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いやあ、今日、大学で専門の授業をやってきたんですけど、ちょっとビックリすることがありまして。 自己啓発本の発祥地はアメリカだっていう話をして、何故そうなるかっていう説明をしていたんですけど、その際、アメリカってのは、ピューリタンが作った国なんよ、っていう話になった。 でもそれは別に説明するほどのことではなくて、常識を確認するつもりで話したわけ。 だけど、学生たちの顔を見ていたら、あまりにもポカーーンとしているので、ちょっと不安になり、「ピューリタンって、もとはどこにいたか、知っているよね?」と質問してみた。 そしたら、受講生の誰一人として知らなかったの。 で、まさかと思いつつ、「でも、アメリカって、どこから独立したかは知っているよね?」と聞いてみたんですけど、これについても誰一人として知りませんでした。 なるほど。最近の若い連中というのは、アメリカがイギリスの植民地で、そこから独立したということ自体を知らないんだと。 もうね、この大学で私が何を話そうと、何を説明しようと、何も通じないんだということがよく分かりました。 引退しまーーす。
October 31, 2024
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ゼミが再開され、長い夏休みを終えたゼミ生たちと再び顔を合わせることになったのですが、彼ら/彼女らはそれぞれ、なかなか面白い休みを体験してきたようで、その報告も面白かった。 4年生のゼミ生たちの中に、タイに行ってきたという連中がおりまして。彼女たちは向こうでシュノーケリングをやってきたと。 ところが当日はあいにくの荒天で、1時間ばかり船を飛ばしてシュノーケリングに適したポイントまでは行ったものの、波が荒すぎて泳ぐことは難しいと。 ところが、波間を船でかっ飛ばしている時はいいのですが、止まると途端に船酔いが始まり、4人のうち一人がゲーロゲロ。 で、さらに場所を移動して、かろうじて少し泳げるところがあったらしいのですが、泳いだ後、船に上った途端激しい船酔いに襲われ、4人のうち3人がゲロゲロと。 行きはバカンス気分でキャーキャー言っていたのに、帰りは一言も発せず、ぐったりとしたまま港に戻ったのだとか。でも、そんなゲロゲロしていたのは日本人(アジア人)だけで、同じツアーに参加していた欧米人は一人も酔っていなかったんですと。不思議ですね。アジア人は三半規管が弱いのかな? それから3年生のゼミ生の話も面白かったのですが、3年生ゼミ生の中で女子学生二人が仲良くてですね、そのうちの一人が誕生日を迎えたので、もう一人が他の友達も含めてある企画をして祝ったと。 その企画というのがふるっていて、みんなで競馬をしに行ったというのですな。誕生日を迎えた子が、競馬をしたことがなかったので。 で、とりあえず馬券を買ってみたと。 それが大穴を当てたと。 ビギナーズラックって、本当にあるんですね。なんと55倍の高額配当! もちろん、その女子学生が賭けたのは100円だったそうですから、55倍と言っても大した額にはならないのですが・・・。 で、大穴を当ててしまった学生に、「どんな気分だった?」と尋ねたら、「もう賭け事はこりごりです」と。一回やってみて面白かったけれど、自分が賭け事には向かないというのがよく分かったと。 ふーん、なるほど! 一回やって、当てて、はまった、というのではなく、懲りた、というんですね。これはこれで面白い。いい経験になったわけだ。 誕生日のお祝いとして競馬を企画した学生も賢いし、それで一回楽しんで、当てて、懲りた、という学生も頼もしい。さすが釈迦楽ゼミ生、センスがいい! ということで、それぞれのやり方で夏休みを謳歌したゼミ生たちの話を聞き、楽しいひと時となったのでした。
October 30, 2024
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高橋哲雄さんが書かれた『ミステリーの社会学』(中公新書)という本を読了しましたので、一言。これこれ! ↓【中古】 ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件 / 高橋 哲雄 / 中央公論新社 [新書]【ネコポス発送】 著者の高橋哲雄さんという方(故人)は、文学者ではないんですよね。社会学者なの。で、社会学者の高橋さんが、ミステリーという文学ジャンルを社会学的に分析すると、まあ、そういう趣旨の本。 なんで社会学者がミステリーを、と思うかもしれませんが、よくよく考えてみると、ミステリーという文学ジャンルはとても特殊なんですな。 たとえば、ミステリーというのは、イギリスが圧倒的な産地なわけですよ。もちろん、アメリカのエドガー・アラン・ポーを始祖とする、というところはあるし、アメリカにはハード・ボイルド・ミステリー(ダシール・ハメットの『マルタの鷹』とかレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』みたいな)ものがありますから、アメリカだって、というところはありますが、いわゆる推理小説ということになると、やはりイギリスの絶対的優位というのはゆるがない。 逆に言うと、ドイツのミステリーとか、イタリアのミステリーとか、フランスのミステリーとか、ましてやロシアのミステリーなんてものはない(少ない)。つまりミステリーを産む国と産まない国があるということになる。 なぜか? 当然、何らかの社会的な条件があるわけでしょうな。たとえば、高等教育を受けた中産階級以上の層が大きいとか。いち早く産業革命をを成し遂げたイギリスには、有閑階級なるものが早くからあったわけでね。ミステリーは「暇つぶしの文学」なので、暇がある階層があるということは大きな条件になるわけ。 あるいは、「フェアであること」や「アマチュアリズム」を重んじる国柄であるとか。ミステリー作家の多くは、アマチュアですからね。また「フェア」と「アマチュア」を重んずるということは、近代スポーツの特徴であって、イギリスは近代スポーツの発祥国でもある。つまり、近代スポーツとミステリーには共通点があると。 しかし、そのミステリー王国イギリスでも、時代によって人気のあるミステリーの傾向は変わってくる。ホームズものが人気があった時代もあれば、クリスティものが流行った時代もあれば、○○が流行った時代もあれば・・・と、その変遷をたどることができる。となると、「なぜその時代に、そういう種類のミステリーが流行ったのか?」という疑問が出て来るわけで、それを考えていくと、やはりその時代その時代の社会状況が大きく関わってくる。だから、社会学者がミステリーを論じるというのは、決しておかしなことではないんです。 というわけで、この本、新書本ではありますが、一読すると色々な意味ですごく勉強になるし、刺激にもなる。 実際、私が今研究している自己啓発本も、ミステリー同様、国を選ぶわけ。アメリカとイギリス連邦と北欧と日本と韓国だけが自己啓発本の市場であって、それ以外の国では読まれていない。それはなぜか?という問いは、当然あっていいわけですよ。 また時代によって自己啓発本の流行り廃りというのはあるわけで、それも各時代の社会状況による。 そう考えると、高橋哲雄さんがミステリーという特異な文学ジャンルを研究したように、私もまた自己啓発本という特異な文学ジャンルを研究している、という同志的なつながりがあるように思えてならないわけ。 そういう意味でも、私にはこの本、実に面白かったです。教授のおすすめ!です。 それにしても、こういう図柄の大きい文学研究を、社会学者にやられてしまった、というのは、文学者として忸怩たるものがありますなあ。 先日参加したアメリカ文学会の全国大会でも、研究発表のほとんどがタコつぼ論ばっかりで、高橋さんのミステリー論のようなすごい研究なんてありゃしない。もう、うちの業界の若い連中には、高橋哲雄さんの爪の垢でも煎じて飲ませた方がいいんじゃないだろうか。 ほんっと、情けないわ~。【中古】 ミステリーの社会学 近代的「気晴らし」の条件 / 高橋 哲雄 / 中央公論新社 [新書]【ネコポス発送】
October 29, 2024
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さてと。そろそろこのブログも再開しようかな。 21日に母が亡くなったわけですけれども、どうにかこうにか葬儀も済み、少しずつ日常が戻ってきております。まあ、母のことについては、まだここで振り返るような余裕もありませんので、またいずれということにして、とりあえずブログを再開することにいたします。 とはいえ、なんの話を書こうかな。毎日書いてないと、書く感覚を忘れちゃうね。 ブログを休んでいた間にあった印象的な出来事というと、元大関の旭国が亡くなったことかな。 旭国は、小兵ながら大関まで務めた名力士でね。子供の頃、好きな力士の一人でした。 旭国の何がすごいって、腰の構えだね。大型力士と当たっても、常に足を前後に出して、腰の構えだけは絶対に崩さない。相手の圧力に負けてのけぞるとか、そういうことはめったにない。 で、技が多彩でね。特に印象的なのは、「とったり」。相手の腕を完全に極めて投げるので、うまく極まれば必ず勝つ。その他、内掛け、外掛け、けたぐり、内無双、上手出し投げ、どれも相撲の教科書に載ってもいいようなきれいな技だった。 ただ、残念だったのは、優勝経験がなかったこと。何度か優勝のチャンスはあったんだけど、同時代に横綱の北の湖と輪島がいたので、彼らの壁に阻まれて一回も優勝できなかった。本人へのインタビューで、「大関になるとの優勝するの、どちらか一つと言われたらどちらをとりますか?」という問いに、「優勝したかった」と言っているのを私は聞いたことがありますから、本人としても優勝経験がないことは、残念なことだったでしょう。 あと一つ、旭国の相撲界への貢献としては、旭天鵬などモンゴル力士の角界への導入がある。もっともこれについては、大相撲のモンゴル相撲化以来、相撲ファンであることを止めたワタクシとしては微妙なところですけどね。 でも、とにかく、いかにも真面目に相撲道を貫いた旭国さんについては、一ファンとして、好感を持たざるをえない。その旭国さんが亡くなったことで、また一つ、昭和の相撲の歴史が消えた感じがします。 ということで、元祖技のデパート、元大関旭国さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
October 28, 2024
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本日午後、私の母が天に召されました。享年92年と8か月。 先月末、危篤と診断されてからおよそ1か月、頑張って生きてくれました。その間、ゆっくりお別れができました。 この先、葬儀やらなにやら、忙しくなると思いますので、しばらくこのブログもお休みです。 また元気になりましたら、復活させますので、それまでしばらくお待ちください。 その前に、本ブログの2013年5月3日に掲載した、「母とお散歩」と題した一文を再掲させていただきます。生前の母の雰囲気が割とよく出ていますので、母の思い出として。「母とお散歩」 夕方、母が買い物がてら散歩に行くというので、くっついて行くことにしました。 高血圧で、さらに糖尿気味と医者に言われてから、母は万歩計をつけ、毎日3,000歩以上と目標を決めて毎日散歩するようになったのですが、今日は私も暇だったので、母が日々どんなところをてくてく歩いているのか見てみようと思ったわけ。 「この坂を下ってくるでしょ。で、ここで右に曲がるの。それで線路を渡ったところで右に曲がる時もあるし、もう少し先に行ってから曲がることもある。今日は先まで行ってみようか」 実家は住宅地のまっただ中にありますから、どの道をどこまで行こうが、基本的に他人の家ばかり。そんな他人の家を見ながら歩くのも楽しいそうで。 「ほら、これ、きれいな花ね。これはテッセン。この黄色い花は何かしら、分からない」 そのうちに、ちょっと切り立った崖のところまで出ました。その崖に突き出るように新しいマンションが出来ている。 「あら、これは危ない。崖が崩れたら危険、危険。日当りはいいけどね。」 またしばらく歩いていると、最近新しく立った家々が並んでいるところに差し掛かります。 「ほらね。道のこっち側は古い家。こっち側は新しい。古い家の方がゆったり立っているけど、やっぱり造りが古いわね。新しいのは造りもモダンだわ。ね、こういう新しい家見てて、こういう家に住んでみたいなって思う?」 「ああ、ここまで来た。ここで駅の方に曲がるの。そうすると、ね、いつもスーパーに行く道になる。歩くのにはちょうどいい位の長さでしょ」 そうして「いつもの道」に戻った母と私は、スーパーに寄って夜のご飯の買い物をし、家路についたのでした。二つに分けた買い物袋の、重い方を持つと言ってきかない母をなだめ、軽い方の袋を持たすのに苦労しながら。
October 21, 2024
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母に残された時間も大分少なくなってきましたので、今日もずっと老人ホームの母の部屋に詰めておりました。 だけど、何時間も何もしないで母と向き合っているのもつらいので、仕事を持っていくことに。その仕事とは、次の次の次の本に当たるもので、自分では「還暦本」と呼んでいるもの。書いている私自身が還暦を越しているわけですけれども、そういう年齢になってますます自己啓発思想の偉大さが分かるようになってきた。そうした実感をベースに、還暦を過ぎた相当な大人向けに、本を書こうかなと。 この年代のための自己啓発本となると、やはり大きなトピックは「自分の死」。それにどう対処するか。 目の前で最後の時を迎えている母の傍らで、いずれ自分にもやってくる死のことを考えるというのは、自分にとっては意義のあることでありましてね。 そういうアレがあるせいか、思いのほか、捗ってしまった。 この本が完成したら、もちろん、この本は母に捧げましょう。母が頑張って、危篤になってからもなお、この世に居続けていてくれるから書いているようなもんだし。 もしこの本が完成したとして、それを母に見せられないと思うと、ちょっと(いや、大分)悲しいですけどね。
October 20, 2024
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名古屋から実家に戻っております。このところ実家と名古屋の往復が続いていて、疲れちゃいますけど、母に会える時間も限られてきましたからね。会える時に会っておかないと。 それはともかく。 今週の水曜日の夜、名古屋に戻った時は、新東名ではなく、東名を走って帰ったのですが、このところの東名のサービスエリアの寂れ具合は甚だしいですな! っていうか、もう、サービスエリアとはいいながら、9時過ぎくらいにはもう店が閉まっちゃってるからね。あるのはトイレとコンビニだけ。かろうじて浜名湖サービスエリアだけは結構夜遅くまで開いていたけど、後はもう、牧之原とか閑散としちゃって。「裏街道」っていう雰囲気がひしひしと。 実家と名古屋の往復で東名を数えきれないほど往復したもんだけど、昔はもっとこう、華やかだったんだけどねえ。いかにも「日本の大動脈」という感じで。それがここまで寂れるとは思わなかった。 でも、クルマで走っていると、新東名より東名の方が面白い。適度にくねくね曲がるから、運転している実感があるし、先が見通せない分、退屈しない。私は結構好き。 私と東名高速は、どちらも還暦でほぼ同世代。東名同様、私も相当寂れてきているのかもしれないけど、もう少し、一緒に現役で頑張りたいものでございます。
October 19, 2024
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昨日、絵本作家・中川李枝子さんの訃報がありました。享年89。 そのニュースのことは知っていたのですが、『ぐりとぐら』の作者として紹介されていたので、ピンとこなかった。『ぐりとぐら』って、名作絵本として有名ですが、実は私は読んだことがない。だもので、この人に対する思い出がないなと思っていたんです。 ところが! 中川さんは『ももいろのきりん』の作者だって言うじゃなーい? これは私が子供の頃、愛読した絵本なのよ。 ヒロインのるるこちゃんは、どういう理由だったか、大きなももいろの紙を手に入れるんですな。で、これで大きなきりんを作ることにする。で、完成した紙のきりんに目とか口とかをクレヨンで描き込むと、なんとその紙のきりんに生命が宿るわけ。で、るるこちゃんはこのももいろのきりんに「きりか」という名前を付け、二人は友達になります。 その後、夜になって寝ることにするのだけど、なにしろきりんだから頭が天井につかえちゃう。するときりかが、僕は窓から首を出して寝るから大丈夫、とか言って、とりあえずそういうことにすると。 ところがその夜、雨が降るのよ。で、首から先がぬれてしまって、なんとも惨めなことに。 そこでるるこちゃんは、きりかの長い首を洗濯ばさみで物干し竿に留め、天日干しをするの。で、段々首が渇いて来ると、きりかのパワーも復活! しかし、雨できりかのももいろの肌が禿ちゃったので、るるかちゃんはピンクのクレヨンで塗り直してあげるのだけど、なにしろきりかは大きいので、小さいクレヨンがすぐなくなってしまう。 そこでるることきりかは、遠くに見える、クレヨンの木が生えているところにいって、好きなだけクレヨンを塗ろうと旅に出る。ところがクレヨンの木のところには色々な動物がおり、ちょっと意地悪なゴリラとかもいて、きりかにピンクのクレヨンを使わせてくれないの。 さて、るることももかは、このピンチをどう乗り切るか?! まあ、うろ覚えだけど、そんな話。 これ、好きな絵本だったのよ。私は子供の頃から大人びていて、「け! 子供だましの絵本なんか、誰が読むかよ!」と、見向きもしなかったんだけど、たまたま親が誰かにもらったかなにかで私のもとに回って来たこの絵本は面白くて、何度も繰り返し読んだの。たわわに実るクレヨンの木とか、最高じゃん。 だから、中川李枝子さんは、私にとって数少ない、親しみのある絵本作家だったのよね。その人が亡くなったとなれば、私としては、追悼せざるを得ない。 『ももいろのきりん』で私を夢中にさせてくれた絵本作家、中川李枝子さんに感謝しつつ、そのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。これこれ! ↓ももいろのきりん (福音館創作童話シリーズ) [ 中川李枝子 ]
October 18, 2024
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そうか、西田敏行さん、亡くなられたのか。享年76。俳優として、少なくともあと10年くらいは活躍できる年齢なので、急逝されたのは惜しいの一言。 しかし、西田さんって、日本の俳優の中でも最も成功した人の一人なんじゃないですかね。飛び切りのハンサムかといえば、決してそうではないわけだけれども、だからこそ善良な人の役から893の親分役まで様々な役につくことができるところがある。真面目な役もコミカルな役も出来、歌も歌えば司会もナレーションもする。『釣りバカ』をはじめ代表作にも恵まれたし、長いキャリアの中で、低迷期というのはあまりなかったのではなかろうか。映画にテレビにコンスタントに目にする、子供から大人まで、全世代に好かれるタイプの俳優さんでしたなあ。 ま、私は『釣りバカ』を見る感じではなかったですけど、世代的に『池中玄太80キロ』が懐かしい。ああいうテレビ・ドラマって、今はもうないですもんね。そう言えば、お相手役の坂口良子さんもすでに亡くなってしまった。 しかし、こんなに急に亡くなられたのでは、周囲の人たちはショックが大きいだろうな。このところ病気がちではあったようですが、まさか亡くなるような状態とは、ご本人だって、思ってなかったでしょうからね。 人間の生き死にって、分からないもんですな。 まあ、個人的に、このところ人間の生き死のことを考えざるを得ない状況なので、そんな中、飛び込んできた西田さんの訃報に驚きつつ、強くご冥福を祈りたい気分でございます。
October 17, 2024
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今日は拙著の出版をめぐって担当編集者の方とオンライン会議。 そろそろタイトルとか表紙デザインを決める工程に入りつつあるのですが、今日、オンライン会議をしてみて、なるほど~と思ったことがひとつ。 私の自己啓発本研究の成果は、これまで2冊の本になっておりますが、どちらも、どちらかというと文学研究寄りというか、文学として自己啓発本を読む、というスタンスで成り立ってきたわけ。 で、今度出す本は、私が厳選した60冊の自己啓発本を解説した本なんですけど、出版社の方としては、こいつを文学寄りではなく、むしろビジネス書寄りで売り出す計画であると。 ほう! なるほど! そうでしたか!! ひゃー! ついにワタクシ、期せずしてビジネス書を書いちまったよ。まさか、こういう日が来るとはねえ。 面白いねえ。果たして私の書いた本は、ビジネス書としてのポテンシャルはあるのだろうか? ビジネス書というのは、文学研究書とはまた別な売れ方をするものなのだろうか? 読者層というのは、これまでの私の本のそれとはだいぶ異なるのだろうか? 興味津々ですな。ビジネスマンの数は、文学研究書に興味のある層とはくらべものにならないくらい多いでしょうし、ひょっとすると、すごく売れたりするのかな? 売れてほしいけど。 でまた、今日は表紙デザインの話も若干進めたのですが、これまたビジネス書兼自己啓発書としてめちゃくちゃ売れたある本のデザインを担当されたデザイン・チームに依頼する方向で検討中とのこと。 いやあ、一体、どういう感じになるのか。それも楽しみ! まあ、アメリカ文学会の方たちが目を回すような感じになるのかもね。いいね、いいね、面白いね。 というわけで、今日はなかなか面白いオンライン会議だったのでした。 さて、明日は名古屋でちょっと仕事があるので、今日はこれから名古屋に戻ります。でもその前に、ちらっと施設に寄って母の顔を見ていこう。もう、眠ってばかりだけど、生きている母の顔をできるだけ沢山、目に焼き付けておきたいので。
October 16, 2024
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日髙敏隆先生の『ぼくの世界博物誌』、読み終わってしまった。非常に面白い読書体験でした。 ところで、この本の後半は、日髙先生のご専門である動物行動学の話がメインになっているのですが、その中に、「蝶はどのくらい見えているのか」という話題が出てくる。 蝶々なんて、ごく当たり前に見かけるし、ああ、飛んでいるな、くらいにしか考えていなかったですけど、彼らがどんなつもりで・・・というか、どの程度の世界観でこの世界を飛び回っているか、彼らの視力はどのくらいのものか、考えてみれば、分からないわけですよね。 で、日髙先生は、それが知りたいと思ったと。 で、さすが研究者だなと思うのは、蝶の視力を確かめる方法を考え出すというところ。 そもそも蝶のオスは何のためにひらひら飛んでいるかというと、メスを探して交尾するために飛んでいるわけです。だから、彼らは始終、メスの姿を探して飛んでいるに違いない。 そこで、アゲハのメスの羽の標本をアクリル板に挟んで吊るしておく。で、そのアクリル板にアゲハのオスが近づこうとしたら、それはそのオスがメスを認識した、ということなわけです。 で、そうやって実験したら、アゲハの視力が分かった。1メートルか1.5メートルだったそうです。だから、アゲハは、1メートルくらいの視界のみで世界を見ていることになる。それ以上遠くは、ぼんやりとしか見えてないはずだと。 ちなみに、アゲハだから1メートルなのであって、モンシロチョウだと30センチくらいしか見えていない。周囲30センチの世界の中で、彼らは生きているのだと。 そうか。自分にごく近いところしか認識できないまま世界を生きていく、それが蝶の生き方なんだ。もしその範囲の外側から敵に襲われたら、ひとたまりもないですわなあ。 ふうむ! すごい発見ですな。科学者というのは、そうやって、すごく素朴でナチュラルな疑問から発して、いろいろなことを解明していくわけだ。 で、思ったのですが、こういう、ごくごく素朴でナチュラルな態度で、文学者も文学作品に接しないといかんのじゃないかと。 作品をよく読んで、「この作者はどうしてこういうことをこういう風に書いたんだろう?」という素朴な疑問を見付けること。そしてそれを考えていく中で、その作品の一層深い面白さを発見し、作者の思いに肉薄すること。そういう、素朴な文学論が読みたいし、書きたいなと。 最近の、特に若い人の文学論って、素朴な疑問からスタートしてないのが多いんだよな。 とにかく、日髙先生の本を読んで、私は色々なことを考え、色々なことを教わったのでした。これこれ! ↓ぼくの世界博物誌 (集英社文庫(日本)) [ 日髙 敏隆 ]
October 15, 2024
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昨日も書きましたが、日髙敏隆先生の『ぼくの世界博物誌』(集英社文庫)を楽しみながら、舐めるように読んでおります。 で、この中に今から60年ほど前、日髙先生がフランスに滞在しておられた時のことが書かれていて、当時のフランスというのは、天国みたいなところだったんだなと。 で、フランスのことを読んでいたせいか、引き寄せの法則が生じまして、昨夜、何の気なしにテレビを見ていたら、NHKで「世界居酒屋紀行」(タイトルは不正確)みたいな番組をやっていた。世界中の居酒屋を尋ねて、そこを視点にそれぞれの地域の特色というか、文化を見ていこうという趣旨の番組なんですな。 で、昨夜の回では、ちょうどフランスのとある町の居酒屋が取材されていたのよ。 で、陽気で酒好きな店主が営むその居酒屋は、いつも客で一杯で、その客たちと一緒に店主もビールを飲みまくっていた。その店で出す料理というか、酒のアテがやたらに美味しそうでね。 例えば田舎風パテにソーセージに生ハム。そういうのが皿に山盛りになった「肉盛りセット」がある。で、フランスの連中は、そういうものにバターをたっぷり乗せて食べるのよ。ソーセージにもバター、パテにもバター。「バターを塗る」のではなく、バターの塊をそれらに乗せて食べる。 で、取材班が、「これはカロリーが多そうですね」などと話を仕向けると、「ん? カロリーとは何ぞや?」などとふざけて返事をする。カロリーなんか気にして人生を渡って行けるか、ってなもんです。 あと美味しそうだったのは、マテ貝のソテーね。多分、たっぷりのバターでソテーしてあるのでしょう、貝から出るエキスと溶けたバターが一緒になって、とてもおいしそうだった。 で、そんな料理を客たちに振る舞いながら、店主も酒を飲む飲む。 そこへ、店主の奥さん登場。なにやら店主に告げ、自分でも生ビールを注いでもらって、すぐに店を出ていった。 で、その奥さんを取材班が追いかけて行って、「あなたの旦那さんは、ちょっとビールの飲みすぎじゃないですか?」と尋ねたわけ。 これが日本だったら、この奥さんはどういう返事をしますかね? 多分、「そうなんですよ、困っているんです」とか、そんな返事が返ってきそうじゃないですか? しかし、フランスでは違った。この奥さん、「夫が飲みすぎと思うかどうか、私は尋ねられているの?」と確認したのち、こう言い放った。「いえ、彼は自由なのだから、彼には好きなだけ酒を飲む権利があるわ」と。 それを聞いて、私はうーん!と唸りました。そうか、と。 これがフランスか! これがフラン人の「自由」概念なのか。 すごいね。自由というものの考え方が、日本人とは全然違う。夫婦の関係であろうと、互いの自由を絶対に侵さないという姿勢。 いやはや。日髙先生のエッセイを読んだおかげで、私はフランス人が自由というものをどうとらえているかを、偶然、学ぶこととなったのでした。
October 14, 2024
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昨日は名古屋で行われた学会に出ましたが、今日は神奈川の実家に戻っております。母のことがありますのでね。 さて、そんな私のお供になったのが、日髙敏隆先生がお書きになった『ぼくの世界博物誌』(集英社文庫)という本。これこれ! ↓ぼくの世界博物誌 (集英社文庫(日本)) [ 日髙 敏隆 ] 何でこの本を買って読んでいるかと申しますと、先日読了した山田稔さんの『もういいか』という本に日髙敏隆先生の思い出が書かれていて、それで日髙先生のことを懐かしく思い出したから。 実はね、私は著名な動物行動学者である日髙敏隆先生と直接の面識があったのよ。実は私の所属講座でその昔、二度にわたって日髙先生をお招きし、学術講演をしていただいたことがあるんですな。で、2回目の時は私が先生をお招きしたり、おもてなしをする任に当たったこともあり、先生にも顔と名前を覚えていただいた次第。 それにプラスして、日髙先生が私のことを認識するとっかかりというのがありまして。実は私の義理の叔父がかつて京都大学の医学部に勤めていて、同じく京大におられた日髙先生も叔父のことはよくご存じだったんです。で、その後、叔父は滋賀医科大学の学長となり、一方日髙先生は県立滋賀大学の学長となられた。京都から滋賀へ、という道筋も同じだったと。そういうこともあって、日髙先生は叔父とセットで私のことを覚えていてくださったわけ。 ちなみに、日髙先生の学術講演会は面白かったのよ~。内容は高度なのに、それを実に面白く語られる。もう20年くらい前の話ですけど、まあ、あれほど面白くてタメになる講演なんて、その後、聴いたことがないくらい。 そんな日髙先生のお名前を、山田稔さんの『もういいか』で目にしたもので、たまらずこの本を買い、今回の上京に持参したと。 で、実家について早速読み始めたのですが、やっぱり、期待通り、実に面白い! 優れた理系の研究者の中に、文もよくする人が時々いますが、日髙先生はまさにその例。しかも日髙先生は研究者として世界中を経めぐっておられますから、経験が豊富。その豊富な経験を元に世界各地で出会った人物、事物、経験を書かれるわけだから、面白くないわけがないんですな。 しかもこの本には随所にイラストがちりばめられていて、それを描いているのが先生の奥様の喜久子さんなのよ。 でね、その奥様のことを、日髙先生は「キキ」ってお呼びになるの! 本文中で。 ひゃー! 素晴らしい! きっと先生と奥様は仲良しさんだったんでしょうね。私は奥さんを大事にしない男は男じゃない(←『ゴッドファーザー』でドンが言うセリフ)と思っているので、奥様のことを愛情を込めて「キキ」って呼ばれる日髙先生のことがますます好きになっちゃうわ~。 っつーことで、『ぼくの世界博物誌』、まだ全部読み終わってないけど、教授の絶賛おススメ!です。 で、そういいながら、この文庫本をパラパラやっていて、最後の方にある「初出一覧」を見たのですけど、そうしたら、もう一つ驚くことが! 何とこの本の元となったエッセイ群は、その大半が『全人』という雑誌に連載されていたものだったのでした。 『全人』というのは、玉川学園の創立者、小原国芳先生の肝煎りで創刊された玉川学園の雑誌で、私のような玉川出身者からしたら懐かしいもの。その『全人』に日髙先生が長年、エッセイを書き綴られ、それがまとまって、玉川大学出版部から出版され、それが現在、集英社文庫になっていたいんですな。 いやはや。色々なことがつながって、ますますこの本が私には大切なものとなりそうです。ぼくの世界博物誌 人間の文化・動物たちの文化 [ 日高敏隆 ]
October 13, 2024
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今日は所属するアメリカ文学会の全国大会が地元名古屋の中京大学で開催されました。母の具合の関係で、参加できるかどうか分からなかったんですが、結局、参加できることになってしまった・・・。参加できるか微妙だったので、東京に住む友人と学会後に会食する予定をキャンセルしてしまいましたが、残念なことをしました・・・。でも、まあ、仕方がない。 それにしても、私が学会に参加するなんて、何年ぶりだろう? 数年前に英文学会だったか、アメリカ文学会だったかが東京女子大で行われた時に吉祥寺に行って以来だもんなあ。 ま、とにかく、今日は久々の学会ということで昼過ぎから意気込んで中京大学へ。 しかし、その前に。中京大学の近くにある生ドーナツの店「ユニ・ドーナツ」に立ち寄り、ドーナツ3種をゲット。ちょっと気になっていたのよね~。 で、中京大学に乗り込んだのですが、地下鉄八事駅を出ればいきなり大学の正面につくというアクセスの良さ。建物もきれいだし、ワシの所属大学とは月とスッポンの違いやなあ。どうして私立大学はこれほど豪華で、国立大学はこんなに貧しいのだろう? で、研究発表が始まるまで少し時間があったのですが、その間、ちょうどお見掛けした学会における私の兄貴分、N先生とちょっとお喋りを。 N先生、国立N大学を定年退職され、今年度から名古屋郊外にある某私立大学に移られたのですが、その辺の経緯というか、新しい職場での勤務状況など、あれこれお尋ねしちゃった。それによると、第二の職場とはいえ、結構、人使いが荒いらしく、前期は非常に忙しくしておられたのだとか。うーん、そういう話を聞いちゃうと、第二の職場を探そうという気が失せるなあ・・・。 で、研究発表が始まり、三本立て続けに拝聴。3つとも若手の研究者による発表でした。 で、それらを聴いていて、最近のアメリカ文学研究の動向というか、方向性がよく分かりました。 まあ、薄々感づいてはいたんだけど、最近のアメ文研究は、1970年代から80年代前半にかけて流行した精読時代に戻ったな。 1980年代後半以降、「文学理論」ブームというのが流行って、誰も彼もフランス由来の文学理論を振り回し、口々に「脱構築」とか言っていたんだけど、もうそんなのはどこかに消えちゃった。結局、面白くなかったんでしょ。 で、作品を精読して、その意味を深掘りしようという、「精読」研究に戻ったんだけど、戻ってみると、これはこれでつまらないのよ。 つまりね、作品の細かいところ、語句の一つ一つ、象徴の一つ一つにこだわった蛸壺的な読み方っていうのは、オタクの読み方なのよね。だから、一般人の読み方からどんどん離れて行ってしまう。学者側は面白い面白いと思っているかもしれないけど、一般人からしたら「何ソレ?」の世界でしょう。 学者の読み方と一般人の読み方が異なるのだから、学者の書いた研究書を一般人が読んでも、そりゃ、わけがわからんでしょうなあ。そうやって、両者が乖離した状態、それが今のアメリカ文学研究の世界なんだね。 私は、研究者ではあるけれども、一般人の立場から作品を読む。そういう人間からすると、今の学会はつまらなくて仕方がない。だから、最近、全然学会に参加してなかったんだけど、今日、あらためて久しぶりに学会に参加してみて、もうここは私のいる場所じゃないな、っていう感じをますます強くしましたね。 ということで、3つの研究発表を聴いた後はさっさと帰宅しちゃった。 で、帰宅してから、今日買った「ユニ・ドーナツ」の生ドーナツを食べたのですけれども・・・ これが馬鹿ウマ!!! めちゃくちゃ旨い。これは買う価値あるわ~。これこれ! ↓ユニ・ドーナツ 今日は、このユニ・ドーナツを食べられたというのが、学会に参加した唯一の収穫だったのでした。
October 12, 2024
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このところ、朝晩急に涼しくなりまして。ということで、昨日の夕食はおでんに! おでん。私は子供の頃は、おでんが嫌いでね。何食べても同じ味で、飽きちゃうの。 でも、結婚して名古屋風のおでんを知ってから、むしろ好きに。 名古屋風のおでんは、完成したおでんに、さらに「味噌ダレ」を添えるのよ。赤味噌ベースの。だから、味が濃い目になって、ご飯が進む。昔はおでんといえば「からし」でしたけど、いまやおでんといえば「味噌ダレ」ですなあ。 でね、さらに昨夜は新機軸がありまして。 我が家のおでんの具としては初めて、「牛スジ」を入れてみたの。何となく、気分で。 前に、新東名高速の静岡県内のSAにある「天神屋」で静岡おでんを食べた時、牛スジの串があって、これが結構おいしかった。それを真似したんですな。 関東に住んでいた時、おでんに牛スジなんて入ってなかったもんなあ。 で、牛スジを入れてみたところ、これがまたね、普段のおでんの出汁にさらに牛スジの風味がプラスされて複雑になり、なかなか美味しかった。今後、我が家のおでんの定番の具になりそうです。 まあ、それにしても、おでんが美味しいなんて言っているのだから、さすがの猛暑の夏も過去のものとなり、秋になったということですなあ。この分だと、鍋物が夕食に登場するのも、そんなに遠くないのかな。
October 11, 2024
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山田稔先生から、先生のご近著『もういいか』(編集工房ノア)をご恵投いただきました~。 このブログにも書きましたが、最近山田稔先生の『特別な一日』(平凡社ライブラリー)を読了したばかりで、そのエッセイとも小説ともつかぬ唯一無二の文体で書かれたこの名著を堪能したばかりだったこともあり、『もういいか』の方もいただいたその場で読み始めました。まだ半分くらいですが、非常に面白く読んでおります。 で、この本の中に、山田先生がかつて京大時代の同僚であった生田耕作さんの思い出を綴っていらっしゃるところがあり、その直後に、坪内祐三さんについての思い出を書かれているところがある。 実はワタクシ、生田耕作さんと坪内祐三さんと山田稔先生と私自身にまつわるエピソードが一つ、ありまして。もう、矢も楯もたまらず、山田先生にお礼かねがね、そのことを綴った長い手紙を書きました。 ま、それは個人的なことだから、それでいいのですが、問題は郵便のこと。 今日、大学に出向く前に郵便局によってこの手紙を投函したところ、郵便料金が爆上がり(110円!)したことにも驚かされましたが、それ以上に驚いたのが配達にかかる日数ね。 郵便局の人から、「これ、速達にしなくていいですか?」と尋ねられたので、「え、なんでそんなこと聞くの?」と思いつつ、「いや、通常郵便でいいです」と答えたのですが、よく聞くと、今日名古屋で投函したこの手紙が、京都の山田先生の手元にとどくまで数日かかり、おそらく、来週火曜日の配達になるだろうから、と。だから、急ぎの手紙だったら、速達にした方がいいですよと。 名古屋・京都間の郵便配達に、木・金・土・日・月・火まで掛かると??!! まあ、今週は連休があるからとはいえ、ちょっと時間かかり過ぎじゃない? ひところ、郵便が届くのが早くなっていた時期があり、速達でなくても翌日届く、といったことがよくあったのに、今は逆にこんなに遅くなってしまったのか? 郵送料は格段に値上げしたのに? いやあ! 日本の郵便システム、大丈夫か? 年々値段は高くなる、その一方でサービスの質は大幅に低下するじゃ、いいところないじゃん! 今、政局の話でやいのやいの言うのはいいけど、こういう庶民の生活に直接かかわるところの議論はしなくていいのかい? なんか、かつて「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われたこの国が、どんどんレベルダウンしているようで、先行き不安になってきますなあ・・・。
October 10, 2024
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レジ―さんが書かれた『ファスト教養』という本を読了しましたので、心覚えを付けておきましょう。 著者名「レジ―」って何だよ? ということはさておき、まあ、いい本ですわ。久々に読んだ「読む価値のある新書」っていう感じ。 ちなみに「ファスト教養」というのはレジ―さんの造語で、昔から日本でもてはやされてきた「教養」というものが、ここ20年~30年ほどの間に意味合いが変わってきた、っちゅー話。 今の日本で言う「教養」とは、「持っていればビジネス上で役立つ可能性が高い教養」の意味で、この教養があれば同僚から頭一つ抜け出すことができる知識を意味する。端的に言えば、ビジネスで成功し、金持ちになるために必要なツールとしての知識を指すんですな。だから、野心ある前向きなビジネスマンは、その分野に興味があるかどうかなどという個人的な理由からではなく、ビジネス上の必要性からこの種のファスト教養を身につけようとする。映画を早回しで観る、なんていうこともその一環で、映画というアートを堪能するためではなく、上司に話を合わせるとか、取引先の人間関係を円滑にするために、その映画の内容を知っているという状況を創り出すために観る。こういう態度が「ファスト教養」のベースにあると。 で本書は、今日のこうした「ファスト教養」ブームについて解説しているのですけれども、この本の何がすごいって、レジ―さんのライターとしての腕。2000年代以降の日本のビジネス・シーンを侵食してきた「ファスト教養ブーム」の萌芽から現状まで、立役者の紹介からそのブームが引き起こしている病理の描写まで、無駄なく不足なく、適切なタイミングで適切な例を引き乍ら、見事なまでに活写している。 たとえば小泉政権、小池都政、安倍政権など、自助努力を基本とする政治的な流れがある中、ITバブルによって、ホリエモンなど、従来の社会システム、旧来の会社概念を覆す新しいビジネス形態を打ち出す人たちが登場する過程で、「稼ぐが勝ち」的な概念が生れたという経緯。またそうした新しいビジネス・シーンの中で、負け組になりたくない若者たちが、自身のスキルアップに邁進せざるを得ない状況が出て来たということ。また自己責任という考え方を無条件に信じるようになったことから、自己責任を果たさない社会的弱者を救済するという、公的責任を軽視するような風潮が出て来るという話。 でまたファスト教養がもてはやされるとなると、中田氏やひろゆきや勝間さんなど、それに適応したインフルエンサーが次々と登場してくるのであって、出版界もそれに迎合して、ますますファスト教養一辺倒になっていく。ホリエモンも、デビュー当時は、露悪的ではあれ、根っこのところでは従来の社会システムを刷新しようという大きな志を持っていたはずなのに、今ではファスト教養の伝道者に成り下がってしまった。 AKB48の登場も、芸能界におけるファスト教養ブームの一端として捉えられるのであって、アイドルグループの中で、それぞれのメンバーが、自助努力によってライバルと差を付けようとするのもそうだし、ファンの側も「贔屓のメンバーを出世させるために、自分にできることをする(CDを複数枚買う)」などの自助努力に精を出すことになり、こうしたことによって、一部のファンの行動により、世間的には聞いたこともないようなタレントがオリコン1位を獲得するといったようなことも起こるようになると。 またサッカーのスター選手の自己啓発本もまた、ファスト教養ブームに棹差したものである、なんて指摘も説得力ありましたし、こうしたファスト教養ブームに振り回されるカップルを描いた『花束みたいな恋をした』という映画のことも解説も非常に面白かった。なるほどねえ・・・って感じです。 ・・・とまあ、ホントに今の日本の状況がスッキリ分かる。まるでファスト教養の枠内の話になっちゃうようですけど、実に「この本一冊読めば、この時代の日本のことは大概分かる」と言っても過言ではない。 ちょっと前に読んだ三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という売れ筋の本には全然感心しなかったんだけど、レジ―さんのこの本は面白いわ~。 っていうか、レジーさんの『ファスト教養』という本こそ、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問に、完璧に回答しているよね! だってさ、三宅氏のこの問いへの回答は、「本が読めないのは、日本人が働き過ぎているから。そんなに一生懸命働かなければ本も読めるようになるよ」というものだったのだけど、レジ―さんは、もっと深い回答を示している。なぜ本が読めないか、それはファスト教養を身につけるために忙しいから、だもんね。 三宅氏の問題提起とは裏腹に、日本のビジネスマンは、忙しくても本は読んでいるのよ。やたらに。ただその本がファスト教養のための本であるというところが問題なんだと。 この鋭い認識からして、レジ―さんの本は、三宅氏の本を圧倒しています。 ただ・・・ この本の最終章でレジ―さんが提示している、この状況への解毒剤というのは、案外平凡だったかな。 レジ―さんが解毒剤として提示しているのは、「ビジネスのためにファスト教養を身につけるのは、今日、仕方がないことだから、そこには目をつぶろう。ただし、ファスト教養向けの本の中にも松竹梅があって、松の方を読むようにしよう」ということだから。ファスト教養を身につける一方、もう少し本格的な教養も身につけて、クルマの両輪にしようよ、という妥協案。それがレジ―さんの回答。 これをどう評価します? 平凡・・・じゃない? まあ、それ以外に道はないのかもね。だとしたら、平凡な回答が正しい回答ということになる。 ただ、そこまでの記述があまりにも見事だったので、読者としてはもっとすごい回答を期待しちゃうのよ。 あ、そうそう、あともう一つ驚いたのが、レジ―さんがこの回答を引き出すのに補助線として使ったのが、渡部昇一の『知的生活の方法』と、川喜多二郎の『発想法』(要は「KJ法」)だったということ。ほえ~、随分とまた温故知新だこと。 ということで、最終章についてはちょっと、と思うところもなくはなかったけど、そんなことはどうでもいいぐらい、現代日本のある状況を見事に描いているという点で、この本は必読だわ~。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (集英社新書) [ レジー ]
October 9, 2024
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先日、実家から名古屋の自宅に戻る途中、クルマの中でCDを聴き続けていたのですが、たまたま持って行ったビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』と『アビー・ロード』に改めて聴き惚れまして。 ビートルズの曲って、ほとんど全曲いいよね! ポピュラリティーがあって、しかも、どれもアバンギャルドだっていう。 ジョン、ポール、リンゴ、ハリスンの4人の組み合わせって、スゴイよね。 しかも、ビートルズ解散後のそれぞれの活動を見ると、4人のうちの誰もビートルズ時代ほどのものは作れなかったっていう・・・。 だから、この4人がたまたま一つのバンドを組んだということが、いかに奇跡的なことであったかというのがよく分かる。 で、そんなことを考えているうちに、ふと、こんなことを考えた。 「ビートルズの奇跡」を超える20世紀の奇跡って、あるのかな?と。 これとこれ、この人とこの人が組み合わさったために、とんでもないものが創造されたという奇跡で、ビートルズのそれを超えるもの、あります? 「スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがアップル社を設立した」。なるほど。でもこれは2人(ないしロナルド・ウェインを含めて3人)だからなあ。 2人の組み合わせなら、いくらでもあるのよ。「サイモンとガーファンクル」だってそうだし。でも4人の組み合わせとなると、そうはない。 まあ、これは単なる「考えの遊び」だけど、とにかく、ビートルズの4人のメンバーがある時期、一堂に会したということ、この奇跡的な出来事のお陰で、21世紀のある日の午後、ひとりのおっさんが、その恩恵に浴したと。まあ、そういうことでございます。
October 8, 2024
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いやあ、最近、よく眠れるようになりまして・・・。 加齢とともに眠りが浅くなり、入眠サプリ「メラトニン」のお陰で寝付きは良くなったものの、逆に朝4時頃に起きてしまい、そこから眠れなくなることが多発。結局睡眠不足で調子の悪いことがよくあったんですわ。 ところが。 最近、よく眠れるようになったよの~。朝も起こされるまでぐっすり。 なぜそういうことになったか? 実は簡単なことでありまして、夕方以降、コーヒーや紅茶などを飲む習慣をやめたから。 私は子供の頃からコーヒー・紅茶、特に紅茶を愛好しておりまして、寝る前にもよく飲んでいたのよ。「深夜の茶会」などと称して、夜中の12時過ぎに紅茶をしっかり飲んで、それから風呂入って寝る、みたいなことを60年間やってきた。 自分では「カフェインに対して、耐性がある」などと豪語しつつ。 いやあ! 愚かだったねえ・・・。耐性なんか、あるわけないじゃん!!! 一方でカフェインを摂取し、一方で入眠剤のお世話になるなんて、まるでアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなもんじゃん。立往生するのがオチ。 で、ふとそのことに気づいて、このところ、夕方以降のカフェイン摂取をやめてみたら、こんなにもよく眠れるのかと。 そのことに気づくまでに60年掛かったとは! で、最近、コーヒーや紅茶はどうしているかと言いますと、夕方以降に飲むコーヒー・紅茶は全部カフェインレスのものにしたの。 そんなもの、美味しくないだろうと思っていたのは愚か者の想像に過ぎず、最近のカフェインレスは結構、旨いよ! 味も色々あるし。それに紅茶の代わりにルイボス・ティーを飲んでもいい。 っつーことで、夕方以降のカフェイン断ちによって、ちょっと生活が一変したワタクシなのであります。
October 7, 2024
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一時危篤となった母の具合ですが、その後若干持ち直しております。ということで、私も一旦名古屋の自宅に戻りました。 で、今日なんですが、今日は家内の新しい相棒となります、スズキ・スイフトの受け取りに行ってきました。買ったはいいが、いつまでも引き取りに行かないのでは、ディーラーさんも困ってしまうでしょうからね・・・。 で、引き取りついでに早速、家の近所を軽くドライブしてきました。家内の愛車とはいえ、私も興味がありますので、ちょっと運転もさせてもらったりして。 スイフトの美点・・・というかスズキ車の美点の一つは、軽量化技術の高さ。スイフトも1トンを切る重さなんですよね。 だけど、実際に運転してみると、車重が軽いなという感じはあまりしない。軽自動車的な軽々しさというのはまったくありません。むしろ、いい意味での重厚感がある。 乗り心地は、柔らかいというよりは若干堅めかな。ハンドリングも適度な重さがあります。でも、ポロのような腕に来る重さはありません。ポロは曲がり角に来る度に疲労感に襲われますからね。 で、ターボ車だったポロのような、湧き上がるようなパワーはありませんが、パワーが足りないという感じはまったくしない。というのは、やはりマイルドハイブリッドの恩恵かも。 インストパネルのデジタル表示を切り替えると、エンジンパワーとモーターパワーの相互関係が見られるのですが、発進時や加速時にはモーターからのアシストがあり、逆に減速時や下り坂では、バッテリーに充電している。つまりエンジンパワーが足りなくなるシーンでモーターからのアシストがあるため、すごくトルクのあるクルマに乗っているような印象があるんですな。 すごいね、マイルドハイブリッドって。よくできているわ~。 それに今回のクルマには、自動ブレーキなどの安全装置もついているし、追従型のクルコンもついているので、より安全にドライブを楽しむことができそう。早く高速道路でクルコンを試してみたいわ~。 ということで、家内も大喜びの新愛車、なかなか出来のよいヤツなのでした。
October 6, 2024
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2,3年前から使っているタブレット型パソコンの「サーフェス」がぶっ壊れまして・・・。 もともと、あんまり気に入ってはいなかったんですけど、まあ、そこそこ軽いし、持ち運びに便利なので、このところ、実家に持っていく際にはこれを使っていたわけ。 しかし、まだ2,3年しか使ってないのに、もう壊れちゃうのかねえ・・・。 ということで、急遽、持ち運び用のノートパソコンを買い直さなければならなくなったワタクシ。でも、これが案外、難しくてね。 もうサーフェス型の2in1 タイプには懲りたので、普通のノートブックタイプのものを買いたいのですが、定年までは大学の仕事があるので、ウィンドウズ系のものでなければならない。 で、最近ますます目が悪くなったので、サーフェスよりも画面の大きいのがいい。 だけど、普通に使うだけだから、そんな高性能でなくてもいい。 でも、軽い方がいい。出来れば1キロを切りたい。 だけど、レノボは使いたくない。 デルも使いたくない。 NECも使いたくない。 そうなると・・・もう富士通かダイナブックかHPくらいしかないじゃん? あとはデザインの問題なんだけど、うーん、どうかな・・・。 まあ、何でもいいようなもんだけど、安くない買い物だからなあ。 仕方ない、明日あたり、ちょっと量販店に行って、検討してきますかね・・・。
October 6, 2024
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老人向け自己啓発本シリーズで、外山滋比古さんの『老いの練習帳』なる本を読みました。 外山滋比古さんと言えば『思考の整理学』がベストセラーとしてつとに有名ですが、この『老いの練習帳』を出版した時、外山さんは御年95! とはいえ、本書は外山さん95歳の時の書下ろしということではなく、大昔に女性誌に連載した短いエッセイの中から「老いの練習帳」というタイトルに外れないものを厳選して編纂したという代物。 ですから、この本を読んでいると、『練習帳』とは言い条、自己啓発的な側面はあまりなくて、単なる老人の日常茶飯事を描いたエッセイっていう感じです。 たとえば冒頭近くにある「虫」についてのエッセイを見てみると、最初、外山さんのご自宅の庭の木に毛虫がたかる、という話があり、だから定期的に殺虫剤を噴霧器で撒くのだけれども、そうやって虫を退治すると、ちょっと気分がよろしい、ということが書いてある。 で、その話を継ぐように、人間にも虫がいるという話題に飛び、昔は回虫などが珍しくなかったという話から、その他にも「ふさぎの虫」「腹の虫」のようなものもあるよね、となって、そういう心の虫を退治すれば、楽天的になっていいものなんだろうな、と考えているうちに、害虫退治の噴霧器がちょうど空になった、と結ぶ、みたいな。 何コレ? うまいところに話が落ちました、みたいな? まあ、本書に書かれているエッセイって、たいがい、そんな感じですわ。心にうつりゆくよしなしごとを綴った、現代版『徒然草』みたいなものと言えばほめ過ぎでしょうか。 こういうのは、誰が買うんでしょうかね? 外山先生に教わったお茶の水女子大の卒業生とかが、「先生、お元気かな~」みたいな感じで、生存確認のために買ったのかしら。 というわけで、エッセイとして面白くないわけではないけれど、読んだからとてどうなるものでもない、老人日誌みたいな本だったのでした。少なくとも、いわゆる「自己啓発本」の範疇には入りませんな。新書723 老いの練習帳 [ 外山滋比古 ] でも、こういうのを読むと、老人向け自己啓発本というのは、沢山あるけど、実は一冊もない、というのが実情なのかもね。だったら、私がそういうのを書くというのも、あり得るのかもしれません。私だったら、もう少し実のあるものを書けるよ。本当の意味での自己啓発的な奴をね。
October 4, 2024
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母の見舞いの合間に還暦本を相変わらず読んでいます。 で、昨日読んだのは佐藤優さんの『還暦からの人生戦略』という本。【中古】 還暦からの人生戦略 最高の人生に仕上げる”超現実的”ヒント / 佐藤 優 / 青春出版社 [新書]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】 前に佐藤さんの『国家の罠』を読んで面白かったので、これはどうかなと。 しかし・・・。 まあ、常識的なことしか書いてないという点では、前に読んだ『60代にしておきたい17のこと』と大差ないかなあ・・・。 たとえば、還暦というと、定年などで社会的身分が変わることが多く、それに伴って経済力も低下し、精神的に落ち込むのも避けられないけど、そうしたマイナス要素を無くすことは無理だけど、できるだけマイナス要素をミニマムにするよう心掛けてうまく対処しましょう、とか。 昔の友人が、それぞれその道のプロになっているはずだから、昔の友人のネットワークを復活させましょうとか。 パートナーとの関係を見直しましょう、とか。 自分の能力や経験を活かして、再就職にトライすることは是非やるべきだけれども、前職の時より給料が下がるのは覚悟しろ、とか。 あらためて学習するのはいいことで、大学時代の教科書などを読み直すのもお勧めだけど、目的のない学習は続かないよ、とか。あと詐欺まがいのセミナーなんかに行っちゃだめよ、とか。 いずれ必ずやってくる死への覚悟をしないとだめよ、とか。 などなど、当たり前のことばっかり。さすが佐藤優! というような側面は特に見受けられませんでした。 結局、アレだね。還暦を迎えた人たちってのは、こういう、当たり前のことをあらためて聞きたいのかもね。あらためて聞いて、「そうだよな~、そうなんだよな~」って確認できれば、それでいいのかも。それで安心するんだろうね。 ということで、還暦本ってのはこういうもんだ、というのが段々摑めてきました。そういう意味でためにはなったけど、この本をおすすめするほどの熱意は持てませんでしたかね。 ところで、本書によると佐藤優さんは腎臓が悪いようで、人工透析寸前とのこと。そこは気の毒ですなあ。元気そうに見えるけど、そういう爆弾を抱えていらっしゃるのね。お大事にと言っておきましょう。
October 3, 2024
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「還暦からの自己啓発」というテーマでちょっと考えをまとめているところなので、何かの参考になるかと、本田健氏の『60代にしておきたい17のこと』という本を読んでみました。 本田健という人は、素性の知れない人ですが、自己啓発本のコーナーに行くと著書がずらりと並んでいる。この方面の著者としては、まあ、メジャーな人なのではないかと。で、今回読んだ『60代にしておきたい17のこと』にしても、『10代にしておきたい17のこと』『20代にしておきたい17のこと』『30代にしておきたい17のこと』『40代にしておきたい17のこと』『50代にしておきたい17のこと』など、一連のシリーズの一環として出ていて、シリーズ全体だと売り上げ数が数百万部なんだとか。 で、私が読んだ『60代にしておきたい17のこと』ですが・・・ つまらんっ! つまらん、というより、あまりに書いてあることが平凡過ぎて、コメントのしようがないよね。 本書は、「60代になったら、こういうことをしろ」というのが17のテーマごとに並んでいるのですが、たとえば「20代の時にやりたかったけどやれなかったことにトライする」とか、「音信不通になっていた友達に連絡をとってみる」とか、「もう爺さんなんだから」と消極的にならない方がいいとか、「結婚生活を続けるか、解消するか、一度考えてみる」とか、「会社時代の肩書にこだわるのをやめる」とか、「趣味を持つ」とか、「旅に出る」とか、「新しいことを学ぶ」とか、「自分なりの健康法をもつ」とか、「子供の人生に干渉しない」とか、「愛を伝える」とか、そんな程度のことしか書いてない。つまり、世間一般でよく言われるようなことしか書いてないんだもん。 平凡も平凡。この著者ならではのひねった提案とか、そういうのはひとつもない。こんな、誰もが言うようなことをずらずら並べるだけで、本が売れるの? まあ、売れているんでしょうねえ。シリーズ売り上げ数百万部なんだから。 こういうのを読むと、自己啓発本を馬鹿にする人たちの言い分も分かるよな、っていう気がします。と、同時に、こんな程度のことを書いて本がバカ売れするなら、自己啓発本というジャンルって、甘いんだなとも思う。 というわけで、とても「教授のおすすめ!」なんて言えない本でしたけど、この程度の〇〇っぽい本を書くと、売れることは売れるんだ、という勉強にはなりました。 もう、いっそ、定年後はこういう本を山ほど書いて、自己啓発本長者になろうかな・・・。【中古】60代にしておきたい17のこと / 本田健
October 2, 2024
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先日亡くなった福田和也氏の本を一冊も読んだことないなー、と思い、試しに一つ、読んで見るかと思ってテキトーに買ってみた『悪の読書術』という本、ざっと読んでしまいました。これこれ! ↓【中古】 悪の読書術 / 福田 和也 / 講談社 [新書]【宅配便出荷】 で、読んで見たのですが、これがまあ、つまらない本でありまして(獏!) この本のコンセプトは、一言で言えば「社交としての読書」。読書なんて、読者が好きなものを好き勝手に読めばいいわけですが、しかし、いい大人が子供騙しの本の愛読者であることを公表したりすると、それはそれでお里が知れるところがある。つまり、そういうのは「社交としての読書」としては失敗例になるわけですな。 だから、こういう本を読んでいる、または小脇に抱えていたりすると、一目置かれるぞ、的な本を、ケース・バイ・ケースで紹介していく――これが本書の趣旨であるわけ。 えーーー?! それって、本の読み方として、どうなの? って、思いますよね? 実際、本書のレビューを見ると、この点を批判したものがわんさか出てきて、「何を読もうがこっちの勝手だ!」とか、「昭和のおじさんに、こういう本を読んだら知的にみられる、などと言われたくない」的なコメントがずらずら並ぶ。 まあ、そりゃ、そうなりますよね・・・。私もそう思うもん。 というわけで、この本を読んで、何一つ学ぶところがなかったのでした。なーんだ、福田和也なんて、この程度のものか。だったら、恐れるに足らずだなあ・・・。 ところが。 今朝の読売新聞に、島田雅彦氏が福田さんを追悼した文章が掲載されていまして。 それによると、島田さんが福田氏に初めて会ったのは、某文壇バーであったと。その時、島田さんはイタリア人の女性を連れていて、その女性と会話を楽しんでいたのですが、そこに横やりを入れてきたのが福田氏だったんですって。 最初は、冷やかしのような茶々を入れてきたのですが、そのうちヒートアップしてきて、ピーナツを頻りに投げつけてくる。まあ、酔っ払いが絡んできたようなもんですわ。 でも、そんなきっかけで島田氏は福田氏と懇意になり、その後、対談やらなにやらで一緒の仕事を何度もするようになった。 で、島田氏曰く、福田氏は、そうやって自分の興味のある人に対し、半ば喧嘩を仕掛けているかのようなちょっかいを出しては、関係を結び、その後、その関係を育てていくような感じで人とつながる術に長けていたと。 そうした福田氏のつきあい術を称して、島田氏曰く、「福田氏の場合、社交と批評は表裏一体をなしていた」と。 ふうむ、「社交と批評が一緒」か・・・。 そんな島田氏の福田氏評を読んで、福田氏のいわゆる「社交としての読書」というものを再考してみると、読書とは社交の土台を成すもの、という考え方が福田氏にはあったのかもね。そういう風に考えると、この本は、福田氏自身の読書観を示したものであって、他人にこういう読書の仕方を勧める、という体のものではなかったのでありましょう。 というわけで、島田氏の追悼文をタイムリーに読んだことで、私の福田和也観も少しだけ修正されたところがあります。 でも・・・、まあ・・・、どっちにしてもあんまり私にとっては参考にならない本ではあったかな。
October 1, 2024
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