデに言うようにと言った。 「ダビデは上って行って、エブス人オルナンの打ち場に、主のために祭壇を築かなければならない。」 (18節)こうして、オルナンの打ち場の場所に、主のための祭壇を築くことが、ダビデに命じられた。ダビデは、オルナンに十分な地所代を支払い、この土地を買い取る。 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげて、 主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけにえの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。 主が御使いに命じられたので、御使いは剣をさやに納めた。 そのとき、ダビデは主がエブス人オルナンの打ち場で彼に答えられたのを見て、そこでいけにえを ささげた。 (26~28節)ダビデの罪の代価は大きかったが、こうして神さまに対する悔い改めと和解がなされる。そして、この出来事は、祭壇が置かれ、神の宮が建てられるべき場所を決定するきっかけとして用いられた。不思議不思議。 ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現わされた所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に 取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。 歴代誌第二 3:1 そう、この場所に、後にエルサレム神殿が建てられた。その場所は、アブラハムがイサクを献げた場所。そして、その後、神殿は2度に渡って破壊され、今はイスラム教の黄金のドームのある場所。歴史と現実が一つとなって迫ってきた。
2004年04月21日
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今日の一日一章聖書日課の箇所は、歴代誌第一17章。15章で、念願の「神の箱」エルサレム搬入を果たしたダビデ。16章では、大喜びで礼拝と賛美を献げたことが記されていた。当初は、ただ「神の箱」を運び入れることだけしか目に入らず、こと細かい部分については、聖書に記されたとおりに従っていなかったが、神さまは、それを一つずつ示されると同時に、神さまに対する正しい恐れを教えられた。そして、定められた方法で、天幕に「神の箱」を安置し、全焼のいけにえによる礼拝を終えたダビデは、ふと考えた。 ダビデが自分の家に住んでいたとき、ダビデは預言者ナタンに言った。 「ご覧のように、この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にあります。」 (1節)つまり、自分には家があるのに、神の契約の箱はテントにあるのは忍びないということ。これに対し、王付け預言者ナタンも、それがよいとアドヴァイスする。 「あなたの心にあることをみな行ないなさい。神があなたとともにおられるのですから。」 (2節)しかし、その夜、ナタンに神の言葉があった。 「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。わたしは、イスラエルを導き上った日以来、今日まで、 家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋にいた。 わたしが全イスラエルと歩んできたどんな所ででも、わたしの民を牧せよとわたしが命じたイスラエルのさばき つかさのひとりにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、 言ったことがあろうか。」 (4~6節)あ~あ、ダビデ、神さまからストップがかかっちゃった。よくよく考えればその通りだなぁ。まず、神さまは一度も家を建ててほしいなんて言っていないんだから。ダビデの中に傲慢が残っていて、ひとつの事業を達成し、礼拝を成し遂げたこのタイミングでにじみ出て来たのかな。それを、神さまが取り扱おうとされたのかな。ダビデの気持ちも分からないでもない。まず、文字通り、自分だけが立派な建物に住んでいるのに、「契約の箱」は簡素なテント生活。ちょっと複雑な心境もあったかな。あと、天幕は「仮住まい」の象徴。王国が確立し、「契約の箱」の場所を定め、運び入れた今、もはや移動する必要はない、だから家があってもいいんじゃないって思ってしまったのかもしれない。ダビデ自身、逃亡生活に終止符を打ち、ようやく安定して、家に住めるようになったのだし。でも、神さまは、そんなダビデの傲慢さを指摘し、ご自身の栄光と選びを語られた後、続けて、こんなことを言われる。 ・わたし(神さま)が、羊飼いだったダビデを選び、イスラエルの王とした。 (7節) ・わたしが、あなたの目の前で、あなたの敵を絶ち滅ぼし、大いなる者の名に等しい名を与える。 (8節) ・わたしが、イスラエルの民のために、住むべき一つの場所を定めた。 (9節) ・わたしが、ダビデのために一つの家を建てる。 (10節)そして・・・ わたしはあなたに告げる。『主があなたのために一つの家を建てる。』 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの 息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。 (10~12節)神さまに諫められていたはずなのに、いつの間にか、ダビデとその子孫への祝福の約束に変わっている?ダビデが神の箱のための家を建てて差し上げたいと願ったのに、神さまがダビデの家を堅く立てて下さるなんて、いつの間にか話が逆転してるじゃない! しかも、子孫に、とこしえに至る祝福の約束と共に・・・それでそれで、ダビデは、自分の勇み足を、指摘されたのに、続く神さまの、そのどでかい祝福の約束に圧倒されて・・・ ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。 「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、 あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」 (16節) 主の偉大さに目が開かれ、主の祝福の約束をいただいた時、ダビデの傲慢は、心底からの謙遜に覆われた。ダビデの賛美と感謝は16節以下27節までに及ぶ。その内容は、主の偉大さに対する賛美、主が自分や、イスラエルの民に目を留められたことへの畏れと感動、そして永遠の祝福の約束に対する感謝。そもそも、ダビデが「神の箱」の家を建てたいと願ったことは、彼の勇み足。でも、神さまは、間違った部分を注意した直後に、祝福の約束をもってダビデに臨まれた。そのことで、ダビデの傲慢は、ダビデの努力でなく、神さまの祝福に圧倒されることで砕かれた。ダビデの間違った一歩だったけれど、神さまは、その意をくみつつ、ダビデを落ち込ませることなく、軌道修正させながら、謙遜まで与えられた。やっぱり、神さまってすばらしいなぁ。12章以降、神さまが、ダビデの「神の箱」に対する取り扱いを通して、一歩一歩、段階的に、聖書に従うことを教え、神さまを畏れることを示し、最後には、傲慢が砕かれ謙遜にしていく様子が印象的。ダビデの側も、ちょっと行き過ぎたり、ちょっと横にずれたりしながらも、神さまの与えて下さる修正に素直に応じて行った姿が心に残った。 お昼は「海とのふれあい広場」へ。今日もとっても空いてて気持ちよい。写真はちょっと絵画風に。丘の向こうは大阪南港 煙突は南港火力発電所
2004年04月17日
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「神の箱」移送作戦が頓挫したまま、今日の聖書日課、歴代誌第一14章へ。前半では、北の隣国ツロの王ヒラムが、ダビデの王宮を建てるための木材など資材と人材を提供することを申し出たこと、後半では、南に隣接する宿敵ペリシテ人がダビデの王国を滅ぼそうと、再三にわたって戦いをしかけてきたことが記録されている。ツロの協力と、ペリシテ人の攻撃。この対比が、絶妙に示されているように感じた。 ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれて全イスラエルの王となったことを聞いた。 そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。ダビデはそれと聞き、彼らを迎え撃ちに出た。 (8節)ペリシテ人は何度も戦いをしかけてきた。これを迎撃するダビデ・・・。そして、歴代誌は、ダビデが神さまにどのように戦うか尋ねた様子が相次いで2回分、記録されている。 そこで、ダビデは神に伺って言った。 「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」 すると主は彼に仰せられた。「上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。」 (9節) そこで、ダビデがさらに神に伺ったところ、神は彼に仰せられた。 「彼らを追って上って行くな。彼らには面と向かわず、回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。 バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは戦いに行け。 神はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」 ダビデは、神が彼に命じたとおりにし、彼らはギブオンからゲゼルまでのペリシテ人の陣営を打った。 (14~16節) 1度目、正面から攻め上るように命じられ、その通りにし、勝利を得た。雪辱を果たそうと、同じ谷間に進入してきたペリシテ人に対し、2度目は、待ち伏せするようにと命じられ、聞き従い、勝利を得る。同じような状況で、神さまが、それぞれ違った指示を出し、それに忠実に従うことで、ダビデは勝利を得た。これって、けっこう難しいこともあるかも。直前の勝利の記憶があると、同じように戦いたくなったりしちゃわないかな。前回は、祈って、このように解決した。今回も、その通りに同じ方法で、って考えちゃったり。もう一つ感じたことは、戦いはきっと、この2回だけじゃなかったはず。それを、この緒戦の2回分だけを記録することで、すべてを包括させているんじゃないかな。そうして、ダビデが、どんな時も神さまに尋ね求め、聞き従ったことを現しているように思えて。 そんなダビデの信仰だけど、ダビデと神さまの二人三脚というか、神さまが祝福と守りを与え、それによって、ダビデの信頼と平安が増し加えられ、それが信仰となり、ますます、神さまに従っていけるようになった秘密がこれかなって。 ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、 彼の王権がいよいよ盛んにされているのを知った。 (2節)ダビデ自身が、神さまが共にいて、自分の王権を盛んしてくれているのを知った、ってすごい表現だなぁ。実感しないとできない表現。でも、それをはっきり「知った」からこそ、神さまに都度、尋ね求めることができたのだろうな。分かち合いの中では、15節の「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは戦いに行け。神はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」のみことばによって、人生の転機の決断をした何人かの人の話。バルサム樹の林の中にいるから、相手をも見ることができないが、ちゃんと音という前触れによって神さまの時を知ることができること。そして、神さまが先立ち、戦われるから大丈夫なことを、体験談や証を通して教えられた。 夕方、前の前の会社でお世話になった先輩と会った。(自分は二回転職している。)自分が社会に出て間もない頃だから、もう13年か14年前にお世話になった先輩。先輩も、その後、少なくとも2度転職して、今は中東資本の会社で働いている。2年前に再会し、数回、顔を合わせたが、今は東京から一時的に大阪に居を移して、働いてるんだって。話題は、お互いが前にいた会社のことに。最近、現場の職員全員が、いったん解雇、子会社の別会社に再雇用になるという話が決まったって。やっている仕事そのまま、半ば強制的に移籍させられる形で収入も3割くらい下がるらしい。他にも、共通の知人の消息など、30分弱話して別れた。 転職数回の身。しかも前いた会社のびっくり内容。信仰を持たせてもらってよかったな、と思わされる瞬間。いや、その会社を出ることができて、今いないからよかったというんじゃないよ。仮にそうなったとしても、神さまが共にいらっしゃれば、大丈夫でしょ。少しずつ少しずつだけど、目に見える安定、常識などから、自由にされている過程に置かれているような気がする。だんだん、神さまからいただく大丈夫感覚が強められているのは確か。 こんな、人生をちょっと振り返り、将来のこともちらっと考えさせられる機会が与えられる日だったから、朝、あらかじめ聖書を通して、神さまの祝福の約束と、ダビデの神さまに聞き従った原則を、心に入れていただいたのかなって。神さまのタイミングって、やっぱり、すごいや。
2004年04月14日
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歴代誌第一13章。ダビデが王位に即位し、国としての機能が整い始める中、「歴代誌」に最初に言及されている具体的な行動が「契約の箱」について。 ここに、ダビデは千人隊の長、百人隊の長たち、すべての隊長と合議し、イスラエルの全集団に向かって、言った。 「もしも、このことが、あなたがたによく、私たちの神、主の御旨から出たことなら、イスラエル全土に 残っている私たちの同胞にいっせいに使者を送ろう。彼らのうちには、放牧地のある町々の祭司やレビ 人もいる。彼らを私たちのもとに集めよう私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。 私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」 すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。(1~4節)二つのことを思った。一つは、歴代誌の記者が「神の箱」の扱い、すなわち、神への礼拝の態度を重要視していただろうこと。もう一つは、ダビデの思いについて。きっと、神に従いたいという純粋な思いが根本にあったのだろうが、3節の「サウルの時代には、これを顧みなかったから。」という表現が気になった。単純に、過去において、なおざりにされていたことを、本来の姿に回復したいという現れかもしれない。でも、策士でもあったダビデだったことも考えると、これは、以前の指導者と自分の立場ややり方の違いを際だたせるための方策・ポーズの一つとしての効果も期待していたのかな、とも感じた。首相や大統領、社長が変わったりすると、前任との違いを際だたせるため、時に否定の意味も込めて、それまでの政策や方針をいとも簡単に捨て去り、新しいことをすることってあるじゃない。ダビデがなそうとしたことは、神さまの喜ぶことをしたいという、そのこと自体、決して間違ってはいない方向だったんだけど、もしかしたら、ダビデの中にある、新しい自分をアピールしたい気持ちも混ざっていなかったかなって。(ちょっと、裏を読み過ぎかな。) しかし、ダビデが「神の箱」をエルサレムに運ぼうとする事業は頓挫する。車に乗せ運んでいる途中、牛がそれをひっくり返しそうになり、神の箱を手で押さえた御者が、神の怒りに触れ、その場で死んでしまった。 その日ダビデは神を恐れて言った。「私はどうして、私のところに神の箱をお運びできましょうか。」(12節)この出来事にダビデはびっくりして、「神の箱」をエルサレムに運び込むことに怖じ気づき、その町に保管させた。すると、保管を任された家が祝福されちゃった! あらまぁ。 15章を先取りすると、その後、ダビデがエルサレムに「神の箱」を運び込んだ次第が、以下のようにが記されている。(逆をいえば、当初は、これらのことをしていなかったっていうことだよね。) 彼はダビデの町に自分のために家を造り、また、神の箱のために場所を定め、そのために天幕を張った。(1節) そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。」 (2節) 主の箱を定めておいた場所へ運び上らせようとした。 (3節) 「あなたがたはレビ人の家のかしらです。あなたがた自身も、あなたがたの同族の者たちも、身を聖別し、 イスラエルの神、主の箱を、私がそのために定めておいた所に運び上りなさい。 最初の時には、あなたがたがいなかったため、私たちの神、主が、私たちに怒りを発せられたのです。 私たちがこの方を定めのとおりに求めなかったからです。」 そこで、祭司たちとレビ人たちは、イスラエルの神、主の箱を運び上るために身を聖別した。 そして、レビ族は、モーセが主のことばに従って命じたとおり、神の箱をにない棒で肩にかついだ。 (12~15節)つまり、ダビデは「神の箱」をエルサレムに運び込むに先立って、・場所を定め、「神の箱」のための天幕を張った・レビ人を任命し、彼らを聖別させた・にない棒でかついだ「神の箱」を取り扱うに当たり、今度は、聖書をつまびらやかに調べた。モーセに与えられたその方法は、神のことばである「神の箱」は、しかるべき人により、しかるべき方法で取り扱われる必要が示されていた。 想像だけど、これらの箇所では、ダビデの信仰と、神さまへの従い方が整えられていく過程が描かれていることが描かれているように思えた。はじめは、とにかく「神の箱」をエルサレムに移動させ、礼拝が行われることを望んでいた。だから、場所や運び方の細かい準備、誰が運ぶかなどに、あまり気を留めていなかったんじゃないかな。そこで、神さまご自身、また、神のことばと律法に対する真の恐れと扱い方を、ダビデが学ばされる機会とされたんじゃないかなって。ダビデの、試行錯誤を繰り返すように、紆余曲折を経ながら、整えられていく様子。大まかな方向性はあっていた信仰の軌道が微調整され、荒削りだった部分が細やかに取り扱われていく過程。そして、神さまは、大切な原則を必要な時に、確実に与えてくれること。そんなことを思わせられる今日(とあさって)の箇所。 ある人の分かち合いでは、今回のことで、ダビデが神さまにどうするか聞くことをせずに、「千人隊の長、百人隊の長たち、すべての隊長と合議し」(1節)、決めた事実にも、何か伏線があったんじゃないかなって。う~ん、確かにそうかもしれないな。 神のことばの取り扱い・・・神さまが定められた通りに行うこと、本当の意味で神さまを恐れること、すなわち外見も内面も、神さまが求められるものがあって、それは、ちゃんと神さまが指摘したり、修正を与えて下さるのかな。神さま、正しくあなたを恐れ、礼拝することを教えて下さい。
2004年04月13日
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今日、与えられた聖書一日一章箇所は、歴代誌第一12章長年に渡り、ダビデの命をつけねらってきたイスラエル初代の王サウルが死ぬと、ダビデのもとに、人々が続々と集まってきた。 彼をたよって来た。 (20節) 日に日に、人々がダビデを助けるため彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。 (22節) 時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら (32節) 彼らは心を一つにして集まった。 (33節) 誠実な心で、並び集まったこれらの戦士たちは、ヘブロンに来て、ダビデを全イスラエルの王にした。 イスラエルの残りの者たちもまた、心を一つにしてダビデを王にした。 (38節) 彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、騾馬、牛に載せて食べ物を 運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などがたくさん運ばれた。イス ラエルに喜びがあったからである。 (40節)これらの表現に、ダビデに対する人望のあつさ、そして、時が満ちて、雪崩を打つように人々が喜んで従ってきた様子が伝わってくる。特に「心を一つにして」という表現が印象的。中には、それまでサウル側についてきた人々もいたが・・・。 さらに、ベニヤミン族とユダ族からも、要害のダビデのもとに来た者があった。 そこで、ダビデは彼らの前に出て行き、彼らに答えて言った。 「もし、あなたがたが穏やかな心で、私を助けるために私のもとに来たのなら、私の心はあなたがたと一つだ。 もし、私の手に暴虐がないのに、私を欺いて、私の敵に渡すためなら、私たちの父祖の神が見て、おさばきくださるように。」 そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕えた。 「ダビデよ。私たちはあなたの味方。エッサイの子よ。私たちはあなたとともにいる。平安があるように。 あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」 そこで、ダビデは彼らを受け入れ、隊のかしらとした。 (16~18節) 特に、サウルはベニヤミン族出身だったため、彼らがダビデのもとに来ることは、たとえば従うように見せかけて近づき、暗殺をたくらむ者などがいても、おかしくはなかったのだろう。ダビデの最初の発言に、その慎重さが見て取れるように思えた。結論から見れば、ダビデは彼らを受け入れ、自分の軍隊の要職につける。その判断を下した理由・・・。それは、「そのとき、御霊が補佐官の長アマサイを捕え」、神さまが約束を下さったから。たったそれだけで、もしかしたら、自分を裏切るかもしれない彼らを受け入れ、しかも隊のかしらとしてしまった。なんと純粋な信仰か。受け入れるにしても、しばらく保護観察のもとに置き、自分への忠誠が具体的に確認できてからというのではない。しかも、受け入れるや否や即座に重要なポストを与えた。ダビデが、ただ神のことば、神の約束、神の導きに、単純に、純粋に、全般的に信頼しきっていたことに、感動を覚えた。 分かち合いの中で出てきた話の中で、最も心にとどまっているのは、日和見主義者の存在。それまで、サウルに従ってきた多くの者たちが、ダビデのもとに来た中には、真に忠誠を誓って来た者もあれば、「今後はダビデの時代かな?」と、単に情勢を計算して集まった者も多く含まれていただろうということ。これも、ひとつの大切な現実なのだろう。王国が確立して後、息子アブシャロムによる謀反にも、多くの人々が従った。悲しいかな、風見鶏的要素は、どこにでも潜んでいることを思わされた。いつの時代にも、どんな組織にも、そして自分のうちにも。神さまが、ダビデが王位につくまでに費やした長い期間。それは、神さまがダビデの心の堅さを取り去り、柔らかくするための試練の期間。試練により、練られることでのみ、神さまに従う心が整えられていくんだろうな、ということを深く思わされた。一朝一夕には、変わらないけれど、少しずつ、一つずつ、神さまが不要なものを取り去り、それまで内になかったものを入れて下さる、そしてつくりかえて下さるお方に信頼していこう。 Create in me a clean heart! 私の内にきよい心をお造り下さい! ( by David 詩編51:10)
2004年04月12日
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今日もいい天気。午前中に子どもたちを連れて、自転車で出かける。長女ちゃんは自分の自転車で、長男くん・次女ちゃんはそれぞれ前後に乗せ3人乗りで、いざ出発。まずは、高速道路下にある公園へ。アスレチックや、やぐら上の滑り台などで遊ばせる。 続いて大公園へ。この大公園の敷地の中には、3か所ほど小さい公園があるっていうのかな、滑り台などの遊具が固まっている場所が3か所あるというか。まずは、丘を利用した長いすべり台のある公園へ。すべり台の下には、子ども版のフリー・クライミングみたいなのがあったり。 ここのすべり台、けっこうスリル満点。長男くんは最近ようやく滑れるように。 次に、また別のタイプのすべり台のある第二の公園、通称たこ公園へ。ここにも長いすべり台があるのだが、今日は、子どもたちはそこには行かず、たこ状の施設で遊びまわっていた。上に上ったり、隠れたりと、ずぅっと追いかけっこをしてた。あっという間に午後1時。本当は第三の公園も立ち寄ることもプランにあったのだけど、時間切れで家に戻る。 さて、数日前、ぽん家で8年間使ってきたチャイルドシートを車から取り外した。昨年10月に赤ちゃんが生まれた教会員のお宅にもらわれていくため。カバーの布の洗濯も終え、いよいよ明日、めぐみちゃんの家に引き取られていく。96年に長女ちゃんが生まれて以来、次女ちゃん、長男くんと使い続けてきた。ちょっぴりだけど、寂しいな。今まで8年間、お疲れさま。これからも、大事に使ってもらってね。最後の座り心地をためす長男くん。きみは4年半、一番長く使ってたな。
2004年04月10日
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ヘンリ・ナウエン著「放蕩息子の帰郷 ~父の家に立ち返る物語~」 その本の中で、弟息子の物語に対する記述の最後の部分に、こんな一節があった。少し長いけれど引用。 真の放蕩息子 ここでわたしは、イエスご自身がわたしたちのために放蕩息子となられた、という奥義に触れたいと思う。イエスは天の父の家を去り、外国に行き、持っていたすべてを与え尽くし、十字架につけられて御父のいる家に帰られた。このすべてを、反抗的な息子としてではなく、従順な息子として行われた。神の失われた子どもたちすべてを、家に連れ戻すために遣わされた。罪人たちとの交際を批判する人々に放蕩息子の話をされたのは、イエスであった。そして、自分の描いた、長く、つらい帰郷の旅路をご自分で生きられた。 ( 中 略 ) イエスは、御父から託されたすべてを手放した息子、つまり、惜しみなく与える御父(prodigal Father)の、惜しみなく与える息子 (prodigal son)であり、そのおかげで、わたしはイエスに似た者となって、イエスと共に御父の家へ帰ることができるのだ。(訳注:prodigalには、「浪費」、「放蕩」、「惜しみなく与える」などの意味がある。) イエスご自身を放蕩息子と見なすことは、このたとえ話の伝統的解釈から、かなりかけ離れている。にもかかわらず、この洞察には偉大な奥義が秘められている。わたしが神の息子であることとイエスが神の息子であること、わたしが家へ帰ることとイエスが家に帰ること、わたしの帰るべき家とイエスの帰るべき家は、そのどれもが同じであることの意味を、わたしは徐々に発見し始めている。 ( 中 略 ) ピエール・マリー神父は、都会に住む修道者の共同体、エルサレム兄弟会の創設者だが、非常に詩的かつ聖書的な見方で、放蕩息子としてのイエスについて、こう書いている。 人間の血筋からでなく、人間の欲や意志からでもなく、神ご自身からお生まれになった 彼は、ある日、ご自分の足台の下にあったすべてのものをまとめ、ご自分の相続財産、息子 としての称号、そして身代金をそっくり持って家を出た。彼は遠い国へ・・・はるかかなたの 地へ向けて・・・旅立った。そこで人間となり、ご自分を無になさった。彼のはずのものであ るはずの人々は彼を受け入れず、最初のベッドはわらであった!乾いた土地に張った根のよう に、わたしたちの目の前で彼は成長し、さげすまれ、もっとも卑しい者とされ、人は彼の前で 顔を覆った。 間もなく彼は追放され、敵意にさらされ、孤独を味わった。・・・あらゆるものを惜しみなく 与え尽くした。彼の富、彼の平和、彼の光、彼の真理、彼の命・・・すべての知識と知恵の宝、 そして永遠の時を越えて隠されてきた神秘を与えた。すなわち、イスラエルの家の失われた子 どもたちの中で自らを失い、(問題のない人とではなく)病にある人たちと、(正しい者とで はなく)罪人たちと、さらに、御父の国に入れると約束した娼婦たちと、共に時間を過ごしさ えした。大食漢で大酒飲み、徴税人や罪人の仲間と見なされ、サマリア人、悪魔つき、神を冒 とくする者として扱われた。その体と血にいたるまで、すべてをお捧げになった。 ( 後 略 ) (以降の要約 イエスは御父に見捨てられた者として十字架につけられ、「渇く」と叫び、 絶望のどん底まで落ち込まれ、死んで黄泉の底から復活し、父のもとに帰る時とされた。 父は、ご自分の息子を見て、急いで僕たちを呼び寄せ、よい服、指輪、履き物を用意さ せ、宴会を催した。 「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに、見つかったのだ!」・・・) この「放蕩の道を歩まれたイエスさま」論に、びっくりしながら、思い巡らしつつ、その興奮も冷めやらぬうちに、リンクさせていただいているかりさんの「神様はどうしてヨブを責めたんですか?」を、たまたま、読ませていただいていたら・・・。 かりさんのアプローチは、「ヨブ記」は、ヨブを信頼する神さまと、そんなはずはないと疑うサタンの賭け。 > サタンは、「なんだかんだ言ったって、神様、あなたが彼の健康を守っているんですものね。 > だから信じているだけですよ。いのちのためなら、すべて持ち物も惜しくないんですよ。 > 何なら、死の病気(今で言えばエイズが適当かもしれませんね)にかからせてご覧なさい。 > あなたなんか呪いますから。」と主張したのです。 > そしてこのときも、なんと、神様はこの挑戦(かけ)を受けられるのです。 そして、ヨブが神を信頼し続けるかどうかの賭けであるから、サタンがヨブを攻撃するけれど、神さまは助けるわけにはいかなくて・・・。 > ことの始まりの、神とサタンの賭はどうなったのでしょうか? > これを無視して、神様の哀れみだからといって、ヨブを祝福したのでしょうか? > 私がサタンだったら「やっぱりな。それだったら誰だって信じるさ。俺の言った通りじゃないか?」 > とでも言うのではないでしょうか。 > もう一つ、神様がどんな思いでヨブを見つめておられたか、ということなのです。 > 大好きなヨブだったのです。それをサタンの好きにさせたのです。 > 神様は心苦しかったと私は信じています。 > 神様は、「がんばれ!」と現れてやりたい思いでいっぱいだったのです。 > できれば「実は、サタンとの賭なのだ。がんばってくれ。」と言ってやりたかったのです。 > 私(かりさん)を惜しんで、御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、ましてや、神の前に全く正しい > ヨブのためにすべて与えないでしょうか。 > でもそうすることはできません。そうしたが最後、神はサタンとの賭に負けたことになるのです。 > 神様は、裏の事情を話すことはもとより、慰めてはいけないのです。 > でも主の心は、ヨブを慰め、祝福したい思いでいっぱいなのです。 試練によって追いつめられ、忍びつつ、(ヨブは人だから、ぶれながら、紆余曲折を経ながらも)、神さまの信頼された通りに歩み通したヨブ。定められた時が来るまで、いてもたってもいられない気持ちをこらえて、サタンのなすがままにされるヨブを見つめていた、父なる神さまの葛藤と苦悩。もちろん、かりさん独自の考察なんだけど、この神さまとヨブの関係が、父なる神さまとイエスさまの関係と重なって迫ってきた。ちょうど、ヘンリ・ナウエンの放蕩息子とイエスさまの重複を読んだばかりだったから、なおさら。父から受けた、本来ご自身のものであった栄光と豊かさを、惜しみなく放蕩する(与える)ことによって失い、傷ついていく御子イエスさまと、時が来て、目的が成就するまで、そのままにされる父なる神さまの葛藤と苦悩。放蕩息子と、ヨブと、イエスさまの共通点というか、重複。それは、一度は絶たれたように思えた、父なる神さまとの関係の回復。そして、父なる神さまの、放蕩息子に対する、ヨブに対する、そして御ひとり子イエスさまに対する愛と視線。 そして、自分も、父なる神さまとの関係を回復されているんだ・・・ 聖書の深さを、またまた教えられたひととき。
2004年04月09日
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今日は、次女ちゃんの小学校の入学式。お天気も昨日に引き続きとってもよくって、入学式日より。妻は、年中に上がる長男くんの進級準備のため、10分ほど幼稚園立ち寄る必要があったので、先に次女ちゃんと二人で小学校へ。玄関で、ざら紙にプリントされた「組分け」をもらう。次女ちゃんは1年2組。受付をして、胸に名札をつけてもらい、新入学生一人一人に付き添ってくれる上級生に、教室に連れて行ってもらった。(時間があったので、後ろからついていったぞ・・・)会場の体育館に向かうと妻と合流。しばらくして入学式が始まる。「♪じゃんっ♪」というピアノの合図とともに、すかさず「一同起立」と教頭先生の声。そして「君が代」の前奏が響き渡る。ありゃりゃ、と思っていたら、妻が「君が代」だよね」とつぶやきながら座ろうとしたので、自分も心の準備ができて座ることができた。(ありがとう、妻よ。) ほとんどの人は立っているものの、実際に歌っている人はあまりいない感じで、メロディだけが静かに響き渡る。学校という場が、(半)強制の場、「表向き、従っていればいい」というダブル・スタンダードや世渡りみたいなものを提示し教える場になってしまっていないかなぁ。教育の場なのになぁ。校長先生をはじめ、何名かの簡単な祝辞が述べられ、2年生による歌とせりふの歓迎劇(?)の後、各教室に行く。担任の先生の自己紹介の後、机の順番に生徒一人一人と、一対一のじゃんけんを始めた。生徒が勝てば立ったまま、負ければその時点で座る。一巡した時点で半分が残り、次の一巡で10人弱に。次女ちゃんは3回まで持ちこたえたけど、4回目で負けちゃった。(う~ん、今の学校って、そんななのかな)うち解けてきたところで、学校生活のルールや注意事項の説明。パペット・マペットのへびくんが登場。(う~ん、今の学校って、そんななのかな) 小学校の入学式・・・式自体は覚えてないな。でも、教室での記憶はある。後ろ寄りの席。真ん中からは左寄りだったような気がする。先生が自己紹介する姿。自分の名前が貼られ、教科書の入った紙袋が載った机。なつかしいな。お昼から仕事だったので、解散と同時に速攻で帰宅、支度して、速攻で会社に向かった。 神さま、どんな時もあなたが次女ちゃんと共にいてくださり、次女ちゃんの6年間の生活を祝し、お守りください。 新しい学校 新しい生活 新しい教室 ちょっと緊張気味夢と希望いっぱいだけど、新しいロッカーは、まだからっぽ 初めての担任の先生 なんとパペット・マペットのへびくん登場!
2004年04月07日
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実質、春休み最後の日。お天気がよかったので、家族で、ぽん家お気に入りの、近場穴場スポット 「海とのふれあい広場」へ。車には自転車と子供用スクーター(足こぎ)、そしてアウトドア用のテーブルといすを積み込み、いざ出発。途中の吉○屋で、お昼ご飯用の豚丼をテイクアウト。穏やかな天気、ほんとに気持ちがいい。子どもたちは、豚丼を平らげると、さっさと遊びに散って行った。なんだかんだと、夫婦での会話もはずむ。 長女ちゃんと次女ちゃんは自転車で、長男くんはスクーターで、丘からスピードをつけて降りるのに夢中。この広場、広いし、いつも空いている。 かなたに石津の煙突を望みつつ。 丘の向こうは大阪湾 敷物を持ってこなかったのだが、ついつい、丘の芝生に横になり、空を仰いでしまった。 まぶしく降り注ぐ春の日差しゆったりした雲の流れと時の流れ巣の真上でさえずりながら空に浮き続けるひばり時折もどってきては、その間起きた出来事を逐一報告してくれる子どもたち・・・ なんだか、いい気分。 こんなさり気ないことが、とってもとっても幸せに思えてくる瞬間。これも、みんなみんな、神さまの祝福なんだなぁ。ひたひたと、感謝が湧き上がってきた。
2004年04月06日
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疲れがたまっていたのか、8時過ぎに起床。もう、みんな、ほとんど朝食も食べ終わっていた。病院からは、実家に戻らずに大阪に帰る予定なので、朝食を食べると、すぐに帰り支度。 10時発のバスで、母と家族の合計6人で病院へ。今日は、心が洗われるような、とってもいい天気。バスへの日差しも気持ちよい。 父の病室に直行するが、相変わらず、じんましんが強く出ている。夜、かゆくて眠られなかったらしく、結局、今ごろ、寝てしまっているようだ。主治医の先生が回診に来て、とりあえず、強い薬を投与して、症状を抑える予定だという。10年ほど前に胃ガンで、胃を切除する手術をしたり、耳や鼻の治療のため、長年通ってきた総合病院なのだが、やはり市立の大病院だと、かえって弊害の方が大きいみたい。じんましんも、内科や皮膚科の先生に来てもらうのは、簡単ではなさそう。(このようなことは、今回、いやというほど味わうことに。これも社会勉強かもしれないな。) 結局、父はほとんど眠りっぱなし。子どもたちも、寝ているおじいちゃんだと、長居もつらそう。 お昼は、近くの市役所の地下の食堂へ。高校時代も、たまに食べに来たところ。値段の割に、けっこう、おいしいのだ。食べ終わって、食器を片づけようとしていたら、見覚えのあるなつかしい顔が近づいてきて、まさに前を通り過ぎるところで、「○○!」と名前を呼ぶ。中学時代の同級生。20年近くぶりの再会。近くの裁判所で働いているのだという。(裁判官?かは、聞かなかった。)食事を済ませ、てっぺんの展望台に上る。エレベータで最上階まで上り、それから3階分くらいの細い階段を上り切ると展望台。なつかしの山形の町が一望できる。中心部の松坂屋やジャスコなどがなくなり、大きな再開発ビルがいくつかできていた位で、昔とそんなに大きな変化は感じられない。じぃっと町を眺めていると、いろんな思い出がよみがえってくる。しかも、今日は天気がよく、東の蔵王、西の月山などの山々もくっきりあざやか。山の形って、記憶の深くに刻み込まれるのかな? 見覚えのある山々を目の当たりにすると、何だか、とっても、ほっとするんだなぁ。 市役所から東方を望む。 高い山が蔵王。右側の雪のたくさん残っているあたりが温泉とスキー場。西を望む。 出羽三山のひとつ、標高1980メートルの月山。こんなにくっきり見えることは珍しい。(クレーンが残念!)山形はトタン屋根が多い。古くからエンジ色が基本で、たまに青い屋根。 こんな風景に、ちょっとほっとしたり・・・。 市役所から病院に戻るが、時折、目を覚ます程度で、ほとんど寝たまま。コミュニケーションは、結局、あんまりとれずじまい。目を覚ました時に、もう一度、次女ちゃんを近くに立たせ、あさってが、小学校の入学式であることを報告させ、そして、これから大阪に戻る旨を伝え、後ろ髪を引かれながら、病院を後にする。市内循環バスで山形駅に向かう。仙台空港行きバスの出発時間15時まで15分ほど時間があったので、バス待合室の入っているビルの2階にあるたこ焼き屋で売っていた「どんどん焼き」をテイク・アウト。どんどん焼きは、おそらく山形名物のお好み焼きみたいなもの。小麦粉を薄く焼いた中に、紅しょうが、ソーセージ一切れ、そして味付けのり一切れが入っている。割りばしに巻いてあり、ホットドックのように持って歩ける。小学校3年くらいまで、だいたい決まった時間に、リアカーで鐘をならして売りに来ていた。これまた、なつかしい味。稲刈り後の田んぼでわらまみれになって遊んだ記憶なんかが、なぜか引き出されてきた。いっぱい遊んでたな、あの頃。 16時50分過ぎに仙台空港着、17時30分の飛行機で、夕暮れの中、一路大阪へ。飛行機はけっこう空いていて快適快適。途中、左手に富士山が。 山頂付近の雪が、夕日に映えて美しかった。 家には20時過ぎに到着。こうして、2泊3日のお見舞い帰省家族旅行は無事終了。
2004年04月05日
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山形滞在2日目は日曜日。ちなみに今日は、2004年4月4日。040404ぞろめの日。(余談)小学5年から高校3年までの間、足かけ8年通った、なつかしい教会で神様を礼拝する。かつては、両親と自転車で行ったものだが、母はすでに自転車に乗らず、父はといえば入院中。家の横のバス停から出るバスは、なんと日曜日は運休。まあ、歩いても30分弱だから、「天気がよければ歩いていこうか?」と妻と話していたのだけれど、二人の人が母を教会に送ってくださると申し出の電話を下さったため、お二人に立ち寄っていただくことで、母とぽん家5人の6人が2台の車に分乗して教会に行くことができた。感謝感謝。なつかしの教会で主を礼拝する。10人くらいのこぢんまりした礼拝。メッセージは、責任牧師として仙台から日曜ごとに通ってくださっていた佐竹先生。ご高齢であることと、体調を崩されたこともあり、この3月いっぱいでご奉仕を終えられるはずだったが、後任の先生のご都合で2週間だけご奉仕されることに。おかげで、貴重な(?)先生のメッセージをお聞きすることができた。 今日は、「棕櫚(しゅろ)の聖日」。過越の祭りの時、イエスさまがエルサレムに入られた日のこと。多くの奇跡を行っていたイエスさまは、当時の群衆たちに歓喜をもって迎え入れられた。(しかし、数日後に「十字架につけよ」と叫んだのもその群衆。)メッセージは2部形式。第一部は、マタイの福音書21:1~11から「ろばの子に乗って」。 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。 そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、言われた。 「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。 それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。 そうすれば、すぐに渡してくれます。」 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。 「シオンの娘に伝えなさい。 『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。 「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」 こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。イエスさまは、ろばの子に乗ってエルサレムに入られた。王となるような人が誰も乗ろうとしないような、頼りない、役に立たないように思われる「子ろば」が用いられた。しかし、4節にあるように、それは500年前のゼカリヤ書の預言が成就するため。そして、2節では、信じられないような方法で、そのろばが用意されていたことが記されている。500年前の聖書の預言。そして、実際にイエスさまがおっしゃったことが、直後にその通りの展開を見せる。神さまの約束のことばは、500年前のものも、直前のおことばも確実に成就する。 賛美と祈りの後、子どもたちは別室の教会学校に。続いての第二部は、ヨハネの福音書12:27~33から「このためにこそ、この時にこそ」というメッセージ。 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。 いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現わしてください。」 そのとき、天から声が聞こえた。 「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」 そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。 ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ。」と言った。 イエスは答えて言われた。 「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。 今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。 わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」 イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである。 人はすべて生まれてきた。自分で生まれてこようと思った者は誰もいない。しかし、イエスさま(だけ)は、ご自身の生まれる「時」をご存じだった。ある時に、何かの目的のため、何かをするためのタイミングをご存じで、最もふさわしい時に、生まれて下さった。そのように、人の形をとって、この地上に生まれてくださり、そして、その目的を果たす「時」が一刻一刻と近づいてきた。それが、27節の「このためにこそ」「この時に」という表現に凝縮される。その果たすべき目的とは・・・。それは、32節「地上から上げられる」こと。 「上げられる」とは? だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。 ヨハネ3:13~14 「モーセが荒野で蛇を上げた」とは、旧約聖書民数記21章の記事。 出エジプトの後、民は、たびたび不満をモーセと神さまにぶつけたが、この時も、水もパンもないと言ってつぶやいた。 そして、蛇が送られ、民にかみつき、多くの民が死んだ。民は悔い改め、モーセに救いを求め、神さまは、モーセに 「燃える蛇をつくり、それを旗ざおの上につけよ」と命じられた。 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。 もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。 民数記21:9 「旗さおの先の蛇」と「十字架につけられた神の御子」 どちらも、それを見上げたものが救われ、命を得る。 また、「十字架につけられる」、つまり「木にかけられる」とは、「神から呪われて死ぬ」ことを意味した。 もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいては ならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。 あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。 申命記21:22~23 しかし、群衆はイエスさまのおっしゃることがよく理解できずに、イエスさまに質問する。 そこで、群衆はイエスに答えた。 「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は 上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれですか。」 ヨハネ12:34来るべきキリストが、なぜ呪われて、木にかけられて死ぬ必要があるのか?という群衆の疑問。まず、「呪われる」ことの本当の重大さは、人知では計り知れない。人の潜在意識の中に、神さまの呪いに対する恐れはある。人によっては、実際に「方違え」によって家を改築したり、呪いを極度に恐れる人がいることも確か。しかし、真の神さまの呪いは、そのようなものと比べようもない。そして、神さまが、その義ゆえに罪をどれほど嫌われているか、その結果としての裁きと呪いがどれほど重いものなのか、イエスさまだけがその深刻さと悲惨さをご存じで、その呪いの一切をご自身で飲み干してくださった。 「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」イエスさまの苦しみの中心は、父なる神さまに見捨てられること。イエスさまがつけられ、上げられた木、十字架。そこは、「御名の栄光」(28節)が現された場所。そこで、神の「完全な義」が実行された。 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。 それは、ご自身の義を現わすためです。 というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義と お認めになるためなのです。 ローマ人への手紙 3:25~26十字架で示されたのは、「義」の栄光であり、「愛」の栄光。イエスさまが受けた罰と呪いと裁きの痛みを、イエスさまが感じられたほどに感じることはできない。ほんのわずか知っただけでも、それは、想像を絶する呪いと裁き。本来、私たちが受けるべきその呪いと裁きを、イエスさまが「愛」ゆえに身代わりとなって受けて下さったもの。「呪い」の大きさは「裁き」の大きさ、つまり「義」の大きさであり「愛」の大きさ。それらが、神さまの約束通り成就した場所が十字架。 期せずしてお伺いできた佐竹先生のメッセージ。昨年夏の帰省の時のメッセージもそうだったけど、イエスさまの愛と義、そして人の罪の大きさを、はっきりと示されるメッセージ。なんだろう、その時々に必要なメッセージを聞くために山形に来させられたのかもしれないとさえ思うほど、自分にとっては必要と思える内容だった。もう一度、受難週と過越の祭り、そしてイエスさまの最後の1週間を深く味わうきっかけとされた。感謝!今日は昼食のない日で、礼拝後は、お茶とお菓子で教会の人々としばしの近況報告。その後、佐竹先生が病院まで送って下さった。 父は、昨日とはうって変わって、じんましんによる発熱でちょっとぐったりしていた。薬で抑えていたのだが、弱い薬にしてみたら全身に広がったらしい。昨日は、ぽん家が見舞いに来たことで、うれしくて、がんばりすぎたせいもあるかもしれない。じんましんによるかゆさのせいか、夜もあまり寝付けなかったらしい。いろいろ悪循環かな。昨日のラーメン屋で昼食を食べて、病院に戻る。じんましんで、全身真っ赤に腫れている。しかも、かこうとするのを止めるため、両手をベッドに固縛されている姿が痛々しい。結局、夕方までいたが、ほとんど眠ったままで会話もできないまま、実家に戻る。週末の疲れが出たか、ちょっと体調がすぐれず(かぜ気味?)、今日は早めに休む。
2004年04月04日
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昨年のクリスマス前に、父がくも膜下出血で倒れて、間もなく4か月。 5度目となる今回の見舞い帰省は、春休みということもあって家族5人全員で。(全員での帰省は1月に次いで2度目。) 特に、4月に次女ちゃんが小学校に入学。病に倒れる前、父は入学式のために大阪に来るのを楽しみにしていたそうだから、ぜひとも、顔だけでも見せてあげたかった。 いつしか、大阪では桜も満開直前。過ぎ去った冷たい季節、やわらかな日差し、さわやかな風、あざやかな草花の息吹に、季節の移り変わりを思う。 2月以降、2か月ぶりの故郷。その間の母からの電話では、看護士さんがちょっと目を離した合間に、父が車椅子から落ちて、目の上を怪我して縫ってしまったとか、そろそろ病院を変わるように、やんわりと言われているといった、ちょっと暗めのニュースが多かったので、緊張を伴いながらの帰省。 朝8時過ぎに家を出発、伊丹発10時の飛行機で、一路仙台へ。甲子園からの帰途の東北高校選手御一行さまと同じフライトで、仙台空港の到着ロビーでは、報道陣に囲まれてしまった^^ 20分ほどのスムースな乗継時間で、11時30分発の山形行き直行バスで奥羽山脈を超える。県境の峠は長さ3000メートルを越えるトンネルであっという間に越えてしまうが、トンネル前後には、まだ積雪が残っており、子ども達も大喜び。1月の時は積雪がなく、今回は高速道路なので、雪だるまや雪合戦はしばらくおあずけ。いつか、雪遊びしようね。 13時前に山形駅に到着、市内路線バスに乗り換え、13時過ぎには、父の入院する病院に直行。手術以降、病室を3回か4回移動させられていて、今回はナースステーションの真ん前。 2か月ぶりの父は、一段とやせこけ、小さくなったように見えた。目もくぼみ、まんまるな感じ。母の話では、数日前から全身にじんましんが出て、前日は体中に広がり、発熱も伴ったという。今は、薬を投与することで、じんましんをおさえ、よくなったとのこと。とりあえず荷物を置いて、病院から徒歩5分くらいの名物ラーメン屋に行き、遅めの昼食。ここは、山形名物「冷やしラーメン」発祥の店。まだ、寒いので冷やしラーメンはとらなかったけど。 土曜日ということもあり、今日はリハビリもお休み。父を車いすに乗せて、家族みんなで、散歩がてら入院病棟でない階に移動し、外の景色を見せる。父は、ある程度の意思表示と会話が可能になっていた。2月の時には、「ここ、どこか分かる?」「京都」など、脈絡のないやり取りも多かったが、だいぶよくなっているようだ。(ただ、しゃべるのが、ちょっともごもごしていて、それでいて、早口で話すので、聞き取りにくい部分が多く、その部分、的を得た会話になっていたか、判断できないところも多々あったけど)景色を見させた後、母が父に簡単な訓練を施した。父を、廊下の手すりにつかまらせ、車いすから立たせ、「いち・に、いち・に」のかけ声に合わせて、足踏みさせる訓練。父は母の「立ってみれ」ということばに応じて立ち上がり、かけ声に合わせて、ほんの2・3センチだけど、足を右左交互に浮かせている。この2週間くらい、失語症に関する本を2冊読む機会があった、失語症ということばだけは知っていたが、内容も、その深刻さも、何も知らなかった。脳の損傷箇所・度合いによって、症状の種類も度合いも、人それぞれ違うんだって。通常、聞き取ること、聞いて意味を理解すること、ことばで表現すること、それらの別々の機能を統合させることで、会話が成り立っている。ことばで表現する機能だけが失われたり、ダメージがあった場合、外からの働きかけに、ことばで反応することができなかったり、本人は「お父さん」と答えているつもりが「お母さん」ととんちんかんな答えが出てくるような場合でも、周囲からの情報はは完全に理解しているということもある。本人がまったく話せない、もしくは話す内容が支離滅裂なだけで、聞いていることは、ほとんど理解できているのに、痴呆のように扱われてしまったり。症状によっては、会話の中で、日常の基礎単語だけが、ひんぱんに出てこない場合なども。また、病院では、動物のカードを見せられては、名前を言わせられたり、数字やひらがなのカードを順番に並べるテストなどが続いたり、お医者さんからも、介護の人からも、お見舞いの人からも、「ここ、どこ?」「誕生日は?」「この人、誰か分かる?」といった質問だけを浴びせられたり、時に、「~しましょうね」など、子ども扱いの口調で話しかけられたりすることで、プライドを傷つけられる場合もあるという。(おっと、ちょっと脱線。)2月時点の父の症状が、本の内容と重なる部分が多く、失語症は完全に回復することは難しいとあったので、ちょっと心配になったりした。でも、こうして聞いたことを理解し、その通り行動し、訓練しようとしている父の姿を見て、一歩一歩、回復が与えられることを実感させられた。年初には、目を開けた、手を握り返したっていうだけで大騒ぎしてたのに。そして、何よりも、父自身の直りたいという回復への意志・意欲が、痛いほど感じられた。 病院は、子どもたちにとっては、そんなに長居できる空間でもない。休憩室やあちこちを散歩させたりしていたけど、そろそろ限界になってきたので、夕方には病院をあとにする。近くのスーパーで夕食を買い出しし、自宅すぐ近くまで行くバスで帰宅。 夕食をとり、11時過ぎには、今日からNHK地上波放映開始の「冬のソナタ」を見て寝る。
2004年04月03日
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今日から、一日一章聖書日課は歴代誌。今日はその歴代誌第一の1章。聖書は、いろんなところに家系図が記載されているが、今日のところも最初から最後まで家系図。(2章以降も、本流、傍系合わせ、家系図がしばらく続く。) アダムに始まり、アブラハム・イサク・ヤコブを経て、ダビデに至る家系。新約聖書でも、マタイの福音書にその本流のみが簡潔に記されているけれど、ダビデの子孫として、イエス・キリストが生まれた系図が明らかにされる。ユダ王国が滅び70年。補囚生活から一転、荒れ果てたエルサレムへの帰還を許されたイスラエル人たちは、どのような思いでこの歴代誌を聞いたんだろう。どのような思いでこの系図を聞いたのだろう。 それは、さておき、今日、感じたこと。キリストを信じる人々の名前が書き記された「いのちの書」も、もしかしたら、こんな系図みたいになってるのかな、なんていうこと。何の根拠もないし、とんちんかんなことかもしれないけれど、そんなだったら、どうかな、なんてね。 イエス・キリストを救い主として受け入れ、クリスチャンになるまでに、それぞれ、いろんな過程を経る。誰かに誘われた人もいるし、自ら教会の門をたたいた人もいる。自分のように、親から信仰を受け継いだ場合もあれば、拾った聖書を読んで信仰を持った人もいる。それこそ、いろんなきっかけがあるだろうけど、誰かが福音を伝えたり、聖書や伝道文書をそこに届けたり、ラジオやテレビで語られたりして、福音が届けられた。方法や手段はどうであろうと、誰かが何かをしたことで、救いと命が伝えられてきた。そして、その道をさかのぼっていけば、必ず、ペテロたち12弟子か、パウロなどの伝道者に行き着くはず。もちろん、「いのちの書」に、実際に救いの経路が記載されているか、分からないけれど、この信仰をたどっていけば、実際にイエスさまに出会った人々に行き着くことは確かなんだ。これって、結構すごいことだよね。 歴代誌の系図を読みながら、ちょっと考えてみたこと・・・。
2004年04月01日
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