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アップルが iPad を発売して「タブレット型コンピュータ」なるメディアに新風を巻き起こそうとしております。まったく、アップルってのは話題の作り方が上手いですなあ。 で、我々の業界でも、iPad の機能の一つである「電子ブック」に注目が集まっております。先に発売されたアマゾンの「Kindle」もそうですが、欲しい本を瞬時に、しかも安く買えて、そのまま電子媒体上で読むことができるというのは、確かに魅力的ではあります。 だけど、どうなのかしら。iPad も「タブレット」とはいいながら、結構な大きさがあり、重さも600グラム超ですからね。ワタクシのようにベッドに横になりながら本を読む習慣がある人間にとって、果たして愛用できるものなのか・・・? 最初は面白がっていても、結局、紙の本に戻ってしまうのではないか・・・? ま、そんな疑念があるもので、ワタクシは iPad も Kindle も当面見送りでございます。 むしろ今、ワタクシが最も興味をもっているメディアは何かといえば、オリンパスの「ラジオサーバーポケット PJ-10」でーす! これね、基本的にはポータブル・ラジオなんですけど、フラッシュメモリー搭載で、ラジオ番組を予約録音が出来るわけ。最大20番組、135時間録音できるというのですから、機能的に不足はありません。 例えばこれを使って「FMエアチェック」(懐かしい言葉!)が出来るわけですよ。ワタクシだったら、そうですね、いつも聞き逃してばかりいる土曜日午後5時からの「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー アヴァンティ」なんて番組を予約録音し、時間のある時に聴くこともできます。あとNHKの語学番組だって、一週間を通して録音し、暇な時にざっと聴き通すこともできるでしょう。ね? なんだか楽しそうじゃないですか! ラジオという最も歴史の古い電波メディアに新たな光を当てられそうです。 しかもね、このPJ-10、アンテナステーションってのが付属していて、これにドッキングさせると受信感度が上がるんですって。これなら、我が家のようなマンションでも、いい音で録音できそう。 で、さらに、ですよ。さ・ら・に、これ、ICレコーダーとしても使えるし、MP3形式の音楽メディアも再生できる! あーん、欲しい~! っつーことで、ワタクシの現在の「欲しい欲しい光線」は、iPod でも Kindle でもなく、オリンパスPJ-10に向けられておるのでございます。研究費が余っていたら、買っちゃおうかな!!これこれ! ↓お気に入りのラジオ番組をいつもポケットに♪[オリンパス] ICレコーダー機能付!ラジオサーバー...
January 31, 2010
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前から見たかったミッキー・ロークの『レスラー』を観ました。 ミッキー・ローク。伝説の猫パンチ。『ナインハーフ』などでセクシーな俳優として売った後、例の猫パンチ事件で日本のファンの失笑を買った後、うだつが上がらなかった彼。復活の兆しは『シン・シティ』でもありましたが、今回の『レスラー』では、ちょっと驚くほど味のあるところを見せました。 ストーリーは簡単で、かつて一世を風靡した名プロレスラーが、年齢的には引退の時期を過ぎてなお、土佐回り的なプロレス巡業みたいなところで試合をし続けている、というだけなんですけどね。で、それだけでも侘しいんですが、ハードなレスラーとしての生活を支えてくれる家族がいない、というところがまためちゃくちゃ寂しくて。華やかだった昔の生活の罪の名残なのか、一人娘にも嫌われて、彼は今、一人侘しいやもめ暮らしをしているんですな。思いを寄せるストリッパーがいることはいるのですが、その彼女ともなかなかうまく行くところまではいかないわけ。 で、一時、その娘とも、思いを寄せる女性ともうまくいきそうになるんですが、色々タイミングが悪くて。で、そういうこともあって、やや絶望的になった彼は、もう無理の効かなくなった身体に鞭打って、最後の試合に臨むと。 で、全体的には寂しい映画なんですけど、唯一の救いは彼のレスラー仲間の優しさでありまして、みんなそれぞれ傷を抱えた男たちの優しさというか、それはほんとにいいんだなあ。映画の中で描かれるプロレスの世界も実にリアルで、素晴らしい。 しかし、何と言っても素晴らしいのはミッキー・ロークの老レスラーぶり。これはもう、必見と言っていいのではないでしょうか。まさに目が離せないほどです。 ということで、この映画に対するワタクシの点数は・・・ 82点でーす! 80点越え! 名作ではないかもしれませんが、間違いなく佳作でございます。『レスラー』とミッキー・ローク、教授の熱烈おすすめ! です。
January 30, 2010
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ついにこの訃報を聞く時が来たか、という感じがします。『ライ麦畑でつかまえて』の作者として知られるアメリカの作家、J・D・サリンジャー氏が27日、老衰のために亡くなりました。享年91歳。 毎年、アメリカ文学概説を講じる際、サリンジャーのことに触れる時は「1919年生まれのサリンジャーが亡くなるのは時間の問題で、もし亡くなったらえらい騒ぎになりますから、彼の名前だけは覚えておいて下さいね」と学生たちに言うのですが、それがついに本当になってしまいました。 サリンジャー。まさに我が青春でございます。大学の英文科でアメリカ文学を学んでいた頃、この作家の虜になりましてね。もう頭の中にはサリンジャーとその作品のことしかないという時代が二年くらい続きましたか。鞄の中には用もないのにサリンジャーの『ライ麦畑』を忍ばせ、図書館ではサリンジャー関連の研究書をむさぼり読み、彼こそは世界最高の作家なのだと信じていたという。かつてジョン・レノンを射殺した犯人が、レノンの死体のそばで警察がやって来るのを待っていた間、読んでいたのが『ライ麦畑』だったそうですが、下手すりゃワタクシだってそうなりそうな勢いでしたよ。 が。サリンジャーってのはいわば文学的な「麻疹」でありまして、かかると大変なんですが、ある瞬間、けろっと治るんですな。で、治ってみると、何で自分はこの作家にここまで入れ込んでいたのか自分でも理解できない、というふうになる。そこで人はサリンジャーから卒業するんでしょう。私も大学4年生の時にサリンジャーを卒業してしまって、結局卒論は別な作家で書くこととなりました。 しかし、それはそれ。我が青春の一時期、猛烈な愛情を注いだことは動かし難い事実なのでありまして、その意味でワタクシはまだサリンジャーのことを語り出すと熱いです。もちろん当時のように、彼こそは世界最高の作家だ、なんて思ってもおりませんが、それでも他人に生半可な批判はさせない構えでございまして。ハンナ・アーレントが、他人にハイデッガーの批判をさせなかったようなものでございます。 で、サリンジャーといえば『ライ麦畑でつかまえて』に尽きるわけですが、まあ、その後のサリンジャーの評価はともかくとして、この作品だけはやはり大した作品であると言わざるを得ないでしょう。 ホールデン・コールフィールド(この名前を口にするだけで、ファンはメロメロになるという・・・)という高校生の少年が主人公なんですが、彼は成績不振を理由に通っていた寄宿制の高校を放校になってしまうんですな。成績不振と言っても、本当は頭のいい子なんですが、ちょっと変わった感性の持ち主で、意味も分らず人に言われるまま将来のための勉強なんかできない子なわけですよ。自分の好きなもの、好きなことについては、随分色々考えたりもするのですが。 でまた、決して自身、超俗的であるわけではなく、むしろ自分で自分の俗っぽさに気付いているところもあるのですが、あまり大人びた同級生たちのふるまいなんかを見ると、つい批判したくなって、弱いのに喧嘩を吹っ掛けてしまったりする。それでボコボコにされて自己嫌悪に陥る、なんてことを繰り返しているわけですな。同級生に対してだけでなく、大人の先生方に対してもそうなので、生活感溢れた老先生なんかを見ると、ついホールデンは気の毒になって、そういうバリッとしてないおじいちゃん先生なんかを見ているのが辛くなってしまう。 もっとも、貧乏な先生のしけた生活感を見るのが辛いのは、ホールデンが金持ちの家の坊っちゃんだからこそなので、親の力で得たそういう見地に対し、ホールデン自身、自分が嫌らしいと思っているところがある。 つまり、ホールデンは他人の嫌らしいところも嫌だし、自分の嫌らしいところも嫌なんですな。よく批評家の本を読むと「ホールデンは大人の世界の嫌らしさに耐えられない」などと書いてあることが多いのですが、それは違うのであって、ホールデンは他人のことも自分もことも、嫌と言えば嫌なんですよ。それで、他人の嫌なところ、自分の嫌なところが発露しないところはどこか、と考えた時に、「どこか西部の、自分以外に大人の居ない、子供たちしかいないところに行って、子供たちが遊びに夢中になって危ないところに飛び出していかないように見張っている人になろう」というような夢のようなことを思いつく、と。 しかし、もちろんそんな夢のようなシチュエーションの場所は存在しないわけで、しかもホールデンが「無垢な存在」と見なす「幼い子供」も、本当に無垢な存在かどうか、あやふやなところがある。その意味でホールデンの夢は砂上楼閣なんですな。 そしてその砂上楼閣が崩れる時が来る。ホールデンは、結局、逃げ場はないんだということに気づき、あきらめてこのエゴの渦巻く人間社会に弱弱しく戻っていく。それが『ライ麦畑』という小説の顛末でございます。 で、この話の芯はどこにあるかと言いますと・・・ 他の同級生たちと違って、一風変わった感性を持っている繊細な少年・ホールデンの姿、これに読者全員が自己投影できる、というところ。ここだと思います。 つまり、我々一般人は、少なくとも人生のある段階で、誰もが「自分は他人と違って、俗なるものには耐えられない」と思うんですな。全員が全員、「自分は他人とは違う」と思う(思いたがる)。その思いを、ホールデンが代弁した。そういうことなのではないかと。 なぜそう思うかというと、ワタクシ自身がそうだったからです。 でも実際にはそうじゃない。ワタクシもまた他人とそんなに違わないし、違わなくてもいいんだということが分って来る。そしてその時に、ワタクシはサリンジャーを卒業したわけですよ。 だけど、卒業したからといって、当時の自分の気持ちを忘れるわけではない。だから、ワタクシはサリンジャーが分ると思うし、簡単には批判させたくない、と思うんですな。 さて、そんなサリンジャーですが、『ライ麦畑』での成功に追われるように、この路線で作品を書き続けます。しかし、この路線は「大人の階段」を上りませんから、いつか行き詰ることになる。実際、行き詰ったサリンジャーは1965年以降、作品を発表しておりません。もう45年にわたって沈黙したまま。いわばホールデンのまま、凍りついた、と言いましょうか。 噂によると(あくまで噂ですが)、この沈黙の45年の間、彼は何かとんでもない作品を書き続けているのではないかとも言われております。が、ワタクシはこの説にはいささか疑問でありまして、おそらく、彼の死後、論じる価値のあるような作品が死後発表されることはないのではないかと思います。 でも、いいんです。彼は『ライ麦畑』を書いたのですから。この作品が未来永劫読まれ続けるとも思いませんが、この作品がきっかけで文学的麻疹にかかった数多くの人間がまだ生きている、ということだけで十分でございます。 ちなみに、幸いなことにサリンジャーの作品が一番自由に読めるのは世界広しといえども日本だけで、版権の問題から、サリンジャーの初期短編が読めるのは日本語においてのみ(荒地出版というところから出ている短篇集)、という不思議な現象が起こっております。もし、彼の死がきっかけで、もう一度小さなサリンジャー・ブームが起こるならば、『ライ麦畑』や『ナイン・ストーリーズ』だけでなく、そうした初期短編も含め、多くの人に読んでもらいたいと思います。特に、若い人に、ね。ホールデンも、それを願っていることでしょう。 これこれ! ↓
January 29, 2010
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テレビドラマ『特捜最前線』などで活躍した俳優の夏夕介さんが亡くなりました。享年59歳。 「『特捜最前線』で活躍した・・・」というのは、新聞報道などの言い回しですが、世間的にはそうなるのでしょうか。私個人としては、夏夕介と言えばむしろ『愛と誠』(テレビ版)。正確には『純愛山河 愛と誠』と言うそうですが(「純愛山河」って一体・・・)、その主人公・太賀誠役を演じた頃の夏夕介さんの姿が目に焼き付いております。 『愛と誠』の実写版では、当時人気の絶頂にあった西城秀樹と早乙女愛が演じた映画バージョン、あるいは南条弘二と早乙女愛のバージョン、加納竜と早乙女愛のバージョンなどがありますが、これらと比べてもテレビ版の夏夕介・池上季実子ペアが、このドラマには一番ふさわしかったような気が、私にはしています。何せ早乙女愛役を演じた池上季実子は何と言っても人間国宝・八代目坂東三津五郎の孫ですからね。本物の梨園のお嬢さんですわ。それがお嬢さん役をやったのですから、これ以上ふさわしい役柄はなかったでしょう。ちなみに池上さんと私は、通っていた学校が同じ系列だったりして、親近感もあるのですが。 で、その『愛と誠』。ご存知の方も多いと思いますのでストーリーの説明はしませんが、不良の太賀誠が某不良高校に転校してきましてね。その高校の並み居る不良どもをやっつけ、ついでに番長も片づけ、やれやれ、とりあえずこの高校は俺のもんだ、と思ったら「裏番」というのが出てきて、実はさっきやっつけた番長なんか大したことない奴だった、ということが分る。 それならば、ってんで太賀誠君、その「裏番」って奴を熨してしまうんですけど、そうすると今度は「影の番長」っていう、さっきの「裏番」よりもっとおっかない人が出てくるという・・・。ま、簡単に言えばそういう玉ねぎの皮を剥くような話で、当時小学生だった私は「高校っていうところは、おっそろしいところなんだなあ・・・」と思ったことでありましたよ。 で、とにかくそういう戦いに明け暮れる不良の太賀誠君は、早乙女愛というお嬢さんに運命的に慕われていると。「不良とお嬢様」の蠱惑的な組み合わせですな。逆はちっとも面白くないんですけどね。「お金持ちのおぼっちゃまと不良娘」・・・あまりドラマが思いつかない。 それはともかく、そんな不釣り合いかつ運命的なカップルの心情を歌う『愛と誠』のテーマソング、これがまたよくて、しかもこの歌を愛役の池上季実子がたどたどしく歌うところがさらにいい!「愛と誠」夕日を見ている 彼の横顔が怒っているとは限らないのよわたしを見ずに 肩いからせて石ころ蹴ったりしているけれどわたしは貴男に生命をかけてるわたしは貴男に生命をかけてるのだから 二人の間には愛と誠のつながりがあるのあるの この歌、私は今でも時々口ずさむんですけど、不良がね、肩怒らせて、石ころ蹴って、それで格好がついた昭和40時代。思えばいい時代でありました。 で、そんな一匹狼の不良役をやっていた夏夕介さんが、やがて『特捜最前線』で、「一匹狼の不良がそのまま大人になりました」的な二枚目・叶旬一を演じ、これで人気を決定的なものにした、と。そういうことですな。 それにしても、『特捜最前線』での夏夕介さんの「7:3分け」のヘアスタイル。ああいう髪型が似合う昔ながらの二枚目というのは、最近、見ませんなあ。ひょっとして、夏さんは、最後の「7:3分け」二枚目俳優と言っても過言ではないのではないかと。あ、中井貴一がいるか。でも夏夕介さんは、中井さんよりさらに陰影のある二枚目だからなあ。 そう、陰影。どこかこう、不幸な陰の部分を引きずっているような雰囲気。それが俳優・夏夕介の魅力でもありましたね。思えば思うほど、渋い俳優でした。 というわけで、子供の頃の私にめくるめく不良の世界を見せてくれた、そして「7:3分け」の美学を教えてくれた俳優・夏夕介さんの御冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
January 28, 2010
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今日、野暮用で学科の異なる二人の先生とお話する機会がありまして。 このお二人のうち、お一人はドイツ経済がご専門、もうお一人は中国文学がご専門。ということで、それぞれドイツ語、中国語がご堪能です。 で、用が済んだあと、雑談になったのですが、その時に「最近は何でもかんでも英語、英語で、困ったもんだ」という話題が出た、と。 お二人曰く、最近はドイツ経済や中国文学関係の国際学会などでも、発表や討論の大半が英語でなされる、というのですな。だからドイツのことを勉強するのにドイツ語が苦手だ、といった若手研究者が増えてきたり、中国文学のことを論じるのに台湾や韓国の学者で英語に堪能な連中に負ける、などという状況が増えているのだそうで。それから我が国の国立国会図書館の職員でも、ドイツ語やフランス語など、いわゆる「第2外国語」を勉強していないのが増えて、そちら方面の洋書の内容の見当がつかず、分類にも一苦労しているのだとか。ふーん、そういう時代なんですなあ。 逆に、ドイツ人の研究者と話をするのに、向こうが「英語でやるか?」と尋ねてくるので、「いや、英語はよくわからんからドイツ語でやろう」というと、相手がすごく喜ぶのですって。ドイツ人研究者も、英語ができなきゃダメだと言われているんでしょうな。もっとも、ドイツ人が英語を勉強するのは、日本人が英語を勉強するよりよっぽど楽なはずですが。 で、お二人曰く、この状況は「英語帝国主義」と言うべきなのではないかと。 で、ワタクシ、ふと思ったのですが、今評判の『アバター』という映画、あれ、地球人がかの星へ行って最初にやったことは、現地人に英語を教える、ということなんですよね。で、それがうまくいかなくて、現地人がなかなか英語を習得しないものだから、「それじゃあ」ってんで、武力攻撃することにした、という話でしょ。 そういう意味じゃ『アバター』って、英語が話せないと恐ろしい目に逢うよ、っていう、現代社会の現実を反映した映画でもあったんだなあ・・・。 しかし、そんな英語帝国主義に日本は対応しているかというと、そうでもないです。ワタクシも英語の期末試験を採点していて、どうしてこうも学生たちの英語力が落ちているのか、愕然としますからね。今大学生で、まともに「walk」って書ける学生、少ないですよ。半分は「work」とごっちゃにしてますから。今の日本の学生たちの英語力って、そのレベルですからね。中学生と変わらない。いや、それ以下かも。 ま、原因の一つは、日本の英語教育が文法中心から、会話中心に移行したせいでしょう。 ちなみに、ドイツ経済学の先生曰く、ドイツにおける英語教育は会話中心で、文法より先にまずは会話、という形になっているのだそうで。 しかし、それはドイツ語と英語の言語的類似性を踏まえてのことでありまして、例えば日本人が文法の近い韓国語を勉強する時に「まず会話」というのはあり得るけれど、日本人が英語を勉強するのにそれはないだろう、と。やはり日本人が英語を勉強するなら、「まずは文法。会話は苦手で結構。ただ文法のしっかりした基礎があれば、英語圏に留学したり派遣されたときに現地での習得が早い」という方針でやるしかないのではないかと。中国文学の先生もおっしゃってましたが、先生も日本で中国語を勉強していた時は、会話まで流暢にこなせるところまで行かなかったけれど、現地に留学したとき、割とすんなり会話に自信がついたとのこと。それも、しっかりした中国語文法があったからこそなのであってね。 というわけで、畑の違う先生方とのお話の中で、英語教育についていろいろ考えさせられることになった今日のワタクシだったのでありました、とさ。
January 27, 2010
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昨年フォルクスワーゲン社とスズキ自動車が提携した話を聞き、スズキは賢いなあと思っていたら、とうとうフォルクスワーゲン&スズキ連合はGMもトヨタも抜き去って、売上台数世界最大になってしまったとか。 で、今日、通勤途中に信号で止まってふと横を見ると、ついこの間までトヨタのディーラーだったところが、スズキのディーラーに変わっているではありませんか。凄いな、スズキの勢い。大トヨタすら食ってしまうのか?! さて、話は全然変わりますが、最近、美味しいチョコレート・ケーキを見つけましたよ。「ポロ・ショコラ」というのですが。知る人ぞ知る名品だそうですけど、御存じ?これこれ! ↓ ポロショコラ(3個セット)【ポイント2倍】 これね、パッケージとかめちゃくちゃ地味なんですが、そのしっとりとした濃厚な美味しさは格別。原材料なんか見ても、余計な添加物など入っていないですしね。でまた、値段が妙に安い! ネット上で話題というのも頷けます。 下手なブランドもののチョコレート菓子なんかぶっ飛ぶ旨さのポロショコラ、是非一度お試し下さい。教授の熱烈おすすめ!です。
January 26, 2010
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月曜日で今期担当している講義・授業がすべて終わり、あとは試験をするだけ。ということで、今日は帰宅後、恒例に従って授業終了を焼鳥屋で祝うということをやりました。前期末と後期末、年に2回、この渋い焼鳥屋さんに行くわけですな。 で、いつものように適当にお酒を注文し、後は好みに応じて焼鳥だ、つくねだ、レバーだ、ハツだ、なんてものを注文していきます。で、〆はチゲ鍋の小鍋をとって家内と半分ずつ。お腹一杯食べて二人で3500両くらい? 安い楽しみです。 で、いい気分で家に戻ってから、レンタルしておいたアル・パチーノの『セント・オブ・ウーマン』を鑑賞。長年、アカデミー賞から見放されていた彼が、初めて主演男優賞をゲットした作品ですな。 で、この中でアル・パチーノは盲目の退役軍人を演じるのですが、これが迫真でね。目は開いているのに、見えているように見えない。これがすごい。 映画を見たあと、家内と二人で「目が見えない演技」というのを演じてみたのですが、見えていないように演じるというのは難しくて、とてもアル・パチーノの真似は出来ないことが判明。さすが演技派と恐れ入ったのでありました。 しかし、こう言っては politically correct ではないのかもしれませんが、目が見えないことの美しさ、カッコ良さというのはあるような気がしますね。例えば座頭市とかね。あるいは・・・チャップリンの『街の灯』とか? オードリー・ヘップバーンの『暗くなるまで待って』とか? 日本文学で言うと谷崎の『春琴抄』とか? 目が見えないから汚れないとか、目が見えないから他方面の感覚が研ぎ澄まされるとか、そういうことへの一種のあこがれ、というのがあるような気がしますな。 それはともかく、『セント・オブ・ウーマン』、なかなか良い映画でした。特にアル・パチーノが若い女性とタンゴを踊るシーンとか。印象に残りました。 とまあ、そんな感じで、今日は授業終了の開放感を存分に楽しんだのでした、とさ。
January 25, 2010
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そろそろうちの大学も一年の締めくくり、後期の授業の期末試験の季節でございます。というわけで、昨日・今日と自分が担当している講義・演習の試験問題づくりに精を出しておりました。 期末試験というのは、その半期(半年)の間に自分が行った講義やら演習やらの総まとめでありまして、「自分は講義者としてこれこれこういうことを話したのだから、せめて、この程度までは理解していて欲しい」というところを出題するわけです。ですから、本来なら、受講者全員が100点をとるのがスジであり、それゆえ試験問題を作る側としては、全員が100点をとれることを願って出題するべきなのでありましょう。 しかし・・・。 実際にはそうでもないんだなあ。受講者全員に100点をとって欲しいという心持ちでは試験問題を作ってはいない。 というのも、一つには成績をつける上での必要性があります。全員100点では、成績に差がつけられず、一生懸命勉強した学生と、そうでもない学生を区別できません。それでは一生懸命勉強した学生が可哀想だろう、というわけですな。 しかし、まあその~、それだけの理由でもないところがありまして。つまり、ワタクシが意地悪なんでしょうね。受講生に軽々と満点なんかとらせるもんか、という変な意地がある。「ここに落とし穴を仕掛けておいてやれ。3割の学生は引っかかるゾ、うっしっし!」みたいな。 この矛盾! 片や、自分の話したことのすべてが伝わっていて欲しいという願いがあり、片や、そんな簡単に俺の話が分ってたまるもんかという意地があり。 というわけで、こんなヘンテコな矛盾に気付いて我ながら苦笑しつつ、それでもやっぱり、ついつい意地悪な試験問題を作って悪魔の微笑みをしているワタクシなのでありました、とさ。・・・アレ? お尻からヘンな尻尾が生えてきたぞ!
January 24, 2010
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今朝、何となくNHKテレビを見ていたら、昔懐かしい『新日本紀行』のテーマ音楽が流れてくるではありませんか。何かと思ったら、過去に放送した『新日本紀行』を受け、その地が今、どうなっているかを取材した新しい番組なのだとか。 で、たまたま扱っていたのが秋田・男鹿半島のことだったので、つい見てしまいました。男鹿半島は、昨年の秋、学会がらみで訪れて、非常に印象に強く残ってる場所だったもので。 で、番組では今から四十数年前の男鹿の風景を映し出していたのですが、その頃の男鹿は、名産の「はたはた」がまだ山のように獲れたのだそうで、逆に獲れすぎて値段が下がってしまったせいか、地区の男たちは一年のうち大半を出稼ぎに行かなければならなかったのだとか。 ただ、一年のうち暮れの30日から正月2日くらいまで、出稼ぎに行っていた男たちが男鹿に戻って来るんですな。で、その暮れの30日。妻や子供たちが夫・父親の帰りを待ちきれないかのようにバス停まで迎えに出ると、バスから土産物を抱えた男たちが降りてくる。子供らは久しぶりに見る父親の両手にすがりついて甘えるわけですよ。そして帰ってきた父は、さっそく餅つきに杵を振るい、元旦にはその餅を囲んでの楽しい一家団欒がある。ただ、その楽しみはほんのわずかな時間だけで、正月3日にはまた、父親は出稼ぎに戻らなくてはならない。それがわかっているからこその、切ないまでに楽しい正月なわけですよ。 そういった昔の男鹿の人々の暮らしを映し出した白黒の映像なんかを見ますとね、なんかこう、涙が出てきますね。こういうのは、男鹿のみならず、かつては日本のあちこちで見られた光景だったんだろうなーって。四十数年前、日本は、そして地方は貧しかった。貧しかったけれども、そこに人間らしい情の溢れる世界があった、というかね。 で、番組は現在の男鹿の映像も映し出すのですけれど、四十数年前に『新日本紀行』に登場した出稼ぎの親父さんが89歳くらいでまだ御健在で、また昔の映像の中でほんの子供だった息子さんたちが、もう50代・60代のおっさんになっていたという。でも、その息子さんたちは、出稼ぎで自分たちの暮らしを支えてくれた父親のことを今なお尊敬していて、その教えに従って、どんなに仕事が忙しくとも、暮れ・正月だけは秋田の実家に戻り、父親に顔を見せにくるのだとか。 日本は、この四十数年間の間に豊かになったのかも知れないけれど、それと引き換えに、随分貧しくなった部分がありそうですなあ。 というわけで、今日は朝からいいものを見せてもらいました。こういう番組を作らせると、NHKってのは大したもんですな。
January 23, 2010
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昨日、私の授業に遅刻してきた学生が数人おりまして、授業後に話を聞くと、人身事故で電車が遅れてしまったのだとか。遅延証明書も持っておりました。 で、人身事故と聞いて、また飛び込み自殺か何かかと思っていたのですが、今朝の新聞報道によると、91歳と84歳の老夫婦のどちらかが踏切内で転んだか何かして立ち往生し、もう一人が必死で助けようとしたのだけれども、力尽きて二人とも電車にはねられたのだそうで・・・。二人は近くの医院からの帰り道だったとのこと。 はあ・・・。何と申したらよいのか。 いずれも力の弱っている90代・80代の老夫婦が、そんな状態で相手を助け起こして踏切から脱出するなんてできるはずもなし。もし、踏切に備え付けてあるはずの緊急停止ボタンを押すことを思いつきさえすれば、もしかしたらこの悲惨な事故は防げたのかも、と思うと、何とも言えない気持ちになります。 しかし、その年齢のお年寄りが果たして「停止ボタン」のシステムがあることを知っていたかどうか・・・。いや、たとえその存在を知っていたとしても、パニック状態に陥っている時に、それを押すだけの落ち着きが残っているかどうか。これは大いに疑問です。かくいうワタクシだって、そういう気が回らない可能性はあるでしょう。 だったら、もっと別なことを考えなきゃいかんのじゃないの? 一番いいのは、踏切自体をなくすことでしょうけど、まあ、それは状況によって難しいこともありましょう。しかし踏切内をモニターで常時監視し、遮断機が下がっている状態で人間状の物体が踏切内に居た場合、接近しつつある電車に自動的にストップをかけるシステムを作ることは? 現代の技術で、それが出来ないということはないでしょう? 今回のような悲しい事件が年間どのくらいあるかわかりませんが、平均して1年に1遍、2年に1遍でもあるのであれば、それを防ぐために、このシステムを構築するだけの価値はあるのではないかと愚考いたします。っていうか、それは鉄道会社の社会に対して負っている義務なのではないかと。 鉄道会社の皆さん、明日、踏切で立ち往生する老夫婦は、ひょっとしたらあなた自身の親父さん、お袋さんかもしれませんよ。どうか一つ、踏切事故防止の一手を、一刻も早く!!
January 22, 2010
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話題の映画、『アバター』を見てしまいました。 ワタクシ史上、初めての「3D」映画でしたが、映像的にはものすごかったですよ。ははあ、3Dで映画を見るというのはこういうことか、とひたすら納得。迫力のある映像でした。スペクタクルとして、十分にエンターテイメントになっていると思います。 が! 内容的には、まあ、褒められたもんじゃないですなあ。ストーリーにまったくリアリティがない。 そもそも、いくら人間が強欲とはいえ、他の星の平和的な住民を滅ぼすようなことをしてまで、その星の資源を奪おうなんてしないですよ。いくら何でも、このポリティカリー・コレクトな21世紀にそんな人が居るとは思えない。 で、逆にもし居たとしたらですね、もっと効率よく資源を奪うと思います。えらい苦労してアバターを使うくらいだったら、最初からさっさと皆殺しにすりゃいいだけの話なのであって。だから、どっちの方面から言っても、まるでリアリティがない。 その他、ストーリーの細かいところまで、まったく説得力のないことばかり。おまけに、考えてみればこの話、宮崎アニメの『もののけ姫』と『ナウシカ』と『天空の城ラピュタ』を全部足したようなところがあって、日本人には既視感ありあり。 というわけで、内容的には「笑止」のひと言で済ませられる映画ですな。ただ映像の迫力だけの映画。でも映像は面白いので、なーんも考えずに、それだけ楽しめばいいんではないかと思います。 え? 得点? うーん、変則的に「内容64点、映像90点」と言っておきましょうか。 それにしても、シガニー・ウィーバー。彼女は一体どうしたというのでしょうか? 最近、数多くの映画にちょこっとずつ、変なチョイ役で登場しますけど、彼女ほどの女優なんですから、主役で映画作ればいいのに。アメリカには、大物女優はメリル・ストリープしか居ない、ってわけじゃないんだから。
January 21, 2010
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今日、語学の授業が終わって片づけをしていたら、受講していた女子学生の一人がとことこやってきまして。 曰く、以前ワタクシが書いた英語の教則本を買っておいたところ、彼女の妹さん(高校生?)が先に読んで、ものすごく面白いと言っていた、と。で、他に釈迦楽先生が書いた英語の参考書的なものはないか聞いてきてくれと頼まれたのですが、何かありますか? とのこと。 ひゃー、嬉しいこと言ってくれるねえ。君、いい妹さんを持っているじゃありませんか! ま、残念なことに、私が書いた英語の教則本ってのはそれ一冊しかありませんから、「他にはないよ」としか言えなかったのですけど、それでも学外に少なくとも一人、私のファンがいるということが分っただけでも、嬉しいもんですなあ。しかも、彼女の妹さんというのは、私とはまったく関わりがないので、まんざらお世辞というわけでもないでしょうからね。 ただそれだけのことなんですけど、今日はそう言われたことで、一日気分が良かったなあ。単純なもので。 「褒め言葉」ってのは、それだけ、励みになるっつーことですけどね。 ワタクシもなるべく人を褒めることを心がけているつもりですが、自分だって褒められれば嬉しいのだから、今後とも心して人を上手に褒める術を磨いていこうと思うのであります。今日も、いい日だ!
January 20, 2010
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私、食べ物に好き嫌いがあまりなくて、「基本的にどんな食べ物もおいしい」というスタンスなんですけど、それでもやはり多少はあまり箸の進まない食べ物もあります。例えば、高野豆腐。あれは苦手なんだ。なんか、スポンジを食べているような気がするんですよね、食感が。だから、子供の時からほとんど食べたことがないという・・・。 しかし。 この正月、母が作った高野豆腐の煮ものをたまたまちょこっと食べたところ、これが案外嫌ではなくて。で、あれ? 案外食べられるなぁ、なんて思っていたら、その様子を見ていた高野豆腐好きの家内が、「ほーれ、おいしいでしょう」と。 で、今日、今度は家内が高野豆腐の煮ものを作ってくれたんですが、食べてみるとやっぱり食べられる。 ・・・っていうか、むしろ好き? と思ったら急に食欲が湧いてきて、もう山のように食べてしまったという。あらー、これ、おいしいわ。何で今まで嫌いだったのだろう? まあ、子供の時に嫌いだったものが、大人になってから好きになるというのはよくあることで、たとえば私の場合、牡蠣(特にフライ)、鮨(なんか、イメージ的に「法事」が連想されたため)、なんてのがその代表ですが、しかし、この場合「大人になってから」というのは、十代後半とか、せいぜい二十代のことを言うので、四十代になってから新たに好きになる食べ物が現れるとは思わなんだ。 で、早くも「明日も作ってくれ」と家内にリクエスト。惚れたとなったら、待ったなしでございます。高野豆腐、美味しいな!
January 19, 2010
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相変わらず『東京大学のアルバート・アイラー』を熟読ガン見、いや熟読玩味しています。 ・・・関係ないけど、「熟読ガン見」って、誤変換ながら、なかなか味わいがありますね。強いて言えば、「熟読ガン味」ならもっといいかも。 それはさておき、ジャズの歴史を語り、音楽の歴史も語り、それぞれの時代や文化を語り、20世紀文化の最大のタームかも知れない「モダニズム」の意味も明らかにするというこの本、しかもその書き方が抱腹絶倒というか、とにかく面白くて、読み終わるのが惜しいほど「ガン味」しております。 でまた、これを読んでいると、自分のジャズに対する好みもはっきり分かって来るわけ。要するに、私はジャズの中でも特に「モーダル・コーダル」なジャズが好きなんですな。そのことは、当然感覚としては最初から分っているのですが(そりゃ、自分の好みですから)、何でそれが好きなのかという理屈がこの本を読んで目からウロコが落ちるように分った。 そんな経験って、そんなにないですよ。そう思いません? 例えば、「果物の中では白桃が一番好きだ」とか、「背の高い女にどうしても目が行く」とか、そういうことがあったとして、どうしてそうなのか、他人から説明されて納得できた、なんてことがあろうとは思えないじゃないですか。ところが、少なくともジャズに関して、この本は私にそれを納得させたんですから、スゴイもんだ。 で、この知的にエキサイティングな本を読んでいると、それまで読んでいたジャズの本って、一体何だったんだろうと思いますね。もう、質が全然違う。例えば、比較しちゃ悪いですけどジャズ評論家の中山康樹さんが書いたジャズ関連書とかね。中山さんというのは非常に癖のある文意の文章を書く人ですが、少なくとも私はこの人からあまり得るものがなかった、というのが本当のところです。例えば集英社新書の『超ジャズ入門』とか、ご自身では初心者向けに優しく、面白く書いたおつもりのようですが、その妙に高いところから見下ろすような書きぶりからして読者サイドとしてはあまり愉快に読める本ではない。また双葉文庫の『ジャズ名盤を聴け!』にしても、「この本の著者はジャズのことを色々知っているらしい」ということは分るけど、それ以外のことが分らないという趣の本でありまして、それだけに、タイトルにも表れている命令口調が空疎に響くという・・・。 もっとも、そんなことを言いながらも中山さんの本を、かーなり沢山読んでいるワタクシ。これらによってジャズについての知識を得ている部分もあるわけですから、あまり強く批判すると恩を仇で返すことになるかな? ま、私としては「自分はこういうジャズが好きだ」というごく私的な視点からジャズを語る寺島靖国氏の書くジャズ本の方がどちらかと言うと好きですが、これとて、読んで分るのは結局「寺島さんの好み」ですからね。それらを読んでジャズについて理解が深まるかと言うと、特にそんなこともない。その意味では、中山本とどっこいどっこいです。 「著者はジャズのことに詳しいらしい」ことが分る中山本、「著者のジャズの好み」が分る寺島本と比べ、『東京大学のアルバート・アイラー』は、読者である「ワタクシ自身の好み」が分るようになるってんだから、もう本として格が違う。素晴らしいの一語であります。 ところで、私もまた研究者の端くれとしてたまには本も書くわけで、当然、『アイラー』のような本が書きたいなあ、と思うわけですよ。 しかし、私の専門である文学と、『アイラー』が扱う音楽とを比べると、「分析方法の普遍性」という点で、文学の方が難しいのではないかと思わざるを得ないですなあ。 少なくとも音楽では、音を分析して分ることってありますからね。和音とか、コード進行とか、音楽を音に還元して分析することは比較的に容易です。しかし、文学では? 文学を何かに還元して分析することって、出来るのかしら? ま、もちろん昔から、それこそアリストテレスの時代から、そういうことをやった方たちというのはたーくさんいるわけですよ。「物語素」みたいなものを想定し、これに沿って物語の型を分けるとか。「ナラトロジー」って奴ですな。しかし・・・ナラトロジーによる分析は、面白いかもしれないけれど、それは分析自体が面白いので、それによってどうしてこの私は、この小説が好きなのか、それを理解させてくれるかっていうと、うーん、どうなんでしょうか。方法自体が、目的化しちゃっているところがありはしませんかね。 じゃあ、それ以外にどうすれば? わかりまへん。 そこが悩むところですけど、とにかく、そうやって悩ませてくれるだけ、『東京大学のアルバート・アイラー』という本に喚起力があるってことなんですな。 ということで、あらためてこの本、少なくともジャズファンなら、そして知的に書かれた一流のエンターテイメントが読みたいと思っている人であれば、何はともあれ一読すべき本であると断言しておきましょう。
January 18, 2010
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今日も今日とてセンター入試二日目の試験監督業務。しかし、今日は冷えました。昨日も寒かったけど、今日はもっと寒かった・・・。一年の中でもわざわざこんな寒い時期を選んで50万人以上の学生に一斉テストやらせるなんて、狂気の沙汰だね。こんなの、12月の頭くらいにやればいいのに。その頃なら、まだ寒さも耐えられる程度だと思いますけど。文科省も頭が悪いな。 ところで、ま、一般論として、大学受験をしようという高校生って、自分の能力で合格できそうな一番上位の大学を目標校に設定して、そこを目指してしのぎを削っているわけですよね? 親もそれを願っているし、高校の進路相談でも担任とかから「お前なら、この大学受かるぞ」とかハッパをかけられたりして。 しかし、その発想を逆転してですね、自分の能力で合格できそうな大学よりレベルで言って3段階くらい下の大学を目指す、っていう戦略ってないのかしら。最近、そんなことを思うんですよね。 自分の能力で行ける中で、一番いい大学にめでたく合格しても、そこで一頭地抜くって、大変なことだと思うんです。だって、同級生はみんな自分と同じくらい頭がいいんだもの。そこでは頭半分リードするのだって、結構難しいでしょう。その大学に通っているというだけで、いっぱいいっぱいですからね。 しかし、仮に、自分の能力レベルよりも3段階位下の大学に行ったとする。で、そこで猛勉強。すると・・・ 当然、三頭地くらい軽々と抜いてしまう、と。で、教授陣にも「え、うちの大学にこんな出来のいい学生が居たんだ!」って感じで、おぼえもいい。で、その大学が用意しているあらゆる便宜、たとえば「授業料免除」とか、「派遣留学制度」とか、そういうのを軒並み総なめに出来る。 で、学部時代から教授陣にも「ホープ」と見なされ、派遣留学を終えて大学院も終える頃には「生え抜き」として助教に迎えられ、そのまま講師・準教授と出世して、やがては母校の教授の椅子に収まると・・・。 そういう感じで教授職を手に入れるっつー方法もあるんじゃないかな、と。 逆に、自分の能力いっぱいいっぱいで入った大学で頑張ったものの、結局、同級生との競争に敗れて母校の教授職を得られず、仕方なく受験生の時は狙いもしなかった3段階くらい下のレベルの大学の教授になる、というケースがあったとして、先のケースで「生え抜き」でその大学の教授になった場合と比べ、どっちが幸福かと。 ま、人それぞれですが、こういう考え方も大学選びの一つの(トリッキーな)オプションとしてはあり得るのではないかしら。 でも、先ほども言ったように、実際に今、大学受験している高校生諸君は、そして彼らの周囲の人間も、そういう「鶏頭牛後」的オプションがあるなんてこと、考えもしないだろうと思うんですよね。もちろん、「大学の先生になる」というのは一つのたとえとして言っているのですが。 人の行かない道を行きたがる私としては、すぐにそういうオプションのことを考えちゃうのですけど、そんなことを考えもしない大多数の高校生たちが、死ぬような思いで必死に「自分の能力で行ける最高の大学」を目指して昨日・今日とセンター入試を受けている姿を見ると、こんな子供がもう画一的な競争社会に飛び込んでしまって・・・と、可哀想に思えて仕方がないのでありました、とさ。
January 17, 2010
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報道などでも御存じと思いますが、今日はセンター入試の一日目。私も監督に駆り出されて一仕事してきました。 で、センター入試の試験監督、とりわけ「リスニング・テスト」の監督ってのは、非常に厳しいものがありまして。すべての機器がうまく作動し、何事もなく終わればいいのですが、万一不都合が生じると、とんでもないことになるんです。途中でICプレーヤーが故障したら、こう対処する、受験生がトイレに行きたいと行ったら、こう対処する。受験生が鼻血を出したら、こう対処する。受験生が嘔吐したら、こう対処する・・・っていうことを決めた対策マニュアルってのが50ページくらいありまして、これを全部完全にマスターしないとまずいわけ。でも、そんなの覚えきれませんって。 だから、リスニング・テストの30分間は、もう針の筵よ。生きた心地がしない。 ま、それはともかく。 この手の試験監督の楽しみ(そんなものがあるとして)の一つは、休憩時間に他学科の先生方とおしゃべりが出来ること。で、今日はたまたま近くに座っていらした音楽科の先生とお話していたのですが、この方、私に輪をかけてクルマ好きでして。 しかし、話をしているうちに、なんだか段々「あれれ?」となってきたんです。何となれば、その先生と私の乗っているクルマが違いすぎる。 だってその方の車歴はポルシェ、メルセデスCLS、アウディRS6、AMG63・・・みたいな感じですよ。これ、ほとんど1000万円かそれ以上のクルマばっかりじゃん? 「アストン・マーティンの安いの、V8ヴァンテッジだっけ? 試乗したんだけどハンドルがガタガタする。で、ディーラーの人に聞いてみたら、アストンなんてこんなもんですって言われて、やっぱりAMGにしちゃった~」とか、そんな感じ。 同じ大学に勤めていて、同じくらいの給料もらっているはずなのに、何で? やっぱり大学の音楽の先生って、別の収入源があるとしか考えられんなあ。ま、音大出るのもお金がかかるって言いますけど、出れば出たで辻褄が合うようになっとるんですかねえ。 ま、人のことはいいや。 でも、そんな夢のような話でもクルマ好き同士の話ってのは面白いもんで、辛いセンター入試業務の中で、ちょっとだけ楽しいひと時を過ごすことが出来たのでした。
January 16, 2010
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昨夜、レイトショーでマイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を観ました。彼の最後のコンサートとなるはずだったロンドン公演のリハーサル風景を編集した映画です。 私のゼミ生の一人である「ナンシー」(今年度のゼミ生には、何故かそれぞれ英語の愛称があるという・・・)がこの映画のことを絶賛していたもので、私も見に行かなければと思いつつチャンスを逃していたところ、先ごろ実家に帰った時に、あろうことか母から「あれはいいよ~!」と薦められ、やっぱり観るしかないかと思い、ロードショーが復活したのをいいことに、昨夜観に行ったと、まあ、そういうわけでございます。 それにしてもわが母、ワタクシより先にマイケル・ジャクソンの映画を見ていたとは、わが母ながらスゴイですね。負けた・・・。 それはともかく、予想していたのより3倍くらい面白かったです、この映画。 ちなみに私、世代的には完璧にMTV世代であり、つまりはマイケル・ジャクソン世代ではありますが、しかし学生時代からプリンスの熱狂的なファンでありまして、20代の音楽生活の9割をプリンスに捧げてきた、と。結果、マイケル・ジャクソンには通り一遍の関心しか払ってこなかったところがありまして、いかなる意味においても「ファン」と言えるほどではなかった。 その私にして、今回の『THIS IS IT』は、ある種、驚愕というか、瞠目しつつ見通した、という感じで、さすがにマイケル・ジャクソン、タダ者ではなかったという感を強くしましたね。 まず第一に50歳という年齢が信じられないほどのダンス・パフォーマンスね。彼の場合は「群舞」が中心ですから、全米どころか全世界から選りすぐりのダンサー(そのオーディション風景なども映し出される)と一緒に踊るわけですが、もう身体のキレが別物って感じで、沢山で踊っていても実際には彼一人の動きから目が離せなくなるという・・・。それから、歌も上手いんですよね。たとえリハーサルであっても、気分が乗って来るとマイケルはつい気を入れて歌ってしまうんですが、それがバラードであったりすると、ほんとに聴かせるんですよ。リハーサルの共演者たちですら、つい彼の歌に聴き惚れてしまっているのが分かるほど。 それからコンサートを作り上げていく過程で、マイケル・ジャクソンがいかに自分の意見を積極的に主張し、はじめに予定されていたよりもはるかに魅せるショーに仕上げていくか、その手腕のほども良く分かる。何せ子供の頃からステージに立っていた人ですから、どうやってショーを盛り上げるか、熟知しているのでしょうな。しかも自分だけが目立てばいいというのではなく、共演者のそれぞれに華を持たせる場面をちゃんと組み込むことも忘れてない。 で、それらを全部ひっくるめた上での彼のカリスマ性、これがスゴイんです。とにかく、共演者からスタッフから、すべてを自分の魅力で強烈に惹きつけ、一つのショーを作り上げるためにそれぞれから最大限以上の力を引き出す。しかも、それでいて本人はものすごく謙虚で。これが素晴らしい。 例えば、ある演奏が自分の意にそぐわなかった場合、「そうではなく、こうしてくれ」と指示をして、あらためてやり直しをさせるわけですが、その時にも共演者たちをビビらせないように、「怒っているんじゃないよ。愛だよ。L・O・V・E!」って言うんですよね。そんなこと言われたら、誰だって「マイケルのために全力を尽くそう!」って気になるじゃないですか。 私もよく授業中に居眠りしている学生とか、怒鳴りつけたりしますけど、「先生は怒ってるんじゃないよ、愛だよ。L・O・V・E!」なんて、とても言えないもんなあ・・・。ま、実際に怒っているわけだし。 しかし、これほど大掛かりで、かつ素晴らしいものになりそうだったスペクタクルが、マイケル・ジャクソンの突然の死によって結局実現しなかったとは・・・。 いや、それはともかくとして、これほどのカリスマ性と魅力をもった人物が、予想外のことでこの世の人でなくなってしまったとは、何たる損失。彼が亡くなった時もそう思いましたが、この映画を見て、あらためてその損失の大きさを実感しました。 いやいや、マイケルは死んだのではなくて、故郷の星へ飛んで帰って行ったんだ。 ・・・なーんてね、コアなマイケル・ファンはみんなそう思っているのでしょうけど、なんだか私までそんな風に思いたくなりましたよ。 というわけで、マイケルの生き生きとした姿を映した映像としては最後のものとなってしまった『THIS IS IT』、今更ながら、教授の熱烈おすすめ!です。映画館で観られそうもない方はDVDでぜひ。これ見たらね、マイケルが過去にどんなスキャンダルを起こそうと、それはもうみーんなチャラ。とにかくこの魅力的な人物にはもっと長く生きていて欲しかった、と切に切に思えてくるはずですよ。
January 15, 2010
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昨日、大関・千代大海が引退しました。 九州ではその名を知らぬ者がいないとすら言われたツッパリの「龍二」が角界入りし、この世界でもツッパリ通して大関まで一気に駆け上がった千代大海。大関在位65場所(史上1位)ですから、ほとんど11年にわたってこの地位にあり続けたわけで、その意味で「21世紀初頭の名大関」と言っていいでしょう。 千代大海と言えば、機関銃のように回転のいいツッパリ。調子のいい時はそのまままっすぐ相手を土俵の外にはじき出し、電車道のいい相撲を取ったものでした。またこの大関の代名詞ともなった「引き足」の速さ。ツッパリで相手の上体を起こしておいてタイミング良く引き落とし、そのまま相手の反撃が空回りするほどのスピードで一気に引く上手さ。この相撲勘の良さが、彼をして11年間にわたって大関ならしめた第一の要因だったと言えるでしょう。千代大海は相撲の基本である「すり足」の出来ない人で、立ち会いの瞬間からほとんど足の踵が土俵に接しなくなる悪い癖を持っていましたが、あのまるで陸上選手のような足の構え、あれが余人に真似のできない素早い引き足をもたらしたのだとしたら、それはそれで千代大海独自の相撲の型だったと言うべきなのかも知れません。 名大関と言われた人の大半が四つ相撲の型を持っていた人で、千代大海の場合はツッパリ中心の押し相撲だけでこれだけ大関を長く張ったのですから、ある意味スゴイ。何と言っても、押し相撲というのは、年をとって馬力が無くなると一気に衰えるものなのですから。 師匠の九重親方を嘆かせたという稽古嫌いも有名ですが、押し相撲にとっては致命傷となる左ひじの怪我もあり、また11年間にわたる大関生活の中で積年の故障もあったでしょうから、本人としては、稽古をしたくても出来ないというところもあったのではないかと思います。その辺は、本人にしか分らないところでありまして。 ここ数年は「不甲斐ない大関陣」の代表のように言われてきた千代大海ですが、それでもここ一発にかける彼の気迫相撲がもう見られないのかと思うと、相撲ファンとしては寂しい気がします。しかし、記者会見の時に見せた千代大海の穏やかな優しい顔を見たら、ああ、もうこの人は戦いの場にいることに疲れていたんだなと感じました。若い時は九州を震え上がらせるほどの不良ではあったものの、実は母親思いの心の優しい男でしたから、土俵上のあの仁王様のような表情も、無理に気力を振り絞って作っていた偽りの仮面だったのかも知れません。そうだとしたら、この辺で「お疲れさん」と言ってあげた方がいいのでしょう。 今後は親方として、相撲界の土台を支えることになると思いますが、何と言っても彼はまだ33歳ですから、稽古場ではまわしをつけて、若い連中に体で相撲を教えるような、そして時には彼らの悩みを親身に聞いてやれるような、若人頭的な親方として当分は頑張ってほしいと思います。 お疲れ様、千代大海関。 しかし、この件で一つ頭に来るのはマスコミですな。先場所、二場所連続で負け越し、大関を陥落した千代大海が、今場所、関脇として十番以上の勝利を狙い、もって大関復活を期したことに対し、一部マスコミが「往生際が悪い」だの「晩節を汚した」だの、散々なことを書いていましたが、こういうマスコミに対しては声を大にして「馬鹿野郎」と言ってやりたい。相撲界に大関復帰に関するルールがある以上、それを利用しようとして何が悪いのか、と。古くは大関・魁傑が、また近くは栃東が二度、関脇陥落から大関復帰を果たしているではないですか。それでなくとも相撲界を支えてきた横綱・大関クラスの人に向かって、「さっさと引退しろ」などと誰が何の資格で言えるのか。相撲に限らず、スポーツ界で活躍する人にとって、いつ引退するかということはその人の人生の最大の決定であるはず。そんな重大事について、赤の他人が軽々しく意見するなどもっての他。私はそう思います。 千代大海関に向かって失礼なことを言ったマスコミども! 釈迦楽の気迫の張り手を喰らえ!
January 14, 2010
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昨夜、NHKの衛星映画劇場でポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967年)をやっていたので、久々に見直してしまいました。 この映画を最初に観たのは、もう正確には覚えていないほど昔のことで、多分私が小学生の高学年とか、せいぜい中学生とか、そのくらいの時だったのではないかと。で、その時、面白かった、という印象が強かったので、もう一度見ちゃおう、という気になったわけですな。 ところが・・・。 やっぱり、子供時代の目線というのは我ながら幼いというか、つたないというか。最初に観た時の印象は、とにかくポール・ニューマン演じるルークという名の囚人が、それこそ不屈の精神で何度失敗しても脱獄を繰り返す、そのガッツに感動! というもので、まあ、そこしか観てなかったと。 しかし、今回改めて見直してみたら、あんまり実のない映画だなと。私の個人的な評価は大下降でございます。 要するに、こう、あざとい感じがするんですよね。1967年っつーと、『卒業』とか『俺たちに明日はない』などが上映された年、そしてもう2年もすると『イージー・ライダー』でしょう? アメリカ文学的にいえば、ケン・キージーが『カッコーの巣の上で』を書いたのが1962年。つまり1960年代ってのは、文学界・映画界では反抗もの/反体制ものがどどっと出てくる時代なわけですよ。だからまあ、「抑圧的な実社会」を「規則の厳しい刑務所」に移し替え、その規則に反抗して何度でも脱獄を試みる一人の囚人をヒーローとして描くなんていうのは、いわば時代の常套句だったところがあるわけですよ。その意味で、テーマ的に新味はない、と。 で、テーマに新味がないのは、私としては別に構わないんです。でも、それなら細部に凝って欲しい。しかし、この映画の場合、そこがいまいちなんだなあ。 という意味はですね、雑に作ってある、ということではなく、逆に作り手の意図がちょっと見えすぎだ、ということなんですけどね。例えば抑圧的な刑務所を象徴する人物として「サングラスの男」を用意し、彼が最終的にルークを射殺するところとか。その上で、彼のサングラスが最後に壊されるところを映して、体制に対するささやかな反撃を演出するところとか。なんか、こう、あまりにも陳腐過ぎる。 それからルークという男の造形が実に曖昧。戦争のヒーローであった彼がなぜ「酔っぱらってパーキング・メーターを破壊した」などというつまらない罪で刑務所に入らなければならないのか。また刑務所に面会に来た母親との会話で、彼が母親から贔屓されて育った母親っ子であったことは分るとして、その母の死(および、それに対する刑務所側の仕打ち)に反応して最初の脱獄を図るくらいなら、どうして娑婆にいるときからもっとまともな生き方をしなかったのか。その辺の事情がまったく描かれてない。 要するに、ただ「大した罪でもないのに不当に刑務所に入れられ、しかもそこで不当にひどい仕打ちを受ける人物」という設定だけが欲しかったんだな、ということがバレバレなんだなあ。 しかも、ますますルークの人物像を分らなくするのは、映画中に繰り返されるキリスト教的ニュアンスです。「ルーク」という名前からしても「ルカ伝」を偲ばせますが、有名な「卵食い」のシーンで、50個の卵を食べて伸びちゃったルークの姿を、キリストの磔刑図そっくりに演出するところとか、「雷のシーン」や「最後の脱獄のシーン」で彼が神に「old man」と呼びかけるところなど、ルークを「人々に神の子と期待されつつ、その期待を一度裏切り、死んだ後に人々(の心)に蘇って希望の光となる」キリストになぞらえていることが見え過ぎ。その割に、ルークと神の関係についてはまったく描かれていないという・・・。 つまり、ここでも「ルークをキリストのように描く」という意図だけで作られた映画、ということが見え見えなんですよね。 でね、ワタクシ、こういう感じで「製作意図」だけの映画ってまったく評価しないんだなあ。製作意図があるのはいいんですけど、それならそれを裏付けるだけのリアルな設定が欲しい。もしこういう映画を作るのであれば、例えば「ルークはもともとすごく宗教的な男だったのだけど、何か彼の信仰をゆるがせるようなことがあって、それで自暴自棄になって刑務所に入った」とか、そういう事情をちゃんと描いて欲しいわけ。観客を納得させるような筋書きで。 だから、もしこの映画が最初からルークを完全な「愛すべき反社会的人物」として描き、とにかく子供の頃から反抗、反抗。結果、刑務所に入れられても反抗、反抗。で、どんなひどい目にあってもとにかく脱獄を試みる、というような徹底的な反抗的人物として描いてくれたなら、ワタクシはそれで満足したと思うのですが。多分、子供の頃の私は、この映画をそういう映画だと思って見ていたので、「すごく面白い」と思ったのでしょう。しかし、大人になってから見直すと、この映画の製作者たちがこの映画に妙な意味づけをしよう、しようとしているところが見えるようになってしまって、それがどうにも鼻についてしまった、というところなんでしょうな。 で、それだったら、同じタフな脱獄囚を描いた『パピヨン』(1973)の方がいいかな、なんて思ったりして。でも、私が『パピヨン』を見たのも子供の頃だったしなあ。今見たら、ガッカリするかも・・・。見直してみたいような、子供の頃の「面白かった」という印象を壊したくないような。 ま、それはともかく『暴力脱獄』、見直したことによって、逆に私の中では評価を下げてしまったのでした。残念! ちなみに、一応この映画の筋書きを確認しようと思って、「goo映画」を見たんですが、どうもここに書かれている筋書き、随分、実際と違うのではないかと。あれはどなたが編集しているのか、知りませんが、書き直した方がいいのではないかと言っておきましょう。
January 13, 2010
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今日は勤務先大学の卒論提出日。ま、理系の学生はもう少し後なんですけどね。 で、私のゼミでも今日提出、というのが二人いましたので若干心配したのですけど、事務に問い合わせたところ、科に所属する学生全員が無事提出したことが分り、ホッとしました。この先、口頭試問と評価があるので、私にとってはまだ卒論関連の仕事が完全に終わったわけではありませんが、それでも山場を越えたのは事実。肩の荷が下りました。 さ・て・と。少し暇になったので、後3週間で論文一本書くかな(爆!)。紀要の締め切りが今月末なんだった。 ま、それは無理かもしれないけど、今までゼミ生のために十分すぎるほどの時間をかけてきたので、少しくらいは自分のために時間を使わないとね。とりあえず、見ようかどうしようか迷っているうちに上映が終わってしまったマイケル・ジャクソンの『This is it』でも観に行こうかしら。この映画、最近復活上映してると聞きましたので。 ま、とにかく一つの仕事が終わって、次は何をしようか、なんて考えている時間が一番リラックス出来ますね。二、三日は、この感じを味わおうと思っているワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ。
January 12, 2010
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私はロンブーの淳という人を高く買っておりまして、頭のいい人だなあと思います。司会なんかさせても実に上手にさばくし、メインも出来ればサブもできる。それでいて人畜無害な感じはなくて、まだまだプレイボーイ的な色気のあるところもある。面白い立ち位置の人ですな。 で、その彼が誰かさんとお忍びでアリゾナ州のセドナに行ったと聞き、ははーん、さもありなん、と思ったワタクシ。 ま、そこはそれ情報通のワタクシのこと、次のブームはセドナだろうと当たりをつけ、一足先に昨年9月には行っちゃっているもんねー(詳しくは昨年9月22日のブログを見よ!)。わっはっは! この辺の狙い目の付け方のうまさが、ま、ワタクシのワタクシたる所以なわけですけどね。 しかし、それでちょっと思い出しましたが、かれこれ10年ほど前、ロス郊外の閑静な街パサディナを散歩していたら、背の高い日本人が向こうから歩いてきて、誰かと思ったら福山雅治だった、ということがありまして。で、思うにこのあたりの「はずし」のセンスが芸能界なのかな、と。つまり、ロスではなくパサディナ、グランドキャニオンではなくセドナ、というはずし方ですな。 でも、そうやってはずすんだ、と見抜かれるようではまだまだ青い。淳さんよ、この次に本当にお忍びでアメリカに行くなら、まずはこの釈迦楽に御相談あれ。その辺にやたらにいるレベルの低い事情通に「やっぱりそうはずしたね」なんて見透かされないような、本格的なはずし方を教えてあげますわ。 さて、今日のワタクシですが、最後の休日というのに必死で年賀状を書いていたという。えー、いまさら~?! というなかれ。昨日実家から名古屋に戻って分厚い年賀状の束と初対面したばかりで、予想外な人からいただいた年賀状が結構な分量あり、それに返事を書いていたのでございます。もちろん、こういう時の礼儀として、「年賀状ありがとうございました」とか「年賀状、遅れてすみません」なんて言い訳はなし。既に松がとれようが、ワタクシにとってはこれが年賀状だ、という勢いで、堂々と書きましたよ。 とはいいつつ、11日に「あけまして・・・」と書くのも結構、精神的にホネではありましたが。あれはやっぱり、年末の慌ただしい中で書くものですな。 というわけで残務整理に追われた今日のワタクシ。このあたふた感一杯のまま、明日の仕事始めになだれ込みでございます。年明け一発目が1限の授業って、きつっ!!
January 11, 2010
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昨夜、夜中の3時頃までゼミ生の卒論の添削をしていたのですが、これでほぼ全員の卒論添削を終了しました。ひゃー、これで今年度の卒論指導が終わった~! バンザーイ! 結局、今年も年末・年始、この仕事にほとんどの時間を取られてしまいましたが、まあ、卒論指導に関しては私は不満は言いません。これは、私の可愛いゼミ生たちの面倒を見ることであって、私にしかできない仕事だから。親が赤ん坊の面倒を見るのを厭わないのと同じです。たとえそれがどんなに大変でも、ね。 さて、この仕事の片がついたところで、毎年、決まってやることがあります。それは何かと申しますと・・・ 手帳を新しくすることでーす! ガーン! 手帳そのものはもう昨年の11月頃には買ってあるのですが、言うまでもなく、まっさらな手帳というのはそれ自体としては何ら意味をなしません。とりあえず現時点で分かっている先の予定とか、そういう古い手帳に書き込んである情報を新しい手帳に書き写す必要があります。そういう情報を書き込んで初めて、実際に使える手帳となるのであって、ね。 それに、私はいつもDAIGOという手帳会社の製品で「E1301」というタイプの小型・薄型の手帳を愛用しているのですが、これはアドレス帳が別冊になっていないタイプのものなので、必要なアドレスは手帳を替える度に転記しなければならない。この作業が結構面倒臭いので、新年に入って卒論指導を終え、心のゆとりができた時でないとなかなか出来ないわけですよ。 ま、今はケータイの時代でありまして、そんなアドレスはケータイで管理すればいーじゃん、とお思いの方も多いと思いますが、そこはそれ、私も歳の割に古い人間ですから。アドレスが一つも書き込まれてない手帳なんて手帳じゃないやい、という心意気(?)があるんですわ。だから今だに、古い手帳から新しい手帳へ、アドレスの転記をしこしこやっている、と。 でね。ま、これは言わなくてもいいことなんですが、私はまたおそろしく義理堅いところがありまして。もはや必要でなくなったからといって、特定のアドレスを、新しい手帳に書き込まないで済ます、ということができない人間なんですなあ。だから、もう亡くなった大学時代の恩師の住所と電話番号を、今でも新しい手帳に書き写しているという・・・。馬鹿みたいと言えば、そうですが。 ま、いわばお守りみたいなことですかね。恩師のアドレスが手帳に残っているということが、私に何となく安堵感を与えてくれる、と。 というわけで、今日は久しぶりにのんびりした午後、パリパリの新しい手帳に色々書き込みを入れて、実戦配備できる状態にしたワタクシだったのでありました、とさ。ま、これも新年の一つの行事みたいなもんですわ。ごくごく個人的な、ね。 さて、東京の実家で年末・年始を過ごしてきた私ですが、今日、名古屋の自宅に戻ります。3連休の中日ですが、東名下りの渋滞はどうなんでしょうか。サンデードライバーが多いでしょうから、もらい事故に気をつけなければ。では、明日からは再び名古屋発のお気楽日記、お楽しみに~!
January 10, 2010
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やあ、富士五湖から戻って参りました。 今朝はホテルレジーナ河口湖から眺める富士の絶景からスタート。朝食後、ホテルを後にし、まずは河口湖畔にある「カチカチ山ロープウェイ」へ。ここ、例のカチカチ山の伝説のもとになった場所なんですって。寡聞にして知りませんでしたが。 で、ロープウェイの山頂駅から再び富士の絶景を堪能しつつ、カチカチ山伝説を復習したのですけど、この伝説、よくよく考えるとえらく残酷な話ですなあ。タヌキ汁にしようと思って捕まえたタヌキがおばあさんをだまして殺し、逆に「ばあさん汁」を作っておじいさんに食べさせちゃう、ってんでしょう? あらー、人肉食。そういう話だったんですな。 で、これをもとにして小説を書いたのが太宰治でございまして、カチカチ山の中腹にはこの小説の決め台詞「惚れたが、悪いか」が文学碑になっているのだとか。「惚れたが、悪いか」。文豪・太宰、現代のコピーライターも務まりそうですね。 さて、カチカチ山を堪能した後、河口湖から西湖に移動し、西湖のほとりにある「いやしの里 根場(ねんば)」なる集落へ。ここは、昭和41年だったか台風による暴風雨の影響で土砂崩れがあり、一村ほとんど全滅、その後、消えた集落を修復して一種のテーマパークにした、というものなんです。なにせ富士山の周辺はその噴火による軽石で出来たような土地ばっかりですから、地盤が弱いんでしょうな。 それにしても、一村が全滅したというのに、当時はまだテレビも完全には普及していない時代だったゆえ、田舎の村の全滅のニュースなどさほど広くは伝えられなかったのだとか。現在の報道時代に暮らしているとなかなか気がつきませんが、ちょっと前までは田舎のニュースなんてその程度の扱いだったんでしょうね。とすると、悲惨なニュースが闇から闇へ、なんてのも沢山あったのでしょう。話が飛ぶようですが、きっと横溝正史の世界なんかも、そういうところから生まれたのではないでしょうか。 さて、根場を見学した後、今度は半分ほど氷が張った精進湖や、神秘の湖・本栖湖なんかも見つつ、朝霧高原を突っ切る形で南下。途中、白糸の滝を見て、東名・富士インターから東京へ戻ったと、まあ、そんな具合でございます。 それにしても、つくづく思うのは、富士さんってのは姿のいい雄大な山だなあ、ということですね。特に雪を着た富士は美しい! それを堪能できた今回の富士五湖周遊の旅、なかなか良かったです。写真を生きがいにする父、俳句に生きる母に、少しは親孝行できたかな?
January 9, 2010
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私の実家での冬休みも残り少なくなって参りました。ということで、「正月は富士山が見たい」という父の希望で、昨年と同じく、富士五湖をめぐる一泊旅行に行くことに。 で、とりあえず東名を西へ向かい、御殿場インターから138号線を北上して山中湖を目指します。で、もちろんこんな時期に富士五湖へ行こうなんて酔狂な人はいないので、当然道も混まずにスイスイと行けてしまったのですが、山中湖に近づくにつれて気温がガンガン下がっていき、御殿場付近では12度あったのに、山中湖に着いたら3度だったという・・・。車の温度計で3度ということは、おそらく本当は0度くらいだったのでは。ひゃー、凍えちゃうよー! で、まずはお昼を食べようということで、湖畔のレストラン「マ・メゾン」へ。ここ、内装といい、メニューといい、名古屋のマ・メゾンにめちゃくちゃよく似ているけれど、まったく別ものだそうで。でも、どの料理もそれなりにおいしかったです。 食後、湖を一周しつつ、事前に調べていったギャラリーや陶芸窯に寄ったのですが、さすがにこの時期、どこも店を閉めていて、残念無念。でも白鳥の群れる湖畔から壮大な富士山が見え、写真好きの父としては絶好のシャッターチャンスとなって大喜び。 その後、今度は東富士五湖道路で一気に河口湖へ。まずは河口湖美術館に向かいます。 河口湖美術館は富士山の写真のコンクールの入選作がずらりと並んでおり、さすがにこのレベルとなるとアマチュアながら力作で、とても素人が撮れるようなものではありません。でも、入選外の作品の中には父の現在の実力とどっこいどっこいのものもあり、むしろ父はそちらを熱心に見ておりました。また写真の他にも富士山をテーマにした絵や木版画などの展示もあって、それなりに面白かったです。美術館のカフェで飲んだラベンダーのハーブティー(これ、紅茶ベースなので飲みやすい!)、結構おいしかったなあ。 で、そこから少し河口湖を眺めた後、今日の宿である「ホテルレジーナ河口湖」へ。ここ、昨年泊ってすっかり気に入ってしまったんです。なにせ部屋の大きさが51平米もあるので、3人で泊っても楽々なんです。夕食の懐石料理もなかなかのレベルですし、従業員の愛想も非常に良い。 で、もう風呂にも入ってのびのび・・・と言いたいところなんですが、実はまだ卒論指導が終わってなくて、私は仕事を持ってきているんですよね。部屋に情報コンセントがあるというのが、ある意味運の尽きでありまして。 というわけで、これからまだもう一仕事。頑張って終わらせて、明日は明日で旅行を楽しみたいと思います。それでは、また明日!
January 8, 2010
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今日の昼、若葉台というところにあるクチーナ・カフェというところでBLTサンドを食べていたら、目の前の駐車場に20年くらい前の「デイムラー4.0」が置いてありまして。ま、当時としてはかなりでかい車だったのでしょうが、今、こうして見ると決してばかばかしい大きさではなく、隣に止めてあったミニバンと比べると、むしろひっそりと佇んでいる感じ。 でまた、そのボディカラーが、青味がかったグレー、というのか、翡翠ほど緑が強くないけど、ああいう感じの艶っぽいグレーで、これが適度なクロームメッキや角目のヘッドランプなんかと相まってえも言われぬ色っぽさを湛えている。ひゃー、今までデイムラーなんて興味なかったけど、こうして見ると昔のデイムラーはカッコいいねえ。 で、家に帰ってググってみたら、今、このあたりのデイムラーって20~50万円くらいで買えるらしい。もっとも一回乗るごとに故障して、修理代が10倍くらい掛かるのかも知れませんが。 でも、それでもいいから、一度でもあれに乗ってみたいなあ、なんて。 ところで、車を見てそんなことを思う私は、もはや絶滅種に近いのか? と思わせるようなニュースを耳にしました。カー雑誌の雄、『NAVI』がもうすぐ休刊になるのだそうで。あれ~、そうなの? この雑誌、時々買ってそれなりに愛読していたんだけどなあ。となると、もう私なんぞが読むカー雑誌って、『エンジン』と『モーター・マガジン』くらいしかないじゃん。 もう、今や、車に憧れを抱いたり、買えもしないような高級外車の記事を読んで楽しむなんて人間は、ごく少数派になってしまったんですかねえ。みんな、子供店長のところ行ってハイブリッド下さいとかミニバン下さいとか、それだけで済んじゃうのかなあ。 さて、今日も今日とて卒論指導をしながら、空いた時間には『東京大学のアルバート・アイラー』に読みふけっているのですけど、後半の「キーワード編」を読んでいて一つ、感じることがありました。 「キーワード編」は、菊池&大谷さんに加え、ジャズやブルースやダンスなんかに詳しい専門家を呼んで、ゲストトークをしてもらうコーナーがあるんですが、このゲストの中に大学の先生なんかも呼ばれているわけ。 だけど、ざっと読んで思ったのは、大学の先生の方が主題に対する知識や理解の点で、菊池さんたちに対抗できてないな、ということでした。菊池さんたちは、大学の先生ではなく、音楽家でありライターであり、ある意味オタクなんですけど、こういう人たちに大学の先生は敵わないという感じがする。この本はもともと東大での講義録なんですが、東大の教室を圧倒しているのはオタクの非常勤講師たちの方で、現職の、しかも優秀な大学の先生の方ではない、ということですな。 でも、そりゃそうだ、と思うんですわ。大学の先生は忙しすぎて、勉強なんかしていられないですもん。 だから、ここで本末転倒みたいなことが起こっているわけですよ。本職の大学の先生より、オタクの方が大学の先生にふさわしい、というね。 ま、そういうことも含め、私も早く大学なんかやめて、一オタクになりたいなあ、と。そんなせんないことを考えておるのでございます。そう思わせるほど、この本が面白い、ということなんですけどね。
January 7, 2010
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この4月まで実家に下宿していた姪宛てに年賀状が届いていたので、彼女の現在の住所に転送してやろうと思いつつ、見るともなしにその文面を見てしまったのですが、これがまたとんでもなく知性の感じられないものでありまして。就職してからなかなか会えないですが、お忙しいようですね、という前置きの後、「草葉の影からおうえんしています」と書いてあるわけ。 うーん、これが大学を卒業した者の書く年賀状なのか・・・。 大体、「草葉の影」って、字が違っているじゃん? それを言うなら「草葉の陰」だろうに。しかし草葉の陰ってのは、「あの世から」という意味でしょう? これを書いた人物は、自分が書いている言葉の意味が分かっているのだろうか・・・? もちろん、分かって書いているのだとしたら、新年を寿ぐための年賀状にあの世の話をすることの常識はずれぶりが分かってない、ということになるわけですが。 ま、「応援」も漢字で書けない人物なのだから、知識も常識も両方ないのでしょうけどね。 とにかく、若い人ってのは、何にも知らないんだな、と思ったのであります。 ところで、今日、私と両親は高幡不動へお参りに行ってきたのですが、その帰り道、母がカジュアルな服が欲しいというので、ちょいとユニクロに連れて行ったんです。 で、あれだけ沢山服を売っているのだから、母が着てもおかしくないものがあると思うのですが、結局、何一つ買うことができなかったと。 なぜかというと、商品の種類が多すぎるからですな。「ストレッチ」だの「ストレート」だの「スキニー」だの「ブーツカット」だの「テーパード」だの「レギンス」だの、色々ある。生地にしたってジーンズ的なものあり、コットンあり、コーデュロイあり。で、私が母に「どういうのが欲しいの?」と尋ねても、母は「私は普通のが欲しいんだよ」と言うばかり。 で、こりゃ、埒が明かないなと思って、私が適当に種類を選び、「で、ウェストのサイズは?」と尋ねると、「知らない」とのこと。え? 自分のサイズを知らないの? で、仕方がないので店員を捕まえてその場で計らせ、ではこのくらいかというところを試着させてみたら、これがぶかぶかで。「じゃあ、2サイズくらい小さい奴を持ってきてあげるよ」と言うと、既に面倒臭くなっていた母は、「もういいよ」と言って試着室から出てきてしまいます。そして曰く、「私の洋服はユニクロにはないんだ。私はお金の掛かる女なの」ですと。 母ばかりではなく、同じ店内にはユニクロのヒートテック・タイツを買おうとやってきた三人のお年寄りの女性がいらして、「申し訳ございません、もう売り切れでして・・・」と詫びる店員の言葉が聞き取れないらしく、「ああ? わたしゃ小さいのがいいよ」などと言って店員を困らせながら、お友だち同士、「どうも若い人のしゃべり方は早すぎて、何を言っているのかわかりゃーしない」などとかこっておられました。 母の件にせよ、老女たちの件にせよ、ある程度年を取っている方々には、ユニクロで買い物をするということすら、結構難しいのかなと、まあ、そんな風に思ったのでございます。 で、さらに思ったのは、今の日本、若い連中は無知蒙昧だし、年老いた人間には住み難い世の中。となると、ある程度、知識を常識を備え、かつ、現代社会に対応できているのは、中年だけかなと。 今40代半ばの私の世代+10年間の世代、この中年世代こそが唯一、現代日本人としてまともに生きているんだ。今日、私はそんなことを実感したのでした。読者諸賢のお考えや如何に?
January 6, 2010
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実家にいると、何だか時間がゆったり流れているような気がするのはどうしてかしら? ・・・と、いつも思うのですが、ま、これには色々な理由があるでしょう。一つは名古屋の職場から物理的に離れているので、そっち系統のストレスがまったくないということ。しかし、それとは別にもう一つ、「テレビを見ない」ということが挙げられるのではないかと。 名古屋でのマンション暮らしと異なり、実家は二階建てなので、リビングのある一階と自分の部屋がある二階の間には物理的にも心理的にも大きな隔たりがあるんですな。しかも、実家にいる時は、用がなければ、基本、自室にこもって仕事をしたり本を読んだりしていますので、必然的にテレビを見る時間がほとんどない、ということになるわけ。 で、そうやってテレビから隔絶した生活をしていると、なーんかとってもゆったり過ごせるわけですよ。もう世間のことなんかどうでもいいわ~って気がしてきます。ニュースさえもほとんど見ないですから。 テレビを見ないだけでこんなに時間を有意義に過ごせるのですから、テレビって、なんて無駄なものなんだろう、って気がしてきます。要するに、あんなもの、見なきゃ見ないで済むもんなんですよね。 が。ここが私のダメなところで、名古屋に戻れば、結局元のように、あれこれテレビを見てしまう生活に戻っちゃうんですけどね。 ま、もちろんテレビ番組にもいいのが沢山ありますから、見れば見たなりのメリットはありますが、双方比べてみると、テレビなんか見ない方がよほど豊かな生活が送れるような気がするなあ。 とまあ、せめて実家にいる間くらいは、仙人のような、ゆったりとした生活を楽しもうと思っているワタクシなのであります。今日も、いい日だ!
January 5, 2010
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今日は昼間、町田に出て、ルミネの9Fにあるアメリカン・レストラン、「ヴィレッジヴァンガード ダイナー」でハンバーグ・ロコモコを食べたのですけど、さすがかのヴィレヴァンの経営するレストランだけに店内のしつらえも面白く、料理自体も結構いけるものでした。 しかも面白いことが一つあって、私も家内もレストランで出た料理が特別においしかったりすると、オーナーないしはウェイターさん/ウェイトレスさんに一言、「おいしかったですよ」と声をかけるのを常とするのですが、今日、家内が皿を片づけに来たウェイターさんに「とてもおいしかったです」と声をかけたところ、そのウェイターさん、にっこり笑って「ありがとうございます」と言った後、厨房へ向かって大きな声で「おいしかったの一言、いただきました~!」と叫び、厨房からも「ありがとうございまーす!」の合唱が返ってきたという。こういうのはかつてないパターンでしたけど、何だか可笑しかったですね。 さて、それはともかく、ルミネにはダイナーだけでなく、本や雑貨を売る「ヴィレッジヴァンガード」そのものも入っているので、ついでにそこに立ち寄ってあれこれ商品を冷やかしていたのですが、たまたま菊池成孔+大谷能生著『東京大学のアルバート・アイラー』という本が目にとまり、前から買おうかどうしようか迷っていた本だったので、ここで出会ったのも何かの縁と思い、実際に買ってみた、と。 で、どんなもんかと読み始めたら、実に面白いんだ、これが! ま、この本はジャズの歴史を学問的に考察したもので、東京大学での講義録を本にした、というものなんですが、確かに学問的ではあるものの、非常に面白く、かつ分かりやすく書いてある。読み進むにつれて「ふむふむ、なるほど~!」と引き込まれてしまいます。 私もジャズをかじり始めて2、3年。ジャズ関連の本も随分読み、ようやくジャズの何たるかが分かり始めた時期でもある。となると、その、ちょいと色気も出てくるわけでありまして、もうあと2、3年もしてさらに知識と観賞力が上がったら、アメリカ文化関連の授業として「ジャズ入門」的な授業を始めようかなと。で、その授業を2、3年続けて講義録にも厚みが出てきたら、いよいよ釈迦楽流のジャズ本でも出そうかなと。まあ、そんなことを考えていなくもないわけですよ。 何しろ現存するジャズ本の大半は、結局何らかの形の「ベスト・セレクション」なわけですよ。ピアノ・トリオだったらこれを聴け、トランペットだったらこれを聴け、ヴォーカルだったらこれを聴け、いやいや、とりあえずはブルー・ノートを全部聞け、などなど、それぞれの著者が思う「これがベスト」というジャズ・アルバムを素人に向けて薦める。そういう本が多いんですな。あるいは、マイルス・デイヴィスならマイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーならチャーリー・パーカーの伝記的なところを語る本とか。はたまた日本特有のジャズの受容形態である「ジャズ喫茶」の歴史を語るとかね。そういう本が多い。 で、そういう本ももちろん面白くはあるのですが、それ以外にジャズを語る方法はないのかと。より具体的に言えば、大学の授業として、アメリカ文化論の流れの中で、多少はアカデミックにジャズを語るとしたら、どういう形が可能なのか。しかも、ここが重要ですが、単にアカデミックに語るのではなく、それを面白く語るにはどうすればいいのか。そういうことを、最近、私も考えるようになっていたんですな。 で、『東京大学のアルバート・アイラー』という本は、まさにそこをついた本だった、と。アカデミックでありかつ面白い。まさに私が理想とするような本が、既にここにあった、と言いましょうか。著者コンビの一人、菊池成孔さんは私と同年代、大谷能生さんは私より10歳ほど年少ですが、二人とも若くしてこんな本を書けるなんて、大したもんだ。悔しいけど、それは認めざるを得ない。 というわけで、この本、私としては実にエキサイティングに読める本なのでございます。私の2010年の読書はこの本から始まったようなわけですが、そう考えると今年の読書は実に幸先がいい! ま、私が勧めるまでもなく、この本は相当売れた本だそうで、今更感はぬぐえませんが、それでも私としては今日、この本を読み始めたのですから、遅まきながら皆さまにお薦めしておきましょう。『東京大学のアルバート・アイラー』、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓東京大学のアルバート・アイラー(東大ジャズ講義録・歴史編)東京大学のアルバート・アイラー(東大ジャズ講義録・キーワード編)
January 4, 2010
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毎年この時期、小学校の時からの旧友二人と「男三匹の新年会」をやるのですが、今年はそのうちの一人が九州転勤で参加できず。旧友Eと差しで飲む新年会となりました。 ま、三人で飲むと賑やかでいい反面、騒ぎ過ぎて真面目な話ができないところがある。そこへ行くと今日は二人だけだったので、その分じっくり話ができて、その点ではなかなか良かったかな。 ところでEの奴ですが、某大手ゼネコンの横浜支店でトップを張っていたところ、さらに栄転で東京本社に異動となり、奴も偉くなるもんだわい、と思っていたところ、色々話を聞くとこの一年は大変だったそうで。 ま、ゼネコンというところは、案外企業としての体質に古いところがあり、部署の異動というのはあまりないのが普通なんだそうで、それがここへきてその辺の人事システムを少しモダンにしたいというところがあった。で、その流れの中でEの奴も本社栄転となったわけですが、何せこういうことをやること自体、新しい試みなので、異動してきた人材に対して仕事をきちんと引き継いだり、教育をしたりする制度がない。というわけで、新しい部署に配置されたはいいが、なかなかそこでの仕事のノウハウが分からないというのですな。 ということで、新卒採用された当初から本社勤めの20代の若造に、「これ、どうやるの?」と教えを請わなければならない場面が多々出てくると。これは40代半ばの、しかも支店ではトップを張っていた男としてはちょいと屈辱的なところがある。 そういうこともあって、Eにとって昨年は仕事を覚えるための勉強に継ぐ勉強、ストレスに継ぐストレス。かくして体重も4キロ痩せたのだそうで・・・。しかも、年が代わった今年は2年目になるわけですから、1年目のような「勉強中です」の言い訳もできない、と。それが今のEにとって、相当なプレッシャーになっているとのこと。 で、続けて曰く、「あんまりキツイんで、このままじゃ鬱になりそうだ、って嫁さんに言ったらよう、冗談じゃない! あなたは会社へ行くからいいけど、私は舅・姑さんと毎日朝から晩まで一緒にいるのよ! 鬱になるのは私の方よ! っていうんだよね。うちの嫁さんも、ああ見えてキツイからねえ・・・」ですと! ひゃー! 大変だなぁ~。 いやあ、ザ・サラリーマンのEの話を聞いていると、つくづく社会人って大変なんだなあと思いますね。それに比べたら、私らなんかの仕事は半分遊んでいるようなもんだ。とても「社会人」だなんて言えやしない。 ・・・と、Eに言ったら、「そんなこと言ったって、釈迦楽の仕事にはやっぱり相応の苦労があるわけだろう?」と言われたので、「うーん、そうなのかなあ」と言っておきましたけど、実際にはよっぽど楽な人生歩んでるな、って気がします。ほんと、申し訳ねえ~! でも、EはEで、彼の職場とはまったく関係のない私と話をしながら、結構気が晴れるところがあったようで、「今日は良かった。またこうしてたまに会って話をしようよな」なんて言ってました。奴のように無口な男がそんなことを面と向かって言うなんて珍しい。 ま、そんなこんなで、今日は静かに男の話ができて、楽しい一日となったのでした。Eよ、明日からまた仕事、鬱にならない程度に頑張ってくれよ!
January 3, 2010
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初夢ってのは、正月二日に見る夢だと言いますが、正月二日の夢というのは、いつの夢のことなんですかね? 元日の夜寝れば、当然夜の12時を超すわけでして、実質二日になる。そこで見た夢を「二日の夜に見た夢」とみなすのか、それとも「二日の夜=実質三日の午前」に見る夢のことをそうみなすのか・・・。 もし昨日見た夢が初夢ならば、私は夢の中でどこかの予備校の新人講師として、高校生に国語の授業をやっていました。「物語を読むと、当然読者の心にあるイメージなり感慨なりが喚起されるわけだが、その喚起力こそが物語の力、なんだよ!」などと熱く語っていましたけど、さてこの夢、吉なのか凶なのか? それはともかく、今日の私は家内、姉、姪の三人と下北沢散策としゃれこみました。ま、たまには若者の街を歩くのも面白いのではないかと。で、まずは北口・ピーコック側から歩き始めたわけですけど、半分くらいのお店はもう開いていて、それなりの賑わいを見せています。 しかし、下北沢というのは、大手企業が入り込んでおらず、ほとんどの店が零細な個人商店であることもあって、面白い店が多いですな。店を経営しているのも、店の客もみんな若い連中ですから、売っている商品の値段も安くて面白いものが多い。古着屋も多いし、オリジナルの服や帽子を売っている店も多いですからね。 で、そんな小さなお店を冷やかしながら歩いているうちに、なかなかカッコいいウールのライダース・ジャケットみたいなのがありましてね。姉に着せてみたら実によく似合う。そこでそれは私からのプレゼントということにしたのですが、値段がまた驚くほど安くてビックリ。また「東洋百貨店」なる面白い店では姪が気に入った帽子が見つかったとのことで、これもプレゼントしてやりました。姪に言わせると、その帽子の店の店員がずばり彼女のタイプだったそうで、そういう意味でも楽しい買い物となりました。 ちなみに家内はやはり東洋百貨店の中の古着屋の店で、1970年代のものと思しきカラフルで面白いデザインのワンピースを見つけ、試着までしてみたものの、背の高い彼女には少し丈が足りなかったとのこと。しかし、このワンピース、三越百貨店製で縫製もよく、ボタンも実に凝ったものが使われていて、やはり昔の一流デパートの品は今時の商品とは別物だなあと感心させられることしきり。 で、北口方面を見尽くした後、踏切を渡って本多劇場のある南口方面へ足を向け、途中、何とかというカフェでお茶をしたのですけど、そこで家内が注文した「ホット・アップルパイ」のうまかったこと! 私は普通のチーズケーキを注文し、これはこれでおいしかったのですが、次に行ったときには絶対ホット・アップルパイを注文しようと決意。 ま、そんなこんなで2時間半ほどの散策を堪能。私としては古本屋とかにも寄りたかったのですが、女性陣三人を引き連れて古本屋に沈没するのも気の毒かと思い、今日は断念。でも、姉や姪にプレゼントもできたし、面白い散策となりました。 それにしても下北沢。なかなか面白い街ですなあ。こういう感じの街は名古屋にはないかも。大須がちょっと似ているかもしれませんが、住宅街の只中にぽっかり異次元の面白い空間がある、という点で、寺町の大須とは違います。今まであまり縁のない街でしたけど、今後は、実家にいるときには時々遊びに行きましょうかね。
January 2, 2010
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皆さま、明けましておめでとうございます。本年も本ブログをご贔屓に! さて、元日の釈迦楽家ですが、まずは恒例となりました、除夜の鐘を聞きながらの深夜の初詣から始まりました。 で、家の近くの神社に家族でお参りに行ったのですけど、お参りの後の楽しみはその場で無料でふるまわれる甘酒と、それから今年初の運だめしのおみくじです。 ちなみに昨年のおみくじは末吉で、ちょっとパッとしなかったのですが、今年は中吉と、まずまずのところを引当てました。大吉じゃなかったところが少し残念でしたが、よくよく内容を読んでみたら、まあこれがほとんど大吉同然でして、総論は「いよいよ運盛んに、他所は嵐吹きても自分の所に何事もなく幸い多し」というもの、各論に至っても「願い事:早く叶いて喜びあり」、旅立ち:「いずれに行くも損なし」、病:「信神により平癒す」、待ち人:「さわりなく来る」云々と、ほとんど敵なしでございます。やったね! で、すっかり気分良く床について一夜明け、元旦を迎えた私。まずは家族でお節を堪能した後、家内や姉や姪など「若い者たち」で近くのデパートまで初買いに。私は暖かい厚手のカーディガンを定価の半額でゲットしてこれまたご機嫌。夕刻からは卒論指導も割と順調に進んだし、一年のはじめとしてはなかなか充実した一日となりました。 さて、明日はどうしますか。姉たちと過ごせるのは明日が最後ですので、仕事よりも家族を優先させちゃおうかな。 皆さまのご家庭では、どんな元日でしたでしょうか。私同様、きっと楽しいことの多い一日であったでしょうね!
January 1, 2010
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