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このブログでも何度か紹介したことがありますが、私の友人である有吉さん&あいざわさんご夫妻が八ヶ岳で陶芸とガラス細工の工房を開いておりまして、その「工房 月の手」が最近ホームページを作ったものですから、ご紹介しておきます。これこれ! ↓工房 月の手 どういうわけか、マック系パソコンや iPad では見られないのですが、ウィンドウズ系パソコンなら問題なく見られるのではないでしょうか。陶芸の有吉さん、ガラス細工のあいざわさん共に、抜群のセンスで日々作品を創っていらっしゃるので、興味のある方は是非HPをご覧の上、もし八ヶ岳の方にいらっしゃるなら、工房を覗いてみて下さいな。そして、こんなにステキな作品なんですから、是非買って下さい。わが家でもお二人の作品を愛用していますが、いいですよ〜。 さて、明日二月の第一日曜日は、小学校時代の恩師、山本茂久先生のお墓参りと決めてあるので、今日は某所で秘密の仕事をした後、実家に戻って参りました。先生が亡くなったのは53歳の時、その頃私は18歳でしたが、なんとなんと、先生が亡くなられた年齢に大分近づいてしまいましたなあ。 今、私に死ぬ覚悟というか、準備があるかというと、ないない。現世に未練たらたら。もちろん、当時の先生にだって死ぬ準備なんかなかったでしょうけれども、それにしても当時の先生の人間としての成熟ぶりと、今の私の未成熟ぶりの差たるや、ものすごいものがある。 やっぱり、昔の人というのは、すごいね。 亡くなった時の先生の高みには、まだまだとても追いつかないですけれども、今年もまた先生の墓前に仲間たちと集って、この一年の出来事を先生に報告して参ります。
January 31, 2015
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今朝の新聞に書いてあったのですが、それによると歌舞伎評論家の戸板康二さんが雪の降った日の朝のことを随筆に書いていて、「戸一枚向こうにだれかが息を殺して立っている」ような感じ、と表現したのだそうで。 うーん、いいね、この表現。何とも言えず。私は「詩」を解さない人間ではありますが、この表現の中には「詩」があると感じられます。 子供の頃、マンションではなく一戸建てに住んでいたので、地面が近く、積る雪も間近で見られた。で、雪の朝となると、積もった雪で音が消されるのか、普段なら聞こえるはずの音が聞こえなくなる。それも、単に聞こえないというのではなくて、それこそ「誰かが息を殺している」ような感じの静けさなんですよね。そして、障子がいつもとは違う光り方をする。で、「あれ?」と思って障子を開けると、ガラス窓越しに真っ白な銀世界。その時の子供心の心踊りたるや。 ああいう感動って、大人になるとちょっと少なくなりますなあ。 今日、名古屋では雪は降りませんでしたけど、東京では少しだけ雪が降ったようですね。 私は明日、恩師の墓参りで東京の実家に向うのですけれど、その雪の名残りが、少し残っていたらいいな。
January 30, 2015
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昨日の教授会では、執行部と教授会が対立してなかなか面白い見ものだったのですが、私はちょっと遠慮して高見の見物を決め込んでいたわけ。 で、一夜明けた今日。キャンパスで知り合いの同僚に会ったので、どちらからともなく「昨日は荒れましたね」ってな話になりまして。 するとその同僚曰く、「いやあ、あの場面は釈迦楽さんが登場する場面で、いつマイクを握られるのか楽しみにしていたのに・・・」とのこと。 え、やっぱりそうでした? やっぱりあそこは、教授会名物「釈迦楽劇場」を出す場面だったか?! そんな、皆さんが期待されているのだったら、一発かまして置けばよかったかしら。 閑話休題。 『週刊ポスト』誌の最新号、および明日発売の『週刊読書人』に拙著の書評が掲載されております。先週は北海道新聞に書評が載るなど、このところちょっと調子が上向きってところかな? そういう関係もあるのか、出版ニュース社から「今、書いている本(書きたい本)」というタイトルで記事を書くよう、お誘いが来ました。ここに書いて、興味を示してくれる出版社が現われたら、出版ニュース社が仲介してくれるとのこと。 ふーむ。それはいい話ですな。何を書こうかしら。 ま、実際に今書いている本のことを書けばいいのか。 だけど、それを書いても、興味を示す出版社が現われないことは火を見るより明らかだからなあ。 ホントは、もうちょい軽い本が書きたいんですけどね。私も随分本を読む方なので、ブックガイド的な。 だけど、そこで自虐的に思うのは、私が書くブックガイドって売れるだろうかということ。 断言するけれども売れないな。 知名度がなければ、本って売れないからね。本が売れるには知名度がなきゃだめ。でも知名度を上げるにはが本が売れければだめなのだから、知名度のない人は永遠に本が売れないことになる。 このスパイラルをどうやったら断ち切れるのか? 難しいね・・・。
January 29, 2015
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今日は教授会の日、つまり私にとっては恰好の読書日。ということで、教授会の最前列、雛段に並ぶ偉いさんたちのまん前で、持参した新書を熟読。 読んでいたのは、草森紳一さんの『本が崩れる』という随筆。これ、本好きの間では結構有名な本なのですが、不勉強にして今まで読んでいなかったので。 この随筆、草森さんが風呂場に監禁される話から始まります。草森さんの家は、物書きの仕事に使う膨大な数の本で事実上埋まっているのですが、当然、脱衣所にも本が山をなしてうず高く積まれている。 で、その山をかき分けかき分け風呂場に入ったところで、四方八方から本の山が崩れ、ドアの前に積み上がってしまったと。そしてそれによって、草森さんは風呂場に閉じこめられてしまうんですな。ドアの向こう側に尋常じゃない量の本が崩れているので、ドアがまったく開かなくなってしまった。しかもどうやら草森さんは独身らしく、助けが来る見込みもまったくない。 で、普通なら、ここで相当焦ると思うのですが、草森さんはとりあえず風呂に入ることにしたと。 それで、良い気持で風呂に浸かりながら、マンションのお隣にお住まいの老女がトイレに入った時を狙って、風呂場からドンドン壁を叩けば、こちらの風呂場と隣りのトイレは隣合わせなので、ひょっとしてこちらの苦境に気づいてくれるかしら? などとのんびり考えはじめる。 しかし、やっぱりダメか、などと思い直し、とりあえず手近にあった本を読んでみた。 とか、そんな感じで、妙にのんびりした脱出への足掻きが描かれるわけ。 では、そもそもなんで自分の家にこんなに本があるのか。買うからである。ではなぜ買うのか。物書きだからである。とまあ、そんな感じで、草森さんは本に襲われて監禁されてしまった話を枕に自分と本との腐れ縁を語っていく。 そんな本です。 なんだかのらりくらりとした草森さんの語りに釣られて、引きこまれていくと、風呂場の話だったものが、いつの間にやら秋田旅行の話になっていたりして、妙な具合なんですけど、それが妙に快いという。不思議な随筆です。 それでも、そののらりくらりした話の中で、草森さんが一つの本を書き上げるために、どれだけの資料を集め、どれだけの資料を読みこなしているか、つまり、草森さんの物書きとしての方法論が語られている部分を読むと、これはすごいなと思います。収入の大半を本に費やし、そうした暮らしを何十年も続けながら、その時々に設定してあるテーマを長期的に追い続けるその研究態度は、驚きあきれると共に、研究者たるもの、本来はこうでなければならないなと痛感され、自分などまだまだ甘いなあと反省せざるを得ません。 これ読んだら、草森さんの書かれた本を色々読んでみたいなと思わされますね。 ということで、まだ半分くらいしか読んでないのですけど、この本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】本が崩れる [ 草森紳一 ]価格:950円(税込、送料込)
January 28, 2015
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続けざまにクライム系(?)映画を2本観ました。以下、ネタバレ注意ということで。 まず『RED2』。引退した元CIAエージェントたちの活躍を描くアクションもの。前作の終わりでフランク(ブルース・ウィリス)はサラと結ばれ、その後二人は平穏な生活を楽しんでいた(らしい)のですが、そこへマーヴィン(ジョン・マルコヴィッチ)が登場。その昔フランクとマーヴィンは、新型の核兵器の開発に関わった天才科学者ベイリー博士(アンソニー・ホプキンス)とその兵器を追い、ベイリーはMI6が身柄確保したものの、肝心の兵器が紛失していた。で、その兵器をフランクとマーヴィンが隠し持っている、というようなデマがネット上に流れたもので、二人は各方面から狙われることになってしまったと。 で、追われる立場となったフランク、サラ、マーヴィンは、ベイリー博士をMI6の収監所から連れ出し、彼が隠した兵器を発見しようとするのですが、実はこの一連の事件の背後に、ベイリー博士が立てた周到な計画があった・・・。 ・・・ってな話。 で、私の評点は・・・「58点」。残念! 前作は、元CIAエージェントの老兵たちが、徒党を組んで現役復帰という、まずそのコンセプトが面白かったわけですけれども、それの続編となると、段々『特攻野郎Aチーム』的なマンネリに陥るのでありまして、本作では、フランクたちが事件に巻き込まれる経緯に無理があるというか、こじつけ的で説得力なし。既に定まったキャラは、そのキャラ通りの行動をするので新味はないし、せいぜいサラがフランクたちに伍して活躍するようになったという設定と、新キャラとしてイ・ビョンホンを連れてきた、というあたりが新味ですけれども、その程度じゃ、ちょっとね。 それに本作では、悪者じゃない人まで殺しちゃうシーンが結構ある。例えば、クレムリンとかに侵入して、そこの連中に見つかりそうになると、通報しようとした人を殺しちゃったりする。でも、国の中枢に怪しい人がいたら普通は通報するのであって、その人まで殺しちゃうとなると、ちょっとやりすぎなんじゃないのかと。 ということで、この作品を私はあまり高く評価することができないのでした。 一方、リュック・ベッソン監督の『マラヴィータ』は、結構面白いよ。 NYマフィアのボス、フレッド・ブレイク(ロバート・デ・ニーロ)は、司法取引か何かで他のファミリーを裏切り、その代わり証人保護プログラムでFBIの監視の下、名前を変えて住所を転々としている。で、今はフランスの片田舎に妻と二人の子どもと共に隠れ住み、自らは自伝を執筆中。 で、表向きは「アメリカからやって来た作家の一家」として周辺のフランス人住民の間に溶け込もうとするのですが、そこはそれ、アメリカ人だから、外人だから、ということで、陰口を叩かれたり、子どもが学校でいじめにあったりする。 しかし、何せこの一家はマフィアですから、フレッドはもちろん、妻も娘も息子も、そんな陰口やいじめに黙っているはずがない。妻は陰口を叩いたスーパーマーケットを爆破、娘や息子も、自分たちを軽く見たり、いじめたりした連中をぼっこぼこにする。 この、「フランスにやってきたアメリカ人」というシチュエーションがもたらす二つの文化の軋轢と、「つい、マフィアの癖が出て・・・」というところがめちゃくちゃ楽しい! しかし、ひょんなことからこの一家の潜伏先がNYのマフィアに漏れてしまうんですな。で、もちろん「裏切り者は一家もろとも消す」のがマフィアの掟ですから、NYから殺し屋軍団が大挙してこのフランスの片田舎にやってきます。 さて、ブレイク一家は、この殺し屋たちの魔の手を逃れられるのか?! ・・・ってなお話。 これはね、私の評点高いです。「78点」あげちゃおう。もう少しで80点だ。リュック・ベッソン作品としても、ロバート・デ・ニーロ登場作としても、久々のヒットじゃないでしょうか。 先ほど、『RED2』について言及した際、説得力のない無駄な殺しのことをあげつらいましたが、それを言ったら『マラヴィータ』の方がもっとひどいところがある。しかし、こちらはそのひどい仕打ち自体がギャグとして機能しているので、全然嫌な感じがしないんですな。で、ゲラゲラと笑って見ていられるのですけれども、しかし最後の方で、殺し屋たちが襲ってくる場面では、意外なほど緊迫感があって、手に汗握るところもある。その辺、「クライムコメディ」としてなかなか良くできているわけですよ。 ということで、期待外れだった『RED2』に比して、期待以上の出来だった『マラヴィータ』。もちろん教授のおすすめ!は、後者です。
January 27, 2015
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昨夜、WOWOWで『ハンナ・アーレント』を観ましたので、心覚えをつけておきましょう。以下、ネタバレ注意ということで。 この映画、先ごろ公開された時、東京では岩波ホールだけで上映されたようですけれど、その時は中高年の観客が押し寄せ、連日満席だったとのこと。近頃珍しく、中高年の、それもどちらかというと文化的なことに強い関心をお持ちの方々に受けたらしいんですな。実際、私の知り合いで、まさにここに分類されるような方が「見て来た」とおっしゃっていたので、WOWOWで上映すると知って、是非観ておこうと思った次第。 で、実際、観てみた。 これは、ユダヤ系の女性哲学者(でいいのかな?)ハンナ・アーレントにまつわる実話なのですが、彼女がナチの迫害を逃れてアメリカに亡命し、NYのニュースクール大学で教鞭をとっていた頃、ナチスの戦犯であるアイヒマンが南米で拘束され、イスラエルで裁かれるというニュースが入ってくる。そこでハンナは、自ら志願して雑誌『ニューヨーカー』の派遣記者としてこの裁判を傍聴し、それを記事に仕立てることになるんですな。 で、ハンナはアメリカからイスラエルに飛び、憎きナチスの戦犯の裁判を観るわけ。 で、彼女は愕然とする。というのは、アイヒマンが想像していたような極悪の悪魔ではなく、小市民的な小役人でしかなかったから。彼が裁判で供述するのは「自分はただ所属するナチスに忠実であろうと思い、上からの命令に従っていただけだ」の一点張り。個人的にユダヤ人に恨みや偏見があったわけでなく、ただ上から命令されたので、大勢のユダヤ人をアウシュヴィッツに確実に送っただけだと。 で、ハンナはこの状況を深く考え、ある結論に達する。 ハンナによれば、ナチスによるユダヤ人大虐殺の背後に、「根源的な悪」があったわけではない。そこにあったのは「悪の平凡さ」であり、その「平凡な悪」とは人間がモノを考えることを止めてしまったところに発生するもので、これこそ二十世紀が経験した最大の悪の形なのだと。 アイヒマン裁判で裁く側にいた人々、つまり、ナチスの被害にあった大勢のユダヤ人の群衆は、アイヒマンを極悪の悪魔として裁こうとし、はじめから彼を悪魔として見ようとしていたけれど、そうではないんだと。アイヒマンは、我々と同じ、平凡な一市民であって、その平凡な一市民が、自らの思考を停止し、このボタンを押せば大勢のユダヤ人が命を失うことになるということに思いを馳せずに、そのボタンを押してしまうこと、これこそが、我々が恐れるべき最大の敵なのだ、と、ハンナ・アーレントは喝破するわけ。 で、彼女はそういう結論に到達し、その趣旨で記事を書くんですな。 ところが、人々は、ユダヤ人の大衆は、そういう記事を望んではいなかった。アイヒマンを極悪人であると告発するような記事が読みたかったんです。しかも、ハンナの書いた記事には、「ユダヤ人のリーダーたちも、ある意味ではナチスの行動を容認した」と読めるような部分もあって、それがなおさら人々の逆鱗に触れてしまった。 結果、ハンナは、記事を読んだ一般大衆はもとより、彼女の勤務先の大学の同僚や、長く一緒にシオニズム運動を戦ってきた同志からも総スカンを食い、家族同様にしていた多くの友を失うことになる。 ・・・という映画。 結局、ハンナは、「言葉というものは、通じないものだ」ということを、甘く見たんですな。論理的に書けば、ちゃんと理解してもらえるだろうと思っていたのだろうけれど、現実はそんなに甘くはなかった。人々は、彼女が書いた記事の言葉尻を捉えて彼女の真意を誤解し、「親ナチの裏切り者」と呼んで絶交した。 本当は、まさにそのことが、ハンナの指摘した「悪の平凡さ」なんですけどね。一般の、否、ハンナの友人たちのような善良な人々でさえ、ハンナのことをいとも簡単に誤解し、おそるべき悪辣さで彼女を除けものにする。それがまさに「平凡な人間が思考停止することで悪を生じさせる」という、その実例なのですが。 ま、この映画は、そんな騒動に巻き込まれてしまったハンナの孤独を描いております。 さて、この映画に対する私の評価点はといいますと・・・ 「70点」かな。残念ながら、映画としては低評価。ハンナを描いたドキュメンタリーとしては、面白くなくもなかったですが。 やっぱりね、これ、実際にあったことの再現ですから。ただのドキュメンタリーで、別に映画化する必要ないよね、って感じ。実際の出来事を映画化する時、こういう地味なテーマだと、限界がありますよ。たとえば『アポロ13』みたいに、実際の出来事であっても、あまりにも劇的なものであれば映画化する意味もありますが、こと『ハンナ・アーレント』にはそういうドラマ性がない。といって、勝手にドラマ性を盛り込んだりすると、今度は事実から逸脱してしまうので、そうも出来ない。その辺が、そもそも、難しいよね。 いずれにせよ、ハンナが被ったことというのは、今で言えば「ブログの炎上」みたいなことであって、他人ごとではない。逆に、今、ブログが炎上するということは、悪の平凡さを我々が今だに理解していないというか、放任しているということで、それはつまり、アウシュヴィッツの悪夢は終わっていない、ということでもある。大げさかもしれないけれど、そういうことじゃないのかなと。 評価は低いけれど、色々考えさせられる映画ではありましたね。
January 26, 2015
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フランク・ミューラー原作の劇画を、劇画タッチそのままに映画化した『シン・シティ』、それの第二作『復讐の女神』を観てきました。昼間観たこともありますが、それにしても観客は私を入れてたったの4人。うーむ、人気ないのかね、このシリーズ。以下、ネタバレ注意ということで。 例によっていくつかの筋が同時並行的に進行するのですが、そのうちの一つが「ポーカー編」。シン・シティを牛耳るロアーク上院議員は、夜な夜な賭けポーカーで大儲けしているのですが、そこへジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じるクールなギャンブラー、ジョニーが参戦し、ロアーク議員から大金を巻き上げてしまう。どうやらこのジョニーはロアークの落し種の一人らしく、金よりも父親をポーカーで叩きのめすことが真の目的だったらしい。しかし、賭けに負けて黙っているロアークであるわけもなく、勝ち逃げしたジョニーを捕まえると、その利き手をつぶし、ボコボコにしてしまうんですな。で、ジョニーはこの一件でさらに対父親への闘志を燃やし、無理やり手を直して再び賭けの舞台に姿を現す。2回目の親子対決、その勝敗の行方は如何に? 一方、「悪女編」では新登場の魔性の女、「エヴァ」が登場。ドワイトの元にかつての恋人で、今は億万長者の妻となっているエヴァがやってきて、助けを求める。事情を聴けば、この億万長者は無敵のボディガード、マヌートを手下にして、その異常性癖でエヴァを苦しめているとのこと。助けを求められたドワイトは、前作にも登場した異形のならず者マーヴの手を借りつつ、億万長者を殺してエヴァを救出するのだが、実はこれがエヴァの策略で、ドワイトに殺人犯の汚名を着せ、自らは億万長者の財産を独り占めにするつもりだったのだ。さて、魔性の女の策略にひっかかったドワイトの運命や如何に? 「復讐の女神編」は、これまた前作に登場し、ロアーク上院議員によって恋人ジョン・ハーティガン(ブルース・ウィリス)を奪われた踊子ナンシーの物語。ロアークへの復讐を誓い、その機会を得ながらも、手を下せなかったふがいない自分に憤っていたナンシー。それがマーヴの手を借りて、いよいよ復讐へと踏み出すことに。シン・シティを牛耳るロアークの本丸に乗りこんだナンシーとマーヴは、果たして復讐を遂げることができるのか? とまあ、こんな感じで3つの話が進むのですけど。で、私のこの映画に対する評価点はと言いますと・・・ 「68点」でーす。残念ながら不合格! 前作は良かったのですけど、今度の奴はイマイチ。 前作の『シン・シティ』は、マーヴ、ジョン、ドワイト(この時はクライヴ・オーウェンが演じた)という三人の男が、惚れた女のために破滅的な戦いに身を投じていくという点で、「愚かな男の美学」が全編に横溢しており、その点で切なくも美しいところがあった。そして彼等が戦う相手も、イライジャ・ウッド演じる変質狂的な殺人者であったり、忌むべきイエロー・バスタードであったり、ベニチオ・デル・トロ演じる邪悪な悪徳警官であったり、悪役も個性的でアクが強かった。 だけど、今回のはロアークにしても只の悪党だし、劇中ずーーーっとおっぱい出しっぱなしのエヴァも、目つきのきつい強欲な悪女というだけで、さして面白くないし、彼等を倒すべき理由にしても、前作にあった美学が欠けていて、ただの勧善懲悪になってしまっている。 ただの勧善懲悪じゃあ、『シン・シティ』の名が泣くんじゃないの? っつーわけで、私は本作には今一つ、乗れなかったのでありました。だから「教授のおすすめ!」は、なーしーよ。
January 25, 2015
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静岡県にある老舗お菓子メーカー、「ヤタロー」が出している「タマゴ生ボーロ」というお菓子をいただいたのですが、これがね、めちゃくちゃ旨いのよ。 残念ながら楽天市場でも扱っていないので、他の方のブログにリンクはっちゃいましょう。これこれ! ↓これが「タマゴ生ボーロ」だ! タマゴ生ボーロといっても、結構大きくて、一口大かな。で、あの「サク・・・ホロ・・・」の卵ボーロとは違って、最初からしっとりもちもちなの。 で、食べると、なんだ、普通の甘パンみたいじゃん、と思うのですけれども、もぐもぐ噛んでいるうちに、じんわりとやさしい甘さの口中に広がって、幸せ感が募ってくる感じ。ちょっとチーズケーキ的な風味もあるし、コーヒーのお供にもいいかも。 「ヤタロー」というメーカー、聞いたことないなあと思っていましたけど、「治一郎バウムクーヘン」なんか出しているところですね。じゃ、結構有名じゃん。 ということで、プチ断食ダイエット中に罪なものを発見してしまいましたけれども、この「タマゴ生ボーロ」、教授の熱烈おすすめ!です。私が買ったのは、イオンの中に入っている、カルディの二番煎じみたいな店だったのですが、全国の大きなイオンだったら買えるのではないでしょうか、多分。
January 24, 2015
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今日は休みだったので、給料日ランチ(給料日は大分過ぎたけど・・・)と洒落込みました。 向かった先は三好市にあるイタリアンの店「ラ・サーラ」。前に一度、夜にここで食べたことがあって、とても美味しかったので、今日はランチでピザでも食べよう、というわけ。 この店のランチは実質二種類、1,000円のビジネス・ランチか、1,500円のコース・ランチ。当然、後者を頼み、メインにピザを頼みます。200円アップしちゃうのだけど、ハーフ&ハーフを頼み、家内と共に4種類の味を楽しもうというわけ。 で、さすがピザ職人選手権で世界4位となったシェフの腕だけあって、出てきたピザは本格的。薄いタイプのものですが、そういうのにありがちなパリパリ過ぎるものではなく、ある程度しっとりしたところが残っていて食べやすい。特に今日はシンプルなマルゲリータが美味しくて、トマトソースが新鮮でジューシー。一枚は結構大きいのですが、ペロッと食べてしまいました。しかも、その前に出てきたスープもおいしかったし、前菜も質・量とも上々で、これでこの値段なら、相当お値打ち。 我々は1時過ぎに入店したのですが、その後、1時半過ぎくらいからまだ3組ほど予約客が来て、多分、このお店はお昼だけで2回転しているのではないかと。やっぱり、美味しくて、その割に安いといういい店は、客が放っておかないんだろうなと。 ということで、三好にあるイタリアンの「ラ・サーラ」、教授の熱烈おすすめ!です。 ちなみに、この店の二、三軒隣にあるフレンチの「シェ・モンアミ」がまた隠れた名店でありまして、この辺り、食事をするには最高の土地柄なんですよね。 で、ラ・サーラからの帰り道、やはりすぐ近くにある「パティスリー・グラース」というケーキ屋さんに寄り、ケーキを買って帰ったのですが、このケーキ屋さんが、これまたなかなか捨て置けないクオリティでありまして。 抜群に洗練された、という感じでもなく、かといって田舎臭いというわけでもない。しかし、少なくとも我々が買ったケーキに関しては、どちらも実においしくて、いい感じ。これだけ美味なケーキであれば、積極的に買いに行ってもいいかなと。 というわけで、三好市というのは、愛知県の中でも地味な感じのところで、どこに町の中心があるのかよく分からないようなところではありますが、実は、掘り起こせば隠れた味の名店が沢山あるところなのではないかと。 今後も、さらなる三好グルメ研究を推し進めてみようと決意した、今日このごろなのであります。
January 23, 2015
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恩師の業績をすべてまとめる仕事を進めているのですけど、業績一覧を作るのって、結構骨が折れるものでありましてね。 まあ、難しさの一つは、先生がどういう仕事をなさっていたか、そのこと自体を調べるのが大変、というところ。 しかし、先生が書いた、あるいは翻訳された本にどういうものがあるか、そのリストを作ったとしても、それだけでは全然だめなのよ。実際に、その本を手に取ってみないと、分からないことが沢山ある。 例えば、私の先生が、他の先生が編集された研究書に寄稿しているとするじゃないですか。その場合、普通に考えると、私の先生が寄稿されたのも何らかの論文だろうと、つい勝手に思ってしまう。 ところが、実際にその本を手にとってみると、私の先生が寄稿しているのは、論文ではなくて翻訳だったりするわけ。 だからこの場合、業績の種類としては翻訳提供になるので、「研究業績一覧」ではなく「翻訳業績一覧」の方に分類しなくてはならない。 あるいは、例えば先生が「筑摩世界文学大系」の第71巻と73巻と74巻を担当されている場合、「業績3本」とカウントしてしまいそうです。 しかし、実際に本を手にとってみると、実は71巻と74巻はまったく同じものだったりする。だから、正確には「業績2本」とカウントしなくてはならないわけ。そういうことが実際にあるわけですよ。 結局のところ、他人が作ったリストをあちこちから掻き集めてきたって、本当の業績一覧なんか作れないんですな。 だから、私はもう、先生が係わった本はすべて購入することにしました。現物の本を見れば、これはもう間違いないんですから。ということで、今、私の部屋は、先生が多少なりとも係わった本が山積みよ。その量たるや。 で、そんなことをしながら思うことは、こういうことは先生が生きているうちにしなくちゃダメだったなと。そうすれば、その過程で色々な話が聞けたものを。 ほんと、後悔ばかりの人生でございます。 だからね、自分の恩師がまだ生きている人は、幸せなんですよ。そしてその人が生きているうちに、話を聞いておかなくちゃ。 遅まきながら、恩師の足跡をたどりながら、そんなことを思っているワタクシなのであります。
January 22, 2015
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同僚の「アニキ」ことK教授によると、40歳代は「俺ももう若くない」と思うもので、「若くない」と口にしながらも、実際には20歳代、30歳代の頃の自分を振り返って思い浮かべていると。 それが50歳代も半ばになると、「俺も衰えた・・・」と思い始める。こうなるともはや過去を振り返る気力もなくなって、素直に老いを受け入れる気持ちになるのだそうで。つまり、あきらめがつくらしいんですな。 さて、この一般論を自分に当てはめてみて、今の自分の気分はどうかと言うと、確かに「衰えた」と思うところはある。しかし、それはマイナス方向で思っているのではなく、衰えてきたから、その衰えのペースをどうやって遅くするか、ということを考えるのが楽しくて仕方がない、という感じ。 だから攻撃的なダイエットもしちゃうわけ。断食とか。 やっぱり、「おいしいモノを沢山食べられれば、体型はどうなってもいいや」とは、まだ思えないんだよな~。 で、いいですよ、断食。人間の身体はあまりにも効率がいいので、少ないガソリン(食物)で沢山走れる。だから運動して体重を落とすのは大変なんですよね。だけど、食べなきゃすぐ痩せるもん。私も十日で2キロ。で、やせ始めると、楽しいから、さらに運動とかもして、さらに痩せようとか思っちゃう。ますます攻撃的になるわけよ。 で、一方で断食しながら、というか、一方で断食しているがゆえに、夕食だけはしっかり楽しもうと思う。それで、今まで以上にしっかりとよく噛んで、食べ物の味をじっくり味わいながら、ゆっくり食べるようになりました。これもね、断食を始めた大きな効用かな。 その他、以前はあまり顧みなかった洗顔後の肌の手入れとかも、最近、気にするようになりました。前は石鹸でごしごし洗ってそのままでしたけど、最近は、クリームとか塗るようになりましたからね。これも、せめてゆっくり年を取ろうという攻めの気持ちの顕れでありまして。 ということで、なんだか最近、年を取ることを楽しみつつ、それに抗うことも愉しむという気持ちになりつつある私なのであります。【ジョンマスターオーガニック】E&Aモイスチャライザー&アフターシェーブ(ユーカリ&リュウゼ...価格:2,939円(税込、送料別)
January 21, 2015
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最近、愛車シトロエンの調子が良くないんですわ。 まず温風が出ない。だからめちゃくちゃ寒い! で、寒いなあと思っていると、水温計がどんどん上昇していって、警告音と共に「stop」の文字が! あー、オーバーヒートするぅ! すると、急に温風が吹き出し、水温計が下がり出す。 で、ああ良かった、と思っていると、信号で止まったりしてラジエータに風が当らないと、また水温計がじわじわと上昇し出し・・・ あとはこの繰り返し。 で、この症状をネットで調べると、同じような故障の例が挙がっていて、曰くサーモスタットの故障であると。 ふーむ、5万円コースね。 で、仕方ない、とにかく直そうと思ってディーラーに持っていって調べてもらったら、確かにサーモスタットも壊れているけれども、その他にラジエータも漏れていると。 で、ラジエータの方が先に壊れ、それがサーモスタットの故障を引き起こしたらしいので、サーモスタットだけ替えてもダメですよと。ラジエータも交換しないといけませんと。 はい、10万円コース入りました~。 予想外の修理で10万円コースは痛い! しかも、今、ディーラーの代車が払底しているので、修理に入れるのも家内にクルマを出してもらわないとまずいというね。といっても家内もクルマを使うので、修理どころか、出勤するにも足が無くなってしまった。 あーーーー! もう! 外車はこれがあるからなあ・・・。 考えちゃうなあ。次は、国産を新車で買うか・・・。
January 20, 2015
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ひゃー、昨日はセンター入試監督業務の疲れから寝てしまって、ブログ書くこともできませなんだ~! で、一夜明けたら「お年玉年賀はがき」の当選番号が発表されているじゃあーりませんか! これ、子供の頃から好きだったんだよな~。どれどれ、今年は何本当たったかな? ・・・・・ ない! 一本も当たってない! がーーーん。こんなにあるのに、一本も当たってないのかよっ!! っていうか、今年の当たりくじの商品もしょぼいねえ! 1等当たっても「現金1万円」って・・・。昔は「豪華、家具調カラーテレビ」とか、そんな夢のあるものが1等の商品じゃなかったっけ? 「夢の島ハワイ旅行」とか。それに昔は一番下の「切手シート」だって、当たり番号が3つだったような。 現状では当たらないし、当たってもつまらない。ますます人が年賀状書かなくなるわけだよ。 私が郵便局の偉い人だったら、「年明けジャンボ宝くじつき年賀状」というのを考えるな。 これね、一応年賀はがきの形態をとっているけど、基本、宝くじなの。1枚100円。1等は1億円。 で、これを年賀状として出してもいいの。だけど、出さなくてもいいの。 で、年賀状で出した場合、その年賀状が当たりだったら、宛名の人と差出人が山分け、ということにする。 どう、このアイディア。当選番号発表の日が待ち遠しくなるよ~。 はああ。とにかく、当たってなかったんだよなー。がっくし。
January 19, 2015
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ひゃー、センター入試初日が終りましたー。疲れた~。 なんか、もう、年々しんどくなるわ、この業務。 昔はそんなにうるさいことなくて、監督業務も適当にローテーションで休めたものですけど、最近は事故があっちゃいけないってんで、交代で休憩することも禁止され、もちろん監督中にこっそり本を読むことも禁止され、ひたすら監督に専念しなくちゃいけなくなってしまった。 80分の長丁場とか、何もせずただじっとしているって、キツイよ~! 昔はテキトーにやっててそんなに問題なかったのに、何でこういう締め付けの厳しい世の中になってしまったのだろう? 自分で自分の首を絞めている感じがするなあ。 実際、監督側がやたらに真面目にやるから、受験生も緊張しちゃって、具合が悪くなる奴続出よ。こんなのテキトーに、リラックスして受験させてやりゃーいいのに。受験生も可哀想だ。 さてさて、そうはいってもまだ明日がある。明日もまたキツイ業務になりそうですけど、まあ、事故が起らないことだけ祈って頑張ります。
January 17, 2015
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『ドラッカー自伝』を読んでいるのですが、これ、もともと日経の「私の履歴書」コーナーに連載された記事だったものを拡充したもので、日本オリジナルな本なんですな。もとが聞き書き的なものだから、そういう意味では軽くて読みやすいっちゃー、読みやすい。 で、まだ最初の三分の一くらいしか読んでないのですけど、この時点でも結構面白いエピソードがあります。 ドラッカーの親父さんは、オーストリア政府の高官だったようですけど、そういう生れもあるのか、家族が付き合っている人がすごい。 例えば、ドラッカーが小さい時、レストランで飯を食ってたら、偶然、同じテーブルに知人がいたので、ドラッカーもその人と握手をするんですな。 で、後で親父さんから、「今日、あの人と握手をしたことを忘れるんじゃないよ。あの人はヨーロッパで一番偉い人だから」と。 で、ドラッカーが「偉いって、皇帝より偉い人なの?」と尋ねると、親父さん曰く「皇帝より偉い」と。 その人は、ジグムント・フロイトでした。 みたいな。 あと、こんなエピソードも面白かった。ドラッカー自身がハンブルグ大学に入学するために書いた「パナマ運河の世界貿易における役割」という論文が注目され、オーストリアの経済紙の編集会議に招待されるのですが、そこで彼が出会うのが、後に経済人類学の始祖となるカール・ポランニーで、以後、ポランニー家とは家族ぐるみの付き合いとなるんですな。 で、ある時、ポランニー家のクリスマス・ディナーに招待されるのですが、クリスマスだというのにジャガイモしかない貧弱なディナーであったと。 で、ドラッカーが「お金あるのに、なんでこんな貧しい食事なの?」と尋ねたら、ポランニー家の人たちは仰天して、「自分が稼いだお金を自分たちのために使うなんてあり得ない。ウィーンには食うに困っているハンガリー難民が沢山いるのに!」と答えたとか。 それから、後にドラッカーの妻となるドリスとの再会のエピソードもいいんです。 ナチスが政権を掌握してから、ドラッカーはドイツを脱出してロンドンに居を移すのですけど、ある時、ロンドンのピカデリーサーカス駅の上りエスカレーターに乗っていたら、反対の下りエスカレーターに見覚えのある顔があった。それがドラッカーがフランクフルト大学時代に知り合っていたドリスで、彼女もロンドンに逃げて来ていたんですな。 それで両者ともわーっと手を振って、何とか追いつこうと、ドラッカーは上についてからすぐに下りエスカレーターに乗るのですが、ドリスはドリスで上りエスカレーターでドラッカーに追いつこうとしていたので、また中ほどですれ違ってしまった。で、そのすれ違いを4度ほど繰り返してから、ようやくどちらかが待っていればいいんだと気づき、それで二人はようやく再会できたと。 可愛いね、このエピソード! とまあ、そんな感じで、カラフルなエピソードに満ちたドラッカーの人生、なかなか面白いです。まだ最後まで読んでないけど、一応、おすすめ!しておきましょう。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】知の巨人ドラッカー自伝 [ ピーター・ファーディナンド・...価格:771円(税込、送料込) さてさて、のんびり出来るのも今日まで。明日からはセンター入試の試験監督業務で週末をばっちり潰されます。もうね、それを考えると今からウンザリなんですけど、これが宮仕えというものでね。せいぜい、事故のないよう、監督してきます。
January 16, 2015
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状差しが一杯になってしまって、もうどうにもならないところまで来たので、今日は処分できる手紙は処分しちまおうと、重い腰を上げました。 だけど、手紙って、なかなか捨てられないですな! ビジネス的な手紙は、まあ、ぽいぽい捨てられるのですけれども、私信となるとどうにも捨てられない。 まず家族・友人・知人からの手紙となると、これはまず捨てられない。クリスマス・カードとか、結構かさばるものもあるのですが、やはり捨てられない。 次に教え子からの手紙、これは絶対に捨てられない。 また見ず知らずの方から、私の本に対する感想などをいただいた場合、これも捨てられない。その方とお会いすることはないだろうとは思いますが、しかし、わざわざ感想を書いて下さるというのは、よほど私の本に感心して下さったからで、そう思うととても捨てられない。 あと、ビジネス系の手紙でも、たとえば大昔に共著で書いた本などが増刷され、印税をいくら支払います、などといった通知とか、捨てたっていいようなものですが、でも後で振り返って「この本、結構売れ行きが良くて、第○刷まで行ったんだよなあ。微々たるものだけど、これだけ印税もらっているじゃん」とか、懐かしく思うこともあるかなあ、なんて考えると、やっぱり捨てられない。 じゃ、結局、何も捨てられないんじゃん! そうなの。これが、モノに執着する人間の定めなの。 それでもがんばって、大型のゴミ袋一杯分だけは捨てたので、少しはボリュームが減ったかな。でも、後はまとめて押入れへ。 わーい、状差しが空になったぞー! (実は別な場所に移っただけ) というわけで、情が深すぎて、手紙を処分できない男の悲喜劇でした。ちゃんちゃん。
January 15, 2015
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WOWOWで録りためていた映画を立て続けに観ちゃった。何故か両方、犯罪系。以下、ネタバレ注意ということで。 まずは『アメリカン・ハッスル』。クリスチャン・ベイル演じる主人公アーヴィンは、表向きクリーニング・チェーン店の経営者でありながら、贋作の絵を売ったりする裏の顔を持つ。このアーヴィンが、運命の女・シドニーと出会ってしまったのがことの始まり。天性の詐欺師であったシドニーと出会ったアーヴィンは、本業よりも裏稼業の方に熱を入れ始めてしまうんですな。で、二人はあえなくFBI捜査官リッチーに逮捕されてしまう。 が、そのリッチーから提案され、汚職政治家の逮捕に協力する裏取引に応じることになった二人は、カジノ経営を通じて地元の活性化をもくろむカーマイン知事をとっかかりとして、マフィアとつるむ政治家をはめることに協力することになるのですが、しかし、このカーマイン知事、本当に地元の活性化を心から願う善良な知事だった。その過程で、多少、マフィアと関係を持つも、それもすべて地元のため。かくしてカーマインの人柄に惚れたアーヴィンは、カーマインをはめることに逡巡し、むしろ出世のためには何でもやるリッチーへの反発を強めて行く。 一方、シドニーを愛するあまり、妻をないがしろにしてきたアーヴィンの家庭生活はもうボロボロ。で、このアーヴィンの妻というのが、なかなか一筋縄ではいかない人で、この人の不用意な行動により、アーヴィンはFBIとマフィアと、双方からにらまれることに。 さてさて、アーヴィンはFBIに協力してカーマインらの逮捕をおぜん立てするのか、それとも詐欺師の面目を立てて、何か別の道を選ぶのか?! みたいな話。 1970年代の話ゆえ、ファッションから何から70年代チックに決めたこの映画、ぶよぶよにしまりのない体つきのアーヴィンを熱演するクリスチャン・ベイルの役者魂もあって、なかなかの出来。 点数的には、うーん、「73点」かな。 一方の『ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ』は、ガイ・リッチー監督の少し前のイギリス映画。 エディは腕利きの若きギャンブラー。友人3人から軍資金を集め、賭けカード・ゲームに挑むも、ギャングの元締めのインチキの前にあえなく金を巻き上げられたばかりか、多額の借金を背負ってしまう。1週間以内に借金を返さなければ、エディの親父(スティングが好演)のバーを借金のカタに取上げられてしまうとなって、青くなったエディは、たまたま隣のアパートに住むその筋の一味が、麻薬売買に手を染めている大学生グループから金と麻薬を強奪する計画があるのを知り、強奪した金を麻薬をさらに強奪する計画を立てる。 一方、ギャングの元締めは、実は古い銃のコレクターで、今一番目を付けているクラシックな銃二本を手下を使って盗み出そうとしていた。ところがこの二本の銃は、強盗を襲う時の武器としてエディたちの手に渡ることに。さらに、せっかく強奪した金と麻薬をエディらに奪われたことを知った連中も、もちろんエディたちを追い始める。 強盗は大学生たちを、エディたちは強盗一味を、強盗一味はエディたちを、元締めは銃の持主を、三つ巴というか四つ巴というか、それぞれ追い回すというはちゃめちゃな展開に。さて、エディたち四人は、この危機を乗り越えて、無事、借金を返せるのか? というような話。 ちょっと話が出来過ぎているとはいえ、3つ、4つの筋が絡み合いながら、最後に1つにまとまっていくストーリー展開はなかなかの力業。この作品の後に撮った『スナッチ』と比べると、完成度でやや劣るとはいえ、イギリス版クエンティン・タランティーノともいうべきガイ・リッチー監督の才気が充分に感じられる出来。 点数は・・・「81点」! 高得点! ということで、詐欺映画・ギャング映画を立て続けに見てしまいましたけど、いい気晴らしにはなりましたかね。 【メール便送料無料】アメリカン・ハッスル コレクターズ・エディション[DVD][2枚組]【D2014/7/...価格:4,536円(税込、送料別)【メール便送料無料】ロック,ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ(ブルーレイ)【B2013/...価格:2,571円(税込、送料別)
January 14, 2015
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なんか今ちょっと話題になっているらしい「ご飯にかけるギョーザ」って奴、食べちゃった。これこれ! ↓ご飯にかけるギョーザ 110g/合わせ調味料/税込2052円以上送料無料ご飯にかけるギョーザ 110g[そ...価格:453円(税込、送料別) ひゃー、これ、ご飯がすすむわー。 だけど、今はダイエット中のワタクシ、こんなのかけてたら到底、ダイエットの目標なんか到達できず。 ということで、ご飯ではなく、お豆腐にかけて冷奴風に食べてみたのですけど、これがまたイケる! なにせ、「食べるギョーザ」の主たる成分は「おから」らしいので、豆腐に合わないわけがない。それにこの食べ方なら、炭水化物の取り過ぎにはならないし、今のワタクシには最善の妥協案。 ということで、この一瓶で、一口の口福を味わっているワタクシなのであります。是非、お試しあれ~!
January 13, 2015
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コンビニとかに寄る度に「ポイントカードはありますか?」などと尋ねられ、その都度、ありませんと答えるのも面倒くさく、一度は「Tポイントカード」を作ろうと企てたこともあったワタクシ。でも、あれ、結局、カードは手に入れたものの、手続きはしなかったんですよね~。 だけど、今度は本気みたい。 というのも、「楽天ポイントカード」というものの存在を知ったもので。 私のように楽天ブログでアフィリエイトしているものにとって、「楽天ポイント」というのは唯一、活用しているものなんです。そこで、楽天ポイント・カードを手に入れ、提携しているコンビニなどでポイントをためれば、そのポイントを楽天市場で使うことが出来る。これは使えそうじゃないですか。 で、そのポイント・カードを93円也で買おうと思ったのですが・・・ むむ! お金を出して買わなくても、サークルK・サンクスやミスドなどで配っているらしいではないですか! で、さらにデザインを検討すると、ミスドのものが一番、デザインがいい。おーし、今度ミスドに行った時に、このカードをゲットしてやろうじゃないの。 ということで、ついについに、ワタクシもポイント・カード持ちになれそうな予感。ちょっと楽しみなのでした。
January 12, 2015
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日本人の前衛アーティスト、篠原有司男(通称「ギューちゃん」)と、その妻でやはりアーティストの乃り子さん(「キューティ」)の、ニューヨークでの日常を撮ったドキュメンタリー、『キューティー&ボクサー』を観たので、覚え書きをつけておきましょう。 ギューちゃんというと、絵の具に浸したボクシング・グローブでキャンバスをめった打ちにする、アクション・ペインティングで有名ですが、そのギューちゃんももう80歳。そのギューちゃんと、ギューちゃんに一目ぼれし、二十歳以上の年齢差を越えて結婚、以来四十年に亘って生活を共にしたもう一人のアーティスト、乃り子さんをカメラは追っていくのですが、これがまた大変な生活ぶりで。 何しろ、ギューちゃんは前衛ですから、彼の作品はアートとしては評価されても、一向に売れない。だもので、二人の生活は決して裕福ではないわけ。しかもギューちゃんは天才肌で我がままなアーティストなので、作品制作に入ると夢中になってしまって、乃り子さんを「ただで使えるアシスタント」としてこき使ってしまう。当然、乃り子さんとしては、自分自身のアートを製作する時間が無くなってしまうので、不満が生じるわけですな。それで、二人の間にはしばしば険悪なものが流れたりもする。 ギューちゃんとしては、乃り子さんは自分のミューズであり、また自分の生活をサポートしてくれる人であり、それだけで充分なのでしょう。それ以上のことを望んでいないし、期待もしていない。 しかし、乃り子さんは、自分のアート(彼女は、自分の分身である「キューティ」という人格を創造していて、キューティーとその夫でありライバルでもある「ブリー(「牛」と「いじめっ子」をかけている)」との、日々の戦いを神話風の連作として描き続けている)でもって自己実現したいという欲望がある。そして、その欲望と、彼女の作品の価値を、どうもギューちゃんがそれほど認めていないことに苛立ち、悲しみ、怒りを覚えている。 それでいて、ギューちゃんのアートを誰よりも認めている乃り子さんとしては、二人の間の主導権争いでは常に一歩引かざるをえない。 実際、第三者としてギューちゃんの作品と乃り子さんの作品を比べると、ギューちゃんの作品の方に圧倒的なパワーがあって、どうしても人の目はそちらに行ってしまいがち。乃り子さんももちろんそれに気づいているでしょうから、そこに悔しさもある。 そうした葛藤(特に乃り子さんの側の)が二人の間には四十年近く続いていて、まさにそれこそが二人の日常なわけですな。この映画が捕えようとしているのは、まさにそこです。そう考えれば、この映画が、主として乃り子さんの視点で描かれているのも、当然でしょう。 だけど、映画の最後で、乃り子さんは「この葛藤こそが自分を成長させ、今日の自分を作り上げたのだから、もしもう一度人生をやり直すとしても、やはりギューちゃんと結婚するだろう」と語ります。そこがね、ちょっと切なくも、感動的なところ。 この映画は、ギューちゃんのトレードマークである「絵の具にひたしたグローブ」を身につけた二人が殴り合う、スローモーションで終ります。だけど、観ていると、実際にパンチを当てているのは乃り子さんだけ。つまり、最後に乃り子さんがギューちゃんを叩きのめすところで終るんです。そこがいいんだなあ。最後に映画が、乃り子さんの肩を持ったわけですからね。あなたのことをこき使っているギューちゃんなんて、叩きのめしちゃいなさいって。 ということで、アーティストが二人、夫婦として暮らしていくということがどんなに壮絶なことかを描きつつ、二人の微妙な力関係と、怒りと悲しみを描きつつ、やっぱりこの二人は、この二人じゃなきゃダメなんだということを示したこの映画、ドキュメンタリーとして相当、いい出来だと思います。まだご覧になっていない方は是非! 教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】キューティー&ボクサー [ 篠原有司男 ]価格:3,693円(税込、送料込)
January 11, 2015
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『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』という本を読み終わりましたので、ちょいと心覚えを付けておきましょう。 エリック・ホッファーというのはアメリカの・・・何でしょう? 社会学者というのか、哲学者というのか、とにかくそっち系の人なのですが、この人の経歴には一つ、際立った特徴がありまして、まずなによりも学歴らしいものがほとんどない。若い時から秀才で知られ、有名大学を出て、大学院を出て、留学の一つもして、ストレートで有名大学の教授張ってました、というのではないんですな。 むしろその種のよくあるパターンの正反対。季節労働者としてカリフォルニアあたりでオレンジ摘みをしたり、プルーン摘みをしたり、あるいは道端のレストランのウェイターをしたり、金鉱を掘りに行ったり、とにかく若い時からずっと放浪を続け、その後サンフランシスコの港で沖仲仕(おきなかし:要するに貨物船の積み下ろし作業をする港湾労働者ですな)を四十歳くらいの時から二十五年間にわたって務めるという、ばりばりの放浪者&肉体労働者だったんですな。 で、そんな放浪&労働生活をしながら、そうした生活の中から掴んだ経験と、公共図書館を駆使した自学により深く思索を練り上げ、学会や内外の一流の学者から絶賛されるような本を出版する、ということをやってのけた。まさに絵に描いたような在野の学者さんなんです。 しかも幼少期、7歳の時に一度失明し、十五歳くらいの時にふたたび視力を取り戻すという数奇な経験もあったりして。まあ、ドラマチックといえばやたらにドラマチックな生涯と言えましょう。 で、この本はホッファーが晩年になって自分の生涯の来し方を振り返った、自伝的エッセイということになります。といっても、活字ぎっしりの大部な本ではなく、一つ一つのエッセイはごく短く、全体としても高々二百頁足らずというところ。あっさりしたものですな。何しろこの人には「箴言集」的な著作もあるようですから、淡々とした短い散文というのが、この人の真価なのかも知れません。 実際、読んでみますと、上に述べたような数奇な人生の軌跡が淡々と綴られておりまして、書かれていることはすごくダイナミックなんですけど、書き方があんまり淡々としているので、あまりダイナミックに感じられないというね。あー、そうなってそうなって、そうなったわけね、と軽く読んでしまえます。むしろ、味わいが足りないくらい。 でもまあ、そんな淡々とした中で、一箇所、特に面白かったのは、ホッファーがその後の彼の学問的業績の核となるようなある発見に至る瞬間を記したところ。 それによると、ホッファーが季節労働者として、他の労働者たちと共同生活をしながら暮らしていた時のこと、ある老人と懇意になった彼は、その老人に誘われてチェッカーをすることになるのですが、その時になって初めて、ホッファーは相手の老人の一方の手が、多分、電ノコにでも巻き込まれたのか、縦にざっくり切断されていて、その部分が義手になっていることに気づいた、というのですな。 気づくのが遅いよね! だけど、とにかく、ありゃりゃ、と気付いてさらに見渡してみると、自分の同僚である季節労働者たちの大半が大なり小なり障害を抱えていて、五体満足なのはあまりいない、ということに気づくわけ。 で、その時、ホッファーは「ひゃー、ここに居るのは、ほとんど皆、社会的落伍者、社会的弱者じゃん!」と思い至ると。 しかし、ここで重要なのは、ホッファーの驚きが、否定的なものではない、ということ。彼はむしろ、そのことを肯定的に驚いたんですな。 つまり、アメリカを開拓し、アメリカという国を作り上げてきたのは、まさにこういう弱者だったんだ、と気づくわけ。そのあたり、原文を引用しましょう。 人間という種においては、他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きものを選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者の影響力に腐敗や退廃をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ロレンスのような人たちは、重要な点を見過ごしている。 (『エリック・ホッファー自伝』66‐67頁) この認識が、後のホッファーの社会学というのか哲学というのか、とにかく彼の学問体系の基礎となる(らしい)んですな。だから、ホッファーの場合、みずから労働者として働いていた実体験が、彼の学問の根っこになった、というわけ。 ま、私にとってこの本で一番面白かったのは、ここかなあ。 だけど、逆に言うと、面白かったのはここだけ。この本、割と評判が高くて、ホッファー人気に火を点けたようなところがあるのですけれども、私に言わせれば、そこまでのもんかぁ?って感じもしなくもない。 結局、この本がどうの、というより、バリバリの労働者が、実はすごい学者さんだった、というところに、ホッファー人気の根源があるんじゃないのかしら? 特にアメリカの場合、「反知性主義」というか、「エリート嫌い」の伝統がありまして、イリノイで樵やってた奴が大統領になった(リンカーン)とか、カリフォルニアで俳優やってた奴が大統領になった(レーガン)とか、そういうのが好きなんですよね。 日本人だって、ある程度、そういうところがありますもんね。俺たちと同じ遊び人だと思っていた人が、裁判官(遠山の金さん)だったり、将軍(吉宗)だったりすると、盛り上がるわけですから。 実際、ワタクシだって、ちょっと憧れるもんなあ! 学歴もコネもなく、肉体労働の合間をぬってひたすら公共図書館だけを使って独学で勉強して、何かアカデミックな業績を出すっていう、その潔くも高潔なライフスタイルにはね。 というわけで、ワタクシにとっては初のホッファー本、そこそこ面白かったような、でもよくよく考えてみると、それほどでもなかったような、微妙な着地をしたのでありました。 ちなみに、本書の副題である「構想された真実」というのは、「Truth Imagined」の訳ですが、どうなんですかねえ。そもそも「Truth Imagined」というのはどういう意味なのだろう。「自伝というのは、表向きノンフィクションのようでいて、実は自分の頭が創り出した作り事に過ぎない」という覚めた認識が俺にはあるよ、というホッファーのメッセージなんじゃないの? だったら「創り出された真実」とか、「頭の中の真実」とか、そんな感じに訳すべきで、少なくとも「構想された」というのでは意味が解らないよね。これこれ! ↓【楽天ブックスならいつでも送料無料】エリック・ホッファー自伝 [ エリック・ホッファー ]価格:2,376円(税込、送料込)
January 10, 2015
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なんか毎日プチ断食の話で申し訳ないのですが、なにせ目下の大関心事だし、実際問題としてお腹がすくわけだから、そのことを意識せざるをえない。なので、もう少しお付き合いくださいね! ところで、プチ断食中の楽しみと言えば、毎晩、風呂上りに体重計に乗る事。なにせ今や我が家には最新のハイテク体重計があるので、BMIから体脂肪率から身体年齢まで、みんなわかっちゃうもので。 で、「こんなに頑張って物を食べてないのだから、少なくとも1キロは減っただろう」とか思って体重計に乗る訳ですけれども、実際には150グラムとか、そんな程度ずつしか減らない。まあ、一日1キロ減るくらいだったら、誰もダイエットに苦労しないわけですけれども、しかし、空腹をこらえている身からすると、「えーーーー、もっと減っててくれよ~!」という気になります。 でも、そう考えると、人間の身体のホメオスタシス(恒常性維持機能)というのはものすごいものがありますな。突然、断食を始めたからといって、急には体重は減らないんですから。 だけど、そのホメオスタシスに打ち勝つのは、人間の意志。「食べない」という選択をしたら、絶対に食べないという意志さえあれば、いずれは体重も減っていくことでございましょう。生活習慣病なんて、生活習慣さえ変えれば好転するのですから、ちょろいもんだ。 ということで、まだまだ頑張って、崩れかけた体型をスッキリさせたいと思っているのであります。 そうそう、スッキリと言えば、今日は私の目元もスッキリしましたよ! 昨年末に購入していた新しい眼鏡、「ゼロ・グラ」を受け取ってきたのでありまーす。 実際にかけてみると、軽い軽い! 縁やつるもすごく細いので、見た目あまり「眼鏡をかけている」という印象がないほど。 ま、最近はむしろ「眼鏡をかけている」っぽいデザインのものも人気と聞いていますが、多分、そういうのはワタクシには似合わないかなと。 前にかけていたものより若干度数を上げ、そのまま車も運転できる程度になっているのも便利。このところ、車を運転する時は別なもっと度の強いものにいちいち掛け替えていたもので。 ということで、まずは新アイウェアに満足というところ。新年早々、ちょっと気分のいいことでございました。
January 9, 2015
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断食、いい感じです。 なんかね、闘っている感じがするんですよね。ほら、ワタクシ、どちらかというと格闘系、武闘派だから(ホントかよ?!)、闘っている感じがいいんだよなあ。 肥満に対して攻めて行く感じ。「おらぁ! もう一食、抜いたろうか!」みたいな。今日なんか、朝食抜き、昼もローカロリーで済ませ、それでいて三コマ授業して、しかも道場で汗流してきましたからね。完全に摂取カロリーを消費カロリーが凌駕したはず。 で、聞くところによると、断食って、免疫も高めるとかいうじゃないですか。 私の場合、今まで「わしは風邪引いても、食欲は落ちないもんね~」とか自慢していましたけど、ひょっとして、風邪引いてまで普通に食事をとっていたのが、逆に長引かせる原因だったのかもしれないな、なんて思いだしたりして。 今度風邪引いたら、絶食療法試したろ。 ということで、とりあえずの目標たる1月末の時点で、どのくらい体重が減るか、超楽しみなワタクシなのであります。
January 8, 2015
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道場に通い柔術に汗を流す私ですが、仕事が忙しいとつい道場以外で運動することもなくなり、その一方で、甘いものなど食べたいだけパクパク食べてしまうもので、気づけば理想体重を大幅オーバー。 ということで、年も改まったことだし、ここは一発、体重を落とすことに専念しようかなと。 で、今、巷で話題・・・かどうか知りませんが、ダイエットの方法として「断食」を取り入れようと思っているのであります。 というのは、先般、平松洋子氏の『野蛮な読書』を読んでいたら、平松さんが断食道場みたいなところに1週間くらい滞在する、という経験談が書かれていて、それが結構印象的だったもので。 で、サーチすると、今、「プチ断食」を含め断食本というのは山ほどあって、それをちょいちょい立ち読みしながら得た結論としては、朝食を抜くのが一番簡単なのではないかと。 朝食というのは、英語で「breakfast」、すなわち「断食を破る」と書くことからも分かるように、夜食を食べた後の断食状態を最初に破る食事、という意味合いがある。例えば夜7時に夕食を取り、朝8時に朝食を取るとしたら、その間、13時間の断食状態があるわけですな。 で、もしその朝食を抜いたとしたら、お昼時の12時まで、断食状態はさらに4時間増えることになる。つまり、17時間の断食状態があるわけです。 日々の生活の中に、17時間の断食を作り出すこと、これが「朝食抜きプチ断食」なのだ! どう、これ? これぐらいだったら、何とかできそうじゃない? そしてそれに、毎日の筋トレ(特に体幹系)を組み合わせれば、このところお腹周りについた余分なお肉を、何とか片づけられるのではないかと、期待しているんですよね~。 実際、昨日から間食カット、朝食カットで臨んでいるワタクシ。昼も軽めにしたし、今、めちゃくちゃお腹が空いております。 だけど、断食ってのは、そういうことだから! ということで、少なくとも1カ月くらいやってみて、効果のほどを確認してみるつもり。ここにそのことを書いて、有言実行で行こうと思います。がんばるぞ~! 目標-3キロ!
January 7, 2015
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今日は今年初のご出勤。授業も二コマやって参りました。 が! なんか、新年って感じがしないんだよな~! 同僚も学生たちも、しら~っと新年をスタートさせちゃうので、ワタクシ一人、会う人毎に「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」なんて挨拶しても、超浮いている感じ。 新年、初めて会ったら、なんかご挨拶があってしかるべきなんじゃないの、この国では? で、後で同僚とも話していたのですが、そもそも元日から開いているデパートもあるし、スーパーもあるし、ましてやコンビニがあるようじゃ、年が切り替わったって実感がないのも当たり前だと。 だから、もう、法律でさあ、三が日はすべての商取引禁止、ってことにしたらどう? そしたら、「大晦日までに食料を仕入れておかなくちゃ!」みたいな緊張感も生じ、三が日は買物なんかにうつつを抜かさないで、それぞれが自分の今年一年の計画を立てるとか、伝統的な遊びに打ち込むとか、そういう時間的余裕もできるんじゃないかと。 祝日を月曜に集めて、やたらに三連休を作る愚を全部廃止し、例えば成人の日は毎年1月15日に戻したりしながら、一方で、正月三が日は日本全国、すべて休み、という風にしたらどうなんすかね。 そういう政策を掲げる党があったら、次の選挙でわしは一票投じるよ。 ま、とにかく、お屠蘇気分も抜けぬうち、今年の仕事も始まっちゃいまして、いささか興ざめなワタクシなのでありました、とさ。
January 6, 2015
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なんの話題の末だったか、「7時28分の妹」こと、NHKのお天気お姉さんのW不倫問題に話が及びまして。 「だって、最近、そのお姉さん、出て来ないでしょ?」と言うと、NHKのお天気コーナーには非常に関心を持っている父は、そのことに気づいていなかったようで、「ええ! そうなの?!」とショックを受けておりました。 で、「どうしてそんなこと知っているの? 新聞に出てた?」というので、「いやいや、新聞には出ないよ。ネットで見ただけ」といって、スマホで検索して、そのニュースを見せると、これまた非常に驚いておりました。 そして「スマホだと、そんなことも分かるのかあ・・・」と感慨深げに言うので、「いや、スマホじゃなくても、パソコンで見られるよ」と言うと、「え、そうなのかーー」と。 我が父上は、80代半ばにして、パソコンを駆使する人ではありますが、それは撮った写真を保存したり、加工したり、印刷したり、人にメールで送ったりすることに限られ、ネットで何かを検索する、というところまでは気が回らないんですな。だから、常々、私も「分からないことは、ネットにすべて答えがあるんだから、ネットで調べればいいんだよ」と口を酸っぱくして言うのですけれども、どうしても「ネット」というものが理解できないらしい。 それで、件のお天気お姉さんについてのネット上の様々な書き込みをスマホで読んでいた父曰く、「この人は、W不倫だけでなく、トイレで同僚の悪口を言ったり、ひどい人だったんだね。そんな人とは知らなかった!」と。 いやいやいや、親父様、それは分かりませんよ。 そこで、私がネットについてひとくさり、「まあね、世間なんて意地悪なもんで、人気のある人ほど、ひとたびその人気に陰をさすようなことが起ると、とたんに手のひらを返したように悪口を浴びせかけるもんだから、ネットの書き込みを全部信じちゃだめよ。ネット上の情報なんて、話半分程度に受けとらないと」。 ネットが分からない人にネットの情報源としての効用を伝えつつ、しかも、そこに上がっている情報はインチキかも知れないよと、伝えるってのは、「押すと同時に引く」みたいなことになって、結構、難しいですな! もっとも、お天気お姉さんの件を契機として、我が父上がすぐさまネットに開眼するとも思えません。若い世代と高齢者との間の情報ギャップは今後も開くばかりなんでしょうな。依然として「オレオレ詐欺」にひっかかる高齢者が後を絶たないわけだ・・・。 現代ってのは、高齢者にとって、よりやっかいな時代であるようで。 さてさて、今日は名古屋に戻ります。3日に滋賀に戻った姉一家は、東名の渋滞で通常5時間半かかるところ、11時間かかったようですが、今日はさすがにそういうことはないことを祈ります。それでは明日からはまた名古屋からのお気楽日記、お楽しみに〜!
January 5, 2015
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明日は名古屋に戻りますので、こちらのでの最後の行事となる、高幡不動へのお参りを済ませて参りました。やはり、毎年やっていることをやらないと、何となく気分が悪いもので。 三が日は過ぎたとはいえ、今日は日曜日。高幡不動は押すな押すなの賑わいで、老若男女がごった返しておりました。その人ごみに混じって我ら親子もお参りをし、また昨年買ったお守りなどを返納して、新しいお守りを買ってきたという。 で、ここでのもう一つのお楽しみは、小さな七福神のお守りが入ったおみくじなのですが、今年の運試しに引いてみたところ、見事大吉を引き当て、七福神のうち布袋様が私のところにやってくることになりました。ううむ、大吉とは幸先がいいではないですか。良いことだけは信じる私。今年は何事も上手く行くはず、と信じておきましょう。 そして帰りがけ、多摩センターによって食事を済ませたあと、丸善によって本や文房具をチラ見したところ、前にこのブログでもご紹介したパイロット万年筆が売り出している「カクノ」という簡易万年筆が置いてあったので、遊びで試し書きしたところ、母がすっかり気に入ってしまったようなので、私が一本プレゼントすることに。もっとも私自身は、むしろペリカンが出している「ペリカーノ」の書き味の抜群の柔らかさに惚れたのですが、ちょっと太字すぎるのが難点で、今回は見送ることに。 ということで、恒例の高幡不動参りもできたし、母にプレゼントもできたし、なかなか良い一日になったのでした。 これこれ! ↓ パイロット万年筆 カクノ ホワイトボディ<ソフトブルー>※ペン先をお選びください<メー...価格:750円(税込、送料別)ペリカン Pelikan 万年筆ペリカン 万年筆 ペリカーノJr. ターコイズ・ブルー ペン先:A 万年筆 ...価格:1,075円(税込、送料別)
January 4, 2015
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今日は一足先に家内が実家に戻るので、それを送りがてら上野・西洋美術館で開催中の「フェルディナント・ホドラー展」を見てきました。 ホドラーというのは、1853年にスイスに生れ、1918年に没した、クリムトと並ぶ世紀末芸術の巨匠。しかし、スイスに止まって活動をしていたため、日本ではその名をあまり知られていないという。それだけに、これだけの規模の展覧会は是非見ておきたいと、随分前から思っていたんですよね。 で、初期には普通の風景画などを描いていたホドラーですが、人間列像というのか、数人の人間が列をなして歩いているような絵を描くようになってから、俄然、絵に個性が出始めるんですな。 この列像は、歩いている数人の人物がそれぞれ異なったポーズをとっており、人間を多面的に描いているとも言え、また時間の経過を表しているとも言え、少なくとも複数の人間が「行進」しているようには必ずしも見えない、という感じなんですな。むしろこの複数の人間の列像によって、ホドラーは「リズム」を描こうとしたと言われているそうで、それはこの時期にスイスの音楽教育家、エミール・ジャック=ダルクローズによって提唱された、音楽と体操の融合を目指す「リトミック」運動と深い関係があるらしい。 で、こうしたリズミカルな人間列像は、壁画に適しているということもあり、教会とか公共の場所の壁画をホドラーは随分描いております。その意味でも、ホドラーはクリムトに似ていると言えるでしょうか。 それと同時に、彼は風景画(なにしろスイスは風光明媚なところゆえ)も描くのですが、この頃の彼の風景画は、初期のものとは異なって、すごく特色のあるものとなります。山を描けば、その山肌はまるで人体の複雑な筋肉の盛り上がりのようであり、また空の雲を描けば、その雲は人間列像と同じように、リズムを生み出す列雲となる。誰だったかが、「ホドラー芸術の基本は人物画だ」と喝破したそうですが、まさにそんな感じ。風景画がリズミカルな人物画に見えて来る。 ちなみに、ホドラーは恋多き人だったのか、なんどか結婚と離婚を繰り返していて、しばしば自分の絵のモデルさんと結婚しているんですな。で、最晩年は、ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルという若いモデルさんと恋に落ちるのですが、残念なことにこの女性は若くして癌で亡くなるんです。病床の彼女を描いた絵もありましたけれど、すっかり痩せ衰えてしまって。そして彼女が亡くなったとき、ホドラーは、「この美しい頭部、美しい目、美しい鼻、美しい口、すべてが蝕まれてしまう・・・」と嘆いたそうですが、晩年は彼女と自画像しか描かなかったというホドラーにとって、最愛の人を失った悲しみはいかばかりであったかと。 ホドラーはその生い立ちからして、幼少期に親・兄弟が次々と結核などで死んでしまい、孤児同然で育つのですが、親しい者の死によって人生の最初と最後を縁取られたような、そんな一生だったようでございます。 というわけで、ホドラー展、予想通りなかなか充実した展覧会でありました。会期はあと1週間ほどしかありませんが、興味のある方は是非。教授のおすすめ!です。ホドラー展 ところで、私も上野の美術館には何十年かぶりで訪れましたが、今、この美術館を「世界遺産」に、という運動があるらしいですな。というのも、この美術館がル・コルビジエの設計になるものだから。 だけど、あれですね、コルビジエの設計した建物ってのは、やっぱりどこか頭でっかちなところがあるので、実際そこで人が生活するとなると、結構辛いのではないかと。今回も展示を見ながら、階段でどんどん下に下げられてしまうので、「最後にもう一度、最初に見た絵を見よう」と思っても、「あの階段をまた上がるのかあ・・・」となってしまって、結局、断念、みたいなところがある。 モダンというのは、人間の感性よりも思考を優先させ、アイディアの下に人間を置くみたいなところがあるので、ある意味、愚かなところがある。それは、建築も絵も音楽も、みんなそう。その愚かなものを「世界遺産に」ってのも、どうなのかなと。まあ逆に、だからこそ、という考え方もありますけどね。
January 3, 2015
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今日は恒例、小学校時代からの親友二人と、新年会でございます。 もう40年以上の付き合いなので、久々に会ったからといって特別なこともなく、あたかも昨日も会ったような感じですんなりとトークに入って行くのですが、それでも互いの近況報告は面白いもので。 Eは、年末の健康診断で前立腺の腫瘍マーカーの結果が悪かったとかで再検査となり、例の嬉し恥ずかしの触診となったのですが、行った先の病院の担当が女医さんだったと。 で、多少はどぎまぎしたらしいのですが、診察台の上でもう何のためらいもなく、何の予告もなく、その女医さんがEのパンツをペロッと下ろしたそうで、その途端、心ならずも「あ・・・」という声がEの口から漏れてしまったのだそうで。 「一皮むけたよ」と、謎めいた言葉を吐きながら、Eは何故か誇らしげでありました。 一方、Tの方は、50歳の壁を越えても相変わらず夢見る人でありまして、「店内に線路を張り巡らし、鉄道好きのためのカフェを作る」だの、「ドイツで漢方を売りながら、日独の文化の架け橋となる」だの、大きな夢を語る、語る。 私も相当、夢見る人ではありますが、Tと比べると、相対的によほど地に足がついているのではないかと。 でも、Tは、夢を語っている時は絶好調な人なので、バロメーターとして、調子良さそうで結構なことであります。 ということで、今年も三人揃って元気に顔合わせが出来て良かった、良かった。まあ、これからは何はともあれ、お互い健康に留意して、人生後半戦をエンジョイすることにいたしましょうかね。
January 2, 2015
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東京ではお昼過ぎからパーッと雪が降ってきて、もちろん積もるような降り方ではありませんが、なかなか風流な元日となりました。 で、わが家では、三家族揃ってにぎやかにお節料理を食べた後、これも恒例の元日ショッピングに新百合ケ丘というところへ。 そして、ユニクロやらGAPやら、元日から開いているお店を覗いて新春バーゲンを楽しんだり、タリーズで喉の乾きを潤したり、カルディで珍しい食品をゲットしたり、その合間にブックオフなどにも行ってしまったり。私はユニクロでハーフジップの薄手のセーター、GAPでシャツを半額で購入、ブックオフで玉村豊男の『パリ 旅の雑学ノート2冊目』を108円で文化財保護した他、家内は伊藤計劃の『虐殺器官』をゲットするなど、まずまずの収穫。 そして家に戻って、買ってきたドーナツをコーヒーでいだだき、一息ついたところ。 ところで、このたびの帰省で一つ驚いたことがありまして、それは何かと言いますと、食卓に鋏が登場したということ。 台所に鋏、なら分かるのですが、食卓に鋏って、すごいでしょ? よく韓国風焼き肉のお店なんかで、肉を切る鋏が登場することがありますが、ああいう感じで食卓で使う鋏が、今、わが家の必需品になりつつあるんですな。で、とにかくこの鋏で料理をジョキジョキ切る。 どうやら、鋏の刃に特殊な加工がしてあるらしく、これで切っても刃に食品がくっつかないところがミソ。だから、たとえばお雑煮のお餅とか、これでジョキジョキ切って、食べ易い大きさにして食べると。老人が正月に餅を喉に詰まらせて、なんて話をよく聞きますが、今やわが家ではこの鋏で餅も小さく切っちゃうから安心なわけ。 ふーむ、なかなか便利なものでありますな・・・。 だけど、食品を鋏で切るって、結構、インパクトがありますよ。たとえば、鯛焼きとかを鋏で切るところを想像してご覧下さい。ちょっと、「え?」と思いません? ということで、まだ私には慣れないことではありますが、年寄りがいるところでは、食卓用鋏というのは、案外便利なものかも知れないなと思い始めているところなのでございます。アルスコーポレーション シェフスター料理人鋏(はさみ)価格:3,044円(税込、送料別)
January 1, 2015
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